超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ソフトファンボード新着、甘辛サーフデビューす。

2015-09-22 20:49:02 | スポーツ・健康
自分の倍くらいあるロングボードをチャリに装着して我が家の入口を通過しようとしたご近所の奥さんを見た時は衝撃的だった。「私はまだインサイド(波打ち際)でねー。『えのすい』の前でやってるんですが・・・楽しいですよ」ご主人は屋外に専用ラックを設け、長短何枚ものボードを並べるかなりのベテランで、「湘南でサーフィンするために引っ越しきた」というのは聞いたが、まさか奥さんまで染まるとは・・・?!「(この人にできてオレにできないはずがない!)」と妻にスクールだけ付き合ってくれるよう拝み倒し「MABO ROYAL」の門を叩いたのが10年前だった。波の状態がいつも似たりよったりなのと、そこそこ出来るとそこで進歩が止まってしいまう私の性質からか、波乗り10年目を迎えても我ながらそんなに上達したとは思えない。

奇しくも生シラス禁漁区間とほぼ同じ厳冬期を除くと週末天気が良ければ割と頻繁に海岸に出動する。レジェンドとは知らなかったマーボさんに無断でサインされた赤いボードを担いでスケパー前がいつものポイントである。波はいつもヒザ~モモくらいしかないが、たまに台風が接近したりすると素晴らしく綺麗で大きなウェーブがやってくる時がある。かなり沖に出なければならないし、人も多くてスピードが出ると危険だから乗れたことは少ないが、颯爽とテイクオフできた時は「これだよ、これ!この雄姿、誰か撮ってよ~!」と言いたくなる。多少の偏見もあるが一部の「世にサーファーと言われる人」の容貌や言動がどうも苦手で、仲間内で浮かぶ人々の中に入って行く気がせず、顔見知りと挨拶して言葉を交わすくらいで、波乗りするときはほとんど一人きりである。

妻は海辺を散歩したり、弁当を持って来たり、夏場は日焼けしにきたりもするが、本人がサーフィンすることは一番最初のスクールに付き合った以外ほとんどない。9フィートのボードを取りまわすのは女性ではちょっとしんどいし、多くの人が浮かぶ中で怪我やアクシデントが怖いらしい。「共通の趣味にできたらカッコいい」と今まで幾度となく誘ってみたが、ノッてきたことはほとんどない。基本は一人でするものだが、誰かとつるむとまた別の楽しみがある(別の煩わしさもあるが)かと思うが、私は常に一人で海に行き、長くて3時間もいると「今日はこれくらいにしておいてやろう」とさっさと帰り支度を初めてしまう。遠方からグループで来ている人はそれこそ1日中入っているようだ。

そして先日、息子甘辛が部活を引退して受験生モードに入った。と言っても、休みの日もだらだらゴロゴロしているだけで、全然緊張感がないし勉強のスイッチが入った様子も見られない。友達は真面目に受験勉強しているのか、一緒に遊びに出掛けることもない息子を見て「そうだ。コイツを引き込もう!」と思い付いた。むろん場所柄、子供さんがサーフィンする同年代などたくさんいるのだが、我が家は真逆なのである。そしてついでにもう一つ思い立ったのが10年ぶりに「サーフボード」を新調することである。実は今のロングボードを多少なりとも使いこなせるようになってから、もう少し短いファンボードというたぐいに興味を持っていた。ただ家族で私しかやらないのに2枚もボードを持っていては何となくもったいなく感じ、この機会に甘辛をダシにしてしまおうと考えたのである。(我ながらアザトい)

聞くと息子はこれだけ海辺に住んでいながら、パーフェクトなまでに「サッカー一筋」でここ数年、海岸にすら行ったことがないという。確かに土休日ほとんどオフのない部活生活では海に行く機会がなかったかもしれない。
「オレ、今度短めのファンボードを買うつもりなんだが、休みの日受験勉強の合間に海に行ってやらねえか?」(やってもいない「受験勉強」の合間と言ったのがミソ)
「海辺に住んでるし、部活引退した後の半年でサーフィンできるようにしておくと、あとあといいと思うんだが」(「あとあと」というのは暗に女子にモテそう、という意味を含ませている)
妻は「休みの日に父子でボードを担いで海に向かう姿そのものがカッコよくてよい」と思ったらしい。(でも購入費用は出してくれなかった)

ファンボードとはロングとショートの間くらいで7フィートくらいまでのボードを言うようだ。私自身が乗ったことがないのと、息子や妻が使用しても危なくないように「初心者」用のソフトボードを購入することにした。本格的なボードに比べると値段も安く、材質はボディボードのように柔らかく本格ボードに比べると「おもちゃ」みたいなものだが、その分軽くて持ち運びしやすいし、エントリーにはぴったりのようだった。私は今まで何度かサーフボードで怪我をしているが、大抵は波に揉まれた際に板の縁が激突するものだった。特に初心者の頃は「危ない!」と思った時にアクションを途中で止められないことが多く、よく打ち身を作ったものだ。ソフトボードは「キッズ用」もあるくらい、ぶつかっても怪我しないし最も危険なフィンもビニール製で安全そうだ。

以前、目をつけていたソフトボードのあった店で話を聞いたが、「大きなアクションやドルフィンスルー(波の下をくぐって沖合に出る動作)は難しいが浮力があるので、初心者には向いています。よくサーフィンスクールなどでも用意してるんですよ」「どんな種類があるんですか?」「大体6フィートから7フィートまで、9フィートというロング並みのものもありますが、取り回しが難しくてあまりお勧めできません。あまり短いと浮力が足りなくて乗れません。キッズ用だと体重制限みたいなのもあります」色々話を聞くことはできたが残念ながらその店で扱っていたソフトボードは売り切れてしまい、次に入荷するのは来年の夏らしい。(それじゃー意味がない)今回はお手軽系で行くつもりだったから、MABOのような本格ショップではなく、スポーツ用品店や「HARDOFF」のような中古品扱い店(さすが地元)を物色して回った。

大型連休には間に合わせたかったので、店頭品や入荷時期などを色々聞いて回ったあげく、結局は通販で購入することとした。これだけ色々と手に取って触ったから、現物を見なくてもイケるだろう。PCを前に「甘辛よ、お前のボード、これから買うが何色がいい?」「いきなり、オレのになってんのかよ?色なら青!」苦笑いしながらも満更でもなさそうだった。さすがAMAZON、注文してわずか3日で我が家に10年ぶりのニューボードが届いたのだった。会社から帰ると大きな長細い段ボールが玄関に所せましと立てかけてあった。私は早速中身を取り出してフィンを取り付け、腹這いになってテイクオフ時のボード幅や位置などを確認していたら、居てもたってもいられなくなり、翌朝早く起きて出社前に繰り出すことにした。

        

翌朝、苦も無く5時に起床しテレビをつけたら愕然とした。まさかの「津波注意報」発令だったのである。前日にチリで大地震が発生し、その津波が約1日かけて太平洋岸にやってくる可能性があると聞いていたので念のためニュースをつけたら、気象庁が午前3時頃に津波注意報を発令していて、耳をすますと防災放送がスピーカーから流れていたのだ。「浜辺や港湾エリアに様子を見に行かないでください。」まるで私の行動を見透かされているかのような報道だ。さすがにこれでは海に近寄るわけにはいかない・・・その日、用事があって早く帰宅したので夕方、新サーフボードを持って恐る恐る海岸に向かうと驚いたことに洋上にはサーファー一人おらず、たぶん初めて見る無人の海岸だった。。。サーフビレッジには中型の消防車が赤いサイレンだけ回してこちらに向かって移動中だった。実は注意報が解除されて撤収するところだったので、そのまま入っても咎められることはなかったのだが、どうにも薄気味悪く、その日の試運転は断念した。

