超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

スーパー銭湯

2010-05-30 09:22:41 | スポーツ・健康
我が家はスーパー銭湯が大好きだ。頻繁ではないが、たまに思い出したように行きたくなる。
ホントの温泉ももちろん好きだが、雨が降って出かけられないときや、少し飲み疲れたなんてときは近くにある施設に足を運ぶ。
土日は少し高くなってしまうが、(最近全然行ってないけど)普通の銭湯にプラスちょびっとくらいだし、食事はもちろん最近は韓国式マッサージや足ツボ押し、散髪なんかもできるから半日いても飽きない。

もう20年くらい前になるだろうか、北茅ケ崎駅のすぐそばにこの辺では初めてのスーパー銭湯ができた。
それより前にも平塚や戸塚には古くから「総合入浴施設」みたいな感じであるにはあったが、どこも2000円近くして高額な入場料だ。500円ちょっとで利用できるスーパー銭湯はいつも盛況だった。
やがてその施設は何を勘違いしたのか、地下何百メートルも掘削して本物の温泉を引き込み、新装開店したのであった。
故郷でもそんな簡単に温泉が出るのかと当時はすごく驚いたが、日本全国深く掘りさえすればどこでも温泉は湧くものらしい。

新しい銭湯の入場料はほぼ倍!奥のほうに大きな露天風呂ができて、ゴージャスな感じになったが客足は少し遠のいたようだ。
明らかにマーケティングミスだね。車で1時間以内に日帰り温泉と言われる名所はたくさんあるのだ。
客は近所に無理やり作った自然温泉を期待して1000円以上の入場料を支払ったりはしないものだ。望んでるのはあくまで「スーパー」な銭湯なのである。

できたばかりの頃、私は一人でよくこのスーパー銭湯を訪れた。果敢にダイエットに挑戦しているときで、サウナも含めて1時間も費やせば軽く2キロくらいは体重が減るのだ。(むろんホントに痩せたわけではないが、「その気」になるのが大事なのである)
どの風呂も珍しくで好きだったが、ジェットバスが一番気に入った。マッサージされて気持ちがいいし、何となく「肉が落ちた」ような気がするのだ。
平べったい浴槽に足を投げ出して座り、背中から強力な水流が見舞われるスタイルのバスだった。

手すりを握って支えていないと体ごと押し流れてしまうほど強いジェットで何故か「頭皮のマッサージができないか」思いついた私が、ジェット噴射口のすぐ近くに頭を浸けたところ。。。。
ゴバシャーッ(と耳には聞こえた)という轟音とともに、頭ごと吹き飛びお寺の鐘のような低い響きをさせて後頭部を手すりに打ちつけた。。。
「目が火花が出る」というのはまさしくあういうことを言うのだ。「目の周りを★が回る」という言い方もできる。
首から上がもぎ取れてしまったかと思った。普段使わない首の力でどれくらいの水流に耐えられるのか見定められなかったのが原因の惨劇である。。。

また電気風呂というのもあった。左右の電極の間にある段差に座ると何とも言えないビリビリ感(あたりまえか!)があり、何に効くのかもよくわからなかったが、ひととおりはいつも浸かっていた。
正月明け新年会の帰りに自転車で転倒して足首を骨折したとき、半年以上くるぶしの少し上に金属プレートを入れていたことがある。
退院するとき女性看護師に自分の足首を指さして「スーパー銭湯にある電気風呂入っても大丈夫ですか?」と聞いたら、彼女は真顔っぽく「危険です。感電しますよー」と言っていた。

冗談かどうか分からなかった私は忠実にその言を信じ、約半年後の抜去手術まで何度もその銭湯に行ったが、電気風呂だけには近寄らなかった。
なーんかやられてるような気はしていたのだが、もしもホントにビリリーッときたら洒落にならぬからだ。
手術入院のときにその看護師はいなかったが、聞いてみると「そんなはずないですよ。もしそんなことがホントにあったら我々の責任問題ですもん・・・」
やっぱり・・・アイツ、騙しやがったな。。。よく考えてみればわかる。みんなロッカーの金属製のカギを腕に着けてるじゃぁないか。

もうあの銭湯は行かなくなってしまったが、我が街にも自然温泉ではもちろんないものの同類の銭湯が2件ほどある。車で15分ほどのところだ。
ひとつは湘南東急の近くにある「憩いの湯」
高温サウナとスチーム/アロマサウナ、ジャグジー風呂にジェット風呂、ぬる湯などがあって、外には露天風呂が寝湯も含めて3種類ある。
私も息子もここの「ぬる湯」が大好きだ。体温よりちょっとだけ暖かい湯には長く入っていることができ、副交感神経が優勢になってリラックスできるのだ。
甘辛がスピードくじでドクターフィッシュの体験コースをGETし、コップで1匹持ち帰ろうと企んだのがココだ。




もうひとつは藤沢橋から少し東に向かったところにある「湯乃市」
炭酸風呂や電気風呂、ジェットバスに高温サウナ、塩サウナ、寝湯が中にあり露天風呂が2種類と五衛門風呂がある。
系列が異なったので内部設備のカラーがそれぞれあり、気分によって行き分けることができたのだが、最近資本が統一されたようで、ほとんどまるきり「湯乃市仕様」になってしまったのが少し残念だった。。。

ただこのスーパー銭湯、実にイベントが多い。ほとんど毎日のように何かをやっている。ビンゴやイントロクイズ、入浴剤やタオル人形製作など楽しい企画ばかりなんだが、中には意味不明なものもある。
子供のために山ほどアヒルを浮かべてみたり、カエル(むろんおもちゃ)で浴槽を埋め尽くしてみたり、炭酸風呂(女)をバラの花びらでいっぱいにしてみたり・・・
珍しくもないが、炭酸風呂にはよくワインとか日本酒が入っている。息子は入ると当然すくって一口飲んでみる。
私はそんなことはしないが、ドボドボッと浴槽に注ぎこむところに出くわしたら間違いなく近寄って薄まらないうちにすくって飲むだろう。(まさか注ぎ口の下で口空けて待ってるわけにもいくまい)

年寄りがいわゆる「温泉でのんびり」するにはちょっとどうかな?というスーパー銭湯だが、色んな風呂やイベントがあり、マッサージや運動浴ダイエットにもなり、リラクゼーションやら何やら効能がいっぱいありそうなところが何度も足を運ぶ理由である。
家風呂でもそうなのだが、銭湯に行くと息子と色んな話をするし聞くこともできる。
息子が幼いときは、(大目に見てもらって)特殊素材でできた「お湯に浸かると色が変わる」ウルトラマンティガのソフビを持って入った。
そんなわけで我が家はまぎれもなく大ファンだ。今だにふと思い出したように「スーパー銭湯行きてえよー」と言いだすのである。

残るCM

2010-05-27 07:42:57 | 出来事
「おれぁ、東尾だよ・・・」
「プロ野球珍プレー好プレー特集」でみのもんたが味方の珍プレーに足を引っ張られる西武のエースの「つぶやき」としてナレーションしたのが印象的だった。(と言うかそういう印象しか残っていない・・・)
その東尾修氏のお嬢様がプロゴルファーとなったのは知っていた。また、裸足で靴を履くという石田純一と婚約したときも話題としては知っていたが、全く興味は無かった。

先日、ズームインで東尾理子さんと父上が出演している新しいCMが紹介されているのを見て驚いた。
父上が「本当にいいんだな、中古で?」と聞くと、ウェディング姿の娘は「いいの、私決めたの」と答える。そして、「10年保証はつくし、納得の値段だし」。そして、「東尾理子 中古を選ぶ」という字幕がでかでかと出る。
もう一本が父親が「ほんまにあれで大丈夫か?」と聞く。理子は「一緒に走ってきたパートナーだもん。中古でもモノはいいの。だからパパも高く買って」と訴える。字幕は「東尾修 父として査定中」。

うーむ。。。明らかに婚約相手の裸足靴男氏を示してると思うのだが・・・
親娘は親娘でこんなことを公然とCMに流して恥ずかしくないのか?裸足靴氏は腹が立たないのか?そもそもこのようなCM企画を考え出すメディアの人とはどのような感覚の持ち主か?
ホントに正直な感想から言えば「ちょーっと知性が足りないんじゃないの?こういうメディアで大丈夫?」

これまでに有名人の身辺話を直接出しちゃったCMはいくつか覚えている。
宮沢りえも婚約破棄事件から「すったもんだ・・・」とかやっていたし、最近では江川卓と故小林繁氏の対談みたいなのもインパクトがあった。
プライベートではないが、最近は元おニャン子が会員番号付きで出てきたり、ずばり12番が出てきたりで我々の年代は「おおーっ」と目が釘つけになるものもある。

またICE-BOXのCMにはフェンシングのオリンピック銀メダリストが出演していた。工場内で製造した巨大な氷塊を彼のフェンシングの一突きで粉々にし、下にある製氷器に貯蔵して商品を作る映像だった。
流れたテロップは「実際の製法とは異なります」・・・・あたりまえじゃんか!視聴者をバカにしてんのか、それとも本気にしてクレームを言うヤツがいる?あるいはイチャモンつけるヤツ?
後で紹介するように近年のCMでも「グッと」くるのが結構あるのだが、何とも情けない気分になることがある。。。

