超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

お仕事です!フランス(パリ~グルノーブル)編Ⅱ

2009-10-30 04:00:00 | 旅行お出かけ
「一生に一度はやるかんねシリーズ」に堂々エントリーされていたTGVの旅。。。列車は山間の国鉄グルノーブル駅に滑り込んだ。
グルノーブルはパリとは全く違う、山々が近くに見える田舎町だ。
ホテルも街中の少しさびれた風の建物で市街地もそれほど大きくないのだが、グルノーブルには日本代表の松井大輔や大黒が所属したことがある「グルノーブル・フット38」というプロサッカーチームがある。

フランスの片田舎で、しかも料理や名物店など全く知らぬ「おっさん二人」は別便で来仏し合流した同社の邦人社員のお薦めで、大黒が在籍していた頃好んで通ったという店にたどり着いた。
結局のところは「チャーハンと焼き鳥を出す店」だった。。。
翌日は車でお迎えがやってきて市街からさらに外れた敷地にあるソフトウェアの研究所に見学に訪れた。

1時間ほど見学した後会食だ。さすがワインの国、昼食でも平気でワインを喰らっているではないか。。。
その後、ブリーフィングルームで用意していたプレゼンを行い、ディスカッションに入ったがすっかりワインによって口が滑らかになった私は「番組編集」しなければならない「ピー」となるやばいことをへらへらしゃべってしまった。。。
約2年前、我が社の施設で共同研究を行っていたという日本語ペラペラの仏人研究員が、その日はとっておきのディナーを用意してくれると張り切った。

終業後、タクシーを手配してもらい乗り込み、異動すること1時間、市街地を反対側まで突き抜け山道をひたすら登ると中腹に「えっ?」というような神秘的なレストランが現れた。
神田正輝の「旅サラダ」に出てくる大物女優でも絶対に紹介できないような独特な雰囲気のお店だ。
だいたいこんなところに店を構えて、お客さんは来るのだろうか?まるで空中都市パチュピチュなんだが。

真っ暗な店内に明かりがつき、どこからともなく店員が現れていつの間にかメニューを説明し始める。
全然わからないので、その研究員に「板さんお勧めコースでいいよ」とニッコリ笑う。

彼は流暢まフランス語で(あたりまえか!)シェフを呼んで話し込み、いくつかコースメニューを注文した。なんと奥さんは日本人だって。

地元でも有名なフルコースであるらしい。ふーむ。何が本場なのかよくわからぬが、中々の美味だ。
料理が運ばれるたびにそれと合う色んな種類の違うワインを注いでいくのがすごい!最後に修道女が飲むという特別なリキュールが運ばれてきた。
外国の田舎町って素晴らしいよなあ。いい気分になって、また45分かけてホテルへ。

翌日は午後のTGVで再びパリへ帰る予定だった。
グルノーブルなんて「地球の歩き方」には4ページしかないのだ。都市名は知ってるんだがなあ。
まず、朝一でバスティーユ城塞へ、ゴンドラで数分で着く、グルノーブル唯一の観光地のようだ。
景色は見事の一言に尽き、「モンブラン」という山を始めて見た。
日本は味覚の秋だ。我が母は大昔からケーキと言えば「モンブラン」が大好きだった。

今でこそ「モンブラン」という栗?を使ったケーキはメジャーなようだが、私が子供の頃は近所の「サフラン」という洋菓子屋にしかそれは無かった。
再び来ることはないような気がするので、何かご当地の御土産をと「外し王」の私は探したがさすがにこれと言ったキワモノがない。。。
前日ご一緒した研究員に電話で聞くと、「グルノーブル・フット・38」のオフィシャルショップがあるという。
場所を聞くとトラムで街を一周するコースとなる。時間ギリギリだ。

しかし、自分で言うのも何だが、再び無いかもしれない時の私の行動力は群を抜く。。。
迷わず市電に乗り、言われたショップへ。。。昼食時間が少し過ぎていた。
海外では普通の話なんだが、お店は「休み」と定義された時間は全くやる気がない・・・
フランス語しかしゃべれない店員に懸命に英語で

「オレは1時間後にTGVでパリに帰んなきゃいけねえんだよ!ユニフォーム売ってくれ!」

英語が分からなきゃ日本語で言っても思いは通じたんだろうが。
息子甘辛のために、二度とは買えない土産を無理やり購入した。

どこへ行ってもロクな土産を買って来ない私も、息子甘辛への土産はあるときの閃きから統一されて困ることがない。
「訪れたその国、都市のプロサッカーチームの公式ユニフォームを土産とする」
そんなのメジャーなやつは東京でも売っているんだが、「現地の店」で「現地の通貨」で「現地のサイズ」で買うことに意義がある。
ヨーロッパの各国はこれですべてイケる。ダメなのは米国なんだが、あそこはしょうがないから大リーグのキャップを買っていく。

復路の列車中は、すぐに日が暮れて真っ暗になったこともあったが、山ほどビールを買い込み、何に乗っているかを忘れて、見学していた研究施設やソフトウェア開発のありかた、なーんて話題に沸騰した。
しまった。。。TGV名物携帯ストラップ(そんなのあるかい!)でも買っとけばよかった・・・
こうして「世界一速い列車での旅」は終了し、私の銀河鉄道はメーテルとは程遠い40過ぎのおっさんとともに終着駅パリの99番ホーム(うそ!)に到着したのだった。

花の都に戻った我々は翌日、夕方のフライトまで別行動にした。
今お度は中心部の地下鉄を駆使し、ノートルダム寺院などを観光し、私でも知っている高級ブランド、エルメスやルイ・ヴィトンなどを偵察した。
シャンゼリゼ通り沿いにある、パリのプロサッカーチーム「サンジェルマン」の公式ショップでユニフォームを再び求め、最後に「地球の歩き方」にあったメゾン・ド・ファンファンというヴィンテージ屋で妻用のエルメスのキューブネックレスを買い込んだ。