翌日の早朝、いつものところで真新しいソフトボードを抱えて海に飛び込んだが、やはりどうも勝手が違う。。。ロングボードより約60cm短いから、パドリングするとノーズがすぐ目の前にきてしまい、安定してボードが滑り出さない。テイクオフのタイミングもだいぶ異なるようだ。「浮力があるので初心者にもすぐに乗れます」という売り込みだったが、2時間近く格闘してちゃんと乗れたのは台風接近中の強いスープにわずかに数回だった。その日はグンマの時のジローくんが久々に集めてくれた若者達とサーフビレッジでビーチバレーを行う予定になっていた。今回は我が家を打ち上げ会場に提供することはできなかったが、いつものようにサーフィン体験をさせてあげられるよう、ボードを持参してコートに行くことになっていた。今回は自分も練習したいことがあり新登場のソフトファンボードにしたかったが、1年に数回だけ若者相手にカッコつけられるこの集いでレクチャーする本人がまともに乗れないのでは具合が悪い・・・

  

迷った末に何とママチャリに装着するボードキャリーのバンドの長さを2倍に増して元々あったロングボードと2枚とも持参することにした。タイヤはぺしゃんこになり、ハンドルが動かなくなってしまい、実カーブが曲がれないので何度も転倒の危機に見舞われたが、ゆっくり歩くように進んでようやく会場までたどり着いた。しばらく皆とビーチバレーを楽しんだ後、サーフィン体験希望者を連れ2枚のボードを持って海岸へ歩いた。台風20号の影響でかなり強いうねるが入っており、朝方は比較的綺麗な波面だったのだが午後になるとかなりざわついてスープ(崩れて岸に向かう波)ばかりになっている。強い潮の流れと所々掘れてしまっている海底に苦戦しながらもスープに押されてきれいに長くライドできた人もいて喜んでくれた。

さて、いよいよ甘辛のデビュー戦である。PICでお土産に購入したお揃いのラッシュガードで、だいぶ波も落ち着いてきた湘南海岸に向かった。私自身もいまいちテイクオフのタイミングとパドルパワーの加減が分からないまま、二人で奮闘を繰り返したのだった。連休中、私と再び始めた数Ⅲの勉強に合間に合わせ、妻に弁当を作ってもらって再びホームショアへ出陣、波はさらにスモールコンディションとなっていたが、私のフォローがあればかなりの確率で甘辛はテイクオフできるようになってきた。タイミングの難しいのを痛感するソフトファンボードだが、さすが現役の運動部高校生である。ちょっと寒い空だったが、いつもの浜辺にシートを広げ濡れた服を乾かしながら妻の弁当を平らげた。。。。もう少しで彼も一人でテイクオフできるようになるだろう。そうすれば私もいつものロングボードを抱えて海に向かうことになろう。

進学先の決まるまでのいわゆる受験生期間の数か月、休みの日はこうして少しだけ息抜きに息子と海に繰り出すとしよう。ただ一つ心配なのは、あまりにものめり込み過ぎて肝心の本業を忘れ去ってしまうことだ。やってみれば分かるが、そこそこマスターすると傍から見ていてもかなりカッコよく、女子にモテるネタとしてはかなり上級をいく嗜みだからである。無謀とも思えるが、私は中学生の時のように受験勉強の一部を一緒にやることにした。海に行くのはあくまでそれが一段落した時である。今のうちは息子甘辛はそれこそ上達が早くそれこそ満更でないように見えるが、いずれそんな時間は一分たりともさけない時が来るかもしれない。うんと先は分からぬが、受験勉強もサーフィンも息子と一緒に行うのは今が最初で最後かもしれない。ウルトラ同様、親子三代で打ち込む日を夢見て、この数か月でマスターしてもらおうと思う。

我らが「12ちゃん」

2015-09-16 05:47:37 | 昭和
民法局の番組を見に最近よく訪れる「テレ東」について、昭和期によく見ていた「チープな番組」を書き綴ってきた。せっかく途中まで書いたのでもう少し続きを考えてみよう。(って実はもうネタが切れてきたのだが・・・)
その前にテレ東と言えば「11PM」や「オールナイトフジ」を凌ぐお色気シーン満載の深夜番組が山ほどあったようだが、残念ながらそのほとんどは見たことがない。「天才柳沢教授の生活」のように未成年期の私は今同様に完全「朝系」で夜10時40分頃から放映されたいたNHKの「刑事コロンボ」以外は11時以降起きていることがほぼ無かったのである。(受験生期間だけ1時間延びた)青年期はそもそもこれらの番組が流れる土日の夜など家にいないことが多かったものだが、「ギルガメッシュナイト」の故・飯島愛さんの「御尻」は印象的だった。

「釣り」
私は釣りが好きだったので釣り番組には期待することが多いのだが、メジャーの民放では「松方弘樹世界を釣る」なんていう非現実的な特番しかなく、ここでも「12ちゃん」はかなりの健闘を見せた。「われら釣り天狗」「千夜釣行」「釣りロマンを求めて」など、どれも似たような内容で海なのか川なのか、テーマ・ジャンルがよく分からなかったが、貴重な分野として土日の夕方にいる時はよく見ていたものである。いつ見ても明らかに爆釣で、釣れたシーンだけ「テープをつなぎ合わせている」か、ダイバーが針に魚をつけているか、都市伝説として噂された。年末のカワハギ船に「オレも行く!」と手を挙げたら、「お正月休みでダイバーがいないので・・・」と笑われて久しい。。。

  

「旅行」
旅行と言えば多局でも多くの番組がある。しかし他の民放は少し若めの女性タレントやお笑い芸人、バラエティタレントなどを起用しているようだが、我らが「12ちゃん」では「いい旅・夢気分」が印象的で、その昔は山本陽子さんが光っていた。なぜ覚えているかというと、撮影の裏話をどこかのトーク番組で披露していたのである。高級温泉旅館など紹介する時は他の宿泊客に配慮して撮影は早朝に行われたことが多かったそうだ。夜遠しで板前さんの創った特別料理を朝の暗いうちからほおばり、何度も取り直ししてげっそりしてきたところに、入浴シーンの連続で半ばのぼせ上がりながら、「ふぅーっ・・・ゆったりできるわねえ。。。」といかにもくつろいで見せるのはかなりしんどかったそうだ。(さすが女優魂)他局がくだらないバラティばかりやっている時にこの局の旅番組を見ると何故か気分が落ち着き、ずいぶんお世話になったものだ。

  

「バラエティ」
他のメジャー局でも多くの番組がバブルのように「出ては消え」、この局も多くの番組があったようだが、こういうマイナー局になると番組自体を全く覚えていない(というか見ていない?!)バラエティ・お笑い番組は「流行り」の芸人やタレントを抜かりなく起用するのが大事で、他局にかなり遅れをとっていたような気がする。よく見ていたのは「三波伸介の凸凹大学校」である。確か故・三波伸介さんがはげ頭にちょび髭の「カトちゃん」みたいな姿だった。面白かったのは「白紙の描く絵とジェスチャーを組み合わせたエスチャー」で、レギュラーだったずうとるびの山田さんだったか江藤さんだったかが、いつも変な絵を描いて笑わせた。岸本加世子さんがヌード写真を出した時、「あんな姿じゃ寒いだろ」とのたまった三波伸介さんが途中で亡くなってしまった。最終回(たぶん)の追悼特集はものすごく寂しく悲しい記憶がある。

