超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ドイツ村の芝桜絨毯

2016-04-30 21:13:36 | 旅行お出かけ
「お花見談議」編でも書いたが、桜を筆頭に花というのは見頃の時期を外さないのが大事である。特にテレビニュースなどで圧巻の映像リポートなどを見ると、何となく出遅れ感を感じ、「このシーンをモノにしないと取り返しがつかない」ような気がしてくるのである。元々、「花」などにはあまり興味の無かった私だが、高齢の母が出かけられるうちに色んなところに連れて行こうと思うと手っ取り速いのは「目を見張るほど一面の花」である。また最近はテレビニュースでなくとも、某SNSで知人が色んな名所で「今が見頃」レポートをするので尚更触発されてしまう。今回のスポット(と言うにはあまりに広いが)は実は冬期の超圧巻イルミネーションで有名な「東京ドイツ村」である。3月いっぱいで終わってしまうのだが、250万球という想像を絶するイルミネーションで別世界を演出しているという。年末にテレビ番組でレポートされていたがとんでもない光景で、このイベントのためにこのテーマパークは冬場の方が営業時間が長くなっているほどだ(普通逆だよな)。ちなみに江ノ島灯台も冬の時期はイルミネーションで飾られ毎日眺めているが訪れたことがない・・・(遠くから見るとイカに見える)

東京ドイツ村は昔は「がっかりスポット」としても取り上げられたようだが、イルミネーションともう一つの話題でその「シーズンだけ」は大いに賑わっているようだ。もう一つは25万株と言われる「芝桜」である。広大な敷地ので四季折々に迫力ある百花繚乱のパークのようだが、何と言っても関東最大級という芝桜が以前ニュースでも取り上げられていたので、見頃の時期をチェックしていた。また芸能人がパークの紹介も兼ねて「ホールインワンチャレンジ」というのをやっていて面白そうだった。ロケーション的に千葉の袖ヶ浦であり、以前であれば我が家からは「地の果て」同然であり、とても日帰りで訪れる気にならないところなのだが、東京湾アクアラインという偉大な海底トンネルができたために、伊豆に行くような手軽さで房総にも足を運ぶ気になるのである。多少の渋滞があっても1時間半あまりで到着できる位置関係だ。それでもゴルフなどで経験があるのだが、一たび事故や悪天候で止まってしまうと交代運転員がいないと辛いので妻も一緒に行くことになっていた。

甘辛の予定が入ってしまい妻が行けなくなりそうなので、前日に母に連絡してみたが、以前から何となく楽しみにしてそうだったので、事故のないことを祈って出掛けることにした。朝、早く出発するのがいくらでも平気な我々なので、よく使うパターンとして開園時間ぐらいを目がけて飛び込み、混みあってくる昼過ぎには出てきてしまおうと思っていた。ちょうど天気は曇り、前週と翌日の天気が雨だったからその日が唯一いい陽気と思われた。万年渋滞の代名詞で未来永劫工事中と思われた原宿交差点も5,6年前に本線が地下道の立体交差となり、こちらも(少しは)走りやすくなった。4月から6割という無茶苦茶に値上げされた横浜新道を通過し、保土ヶ谷から首都高速に乗ってマリンタワーを横目に横浜ベイブリッジを通過、ほぼほぼ順調に川崎浮島の東京湾アクアライン入口まで辿り着いた。「海ほたる」までは少しスロー運転だったが、木更津金田から連絡道経由で姉崎袖ヶ浦ICまでは車の姿もなくほぼ予定通り「東京ドイツ村」入口に到着した。

ネットのHPによるとこのテーマパークは広大で園内はそれぞれのポイントを自家用車で移動することができるという。どういう作りかと思っていたら、ゲートを通過して一方通行の自動車用道路が一周あり、その脇がほぼどこでも停められる駐車スペースになっている。ちょっと走るといきなり左側に一面満開芝桜の丘が見えてきたので早速駐車して歩き回ることにした。大きな池があって、たくさんのアヒルが所構わず歩き回っている。エサをやるからか、人間が近づいても全然平気な顔をしており、それこそ「我が物顔」で列を作って横断歩道を渡ったりもする。さすがに彼らには「芝桜に入ってはいけません」と言っても聞き入れられないらしく時々花々の真ん中でのさばっているコントラストが面白い。開園時間からいくらも過ぎていないので、まだ観光客はまばらだったが一本ロードは次から次に自動車が入ってきており、「駐車スペースがなくなるほど混んだら大変だろな」と思われた。何せ逆走できないから、停める場所がなければそのまま直進し続けなければならない。

    

もう少し車を進ませると圧巻の芝桜の洪水が目に入ってきた。鮮やかなピンクに赤、紫、そして白の4種類くらいの花が絨毯のように丘一面に広がっていた。よく見ると細いウッドデッキの通路ができていて、満面の芝桜の中を歩き上ることができる。ただ残念ながら結構急な傾斜があり、景観を重視したのか手すりが付いていないので高齢の母には無理で、外側のアスファルトを見晴らし台まで登ってみることにした。途中、一番の撮影スポットらしいところで「お写真撮りマース。Lサイズですが無料で差し上げますよ」よくある呼び込みだが、引き伸ばし大判写真にすると1100円、でも無料で一枚もらえるならと数組あった列の後ろに並んだ。あまり写真を撮られることが好きでないようだった母だが、ここ何回か出かけると珍しく記念写真にノるようになってきた。(何か思うところがあるのか)パシャリと撮ってもらって引き渡し場所で一枚もらうと「出来合いのバック」にホントの撮影ショットは隅っこに3センチ角くらいで載っているだけ・・・なるほど、こうやって「やられる」わけか。見本のようなやられ方だが、母は1枚買っていたようだ。

          

見晴らし台からは眼下に広がる芝桜絨毯と広大なドイツ村全景が眺められる。最果てには大きくはないが観覧車が回り、手前にはアスレチックフィールド、さらに下の方はドッグフィールドのようだ。パークの反対側にはこれも小さいながら遊園地の乗り物のようなものも見える。元はゴルフ場だったんじゃないか、と思われるほど広大な丘だがどちらかというと小さな子供連れ家族又は老夫婦向けのパークのように思える。「甘辛が小さい時に連れてきたら喜んだろうな」何となく考えながら景色を眺めていた。車に戻るともうその辺りは芝桜目当てでやってきた客で溢れ駐車スペースもほとんどなくなってしまっていた。一本車線に入りまた少し車を走らせるとそれまで丘の陰で見えなかったが、さらにあり得ないほど広々とした「パターゴルフ場」が見えてきた。見渡す限りの天然芝で最果てが見えないくらいで、「一つや二つのコースじゃないよね」案内を見てみると、なんと6コース108ホール!!!全部回る人なんかいるのか?!(こんな大きなパターゴルフ場が必要でしょうか?)いっそのこと河川敷にあるみたいなショートコースにしちゃえばいいのに・・・

その横に谷越えの打ちっ放しのようなティーグランドが並んでいた。これがテレビで芸能人が遊んでいた「ホールインワンチャレンジ」か。20球で1000円とはまあ、そんなものかな。偵察して写真を撮るだけのつもりだったのだが、なぜか母親がやってみろと勧めるのだった。そんな腕があるわけもなし、観客でもやってきたら気恥ずかしいから「いいよ、いいよ」と車に戻ろうとしたら、さっさと1000円札を持って受付に歩いて行ってしまうではないか。。。私は苦笑しながらボールとサンドウェッジを借り受けた。グリーンは2つあり、近い方は50ヤード、正面の遠い方は70ヤード。見事カップインすると豪華絢爛景品(教えてくれなかった)がもらえ、名前入りのプレートをかけてくれるそうだ。「子供でも何度も入れたことありますよ」からから笑いながら係のおじさんがすぐ横で見物しようとしていた。しょうがねえな・・・私は開き直り、後ろのベンチでにこにこ笑っている母に「このファインダー覗いて、このボタンを押して適当に撮って」超兵器203号を渡した。グリーンの向こうは小高い丘になりすり鉢状になっているから、カップを外してもボールが転がってカップに向かってくれる。途中からコツが分かり「お、惜しいねー」と言われるショットもあったが、残念ながらプレートに刻まれることはなかった。「撮れた?」超兵器を受け取って画像確認したらすごいモノが写っていた。(と言っても私の大嫌いな「心霊」ではない)まさか初めて手にする超兵器で狙ったわけじゃないよな・・・・

          

パークの端っこにあるホールインワンチャレンジを出ると、巨大パターゴルフ場を横目に一番奥の観覧車を過ぎると「マルクトプラッツ」(たぶん英語のマーケットプレイス)がある。ビールはもちろんのことパンやプレッツェル、フランクフルト、ワインなどドイツ産のモノがずらりと並んでいる。もう20年前にもなるが、ドイツの各都市をバスで流れ歩いた研修を思い出して懐かしく、巨大なフランクフルトをお土産に購入したのだった。ここから眺める芝桜の丘も中々のものだ。パークを一周する自動車通路はもう後半に入っており、左側に小さな遊園地らしいゾーンが現れた。キッズコースターやティーカップ、バイキングなどどれも通常の乗り物よりも一回りも二回りも小さく小さな子供向けのようだ。その先には小さな動物園があり、珍しいモノはいないようだが、何となく身近で微笑ましいところだ。入園してからたっぷり2時間、園内は車に乗ったまま各所に行けるから年寄も楽なところがよい。今回は満開見ごろの芝桜が目当てだったが、巨大パターゴルフの他にも釣堀や収穫体験ゾーン、アスレチックなどもあり1日遊べるところだ。甘辛が幼い頃にきたらさぞ喜んだろうと改めて思うがもう遅し、次に来るのはいつになるか分からぬが孫ができた時かと思う。

       

           

久々のプチ浅草巡り

2016-04-28 08:01:39 | 旅行お出かけ
とある技術的な分野を発展させるために発足した協会の年次総会に出席する機会があった。場所は台東区浅草・・・久々にこの地を踏むことになる。その昔、息子甘辛がまだ幼い頃、我が家は年に数回は浅草の街を訪れていた。別に下町情緒や仲見世が好きだったわけではない。浅草ROXというビルに「ウルトラマン倶楽部」があったからである。大きな施設ではないがショップだけではなく、子供が遊ぶジムランドやミニ列車があり、小さなステージなどもあるウルトラマンの常設ランドだったので家族でよくでかけた。甘辛は飽くことなくジムランドで走り回り、ミニステージでは間近のウルトラ戦士(何せ狭いので)に大声で声援を送り、「ウルトラの父」から手渡しでクリスマスプレゼントをもらったり、思い出の場所だったが、残念ながら10年前くらいに閉店してしまった。確か5月28日、ホントに最後の日に家族で訪れ、店長の「タロウ」やDMMの熱唱、そしてミニステージで涙ながらに手を振るお姉さんに私も甘辛もうるうるしていたものだ。

