超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

箱根強羅の施設へ

2012-05-27 06:23:15 | 旅行お出かけ
息子甘辛の学校の体育祭が先週土曜に行われた。この学校で最後の体育祭になる甘辛は学年縦割りの副ブロック長として、入場行進から(旗持ちではないが)ど真ん中で仕切っていた。小学校の運動会は子供も小さいから徒競争でもダンスにしても「観客を喜ばせる」ほんわかした雰囲気があるのだが、中学校の体育祭は「当事者が勝ち負けを競う」要素が強くなり、それなりの緊張感もあるものだ。私は正直、「体育祭」というものとあまり相性がよろしくない。自分の競技もチームとしての成績も6年間、芳しいものはなくあまり高揚せずに燻り続けた。昔から何となく「ポイントの積み重ね」には強いのだが、一発勝負にはどうもこれといった活躍ができないのである。息子もどうやらその血を引いてしまったのか、あまり華やかな舞台に縁が無い・・・「平均点」で勝負するスタイルなのかもしれない。

月曜日は学校が代休だったので、我が家は箱根の強羅で大規模に改装された宿泊施設を予約していた。奇しくも月曜日は何十年ぶりとも言う金環日食だった。勤務地もぎりぎり観測圏に入っていたが東京から我が家、箱根あたりはど真ん中コースになっており、久々のプチ温泉宿泊を兼ねて半日休暇を取っていた。
日曜日の宿泊だが残念ながら息子の練習帰りに合流して向かうので、到着が夕方となってしまい、久々の観光は難しかった。今回も私は助手席に座って超兵器を構えていた。箱根駅伝の山道など当然で自分で運転するところなのだが、ある事情でしたくてもできなかったのである。天気は薄曇りだったがまずまず、車は西湘バイパスへと進んで行った。

まずは何度か釣行したことのある大磯港である。手前が海水浴場になっており、大きな岩まで行けるのがポイントだ。ファミリーフィッシングの盛んな港だが、海面から足場までがかなり高くあまりコンディションのよくない場所も多い。巨大なフグと小さなキス、メゴチなどしか釣れた記憶がない。駐車場のすぐそばに地元漁港直営の「めしや」という食堂があるのだが、どうも賛否両論あるようだ。西湘バイパスを西に向かうと大磯ロングビーチが見えてくる。プリンスホテルだがシーズン以外はどうやって集客しているのだろうか?以前は流れるプールを釣り堀にしているとも聞いた。。。向こうに甘辛が小さい時に上から2段目から飛び込んで周りを驚かせた「飛び込み台」が見える。車は快調に飛ばしもう料金所までやってきた。

        

「今日はかなり薄曇りだから富士山は無理かなー」と思っていたら薄―くそのその姿を見せていた。。。このあたりで例の看板が現れる・・・今は「動物注意」だが、ちょっと前は確かに「シカ注意」だった!こんなところにいるわけねえだろ!いつの時代やねん(関西弁)
何故か覆面パトに捕まった車が写ってしまっていた。(かわいそー)
タコの泣き顔「投捨禁止」の看板を経て久々に箱根方面へ向かった。いつも横目に見る突堤の釣り人達・・・おーっ、鎌倉の八幡宮横にあった「山安」じゃーないか!(こちらが本店)車は箱根新道に進入していく・・・

            

ここら辺に蒲鉾の向上とか「生命と地球の博物館」とかあったはずなんだけど・・・(実は新道側に入ってしまったのでスルーしてしまったようだ)
おーっ、さすがにこのあたりになると「動物注意」は猿になるんだなー。。。あっと言う間に箱根湯本駅、アーチ型のホームは変わってない。駅ビルはすごく新しくなったが、温泉街は昔通り、少し進むと「発祥の地」が現れる。これは大昔から変わらない・・・
「一の湯」って昔、結婚直後に日帰り昼食家族風呂コースで訪れたことがある。山道を上って行くと線路沿いのルートになって・・・箱根登山鉄道の登場し(もうしばらくすると「あじさい電車」となるんだよなー)終点、強羅までほぼ並走する。。。ピカソで有名だった?!「箱根彫刻の森美術館」は昔から知っている有名ポイントだが、正直言ってあのコンテンツでは入館料高過ぎよねえ・・・・

              

何度か迷ったあげく、強羅の新施設に到着した。何度か訪れたことがあるが、全く雰囲気や建物の形が変わっていた。。。改装と言っても建物そのものを建て替えたような雰囲気だ。
かなりの傾斜地に建っているだがすばらしいロケーションだ。支配人によると部屋のほぼ正面に見える箱根「大文字焼」のすぐ横に朝陽が上り、あの幻想的な金環日食を期待できると言う。(予報では曇りで厳しいんだけど)部屋といい建物といい、改装されてかなり高ポイントの施設だった。「本格イタリアンコース」という夕食も中々に美味な料理でカメラ片手に舌包みをうった。(あんまりこういうことしないんだけど)
行き慣れた熱海と違ってこちらはかなり温泉らしい。。。上がってからも硫化水素の香りが抜けないいかにも「温泉らしい」暖まりかただった。

          

ここんところ疲れが溜まっていて私は翌日早朝の金環日食に備えて撃沈・・・甘辛と妻はカラオケルームで10曲以上熱唱してきたようだ。時間的にほとんど久々の箱根を堪能できなかったのは残念だったが、甘辛も妻もそれなりに寛いで楽しんでいるようだ。
一応太陽光グラスを持ってきたが、どうも金環日食時間は天気がよくないらしい。甘辛がその気になればたぶん晴れるのだが、どうもあんまり興味はないようだ。皆既日食の時もそうだったが、あまりに珍しい天体ショーの場合はたくさんの人が写真を撮影し、テレビでも十分放映してくれるから慌てなくても見られるだろう。

        

サザエさんの街

2012-05-25 20:57:55 | 旅行お出かけ
古くからの取引先を訪問することになった。東京世田谷にオフィス兼工場のある企業である。先日、我が方を表敬訪問下さったのだが、ちょっとした行き違いでほとんどご挨拶程度しかできず、まことに失礼に感じたので日程調整をお願いしてお邪魔することにしたのである。
場所は桜新町、先日息子と久々に訪れた二子玉川園の隣りである。我が家からは先日と同様、懐かしき通学コースで田園都市線を渋谷方面に向かう。
学生の時、あの付近に住んでいた学友もいて、たまに麻雀したり泊まらせてもらったりしたが、どういう街だったか・・・首都高速3号線の下を車で走った以外にあまり記憶がない。

   

オフィスは駅からそう遠くはないが、少し入り組んでわかりにくいところにあるということで、わざわざ社長?(仮称)が駅改札まで迎えに来てくれた。
「この桜新町駅周辺は『長谷川町子美術館』が近くにあって『サザエさん商店街』というのができてるんですよ。テレビでも結構取材に来ましてねー。」
あー、そうか。。。サザエさんの「長谷川町子美術館」が近くにあるのを思い出した!。はるか昔、友人の家に遊びに来たときに、「サザエさんの街」を再現したジオラマ?が展示され、「売り地」については購入して自分の名前の表札を出すことができると言われていた。「長谷川町子美術館」は季節的にサザエさんを特集することもあるが、普段はあまり関係のない展示物ばかりで「サザエさん博物館」だと思って訪れがっかりする人が多いという。。。

         

オフィスまでは確かに歩いても10分くらいだが入り組んでいて初めての者にはつらいかもしれない。しかし車でも一方通行などが多く遠回りになってそれなりに時間がかかってしまった。
従業員は25名とそう大きくない会社だが、若くて精鋭かつ職人のようなバリバリした空気を感じた。街中のビルなのだが、3階が事務所、地下1階が資材等倉庫、2,3階が工場ラインとなっている。我が社とはもう40年くらいのお付き合いで、お納めいただいた製品も何度もリサイクルされ市場に出回っているようだ。事業概要などをパンフレットで説明され意見交換などさせていただき、ラインを見せていただけることになった。「恐縮ですが精密加工もあるため、これをお召しになってください」差し出されたのは真新しい白衣だった。工場長らは作業用ユニフォームを「お召しになって」いる。(なーんか懐かしいなあ)

大規模ラインでない「手作り感」が強いところで、現場からの改善要望や作業者ならではのアイディアがきめ細かく繁栄されていて、日本の「技術」を感じさせられるところであった。
会議室に戻って感想た今後の技術開発などについて色々と聞かせていただき、「せっかくだから昼食を」ということになった。明らかに真新しい白衣を脱ぎながらふと思いついた私は「あのぅ、よろしければこの白衣頂戴できないでしょうか・・・?記念にというわけでもないんですが」
社長は一瞬「?」という顔をしたが、笑いながら「どうぞどうぞ。よければこっちの手袋も・・・」と紙袋に詰めてくれた。
今さら化学の実験などするわけもない私がなぜ図々しくも白衣を所望したのか?「料理教室」のためである。先般、東京ガスの料理教室に初めて参加したのだが、結構楽しかったのでまたいくつかチャンスがありそうなのだが、さすがに「男子がプリント柄エプロン」というスタイルが妙な抵抗心を引き起こしていた。
作務衣や割烹着など色々考えたのだが「いかにもやる気満々」というのも気恥ずかしく、丁度いいスタイルが見つからずにいたところ、昔慣れ親しんでいた「白衣」ならありなのでは?と瞬間的に閃いたのである。手のところが割烹着のようにすぼまっているので全くの実験っぽくもないし・・・

紙袋をぶら下げて我々は昼食を取りに外へ出た。「せっかくだから『サザエさん商店街』見ていきませんか?銅像ができてから結構訪れる人が増えたんですよ」
地味なので来たときには気が付かなかったが、地下鉄の入り口には「サザエさん」の家族の銅像が色々と並んでいる。波平さんにオフネさん、カツオくんにワカメちゃん、タラちゃんにサザエさん・・・磯野(フグ田)家の面々である。街中にはオープニングソングが流れ、信号の制御BOXなどにもサザエさんのステッカーが・・・
「ウルトラ」と通ずるものがあるマニアという観点から一言申し上げると、若干の「物足りなさ」を感じる。国民的アニメの割には「レア」なキャラが全く見られないのである。私が「サザエさん商店街プロデュース」を任されるとしたら、地下鉄出口で出迎える銅像は一応メジャーな「お隣のおカルさん、三河屋のサブちゃん、変な顔のアナゴさん、ハマキを加えた浜さんちのジュリー」あたりである。そして厳格な中島くんのお祖父さんやリカちゃんのお母さん、髪の毛均等分けのカツオくんの担任が街中に現れ、マニア向けの「探せキャラ」は伊佐坂家に居候していたダイハチさんで行くか・・・

      

先日、奇しくもニュースで「サザエさん通りにあった波平さんの銅像から頭の毛が引き抜けられているのが見つかりました」と報道していた。社長に言わせると「いたずら」する人が多いらしく、絶対に抜けないような特殊加工してあったらしいのだが・・・(まあ、こんなニュースがNHKで流れるあたり我が国も平和だと思ったものだ)
同じ色のブロンズ像?というのがウルトラ派の私には「ヒッポリト星人にブロンズ像にされてしまったウルトラ兄弟」を思い出させ、イマイチの印象だ。むろん拝むことはあっても「いたずら」することなど思いもよらないが、もし仮に一つだけ家に持って帰るとしたら・・・私は迷わず「おフネさん」を選ぶ。玄関であの笑顔で迎えられたら、仕事でどんなに嫌なことがあっても疲れは吹き飛ぶと思うのだ。(そういうことがあまりないけど)

   

「あの不動産ね、花沢さんちのモデルなんですよ。ほら、看板あるでしょ?」ほんとだー!これが花沢不動産のモデルかー。。。お父さんは花沢さん同様カツオくんにほれ込んでいて将来この不動産屋を継いでもらう考えなんだよなー。実は小学5,6年生のときにドッジボールでも「駆けっこ」でも勉強でも、腕相撲ですら敵わなかった、スーパー花沢さんキャラの女子がいて、私は心の中で「花沢さん」と名付けていた。つまり小学生のときもサザエさんを見ていたのだから、よく考えるとそれだけでも驚きだ。
「ここの魚屋さん知ってます?」社長はいたずらっぽく尋ねてきた。魚屋?そんなん「サザエさん」に出てきたかな・・・?「ここね、『お魚くわえたドラ猫っ・・・♪♪』を捕まえた店ということになってるんです。」
なーるへそ。いかにも後付けだけどそういうのもありかもなー。その先には「三河や」のモデルになった酒店があるという。。。

      