エルメスは本物だが本店では気おくれがして買いに行く勇気がなかったのだ。
地下鉄駅ではストリートキッズ?!の魔の手(スリはホントにいた!)を振り切り、昼食の時間がなくなったのでオペラ・ガルニエそばの札幌ラーメンで最後の食事。。。
シャトルでド・ゴール空港へ向かって、このお仕事は無事完了したのだった。


お仕事です!フランス(パリ~グルノーブル)編Ⅰ

2009-10-28 06:02:09 | 旅行お出かけ
ここのところ色々あって、中々更新できずにいた。
旧PCの画像を新PCに移すべくストレージサービスを利用しているうちに過去に「海外でした仕事」の話題が結構あったので、少しずつディスクローズしてみようかと思う。
画像ファイルが年月日順になっているので、最近から過去に遡ることになるだろう。

まず第一弾はフランス出張編だ。時節は2007年9月に遡る。
当時、研究開発部門にいた私はパートナー会社にいる同年代の営業と「おっさん二人旅」を企てた。
行先は先方が選定したのだが、「ハードウェア業界の最新技術を展示するイベント」に参加し、その大手企業の研究所を訪問して実際の動向についてディスカッションするというものだ。

イベントの会場はなんとディズニーランド・パリ!市中心部から高速郊外鉄道で数十分のところだ。
いかにも半分遊びの「ミエミエ」のイベント開催だが、世界最大のPCイベントもラスベガスで行われるように、この類のイベントは望まなくてもお遊びとセットの要素が多い。
日本でTDLでイベントと聞いてもピンと来ないがあちらは結構催されるらしく、コンベンションルームも結構充実している。

展示会に事前登録すると普段数百ユーロ取る敷地内のホテルが137ユーロで宿泊できるという。
市内に宿泊するよりもかなり割安で便利だから、早速会社に申請したらなんとNG!遊び半分と思われたのか!?
「何でだよ!普通より安いし、移動もないから効率的に参加できるだろ!」
提携しているトラベル会社に詳しく聞くと、パリはニューヨーク、ロンドンなどと並び、グループで指定した都市ということであり、指定都市では特別に提携した指定ホテルに宿泊する決まりになっているという。

そのホテルは何種類かあるが、部屋がとれたというのは凱旋門からシャンゼリゼ通りとは反対方面に向かい、ポルト・マイヨー駅の近くにあるル・メルディアン・パリ・エトワールというホテルで1泊155ユーロ。
ディズニーよりも高くて遠いじゃんか・・・何と融通のきかない会社なのだ!
地下鉄に乗って、何とかという駅で乗り換え、郊外鉄道で40分、ホテルを出てから1時間もかかるんだ。とほほ。。。




イベントは2日間あったが、我々は1日半のみの参加予定だったので、仕事熱心な我々はディズニーを楽しむことなく、朝から晩までお経のような説明をうつらうつら聞いていた。
敷地内もバスで移動するほど広大なので、ちょっと抜けだしてパークへ、というわけにはいかぬのだ。。。
ディズニーは万国共通とは言え、二度とチャンスはないかもしれないのに、遠くに眠れる森の美女の城を眺めてリゾート・パリを後にした。

翌日・・・夕方移動のため午前中しか参加できないおっさん3人組(パリで現地法人の邦人と合流)

「もうさあ、1時間かけて半日見学のために行く気しなくね?今日はディスカッションもないしさ。」

という朝食時の私の一言で、半日観光が決まった。せっかく会場がディズニーリゾートパリなのに、わざわざ市街のホテルに泊まらされたことへのささやかな抵抗もあった。

出発はなんと予定より1時間も早い。。。遊びになると身体なんて軽ーく動くものさ。
街の広さ、街並み、道歩く人々や自然の息吹を感じるため、海外の都市に行く事があるとびっくりするくらい、まず私は歩く。
交通機関の雰囲気を味わうのは一通り歩き回ってからだ。

ポルト・マイヨ―広場から凱旋門へ向かい、むろん屋上からエッフェル塔を臨み、さらにシャンゼリゼ通りをコンコルド広場へ向かい、ルーブル美術館へ。
一通り見学するとたっぷり2日間はかかると言われたルーブルを2時間で風のように駆け巡る。まるで、余裕のない日本からのツアー客だ。
モナリザやミロのビーナスのミニチュアなど「外し王」の私が我を忘れる垂涎ものが並んでいたが・・・買わなくてよかったー。

オペラ・ガルニエから、マドレーヌ教会、バンドーム広場を巡る。
腕の長さでサイズを決め、「S」サイズを買ったら前が閉まらなかったデザインシャツを購入し、後で交換する羽目になった「ZARA」もこのあたりにあった。
40男とは思えない行動力だ。10km以上歩いたんじゃないか?ここで現地法人の彼はお別れだ。

ベルリンから訪れたという彼は、パリでもう1泊して翌日は「モン・サン・ミッシェル」ツアーに行くという。
日本人からは憧れの的と聞く、この神秘のツアーはパリから日帰りで行く事ができるが、10時間以上は軽くかかるという。
「彼曰く、モン・サン・ミッシェルに行かずしてフランスを語るなかれ。。。」いつか訪れてみたいものだ。

夕方はパリ・リヨン駅から念願のTGVでグルノーブルへ。約3時間の「世界の車窓から」だ。ちゃらんちゃんちゃんちゃちゃーらんちゃんちゃんちゃーん。
日本の新幹線を超える速度での快適な鉄道の旅が今回の「隠れテーマ」だった。TGVで移動しないプランだったら行かなかった。
彼の地の人々は身体が大きいので車両やシートはゆったりしており、しかも一等車両は横1+2列の3列構成だ。

日本の新幹線よりも静かな感じがする。また高架橋の上を走るわけではなく普通に地面の上を疾走するので、景色に変化があるときは、ものすごく速く感じるがだいたい牧場のようなあまり変わり映えのしない景色が多い。
パリからグルノーブルへの路線は途中、リヨン(都市)しか留らない。

毎度できるわけでもないが、海外(特にヨーロッパ)に行ったときはどこでもよいから、その国の中長距離列車に乗る機会をできるだけ作る。
フランスならもちろんTGV!鉄道ファンでなくても「世界の車窓から」コレクションにはぜひとも加えたいものだ。

つづく

歴女ブーム?!