浅草と言えば雷門や浅草寺、仲見世通り、水上バスなど観光名所がたくさんあり、ROXを訪れるたびに全部ではないがそこそこ足を運んだ。まだベビーカーを使用していた時に、浅草水上バスで隅田川の橋巡りをしたこともあったが、到着するのが日の出橋でそこから先に帰宅するまでの長い道のりが結構キツかった。1日いても飽きないエリアだが、何年ぶりになるだろうか?だいぶ様変わりし、今では外国人観光客ばかりになってしまったようだ。会合が午後からだったので、いつもの通り昼休みを利用して移動して時間を浮かせ、周辺を歩き回ってみることにしたのである。実は妻も浅草の街を歩き回るのが好きで、誘えばやってくるくらいに羨ましがっていた。会場は浅草寺の真横、1時間もあれば大体のところは歩き回れると思われた。浅草は地下鉄銀座線の終点であり、銀座線は確か日本最初の地下鉄のはずである。古びた黄色い、小さくてうるさいイメージがあったが、鮮やかな新しい車両に生まれ変わっていた。何となくうろ覚えで改札口を出て階段を上がるとシンボルである雷門のすぐそばに出てきた。



あいにく少し雨が降ってきたが、たくさんの観光客で賑わう仲見世通りを浅草寺に向かった。噂に違わず外国人と中学生の修学旅行ばかりだった。ところどころで本物なのかコスプレなのか分からないが、やたら似合わない若者の着物姿が見られる。ズバリ「東京」「侍魂」「大和撫子」などベタなネームの入った手拭い、扇子、浴衣などがところ狭しと店先にあったが、さすがに購入する人はおらず「撮影禁止」マークがところどころに付いていたのでスルーして進んだ。むろん忍者コスプレや刀に手裏剣、ちょん髷カツラなどもあったが本国人が揉めてはカッコ悪い。。。鎌倉の小町通りなどだと、食べ歩ける店が多く人混みの中では注意がいるのだが、仲見世通りはスピーカーから「モノを食べながら見物しないで」というアナウンスがかかっており、パトロール隊もいるようで思ったよりも観光客は大人しかったように思う。

浅草寺の入口を横切る「伝法院通り」というところは、生まれかわったように不思議な空間となっていた。いきなり入口は「下馬」という大きな木の立て看板が自動車の侵入を阻み、時代劇で見るような江戸の町並みのような雰囲気となっている。私は詳しくないのだが、行灯とか瓦の模様とか木製の店看板とかかなり凝った作りをしているようだった。後から気付いたのだが(小さく梯子だけ見える)火の見櫓があったり、鼠小僧が屋根の上にいたり・・・シャッターに描かれた肖像画は新撰組の土方歳三ではあるまいか?シャッター商店街化してしまっているのか、元々そういう街並みに設計されているのか、たまたま平日で休業日の店が多かったのか、イマイチ不明だがどうもシャッターが閉まっているお店が多いようだ。伝法院というのは通りの名前ではよく耳にするが、浅草寺の本院で普段は公開されていないが、ちょうど今だけ大絵馬展として入れるらしい。(残念ながら時間が無かった)



少し歩き進むと「六区通り」というところになった。通りの両側にある街灯には昔のお笑い芸能人の写真とその逸話などがたくさん見られる。最初に目に入ったのは「コロムビア・トップ」師匠である。相方はよく知らないが、政治を風刺するような漫才で、議員にも長くいたような気がする。漫才師というより政治評論家のようなイメージが強い。三波伸介さんは「てんぷくトリオ」ということだが、私のイメージでは「笑点」の司会が一番印象的だ。NHKのお笑いオンステージの「減点パパ」では似顔絵が上手で、子供から父への手紙ではいつも涙を誘ったし、ちょび髭ハゲ面で校長先生をやっていた12チャンの凸凹大学校のエスチャーも江藤さんの間抜けな絵が面白くでよく見ていた。この番組が続いている間に三波さんは急逝してしまったのはすごくショックだった。ウクレレの牧伸二師匠はやはり「大正テレビ寄席」だろうなー。げろげーろの「青空球児・好児」さんもいるぞ。よく見たら亡くなってしまった人だけではない。。。



さてROXビルまで行くと隣は「浅草演芸場」である。出し物のタイトルに色々なものがあるな。落語と上方落語というのは違うのか・・・漫才やコントの他に太神楽曲芸、バイオリン漫談などというのもあり、結構「言ったもん勝ち」みたいなところがあるようだ。それにしてもトリが笑福亭鶴光師匠とはすごい。他にも結構豪華絢爛なゲスト勢揃いで5/31のファミリー寄席はかなり充実しているようだ。その隣が「ウルトラマン倶楽部」のあった浅草ROXビルだ。昔はビルの入口正面に巨大なウルトラマンの像がそびえたっていたのだ。ウルフェス開催時にサンシャイン60入口に立つ像よりも大きかったと思う。クリスマスにはサンタクロースの衣裳を身にまとった像だった。懐かしさのあまりしばらくその場でビルを眺めていたが、中に入っても名残があるわけでもなし、少し寂しい気分になって伝法院通りの方に戻ったのだった。



浅草寺の門まで戻ってくると正面には巨大な東京スカイツリーがそびえ立っていた。ここにもたくさんの観光客が訪れ、記念撮影を行っていた。本堂にお参りし無病息災を祈って厄除守りを買って中を一回りした。色々なポイントからスカイツリーを眺めることができる。角度的にいうと隣にある伝法院内の日本庭園から見れば、五重塔や宝蔵門と一緒にスカイツリーの雄姿を写真に収めることができそうだ。うろうろしているうちに会合時間が迫ってきたので「二天門」から外に出て会場に向かうことにした。数時間後、無事に総会を終了して新仲見世通りなどを再びうろうろ歩きながら浅草駅に戻った。一丁目一番にあるという神谷バーは「電気ブラン」も含めて健在なようだ。有名なアサヒビール本店とスカイツリーをパシャリと収め10年ぶりくらいの浅草を後にした。ウルトラマン倶楽部がなければ息子は足を運ぼうとはしないだろう。何か機会があったら妻と新しくなった浅草界隈を歩き回ってみようと思う。




血圧作戦30日コンプリート

2016-04-24 12:18:24 | スポーツ・健康
「ウルトラ123作戦」をコミットして30日が経過した。あれもこれもと欲張って自分に課すと結局できない理由を探して「易き方に流れる」のが常だが意外にもそれほど苦戦もせずに続けてこられた。そして色々今まで気が付かないことが分かってきただけでなく、これまでの恐るべき食に関する悪習慣に驚愕することにもなった。言うまでもなく一つ目の誓いにある「塩分量を把握・コントロールし血圧を測定し続ける」ことがこの作戦の中核にっていた。朝は納豆と卵、しらす干しに白米を標準とし、味噌汁を飲まずに野菜ジュースをつけると概ね1グラムとなる。昼は弁当のおかず塩分総量を2グラム以内に抑え、お茶又はコーヒーをつける。とすると晩御飯は3グラム+アルファくらいなら大した苦痛にはならない。スポーツクラブに寄るときなど減塩おにぎりにし、翌日用に塩分を貯金できることになる。酢しょうがは美味いとは思えないが、朝はワカメにぶっかけて詰込み、夜はとうふにかけて酒のつまみにしたりする。酒のつまみとしては比較的勧められていた高たんぱく低カロリーの食品も塩分的にはよくないものが多いことも判明した。枝豆や焼魚、チーズや卵焼きなどもかなり塩分が強く、量をたくさん食べてはいけないのである。

最近のファミレス系は和洋中どこに行ってみても、メニューにカロリ量と塩分量が表示されている。意外なことに、中華が塩分量大なのは想像がついたが、和食についてびっくりするほど塩分が多く洋食がそうでもないことが分かる。世界的にはヘルシーとされる和の魚料理等がこと塩分に関すると群を抜いてしまうのである。母親と出かけた帰りにこの作戦を開始して初めて初めて某和食レストランに入って塩分含有量を見てひっくり返った。焼き魚や天ぷら、うどんや刺身、鍋物などどれをとっても1食5グラム以上のものばかり・・・たまたまそのチェーンが多めの表示傾向なのかもしれなかったが、昼食としてコミットした上限目安2グラム以下にするためにはご飯と小皿の唐揚げ、サラダなどの組み合わせにするしかない。結局「ざるそば」にしたのだが、そもそも「ここに来ても食べられるメニューないじゃん」ということになってしまった。一方でスーパー銭湯の帰りに妻と入った某洋食レストランは意外に塩分量(表示)が少なく、パスタにしてもハンバーグ系にしても、フライ系にしてもそれほど塩分含有が多いわけではない。むろんカロリー表示だけいうと和食よりも洋食のほうが高いことが多い。この辺の組み合わせがダイエットの「常識」とは微妙に食い違い注意を要することも分かってきた。私は晩御飯の時に一緒にアルコールも摂るが、晩酌の際の友としたのは先の「酢しょうが」と「高カカオチョコレート」など数品である。むろんこれまで爆食いしてきた「柿の種」「味好み」「ベビースター」などは戸棚から姿を消した。職場のデスク内にあるカップ麺類も人にあげるなどして処分した。昼食にはコンビニの濃い味弁当に汁物としてカップ麺を添えたりしていたのである。今でいうと3日分の塩分を一食で摂取してしまう恐るべき悪習である。

別に対した苦行とも感じずに続けて3日目くらいに驚くべき結果が出て、さらにすごいことにそのまま継続する傾向が見えた。何と最高血圧が20くらい「がっくーん」と下がったのである。酒を飲んだ夜は元々低く出るのは知っていたが、翌朝やその夜もいい感じで下がっている。その日の体調で結構乱高下するそうだから、あまり一喜一憂すべきではないだろうが、塩分量のコントロールがいきなり効果が出たような結果となっている。保健師からは「効果がどう出るかは人による」と言われているが、塩分を少し気を付けただけでこれほど絶大な作戦成果が出るのなら「いっそのことゼロにしてしまおうか?」とも思えてしまうのである。そしてタイミングを同じくしてどちらかというと度外視していた副次効果にも目を見張るものがあった。あっという間に2kg以上体重が減ったのである。買い物や家族で外食などという時に食品についている塩分量を注意深く見ていると、いかに巷に「塩分過多」の食品が溢れかえっているかがよくわかる。チーかま1本1グラム、魚肉ソーセージ一本1.7グラム、カレーライス1杯3.3グラム、にぎり寿司8カン3.7グラム、カツ丼1杯4.3グラム・・・(早見表により若干異なる)ラーメンのようにスープまで飲むと6グラムで1日分が終わりというほど絶望的ではないが、残りはかなり注意して全体量を調整しないとすぐにオーバーしてしまう。つまり「食べる量そのものが減る」のである。何事も調子にノると行き過ぎてしまう私の特性として、ちょっと塩分量の高いモノは極悪非道な食品に見えてしまい、いずれ「塩分量を超えてしまうくらいなら食事そのものを抜く」という暴挙に走るだろう。これは健康管理という面からは決して感心できないが、「一気に目標までは辿り着く」スタイルにはこれ以上ない効果をはじき出すだろう。

とりあえず123作戦においては、開始1週間を待たずして最高血圧は正常値、体重減によりBMI値も正常範囲内値を叩きだし、6ヶ月後の目標値をほぼ達成してしまった。競馬で行くと「先行逃げ切り型」の馬はあまり勝てないものだが、この調子で進めていくと本当に改善を期待できるのか?!半月くらいで途中経過を見て、妻も減塩に乗り出すことにしたようだ。自分の身体がそれほどセンシティブだとは思わないが、最近外食するとやたらに塩辛く感じるようになったのと、魚や肉などは調味料抜きで食べるほうが素材の味が分かって美味しく感じるような気もしてきた。しかも何日も続けて食べたりお代わりをしたりしなければ、好物のカレーや丼もの、寿司なども別に絶たなくてもよいから気が楽だ。何よりも私を活気づけているのは「酒には塩分が含まれない」という事実である。つまみなど無いなら無いで大したストレスにはならず、飲みたければ「酒だけ」飲めばよい。これは結果が出ている限り間違いなくイケる!

