超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

夏の終わりのホビー尽し

2015-08-30 10:37:04 | ホビー
ウルトラマンフェスティバル会場を出て駅に向かう途中入ったラーメン屋で何やらにやにやしている甘辛とともに池袋から一旦赤羽に逆行し、川崎駅に向かうため上野東京ラインに乗り込んだ。開店と同時の時間ですでに店頭で並んでいた妻と合流し、待ち時間なしで入店できた。入口でいつもの説明(防衛軍隊員とウルトラ戦士は入店できない)を受け甘辛は「真実のジャミラ」の口に手を入れる。「パパのウルトラセブンは危ないので、手を入れてみてください。噛みつかれたらアウトです」苦笑して手を入れると「おー、こりゃー、ジャミラの鳴き声じゃんか・・・」甘辛は早くもテンションが上がる。案内されたのは初めて入る「光の国/地球戦力研究室」である。「こりゃー、すげえや」甘辛は店内を歩き回り、頭上に流れる「怪獣たちが飲んだくれる」VTRを飽かずに眺めていた。テーブルのグラスケースには防衛隊の超兵器群、壁には防衛秘密基地やウルトラ兵器の要注意点などが掲げられている。しかしちょっと見、ものすごいコレクションのように見えるが「よく見たらコンドル1号以外全部オレんちにあるじゃんか・・・?!」「いや、飛び道具はない。マルス133なんか10万円くらいしたような気がする。とても手が出せねえよ」

    

怪獣酒場は2回目となる妻だが「この店のインテリアや小物考えた人、すごい人だよ。甘辛もここまで考えつける?」壁に掛かっていた額縁の中には大昔の「てれびくん」にあったような「科学特捜隊基地のひみつ」「ジェットビートルのせいのう」など子供向け図解の2ページが古文書のように保存されていて、「さる地球人からリークされた極秘情報」などと銘打ってあるのである。ここは地球侵略するために宇宙人たちが地球防衛軍の戦力を研究する場所、つまりかの超兵器の性能や内部構造などは必須の機密情報なのである。確かに何度きても見尽くせないほどディティールがマニア垂涎のニクい演出となっている。鍋物に使うボンベは火山怪鳥バードンの嘴がつき、レジの「忘れ物」にはタッコング様のひれ、アーストロン様の尾っぽ、天井を仰ぐと「ちょっとこれ売ってないの?」と店員に聞きたくなるようなウルトラゴージャス熊手・・・「会社辞めたらこういう店、プロデュースしてみたいなー」

                

前回、同窓生で訪れた際も行ったが、今「怪獣フェスタ2015」として宇宙人・怪獣連合の会長選挙を実施中である。使用したコースターの裏に20人(体?)の候補たる宇宙人・怪獣の名前を書いて投票BOXに入れるのである。かのメンバー含めて誰でも知っている有名どころ、女性だったら「よく知ってるね」と感心できるレイヤ、ウルトラ世代の男子だったら「これくらい知ってるよね」とプレッシャーかけるレイヤ、「ぎゃーっはっはっは、父ちゃん、ペロリンガ星人なんて入れる人いるのかよ?」と鼻で笑う我々父子レベルの4段階くらいある。中間発表では目下の第一位は有名どころの「メトロン星人」のようだ。彩色が美しいのと魚クンのようなトボけた顔が「かわいい」という評判らしいが、侵略方法そのものは「タバコの中に『宇宙ケシ』の実を仕込んで『周囲が皆敵に見える』という薬物作用を利用して人類同士を戦わせ自滅させよう」という実に論理的でエグい作戦だったのだ。モロボシ・ダンと生宇宙人姿のメトロンが畳の上でちゃぶ台を挟んで対峙するあまりにも有名なシーン、高度成長期の公害に満ちた退廃的な工場周辺の描写や「水に写す」という独特な映像効果、そして「人類はまだ宇宙人に狙われれるほどお互いを信頼していない」という、締めのメッセージ・・・どれをとってもウルトラセブン(いやウルトラ史上)屈指の名作と言えよう。

  

この夏最後の「ウルトラ三昧」を某SNSサイトに載せたら、怪獣酒場に関し「また言っちゃったの〜」と反応した女子がいた。「怪獣酒場」というのが不思議だがたぶんあの場が初めてお会いして、山ほどお土産を買いこんでいた人だ。ご自身もかなりお好きでかなり高額なデラックス版怪獣図鑑を購入していた。その彼女からの「子供たちと『いいな』って思う車の話に『フォルクス・ワーゲンバス2』が登場し、メトロン星人の話に出ていたのをネットで知ってびっくり!」というメッセージに我々と同等水準の香りを感じた。タイトルは「狙われた街」、メトロン星人の人間を狂わす赤い結晶体仕込んだタバコを自販機に補充しにきた時に使用したワゴンが「フォルクス・ワーゲンバス」だったのである。ちなみにこの赤い結晶体は「帰ってきた怪獣酒場」で販売しており、彼女もたしか購入していた。ウルフェスにあったステッカーでメトロンおちゃらけデザインがあり、サブタイトルは「いい幻覚(ゆめ)見ろよ」・・・このニクい演出が最近多くマニアにはたまらない。怪獣酒場は「怪獣憩いの場」であり、ウルトラ戦士との戦いを振り返り、ある時は作戦を練り、ある時は反省会、またある時は単なる愚痴のぶちまける場なのである。

         

超人気店なので席は2時間制とされており、あっという間に退出時間となって名残惜しくも「研究室」を後にした。我々は限定グッズ販売コーナーで新しいアイテムを物色し始めた。ウルフェス帰りの甘辛は例の「エクスデバイザー」を買っているから、あまりあれこれ騒がない。実は最初にこの店を訪れた時に妻はおそらく先の怪獣好き彼女を超える買い物をしていたので、目新しいものは少なかったようなのだが、新商品のTシャツを眺めて妙に気に入ったような雰囲気だった。シルエットだがダダがカクテルを運び、バルタンがワイングラスを持ち上げる・・・アニメ「怪獣酒場カンパーイ!」からのデザインのようだ。結局ジャミラのカレースプーン(ちょっと赤い目が怖い)を購入していた。私は新作の「怪獣酒場Tシャツ」を購入したが、これを見た妻は「タンスが溢れかえってるんだから、一枚買ったら一枚捨てるんだからね!」確かにかなりへろへろになっているものもあるが、もはやどこにも販売していない(買う人もいない?)レアアイテムである。

        

その翌日、母親に勧められて甘辛は志望(するかもしれない)大学のキャンパスの足を運ぶことにした。部活引退後慰労の意味もあった「ウルトラ三昧」だったが、一応受験生の身分であり、これに相応する行為をこの夏休み何一つしてこなかったのである。オープンキャンパスは既に終わってしまっていたが、関係資料や学部紹介パンフレットをもらって学内を歩き回ってくる。どこにも行く予定がないが、遅めの夏休み休暇を取っていた私は台風接近に伴い波乗りに行くこともできず、そこそこ涼しいので「帰りに秋葉原を物色する」という条件で付き合うことにした。母校と受験校以外の大学キャンパスには資格試験の時くらいしか足を運ばないので多少興味があることはあった。見学等受付である入試課に行くと手慣れたもので、セットになった関連書類とマップを広げ「講義を行っている教室もあるので原則建物内は見学いただけませんが、図書館、サイエンスプロムナード、生協などは中に入っていただけます」母親は「自分の目で見て雰囲気を感じ取る」ことが大事と思っているらしいが、当の甘辛はキャンパス内を二人乗りしている男女を見て「何かリア充多くてむかつくなー」とぶつぶつ言っていた。(そういうところを見るんじゃなくて・・・)

帰りに久々に寄った秋葉原「まんだらけ」ではウルフェスであまり目立った掘り出し物がなかったこともあり、かなり気合を入れて物色した。彼は彼でイベント限定のレア物を(あまり感心しない2次元系だが)探しているようだった。最上階までエレベーターで行って順番に階段で降りながら各階を偵察するが、入口でいきなり私は考え込んでしまった・・・うーむ。特大40cmフィギュア「ウルトラマンティガ」が3000円だと・・・?ティガが特別人気がないわけでは決してないが、この類の大型フィギュアだと大体1万円を下回ることはなく、こんな破格値は初めて見た。その下の階では銀河鉄道999の「戦士の銃コスモドラグーン」シリアルNO.4エメラルダス用が5000円・・・いつも気になってはいたのだが、超合金地球防衛艦隊旗艦「アンドロメダ」が25000円(これはないな・・・)クレーンゲーム景品の超ビッグフィギュア「ウルトラマン」3000円を見て、「父ちゃん、これ玄関にあるヤツだろ?結構するじゃんか。オレんちのコレクションにかなりレア物もあるんじゃねえか?」「(何を言ってるんだこいつは?あれは『オレんち』ではなく『オレの』だよ!)」と思ったがここは大人の余裕で「飾ってあるだけで、ちゃんと保存はしてないからな。あまり価値はないだろ」