2009-10-22 22:35:02 | ヒーロー
少し前になってしまうが、ズームインで「歴女」なる特集をしていた。
若い女性の中で、戦国時代が流行りでその昔は男子しかその名を知らなかった武将を「萌え」と称し、アイドルのように扱っているという。
もう30年近くにもなるが、私が自他共に認める「歴士」となったきっかけは、たしかTBSで放映していた「関ヶ原」がきっかけだった。

ウルトラ・特撮・アニメ&アイドルだけではないのである。
大河ドラマや昔あった年末時代劇など戦国や幕末実史を描いた番組が数ある中、「関ヶ原」ほど豪華絢爛なキャストを揃えた番組は見当たらない。
我が家では永久版として保存してあり、今でも何故か深酒して深夜帰宅すると見たくなる。

東軍
徳川家康(森繁久彌)、本田正信(三國連太郎)、加藤清正(藤岡弘)、福島正則(丹波哲郎)、鳥居元忠(芦田伸介)、本多忠勝(高松英郎)、細川忠興(竹脇無我)、山内一豊(千秋実)・・・
西軍
石田三成(加藤剛)、島左近(三船敏郎)、毛利輝元(金田龍之介)、宇喜多秀家(三浦友和)、上杉景勝(三沢慎吾)、大谷吉継(高橋幸治)、小西行長(川津祐介)、安国時恵瓊(神山繁)、直江兼続(細川俊之)、小早川秀秋(国広富之)
島津義弘(大友柳太郎)・・・
女性
北政所(杉村春子)、淀殿(三田佳子)、おまつ(沢村貞子)、阿茶局(京塚昌子)、お夏局(小手川祐子)、細川ガラシャ
(栗原小巻)、出雲阿国(木の実ナナ)、初芽局(松坂慶子)
その他
豊臣秀吉(宇野重吉)、前田利家(辰巳柳太郎)、原マルチノ(田中健)、国友寿斎(笠智衆)、北庵法印 ( 大滝秀治 )

ナレーションが石坂浩二である。「関が原」をよく知らない人でもいかに奇跡的なキャストかおわかりだろう。
原作が司馬遼太郎で、少年だった私はこの番組を見て以来、一気に司馬遼太郎シリーズに嵌り込み、あっと言う間にほぼすべての著書を読破することとなった。
「竜馬がいく」「国取物語」「坂の上の雲」は今でも手放さないMy名著である。

ただ弊害もあり、文庫本では歴史物小説しか興味を示さない、限りなく偏った読書家になってしまった。。。
今でこそ雑食系でどんなジャンルでも興味深く読めるが、当時は高校、大学から社会人になっても、その歴史偏重傾向は変わらず、戦国、幕末、そして中国古代史と比較的狭いワールドでひたすら読み尽くすこととなる。
最近でもたまに読むが、著者、作品ともそろそろネタが尽き、「どう考えても時代の脇役」や隠れキリシタンみたいな主人公を題材とした著書しか無くなってきた。

息子甘辛は「三国志」から見事に入ったが、戦国系は少年ジャンプの「花の慶次」にほれ込み大河ドラマが始まるはるか前から直江兼続のファンになっていった。
最近では戦国BASARAというゲームが出て、アニメにもなっているようで、どちらかというとキャラクターものとして扱い始めている。
まあ・・・「信長の野望」という有名なRPGみたいなのもあったし、似たようなものか。。。

ゲーム系はいざ知らず、このような歴史物とともに歩んできたと言ってもよい私だが、これまでの経験から言うと女性って不思議なことに全くと言っていいほど歴史には興味を示さなかった。
今でも妻を含め知ってる人はすべて例外なく歴史の話なんか全然乗ってこない。。。
ところが、ズームインで特集していた「歴女」なる人達は前述「関ヶ原」に出てくるような武将をあたかもお気に入りのアイドルのように慕っている。

「いざ京へ歴女上洛ツアー」なーんて冗談みたいな企画がホントにあるようだ。熟女3人組が参加し、殺人事件がおきるなら、まさしく「杉田かおる」の出番か?!
市内の戦国武将ゆかりの寺や史跡を巡るほか、右京区の東映太秦映画村で開催中の「太秦戦国祭り」に参加するそうだ。
太秦戦国祭りは、戦国時代をテーマにした映画やゲーム、コミックなどを一堂に紹介するイベントだって。うーむ。そんな香ばしいイベントがあったのか・・・今まで知らなかったとは。。。

しかし、テレビ画面に映ったのはほとんどコスプレ。。。ちょっとセクシー路線で自作の武器を引っさげ・・・うーむ。あのヒトたちはやはり何か勘違いしてないか?
リポーターがマイクを近づけてインタビューすると、どうも「戦国BASARA」のキャラクターとコスチュームをなぞっているらしい。
しかし史実など関係ない単なるアイドル好きか、というと意外にその武将の生涯や歴史における位置づけ、人物像などを熱く語っているではないか。

「石田三成」のファンである女性が多いという。
武芸に長じいかにも戦国武者というスタイルの「伊達政宗」や「前田慶次」、「真田幸村」というものではなく、ゲームキャラとしてはイマイチ冴えない「石田三成」が人気、というとことが女性の好みとして面白い。
明らかに「天地人」の小栗旬効果だと思っていたが、あの巨大な「栓抜きのお化け」みたいな髪型はカッコいいとは言えなかったよなあ。