誰だったか忘れてしまったが、サザエさんのトリビアを歌ったものがあった。その薄っすらした記憶をたどると・・・・(かなりいい加減なので間違っているかも)
初級:マスオさんの会社は「海山商事」、カツオとワカメの通う学校は「かもめ第三小学校」(子供の多い時代ね)、波平さんの双子の兄は海平さんで頭のてっぺんに毛が二本
中級:波平さんは山川商事の課長、カツオとワカメはうろこ柄のふとんで寝ている、サザエさんの得意技はゴリラのまね
プロ級:昔隣りに住んでいたハマさんちのミツコさんは剛速球を投げられる、そのミツコさんとウキエさんの声は同じ、マスオさんの夢はパイロットになることだった。
嘘も混じっているかもしれないが、皆さんどれだけご存知だろうか・・・?「サザエさん」を見ていると少し憂鬱になってしまうのを「サザエさん症候群」というのだそうだ。日曜日の夜だからこれを見ると休みが終わって明日から「学校かー」「会社かー」とブルーになってしまうそうである。(言われてみればそうかも)

スーパー銭湯竜泉寺の露店風呂にはテレビがあって、たまたま日曜日の夕方入ったときに「サザエさん」を放映していた。とりあえずエンディングで家族全員がおうちに吸い込まれちゃうのを見て、「さーて、来週のサザエさんはー」と予告が始まり「タラちゃんですぅ」と続いて最後の「来週もまた、見てくださいねー。ジャン・ケン・ポーン」のときに風呂場からは老いも若きも全てジャンケンを出していた・・・
国民的アイドル「サザエさん」がいつまでも続くことを願うのだった。。。

メタボ改善コミット

2012-05-22 17:05:44 | スポーツ・健康
どういうわけか「健康診断での特定検診の追加及びそれに基づく健康指導」の対象者ということで「特定保険指導利用券」というのが職場に送られてきた。確か昨年も送られてきたのだが、人間ドックで大きな問題も指摘されておらず、「利用券を使って任意の期間に自分で予約」などと書いてあったので面倒くさくなって結局黙殺してしまった。。。今年は案内文まで付いていて「特定保険指導対象として決定した社員は、法令に基づく実施によることから、期間内に必ず受けなければなりません」と書いてあった・・・
そこだけ太字になっていて「今年は見逃さねえからな」という警告文のようだった。別に再検査のようなことも言われていないし・・・何か抽選に当たったのかとも思っていたが、「特定検査項目等の結果により決定」と書いてあるから適当に選んだのでもなさそうだ。

何か駐車禁止シールのようにシカトするとやばそうだから、とりあえず受付番号に電話してみた。
「去年は期限切れになってしまったのですが、これって何なんでしょうかねえ」「検査結果がタボ予備軍として対象になってしまったんです。生活習慣病改善について企業が指導するように法律が決まったんですよ」なるほど・・・いつもギリギリでかわしてきたつもりなのだが、どこか引っ掛かってしまったか。。。
指導・支援内容は保健師のサポートを定期的に受けながらプログラムの実践を行う「積極的支援」と改善プログラムを作成したら6ヶ月やりっ放しで結果だけ報告する「動機付け支援」の2種類がある。むろん前者の方が結果が悪く、「メタボリックシンドローム」と診断されてしまった人、私は幸い後者だが予備軍として自ら改善すべし、というものである。

昨年、かかったというスティーブに聞くと「結構、面倒くさいですよ。運動指導受けて実際にやらされたり、食生活習慣やカロリー計算なども教えられて、目標をたて記録しなければいけないんです」
「ふーん。それで効果はあったの?」「6ヵ月後に面談があって効果測定があるんですよ。自分で宣言したことですから一応やりますねー」
私は自分だけだと滅法弱いから、人に宣言して自らを追い込むきっかけがあると、それこそ史上最高の改善を求めて寿命を削ってもダイエットするような気がする・・・(意味違うだろ)
スティーブから「6ヶ月後に効果を測定され指導を受ける」と聞いていたので、「ではスタートはできるだけ悪い値の方がよいだろう」とまたまたあざとく考え、人間ドックのように体調を整えたりせずに「爛れた」生活をしていた。

予約時間に健康管理センターを訪れるとお仲間が二人先客できていた。どちらも私より5,6歳は年上のようだ。いつも「私以外」のことで相談に乗ってくれ大変お世話になっているいつもの保健師がにっこりやってきて、血圧を初めとして色々測定しては「今の自分」という欄に記入していく。
体重計は靴を脱いでそのまま測るのだが、「衣服は1kgしか見てませんから、ポケットに重たいものがないか見といてくださいね」測定するといつもより少しだけ重たいようだ。
「胴回りは難しいんですよ。衣服に締められて小さく出てしまうのでズボンを下ろし、下着も半分くらい下ろしてください。」この状態でメジャーを回して腹回りに抱きつかれると「やばい」格好のような気もするが。。。どうしても少し腹を引っ込めがちになってしまうのだが、そこは手馴れたもので「息を吸ってー、吐きながら最後にふぅっと力を抜いてください」言われるとおり、ふっと力を抜いた隙に腹筋も抜いてしまったところを「はっ」と測られてしまった。わずかだがメタボ基準値にオーバー・・・・これがそうか。
「やっぱりオーバーだな。人間ドックのときは自分で測るからいくらでも引っ込められるんです。ギリギリの申告でかわしてたんですがねえ」

遅れてきたメンバーが来て全部で5人、別室で保健指導が始まった。このプログラムにお呼ばれするのは健康診断結果での体格、血圧、脂質、血糖から決めるらしいが私の場合はBMIと血圧が引っ掛かってしまったようだ。
いつもの保健師から「皆さんせっかくこうやって集まったのですから、積極的に質問や意見を述べてください。まずはきっかけとして今日のこの場に臨む意気込みをお話しいただけますか?」
皆さん保健師と仲良しなのか、歳をとると饒舌になるのか、長々と詳しく自分の健康状態と決意表明を行っていた。傍から見ていると年寄りにありがちな「病気自慢」のようにも聞こえるが。。。
「私は平日一人住まいで、飲まない日は自分で食事を作るのですが、どうも濃い味になって血圧が高まったような気がします。あと、1度に飲む量と間食が多く食生活だけ言えばメタボリックまっしぐらだと思いますが、週4回以上の運動量でかろうじて維持している状態です。今日をきっかけに一気に安全圏まで駆け抜けたいと思います」

保健師の講義が始まった。「メタボリック症候群は生活習慣病といわれる高血圧や肥満、糖尿病などの組合わせですが、なぜ一塊で言われているのでしょうか?それはこの組合せで該当すると心臓病、脳卒中、糖尿合併症などの重度の疾患に罹る割合がぐんと増えるからです。どのくらい増えるでしょう?」
保健師と目があった。。。「2倍と思う人」で3人が手を挙げた。いやいやその程度でこんなにもったいぶった言い方はしない・・・私ともう一人は5倍で手を挙げた。
「皆さん、二つに分かれてしまいましたね。でも皆さんはずばり『あ』『ま』『い』です。」プロジェクターに大きく映し出された数値は何と36倍!!!これが「つかみ」だったんだねー。

さて基本的な計算方法の説明だ。腹囲1cmが体重約1kg、これを減らすのに必要なエネルギー消費は7000kcal、これをもとに減らしたい腹囲=体重を決め、ダイエット期間より1日に減らすべきエネルギー量を算出する。これを運動による消費と食習慣の改善に分けてそれぞれ毎日何をするか決めこれを記録するのである。「レコーディングダイエット」の簡単なヤツだと思えばよいか・・・
じっくりコースは2ヶ月で腹囲1cm、がんばるコースは1ヶ月、急いでがんばるコースは1ヶ月に2cm減らすのが目安だった。とりあえず目標4cm減、4ヶ月で達成しそこからは維持、というプランを立ててみると、1日に削減すべきエネルギーは7000kcal÷1cm÷30日=233kcalだった。

ここにきて私は計算結果を見たまま、頭を抱えてしまった・・・どう考えても計算が合わないのである。運動によるエネルギー消費は「足し算の累積でよい」と言う。昔のように何十分続けないと脂肪が燃えないとか心拍数が上がらないと効果がないとかは関係なく、単純に運動で消費したカロリーを総合計すればよいという。また週単位ではあくまで総量でよく、毎日でなくても週末集中でもよいという。。。体重別100kcal早見表というのがあって日常では歩行27分、掃除機23分、自転車20分、階段10分、レジャー・スポーツでは釣り27分、ウォーキング20分、サーフィン(水中運動)20分、エアロビクス13分、ヨーガ(美容体操)14分・・・お分かりであろう。。。1回のスポーツクラブでの運動量は約500kcal、週末もほぼ同様である。1日普通に過ごしていても階段上ったりオフィスを歩き回ったりという時間をかき集めると100kcalくらいにはなる。
計算すると少なく見積もっても1日平均400kcalくらい優に消費しているのである。1ヶ月ちょっとで2kg近く減らすことができるペースである。

もうかれこれ何年もこのような生活をしている私はとっくの昔に理想的な体型と健康を手にしているはずなのだが・・・現状維持がやっとということは死ぬほど荒れた食生活をしているということか?!
「先生、どう考えても辻褄合いませんよ。人に比べてそんなにひどい生活もしてないし・・・私の運動量から計算すると今頃『ガリガリ』なんですけどねえ」
保健師は「待ってました」とばかりにテキストのページを指定して説明を始めた。1日平均2000kcal摂取する身長165cm、体重65kgの45歳の男性が、2050kcalつまりたった5%多く同じ条件で摂取し続け5年間たつと体重はなんと77.9kgに黙ってアップ!世にも恐ろしい計算結果だった。保健師はにこにこしながらもたたみかけるようにスライドを進めていった。「入ってくるものが多すぎるんです。特にお酒!」

「50kcalの目安ってわかりますか?缶コーヒー(砂糖入り)半分ですよ。ちなみにアルコールは間食と一緒です!中ジョッキ1杯200kcal、ちなみに昨晩どれくらい飲みましたか?」昨夜は甘辛の塾の終わるのを待ちながら妻とサイゼリヤで・・・
「中ジョッキを2杯!・・・・・と赤ワイン1本。。。。」(ほーら、運動の消費カロリーも一瞬でパーでしょ?)と彼女の顔に書いてあった。
1年間毎日ビール缶(500ml)の晩酌を続けると・・・200kcal×365日÷7000kcal=10.4kgの体重増加!ダイエット用発泡酒350mlにすると4kgで抑えられるがやはり増加!
つまり人の倍くらいあれこれ動き回って、運動で汗をかき、ようやく「飲んだ分を消費」していたのであって、何もしなかったらとんでもないことになっていたのである。理系でも納得できる論拠を突きつけられてしまったが、それでも私は怯まなかった。

「ちなみに『入浴』とかはどうでしょうか?よくスーパー銭湯行くんですが、出てくると2kgくらい減ってます。まあ、あれは汗だから体重と関係ないでしょうけど、カロリー消費にはなりませんか?」
「その通り、発汗によって体重が減ってもすぐに補給して元に戻ります。新陳代謝がよくなってストレスも発散できると思いますが、入浴そのものはあまりカロリー消費には貢献しません。疲労はあっても消費しないのですよ」まだ私は諦めなかった。
「しつこいようですが・・・電気風呂なんてのは筋肉が収縮しますよね。あれは筋トレと同じ効果はないんでしょうか?腹に巻く電極マッサージみたいな健康器具もありますけど・・・」
「詳しいところまではわかりませんが、外部からの刺激によって動かされるのと自分の意志で動かすのとは違うと思います」

私は大人しく半年後の目標をたてて、毎日の取組み内容を宣言し記録帳を作成した。血圧が下がるようには気をつけなければならないなー。立場上、頻繁にある懇親会などをゼロにするわけにはいかない。今の生活習慣、食習慣、自分の性格、摂取物のカロリーなどあらゆる要素を組み入れて考えあげた。180日コミットメントである。名付けて「足元に気をつける作戦」
まず大前提は今の運動量、飲み会の頻度、飲酒量などは変わらないとする。(残念ながら出席していて中途半端に酒を控えるなどというのは精神衛生上よくない)
①間食をやめ21時以降は食物・アルコールを摂取しない。かつ部屋の一人飲みを行わない。
②油、塩、醤油を減らし、水を増やす。飲んだアルコール量(何を何杯)を数えそれを後に記録する
③暴飲暴食によりオーバーしたカロリー・体重は翌日中に元の水準に戻す

30日コミットメントのように「1日も欠かさずに実行」というのはさすがに厳しいが、「できることを宣言すること」という約束だった。今までも一応気にかけていた事項だが、自分に弱くて何となく続かずにいたことだ。しかし縁起物好きの私は「きっかけ」さえあればそれこそ徹底的に行うので結論から言うとたぶん楽勝である・・・と言うよりも私の性格からして6ヶ月などかけずに1ヶ月で達成してしまおうとするだろう。
6ヵ月後に「どのように努力してそのようになったか」を面談することになっている保健師は「あの時、何やらしぶとく食いついていた者」のスタイルを見て驚くことになろう。。。