   

「トーク」
週末、私が寝る時間の直前くらいに「ミエと良子のおしゃべり泥棒」というトーク番組をやっていた。ウィークエンダーよりは上品なものを感じた。あまり内容に印象深いものはないのだが、たぶんミエさんのほうがずけずけと普通は聞かないゲストの過去やプライベートところに踏み込み、良子さんが「まあまあ・・・」と抑え役だったようだ。今でもそういう番組は結構あるが、深夜帯だったからかテーブルにお酒が確かあって、今よりもお洒落な感じが漂っていた。内容はあまり覚えていないが、俳優の浮気話とか嫌いな芸能人の悪口とかミエさんはかなり際どいところまで突っ込んでいた。マンションの一室みたいなところで撮影されたいて、最後に二人が「あの人はああだったこうだった」と回想してエンディングを迎えるのだが、あの手の演出というかスタイルの走りだったように思う。両親は「人に歴史あり」とかいうシビアな番組を深夜に見ていたが、内容はあまり覚えていない。

  

「時代劇」
名物時代劇と言えば、「桃太郎侍」の高橋英樹さんや「長七郎江戸日記」里見浩太郎さんの二刀流が煌びやかだったが、隠密同心としてグループの多様な活動で蔓延る悪を退治した「大江戸捜査網」は大好きだった。オープニングで「隠密同心、それは時の老中○○●●(松平定信だったかなあ)の命により・・・・・彼らに明日はない。」そしてエンディングでは「隠密同心、(何とかかんとか色々口上)・・・なお死して屍拾う者なし、死して屍拾うものなし」(ちなみにたくさんのシリーズがあるようなのでこれだけではないかもしれない)私が見ていた頃は「12ちゃん」の割には杉良太郎さんや里見浩太郎さんと言った超大物時代劇俳優が出ていたように思う。妻は瑳川哲朗さん演じる井坂十蔵が好きだったらしく、内容そのものは私よりも詳しいようだ。ちなみに瑳川哲朗さんはウルトラマンAの防衛隊TACの隊長である。平成になっても何度か新シリーズが登場したようで、あの独特なオープニングテーマはテレ東の色々な番組(特に取材や探し物)で使用されているし、元職場にこのオープニングを携帯の着メロにしている人がいた。

  

いよいよ最後のジャンルが「アニメ」シリーズである。(って言うか、もはやネタ切れ・・・)
息子甘辛に言わせると(彼の時代はテレ東)、12ちゃんは小さい頃アニメの宝庫だったそうである。「とっとこハム太郎」「超ロボット生命体トランスフォーマーシリーズ」「ヒカリアン」「ビーダマン」に「ケロロ軍曹」なるほど、私でも幼い息子と一緒に見た記憶がある。しかし昭和の時代を見ると何やかやで色々見てはいたが、「これぞ12ちゃん」というアニメは印象がないのである。ただ「番組時間帯と看板アニメ」がぱーっと思いつくのは夕方6時半から7時までの「まんがキッドボックス」から「まんがのくに」への流れである。この時間帯専用に制作されたものではなく、外国のアニメなどが垂れ流しになっていてちょっと意味不明なものもあった。「これが見たい!」とチャンネルを合わせていたわけではない。夕方6時半から7時の間は他の民放はすべてニュースか天気予報、スポーツ速報みたいになってしまっていて、子供にとっては空白時間帯であり、アニメ難民のように最果ての「12ちゃん」に流れ着いたのである。正直、どちらの枠で放映されていたのか、さっぱり覚えていないが誰もが覚えている有名どころ以外に、確実にあったというものはいくつか挙げられる。メジャー路線で言えばポパイ、チキチキマシン猛レースとその派生品のようなアニメ、マジックベルトの「シンドバッドの冒険」に登場したオウムのソルティは三遊亭金馬師匠だった。よく考えると「ハンナ・バーベラ」ものが多かったような気がする。
そして「シンドバッド」に「ラムジーちゃん」という白いプードルの短い物語がすぐに続いたように思う。主題歌は「ラムジー、ラムジー可愛い子ちゃん、ラムジー、ラムジーお茶目ちゃん・・・・変身オオカミぱっと出て、騙すつもりが騙される。。。。」その他、運動方程式くらいの記憶にあるのは「大魔王シャザーン」、ヒューヒュー、ポーポーの出る「怪獣王ターガン」、そして三角関数の加法定理並みのうろ覚えしかないものとして「突貫カメくん」「タキシードペンギン」などである。(あくまでうろ覚えなので違ったらスルーしてね)

今はなき、東京12チャンネル(テレ東になってからのも入っている)の番組編だったが、他のメジャー民放局に比べて何かと格下のイメージがあり、「ボラギノールのCM」のようにいかにも低予算で映像がイマイチだった割にはずいぶんと救われていたと思う。実は記事中に登場する番組タイトルは図書館で借りてきた「ザ・テレビ欄」のものである。「東京12チャンネル」欄だけ見てみてもこれまで書いてきた番組以外にも「あーっ、これあったあった!見てたねー」というものが結構ある。小夏師匠のご指摘された「演歌の花道」も調べるとやはり夜10時からの番組だった。私はあまり見なかったのだが「にっぽんの歌」とともに「演歌のテレ東」を確立した番組で、「浮世の・・・歌ひとつ」のオープニングは有名なせりふだったらしい。(さすが師匠)「にっぽんの歌」というのは夏祭り編とか年忘れ編とか色々応用編があったと思う。また平成の始めごろには「昭和歌謡大全集」という番組もあったが、アイドル全盛の我々にとっては少し前時代的な「知らない曲」ばかりでほとんどチャンネルを回すことはなかった。

  

さてパラパラとテレビ欄ページをめくっていると、「12ちゃん」の番組のは二つの法則があてはまるような気がしてきた。一つは無茶苦茶な再放映権の取得である。たぶんオリジナルの放映は他局だったであろうが、(再)マークもつけずに平然と流していた番組が山ほどあり、どちらかというと「12ちゃん」で初めて見た番組の方が多いくらいである。アニメで言えば「カバトット」「かいけつタマゴン」「ゼロテスター」に「ハクション大魔王」、特撮ならスバル360の「トリプルファイター」、忍法獅子変化の「怪傑ライオン丸」、ドラマならチー坊の「パパと呼ばないで」、片桐くんの「飛び出せ青春」、どう見ても「夕陽が丘の総理大臣」の二番煎じにしか見えない「旭ヶ丘の大統領」、時代劇では「鬼平犯科帳」、「子連れ狼」などがそうだ。特に子供の頃、チャンネル権がなくてオリジナル番組を見られなかったアニメ番組は午前中にやっていた「まんが広場」で見貯めしていたのである。

さてもう一つ、我らが「12ちゃん」の大きな法則は無茶苦茶な放映時間帯の変更である。
看板の「大江戸捜査網」は夜9時がメインだったが、その再放送は昼の1時かと思えば夕方16時、はたまた深夜0時なんていう時もあった。「世界の料理ショー」も日曜昼前の時はいいタイミングで食欲が湧いたのに、夜10時に追いやられ、最後はさらに11時なんていう夜食のような時間になってしまった。「我ら釣り天狗」は始めのうちは深夜11時15分なんていう蔑まれたような時間だったが、夕方4時45分に昇格し、さらに午前10時半に抜擢されたが、いつの間にか深夜11時半に格下げされてしまった。憧れのお色気ドラマ「プレイガール」は深夜0時台と真昼間を行ったり来たり・・・全く無茶苦茶な時間帯設定である。
テレ東だけでもこれだけ話題があるのである。昭和のテレビ欄をくまなく見渡すと、もっと面白い番組や見出しの宝庫に違いない。

