超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

仕事納めには「気をつけな」

2012-12-30 11:16:50 | 職場
別に決まりがあるわけではないが、仕事納めの日は終業すると大体の職場で「お疲れさん会」のようなものを行うようだ。この日を含めて3日間くらいは関連会社やグループ会社のオフィス、県内にいくつかある職場の拠点などに「年末挨拶回り」に赴く。大体似たような話をするのだが、一応そのセクションの仕事の内容とか今年のトピックスに合わせた話題を使う。中にはいつも淡々と仕事をしている部署もあるし、何回も同じフレーズを使用していると自分自身も飽きてしまう。。。正直、ちゃんとあらすじを考えておいてばっちり決める時もあるし、ものすごく手を抜いて「まあ、正月明け元気で会いましょうね・・・では」なんて「すたこらサッサ」と歩き去る時もある。総選挙の時の地方回りのようだが、結構疲れるものである。

私の勤務する地方は「だるま」で有名な地でもあり、毎年正月明け初出勤で「だるまの左目入れ」を行い、仕事納めの日に無事故を感謝して右目を入れる儀式を行う。今年はこの「だるまの目入れ」についてちょっとした物議となった。人権啓発研修に行ってきたKYOちゃんが「だるまの目入れは『目の不自由な方』にいい印象を与えない時があるので推奨されていない」と聞いてきたのである。確かにそんな話をだいぶ前にきいたことがあり、選挙で当選した人もテレビで「だるまに目を入れる」シーンは放映されなくなったようだ。人権や差別に関してはちょっとしたことでも必ず確認することになっているから、CSRセクションで各方面に確認を行った結果、「不特定多数の人が見る場では控えること」を条件に例年通りとり行われることになった。(まあ、今年の正月に片目に入れてしまったから、中途半端で止めるのはそれこそ変だろう。

午後に入ると若手社員が買いだしに走り、各方面挨拶回りが終わり、デスクの周りを綺麗にして(私はほとんど気にしないが)、「だるまの目入れ式」をめいめいの職場で行ったら、仕事納め会の準備である。私が1年で一番「足元に気を付けなけ」なければならない日である。幸いにこれまで大きなアクシデントは無かったが、乗り過ごしや怪我など大体においてロクなことがない。。。次の年のカレンダーを紙袋で持って帰るのだが、たぶんどこかで失くしてきてしまうことの方が多かった。クリスマス会や忘年会など正規?の宴会と異なり、何となくアットホームな雰囲気で「だらだら」とエンドレスに行うからだろうか?東海道、中央線、湘南新宿ラインなどたくさんの路線で見たこともない駅まで乗り過ごすことが多かった。ここ数年で全く無事だったのは年末に「入院」していた時くらいである。あここまで足元が危うくなる理由は簡単で「全部のお疲れ会に顔を出して飲んで回る」からである。

特に来年はここにいない可能性もあるから、「回れる所は全部行く」つもりでいた。「だるまの目入れ式」を終えて、どの部署よりも早く始めるのがスティーブのいる部門である。皆が少しずつだるまの目に墨を入れて行く間に私にすり寄って来て「コレ、終わったら始めていいですよね・・・」そのセクションだけというわけにはいかぬから、目入れ式が終わって3本締めすると「ちょっと早いけど、皆始めちゃってくださいねー。で、足元に気を付けて早く帰ってー」
1日あちこち歩き回って同じ話ばかりしてきた私は喉もカラカラだったので、スティーブ達の冷蔵庫一杯に入っている缶ビールを勝手に出してきて準備ができるまで「立ち呑み」していた。

スティーブチームのテーブルには見たこともない巨大なカニの足が・・・「これ、高かったんですよ。がぶーっていってください」最初に手を出すのは気が引けたので、スティーブと重鎮がかぶりついたのを見て1本を手に持った。前日、微熱があったので念の為会社を休み、その日は「日本酒だけは飲まない」ことを宣言していたのに、巨大カニのあまりの美味さに最初のテーブルで「宣言撤回」してしまった・・・(何があっても日本酒が飲みたくなるほど、あのカニはやばかった)
このセクションは主にオーバーヘッドの仕事だが、スティーブを筆頭に屋外の施設を保全する元荒くれ者が多いので、ボリューム&カロリーが半端ではない。大カニのセットに寿司の大皿盛り合わせにげん骨ほどもある鳥の唐揚げが何皿も登場した。さらにこの後、コロッケと焼きそばのオンパレードである。(油と淡水化物ばっかじゃないか!)
 
    

このままいると、せっかく脱出メタボまっしぐらだ。私は終業のチャイムを聞いて(って始めるのが早過ぎる?!)「ちょっと回ってくるからねー」と1万カロリーはあるテーブルを後にした。次に向かったのは久々「デカさん」のセクションである。ここは部全体の庶務課のようなところだから、あまり派手に色々やらないが、デカさん自体が土地に詳しいのでこれまでたくさんの
の名物を紹介してくれた。「これね、ちょっと普通のトンカツと違うんですよ。ソースつけないで食べてください。えっ?魚で日本酒飲んできた?じゃ、ウィスキーで一回味を忘れてください」サクッと柔らかい少し薄めのカツだったが、不思議なコクと香りがあった。肉と肉の間に「味噌」が練り込んであったらしいのである。これは珍しい・・・

  

次なるテーブルはジローくんチームである。このセクションは先代の八兵衛がいたころから様々な趣向を凝らした「ゴージャス会」にするのが常だった。昨年は焼肉だったと思うが、100グラム2000円近くする上等の霜降り肉を山ほど買い込んでいた。「これね、すんごい肉なんですよ。これ食べたら他の焼肉食べられませんぜー。けぇーっけっけ」八兵衛が自慢げに笑っていたものだ。(他のテーブルのメニューに対抗意識を燃やしていたらしい)
今年も上等のお肉で「すき焼き」を囲んでいた。ソルジャーがあちこちから「幻の銘酒」を調達してきて、飲み比べできるようになっていた。どれもそれぞれ個性が光り、素晴らしい日本酒だったが小さなカップでも10杯飲めばコップ3杯分くらいにはなる。意思の弱い私はこの辺で「禁日本酒」としたことすら忘れ果て、アナザーワールドに突入し始めてしまった。

        

この後、本館に移動して施設設計のセンターを訪問し、また自分のビルに戻って来ていくつか回った後に、上の階の営業セクションにゲリラ登場しようといういことになった。普段あまり訪れることはないのだが、我がセクションと異なり女性の多い華やかな部署である。レッド将軍と仲良く痛飲し記念写真も撮ってまた自分のフロアに戻ってきた。来年はいないかもしれないから、なるべく多く回っておこうと思ったのだが、もとの場所ではトミーたちがどんちゃん騒ぎになっていた。かなりやばいことになりながらも、カレンダーはリュックに収め新幹線と東海道線を乗り継いで無事に帰宅したのである。

大震災の混乱を経た翌年ということもあり、今年は「足元には気をつけな」というウルトラ映画のシーンから始まって、ずーっと「気を付けろ」と言い続けてきた1年だった。その甲斐があってか、昨年に比べて大きな事件や事故もなく過ごせた。
毎年お約束のように怒涛に荒れ狂う雷の被害もあることを続けた成果で半減させることができたし、いつも出遅れが多かった作業ペースも「足元に気を付け」続けてきた結果、ほぼ正常に戻すことに成功した。
「我が社は『何屋か?』と問われたらはITとしては『インフラ』『プラットフォーム』『アプリケーション』などが挙げられるだろう。この中で我々の仕事は「インフラ」に近いっじゃないかと思う。3つの中で唯一頭に「社会」がつく言葉である。他の二つは頭に「ビジネス」はついても「社会」とつくことはない。今年はこの仕事はどうも「続ける」ことが必要だと感じた。だから漢字一字で書くと自分にとっては「続」であった。なんてことを年末の挨拶であちこちで多少アレンジして話し続けたのである。


遠ざかるクリスマス

2012-12-26 22:13:02 | 食べ物
クリスマスというのは結構特別なイベントだと意識したのは中高生ぐらいの時だろうか?好きな女子などを意識し始め十分気になっていたのだが、その頃は部活やら受験やら他に忙しいことがたくさんあり、「それどころではない」(今となっては何とも勿体無い?!)時もあった。学生の頃だったろうか、「トヨタカップ(当時)をテレビで見たいので25日にしないか?」と尋ねて猛然と抗議されたときに「どうも24日とは大事な日らしい」と薄々気付いた始末である。遊び全盛の時にはグループでスキー場で「ホワイトクリスマス」、その後(今はあまり走りたくない)高速をすっ飛ばしてTDLスターライト、最後は湾岸からベイブリッジという「盆と正月がいっぺんに来た」グランドメニューなどもあった。

学生の時に一度だけ数人の悪友と共に、ちょっとしたきっかけ(合コンだったかな)で家の近所に住まわれる「音大」の女子にお呼ばれしたことがある。音大のお嬢様などお近づきになったことも無かったし、ホームパーティなど呼ばれたこともなかったので、皆わけのわからない(今ならスーツかな)スタイルをしていた。広〜いリビングにはグランドピアノがあり、すごいことにリクエストするとちゃんと弾いて下さるのである(音大だから当たり前か?!)ただリクエストするにも「おニャンコクラブ」というわけにもいかぬので、別にそんな「お高く染まった」人たちではなかったが気を使う必要があった。私がリクエストしたのはベートーベンのピアノソナタ23番「熱情」である。当時青年なら誰もがハマっていた「リングにかけろ」でジェットアッパーの河井武士のセリフ「ベートーベンの「熱情」という曲がある。高嶺くん・・・キミにピッタリの曲だよ」からパクった。少年ジャンプの漫画も時には役に立つものだ。

シャンパングラス片手にソファに腰掛け、悠々とグランドピアノの演奏を聴く。。。私が経験した中で最も「ブリリアントな」クリスマスだった。薄暗いリビングにはキャンドルが灯り、6人ほどのメンバーで優雅に過ごしていた。(曲自体は初めて聞くものだったので、さっぱり分からなかったが・・・)
テーブルには誰かがクリスマスアイテムとして持ち込んだ小さなキャンドルの袋があった。それは胡桃を割った半球形の平面にろうそくの芯があるもので、グラスに浮かべて雰囲気を楽しむものだった。私はふとそれに火を点け自分のシャンパングラスに浮かべてみた。なんという素晴らしい世界か!しばし私はこの世界に酔い痴れてしまった。そして何気なくそのままシャンパンを口に持って行き、鼻の頭を「炙って」転げまわることになるのである。。。いや、何となく分かっていたのだが、手が自然に動いてしまった。

大人数や4人のダブル、2人のときや実家で寂しくとか、数え切れないクリスマス(と言っても数十回)過ごしてきた。結婚してもしばらくは恋人ムードがあったような気がする。また息子が生まれ、小さい時はプレゼントにはしゃぐ子供と部屋を飾りケーキを作ったり・・・息子が「仮面ライダーアギト」のベルトを巻いて走り回っていた頃は懐かしい。いわゆる「おもちゃ」からハム太郎、オセロファミリーゲームセブン、モノポリー、そしてサッカーチェスなどとボードゲームを経て、いよいよ子供を狂わす「任天堂ゲームソフト」の世界へと突入して行った。
またその頃になると彼も高学年になってサンタの実在を自分なりに解釈するようになった。「サンタは家に来るわけではない。煙突もないし、鍵をかかっている家には入れない。父ちゃんが事前にプレゼントをサンタから受け取り、当日まで隠してるんだろ?」自身では分かったような分からないような論理展開だった。そのうちに学校でこれまでの事実だけは聞いてきて・・・・やがてプレゼントに欲しいモノは「ゲームソフト」としか言わなくなった。きりがないくらい欲しいゲームがあったらしく、数年先までもらう予定をたてていたようだ。
我が家ではまだ「サンタは実在」することになっている。前も書いたが「実在することを証明できていない」だけで、「実在しないことは」ほぼ証明不可能だからである。

