超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

通信教育

2011-10-30 20:51:36 | ホビー
何年ぶりだろうか、久々に「通信教育」というものに手を出した。この夏ソウルにプチ旅行して以来、ついつい気分の盛り上がりで「韓国語」の本などを読んでいるうちにホントに語学として勉強する気になり、会社に登録されている唯一の「やさしいハングル」に申し込んだのである。
もちろん、もう一人の私は「止めたほうがええんちゃうかー?」(なぜか関西弁)としきりに囁いていたが・・・
我が社では資格取得や自己研鑽のため比較的広範囲で「通信教育」」を奨励しており、直接業務に関係ない分野でも結構支援してくれる。
「ウルトラ検定」のような娯楽系でさえなければ大抵登録認定されている通信教育のジャンルは半額まで会社が支給してくれることがある。(漢検や英検などはさすがに無かったかも・・・)

ただ所定の結構面倒な手続きが必要で、なおかつ承認されてから始まるまでが「申し込んだことを忘れてしまう」ほど長い。。。8月末に申し込んで教材が届いたのが9月末、コースが始まるのが10月だ。
通信簿に「飽きっぽい性格」と何度も書かれた私が帰国後の興奮など今今までも持続しているはずがない。。。
調べてみると1ヶ月に1回、全課題を提出して合格点を取ると、会社が半分負担してくれるコースだった。テーブルの上でいつまでも梱包を解いていない教材を見ながら「明日こそは」と自分に誓いながらいつの間にか10月最後の土日になってしまった。
別に期限は厳密にはないのだが、教育案内に「提出の目安を外して溜めてしまった多くの人が挫折していきました」というゾッとするような文句が・・・もう後が無くなって、ようやくテキストを開くに至った。

通信教育というものを初めて経験してから約30年「目的を全うしたことは一度もない」と言って過言ではない。我ながら「ここまで相性の悪いものか」と思う。塾や予備校、講習といったものに行ったことがない私は受検勉強は一通りやったが、すべて我流でおよそポイントとか要領とは縁遠い「雑食風」勉強法だった。問題集や参考書なども見た目の「それらしさ」で手当たり次第に買って机に並べていたり。。。(さすがに受験生、一度は流してやってはいる。しかし同じ問題を繰り返してマスターしたほうが効率がよい、というのはずーっと後になって知った。
さらに何故か流行っていたのが「Z会」である。基本から応用、難関、超難関大学入試向けなどあらゆるコースが学年と科目ごとに用意されており、添削が親切で専門的かつ的確だというのが評判だった。私は「難は易を兼ねる」という独自理論で超難しいコースを国数英で選択してしまった。
結果はご想像の通りである。2週間に1回、提出するペースだったと思うのだが、4問くらいしかないのに恐ろしく難しい(というより、どこが難しいのかがわからないくらい難しい)。
それでも国語は何かしら答えを書くことができるし、英語は辞書引きまくりで時間さえかければ何とかなることもあった。しかし数学だけはそうはいかない。宇宙語のような文字の連続で問題分が何を言っているのかすらよくわからない。。。かくして人生初の通信教育は無残にも提出率20%以下でしかも帰ってくる答案など見ることもなく頓挫するに至ったのである。

その後、学生時代には通信教育など綺麗さっぱり忘れており、社会人になってから再び周期的に「学習欲」がもち上がりその度に何か「通信教育」に手を出すのだが、「TOEIC」「電気関係」「電化製品」・・・どれも最後まで行ったことがない。。。
通信教育では定期的に教材がやってくるために、夏休みの宿題と同じ・・・「持ってきたら一気にやっつけてゆっくり余裕をかます。」というスタイルが取れないのである。コツコツと持続的に何かに取り組む、というのが最も不得意なのがわかっているのに、何度も同じことを繰り返している。しかし今度の「ハングル」の勉強はこれまで(の語学では)見たことも無い不思議な経験で、すこーしは続きそうな気がする。
数ヵ月後には社内資格をいくつか受検するので、あんまり悠長なことを言ってられないなー。毎週自宅に帰るときに「休みの間に集中的に」と重い教材を持ち歩くのだが、やったことがない(まるで筋力トレーニングだ) 

         

さて今回の「ハングル」、朝鮮王朝時代は漢字が正式文字だったようで今でも街中に漢字があるから少しは意味がわかる。しかし○や□が意味不明に並ぶハングルは全くお手上げだと思っていたら、数百年前に王朝の王がシステマティックに構築した言語ということだ。だからすごく法則性が高い。つまり勇気を出して壁に挑めば意外とフレンドリーなのではあるまいか・・・
さらに語順は日本語とほぼ同じ、「てにをは」もほぼ同じような使い方をする。目上の人には尊敬後、目下の人にはぞんざい語。今まで知らなかったのが不思議なくらい身近な「お隣の国言葉」のようなのだ。
韓流ドラマに嵌ったマダム連中には本気で韓国語を勉強している人もいるらしい。。。今は母音、子音、「あいうえお」的な「字」の繰り返し練習だ。(まるで大昔やった「書き方」そのものである)
しかし再びかの国へ訪れたときに、あの謎の文字を少しでも読めるようになったら実に愉快だと思えるのである。そう思えるうちに一気に課題をやっつけよう・・・

OB交流会と25周年

2011-10-26 10:08:48 | 職場
1年に一度、我が社を退職した方々を及びして近況をお知らせしたり、旧知を温めてもらうイベントがある。私が入社する以前に退職してしまった人もいるし、昨年まで同じ職場にいたフレッシュOB?!もいる。
ホテルの大きな宴会場を借り、現役を代表する幹部等が入場時はずらりと並んで拍手でお出迎え、各テーブルに張り付いて接待する。平たく言えば「先輩方をちやほやする会」である。
昨年初めて駆り出されたときは、何も分からずに司会に紹介されドギマギしながら隅っこでひたすら終了するのを待っていたものだった。(何せ締めの挨拶に決めつけられていたから酔っぱらうわけにもいかぬ)

あれから1年たったのか・・・大半がこの地方ご出身の先輩方なので、色々お話しをお聞きしようとしても隔たりがあり過ぎてどうにも話が噛み合わぬ。。。
結局、ひたすら給仕役に徹することになるのは昨年と変わりない。しかし、今年退職されたフレッシュOBも結構顔を出しており、変な違和感を感じながら杯を酌み交わした。
「うちのテーブル、ガンガンなんですよおっ!」八兵衛はビール瓶に料理の皿など山ほど抱え、走り回っていた。(昨年もそうだった)
今や泣く子黙る先任伍長であるスティーブの面倒を見たという「ちょい悪オヤジ」のような人は御年70歳。。。

1年に1回の同窓会みたいなもので、同年代らしきお仲間を連れてきてやたらめったら握手攻めをしていた。その中で特に仲良しだったと思われる初老の人と肩を組み
「今、髪の毛ねえけどさ、昔は結構ブイブイやってたんだぜー」(久しぶりに「ブイブイ」という言葉を聞いた)
ちょい悪オヤジは髪型こそ「古畑任三郎」に近いものがあったが、近くでにっこり笑うと歯が半分くらいしか無かった・・・
「オレ達さあ、スナックの一人の女を取り合ったんだぜー」「結局両方振られちゃってさー。」「でもコイツ忘れられねえのか、奥さんの名前その彼女と一緒なんだぜー」「そんなの偶然に決まってんだろ」

そーっとその場を去ろうとするとお二人は私に向かって訴えるように話しかける・・・半分拉致状態だ。スティーブはというと、いつの間にか逃げていなくなってしまっていた。。。(オレを置き去りにしたなー)つい数ヶ月前まで色々一緒に仕事をしていた人達も話をしにきてくれたが、彼らは新しすぎて周囲の「お仲間」はさっぱり分からぬという。。。
しばらくしてOB会の若手【変な言い方)で結成したバンドが生演奏を始めた。(オヤジバンドか?!)
懐メロの類に入るがむろん守備範囲内、中々気合の入った演奏であった。ドラムはフレッシュOBに類するフトさん、会社を退職されてから突如糖尿病を発症し、自称「半分死にかけた状態」から復活、元気にドラムを叩いていた。

テーブルにいた小柄なおじいさんが、しきりにお話しをしてくれた。はるか昔に県内に新しい施設を立ち上げたときの立役者だという。「へーえ、それって●●ビルのセンターでしょ?私、同業だと思いますよー」「おーっ、後輩かよ!うれしいなー。ところで▲田って知ってる?それから◆山もずいぶん面倒みたんだよな。」(つながりがあったのはうれしいが、だーれも知るわけないし・・・)
何か気分が乗ってきたのか、その老人はバンドの生演奏が始まると何やらステップを始め、そのういに同じテーブルにいた女性とダンスを踊りだした。さすがにこれは回りの視線を浴びていたが、お年寄りが元気だというのはよいことだ。
「今日は全然蚊帳の外で役立たずなんだけど、ウケ狙いに踊ってみせる?オレ達が踊ったら注目されるぜー」スティーブに言うと「勘弁してください。」とにべもなく断られた。