がんばれ「12ちゃん」

2015-09-13 16:10:49 | 昭和
子供の頃から王道を行くようなテレビっ子だった私にとって、「東京12チャンネル」というのは何となく他の民放と格の異なる「最果ての」テレビ局だった。名前からして田舎臭かった(東京だけど)し、新聞のテレ番欄でも一番端っこだったし、チャンネルを回しても(今は言わない?)次はNHKに戻る位置である。ただ年のせいか、他の民放がいわゆるゴールデンタイムで、お笑い芸人やちょっと知性の不足気味なタレントが遊んでるだけのドタバタ番組や、トイレに立っただけでストーリーがさっぱり分からなくなる難解なドラマばかりに感じ、げっそりして難民のように行き着くことが多くなり、妻と「テレ東、頑張ってるよねえ」と苦笑する機会が増えた。先日、我が家の近くを取り上げてくれた「アド街」など堂々たる土曜の定番番組になりつつあるが、この局で見てきた番組の特徴は「毎週欠かさず見るモノではなく」「他のメジャー局がいかにも下らないとき」「じゃ、テレ東でも見っか」と回してたどり着くことが多い。その性質上、ニュースやドキュメンタリー、ドラマなどはやはりNHKや他局にひけをとっているように感じる。ちなみに我が家(実家)ではBSアンテナをつけるまでUHFは映らなかったのでもっとマイナーなTVK番組は見たこともなかったのだ。「辻街」編を書いていて何となく思いついたので、主に昭和の頃見ていた12ちゃんの番組をアド街風にあげてみよう。ただし一々調べないのでうろ覚えが多く、間違いも多々あろうかと思う。(そこはスルーしてね)

第10位「料理」
「料理天国」や「料理バンザイ」、「料理の鉄人」などメジャー局では大物番組が必ずいくつかあったが、「12ちゃん」にはほとんど記憶に残る番組はなかった。その中で綺羅星のように輝いたのがこのサイトでも一度取り上げた「世界の料理ショー」である。日曜午前の早くもなく、昼に近くもない「普通は出かけているが、たまたま暇などうでもよい時間」に放映されていたように思う。コマーシャルの時にGCのマークが現れ、ワイン片手にやけに太いネクタイをしたグラハム・カーが面白トークしながら聞いたこともない料理を仕上げていく。「男の料理」のように具材の裁断や前処理などがいかにも雑で、やたらにジューサーミキサーを使用していたが、切った具材を鍋にぶち込む際に使っていた魔法のヘラのような平たい器具が印象的だった。またいかにも高脂肪、高カロリー、高コレステな完成した料理を食べた時の至福に満ちた美味そうな顔は誰にも真似できないものだった。このサイトにも登場したグンマの大先輩「スティーブ」の命名もその役割上この番組のスタッフに由来する。(その後、「外見がアップルの創始者に似ている」という風に美化した)

  

第9位「特撮」
子供向けではアニメのイメージが強い「12ちゃん」だが、色々と手掛けていて結構見ていた。ただウルトラ、仮面ライダー、戦隊シリーズやその類似系に比べると、独自路線のようで「ばったもん」臭を消せないところが多かった。例えば先日の「アニソン魂2015」にも登場した水木アニキとみっちーのゴールデンコンビが主題歌を歌う「忍者キャプター」など、いかにも戦隊ものなのだが、メンバーが7人という中途半端な設定で変身してもイマイチ「姿が変わった」感が少なかった。またどちらが先か忘れたが登場の際に「ズバッと参上、ズバッと解決。人呼んでさすらいのヒーロー!快傑ズバット!!」と何とも赤面するしかないようなセリフをのたまう「怪傑ズバット」は何と仮面ライダーV3の風見志郎(宮内淳さん)である。さらにウルトラマンに登場した怪獣のぬいぐるみ同士が工事現場などでいかにも等身大で古館一郎さんばりのプロレス実況に乗り戦う(というよりは叩き合う)「ウルトラファイト」(これは確か本家TBS)に似た「ミラーファイト」という世紀末ともいえる5分番組もあった。

    

第8位「スポーツ」
巨人戦や各種球技スポーツの大会、プロレスやマラソン、国際大会の中継などはほとんどない。ただその昔、今ほど流行っていなかったサッカーに関し「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組は日本リーグが見向きもされなかった時代に唯一やっていたサッカー番組としてマイナーに輝いていた。解説は日本サッカー界の第一人者「岡野俊一郎さん」で彼とぴたり息のあった司会の人の「サッカーを愛する皆さん、こんにちは」(みたいな)セリフで番組が始まった。ワールドカップがあるとその試合を放映していたが、大体イギリスのプロリーグかドイツブンデスリーガの試合が半分ずつ流れるのが定番で、選手名もそれでよく覚えられた。日本人初のプロサッカー選手奥寺さんの試合も放映されていた。番組のオープニングテーマが何とも言えず華麗な雰囲気があり今でも口ずさめる。後、妻がファンだったという東京ボンバーズを生んだ「ローラーゲーム」というのもたまに見ていた。(あれは後楽園だったろうか)中々迫力があり、学校でも結構話題があったが、最後までルールがよく分からなかった。またもう流行りはとっくに終わった後だったが、土日どちらかの真昼間に「スター・ボウリング」というをやっていて、湯原昌幸さんと清水由貴子さんが司会をしていた。「リツコさん♪」はいなかったが、亡くなった須田プロが解説にいたような気がする。学生時代にたまに足を運んだ「田町ハイレーン」(この前、潰れちゃった)も番組会場になっていた。スポーツじゃないかもしれないが、「プロ野球列伝」というのが大好きで父親と一緒に必ず見ていたものだ。

              

第7位「ゴルフ」
スポーツ編になぜ入れなかったか、というと私は「12ちゃん」という局はゴルフの番組を何よりも優先していたような気がしたからである。実は私はゴルフ番組なんて見なかったのだが、どこかの国で戦争が始まろうが、衆議院の総選挙があろうが、日本を覆うような大型台風が接近しようが、他局が特番を組んで一斉に何時間も特集しても平然とゴルフ番組を放映していたような気がする。選挙の開票速報などどの局を見ても面白くもないので、難民のように「12ちゃん」に逃げ込んだ結果、日曜日なんか特に1日中ゴルフ番組をやっていたような気がする。覚えているのは「巨泉のチャレンジゴルフ」、「尾崎兄弟に挑戦」、ちょっと変わったところで「藤原弘達のグリーン放談」というのがあった。評論家が経済、政界の要人と一緒にゴルフをしながら時事を語り合うという、中々ハイセンスなもので「時事放談(子供の頃、私は「じじいの放談」だと思っていた)」の好きだった父親がこれだけはいつも見ていた。

  

第6位「音楽」
音楽というよりは我々はまさしく黄金時代と言ってよい「アイドル」である。歌番組で言えば「ザ・ベストテン」を筆頭に「紅白歌のベストテン」「ザ・トップテン」、「夜ヒット」など大物番組の中で我らが「12ちゃん」で記憶に輝くのは「ヤンヤン歌うスタジオ」である。「あのねのね」が司会をしていた、オープニングは東京タワーだった。アイドル全盛期に、予算の関係からかちょっとB級系が多かったような気もするが、トークコーナーやコントもあり、何となく毎週見ていた。同じ日に「LuiLui」の太川陽介さんが司会をしていたNHKの「レッツゴーヤング」(松田聖子さんがサンデーズにいた)が爽やか系だったのに対し、ちょっと胡散臭いおちゃらけ系だったのが気に入っていた。