私が最初に出会った司馬遼太郎の「関ヶ原」はもともと史実を冷静にと言うか、石田三成が主人公みたいなものだった。
「徳川家康に負けた人」ではなく、「豊臣家への忠義に熱い正義の人」みたいな描かれ方をしていた。
石田三成を語るコミュニティにも、「意思を曲げない真っ直ぐなところや、真面目で義を大切にしているところが大好き」「義に生き、死ぬ。文字では簡単だけど、そんな風に生きられるものは三成しか見当たりません」などと熱く、書き込まれていたそうだ。

そんなところをちゃんと反映しての「三成ファン」であったら、かなり侮れないしむしろ一度語り明かしてみたいものだ。
さらに私見を言うなら彼の周りには「男気が素晴らしい輩」が多い。直江兼続もそうだし大谷吉継、島左近なども見事な武将だ。
それにしても10月最初の土日にあったという「太秦戦国祭り」というのは楽しそうだ。コスプレも嫌いではないし、時代モノなら抵抗感もないだろう。
息子甘辛も七五三の記念撮影には特別に頼みこんで「鎧武者」をやらせてもらったのだ。兜が重すぎて傾いでいたので後ろから私が支えている写真が今でも飾られている。

私は戦国武将を衣装で演じるとしたら「織田信長」がやりたい。個人が好き、と言うよりはマントが好きなのだ。戦国武将の中では際立って傾奇者だったはずだ。
来年は仲間を見つけて、しっかりスケジュールを組み、台風で新幹線が止まってもいいように江の島タコせんべいを携帯し颯爽と「上洛」するとするか。
ちなみに写真はご存知約30年前、息子甘辛と同じ修学旅行先日光で買った伝説の掛け軸である。

オンブバッタ!?

2009-10-15 22:53:38 | 出来事
「おおっ、父ちゃんめずらしいぜ!オンブバッタだどー」

息子甘辛が何か見つけたようだった。
うーむ。まだまだ甘いな。。。オンブバッタという種類のバッタはホントにいるのだ。
そのまんまだが、普段何をやってるわけでもないのにオスがメスの背中に乗っかったシーンが多く見られるバッタだ。姿は我が家の庭でよく見られるショウリョウバッタに近い。

それよりもこの高貴な顔つきを見てみよ!これこそ最近ほとんど見なくなった「トノサマバッタ」である。
子供の頃は学校への行き帰りにも原っぱはたくさんあり、草系で見られるバッタ、キリギリスなんてのはよく獲ったものだ。
水辺が近ければオニヤンマ、銀ヤンマもたまに見られた。

「飛翔体系に強い」太郎たる所以だ。白地の巨大な虫捕り網など必要なし!と言うか持ってるヤツがいなかった。。。
当時その中でもトノサマバッタはウルトラサイダーで言うと「母」並みのレアもので、姿を見つけることもたまにしかなかった。
よく似た「クルマバッタ」というのはいくらでもいたのだが。。。

この辺でも手頃な背丈の草が生い茂る「原っぱ」はほとんどなくなり、公用グランド周辺の未開地くらいしかバッタを見かけなくなった。
数年前、息子甘辛がサッカーを始めたばかりの頃、ぶかぶかのユニフォームで試合に臨んだが、会場のグランドはかなりの田舎であり、試合の合間に選手達は「バッタ」を獲りに躍起になっていた。
なかには試合なのに、虫捕り網を持ってきてる選手もいたのだ。

山梨県オニヤンマ協会で「この顔を見たら要注意!」の張り紙をされた私は、当然バッタを捕獲するなど造作もない。。。
独特の手掴み法で瞬く間にコンビニの袋を一杯にした私は、よく甘辛達に「サッカーしに来たんだからな!」と手渡したものだ。
それでもやはり「クルマバッタ」が多かった。

そんな我が父子がひょんなことから、「トノサマバッタの楽園」を見つけたのだ。
父の眠る湘南霊園茅ケ崎公園の横の空き地である。
写真は先月のシルバーウィーク、彼岸ということもあって墓参りに行ったときのことだ。小夏さんからわざわざいただいた「西方より来たる!」ウルトラサイダー「母」はこのとき御供えしたものだ。

茅ケ崎でもかなり北部の「海」とは言いがたい丘にあるその墓地は、当時あまり人に知られてはいなかった。
今でも亡き父が「ここがいいな」と呼び寄せられたような気がして、たまたま見学に行ったところである。
高台で海こそ見えぬが、冬の空気が透き通った日には見事は富士山が見える名所だ。

墓標の列が向きとして富士山正面か背を向けるかがあって色々話し合ったが、富山の田舎出の年寄にしては従来合理主義者の母が、

「死んじゃった人よりも来てくれた人が正面で見られるようにしなきゃ。。。」

と墓標は富士山に背を向け、拝む我々が正面に臨むようにした。
その祟りなのか、今まで何十回と参っているが、まともに富士山を見られたことがない。。。
そしてその高台から広大な広場を抜けて端っこの誰も行かぬ奥地の川へ降りていくとその楽園は発見された。

そもそも甘辛が幼いときに、法要だ御参りだと御坊様の御経があまりに退屈なので付近を探索していたときに発見したものだ。
何せ霊園の真横の広場なので、「殺生」は憚られるし、そもそもそんなところまでバッタを獲りに来るものはいない。
最初は甘辛は巨大なショウリョウバッタを発見し、手掴みで捕まえた。

「じーじに見せてあげるんだ!」

とお墓の上にセットしたが、御供えとは程遠いし、第一生きている。。。
そのうち歩き回っているうちに、飛び立つバッタがやけに激しく飛ぶことに気付き、よく見るとこれぞ最近では幻に近い「トノサマバッタ」だったのだ。
あれ以来、墓参りに行くたびに我が父子はその楽園を偵察することにしている。幸いこれまで手付かずで草むらが潰された様子もない。。。