どの家庭でも必ず1台はあると思われるプレイステーション、Wii、そしてDSなどに発展したが、高額なので本体は何かと合わせ技でプレゼントすることになっていた。いつの間にかプレゼントについて我々と交渉するようになったようだ。ただしゲームソフト類はあまりにはまり過ぎて目に余るひどさだったので、一度購入停止にしてある。そのせいか、ここ数年は特にクリスマスに○○が欲しいとは言わなくなってきた。何が欲しいと聞いても「別にねえなー・・・・ツケといてよ」と言われると親としては逆に寂しいものだ。
ところが今年あたりから新しい局面を迎えるようになった。「お洒落」を気にしだしたのである。元々体型はすらりとした妻に似ているようなので割と何を着ても似合うようなのだが、これまでサッカーに行くときのトレーニング仕様でしかなかったのが、色々と違うものを好んで着るようになった。

私自身はファッションなどにあまり興味は無かったのだが、妻の方が我が子に着せるお洒落着を選ぶのにその気になってしまい、クリスマスイブの日は昨年駅前にできた巨大商業モールに出かけることとなった。私はサーフィンや磯釣りなどでは2,3時間浮かびっぱなし、岩場に立ちっ放しでも全然平気なのに、何故か私はショッピングで歩き回ると地球上のウルトラマンのように急激に体力が消耗し(3分とは言わないが)すぐにめげてしまう。。。最初はいつものように「●ニクロでいいだろ?湘風キッチンで親子丼セット食って速く帰ろうぜー」とつぶやいていたのだが、自分のことだとどうでもよいのに、他人が着るものを選ぶ時は不思議と似合うかどうかを想像したりして興味が沸き、目当てとしたジーンズを色々物色することになった。
「G●Pにはいいのがねえなあ。入り口の●ARAはどうだ?あの先にある『サンダーバード』(実はTimberland)という店はどうかな?」ついに店全体が暗がりの●ZULとかいう怪しい店にまで足を踏み込んだ。。。

「こんな細いのはけるのか?普通サッカーやってたら、ああはならんのだがなー」結構足も長いようだし、息子には似合うと妻は思っているようだ。店員は「ストレッチが入っていますが、かなりパツパツになってしまうかも・・・」と遠慮がちに私を眺めてつぶやいた。(オレがはくんじゃねえ!!)
「息子へのプレゼントなんですけど」妻は平気で色々と店員に聞き始めた。何店か往復してちょっと大人っぽいがカッコいい(私にはたぶんホントにはけない)ジーンズを購入し、さらにTシャツを合わせてプレゼント袋に詰めてもらった。
「さて今晩は何にするかなー。クリスマスらしくチキンでも焼くか?『世界の料理ショー』にもメニューあったよな」再び白衣を身に着ける姿を想像したが、「何か久々に『焼肉食いてえ』って言ってたよ。『さかい』でいいんじゃない?」妻は私の「世界のクッキング」に興味はないらしい・・・しかし焼肉なんてクリスマスから最も遠いじゃないか。。。

受験生だというのにまだサッカーの試合などに行っている息子甘辛が帰ってくるまで運動でもするかと、スケートボードを取り出して川沿いを走り出した。海岸まで行くと江ノ島の新灯台が見事にライトアップされている。シー・キャンドルとはよく言ったものだ。(何かクラゲに見えるんだが・・・)何せクリスマス・イブだから、周辺は恋人たちでえらい盛り上がっていることだろう。最近はLEDが主流だからか、街中のイルミネーションが素晴らしく豪華絢爛だ。どこへ行ってもエレクトリカルパレードみたいな光の渦が満ち溢れている。背中にしょっているリュックに超兵器203号を入れておいたので、暗いモノを撮る方法がよくわからず悪戦苦闘の末とりあえずクラゲのような姿は収められた。色んなHPなどで素晴らしく美しいイルミが紹介されているので、今更ショボ写真を入れてもという気がするがここは場所柄だけ買ってもらい一応載せておこう。

甘辛が帰ってきたので、そのままスケボーで134号の焼肉屋「さかい」へ。ファミリー客で混んでいるかと思ったらガラガラ・・・・やはり焼肉はクリスマスからはずいぶん遠いのか、女性店員は皆サンタの帽子をかぶっていたが、一抹の寂しさを感じてしまった。。。「今年最後の試合でカッコよく得点を決めた」と元気よく帰ってきた息子は、まったくクリスマスカラーを見せずに「あんまり高いモンばっか頼むな!」という親の心配を尻目に大盛り丼飯をがっついた。私は私で290円のホルモンと鳥ナン骨をつつきながらハイボールをガブ飲みし、帰りに家族でシーキャンドルでも行ってみようと思っていたのをすっかり忘れ、スケボーは危ないので帰りは甘辛の自転車と交換してもらい、今晩が何の日かもほぼ忘れて上機嫌で帰宅した。帰ると冷蔵庫に前晩の残りのスパークリングワインがあったので、何人かの人からもらったメッセージやらアップされているイルミネーションをFBで眺めていた。。。。

息子へのクリスマスプレゼントがアパレルとなり、妻とあれこれ想像しながら選ぶという新しい局面になった。この年頃は「自分で選ぶから金だけくれ」という少年も多いようだから、まだ少しは楽しみがあるというものだ。しかし私のイブの1日というと、早朝に母を連れて竜泉寺に行き、朝御飯は帰りに「すき家」で「3種のきのこ牛丼」、昼はテラスモールのフードコートで「そばカツ丼セット」、夕方スケボーで海岸を乗り回し、晩御飯は「さかい」で焼肉・・・これのどこがクリスマスなのか?!年々クリスマスが遠ざかっていくような気がするが、こういう時に外国在住のお友達のサイトなどを見ると羨ましくなるものだ。来年はブリリアントなクリスマスがやってこないものか・・・

    

白衣のサンタ

2012-12-23 11:14:25 | 職場
「改善の祭り」で一躍有名となった「発明王エジサン」(って全然有名じゃない?!)・・・お堅い上司の「チーフ」ですら、「●ータリクラブ」のクリスマス会の余興で使いたいので『エジサン』の衣装、貸してくれないか」と極秘メールを送ってくる始末だった。先日、私のオフィスまでそれを返しに来てくれたときに(別に私のじゃないんだけど・・・)、「どうでした?」と聞くと苦笑いしながら「盛況ではあったんだけどさ。プレゼント交換会の司会を二人でやったもう一人が●▲銀行の支店長で、なんと『メイド』で出てきちゃって・・・完全に食われた」
地方の主他、著名人の集いであるクラブでは新参者である彼は自らボケ役を買ってでたらしいのだが、事前に情報がリークしてしまい、相方に飲み込まれてしまったらしい。上層部にあっても御苦労の多いことだ。

「大変なんだねえ。●ータリークラブもさー」私は返却されたエジサンの白衣とかぶり物を何気なくかぶってみたら、大忘年会実行委員長のトミーが「磯辺さん、それ今度着ませんか?」
嫌いではなかったが、苦笑いするだけでうんともイヤとも言わずにおいたら、話がどんどん進んでしまった・・・前々日にトミーにPCの画面見せられて・・・「こんな登場シーンで考えてますから」「へっ?」ホントに着るのか?まあ、変なコスプレじゃないからいいや。全部装着すれば誰だか分からないしなー。二つ返事でOKしたが、当日「作製者のN村氏」が何やら思い入れがあるようで・・・髭やらメガネやらだいぶグレードアップしてますよ。ちょっと早めに会場入りしてくださいねー」楽屋入りってか?うー。。。嫌な予感がする・・・

会場に着くと舞台を挟んで司会席とは反対側の屏風に隠されたゾーンに色々な物が準備されていた。どうやら私はエジサンの格好をすればよさそうだな。メガネがLEDレンズで光輝き、ちょび髭が沖田艦長のようにグレードアップしていたが。。。「でねー、この車に座って登場してもらいます。プレゼントの袋担ぐの忘れないでくださいね。」何となく綺麗に飾られてはいるが、明らかにただのリヤカーじゃないか・・・「誰かが引っ張るの?」「むろん僕らですよ」トミーたちはやおら、Yシャツを脱ぎ、かなりやばいスタイルに変身して行った。まるで豚のようなトナカイのかぶり物を着けなかったら放送禁止のような気もするぞ。トナカイにそりだったらサンタじゃんか。何でオレだけ発明王の格好をしてプレゼント袋を担がなきゃならんのだ?

    

「前の方に重心をかけて腰掛けてください。安定が悪いんで、後ろに体重をかけるとひっくり返っちゃうんですよ」試しに押さえてもらって上ってみると確かに安定が悪いが、足を前後にレギュラースタンスにすれば何のことはない。何せ波があるわけでもなく、地面に車輪がついてるんだから。「大丈夫そうだよ、これくらい。立ったまま颯爽と現れるさ。神輿の上でも全然平気だったしねー」私は元気よく頷いた。ただ登場門の位置からして左足を前にするレギュラースタンスだと会場の皆に背中を向けることになってしまうので、反対の慣れないグーフィスタンス(右足が前)で乗らざるを得なかった。2匹の怪しいトナカイに引かれるリヤカーに立ち乗りし、スタンバイOKである。

司会から大忘年会の開始が宣言され、いよいよ登場シーンだが、明かりが暗くならないとかで中々トナカイがスタートせず、いきなり業をにやして勢いよく飛び出した。「メリークリスマス!」ぎりぎり耐えていたのだが、テーブルの足に引っ掛って一旦前のめりになり、焦ってフルパワー急発進されたせいで後ろにつんのめり、シンクロナイズドスイミングばりに大転倒!ずばり昔プールでやった「犬神家の一族」ポーズである。帽子はメガネは曲がり沖田艦長髭はアサッテの方向へ向いてしまい、私を置き去りにして前へ進んでしまうソリに慌てて飛び乗る今年一番の大醜態だった・・・会場は爆笑の渦だったが、そのまま舞台で挨拶をかますところが、あまりの動揺にシナリオを忘れてしまい・・・「みなさん、○▼□?あ●■!△*~##・・・」支離滅裂な話になってしまった。結構いい話をしたつもりなんだが、あのスタイルでは全くもって説得力がない。。。乾杯の発声は司会がくじで指名したが、何とソリを引いたトナカイになった。

    

出番が終わったら、着替えて普通に会に臨めばよかったのだが面倒くさかったのでそのままメガネだけ外して飲んでいた。発明王のスタイルをした私は各テーブルを回り、色々と談笑しながら記念写真を撮りまくっていた。私はこの大クリスマス&忘年会は今年で3回目だが、4回目がない可能性が少なからずあるからだ。これまでは県内の景勝地や名(ゲテ)物など、「モノ」を被写体にしていたが、最近は自分の姿がそれとなく入る構図でパチリとやってもらうことが多くなった。この地を去る時にDVD化してエンドロールを流すためである。)うーむ、我ながらあざといが、これは誰かに頼んで作製してもらわなければならない。私はこの地方の隅々まで駆け巡った証として、自分で撮影した景勝や名物を編集して土産として置いて行くことにしている。