  

さて、当初これを書き始めた時は番組ジャンルにはアド街風に「第○位」と順位をつけていた。ここから先はベスト5ということになるのだが、これまでの番組と同様「とりたてて順位をつけるほどでもない、似たようなものが多い」ことに気が付いた。見てはいたのだが「何たってこれが一番よね」というもののない「どうでもいい系」が多かったのである。ということで順番を気にせず書き進むことにするが、長くなってしまったのでこの続きはまた今度(があるかどうかは自信がない)

大雨の数日

2015-09-11 23:18:28 | 出来事
数日前、日本列島は2つの台風とそれに刺激された前線、流れ込んだ湿った空気によって、大変な大雨になり各地で被害が出てしまっている。昨日からニュースでは今まで見たこともない市街地の被害が放映されており、心配なことである。我が家の場合、通勤通学時間帯に大雨が降ったりすると、妻が比較的長距離通学の息子を駅まで自家用車で送ってやる。私は駅までのバスなど交通機関が混乱するのを避けるため、敢えて雨合羽でポインター号を出動する。その方が時間が確実だし、カサさし運転で自転車などかえって危険だからである。気の毒なのは妻の仕事がある時で、送迎もバイクもないから大雨の中、歩いて駅まで行くことになる。駅まで到達しても大抵通勤列車は混乱しており、場合によっては改札外までも人が溢れている時もある。湘南新宿ラインは色々な列車のルートを継いでいくらしいので元々トラブルに弱かったが、東海道線も上野新宿ラインとなって高崎、宇都宮線と連結してから、その長距離区間のどこで何があっても影響を受けて年中遅れるようになってしまった。

私はこれまでの通勤が比較的遠距離であることが多かったからか、こと出社に関しては「自他ともに」あきらめが早い。少なくとも駅まで行って改札に入れないと折り返して家に帰ってしまう。オフィスでも首都圏の列車がかなり混乱しているようだと「あの人は来れないな」と思われているらしい。実は首都圏の外れの最寄駅でも何やかんやと代替手段、振替路線があって、遠いだけに様々に組み合わせると何とか職場まで辿り着けてしまうものなのである。日本人とは何と勤勉な人種なのか、こういう時思うが遅れてくる列車をひたすら列に並んで待ち続ける人、別のルートを求めて流を逆行する人、振替券や遅延証明をもらうために駅員を十重二十重に取り巻く人などでますますコンコースはごった返していく。いかにも勤務に不熱心なようだが、経験的にこういう時は力技で通勤しようとせずに家でコーヒーでも飲みながらニュースを見て正常に戻ったら再び出ても、到着時間は大して変わらないものだ。(正直、面倒くさくなって、そのまま休んでしまったことはある・・・)

昨日は朝のニュースで交通機関の混乱や災害対処を散々呼びかけていたが、幸いホームライナーは少しの遅れで平常通りであり、午後から外出した際にかなり強い雨が降っていたが、出先に到着する頃は雨が上がり見事な虹が空に掛かっていた。かと思えば、再び空は真っ暗となり大粒の雨が強い勢いで降ってきたり・・・台風そのものが接近している場合は「荒れ狂う嵐の過ぎ去る」のをひたすらじっと待つばかりだが、今回は天気が目まぐるしく変化するので予測できない。ニュースを見ていると各地で大きな被害が発生しているようで、その後もまだまだ警戒が必要といういことだったので、早目に帰路についた。その日は昼間無人となっていたはずの我が家に何か被害はなかったか、真っ直ぐ帰宅するつもりだったのだが、多少の列車遅れで駅に着いてみると風もなくうそのように穏やかだったので、ついふらふら〜っといつものスポーツジムに立ち寄ったしまった。ただでさえ運動強度の高いエアロビ系のプログラムにはいつもの半分くらいの人しか参加しておらず、インストラクターは「私も帰れるか心配ですけど・・・こんな日に来てくださってうれしいです!!」と笑いながら「いつもより余計に回っております!」の「そめたろう」師匠のノリでぴったり私の真横に張り付き、苦笑と共に涙目にさせられた。

その後「ジョーバ」に乗りながら正面のモニター画面を見ていたら、台風報道番組内にテロップで列車の運行状況や警戒警報、冠水等避難状況が刻々と流れていた。首都圏の列車や各地の洪水警報などをぼーっと見ていたら、「神奈川県小田原市山王川が『避難判断水位』に到達」というテロップが見えた。「(小田原かぁー、そお遠くないな)」その次に「神奈川県平塚市相模川が『避難判断水位』に到達」という文字が飛び込んだ。「(えっ?あのでかい川が?こりゃー、ちょっとやばいかも・・・)」はるか上流で整流用テトラを飛び石に飛んで渡った経験から何となく危機感を覚えた。川の場合、自分がいる周辺は穏やかでも上流で大雨が降ったりすると突如水量が増えることがよくあるからである。さらに次に出たテロップが何と我が家の真横を流れる川(通称「うな吉川」)だったのである!これに鎌倉市の神戸川を加えた河川が「避難判断水位」に到達したと繰り返し伝えられていた。おいおい、もしかしてやばいのか?こんなところでジョーバなんか乗ってる場合じゃないかもしれない。慌てて風呂に入り帰路に付くと外はまたしても強い雨である。

滅多に本格的な水害など遭遇したことはないが、実は今の湘南T−SITEと線路の間のエリアは海抜が低いのかかなりの広さで冠水したことがある。線路向こうの湘南MALL帰りに踏み切りから直線コースをとろうとしてこお冠水ゾーンにはまってしまい、幼い甘辛を助手席に乗せて右往左往したのは苦い記憶だ。また私の母校付近の小田急線ガード下は明らかに地面が低くなっている冠水危険ゾーンで、乗っていた路線バスが無理やり通ろうとして立ち往生してしまった。「お客様の安全のため」とアナウンスでバスを下された時に水位は膝上くらいまできていた。さらに我が家から幅の大きな道路を隔てた「うな吉川」沿いにある甘辛のお友達の家はこれまで何度か床下ぎりぎりまで水がきたことがあり、家屋周辺には常に土嚢が用意され(災害用か娯楽用か分からぬが)大きなカヌーまでガレージに置いてあった。川の氾濫による冠水ではなく、少し傾斜のある反対側の我が家側から流れてきた水が溜まるものでちょっと心が傷んだものだ。しかし市役所に掛け合って川につながる大型の排水溝を建設してもらってから、うそのように水は溜まらなくなった。

しかし今回は「避難判断水位」というからには、その川自体が氾濫する恐れがあるということだろう。もしそうなったら我が家も無事ではない可能性が高い。自動車が立ち往生又は水没してしまったら塾から遅く帰ってくる甘辛を迎えに行けなくなる。まさかいきなりラストシーンはないだろうが、私は何となく八千草薫さんの「岸辺のアルバム」を思い浮かべてポインター号を走らせていた。風も雨も再びかなり強いものになっていたが、川沿いに別に異変のあった様子はない。列車も再び遅れ始めているようだから、どこまで息子を迎えに行ってやるか、その時川はどうなっているか、色々考えながら玄関のドアを開けると、リビングで何と本人が寝転がって妻とテレビを見ていた。。。「朝からイマイチ具合がよくないので学校ごと休んだ」というのである。雨は一旦、止んで再び猛烈に降ってきた。(まったく運がいいのか、要領がいいのかよく分からぬ)本人の主張ではホントに具合が悪かったらしいのだが、横浜方面の学校は土砂災害の危険もあって軒並み休校になっていたというから、まあこういう時は無理に登校することもないだろう。