以上は比較的「攻める要素」も多少ある減塩作戦だが、身体への塩分摂取量を一定値以下に抑えるという所詮は「消極的」作戦である。減量と同様「入るカロリーよりも出るカロリーを多くすればよい」という物理的に分かりやすい手段はないものか。よくものの本に書いてあるのは「カリウム」と水を摂取すると体外の塩分排出を促進するという。バナナやキウイ、グレープフルーツなど果物に多く含まれているようだが、糖分も多いのでダイエットには向かないということだ。食後に摂るとしてカリウムの多いランキングを調べると、干し柿、トマトジュース、焼芋、干しあんずに柿か・・・・どうもやる気にならぬ(大して好きでもない)食物ばかりだな。酒のつまみ群でみるとアボガド、ほうれん草のおひたし、枝豆、納豆、ふかしジャガイモ、かじきマグロか・・・醤油や調味料に気を付ければ使えるかもしれないメニューである。晩酌の友として入れられるものもあるようだ。

しかしスーパー銭湯帰りにポカリスエットを飲みながら、私は電撃のように閃いたことがあった。「発汗による塩分排出」である。減量作戦同様「出て行く量」を「入れる量」よりも多くすればよいのである。(なぜ気が付かなかったのだろうか?)運動等により発汗すると体内のミネラル分も失われてしまうので、水分だけでなくスポーツドリンクなどで補給が必要とよく言われてきた。調べると汗にも塩分は当然含まれているので、塩分に着目した補給を控えれば相対的に体内の総量を減らすことができる。運動量によっては1kgの発汗はあるので、かなりの塩分排出が期待できるはずでる。ネットで調べるとあまり流行ってはいないが、そういう減塩法を書いているサイトも確かにある。これぞ「攻めの作戦」ではあるまいか?!食事のコントロールによる「塩分123作戦」に加えて、運動による体内の塩分と水分の「リバース作戦」により、血圧レコーディングは快調に進んだ。「なーんだ、もう向かうところ敵なしじゃんか・・・」一度ノリだすと油断するどころかエスカレートする傾向にある私は、後半はさらに減塩・排出作戦を進行させていった。運動や竜泉寺で発汗した後はスポドリの代わりに水を飲み続け、酒の量はあまり変わらないが、極端に塩分を減らし宴会や外食などでも「味のない食べ物」を選んで手を出すようにした。体重も同様にBMIで指導領域から脱出するようにもなった。ちなみに左側が朝晩の血圧値、右側が朝晩の体重である。

    

ところがやはりそう甘いものではなかったのである。後半戦になってなぜか安定していた血圧が突然乱高下するようになり、時には本作戦を開始する前の高い値を示す時もあった。123&排出超過原則を順守しているにも関わらずである。こ、これは一体どういうことか?!備考欄にその日の関連する出来事を一言書いているのだが、どうも血圧でいうと、アルコールを飲んだ日と翌朝は低く出ているように見える。またジムで運動した日は休肝日としているが、何故かその日と翌朝はどうも高い。せっかくアルコールを控えカロリー消費、塩分排出に努めているのに、何か逆効果のような気もする。まだ分析中なのだが、どうもスタジオプログラムの「筋負荷系」が影響しているようだ。簡単にいうと「いきむ」と血圧が上がるということらしい。体重もガックーんと落ちた後にわずかながら微増してしまっている・・・
妻ともこの手の話をよくするようになったのはよいことだが、冒頭に書いたように、これまでの食生活を思い浮かべると、血圧的には「死に向かって一直線」なのを運動と酒等によって無理やりかろうじてバランスを保っていたような感じだ。何せ「ラーメン王国制覇作戦」では新千歳空港と市街地の有名店合わせて1日3食札幌ミソラーメンを腹に入れていたのである・・・推定塩分20g、今の約3日分である。干物にも醤油をドボドボかけ、刺身はわさび醤油をドロドロにして両面に丁寧に付けていた・・・焼酎の炭酸飲料を飲みながら、「あたりめ」を一袋開けてしまうことなどざらだった。ちょっと改善しただけでいきなり画期的な数値を叩きだすのも当然の報いかもしれない。

血圧の朝夜、体重の朝夜の他に色んなものを記録し続けているが、要諦は「点」ではなく「変動」でとらえ、さらには他の要因も合わせて「面」で管理するということのようだ。塩分を摂らないということは惰性でモノを食べないことにつながり、いきなり減量に現れた。某SNSでたまに自分の姿がついでに写りこむと「痩せた?」というコメントもしばしば見られ嬉しいながらも苦笑してしまう。30日コミットメントは見事成立し、このレコーディングはこれからも続くであろう。70歳の「本郷猛」を目指し、まずは5ヶ月後の指導面談で保健師をびっくりさせるべく本作戦は続く。。。

  

東京駅のワンダーランド

2016-04-21 19:23:37 | 出来事
期待と興奮冷めやらぬ、「ウルトラマンスタンプラリー」全駅制覇C賞「ウルトラ6兄弟と写真撮影会」だったが、「ウルトラ」とは別の意味で主催地となるJRならではの裏話があったのである。何せ撮影会場が東京駅駅長室というのだから、ウルトラ戦士との撮影以外にも数々の香ばしい話題が満載なのが想像いただけるだろう。これがまた長い話になるので、前回の話題とは分離したのである。まず丸の内口中央の「駅長室」という扉から中に入ると「内勤事務室」という部屋の横を通過し左へ曲がって入った部屋が待合室となっており、スタンプラリーで使われたスタンプボードのうち、ウルトラ6兄弟の駅がずらりと並んでいたことは前回に書いた。その部屋には代々の東京駅長と見られる額縁写真が壁に整列していた。

      

まず撮影会の前に現東京駅長が白い制服をまとい6つ並んだボードの前にたっていきなり敬礼した。「皆さん、本日はお休みのところ、『帰ってきたウルトラマンスタンプラリー」のウルトラ戦士との撮影会に東京駅にお越しくださいましてありがとうございます。また平素よりJR東日本をご愛顧いただきましてありがとうございます。・・・・・・・・・私もウルトラ戦士に夢中になった同世代として本日、撮影会に加われることをまことに光栄に存じます。・・・・・・・・・これからも皆さまに愛される東京駅であるとともに、JR東日本は安心安全に皆さまのために尽しますのでどうぞよろしくお願いいたします。では撮影会場の駅長室でお待ちしています」「(最近ほとんど毎日のように遅れを生じる「湘南新宿ライン」を何とかしろーい)」と思ったが、おくびにも出さず拍手を贈った。

さて当選者の撮影が一段落済んで待合室に皆が再び集まると、「撮影会は以上なんですが、皆さん普段は入れない場所に来て頂いているので、小さなお子様もいらっしゃいますが、せっかくですから少し東京駅について色々知っていただこうと思います。」JR係員の紹介で「東京駅勤務22年の生字引」という方が登場するのである。
ご存知の通り東京駅がリニューアルオープンしたのは数年前で開業100周年が2014年である。駅舎は開業時の姿を復元しており、グランドオープンの時は東京駅にまつわる様々な興味深い話を聞いて駅内を歩き回り、このサイトでも取り上げた記憶がある。しかし彼の話はそれら付け焼刃の知識を簡単に凌駕するほど面白いものだった。

まず私たちのいる待合室は実は貴賓をお迎えして過ごしていただくところで、「梅の間」という。壁に整列している制服写真は予想通り先ほどの現役駅長さんで第24代となる東京駅長ということだった。東京駅では総理大臣の暗殺事件が2回あった。一人は割と有名な「平民宰相」と言われた原敬でもう一人が浜口雄幸だそうだ。原首相を暗殺したのは何と当時鉄道省の大塚駅の職員で上司との政治談議の中で首相暗殺を思い立ったという物騒な話である。原首相が即死したという暗殺現場は我々が集合した丸の内南口改札に事件を語るプレートと現場を示す小さなマークがあるという。浜口首相の襲撃されたのは新幹線に向かう中央通路ということだった。奇妙なことに両者が遭難したのはともに「4のつく日」であったので、その後歴代の総理大臣は4のつく日に東京駅を利用することは避けるようになったという。昨年末、安倍首相が新幹線で移動したのは12月5日だったそうだ・・・

「皆さんのおられるこの部屋は『梅の間』の他に『竹の間』は皇太子、皇太子妃、海外VIPをお連れする部屋、『松の間」は天皇皇后両陛下のお使いになる特別ルームです。ちょっと見てみますか・・・・?」
生字引はいきなり一つの扉を開けるとそこはホールのような広場となっていて正面が「竹の間」、左側の方角でいうと皇居側が「松の間」ということだ。このホールを通過して一旦地下の専用通路をご案内し、新幹線ホームまで直接通じているのだという。なるほど、丸の内側は中央口というのがないが、皇室専用の駅舎入口になっているということか。昔は「お召し列車」という車両のどてっぱらに菊の御紋がどかーんとある渋い色の専用列車があり、原宿と代々木の間にある専用ホームから乗車されると聞いていたが今はホームは使用されていないらしい。

  

「さて、せっかくですから駅長室ものぞいてみますか」さっきウルトラ兄弟と撮影した部屋だが、まさかまだウルトラ戦士が駅長と和んでるわけじゃないよね・・・来客用ソファや大統領室にあるような国旗がたち、すごく天井の高いゴージャスな部屋だった。小さな子供は退屈していきなりソファで転がり遊びだし親は慌てて取り押さえようとしたが、ウルトラ戦士と間近で触れあって興奮しっ放しの子供が言うことを聞くはずがない。Kさんは苦笑いしながらも「大丈夫ですよー。もう20年くらい使ってる古いやつでね・・・結構汚れてるんですよ」我々が6兄弟と共に撮影した後ろの壁にかかっていた富士山はかの「横山大観」の力作で「富士に雲」、そして天皇陛下のために描いたという「松の間」にある「富士に桜」という作品は価格がつけられないほどだそうだ。東京駅は世界の4つの駅と姉妹駅になっている。アムステルダム、フランクフルト、新竹(台湾)、そしてニューヨークのグランドセントラル駅である。それぞれの提携文書と相手駅の帽子が飾ってあった。

姉妹駅の提携文書と帽子の陳列棚の上に大きな掛軸がかけてある。漢字二文字でちょっと見何て読むのかは分からない。「(まさか「笑点」じゃないよね・・・)」と眺めていたのだが、私も泊まったことのある永平寺の偉い禅師が書いた「無事」という書だそうだ。「(まあ、鉄道会社だからなー)」と思っていたら「『何もなくて良かった』という意味ではなく、(無事を願って)みんなで額に汗して働く過程が大切だ」という意味なんだそうだ。また東京駅の2階は開業時、テレビでも紹介されたが「東京ステーションホテル」となっている。駅舎の復元には500億円もかかっており、建物が重要文化財になっている日本でただ一つのゴージャスホテルということだ。Kさんによると前のホテルではこの駅長室の真上は205号室で、最も人気が高かったそうだ。「日本一の駅の駅長室の真上で眠りたい、という人が多かったんでしょう」と語った。今は駅長室の2階は二つの部屋になっているらしい。ウルトラ戦士との撮影を終え興奮しまくりの子供たちが、モノを壊さないか駅員はヒヤヒヤものだったと思うが、お礼を言って深みのある駅長室を後にした。