甘辛が探していたのはイベント限定2枚組CDだったらしいが、どうもようやく見つけたのはさらに小冊子付の特別限定版だったらしく、「予算オーバーしちゃってるよぉ・・・」と嘆いていた。私は知らん顔をしてプレステ2の中古ゲームソフト「松本零士999の世界」を手に取っていたが、「これ、たぶんどこにもないよなー」とわざとらしくつぶやく甘辛に「いくら足りねえんだよ?」「1500円」手にしていたパッケージを見ると何と1500円!甘辛が隣でにやりと笑ったような気がした。「わかったよ!オレの999の分、1500円出してやるよ!」まんだらけの出口でもう一度立ち止まり「なあ、甘辛よ、ティガのビッグフィギュア3000円ってどう考えても安いよな・・・」私はもう一度エレベーターに向かおうとしたのだが、仮にも進学に関わるキャンパス見学に行って帰りに巨大なフィギュアの箱を抱えて帰ってはいかにも妻が嘆きそうだったから、ぎりぎり思い止まったのだった。

前回に続き、ウルトラホビー系の話題だったが、この夏は地元の同級生や家族などとともに不思議なきっかけでウルトラ、怪獣、アニメなどの話題がやたら多かったような気がする。また我が家だけでなく(考えてみたら自然だが)同年代の特に女子にもウルトラ好きで話題の通じる人がたくさんいることも分かった。考えてみれば我々の世代は男子にしても女子にしても、その子供も同じウルトラ・怪獣などで盛り上がれるドンピシャ二重らせんDNA世代である。ウルトラマンフェスティバル2015のチケットをネット購入しようとして見つけたがとうとう「おじいちゃん・おばあちゃんとウルフェスへ」という触れ込みでその名も「キングチケット」という特別割引券が登場した。とうとうここまできたか・・・いずれ甘辛に子供ができればむろん、親子3代でウルフェスある限り足を運ぶことになろう。ウルトラショットは今回セブンの息子「ゼロ」だったが、親子三代となると私はいよいよ伝説の長老「ウルトラマンキング」のTシャツ(そんなのあったっけ?)でポーズをとらなければならないかもしれない。


夏の終わりの怪獣尽し

2015-08-27 20:23:21 | ホビー
7月後半から8月上旬くらいまで鬼のように暑かったこの夏も(意外に灼熱期間は短く)終わろうとしているかのごとく最近は涼しい。甘辛の最後の高校サッカー大会に合わせて夏休みなどをスケジューリングしていたから、家族でどこに遠出することもなく休み期間は終えようとしている。特記するような大きなイベントもなく、通常の休日と同じような過ごし方だった。ブロック代表戦を予定していた日は残念ながら甘辛達が負けてしまい、部活卒業が決まってしまったのでフリーとなったのである。本人のモチベーションを慮り、さすがに「終わった後のこと」は予定していなかったが、卒業決定とともにすかさず言い出したのはウルトラマンフェスティバル2015である。「やはり我が家はこれがないと夏が来た気がしねえべ」そしてついでだから池袋帰りに意外にも甘辛は初入店であった川崎の「帰ってきた怪獣酒場」で妻と合流することになった。まさに「夏の終わりのウルトラ怪獣尽くし」である。

ウルフェスは私が入社した年くらいからほぼ毎年開催され(何度か無かった年もあった)、私はほぼ全回訪れている。唯一行けなかったのは甘辛が生まれた年で彼は7月生まれのため、開催期間が完全な乳児で新生児とも言ってよい時だったから、母子共に外に出られなかったのである。その後何年かは家族で訪れたが、甘辛が物心つき私並みのウルトラ知識を得てからは父子二人で行くようになった。
ウルフェスは夏休み期間に第1部(概ね8/10前後まで)と第2部があるが、部活が忙しかったものの行ける時には2回通ったこともある。会場となるサンシャインシティの入口にはこの季節、大きなウルトラマン像が現れ最初の記念撮影ポイントとなっているが、今年は最新ヒーロー「ウルトラマンンX」に登場する防衛チームの特殊車両が同時に展示されていた。この巨大ウルトラマン像を目にしてサンシャインシティの入口を入るとすっかり我々はテンションが上がって、口数少なく足取りはどんどん早くなっていくのである。時間が十分あるから途中広場のイベントに寄ってみるとか、たまにはセット券で水族館にも行ってみようか、という話になったことはただの一度もない。混雑している時は当日券を購入する際に列に並び、次にその券と提示してライブステージの指定券を受け取るために並ばなければならない。一度、土日に開場と同時に入ろうと行ったら別のビルの別の階まで列に並ばされた経験があるので、予め当日券はネット購入し最初の一陣が入場し終えるくらいの時間を見計らってゲートに向かったのである。

  

毎年色々なテーマで趣向を凝らした展示物で目を引き付けるウルフェスだったが、今回は巨大バトルジオラマが大評判とのことだった。ゲートを通過すると大抵ウルトラ戦士とのツーショットコーナーなどがあって、いきなり歴代の色々な再現シーンやスクリーンが現れるのだが今回は何となく物足りなくちょっと「手抜き感」がある。「巨大ジオラマで予算使い切っちゃったのかな」子供と違う「夢のない」会話をしながら通路を進んでいくと「うわーっ、父ちゃん、これすげえぞ!」見たこともない一大バトルジオラマが現れた。特撮用セットで等身大のウルトラ戦士が怪獣と戦っているジオラマは何度も見たことがあるが、大講義室くらいのスペース全体が巨大な街並みとなっており、しかもたくさんのウルトラ戦士が街中所狭しとバトルしているのである。このセットの精巧さはビルの屋上から逃げ惑う人の表情まで見える。ディティールを楽しむのには小一時間かかるほどの規模である。「ぎゃーっははは。こんなところに『ガイ屋』(ウルトラ戦士の名前)なんてカレー屋があるぞ」「しっかり怪獣酒場も宣伝してるし」私はむろん超兵器203号、息子はスマホのカメラでめいめいの角度からバトルジオラマを夢中で撮りまくったものである。

        

ヒーローが登場して皆とゲームなどを行ったり、怪獣人形劇などを行うところは古代怪獣ゴモラの広場になっていた。主に小さい子供向けの「お母さんといっしょ」的な催しなのだが、我々は後ろの方で邪魔にならないように注意しながらもどっぷり浸かることを忘れなかった。「おーっ、ケムケム大師匠がまだ健在じゃんか」甘辛も1年ぶりで懐かしそうだ。(話すと長くなるが、ウルトラほっこり怪獣人形劇のオープニングにウルトラマン「噴煙突破せよ」に登場する毒ガス怪獣ケムラーのおちゃらけ版が「つかみネタ」をかますのが恒例なのである)冒頭登場した丸い卵に「あれは何の卵だろか?」甘辛に尋ねると「セブンガーの怪獣ボールだろ」と苦も無く答えた。我が家にそれほど図鑑類があるわけでもなく、どこでそこまで覚えたのか分からぬが、この記憶力をぜひ受験にも活かしてほしいものだ。人形劇「ウルトラP」は紙芝居風の物語なのだが、人形劇ながら思わず「うるっ」とくるシーンもあり、セブンガーの弟分「ロボッチ」が兄をかばって倒されてしまうところでは小さな子供が泣き叫んでいた。(むろん会場の声援で復活する)

    

ここ数年のコラボレーションでウルトラ戦士に模したアイスクリームが限定発売されており、甘辛は必ずチョコレート味の「ウルトラマンネクサス」を食べる。一休みしてアイスを食べながら巨大バトルジオラマで撮った写真を比べてみると、どうもスマホで撮った甘辛の写真のほうが妙に臨場感があるように見えた。「オレ、デジ一で撮ってるのに何でこんなにジオラマ『丸わかり』なんだろな?」いかにも「苦労して作ったセットでございます」と見える自分の画像を見ながら首を傾げていると「フラッシュがダメなんじゃねえか?あと地面目線で撮らねえとワザとらしく見れるぞ」そう言えば甘辛はジオラマの地面にへばりつくように構えていたようだ。「ちょっともう1回ジオラマ言っていいか?」ライブステージの指定時間までまだ間があったので我々は戻ってみた。途中、ウルトラ戦士と一緒にショットが撮れるコーナーがあって、小さな子は防衛隊服などに着替え各々ポーズを決めていた。写真はプロが撮ってくれるが一枚結構な値段だ。「ガイヤか・・・ゼロが出てきたら、今回は撮ってみるか」「そうだな」
ジオラマに戻った我々は思い思いの場所から再びシャッターを押し始めた。なるほど、道を歩く人の目線で見上げる角度にし、微妙にボヤかしたりするとそれなりに臨場感が出てくるようだ。我が家には題材となるアイテムは飽きるほどあるから、特撮風ショットの撮り方を今度研究してみよう。