宴もたけなわで場内もだいぶざわざわ盛り上がってきたときに「そろそろ出番ですから」と何にかの人が私を見つけて詰め寄ってきた。酩酊してわけが分からなくなっていないか探りを入れられたような気もした。そう、今年もどういうわけか私が締めの挨拶役なのである。どうも毎年そういうことになっているらしい・・・・
昨年、私と同様に着任した営業のイケメンレッドさんは乾杯の挨拶、技術の私が締めということか・・・?!「1年の行事予定で一番気が進まないイベントなんですよ」正直な彼はお迎えの列でこぼしていたが、乾杯の挨拶でミッションが終了してしまえば楽なもんだよなー。

司会から「締めの挨拶」を指名され、檀上に上ると壁際でそろそろ終わるのを待っていた人たち以外は各テーブルでほとんど人の話など聞かずに飲んでいた。
昨年の様子から見て、初めの来賓の挨拶など皆、原稿を手にしてお話しするような比較的フォーマルなイベントだ。私は紙を見て人前で話す習慣は無いのだが、いつも思い付きだけでしゃべるところを今回はだいたいどんなことを申し上げようか考えておいたのである。
「施設系の責任者として大震災に遭遇してしまったこと」「自らも被災地入りし、20数回も現地支援隊を送り出したこと」「拠点ビルの天井が余震で一部落下したとき、次に交代するチームの出陣式で『ヘルメットを抱えて寝てください』と真面目に叫んだこと」・・・「本県は地震の被害はほとんど無かったが、夏場の落雷の被害をだいぶ受けてしまったこと」「自分がいる間に何とかこの被害を無くしたいこと」などをツラツラお話しして、雷によるサージ電流から機器を保護するアダプターの設置にOBの協力を求めた。

雰囲気に気づいたのか途中から大半の人が振り向いていたが、真正面左のグループはガヤガヤ騒いで浮き上がっていた。「厳しい環境の中で『いやな顔ひとつせず』現地で黙々と朝早くから出動する社員を見て、皆様から引き継がれているDNAを改めて感じました・・・」
ここに至ってまだ知らん顔で騒いでいる前の一団に向けて檀上から「真空飛び膝蹴り」を見舞ってやろうかと思ったが、かろうじて思い留まった。。。。
最後の3本締めではさすがに全員が手拍子を合わせ、大歓声の中でOB交流会は幕を閉じることになった。お見送り列に並びながら隣のブラック将軍に「もう最後の締め、やらせんの止めてよねー」と囁くことを忘れなかった。

さてこのイベントは我が社の記念日(創立ではないらしいが)付近の週末に行われる。この記念日には会社としては正式に「多年勤続表彰式」というのが開催される。25年勤続した従業員に感謝状その他を贈呈する正式行事である。
ただし式典当日は「多年勤続は家族の協力あってのもの」ということで、職場でのお祝いなどは別の日に行うことが多い。
そしてOB交流会が終了しスタッフたちと残った料理、酒などで反省会を酌み交わした後、ステーィブの受け持つ部門のお祝いに少しだけ顔を出すことにしたのである。
公にすると公平上全部の部門を回らなくてはならないので、「ついでに付いてきちゃった」ような顔をして乗り込んだ。

25周年にあたる人は3人ほどいて、おのおの採用からの経歴、25年の間特に印象に残った思い出などを語っていた。私はまだ25周年には数年至らないが述べ10回以上転勤した移動先では比較的若い年代のメンバが多かったこともあり、入社間もない頃に小間使いで駆り出された以外はこのような●●周年のお祝いなど呼んでもらった記憶がない。今年該当する人は昭和61年に入社した人が大半である。彼らの入社当時の話題などがペーパーで配られた。
いきなり「アイドル歌手・岡田有希子飛び降り自殺、後追い自殺続出」・・・他に「ダイアナフィーバー」「上野のパンダに初の赤ちゃん誕生」「伊豆大島三原山噴火」・・・

歌編にあったのは「シーズン・イン・ザ・サン」(TUBE)、フレンズ(レベッカ)、おニャン子クラブ・・・
なんと!いよいよ私の射程圏内に入ってきたようだ。(うれしいような、悲しいような。。。)アニメ、特撮、テレビやラジオ番組などメディア娯楽全盛期の私達は久々に盛り上がりまくった。気が付くとワン世代上のスティーブらはテーブルの隅っこで飲んでいた。。。
前回でせっかく「ドリームチーム」の話をしたので、試しにネットでプロ野球界を調べてみたのだが、
・ロッテの落合博光が3度目の三冠王、その後中日へ移籍し史上初の1億円プレーヤーに
・広島の衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2000試合連続出場を達成
・阪神のランディー・バースが12試合連続打点の日本記録を達成

正規の式典でも本社の社長代行が多年勤続者に向けて社長のメッセージと自身のお祝いのあいさつの中で当時話題となった重大ニュースを取り上げていた。
「チャレンジャー爆発事故」「チェルノブイリ原発爆発」「三原山噴火」・・・後のお祝い昼食会では受賞者の一人が苦笑いして「何か事故ばっかだったよねー」
しかし今年の福島原発事故を考えるとチェルノブイリは25年前だったのか?!あちらは人為事故だったと聞くが、「想定外」のケースに原発というのは25年たっても事故になってしまうんだなー。。。
慣例によって午後は休暇を取ることができるので(私は仕事があったが)スティーブ達は早速飲み始めていた。

今年、私の関連するセクションで受賞者は13名、顔ぶれを見ていると普段一緒にいる同僚よりは年がかなり下に見える。
私は自分の「生」を「起承転結」に四分割して考えている。(ずうずうしいが100まで生きるとして・・・)
「起」:25歳までは我ながら「何の変哲もない」直線レールの上を突っ走ったようなものだった。
「承」:50歳まで(あと数年)も「波乱万丈」なこともなく今に至っている
「転」:私の指南書の一つでもある「国盗物語」にもあるが「転」が最も大事で最も難しい。
「結」:75歳からあとの25年はもうひと暴れして笑って死ぬまで。
上の二つは明らかに今になって作った「後付け」ストーリーだが、三番目の転機」まであと数年、どのようなものとするかは考え中だ。これまでに色々なイベントはあった。「社会人になり」「結婚して」「親になり」「家を持ち」・・・いずれ今の職からは離れ。。。

こうして観ると「自分を見つめ直す」とか「次のことを考える」のはイベントがやってきた時では「遅い」ことが多い。つまり一定の「区切り」を設け能動的に「意識を向かわせた」ほうが効果的だ。極論すれば自分には関係なくても、人のイベントを自分の「区切り」にしてしまってよい。言ってみても中々できないが、自分の人生をコントロールできる「お得な人」はこういうことができる人だと思う。
なーんて話を少し上の先輩である(でもほぼ同年代)受賞者に挨拶(こんなんばっか・・・)として贈った。
さらに言うなら「時は今!」と身体に電流を走らせるような嗅覚を身に着けたいと思うが、この例は「明智光秀」なのであんまり使わないほうがよいかも・・・

ドリームチーム

2011-10-24 04:47:30 | ホビー
小中学生の頃、コインゲーム機と言えば学校帰りの駄菓子屋の店舗横に何機かあるものだった。最も得意だったのは「ブロック崩し」で相棒のガンさんとともに「一つのラケットだけで5面全部クリア」なんて芸当も朝飯前(死語?)だった。
中学後半くらいで「インベーダーゲーム」なるものが大流行したが、「不良への一本道」ということでPTAに禁止されてしまった。
当時インベーダゲームは喫茶店のテーブルにあることが多く、店そのものに行く機会は無かったのだが、そのうち「ゲームセンター」なる施設が現れ、PTAにとっては新たな「不良の魔窟」と位置づけられてしまった。
部活が忙しくてかつ、それほど興味も無かったので成人するまでほとんど「ゲームセンター」など足を運んだことは無かった。時間と金の無駄にしか思えなかったのである。(ちなみにパチンコ屋は今まで旅行先で4回入ったことがある)

数十年の長いブランクの後、ウルトラ物がクレーンゲームに現れるようになってから、ゲームセンターというものに足を運ぶ機会が増えた。
「バンプレスト」というメーカーで店頭では販売されていない大きなフィギュアがクレーンゲームに現れ、何回も挑戦しているうちに500円(普通3回できる)でほぼ百発百中欲しい景品をGETできるまでの腕になった。
ちなみに我が家のリビングにずらりと並ぶウルトラ戦士&怪獣はすべてクレーンゲームの景品である。(ガシャポンは重複が痛いので「大人買い」するようになってしまったが)

息子甘辛が幼稚園に上がるくらいから「カードゲーム」というものを一緒にやるようになった。一番最初が「ムシキング」である。いくつか亜流があったような気がするが、本流はその次「ドラゴンボール」、次が「ウルトラ大怪獣バトル」だった。。。(かなり間を端折った)
これらのゲームはコインを入れ、ゲームを楽しむ前か後に1枚のカードが出てくる。このカードの価値にものすごい格差があって、爆レアと言われる(1000枚に1枚)キラキラ光るカードなどはショップに行くと何千円という価格がついて売られていた。
「ムシキング」の「ヘラクレスオオカブトムシ」は1万円、「ドラゴンボール」の「スーパーサイヤ人Ⅲの孫悟空」に至っては29800円という札を見た。