撮影会も無事終了し、会場を出た我々は早速丸の内南口にあるという「原首相遭難現場」を見に行った。切符売り場の近くに当時の様子を綴ったプレートがあり、場所はすぐに分かったが事件現場とされるところは白いタイルに小さな小さなマークがポチっとあるだけで、「こりゃー、案内版があっても聞かなきゃわからないわなー」と苦笑しあった。また私は数日後、仕事で東京駅を訪れる機会があったので、中央通路にあると言われた「浜口首相遭難現場」も探したのだがどうしても見つからない・・・(何せやたらに広い通路だし)。会合時間に間に合わなくなるので、已む無くインフォーメーションのお姉さんに「あのーぅ、その昔、浜口首相が襲われた現場があると聞いたんですが・・・」と恐る恐る尋ねると、さすがJR、そんな間抜けな質問にも対応が行き届いていて「あーぁ、すぐ近くです。向こうの丸い柱の左側、階段の手前に茶色い菱形になっているタイルがあるの見えますか?あれが現場です。また奥の柱にプレートがありますよ。」なるほど、原首相と違って、近くに壁がなく案内板から離れているから、聞かないと絶対に分からないな。。。しかも原首相のとはマークの形も違う。。。
新駅が開業した時も珍しくて、色々と駅の中を歩き回ったが、さすがに日本一の東京駅、まだまだ知られざるスポットがたくさんありそうだ。ネット上に東京駅の噂や隠れ名所、都市伝説みたいな話もたくさんある。中々探検のためだけに足を運ぶことはないだろうが、通るごとに一つずつでも探っていこうと思う。

        

来たぞ!我らのウルトラ戦士と撮影会!!

2016-04-17 12:49:58 | 出来事
  「ぅおおおー、当たったああぁぁぁー!!!」  

裏に印字された事務局名を見て妻と甘辛はピンと来ていたらしいが、「ここは父ちゃんに開けさせてやろう(当たり前か)」と持ってきた私宛の簡易書留を開封し思わず叫んだ。
息子甘辛と連携プレーで彼曰く「スタンプマシン」と化して全65駅を走り回った「帰ってきたウルトラマンスタンプラリー」・・・親子で無事「全駅制覇証」をGETして健闘を祝した。全駅制覇するとスタンプノートの専用ハガキに制覇スタンプを押印してもらえ、Wチャンスに応募することができる。賞品はA賞からC賞まで3種類あり、当選するのはウルトラマンの故郷M78星雲にちなんで、合計78名ということになっている。

    

前回も1万人を超す人が応募したらしい。(世の中には好きな人がいるものだ・・・)賞品はむろんオリジナルでファンには相当な価値あるものだが、コラボレーションしているJR東日本と中途半端に交じりあい、正直「これは絶対に手に入れたい!」というものでもなかった。山手線カラーと言う緑色のウルトラマンフィギュアをもらってもあまり嬉しくはないだろうに。どれでも良かったのだが、「撮影会がいいんじゃない?」という妻の一言で、私の分も甘辛の分も両方「C賞」を希望して出しておいた。当選者は10名・・・どうせ当たらないなら「特別な時間をお楽しみください」というサブタイトルにノッた。

応募したことすらすっかり忘れ去った3月の中頃、一通の簡易書留が私宛にやってきたのである。歓喜するとともに私は大きな重荷を背負ったような気分になった。2度とないであろう、このチャンスを間違いなくモノにしなければならない。一体何を身に着けて行けばよいのか?時間はどれくらい許されるのか?ポーズはどんなのをとろうか?こちらのリクエストに応えてもらえるのだろうか?「お客様の撮影機材を使用」だと?撮影機材?!」もしや私の超兵器をもってしても「おもちゃ」のような機材では失礼にあたるのか?慌てて最新のディジタル一眼レフをBICに見に行ったりする。我々だけのために撮影会に集まってくれるウルトラ兄弟に何かお土産でも差し上げた方がよくはないか?半月くらい前からあれこれと思い悩む私を呆れた顔で眺めながら「ウルトラ警備隊の革ジャン着てったら。」と言い出した。自分のプレゼントしたモノを着て行ってほしいらしい。

  

しばらくするともう一通案内がやってきて、当日の集合時間と場所が詳しく書かれていた。東京駅丸の内南改札口に集合?一体どこで撮影会をするんだろうか?撮影会と言っても10組が当選しており、い小さい子連れも多いことだろう。(一応同行者は1名のみとなっている)普通に「ウルトラマン握手会」を見に行くノリで行けばよいか。TBSに行った撮影のプロに頼もうかとまで頭に血が上っていた私もようやく冷静になることができた。ウルトラマンや怪獣のTシャツは山のように持っているが、「本物」がいるのにわざわざ着て息こともあるまい。最高気温が20度を超えてくる日だったから、申し訳ないが妻のプレゼントも暑くて不可。やはり私にとっての礼服はウルトラアロハだったが、あちこちで着て回っているので、撮影画像を自慢しようとしてもあまり目新しくない。甘辛に「お揃いのウルトラアロハで行くか?」と尋ねたら全然ノッてこない。(そりゃそうだろな)結局、真新しい「怪獣酒場」のTシャツを着こみ、外面は普通のシャツで臨むことにした。

東京駅丸の内南改札を出ると、JR東の係員らしき人が小さな案内紙を顔の前に掲げている。どうやらここが集合場所らしい。我々の他に家族連れが2組、名前を確認し渡された整理券ナンバーは3だった。撮影会の順番らしい。我々のような大人の親子、若い女性二人組、カップルもいたが、やはり小さな子連れの家族が一番多かった。さすがマニアの集団、時間より結構前に全員そろい、「ではこれから撮影会場までご案内しますので整理券の順に列になって付いてきていただけますか?」係員はツアコンのバスガイドのように案内用紙を頭上に掲げ歩きだした。後ろから旅行客の装いでもない普段着の20名以上がぞろぞろ列になって付いていくのはちょっと異様な雰囲気だったが、その集団が案内された扉はなんと東京駅舎ど真ん中の「駅長室」!

      

これだけでも十分に話題とできる、鉄道マニアだったら?垂涎ものの秘密エリアである。最初に通された部屋は広々とした応接室のようなところだった。正面には今回のスタンプラリーで登場した6人のウルトラ兄弟のスタンプボードがずらりと並んでいる。驚いたのは3方の壁の上に整然と掛けられている制服姿の写真である。どうやら歴代の東京駅長の写真らしい。整理券順にテーブルに座ると、前には「同意書」なる紙面が置かれていた。どうやらこの撮影会は非公開イベントであり、撮影した画像は個人で楽しむ以外にSNSに投稿したり、販売したりしてはいけないらしい。また残念ながら駅長室その他駅舎内にあるウルトラに関係のないモノの撮影もご遠慮くださいということだ。(ま、そりゃそうだわな)

  

撮影にあたっての注意事項や同意書のサインなどについてJRの係員が説明すると、いつものライブステージに登場するような「お姉さん」が颯爽と現れ、これ以上ないハイテンションっで「ウルトラマンスタンプラリー全駅制覇賞、ウルトラ兄弟と撮影会へようこそー!」と始めた。「このC賞ウルトラ兄弟と撮影会に応募した方は約1300名。皆さんはそこから選ばれた10組なんですよ。130倍の確率です!ホントにおめでとうございます!」全部で78名に当たるダブルチャンスに応募した人は全部で2万3000人だったそうだ。イベント期間が約40日間だから1日に600人も全駅制覇したことになる。恐るべきウルトラスタンプラリーの人気である。でもWチャンスの中で撮影会は応募が少ない方で、確率という意味では妻の読みは当たっていたことになる。「これから順番に駅長室に来ていただいて皆さまをお待ちしているウルトラ戦士と撮影して頂きます。その際ウルトラ警備隊の隊員服をご用意しましたので、使用なさる方は申しつけてくださいね」甘辛と私は思わずガッツポーズし、お父さんたちからは控えめだが「歓声」と「どよめき」が上がった。

一番最初の若い女性二人組が撮影会場から感動して上ずった顔をして部屋に戻り、2組めの家族が部屋を出てから我々はLサイズの隊員服を着込み、部屋を出て会場となっている駅長室の前で待機した。「ちょっと緊張するよなー」甘辛と顔を見合わせていた。やがて前の家族が笑顔で部屋から出てくると、横にいた係の人が「お待たせしましたぁ。こちらへどうぞー」「こ、こんにちは。。。」恐る恐る入って行くと、部屋の向こう正面にゾフィーからタロウまでの6兄弟がずらりと並び、真ん中に駅長さんがにこにこ手を振って立っていた。「こっ、これが撮影会場か・・・」カメラとスマホを渡すとまず兄弟の並ぶ前に置かれた2つの椅子に座った。まるで結婚式でやる親類の集合写真にいる新郎新婦の位置でイマイチ間抜けなショットを何枚か撮ってもらった。座ったままで妙な動作だったが、緊張していてせっかくの機会ということもあり、まずはセブンの息子「ウルトラマン・ゼロ」の決めポーズをしてみた。後ろのウルトラ兄弟も合わせて決めポーズ。。。

「(何か座ったままだとカッコつかねえな)」内心思い始めていたら、「何かこのポーズ、ももクロみたいですね。ちょっと立ってっましょうか?」後ろから声がした。セブンがいきなりしゃべった?!と思ったら、なんと駅長さんだった。列のど真ん中で敬礼をしていたのでだが、何とも気さくなことだ・・・立ちポーズをいくつか決めて、そろそろという雰囲気になり、一人一人の兄弟を握手し始めたら、そのシーンも渡したカメラやスマホでマメに撮ってくれた。最後に一言「実は彼の名は(ウルトラ名)というんです」と静かに披露すると、会場内は「えええーっ!」と大喝采となった。「そんな、すごいことがあるんですか?!ではぜひぜひ初代マンと記念写真を!」円谷プロらしき係員は興奮の面持ちで再び甘辛をウルトラマンの方に連れて行った。「あのーぅ、ボク、セブンと撮ってもいいですか?」恐る恐る聞くと「もちろんですよ!ほら、こちらへどうぞ!」皆の笑顔を拍手を浴びて駅長室を出てきたときは興奮しきっていた。。。甘辛曰く「オレ、足が震えてたぞ」

待合室に戻って撮ってもらった画像などをチェックしていると最後の組が撮影を終えて戻ってきた。「この後、ウルトラ兄弟から素敵なプレゼントがあります。それはJRの駅でスタンプラリーのPRに使った特大ポスターです。6兄弟と父の二つの絵柄があって、もちろん販売はされていません。」私は思わず心の中で「(うぉーっ)」と歓声を上げ、鳥肌が立った。JR東日本もやってくれるものだ。昨年のスタンプラリー最終日に大崎駅でこのポスターを撤去して回収しようとしている駅員さんに「あのーぅ、このポスター頂けないでしょうか?」駅員さんは困った顔をしていたが、結局断られてしまった。どうやら記念に所望する人が多いらしく、トラブルにならないようにファンへの提供はNGというお触れだったらしいのだ。渡してくれるウルトラ戦士を決めるために甘辛にくじを引かせたらエースとなった。最後の小さな子供がタロウからプレゼントを受け取ると撮影会は終了、その後もう一度ウルトラ6兄弟が全員が見送りに出てきてくれて、ハイタッチしながら会場を後にしたのだが、手を握りながら「(いずれ九州・熊本を元気づけに行ってください)」心の中でつぶやいた。今はそれどころではないかもしれないが。。。(何とか揺れだけでも治まってくれますように)