CMも時代を表す文化であると言われてきた。制作上の細かいプロセスは知らないが、コンセプトやら与える影響やら様々なファクターを考慮し、多くの人が関与して出来上がっていると思われる。
話題性やインパクトは間違いなく重要なファクターだろうが、そもそも商品を宣伝するのが目的だろうから、「名作」ばかりとは限らない。
最近やってないが、これまでに何度かテレビで「CM大賞」を見たことがある。色々なジャンルがあったが、大抵出てきたのはサントリーの白い子犬が走って行くヤツが超有名だった。
私もこのCMはほとんど毎週目にしていた。「笑点」を見ていたからである。

他にもその時代にテレビをよく見ていた人なら誰でも知っているもので懐かしいが、CMだけに印象は強く記憶に残るものの「心に残る名作」と言えるような作品は少ない。
新旧織り交ぜて私が一番気に入っているCMは意外と最近のヤツだ。
それはダイワ証券のCMである。(これも日曜日の何かの番組の間に流れた)

外国(西部?)の雑貨屋の店員である女の子にある少年が恋をした。何度も買い物をするが、告白しようとしてもその勇気がない。。。
ある日その店のレジには違うおばさんが立っていて、女の子はどこかに行ってしまったらしい。少年はがっくりうなだれる。
舞台の脇に教授のような老紳士が出てきて、テロップが流れるのだ。

「人間は行動した後悔より行動しなかった後悔の方が深く残る」

後から調べたら、その老紳士はギロビッチという博士で「行動非行動」を実際に研究しており、「人間は・・・」というくだりはその研究著書からの引用らしい。
昔のフィルムのようで切なく甘酸っぱい雰囲気もよいが、私は最後のテロップで電撃に打たれてしまい、あのCMを目にして以来、「人生、何事も先送り」だったのを「後悔、後にたたず」スタイルに激変させてしまったのである。(「先」ではないところがミソ)
100%それだけではないが、40歳でサーフィンを勇躍始めたのも間違いなくこの「名言」の影響を受けている。

年齢を経て体力の衰退を感じるとそのまま「自分に残された時間」を意識する。すぐに生命がどうこうなるというものではないが、「やれるうちにやっておく」という思いが強くなるのは確かだ。
私が経験的に見に付けたのは「やりたいと思ったことはすぐにやらないと実現しない」ということ。
何か始めよう、やろうと思いついたときに「今、忙しいからこの仕事が一段落したら・・・」とか、「子供が手から離れたら・・・」、はたまた「引退して悠々自適になったら・・・」なんてことをいっているものはたいていモノにならない。
そもそも間をおくと、「やりたい」という思い自体が薄まってしまうので、直接的な後悔とは若干ニュアンスが異なるが、こういうことが重なるといずれ「何もしなかった後悔」に苛まれるようになるだろう。
最近見ないが、あのCMをまた見てみたいものだ。

歴史が好きな私のお気に入りが東京ガスの「織田信長編」だ。(関東地方だけかなー)
妻夫木聡の家の箪笥から突如、織田信長が現れて現代の便利な電化製品に触れて行く。
箪笥を通って何度も戦国時代と行ったりきたりするうちに、妻夫木と仲良しになる。
ある日、信長がいつものように遊びに来て帰りに「じゃあ、本能寺に帰るわ」、驚いた妻夫木が「そこには行かないほうが・・・」
しかし信長はニコっと笑ってと二人で撮ったプリクラの印籠を放り投げ「達者でな」と箪笥へ去る。妻夫木も「達者でな」

帰った後の運命を知っており、もう会えなくなるのを悟っていたかのような信長の笑みと、返す妻夫木の切なそうな笑顔が絶妙だ。
他のはよく覚えていないのだが、織田信長がこのときだけ甲冑を着けていたところや二人で撮ったプリクラ写真などが相当に切ない。。。
ちなみに新しい方のCMでは、妻夫木聡が東京ガスの「ライフバル」とか言う訪問員で登場し、最後にその家の住人という設定で甲冑姿のままの信長が再登場するが、家にいたおばさんのリアクションが冷ややか過ぎて何が言いたいのかさっぱりわからなかった。(残念。信長シリーズ好きだったんだけど・・・)

昔のヤツには名作がたくさんあると思うが、今のを見てもCMに関してすごい名作を続けていると思うのが東海道新幹線である。
「シンデレラ・エクスプレス」(牧瀬里穂バージョンがいいかなー)の山下達郎が有名だが、私は「ファイト・エクスプレス」というのが好きだ。
たしか尾崎豊とか佐野元春を使っていたはずだが、故郷を離れ東京で頑張る人達への応援となった。仲間3人と上京する車内で父親からの手紙を読むヤツが一番好きだった。

感じた人がいるかさだかではないが、最後尾が東京駅?に入線するラストシーンがすんごく印象に残っている理由は今考えるに、新幹線の「顔」である。
それまでの開業時からの新幹線は丸く優しい顔だった。(鉄ちゃんは「0系」と呼ぶ)だが、そのCMに出ている新幹線は「細く厳しい目」をしているのである。(鉄ちゃんは「100系」と呼ぶ)
この細い目が何とも言えない「世の中の厳しさ」や新たな世界へ飛び込む「緊張」を醸し出しているような気がするのだ。
最近のアヒル顔の新幹線ではあのムードは無理だと思う。

ちなみに「シンデレラ・エクスプレス」が何シリーズも流行っているころ、21時近くの東京駅新幹線ホームは大変なことになっていたそうだ。
たしかCMも「東京駅21時発最終大阪行」かなんかだったろか。遠距離恋愛の魔窟と化して、一般客を寄せ付けないムードだったらしい。
学生時代の悪友は付き合っていた彼女も東京に住んでるのに、あの雰囲気を味わいたくてわざわざ東京駅で待ち合わせたそうだ。(当時は自動改札でないから、背後霊のようにホームに忍びこんだんだって)

最後にレコード大賞で言うと「審査員特別賞」あたりに相当するのが、明治安田生命の小田和正が「言葉にできない」がBGMで写真がつながっているCMだ。
実際にあった写真や家族が出ていて、主人公の男の子はホントに亡くなってしまうのだ。
いつまでも心に残るCMだと思うが、ちょっとたまらない気持ちにさせる「反則」とも言える名作だった。

昔から数多くのCMが作られ、その時代の風潮や流行を映しだしてきたのだろう。
映画やドラマのように時間や金をかけてではなく、15秒とか30秒で言いたいことを伝えるとは想像以上にすごい仕事だと思われる。
オートバックスはスポンサーとなっているM1グランプリの優勝者をCMに起用することにしているが、昨年だけかなり長期間決まらなかったそうだ。
優勝者が「パンク・ブーブー」だったからである。笑っちゃいけないが、みんな苦労してるねー。

体育祭

2010-05-23 21:51:54 | スポーツ・健康
土曜日は天気にも完璧に恵まれた体育祭だった。
今年から中学校へ通いだした息子甘辛には初めての体験である。私も小学校までは運動会、中学・高校は体育祭というネーミングだった。
30年前から開催時期もあまり変わらぬ。小学校と高校は秋、中学だけこの時期(初夏というべきか)なのだ。

先日、入学式以来の土曜参観に初めて訪れた甘辛の学校は、海岸沿いのロケーションで通学路にはサーフボードを積んだチャリが海へ向かう。
上空ではお弁当を狙ってかトンビが旋回しているようなところだ。

     

運動部でない息子は学校の上級生と接する機会があまりないから、1~3年縦割りチームの対抗体育祭は貴重な経験なのだろう。
二つの学区の小学校から進んでくるこの中学は市内で最大の学校なんだそうだ。
ちなみに甘辛の卒業したほうでないもう一つの小学校はTVドラマ「ヤンキー君とメガネちゃん」のロケ地になっていた。(驚)

子供の総人口は減っているというのに、この地方で学校に通う子供は増える一方のようだ。
正月だけ実家からサッカーの練習に足を運んだ、私の通った小学校も新校舎を無理やり建ててグランドは半分になってしまった。(あれじゃあ、運動会は無理だろなー)
甘辛が通った幼稚園の近くにも茅ケ崎市の小学校があったが、海岸沿いに「第二小学校」を建設中だ。
子供が増えるのはよいことだが、グランドがなくなって体育祭などができなくなるのは可哀想だ。

さて、「運動会」から「体育祭」になったのだが、どういう基準で呼び分けるんだろか。
万国旗があるのとないの違い?「天国と地獄」がかかるのとかからないの違い?
玉(玉入れ、大玉ころがし・・・)を使うのと使わないの違い?オクラホマミキサーが流れる流れないの違い?・・・
これと言った違いは決まってないんだろな。体育祭のほうが運動能力を競うカラーが強いだけか・・・

私はというと、高校時代の体育祭が名物過ぎて、中学の体育祭って正直あまりいい印象がない。
まず走力について初めて「挫折」(ってそれほど大袈裟じゃないけど)を味わったものだ。
小学校の徒競争は単に並んで走るだけだから、運動は「なんでもこい」だった私には楽勝の種目だった。むろんリレーにも出場していたので足は速いほうだった。
5年生のときにたまたま学校で一番早いヤツと同じグループでかち合ってしまい、2番に甘んじた以外はすべて1位のリボンを肩につけていた。

中学生になり「かけっこ」ではなく、クラスで走る代表を選ぶ「競技」となってずいぶん雰囲気が変わった。
自分から言わなくても知ってる友達から推薦され200m走に出場、得点源にカウントされていたが、クラスの速いヤツだけを集めた競技でも群を抜くほどには走力はない。。。
結果は6人走って5位・・・もう一人の選手は2位、両者とも「1,2位」は固いとされていたので白い目を浴びた。。。
このとき初めて自分が「選手としては大したことないこと」「200mを走り切る走力がないこと」を思い知らされた。