試験もの

2012-05-19 07:12:00 | 出来事
職業柄、情報セキュリティや個人情報の漏洩などのインシデントは極めて大きな脅威となる。日頃から「机に紙を残すな」「足元には気をつけろ」とうるさく言っているのだが、自分自身あまり整理整頓ができないので説得力がイマイチ足りないのである。それでも終業時には机の上のおもちゃを除く紙類他は引き出しにしまって施錠するのだが、乱暴にざーっと入れてばーんと無理やり締めるので、中でメキメキっと変な音がして次に開かなくなってしまう(まあこれも施錠の一種)ことが何度もあった。その代わり(と言ってはなんだが)職場で奨励されている公的資格取得については率先して受けることにしている。平日、ジムから部屋に帰ってからは何もやることがないので、無為に過ごすよりは勉学に励んだほうが頭の体操にもなってよいと思うのである。

情報セキュリティの気運が高まっているのか、関連する公的資格は結構たくさんある。最初に取得したのが個人情報保護関連の資格、先日「上智大学」で受験したのが情報セキュリティ系の一番初歩のヤツである。会場が「何とか大学」というのが多いので、四半世紀近く離れて忘れかけていた「キャンパス」に足を踏み入れて新鮮な気分になるのも楽しみの一つだ。この手の試験は基本的にテキストを丸覚えして過去問をやればよし、と言われているのでいわゆる「対策」など必要なく「ちゃんと」やりさえすればよい。ただ脳の記憶素子が完全に揮発性になっているので、早く始め過ぎても次々に忘れてしまい意味がなくなってしまい、「丁度いい時期に無茶苦茶に詰め込む」という難しさがある。年々その揮発性が高まっているような気がするが、今のところ丁度いい期間とは2週間くらいだ。

前回の「認定」試験は個人情報保護とダブるところがかなりあり、上智大学で同時に実施されていた「河合塾」の高2統一模試を先に受けてやろうかと思うほど楽勝だった。周囲で受験した人も全て合格、「教科書見てれば、アレに落ちるやつぁいねえよなー」なんて話し合っていたら、顔半分に斜線が入った八兵衛が「オレ、コンピューターのところがダメで落っこちちゃった・・・」
実は知らなかったのだが、落とし穴として「4つのジャンル全て70%以上」という条件があったらしいのである。つまり他の3ジャンルは満点でも一つでも70%未満があると不合格になるらしいのである。八兵衛はこの罠にかかってしまったらしい・・・(ごめんねー。バラしちゃって)
「次は完璧ですからねー」と張り切っていながら退職してしまった・・・(新天地でも受験したかなー)

さて今回の試験は一段ランクが上の「管理士」とネーミングされていて、試験時間も倍、内容も広く深い。。。コンピュータプログラムや論理演算など「これの応用編が出たらダメねー」という丸覚えだけで済まないジャンルもある。「ちょっと今回は手強いよねー」と同僚どおしで話し合っていた。私もいつもは2,3日前には一通り準備を終えて第X回問題など同じシチュエーションでやってみるだけなのだが、今回はずるずるとサボっていたこともあり、直前まで教科書に目を通していないジャンルもあったので、甘辛の机を借りて(元は自分のだけど)部屋に籠もる羽目になった。中々座り心地のよい椅子だなー。。。
その後も「一緒に勉強しよう」と部屋に乗り込んでちゃぶ台でちまちま過去問題集を解いたりしていた。

当日は「こんな日に暗い室内で試験とは・・・」と悲しくなるほど抜けるような快晴だった。会場は横浜駅東口から10分ほど歩いたところにある「八州学園大学」、正直あまり聞いたことがないしどこにキャンパスがあるかも知らない。。。地図で調べてみると我が家からみなとみらい地区へ行くときに毎回通過していたロケーションだ。何度も前を通り過ぎているのに全然知らなかった・・・
どうやら「キャンパス」という敷地はなく、オープンセミナーや特定の集合イベントの他は通信教育を主に活動している学校らしい。何と付属高校まであるぞ。。。社会人学生も募集しているようで新しいスタイルの教育機関なのかもしれない。駅を出てから普段あまり歩かない高島町方面へ向かうとシューマイの崎陽軒本店などがあった。目の前に見える「スカイビル」は子供の頃港を一望できる「まわるレストラン」というのがあり、一度は行ってみたかったのだがまったく機会がないうちに潰れてしまった。。。
大学のすぐそばに「2代目横浜駅跡」という史跡があった。マンションの敷地内だったが、昔はこんなところにあったのか・・・当時はモダンなスタイルの構造物を新築したのに関東大震災で崩壊しわずか8年の短命駅舎だったそうだ。

        

自動車を運転していたりしても全く気が付かなかったが、大学のビルは屋上にでかでかとその名を冠してしてた。入り口にはJTBのような色々なツアー?広告が・・・建物はいわゆるセミナー、イベント用の教室が多く占められていた。隣りの教室は前回受けた試験の会場になっており、私の教室は試験官は同じなのにもう一つ別の資格試験が行われることになっていた。早く着いたのでいつもの通り建物内を物色しようとしたが、まさに「何の変哲もない」教室ばかりで大学らしいオープンな雰囲気が見当たらない・・・
ただ廊下の一角に就職、進学などの案内パンフレットのようなものが山のように用意されていた。どういう学部があるのか知らないが、就職の案内はそれこそ「何でもあり」で、警官からアナウンサー、お笑い養成所なんてのもあった。付属高校用の進学案内みたいな冊子もあり、面白いからぜーんぶもらってきてしまった。教室に再入場したときに試験官が何やら不審な顔をするほど両手一杯に資料を持ち帰ってきたのである。(そのせいでバッグはこれ以上入らないほど重くなってしまった・・・)

      

試験開始15分前、もはや「やることはやった」ので、運を天に任せて静かに瞑想・・・・なーんてことは意外?に私はしない。「机の上からしまってください」と試験官から言われるぎりぎりまでじたばたと色々読んでいる。中学の音楽の教師に「竹の棒」を持って何かとコンコン頭を叩く(今だったらすぐにモンペアがすっ飛んでくるね)のがいた。確かブラスバンド部の顧問(まあ順当かな)で生徒にあまり人気は無かったように思うが、中々ポリシーを持っている人で主要教科でないのに「試験」について言った言葉が印象的で今でも覚えている。
「『試験勉強』なんてものに『手遅れ』などということはない。最後の1分まであきらめずに準備しろ。直前に眺めていた参考書の絵がたまたま入試問題になっている可能性だってないわけじゃないんだから。」
入試ではないが、これまでに事実2度ほどそういう経験をしているので、常に「最後の1分」まで未練がましく勉強している。教室にはじっと目をつむって心を静めている人もいるが、瞑想など終わってからいくらでもやればよい。

大学入試のように「一発勝負」みたいなものは、そもそも受ける前から「合格」が決まっている(推薦でなく)スーパーできるヤツを除けば、どの教科も自分にとって解ける解けない「ギリギリ」のところにあるものだ。例えば数学で言えば、最初の方にある計算問題や公式と解き方を覚えていればできる記憶問題は「ちゃんと」準備していれば誰でもできる。しかし後ろの方にある数学マニア以外は拒否反応を起こすような応用問題は、経験的に「解ける日」と「解けない日」がたぶんある。むろんそれまでの地道な努力で基本の水準を高めるのは大事だと思うが、全然別領域のしかも単なる体調とは異なるバロメータというか「神懸り」的なところが必ずある。自分の力でどうにもならぬ領域だが、仮にたまたま最高点にいるときに試験の日がやってくるとかなり「奇跡的」なことが起きる。

2つ目の学校を受験したときにたぶん私にその「スーパー状態」が訪れた。確か関数と行列を使った問題だったが採点者ですら驚愕するであろうほど鮮やかに正解までの道筋が「見えた」のである。「打撃の神様」川上哲治さんが絶好調時に経験したという「ボールが止まって見える」境地のようだ。他の科目も同様、まるで覚醒したかのように冴え渡っていた。。。普段なら帰宅してNHKの将棋番組のように投了してkら「あーだ、こーだ」駒を動かしながらレビューするように答え合わせするのだが、その時は次の受験があると言うのに、余韻に浸って学友とともに中華料理を食べに行ってしまった。ウルトラ戦士がたまに見せる「光線を放って怪獣の爆発を見届けずに背を向けて悠々と飛び立つ」ようなものである。後にも先にもそういう幸運な日は1日だけしかなった。それが入試当日だったのだから打率1割8分の山倉捕手が満塁ホームランを打つようなものである。(ちなみに自分で合格発表を見て確認したのはこの学校だけなのだが、晴れてそこの学生として通学するには至らなかったから人生は面白い・・・)

さて今回の試験はそんな煌めく奇跡など全く縁のない、ほとんどがただの丸暗記モノであり、一通りの説明が終わって試験官の開始の合図とともに問題文を開いた。時間は2時間、問題文は180あるからかなり労力はいる試験ということがわかる。過去問題をいくつかやってみたところ、60分もあれば一通りマークし終わるペースだったのだが、上記のようなこの記事の話題なども何故か頭を駆け巡ってしまい、雑念が多くてどうも進捗が悪かった。それなりに準備はしたのに肝心なときに余計なことばかり考えてかなり苦戦し合否は微妙なところかもしれない。。。
この試験は時間内に終わってしまっても途中退出することができないので、昼過ぎまで教室に缶詰状態、終了と同時に飛び出して真っ直ぐ家に向かった。あんまり足を運ばないエリアだからしばらくうろついても良かったのだが、天気があまりによくて海に入らなければ頭をいつも以上に使ったときに発する老廃物(そんなもんあるのか?)が体を充満するような気がしたのである。

帰りの電車内でもらってきた(試験とは全く関係のない)進路関係のパンフレットを眺めながら不思議なことを考えついた。高校を卒業するといわゆる一般の大学以外にも当然、ものすごい種類の「教育機関」が存在する。警察学校や気象、防衛その他公共職用の学校もあるし、美容師、調理師、音楽、アニメ、服飾デザインなどの他にもどういうことを教えているのかよくわからない「ビジネススクール」とか「ロウスクール」などもある。これらよりもはるかに広い労働社会に向けて、そう言った教育機関は広い意味で「専門学校」と呼べるだろう。昔アングラ仕事で苦労していた時にご一緒した先輩はお嬢様が「赤いカードの着いたスティックを両手で振ってジャンボをゲートまで誘導する係」になるための専門学校に合格されたと言う。これらは全てある職業に就くための準備として必要な技能をトレーニングしておくのである。企業にとって見ても、その事業分野に早くから興味を持ち、積極的にその職業に就こうと準備をしてきた人のほうが、「何にも考えずにとりあえず」来た人よりも即戦力になるのは間違いない。

一方、一般的に大学にも「専門性」はあるが、一部の分かりやすい分野を除くと、ほとんどそこで学んだことは就職した後、実社会では直接的には役に立たない。。。建築学部を卒業して大手ゼネコンに入社しても設計に携わるとは限らないし、生命化学を専攻して薬品会社に入社しても研究所配属になる保証はない。ほとんどの場合、学んだことが役に立つのは「大学に残ったとき」だけである。今は就職氷河期で厳しいかもしれないが、私達の年代は受験勉強の反動で大学に入学すると同時にしばらくは「学問」など忘れ去っていた。人によって異なるが途中から学ぶことが面白くなる者もいれば、卒業するまで遊んでいるヤツもいるし、最初からやる気マンマンで留学や国家資格の準備に走る人もいる。それらに共通しているのは「就職先が専攻していた分野とあんまり関係ない」ということである。と、考えると「大学」というのは不思議なところだ。一体何をするところで、何で企業から卒業生は重宝されるのか?それはまたの機会に書いてみることにしよう。。。

鎌倉ルート

2012-05-16 08:13:03 | 旅行お出かけ
久々に息子甘辛の試合を見に行くことになった。U-15リーグ第一節である。子供の日に測ったが毎年コンスタントに身長が伸びているもののいわゆる「びっくり成長期」には至っておらず、同年代の選手に比べて「子供体型」だったこともあり、これまで試合にはほとんど縁が無かったが、さすがにひた向きに練習してきただけあって、テクニックはそれなりに進化し最上級生となってようやくチームの中心としてピッチを駆け巡ることになる。新しくなった今のチームは強かった3年生が卒業で抜け、甘辛達年代は色々あって3人しか選手がおらず、2年生中心で新1年生すらメンバに加えてようやく体裁をとっているような状態で、オール3年のクラブチームに比べ正直言って弱い。。。しかし自分も大きくない身体で息子がどのようにして役割を果たすか久々に見てみたくなったのだ。