  

会場を後にした我々はせっかくだから東京駅名店街のショップM78も物色することにした。歩きながらしきりに「いやー、ウルフェス5回分くらいの価値はあったなー」甘辛は大満足な様子だった。「でもさ、何か興奮と緊張で少し疲れたよな」「そうそう、何か駅長室出たら疲れがどっと出た感じがするぜ」大学生になっても父と一緒にウルトラを楽しんでくれる息子を私は満足げに眺めていた。帰宅すると甘辛は本当に力尽きたように寝てしまい、興奮して色んなことをしゃべる私に妻は「生ビールでも飲みたいね?」と近くのバルにチャリを運ばせた。その日あった一部始終を洗いざらい話し、撮った写真を引き伸ばしてポスターとともに額縁に入れて飾ることに決めた。またその日を我が家にとって「ウルトラの日」とすることにも決めた。実はウルトラマンだけではない、JR東日本ならではの「東京駅物語」に妻は興味を覚えたようだが、その話は別の機会にしよう。まずは忘れられない体験をさせてくれたウルトラ戦士とJR東日本に感謝である。

    

目黒川のクルーズ

2016-04-13 06:09:25 | 旅行お出かけ
週末、お友達の「しんさん」といつもの河川敷ゴルフに行った。「大して上達もしていないのに本コースなど回っても同じことの繰り返しで得るものは少ない。せめて河川敷コースでそこそこできるようになってからにすべし」と今年はこのコースのみに集中することにしたのである。ショートコースという分類だが、結構距離もあり、ドライバーの打てるホールも半分くらいある。打ちっ放しにはない、ラウンド感があり練習としては申し分ない。(いずれここ専門になってしまうかもしれない)天気もよくて暖かいゴルフ日和だった。何ホールかティーグランド横に大きな桜の木があり、風が吹くとぶわーっと横殴りの花びらがおしよせ、「花吹雪ゴルフだね」と苦笑していた。その土日でご自宅近所で「運河まつり」なる催しがあるという。桜の花もそろそろ終わりだが、数年前にいつも社宅メンバで集まり、甘辛の幼馴染のKちゃんが高校に合格、なんとたまさんの後輩となったことが分かり拍手喝采した場所である。品川駅近くの有名なピリ辛牛筋煮込み屋もお店を出すというが、このサイトでお花見談議もしたばかりだし、「別に花見だけだったら電車で行くこともないかな」と思っていた。

      

ゴルフから帰宅すると奥さんの「ハニーさん」から妻に連絡があり「遊覧船のチケットが買えそうなのだが来ないか?」というお誘いだった。実は会場正面の運河は「目黒川」の河口と合流していて、この時期だけお花見船が出るらしいのである。そりゃ、面白そうだ!結局いつもの家族分チケットを立て替えて購入してもらい、翌日集合することになった。しんさん家族は既に午前船のチケットを購入していたがそれは売り切れだったので、我々は13時に出る船となった。「この時期だけの改造船だから後ろに乗ると見えないよ。前の方の席を取りなよ」ハニーさんの助言とおり早めに受付に行って並び、たまさん夫婦と一番前の列を「ばーん」と陣取った。確かに長椅子を並べてあるだけで、専用の「クルーズ船」ではないようだ。巨大なおばさんが細くて急な乗船用足場からどんと乗り込むと大きく傾ぐような船だが、この時期の目黒川クルーズは人気が高く通常3000円とお高いところを運河まつり特別便として半額で購入することができるという。前日に前売りをGETしてくれたハニーさんにはホントに感謝である。

  

東京の桜の名所として「目黒川」という名前を聞くようになったのはどうも最近のような気がする。もしかしてずいぶん昔からあったのかもしれないが、私のイメージでは目黒川って「どぶ川」だったのである。両岸から川面に向けて大きくせり出して咲いた花でできるトンネルが見事で今や都内でも屈指の人気スポットで、夜桜などをよくテレビ番組が取材している。満席予定という乗船客は時間より少し前に全員乗り込み、少しだけ早く船は川の中央に滑り出した。ちょうどその時間は干潮時だったらしく、潮の動きがないので大量に散ったピンクの桜の花が水面を覆う見事な「花いかだ」が見られるという。「よく見るとゴミが浮いているのが残念なんですけどねえ」と苦笑しながら、船頭さんは目黒川周辺ガイドを始めてくれた。川面に漂う「花いかだ」を見て私は江の島に釣りに行った時に見た赤潮を連想してしまったが、妻は中々普段は見られない光景を楽しんでいた。もはや半分以上は散ってしまっているようだが、中にはまだ満開の桜もところどころにあり、乗客は歓声とともにカメラを向けていた。

      

普段は電車の車窓や川沿いの遊歩道みたいなところからの角度しか見ない街も川の中央から見上げると全然違う雰囲気にも見え、実に面白い。目黒川は潮の干満差が大きく塩水に浸かる部分は護岸壁の緑色のつるが伸びないので、満潮時の水面に合わせて一直線に綺麗に揃えて刈ってあるように見える。よく見ると水面にあった桜の花びらが喫水線のような直線模様になっていてる。しばらくすると大崎のゲートシティのビルが見えてきた。いつもは反対側の湘南新宿ラインの軌道側からしか見ていないデザインのビルだ。この周辺にある新しいビルは「目黒川沿いに吹く海風を効率よくビル壁に当てて冷暖房効果を高めるよう」設計されているそうだ。ゲートシティのウエスト、イーストタワーはビルの形がそういう設計だそうだし、他のビルも川に平行の無期ではなく、少し角度を持って建てることで風の向きを変えているという。大崎と言えば「山手線の終点」という以外に何一つなかったマイナーな駅だったのに駅前に、ソニーシティのあとに巨大なオフィスビルができたり、ニューシティができてから俄然おしゃれで盛り上がっているようだ。

    

船は進み、五反田駅の手前を通過した。そして目黒駅の手前、「雅叙園」あたりがそのクルーズで最も桜の見事なポイントらしい。両サイドから川面を覆うように生える枝がまだまだ満開に近い桜の花を支えていた。午前船に乗ったハニーさんは「雅叙園あたりがすごいよ」と言っていたが確かにそうだ。「日本で最初に誕生した総合結婚式場・・・」というくだりで丁寧な説明が始まった目黒雅叙園は何かのイベントで何度か訪れたことがある。どこに行っても気後れしてしまうほど豪華絢爛の施設で昭和の竜宮城と言われたそうだ。船頭さんの話によると、中華料理の丸い「ターンテーブル」はここのレストランで考案されたものが中国に逆輸入されたものらしい。またさすが竜宮城、「トイレがすごい」と自分の経験を語った船頭さんに乗客は感心していたが、実は私もこの超豪華トイレ、使用したことがあるのである。たしか建物内の1階にあるトイレだったが、誰かが見張っていたら絶対に「有料」だと思い込み、入らないようなところだ。入口からして日本画が壁にあり、中には小さいながら太鼓橋があって下に川が流れているのである。個室のドアも朱塗りで何かの工芸のような細工がされていた。まるで大名が使うトイレで装備品は「菊の紋章」があってもおかしくないようなゴージャストイレだった。(写真を撮ったら怒られそうな落ち着かない雰囲気だったので画像に残していない)

       

雅叙園を過ぎて少ししたところで船はゆっくりUターンし始めた。目黒川周辺は徳川氏ゆかりの地所が結構あるようで、3代将軍家光がよく立ち寄ったとされる「東海時」というお寺が「沢庵」発祥の地らしい。元々は「たくわえ漬け」という保存食だったものだが沢庵禅師が献上し、家光がたまたま口に入れたらおおいに気に入り、今日から「お前の名前にちなんで沢庵漬けとしては」と言い出したことが沢庵のはじまりだったそうだ。将軍と禅師が交わしたという禅問答「海近くして『とおかいじ』とはこれいかに?」「大軍を率いるも『しょうぐん』と言うが如し」一休さんも苦笑しそうなダジャレだが、北品川の商店街にはちゃんとこのやりとりの様子を描いた「問答河岸跡」があるそうだ。目黒川にかかる橋の名前は河口側から見ると漢字表記、目黒駅側から見るとひらがな表記となっている。船頭によると江戸時代数々の教育機関・学校があったお城側から見ると学問があるために漢字表記、逆側は江戸に入る旅人を意識してひらがな表記としたらしいのだが、ちょっと怪しい・・・ちなみに見事に咲いている「ソメイヨシノ」は実はオオシマザクラとエドヒガンという木を交配して人工的に作られたもので、日本にあるほぼすべてが「クローン」だということだ。花は生殖器官で葉っぱが栄養器官なのだったら、葉っぱができる前に花が咲いて散ってしまうというのは妙なことである。川沿いの桜が川面に向けてばかり枝を伸ばして、反対側はそうでもない非対称になっているのは、光の反射の具合で「下からやってくるのを太陽光と思い込んで」枝を伸ばす説が有力らしい。およそ60分くらいの目黒川クルーズだったが、普段見られない景色に興味深い話をたくさん聞くことができて大満足だった。「やっぱりサンマは目黒に限るぜ」

      

入学式「大学というところ」

2016-04-11 12:02:30 | 出来事
4月に入り桜の季節は入学式、新学期の季節でもある。社会では新たな法律が施行されたり、会社では若干のメンバ入れ替わりがあったが、社会人になって20数回目の新年度を平穏に迎えていた。そして4/1の入社式に少し遅れ、大体新学期スタートの4/5前後に学校の入学式というものがある。息子甘辛の進学する学校も同じ時期に敷地内ではなく、市内の大きな公共施設で行われた。その前日、スポーツジムでエアロバイクを漕いでいるとNHKのニュースか何かでとある大学の入学式の模様が映し出されていた。武道館のようなものすごい大きな会場でアリーナ席に数千人の新入生がずらりと並び、2階席、3階席は保護者が埋め尽くして中には席に座ることもできない立ち見参列もあったようだ。あまりに多くの保護者が押し寄せるので、巨大な会場を借り切ったり、やむなく新入生1名につき保護者2名までと制限したり対応に追われているそうだ。家庭の子供の数が減り、一人の子供にかけるコストや愛情が手厚くなった結果ではないか、とコメントされていた。

ニュースでは学校側も心得たもので、入学式後には保護者向けのオリエンテーションなどが開催され、学生生活の注意事項、福利厚生システムや学科の種類や卒業条件、はたまた就職に向けてのガイダンスまで行うサービスである。当の学生だけでなく、保護者にまでもこれだけのサービスがあるとは時代の流れだと思う。インタビューでは同年代の父親が「我々の時は親が入学式に来るなんてことはなかった。」と苦笑していたが、それは地方から東京に出てきた学生の家族の話であって、私の時も母親はキャンパスまでやってきた。ただ「親と一緒に入学式などカッコ悪し」という意識も強かったから、来ることは知っていても、顔を合わせることはなかった。入学式だけでなく入学試験や面接などにもついてくる(何と入社式でもあるそうだ)親がいるそうだが、子離れできない「過保護」な親と一刀両断するのも時代遅れのような気がする。会場が開く1時間前くらいからたくさんの人が集まり、両親と一緒にスーツを着込んで「平成28年度入学式」と書かれた看板の前で記念写真を撮るために長い列ができていた。