気が付くと、大ビンゴ大会が始まっていた。入り口で受付をする時に、一人一枚ビンゴ用の小さな札を渡されるのだが、全く捻りがないことに二つのセクションの名簿順に番号を振っているだけだから、私は毎年「001番」なのである。確率的にはどれも同じなのだが、いかにも「当たりそうもない」番号で、いつも知らん顔して隅のテーブルで飲んでいた。「磯辺さん、呼ばれてますよ~」と声を掛けられ、もう出番かよと思ってステージを見たら、何とビンゴが当たっていたのである。大きなお歳暮用缶詰セットのような箱を頭をポリポリしながら受け取ったが、「もう1回分景品にしてねー」と舞台裏で返却しておいた。この先「何とか賞」とか「グランプリ」とか色々続いていくのだが、くじを引くのは私なのでプレゼンターがいきなり景品をもらっては申し訳ないからな。

この後、ステージに全員が釘付けとなるビックリするようなパフォーマンスがあった。ルーキーズを中心とする若手女性軍がサンタコスチュームで何と「少女時代」を舞って見せたのである。年末になって今年1番の清々しさを感じさせてもらった。いつもステージから一番遠くのテーブルで会の進行など気にせず大酒を飲んでいるマリモさん(仮称)など、一番前までやってきて大声で声援を送っていた。皆、私の娘(いないけど)みたいな年頃のお嬢さんだ。ドキドキしたが、一方で何やら申し訳ないような気もしてきた。(舞っている本人たちが楽しんでいてくれればよいが)
メインパフォーマンスが終わると、どうでもよいコスプレたちが乱入してきて・・・あいつ、「あずまや」の超特大盛り(推定4玉+餅2つ+大かき揚げ2枚)を平気で平らげる「ダイスケ」ではないか。よく衣装があったものだ。

  

ステージは最高に盛り上がり、私も舞台に引っ張り上げられて(もとい!自分で乗り込んで)、大騒ぎの後記念写真を撮りまくった。同じサンタコスチュームを身につけている余計な野郎さえいなければ・・・・来年のカレンダーにしたいくらい夢のようなシチュエーションだったのに。女子軍にはいい迷惑だったかもしれないが、これこそ役得なのか「人も羨むスーパーショット」が何枚か撮ってもらえた。(いやあ、掲載できないのが残念~)どこかに掲載した時に「ニヤけている」だの「鼻の下伸ばして・・・」などと決して言われないようにギラリとほほ笑むように心がけた。しかし心中は彼ら彼女らのパワーと元気に心から感謝していた。宇宙戦艦ヤマト完結編で地球に立ちはだかった水惑星を前に「ヤマトとこの若者たちある限り私は希望を持つ」と言った沖田艦長のような心境だった。。。

しかし繰り返しになるが女性軍のダンスパフォーマンスは圧巻だった。きっとずいぶん練習したんだろな。男子(それも若くはないおっさん)ばかりの忘年会で中には恥ずかしい思いや抵抗があった人がいたかもしれない。ここは責任者として私に免じて許してもらうとともに、お礼のメールを打っておくとしよう。来年、この職場にいないことになっても特別ゲストとして乱入したくなるような楽しい忘年会だった。
メリークリスマス!皆さん、お疲れ様でした。(見てる人いないかもしれないけど)
おまけ・・・川沿いを駅に向かって歩いていたら、近い方の岸にこの鳥がいた。それだけでは珍しくもないのだが、何と向こう岸に飛び立つときにもう一羽がランデブー!慌てて連続シャッターを切ったが、残念ながら追尾できず・・・しかし初めて見たシーンはちょっとしたクリスマスプレゼントだった。(画像を少し拡大しても結構細部まで見られるもんな)

  

試験の落とし穴

2012-12-21 22:49:52 | 出来事
年月を経てこれまでサボっていたことの反動からか、私はこの職場に来て意外にも学習欲が旺盛になった。単身生活では飲む機会や運動する時間を除いても通勤がほとんどない分有り余るほど時間がある。色んなことに手を出したが、我ながら感心なことに「勉学」にこの時間をたくさんあてたのである。この職場になって仕事に直接関連する社内資格や情報系の公的資格を受験しまくった。普段、あんまり使わないから何かにかこつけて勉強でもしないと頭が錆びつくのと、以前も書いたが「試験」というものの独特な雰囲気と久しぶりに足を運ぶ「キャンパス」というものが新鮮だったからだ。ありがたいことに公的資格の中には企業が取得を推進し受験費用や「奨励金」なるお小遣いももらえるものもあるから、私には打ってつけだ。実はこのお小遣いでスケートボードを買った。

試験といっても別に落ちると困るものでもないが、あんまりハードに勉強しなければならないのも困る。ここ数年で一番手ごわかったのは「エコ検定」だった。(まあ、そんなレベルの趣味の世界である)。1ヶ月くらいのコース(それ以上は覚えていられない)で、「これをひたすら勉強すればOK」というシンプルな内容、かつすっかり「記述すること」から離れているのでマークシート方式であること、もちろんせっかくやるなら仕事に役立つ分野ということで、「超兵器R1号」の実験場のように慎重に選定したのが、「情報セキュリティ分野」である。最初に糸口を教えてくれたのは退職して行った八兵衛である。彼は「個人情報保護士」という資格を持っていて、「これね、公式テキストだけやってればバッチリですよ。しかも奨励金付き!おいしいでしょ?」なるほど、我が社は情報漏洩など決して起こしてはいけない会社と言われるので推進してるのね。

ちなみに法令その他、関連知識などで類型化すると個人情報関連が2つ、情報セキュリティ関連が3つある。微妙に学習分野は違うのだが、ダブる部分もたくさんあり、どれも似たようなテキストが出ているようだ。(実施団体も同じようなのだ)介護保険士や何とか書士のようにこれを持っておれば、職業としても立派に通用するモノでもないが、社内でも公的資格取得は強く推奨して社員の啓発に努めているからここは自分も率先して先遣隊になろうと、申し込むことにした。今はインターネットで受験を申し込むことができるから実に簡単である。一番面倒なのは「これを受けるから奨励してねー」と会社に申請・承認を得るところだ。何せ「おこずかい」に絡むところだから、いい加減にはできない。(ってそのための取得でもあるし)

「個人情報は慎重に取り扱われるべきである」なーんて、当たり前じゃないか・・・常識で考えれば何とかいけるだろうと考えていたらやはりそう甘くはなかった。結構厚めのテキストだったが、大半は「個人情報保護法」という法律の理解で、周辺の関連法令や省庁ガイドラインなど結構多岐にわたり、完全にメモリ領域をオーバーフローしてしまった。事業に関係する法規は頭に一応入っているが、それ以外の法律の条文など読んだこともないし・・・何しろあの独特な言い回しと「●条▲項2に定める事由ほにゃらら〜」なんて一々C言語のようにポインティングしてリンク読みしなければならないのが、気が遠くなるほど煩わしい。。。
法令そのものの他に個人情報保護法制定の背景やグローバルな動向、企業不祥事の状況や関連するJIS規格など手当たり次第に詰め込み、当日はたぶん容量オーバーとなった耳や鼻の穴から漏れ出る法律用語を撒き散らしながら会場に向かった。

「『磯辺さんなら楽勝ですよ』と周囲に言い放ってしまった八兵衛の手前、不覚をとるのはどうにもカッコ悪い」中学生の時にクラスの女子に「ここ分からないんだけど、ちょっと教えてくれない?」と言われた快感を原動力にひたすら難問をマスターしようとした数学のノリで夜な夜な単身マンションで勉強し、合格率40%の検定に見事パス、ぎりぎり面目を果たした。使用率100%で加熱気味だったCPUを冷やすために少し療養時間をおいていたら、2ヶ月くらいして忘れた頃に「おこずかい」が振り込まれていた。
こっ、これはおいしいぞ。。。!八兵衛の言う通り、勉強して錆付いた脳が活性化し、仕事に役立つしなんと「おこずかい」ももらえる。私の学習意欲(ちょっと目が$になっているが)奨励対象になっている残り4つの公的資格を全て1年間で取得してしまうことにした。

次なるは情報セキュリティ系の初級認定である。個人情報の他に一般的に企業で扱う情報全般についてその取扱、安全管理措置、関連法令などもうちょっと広い分野になるが、法律の条文丸々覚えのようなところはあまりない。会場は文化・伝統、そして近寄りがたい聖域のようなものにも見える「上智大学」で、初めて足を運んだ私は色々キャンパスをうろつき回り、このサイトでも紹介した。河合塾の模擬試験とかち合い、ついでに受けちゃおうかとも思ったところだ。かのお洒落なキャンパスの食堂には必ず「ガレット」があるに違いない。次に受験に来る時はもっと念入りに偵察し記念グッズでも買ってこようと思っていたが、残念ながらその後の試験会場は全て横浜にある「八州学園大学」という通信制中心の建物になってしまい、キャンパスと呼べるものがなくなってしまった。。。ちなみにこの検定は周囲の若手管理職群にも「受けるべし!」と触書を出し、めいめい勉強していた結果さすがに若くて優秀なヤツが多く全員難なく合格した。

1ヵ月後、私も合格を確認すると同じ分野の今度は「管理士」なる資格受験を申し込んだ。初級を受けたら中級、上級と続きそうだが、不思議なことに異なる名称となってしまう。事情通に聞くと、上に2級とか1級とかあったのだが、内容刷新、統合されて「管理士」になってしまったようだ。やはり内容としては広く濃くなっていて、中々に手強いものがあったが、たまたま初級を勉強していた古いテキストが上位の試験準備も兼ねた高度なものだった(全然知らずにやっていた)ので、ほぼ同じことをおさらいするだけで事足り、なおかつ同じ協会が管轄しているので試験問題の出し方に一定のパターンがあるので結構慣れてきたものだが、注意しなければならないのは4つある分野の各々で70%以上正答しなければならず、これが災いして八兵衛なども1度不合格になってしまいめげたそうだ。合格率は30%台というが、触書を出した手前自分だけ落ちることは許されず、また先の「勘違い」で元々この試験用の勉強を一通り済ませてしまった私も無事合格した。

ここまで来るとノッてくるものである。一番手強いとされる企業情報全般を管理するための試験に乗り込むことにした。数々の法令や省庁のガイドライン、最近のグローバル動向に加え、IT技術やシステム管理などまで分野が及び、これまでよたよた蓄積してきた知識を総動員してもかなり不足するほどのテキストで、「こりゃー調子に乗りすぎたな」と大汗をかいていた。これまではクラスに何人かは必ずいるテスト前になると「やべえ、全然テスト勉やってねえや。」と頭を抱えながらちゃっかり高得点をとるヤなヤツ(因みに私はダメという時はホントにダメだった)のように、内心ベロを出しながら試験に臨んでいたのだが、そうはいかなかった。しかし夏休みに入り仕事も余裕があって何をやるにも時間が有り余っていたのが幸いし、夜に早朝に机に向かい続けた結果、こちらは合計で80%以上ということもあり、見事通過!しかし地球に帰還したヤマトのようにかなりボロボロになっていたので、しばらく休養期間をとることにした。

デビューしてから負けなしの4連勝、五冠馬を狙って最後に残ったのはたまたま日程が12月しかなかった個人情報系検定だが、これは八兵衛に教えてもらった個人情報保護士よりも簡易なもので、試験も同時開催されるものだった。最初に受験してから約1年以上たっているが、どの試験にも登場している内容でさすがに頭に染み付いていたので、正直楽勝のはずだった。昔の専用テキストも残っていて、一通り読み終えると大体詰め込んだ記憶が戻ってきた。経験上「こういう時って、なめてかかると思わぬ落とし穴があるんだよなー」と油断なく準備は進めていた。有終の美を飾り一連の資格検定にピリオドを打つためである。

