超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

王城鎮護の地を走り回る

2016-11-23 06:05:10 | ホビー
「走り回るようなところじゃないよな・・・」王城鎮護の古都である。主に西日本に拠点を多く展開する、我が社とは所縁のある企業グループの年1回のフォーラムに参加した。毎年会場は点々と西日本を移動し、我々も特別参加したりするので、実際普段はめったに行くことのない地域に足を運ぶのが楽しみだった。ちなみに昨年は百万石の街、一昨年は「坊ちゃん」の街、そしてその前年は原爆ドームの近くだった。そして今年は世界遺産の宝庫、新しく始めた「御朱印集め詣で」ができると楽しみにしていた。初日の集合は午後だったから、場合によっては朝暗いうちから「のぞみ号」に乗車し、朝日に輝く霊峰を眺めて、オープニングイベントまでにいくつか有名な神社仏閣を見物して回ることを考えていた。ところがこの手のことは周到に計画するとあっさり崩れ、行き当たりばったりにすると割とうまくいくもので、初日は午前中に脱出不能な会議が入ってしまい、スタッフの作った日程を見るとかなりびっしりで、何となくウロウロ見学すればいいものではなかった。「開会式に来賓参加?何のことだ?」

どんなに急いで向かっても会場に到着するのは午後になってしまい、翌日は我が方のスタッフも参加するイベントがあるから朝から会場につきっきりとなる。初日は同僚達と合流できそうもないから、単独で展示会見学を済ませ、翌日直接参加する人たちを激励する懇親会に夕方から合流することになった。幸いに午前の会議が思ったよりも早めに終わったので、ダッシュで東京駅に向かい久々の「のぞみ号」に飛び乗った。平日の昼間ということもあったが、発車5分前に自由席に駆け込んでも車内はガラガラ・・・大動脈がこれで「大丈夫か?」とも思える乗車率だった。家から持参したおにぎりを頬張り、2時間余りの旅だったがあいにく曇っていて霊峰富士の姿は拝めなかった。会場までの案内とGoogleマップを睨み付け、展示会見学を済ませてからのわずかな時間で行けそうなところはどこか?またその場所の御朱印は何時までに頂けるか?スマホを見ながら作戦を練ったものだ。どうやら会場からダッシュで行けそうなのは祇園の「八坂神社」とその隣の「知恩院」、そして会場のすぐ横に「平安神宮」がある。前二者は16時までだから間に合うかどうか微妙だ。平安神宮は17時までやっているのでまず安パイと思ってよいだろう。

同僚達の集合時間には間に合わなかったが、受付で入場登録して関連するワークショップを2つほど聴講し、展示物をひと通り見学し終わって15時を少し回ったところだった。翌日に向けて当時者だけの全体懇親会が予定さっれており、説明員もまばらとなって片付けを始める展示もあちこちに見られた。「詳しくは明日聞けばよし!」私は意を決して会場を飛び出し、一路八坂神社に向かった。西楼門から入り、本殿でお参りした後、社務所に走った。明治初期までは「祇園社」と呼ばれていたそうで、御朱印にもそう書かれ、上から押印されている。舞殿では女性が「君の名は。」で出てきたような神の使いのようなスタイルで舞の練習をしているようだった。重要文化財のオンパレードにもっとゆっくり見るべきだが、16時が迫ってきている。私は丸山公園を走り抜け、法然上人の知恩院に向かったのである。巨大な三門が聳え、圧巻の建築物が並んでいたが残念ながら国宝の「御影堂」は平成30年までの大修理のために中には入れない。時間ぎりぎりだったがここでも2枚目の御朱印を頂くことができた。そして最後の平安神宮に到着した時はかなり薄暗くなっていた。

            