「そこの川、避難判断水位に達したってよ」たぶん平気なような気がしてきていたが、妻は「さっき、解除されたみたいよ」と何事もなかったように答えた。私は超兵器203号を携えてよく川沿いを散歩するので何度も目にしているが、たぶん川岸の壁に青から黄色、赤と段階的に標示されている水位のことなのだろう。せっかくだから後学のために気象庁のHPで調べてみると洪水予報(川の氾濫)は4種類、その発表基準となる水位はレベル5まであることがわかる。→は市町村・住人に求める行動の段階だそうだ。
○○川氾濫注意情報(洪水注意報):氾濫注意水位(レベル2)に到達し、さらに水位の上昇が見込まれる場合→氾濫の発生に対する注意を求める段階
○○川氾濫警戒情報(洪水警報):一定時間後に氾濫危険水位(レベル4)に到達が見込まれる場合、あるいは避難判断水位(レベル3)に到達し、さらに水位の上昇が見込まれる場合→避難準備などの氾濫発生に対する警戒を求める段階
○○川氾濫危険情報(洪水警報):氾濫危険水位(レベル4)に到達→いつ氾濫してもおかしくない状態。避難等の氾濫発生に対する対応を求める段階
○○川氾濫発生情報(洪水警報):氾濫の発生(レベル5)(氾濫水の予報)→氾濫水への警戒

今回のニュースで流れた情報は全て「避難判断水位に達す」というものだったから、水位はレベル3つまり氾濫警戒情報の間にあり、避難準備などして警戒する必要があったわけである。正直、何ともわかりにくい定義だ。「各自、枕抱えて逃げ出す判断せよ」ということではないのか・・・?!
今回、市街地であってもこれまでに見たこともない規模で冠水しているようで、大きな川も氾濫し多数被害が出たようだ。幸い我が家は直接水に浸かることはなかったが、何しろ強力な自然の驚異を想定して造られていない「スカスカ」の家屋なので、どこがどう傷んでいるか点検したほうがよいかもしれない。またこの機会に報道機関の流す注意報、警報の類とその定義や災害時の連絡方法や集合場所などをちゃんと確認しておこうと思う。以前、ブラック4コマ漫画で見たものだが、「決めた集合場所が悪かった・・・」と柳の木の下に幽霊で集まった家族のようになっては洒落にもならない。
一夜明けると近所の川は何事もなかったように静まり帰り、荒れ模様で餌に不自由した黒い鳥が一斉に狩りをし始めたのだった。

       

辻街ベスト4

2015-09-06 18:23:19 | 出来事
アド街に登場した、自分にゆかりのある土地としては最後に残ったんじゃないかと思われる辻堂・・・湘南、茅ヶ崎、線路より山側なら藤沢などに「住んでいる」とはよく聞くが「辻堂に住んでいる」という人はあまり聞いたことがないくらいマイナーな響きである。我が家もギリギリ番組で区切られたエリアに入っており、「辻堂●●」という地名がつく「サーファ通り」と箱根駅伝コースとなる湘南新道沿いあたりと駅の北側少しが対象らしい。地図を見ると茅ヶ崎市との境目にもなっているところがある。実際にランキングに現れたいくつかの名所名店(?がつくモノもあったが)を回るとあっという間に終わってしまった。番組では紹介されなかった裏話的なものを書こうと思ったのだが、元々あまり思い入れがないので、大した話題がないまま後半に入ってしまった。間を空けると忘れてしまうから、引き続いて綴ることにしよう。

第4位は「そんなに有名なの?」と思ったが、私のサーフィン歴の始まりとなった「MABO ROYAL」である。サーファ通りは老舗のようだったサーフショップがいくつか潰れてしまったり、新しく店ができたりと入れ替わりが結構あるようだが、ここだけは「知らなかったらモグリ」と言われるほど有名らしい。自称なのかホントにそうなのか、「日本のサーフィンの第一人者」という方が運営しているショップで、御年67歳でもバリバリ現役のプロ、ご自身が主催する大会にも果敢に出場しているそうだ。「現役で続けることがオレの義務」と言い切ったところが中々カッコよかったが、地元の人に言わせてもホントにレジェンド級のサーファだそうである。私が購入した9フィートのボードに頼みもしないのに、当たり前のようにゴリゴリとサインペンを走らせて「(おいおい、何すんの!)」と抗議電波を送ったものだが、失礼なのは私のほうだった。確か当時56歳で3人目の奥さんのお腹にお子さんがいた。「この年じゃ、ちょっと恥ずかしいんだけどな」「いやあ、山本長官も父上が56歳の時の子ですからねえ」「おおーぅ、連合艦隊ときたか・・・!」入ったことはないが2階は「パイナップル・カフェ」というハワイ色一色のお店だったが、いつの間にか潰れて今はボード置き場になっている。実は店頭にある大きなパイナップルのモニュメントは路地から出てくる自動車にとってはものすごく邪魔で何度もぶつかりそうになった「危険地帯」である。

      

いよいよ第3位が辻堂ジャンボプールである。広大な辻堂海浜公園の中にあり、夏休みはほぼ毎日駐車場が東西の正規駐車場があっという間に満車になる。あまりの車の多さに甘辛が小学サッカー時代に朝練していたグランドが夏だけ「臨時駐車場」になってしまった。また東側の小さな入口では家族連れの車が乗り降りのためにやたら路上駐車が多く危険なため、この期間は警備員が見張っていて、路駐しようとすると早く移動するように指導されてしまう。我が家からはチャリですぐのところで、意外にもあまり回数訪れた記憶がないが、確かに格安料金で施設がすごく充実している。実はその昔同じような大型プール施設が134号線沿いにあった。「鵠沼プールガーデン」である。ジャンボプールよりはかなりお高めだったと思うが、15年くらい前に廃業し今では先日「湘南OPEN」が開催された、スケートボードパークになっている。ジャンボプールがあったら同じような施設はやっていけないだろう。流れるプールや波のプール、水遊び用のプールに大きなウォータースライダーがついて信じらないくらい安い。夏休みもサッカーばかりだった甘辛も友達と何度か遊びに行ったが、あの大きなウォータースライダーは中を流れる水のしぶきで息ができないほど迫力があるそうだ。プールの外になるが通年で営業してい「スマイルカフェ波波波(ははは)」という面白い名前の飲食店があり甘辛との練習帰りによく寄ったものだ。

      

第2位は数年前、辻堂駅北側にオープンした「テラスモール湘南」である。このあたりでは最後の大型再開発事業だったのだろう、オープン当時はものすごく混んでいて、施設に入るだけでも長蛇の列に並ぶようだったが。先に登場した16位の「潮風キッチン」もだいぶ落ち着いて今はゆっくりできる。このサイトでも紹介したから施設の詳しいことは書かないが、最近はこの辺りでは最新の設備となるシネコンにたまーに来るだけである。妻に言わせると「湘南モールFILL」よりも少しハイソで対象層が若干若いということだが、「茅ヶ崎が寂れるかも」とドライに言い放った実家の母親はバス一本で来れるので暇な時はよく中を歩いて回るそうだ。ファッションなどにあまり興味はないし、雑貨屋や小物屋にもあまり入らないのであまり縁がない私がこの施設の優秀だと思うのが2点、シネコンと駐車場である。ここの映画館はポイントや割引サービスが豊富で充実しており、綺麗でいつもゆったり見られるので結構利用する。夏休み期間は高校生1000円キャンペーンをやっていて甘辛とは「仮面ライダー」を見に行ったし、夫婦どちらかがが一定の年齢に達すると二人で2200円という嬉しいようで複雑な割引もあり、先日妻とは「海街ダイアリー」を見に行った。天気の悪い休日など周辺がかなり渋滞してしまうのだが、駐車場はどこの階が何台空いているかが掲示され、その階に行くとどのスペースが空きなのかランプを見て一発で分かる上になっている。空きがあるかどうかはネットでも分かるからありがたい。私はコストコの駐車場のように誰にも誘導されることがなく「ここからここはオレの領分だからな」みたいにハザードを付けて「空き待ち」するのが大の苦手なのである。