試験会場はいつもの八州学園大学、これまでは春から夏にかけての日程が多かったので、終了と同時に脱兎のごとく帰宅し海へドボンだったのだが、12月半ばにもなるともうシーズンも終わりなので、試験が終わったら久しぶりに横浜駅東口周辺を歩き回ることにした。(実は先週日曜日が試験日だったのだが、悔しいくらいに暖かく海に入りたくなるような陽気だった。)
さて、試験はというと同じ教室で八兵衛の「個人情報保護士」の試験が同時進行で行われることになっていた。あちらは試験時間が120分で問題は100問、こちらは90分の50問で完全に初心者向け・・・既に難しい方を取得している私がつまずくはずがない。昼御飯、待ち合わせた妻とどこで何を食べるかばかり考えていた。
「始め」の合図から問題用紙を開き余裕を持ってスタートしたが、3問目くらいで「むっ?」と鉛筆が止まってしまった。なるほど、これが落とし穴か・・・・?!
「政府による●●法案は2012年11月の衆議院解散によって廃案となった・・・」

実は私が使っていたテキストは八兵衛が使っていた?3年くらい前のものだったのだ。最近の「時事問題」はからっきしダメ・・・(新聞読んでんのかよ?!)しっかし、試験問題などかなり前に作成されると思っていたが、先月の話題が入っているとは驚きだ。八兵衛のテキストにはないリアルタイムな問題は合計5問くらい、消去法で4つの選択肢は二つに絞れるから正答率は50%、つまり3つくらい取りこぼすことは覚悟しなければならない。10個までは間違えてもOKだけど、盲点だったなー。
それでも90分で50問の問題は時間半分も費やさないうちにマークシートの最後の列に差し掛かった。41問目・・・問題数が多い試験(今回は少ないが)マークシートの塗りつぶしでつい「段ずれ1個飛ばし」をする時がある、TOEICなどは時間との戦いなので途中でこれを起こすとかなり致命的だから、時々「番号が合っていること」をチェックする習慣がついている。(それくらいできなきゃねー。だてに4連勝してないぜ・・・)
全部終わって時計を見たら40分経過、余裕を持って見直しを始めた。一度答えた問題50個くらい直後なら何となく覚えているので、さーっと流し読みし後で答え合わせできるように問題文に○をつけていく。 問題冊子はくれるので後から答え合わせできるようにである。

半分くらいまで進んで、「んっ?」と再び鉛筆が止まった。見たこともない問題が現れたのである。おかしいな、問題をすっ飛ばすことなど滅多にないのに、いかにも解いた覚えがない。。。しかし問題を一つ飛ばせば段ズレをおこして設問番号が合わなくなるはずだ。しかし最後の50問目までぴたりと番号は合っていた。いったい何が起きたのだろう?しかし「問題文ずれ」してしまっているから、その後の回答はすべてNGである。残りの25問分のマークを全部消すか?と躊躇していたが、突然電撃のように閃いた。もしかして「問題文ずれ」と「マーク段ずれ」を併発してるのではないか?どこかで1個飛ばしマークしてしまうと「上手い具合」に帳尻があって元に戻り最後は設問番号が合致することになる。もしそうだとすればマークずれ以降は正しいマークとなり消してしまうとすごいロスになってしまう。
さすがにこれはまずい。。。。一刻も早くそのマークずれを検出すべく、問題文とマークをもう一度チェックしながら解く破目になった。
35問目くらいにようやくマークの段ズレを発見、消しゴムだらけになったマークシートをきれいにしてその後の見直しを行い全部終わったのが終了5分前・・・やはりなめてかかると思わぬ落とし穴があるものだ。
もしかして今までで一番やばいかもしれないが、取りあえず無事に終わったので妻との待ち合わせ場所に向かった。そごうの「ハーメス」で修理を依頼していたHマークのネックレスを受け取り、初めて「ベイ・クォーター」というエリアに足を運んだ。ここで「グリル&オイスターバー」という店に入り、「牡蠣尽くし」メニューを注文し、まったり暖かい冬の昼時を過ごすのである。

            

総選挙R1号

2012-12-18 05:06:21 | 出来事
「地球防衛国際委員会のセガワ博士、宇宙生物学の第一人者マエノ博士らをメインスタッフとして、この防衛軍基地内の秘密工場で、今、恐怖の破壊兵器が完成しようとしていた。それは惑星攻撃用の超兵器R1号である」
このサイトのタイトルの由来ともなったウルトラセブン屈指の名作(だと私は思っている)「超兵器R1号」のオープニングである。遥か以前にこの話のあらすじは紹介した記憶があるが、衆議院総選挙にあたり各政党のマニュフェストを読んでいて、何故かこの作品が頭を駆け巡り休日にVTRを引っ張り出してきて先日の「世界の料理ショー」のように懐かしく視聴したので思うところを書き留めておく。

    

まずはおさらいから・・・先日、小夏師匠の素朴な疑問に(少し適当だが)お答えしたように、ウルトラセブンは地球を守りに来たのではなく、恒星の観測を行っている(つまり役人)時にたまたまこの「美しい星」が宇宙人の侵略の魔の手に晒されているのを知り、わざわざ居残って闘おうと決意したことになっている。当時は宇宙の平和を守る「宇宙警備隊(隊長はゾフィー)」の一員ではなかったから、全宇宙的な視野で「平和」を考えてはいなかったはずだが、地球を守るためなら何をしてもよいと考えてはおらず、能動的に地球外へ攻撃を仕掛けることには地球外の「宇宙人」としておおいに疑問を持っている。

地球防衛軍が開発したR1号は実験用でありながら新型水爆8000個の爆発力を持ち、これを知ったウルトラ警備隊員たちは「これで地球の防衛は完璧だ」とはしゃぎ回る。アンヌですら「地球に超兵器があることを知らせれば、侵略してこなくなる」という抑止論を唱えるのである。誰でも分かると思うが、この話は東西冷戦時の核兵器開発競争そのものを風刺していると思われる。核を保有していれば報復を恐れ「外国から攻撃はしてこない」という抑止力を正当化しようとしたストーリーそのものに見える。
今、まさに防衛軍基地からR1号の発射を前にモロボシ・ダンは思い悩む。ここから先は屈指の名セリフのため、番組VTRからそのまま再現・・・・・
「フルハシ隊員、地球を守るためなら、何をしてもよいのですか?返事をしてください!」(モロボシ・ダン)
「おい、ダン!一体どこへ行くんだ?・・・忘れるなダン、地球は狙われているんだ。今の我々の力では守りきれないような強大な侵略者がきっと現れる。その時のために・・・・」(フルハシ隊員)
「超兵器が必要なんですね!」(モロボシ・ダン)
「決まってるじゃないか!」(フルハシ隊員)
「侵略者は、もっと強力な破壊兵器を作りますよ!」(モロボシ・ダン)
「我々はそれよりも強力な兵器をまた作ればいいじゃないか!」(フルハシ隊員)
「それは・・・血を吐きながら続ける・・・悲しいマラソンですよ」(モロボシ・ダン)

      

実験標的はシャール星座のギエロン星が選ばれた。地球への影響、生物がいないことは念入りに調査したことにはなっている。(ちなみに生物学者のマエノ博士のファンだった)実験は予定通り開始され、ギエロン星は木っ端微塵になった。
その場面に居た堪れなくなったモロボシ・ダンはウルトラホーク1号で宇宙パトロールへ出発する。宇宙空間を飛行しながら思い悩むダンは、やはりM78星雲の宇宙的視野を持つ宇宙人に見えた。
「ボクは絶対にR1号の実験を妨害するべきだった。本当に地球を愛していたのなら・・・それができたのはボクだけだ。」
しかし物語は急転する。ギエロン星から地球に向かう飛行物体を宇宙空間で調査したホーク1号はそれが巨大な生物だと知るのである。「そんなはずはない」と驚愕するマエノ博士を前にホーク3号は新型兵器を地上に降りたギエロン星獣に投下、星獣は一瞬にして粉々に砕け散る。

    

しかし考えてもみて欲しい。(と私が言っても意味がないが)惑星を粉砕するほどの威力をもったR1号の攻撃にも耐えた生物(突然変異?!)が、地上の兵器などでたやすくやっつけられるだろうか?星獣は液体から見事に再生し、前よりもはるかに強大な体で甦るのである。口から吐く黄色いガスは放射能だ。絶体絶命の地球防衛軍をセブンに変身したダンがやっとのことで星獣を倒す。アイスラッガーで頚動脈(の位置にある)を断ち切る技で・・・ギエロン星獣はもの悲しく吼え、目を閉じる。私はこれを見ていたマエノ博士のセリフでファンになった。
「タケナカ参謀、ワタクシにはどうしても、あのギエロン星獣を憎むことはできません。R1号の爆発のショックであんな恐ろしい宇宙怪獣になってしまったけれど、本当は美しい星ギエロンに住む平和な生物だったのかもしれません」
汚染地域は封鎖され、隊員は無事帰還したが、多量の放射能を浴びたダンだけはメディカルセンターに入院した。

      

物語はウルトラセブンでも屈指の締めくくりシーンを迎える。防衛軍責任者のタケナカ参謀とキリヤマ隊長、そしてマエノ博士である。
「キリヤマ隊長。超兵器R2号が完成したら、地球の平和は絶対に守れると思うかね?」(タケナカ参謀)
「しかし侵略者は、それより強力な破壊兵器で地球を攻撃してくるかもしれません」(キリヤマ隊長)
「うむ。。。我々はさらに強力な破壊兵器を作る。地球を守るために・・・・」(タケナカ参謀)
キリヤマ隊長の遠い目をした微笑が印象的だった。「・・・そう言えば、ダンがしきりにうわ言をいったんです。『血を吐きながら続けるマラソン』だと・・・」
「ダン隊員がそんなことを・・・参謀。人間という生物はそんなマラソンを続けるほど愚かな生物なんでしょうか?」(マエノ博士)
この後、メディカルセンターにいるダンはこの3人からR2号製造中止提案を聞くのである。ウルトラシリーズで星人でも怪獣でもない「星獣」というかんむりがつくのはギエロン星獣だけである。「人類のエゴに対し犠牲となった罪もない生物」という意図の表れだと思う。

          

長々と物語のあらすじをおさらいしたが、2週間にわたる総選挙の活動を聞きテレビやインターネットで対話するような政治家や評論家の談を聞いていると何となくこの話が浮かんでいた。むろん現代の我が国は(私の知っている限り)兵器の開発競争などしていないから、連想されたのは同じ「核」でも平和利用されることになっている原発についてである。そのものの是非や再稼働等について様々な議論がされており、簡単に2者択一ではないと思われる。あんまりポリティカルなことをここでは書かないことにしているのだが、総選挙に当たってせっかく久々にテレビ討論や政党HP、有識者のブログなどを見て回ったから、思慮は浅いと反省するが受けた印象だけ少し書き置くことにする。

原発について、どこの政党も「とりあえず無いに超したことはない」というのは同じようだ。「今すぐ無くすことを決めるのか」「ゼロを目指すのか」「安全第一としながらずーっと続ける」とするか・・・・テレビで見ていると「無いに超したことはない」としながらも「必要」と言う人たちは「日本を『企業』としてとらえている」人々、「今すぐなくす」と言う人たちは「日本を『国土』ととらえている」人々という印象を持った。
「企業」とは継続することが第一だとすれば、まず目先の収支と株価に目が行くのは当然で、「日本は借金大国でもうほとんど破綻している。資源を石油に頼っていては原油高騰の折に発電コストがかかり過ぎ、国際競争に太刀打ちできないため低コストの拠点を求めて日本を出るしかない、そうすれば産業は空洞化しますます日本経済は悪化する。」