              

ゴモラステージに戻ってみると、ウルトラショットコーナーには青い模様のウルトラ戦士が現れていた。「父ちゃん、ゼロが出てんぞ!」普段は有料の記念撮影などスルーするのだが、何となくこの時は「じゃー、撮ってみるか」という気分になっていた。何人か新しいウルトラマンが登場しているが、我々の中でウルトラ戦士最強はウルトラマンゼロ、彼は私が愛してやまないウルトラセブンの息子である。私が身に着けているYシャツのが「パパはウルトラセブン」というゆるゆる絵本のタイトルで甘辛とゼロをダブらせると、何とも言えない感慨深いものがあった。二人合わせて約70歳なんていうコンビは列にいなかったが、ゲリラ的にパパーッとステージに行ってゼロ得意の「2万年早えぜ!」ポーズを3人で決めた。(甘辛だけ手が逆だったのが心残りだったが)
運よく前からX列目の「ウルトラシート」をGETできた「ウルトラマンライブステージ」は毎度毎度グレードアップし我々を満足させてくれた。ステージ中央に巨大スクリーンのディジタル映像とアクションがコラボし、これまで以上に迫力のあるものだった。さすがにお約束のお姉さんの掛け声に合わせて「がんばれー!!!」の声援はかなり控えめにしていたが、「誰かお手伝いしてくれるいお友だち、はぁーい!」と言われて本気で手を挙げようとしていた。小学生の時、ここで偶然にもお姉さんに指名されキングジョーブラックの武器を選ばせてもらった時、名前を言って会場中をどよめかせたことは以前書いた。会場を映し出した巨大スクリーンの隅に我々の姿が・・・

          

甘辛は(0歳を除き)ずばり年の数だけ訪れているはずだが、アトラクションはハイテクを駆使した色々なスタイルに進化してきたと思う。隊員スーツを身に着け、変身ポーズをとると特殊効果でウルトラ戦士になれる「ヒーローなりきり」DVDの制作、私が全身3Dデータ化した「ディジタル3Dプリンター」の縮小版で頭部だけの人形を作成するコーナー、月極め契約のウルトラ戦士特別仕様のウォーターサーバーなど、もはや「何でもあり」の世界である。我々はひと通り見て回り、時には詳しい説明などを聞きながらウルトラデパートの入口にたった。特に大人(マニア)向けニューアイテムなどぬかりなく物色し、お酒類コーナーを通しすぎるとTシャツを見た店員が「セブンのパパーっ!どうですか?今晩は芋焼酎ってのは?新しいのが入ってますぜー。ぜひぜひ!」見てみると「謎の芋焼酎のひみつ」というタイトルでエレキングのラベルだった。「面白いですねえ。ピット星人が栽培したんですか?」店員は話題にノッてきた私を見て「いける!」と思ったらしく、「そうそう、ピット星人の円盤が人知れず芋畑に着陸しウルトラ警備隊に知られないように苗を育てたんです!エレキングの力を使って蒸留してね!」商売とは言え内心「(この店員侮れない)」と箱に手を出しかけたが「実は、この後怪獣酒場でこれ飲む予定なんで・・・またねー」

デパートではそれぞれなどそっち除けでウルトラグッズを物色する我々だったが、背の高くなった甘辛はすぐに分かった。最新のウルトラ戦士「ウルトラマンX(エックス)」の変身アイテム「エクスデバイザー」をじーっと眺めていた。「父ちゃんよ、これ、面白えぜ・・・」「まさか、1x歳にもなって買うってんじゃないよな」DX版は結構な価格がするのだが、さっき何やらガチャポンで買っていたカード2枚と交互に見比べている。「何でそんなカード買ってんのかと思ったら、これに使うヤツだったのか?!」いくらなんでもマジで買うつもりはないだろうと苦笑していたら、甘辛がつぶやいたのである。「ネクサスから変身アイテム、ずーっとコンプリートしてるんだよ。途切れるのって気持ち悪いんだよな・・・」私は妙に強い納得感を覚えたが、さすがに二人ともそれを手にレジに歩くことはなかった。どちらかというとその後、訪れる「怪獣酒場」の限定アイテムの方が我々のニーズには合っているはずだったのだ。我々は再びひと通り会場をぐるーっと回り、遅めの食事をするためウルフェス会場を後にした。帰り際にサンシャインシティに地下にあるトイザラスを一応偵察したところ、何とさっきのDX変身アイテムが1000円以上もディスカウントされて販売されているではないか!こうなったら消費者の心理で迷わずカートに入れてしまう愚かな父であり、妻と待ち合わせる怪獣酒場に向かう途中もないやら気味悪くにやにやしている(今年受験生の)息子甘辛であった。(つづく)

甘辛、部活を卒業す

2015-08-21 06:29:44 | 少年サッカー
先日、息子甘辛の高校生活最後の大会が終わったが、「引いて退く」といのはあまり縁起がよくなさそうだから、一足先に「卒業」という言葉を使うことにする。中学生の時はいわゆる「部活」ではなく、私設のクラブチームだったから中体連のサッカー大会などとは関係なく、むろん受験や引退などというものもあまり考慮されていない自己責任だったから、暮れの押し迫った頃でもまだ練習や試合にいそいそと臨み、正直親をハラハラさせたものだ。3者面談で「サッカーは3月卒業まで続けます!」と断言したときにはさすがの母親もたまげたそうだ。幸運なのか「持っていた」のか予想外に年明け早々進路を決めてしまってからは、クラブチームと進学先のサッカー部の活動にさっそく参加し、何とも忙しく走り回り、彼にとっての「切れ目」は無かったようだった。高校の部活は一番最後の大会が野球で言えば甲子園に相当する冬の全国選手権で夏休みに予選が始まる。これを終えると公式な活動はなく3年生は漏れなく「卒業」することになる。

一般的に進学校の3年生は夏の選手権予選まで残らない者も多い。私の母校では初夏のインターハイ予選を「インタイ杯」と呼び、これを終える(つまり負ける)と3年生の主力は引退し早々と受験モードに入ろうとする。受験は「夏休みが勝負」とよく言われ、各々予備校の夏期講習や集中講座などに出かけ始める。一方、夏の選手権予選は8月後半に始まるから部活残留組は練習を欠かさず、合宿にも参加するから受験モードどころではない。この差が出てしまい、「夏の大会残留組は浪人する」というジンクスがまことしやかに囁かれた。とは言っても、我が校特有の事情だが、9月末に湘南近辺ではかなり有名な「体育祭」があり、部活を引退した3年生は最後の祭に向け、夏休みかなりの日数を費やしてしまい、結局それが終わるまではそわそわして受験モードどころではないのである。私が1年生の時は3年が4人、2年生の時は1人、夏の大会に向けて残留したが、それぞれちゃんと突破して見せた。中には「二浪」して大学で私と同級生になってしまった先輩もいたが・・・

甘辛のサッカー部は都内では中堅どころ、たまに都大会本戦に進むくらいレベルのようだ。2年生後半くらいでようやく高度成長期が訪れ、今や私を見下ろすくらいの身長になった甘辛は新チームのゲームキャプテンとなり、トップ下の主力としてインターハイ予選を迎えた。ハイテクやサッカー理論を駆使し、クレバーな試合運びをするスタイルが彼のプレーと比較的あっているようだ。残念ながらくじ運悪く、以前の練習試合では大敗を喫した、かなりの強豪と初戦に当たってしまったが、かつて見たことがないほど素晴らしいプレーをしたそうだ。オープニングシュートから、見事なドリブルで何度も相手ゴールを脅かし、失点しても諦めずにチームを鼓舞し続けてとうとう同点に漕ぎつけた。ところがPK戦の一人目で人工衛星にでもなりそうなとんでもないコースに「外した」そうなのである。何か前にもそういうことがあったが「甘辛で始まり甘辛で終わる」終わりのほうまでは爽やかだったのに、最後にやたら苦く感じてしまう「青汁仕様の宇治金時」みたいな試合だったことだろう。背番号「10」にキャプテンマーク・・・(実は以前お世話になった指導者の喪章も付けている)思えば高校サッカーで彼が最も輝いていた時なのかもしれない。

      