私が駆け回ったのは観光パンフによると「洛東」と言われる区域のほんの一部だが、他にも超メジャーな清水寺、秀吉の妻ねねが夫の菩提を弔うために創建したという高台寺、風神雷神図の建仁寺、そして哲学の道の銀閣寺などがある。実は激励懇親会のお店の近くに「本能寺」というのがあったのでついでに寄ろうとしたのだが残念ながら拝観時間は終わってしまっていた。本能寺の変で、織田信長が宿営に使ったもっと大規模な寺は灰燼に帰してしまったが、その後秀吉により今の場所に移して再建されたそうだ。織田信長は当時の本能寺の住職と関わりが強く、また寺としては要塞のような設備を持っていたので、数回宿営として使っていたようだ。ただ歩いているだけで色々な史蹟や名所がこの地には溢れており、ホントにゆっくり歩き回るべきところだとは思う。この時期の京都は紅葉やライトアップ目当ての観光客が集まっているうえにイベント主催の企業グループはかなり大規模なので何千人という人が押し寄せ、かなり前から市内のホテルは全く部屋の空いていない状態にあり、多くの同行者はなんと大阪に宿泊予定で、私は隣県の大津市内のホテルだった。お隣の県庁所在地なのに京都と大津は新快速でわずか10分もかからない。

          

激励懇親会では若者達相手に大盛り上りしてしまった。翌日のイベントでは競技会形式のエキジビションのようなものがあり、我が方から代表選手として出場する者がいるのだが、彼らは主催者側の用意した全体懇親会に出席してから我々の会に駆け付けるのだが、見学者だけの会がスパークしてしまい、主役がやってきた頃はかなり怪しい状態になってしまっていた。それでも部屋にチェックインした後、私は来場者登録の際にもらった市内の観光マップを広げ翌日のプランを練り込んだ。エキジビジョンの全体開会式の開始は9時、「来賓で参列せよ」と言われていた競技別オリエンテーション&開会式が9時半。。。朝はいくらでも早く起きられるが残念ながら大抵の社寺は拝観時間は9時からになっているので朝一で詣でるのはちょっと不可能だ。開会式が終わって我が方の出場時間は13時、それまでは他のエキジビジョンや前日目を付けておいた展示物の詳しい説明を聞いて回ることになる。パンフレットを集め、精力的に説明を聞いて、以前いた職場の「電話応対」に関する演出を見学し終わった時が11時半、「午前の部は終了です。午後の開始は13時半からでそれまでは休憩時間となります」というアナウンスと同時に部屋を飛び出した。

朝、購入しておいた地下鉄フリーチケットを片手に最寄駅まで走りまず目指したのは「二条城前」駅である。午後の開始時間までに昼休みを利用して行けるのは地下鉄で乗り換えなしで到達できる場所のみだ。修学旅行で最初に訪れた二条城は同じ生徒たちや外国人観光客で賑わっていた。「徳川家の栄枯盛衰のみならず、日本の移り変わりを見守ったお城」お馴染み二の丸御殿から見学に入った。「遠侍」という大名控えの間、老中に挨拶や献上物を渡した「式台の間」、それぞれの間にある襖絵や障壁画は金箔をふんだんに使った「将軍の威光」を示すにふさわしいゴージャス仕立てだ。しかし最も格式の高い大広間で15代将軍が大政奉還を発表したというから「栄枯盛衰」そのものだ。むろん見学通路は全て有名な「鶯張の廊下」になっており、そこらじゅうに見学者がいるから、「ちゅんちゅん」とホントに森の中で鳥がさえずっているようだ。よく古い建物で板張りを歩くと「ミシミシ」と甲高い音がし「天然の鶯廊下じゃねえの?」と皮肉ることがあるが、あの音は(修学旅行随行説明者の話を横耳で聞くと)Vの字に取り付けられた鉄製のかすがいが上下して釘と擦れあうときに発する音だそうだ。(そうそう、そういう説明を数十年前にされたことを思い出した)

    

庭園から観られる紅葉も見事なもので、ゆったりのんびり歩きたかったが、どうにも時間が無かったので掟破りだが観光客群の間をサイドステップで走り抜け二条城を後にした。修学旅行の定番なんていかにも「ベタな観光じゃん」と以前は思ったものだが、やはり素晴らしいものは素直に素晴らしいものだ。ネットで見ると「二条城でも御朱印が頂ける」とあったので「寺社でもないのに御朱印ってありなの?」と多少訝しみなから事務所に行くと、来場記念証という御朱印「のようなもの」でしかも貼り付ける紙だった。ちょっとやられたような気もしたがせっかくなので購入しておいた。(これは御朱印帳の最後のページに貼ろう)私は再び小走りで地下鉄駅に向かい、来た方向の列車に飛び乗って最寄駅を過ぎ去った「蹴上」という駅に降り立ち、「南禅寺」に向かった。残念ながら時間切れで建物内などをじっくり見物する時間がなく御朱印を頂くだけの参拝となったが、とにかくここの紅葉はものすごい。私は完全な真紅の海よりも青葉から黄色、オレンジになりかけの紅葉が好きなのだが、まさしく王城鎮護の地恐るべしの圧巻だった。しかしやはり今人気が高まりつつあるという御朱印は観光客が大勢いくると「いちいち書いていられない」のか、こちらも「貼る紙」になっていた。(これはあまり有難くないなー)