息子はその後、いわゆる本場のゲーム機を使わないカードゲームに嵌っていった。ポケモンやデュエルマスターズと言われるものである。私はその手のもので屋内で遊ぶ習慣が無かったので一旦離れていった。
中学生になって甘辛はどういう訳か、「太鼓の達人」の腕を磨き始め、今や「むずかしい」よりもはるかに難関という「鬼」そのまた先の「3倍」なる普通の画面では現れない謎のコースにまで手を染めている。
彼が再びゲームセンターに足を運ぶようになって、今夢中になっているのが「WCCF(ワールドクラブチャンピオンフットボール)」というシミュレーションゲームである。1回やり出すと1時間くらい続けることになる。

        

普通のカードゲームと異なり、いきなりゲーム機の前にたってもプレイすることができない。まずスターターパックというものを購入する。その中には選手カード11枚とクラブチームカード(記録用ICカード)が入っている。
このクラブチームカードに監督名(大抵自分)やその生年月日、チーム名などを登録する。つまり「自分のチーム」を構成するわけである。
目の前のスクリーンにはサッカーのフィールドがあり、それぞれ自分の手持ちの選手カードをポジション別に置き、サブメンバー(5名まで)を登録してゲームを始める。1ゲーム(クレジット)で1枚、世界のプロサッカー選手のカードが出てくる。

プレイヤーは監督としてゲーム中は各選手をボタンで動かすところはまっすぐ棒に3人ずつくらい人形がついてくるくる回す昔のサッカーゲームと似ている。ただし複雑なのは試合の合間にもチーム又は個人の練習を目的別に行ったり、チームメイト同士のコミュニケーションを取らせたり「様々な小細工」でチーム力をアップするところだ。
選手を呼び出して「長所を褒める」「短所を指摘する」「遊ばせる」など・・・結果、お互いの連携がよくなる時もあるし裏目に出るときもある。
練習などもチームスタイルによって色々な方法があるが、やる過ぎると披露が蓄積して試合で力を発揮できないし、つまらない練習を繰り返すとやる気を失ってしまう。スタープレイヤーほど「我がまま」で扱いにくいものとなっている。。。

そしてものすごく高度化したとしても土台はカードゲーム・・・ゲーム終了時に出てくるカードの価値がそれこそ大人も大金をはたくほど盛りあがるのだ。何せ11枚カードがないと試合ができない。。。スターターパックを1000円で購入すると10ゲーム分クレジットされるようだ。
カードゲームに使える世界の選手のカードにも当然スター選手、スーパースター、そして伝説の超スーパースターなどが白、黒、キラキラのカードがある。
やはり「最強」と言われるスーパースターの超レアカードがあり、カード販売店で見るとメッシ(アルゼンチン)、ロナウジーニョ(ブラジル)、ジダン(フランス)が約1万円、イニエスタ(スペイン)、本田圭佑(日本)が1780円。。。

試合に勝利すると監督としての自分の価値と報酬がアップする。チーム力も「勝ち」を重ねることによって、少しずつアップし、チームボーナス等を重ねて超一流クラブチームにのし上がって行くのである。
甘辛も夢中になっているが当然、少しでも能力・実績の高いスーパースターを揃え「ドリームチーム」を作ろうとする。大人は色々と邪な手を使って普通ではまずもって手に入らないカードを駆使し、トーナメント戦などを総なめにしていく。息子達レベルではそういう邪道なパイプを持たないので、正直にゲーム機から出てくるカードだけを使ってゲームに挑むがコンピューターではなく店内外のベテランと対戦するとまず勝てない・・・
それでも回数を重ね(いくらつぎ込んでるんだよ)結構レアカードをGETし、友達と交換したりトレーニングしながら彼なりのドリームチームを構成して行こうと熱心だ。
今のスタメンで知っているスーパースターはルーニー(イングランド)、イニエスタ(スペイン)、トッティ(イタリア)、カカ(ブラジル)、クリスチアーノ・ロナウド(ポルトガル)などなど・・・かなり手広く選手を集めているようだ。。。

「ドリーム・チーム」というのはオリンピックで米国バスケットボール代表が呼ばれてからその名を覚えた。「無敵」に近い夢のメンバーを揃えたチームで、やる前から金メダルは決まっており、「どのように見事なプレーで勝ち進むか」だけに世界が興味を持っていたものだ。
ゲームの世界になると、過去の名選手もメンバーにすることができる。ルールの変化や道具の進歩もあり一概に比較は難しいがそれこそ「夢のある」チームだろう。
残念ながらサッカーはそれが難しい。WCCFでもポイントになっているが、サッカーでは選手そのものの超人的な能力よりもチームの連携、コミュニケーション能力等が大きく結果を左右するからである。
一昔「社会人で成功したければサッカー選手たれ」という風潮があった。ゲームの流れがコンティニュアスで瞬間瞬間自分で考えて全体を見てプレーをする姿が「監督の言うとおりにプレーする」野球と比較されたのだ。(そうではないけどねー)

しかし私は一理はあると思う。歴代のスーパースターを集めてもサッカーで「ドリームチーム」を作るのは難しい。メンバーを揃えても強いとは思えない。サッカーは「つなげる」ことを重ねるスポーツだからである。(何となく皆さんお分かりだと思うが)
やはりドリームチームと言うなら「野球」である。最近プロ野球を見る機会が減ってしまったので、球界のスターがあまり分からなくなってしまったのだが・・・
我々の世代中心で巨人軍の歴代麩ドリームチームを作るとすれば・・・(途中から金銭トレードで来た名選手は除く。これ微妙?!)
1番:セカンド篠塚
2番:レフト高田
3番:サード長嶋
4番:ファースト王
5番:ライト松井
6番:センタークロマティ
7番:キャッチャー阿部
8番:ショート広岡
9番:ピッチャー沢村栄治

別にどこの熱狂的ファンじゃないですよ。でも「伝統の一戦」と言われた相方のタイガースだったら・・・
1番:センター新庄
2番:レフト亀山
3番:ファーストバース
4番:サード藤村
5番:キャッチャー田淵
6番:セカンド岡田
7番:ライトラインバック
8番:ショート藤田平
9番:ピッチャー村山実

あんまり適当なこと言うと怒られそうだな―。世代による印象に違いもあるしねー。ここから先は専門家にお任せするとしようか。ねえ小夏師匠・・・
ドラゴンズだとキャッチャーは中尾、ファーストは矢沢、ピッチャーは・・・星野仙一?小松辰雄?ってところですかね。。。個人的には山本昌投手なんだけど。。。
ピッチャーシリーズだとヤクルト(金田)、広島(外木場・・・あっ北別府かな)、大洋(平松)って、とこかなー。

海沿いと川沿い

2011-10-23 15:05:16 | 旅行お出かけ
予定では日曜日は新幹線で大阪へ行き、ドームで行われるシンボルチームの1回戦を応援することになっていた。しかしここのところ妻が椎間板ヘルニアであまり出歩けなくなっていて、甘辛の送り迎えなどが必要だと困るから家にいることにした。MRI検査の結果、そうは悪くないようだが痛み止めなどを服用しているようだ。
最も効いたのはヒーリングの先生の「強力な黄金色の『気』の注入だったという」。立ち歩くのも難儀していたところがようやく少しで歩けるようになったそうだ。

早朝、竜泉寺から帰宅すると、甘辛の自転車が前後チェーンが外れてしまい、どうしても元に戻せないから駅の駐輪場に置きっ放しという。
10キロの県民マラソンが間近なので、練習も兼ねて走って駅まで行くかとも思ったが、帰って調子を落としそうなので、散歩がてらぶらぶら歩いて向かうことにした。
駅までは真っすぐ歩いても40分くらいかかる。我が家の向かいを流れる川に沿って北上していき、途中で東へ折れる。川沿いはに「市の鳥」をゲリラ撮影できたし、他にも様々なものがあり飽きないが今日のところは一旦海沿いを江ノ島に向かい、普段使わない川沿いの道を駅に向かうことにした。

あまり変わり映えのしない景色を見ながら海岸線を東に向かった。サーフビレッジを過ぎた所で先日は「ライフセーブクラブ」の選手権を行って人がたくさんいたが、今日は小さなサーフィンのローカル大会が開かれていた。
新江ノ島水族館の正面海岸ではいつものように「地引網」を引こうとするところだった。今日は時間が早かったからまだこれから皆で綱を引こうと準備をしているところだ。実は後ろのツインモーター(そんなカッコイイものではない)を回して綱を引っ張ってしまうので、人出で引かなくても網は上がるのだ。。。(この辺は観光ということで・・・)
台風直後は悲惨なことになっていたので、復活したのか中身を見てみたかったが、あの様子だと経験上、網が上がるまでにはかなりの時間がかかるのでそのまま通り過ぎた。

       

少し歩くと、小さな子供のビーチフラッグ大会をやっていた。(最初何か?と思った)小学生くらいの子供がクラブの水着を着てフラッグを取り合う競技のようだ。もう10月下旬で今日は結構風あるし、時々雨も降りそうなんだが寒くないのかなー。さすが子供は元気なものだ。未来のライフセイバー諸君の健闘を祈る。
日曜日だから片瀬漁港の直売所は営業していたが、開業2時間近くたっていたので目立った魚はもう無くなってしまっていた。(別に偵察に来ただけだが)小アジにカマス、小さなイシダイにサバ、ソウダガツオというところか・・・
バケツに大きなシイラが5、6本突っ込まれていた。海のルアー釣りでは有名なシイラだが、食用としてはあんまり人気ないのかな。。。