この学校は少し文化(あるいは今昔)が異なるのか、インターハイ予選後夏の予選を終えるまで「引退」という身柄預かりはないらしく、受験モードに入る3年生は「退部」してしまう。サッカー部で甘辛を含み3年生残留組は4名になってしまった。受験のために部を去った者たちに「後で見返してやる」みたいな珍しく感心なことを言っていた息子だが、本人の後日談によるとその後最後の合宿でその「やる気モード」が吹き飛んでしまったという。ゴールキーパーにされてしまったのである。強豪と言われるチームは部員が何十人もおり、当然のように3年生も全員が夏に向けて調整してくるが、彼のチームのように主力メンバーが半分になれば布陣も最初から考え直さなければならない。大会を控えて一か月を切っても2年生のキーパーはあまり使えず、1年生の頼りないキーパー経験者しかいない状態だったそうだ。背の高さや判断の良さ、チームの事情などもあってやむなしの選択だったろうが、最後の大会が未経験だったキーパーとはとても可哀そうに思えた。さすがに必死に1年生キーパーを鍛え上げ、直前の練習試合では再びフィールダーとして登場したそうだが、センターバックつまり小学校時代のポジション、そして私と同じポジションである。私はインタイ杯で引退してしまったが、息子が最後の大会を父親と同じポジションで迎えるというのも不思議なものだ。

最後の大会の数週間前、甘辛は塾にも行かずむろん受験勉強などもせず淡々と練習メニューをこなしているように見えた。クサっているようでもなく、かと言ってがんがんにテンションを上げていくという風でもなかった。本来のポジションでなかったからだろうか?私見だがサッカーの場合、最終ラインは体力の限界まで縦横無尽にピッチを走り回り、勝つも負けるも自分の動きが大きく関わるということがない。簡単に言うとあまり「やり切った」という実感が湧かないのである。私は最後の大会前、自らもチームも鼓舞し意識的にテンションを上げていった。先があった時は「手抜き」だらけだった練習も最後は一生懸命やって声も出し、試合はすべて全力で走った。(最初からそうしろって)しかし999のメーテルが言う「若者は負けることは考えないもの」どころかその真逆の「いつ負けるか?」ばかり考えていた。別に受験モードに入るつもりだったわけではない。優勝しない限りはどこかで必ず負ける。100%どこかで終わる。「負けるために勝ち進んでいるようなものだ」と何となく冷めたところもあるディフェンダーだった。

甘辛の試合日程は予選が3試合、2回戦からの予定だった。ほぼ1日おきだが3試合勝ち抜くと本大会代表となる。初戦は慣れたホームグランドである。ほぼ3年間この真新しい人工芝の専用グランドでサッカーできただけでも、彼はかなりの果報者だと思う。試合前の挨拶にずらりと一列に並ぶとキャプテンマークを腕に巻いた甘辛はいつの間にかチーム一長身のプレーヤーになっていた。(こりゃー、ディフェンスにされるわな)背番号も「10」からセンターバックの「3」になっていた。
この日はどの選手も活き活きと動き回り大差で勝ち抜いた。「(次か?そのまた次か?全部勝つと次は10月になってしまうが・・・)」私はまたしても「負けて終わってしまう時」のことを考えていた。次の試合は平日だったが休暇を取り、最終試合も会社を休む予定にしていた。「高校の姿は見たことないだろ?」と実家の母親を誘い出し私は昔、甘辛と早朝練習をした時にいつも着ていたマリノスの練習着を身に着けて観戦に行った。(思えば私の両親は中学以降のサッカーの試合など見に来たことはなかったが)

    

相手はかなりの強豪でベンチ外の多数の部員が応援歌を合唱し始めたが、開始早々相手のディフェンスのミスをうまく突き先制点をもぎ取った。体格やスピードに勝る相手にかなり押されていたが、甘辛を中心にディフェンス陣が踏ん張り前半はリードのまま終えた。しかし後半、相手にコーナーキックから押し込まれ同点にされると、試合運びは相手の支配権にだんだん推移していった。甘辛も懸命に体を張って、遂に決定的に崩されることはなかったが、相手との身体能力の差とキーパーのキャリアの違いがセットプレーに出てしまい、コーナーから1点、さらに直接フリーキックでダメ押しされてしまった。こうなると時間制サッカーの非情なところで、相手の時間稼ぎにめげずに粘っても刻一刻と時を刻んでしまうもので、遂にタイムアップのホイッスルを聞く時が来た。チームメイトの3年生は目に涙していたが、甘辛は憮然として応援団席に並び「気をつけ!礼!」と頭を深々と下げた。考えてみれば未だ約10年なのだが、少年スポーツの終わりを告げる時のようだった。保護者たちをまとめあげ応援に余念のなかった妻は感無量のようだったし、老母は「いい試合を見られてよかった」と満足そうだった。

      

私は社会人になるまでサッカーを続け、今でもフットサルならそこそこは走るが、やはり普段からの練習の延長線にあるガチンコサッカーは高校の部活をもって一旦「卒業」した。最後は自分なりにテンションMAXにしたつもりのだが「負けて終わり」のホイッスルは不思議に淡々と聞き、涙を流すチームメイトを横に何か実感なく佇んでいた。中学部活は市内から湘南地区予選を勝ち抜くくらいのレベルだったが、高校へ進みそれぞれのサッカー部へ入部したチームメイトは他に誘惑が多い時代だったのか、次々と辞めて行き、最後まで続けたのは恐らく私だけである。また甘辛の所属チームは小学校で県でベスト16に入る強豪だったが、中学はともかく高校サッカーにまで進んだというチームメイトをあまり聞かない。継続は力なりという意味では甘辛の姿勢はずいぶん立派だと思う。さらに進学してもサッカーはずーっと続けるつもりらしいが、さすがに半年ほど一旦ブランクをあけることになる。今は実感なさそうにぼーっとしているが残り少ない夏休みのうちに、一体どんな気持ちで「負けて終わり」のホイッスルを聞いたのか、部活の帰りに申し訳程度に塾に寄るくらいで家では寝るか食うしかしなかった彼が受験モードへ切り換えできるのか、果たして我々の想像もしなかった路線を走るのか、一度聞いてみたいと思う。

スーパーアニソン魂の夏

2015-08-17 19:11:46 | 昭和
「アニキたちのパワフルライブ」編で書いた通り、ウルトラ・アニメ・アイドルとトリプルのゴールデン世代の私達にはドンピシャど真ん中ストライク、興奮に打ち震えた「アニソンヒットパレード」に味をしめ、真夏に行われる最大級のフェスティバルに妻と申し込んだのである。「AJF(ANIME JAPAN FES)スーパーアニソン魂2015“夏の陣”」という、聞いただけでも鳥肌が立ってくるようなイベントである。ヒットパレードは中規模のホールだったが、こちらは台場の「ZEPP東京」といういかにもな大規模ライブハウスである。その日最後の大会となる息子甘辛の試合を久々に応援に行き、そのまま妻と新橋からゆりかもめに乗り込んだ。お盆休みで台場周辺のエリアはフジテレビのイベントやらビッグサイトのコミケなどがあり、大きな紙袋を持った青少年、オタク、外国人、家族連れなどでごった返していた。青海駅で下車し、ZEPPに向かって歩きながら妻が「何かだんだん年齢層上がってるような気がしない?」と苦笑していた。ちなみに入口でドリンク券を購入して席にアルコールなどを持ち込んでライブに臨むのは初めてだった。正直あまり健全な感じはせず、「20世紀少年」の「ともだち」ライブみたいなイメージがあったのだが、さすが本場!席に着くと同時に独特の熱気が漂っている。

  

やがて場内が暗くなり、壮大なスケールを思わせるオーケストラ風のBGMが流れた。私は隣の妻に一言「ハーロックだよ」とつぶやいた。交響組曲「キャプテンハーロック」の序曲で、アルカディア号が悠然と姿を現す時に飽きるほど聞いたBGMである。「キャプテンハーロック」はアニメのBGMにしては豪華絢爛オーケストラのシンフォニーになっていて、クラシック風の音楽の世界がアニメ映像とマッチングしているところが斬新だった。最初は「ヤマト」だったと思うのだが・・・何故こんなに詳しいかというと、そのLPレコードを実家で発見したのである。このアルバムの「終曲」は私の中ではアニメ史上、最高の名曲だと思っている。最終回にこの終曲をバックにナレーションが語る名シーンが今でも脳裏をよぎる。マント姿で颯爽と登場した水木一郎アニキはハーロックを高々と歌い上げ、大声援飛び交う舞台を一旦降りていったが、去り際にあまりにも激しくマントの片肌を巻き上げ過ぎ、半分くらい脱げてしまった。慌ててくるくる巻き上げて去って行ったが、後のトークで「あれで終わってしまった」とこぼしていた。

   