          

午後の部開始10分前に会場に駆け戻り、用意されていた弁当をかきこんでエキジビジョン会場に向けった。我が方は特別ゲストのような扱いだが、1月に予定されている我が社主催のイベントの宣伝もきっちり行っていた。応援団が目の前で騒いでいたのがプレッシャーになってしまったのか、出場の男女はいつもの調子をあまりだせずに苦戦していたが、無事にミッションを全うした。「ちょっと問題キツかったけどお疲れ様でしたねー」一同はそこで解散となった。他にもいくつかエキジビジョン会場があるのでさーっとひと通り様子を見て回ると午後2時半になっていた。「よしっ、イケる!」私は周辺にいた知人と労いの挨拶を交わしてネームストラップを受付に返し、再び一路地下鉄駅に走り出した。最後の目的地は京都のシンボル、教王護国寺「東寺」である。ちょうど今、秋期特別公開期間中で国宝五重塔の初層と講堂を拝観することができる。新幹線の時間までそうあるわけでもなく、再び京都駅から走って向かうことにしたが、紅葉の中に圧巻の五重塔が聳えたっていた。まず食堂(じきどう)内納経所で弘法大師のありがたい御朱印を頂けた。

      

東寺は創建から約1200年、平安遷都と共に建立された官立のお寺で唯一残る平安京からの遺構ということだ。弘法大師は桓武天皇の後の嵯峨天皇にこの寺院を託された。その弘法大師空海がお住まいだったという御影堂は大修理中で中に上がることはできなかった。木造建築日本一の高さを誇る五重塔は新大阪へ向かう新幹線からいつも眺められるランドマークで圧巻を誇っていたが、その初層内部はもっとすごい驚きの構造だった。各層を貫いている心柱は四方を如来?や菩薩?に囲まれている。それを取り囲む四方の柱や壁面にも密教の各大師?が描かれちょっと息を飲むような不思議な空間となっていた。薬師如来とその左右に日光、月光菩薩、台座を支えるむ十二神将の金堂、大日如来を安置された講堂、どれも何度も焼失と再建を繰り返されたようだが、密教の中心という威厳を感じるものだった。日はだいぶ傾きかけていたが、何とか上り新幹線のぞみ号の時間までには京都駅に戻ることができた。いやー、全くせわしない古都めぐりだった。仕事の「ついで」だから仕方がないが、いつかもう少しゆっくりと1000年を超す歴史を噛みしめながら優雅に巡りたいものだ。このシーズンはあちこちの名所で夜間ライトアップされており「東寺」や「清水寺」「知恩院」など人気のようだったが、夜は夜でノーベル賞話題で盛り上がりそうな会合があったのでそのまま東京に向かったのだった。

              

パーフェクトドックプラン

2016-11-20 06:05:56 | スポーツ・健康
毎年同じ時期というわけではないが・・・今年も昨年と同様、今の季節に人間ドック受検がやってきた。ウルフェス同様、毎年恒例行事でそろそろ話題も尽きてくると思われたが、どっこい今回はこれまでと一味違う。。。デビュー戦以来、回を重ねること10数回、普通に受けたら何万円もするようなゴージャスコースだが、福利厚生だけは充実している会社なのか毎回無料で実施されてきた。しかし以前も書いたが、経費節減の波はやはりここにもやって来ていて、歯科検診、体力測定、腰痛改善・運動指導、負荷心電図検査など年を追うことに次々と姿を消してゆき、数年前までは2日間びっちりだったのが、妙に間延びするスケジュールになってしまった。今年は古くなった病棟を立て直し、全ての施設が最新式に生まれ変わっていた。待合ロビーや装置群も新しくなったようで、昔の薄暗い健診センターの面影もなくなっていた。しかし年齢的にはこの新しい施設を利用できる回数も残り少なく、場合によっては今回で最後?!とならないとも限らないので、これまでの「レジャードック」とは一転し、全てにおいてパーフェクトな健診とすることにした。