写真はもちろん、「マウント」と言う交尾のシーンで近づいても動かないのだ。
我々が近づくと「危険が迫った」と察知して分離し飛翔するかと思ったら、意外にもオンブ状態でジャンプのみ!
かなり御取り込み中だったらしい。しかしこんなシーン、生まれて始めて見た。

以前、幼い息子があまりに喜び「仲良しのSちゃんに見せたい」と言うので捕まえて付近の草と一緒に水槽に入れておいたが、すぐに全部死んでしまった。
トノサマバッタ系はイネ科の植物を食べるそうだ。可哀想なことをしてしまった。
そもそも飛翔する昆虫をデカイとは言え水槽に入れるのは間違っていた。。。

しかし、毎年決まった季節(初秋から晩秋)にこのめったに見られない「殿」は健在でいつも期待している。
仮面ライダーのモデルともなったこの風格ある面構えにはずーっとお目にかかりたいものだ。

トノサマバッタの繁殖とかけて、松崎茂のCMで有名になった一眼レフカメラメーカーととく。そのココロは・・・「EOS(イイオス)」が大事です。。。

体育の日

2009-10-12 19:27:12 | スポーツ・健康
今日は3連休最後の日、「体育の日」だった。
体育の日が10月10日でなくなったのはいつ頃だったろうか。。。私達の年代にとってはどうもハッピーマンデーというのはピンと来ない人が多いのではないか?
私の子供の頃から運動会はもう少し早く、9月中に行われることが多かった。

だいぶ記憶には薄いが「春の小運動会」と「秋の大運動会」があったような気もする。
そして運動会というのは小学校まで、中学以上は体育祭となる。。。
歴史は古いらしいが、小学校は6年あるから私の経験しただけでも運動会って色々変遷してきたようだ。

例えば我々のすぐ次の世代・・・「ゆとり教育」なのか「競争第一主義への抵抗」なのか、各競技に順位をつけず徒競争なんか皆で手をつないでゴールしたときもあったそうだ。
「騎馬戦」は普段の友達を「敵」と呼んだり、怪我人を続出するため中止・・・騎馬リレーやおんぶリレーなどに姿を変えたこともあった。
丁度私の世代は「トラディショナルな運動会」と「中途半端なデモクラシーが入った運動会」の境目あたりだった。
それが理由ではないと思うが、私にとって運動会ってあんまり印象の強いものではなかった。

さて今年は息子甘辛は小学生最後の運動会だ。
学校は私にとってはうれしいことに、6年間10月10日にベタベタの運動会を伝統的に行ってきた。
同じクラスの中でも白組赤組に別れ、あまり共闘意識が出ないのがイマイチなところだが、これまで5年間同じ校長先生が

「さあー先生はどちらを応援すると思いますか?赤組?白組?もちろん両方ですよねー」

といいながらテツ&トモみたいなトレパンを朝礼台の上で脱ぎ出し、最新仮面ライダーW(ダブル)のように赤と白半々の服を披露し、大喝采を浴びるのだ。
残念ながら体調不調を理由に引退され、今年は変わってしまったが、なんと来賓でいらっしゃっていた。
普段(と言うか運動会のときにしか)見ない校長先生だったので、顔にイマイチ自信がなく、妻に

「ねえ、あそこの人、紅白ダブルだった前の校長先生じゃね?」

色んな人に囲まれてたから、たぶんそうなんだろう。今年の校長先生は紅白にならなかったからたぶん前の校長の衣装は自前なんだろな。
ココロなしか今年のほうが「校長先生のお言葉」の後の拍手が少なかったような気がする。「引継ぎ」が不充分だよね。
この学校は毎年「これでもか!」と言うほどベタな競技をやってくれる。

昭和30年代の正しい「運動会」を見ているようだ。騎馬戦なんか「大将戦」までつくからな。
ところで甘辛の学校は一学年で5~6学級、我々とそうは変わらないが、今は子供が減り一学年2学級とか3学級というのが多いらしい。
社宅時代仲良しだったSちゃんの学校も2とか3クラスしかないんだって。

幼稚園の場所取り戦争のように暗いうちから・・・というのも何だが、グランドがガラガラというのも祭としては寂しいものだ。田舎の分校じゃあるまいし。。。
このエリアは子供が減っているなかでも、住むには人気エリアらしくかなりの児童数を誇る藤沢では上位のマンモス市立校だ。

6年間この学校で運動会をやってきた息子甘辛だが、正直言って最後の年はイマイチパッとしなかった。
リレーは補欠にしかなれなかったし、徒競争もまさかの惨敗。。。
応援団で一生懸命太鼓を叩いていた。6年生くらいになるとサッカーやってるからと言って「足の速さも一番」というわけにはなかなかいかないものだな。

我が家も茅ケ崎の実母を呼んで弁当持ち込みの応援だ。今年は特にギャラリーが多かったような気がする。
昼休み、グランドに面したところに教室のある甘辛のクラスメイトたちは、前を通りかかると

「おおーっ、甘辛のパパってあのウルトラマンだろ?すっげえ!」「どれどれー?」

一斉に顔を出してきた。
私は鉄人衣笠がデッドボールをくらったときに投手にやったように手を振ったものだ。。。
あまり有終の美を飾れなかったような気がするが、それでも見ごたえはあった。
192人ピラミッド(写真)なんか生まれて初めて見たぜ。

私は息子甘辛には同じことを言ってきた。「世の中のことは2度繰り返すことはない」
1年生の運動会も3年生も6年も。。。同じことを再びやることはない。「常にこれが最後と思え」
まあ、卒業してしまうと6年間走り回ったこのグランドで運動会することはないので、いつもよりは「意味」が深いとは思うが。
4年生のとき、満を持して臨んだ冬の選手権を1回戦で負けたときも同じことを言った。
サッカーでも何でも、「止めない」限りは何事も通過点に過ぎず「これで終わり」ということはない。