そしてあのパワフルな串田アキラさんの「キン肉マン」、堀江美都子さん定番の「キャンディ・キャンディ」で早くも場内は総立ちとなり、最初のテンションピークを迎えた。司会の「ショッカーO野」なる謎のふとっちょおじさんは最初からライブにつきものの「みんぬぁ!ぬぉってるくゎいー」をぶちかましてきた。この手の「いぇーい!」系をいくつか繰り返した末「じゃーいくぞ、スーパーアニソン・・・・→ぜぇぇえっっつつ」(モモクロの振りに似ていて少し恥ずかしい)ショッカーによると、この回は3日間続いたアニメジャパンフェスタの最終日、豪華絢爛ゲストで熱中症にならないように水分をマメにとってくれ、ということだった。その紹介でド初っ端からいきなりテンションMAXで現れたのが中川ショコタンである。舞台を縦横無尽に走り回り、タオルを振り回し大歓声の中、激しく声を張り上げていたが(歌は結構上手なのね)正直最初の2曲は何を歌っているのか(歌詞も)さっぱり分からず、「今年初めて夢がかなった」というポケモンの挿入歌を歌ってようやく落ち着いた。「何だかよくわからなかったが、あれはアニソン用持ち歌なのかねえ」私が聞くと妻は「でも、ショコタンってすごく頭の回転早いと思うよ」と返した。「私は日頃から神々と尊敬している方々と楽屋でお会いして感激のあまり、いてもたってもいられない」みたいなことを古館一郎アナ顔負けの口っぷりでマシンガンのようにまくしたてて大興奮していた。

    

そしてその中でも御大と言われる「ささきいさお」さんの登場である。(私もこれは初めてだった)何からくるかと思えば、いきなりアニメデビュー曲「新造人間キャシャーン」だ。(このあたりがかなりレア・・・)御年7X歳のレジェンドはまだまだ健在だった。鉄郎がまだ少年までいかない子供の顔のテレビ版「銀河鉄道999」、そのエンディングテーマには聞き惚れた。今年、開催した「デビュー55周年記念ライブ」は10分でチケットが完売となったそうだ。このAJF2015初日はアニソン女子会で堀江さんの大活躍だったが、戦隊ヒーローシリーズをやってのけたというからすごい。堀江さんは女子向けアニメの巨匠だが、実は戦隊ものの主題歌などにもデュエットで登場しているのだ。「忍者キャプター」などは割とマイナーなアニキとのデュエットで二人で毎度歌うようだが、今回は大御所の「ささきいさお」さんがいるので間違いなくやってくれると期待した。

さて最終日ということでその3日間ではもっとも多彩な出演者だったのだが、正直よく知らない人が多かった。ショッカーO野が「昭和生まれの人!」と叫ぶとほとんどが元気よく手を挙げた観衆を見渡すと、周囲に限っても「絶対この人、オレと守備範囲とツボが一緒だよな」と思える人が結構いる。その人たちの振りを見ていると知っていて(歌ってもいる)曲と知らないが手拍子だけしている曲の違いが歴然と分かるのである。「森川美穂さんって、アニソン歌ってたっけ?」「私達の知る森川美穂じゃないんじゃないの?」相棒と歌った「ヤッホー」という曲はテレ東系のアニメだそうだがさっぱり分からなかった。山本正之さんというミュージシャンは「ヤッターマン系」の曲をたくさん歌い、素晴らしいアコースティックギター技を披露したトボけたおやじだった。3時間半という長丁場で類似の公演3日目だから曲がかぶらないようにしたのか、誰も知らない中だるみのようなソングも少し続いた。2020年オリンピックに向けてスポ根魂2015と題したコーナーがあった。水木アニキのタイガーマスクⅡはちょっと無理があり、くっしーの「キン肉マン」はさらに無理が開いてしまい、みっちの「明日へアタック」はどう見ても「アタックNO.1」のパクリに思えたが、「ささきいさお」さんの「新巨人の星」で少し救われた。そしてかの1曲だけのために尾藤イサオさんの登場で、それはそれで垂涎ものだった。ここはどう見ても「エースをねらえ!」なんだが、もう一人の女王「大杉久美子」さんはいなかった。

それまでいわゆる「アニソン」の世界は四天王と言われる重鎮を中心に「歌う人」しか知らなかったが、多くの曲を書いた伝説の超人がいらっしゃるという。名を渡辺宙明さんと言い、何と御年90歳!東大の心理学科を卒業したというこの大先生が何とナマ登場し、「まだまだ頑張るから乞うご期待〜」と手を振ってらっしゃった。初めて聞く御名だったが、「宙明先生のコーナー」と称していきなり赤いスーツで現れたアニキはいきなり「マジンガーZ」「グレートマジンガー」をかまして場内を大興奮に陥れた。くっしード迫力の「宇宙刑事ギャバン」(だったかなー?)が続き、みっちは火曜版「サザエさん」のオープニング、エンディングを歌い「ちょっとこれでデュエットしますね」と腕を真っ直ぐ前に差し出して5本の指を大きく広げてみせた。登場したのは真っ赤なジャケットに着替えた「ささきいさお」さん、遂にやってくれた、「秘密戦隊ゴレンジャー」である。「〜ごーぅ!ごごーぅ!いつつのちかーらをぉ〜ひとつにあわせてぇ〜さけーべ勝利のおたけびを・・・・」(さあ、みんなで一緒に!)

フィナーレが近づき、アニキは渋く「グランプリの鷹」、みっちーは「セーラームーン」をかましてきた。くっしーの歌は正直よく分からず、山本さんのヤッターマンは最新作(と言ってもパチンコCR)、タカトリ何とかさんはがなりたてるだけで全然知らない歌(単に知識が乏しいだけ?!)でふわーっとステージは一旦お開きになってしまった。お約束のアンコールでアニキの「バビル2世」で場内大合唱にならなかったら、どうも不完全燃焼気分だったかもしれない。そしてエンディングに出演者全員が再び登場し、この3日間のスーパーアニソン魂を思い思いに語った。最後に登場したのは「ささきいさお」さん、ここまで演出したらグランドフィナーレは誰でも思いつくだろう。「宇宙戦艦ヤマト」である。

  

怪獣酒場に続き、似たような話題を投稿するのは気が進まなかったが今夏はどうもこの路線らしいので、某SNSサイトにアニソン魂2015の様子をアップしておいた。するとまたしても「茅ケ崎」「怪獣酒場」つながりの連中がよき反応を示してきた。こういう時の食いっぷりというのは女子のほうがはるかによいものだ。「アニソン懐かしい~」「マコちゃん」「キャンディ」「ゴレンジャー」そして共通に言えるのは「キャンディーズ」「ピンクレディ」は振付で踊れ、カラオケでは今でも歌うらしい。(中には衣装までもお持ちとか・・・)レパートリーがかなり偏っていていくらもないのでカラオケってあまり行かないが、アニソン&昭和アイドル縛りなら結構イケるかもなー。振付と言えば私が唯一歌って踊れるのは高2の時に卒業生を送る会で披露した「松本伊代」さんのデビュー曲である。某SNSサイトでは私のためにヅラを持参するとか、ツケマまで貸してくれるとか、はたまたナースの白衣を用意するとか・・・?!いつの間にかコスプレ大会になろうとしていた。さすがにこの企画のセンターからは身を引いたほうがよさそうだ。

怪獣憩いの場に再び集う

2015-08-15 17:22:41 | ホビー
サザンビーチ花火大会に集った同窓会の後、私の着ていた「よそ行きのウルトラアロハ」にどんな怪獣がいたのか、ちょっとした話題となった。ちなみにこのシャツ、MサイズとLサイズ、そして保存用の3着が我が家にある。中にいたメンバーの女子がとあるモールでタロウ(ってウルトラね)の写真をアップしたら、やはり同じ年代なのか多くの同士が食いついた。さらに「茅ケ崎の会」のように「怪獣酒場の会でもやるか?」とかましたら、予想もしない反響となったのだ。やがて多くの参加希望者が出たらしく、「(私の)出番だよ」というメッセージがやってくるのである。出番?どういうことだ?店内で怪獣について講話するだけなら10時間でもいけるが、どうやら「幹事をやってくれ」という風に読める。

誰かに目当てとされることもなく、飲んで与太話する以外に全く出番もなかった私がAKB48でいうところのセンターを取れるのは光栄なのだが、花見の席取りや飲み会のアレンジメントなど最も苦手とする分野である。前に妻と行った時は「ウルトラ作戦室」だったが、今回は結構な人数になるから、小上がりの「怪獣無法地帯」となるだろう。怪獣酒場は1年限定の店で一旦閉店したのだが、多くのラブコールに答えて常設店舗として再び営業を開始した。店舗名は「帰ってきた怪獣酒場」(うーん、この演出がにくいねえ)そのうち県内に「怪獣酒場エース」や「怪獣酒場タロウ」など「兄弟」ができれば嬉しいことだ。2時間限定となってしまうが、席を確保するために予約をしておいた。