  

堂々の第1位が(番組のタイトルからは当たり前のようだが)「辻堂海水浴場」である。「割といいとこなんだけど、マイナーよね」という辻堂の代名詞のようなところだ。江ノ島弁天橋からサーフビレッジまで片瀬西浜、鵠沼と続き見渡す限り長大な海水浴場なのに、ちょっと飛んで辻堂海水浴場は100メートルくらいしか幅がない。海の家は一つしかなく、あまり人も来ていない。遊泳している観光客よりもロープで仕切られた場外でサーフィンしている人の方が多いくらいだ。ところ構わず波のよさそうなポイントに入る私にとっては、この小さなエリアだけ遊泳させてどうするのかと思うが、長大な湘南海岸線もここを過ぎて西側は茅ヶ崎サザンビーチまで遊泳可能区域がなくなってしまうので、かなり貴重な存在なのかもしれない。今年の夏は7月から8月上旬にかけては凄まじく暑かったのでたいそうにぎわったようだが、放送された後私が足を向けた時分は台風がたて続けにやってきて遊泳注意/禁止になってしまったのと、初めて聞く「サメ騒ぎ」でマイナーさに輪をかけた寂しい情景になってしまった。

      

さてあまり足しにならない与太話ばかりになってしまったが、最後に一応この辺りに住んでいる者として、番組に出なかったことに少しだけ触れよう。サーファ通りを「MABO ROYAL」から少し駅に向かったところに「Dieci(ディエーチ)」というイタリアンレストランがある。店内は3つくらいしかテーブルがなく、マスターは正直イマイチ無愛想だが前菜やパスタが美味いということで以前は妻がお気に入りとしていた.ただひょんなことから腰越にあった「ロアジ」を知ってしまい、こと魚料理に関しては格段の差を感じてから少し足が遠のいてしまった。亭主が職人肌である分、奥さんと見られる女性は親切で感じがよく、独特な笑顔が印象的だ。以前と少し味は変わってしまい、主婦連中の間では多少の賛否論も出ているそうだ。
さらに駅に向かって進むと「えっ?この店番組で取り上げないの?」というくらい私ですら知っている有名な焼肉屋が「トザワ」である。結構有名人が出入りするとも聞き、肉厚のこだわりのある美味しい店だそうだが、値段もそれなりにはするらしい。

実は甘辛の友達のご両親だったか「このあたりで一番おいしいとんかつ屋」というのを聞いたことがある。辻堂海水浴場のようにマイナーでそれこそ見落としてしまうほど小さい店構えだが、「大関よりも美味しい」と言った人が一人ではなかった。前を通って木の看板を見たことあるが、まだ入ったことのない「茜」という。 浜見山交差点からT-SITEに向かう途中にある小さなお店だったが、前を偵察に行ったら何となくなっていた・・・
交差点から逆に浜須賀方面に向かうと「峰本」というお蕎麦屋があり、他の店はあまり知らないのだが我が家御用達の店である。たぶん近くにある「紅がら」の方が有名でホームページなどもあり蕎麦寿司が名物となっているが、我々には蕎麦そのものはちょっと淡泊でちょっと物足りない感じがするので、峰本の方によく足を運ぶ。先日「茅ヶ崎を語る会(仮称)」の開催後、今度は「辻堂を語る会」を開こうかという話をしていて、辻堂駅周辺にも以前あった伝説のお店は結構あったらしい。驚くほど小さい店で驚くほどの量、そして忘れられない味という伝説のラーメン屋「知味斎」はご夫婦で営んでいらしたのだが、採算度外視で運営したあまりご主人が亡くなった際に葬式もだせなかったという都市伝説がある。また店の構えが独特な「浜中華」は芸能人やスポーツ関係者が多く訪れたらしく「キムタク」のやってきた店として有名だ。残念ながら一度も訪れないうちに閉店してしまった名店も多いようだが、番組で取り上げられたお店は「周辺に住んでいる」というのも何かの御縁なので、一度は足を運んでみようと思う。ちなみに最近誕生日祝いに行くのは海岸のお手軽な○ッドロブスターなのだが、ここはちょっと辻堂じゃないかもしれない。

  

辻街ダイアリー

2015-09-04 23:14:39 | 出来事
土曜日の夜、晩御飯を食べてほっこりする時間帯に家族が揃うと大抵見る番組は「出没!アド街ック天国」である。「街」というからには市町村のような行政単位よりは少し限られた「駅周辺のエリア」を多数取り上げてきた。20年も続き番組も1000回を数えるというから、有名どころの街並みはすべて紹介され尽くされたことだろう。毎回見ているわけではないが、街に詳しくない私にとって学生時代に身近だった「自由ヶ丘」、社会人1年生を過ごした「木更津」、新宿、大手町はもちろんその後転々とした勤務地最寄の駅「錦糸町」「浦和」「浜松町」「三鷹」「お台場」・・そして地方に行けばグンマの有名温泉、地元に目を転じると茅ヶ崎、江ノ島など「自分ゆかりの街」など登場し尽くしたかに見えた。番組も鉄道駅周辺ではネタが尽きてしまったのか、○○線●●駅こっち側のここからここまでという、よりマイナーな路線に進みつつあるようだった。そして同窓生同士「怪獣憩の場」で楽しんだ後、地元で夜更けまで飲んだ街が奇しくも翌日のアド街に登場することを知った。地元でも語られる最後のマイナーエリア「湘南・辻堂」である。東海道線の駅では茅ヶ崎と藤沢に挟まれ、乗換線もなく、快速も湘南ライナーも一部しか停まらない・・・テラスモールは「沿線最後の大型再開発」と言われたものだ。ただし駅名はあまり知られないがタイトルにわざわざ「湘南」とつけなくても、ど真ん中エリアなのは間違いないと思う。

「辻堂」という地名が本当につくところを中心に「最寄を辻堂駅」とするらしきエリアが地図に現れた。ぎりぎりだがその中に我が家も入っていたのだ。それだけなら「あー、この店知ってる知ってる」で終わってしまうだが、甘辛達が負けてしまった日の午後、台風で波風がひどく海にも入れずに何やら暇を持て余してきたので、IXYを首にぶら下げ桜ポインター号にまたがって、番組で紹介された店や公園などを辿ってみたのである。さすがに妻はベスト20全部知っていたが、私には知らないところもいくつかあった。駅から海に向かう2本の1本道沿いに大体のものがあり、ポインター号で時々停車しながらその姿をカメラに収めていっても、30分もあればほぼ全部辿り着いてしまった。番組で紹介した通りのことを書いても仕方がないから、何か裏話的な逸話のあるところを取り上げようと思う。あくまで個人的な印象でダークサイドな要素もあるので参考にはしないでほしい。