国土を永久普遍であるべきだという観点からすれば、「今は多少貧しくなり我慢が必要かもしれないが、自然災害を想定できないことが露呈した以上、事故が発生したら国土を半永久的に失うことになる原発を稼働させることは未来の国民に対して決してできぬ」
まあ、双方の言っていることは言い換えれば近視眼的か長期的かの違いでどうもかみ合わない。他の要素を複雑に思慮できないので、そんな風に理解していた。今回は中学生の息子甘辛も学校で話題となったという各党のマニュフェストをちゃんと目を通したいう証拠に「何をいっているのか」どうにも理解できなかったのが「日本維新の会」である。。
「既存の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウトすることになる」
狐につままれたような感じが正直した。マニュフェストというのはどこの党でも大抵「●●をして見せます」という例え嘘でも自政党を主語にしたものだと思っていたが、ここだけは文脈からして主語は原発自身である。つまり原発が自らフェードアウト(消失)していく」と言っている。うーむ。。。何か違和感がある不思議な表現だが、この党の中心は主張が過激っぽいのが痛快でずいぶん躍進したようだ。

自分のおかれる立場や経済的シチュエーションによって支持の仕方は大きく変わり国論を2分するような大きな議論だろう。大震災直後だったらもっと違う結果だったろうと思うが、それどころではない事情だったのもわかる。最後に総選挙で色々見聞きした原発論と「超兵器R1号」の物語がどうしてダブったかをお話すると・・・・・
あの物語の中で「超兵器」を「原発」、「地球」を「富(とかカネ)」などと置き換えると、ものすごくしっくり話がつながるのである。むろん「侵略者」は想定外の大災害、ギエロン星獣 は事故で暴走する原子炉というところか。。。
「キリヤマ隊長。原発が再稼働したら、日本の富は絶対安全に守れると思うかね?」(タケナカ参謀)
「しかし災害は、それより想定外の規模で襲ってくるかもしれません」(キリヤマ隊長)
「うむ。。。我々はさらに安全そうな原発を作る。富を守るために・・・・」(タケナカ参謀)
「・・・そう言えば、ダンがしきりにうわ言をいったんです。『血を吐きながら続けるマラソン』だと・・・」
これを「愚かな生物」とつなげたら原発推進派に叱られてしまうだろう。しかし唯一の被爆国として「核ををもたず、つくらず、もちこませず」とうたっておきながら、自らの繁栄のために自然にやられてさらに被爆するとは「何と学習の足りない愚かな国か」と外国に言われる可能性はゼロではない。

こうして綴っていると経済活動の主体としては終盤に差し掛かっている自分自身は子々孫々のためにはやはり「原発は無くなって欲しい」と願っていることはわかる。今はれっきとした企業にいるが、この国を「企業」としては思っていない。「超兵器」の影響により怒りに狂ったギエロン星獣が現れた時に、ウルトラセブンはいないからである。

大噴火を想定した訓練

2012-12-14 20:56:42 | 職場
これまで何度かご紹介しているように我が方セクションは自衛隊と共同で非常時の訓練を行ったりするが、当然社内でも年に何回かは色々な災害が発生した想定で全部門をあげて訓練を行う。細かくシナリオや台本までできていて「セリフ棒読み」の時もあれば、ブラインド訓練と言って参加者には「何が起こるか」の情報は全く与えられず、緊張しながらテレビ会議に参加するものもある。今回は先般の大震災からメンバーが結構変わっているから、大規模災害対応の未経験者を対象にリーダー格の者は不在という想定でシナリオが作成された。私は総括責任者として災害対策室に座っているだけで何をするわけでもないのだが、今回はなんと「行方不明」になる役回りだったのである。

隣県との県境に世界でも有数な活火山があり、今は雪で真っ白になった山肌のてっぺんから少しずつだが白煙を上げている。標高が高いからこの季節になるとずーっと真っ白かと思ったら、時々普通の山の色になったりする。活火山の地熱の影響で雪が積もったり融けたりしているらしい。天明3年(1783年)にこの山は大噴火し、付近の村を壊滅させた。今回はこの「天明の大噴火」規模の爆発を想定し周辺の施設が大きな被害にあったとして、発生から各部門による情報収集、被害情報の把握、自治体との情報連携、ライフライン応急復旧のための緊急出動などいわゆる「初動態勢」の確立を訓練するものだ。
これだけ大規模な噴火であれば事前に予兆があるはずであり、私と保全責任者のスティーブらはその予兆期間に付近の施設の状況確認や現場調査に赴いている矢先に大規模噴火に遭遇し、連絡が取れなくなってしまったというシナリオだ。

まったくもって「縁起でもない」設定なのだが、3.11大震災発生時も私は県外にいて不在、先週末の大きな地震時は私もスティーブも外出中であり、指揮者不在(いつもいないように見えるが)での災害対策室運営は十分にあり得る話であり、皆シナリオやアクションの確認に余念がなかった。訓練は午後からだったが、我々はスティーブとニューフェイスのタクちゃんと3人で移動災害対策指揮車に乗り込んで、朝から現地に向け出動した。車で1時間ほど走ると標高も高くなり路面は雪で覆われる部分が多くなった。途中の休憩店では、かの山の雄大な姿が・・・天明の大噴火発生時に流れ出した溶岩や火砕流のルートは文献に残っており、周囲12キロ圏で被災の危険性があるのは5箇所ほどの施設である。むろんホントに噴火が起きたわけではないから、現場調査しようがないのだが現地に到着すると訓練開始時間まで道路幅や傾斜、付近の建物などの状況などを確認して動いた。

      

県内をくまなく走り回るにあたり、「滝があったら必ず観覧する」というスティーブとの暗黙の約束があり、途中「●間の滝」という割と有名な滝があったので、寄り道して雪道を少し歩いた。滝巡りは久しぶりだったが大体夏場だったので雪の中というのは初めてだ。「結構、歩くと思いますよ。以前偵察に一人で寄った時には見つかりませんでした。。。」ヘビの大嫌いなスティーブも雪道の中ならもう冬眠していないからかバリバリ歩いて行く。途中なんどか細い木の渡しに雪が積もっている箇所があったので、かなり緊張して川を渡ることになる。夏ならともかく恐ろしく寒いこの行程で水の中に落ちたりしたら一大事である。しばらく歩くと・・・「おーっ」幅のある見事な滝が姿を現した。端っこのほうが少し凍結してきている!全部凍ってしまうのだろうか?もしそうなったらさぞや風情のある景観だろう・・・しかしあまりにも寒いので早々に駐車場に戻り、最初の目的地に向かった。

     

天明3年の溶岩流がやってきたら、間違いなく飲み込まれて沈黙するであろう施設は某ホテルチェーンが経営する別荘地のど真ん中にある。こじゃれたコテージがたくさん建ち並ぶ中で我が方の施設はあまりにも無機質で無粋なので少しは考えたのか、妙な形をしたモダンな色の建物だった。
その近くにとある「観音堂」がある。スティーブが調べ上げてきたのだが、周辺の村一帯は大噴火の溶岩流で一瞬にして飲み込まれ地中に消えてしまったが、高台にあった観音堂の石段15段よりも上に逃げおおせた93人のみが奇跡的に助かったという。「生死を分けた15段」であった。実際にその観音堂に行ってみると、小さな橋の下には埋もれたと思われる石段がまだ続いているようだった。昭和に石段の下に残り35段が現れ犠牲となった遺体が発見されたようだ。祠には発掘された「溶岩流に焼かれた品々」が展示されていた。「あの山からここまで溶岩流が来たらひとたまりもないよねえ」我々は犠牲者に手を合わせ、観音堂を後にした。

      

あまりに寒かったので近所の食堂で鍋焼きうどんを食べていると携帯の災害対策メールが鳴り出した。訓練開始の合図である。移動災害対策指揮車にはポータブルの衛星通信装置があり、通信ケーブルや携帯の基地局が無くてもどこへ行っても通信できるようになっている。これを使用し災害対策本部とホットラインを結んで電話会議に参加することになるが、我々は「遭難」しているから(内緒で)接続し、やりとりをモニタリングするだけである。ぐっさんが私の代理、ミヤさんがスティーブの代わり、KYOちゃんが本部を仕切って、ダミーも含めた各方面に指示を出していた。溶岩流に飲み込まれた想定のビルから数キロのところにある広場に指揮車を停め、各部署から上がってくる状況報告などを聞いていた。現地災害対策本部とするため赤色ランプを回し、車載テントを展開し、太陽光パネルと発動発電機を作動させてみたが、ドアを開けっ放しにするとあまりにも寒いので、すぐに店じまいしてどういう風に乱入しようか作戦を考えていた。

「さーて、オレ達の出番はと・・・始まって1時間半もやることなしかよ。。。何々?『こちら移動災対車の磯辺です。○○山ルートを点検中に大噴火に遭遇しましたが、溶岩流を避け今●●ビルに移動中です』ってたったこれだけ?しかもあんまりカッコいい役じゃないよなあ・・・」
色々とシナリオ外のオプションで揺さぶりをかけようと画策していた。想定では「12キロ圏の外にある我が方の施設に移動し、現場の映像を送信する予定」だったが、違うところに行っちゃうとか、タクちゃんが軽く怪我をしてしまったとか・・・
シナリオは順調に進んで行き、各方面からの状況報告が入っている途中、割り込む形で発言することになっている。
「えー、こちら移動災対車の磯辺です。本部、聞こえますかー?」(ぺぽーっぺぽーっ、ぴりりぴりり・・・ぷーっぷーっ。。。)「あっ、あれ?」

衛星通信なのに電波が突然微弱になり、会議から外れてしまった・・・!何回か接続し直すがどういうわけかつながらない。。。慌てて自分の携帯から電話会議に接続しなおし「いやー、磯辺です。本部?」私がいつまでたっても入ってこないのでホントに「ロスト」してしまったと思ったのか、シナリオは出番を過ぎて進んでしまっていた。そのうちにタクちゃんが車載の会議システムを立上げ直したので、私は自分の携帯でしゃべっている声を少し遅れて車載のスピーカーシステムで聞く、というまことに間抜けなスタイルとなった。
「なんだこりゃ?まったく使えねえなー、この衛星携帯はよぉ」とつぶやいた声まで向こうのスピーカーから聞こえてきた。。。(感じ悪ぅ)
「こんな見通しのよいところで電波の入りが悪いなんて本番じゃ使い道にならないねえ」その後の時々切れたり復活したりを繰り返すので、移動しながら会議の様子をモニターすることにした。

「こちら移動災対室、目的地を変更して●●村役場に到着しました。」「へっ?はあ、了解しました」
いきなりシナリオにないことをしゃべったものだから、本部でも一瞬固まったようだったが、多数の方面から連絡がひっきりなしに入り、どんどんシナリオが進んでしまうので、私のアドリブを「流して」そのまま先へ行った。
「えーっ、本部から移動災対室?移動予定としていた○○ビルには到着しましたでしょうか?」(だーかーらー、さっき●●村役場に来たって言ったろうが!)
「今、●●村役場避難所におります。この車は衛星通信機能を持っていますので、村から貸し出し要請が出ていますがどうしましょうか?」(さあ・・・どうする?)
「えーっ、えーっ・・・ちょっとお待ちください?自治体の担当に確認しますが、そちらに担当が向かっているので・・・」(おーっKYOちゃん、うまくかわしたねー)