当日はやはり同じ「よそ行き」としたのだが、花火大会メンバーもいたので「アイツ、ワンパターンじゃねえか」と言われることを想定し、中にド迫力「ダダ」Tシャツを着込んででかけた。ちなみにこのアロハに描かれているのはマン、レッドキング、ゴモラ、ダダ(表)、背中は長兄ゾフィーがどどーんと光臨している。これらの怪獣の名前はもちろん、登場したタイトル、あらすじ、足裏の形くらいは語れないと「怪獣酒場」の深さには付いていけないのだが・・・川崎駅で最近よく合流するガンさんと待ち合わせたら、既に一度お店まで偵察してきたらしく「すげえよ。開店直後で何十人も並んでたぞ」(当然だよ、だから席を予約しといたのさ)

    

店頭で「ウルトラ戦士と地球防衛軍の方は入店できません」といういつもの案内を聞き、これらを見分けるというジャミラの真実の口に手を入れて無事に店に入った。店内がもの珍しいのと久々に会う同窓生もいて昔話に花が咲いてしまい、一向にメニューが決まらない・・・確かにメニューには垂涎ものの品名はあるのだが、写真がないのでどんな料理なのかよくわからないらしい。(しょうがねえなー)いつもは注文など「任すからテキトーに。ただし漬物抜きね」で済ますのだが、この11名で取り分けてしかも時間が稼げるメニューとして電撃のようにオーダーした。「まずは全部二つずつ。ゴモラとナース、メフィラスをお願いします。」(むろん自分にとって初物メニューを紛れ込ますことを忘れない)

          

たぶん何のことかさっぱり分からぬだろう。。。
ゴモラとは「大阪城の悔恨~自虐のローストビーフ~ウルトラマンに切断されたゴモラの尻尾を模したローストビーフ。あの悔しさを忘れない為に、復讐を誓ったゴモラが考案。特製ソースでお召し上がりください。200gの超ボリュームです」
ナースとは「出現!宇宙竜ナース 煙の中からとぐろを巻いた宇宙竜ナースが出現!
ナースを模した迫力のトルネードソーセージをワイルドにいただこう!しっかり焼き上げたトルネードソーセージを目の前で瞬間スモークします。」
そしてメフィラスは「禁じられた言葉サラダ 食べ終わると現れる、メフィラス星人からの質問に答えよ。白菜を使ったサラダ。ヨーグルトと大根をベースに作ったドレッシングで、塩分と旨みを楽しむ珍しいサラダ。」
お品書きをよく読めば何となく何の料理か分かることは分かる。

壁掛けのモニターにはウルトラシリーズの色々な名場面が放映されているが、(皆、気付いただろうか?)何せここは「怪獣たちの憩う場」なので、ウルトラ戦士が「やられてしまう」シーンばかりが厳選されているのである。初代マンが宇宙恐竜ゼットンに敗れる最終回はもちろん、ガッツ星人に十字架に貼り付けにされてしまうセブン、ナックル星人とブラックキングコンビにやられ、拉致されてしまう帰マン、バードンに倒されてしまうゾフィーなど、ウルトラ戦士ファンだったら目を覆うような、子供が見たら泣き出すようなシーンの連続である。店内にくまなくある怪獣を見て回り、山のように買い物をしてくる女子がいて、それなりには楽しんでいる様子だった。

  

やがて店内の大歓声とともに登場したのは、何とシーボーズ!本家である「怪獣墓場」からやってきた亡霊怪獣である。8月の10日から16日まで「怪獣供養祭」が開催され時間になると登場して木魚を叩くらしいのである。私はこのあまりにもニクい演出に鳥肌がたった。帰宅してから妻に「怪獣酒場にシーボーズが出たぞ」とそれだけ言ったら「お盆だからねえ」と帰ってきた。つまりシーボーズと言うだけで、この怪獣の姿、タイトル、エピソードを瞬時に解読しこの時期に登場した背景を言い当てたのである。(これには私も舌を巻いた)お茶目なシーボーズは怪獣無法地帯を思い切り盛り上げ去っていった。ツーショットは禁止なのだが、遠目に写真を撮ってもらったが暗かったこともあり薄らボケちゃった・・・

      

そしてここに来たら必ず頼む一品、誰もが知る「ツインテール」である。頭が下にあり、クラスに一人はいたと思われる愛嬌のある顔・・・普通は女性の髪型を示す言葉のようだが、我が世代(の特に男子)はツインテールと言えば東京の工事現場で卵から生まれた古代怪獣である。このツインテールを好物とするグドンが現れ2大怪獣を相手に帰マンはかなり苦戦を強いられることになる。グドン(ではなく怪獣図鑑)によると、ツインテールはエビの味がするということだ。だからツインテールフライなのである。構成は大型の2尾のエビをベーコンで巻いて揚げてある。生ベーコンなので切り分けるのにちょっとしたコツがいるのだが、いつも親切に取り分けてくれる隣の女子は果敢にも奮闘したが、周りじゅうにきゃべ千をまき散らして大参事と化した。「キミが台無しにしたツインテール、投稿してやる!」(写真で見ると意外とまともだな)

    

この店には誕生月の人に怪獣酒場ならではの大特典がある。その人しか入れない「特別室」で撮影することができるのである。以前、その部屋はウルトラシリーズでも屈指の有名シーン、「モロボシ・ダンとメトロン星人が丸いちゃぶ台を挟んで対峙する」の図であった。しかし今回はさらにマニア向けに意表を突き、「防衛軍基地内のアンヌの部屋にペガッサ星人現る」の図となっていた。誕生月だったのは女子で店員から「ブラシはお貸しできますから」と案内されてポカンとしていた。そう、「ダークゾーン」で黒い影がペガッサ星人の姿に変身した時、アンヌは鏡台に向って腰かけ髪をブラシで溶かしているのだが、これはどうも本編ではなく、ウルトラセブンプロモーション用の一シーンだったようだ。

大勢の怪獣たちの余韻なのか、昔話に盛り上がってのか、驚いたことにしく地元に戻っての2次会には全員が参加し、さらに新たなメンバーまで登場した。そこから先はいつもの同窓会と一緒である。そのまま惰性で3次会へと流れ込み、長ーい宴会もそろそろお開きかと清算して帰ろうとしたとき、別のテーブルの若者グループから声をかけられた。
「あのーぅ、さっき通路でお見かけしたんですが、それすごいデザインですね。ボクたちウルトラマン大好きなんです。素晴らしいです。感激です。」私のアロハを指さして言うのである。私はすっかり舞い上がって「実はねー、中にはダダもいるんですぜ」ウルトラアロハの前ふわーっと開けるとテーブル上は拍手喝采!記念撮影しようということになり、エメリウム光線A型おの構えをとった私の後ろの男子たちはめいめいウルトラ戦士の光線技ポーズをとっっていた。この若者たちに「ぜひ平和を持続してもらいたい」と思うような不思議な深夜の出会いだった。

心境の変化とレッスン効果

2015-08-10 22:21:00 | スポーツ・健康
言動や風貌(とうことはないと思うが)からか、知人友人は私のことを「勝負師」かのごとく言う人が多いが、実はどっこいカミングアウトすると、「ここ一番」という時に際立って「弱い」のである。つまりは「勝負弱い」。プレッシャーに弱いとも言える。自分なりにその傾向に気付いていたから、普段から多くのことに「ポイント」を重ねるようなスタイルを選び、何事もなるべく一発勝負にならないように分散するように努めてきた。意外に思われることが多いが、「雌雄を決する」こと自体があまり好きではないのである。「負けず嫌い」という言葉は「人に負けるのが嫌いで何事も負けないように頑張る」人のことを一般的に言うが、私の場合負けるのも嫌いなので最初から勝負しないと意味で「負けず嫌い」でもあるのだろう。こう言うと何か逃げ回っている弱虫みたいに見えるから、カッコよく言うと「戦う前から結果がわかっている」勝負にだけ臨む、という孫子のスタイルを好む。

これまでの日常において勉学や運動、仕事、そして色恋分野ですら、結果を目立たないように分散させてきたのだが、やはり強く現れるのはスポーツの世界である。当時の小学生は野球が多かったが武道その他個人スポーツに勤しむ者もいるにはいた。中学生の部活は競技の幅がほぼ大人と同じになり、陸上・体操競技や球技においてもテニス、卓球など個人競技も選択肢として登場する。県下でも有数の強豪野球少年団だったが万年「半補欠」だった私は小学校卒業で野球とは見切りをつけるつもりだった。子供の頃から幸いに何でもそこそこできる運動神経があったから、次は何をやろうかと考えて何となく始めたのがサッカーだったが、決して個人競技を選ぼうとはしなかった。野球チームメンバにはテニスや陸上に転向した者は結構多かったのである。