     

いつもならその辺りで引き返し134号沿いのお店のほうから家路に着くのだが、今日は向こう側の江ノ電沿いを歩くことにした。と思ったら岩屋に向かう船の発着場のほうから大きなファンファーレが聞こえてきて・・・
毎年恒例のドラゴンボートレースが先週から延期になって(実は昨日だったのが更に延期)、開催されていたのだ。
正面に江ノ島が見える川の河口を使って2隻のドラゴンボート(先端が竜になっている)がスピードを競いあう。
前に何度かみたことがあるが、決勝あたりになるとそれはそれは盛り上がるのだ。見物人で橋が一杯になってしまい、規制が入るくらいだ。私が通りかかったときはまだ予選の「何組」というところで、まだまだ静かなものだったが、何組か見ていて素晴らしく速いチームがあった。写真青のボートでスタートの号砲からものすごい勢いで折り返しブイまで到達し、相手に大差をつけての勝利。まるで魚雷のようだった・・・

         

橋を渡って弁天橋には背を向け、江ノ電江ノ島駅につながる小道を歩く。観光地にありがちなお土産屋、アンティークショップや貝殻の店などが立ち並ぶ。ずーっと前から「日本でたった一つ」を主張していた「灯台グッズ」の店も今だ健在のようだ。。。
駅に近くなると「生しらす」や「海鮮丼」、「うなむす」など名物を食わせる店が増えてくる。先日「オキギス」の塩焼きを食った店はまだ店頭の準備をしている最中だった。
線路を渡って国道467号を北上すれば目指す駅である。私はこのあたりに全くと言ってよいほど来たことがなから下手に裏通りなどに入ると迷子になってしまう恐れがある。。。

   

結局我が家の前よりも、一本東側にある大きな川沿いを歩いてみることにした。ここを歩くのは初めてだ。
江ノ島弁天橋付近はちょっとしたリゾートマンションのようなものがそびえ、このあたりでは少し違和感のある風景となっている。反対側は向こう側に山が見える。たくさんのクルーザー、ボートなどが係留されており、そのためのロープやブイがそこらじゅうに散らばっていてあまり落ち着かない川沿いだ。。。江ノ電の橋があるんだな、とするとこの川は途中から駅とは違う方向に曲がってしまうようだ。へー、途中見えなくなってしまったが、少し遠ざかるとまた江ノ島新灯台が見えるのか・・・

      

再び467号沿いを歩き始めたが、かなり距離があるものだな。駅に着くまで丁度1時間30分くらい、ウォーキングには悪くない距離だ。
駐輪場で軍手をして「何でこんのもの直せねーんだよ・・・」とブツブツ言いながらチェーンを元に戻し、線路沿いを湘南モールに向かった。自転車の荷掛紐、サーフボードワックスなど買い物を済ませた後「じゃー、今度はサイクリングで」と茅ヶ崎里山公園方面に向かったのだが。。。ものすごい向かい風で太ももがパンパン(何せ90分歩いて来てるからねー)に張ってしまい断念するに至ったのである。
仕方がないので家に帰り、ウェットスーツに着替えてもう一度海へ入った。

       

技能競技会

2011-10-19 08:06:06 | 職場
職場では年に1回、拠点ビルの中庭などを使って普段仕事で使う技能を競う競技会が行われる。それが「予選」というわけでもないが、同様な競技会は全国規模でも行われ、「現場力」の確認として経営TOPは必ずずらりと顔を見せる。
時勢に合わせ毎年少しずつ内容は変えてきたが、扱う対象に関わる基本的な技能、安全作業の履行、顧客へのヒューマンスキル等を中心に競うスタイルは変わっていない。
以前は筆記試験などもあったのだが、あまり結果が改善にフィードバックされないので廃止した。
今年は大きく高所作業、屋内での異常探索・正常化に分け、「今の水準を維持」するためのレベルと「より高い職人技」のレベルでそれぞれ競技は行われた。

競技会そのものは私の直接管轄する分野なので「主催者」ということになるが、他にもCS(顧客満足度)管理セクションが顧客役を演じ、競技者の採点を営業セクションが行うに加え、法人営業や普段顧客とは電話でしかコンタクトをとらないコールセンターセクションなども熱心に見学にやってくる。
毎年、地方新聞社も取材にやってくるし、優秀賞の4名は正月の新聞にその写真を掲載されるほどだ。(かなり名誉に思うらしく、この新聞に載ることを励みに出場する選手もいるらしい)
インタビューは私かと思いきや、事務局の初登場マーロン課長に決まっているようだ。

開会式で一言挨拶し、競技開始の準備が始まった会場でずらりと6台並んだ高所作業車を見て私は
「ねえねえ、1年に1回なんだからさ。アレ乗せてよ」
年々、改良されていると聞く最新式の高所作業車の機能を確認するため(単に上から見下ろしたいため)、スティーブに頼むことを忘れなかった。
ヘルメットを着けて安全ベルトを装着し、指導役の人と二人でバケットに乗り込んでウィーンとアーム(ブームというらしい)を上昇させた。
最高約9.9メートルまで上がることができる。様々な安全対策が施され、ちょっとでも危険の可能性があると止まってしまう・・・並んでたから撮れたがバケット車って上から見るとこんな感じだ。バケット車の上からバケット車を撮ることって中々ないよね。

     

高所作業は一人の黙々としたものだが、メンテナンス分野は異常探索やその正常化と言ったテクニカルな部分だけでなく、顧客役の人への挨拶、作業内容の説明やそのタイミング、気配りなども審査員が細かくチェックしている。
午後になって「プロ部門」の競技となったが、たくさんの人の目の前でやりづらそうだったが、その手際は素晴らしかった。やはりどの世界でも「職人の技」というのは見事なものだ。
頼もしかったのは超ベテラン風の選手の中に20代の若手選手も交じっていたことだ。今時「先輩の技を盗む」というシーンも減ってきたとは思うが、彼らがたくさんの技術を引き継いでくれることだろう。

競技が終わり採点されている間、「お客様役」だった人や審査員の営業の人達と色々おしゃべりしていた。実はこの競技会は「技能を維持促進する」以外に二つの意味を持っている。
一つは「顧客目線での課題やちょっとした気遣いの与える影響」を見出せることだ。
ある選手(プロ)は訪問してさっとシステム周りを探索し、故障内容と修理にかかる大よその時間をズバリ説明し、その後「今、何をやっていて、あとどれくらいかかる」というのを場所を変えるたびに説明してくれたという。
またある選手はキーボードを叩くときに、「触ってよろしいか」あらかじめ御断りした上でウェットティッシュで指先をきれいにしてから作業を始めたとか・・・
作業終了後にその内容と料金の説明をした後、アンケート葉書を置いてくることになっているのだが、その葉書の最下部に手書きで「ご面倒をおかけしてすみませんでした」というメッセージがあって「感激した」というユーザ役がいた。
社内で内輪褒めしてもしょうがないが、あらためて「うちの会社でよかったと思うわー」とマジ顔で言われると、何となくくすぐったいような鼻が高いような気分だった。

もう一つの意味は競技者独自の「カイゼン」を随所に見ることができることである。この言葉は日本を代表する自動車メーカーが発祥で「kaizen」と言えば世界のビジネス共通語になっている。
我が社も個々の職場でかなり力を入れて仕事の改善活動は持続しているほうだと思う。ソフトウェア、ハードウェア、注意喚起、コスト削減など色々な面で「カイゼン」を繰り広げこれを形にしている。中には商品化、特許化したものまである。
ちょっと横道に逸れてしまうが、何とも無骨(というか素朴)なのはそのネーミングだ。(スティーブと八兵衛が命名することが多い)

●「分度君」:高所作業者を駐車する際に安全な傾斜角度範囲内かどうかを簡単に判別する角度計
●「みつかーる」:昔からある様々な施設の検索を一発でできるツール
●「一人で出来た君」:高所作業中に今まで二人でしかできなかった微妙な作業を単独作業として可能にした器具
●「バケピカ君」:高所作業者を清掃するキット一式
●「落下せん」:高所に設置された器具が腐食等により落下しないように措置する補助具
●「ハタボウ」:細かい配線やスイッチの設定、端末コマンドなど「ここでミスるとやばい!」という時に注意喚起するための目印
●「ゴッドハン」ド:屋外施設を保護するための細長いカバーを締めるときにものすごい力と手間が必要だったのだが、ヤットコを改良して片手一本で簡単にできるようにした工具。
●「スグトール」:障害物などが多い屋内で細い通信ケーブルなどを突っかえずに奥の配管などに通すための誘導パイプ。
●「サギョチュー」:デリケートな作業をしている最中に携帯などが鳴って一旦中断しなければならないとき、再開時に間違えた箇所からやらないようにピカチューが指をさしている。
●「とまりま線」:「電線にスズメが3羽とまってた・・・」下が駐車場などの場合鳥の糞をうけないように細い線を平行に走らせ「とまれないようにする」線。