息子はここ一番というときは必ず自分が思うように晴らすが、この3連休は家で寝ていると病気になるとほど行楽日和だった。
私も合間々々で海に繰り出し、台風通過後の割りには波はなかったが最高の陽気だった。
10月10日は東京オリンピックの開会式があった日だそうだが、統計的には「晴れ」が多い日を「体育の日」と選んだそうだ。

旧体育の日(10月10日)とかけて、研究所勤務時、最寄りの駅まで同じ場所で4回連続チャリで転び、同じところにアザを作った磯辺太郎ととく。そのココロは・・・「ハレタ日」が多かったんですー。。。


強台風来たる

2009-10-08 23:02:15 | 出来事
よほど強く大きい台風だったのだろう。コースが列島を縦断していたからか!?
本日予定していた地方圏の責任者が集まる会議は前日に延期になり、息子甘辛の小学校も同じく休校となった。
来てもいないのに前日から予定を変更してしまうなど、これまでに記憶がない。。。

我が家は平べったいから、地震や強風を感じることはなかなかない。
深夜から早朝にかけてはものすごい暴風だったらしいが、朝、目が覚めるまで気が付かなかった。
一応、家のまわりを点検して回ったが、特に壊れたり浸水したところもなく被害は無かったようだ。

ただ、以前と同様ウッドデッキの隅にあるカメのケースが水であふれてしまい、パックンの姿が消えてしまっていた。。。
この前は我が家を1周しお隣さんの家の前でうずくまっているところを拾われて助かったが、今回はまだ我が家のまわりをうろうろ歩いていた。
あの暴風の中、外で放っておいたのはかわいそうなことをした。

ニュースを見ると首都圏JR線は東海道線も含め片っ端から止まってるではないか・・・湘南新宿ラインなんか最初から全線運休だ。なんというやる気のなさだ!
貨物用線路も含め色々な路線を渡り歩いて進む湘南新宿ラインだから、ちょっと何かあると一番最初に運転が打ち切られてしまう「けなげ組」なのだ。
しかし予想していたことだ。前日に「電車が止まったら来ないよ」と言ってあるし、念のためにメールも打った。甘辛は元から学校が休みだし、ゲームでもして遊ぶか。。。

実は前日、やはり雨が降っていたが、通勤時に私は散々な目にあった。横浜駅で人身事故のため横須賀線が止まってしまったのだ。
ニュースでアナウンスしていたが、「影響を受けているらしい」くらいに軽く考えていた。
しかし雨の中、駅まで行くととんでもないことになっていた。人であふれコンコースにも入れないのだ。。。

振替乗車券もどこでもらえるかわからないし、第一そこまで行くのに何十分もかかってしまいそうだ。
ようやく小田急改札にたどり着くと、そこではJR振替乗車券は配ってくれない。。。「なんとかならねえの?」と尋ねると

「570円で切符を購入いただき、新宿で事情を話せば払い戻される・・・かもしれません」

うーむ。小田急職員じゃ約束はしてくれないもんなあ。ロマンスカーには空席があるが、そうまでして行くほどの仕事はないし、会社に義理もない(やばい?)
人の列は全然動かず、渦は拡大するばかりなので出られなくなる前に脱出し、一旦帰宅した。
もう一度雨の中を駅まで行き、とろとろの満員電車で2時間かけて新宿へ。会社へ着いたのが11時50分、これだけで疲れ切った。。。

翌日は強力な台風が接近しているのでおそらく電車は止まるだろう、といつもより晩酌を多く遅くまで飲んで・・・
東海道線運転見送りのテロップをテレビで見て悠々と会社にメールを打った。動き出してから家を出る気でのんびりしていた。
意外にも長い時間、列車の運行は止まり動き出したのは昼過ぎだった。会社へ着いたのは2時、結構大事な会議があったんだが、終わりの15分しか出られなかった。

旅行の土産もそうなのだが、私は「交通機関のトラブル」に対する処置について、絶望的になるほど「外し」が多い。
移った先の列車がさらにトラブルなどざらで、3重トラブルに遭遇して最後にはやけになったこともある。
何かのトラブルで列車が駅から発車しないとき、じーっと待っているといつまでも出ないし、振替乗車券で乗り換えたとたん動き出したり。。。
計算したことはないが、「裏目に出る確率」は四捨五入すれば80%に達する。1回だけバスに乗ったことがあるが、なんと路線上の道路で事故があり、私鉄乗換のために一駅進むのに1時間半かかった。
たぶん、交通機関でトラブッったときは、私と逆の行動を取ればかなり高い確率で正解が得られると思う。

少し遠い距離を通勤していると、交通機関の乱れをもろに受けてつらいが、子供の頃は「台風」が接近すると妙にワクワクしたものだ。
学校を早く帰ることができ、部活はむろん休み、道路は川になっていてじゃぶじゃぶ歩くのは楽しいし、停電で昼間なのにまっ暗くなるのも痺れた。
試験の間近で台風がやってきて停電になったとき、机の四隅にろうそくを置いてその明りで勉強したことがある。
そのとき、叔母が遊びに来ていて感心したらしく、後日私が進学を決めたときに

「あんなときでも、あれだけ集中して勉強していれば、受かるものよねえ」

実はそんな褒められることではなく、単に「ろうそくの炎の明りで勉強する」というシチュエーションとその動作がわくわくしてたまらなかったのだ。
被害を受けた人には笑い事ではないが、子供の頃はあとから大笑いネタになることもあった。

「たっちん(竜也という名前)ちって、屋根だけ飛んじゃったらしいぜ。今朝、青空の下で朝ごはん食ってきたって。次に雨降るまでに直るかなー」

茅ヶ崎の実家のすぐ横に同級生の女の子の大きな家があった。
台風が接近し、学校が途中で休校となって下校してきたとき我が家の玄関に向かう細い私道に曲がろうとした瞬間、後ろでものすごい音がした。
その女の子の家を囲んでいた道路側のブロック塀が一気に崩れ落ちたのだ!今考えると危なかったー。
気の毒なことに翌日からその子の家の中は通行人から丸見えとなった。あるときはご飯を食べてるし、あるときは小さな犬と遊んでいたり、洗濯物をたたんでいたり。。。