一発勝負に弱いというのは「精神的に弱い」ということだ。武道や個人競技は勝負の結果に対してすべてが個人の責任であり、「唯一無二の一球」(エースをねらえ!)に自他すべてが集中するが、舞台が大きくなればなりほど私はこのプレッシャーに耐えられない。団体競技ならむろんプレーの一つ一つは自己の責任だが、連続的な流れの中でチームワークにまぶされる。ミスをしても周囲が助けてくれるし、仲間のミスを助けることもできる。むろん団体スポーツであってもゲームの勝敗全てが自分にかかっている、という世にも恐ろしいシーンがないわけではない。サッカーなどでもPK合戦などはその最たるものだが、少年野球の大きな大会の決勝で2点を追う最終回、ツーアウトランナー一塁で前のバッターがワンストライク取られて代打に出された。一球目はど真ん中ストライクを見逃し、二球目は高めのくそボールを空振りして一瞬にしてゲームセット・・・翌日の神奈川新聞に「9回裏、ランナーを出したが代打磯辺が三振で万事休す」と記事に書かれてしまった。。。新聞に自分の名が載るなどとは後にも先にも「万事休す事件」だけだったのだから少し情けない。

そしてもう一つ、この数十年貫いてきたのが「個人的には人にモノを教わらない」ということである。一般的な指導、チームプレーならよいが、個人教授(って怪しいひびきね)ともなるといやでも自分の弱みを曝け出さなければならない。それ自体はどうと言うことはないのだが、「あなたはこれこれだから・・・」とタイプを決めつけられるのが何となく好きでないのである。色々なスポーツをやってきて指導者とかも多くいたし、学問の世界では「指導教官」というのもいた。新入社員の時は指導育成担当なるセクションで世話になった人もいる。しかし自分のもつミッション以上に私個人に踏み込み「メンター」となった人はいなかった。あまり人にモノを教わるのが上手くない、というのも本質にあるのだろう。

あらゆる物事に「人にモノを教わらず、一発勝負はなるべくしない」というポリシーは適用されている。スキーやサーフィン、スケートボードそして大嫌いだったマラソンなども基本は自己満足の世界である。釣りや天体撮影、模型作りなどもむろん「人に教わる分野」ではない。最近妻と始めたスカッシュは個人競技ではあるが、基本は仲間と楽しみながら汗をかく、というレベルに留まっている。この夏から施設が運営するスカッシュのグループレッスンが募集されたので妻と応募してみた。妻は初心者コースは卒業しており、私はその次のコースでよいだろうということで、共に「初級コース」を申し込んだのだが、残念ながら応募者多数で抽選の結果落選してしまった。後から聞くとそのコースは月の最後に個人リーグ戦が行われるというのでぞっとした・・・やはりポリシー違反はしないことだ。

ここまでやたら長い前置きになってしまうが、このポリシーにウソのように背いているのがこのサイトにも何度か話題の登場した「ゴルフ」である。グンマ勤務時代の終盤にスティーブの手ほどきを受け数十年ぶりに封印を解いた。そしてその後あろうことかスポーツクラブのゴルフ教室ではあるものの、プロのレッスンを受け始め早2年になろうとしているのである。自分のスイングや性格などを隅々まで診断され、それなりの矯正トレーニングを受けるなどとは初めての経験で、完全に私のこれまでのスタイルに反するものだが、人生ハーフタイムにあたり新しい心境を得たのはこのサイトのどこかで書いた。ゴルフというのは各々の個性丸わかりのところがあり、スティーブや八兵衛を始め個性派揃いのグンマーに囲まれ、ずっこけゴルフを楽しんできた。ラウンドでは結果はともかく話題性を楽しみ、レッスンでは上達そのものよりもコーチとのやり取りや自分の気が付かなかった性質などを指摘されることを楽しんだ。

しかし再開して3年もたち、グンマ時代ほど頻度は高くないにしても、全く進歩しないのは困ったことに思えてきた。練習やレッスンの成果が実感できないのである。コーチに「2年もレッスンされて結果が出ないなんて見どころないんじゃないか?」と聞いたことがある。裏には「やはり自分の信条を裏切ってするものではない」という罪悪感もあった。コーチのコメントは「スコアを上げたいだけならパットとアプローチだけ練習すればすぐだが、『ずっと使えるスイングを作りたい』というイメージは持っていたほうがよい。これは一生モノの話ですよ」という分かったような分からないようなものだった。2年間でよくぞこれほどドリルの引出があるものだと感心するほど色々なことをやらされたが、結局二つのことをあの手この手で矯正したいだけのことだ。ただゴルフ練習の面白さと難しさは「自分のイメージと実際の姿があまりにもかけ離れている」ことだそうだ。「こんな変なカッコで打って当たるはずがない」と思うスイングがビデオで見るとかなりイケている。

さて、河川敷の練習ラウンドを除けば年に数度とという頻度になったしまった本コース巡りを共にするのは社宅時代からのお友達である。当初ご自身のHPでは「釣りが趣味のサラリーマン」という紹介コメントがあり、よくメジナ釣りに波止場まで行ったものだが、引っ越してウォーターフロントにお洒落なシティライフをおくるようになって、ゴルフ一本にしてしまったらしい。「何でもそこそこ」という私とは対照的に何事も形から入る傾向があり、打ち込みの集中力がハンパではない彼はむろんゴルフ理論も多く語るものを持ち、スコアも断然上を行く。私の本コース巡りは彼のおかげで成り立っていると言ってもよい。メンバは彼の同僚や友人であることが多く、毎度初対面だがゴルフというのは不思議なもので(そういうメンバーなのだろうが)一緒にラウンドするだけで誰とでも大昔から仲良しのお友達ようになれるのである。接待ゴルフという文化があるのがよく分かる。

シティライフのため自家用車を持たないスタイルの彼が選ぶコースは都内からアクアラインを使ったり高速ですぐに行ける場所、近県に列車で行くこともある。ここ数回我が家からすぐの県内にあるコースを回ることがあったが、近いのはありがたいものの、これがまたとんでもないキワモノコースだった。キャディ付で回るのがルールというのでやけに贅沢だなと思っていたら、ティグランドまでプレーヤーだけケーブルカーで上るところが何か所もあったり(しかも後半なんてケーブルカー乗り継ぎ!)フェアウェイまでケモノ道のような隘路を彷徨ったり・・・次に行ったコースは私がよく流星群を観測する丘のさらに奥にある山の上で、ティグランドから崖下に向かって打ったり、山二つ分向こう側にグリーンが見えていたり・・・そのうち空中ケーブルでも登場するんじゃないかと思った。景色だけはこれ以上ないくらい素晴らしかった。プロが武者修行すると言われたスーパーリンカンコースはOカントリーと言った。そして酷暑の中、先日回ったコースも途中までは「星の綺麗な丘」に向かうルートだった。

        

「何かOカントリーの香りがするぞ・・・」困ったような呆れたような苦笑いが浮かんだ。前の晩飲み過ぎてまさかの遅刻となった友人は駆け付けるタクシーの中で運転手さんに聞いたらしい。「ああ、結構色々あるけどOカントリーほどじゃないよ」幸い心配されたほど猛暑ではなかったが、天気が良ければ相模湾を一望できる素晴らしい景色だという。しかしとにかく暑くて結果は期待できないだろう、と私はこのラウンドに限ってこれまで何があっても変えなかった攻めのスタイルを封印し、前日のレッスンでコーチと約束した「腕を伸ばさずに打つ」という子供向けみたいな呪文をひたすら徹底した。「何か今日、たろーさん安定してますねえ・・・」自分のイメージではおもちゃ売り場で動くロボットのようなヘンテコなスイングだったのだが、不思議なことに真っ直ぐに飛び続けた。終わってみればこれまでなかったような、スコアが飛び出したのである。なるほどこれが一つの成果か?!私は喜び勇んで赤いライオン号を走らせたのである。「今日の結果から見るとあの人形のようなスイングがコーチの言っていたものに近いのだろう。これは忘れないうちに復習する必要があるかな」ラウンドした後に練習場に行くという、これまでの私には考えられない真摯な姿勢だったのだが、帰宅して凍りついた。「ゴルフバッグ、忘れてきちゃった・・・!」興奮のあまり?こういうオチだったのか・・・!?