かく言う私たちなど卒業式同様、妻と老母と3人で会場に向かっていた。実家の母親は前日私と同じNHKのニュースを見たらしくかなり遠慮していたが、せっかく近くに住んでいるのだし「入学式など見る機会はないから」と無理やり連れだしたのだ。妻も私も「息子の晴れ姿」を一目見たいというわけではなく、単に「久々に入学式の雰囲気を味わいたい」というどちらかというと物見遊山的な意識なのだ。大きなキャスターバックを転がしている地方から来た両親らしき人達も、これをきっかけに東京見物でもしていくのだろう。昔に比べて家庭がそこそこ裕福になり、仕事に余裕もできたから休暇を取ることもでき、子供の入学式にかまけて旅行できるなら、結構なことではないか?会場ではまるでコンサートのように「入学記念グッズ」が販売され、妻は父の墓前にお供え用と自分で呑む用の2本、学校銘柄の日本酒を買い込んでいた。まさか式典中に飲むことはないだろうが、完全なお祭り気分である。さすがに甘辛はそういう我々を苦々しく思ったらしく、朝から別行動で並んでいる時に少しだけ顔を出すと、写真など撮らずにさっさと友人の輪に入って行ってしまった。

ニュースで見たほどの規模ではないが、新入生は1階フロア、保護者は2階席から参列というスタイルは同じだった。また、もっと大きいマンモス校は山ほどあるだろうが、これまで自分も含めて参列したどの式典よりも大規模な催しで、やがて2階席は保護者で埋め尽くされてちらほら立ち見が現れた。オーケストラによる演奏、混声合唱団の歓迎合唱などが続き、学長の式辞は学校の歴史を語る長い長いものだったが、全然知らない話だったので中々興味深かった。これからの若者は一度は我が国を出たほうがよいとは思うが、日本という巨大な特殊マーケットを支える必要もある中で、「グローバル競争の時代、世界で活躍できる人材」とやたらに叫ばれるとかえって懐疑的になってしまう。今時、海外留学など珍しいものではなく、我が社でも就職時のアドバンテージにはあまり取り上げないのである。開式の前にふとネットのニュースで、前日に行われたという私の母校の入学式で学長の式辞は「英語」で行われたという記事を見て思わず吹き出してしまった。「あのオヤジ、とうとうやってくれたか・・・?!」懇親会で息子の裏口入学を頼みこむ私に真面目に答えてくれた人柄が思い浮かんだ。

  

式典はごく普通に終了し、甘辛たちはどこから勧誘されたのか昼も夜もサークルの合同歓迎会で予定が詰まっているらしい。我々はそのまま赤いライオンを飛ばして、そう遠くない場所にあるキャンバスに向かった。母親は初めて訪れる敷地で、もの珍しそうだったが、実は私の祖父の弟さんが大正時代に前身である「師範学校」に通っていたらしい。私も当時の「共通一次試験」を受けた会場でもあり、多少なりとも御縁のあるキャンパスである。テレビニュースでもやっていたが、この学校でも保護者向けの説明会が開催される予定になっている。めったにない機会だから、学食(と言っても高級そうな方)で昼食を摂り、ふらふらと中を散歩して回った。私の通ったところは全てそうだったが、「学校」という敷地は必ずと言ってよいほど見事な桜の木がたくさんあり、よい目の保養となった。子供も数年で成人になろうかという保護者にいったい何をオリエンテーションしようというのか、やはりニュースのように学生生活一般、学部課程の内容、就職状況などまさしくニュースで見たとおりの内容だった。しかし自分と比較はできないが、カリキュラム自体や進級、卒業条件が、ずいぶんハードワークなものに見えた。アルバイトと部活を入れると、遊んでいる暇など全然ないようだ。。。

          

教員課程の教授と思しき先生が登場し、スライドを使って各課程の概要説明の中で
小学校1年生の算数の時間に先生が出した問題 「おとこのこ3人とおんなのこ2人がこうえんであそんでいました。あわせてなんにんですか?」一人の児童がこう答えたそうだ。 「男の子と女の子は一緒に遊ばないので足せません・・・」場内に和やかな苦笑が湧いた。しかしその教授は大まじめに「では、男の子3人と電柱2本なら足せますか?」さらに「男の子3人の影と女の子2人の影だったら?」「小学1年の段階で高等数学でいう「群」「集合」の概念が芽生えていることに気付くには専門の知識が必要です。大学はそういうことを学ぶところです」「物の数を足し合わせる」というのは、それぞれが同じ「集合」に属しているということが暗黙の前提になっている。男の子と電柱は同じ集合ではないから、 何となく足しにくい。でも男の子と女の子の「影」だったら同じ集合なので足し合わすことができる。小学校1年生の認識では男の子と女の子は遊ばない、つまり同じ集合ではないので、足し合わせることはできないというわけである。

ほっこり微笑んでいる場合ではない。きわめて高等な学問である。雷撃に打たれたような気分だった。学生の時は効率的に単位を取得し、有り余った時間で最大限に遊びを謳歌することばかり考えていたが、もっと真面目に勉強しとけばよかった。会社引退してローンが終わったら入り直そうかと、まじめに考えた。前にも書いたかもしれないが、大学のキャンパスは社会から自由を保障された治外法権のようなもので、学生時代は一生のうちに自由に学び知性を開花させる唯一の期間である。欧米の知人はよく社会で活躍するためのキャリア形成として専門職能訓練のようなとらえ方をする人が多いが、職に就いてから身に着けるべきスキル・知識はその仕事をしながらでなければまず取得できないので、特殊な職業を志向する者以外は学生の時は好きな学問で知的好奇心を満足すればよい。それが保障されているから羨ましいのである。幸い甘辛は少しは理解していて、ちゃんと勉強しているようだ。さすがに私がこれから入り直すのは困難だろうから、今度は今までとは逆に我が家で色々と講義してほしいものだ。

  

お花見談議

2016-04-07 19:31:04 | 旅行お出かけ
3月の連休くらいから桜が咲きはじめ、4月に入ると全国的に満開のオンパレードとなった。テレビニュースでは上野公園や目黒川、千鳥ヶ淵など「桜の名所」が取材され、某SNSでも多くの人が「これでもか」と桜の名所で花見を楽しんでいるところを投稿していた。どれも羨ましい限りの圧巻シーンばかりだった。日本全国至るところで桜が咲き誇るこの時期、私はむろん嫌いではないが、どうにもそわそわして落ち着かない。知人が次々と見事な写真で「名所リポート」するのに、何となく出遅れ感を感じ、しかもタイミングよく「花見」をしないと、ものすごい損をした気分と「満開の桜に申し訳ない」罪悪感がよぎってしまうのである。ところが職場の連中やお友達ともいくつか予定をたてても、絶好の花見日和になるとは限らない。息子ほどではないが私の晴れパワーはかなりのレベルだと思うのだが、どういうわけかこと「花見」に関してだけ言うと、あまり相性がよろしくないようだ。やたらに寒かったり、前日に大雨が降って大半が散ってしまったり・・・先日の「桜まつりラン」は中々思うように正規な「花見」ができない経験から、今シーズンの「苦肉の策」だったのだが、花見ランはともかく、その後は前後の日和からは恨めしくなるほど寒い1日で、正直「満開の桜」を楽しむどころではなかった。「ただ花見するだけでは『ひねり』がなくてつまらぬ」とうそぶいたのだが・・・

毎年これに似たことが起きるので、今年はどこか「桜の名所」を訪れる機会がある度になるべくその風景を写真に残し「数で勝負」作戦をとった。一番最初は北関東の「新お出掛けチーム」が移動中に立ち寄ってくれた幸手市の「権現堂公園」である。埼玉と茨城の県境に近い位置にあり、むろん連れて行ってもらうまで、名前すら知らなかった。少しだけ時期が早かったようだが、河川敷にある1000本からのソメイヨシノが満開になるとそれはすごい迫力の「トンネル」となるそうだ。また絨毯のようにびっしり咲きまくっている菜の花とのコントラストが見たことがないほど素晴らしい情景だった。彼らによると埼玉ではたぶん一番人気の花見スポットということだ。

    

しかし人が集まるような何百何千本と桜のある名所以外でも、至るところに見事な桜はあるものである。年老いた母もどこか桜を見に連れて行こうかと思ったが、私以上に合理的なものの考え方をする彼女は「桜なんてどこにでもあるじゃない」と人がやたらに集まる「名所」などにはあまり興味を示さなかった。お友達と茅ケ崎にある「里山公園」に見に行ったそうだが、まだ蕾ばかりで満開にはほど遠かったようだ。自家用車を使用すると「花見」で酒を飲むわけにもいかないので、「見に行くだけ」の場所を色々考えて、私は以前から「ちょっとハードル高そうだけど一度行っておきたいよな」という場所を考え付いた。小田原の入生田にある長興山紹太寺の「枝垂桜」である。元々は結婚当初くらいに義母から「ちょうこうざんの桜は素晴らしい」と言われたのをずーっと覚えていたのだ。ただし「車は入ることができず、20分くらい山道を登る」と言われたのも覚えていて、老母が行けるかどうか心配だったのだ。また地元ではかなり有名な名所らしく、わずか10日前後の見頃シーズンに最寄の駐車場に行けるかも定かではなかった。

ただホームページで調べると一本の巨大な枝垂れ桜も年々樹勢が衰えて枝の先端が枯れて折れてしまい、以前のような雄大な満開の姿も小さくなってきているという。母親に20分くらい登れるか尋ねたら、階段でも手すりがあればたぶん大丈夫だが、下りが少し怖いという。数年前からスポーツジムに通い始め、足腰の衰えもあるが歩くのは平気そうだったから、最悪手を引いてやるつもりで桜マラソンの翌日に朝から出かけることにしたのだ。(実は前日のマラソンの影響で私の方がしんどい思いをすることになる。)多少運動になっても帰りにいつもの竜泉寺で汗を流せばよいと思った。地図で調べるとルートはすこぶる簡単である。馬入川河口を渡った先がオール2車線化されすこぶる走りやすくなった134号から西湘バイパスをぶっ飛ばし、早川から箱根旧道に向かえばよい。ただどうやら長興山紹太寺自体はだいぶ手前にあり、ハイキングコースにもなっている寺の敷地の山の上に桜の木があるらしい。我々の朝は早く、到着したのは午前9時過ぎだったが、さすが見頃がわずかしかないこともあり、お寺の臨時駐車場は結構埋まっていた。私は一番、上り口の近いところに赤いライオン号を停めた。普段は料金など取らぬらしいのだが、この時期だけ1000円の駐車料金がかかる。別に営利目的ではなく、これを樹勢回復の元手にしたいということだから快く支払えることだ。