毎年、秋口になると様々な部署で考案された新兵器が展示される発表会がある。前半はその昔からあったが、後半は私が着任してから考案されたものだ。
最後の「とまりま線」のネーミングについては私案として「ストッ糞(プン)」というのを主張したのだが、採決の結果却下となってしまった・・・
社内で一定期間以上実地作業の講習などがあると閉講式では覚えた作業に関して自身で工夫したアイテムやアイディアを披露することになっている。
兄弟会社のルーキーズであることが多いが、昨年は身体中に工具、部材などを張り巡らしさながら「ランボー」のような姿をしている人もいた。

メーカーが大金をかけて開発したものではないが、現場作業の中で直接生まれたものだから、工程にドンピシャフィットし(当たり前か)、個人の知恵が集積されている。夏休みの自由工作が大の苦手だった私はこれらの「ものつくりアイテム」を見るのが大好きだ。ネーミングはイマイチのセンスと思うけど。。。
長嶋茂雄さんの名言「必要は発明のマザー」を思い出す。。。
そんな競技者の様々な工夫も盛り込んで採点が終了し成績発表となった。素人(じゃないけど)の部、プロの部、上位2名ずつの計4名は来年の正月、新聞にその姿が掲載されるから皆、内心かなり期待している。
プロの部では何と20代の元ルーキーズがワンツーフィニッシュ!いやあ、世代が「つながって」良かった。。。

ヒューマンスキルの審査員はすべて女性・・・顧客のオフィスなどの屋内外で作業するときに「ヘルメットをしたまま建物に入るべきか?」などと色々と意見交換していた。
「なーんか、競技と競技の間の準備の時、時間を持て余しましたねえ。バケット車でも上ってみますか?」
私が軽く聞くと一人の女性審査員は真っ先に手を挙げ、「乗りたい!今日も思ったけどスカートだったので・・・」
「次回は作業服をお貸ししますよ・・・」
確かにあの「待ち時間」は退屈だ。。。何か大道芸のような余興でもやるかなあ。屋外で立ちっ放しだから「太極拳」などもリフレッシュにいいかも。

マツタケという食物

2011-10-16 19:15:25 | 食べ物
「きのこ編」から数週間・・・てらぴーのご紹介で何とすぐご近所(あ、北関東のほうね)に「マツタケの山」を持つ(実際は採集する権利?)人を知った。
月に一回ミーティングに訪れたときに、そーっと呼び出し・・・「ねえねえ、秘密とは聞いたんだけどさー。よくマツタケ採りに行くんだってー?格安で少し分けてくれないかな」
にっこり笑って頷いた彼はその場では何も言わず後からメールしてくれた。。。
「雨や晴れ、湿度、天候に結構よります。あらかじめ採っておくよりは、いいタイミングで送るので住所教えてください」

松茸・・・恥ずかしながら全く未知の食物である。たかが「キノコ」が一箱数万円・・・
ありえねえ。。。興味を持っていたのは「高級品」の名にいつもやられていた亡き父だけであった。実家にいたときに1年に1回くらい「松茸ごはん」が出てきたが、その季節は妙なキノコが混じるご飯よりは「栗」のほうが好みだった。まるで拝むようにして父は「松茸」を焼いて食っていたが、一本何千円もする謎の食物をただ焼いて有難がる気分が理解できなかった。

妻も結婚するまでそれほど縁があったわけでもなさそうだが、社宅住まいのときに八ヶ岳にある施設に宿泊した帰り「びっくり市」というところで試しに初めて?購入した。
たぶん国産のすごいヤツではないのだろう・・・一箱千円で結構立派そうに見えたが、話のタネに二箱買ったら、レジのカウントミスで一箱分になっちゃった・・・
かくして「無かったもの」として生まれて初めて「松茸の網焼き」を食う機会を得たのである。「香り松茸、味シメジ」と言われるそうだが、たしかに独特な芳香があった記憶がある。

そしてこの週末、件のNさんからなんと我が家史上たぶん初の「国産天然松茸」が届いたのである。採るのタイミングとして「湿度」が大事らしい・・・
「ここのところ乾燥していて、いいのがありませんでした。。。」とクール宅急便にメッセージがついていたが、見たことも無い(そもそも立派かどうかもよく分からない)すごい松茸だった。箱を開けたとたん家じゅうに芳しい香りが充満した・・・
こっ、これが噂に聞く「マツタケ」というモノか!居酒屋(もとい!小料理屋)でツマミを作らせたら「プロとしてもいける」と私が信じる妻をもってしても、ネットで松茸料理を調べていた。。。(あー小市民)

   

我が家で松茸の味を最も肌で感じているのは、何と息子甘辛であろう。。。幼い時から飲み屋に連れて歩いていたので、意外と色々なモノの味をしめている。
近所ではないけれど結構好きだった「天狗」という店に連れて行くと、幼稚園前の分際で「まつたけのどびんぐし・・・なーいの?」と店員に聞いていたのだ。
それまで私達がその存在さえも噂でしか聞いたことの無かったTVの世界の料理である。
「どっ、どう料理する?やっぱり松茸ご飯かなー。『どびん蒸し』って作り方分かる?」
結局炊き込みご飯と、土瓶蒸し、ホイル焼きにすることになったのである。

     

普段嗅いだことがない超高級な香り・・・息子甘辛は「子供の純粋な味覚」を持っていて「うまいもの」は見分ける、とともに祖父の遺伝からか「高いものはうまい」という「インチキ臭い」迷信も持っている。。。
妻は「草むしり」の連続で「ヘルニア」にすらなってしまい、腰をさすっていたが見事にそれぞれの料理を拵えてみせた。
うーむ・・・なるほど日本人が有難がる「謎のキノコ」とはこれのことか。。。すげえ、香りだ。味見に一口含んだだけでふーっと鼻に香りが抜けていく・・・

昔、読んだ某新聞の4コマ漫画集で、給料日の翌日、主婦が家族に季節の味覚(王様)を味わあわせようと、八百屋の「マツタケ」を求めに行ったがその値段は3万円・・・
「さっ、3万円?こんなキノコが?サンマン?・・・さんま・・・」
旬の味覚として食卓に上ったのは「サンマ」だった。。。そのお母さん曰く「ク●になればどっちも一緒よ・・・」私はこれに拍手を送った。最近妻にカミングアウトした通り私は「サンマの塩焼き(カボスかけ)」大好き男なのである。
どっちにしろ普段見慣れない高級品を見ると「どうしようどうしよう」と慌てる家族には違いない・・・

   

インターネットで何やら調べていた妻は甘辛と「ウルトラ列伝」の録画を見ていた私に「このリストにあるものを買ってこい」と指令を出したのだった。
それは「三つ葉、エビ、カボス、白身魚・・・他」である。どうやら「土瓶蒸し」の材料らしい。。。ちょっと飲んでいた私はチャリでスーパーに向かった。カボスってこんなしょぼい実なのに随分高いんだねえ。。。ボイルエビ、三つ葉を買い込んだが「白身魚」というのがどうも分からぬ。「鱈か?」と聞いたら「・・・でもいいけど。。。」という意味深なリアクションだ。。。タコとかだとすぐに分かるんだけどねえ。。。

      

単なる自分の好みで「ブリ」の切り身を買って言ったら「違う!」と苦笑いされた・・・我が家(私)の中ではそれほど「松茸の土瓶蒸し」とは縁遠いものだったのだ。
かくして、妻の活躍によって普段(どころか今まで口にしたこともない)にない超高級食材が食卓に上ったのである。Nさんは送り元の住所を見るにオリンピックのあった「海の無い」大きな県だった。どんなお礼がいいだろな・・・この辺ってあまり特産物がなくて「シラス系」しかないんだがなー。

      

庭改造計画

2011-10-15 22:50:42 | ホビー
我が家の庭を改造する計画が進んでいる。以前から表の道路に面した長い私道を何とかしたいと妻は繰り返していた。海岸の近くで砂地なので強い雨が降る度に少しずつ砂が流れ出し、傾斜(というほどでもないが)が強くなっているような気がするのである。
そして中途半端に広いリビング正面の庭・・・以前の住人が比較的無造作に大きな木を植え、かつあまり手入れしていなかったので昼間でも何となく鬱蒼とした雰囲気があった。

元からある木を伐ったりするのは抵抗があったが、「剪定しないとかえって木が気の毒」というのと、食べられない渋柿を鳥がついばんだり地面に落ちて腐敗していったりと、どうも野生っ気が抜けないので、数年前思い切って梅の木他を剪定し、柿の木は伐ってしまった。南側がかなり広々とし明るくもなったが、左側の中型の梅の木は花を着けなくなってしまった。2月くらいには見事に咲き乱れていたのだが、悪天候も重なったせいか今や一番大きな木以外は無残な姿になってしまった。

中途半端に日当たりがよいから、雑草だけは恐ろしい勢いで繁茂し、梅雨時などえらい苦労して草むしりしても1ヶ月たつと元通り・・・一度、3日間くらいかけて徹底的に撲滅作戦を展開した。生物の魔窟と化したジャングルで奮闘し、ときどき「わっ」と出てくる大きなカエルさんや未確認生命体に凍りつきながら(ある意味お化けより怖い)ひたすらむしり続け集めた雑草が45lビニール袋36個。。。精も根も尽き果てた。