辻堂海浜公園(20位)サーファー通り(19位)
番組に登場していたスカイサイクルは海浜公園の中にある「交通公園」のアトラクションである。小学生の時に乗ったことがあるが、悪友たちとレースを繰り広げ(一本レールなので抜けるわけがないのだが)、互いに前後のサイクルとぶつけ合いながら遊んでいたら係員のおじさんにものすごく怒られた。もう時効かもしれないが、入口の交通信号が「アトムの信号」になっていたのである。でもいつの間にか普通のモノに戻っちゃっていた。海浜公園は今の土地に移り住んでからホントに馴染みが深い。甘辛が小学校の時は朝6時の鐘の音がする暗いうちからグランドで朝練に励み、市民マラソンに向けたジョギング練習もした。遠い茅ヶ崎花火大会を見物するのも甘辛がパッくんを捕まえてきたのもこの公園である。
一方、この番組で紹介された多くのお店が道沿いにある「サーファー通り」である。ホントは「昭和通り」というらしいのだが、有名サーフショップも多くかなり前から「サーファ通り」という名称はあった。しかしここだけの話、以前はガラが悪く「茶髪、アゴ髭、刺青」などヤンキーまがいの人たちが我が物顔で闊歩するイメージも根強く、地元では「●カ通り」と言われるのを聞いたことがある。

    

潮風キッチン(16位)浜辺の歌(15位)
テラスモールにある大型のフードコートである。モールがオープンして1年くらいはいつ行っても凄まじく混んでいた。江ノ島が本店の「とびっちょ」など時間を問わず長蛇の列、サザンビーチのRikiRikiDELiのロコモコとか中華梅欄の焼きそば、ビビンバのむっとりなど人気店が凝縮されている。「野の実」というラーメン屋はかの有名な「しなそばや」のマスター故佐野氏がプロデュースしたそうだ。本家のラーメンはホントに美味かった。麺そのものの味、スープ(その出汁元)、それぞれの具材とってみても「ここまでこだわるのね」という自動車で言えばロールス・ロイスのようなものだ。しかし我が家の近くにあったかのお店はどこか「客を選ぶ」ような「美味しいラーメンを心して食え」みたいなところがあり、北京亭のように何度も足を運ぶような気にはならなかった。後からテレビ番組での「キャラはあくまで演出」と聞いたが「ラーメンの鬼」佐野さんの味を思い出させるような風味は確かに感じるが、量が小ぶりで値段が少しお高めだ。
「浜辺の歌」が辻堂海岸を歌ったものだとは知らかったが、確かに小中生の時音楽の時間によく歌わされ今でも口ずさむことができる。だいぶ前だがJR茅ヶ崎駅の発車メロディはサザンの「希望の轍」になった。先日、町内会の回覧板に「辻堂駅の発車メロディを『浜辺の歌』に」という運動の署名が回ってきた。むろん異存はなかった・・・

      

海鮮定食(12位) 個性派ベーカリー(11位)
今でこそ名物のようだが、我々が子供の時は無かったような気がする「生シラス」や地元海産を使った海鮮料理を出す店をいくつか紹介していた。ただ江ノ島・腰越周辺や茅ヶ崎に比べると若干マイナー色は強く、地元でも「あの店に魚食いに行こう」というところはあまりないのが正直なところだ。ある店のマスターは番組ではサーフボードにまたがって釣竿を片手に食材を釣り上げていた。あの店は海鮮モノだけではなく、中華や丼など多彩なメニューがあり、確かに店頭に「朝採ってきました」という魚類がクーラーボックスに入っているのだが、いくらなんでも「サーフィンやりながらアジが鈴なり・・・」というシーンは無理があるんじゃないか?!
ベーカリーは何店か紹介され、小夏師匠がお気に入りという「緑色の店」も登場した。バゲットが素晴らしく美味しいという妻から聞いて、その店のご主人はフランス人というのは知っていたが、焼きそばパン、カレーパンなど純日本風の惣菜パンに魅力を感じたというコメントが面白い。絶品というクリームパンは今度試してみよう。実は同じ通りのもう少し海側に行った反対側に、昔実家の母親お気に入りだったベーカリーが移転してきた。名前をリップルといい、かなり儲かったのか「パン御殿」のようになっっているが、自家製カレーパンが私と息子の大好物である。(この店は番組には登場しなかった)

        

ひげでん本店(10位) うな平(8位)
その昔、134号交差点からおでん屋ばかり10軒以上並んでいて、「おでんセンター」と言われていた時があった。全部ではないが、何軒が暖簾をくぐり、「ひげでん」が一番有名店だったが、我々の口にあったのは一番海から遠くにあった「希望亭」という店だったと思う。いち早く店じまいしてしまい、今はサーフショップになっている。海っ縁りで夏のギラギラを思わせる場所に冬の風物詩とはなかなか不思議な組み合わせで一時はかなり流行ったのだが、ちょっとおでんにしては値段がお高めだった。地元となってから全く足を運ぶこともなくなり、知らないうちに次々と店終いして今やひげでんだけになってしまった。そりゃそうだ、すぐ向かいに24時間営業の西友もセブンイレブンもあり、美味しいおでんがリーズナブルに買えるのだから、わざわざ店まで行って食べることはなくなるわなー。
うな平はまさしく我が家の近く、大通りからかなり引っ込んだ調べなければわからない位置にある。かなりの老舗でうなぎ屋としてはすごく有名だそうだ。その前の細い通り(通学路でもある)は「うな平通り」と言われ、近所の自宅までタクシーを利用する人は必ず口にし、運転手さんにも通用するそうだ。注文を受けてからウナギを捌くので出来上がりまでに結構時間を要するそうだが、味は素晴らしいらしい。我々にとっては「近くて遠い」名店である。

        
とんかつ大関(7位)
学生時代に家庭教師をしていた中学生の家や高校の同級生の家などが近くにあり、我が家も何度かお店に足を運んだことがある。「名物になろうと思ってなりました」っぽい高齢の店主がいつもレジに立ち客捌きをしている。確かに分厚いボリュームの割には衣がサクサクで後に残らず、御飯と豚汁がお代わり自由というのは嬉しい。地元の一押しで番組出演の近所の人は「とんかつと言ったら『大関』しか考えられない」と言っていたが、そんな大袈裟なものか〜?テラスモールにも湘南MALLにも「とんかつ屋」はあるし、味のしきい値の低い私は「とんかつ屋のカツはどれも素晴らしく美味しいものだ」と思っているから、あまり足を運ぶことがない。確かに駐車場はいつも混んでいるが、サーファ通りに昔からあるというのが、かなりアドバンテージになっているような気がする。息子甘辛のいたサッカー少年団の監督一家は大きな大会の前にはゲン担ぎに必ず訪れると聞いた。うな平ほど敷居は高くないので、「今晩はちょっといいモノ食べようか」という時に行くような店だと思う。(ちょっと辛口ね)

  

第18位のラーメン屋は知らなかったが、以前社宅住まいだった時に辻堂駅までのルートだったマイナーな商店街に新しくできたらしく今度偵察に入ってみたいと思う。第17位の御菓子屋さんと13位のコーヒー屋さんは私は首を傾げたが妻はよく知っていて、地元ではかなり有名らしい。第14位の中国料理屋さんは私も妻も知らなかった。「湘南工大の前に中華屋なんてあったっけ?」あの辺のラーメン屋といったら古く「城門」しかないのだが、番組で見る限りかなり高級高額料理を出すようだ。(だから縁がなかったのか?!)
さて第6位の湘南T-SITEはかの小夏師匠もいたくご興味をお持ちということ(地元の我々よりも先にいらしたらしい)で今度、本格的に偵察することにしよう。第5位「肉のホドシマ」は昔からあったが、今の店舗は前はラーメン屋だったような気がする。今、看板商品になっているという自家製炭火焼肉は食べたことがないので一度試してみよう。ということで長くなってしまったので次があるかどうかわからないが、とりあえず本日のレクチャーはここまで。