2年生になっても推薦はされ100mに替えてもらったが今度はホントに怖かった。。。結果は4位。
3年生になると最後の体育祭なので皆、気合が入ってくる。そんなところで結果を出せないと申し訳ないので、リレー1本にしてもらった。
リレーなら抜かれずに順位を守ってさえいれば「ダメさ」が目立たないからである。(我ながら消極的で情けない・・・)
上級生になるとやはり陸上競技部などで本格的な訓練を積んできた者が強く、「ただ速いだけ」のヤツも勝てなくなる。
私はサッカー部だったから30mくらいはすごく速いがその後がもたない・・・極短距離屋であったのだ。

一方で当時の体育祭は色々な新種目を試行錯誤する時代だったと思われる。騎馬戦は「軍国主義を思わせる」とか「エキサイトして危険である」とかそれらしい意見が出て、たしか2年からは種目でなくなってしまった。
私は身体が大きい方ではなかったが、いつも真ん中をやらされたからあまり好きではなかった。真ん中って両手が塞がって、ぶつかり合わなければならないから力も根性もいるんだが、目立たないし怪我も多い。まさに「けなげ組」だ。

小6だったか中1だったか、「最後の騎馬戦」でも真ん中だったが混戦のさ中、相手の騎馬の真ん中のヤツがなんと噛みついてきた!頭をぶつけたところに私の肩があったらしいのだ。
「いててて!こいつ・・・!」
すかさず、アーネスト・ホーストばりのローキックを炸裂させ、騎馬は粉砕、噛みつき男子はうずくまったまま笛がなるまで動かなくなった。
私は逆上するとなぜか左足が出る。もっとも後にも先にも人様を蹴り飛ばしたのはこの時と、東横線菊名駅で女性に絡んでいた酔っ払いがいちゃもんつけてきたときだけだ。
翌年から騎馬戦はなくなってしまったが、これが原因でないのは確かだ。(一応念のため)

騎馬戦に代わる種目は騎馬リレーなどというのもあったが、たしか中2のときに奇妙な種目が考案された。
ポートボール(って知ってる人は古い!)くらいのコートを作り、「二人三脚で行うサッカー」である。名前を「インベーダー」という。
当然、サッカー部の連中は大張り切りだ。私も女子にいいとこ見せようと相棒を引きずり回していた。
無理なんじゃないか?という疑念をもちながら練習を重ねていった中で、何度かルールも見直されたが、とうとう幻の競技になってしまった。。。
ボールの転がるスピードに二人三脚では追いついて行けず、すぐにボールがコート外に出てゲームにならないのと、それを無理に追い掛けようとして怪我人が続出したためである。
結局二人三脚方式は残ったが、サッカーではなくドリブルなしのバスケになってしまったのだ・・・

さて息子甘辛初の体育祭だが、やはり小学生とは違い見応えがある。騎馬戦も復活しており、彼は武者役であったが、鉢巻を取り合うのではなく鉢巻に挟んだ白い札を取り合うのだ。まるで「牛の刻参り」だぞ。
号砲一発、7つの色分けチームが一斉に動き出して戦い始めたが、甘辛の騎馬は全然動かない。。。
いるんだよな、騎馬戦で戦わずに逃げてばかりいるヤツ・・・
後から聞いたら、ちゃんと作戦があったのだそうだ。上級生から配られた各競技の戦い方はなかなか念のいった見事な作戦だった。



「騎馬戦は『逃げ騎馬』と『攻め騎馬』を作って、コンビで行動し他ブロックと共同戦線を張って得点トップのブロックを潰す。」

「全員リレーは最初と最後に速い選手を持ってきて、その間は速い人と遅い人を交互に配置する。バトンゾーンをうまく使って速い人は長く走り、遅い人は手前でバトンを渡す」

「綱引きは前から背の高い順で男女交互に並ぶ。全員、最後まで空を見て綱を引くこと」

そして感心したのは、共通して心がけることとして・・・・

①全員声をそろえる!②失敗を責めない!③失敗のあと、すぐに気持ちを切り替えて、集中して再スタートする!

うーむ。。。「荒れていたときもある」と聞いていたが、今は結構ちゃんとしてるじゃないか。服装などを見ても全員ちゃんと所定の体操服を着ているし、髪の毛も普通だし変なヤツはいないようだ。
ただ観客にはいかにも「お前、学校行ってんの?」という変わった姿のOBらしき男女が混ざっているようだ。
オリンピックのスノーボードで怒られた選手みたいなカッコしていても、こんな天気のいい日にやることがなく、母校の体育祭見に来るくらいだから、かわいいもんだ。

     

終了後、江ノ島のサイゼリヤで生意気にも「打ち上げ」をやるんだそうだ。あまりにも「腹減った」とうるさいので、いつもの5点フルセット(ハンバーグステーキ、フォッカッチャ、シーフードチャウダー、プロシュート、エスカルゴ)分の資金は持たせてやった。
我々は午後から見に来ていた実家の母親を茅ケ崎に送り返し、近所の「しらすやガーデン」で飲んでいた。

クラスメイトと仲良しなのはよいことだ。普段は学校で活動をしないから、仲間と接する機会が少ないからだ。
中学へ入ってもサッカーを続け、外部のクラブチームでちゃっかり(もとい、立派に)U−13ジュニアユース横浜S地区トレセン(選抜)に合格した息子だった。
小学校の選抜ではポジションが「ディフェンス」だったが、今回のトレセンはミッドフィールダーで登録されたから大喜びだ。
今のクラブチームで上級生とプレーをした瞬間、突如彼のプレーががらりと変わったような気がする。
中盤は運動量が多くやっぱり花形だからな。中学くらいになると体育祭はもちろん練習試合などでも、女子の黄色い声が飛ぶようになるようだ。
学校で活動していれば、母校の応援として期待できるんだろうが、クラブチームでは中々それが見られないのが親としては残念だ。
そのうちに邪心から「やっぱ部活に行く」とか言いださないだろな。


ワンパターンの強み

2010-05-20 06:32:36 | 職場
毎週定例の恐ろしく眠くなる会議がある。
別に内容が退屈なわけではなく、重要な周知もままあるのだが昼食後に開催されることが多いからか開催後10分も立たぬうちにもう白目を剥いていることもある。
「もしかしてこの『席』は呪われてるんじゃないか?!」と向いの席に変わってみたのだが、むろん効果などあるはずもない。

今週はたまたま午前中だった。それでも始まってすぐにお菓子のひよこが飛び始めた。。。
パワーポイントというのは会場が明るいと何も見えないし、暗いと眠気との戦いが忙しすぎて中身まで頭が回らぬ。
どうも時間帯ではないようなんだな・・・

我が社は積極的にエコ活動を行っている(つもり)ので、紙は配られないから後で眠くないときに資料を「見ておく」ことはできない。
二人に一人ずつくらいにPCモニターがあり、前方の大きなスクリーンにも資料が映し出される。
最近、省エネなのかモニターの数が減ってしまった。隣を覗き込み過ぎるといい歳をしたおっさんどおし頬をぶつけるなんていう世にもおぞましいことになるので、裸眼1.0を誇る視力で一番遠い席から前方スクリーンを眺めることにしている。

重苦しい雰囲気では決してないのだが、何とかこの退屈極まりない会議に「笑い」を取り入れられないか考えていた。
げらげら笑うのが眠気を吹き飛ばす最も素敵な方法だと思ったからである。(えらい人の怒号も眠気を飛ばすが滅多に見られないクールな職場だ)
くだらないおやじギャグでは凍死を免れないから、正攻法でプレゼン資料などで自然に誘う作戦を練っていた。
(なんてことを会議中に考えてること自体「退屈」ということだ)

目をつけたのは「見える化」である。
ビジネス本でも結構もてはやされており、漠然とした問題や「何となく」思っていることを皆で共有できるようにすることで、ものごとを分かりやすくし皆で改善しやすくするものだ。
言葉だけでも流行に敏い我が社は早速色んなえらい人が唱え出したところである。

せっかくだから何かあったほうが面白いと思い「コンテスト」形式でやろうと言い出した。
若い人を中心に集まって何度か議論してきたようだ。どんな笑えるモノが出てくるか楽しみなことだった。
しかしミーティングで出てきたのは・・・何だったかな、エコ関係だったと思うが棒グラフの「棒」が針葉樹の絵になっていただけ。。。
省エネ電力の効果は家に明かりが灯っていくイラストであったが、どう見ても火事で燃えていくようにしか見えない・・・

半日近くブレーンストーミングしてこれかよ・・・オレがやったほうが面白いんじゃないの?!(もしかして私と違い、会社員としての将来を捨て切れてない?)
だいぶ前だが昼食時に「ありゃ、ねーんじゃねえの?」みたいなことをチーフの人に言ったら、「大丈夫!ちゃんと隠し玉がいっぱいあるんで」とかましていた。
彼が言うには「一発屋」で終わらずに継続的に「笑い」を取っていくにはそれなりのテクニックと工夫がいるというのだ。

なるほど考えてみたらそうだ。
例えば棒グラフの長さをウルトラマンのスペシウム光線の長さで表したとする。仮にそれがヒットしたとして、次の回でウルトラセブンのエメリウム光線にしたところで冷笑を買うたけだ。
毎回毎回手を変え品を変え、着眼点や切り口を変え、「驚かす」ことがいかに至難の技か。。。

  