     

私が「お手伝い」するのは土日休日なので転勤前と変わらないのだが、平日北関東に寝泊まり(最近、単身赴任とは言わないことにした)していると、休みに家族と何かする時間が貴重に思え「草むしりなどやってられぬ」気分となった。
その分、妻が「ちまちま」と草むしりしていたようだが、海ばかり行っていて何もしない私に、自分だけ腱鞘炎になってしまった妻の怒りが炸裂!ここに至り非生産的な「草むしり作業」など、2度とせずにすむように庭を大改造することになったのである。とりあえず罪滅ぼしに正面だけはがんばって草むしりすることにしたのである。

   

息子甘辛が小さいときは芝生の庭でよくサッカーの技術的な練習をしていた。庭木にネットを張りフワフワボールでボレーシュートの練習したり、リフティングしたり・・・
踏み込みで一部は芝生が削れてしまうころもあるほどだったが、中学生になってクラブチームではかなりの練習量をこなす上に練習場まで10キロ以上自転車で往復するので疲れ果て、家ではゴロゴロして練習らしいことはやらなくなった。
結果、芝生は伸び放題で雑草が混じり、その上で何かをやる気にはならない状態だ・・・

我が家の人間(特に男子)は元々面倒くさがり屋で、「手入れ」などという言葉が辞書にないも同然だ。大改造計画のコンセプトは「庭じゅうウッドデッキにしてもよいから、手のかからぬこと」
樹木は目隠しや最低限のものを残し、植え替えるか無くしてしまうことになったのである。
(大きい梅の木だけは残すかなー)
庭をどうにかするなど初めての経験で、とりあえずネットで近所にあるガーデナーらしき事務所に連絡して実際に見てもらい、試しに自由アイディアでプランを作成してもらった。
初めて見た我が家のガーデンプランだが、思わず妻と顔を見合わせ「?!」という表情をしてしまった。。。

こっ、これは噂に聞く「イングリッシュガーデン」というものではなかろうか・・・?!
円形の大理石のような石畳の周りをラベンダー、クローバー、ローズマリーなどの花壇が囲み、「禁断のバラ」までもが植えられている。中央の梅の木の下にはチューリップ、ユリ、カンナなどが華麗に取り巻いている・・・
うーむ。端っ子のミョウガやフキというのはたぶん私の好みを入れてくれたのかな。。。できたらすごいけど、なーんか実感わかないなー。そもそもメンテナンスできないんだけど。
後から聞くとガーデンプランナーという人達は何種類か方向性があり、「花を愛でる人」「枝ぶりにこだわる人」「機能に目を向ける人」などがあるそうだ。その人は間違いなく「花派」の人であろう。そういう方面のセンスに遠い我々には新鮮な経験だった。。。

そもそも休みの日に家でゴロゴロしている構成員のいない我が家は正直、「愛でるほど豪華」な庭はもったいない・・・家族が揃うのはいつも夜だしなー。
そのうち庭に物置を建てようということになった。スチールの「100人乗っても壊れない」物置ではなく、木製のちょっとした「小屋」を考えていた。
そこに9フィートのサーフボード、ボディボードにウェットスーツなどマリンアイテム、天体望遠鏡に磯・投げ釣り道具、プラモデル製作用工具に山のようなコミックなど「ガラクタ類を入れろ」と言うのである。(むろんウルトラ展示用アイテムはそのまま)

私もそれには賛成だ。うまくすれば「男の城」化することができる。未だに自分の部屋がない息子甘辛のためにしばらく勉強部屋にしてやってもよい。私は2年かけてこっそり地下に秘密基地を建設し・・・(私の定義では秘密基地とは「地下」にあるものなのだ)
頑張れば「抜け穴」にもできるかもしれないな。そもそも攻めてくる「敵」がいないけど。私はできるだけ大きな「物置」とするよう主張した。現段階では中に机と椅子を置くくらいの規模にはエスカレートしている。

次のデザイナー?は芝生面を全部ウッドデッキにしてみせた。既存の部屋と同じ高さのデッキよりは2段ほど低く、正面の物置に「室内感覚」で行き来できる、のがコンセプトだそうである。こうすると敷地が中庭のようになり不思議な感覚がある。でも雑草に懲りたとは言えここまで徹底して地面を無くしてしまうのも多少の抵抗はあったのだ。「草花や作物などは好みに応じてプランターなどで自由に」と言われればまあそうかと思われた。
物置はボードを横にして収納したいので必然的に長細いものになる。中で何か出来ないわけでもないが、居住性や基地化は難しいようだ。。。

3つ目の提案は最も極端なもので、既存デッキより東側は全てコンクリート張り(多少デコレーションあり)にして奥に巨大な物置(もはや大きさ的には倉庫に近い)を据え置くというものだ。
物置はしっかりした「建築物」で電気、シャッター、扉等が設けられ、広さだけで言えば畳10畳くらいのスペースだ。ベッドも置けるし中でオートバイでも組み立てられる。
居住性はやはりあまり期待できないが、寝泊まりしようと思えばできる・・・
しかし「基地」というよりは「アジト」に近いものがある。。。

3案ともそれぞれデザイナーの個性が現れ、興味深いものであったが、費用、イメージどれもドンピシャというものには至っていない。。。
外来製品で木製の小屋キットのようなものもあるし、コストコにあるというプラスティック製の小屋もある。
本体にある「ガラクタ」と呼ばれるものを全て収容し、机&椅子を装備して棚なども設け、数時間ならば「籠城」できる空間とは(地下基地化を諦めたわけではないが)どれくらい必要なのか、ちゃんとシミュレーションする必要がありそうだ。3つの案のいい所をとってマスタープランを作るとするか・・・

あとは今まで全く興味無かったんだけど、限られたスペースで少しずつ花とか実を育てることを趣味にできたら・・・これは自信ないなー。何せ家にいないことが多いから。
しかし「何とか」という花に季節を感じ、簡単な手入れをするのが「楽しみ」になったら。。。私は「鳥」の名と同様「花」についても超兵器203号を手にすることができると思うのだ。(うーむ。「禁断」と思えるほど高尚な趣味に見えるんだが)(まだ大陸カメを諦めた訳じゃないんだけどねー)

夕方、帰宅して暗くなった庭を見つめていた。ウッドデッキの先端に二つの電灯があり、一つは電球が切れていた。(その程度なんだ、我が家の庭のメンテナンスなんて)
ぼーっと見ていると黒い影が右から左へ。また近所のネコか・・・?
しばらく見ていたが、直観的に「先に歩いているヤツは違う」と感じ取った。。。
どうも違和感がする。顔の形もシルエットも少しネコとは違う気がする・・・
改造計画では地上施設(地下基地に比べて)ができる予定地の柵の上をスルスルと歩く動物が。。。「初めて見たけどこりゃータヌキじゃねーか?!」
これほどの住宅地にネコ以外の動物などいたのか?!妻は保健所に電話していたが、休みなので応答なし・・・110番していた。「タヌキがいるんですけど・・・」
田舎は田舎なんだけど、ここまでは経験無かったからねー。警察官をよこすと言っていたが、私が見張る羽目になった。そのうちその獣はゆっくり隣の家の柵を伝い姿を消してしまった。

     

ネットで調べたら「ハクビシン」という動物だった。たしか「まるちさん」がご自宅付近に昔出没したと仰っていたような。。。塾に迎えに行ったとき息子甘辛と「ハ―ロックの『トリサン』は無理でもアイツ飼えねえかなー」なんて同じことを考えていた。「ハクビシン」も「アライグマ」も人間の生活には「害」を為すらしい。しかも凶暴で攻撃的・・・たぶん罪はないけどなー。
「ラスカル」の最終回は今でも感動のシーンだ。(ラスカルが彼女を連れて見せる)でも現実の世界は中々シビアらしい・・・
その昔、分家のキャンパスに通学していた頃、ソフトボールの練習後何度か目の光る「タヌキ」を見て以来、住宅地でネコと犬以外の獣を見たのは初めてだ。
私の大好きだった「特捜最前線」のナレーションに出る「メカニカルタウン」という無味乾燥な都市に比べて少しうれしくなったものである。

販売研修

2011-10-14 12:13:08 | 職場
このサイトにも何度か登場した我が社のルーキーズだが、数々の研修を終え今月からいわゆる「本職」として配属されて行った。
大震災の影響で4月1日予定の入社式は一月あまり延期され、その間「業務経験(見学?)」のように何人か私の元にやってきた。改めて入社式後は集合研修で色々な社会人としてのマナー・知識を学び、再び我が職場に戻ってきた。
その後JOBローテーションと言って各職場を数週間ずつ回って座学やOJTを繰り返していった。7月終わりくらいにそれらのカリキュラムが終了したときの「提案」発表会は見事という一言に尽きる。(だいぶ周りのサポートがあったらしいことは見えたが)