ホントに現地にずーっといると帰りが夜になってしまうので、我々はオフィスに向かって帰路についていた。この日2度目の出番がやってきた。
「こちら移動災対室の磯辺です。現地では噴煙が見え、その方面にある●●ビルは飲み込まれた模様です。これからその映像を送信します」「本部、了解です。映像が確認できました。ちょっと画面が真横に倒れてますが・・・」(タクちゃんがカメラを90度傾けていた)
さーて、これから現地の映像により状況をリポートすることになる。むろん噴煙などあるわけないから、アン・シャーリーばりの想像力を働かせて現場の生々しい様子をリポートし始めたら・・・・
「ご覧の通り山頂から黒い噴煙が上がり、溶岩が流れ出していると見えあちこちで山火事らしい炎が・・・」
(ぽぺーっぽぺーっ・・・ぷぷぷぷ)電波が微弱になってしまいこちらの声が届いているのかどうかも分からなくなっちゃった。
「えーっ、途中切れてしまったようなので、もう一度報告しますと・・・」(ぺろぷー、ぺろぷー、がががっ、ぷーっ、ぷーっ、ぷー)「馬鹿野郎、もういいや!」(って声は入らなかったよな)

この衛星通信方式には課題があり、検証が必要なようだ。この多種多様な機能を搭載した災害対策指揮支援車両をどう運用するかも、今回自分に課した検討テーマだったのだが、スティーブと帰り道、「行って見なければわからないこと」について色々話し合った。
「この非常用衛星通信、イマイチ山間部では使えないねえ。役場に行ったら皆が『使わせろ!』って殺到するだろうしねー」自分で勝手にシナリオを変えていながら、あまり意味が無かったような気もしてきた。
「やっぱり最前線から施設の被害状況をリポートするべきなんでしょうね」スティーブは施設保全の責任者なんだから当然の見解かな。
「でもこの車、摂氏1000度の溶岩流に耐えられる装甲は持ってないぜ。ゴジラ84のスーパーX(首都防衛戦闘機)みたいにはさー」
「地震みたいにどこがどうなっているかわからないわけではないから、絞り込んで対策をうてると思いますよ。ハザードマップから点検ルートもわかります・・・。その前に『あんた』を迎えに来た担当に引き渡してからねー」
そうかい、そうかい。足手まといは置いて行くってことだね、スティーブ君。。。

実験用白衣でクッキング

2012-12-11 04:46:28 | 食べ物
(これは先週の話です)
かつて日曜午前に家族で見ていた「世界の料理ショー」、今テレ東で月曜から金曜までの朝8時に再放送しており、その番組ごとのレシピがホームページに掲載されている。番組は52回、つまり毎週放映すると1年分のところを週5回放映しているから、2ヶ月半で終了してしまうことになる。子供の頃は調理方法などについては興味も知識もなかったが、今になってVTRを見ると「聞いたこともない」香辛料は使っているが、特段難しいことをしているわけでもない。どちらかというと時間はかけるが「雑」な作り方だ。世界各地で取材(時には本人のオリジナルアレンジ)された名物料理とはどんなものだろなんだろうか?どの一つをとってみても家の食卓に出てきたことはないし、レストランのメニューで見たこともない。

その味を知るには「自分で作ってみる」しかない。日曜日の午後は天気が下り坂で寒くなるとの予報だったので、このタイミングで前回書いたように実際に製作してみることにした。レシピを見ながらさてどれにしようかな・・・?妻が録画を始めてくれたのは第4話「がちょう丸焼きデンマーク風」からだ。クリスマスに一度だけ鶏を丸焼きしたことがあるが、別にどうということもない、どちらかというと残骸が多いので片付けとかが大変な料理だった。それに加えガチョウというのは・・・ちょっとないな。「マッシュルームスープイタリア風」は手間の割にはメインには少し寂しい気がするし、「フライドフィッシュとたらマリネ タヒチ風」かぁ・・・あんまり酢の物好きでないからビネガーというのはどうもね。「豆ベーコン煮込みオランダ風豆入りオムレツ」がよさそうだったのだが、肝心のオムレツがうまく作れるかわからぬ。。。

ここは(ネームだけやけに長いが)「スプリングサンシャインポーク煮込みタスマニア風」を製作してみることにした。もう一度VTRを早回しで見てみたが、明らかに「大したこと」はやっていない。材料はポーク肩肉、小麦粉、玉ネギ、ニンニク、溶かしバター、ビーフストック、ブーケガルニ?、ピーマン、リンゴ、レーズン(入れない)、片栗粉、塩・コショウである。前日に妻に聞いたら「調味料と粉以外はほぼ全部ない」と言うのでスーパーで購入しておいた。しかし4人前ポーク肉だけで900gだと?まったくかの国の人の胃袋は恐ろしい。。。。ビーフストックはコンソメスープで代用できると聞いた。また溶かしバターなど使ったことはないが、普通のバターとサラダオイルの混合で何とかそれらしくなりそうだ。ブーケガルニというのはパセリの茎と月桂樹の葉、タイムの茎を束ねたものと書いてあったが、何と今はティーバックで売っているのだ。

午後から調理に入るつもりだったのだが、いつものように早朝に目が覚め、「準備だけでも」とごそごそ材料をキッチンに並べているうちに、その気になってしまい、そのまま流れで作り始めた。VTRをセットしてレシピをプリントアウトしてから、まずグラハム・カーのようにグラスにワインを注いでと。。。キッチンに洗いモノがあると気分が乗らないのでざーっと洗い始めると乱暴に行ったせいか洗剤としお湯が茶碗からバウンドして外へ飛び散り、その反動でワインボトルを引っ掛けてしまい・・・わーわーっ、今のなし!慌てて飛び散ったお湯とこぼれたワインを拭き取って、びっしょり濡れたパジャマからスウェットに着替え、上には(今度料理教室に行くことがあったら、エプロン代わりにしようと見学先の工場で頂いた実験用白衣を上にまとった。レシピを打ち出してVTRも流し始めた。何々・・・・?

  

01>あたためた鍋に溶かしバターをいれる。
って冷蔵庫のどこにもバターなんてないじゃんか・・・早朝だし起こすのも悪いから、家にあると思っていた材料を探してみると、どうも片栗粉もないようだ。。。外はまだ暗くてえらい寒かったから慌てて車のキーを持ち、近所の西友まで買い物に走った(よかったー。グラスワインに口を付けてなくて)。私はこの辺の段取りがどうにも悪いのでレシピに則って一応の食材をキッチンに並べておくことにした。別の料理の時に放っておいても焦げない「溶かしバター」の作り方があったのだが、そこまで手間をかけられないのでバターとサラダオイルを混ぜて使うことにしたのだ。

02>肉は脂肪を取り除き、適当な大きさに切る。
もともとカレー・シチュー用の肉を買ってきたので番組のように巨大なブロック肉を切る必要はない。それにしても改めて900gとはものすごい量だ。一番大きい鍋を用意したのだが、肉だけで溢れかえってしまったので、もっとでかいフライパンで代用せざるを得なかった。

03>ポリ袋をつかって、塩コショウを混ぜた小麦粉をまぶす。01に入れ、潰したにんにくも加えて焦げ目がつくよう炒める。
唐揚げを作る時に妻がやっている手法だな。ポリ袋が見当たらず(ゴミ用袋を使うわけにもいかぬので)、肉が入っていた2重ビニール袋の外側を使った。レシピには「適量」としか書いてないから適当に匙に取り、どばばーっと袋に入れて塩・コショウをぶちこみ、揉みほぐしてまぶしてみたがどうも粉が少し多かったようだ。これをバターとサラダオイルの入ったフライパンで炒め始めた。そして番組での見せどころ「包丁の腹でにんにく潰し」である。包丁を寝かせ下にニンニク一切れをまな板との間に挟んで、拳を硬く結び「バンっ」と潰してみた。なるほど、そこらじゅうににんにくの香りが充満した・・・

      

04>焦げ目がついたら肉を一度取り出し、玉ねぎを溶かしバターをでじっくりと炒める。
カーは番組の中で「肉と玉ねぎを一緒に炒めてはいけない」と強調していた。ここは忠実に焦げ目がついた肉を取り出し、同様にバターとサラダオイルでスライスした玉ネギを炒めた。これはどうやらカレーを作る時の要領のようだったので結構念入りに炒めた。

05>肉をもどす。ブーケガルニ(月桂樹の葉1枚、タイムの茎1本、パセリの茎1本)とビーフストック600ccを加え、蓋をして1時間45分煮込む。1時間15分経ったところでピーマンを肉と同じくらいの大きさに切り、入れる。
肉をフライパンにもどすとあふれんばかりの量になり更に炒めるのは困難を極めた。正確の600ccのスープを加えティーパックのブーケガルニを入れて蓋をした。実に簡単な調理である。この間にVTRを見ながらこの後のプロセスを確認し苦闘の末、ガチャガチャになっているキッチンシンクを片付け始めた。ここが「やりっ放し」(たぶんスティーブが片付ける)の番組とは大きく異なるところだ。私は妻に「男は調理しても片付けない」と言われるのが嫌いなので、魚を下ろすときなども「破片一つ残さずに」片付ける。きっちり1時間15分たったところでピーマンを切り、フライパンにぶちこんだ。

        

06>上に浮いている脂とブーケガルニは取り除き、食卓に出す数分前にりんご、レーズンを入れてさっと煮る。溶いた片栗粉を入れかき混ぜ、沸騰する前に火を止める。できあがり!
煮込み始めて1時間40分経過したところでりんごを入れる計画だったが、何と私はリンゴの皮が剥けないことに気が付かなかった。!昔から包丁の刃の近くを握って親指をくいくい動かして皮をむいて行く技が使えないのである。しかし時間がない・・・仕方がないのでなるべく薄く皮の部分を直線的に何回も繰り返しながら切り落とした。だいぶ多くの実の部分をロスってしまった。レーズンはあんまり好きでないから今回はパス。

       

ピーマンのぶつ切りを途中で煮込み足し、直前にりんごを入れるところが「タスマニアっぽい」のかもしれないが、それ以外はカレーやシチューと全然変わらん。。。いかにも味付けが足りないような気がしたのだが、途中なんどもつまみ食いした限り、1時間45分も煮込むと中々シンプルでよい味が出ているものだから、さすが世界の料理研究家だ。そして全体的にかなりトロミが出ているが、レシピに忠実に水溶き片栗粉(カーは水の代わりにその辺にあった白ワインを使ったりする)を少なめに入れてかき混ぜたら、なんと中心部がくっ付いてしまってるじゃないか!?しかし味に支障はないようだ。

我が家自慢のウルトラ皿&ワイングラスを用意して盛り付けてできあがり。うーむ。。。。できあがりを見たところは中々よい見栄えなのだが。グラハム・カーばりの恍惚とした表情でフォークですくった「ポーク煮込みタスマニア風」を口に入れると・・・おーっ、中々シンプルでいけるじゃないか。作り途中の出来損ないカレーみたいな味かと思ったら、玉ねぎとピーマンがうまい具合に香りを醸し出し、りんごの酸っぱさがアクセントとなって人に食わせてもおかしくないテイストのようだ。しばらく満足げに食していたが、しばらくして首を傾げた。確かに味はよいが、カレーのように「ワシワシ」がっついてお代わりするようなものではない。つまり腹一杯食べるようなモノではないようなのだ。どちらかと言うとそこそこ値段のする立食形式の懇親パーティで小皿に取り分けてグラス片手に嗜む程度のモノかなー。

    

作ったのは4人前で息子は少し食べて「中々うまい」、妻は食べたらしいがコメントなしで、結局2日がかりで私が全部責任を取る形になった。赤ワインを片手にディナーとしてはそれほど悪くないものだったが、反省点は3点。
まず、小麦粉が多過ぎて肉の周りに余計な衣のようなものが付いてしまったこと。次に番組ではグラハム・カーがジョークを言ってCM後には出来上がっていたが、1時間30分煮込む間はたまにかき混ぜなければならなかった。そして最後に、これだけ時間をかけて煮込むと自然にトロミがついていい感じの食感になるので、片栗粉は不要である。おまけだが、最後の一皿はカレールーを入れて温めたら、実に美味かった。。。
「世界の料理ショー」メニュー、実験用白衣クッキングはまだまだ続く・・・