いい歳していると台風によって色々な経験をしているものだ。
転んで頭に大怪我し死にかけたり、サイパンで遭った台風を帰りに飛行機で追い抜いてもう一度日本で遭遇したり。
しかし今回の台風は「誰かが操縦してないか?」と思えるほどまっしぐらに列島を縦断したものだ。まるで魔送球のような無理のある曲がり方だ。

明日あたりは台風一過、雲一つない天気で海も適度な荒れを残し、サーフィン日和だと思うんだがなあ。

ドクターヘリとかけて、巨大台風接近時の息子甘辛ととく。そのココロは・・・どちらも「キュウコウ」を期待してます。。。

実写版!ヤマト

2009-10-05 22:23:15 | ホビー
今回はファンの方が見たら怒りだしそうな話題もあるので先にお詫びしておこう。。。ごめんなさい。

「今晩は実写版にするなら誰がいいか、語り明かそうぜ」

近所の創作炉端料理屋で息子甘辛は張り切っていた。
家を出る直前、インターネットのニュースを見ていた私が

「な、なーんと!ヤマトが実写版になるんだってよ。古代はキムタクかー」

と叫んでから、家族が騒然とわいわい議論を始めたからだ。
ウルトラの他にもたくさんあるが、私達は「宇宙戦艦ヤマトと育ってきた」と言ってもよい。映画の第一作目見たのは確か中学生のときだった。
最初のテレビ放映はそれほど人気が無かったと記憶してるんだが、その後なぜか人気が爆発し、同世代の男女で見たことがない人はいない。
つい先日も幕張で先輩の大部長とヤマトについて熱く語り明かしてきたものだ。

私も妻もそれだけ思い入れが強い。甘辛は劇場で見たことはないが、家でよくビデオを見てるのと、「さらば宇宙戦艦ヤマト」のゲームを親子でやってるから、話題には難なくついてこれるほど詳しい。
実写版の話は私はニュースで見ただけだったが、早速息子はメインキャストが載っているサイトを探しあてた。
これを眺めて家族で一致した意見。。。(ここから叱られ覚悟・・・)

「キムタクの古代はイマシチ許せぬが、他にばっちりいいのがいるか?というと古代のイメージが強すぎて無理っぽいからしょーがねーか・・・」
妻に言わせると、古代進に特別思い入れはないが、キムタクは違うそうだ。キムタクとヒロスエは何を演じても「キムタク」と「ヒロスエ」にしかならないからダメなんだって。うーむ。。。結構鋭いな。
イスカンダルへ旅したときは古代進は宇宙戦士訓練学校卒業したての10代だったはずだ。年齢的にも無理があるんだよな。
個人的には直江兼続のほうがまーだ近いんじゃないかと思う。

「森雪が沢尻エリカだったら、監督に抗議の手紙を出すところだった・・・」
森雪のキャラに沢尻エリカはないだろう。。。黒木メイサという人はよく知らないが、女王様でなければ誰でもいいって感じ。ちなみに私の意見では「若い時だったら」という条件だが、黒木「メイサ」ではなく「瞳」だな。単に好みというところもあるが。

「沖田艦長(山崎努)は雰囲気が出ているが、ちょっと年取り過ぎじゃないか?必殺仕置人じゃあねえー」
沖田艦長のキャラは元々難しいだろう。だいたいあんな真白なひげ、特殊メイクでも作れるのか?もう少しがっしりした体格が欲しいところだ。山崎勉はどちらかと言うと土方艦長のキャラじゃないか?ちょっと影があるところも気になるところだ。何せ「骨はずし」で有名な「念仏の鉄」だもんなあ。
個人的には故三船敏郎さんにやってもらいたかった。

「徳川機関長(西田敏行)もなかなかよいが、『西遊記』のブタのイメージが強く、徳川さんが可哀そう!?」
でっぷりして頑固おやじのようだが、若者に理解のあるやさしいおじいさんという感じで西田敏行はかなりイイ線いっている。しかし、最近でも「宝くじ」CMみたいにドタバタが多く、「波動エンジン始動!」というカッコイイ決めセリフに合わない。岸辺シローとのコンビのほうがフィットする。

ちなみに番外編だが、ハ―ロックだったら金城武、メーテルはやっぱり黒木瞳、畏れ多いことに銀河鉄道777(もとい!999)の鉄郎なら息子甘辛でいいんじゃないかということになった。さらに鋭いことに甘辛案ではエメラルダスは小雪。。。
デスラー総統らは後日発表だそうだが、我が家の予想?意見では20世紀少年の佐々木蔵ノ助。。。
私はアンドロメダの艦長に志願したが、却下された。。。

それにしても35年ぶりにCGで復活するヤマトの波動砲をぜひ見てみたいものだ。
息子甘辛はさらに別サイトで「アニメ・宇宙戦艦ヤマト復活編」を発見。なんと今年放映されるらしい。
これには古代進と森雪の一人娘「古代美雪」が登場する。むろんヤマトの艦長は古代進、年齢は38で微妙に老けている。。。

はじめて行く炉端焼屋で家族の実写談話は盛り上がり、焼酎ボトル1本空けたあげく帰ってビデオを見ようということになった。「宇宙戦艦ヤマト完結編」だ。
実際の映像を見ながらまたしても、このキャラなら誰だとか話を咲かせた。
気が付いたら酎ハイ缶6本も空けて撃沈。。。翌日いい天気だったのに、海にも行けず久々の二日酔で寝込むはめになった。。。