レポートとしての出来栄えなどはどうでもよく、「使えるかどうか」だけの観点で見ていた私はいくつか「いけそうなヤツ」を見出し、その後一定期間で「実践して見せる」ことを宣言したのである。
その間、彼らは本配属まで厳しい販売研修に臨むことになる。最近はどうかわからないが「新入社員」の儀式ともなっていた「飛び込み営業」のようなものである。
最初はあるリストを元に先輩社員に同行され、顧客を訪問するのだが、そのうち自分なりの作戦を考え「販売活動」を行うことにある。商品は「サービス」「製品」何でもよいが、約2ヶ月間のノルマ(というよりは目標額)はしっかり決められている。

そしてその研修期間が終了したときに、レポートとして最終的に発表するのである。同様の経験をした2、3年生や、営業部門のPTA、会社の幹部などがずらりと並ぶ前で堂々の発表である。前回の思い思いのアイディアを形にしたレポートとは異なり、全員が「同じこと」をしているから10数回繰り返し聞くのも結構大変だ。(特に前の晩スパークしたときなど・・・)
付け焼刃のマーケティングなど退屈の一言に尽きるが、中々新人らしい作戦を立てているのも見られた。

特に顧客と最初にコンタクトしたときに使ったと言う、いわゆる「つかみトーク」のようなものが面白かった。
ハンコ屋さんに営業に伺った時に、自分の珍しい苗字を話題にし、「ハンコがあるかどうか」などで相手の興味を引いたとか、関西方面から来て「この地方の人と話すと『怒られているようで』恐くて上手にしゃべれない」と嘆いて、相手の同情と関心を買ってみたり・・・
普段はパートナー会社に販売をお願いしているのが事実だが、正規社員と言って名刺を差し出すと喜んで話を聞いて下さり、改めて「看板の威力」を感じた、という人もいた。中には換金額何百万という売上げを弾き出した人もいた。大したものだ。。。

ノルマ達成かどうかは基本的に関係ないらしいが、それでも期間中の彼らのストレスは相当なものだったろう。今年の新人は昨年に比べタフな者が多いようだが・・・
以前、この地方ではないが、東急ハンズで「新人歌手」のキラキラ襷を肩から下げ、ひたすら「新入社員」をアピールして「お涙頂戴営業」している人もいたと聞く。
「時節柄ねー」と思ったのは、大震災時に我が社が何をやっていたのか、何が有効だったか?なんてことを話題にするとかなり興味を持って下さったということだ。
(販売はあまり知らないけど、こっちは私のテリトリーだからねー。もっと教えてあげておくべきだった)

私は企業相手の営業などしか経験がないのだが、「小売営業」のようなスタイルは独特な世界があるように感じる。ヒューマンスキルが威力を発揮し、様々な個人の工夫や努力が結果として表れる。ハウツウやマニュアル本などは山ほど出版されているが、ズバリ核心を突いているようなものには出会ったことがない。。。(むしろ活字にはできない?)
私は「店員恐怖症」なので、むろん営業マンなどからは逃げ出すタイプだ。「放っておいてもらい、用があったら自分から呼ぶ」人が増えているような気がする昨今、ノルマの厳しい営業マンは大変だろな。。。
さて10数名の発表を聞いていて、最後に何かコメントしなければならない。私はこういうときに予め用意する習慣がなく、その場の思いつきでしゃべることが多い。
まして今回は守備範囲外の分野が多かったから何か支離滅裂なことを話したような気がする。

「・・・前回の報告会では『使えるかどうか』という観点で聞いていました。販売系はあまり経験がないので、今回は『自分が来年の新入社員だったら引用するかどうか』という観点でレポートを聞いていました。数年前は新入社員の配属など中々無かったですが、今後は少しずつこのような取組みがつながってくるので、ともすると個人の暗黙知になりがちな営業ノウハウを新人らしく引き継いで行くとよいと思います。つかみのトーク例など中々面白く、来年も使えるでしょうねー。
よく『我々の給料は社長に頂いているのではなく、お客様に頂いているのだ』というのを聞きます。皆さんもいずれ耳にすることがあると思うし、事実だとは思います。でも-あまりこういうこと言う人はいないと思うんですが-『お客様の給料も何らかの形で我々は支払っている』ということも頭に入れておいたほうが発想が広がると思うんですよ。どこかでつながっていて循環しているのです。私の持ち分は技術系分野ですが、ごく一部を除いては我々の仕事は全て貨幣で換算できるはずです。
その一例として先日、「実践するよ」と宣言した皆さんの提案に対して、その実施結果と想定貢献額を算出してきました・・・・
市場原理だけ追いかけてもいけませんけど、自分の仕事っぷりを貨幣価値に換算する習慣をつけること、我が社は例え新入社員でも「何かを良くする提案」なら必ず取り上げ答えを出す会社であること、を念頭に置いて本職となる部署でがんばってください。」

昨年よりも場馴れしてきて、こういう場面で「偉そうなこと」をサラサラ言えるようになってきた。彼らはそれなりの人数がいることもあり、結束力も中々なもので実にパワフルだ。もうじき開催される県民マラソンなんて全員が出場する、という。。。
昨年10キロという距離を初めて走って死ぬ思いをしたのだが、今年練習に何回か走ってみて確実に前回から体力は改善されてないことがわかった。(そういう運動をしていないから当たり前か・・・)
リバーサイドちんたらジョギング(4.195km)出場禁止とか言っちゃったけど、途中リタイアとかするとカッコ悪いしなー・・・
「オレを抜いたら、悪いことが起きる・・・」という噂でも流すかなー。

連休散歩

2011-10-10 22:22:45 | 旅行お出かけ
この3連休は朝早くは曇っていて、だんだんと秋晴れになって行くパターンだった。デトックスも兼ねて海へ向かうが、気持ちはいいだけで波は皆無に近し、別にここで話題とするようなこともあまり無かった。。。
今日は早朝竜泉寺の後、「COCOS」で朝食バイキングでばっちり高カロリー食補充し、ジョギングをしようと思っていた。あと一月を切った県民(じゃないけど)10キロマラソンのために足を慣らすためである。
昨年の初体験から1年、年明けの湘南市民マラソンから半年以上10キロという距離を走ることはなかった。私は「あてもなく」走り続けることが苦手なのである。

マラソン大会は2度経験したが、どれも「死ぬほどキツい」モノだった。しかし「周囲の声援」の威力を初めて感じ何とかゴールすることができた。
「練習ジョギング」は何度か走ったことがあるが、どれも完走できたことは無かった。あれはまさしく「自分との戦い」である。つまり止めてしまっても誰も怒らないし「カッコ悪い」とも思わないからである。10キロという距離は簡単に言うと普通にジョギングして1時間走り続けることに他ならない。そんなの楽勝に見えるのだが、だいたい15分で帰りたくなるのだ。

バイキングで目一杯詰め込んでカロリーを補給し、一応準備運動をして家の前から海へ向かってウォーキングを始めた。カメラを持っていないから、活字だけのレポートとなる。
海辺を走る人はたくさんいる。もうすぐ「湘南国際マラソン」が開催されるからか?!そちらに出たいのも山々だが、同じ日に勤務する北関東の「県民マラソン」に出場する。
鵠沼スケートボードパークから海岸線を走り出すと、サーフビレッジの向こう側で何やらイベントを開催していて人がたくさん、それをかき分けての走行となった。昨日も海上から見えたが「ライフセービング日本選手権」というイベントだった。

私は向かう先に何か目的を持たないと決して走れない。今回はこの3連休夜釣りに訪れようと計画していた片瀬漁港の様子と「ライバルがいないかどうか?」の偵察である。
ものすごい距離に感じるのだが、家からは往復約30分余り・・・マラソンの半分くらいしかない。ちょっとだけ偵察すると朝市の終わり間近で手のひらサイズのシマダイとカマスがわずかに残っていただけだった。
そのままUターンし、今度は西へ海浜公園へ向かう。残り30分走るとだいたい10キロなんだが、とても体は持ちそうもない。

谷川真理さんのマラソン本を読むと、1週間ごとに3キロ、5キロ、10キロとだんだん距離を延ばしていくものだとあったが、性格上私はそういうことができない。いきなり10キロ走って体に覚え込ませ、後はその場のノリで突き進む。走ること自体を趣味にしていないのでそれこそ「その場限り」のランナーである。
海浜公園の「マラソンコース」を周回して距離を調節するが、途中で左膝外側が痛くなってきて、ギリギリ1時間を走り上げ家の近くの自販機で「チェリオ」を貪るように飲んで苦痛のトレーニングを終えたのだった。
時間は昼過ぎ・・・私は30分ほど身をベッドに横たえると「この陽気がいいのにどこで昼食をとるか」妻と話し始めた。

妻は「イル・キャンティ・ビーチはどうか」と言う。(さっき前を走ったばっかなんだが)
しかし「歩くだけならいいか」と超兵器を持って妻と川沿いの道を歩きはじめたのだった。正午は少し過ぎていたが、うららかな風の心地よい最高の日和であった。
一番手前のサーフビレッジ正面ではビーチバレーコートで素人参加の「のど自慢」のような大会が開催されていた。プロが出るようなモノではない。

      