大阪の街

2012-12-08 06:32:05 | 旅行お出かけ
全国イベントの日、前日の夕方に大阪入りしたのだが、懇親会までは2時間以上も時間が空いていた。地元の赤ちょうちんで軽く一杯、という「一人飲み」ができない私は取りあえず来年受験の息子のために「学問の神様」という大阪天満宮に向かった。地下鉄の駅を降りて地上に出ると日本一長いと言われる「天神橋筋商店街」を歩き、あまり目立たない標識を曲がるとちょっと地味な社が現れる。学問の菅原道真公が大宰府に左遷される時に途中立ち寄ったといういわれがある。自己の利益のための神頼みをよしとしない私は、むろん3000円もする学業成就などは購入せず、「外堀」を固めてやるため「厄除け」のお守りと「鉛筆」だけ購入した。日が暮れて大阪の街はやたら風が冷たく寒くなってきた。
        


その後再び移動し大阪城公園駅で降りた。実は大阪環状線の隣駅「森の宮」という駅から15分ほど公園沿いを歩いたところに西日本エリアの拠点があり、これまで何度も訪れたのだが一つ手前の「大阪城公園」で降りるのは初めてだ。もう真っ暗になっていたが、公園内はジョギングする人や散歩するカップル、帰宅途中の人などが結構歩いていた。ものすごく広い公園だ。桜や梅林など季節の楽しみも多く、歴史的な施設もたくさんあって昼間だったら色々見所があるのだろう。豪華絢爛の安土桃山時代、歴史のヒーローたちはこの地でどのように想いを馳せたのか?ベタなのだが行ったことがないので大阪城天守閣の展示を見ようとしたが、閉館時刻を過ぎてしまっていた。ところどころ美しく紅葉し、天守閣そのものもライトアップされていた。大阪市内を一望できる広大な公園でその中心からの眺めというのはまさしく天下人の眺めなのだろう。それにしても大阪では車内マナーの呼びかけに懐かしのキャラクターをたくさん使ってるんだな。

            

環状線で大阪まで戻ることにした。新名所「梅田スカイタワー」で開催されている「ドイツクリスマスマーケット」を見るためである。本場ドイツからクリスマスのマーケットが丸ごとやってくるイベントらしい。何せエントランスのアーチからしてドイツ語で、その向こうにメリーゴーランドがある。スカイビルの空中庭園がすごく巨大なのであまり目立たない気もするが、シンボルのクリスマスツリーは高さ27mで世界最大級らしい。会場にはドイツを代表する工芸品や温かいグリューワイン、香り豊かな焼きソーセージなどの飲食物を販売するヒュッテ(小屋)がたくさん軒を連ねていた。小さな可愛らしい小屋でたぶんドイツ人のコックが独特なお菓子を製作していた。ミュンヘンのオクトーバーフェストを思い出す。このマーケットは20回くらい開催されているらしく年々豪華になっているようだが、とにかくカップルが多く(当たり前か!)、一人でほっつき歩くには落ち着かないゾーンだった。

          

さてその梅田スカイビルの地下1階に地味だが中々面白いところがあった。滝見小路という昭和中期時代を再現したレトロなゾーンである。地上の華やかなクリスマスムードとは正反対の雰囲気でものすごいギャップがまた興味深かった。入り口に滝見交番があり、いきなりビクターの犬の出迎えを受ける。看板にあって知ったのだが、あの首を少し傾げた犬、名前は「ニッパー君」というんだな。中学の同級生に「家にビクターの犬が3匹いた」というのを聞いて驚いた。むろん売り物ではないと思うから、今だったら鑑定団に出せばかなり「いい仕事」としてかなりの値がつくのではないか?!新横浜のラーメン博物館あたりがハシリかもしれないが、最近昭和時代の横町や街の情景を再現したゾーンがあちこちで見る。自分達が戦後の昭和ど真ん中だったこともあるが、「昭和は良かった」という言葉をよく聞く。平成も悪くないと思うんだが・・・江戸時代で言えば上り調子の「元禄文化」と下降気味の「化政文化」というところか。。。

    

この滝見小路、壁の張り紙とかちょっとした飾りなどホントに当時(って言うかその時は生まれてないけど)をよく再現している。あまりお店の写真がないのは、すごいことに一軒一軒ちゃんと入って飲めることだ。中にお客さんがいるから店そのものを写すのはためらわれたのだ。さすがに値段も当時というわけにはいかないが、カレーカツ丼やらチーズカツ丼、キムチカツ丼などゲテ臭プンプンのメニューが盛りだくさんだった。その中のいかにも「昔の赤ちょうちん」ぽい店があって、勇気を出して入ろうかと思ったが、中から聞こえてくる盛大な関西弁に気押されてやはりダメだった・・・おーっ、ぱっと見C3POとR2D2を混ぜたような昔の公衆電話があるが、これもホントに使えるんだからすごい。さすがにヘリで上空から妻に無言電話という気にはならなかったが・・・

      

大阪行きの少し前、たまたま「ALWAYS三丁目の夕日64‘」を見たばかりだったから、地上の華やかさよりも「昭和の街」の方が親しみを持てた。三丁目の夕日64’はALWAYSシリーズの3作目で「昭和」を長く生きた人ならだれもが共感、感動を覚える映画だと思う。赤い頬で青森から上京してきた「ロクちゃん」もパートナーを見つけて鈴木オートを出ることになり、向かいの小説家に転がり込んだ淳之介は東大受験を捨てて小説家を目指すことになる。新幹線が開通し「東京オリンピック」が開催され、近所には東京タワーがそびえる・・・日本の戦後復興・高度成長を象徴するような年である。街には活気が溢れ、誰もが上を目指し、豊かになって行くことを疑っていなかった。その中で「それだけが幸せではないだろう」というシーンや昔から変わらない「親心」みたいなものに痺れた。

大阪駅の梅田側は今大々的に再開発しているようで、最初どこをどのように歩けば梅田スカイビルに行けるのか全然わからなかった。もしかしてまだ建設中なのか?とも思った。今回は夜ほっつき歩いただけなのでよく分からなかったが、明るい時だったらもっと色々なことが見えて面白かったろう。電車も使ったが携帯の歩数カウンターを見たら17000歩!普段の倍くらい歩いた。何か一つ大阪名物でも腹に入れたかったのだが、ラーメン屋と牛丼屋以外一人では入れない私は諦めて懇親会会場に向かったのだった。

新幹線の車窓から

2012-12-06 22:24:29 | 旅行お出かけ
年に一度全国的な会議(検討会とも言う)があり、大阪へ1泊出張した。会場は東京、大阪交互に持ち回りとなり、今年は大阪開催だったのだ。関連する会社の幹部や関係者が数百人集まるスケールの大きなイベントである。本会は1日の開催なのだが前々回くらいから主催側とは別に前夜の懇親会というのが設けられるようになった。当日も正規な懇親パーティがあるのだが、遠方から来ている人は帰れなくなるので事務方と周辺からの参加者だけの会となっているようだ。前日は自宅から職場へは行かずに、品川で打合せを済ませ、知人と昼食をとってそのまま東海道新幹線に乗り込んだ。というわけで、東京大丸デパ地下の「男弁当」デビューはまたの機会ということになった。山手線も京浜東北も東海道、横須賀線もぜーんぶダブっているのに、何故品川に新幹線を停めなければならないのかよくわからない。  

  

新幹線など通勤で毎日乗っているので何も珍しいこともないが、やはり「東海道新幹線のぞみ号」となると少し気分は違う。何せ子供の頃から大好きだった「ビュワーン、ビュワーン〜」の「青い光の超特急」だからである。(この歌知ってる人いるかなー)
同じ「まるいひかりのボンネット」の0系車両だが、私は「こだま号」しか乗ったことがなかった。両親が富山の帰省する時に、小田原−米原経由の北陸線コースだったので、当時名古屋と京都しか停まらない「ひかり号」は使えなかったのである。今よりも本数が少なかったと思うが、浜松あたりに停車している「こだま号」の席で、後からやってくて風のように通過していく「ひかり号」をいつも羨ましそうに眺めていた。実に「ひかり号」デビューは成人してから学会発表で神戸を訪れるまで待たなくてはならなかった。

この時乗った初めての「ひかり号」は丸顔の0系とは異なり、目の細い「イケメン」系の車両である。これまでの丸顔は「こだま号」、少しとがってカッコイイ方が「ひかり号」で「新幹線とは何ていいものなんだろう」と大人になったことを喜んだ。0系も100系も目は違うが同様のデザインだったのに比べ、子供が(たぶん大井)新幹線車両基地で新型の車両を仲間に伝えるCMで出てきた「のぞみ号」用の300系が登場した時の衝撃はゴジラシリーズに「キングギドラ」がデビューした時のように大きかった。たしかこの車両で初めて時速270kmを出したはずだ。別に新幹線の車両にそれほど興味はないが、「銀河鉄道の999ではない宇宙列車」を思わせるシルバーの500系、そして今のあひる顔に近い700系が現れ、東海道新幹線はほとんど最新のN700系しか見なくなった。

さて滅多に乗らない「のぞみ号」だが、座席は必ず山側の「E」席を注文した。むろん絶景を見るためだが、どういうわけかここ数年、新富士駅手前の見事な光景は拝めたことがない。。。その日も朝から小雨が降っており「こりゃー今日もダメだな・・・」などとがっかりしていた。「のぞみ号」は小田原を通過する辺りから突然にスピードアップするようだ。三島駅を過ぎるとあっと言う間に山間を抜けてあの雄大な富士山が現れ、新富士駅を過ぎるともう見えなくなってしまう。天気が回復したのか青空の中に少ーしだけてっぺんが見えた。実はこの雄大な富士山を眺められるという点以外は、山側の席というのはあまり面白い景色に乏しいような気がしてきたが、快適に飛ばして「名古屋」へ到着。手前に進行方向左に見えた、あの「侍ジャイアンツ」で大豊万作が通過中の新幹線をも超す場外ホームランを放った中日球場はなくなってしまったのか?!おーっこれが、かの「セントラル・タワーズ」か・・・そして駅前に巨大なビルが建ち並び、古都の風景を全く臨めなくなってしまった京都を過ぎると新大阪まではあっと言う間だ。途中で山間に小さな虹が見えた。新大阪駅からはJR西日本の新幹線が発着している。今は鹿児島まで直通で行けるようになったんだな。ちょっとピンクがかった車両で名前は「さくら」か・・・いつか乗って見たいものだ。

        

そして翌日・・・・午後の部は休憩を挟んで顧問弁護士の講演等プログラムがあったのだが、翌朝も早朝で帰宅を深夜にしたくないので、自分が関係する発表を聞き終わると、途中で会議場を抜け出し帰路についた。指定席券などとっていなかったので、一番早い「ひかり号」に飛び乗った。「のぞみ号」で新横浜まで行った方が多少早いのだが、何となく久しぶりに京都、名古屋以外の駅にも停まってみたくなったのである。今の「ひかり号」は名古屋-新横浜間で微妙な駅に停車する。私の乗ったヤツは浜松と静岡に停車する列車だったので、途中で「こだま号」に乗り換え小田原まで行くことにした。夕方も近いというのにどちらも自由席はガラガラだった。新大阪を発車して名古屋を出た後、眠くなってうつらうつらしていると、車両全部の電光掲示板に「ただ今、○○駅を通過。」と現れた。おーっ、ここが親愛なる小夏師匠の居城のある街ではあるまいか?!慌ててIXYを取り出したが、ひかり号も時速250km出すのであっという間に通過・・・意味不明な風景しか撮れなかった。。。