目の前に参道のような古い石段が見えたが、先日の座間桜ランの登り坂のようにてっぺんが見えないくらい手強そうな階段だ。手すりがないので、バランスの不安な母親は登ることはできても下りが恐ろしいだろう。横に自動車用のアスファルト道路があったので、係りの人に「こっち側登っても桜の木に行けますか?」と尋ねるとアルバイト君がちょっと首を傾げながら「行けますよ。同じくらい歩きますけど」道路の方が安全そうなので、ゆっくり登り始めた。時折山の中腹にあるという福祉施設を往復する車両が上ってきたり、桜を眺めてきた観光客が下りてきたりする。しばらく歩いて下を降り返るとかなりな坂道であることが分かったが、マラソンのように走るのは無理でもゆっくりなら登っていけそうだった。私でも「急だよな」と思うような坂道を15分ほど歩き上ると前方に大きなピンク色の一本桜が見えてきた。あれが噂に聞いた「しだれ桜か・・・」手前に夏みかん(凸ポンもあったらしい)が実って不思議なアクセントを出している。主役の大きな桜が中央に1本あり、すぐ横にも少し小さめのしだれ桜が満開を迎えていた。そしてハイキングコースをさらに少し登るとまた一本、しだれ桜が見える。中腹に立つ巨木の周辺は立入られなくなっており、見物できるように小さなスペースに椅子とテーブルが並んでいて、たぶん1年でこの時期しか開店しない小さなカウンターが飲み物やちょっとした甘味などを売っていた。

      

青空だったら素晴らしいコントラストだが、豪快な咲きぶりは十分に楽しむことができた。最近超兵器203号の調子が悪いのか、腕が元々悪いのか、風景がイマイチ綺麗に撮れないような気がする。常連と思われるおじさんが「昔はこの2倍の大きさはあったんだけど、ずいぶん枯れて枝が折れちゃってねえ・・・」確かにここ数年でだいぶ樹勢が衰えてしまったとニュースで聞いた。てっぺん付近や横に広がる太い枝も末端まで支えられず途切れてしまっているようにも見える。先日、ニュースで有名な目黒川沿いの桜の木も「老化」が激しく、倒れると危険なので行政がやむなく切り倒してしまい、桜を好む住民と揉めたりしているということだった。一説だとソメイヨシノの寿命は約60年と言われ、戦後の復興期に多数植えられた桜の木が寿命を迎えつつある、ということも言われているようだ。しかしながら長興山紹太寺の「しだれ桜」は何と推定樹齢330年!(種類は違うかもしれないが)義母が「素晴らしい!」と感じたのは推定30年前くらいだから、ぜひ樹勢を取り戻してほしいものだ。何百本の桜のトンネルも圧巻だが、人間は起きて半畳寝て一畳、花見をするなら私は一本しかない立派な桜の元という方がどちらかというと好きなほうだ。

          

今年は桜ラン会としてしまったが、我が家から歩いて行ける緑化公園に結構見事な桜の広場があり、お友達家族らと何度か「花見会」を催した。やはり休みのタイミングや咲き具合などにより、毎年盛大にできるわけではない。今回は花見客で賑わう公園内を散歩がてら歩き回り、桜の花に群がる野鳥を追い求めてみた。桜の枝から枝に花(の蜜?)を求めて飛び回る小鳥を写し出すのはすごく難しいもので気が付いたら1時間も同じ木の下でシャッターを押し続けていた。超兵器203号の調子がイマイチというのもあるが、望遠レンズでAF(オートフォーカス)モードでレンズを向けると桜の枝と花にかなりの奥行があるために、ピタリと小鳥にピントがあってくれないのである。ただでさえちょろちょろと動き回る野鳥を連続シャッターで追いかけても中々被写体を捉えられず苦戦した。実は咲き始めと満開時に2回訪れているのだが、最初のうちはメジロやシジュウカラ?、満開になるとヒヨドリが幅を利かしているようだった。

            

「数で勝負」と言っても、結局3ヶ所しか紹介できなかったが、散歩していると近所の家にも大層立派な桜の木(ライトアップもしている)があったり、ちょっとした公園や河川敷にも満開の桜が見られる。一気に咲いて一気に散る儚さと潔さが武士道を尊ぶ日本人の好みとなるのだろうか、この時期になると母の言うように「どこにでもある」から、わざわざ人の集まる「名所」に足を運ばなくとも色々と楽しめる。今日は1日雨風だったから結構散ってしまっただろうか?色んな人が「穴場」を紹介してくれ「あそこはすごいよ」と自慢げだが、誰も何となく「行きつけの桜」というのはあるようで、皆それぞれの楽しみ方で「今年の桜」を味わったことだろう。

桜まつりラン

2016-04-04 21:19:49 | スポーツ・健康
年末年始の暴飲暴食の報いを受け、どんよりした身体にムチ打って少しずつジョギングを重ねて、ぎりぎり調整の末、「湘南藤沢市民マラソン」何とか走り切る。10マイルという普段はほとんどは知らない距離だから、それなりに緊張し練習もするが縁起も担ぐ。そしてまだ冷たい湘南海岸の風を切り、無事ゴールした後は「マラソン」に関する意識がやたらに高揚して、次々にエントリーしたくなるのがここ数年である。妻はまだ16kmは走れないようなので、もっとファミリー向けの手頃な大会を探すが、会場までそう遠くなく、コースも楽しそうなお祭り性の高いイベントは中々見当たらないものだ。昨年は4月の中旬に相模原の米軍工廠で開催される親善マラソン大会に参加し、普段は走れない敷地を妻と走った。今年はご丁寧に大会主催者から案内の郵便が送られ、早々とエントリーしてあったのだった。前回同様、私が10km、妻が5kmのコースである。

3月も半ば過ぎ、暖かくなったり寒くなったり繰り返して「今年の開花予想日は・・・」なんてニュースで言うような陽気になった時、マラソンをエントリーするポータルサイトからメールで開催案内がきた。「日米親善キャンプ座間 桜まつりラン&ウォーク」である。これまた在日米陸軍の居住地内を走るもので、同日には「親善桜まつり」として一般人にも開放されているので、ジョギングで汗を流した後、そのまま花見を楽しむことができるという趣向である。参加賞は特製Tシャツ、距離は7キロ(6.7km)と3キロ(2.7km)でウォーキングの人も一緒になって子供も走るというから「緩い」マラソンである。桜が咲きだした頃だったが、満開の時期になるとやたらに美しい名所風景をアップする人ばかりになって、「ただ花見するだけじゃつまらんから」と妻とお友達のたまさん夫婦を誘ってエントリーしたのだった。

4月に入って最初の週末、桜はちょうどほぼ満開となって絶好のラン&花見の陽気だった。小田急線の相武台前駅から一番近いゲートまでは一直線で15分くらいだ。実は同じ県内で座間と言えば「光化学スモッグ」とコストコ渋滞というイメージしかもっていなかった。相模原市もそうだったが海辺に住んでいる我々は県央と言われるエリアはあまり出掛ける用事がなく、甘辛の小学サッカーで県内をくまなく廻った時に何度か訪れた程度だった。「座間杯」という招待杯にチームが参加して予選を突破し、いよいよ決勝トーナメントという時になって「光化学スモッグ」注意報が防災スピーカーでアナウンスされ、「えっ?ええっ?今時、そんなの出るの?」子供の頃にたまに目がチカチカし、胸が苦しくなった「光化学スモッグ」など昭和の遺物だと思っていた。審判や主催チームは少しだけゲームを中断したが、結局構わず続行し、甘辛達のチームが確か優勝したのだった。国道246号から少し入ったところにコストコが開店して何度か訪れたが、休日など幹線道路は凄まじい渋滞となった。道路交通情報に明らかにこれまで登場しなかった「座間市東原・・・」という地名が頻出し「あの周辺の住民は気の毒だ」と感じたものだった。

あまり芳しくないイメージのあった座間だが米軍キャンプでは毎年「桜まつり」が開催され大いに賑わうそうなのだ。敷地内にゴルフコースもあるという広大な敷地の端っこのゲートに着くと、何人かのおじさんが座って並んでいた。まだ閉まっているゲートの向こうは単なる山にしか見えなかったし、おじさんたちも「ランニング」するスタイルではない。「何時になったら開くのかな。まだ誰も来てないみたいだけど・・・」すると先頭にいたおじさんが「マラソンかい?マラソンなら正面ゲートだよ。そこの信号を右に曲がって大きな通りにぶつかってさらにに右、ずーっと坂を下りたところだよ」どうやらおじさんグループはずっと後の時間になって開場されるという「一般花見客」のようだった。「あのおじさん、待ちながらもう飲んでんじゃねえか?」教えられた正面ゲートまでは歩いて15分ほどあった。ラン&ウォークは1000人くらいの参加者だということだが、入口には100メートルくらいの家族連れなどが列を作っていた。しばらく最後尾に並んでいたが、一向に列が進む気配がない・・・後ろにはどんどん人が並んできた。「何か変だよな」妻は我々の列から離れてゲートの方まで偵察に行き、しばらくして「こっち、こっち!」と手招きしていた。

どうやら長い行列は先のおじさん達と同じ「一般花見客」だったようなのである。そのくらいのこと、入口に看板でも置いてくれればいいのに・・・「やっぱ、米軍だからな。あんまりサービス行き届いてないよな・・・」かなりウォーミングアップ含めてかなり余裕をもってきたのに、ゲートに入った頃は9時を回っていた。スタートは10時の予定である。敷地の中には「桜まつり」というだけあって満開の桜が至るところに咲き誇っていた。正面に「日米平和の碑」や神社もないのになぜか「鳥居」が多くみられ(そう言えば相模原工廠も鳥居が多かった)自国領土とは言え異国の地に住む人々の心細さが分かるような気がした。右も左も分からず、受付場所を表す案内もなかったが、露店の準備をしている人たちが「あっち、あっち」と指差していて受付の体育館に入ることができた。年齢層別、コース別にある受付でゼッケンと記録チップをもらいシャツに取り付けた。走るのはマン、宇宙忍者バルタン星人に続く宇宙恐竜ゼットンである。

    

スタート10分前になってスタートの前にランナーたちがぞろぞろ現れてきた。雨は降っていないが、4月の割にはやたらに寒い日だったので本格ランナー以外は皆体育館内で暖を取っているような緩いレースである。さすがに6.7kmくらいならこの前の半分以下の距離だ。急勾配コースと書いてあったのが気になるがそれくらいの刺激があった方が楽しいだろう。とりあえずストレッチだけ念入りにしていると「磯辺さん!こんにちは。こんなところでお会いできるなんて!」と声を掛けてくる女性がいた。昨年、大山ハイキングでご一緒した「ちーちゃん」である。ハイキングだけでなく本格山歩きにフルマラソンまで出場する私と同門のスーパーガールなのだが、「へーえ、こんなヌルいマラソンも出るの?」と聞くと「職場の仲間と一緒に来たんです。練習してないからバテるのが心配です」スタート地点で皆と記念写真を撮っていた。なーるほど、ランナーを見ると職場では彼女がダントツで若いのが分かった。

    

カウントダウンが始まり、サーフィン大会でよく使われる「ぷあぁぁぁーっん」という豆腐屋のラッパみたいな音と同時に一斉にランナーがスタートした。数百人しかいない上に「親善」らしく居住者らしい米国人も交じって和気あいあいとしていたが、少ないだけにやけにペースが速い。気分が高揚しているのか、周囲がどんどん飛ばしているのを見ていたが、あえて抜かれるに任せ、道沿いに咲く満開の桜を楽しみながらウォームアップがてらたらたら走っていた。私が間違えたのか妻はウォーキングの部にエントリーされてしまっていた。また一緒に走るつもりだったたまさんはどこか故障があったのか、やけに軽装でいるので「もしかして、走らないなんてことは・・・?」「うん、もしかして走りません!」と胸を張っていた。彼女らは私のはるか後方からスタートしたはずなのだが、いつの間にか一応ちゃんと走っている妻が前を走っていた。多少アップダウンはあるが、景色のよい敷地内のコースで徐々にスピードアップして、妻に手を振り再び前に出た。その後3km組のコースは分離し、たかだか15分程度でゴールしてしまったそうだ。