「エネルギー充填120%!」
「フライホイール接続、点火!」
「ヤマト発進!」

香ばしき人々

2009-10-03 07:22:26 | 職場
職場で私のいる部門には40人ほどのスタッフがいる。
至ってありきたりの人達ばかりだと思っていたが、先日の岩手紀行で同行した二人が身近なところで意外と「香り高い人たち」だったので紹介しよう。
一人は自黒の九州男児イワさん、もう一人は虚弱系の優男Tちゃんだ。

小岩井農場まきば園のレストランで修学旅行らしき女子中学生に囲まれて小さくまとまってジンギスカンを食っていたときの話。
次週、我が家の息子が修学旅行を予定していがインフルが怖いという話から、それぞれ修学旅行どこへ行ったという話、そして海外旅行や出張などの話へ発展していった。
どう見ても最近の仕事量は超人的なんだけど、飄々と顔色に出さないタイプのイワさんに

「そう言えば、イワさんって入社後『海外青年協力隊』でどこかに行ってたんだよな」

「マラウィですよ。マイナーな国です・・・」

「それって・・・・どこ?」

アフリカの東部、ザンビアとモザンビークにはさまれた細長い小さな国だそうだ。
2006年、世界銀行の報告では8%台の経済成長を遂げたが、依然として世界で最も貧しい国のひとつらしい。
国民の健康状態も良好ではなく、HIVが蔓延しているために、平均寿命も40歳に満たないんだって。

「何でまたそんなところに行ったの?」

聞くと、中学生のときに地理の先生から「ペルーの女性は美しい」と聞いて、将来必ずお嫁さんとして連れてくることを決意し、青年海外協力隊に志願したそうだ。
残念ながら本命のペルーは別の協力隊が既に渡航していて、数年は機会がないということで断念したらしい。
そしてある日、事務局から「アフリカでよければ・・・」と紹介されたのがマラウィだったんだって。

インターネットで調べたら確かにあった。。。(当たり前か)
マラウィ湖というそのまんまの湖が国土の20%を占めるようだ。首都リロングェも公用のチェワ語も聞いたことないし・・・
イワさんが言うにはチェワ語の面白いのは「ン」で始まるモノが結構あること。

トウモロコシの粉をひいて炊いた主食(南部アフリカでは定番のよう)は「ンシマ」という。
この手の話の大好きな人が聞いたら大喜びする、首都リロングウェの北にある「ンコマ」、マラウィ湖のほとりにある「ンカタベイ」
さらに中部には「ンチシ」、「ンチュウ」などという都市があり、南部には「ンサンジェ」という地名もある。

マラウィに行った人が日本で「しりとり」をやったらほとんど無敵だろな。
「ンシマ」を主食にマラウィ湖の「チャンボ」という鮒みたいな魚をおかずにした食事だったそうだ。
そして最後にマラウィのカラスって白黒なんだって。日本では権力に屈するようなとき、「烏の頭白く・・・」秦王もビックリ!

そんな話で色々盛り上がった矢先、大人しくラムを食っていたTちゃんが、独特な高くか細い声で「実はボクも海外で勤務したことがあるんです・・・」
聞いたら、なんと第3●次南極越冬隊!すげえ経験したもんだ。紅白歌合戦「白組がんばれ」って出たかな?
もともと、研究・観測目的の昭和基地滞在、学者や研究員が主役だが、酷寒の地で生活するために様々なサポートチームがおり、その一つの業務だったそうだ。

南極観測船「しらせ」には輸送のための海上自衛官と観測隊を乗せて航行している。観測隊には色々な分野のエンジニア、調理師、医師や看護師はもちろん理容師もいるそうだ。
ひ弱で色白のTちゃんが普段マイナス40度くらいな過酷な環境での任務など志願するわけはなく、仕事の関係で業務命令に従っただけだそうだ。
それでも基本的に運動はせず身体が蓄積型になる上に、高カロリー食品ばかり摂取するので今よりは5,6kgは太って帰ってきたそうだ。大抵の人が行きに持って行ったジーパンがはけなくなるんだって。

「そもそも訓練って無かったのかよ。「いきなり」はないだろ?途中でめげることないの?」

ひと通りの知識を詰め込むことはあり、訓練は長野の冬山で孤立して一晩をしのぐものだったそうだ。それはまたの名を「遭難」という。。。
念のいったことに、その訓練に入る前には映画「八甲田山」を見させられるという。うーむ。恐るべし越冬隊。。。
何か面白ことやらなかったか尋ねたら、

「氷河に削って長ーい溝を作り、『流しそうめん』やりましたが・・・」

いきなり満塁ホームラン的なネタを披露してくれた。水で流すと途中で凍って止まっちゃうので熱湯を流すのがコツだそうだ。
他にも氷上ソフトボールとか色々やってきたようだが、やはり気になったのは何万年も昔の南極の氷。。。
何回も冬を越しているベテランに、「どこの氷河のどのあたりの氷が極上質か」をマップにしているツワモノがいたようだ。「ここの氷はラスコー●万年モノでね。。。」とか言うのか?

氷は一人段ボール2個分、持ち帰ることができたそうだ。むろん、何万年も巨大な氷河の圧力で圧縮されていた空気が解放されるときに本当に「パキーン」という音がなるという。。。
うーむ。琥珀系のスピリッツでは好物のジャックダニエルでやりたいものだ。

両名とも見た目は何の変哲もない人なんだが、なかなか香り高い経験を持つ人だな。しかもその二人は隣り合う席に座っている。
他ににも探しようによってはこの近辺に「香ばしき人々」はいっぱいいるんじゃないか?
今まで一斉メール(仕事中迷惑な話だが)で色々なケースをサーチしてきたが、だーれも検出できなかった。。。
「パイレーツのおっぱいパンを知ってる人」「ウルトラサイダーのゾフィー缶を見つけた人」「先祖に歴史上の有名人物がいる人」・・・

さて「隠れアロマン」これからどうやって探そうか?