会場は横浜ベイサイドに近いとある中学校、マイカーで1時間くらいの距離だ。近くにCOSTCOがあるので、買い物がてら駐車場に車を置いて見物に行くことにした。私はかの店そのものに興味はないのだが、久々に色々物色できると張り切っている妻に頼んで助手席に座らせてもらうことにした。R134号海岸線を東へ向かい、滑川で曲がって八幡宮を右折し朝比奈に出るルートだと途中までは車窓からの風景で面白いものがありそうだったからだ。前にも似たような車窓からの風景を何度か取り上げたので今回はいくつかを詳しく語ることにしよう。これまで何回か助手席から見える視野を記録して、とても面白いものだと感じているが、残念なことに車高が低い分視線も高くならず、壁その他障害物にさえぎられることが多い。サンルーフかなんかがあって、立ち上がれば面白い光景が撮れると思うんだがなー。。。。

  

江ノ島を過ぎると右側が腰越漁港、向こう側にある大きな堤防は最近の工事でできたもので、昔はテトラポットも釣り人で賑わっていたのだが、今は立入り禁止になっているらしく誰も人影ができない。入り口の事務所に電話しておくと朝獲れの生シラスを袋500円くらいで売ってくれるが、買いに来る客で繁盛しているせいか売り場のおばちゃんが結構高飛車で連絡なしでたまたま寄って聞いたりすると「今頃来てもあるわけねえだろ」みたいなことを言われる。その向いに釣り船屋があるのだが、妻の同級生の実家らしい。仲良くすればエサくらいはまけてくれそうなの気がするのだが、何故か妻はあまり近寄ろうとしない。。。その東側に小夏さんサイトでご紹介いただいた「しらすや」というレストランがあり、駐車場内に生シラス特売店がある。「ここ新しくできたよな。昔は何だっけかな?」甘辛だけが覚えていたそうだ。「31アイスクリーム屋だってさ」そう言えばそうだったような気がする。。。

      

腰越の山を抜けて江ノ電と併走する海岸線に出ると、いつ見ても清々しい(そして渋滞している)ルートだ。その日は全くと言ってよいほど波がなく湖面のようにキラついていた。。。左側に県下でも優秀な進学校の最寄り駅が・・・江ノ電で唯一ある、電車待ちする時に真正面の海を眺められるロケーションだ。ホームの屋根にデカデカと駅名のパネルがかかっており、夜になるとライトアップするそうだ。(写真撮ったけどボケボケなのでまた今度)件の高校は一度サッカーの試合で訪れたことがあるが、駅を降りてから長ーい坂を上りきったところにあったはずだ。昨年の学校説明会で校長が「海から近いが海抜は10m以上あるので、まず安心」とアピールしたそうだ。その長い坂では「じょばす」部と思われる生徒がお約束の「坂道ダッシュ」にあけくれていた。私は知っているが実はこの学校、スポ根系の運動部の部活継続率が低い・・・当然である。男女共学で真正面にこんなドラマの舞台のような海岸があったら、部活の坂道ダッシュなどやっている場合ではない・・・

   

少し進むと前方左に(まるでバスガイドみたいだな)見えてくるのが稲村ヶ崎である。中学の時に歴史の時間「鎌倉幕府討伐に挙兵した新田義貞がこの岬の海岸を渡って攻め入ろうとしたが、切り立った崖が行く手を阻んで軍勢が越えられなかった。そこで義貞が潮が引くことを念じて剣を海に投げ入れると見事干潟になり、無事に攻め込むことができた」と学んだ記憶がある。その教師はかなり理性的で「念も何もない。義貞は初めから潮が引く時刻を知っていて部下から「神懸かり」を信じさせるためにパフォーマンスを演じたのだ」と力説していた。。。昔なら元服初陣の歳、このような武勇伝に熱くなる年頃の我々は「なんと、つまらない考えしかできない大人だこと・・・」と引いてしまっていた。
稲村ヶ崎はこじんまりした公園になっていて、ぼーっと海を眺めるには中々よいところだ。夕方になると西側の展望エリアに入りきれないくらい人がカメラを構えて並ぶ。冬がよいのだが、富士山と夕陽と江ノ島を一度にカメラに収めるためである。
社会人になった時くらいに桑田佳祐さんが監督した「稲村ジェーン」という映画があった。「真夏の果実」は誰でもしっているが、何故か私を含めて映画を見たという知人がただの一人もいない・・・

   

逗子マリーナを正面に左カーブして由比ヶ浜を横目に見たがやはり全く波はない。何人かがウィンドサーフィンの準備をしているようだ。ここは普段でもサーフィンと言うよりはウィンドに適している環境だ。
今まで3度ほどしか見たことがないが、夏休みに行われる鎌倉の水上花火大会はすごい。(人の集まり方ももっとすごい)土日に行うなどと言った気を使うことはなく、花火の性質からなのか少しでも天候が悪いと容赦なく中止してしまう。海岸の砂浜は足の踏み場もなくなるほどの人で埋め尽くされ、大通りを何十分もかけて歩き、さらに電車に乗るにも気の遠くなるくらいに時間がかかる。今年は7月25日(水)でやっぱり平日・・・何とか行くとしたらチャリでのアプローチしかないだろう。
普通のスターマインやら一発花火の合間に小さな小船が左から右に通り過ぎる。暗くてよく見えないが小船からは後方に何か大きな丸い物をぽいぽい放り投げているようだ。そして小舟がいなくなってしばらくすると、突如「ずどぅぅぅぉぉぉーん」という内臓が飛び出してきそうな超低音波振動が炸裂し、海面に巨大な半球体がきらめくのである。画像では美しい水中花火だが、あの臓腑をえぐるような低音振動は間近で見た者しか決してわからない。。。小さな子供は恐怖の体感に泣き出し、一緒に行ったお腹の調子の悪かった友人は腹を抱えて花火の終わりまでうずくまっていた。。。

   

滑川で左折し若宮大路に入ると巨大な鳥居が見えてきて・・・このあたりも昔の老舗と次々と入れ替わる新店舗が同居しているところだ。滑川を過ぎて海岸から変な風に入るところに「湘南ワインセラー」という専門店がありその支店がこの通り沿いにある。お友達に教えてもらったそうだがメルローの好きな妻のお気に入りで、店員の薦めがかなり素晴らしく値段もリーズナブルで外れたことがないそうだ。本店の店構えを設計したのは何と我が家のシェッドを設計したウッドデッカー(なんて言わないよね。なんて言うんだろ?)なんだそうだ。
大路を挟んで西・北側はこれまで何かにつけて足を運んだところだ。長谷寺、大仏、銭洗弁天や源氏山公園・・・北鎌倉方面では建長寺に円覚寺などもあの辺りである。中学生の時いわゆる「グループ」でハイキングに来たのもあのあたりだった。反対に東側はほとんど足を運んだことがないが、昨年秋に「紅葉」の名所について色々調べたときに鎌倉宮、瑞泉寺、獅子舞など名所と言われるところも多く、竹寺や石窯ガーデンテラスの浄妙寺など、興味深い名所がたくさんある。いつもは通り過ぎるだけなのだが、この度この辺をうろついてみることにしよう。

     

朝比奈を抜けて16号にぶつかり湾岸線方面を走ると海の公園/八景島が見えてくる。残念ながら私は今まで一度も足を運んだことがない。息子甘辛は友達どおしで何度も遊びに行っており、「ブルーフォール」というアトラクションが一番好きで一度行くと10回は乗るという。。。(まあ平日だから空いてるのかな)
公園には無料で「潮干狩り」できるゾーンがあって、ゴールデンウィークなどは「伝説的」とまでに混むそうだ。妻によると「アサリよりも人の方が多いんじゃないか?!」というほどだったという。
運転しながら八景島を横目で見て「今日はブルーフォール動いてないみたいね」ってあの「つっかえ棒」のお化けみたいな巨塔がブルーフォール・・・高さ100メートル以上あるだと?てっぺんから椅子に座って落ちるなど正気の沙汰じゃないぞ。。。釣り場もあるというから、一度遊びに来てみたいものだ。

試合開始時間が迫っているのでCOSTCOでは素早く買い物を済ませた。母に頼まれていた「パン粉みたいな揚げた玉ねぎの破片(何ていうか分からん)」、好物の巨大塩せんべい、ウッドブリッジワイン1.5L、アラ挽きソーセージ、豚バラ肉とサクラ鶏(一部は凍らせてマンションで使用)各2kg、タスマニア産玉ねぎなど5kg近くあるのに398円・・・(値札が間違っているのだと思った)
会場までは歩いて10分ほどだ。リーグ戦の会場がずーっとここなら、これから何回も訪れることになろう。。。途中、来るときに曲がる目印にしている「ぶたまんの江戸清」工場の入り口で小さな露店が出ていた。「工場限定!生製品販売中。数に限りあり」とのれんに書いてある。「ちょっと行ってみっか?」我々はふらふら〜っと道路を渡ってど派手な絵の描いてある建物に向かった。

     

「江戸清」のぶたまん・・・息子甘辛が授業で「横浜巡り」をした時に中華街を歩き回って丸一つ食べたら「死んだ」という巨大ぶたまんである。でもさすが味は格別だったらしい。小さな露店でお品書きを眺めていると、小籠包のような小型の肉まんを丸々ひとつ試食させてくれた。こりゃうめー。。。
「こちらはいつもお店を出していらっしゃるんですか?」妻が聞くと舞の海に似た店長らしき人が苦笑いしながら「いやあ、気が向いた時だけなんですよ。。。」店員も笑っていた。暇なときということか・・・?!
お薦めはやっぱり工場限定の生ぶたまんです。中華街に卸す製品は鮮度は保ちますがやはり一度は冷凍しなければならないんです。工場出荷時だけ生の製品をご提供できます。その代わりせっかくですからできるだけちゃんと「蒸して」お召し上がりください。我々は3個セットと「りーろん黒豚生煎堤包」というお土産セットを買って再び試合会場に向かった。

ジュニアユースの試合は小学生と違ってハーフ30分、35分あるから結構見ごたえがある。久々に見たピッチでプレーする甘辛だったが、スピードもパワーもないものの要所要所でいいところに出していた。たまたま今は「それしかできない」のかもしれないが、プレースタイルはパッサーのようだ。サッカー型スタイルとしては悪くないようだな。(先日の議論からなんか引きずってしまってる・・・)
1年生も混じるチームで苦戦していたが、甘辛が中央でキープした末にたまたま前線に送り込んだボールが絶好の位置に落ちて(本人曰く「ちゃんと狙ってバックスピンまでかけた!」)、その1年生がへろへろになりながらも何とかゴールに押し込んで得点、それを守りきって幸先よく勝ち点をゲットした。我々は同じ道を1時間かけて帰ってきたが、片瀬東浜ではちょうどウィンドによいコンディションのようだ。

  

遅くまで塾に行っていた甘辛が帰宅してきた後「せっかくだから今日のうちに食おうぜ」と買ってきた豚まんを蒸してもらった。お土産の生煎包も一緒に出してくれたが、ものすごいボリュームで砲丸投げの鉄球くらいの半径があり、持つと「ずしり」とした重さを感じた。「味はいいんだけどねえ。一人で全部食うとやばいんだよ・・・」あまりお腹の空いていないようだった甘辛は二つ出てきた豚まんを妻と半分こしていた。
確かにジューシーで竹の子がしゃきしゃきして美味しいが私が丸1個食す羽目になった・・・地球に例えると皮を「地殻」、ふっくらした生地を「マントル」とすると具である「コア」の部分がものすごく大きいのである。中身の部分だけごはんにかけて食べても十分おかずとしていける内容だ。
私は酒を飲みながらだったからあまりボリュームを感じなかった(だから太るのだ)が、丸々1個平らげた翌朝、それこそ砲丸の鉄球を飲み込んだように胃袋がずっしり重く、何も入れずに胃薬だけ飲んで午前中の資格試験に臨むことになったのだった。ぶたまん恐るべし。。。でも今度はフカヒレまんを食べてみたい。