私は何となく今の「お笑い」を思い浮かべながら、その文化が二極化していることに気付いた。
息子甘辛も「お笑い」(特にドタバタ系)は大好きで、「レッドシアター」や「レッドカーペット」などその類の番組は必ず見ているようだ。
M1グランプリなるものもやっており、30年前の漫才ブームを思い出すような盛り上がり方だ。

しかし出てくる「お笑い芸人」のほとんどを覚えられない。。。特に定番/ワンパターンがよくわからないと全然記憶に残らない。
それぞれのネタは結構面白いのだが、ネタは分かっても芸人名などが出てこない。別の番組にゲストで出ていても何をやってる人か全然わからない。。
ひとことで言うと「長持ちしない」のである。レッドカーペットなんてその最たるものだ。1分間だけのネタでしかも1回きりだからだ。
ヒットソングなどにしてもオリコン登場いきなりトップに躍り出て、次の週にはもう圏外に落ちてしまう。。。

お笑いネタは「コンテンツ」だから、同じ人に同じネタで笑いをとるのはどうしても難しい。ネタの新鮮さを維持するために絶えず新ネタを仕入れていかねばならないのは分かる。
しかし、一方で私たちはまったく同じネタで何十年もやってきた芸人を知っているし、その人の「いつもと変わらないネタ」を見て喜び笑うところもある。
最近は正月しか見られなくなった(中には亡くなった人もいる)が、そういう「不滅のワンパターン」というのは尊いものだ。

歳バレ覚悟で古いヤツも織り交ぜると、難しいと思われる漫才やコント系でも・・・

「金もいらなきゃ、女もいらぬー、わたしゃもすこし『背』が欲しい」の玉川カルテット

「田園調布に家が建つ」のセントルイス(「もらう・ひろう・タダ」は今だに息子が使う・・・)

「いつもより余計に、回しております!」「これでギャラは同じでございまーす」の染之助・染太郎

「責任者出てこぉーい!」の人生幸朗

我々はこの人たちのVSOP(小学生時代に悪友に騙され30年以上「Very
Special One Pettern」だと思っていた。)を見て「待ってました」と喜び笑うのである。
ドリフもこの域に達するまで何十年もかかったと思われる。
実はお笑いなどは結構レアな世界で、このワンパターンを喜ぶ傾向は色んなところで見られるような気がする。
というか、「いつもと同じこと」を目の当たりにすると喜び拍手し、いつもと違ったことをされるといやなのである。

水戸黄門は何十年もやっているが、悪代官が途中で「越後のちりめん問屋」のオーラに反応し、印籠を出す前に「ははーっ」とやってしまったら、大半の人はがっかりするであろう。助さんが出した印籠にひれ伏すのでないといやなのである。由美かおるもなし!
同点の9回裏ツーアウトランナー2塁で、さよならホームランを打って欲しいのは長嶋であって、末次ではないのである。(すみません末次さん)
もちろんウルトラマンもフィニッシュはスペシウム光線であって、イデ隊員のマルス133ではダメなのである。(威力は同じとされている)

私が旅先で買ってくるお土産(食べ物)は何故にこれほど外すのか、たぶん「普段と違うものに興味を持ってしまう」からだと分析した。
七味唐辛子入りキットカット(長野)、ずんだ餅風味ポッキー(水戸)などなど・・・柿の種チョコなどは試食までして味を確認したのに食べる前に溶けてだいなしになった。。。
グッズ系も旅先では違和感はないが、家に持って帰って見ると天を仰ぎたくなるようなものばかりである。
(これは日光へ修学旅行に行くと、なぜかTM葵の木刀を買いたくなる心理なのであろう)

そんなわけで仕事上の「見える化」においては、あまりに奇をてらっても高い確率で「夢想花」の円広志やアラジンの二の舞になることを覚悟しなければならぬ。
「そこは磯辺さんの腕で。。。」と言われても、オレのトークはっきり言ってつまんないし・・・
色々考えたのだが、実現するのはマンボウが成魚になる確率くらいしか期待できないなー。

・立体メガネを配って肝心なところは飛びだして見える化する3Dプレゼン(アリスインワンダーランド作戦)
・音と光を使った新体感プレゼン。(新江の水族館作戦)
・歴代兄弟の飛行速度で各セクションの作業進捗を表す。予算超過気味はむろん赤タイマー点滅(ウルトラ作戦第1号)
・365日後の地球滅亡を納期として工事期間を表す。中間地点バラン星、多大な費用をつぎ込むがワープあり。 (イスカンダル作戦)
・三面怪人ダダのセットを使い、そのピラミッドの高さで成果を比較する。(オペレーション5・6)

  

うーむ。。。いかりや長介のもしもシリーズ風に・・・「ダメだこりゃ」


TUBE25周年ライブ

2010-05-17 22:42:19 | 出来事
先週末、チューブがその25周年にその原点の地とする鵠沼海岸でライブを開催した。
5/15に行われるとは聞いていたが、いつも息子とサッカーの早朝練習をしていたビーチバレーコートがモロに会場になっていたとは知らなかった。
ライブは15時過ぎからだったそうだが、その日はサーフビレッジ全体でビーチバレー他アトラクションがたくさんあって、まるっと1日家族連れで楽しめたようだ。

我が家は息子甘辛の午前練習があり、午後から「母の日」プレゼントとして茅ケ崎の母親をいつもの熱海保養所まで招待する予定になっていたので、ざーんねんながら見に行くことはできなかった。(来年も来てね)
午前中と言っても昼近くであったが、私は横浜のグランドに息子を送ってから、いつものポイントに向け桜クルーザー号を出動させた。
天気は申し分ないのに大した波もなく、漂っている時間が長かったが、引地川の河口を挟んで向こう側のサーフビレッジでは巨大なセットが構築され、バンドの「音合わせ」らしきものが聞こえたものだ。

今年チューブは市制70周年を記念する我が街の観光親善大使に任命されたのだそうだ。
後で聞くと、デビュー前からゲリラライブをやったり、有名になってからもずーっとこの海岸でのライブを熱望していたのだが、25年間実現してこなかったんだって。
鉄道や道路事情、周辺の環境などを考えると中々簡単にはできないらしい。
たしかに人手の割には大したことない(ごめんなさい!)江の島花火大会のときも、最寄の駅は若いカップルを中心として人が巷にあふれ、警備などに大変な手間がかかっているようだ。

社宅に住んでいたときは、部屋が一番海岸側にあったからベランダから花火を見ることができた。仲良しの家族を読んで皆で宴会をやったものだ。
東京から東海道線で帰宅しようとするとその日は浴衣姿の女性やらあまり似合わない男性の着物姿などで、ただせさえ混んでいる通勤帰りの列車がすし詰め状態・・・
一度車内アナウンスが入った。「江の島花火大会にお越しの皆様にお知らせします。本日は残念ながら荒天の為中止になりました。。。」
横浜から戸塚に向かう列車の中は一時、悲鳴にも似たどよめきで騒然としたのだ。戸塚で降りて上り電車に乗ればよいのに、どういう訳かとりあえず皆藤沢までは乗って来るのである。
せっかく麗しい浴衣姿なんだから、空いてるビアガーデンでも行って納涼すればいいのにねー。

さて、1日中賑わったホームショアだったが。チューブにライブは3万人の大観衆で盛り上がったそうだ。
この近辺と言えば子供の頃から「サザン」だったのだが、どういう訳か私はここ数年になるまでサザンのことはよく知らなかった。(まるでサーフィンと同様だ)
ボーカルの前田亘輝さんがほぼ同じ年代ということもあって、どちらかというと湘南=TUBEであった。
似たような歌ばかりで、タイトルと曲の区別がだんだんつかなくなってきたが、TUBEの新曲が出ると「あー、そろそろ夏か。。。」と季節を感じたものだ。彼らは湘南出身ではないと思ったが・・・

「湘南」というそのまんまタイトルのアルバムを持っていたが、CMなどで流れる有名なヤツ以外の曲には、江の島はもちろん、鵠沼、湘南、江ノ電など我々にとっては身近な地名や「いかにも」というシーンが結構でてくる。

「ん〜なっつだけぇ、やけにぃ混むぅ、えーのでんでーハコノリぃ・・・・」

「うみのーいえ、ふりーぱす、じもとじゃかおなのとー、ごじたぁくは、とおいぃのに、ろぉかーるき・ど・りー・・・」

ズームインでやっていた新曲でも「〜そういう感じの湘南 そぞろ歩けば鵠沼〜 当然 渋滞 国道・・・」うーむ。。。ローカル色丸出し・・・

ライブの最後?を飾ったと聞くのは、私がはるか以前から「いつか母校(高校)の卒業式で斉唱される日が必ずくる!」と言い続けてきた名曲である。(サプライズでTUBE来ないかなー)
彼らを観光親善大使に任命した市長は「藤沢駅の発車メロディーにしたい・・・」とのたまったそうだ。実現したら素晴らしい!音付きでこのサイトに掲載しよう。
ライブ終了後、3万人の観衆が一気に帰宅しようとすると大変なことになるので、新江ノ島水族館に協力を要請して営業時間を伸ばしてもらったそうだ。地元もなかなかやるなー。