その向こうが「全日本ライフセービング選手権大会」である。ビーチフラッグ大会とか何とかカヌー大会とか色々と種目があるようだ。丁度ボード大会の決勝が行われているところだった。
夏休みにビーチに行くと沖合を右に左に偵察しているいつもの人達である。ライフ整備セイニングボードに跪き、手でかきながらゴールを目指す競技らしい。
「サーフィンみたいに波に乗れば速いんじゃねーか?」と見ていると、やはりトップの選手は見事にインサイドで波に乗り、ゴールへ一番乗りした。なんと一位は高校生らしい。。。
だいたい地方の「LSC(ライフセイビングクラブ)」が出場しているようだが、よく実況中継に出てくるのは「東京消防庁」・・・そりゃーあの人達はプロだもんな。

         

いつもの新江ノ島水族館の横を歩いて行くと、「バシャーン」という水音と大歓声と水しぶきが降って来た。。。「なっ、何事?!」と見ると、イルカのショーの真っ最中であるらしい。
おーっ、飛び跳ねるイルカが見えるじゃないか!無料で悪いけどカメラを構えた。こういう時超兵器の連続撮影機能が活きるものだ。
その隣の水槽ではいつも顔だけ水面から出している海ガメが見えたが、今日はそもそも陸に上がり込んで、「甲羅干し」を決め込んでいる・・・

       

片瀬漁港には釣り舟が次々と帰還しており、夜きたときに釣り座を構える場所を偵察しながら後にした。
「サラダのドレッシングが美味しい」と教えてもらった「イル・キャンティ・ビーチ」入り口に行くが、さすが3連休かなりな列が出来て席空きを待っている。
我々はいつでも歩いて来れるので「すいた時にくればいーや」と家に向かって歩き出した。
丁度風が心地よく、テラスでビールでも飲みたいところだったのでレッドロブスターに向かった。残念ながらテラスは満席だったので隣の「サンタカフェ」という店の2階のテラスに席を取る。

  

目の前は新江ノ島水族館の建物そのものなので、2階のテラスからでも景色はイマイチだが、「サンセット」に近い時間でもあり、優雅な時間を過ごしたものだ。「サザエのガーリック焼き」にワインとか飲んでしまった。
うーむ。中々に「ブリリアントな午後」だなー。
チームメイトと江ノ島にサイクリングに行っているはずの息子甘辛に「時間があったら帰りに寄れ」とメールを打つと、最近仲良しで近所に住みチームメイトになってくれそうな友達と「エビを獲りに行くので忙しい」と返信してきた。

       

「何?!エビだと?それなら酒屋の前のあのポイントだ。オレも言ってハゼでも釣ろう」
ワインを飲み干して早歩きでいつもの川に向かったのである。優雅なサンセットがいきなり「釣りリアントな夕べ」だ。
甘辛達は昔からの友達とその家族も一緒にがんばっていたが、時間が遅く潮が満ちてきて足場がなくなり結局我が家水槽の手長エビに仲間が増えることは無かったのである。
この後、今日3度目の片瀬漁港へ夜釣りに出かけようと思ったのだが、さすがに連休の疲れが出て撃沈・・・・
幻の黒鯛狙いは次週へ持ち越されたのである。。。。

道了尊

2011-10-09 13:20:18 | 旅行お出かけ
大雄山最乗寺=道了尊・・・足柄山をほぼ全山敷地とする雄大な名所である。しかし超が付くほどマイナーなところで、同じ県民でも知っている人は少ないと思う。ましてや学生時代など含めて「知っている、訪れたことがある」と聞いたことが一度もない。。。
何せそのアクセスの仕方自体、小田原から「大雄山線」という聞いたこともない謎の単線列車を使うのである。
小田原から「箱根登山鉄道」を知っている人はいても、「大雄山線」を知っている人はかなりすごいと思う。

ところがどういう訳か我が家は両親がこの地方とはあまり所縁のない富山の生まれにも関わらず、この「道了尊」に昔から馴染み深いのだ。
幼いときに富山の祖母が訪れると大抵、道了尊に足を運んだ。特別何かを食べに行くわけでもなく、宗派も異なるし何故必ず参拝に行くのか未だに私にとって謎であるとともに、恐怖の的だった。。。
「天狗様の御寺」としておどかされたのである。(私は今でもそうだが、とにかくこの手のモノに弱かった・・・)

親の兄弟が多かったため、従兄弟連中が多くそれも優等生ばかりに囲まれていた中で、ひと際「悪行の限り」を尽くしていた私を何に付けて祖母は道了尊に連れて行こうとした。
「悪いことすると『天狗様』が夜、来るんだからね。。。」
幼年期の私は大雄山に行くとしばらくは、無邪気に大人しくしていたのだった。。。覚えているのは恐怖に凍りついた「天狗の像」とバカでかい下駄・・・
今回訪れたのは何十年ぶりだろうか、実は両親は私が家を出てもコンスタントに訪れていたらしい・・・

秋晴れの連休、私は「御札をもらいに行きたい」という実家茅ヶ崎の母を乗せて超久し振りに道了尊に向かったのであった。
西湘バイパスを西に向かい、小田原で降りて少し戻って足柄を目指す。大雄山線とほぼ並行に進む道路で終点の「大雄山」で左折すると後は山の一本道を上るだけである。
「南足柄市」なんて同じ県内なのに生まれてから何度も来たことが無い。。。どんなド田舎かと思っていたら、意外にも道路や駅周辺は開発が進んで、総合商業施設やカラオケ、レストランなどが立ち並ぶ賑わいであった。

   

観光地箱根山でもなければハイキングの大山でも丹沢山でもない。ほぼ全山が道了尊という南足柄山しかないのにこの栄え方は不思議だ。
ちなみに海が見えるわけでもない。
実家からは約1時間余り、かなり早く到着したつもりだったが、駐車場にはもうかなりな乗用車が置かれていた。祈祷受付のある境内に入っていくと、正面(写真右端)に大きな時計がある。ふーむ。何となく思いだしてきた。
ふと、横の部屋を見ると「仏像を彫る教室」・・・こっ、これは渋い。朝からトンカン音がしている。あまりに高尚過ぎて入っていけない。。。もう少し歳を経てからだな。

      

祈祷と言っても神社のように神様の前で神主さんがお祓いをしてくれるわけでもなく、一定期間毎朝願い事を読経時に読み上げてくれる、というものらしい。
母親が「家内安全」「心願成就」と書き出した祈祷受付書を見ていると、御札の名前は私になっている。「自分の名じゃなくていいの?」と聞くと、これまでずーっとそうしてきた、と言う。そういうものか・・・確かに私が家族と来たら息子の名前を書くだろう。

御札収め所は本堂を右手に奥の院のほうに進んだところにある。母は慣れたものでまっすぐにそこへ向かった。本堂ではお参りしないらしい。。。
少し歩いて行くと小さな太鼓橋があり、「結界門」という世にも怖ろしい名の門が現れた。
その両脇に立つ像はこれまた恐ろしい「小天狗(左)」と「大天狗(右)」で、私は幼い時にここを通るときだけは怖くて泣き叫んだという。トドメの一撃は「あまり悪い子だとこの中に置いて行く。。。。」

      

子供ながらに感じていたような気がするが、結界門の向こう側は何か不思議な空気を肌に感じる異世界のようなところだ。今だから思うがかなりの「パワースポット」なのではあるまいか。私はパワーを受け取るためにソウルで購入したパワーストーンを左手首に着けた。
御札収め所から御真殿に向かうと、「世界最大の鉄下駄」とその周りにたくさんの下駄が置かれている。天狗の下駄の歯は一本のはずだが、ここに奉納されている下駄の歯はすべて2本。「夫婦和合のシンボル」とされているらしい。。。
御真殿に入って行くと正面に「天狗の団扇」型の蝋燭立があり、自分で火を点けてお参りする。天狗のお守りを買って帰ることにする。

      

本堂と反対側の門を降りていくと、「初代高下駄」というのがある。さっきの巨大高下駄よりも二周りくらい小さいもので、その昔はこれが最大だったという。
道了尊を出て山を降りる途中に左折して行くと「まるちさん」お勧めの「おんりーゆー」という施設があった。
森林浴と温泉浴を同時に楽しめ、ヨガなどの無料アクティビティもあり、健康料理も充実して実に魅力的なところだったが、残念ながら今回は時間の関係で偵察のみとなった。

   

帰路の途中に「五百羅漢」という大雄山線の駅があり、近くに御寺があると聞いたので寄って見た。玉宝寺というところである。
五百羅漢というのはあちらこちらにあるような気がする。どちらかというと、山の中腹に石に彫られた仏像が列をなしているような光景を思い浮かべていたが、ここの五百羅漢は全て木彫りの仏像で、建物の中にずらりと鎮座していた。中々見事なものだ。
(先客の一人以外はお寺の人が誰もいないので勝手に入ってしまったが、良かったのだろうか?案内には「拝観無料」とは書いてあったが・・・)

    

やがて住居側から一人の女性が小走りで出てきて、我々に軽く会釈をし、釣鐘に向かった。
街中に流れる11時を示すメロディーとともに、鐘を「ゴーン」・・・なんか家事をするような手軽さで(もしかしてサンダル姿?)時を告げていた。
我々はそのまま西湘バイパスを家に向かい、途中平塚の「陣屋」という古くからの蕎麦屋で昼食をとることにしたのである。
次に道了尊を訪れる予定は3ヶ月後の1月・・・(毎日祈祷が3ヶ月らしい)、その時は「おんりーゆー」にも立ち寄ってみよう。