          

さてこの機会に小夏師匠が私への「挑戦?!」ともとれる素朴な疑問を発信していたので、知っている限り書き留めることにさいよう。サイトに直接書き込もうとしたら字数大オーバーで断念。。。
★旅客機とF15戦闘機なら後者の方が速い?
おっしゃる通り!旅客機の巡航速度は風向きによって異なるが、時速800km〜900km(マッハ0.8くらい)、F15イーグルの最高速度はマッハ2.5だから3倍以上速いことになる。ただしF15のマッハ2.5は設計限界値で搭載する装備によってとてもここまでは出ないと思われる。
★では、ウルトラマンとF15戦闘機では?
初代ウルトラマンなら飛行速度はマッハ3なので辛うじてウルトラマンの方が地球では速い。M78星雲までの距離は300万光年(1光年は9兆5千億km)だからそのスピードで飛ぶと1兆年近くかかってしまう計算になる。おそらくワームホールか時空を超えた移動手段を使っているに違いない。また怪獣を倒した後、空に飛んでいくのは人知れず地球人の姿に戻るためであって、M78星雲に帰るわけではない(たぶん)。地球上では急激にエネルギーが消耗するので3分しか活動できないが、その都度星雲に帰るわけではないからその分を温存する必要はない。
★ウルトラセブンは3分ってくくりはない?!
おっしゃる通り!ウルトラセブンは地球を守りに来たのではなく、星を観測する「恒点観測員340号」という役人だった。よって地球防衛の戦いで消耗するエネルギー管理のためのタイマーは必要なかった。(「マンとセブン」と続いた時点では双方に後々「兄弟」として活躍する想定がなかったのでデザイナーの都合で無くなった。というのが実話かなー)

しばらくして「ひかり号」は浜松駅に滑り込んだ。ホームに下りて「こだま号」を待ったが、15分くらいある。何か「浜松名物」はないか?と地下コンコースを歩き回ったが、「夜のお菓子」と「うなぎ弁当」くらいしか見当たらなかった。その間、2本ほどの「のぞみ号」が真ん中の線路を通過していったが、この浜松駅、見るとホームがカーブしていて、しかも真ん中の線路はかなり傾斜していることがわかる。実はここでは数年前、研究所勤務時代に同様に大阪で合同打合せを行い、帰りに台風にあって天竜川が氾濫し「のぞみ号」が足止めを喰らったことがある。JR東海も気が利かぬというかシステム制御上の問題かもしれないが、せっかく浜松駅に停車したのに停まったのは真ん中の通過用線路・・・これじゃあ、降りられねえじゃんかよ!待つこと数時間、車内販売のお酒を全て飲み尽くしてこの時ばかりはホームに停車中の「こだま号」がつくづく羨ましかった。何せ高速で進行するからカーブで傾斜がかけてあるのだが、静止するとかなりの角度で傾いたまんまなのである。(あれはホームから見ていたらかなり間抜けだったと思われる)

      

浜松駅に同じN700系の「こだま号」が滑り込んできた。やはり「こだま」は丸顔がいいなー。。。しばらくするとスピードを上げたが、速度だけ言えばどうも精彩を欠くようだ。たしか時速200kmまでしか出さないんだっけ?しばらく走るとすぐにスピードを落とし「掛川」という昔はなかったような駅に到着した。その次は静岡だが夕方近くになって雲が多かったから、富士山は諦め手前で海側の3列シートに移動した。と、前方に白い雪を冠った富士山発見!へーえ、驚いたことにこちらからでも見ることができるんだ。ってえことは、2列E席に戻らねば!お土産とリュック、コートを持って慌てて車内を3列シートから山側に移った。しばらくすると、ちょっとてっぺんのほうが隠れてしまっているが、見事な富士山が大アップで現れた。そして「こだま号」はスピードを落とし、新富士駅のホームに滑り込んで停車した。そうだ、いつもは時速250kmで通過してしまうのだが、各駅停車だからあの見事な姿を立ち止まって見ることができるのだ。ホームに入る前、ホームから、そして発車してからとそれぞれ雄大な富士山を堪能したが、どうもちょっと様子が違う。富士山がいつもよりも尖っていて「怖い」のである。優しさに欠けるというか、眉間に皺ができたような気難しい顔をした富士山だった。私はどういうわけか「富士山」の夢をよく見るのだが、大抵は何かすごく恐ろしい夢なのだ。それに出てくるあの怖い山に近いがやはり迫力はあるものだ。
三島駅を過ぎてトンネルばかりになり、熱海の海が見えてきた。沖合いには初島が見え、ここまでくると妙に懐かしく、庭に帰ってきたような気分になる。数え切れないくらい乗り過ごして苦渋を舐めた小田原駅で東海道線に乗り換え、夕食には間に合うように家路についたのだった。

            

日曜午前の料理ショー

2012-12-02 09:02:41 | 食べ物
子供の頃も少年野球や部活で休日は忙しかったはずなのだが、何故か日曜日の午前中はテレビ番組を家族でよく見ていた。今のようにアニメや「スーパーヒーロータイム」が無かった頃だ。家には居間にテレビが1台しかなく、朝起きてご飯を食べに行くと父親が見ていたのが「時事放談」である。結構早い時間だったと思うが「細川隆元」氏と「藤原弘達」氏が意味不明な話を難しい顔をしながら議論していた。たぶん他の人にも多いと思うが「じじいの放談」だと思っていた。このよくわからない早朝番組の後は「兼高かおる世界の旅」を皆で見ていた。この人が一体何者なのか謎だったが、話し方が上品でどこの国か知らないが5ヶ国語がペラペラと聞き、番組の中で外国人ばりのユーモアがすごくカッコイイと思っていた。「世界の旅」が終わるとそのまま意味なく見ていた「世界の結婚式」に流れ遅い朝食が終わるような日曜の朝だった。

また野球をやっていたから変な歌のCMが頭にこびりつく「ミユキ野球教室」も時々見ていたし、欽ちゃんの「スター誕生」もチャンピオン大会みたいな時はよく見ていた。たぶん今のように「さあ出掛けるぞー」と張り切るようなこともなく、時間はゆっくり、家族はまったり過ごしていたような気がする。だから時間帯ははっきりしないが、なべおさみさんの「いきものばんざい」や「マチャアキ海を行く」なんて番組も何となしに見ていた。しかしどうにも印象強かったのが東京12チャンネルの「世界の料理ショー」だった。GG(Galloping Gourmet)とGが二つ
つながった番組ロゴが現れると何となく、またテレビの回りに集まってきたものだ。私は当時は料理そのものには何の興味も無かったが、そのトークのあまりの面白さと試食する際の恍惚とした表情に憧れて、家にいる時は必ず見ていた。

       

主演はグラハム・カー、いつも軽快な音楽に乗って走るようにスタジオに現れ、ワイングラスを片手にとってオープニングトークに入る。これが全く料理とは関係ない、ただの小話なのだ。「ルーシー・ショー」や「奥様は魔女」のようにジョークの合間合間に観客(おばさん?)達の笑い声が入るのも海外バラエティのお約束である。グラハム・カーご当人のジョークを聞いたことはないが、吹き替えしている人の話が実に面白く、アドリブもたくさんあったと思うのだが、ホントに本人がそう話しているんだと思っていた。(ルーシー・ショーも奥様は魔女もそうだった)
料理中のトークを聞いていると、この番組のプロデューサーが主演の妻だと思われる。「なーんたって、ダーリンがこの番組編成してるんだからね」(欧米では妻のこともダーリンと呼ぶのか)というセリフが出てくるから。

          

グラハム・カーは登場して現れる字幕には「料理研究家」ということになっており、世界の各地に赴いて料理について取材し、その料理を時には自分風にアレンジしてキッチンスタジオで再現していく。毎回紹介される料理は「●●(素材)の○○(調理名)■■(地方名)」というスタイルをとる。「ローストポークのパインソース ジャマイカ風」ってな感じである。この例を見て分かるように「世界各地」と言うだけあってか、およそ「聞いたこともない」料理ばかりだ。家族が揃って言えにいるときは必ず見ていたような気がするが、一度として食卓に出たことはない・・・確かに「キジの丸焼きカンバーランド イングランド風」?「ラムもも肉キドニー詰め オーストラリア風」?日本人で食べたことのある人が何人いるだろか?タイトルだけ見ていてはどんな料理だか想像もできない。。。ただ恐ろしく高脂肪、高カロリー、高コレステロールの3Kメニューで今世間の料理家がみたら卒倒するようなものだと思う。

           

グラハム・カーはエプロンをせずにネクタイにシャツ姿でワイングラス片手に調理する。手を動かしながらのジョークは手順などそっちのけになるほど面白いが、調理そのものはいたって雑である。肉や野菜の切り方もいい加減で大きさも揃うことがない。そしてこれまたあまり聞いたことのない香辛料などが登場する。私だけかもしれないが、クローブ、キャラウェイの実、ベルモット、タイムの茎などなどである。瓶からとんとんと入れずに、一度手のひらに必ず乗せてからパッといれる。ニンニクを包丁の腹で「バンっ!」とつぶし、そのまま包丁で鍋に放り入れる。溶かしバターをスープのように大量に使い、煮込み用のワインなどボトル半分以上もドボドボと注ぎ込む。日本の料理番組のように調味料が透明なカップに入っていたり、鍋の中が見えるように丁寧に炒めていくようなことはない。 40年近く前だったと思うが、キッチンは極めて近代的だった。欧米らしい巨大な2連オーブンと今でこそ普通になったが両扉開きの大型冷蔵庫を完備し、調理器は電気熱を利用していた。 またまな板の上でみじん切りにした食材を「人体真っ二つショー」で使う箱にぶっ刺す刃の広い金属板のミニチュア」のような器具でさーっと集め、鍋にぶち込むすがたがカッコよかった。(アレ、今度自分用に買ってこよう)

    

そしてこの番組になくてはならないのが、姿なきスタッフ「スティーブ」である。「おいスティーブ!これ、いつもの缶詰と違うじゃないか。」「スティーブのヤツ、こんなところに丸ごと入れやがって・・・」時々いたずらもするスティーブとの掛け合いに観客は大喜びだが、何故か彼は決して顔を見せない。。。実在するのかどうかも疑わしいところがある。
このスタッフこそ、このサイトで我が職場に登場する「スティーブ」の名付け元になったのである。一応ルックスだけから言うと、かの「スティーブ・ジョブス」ということにしているが、「裏方で色々段取りや準備を進めてくれ、時々何かやらかしてくれる」という意味で姿の見えない「「スティーブ」をイメージしているのである。(ホントはもっと頼りになる大先輩で、だいぶイメージが異なるのだが自分の中では定着してしまったのでそのまま使うことにした。)

日本人らしい繊細さのない盛り付けだが、何故か食欲をそそられる料理が完成すると会場のテーブルで観客の前で一人試食する。この時の美味しそうな顔と言ったら。。。グラハム・カーはこれだけで名優の称号に値すると思う。私はこれほど幸せそうに恍惚とした顔で料理を口にする人を未だに見たことが無い。職場で同輩(と言ってもあまりいないのだが)に聞いても、意外に子供の頃この番組を見て、食事がごちそうの時はグラハム・カーの真似をして頬張っていたという。
番組の終わりには材料と簡単なレシピを復習してくれたのだがさすが現代、テレ東で再放送が始まると早速ホームページに全料理のレシピが登場した。
http://www.tv-tokyo.co.jp/ryouri_show/
えっ?TVからなんでこんなに写真撮ってるのかだって?もちろん自分で作ってみるためだ。乞うご期待!