次はいつかなー(海開きあたり?)。あらかじめ分かったら今度は必ず桜クルーザー号で行こう。
今回は立ち席エリアが7000円と聞いた。海までは立ち入り禁止にならんだろうから、沖合いから声援しよかな。
河口の反対側から迂回すれば警備員コスナーも海の中までもまさか追いかけてはこないだろう。これぞ特等席!「んっ?ボク波乗りしてるんですけど、それが何か?・・・」(夜じゃダメだけど・・・)
海辺のライブとは一度も行ったことがないが(どういう訳か開催もされていない?!)盛り上がりそうだ。
考えてみれば数10年前におニャン子(12番)他アイドルのコンサートには誘われて(もとい!自分から誘って)行った以外にあまりこういうライブの記憶がない。。。15年前の「ハウンド・ドッグ」だけかなー。

どういうわけか名作ミュージカルというものは結構見てきた。
「オペラ座の怪人」は日生劇場で(これは主役がすごくて結構記憶に残った)、「レ・ミゼラブル」はNYで、「フィガロの結婚」なんてベルリン、なんていう「本場」で見たのに恥ずかしながらさっぱり分からなかった。。。
三宅裕司率いるSET(スーパーエキセントリックシアター」も何度か行ったが面白かった。
ミュージカル以外も「寄席」にもよく行ったし、「ブルーノート」というジャズライブにも連れて行ってもらったことがある。(こちらは深すぎて食傷気味・・・)
年齢も重ねてきたので、歌舞伎のような「伝統芸能」に走りたいと思っていたが、やはり「血が騒ぐ」系も捨て難いよな。。。

波乗りに行っただけでカメラは持たなかったので、残念ながらライブ画像はなし・・・
写真はついこの前も訪れた熱海保養所の「得々コース料理」。刺身はやはり抜群で、魚介類のトマト鍋は海老や蟹のダシがたっぷり出て絶品であった。(私ならもっとイカとタコをぶちこむが)
地元で有名だという「イカメンチ揚げ」は予想通りの味覚、追加で頼んだイサキの刺身はふつう・・・
値段を抑えているので全体に派手ではないが、ボリュームがあってお腹がいっぱいになった。

      
   

翌、日曜日は朝食をとってすぐに出発しなければならなかった。(伊豆攻めを予定して準備していたが断念・・・)
帰りにコメダ珈琲に寄ったくらいで、母親には慌ただしかったと思うが、夕、夜、朝と3回も大浴場に通っていたからそれなりにはくつろげたろう。
天気は良かったが、午後になって風が強くなり海面がざわついている割には波はなし。

夜になって乾かしていたボードを庭から中に入れようとしたときに、西の空に細い月と明るい星を発見した。

    

おーっ、久しぶりに見るが金星じゃないか。この時間に近くに見える月は細くなってしまうが、珍しい光景だな。
久しぶりに中学のときにこずかいで買った10cm反射望遠鏡を取り出して息子にも見せてやった。30mmの接眼レンズ(倍率30×)程度ならそのまま撮影できるかと思ったが、やはり固定しないと軸線がうまく合わずに象を結ばない。
大昔の一眼レフ用アタッチメントを持ちだしてきたが、超兵器203号には装着できなかった。
何かよい方法があるはずだ。今なら土星が見えるがいきなり惑星では難しいから、半月あたりから始めるか。

発表

2010-05-14 23:31:53 | 職場
本社に1年間、仕事をしながら色々なことを学ぶ「OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)」という制度がある。
うちの会社固有のものではなく、結構広く採用されている。身分はその職場になるのだが、期間限定で自分のテーマを決め、仕事をしながら最後にその成果を発表するというものだ。
学生で言うとゼミみたいなものか?卒論テーマを決め、途中で1回進捗状況について披露し、最後に発表会で締めくくる。

そういう若手の社員が20数名おり、今日は1年間の目標設定についての発表会が開催された。
担当する仕事の内容、取り組む課題、関わる人々、そして1年後になっていたい自分の姿などをレポートにまとめ、8分間でプレゼンテーションする。
我が部門にもこの4月フレッシュな3名がやってきた。それに加え新たに転入してきた人たちも若く、しかも優秀ときているから、一番年下だった人も多少の緊張を持ちつつ「にこにこ顔」だ。

うちの会社は若い(というのはどこまでか微妙だが)社員を大事にしていると思う。くだんの3名にはごく年の近い先輩がメンターとしてつき、何かと相談にのったり発表に際してのフォローとかしている。
むろん上司も「ちょっとPTAが関わり過ぎじゃないの?」というくらい面倒見がよい。
今日が本番だったが、先日そのリハーサルというのが部門内で行われた。黙って聞いておればよいのだが、どうも悪い癖で何かと口を出したくなってくるものだ。

正直どれも「夏休み最後の日の宿題みたいに親がやってんじゃねーの?」というくらい見事なもので、来て1ヶ月でここまでできるものかと感心していた。
ただ夏休みの自由工作にしてはそれこそ「大半を親がやったように」無難で退屈なのである。
私は自身は温厚だが、人には過激であることを求め、革命的な言動を喜ぶ傾向にある。記録よりも記憶に残ることをやってほしいのだ。

それにしても20代の若者なのに、就職氷河期を生き延びてきたからか、プレゼンテーションの堂々たるや、大したものだ。
しかもリハーサルのときは、だいたいにおいてオーバーしていた発表時間8分を、まるで足元のADがタイムキーパーになってるかのようにピタリと終えてみせる。テレビニュース顔負けだ。
今でこそ、「即興で何か話せ」と言われても頭が真白にならないくらいの手持ちネタはあるが、彼らの年齢のときはとてもあんなに立派にはできなかったと思う。

生まれて初めて「学会」というもので百人を超す聴衆の前で発表したときは大学4年生のときであり10回以上はリハーサルした。
場所は神戸ポートアイランドホテル。さすがに前日の懇親パーティでも酒がのどを通らなかった。
夜遅くホテルの部屋に赤い顔した指導教授がやってきて、「最後にもう一度リハーサルやれ」という。
当時はOHPだったので仕方なく用意してきたフィルムを取り出しベッドの上で刺し向いになって説明を始めた。(異様な光景だ)
発表時間は15分。初めて2分で教授はいびきをかき始めた・・・・最後のフレーズ「本研究のまとめとして○●を考察しますと。。。」と言いだすとパッと目を覚ました。しばらく考え、「話しの流れだしと、締めはサマになってるんだけどねー」
おめー、寝てたじゃんか!!!
先日の「銘酒」で取り上げた長岡学会は翌年だ。(何回かの経験を経て、ずいぶん慣れた後のスパーク事件・・・)

プレゼンテーションも20年も会社にいれば色々やってきたが、印象強く思い出すのはああいった学生時代の学会発表や論文発表などで、入社してからこれと言った「聴衆」を相手にしたものは次年度入社式の司会とか交換研修での事業内容説明(英語)などくらいだ。
どちらも晴れやかな舞台に聞こえるが、どちらと言えば「忌まわしい記憶」に分類される。
共通して言えることは「現在でも呼び起こせるほど徹底して『セリフ』丸暗記させられたこと」。自分の内側から出た言葉ではないものを、いかにも自然にその場の思いつきでしゃべったように見せかけて口に出せるように何度も繰り返し練習したことである。
入社式司会はある意味その努力を買われて、何年か後のビッグイベントにノミネートされたが、もはや自身の羞恥心?を抑えることができず、席を蹴った。

丸暗記方式でプレゼンさせられるのに慣れてしまうと思考が停止してしまう。自身に対して嘘をつくような良心の咎めにもあう。
プレゼンのときに原稿など決して作らずにその場の気分や聴衆の反応などによって微妙に内容を変えていく訓練を自分に課して、少しずつできるようになってきたのだが、これまでの反動からか妙な症状が現れるようになってしまった。
「話しているうちに自分の話がだんだん退屈になってきて、色々変えたくなった結果、何の話をしているのかわからなくなってしまう」というかなり深刻な病状である。
プレゼンと言うよりは自分の意見をまとめて比較的時間をかけて披露するときに発症することが多い。
しゃべっている後から追っかける形で、自分がホントに言いたかったことが浮かんだ結果、「・・・と今までは考えていたんですが。。。」と風の如く前言を撤回してしまうのだ。

話を元に戻す。本日の発表会、午前中しか聴講できなかったが、皆さん見事な出来栄えであった。
学生の卒論と異なり、何を言っても「落される」ことはないのだから、次はもうちょっと「革命的」な話を期待しているぞ。
構造的にはご当人だけでなく、メンター役の先輩、指導する上司などの成果としても問われることになっているので、「危険分子」のようなこと言うと、横でにへらにへら笑っていた責任者にも「類が及ぶ」んだけど、社史上どんな過激なことを言ってもそのような事態になったことはないのである。


ひとり飯

2010-05-12 22:30:48 | 食べ物
「主人も家来もあるか。めしは一緒に食ったほうがうまい。さっさと食え」
「花の慶次」の主人公、前田慶次が家来となった元加賀忍者の捨丸に言ったことばである。(私はこの手の引用が多い)
奴隷同様の下忍として育った捨丸にとって、主従関係は絶対的に厳しいものであり、主人と同じ鍋をつつくなどあり得ない話であった。。。

我が家の食事相伴率はかなり高いほうだ。朝はいつも一緒だし、夕食も土日はもちろん、最近は息子の帰りが塾や練習やらで遅いから、結果的に一緒に食うことが増えた。
息子は私と異なり、外食を煩わしく思っているらしい。よほどうまいところなら別だが、中途半端なところだと面倒臭がるし、眠たくなったらいつでもベッドに倒れ込める家飯がよいらしい。。。
我々は大抵の料理はズバリ口をそろえて「うまい!」と言うし、そうでないとき彼は黙って残す。(私はその辺「大人」なのでちゃんと平らげる)
私が唯一、怒るのはテレビばかり見ながら一向に食事が進まないときだ。