子供の日の釣果

2012-05-13 06:38:49 | 旅行お出かけ
ちょっとタイミング後れになってしまったが・・・子供の日、予定通り朝5時に起きて甘辛とお友達の家に迎えに行った。大型連休は天気がイマイチでほとんどアウトドアのお出掛けが無かったが、この日だけは見事なまでに晴れわたった。やることがなくて夜に飲んでばかりいたので、結構ヘバッっていた上に帰りは大渋滞が予想されるので当初は妻も行くはずだったのに「調子がイマイチ」ということで留守番になってしまった。(まあ、ムーブ君は小さいので釣道具を入れると4人は乗れないんだけど)
SYO君は大の釣り好きで周辺のあちこちのポイントを知り尽くしている。ただお父さんが嗜まないので移動範囲がチャリに限定されてしまい、たまにマイカー釣行に誘ってあげるのである。前日にキャスティングでエサと道具を買い込み「やる気」十分だ。

朝6時過ぎなのでさすがに海岸線もスムーズに流れ西湘バイパスも空いていた。いつもの釣具屋でオキアミと配合エサを調達し、クラッシャーでブロックを砕いてバッカンに調合し準備は整った。時間を稼ぐためにビーチラインを突っ切って熱海港までは1時間半くらいだったが、何とフェリー乗り場の駐車場は満車・・・その奥にある釣り施設の駐車場に置く羽目になった。(実はその方が安く上がる)
釣り場はフェリーの船着場なのだが、完全なファミリーフィッシングポイントで既に多くの人が来ていた。甘辛がすばやく3人分の場所を取りめいめい仕掛けを準備し始めたが、どうも釣れている気配が全くない。
水中に泳いで見えるのはボラの群れだろうからいるにはいるのだな。私はいつものウキフカセ、SYO君は落とし込み、甘辛はチョイ投げだ。

    

船着場なのにやたら海底の沈没物の根掛かりに苦戦していた甘辛が最初に小さなベラを釣り上げた。「うーむ。ベラって縁起悪いんだよなー。その後釣れねーこと多いし」と苦笑いしていたが、最初に釣れた獲物はどんなものであれ、バケツに入れておく主義だ。時々見物に来る人々に「ボウズではない」と主張する釣人心理と気取ってリリースしたりするとその後全く釣れない目に合うことがある苦い経験からである。乗り場には初島行きのフェリーが横付けされていて、たくさんの人が乗船待ちの行列を作っていた。さすがGW第一便から満員のようだ。やがてぼーっと汽笛を鳴らしてフェリーは出航して行った。岸壁の私達に向かって乗客が手を振っているのどかな風景だ。

    

「どうもよく引っ掛かるなー。父ちゃん、どうしても抜けねーんだけど・・・」色々苦戦していた甘辛からヘルプコールがあった。私は自分の竿を置き、どのくらいの引っ掛かりかを探り「こりゃーだめだな。無理に竿を立てると折れちゃうので、真っ直ぐ後ろに引っ張って糸ごと切ってしまおう」運が良ければハリスが切れる程度で済むかもしれないので、ゆっくりゆっくり引き始めた。と、その途端自分の竿の方を何気なく見たらウキが沈み込んでいるのに気が付いた!
「甘辛!食ってるぞ!」私に代わって息子が一気に竿を立てたが、そのしなり具合を見てかなりの大物と見て取れた。私は持っていた短い竿を放し慌てて自分の竿を受け取ろうと近寄ったが、同様のあまりバケツにつまずいてひっくり返し・・・甘辛も懸命にリールを巻いていたが、この手の引きでどうすればよいか分からなかったのだろう、ひたすら引っ張っていたら「ピーン」とハリが外れてしまった。。。

「ぐーっ、そりゃねーぜ。早く竿を渡してくれれば・・・」思わずひどいことを言ってしまった。甘辛は全然悪くないのだが、本来釣人とは「大人気ない」ものなのである。(ごめんねー)
「えーっ、オレのせいかよ・・・」かわいそうに息子は少ししょげてしまった。「しまった」と後悔した私は「まあ、あの引きはボラかもな。また掛かるさ。中々楽しめたろ」とフォローし、新しい仕掛けを用意してやった。しばらくしてそれに「ぐぐっ」とアタリが入り、ベラだったが20cmくらいの大きな魚を釣り上げた。
「SYOクンは中々釣れませんなー」すっかり機嫌を直した甘辛に(キミがオレの獲物をパーにしたからね)と思ったが、そこは黙っていた。(繰り返すが釣り人とは大人げないものなのだ)
「ウキ釣りにしてみるかな」我々よりもはるかに「大人げ」あるSYOクンは色々な釣りに合わせた道具を持ってきており、すばやく仕掛けを作って私のよりも一回り大きいウキに糸を垂らした。あまりに根掛かりがひどいので甘辛は休憩しながらおにぎりを食い始めた。(彼は車の中で食ったからそれ、オレの分なんだけど・・・)
私の仕掛けにも全くなんの反応もなくなった。。。付けエサもいつまでも元の状態のままだ。すなわち食った形跡がないのである。「ちっきしょー、やっぱりさっきのがちゃんと上がっていれば・・・」私はまたしても(小声で)ぶつぶつ言い始めた。

私と甘辛はともかく、せっかく「子供の日」に声をかけて一緒に来たんだから、よそのお子様SYOクンにも何か釣れねーかなと思っていたら、隣りの彼のの竿が「ヒュン」と鳴りしなりを見せた。「おおーっ、結構ひいてるじゃんか!」
落ち着いて竿をさばき、釣り上げたのはやはり20cmくらいのメバル・・・見事な獲物だ。これで子供連中にボウズはなくなり、とりあえず来た甲斐はあったわけだ。
「あっちのテトラのほうで釣ってみたいな」さすがSYOクンは目の付け所がよい、私もあちら側に移れないか考えていた。ここの護岸は足場もよくて高さもないからファミリー向けでのんびりできるが、さっきから見ていて釣れているのは我々だけだ。
「ちょっと二人で偵察してきてくれよ・・・」二人は他の釣り人がどんなのを釣っているかも兼ねて偵察に歩いて行った。
この時期の紫外線は強烈だ。大型連休で子供の日だけはこれ以上ないくらいにいい天気だったから、10時にもなるとじりじりと後ろから太陽が照り付けてくる。半そでだったから「こりゃー随分焼けるかもなー」と時計を見ていたら、竿に「グンっ」と重みを感じた。「んっ?」と見るとウキが沈み込んでいる・・・慌ててアワセるときれいに魚が乗ったようだ。竿は大きくしなり魚は右へ左へ・・・この白身系の強烈な引き方がいつものことながら楽しい伊。隣りの家族が近寄ってきて「ねー、すごい引いてるよ。大きいんじゃない?」などと見つめているのがわかる。私は内心かなり慌てふためいていたのだが、落ち着いたフリをして魚を海面までゆっくり引き上げ、そーっと近くまで寄せると一気に岸壁までぶっこ抜いたら25cmくらいのメジナだった。
「おおーっ、こりゃすげえ!」周りの人々からは驚嘆の声・・・・うーむ、この快感がたまらん。ってアイツらこういう時に限ってなぜオレの雄姿を見ていないんだよ。
さも当然のように無表情でハリを外し、飛び上がりたいのを我慢して海水で砂を落とし、「ま、こんなもんか」という顔をしてクーラーに入れる。

「おーっ、父ちゃん釣れたじゃんか。結構いい型してるぜ。オレ達も始めっか」甘辛は投げ釣りは止め、ヘチに糸を垂らした。SYOクンはウキ釣りと大型の投げ竿ではるか遠方まで錘を投げ始めた。さっき少し遠目でカレイが上がっていたから置き竿で狙うつもりらしい。(色んなパターンを用意してきたんだな)
しばらくすると初島からのフェリーが入港してきて、念のため一旦糸を巻かなければならなくなった。
「なんだゴミか〜」なんて黒い丸いものが付いていたが、よくみるとなんとウニ・・・!しかも妙に棘の長いウニのようだ。岸に上がってもまだ黒い棘が蠢いているぞ。。。置き竿にしてるとヒトデはよくかかるんだけどねえ。
「これって持って帰ったほうがいいんですかねー」SYOクンが聞いてきた。「うーん、何とも言えねえなー。本物だったら釣りたてのウニなんて超高級食材なんだけど・・・毒があるとは聞いたことないけどなあ」
とりあえずクーラーBOXにしまっていた。

    

その後、甘辛の垂らしていた竿がものすごい勢いで振れたが気付くのが遅くて惜しくも根に逃げられ・・・SYOクンは何匹か小さな魚を釣り上げたが、「キタマクラ」という食べられない魚・・・私の竿にもアタリらしきのが2,3回あったが、合わせるとすっぽ抜けてしまう。(たぶんボラだな)
午後になってすっかり魚もお休みモードになり、どの釣り座でも全く何も釣れなくなった。先の細かいアタリがよくわかるキス用船竿を持ち出したSYOクンはヘチに垂らした竿の先が微妙に動くのを見てはアワセていたがどうもうまくいかない。。。
もうすっかり飽きてしまってPSPでゲームを始めた甘辛に比べ、あちこち釣り場を変えてアタックしているようだ。そのうち「あれって食ってますよねえ。。。」キス竿の先端が小刻みに震えていた。
そーっと竿を持って「くいっ」と合わせると今度はうまく掛かったようだ。結構いい引きをしていたが、釣り上げて見ると見事なサイズのカワハギ!肝がパンパンの立派なサイズだった。

  

結局、釣果はこれが全てでもう少し連れて欲しかったが、まずまず皆満足したようだ。GW中貴重な好天の日、帰りは大渋滞を覚悟していたが裏道も使って割とすんなり帰って来ることができた。行きは釣りの話に花咲かせていたのだが、帰りは色んな話を聞くことができた。基本、私は運転席で後部席の二人の会話を聞いていただけだが、SYOクンが結構話しかけてきて・・・
「ねえ、甘辛のお父さんって、『インデックス』にハマッってるんですって?どういうところが好きなんですか?」(ちなみに「とある魔術のインデックス」というライトノベルである)
「父ちゃんはねー、オルソラ=アキナスが好きなんだぜ」誰にも分からないだろうが、一連のシリーズに登場するローマ教会の修道女である。
「甘辛のお父さんは芸能人だとどんな人が好みなんですか?」「キミらに合わせたら『桜庭ななみ』、昔で言えば『黒木瞳』・・・」芸能人だけで言えば結構話題にはついて行けるものだ。SYOクンを家まで送った後に「甘辛よ。実は『好み?』と聞かれて真っ先に浮かんだのは『マゼラン星人マヤ』なんだが、知ってるのは半径10キロ以内にオレとお前くらいだろなー」「ぎゃーはっは。父ちゃん、セブンでも無茶レアだぜ・・・」
SYOクンのママからは「大喜びで帰ってきた。今、魚を自分でおろしている」というメールが来た。(よかったよかった)
我が家はメジナ1匹だけでは寂しいので西友で(とりあえずメインのメジナを飾るくらいの)イカ、タコあたりを仕入れて家路に着いたのだった。

うおゴコロ

2012-05-11 21:20:09 | 旅行お出かけ
今年の大型連休で申し分ない天気だったのは子供の日だけだった。甘辛もその日はたまたまサッカーがオフだったので、お友達も誘って釣りに行くことにした。息子はそれほど釣りにハマッているわけではないが、元々海は好きだし、クラブチームだから学校のお友達と遊びに行く機会が極端に少ない。海岸線のドライブと思えば行き帰りの車で色々と話し込むだけでも楽しいらしい。目指す場所は熱海港フェリー乗り場横である。何てことのない、ただのファミリーフィッシングのポイントに見えるのだが、腰越のイタリアンマスターによるとマリンスパ熱海の温泉から暖かい水が流れ出し、水温が高いのであらゆる魚の宝庫だというのである。(ホントかよ)

「休みさえあればずーっと釣りをしていたい」というほどの釣り大好きのマスターはお店でランチを食べながら妻と先日お友達の引越しの際にいただいた高級磯竿の話をしていたら突然「どこのメーカーですか?」と背後から食いついてきた。小さな店でお客さんが4組入るといっぱいなのだが、一人で調理しているので彼は中々忙しいはずなのに、ちょっと手が空いた時間に厨房から出てきて、「伊豆で釣った大物」の写真や真鶴半島の隠れポイントなどを熱く語ってくれた。釣り雑誌も開いて色々な技を紹介してくれた。よく見ると店内にはたくさんのワインのボトルやスイーツの本に混じってマニア向け?の釣り雑誌がどっさり並んでいた。いかにもイタリアンのトラットリアには場違いだが、マスターは毎日片瀬漁港の産直の先頭付近に並び、その日のよい魚をメニューにするし時には自分で釣ってきた魚を特別料理として出すこともあるそうだ。実際、あの店の魚はホーントに美味い。刺身以外は肉食志向の私でもかの店でだけは魚のグリルなどを好んで注文する。魚に関してはの入れ込みはかなり信頼できると思ってよい。