サザン花火に同窓生集う

2015-08-04 20:09:00 | 出来事
夏休みに入って灼熱の日が続いている。関東圏の天気予報では熊谷、前橋が競っているが、恐らく一番暑いのはグンマの館林であろう。予報で読み上げられる地ではないので、最高気温を記録した時だけその名が登場する。夏休みに入っていきなり39.2度を記録したのにはたまげた・・・我が家の方でも服を着て出かける気にならないくらい暑いのに、もう活動できる限界が過ぎているような気がする。そんな中、私のホームショア(って言うほどでもないけど)周辺と正面にあるスケートボードパークを会場に「SHONAN OPEN」というイベントが数日にわたり行われていた。まだ回数は浅いらしいが、毎年規模を拡張し大手スポーツ店もスポンサーについて、かなり大きな祭りになるらしい。ビーチではキッズ向けサーフィン・ボディボード教室、パーク内では様々な模擬店舗や子供向けイベント、ステージショーなどが開催されていた。私たちはミニショップで「スケッチャーズ」という不思議な足裏感覚のシューズを購入した。

圧巻だったのはバーチカルランプという、スノボのハーフパイプを部分的に切り取ったような特設ステージで行われたスケボー競技だった。ボトムからトップまで約5メートル、身長を入れれば7メートル近くなる落差をスケボーで行ったり来たり様々な技で反転していく。ソチオリンピック銀メダリストの平野歩夢さんもサプライズ登場。いきなりの大技には鳥肌ものだった。海の日だったから妻と朝から行って、途中何度か海に浸かったが、6時間以上無防備で海岸にいたので、背中は「カチカチ山」状態だ。入口でモデルのお姉さんと記念写真を撮ってもらった時はもはや暗闇に溶け込むくらい黒く焼けていた。

      

そんな状態で8月に入って最初の土曜日、中学時代の同級生が集う会があった。以前、「茅ケ崎を語る会」で集まったのは、とある同級生が某SNSで駅ビルが新築となる、という投稿からだったが、今回も幹事からの案内ではその流れを組むものらしい。少人数ならば濃く語り合うことができるが、メンバーが多くなると本題よりは同窓会色の方が強くなってくる。数年前にヨーロッパ在住の同級生が帰郷したタイミングで集まった面々のようだった。クラスもまたがっているが、何十年ぶりというほどでもなく、何となく話がすぐに通じてきた。
クラス会というものは回帰現象があるのか湘南在住の人が結構いるようで、年に数回行われているようだ。中学同級生というのは、男子も女子もその後の人生がバラエティ豊かで10人いれば10人分の模様が感じられる。人生のハーフタイムともなれば、皆それぞれの歴史があり、「波乱万丈」な歩みがあるようで、自分だけがつまらない与太話ばかりでいかにも平凡な会社員ライフであり、話題性に乏しいのでつい気おくれを感じてしまうものだ。酒ばかりは浴びるほど飲んでしまうので、割り勘要員どころか疫病神みたいなものであり、声がけしてもらえばマメに出席にしないとそのうちにスルーされてしまいそうな恐れがある。

今回の会場は茅ケ崎駅から歩いて10分くらいのところで、酒造としては結構有名なレストランらしい。前回に引き続き野球仲間の「ガンさん(仮称)」と待ち合わせて行く予定が「遅刻するので先に行ってくれ」という。奇しくも「母の日」に母を連れてきた店だったので、迷わずに店にたどり着くことができた。時間ぴったりの到着だったのに既に半分以上のメンバーがそろい、和やかに歓談している最中だ。あまりの暑さに頭がくらくらしていたが、酒造自慢のピルスナー、アルト、シュバルツをトライアングルでがぶ飲みしてようやく落ち着いた。飲み放題コースは2時間、幹事によるとその後は一旦お開きにして皆で「茅ケ崎花火大会」見物にサザンビーチまで移動しようという。

    

我が家は毎年、飲み物を大量に買い込んで、チャリで浜須賀周辺の海岸まで接近し花火大会を見物しているが、その日息子甘辛はサッカーの試合でいるかどうか分からないし、もういい加減親と花火など見に行かないかもしれない。私がそのまま同窓会ごと花火に行ってしまうと、なまじ音が聞こえる場所なだけに妻を家に一人きりにするのはつまらないだだろうと思い、私は当初は1次会で抜け、帰宅してからあらためてチャリで海岸に向かうつもりだった。ところが試合帰りの甘辛がまさかの熱中症疑惑・・・冷房の効いた部屋で寝ているという。一人残すのはよくないと言って妻は家に残るようなことを言っていた。私は流れに任すつもりだったが、あまりの暑さに茅ヶ崎駅からお店まで歩くまでに汗だくになってしまい、「花火大会行かなくてもいいよな。ここで飲んでいようぜ」と苦笑いしていた。

同窓会の話題はこれまでも何度か書いたが、楽しい時間はどんどん過ぎてゆき、めいめい色んなグループで記念写真を撮り始めた。座席近くにいた者同士から、同じ部活のメンバー、スポーツ少年団仲間と色々バリエーションがあったが、私はなぜか「ピースっ!」と撮る写真はあまり笑わらないようで(本人は微笑んでいるつもりなのだが)そこここで「ほら、太郎。。。笑って!」という厳しい指導を受ける羽目となる。私は一応よそ行きの「ウルトラアロハ」、他のメンバもいかにも「夏場の海辺に住んでます」みたいなスタイルが多かった中で、一人浴衣を身に着けてきた女子がいた。我々の年齢でもこういう時に情緒を出せる彼女は素晴らしく小粋に清々しく見え、中々似合っていて周囲が別世界のようだった。そのまま帰るつもりだった私も「何かこのまま、皆と一緒に花火大会行くのっていいかもな・・・」と集合写真を撮って中締めした後、海岸までついていくことにしたのである。

  

お店からサザンビーチまでの道のりは線路を挟み歩いて30分以上ある。普段だったら絶対に歩き気にはならない距離だが、ぺらぺらおしゃべりの続きをしながらなら歩くと意外にも近く感じたものだ。我が家から毎年遠目に眺める茅ヶ崎花火大会はその昔から、それほど大したものではなかったが、信じられないくらいの人の流れだった。南口から海岸までのサザン通りが見物客で溢れかえっているのである。波に浸食されだいぶ狭くなった砂浜は我が家の近くと違ってかなりの段差ができており、観覧席としてはちょうどよい具合になっていたのだ。久々に「花火そのものを楽しむ」というよりは「花火を通じて一緒に過ごす時間を楽しむ」という気分を思い出した。家族で行くともちろん「一緒に時間を過ごす」なんていう感覚はもはやなく、超兵器203号を向けてひたすらにベストショットを求めるところだ。

  

しかし開始後20分くらいして、小さな試練がやってきた。ピッチャーで2時間ひたすらがぶ飲みした湘南地ビールが効いてきてトイレに行きたくなってきたのである。ビーチからは少し距離のあるところで、海岸だから周辺は真っ暗、しかし目を凝らして見ると砂浜の段差は見物客で埋め尽くされ、国道まで上るまでものすごく苦労しそうだ。遮る砂防林もないので、その場でというわけにもいかず、仕方がないので反対の江ノ島方面に砂浜を延々と歩き進み、ようやく何軒か並んだ小さな屋台の近くに仮説トイレを見つけた。皆のいる場所をきっちり目印か何かで覚えてきたわけではないし、真っ暗闇の大観衆で誰がどこにいるかも全然見えないから「こりゃー、このままはぐれちゃうかもなー。間抜けな話だ・・・」と、とぼとぼ歩いていたら、「おーいっ」と声を掛けてくれた者がいた。自分で言うのもなんだが「どうやったらこんなに焼けるの?」と聞かれるほど真っ黒で暗闇では透明人間同様の私は奇跡的にも発見され、皆と合流できたのである。(ウルトラアロハの柄が決め手になったのかもしれない)

かくして初めて集合して見物した花火大会もフィナーレを迎え、余韻を楽しみながら再び人で埋め尽くされたサザン通り(じゃなかったかもしれない)を駅に向かった。そこからめいめい3次会組と合流したり帰路に向かう者に分かれたが、しばらく3次会を共にして終電がなくなる前にガンさんと店を出たのである。一次会での歓談の様子、花火大会会場へ向かうときの皆の様子、花火見物風景など色々スナップショットを撮ってグループ非公開サイトを上げてくれた人がいた。後から自分の姿を眺めてみると皆が冷やかすように「せーの」で撮る写真ではあまり笑っていない・・・しかしその他の「盗撮」ショットはびっくりするほど変な顔をしているヤツばかりで思わず目を覆いたくなった。そしてどういうわけか私の身に着けていた自慢のアロハにどんな怪獣がいたかの話題となり・・・一部のメンバーでは次回は「怪獣酒場」で、ということになりそうだった。今まで話題的には鳴かず飛ばずだった私もいよいよ「センター」を取る出番がやってきたか?!いつその手の声がかかってもいいように、スケジュールは空けておこう。(って別に詰まってないけど)