一人暮らし期間が結構あったこともあり、「ひとりごはん」を虚しいと思うことはあまりない。大勢で食ったほうが賑やかでおいしいときも確かにあるが、ぱーっと食って出動したいときもある。要はバランスの問題だ。
ヨーロッパや米国で集団生活をしたときに、かの国の人たちが夕食にかけるばかばかしいほどの長い時間を憎悪したことがあった。
しかし、パリなどではよくお年寄りが一人で悠々とレストランで食事をしているシーンが見られ、我々にはできない芸当を持っていると思う。

一人で食事するときにはどのようなスタイルをとる傾向があるか?千葉で数年間一人暮らしをしていた経験を思い浮かべると・・・
外食では一番抵抗が少なく、圧倒的に多いのが「カウンターで食うスタイル」だ。ラーメン、牛丼、立ち食いそば、定食屋などファストフード系である。
すべからく店員恐怖症である私もさすがに食うためにはだいぶ鍛えられ、これらに準ずる店であればテーブルでも一人で食事ができる。

それでも意外とダメなのが、ファミレス、回転寿司、喫茶店などである。何と言っても一人では「間が持たない」のである。
元同僚もご家族が出かけているときに、一人でファミレスで季節限定フェアの「上海ガニスパゲティ」を注文して、大変な違和&孤独感を感じたそうだ。
さらに我ながら不思議だが、部屋などで一人でたしなむ以外には焼き鳥屋などで一杯引っ掛けて帰れない。
出張先などで一人で宿泊するときでも、一度は「土地の飲み屋」などでしんみり飲んでみたいのだが、これまでできたことがない。

最近はレストランや居酒屋などでも、「ひとりごはん」している人を見かける。中には絶妙の「間」をもって「流れるように」料理を口に運ぶ年配の人もいるが、だいたいは携帯でメールしたり、雑誌を読んだり、PCを見ながらの「ながら食事」であまり様になっていない。。。
やはりヨーロッパの(太った)人のように一人で泰然として時間をかけて食事ができるまでには修行が必要だ。
グラスワインを一杯だけ注文し、最後にナプキンで口を拭いて折りたたみ、サインの手ぶりをするのが上質の「欧風紳士」である。

一方で、ランチは?というとだいぶスタイルが異なる。職場では日によって色々なグループと一緒になるが、「社員食堂」でランチをとるのが常だった。
今年4月になって息子甘辛は中学生になり、弁当持参(私もそうだったが、うちの地方はずーっと中学校から弁当)となった。
幼稚園のときもたまにあったが、ついでに私の弁当も作ってもらえるようになった。食堂だとメニューを選ぶのが面倒でラーメンともりそばを交互に食べているのが現状であり、偏っているのでたまの弁当というのはよいことだ。
(基本的に嫌いなものは入っていないし・・・)

ただ弁当は自席で食べることになるが、省エネのため昼休み中はオフィスが消灯され真っ暗になるのが不便だ。
今は私以外にほとんどいないのだが、もう少し「弁当派」が増えたらどこかで集まって一緒に食おうかと思っている。
また、習慣として食べ終わった後、弁当箱を給湯室できれいに洗っておくことにしている。スポンジは備え付けを使うが、食器洗浄剤はないのでタオルとマイボトルをポケットに忍ばせて行く。
あるとき知り合いの女性がそれを見て感激して言ったことがある。主婦にとっては「素晴らしいこと」だそうだ。

別に褒められるような動機ではないのだ。
はるか昔中学生だった頃、夏休み直前の「弁当最後の日」に弁当箱を机の中に忘れてそのまま40日たってしまい、新学期早々それを取り出すという、世にもおぞましい経験をしてから、食べ物の残骸などが付いたものを持って歩きたくないだけだ。
結局「洗い方が不十分」らしく、妻が家でもう一度洗ってるようだし・・・

また、昼食を摂った後、歯磨きする人口も増えてきている。手洗い場所や給湯室などが賑わっている。
健康的にも気分的にも中々よい習慣だとは思う。午後から気持ちを入れ替えて仕事するってか。。。
会社に泊まったとき用に歯ブラシセットは置いてあるが、今のところ私は毎日使うことはない。うがいくらいにしている。
かなり魅力のある習慣なのだが、逆に強く常習化してしまったら、何らかの理由で歯磨きできなかったときの禁断症状が怖いのである。
たぶんその後1日ずーっと何やら「気持ち悪い」思いをしなければならないと予測できるのだ。

一時、一世を風靡した「美味しんぼ」でも「昼食に何をどんなスタイルでとるか」はサラリーマンにとっては小さな悩みだという。
時間が決まっているし、食べたいものと混み具合を計算しなくてはならないからな。(我が職場はあまりそんなことはないが)
ちなみに私が食べるスピードは恐ろしく速い。またラーメンやうどんなどは「舌も焼かんばかりに熱い」のを望み、ぬるいヤツは食べられない。
食堂ではグループみんなでテーブルに座るため、昔のスキー場のゲレンデのように「トレーを持って空席待ち」という状態がある。
したがってラーメン類を選ぶときには「確実にすぐに食べ始められる混み具合」を見極めなければならない。席が空くのを待っていると「ぬるく」なってしまうからだ。

ちなみに私は故郷の茅ケ崎に超お気に入りで毎週通っていたラーメン屋があったこともあり作り方にはうるさい。(むろん社員食堂にそこまでは求めないが)
サンマ―メン(県内用語?)、ミソラーメン、タンメン等の「具入りラーメン」はラーメンを別に作って具を乗せるスタイルはどうしても許せず、具を炒めたところにスープをじょわーっと流し込み、半分煮込んだような状態にして茹であがった麺の上にざーっとかける「アツアツ方式」でないとダメなのである。

美味いとは言え、ラーメンに1000円近くもとる店を決して認めないので、最近この方式を採用していて、さらに麺と野菜とスープのバランスが絶妙な一品に出会うことが少ない。
駅前の場末っぽい中華飯店であるが、マイエリアではほとんど唯一と言ってよい何度でも通える店をようやく見つけた。
いつも鍋の近くに座り、具を炒める順番やスープ、調味料を入れるタイミング、麺をゆで上げる時間など、すべて記憶してしまった。
飲んだ翌日(当日深夜の場合もある)、死ぬほど食いたくなるときがあり、来店するといつも期待通りの品をぶっきらぼうに運んできてくれる。いつかここでもご紹介した、多摩川より西部エリア名物「サンマーメン」である。

あるサイトによると、「ご飯の満足度というのは『期待した食感』と『実際の食感』のあいだの一致度の高さの関数」という。
「何だかわからないまま注文して食べてみたら美味しかった」という経験よりも、「こういう味のものが出てくる」と期待していたら「その通りのものが出てきた」という経験のほうが満足度が高いというのである。
どーかねー、食の好奇心旺盛で「未知の食感」に感動する人もいるだろうからなー。
しかし、面白いのは「トンカツが食べたい」と強く念じていると「胃袋がトンカツ型に凹み」、そこにジャストフィットでトンカツが嚥下されるときの快感は言葉に尽くせない、というところである。

外国で食事するとその辺はよく分かる。グルメ雑誌で調べたパリの準高級レストランにおっさん二人で入ったときに、店員がわざわざ英語で色々説明してくれたのだが、専門用語が多くて結局さっぱり分からなかった。
とどのつまり、出てきたメインディッシュは「タルタルステーキ」であった。
これはすこぶる美味しかったが、予想できていなかった「珍味」よりも、一応それらしい店構えの「サッポロラーメン」で期待した味だったときのほうがうれしかった。。。

もう一度パリに行くことがあったら、あのタルタルステーキを注文したい・・・とは正直思わないが、「私はパリに来たら必ずこれを注文するんですよ」という固定料理があったらかっこいい。。。
ワインはむろん「シュタインベルガー」であり、オバちゃんに「命知らず・・・」とたしなめられるようになれば本物だ。
昼食でも夕食でもよいのだが、「ひとりでレストランで食事をしていて、そこにいささかも『間が持たない』という感じがしない」エレガントな老紳士になれるのはいつのことであろう・・・

学校ってのは楽しいもんだ

2010-05-09 17:44:12 | 出来事
昨日は今年から中学生になった息子甘辛の土曜参観があった。
午後は全校で体育祭の練習だそうだが、午前中は4時限どれを参観してもよいそうだ。
順番は技術・家庭・国語・英語だった。我々が中学生の頃は男子が技術、女子が家庭であったが、今どきの教育はどちらも必修なんだって。

今日も気持ちよく晴れており、正直参観などにはもったいないが、中学に入って教室へ行くのは初めてだから1時間目から行くことにした。その後はもちろん海岸へ出動だ。
実は私は授業参観が大好きだ。息子の勉強ぶりを見ることではなく、「授業そのもの」がわくわくして好きなのである。
ときどき真面目に聞き入ってしまうことがある。。。

チャイムと同時に教えてもらった教室へ向かうと。。。何と!誰もいない・・・
あっあれ?時間間違えた?もしかして・・・今日じゃないとか?そんなはずはない、土曜日に授業なんて普通はやってないではないか。やはり土曜参観なのだ。
廊下の外に一人、姿を現すと教室内が一時騒然とした。