むろん私がよく行くポイントもよく知っていたが、推奨されたポイントでそこそこ近くて子供が行っても安全なところ、と言うことで熱海港を選んだ。お友達のSYO君は最初こそ「この時期は何も釣れないよ」と苦笑いしていたようだが、前日には甘辛とキャスティングにエサや道具を買出しに行くほどやる気十分だった。私はと言うと前日、今年になって初めて海に入ったのだったが、前述のように突如の大雨と雷鳴により逃げ帰ってきたとこだった。2時間ほどで強い雨や雷は止み、また青空が見えてきた。(GWはこんな天気ばっかだったなー)ウェットスーツをもう一度来て出動する気にもなれなかったので、私は超兵器を携えて年間パスポートで入館し放題の新江ノ島水族館にチャリで向かった。

翌日、釣物となり得る魚の生態を観察するためである。この水族館の好きなのは、「世界での珍しい魚」「美しい魚」などではなく、すぐそこの相模湾にいる魚がそのまま泳いでいるところである。まるでその先の片瀬新漁港の産地直売に並ぶ魚介類そのものだ。
岸壁からチョイ投げや浮きフカセ、サビキなどで狙う魚は本命が黒鯛、メジナ、たまたまだろうが釣れるとうれしいのがスズキ、メバル、カワハギ、キスあたり、釣れると思うがあまりうれしくないのがボラ、ベラ、そして「やめてくれ」というのがフグ、キタマクラ、ヒトデなどである。
ズバリ相模湾大水槽にはこれらの魚が全部泳いでいるのである。それぞれの生態やどの層(水深)にいるかなどは概ね知っているのだが、やはり実物をこの目で確かめるのが一番だ。

        

入館したのは午後5時近く、普通はすぐ閉館してしまうのだがGW期間中は午後7時まで延長して営業している。人々でごった返している「ウルトラマンホヤ」やその他生まれたばかりの魚の小さな水槽などをスルーし、一直線に大水槽に向かったがさすが大型連休、夕方近くになっても館内はかなり混んでいて中々目指すいくつかのポイントには辿り着けなかった。
まず入り組んだ岩場に海水の流れが出入りして空気が混ざり白濁しているところを再現しているゾーン、磯釣用語では「サラシ」に近い環境だと思うが、その下で魚はどんな動きをしているか・・・実によくできている仕組みで、見事に強い流れと海水の泡立ちを作り出している。たまたまそこに居合わせた(って言うかな)口太メジナは流れも海面の泡立ちも全く関係なく優雅に泳いでいた。なるほどここはポイントになり得るな。

ちなみに水族館で魚の写真を撮るのは実に難しい。動きが結構速いからシャッター速度を早くすると暗くてうまく写らないし、フラッシュを使うと水槽のガラス面に反射してしまうのだ。私はガラスのまん前だかぶりつくようにカメラを構え、ひたすらチャンスを待ったが魚自体は何度も姿を現すもののろくな画像が得られなかった。。。(なので以前たまたま撮った画像もパクることにする)
メジナに黒鯛・・・これらは主に中層(水深5mくらい)のところを泳いでいる。泳ぐ範囲はそんなに広くはなく、のんびり泳いでいて軌道も定かでなく「気まま」な感じがする。ボラは水面近く1mくらい、かなりあちこち忙しなく泳ぎ回っている。スズキも同じくらいの水深だが、あまりうろうろと泳ぎ回ることはなく、同じようなところに佇んでいるようだ。

  

別の窓から見るとカワハギ、フグなどが見られた。彼らは水中でホバリング、後進することができあまりあちこち泳ぎ回らない。メバルは岩場の陰、障害物のあるところから出入りしているように見える。元々そういう習性だと物の本には書いてあるがやはり実際に見てみると様子がよくわかる。キスは底が砂場であるところで釣れるが、海底を這うように泳いでいるわけではなく結構上下にも泳いでいる。。。
大水槽の一番底当たりで優雅に泳いでいるのが真鯛(または桜鯛)である。普段は水深何十メートルのところで舟でしか釣れないので今回は対象外だが、あの大きさのものがかかったらそれはすごい引きだろな。ちなみにメジナや黒鯛はあまり泳ぎ回らない白身魚である。身が白いということは白い筋肉で動くということであり、速筋主体だから針にかかったときに引きがものすごい(瞬発力)代わりに長く持たないからしばらくバトルしているとぐったり浮いてくる。「あんなヤツが明日釣れねえかなー」なんて思いながら観察していた。。。

    

しばらくして大水槽の周りにたくさんの人が集まってきた。何か特別なイベントが始まるらしい。たまたま水槽の目の前にいたし、せっかくだから見物して行くことにした。何でもダイバーが実際に大水槽に潜って魚達と戯れるショーらしい。これは面白そうだ。。。スクーバはできないけど、有料で体験させてくれるなら、真っ先に手を挙げるところなんだがなー。実際に潜って見せる女性ダイバーが前に出てきて、色々とお友達の魚を紹介した。それぞれ名前がついてるんだが・・・
コバンザメのキューちゃん、ホシエイのオセロ、ミノカサゴのトロン、イシガキダイのモノドン、そして(ホントかよ?)ウツボのラックス・・・彼らはちゃんとトリーターの彼女を識別して手招きすると寄ってくるという。

        

「コバンザメのキューちゃんは以前、私を見るとすぐに近寄ってきてくれたんですが、最近スギという大型魚のお腹が快適らしくいつもそこにいるので探すのが大変なんです。オセロは気分屋でその日によって仲良くできたり知らん振りされたり・・・ウツボのラックスは大人しくて一番懐いてくれます。」
お姉さんは手を降ると一旦我々の前から消え、左上から大水槽の中を潜ってきた。よみうりランドの水中バレエを少しだけ思い出したが・・・
おーっ、ホントにお出でお出ですると魚が寄ってきているぞ!あれがキューちゃんか・・・しばらくするとホシエイのオセロもやってきて真正面でエサを吸い込んで見せた。そして底の方に潜って何やら抱きかかえてきたらなんとウツボのラックス?!ホントに大人しいぞ。。。ガブってやられないのかな。こりゃー面白い、今度皆を誘ってやろう。

            

ショーが終わって大水槽を中段から見られる窓に行き、そこでよく見かけるメジナに私は「クロ」と名付けた。考えてみれば当たり前なんだが、鯛などを代表に陸上に上がって並んでいる魚は皆背びれがピンと立っている(特に黒鯛など)が、泳いでいるときは寝ているんだな。どの魚も皆、長細く見えるのが面白い発見だった。ハリを付けずにオキアミを海中に落としていったときにどのようにして「クロ」が食いつくのかをぜひ見てみたい。
どうやって見つけるのか?(かなり遠くでも目ざとく見つけるのか、ど近眼で触れるくらいに近くになければ気が付かないのか)
どのように食いつくのか?(躊躇せずに一直線に真横か下からか、それとも迷いに迷ってか。しばらくつっついて様子を見るとか)
食った後どう動くのか?(すぐにその場をエスケープか、もぐもぐゆっくり食事か)
そんなことが分かれば実際にイトを垂らしながら色々シミュレーションすることができる。

  

ショーのタイトルは「うおゴコロ」という。年間パスポートで適当に館内を歩き回るだけだから、どんなショータイムがあるのか全然知らなかったが、先日見たイルカショーのほかにも大水槽にカメラを入れて「魚の目」で泳ぐパフォーマンスや私の愛してやまないペンギンのストーリーもあるようだ。さらに特別イベントとして女性限定の「くらげヒーリングナイト(お泊りツアー)」なんてのもあるから驚いた。中々奥の深い施設だなー。
とにもかくにもターゲットとする魚の「うおゴコロ」を頭に叩き込み、釣り場でそれらが「パクっ」とエサに食いついて豪快に竿を引き込む様をイメージトレーニング(って言うのかなー)して翌朝に備えたのだった。


サーフ始動メモ

2012-05-09 13:06:06 | スポーツ・健康
「スポーツ自分メモ」編でこれまで携わってきた(と言ってもいくらもないが)自分のスポーツ史をまとめてみたが、海辺に住んでいながら最後まで手を出してこなかったのが「マリン」である。私達が青少年の頃はサーファとバンドは「不良」の代名詞であった。そもそもホントにサーフィンなど嗜むヤツなとほとんどおらず、ボードだけ持って海岸を歩き回り女の子に声をかける「丘サーファ」ばかりだった。ここ20年くらいだろうか、実際のスポーツとして周辺でも流行りはじめ、いつの間にか「浜辺で投げ釣り」など危なくてできないくらいに多数の人々が海面に浮かぶようになる。しかし昔の印象があったので、私にとってのサーファのイメージは「顎鬚、ピアス、髪茶色、時にはタトゥーに所構わず歩きタバコ」という半ヤンキーのような著しく品の悪いものであった。40歳近くになってホントに海辺に引越し、周囲のあらゆる人がチャリにボードキャリーつけて走り回っているのを見て「もしかして面白いかも」と思い始め、隣の同年代の奥さんのウェットスーツ姿を見て「この人にできてオレにできぬわけがない!」(ごめんなさい)とその道に足を踏み込むのである。(確か以前にもどこかで書いた・・・)

妻を拝み倒してスクールの門を叩き、すっかり世界感を変えてしまってその場でロングボードとウェットスーツを購入、ここに40歳を超した手習い波乗りが誕生した。スクールで使用する大きなボードは「バカでも乗れる」浮力のあるものだそうで、実際には沖に出て他の上手な人に混じって一緒に乗ろうとするなんて無謀の極みだった。ショップにいたインストラクターに「初心者がやるべきこと」を尋ねたら、「邪魔にならないように隅でやる」と言われた。(とほほ・・・)妻は最初こそ付き合ってくれたが、友人から「怪我をした」とかいう話を聞いて危険と思っているのか、自身はボディボードにすると言っている。
やはりこればかりは完全我流、身体で覚えるしかないようだった。沖の方に行ってボードに跨りプカプカ浮いていることすらできなかったから、足のつくところで小さな波めがけて飛び込むような練習を繰り返した。そのうちに「大きな波が崩れてやってきた白波は勝手にからだを押してくれるの簡単にテイクオフできる」ことを発見した。あとからDVDや本を借りてきてみるとこれは「スープ」というもので、初心者がテイクオフの練習するにはよいらしい。そう言えばお隣の奥さんも「えのすい前のインサイドでスープに乗る」と言っていた。。。

そのうちに(と言っても何年もたったが)「トロい波」なら沖の方から長く乗れるようになってきた。湘南は波が小さいから、あまり恐ろしいこともないし、きれいに乗れたときなど思わず「おおぉっ」と声を出したくなる。そうなると気になってくるのは「波の数に比べてやたら人が多いこと」である。隅っこから脱出して大海原に出てくると(大袈裟か)、いいポイントには大抵上手そうな人が群がっている。本来サーフィンは並みを横に滑るものなので、一つの波に一人しか乗れない。しかしそんなことをやっていると1日いても乗れないから何となく暗黙の了解で人が多いときは真っ直ぐ滑り降りることになっているようだ。他の人の邪魔をしないようにセットの波の最後の方にやっと乗れるくらいである。下手すると10分以上も「浮かんだまんま波待ち」ということもある。これをサーフィン用語では「ブイになる」というそのまんま表現をするらしい。中では新参者の私は「ブイにならない」ように、朝早く出かけるようになり、自宅から通勤していたときなど息子と朝練する6時前に一乗りしてくるほどだった(何せ夏なのにまだ暗い)。

自分的には毎年大晦日近くまで入って3月まではオフシーズンとしている。海水は外気温よりもだいぶ季節が遅れているから、12月でも15度くらいある。入ってしまえばそれほど苦ではないが、行き帰りがやたら寒いのでやはり年内くらいである。逆に3月で暖かくなっても海水はまだ冷たいが、ウェットスーツと生身の間に入ってきた海水が体温で温まってしまえばOKだ。
昨年は大地震の後もあってやはり怖かったのと、何万人も人が亡くなった海で遊ぶというのに抵抗があって、4月下旬まで入らなかった。
しかし今シーズンになって「波動エンジン始動」したのは何と去年より遅いGW最終日である。週末いつも天気が崩れたり、いつまでも暖かくならなかったのもあるが、何故か何となく踏ん切りがつかなかった。。。

GW後半、大荒れだった3日の翌日の午後、「今年初出動だー」と勇んででかけたのだが、1本も乗れないうちにあたりが真っ暗になってものすごい雨が降ってきた。雨だけだったら別に平気なのだが、雷がなったので「こりゃやばい!」と一目散に逃げ出したのだ。(これだけはホントに危険なのだ)
帰宅する頃には雨が止んだが、もうすっかりめげてしまって再び出動する気になれなかった。(結果、水族館へ翌日釣行で狙う魚の生態調査に向かうのである)
結局、出陣したのは最終日の午前中だったが、ものすごい人だった。妻とマックで待ち合わせる予定だったからサーフビレッジの方に桜クルーザー号を走らせたが、広大な片瀬東浜に切れ目がないほどに人がブイのように浮いている。
波はどこも似たようなものだが、よーく見ているとロングボーダーとショートボーダーの群れは何となく分かれている。