ちょっと肌寒かったが、満開の桜の道を楽しみながら軽快に走っていた私だが、後半に差し掛かってとんでもない試練がやってきた。頂上が見えないくらい、ものすごい上り坂に出くわしたのである。「な、な、なんだ?この坂は!?」箱根駅伝の復路、我が家の近くを通り過ぎると「遊行寺の坂」という有名な上り坂が現れるが、そんな気分になる絶望的な坂だった。レースの案内に「急勾配あり」というのはこれのことだったのか・・・・!仲間同士でおしゃべりしながら走っていたグループもすっかり黙り込んでひたすら前に身体を倒して上り続けた。中には歩きだしてしまったランナーもあった。私も走っているつもりが歩きと変わらないくらいの速度になり、恨めしそうに上を睨み付けるだけだった。てっぺん付近で二人のアイスクリーム好きのアメリカ人と思える体型の女性二人が拍手をしながら「Good Job!」と手を振ってくれていたが、「虫の息」とはあういうことを言うのだろう。

  

その後はだらだら下り坂になって(当たり前か)最初におじさんたちが並んでいたゲート前を通り過ぎると、長い一般花見客の列ができていて、身分証明と荷物確認を行っていた。そしていつの間にか来たコースを逆に進み、ゴール前まで辿りついていた。時間にすると約40分・・・いつも海岸沿いの平坦なコースばかり走っていたが、長い上り坂がこんなにキツイとは初めて経験し、何とも重たい身体を引きずってやっとの思いでゴールした。とっくにゴールした妻やたまさんが花見の場所取りをしてくれており、2リットルの巨大なペットボトルのミラービールをごっくりのでようやく人心地ついた。アメリカらしい(ちょっと不自然なほど)巨大なホットドックに、ぼそぼそのボリューム満点のハンバーガー?を頬張った。会場はすっかり「桜まつり」としてたくさんの露店と一般客で賑わっていた。

  

(もうたぶん現役を引退してしまったようだが)軍用ヘリの姿を見ると、ついつい吸い寄せられてしまう・・・同じ会社の知人や息子甘辛が幼稚園の頃仲良しだった子のママにも声をかけられた。マイナーそうなイベントだが結構色んな人が来ているのだな。しかし冷たいビールを飲んでいるととにかく寒い・・・・風が強くなって指先がかじかんでくるほどになってしまった。満開のさくらランでの「花見の部」は別の機会にレポートすることにして退散したのである。

    

目指せ、本郷猛!

2016-04-01 23:13:02 | 昭和
血圧レコーディング作戦を開始してから早10日。。。実はかの記事をアップした前日から測定そのものは始めていた。夜就寝直前と朝起床直後なのだが、やはり天気予報でいうと注意報と警報の間くらいの「警戒領域」にどっぷり入ってしまっていた。高血圧症になるいくつかの要因のうち、仕事上や家庭生活上のストレス、運動不足、また別の疾患などの心配はないと思われるので、ターゲットはずばり「塩分」となる。これに関してはどちらかというと、「以前よりも悪化してるよなー」と感じ、家での料理でも塩分を少なくしてくれるように妻に相談もした。実は自分のことを気にしだして気付いたのだが、息子甘辛は若いからかすこぶる「塩辛いモノ・濃い味」好きだったのである。妻はタイミングよく「サタプラ」なるテレビ番組で「血圧降下の効果のあった食品」を見たらしく、(当人がこの食品構成に気に入ったようなのだが)毎日摂ろうと言い出した。。「酢しょうが」なる食品でタレントの小堺一機さんがその効能を絶賛し、毎日口にしているそうだ。

「ダイエットにも減塩にも血管老化防止にも絶大な効果らしいよ」しょうがをみじん切りにして、黒酢とはちみつに漬け込むそうで「漬ける」と聞いて私は拒否反応を示したが妻が歓迎反応を示した。まあ私が食べられない本来の発酵漬物ではないからと半信半疑でスーパーに材料を買いに行ったら何と、しょうが、黒酢、はちみつの棚だけ見事に一つも売り切れてなくなっている・・・!テレビの威力とはすごいもので、あっという間に紹介されたモノがスーパーの商品棚から姿を消すという、やらせで問題となった「あるある大事典」でも発生した現象のようだ。「こりゃー、しばらく揃わねえかもな・・・」妙なものを食わされないように内心ホッとしていたのだが、妻は粘り強くどこかで入手してきたらしく翌々日には冷蔵庫にそれらしき「粒入りのタレ」のようなものがタッパーに出来上がっていた。元々しょうが好きの妻の好む味だったらしく、「サラダ、とうふ、ワカメにかけると美味しいよ。パスタやご飯でもイケると思う」ということだった。こちらは酢の物をあまり好まない私だが、とりあえず恐る恐るスプーンでじかに口に入れると・・・みじん切りのしょうがはモロにそのものの味だったが、はちみつが酢のきつい風味(元々黒酢だから優しい?)を抑えてくれるのか、美味くはないものの「ぐっ・・・うぇ」といわけでもない。この味だと、とうふ、オニオンスライス、ワカメなどにかけて食べればイケそうな気がした。

    

週末に部活がなくなって暇そうにしている息子甘辛と映画を見に行った。少し前の「ウルトラマンX(エックス)」に続き、「仮面ライダー1号」である。ウルトラマンも仮面ライダーも40〜50周年、我々の世代とど真ん中ストライクで息子達(下手すりゃ孫?)と2世代で盛り上がれるようになっている。ウルトラマンの映画にも初代マンや私の愛してやまないセブンをはじめ昭和のウルトラ兄弟は準レギュラー的に登場し、当時ウルトラ戦士に変身していた「隊員」たちも老師的存在でスクリーンに現れた。しかし映画、「仮面ライダー1号」では等身大ヒーローとして藤岡弘さんご本人が「この世に初めて現れた『仮面ライダー』本郷猛」として戦うのである。ウルトラ戦士に「変身」するだけではない。実物の本郷猛として45年前と同様、ショッカー戦闘員を次々になぎ倒し、我々の世代ならば誰もができる変身ポーズで少し太めの「今の」1号ライダーに変身、ネオサイクロン号で颯爽と登場するのである。御年70歳!!当然、今の仮面ライダー(ゴースト)も登場するが存在の重みがアルミとオスミウムほども違う、「許さんぞ、ショッカー!」の一言に圧倒され、その雄姿に痺れた・・・

本郷猛(藤岡弘さん)の年齢まであと約20年、ショッカー戦闘員と戦うことはないし、怪人にライダーキックすることもないが、私は「これからの努力でなれるものなら、ああなりたいものだ」とその姿を目に焼き付けた。ここに「食事療法や奇妙な食品で改善されるんかいな・・・?」と何となく、ぐずぐず具体的な行動には至らなかった「高血圧改善計画」が、「徹底的な作戦」として瞬間的に実像を帯びたのである。まだ借り出し中だった「血圧本」をもう一度くまなく読み直し、ネットを利用して食品、料理に含まれる食塩含有量をひと通り調べた。その本には「日本人の味覚はかなり塩辛い方に偏っており、食品にも多量の食塩が含有されている。通常摂取しているのは1日10〜11g、高血圧治療中の者はこれを半分にしたいところだが、美味しく食べたい皆さんにこの減塩はちとキツい。そこで提案するのが・・・・」
要するに減塩生活と今の「塩分過多」生活を繰り返し、過多分を少しずつ改善していくというものだ。例えば最初の1週間はがんばって1日平均6グラムに抑える、次の週は元の11グラム、その次の週もがんばって6グラム以内にし、翌週は普段よりもちょっと減らして10グラムとする。これを繰り返して少しずつ薄味に慣れていき、数ヶ月で目標の塩分値に持っていくというものだ。

20年たっても本郷猛でいるライダー1号の姿を焼き付け、今や徹底改造に覚醒した私は鼻で笑ってしまった・・・「何をまだるっこしいことをやってるんだ?」正常値でさらにお釣りがくるゾーンに突入するまで一直線に減塩する「一気呵成」作戦である。ある一定期間に達成する目標をたてて取り組む時に、性格的なものなのか、「多少無理しても一気に目標値まで持って行った後、悪化しないように維持する」スタイルをとる。だいぶ前に「ダイエット作戦」を決行した時も、年前にグンマで「ナエさん」に特定保健指導を受けた時も6か月の改善計画だったのに一時は「眼がかすむ」ほどに減量し1か月で目標に達成し、後は注意深く維持していった。私は特定保健指導を実施してくれる機関を探して電話予約した。前回「ナエさん」に呼ばれて保健センタに行くと、身長、体重、血圧を測定した後、いきなりベルトを緩めて作業用パンツをずるーっと下されて正面から腰回りにがばーっと腕を回された。「な、な、なえさん!」某米国大統領のようにまことに不適切な危ないスタイルに血圧が一気に200mmHgくらいまで上がったような気がした。保健指導支援レベルの条件である内臓脂肪型肥満(腹囲85cm以上)が指摘されていたので、実測したのである。本人が測ると過小申告しがちだからだそうだが、「(これで卒中起こしたらコイツのせいだよな)」と頭の上から睨み付けたものだ。今回も女性の保健師でかなり警戒しつつ部屋に入ったのだが、血圧の話のみを詳しく指導されて何も起こらなかった。今回はもう一つの条件BMI25以上、すなわち体重だけが対象だったそうなのだ。

ひと通り普段の生活スタイルや病歴、仕事の内容などをヒヤリングされ、やはり「塩分過多」を矯正しようということになった。「血圧そのものの測定値を目標にするよりは、塩分摂取量のコントロールを具体的なものにすべし。毎日測るべし。いきなり無理しても続かないから、少しずつ時間をかけて改善すべし。塩分量は1週間単位でも管理すべし・・・」大体同じことを考えていたのだが、運動や減量と異なりいきなり無理してもそう悪くないことを確かめられたので、鉄の意志をもってこれから「30日間」欠かさずに続けるコミットメントメニューを考えていた。名付けて「ウルトラ5つの誓い」・・・「作戦コード1・2・3」である。
一、朝昼晩に摂取する塩分量を把握し、朝晩体重、血圧を測定すること。塩分摂取の目安は朝1グラム、昼2グラム、夜3グラム(つまり123)
一、食事の際に味噌汁、スープ、汁ものは原則飲まず、コーヒー、お茶、水で代替すること。インスタント食品は禁止。
一、1日に1本いつもの野菜ジュースを飲み、例の「酢しょうが」を大さじ1杯口に入れること。
一、1日に2回以上外食しないこと。やむを得ない場合は3日以内に平均回数を回復すること。
一、塩分コントロール下の食事以外で酒を飲む時は、つまみは決めたもの以外摂らないこと。

  

かなり高いハードルのようにも思えるが、70歳の本郷猛を見た後で、20年後の自分の姿をだぶらせて燃え上がった炎はそうそう消えるものでもあるまい。きりのよいところで、新年度となる4月1日から、などと勿体つけると経験的にずっこけることが多いので、わざと中途半端な日付からこの作戦を開始した。何となく期待できそうな気がするから途中経過をレポートしよう。