「誰のお父さんだ?えっ?」「おーっ!甘辛のパパかよ!」「へえー、甘辛クンの・・・」
「はいはい!前を向いてください」

先生はにっこり笑って教室内へ入るよう誘ってくれたが、とても一人で入る勇気はない。
デッドボールを食らった衣笠選手がピッチャーにするように手を振り、古葉監督のように柱の陰から、ちらちら除くスタイルをとった。
「技術」という教科を私は楽しみにしていた。何せ「材料科学」専攻だから。。。

しかしプリントを使ってぼそぼそやっているので、イマイチ何を勉強しているのかわからない。
廊下側窓際の人の机を覗きこむと・・・「製品に適した材料を選ぼう」
プールサイドで使用するいすについてふさわしい材料を選ぶことをやっている。
なになに?木材に金属、プラスチックか・・・
持ち運びがしやすくて水や日光に強いという点ではいかにも「プラスチック」だが、セレブが使うゴージャス版として「檜」のイスがあってもいいんじゃないか?なーんて考えていた。

窓際の生徒は何となく気になって邪魔なよう(あたりまえか!)だったので、古葉監督は先生に「オレにも1枚プリントください」というブロックサインを送ったのだが、気がついてくれなかった。。。
後から聞くと今年1年目の教師で、かなりテンパッっていたらしい。

次の時間は「家庭」である。裁縫でもやるのか、と思ったら「5大栄養素」の話だった。
この時間は黒板を使ってくれたぞ。なになに?「炭水化物は1gあたり4kcal、脂質(今は脂肪とは言わないらしい)は9kcalのエネルギーになる」
うーむ。。。これはためになるぞ。

主な働き、よく含まれる食物、摂り過ぎると・・・、不足すると・・・思わず聞き入ってしまった。
「たんぱく質は何でできているか、わかりますかー?」
先生の問いに教室内で手を上げる生徒は誰もいなかった。。。思わず小さく手を上げてしまった・・・
目があったので「うそ!指される?」と思ったが、違う生徒が答えてしまった。。。

「DHAって聞いたことある?」「うーん。DHCならおかあさんが使ってるぞー」
「化粧品じゃねえべ。」

いかにも少年少女らしいコントだ。
ドコサヘキサエン酸だよDocosahexaenoic acid、英語名も言えるなんてすげえだろ?
ちなみにDNAはさあ・・・心の中でつぶやいていた。
無機質のシリーズで出てきた栄養素(カルシウムなど)は黒板に書かれるたびに元素記号や化学式を口ずさんでいた。
でも「摂りすぎると」「不足すると」というところはよく知らなかった。実に勉強になるなー。

休み時間には教室に入れてもらって、風景の撮影をしてきた。
小学校とは違い、この学校は完全に海沿いにある。すぐ隣りがR134号で歩道橋は私がいつも波の偵察をする場所だ。
教室からグランド向こうに江ノ島が見えるとはすごい環境だ。休み時間に海に行くヤツがそのうち出てくるんじゃないか?



それにしても学校とは楽しいところだと思う。
単に昔を懐かしがるだけではない、「学ぶ」ことのワクワク感がある。答えを知っている私が聞いても面白いのだ。
教室の子供達の顔を見ていると知的好奇心の固まりのように見える。勉強が嫌いでも学ぶことは好きなはずだ。単なる「奇を好む性癖」とは違う。
まだ知らないことを教わることの快感は彼らにしか味わえない至高のものだろう。

それはある意味生存本能に近いものなのかもしれない。
つまりあらゆることは知らないよりも知っているほうが、いざというときに生存の可能性が高いということ。
むろん「生存」というのは生命の危険が関係する場合だけでなく、普通に社会に出てからもという意味である。

たぶん彼らはそんなことは考えずに無邪気に勉強しているのだろう。
世の中の知りたいことを知ることがいかに楽しいか、この年齢になってからよく感じるようになった。
「いくつになっても学問」と社会人で大学に入学する人が増えたのも分かるような気がする。

参観が終わった後に「部活動」の説明会があった。
甘辛は外部のクラブチームに入っているから、運動部との掛け持ちは基本的にできぬ。
文化部というのはよく知らないが、他に写真部や演劇部、華道部なんてのもおもしろそうだな。
何に入ったのか聞いたら「科学部」だって。うーむ。しかし科学部とは・・・「理論物理学者」を目指していた私には魅力的なものだ。
活動内容を聞くと、ペットボトルのロケットをはじめ各種化学実験にロボットコンテスト、そしてなぜか江ノ島のドラゴンレース出場などがあるらしい。
それは素晴らしい!オレも入っていいかな。サッカーより面白えかもしれねえぞ。

科学と言えば・・・以前ドラえもんの話題のときに紹介した千葉大学のユニークな入試問題「ドラえもんのタケコプターは実現可能か、その理由を道筋をたてて詳しく説明 しなさい」
知的好奇心全開にして、こんな答えではダメか・・・
(タケコプターは頭皮の小さい面積しか接着されていないが、『皮が剥がれる』というグロいことは起きないものとする)

ヘリコプターはプロペラのように下向きに風を発生させてその反動で浮かび上がっているわけではない。
飛行機と同じで翼に風を受け揚力によって浮かび上がるのである。つまり翼(ローター)を回転させることで自ら風を起こし、揚力を与えて浮かび上がる。
この原理で行けば頭にローターがついていても十分な回転により揚力を得られれば飛びあがることは可能なはずだ。
(ローターはプロペラではなく翼だというところがミソ)

しかし見たところ羽が1組しかないから確実に言えるのは、つけた人はタケコプターの回るのと反対方向に「回転してしまう」
ヘリコプターの尻に小さなプロペラがついているのは、この回転を防ぐためである。
またラジコンのドラえもんの頭にローターは2組ついているのは各々が逆回転して反動を打ち消すためである。
っと、まあ適当な答えだから信憑性は抜き!
それにしてもこんな問題ひとつにしても色々空想したりするのはホントに面白い。

甘辛も実験用に白衣を用意すると言うから、サッカーとは違うことにも興味を示すかもしれない。
眉間に皺を寄せて、指で抑え「うーむ。。。実に面白い」を口癖とする天才物理学者になってくれたらそれはそれでいいんだけどねえ。
身体だけでなく頭の中も成長期に入って欲しいもんだよ。

今日は母の日だ。
実家茅ケ崎の母親は視力に自信が無くなってきたので、免許の更新はもう止めて車は手放そうかと言い出している。
それじゃあ、電動アシスト自転車でもプレゼントするかと、一緒にサイクルセンターへ連れて行った。

今はずいぶん軽くなり、使い方も便利になった上パワーも強くなったらしい。
が、ケンケン乗りが禁止(アシスト機能で自転車だけ先に進み転倒してしまう)な上、店頭に無かった24インチしか乗れないというのでパンフレットだけに留めた。
一応、試し乗りしてもらったが、何だか危なかしくてハラハラもんだ。
「練習すれば大丈夫」と本人は言っているが、少し検討させることにしよう。
妻有蕎麦を土産において、引き上げてきた。。。

クールビズ

2010-05-07 23:27:34 | 出来事
なんと今年、我が社は5月1日から「クールビズ」を実行することになったんだ。実質的には昨日からである。
連休の1週間前くらいに通達があったのだが、そのときの陽気を考えると5月1日からの「クールビズ」は体感的にも「クール」そのものだと思われた。。。
寒いときはホカロンでも持ってくか・・・と笑っていたが、連休最終日はほぼ真夏日、連休中もぐわーっと暖かくなって半袖でも汗ばむほどになった。

たしか最初に施行した数年前が7月から、昨年が6月からでとうとう1年の半分がクールビズになってしまった。昨年の「6月から」と言うのもかなり違和感あったんだけどなー。
環境問題が本年度施策の大きな柱となっており、「お客様に大して失礼にならない範囲で」社長以下社員全員がノーネクタイ、ノー上着を徹底するんだって。
そう言えば、幹部室に入るために上着、ネクタイを着用して行った人が秘書室で注意されたそうだ。ふーん。そこまで徹底すんのか。

我々はもう完全に中年の域に達してしまい、「気にしない」人は気にしない(あるいは気が付かない?!)のだが、上着はともかく普通のサラリーマンスタイルからネクタイだけ外すとこれ以上ないくらいにみっともない。。。
やはりホワイトカラーのYシャツはネクタイあってのYシャツなのだ。取り外してよいのはカラオケスナックで盛り上がって「ff」を歌うときだけなのだ。
「世のおっさん」たちも少しは違うスタイルをトライしているようだが、さらに深みにハマって二度と浮かべない人が初期の頃はよく見かけた。
「ゴルフスタイル」である。

昔のサラリーマンの「お父さん」はスーツにYシャツ以外は持っていないのである。休日に家でごろごろするのはステテコと腹巻きの「植木等」スタイル。
出掛けるのはゴルフばかりなので、スラックスとアーノルドパーマーのシャツは持っているのである。
さすがに植木スタイルは滅び、今はスウェットが全盛となった?!し、街角では「クールビズ」用スタイルのマネキンが立つようになったのでアーノルドパーマーも消えた。

「普段着でもよい」というわけではないから厄介なのだ。Tシャツ、Gパンなら持っているが、一応目安としては「えりの付いたシャツにスラックス等」となってるようだから・・・
私は普段から白いYシャツというのはあまり身につけず、色ものやワッペンの付いた変なシャツを着ていることが多いので、かえってネクタイを取っても違和感がない。
しかし、どうもスーツの下だけというのはイマイチの感覚があるので、昨年「クールビズ用」のシャツとパンツをラ・ゾーナ川崎の「ZARA」で買ってきた。(別にズボンなどスーツのものでも変わらないのだが気分の問題だ)