ショートボーダーは比較的波の多いところ、またインサイドぎみのポイントにそれこそ「群がって」いる。年齢はロングよりも若いし、人が先に乗っていようが気にせずガンガン攻めてくる。一つの波に10人くらい一気に乗るのもザラに見られる。よく衝突して怪我をしないものだと思う。邪魔になろうものなら罵声が飛んできて気性も荒いし、こっちが避けないと向こうが避ける気が全然ないようだ。申し訳ないが昔イメージしていた通りのサーファの割合が比較的高いところである。
少し沖合いのロングのエリアは女性やシニアの方も多く、比較的穏やかである。波の数が少ないから順番みたいなものもあってマナーも結構よい。しかしこの人達、めちゃくちゃ上手いのである。。。。
「順番がある」と言っても、同時にテイクオフしようとした時に譲ってくれるようなもので、そもそも果敢に挑まないと完全なるブイになってしまうのだ。

2時間ほどいて10本も乗れただろうか・・・待ち合わせ時間が近くなってきたので、ラスト1本すごくいい波がきたのだが、へろへろになって乗り過ごしてしまい、そのまま岸辺まで上陸した。5ヶ月もサボっていたからだいぶパドリング筋が落ちているな。パンパンに張って肩が上がらなくなってきた。。。
何回かは「今の誰か見てたー?」と言いたくなるほどかっこ良くテイクオフできたんだが、まあ、5ヶ月ぶりだからあんなものだろう。スキーと同じで最後の一本にこだわりすぎると大きな怪我をするものだ。

サーフィンの特徴はその徹底的な孤立性である。周囲の人のライドなど全くと言ってよいほど興味がないのだ。もちろん仲間同士で浮かびながら話をしていることはあるが、基本は連れ立って乗ることなどないので、プレー中?に会話や声がけなどは無いのである。だから寂しいということはないし、数年間やってきて声をかけられるのはいつも同じようなところにいる常連か、たまたま息子の友達のパパと偶然会ったときくらいだ。陸に上がってから「今日の波はあーでもない、こーでもない」とつるむ仲間がいるわけでもない・・・始めたてのときに、隣の夫妻とたまたま家の前でばったり会い、ポイントなどを色々教えてもらって会話が弾んだことがある。「今度一緒に行きませんか?」と普段はあまり愛想のないご主人も笑って誘ってくれたが、「いやー、足を引っ張っては申し訳ないので・・・」と遠慮がちに言ったら「海に入ったら他人なんていちいち見てませんよ」とからからと笑われた。そう、一人で黙々と攻めるのはスキーに通じるものがあるが、連れ立って滑るものではない分、完全に孤立しているのである。

ホントにチューブライディングのようなすごい乗りができた(今までに2回くらい)時も「すげーっ」と拍手喝采を浴びるわけでもなく、絶好の波にタイミングを外して大回転パーリング・・・となっても指差し笑う人もいない。そもそも見ている人もいないし、周囲に興味も持っていない。どれだけ続けるかも自由、休憩も自由・・・そのときのコンディションで入るかはいらないかも全て自己責任。これを書いていて自分に気がついたのだが、私は子供の頃から団体スポーツばかりやってきた影響か、プレッシャーに弱く個人スポーツはどうもハードルが高かった。そしてサーフィンのようにプレーヤーや岸で眺めている人達とのつながりのないスポーツはすぐに飽きてしまうことに気付いた。
むろん、そのものを止めてしまうとかそういう類ではなく、1,2時間浮かんで何となく満足するともう上がってきてしまうのである。

夏休みなどは私の後から日焼けがてら妻もやってきて本などを読んでいた。弁当やビールを買ってきてくれたときもあった。皆似たようなスタイルだから陸からは大声を出さない限りは私の姿はわからないだろうが、逆に洋上からは何か持ってきたのはよくわかる。「見ていなくても」(あんまり見せられるものじゃないけど)いるだけで、いつもよりはやる気がでるものだ。一度だけカメラで連写してもらったことがあるが、自分で思い描いていたほどカッコ良くは無かった。。。2階から滑り落ちてきたような感覚だったのに、せいぜい腰くらいの波しかないし・・・今度VTRで撮ってもらいスタイルを研究してみよう。。。
40にして惑わずサーフィン、さて50にして(まだ少し間猶予があるが)天命を知り・・・・何をしようか?!

息子のサッカーと進路メモ

2012-05-06 05:14:39 | 少年サッカー
5月5日子供の日は息子のサッカーがオフだったので、先日一緒に行ったお友達と3人で熱海に釣行した。腰越の行きつけのイタリアンレストランマスターが大の釣り好きで「バカスカ釣れるからぜひに」と押していたところである。結局息子とは連休に2回出かけたことになる。「難しい年頃」と言われる年代だが、「少し難しくなったらどうだ?」と言いたくなるほど大人度がプアーである。まあ、全く親と出かけないよりはましか・・・毎年この日家の中央柱に身長を測って書いているがもう少しで妻を抜かしそうだ。

息子が幼稚園に入ってお遊戯混じりに「サッカーやりたい」と言い出したときは、それこそ大喜びした。小学校入学後も喜んで続け、後半は可愛そうなことによくある親同士のトラブルに巻き込まれてチームを変わった。私にとっても苦い経験でもあり市内の強豪チームの門を果敢にも叩いたのがその頃だが、そこそこ一緒に練習できるようにもなり親子練習が始まった。私も10数年ぶりだったが、昔取った杵柄というのもあり、少しずつ要領を思い出して行った。指導者などになる気はなかったが少年サッカーの雑誌を購読し成長期の選手の練習方法を研究、甘辛の長所を伸ばしたり弱点を克服する練習メニューも考案してみた。5,6年の上級生になると私達は平日の朝6時に家を出て海浜公園で朝練し、暇さえあれば二人三脚でトレーニングしていた。むろん全て息子をサポートするためではなく、体力増進や自分も再びフットサルなどでプレーするつもりで臨んだ。チームになくてはならない主力選手として県のトレセンにも選ばれたしし、最後の県選手権大会でブロック優勝して中央大会に進出し横浜Fマリノスと激突、負けはしたがそれなりに充実した少年サッカーだったことだろう。

中学では私と違って部活に入らず息子はクラブチームに入会した。彼もお決まりの「学習塾」にも通い始め、学校、塾、そして時間的には夜間になるクラブ練習でほとんど他に何かやる時間がなくなってしまい、私が地方に赴任したことも重なって「親子練習」は幕を閉じた。それなりに頑張っていたのだが、2年になっても成長期が訪れず「小学生のまま」プレイするには体力的に無理があり、次第にゲームからは遠ざかって行った。小学サッカーでは県でも選抜に選ばれそれなりにチームの中心にいただけに、ベンチを温めることが続くのはツラいこともあっただろう。自分があっさり方向転換してしまった野球経験からして「そろそろ彼も潮時なのかなー」、などと何となく見ていたが、エラいことに何も文句言わずに頑張っていた。

その息子甘辛はいよいよ中学3年となった。あっと言う間だったが「進学」を考えなければならない年である。悪くはないが特別良くもない成績だったのが2年の終わりだったので、「どうすんのかなー?」と思っていたら、こともあろうに「サッカーの推薦のある学校に行きたい」と言い出したのである。私も妻もこれには少し驚き、最初は否定せざるを得なかった。強い世代だった上の先輩が推薦やオファーで血みどろの受験をせずに進学先を決めていたのに憧れたのだろうか?しかしそんな実績を全く残していないぞ。これからやるつもりなのかな。今の彼を見ていると月並みだが勉強もサッカーもちゃんと両立させようという姿勢があまり見られない。「中途半端に楽そうだからと言って、何も努力せずにサッカーだけで進路を選ぶのは認めない」と明言してあるが、これから幾度かは衝突するだろな。

彼が不幸だと思うのは、この辺りが私の故郷そのもので、私が通学した「もはや実績は大したことないが、名前だけは何故か誰もが知っている進学校」が近所にあることである。比べられることはないだろうが、そのことを知っている友達やその親、塾講師までもが「続く」ことを口にするのは無理もないから、それが無用のプレッシャーになっては可哀想だと思っていた。そりゃー、後輩になってくれれば嬉しいし、近所だからお奨めではあるが。。。。一度、甘辛に行ったことがある。「オレが言うとプレッシャーにしかならんから口にはしないがなー」意外にも全然気にしていなかったようだ。(out of 眼中?)
一つ上のお友達が内申点は悪かったもののものすごい受験勉強をがんばって志望校に見事合格、やたら受験対策の通信教育が届くし、塾からも高校まるごとガイドみたいな冊子が送られてきて・・・それなりには彼も真面目に考えるようになったようだ。

先日、二子玉川園のウルトライベントの帰り、大井町線で自由が丘に出て母校のそばをかすめ通った。「甘辛よ。表示に●●ってあるだろ。オレが前半通っていた学校が駅前にあるんだよ。ここから一つ二つ行ったところだ」「ふーん、結構遠くねえか?」「だろ?大学なんて必須科目以外は授業を選べるから朝一の講義なんてとらねーんだよ。でも高校はそうはいかねーだろ?」「そーだなー。毎日部活やりながらだと、厳しーかもな」「はっきり言って死んだぜ」
私は前から思っていたことを口にした。ちゃんと目的をしっかり持って、海外へ出ることをプランに入れておれば正直どこへ行ってもよかったが、唯一ただでさえ貴重な「若い時の時間」を通学時間ごときで費やされるのはどうにももったいないと思っていた。通学に2時間かかる学校だったとしたら1年間に通う日数が200日として3年間で通学に費やす時間は約1200時間、つまり50日。寝る間を考えたら150日分「全く意味のない時間」を過ごすことになる。人間本気になって150日間、一日も欠かさず打ち込んだら、大抵のことはできてしまうと思うからそれをみすみす捨てるのが許せないのだ。

我々は自由が丘から東横線で東横線に出て東海道下りに飛び乗った。まさしく私の通学コースである。途中駅で降りてラーメン屋で遅い昼食をとると「湘南ガイダンス」というイベント会場に向かった。簡単に言うと、学習塾による周辺の公立高校の「学校紹介」である。保護者だけなのか、生徒も一緒なのかそのあたりは調べていない。甘辛が「こんなの行きたくねー」とぶつぶつ言っていたが、「お前、読みが足りねーな。母ちゃん一人で行ったら洗脳されてうるささ倍増だべ」たぶんそんなことにはならない妻に悪いと思いながら渋る甘辛を納得させて無理やり連れて行った。
第一部と第二部構成になっていて、何となく甘辛の成績レベルでいうと少し下目の第一部のような気がしたが、ウルトライベントの都合上(もちろんこちらの方が優先である)第二部の「少し難しい方」しか行けなかった。ぼけーっとしている息子に比べ賢そうな子供達で一杯だ。(皆、我が家には全く縁の無い近視メガネをかけている)

紹介対象校はこの辺から無理なく通える3校だ。塾の担当講師がわざわざその学校で生徒にインタビューしたり行事に参加したりした結果をまぜ、むろん最近の大学合格人数などもレポートしている。トップバッターのH高、私は知らなかったがプレゼンテーションが実に興味深かった。理系に力を注いでいてサイエンスパートナーシッププロジェクトというのがあって、国内の色々な研究施設の見学、体験など幅広く行っているらしい。また授業にも「科学と文化」という題材で自由研究の発表会があり、グランプリを競うという。ちなみに昨年のグランプリは「クモの糸の研究」・・・実際に成分を調査し、本物に近い糸と「巣」を作ってみせたらしい。うーむ。理系の血がうずく。。。
次は横浜にある私でも知っている創立99年の有名校だ。「古くて」「真面目で」「勉強ばかりしている」イメージを払拭させたいらしく、担当は懸命にその伝統や勉学以外の活性を強調していた。「今年創立99年ってことは・・・?そう、皆さんの入学時に創立100年の偉業に立ち会えるのです!」苦笑してしまったが、大学進学実績などはすごいものがあった。