しかし何となくファッショナブル(ってもう死語?)なボタンダウンシャツとかはすべて「半そで」である。
今日あたりも天気が崩れて肌寒いが、最高気温が20度にいかない日は朝夕はまだ寒いので長袖が欲しいところなんだが、デザインシャツと言えば、横浜ベイサイドアリーナ(アウトレット)で買ったJ・CREWとパリのZARAで買ったヤツしかない。
J・CREWは洗濯機に入れてそのまま回してしまったら、繊維がチクチクになって体中に毛虫が這ってる気がする拷問服になってしまったし、ZARAのヤツはSサイズで胸ボタンが閉まらなかったのでMに交換したら腕が長すぎて余ってしまう。。。何か買ってくるしかないか。

「あなたのスタイルなんて誰も気にしちゃいませんよ・・・」と言われそうだが、私には私なりのポリシーがあるのである。
これは私の定義する「じじい」にならずに「歳を経た若者」であるために自らに課したもので、「帰ってきたウルトラマン」の最終回で披露される「ウルトラ五つの誓い」のようなものである。
一部は私のお気に入りサイトからパクったところもあるが、かなりオリジナルなものであり、人によっては怒られるかもしれない。。。

一、 病気の自慢をしないこと。
   (年寄りになるほどこの傾向が強く、人間ドック後に同僚と飲みに行くとずーっとこの話題だ。私がたまに陥るのだ が、健康自慢もNG)

一、 家族以外の人と話しをするときに敬語を使うこと。
   (仕事のときに年下や役職が下の人にもなるべく使うようにはしている。って言うか使い分けるのが面倒臭いのもある。ただし役職で呼ぶときは「さん」はNG。また親しみをこめるときに一部「ちゃん」はあり。)

一、 下ネタをふらないこと。
   (元来嫌いではないのだが、女性がいる場合、いない場合などいちいちTPOを考えるのが面倒臭いので一律ふらない。「じじい化防止」には最も大事な戒律である)

一、 同じ話を同じ人に二度しないこと。
   (誰に何を話したかをちゃんと記憶しておくこと。自信がないときには「前にも言ったかもしれないが」という予防線を張っておく。最悪なのは自慢話で気を付けているのだが、酒を飲んだときに要注意)

一、 人に先んじるために走らないこと。
   (待っている電車が入ってきて空席が微妙にあるとき、無料で配っている試供品などをもらいに行くとき、花火や花見などの場所取りをするとき、ダッシュするような行為は「あさましいじじい的」な行為と見なす。ちなみに私は恐ろしく要領が悪いので決して場所取りを分担させてはいけない)

ちなみに本家「ウルトラ五つの誓い」は・・・

一つ、腹ペコのまま学校に行かぬ事。
一つ、天気のいい日に布団を干す事。
一つ、道を歩く時には車に気を付ける事。
一つ、他人の力を頼りにしない事。
一つ、土の上を裸足で走り回って遊ぶ事。

40年も前なのに、何とも新鮮で深ーい戒めではないか。(息子甘辛にはぜひ実践させたいものだ)

「じじい化防止」のための戒律の他に、幸い自分を戒めなくてもそのような習慣はないが、「いい歳して『私はバカです』って言ってるようなもんだから、やめなよ。。。」という「3つの所業」が
1.歩きたばことポイ捨て 2.列車のボックス席で足を投げ出し独り占めすること 3.短い脚を目一杯伸ばし大音響のエンジンならしてふんぞり返って乗る大きなスクーター

先般の「渋滞の科学」でも似たような話をしたが、「規制」をしたり「税金」を注ぎ込んで歯止めをかける以外に、「気を付ければ済むこと」とは結構あるものだ。
ビジネスの世界だけでなく、世間様を相手にしても「クール」に行きたいものである。

さて連休明けの週末、出先から早く帰宅したので帰りに途中の新宿駅で・・・

     

以前、同僚が異動する際に朝買ってきてくれて初めて食したのだが、あいにく送別会のスパーク明けでさっぱり味を覚えていなかった。
この機会に家族にも食べさせてやろうと思い、店に向かうと意外に列が少ない。。。
15分ほど並んで「名品」と言われるシリーズを無事GET。待ってる間に一番ノーマルなヤツを一つくれた。

今度はじっくり味わって食したのだが・・・ひとことで言って「ひたすら甘い」
妻は喜んでコーヒーをおこしていたが、「うーん。。。ひとつでいいや・・・」
息子はマンガを読みながらかじっていた。

「甘辛よ、どうだい、うまいか?」

「ふつう」

「ちょっと昔はコレ買うのに2時間以上も人が並んでたんだぜ」

「これで?ありえねえ・・・」

少し悲しかったが、そのリアクションはまさしく正しいと思うぜ。行列の心理とはわからないものだ。
実はオレも店でもらった1個で十分だったもの。。。

5.5ベイブリッジ

2010-05-05 21:05:55 | 出来事
今日は5月5日、「子供の日」だ。大型連休最後の日だったが、行楽日和の少し暑すぎる?1日だった。
概して今年の連休は天気に恵まれた。例年であれば家族で1日くらいはベタな休みがあり、江ノ島へサイクリングに行くのが常であったが、ジュニアユースのクラブチームに入ったばかりの息子甘辛は何と1日も休みがない。。。
まあ・・・好きなことやってるんだからな。私も海に行きすぎて首から上がまるで別人だぜ。

今日は未明から伊豆攻め(釣り)をするつもりだったが、U-15の試合に出られそうだというし、会場が大黒埠頭中央公園という初めての場所だったので、息子に付き合うことにした。
関内から本牧埠頭は海釣り施設があるから幾度となく行ったことがあるが、大黒埠頭というのはPA以外に足を運んだことが無い。
新しくできた「大黒埠頭海釣り公園」というのもあるがもちろん行ったことがない。
横浜港とみなとみらいを一望できるすごい場所だ。こんなところで釣りができたら雰囲気だけでも楽しいだろな。

最近、息子甘辛の試合の応援も兼ねた「観光」が多い。よく考えると県内であっても40数年生きてきて初めてという場所がこれほどあるのか、と驚いていた。
先日の津久井湖もそうだ。この前は飯山温泉の近くの「東京工芸大学」というところのグランドに行った。
大学のキャンパスなんて母校以外は何十年ぶりだろか。掲示板の「学生呼び出し」が懐かしかった。
ウグイスがひっきりなしに鳴いている完全なド田舎だったぜ。。。

さて今日の試合会場である大黒埠頭中央公園には、ちょっとした時間の勘違いもあって、試合開始の3時間前に着いてしまった。
「どうしよう・・・やることねえなー」と妻に言いながら、ニヤリと笑って一旦大黒海釣り公園に向かった。
サビキ釣りセットの準備をしてきたのは言うまでもない。
ところが、さすがゴールデンウィーク入口のところに看板があり、「海釣り桟橋は定員超過のため入場を規制しています」と見えた。
うーむ。。。やはりGW、8時半くらいの到着では甘かったのだな。

その辺をぷらぷらしていたが、基本的に埠頭というのは倉庫地区だから歩いても見るところが景色以外は全然ない。
朝早かったので従業員用入口?が開いており、そ知らぬ顔をして大黒PAに潜り込んだ。
これまで何度も訪れている横浜ベイブリッジのたもとにあるPAだ。




ここはデートスポットでもあるし上り線、下り線共用なのでゴルフやグループ旅行の集合地となり、自家用車を置き去りにして改めて大型車に乗り込んでアクアラインなど千葉へ出かけるグループが結構あるらしい。
つまり人は少ないのに駐車している車はやたらに多いということだ。

私は色々な地方にあるPAや「道の駅」が大好きだ。むろん、ほとんど地元に近いのでわざわざ記念にお土産を買うようなことはない。
ただ・・・「外し王」の所以とおり、手を出したくなる逸品がたくさんある。
それにしても、どこの地方の土産屋にも限定版「キットカット」というのはあるものだ。
七味唐辛子入りキットカットで懲りてから、さすがに手を出すことは無くなったが、「しょうゆ味」なんて言ういかにもやられそうな品がまさか東京名物とは?!



トヨタ博物館の名物カレーというのもあったぞ。横須賀海軍カレーならこの辺では有名だが、トヨタとカレーのどこに脈絡があるのか謎だ・・・
2時間近くあたりを物色し、信玄ゆかりの品や山本勘助味噌などなぜか多かった武田家グッズに手を伸ばしつつこらえ、ご当地ラーメン特集なんていう罠を何とかかわして、試合会場に向かった。
スカイウォークへ向かう道沿いにグランドはすぐだ。



横浜ベイブリッジのほぼ真下のグランドで試合するなんて結構すごい場面だ。
ちょーっと霞みがかかってるが、天気はよいしピクニック気分でも十分景色を楽しめる
今度は橋の反対側にあるという海釣り公園を攻めてみることにしよう。



私達とすごく近しいのだが、このサイトでよくコメントくださるスーパーグルメマダムが結婚記念日をお迎えになったそうです。
結婚記念日って披露宴を行った日だとすると招待客のご都合を考えると土日が多いと思うが、翌年以降記念日は平日になってしまう。
全国的な休日であれば忘れることはないし、毎年休みだからゆっくりお祝いすることができる。
我々の場合は平日ではあるが、大抵休むかさっさと帰宅してしまう上に翌日が必ず休みなのでいくらスパークしても平気だ。

祝いの日というのは毎年姿は変えても何かしら続けていくべきものだよね。