甘辛はサッカー部が強いかどうかだけが興味だったようだ。何やら今年から公立高校の入試システムが大きく変わるようだが、まだ詳細は明らかでないので今日のところは学校の広告・宣伝といったところか・・・いい加減疲れてきたが、最後は私が通学した母校であった。校舎から施設からがらっと変わってしまったからあんまり馴染みがなかったのが残念だ。誇大な広告はないか卒業生として厳しく聞いていたが、明らかなウソはなかったようだ。何しろ行事が多いのである。入学してから早速陸上競技大会、その後最大のイベント「体育祭」を9月に迎えるまで毎月何かしらのイベントをこなしている。そしてその中心は常に生徒である。「体育祭の翌日から3年は受験勉強が始まり、2年翌年の体育祭の準備が始まる」と講師が言ってのけたときは思わず膝を打った。他校は「熱い教師陣」「独特な教育方針」「国公立向けのカリキュラム」など保護者の興味を引く事項が満載だったが、母校は生徒の話ばっかりだった。「甘辛よ。あの学校30数年前からあんまり変わってねーよ。教師は大したことねーんだよ。生徒の一部がすごいのさ」(わー、先生ごめんなさい)

息子はあんまりピンときていなかったようだったが、まあ聞いてみるだけでもよかっただろうし私には結構面白かった。進学先の大学にも母校の名が隅っこだが時々出てたしねー。これから受験生の親というのも実はピンときていない。色々と口を出したくなるだろうし、当人の不甲斐なさにイライラすることもあろう。一方で自分の歩まなかった未知のロードを進んでみてほしいこともあるし、時代はだいぶ変わってきたと思う。何か自分なりの道を見つけて「受験」そのものをパスする、というのもありだ。世の人は「自分の思い通りにさせるのが一番」と口をそろえて言うが、中々そう簡単には割り切れないものだ。「自分で考え自分で決める」のがよいとは分かっていながらも、大人は余計な経験があるだけに「好きにさせてもし後悔せることになったら・・・」の繰り返しとなり、中々に面倒くさい。明らかに傍観者なのに「自分でやった方がよっぽど気が楽」である。ということで、教えるとかサジェスチョンではなく「自分も一緒になって受験勉強してみると楽しそうだ」という考えに達した。こういうの嫌いじゃないからなー。。。興味本位だから本人にはえらい迷惑だろけど、習ったことを思い出せるこんなチャンス滅多にないもんなー。

スポーツ自分メモ

2012-05-03 12:33:59 | スポーツ・健康
先般、野球型vsサッカー型という話題について色々と書いた。(KICK師匠、好き勝手に盛り上がってしまってごめんなさいっ!)私は前述の通り、小学校で4年ほど野球をやり、その後中学からサッカーへ転向(というほどではないが)、社会人になってまた草野球をやり始め、結婚して子供と共に再びサッカー(フットサル含む)に舞い戻った。小学校までは草野球、鬼ごっこにドッジボール、いわゆる「遊びなら何をやらせても抜群」の神経を誇っていたと思う。だから3年の途中から先にチームに入っていたクラスメイトから「ホントに野球をやってみないか」誘われる。そのチームは市内でも屈指の強豪チームで練習も厳しく、入団するにはかなりの覚悟がいると周囲から言われたが、別に気にも留めずに門を叩いたのだった。

4,5年ではBチーム、最上級生では待望のA代表チーム入りしたが、そのくらいになると隣接他校からも選りすぐりの(ホントに大人顔負けの体つきの)選手がひしめき合い、各ポジションは3人くらいのライバルが争う形になっていった。その頃すでに私は野球では「一番できないヤツ」とされたライトで8番、通称「ライパチ」であった。そしてしばらくすると指導者に「左打ち」に矯正された車屋の倅に台頭され、ベンチを温めることになるのである。投手はエース以外にも何人かいたが、野手は9番目か10番目かは大きな違いだ。今と違って監督らは応援に来ている親達の目など全く気にしないから「多くの選手を出してやる」という発想がなく、常に不動のメンバーで臨んだ。

今振り返るとトレーニングの方法、選手へのフォロー、はたまたお説教など、全く苦笑いモノなんだが、当時の小学生に「疑問に思ったり」「逆らう」という文字はなく、ひたすら炎天下で水も飲まずに「うさぎ跳び」に励んだ。「努力の度合い」よりも「持って生まれた身体の成長速度」が効いてしまうこの時期は、ほとんど出番らしいものはなく、バッターボックスにたまに代打で入っても、上手いわけでもないのに「送りバント」のサインが常だった。「何かのスポーツをちゃんとやろうとしたら、上には上がいて、その辺の『少し上手い』くらいではダメなのだ」ということを痛感することになるのである。「試合に出なければ面白くも何とも無い」という反感と独特な軍隊式の作法が野球に対してあまりいいイメージを作らなかったのは事実である。

中学に入ると小学校ではできなかった本格的な運動部の門戸が飛躍的に広がり、主力軍はそのまま野球部だったが、野球少年団からもテニス、バスケット、バレーボール、そしてサッカーへ移り変わる者がちらほらいた。私もその一人だったが、サッカーだからと言ってバラ色なわけではない。運動量の激増に加えて中学生特有の「しごき」にげっそりした上に、レギュラーだったが『ディフェンス』という、得点シーンもない「あまり面白くない」というポジションと感じたからである。ただ部活などというものはあっという間に終わってしまう。入学して半年で3年生は受験のため引退、新チームはお世辞にも強いとは言えずに色んな大会に出場するも「出ると負け」・・・最上級生となってからはメンバーに恵まれいたのかやっと頭角を現し、いいところまで進めるようになって私も市の選抜に選ばれたのだが、最後の夏の大会前に練習中骨折(これが人生初のまじめな大怪我だった)・・・チームメイトを応援しつつも受験勉強に勤しむことになった。(しかしこれが幸いして運よく入試に成功したのかも)

高校は結構サッカーの盛んなところで数十年前(ものすごい昔)は全国大会で優勝したこともある。まだ「水を飲んではいけない」時代で、単調な練習の繰り返しはいやで仕方がなかったし、ときどきやってきて現役に憂さ晴らしするOBもウザかったが、誰もが口にする伝統的なその部のスタイルは好きだった。「パスでつないで行く」というシンプルなものである。と言っても当時は名のあるシステムや戦術が多様にあったわけでもなく、「蹴って走る」「やたらうまいヤツが引っ張る」「何でもいいから1点取ってひたすら守る」「とにかくゴリ押しで突破」なーんてパターンしかなかった。誰もが足が速いわけでもなくスタミナもあまりないし身体も大きくない、スター選手がいるわけでもない・・・「ボールは足よりも速いから、敵が近くにいない味方にパスを出してつなぐ」というスタイルしかなかったのだ。レベルが段違いで比べるにも畏れ多いが「なでしこジャパン」を見ていると何となく通じるものがある。正月や夏の合宿の時は40歳を超えるOBチームと対戦することがあったが「徹底してパスでつなぐ伝統」が沁みついている彼らにスピード、体力、足技どれも勝っているはずの現役チームがよく負けた。。。(この後のペナルティは世にも怖ろしい・・・)
そして知らないうちにそうやって自分にも沁みついたスタイルが何となくものの考え方にまで影響を及ぼしてきたようだった。最後の方になって「受験前に完全燃焼しよう」と本気で打ち込み、ベスト16で負けて引退が決まった時はマジに初めて泣いた。

学生時代も同好会で「遊び」のサッカーは続けたが、体力が有り余っていたので初めて体験する「怒られない」スポーツ、趣味としての試合、これは中々面白かった。またたぶん一番真面目に練習し、試合中も一生懸命走った。人生史上、最もサッカーが面白い時に社会人になったものだ。しかし謳歌したのはサッカーだけではなくおよそ「部活」には中々ないスポーツに手当たり次第に手を出した。「入ってしまえばこっちのもの」時代で時間は山ほどあるのである。我々は「青が散る」を見ていた世代でお決まりのテニスサークルで「プリンスのデカラケ」を振り回し、スキー部にもゴルフ部にも顔を出し体験合宿などで基礎を教えてもらい、練習にはちゃんと出ながらもある程度できるようになって「がちんこ大会」がやってくると姿を消した。実に不真面目な輩だったが体育会系運動部はどこも慢性的な部員不足に悩んでいたから「冷やかし」でも頭数がそろうと歓迎してくれたものだ。高校がスポーツの盛んなところでクラス対抗の「球技大会」がいつも行われ、本職はもちろんバレーボール、バスケ、テニスまで何でも出場していたから、ソフトボール大会などを筆頭にあまりスポーツの盛んでない大学内でのイベントには引っ張りダコだったものだ。

大学を卒業しあまりにも普通に就職したのはバブル経済の最後期くらいだったと思うが、数年後バブル経済が崩壊し、浮かれていた世の中が一気に奈落の底に転落を始める時期である。10年以上深刻な不景気が続き「失われた10年」とか言われるようになる。この頃から日本型経済、雇用形態、キャリア形成などが片っ端から否定され始め、日本的団塊型スタイル=野球型組織・人材と欧米型ビジネススタイル=サッカー型組織・人材が真しやかに論じられるようになった記憶がある。
当時私は遊びとしては両方のスポーツを嗜んでいたが、ビジネスマインドの上では一も二もなく「サッカー信奉派」となっていった。これはここ最近までずーっと続き、スポーツそのものは見るのもやるのも大好きなのに、こと仕事や組織で「野球型」の片鱗が見えたりすると露骨に嫌悪感を感じたものである。人生に「野球用語」を付け加えると変な(否定的な)意味ばかり思いついてしまうのもその辺にルーツがあるのかもしれない。ちなみに「サッカー用語」というと・・・
人生「キックオフ」(物事が動き始める)、スローイン(フィールドに賽を投げかける)、ペナルティキック(たまには棚ボタもある)、オフサイド(勇み足だが前向きな姿勢)、ハットトリック(できたら最高)、イエローカード(警告もたまには大事)。。。。。やはり、何か「いい意味」にとらえてしまう。かなり偏っているなー。

かなり天の邪鬼的発想だし、年功序列がまだまだ効いている会社で歳を重ねマネージャーになっただけのことかもしれないが、いわゆる野球型の人材を支持しゆるい野球型組織を志向するようになったのも最近である。先般記事の補足だが、世に高名なオピニオンリーダーがおっしゃるのとは正反対でサッカー型が従来の日本的スタイル、野球型が欧米スタイルに見えて仕方がないのだ。会社員だと誰もが感じると思うが、日本の会社は何をどうやっても「あいまいさ」が特徴である。欧州研修中、ホスト国企業従業員の処遇等についての説明に「objective」という言葉が出てきた。文脈から意味合い的には「業務目標」と言ったところに思えたが、どうももっと深刻なニュアンスで「quit」「fired」など穏やかならぬ言葉が耳に入ってきた。怪訝な顔をしている私に陽気なイタリア人が「お前んところは「objective」に達しなかったらどうするんだい?」と聞かれ、二コリともせずに「apologize」と答えた・・・腹を抱えて笑っていたが、陽気な彼は我々が何を言っても大笑いしていたので、何がウケたのかは不明である。欧米企業は個人への期待と報酬がはっきりしていて、責任所在も明確である。サッカーで試合前に監督に言われた通りにしなくても(そんなシチュエーションかどうかもよく分からぬ)どうということはないが、野球で監督のサインを無視するとその場で交代させられることもある。すなわち「fired」である。オフィスだって日本の企業は大部屋で仕事のテリトリーも境界線が曖昧だが、外資企業は個室で仕事をしている。どう考えても欧米企業のほうが野球型なんだけどなー。

今や組織や人材は「『野球型』がよろし」と言って憚らぬが、経験的に「仕事は」というとどちらがどうのというのはあまり語れないがただ例えるとこうだろう、というのは何となくある。
サッカーに例えるならまず仕事で一番大切なのは「パスを出すこと」だと思う。これは高校時代のサッカースタイルがだいぶ影響もしているが、「パスを出す」という言葉に私は普通以上に反応してしまう。「暇そうなのは誰か?」「誰に出すのが最も効果的か?」「そのコースは?」「その後自分はどこに走るか?」「どうすればパスが戻ってくるか?」周囲全体を見て一瞬で判断する・・・まさしく仕事の奥義に思えるのだ。
野球に例えるなら何と言っても一番大切なのは「キャッチボール」だろう。チームで得点するには送りバントも大事だ。ポテンヒットでも全然結果OK。でもやっぱり全ての仕事は相手の捕りやすい胸に向けて投げるコミュニケーションから始まるのだろう。
うーむ。。。適当に思い付きで書いてきたが、スポーツも仕事も全ての基本は「パスを出すこと」と「キャッチボール」とは見事に決まっているじゃないか・・・これはストックフレーズに使えるぞ。
今回は既に「終わってしまった」私のスポーツ自分史(サーフィン編はまた今度)だったが、次回は同じサッカーを選んだ息子甘辛の「これから始まる」スポーツ史と進路について綴ることにしよう。(つづく)