作戦名は「PDP(Perfect Dock Plan)-これが最後かも-」。健診結果はもちろんのこと、あらゆるミッションを全てコンプリートすることを目指す。まずは健診本来の目的である「測定数値の正常化」である。前回の健診の結果からはBMIがオーバーしている条件で血圧が正常範囲を超えていたためにメタボ判定となってしまい、今年の前半から特定保健指導を受ける羽目になった。それから約半年、血圧レコーディングと減塩作戦を重ね、最初のうちは順調だったのだが、ダイエット同様「中だるみ」のような状態を経て何となくギリギリ状態が続いていた。過剰なまでの塩分制限も「運動などの発汗によって能動的に塩分を排出してしまい、水分と交換すればわざわざ無味乾燥な減塩調理とせずともよいのでは?」という自分勝手な論理を展開し(理に適ってるとは思うんだが)、最近はちょっとサボり気味で血圧についても一進一退というところだった。

飲酒というのはその時のみであれば血圧を下げる結果となるという。しかしむろん血管が広がって一時的に血圧が下がっているだけで、高血圧症そのものを改善するわけもなく、かえって元に戻る時に悪い影響が出やすいと警告されている。確かに朝晩の血圧レコーディングでは酒を飲んだ夜と翌朝は惚れ惚れするような値となり、1日増やした休肝日と翌朝はがっかりするほど悪い値を示すこともままある。ドック受検までの1ヶ月間(ちょうどオクトーバーランが重なったこともあって)のパーフェクトプランその1は「休肝日10日、運動日20日」とし、体重・血圧を安定させることとした。内視鏡系や血液検査の項目には「飲酒量が増えると悪い結果となる」ものもあるために、パーフェクトプラン2として当日より1週間前からは禁アルコールを原則としたが、色々なイベントも重なりこれは前4日間に限られた。減塩作戦で最も効果を発揮したのは不思議にも減量だったので、BMIがオーバーしない体重を逆算しこれを維持するように調整した。トドメはもちろん高濃度水素水である。目指せパーフェクトヒューマン!

当日は自家用車で会場に向かうが、その前早朝時間に「スーパー銭湯」に1時間ほど立ち寄った。運転の道のりは約1時間半程度、箱根の山道を通るから恐らく到着する頃にかなり上がっているであろう血圧への効果と発汗により減量のダメ押しをするためである。ロッカー室で体重を測ると驚くべきことに40年ぶりに「高校時代」の値に戻っていた!(むろん一時的なものだ)血圧に影響を与えないように山道でノロノロ走る車にもイライラせず、前が居なくなってもイタズラに峠を攻めるようなこともせずに、ひたすら「ソロソロ」と安全運転に徹し、ほぼ予定通り新しい建物に生まれ変わった病院に到着した。昨年から受付けた順番制になり、早く行けばそれだけ早く健診項目が終了し余裕が生まれる。私は1日目終了後、晩御飯まで空いた時間に、車で10分ほどのところにあるゴルフ練習場で汗を流すつもりだったから、予定通り受付開始時刻の8時半ぴったりにロビーに到着したのに、整理券をとったら35番目!「全くジジイは朝早えんだよな・・・」自分も同類なのに持参した高濃度水素水を飲みながら苦笑したものだった。

  

待合せ室で本など読むとそれだけ視力が悪化する。また血圧を落ち着かせるために眼をつむって「3カウントで吸い、6カウントで細く吐く」ヨガ式の呼吸法を繰り返し行っていた。検査に入る前に当日のスケジュールや体調確認、検査説明などのために事前に記入した問診表をもとに保健師による面談がある。30番目の人が過ぎ、結構待たされたがそろそろ順番かなと思っていたら「検査のスケジュール上、日帰りの方を先にさせて頂きます」とかまされた。「(なんでやねん!早く来た意味ねえじゃんか!)と思いつつも平穏にヨガ呼吸を続けていると「35番の方」と呼ばれて問診室に入るとメガネの保健師が問診表を眺めていて、さーっと内容を確認し「検査に当たって特に支障はないようですね。ハイ、じゃ、このファイルを持ってまずは腹囲から順番に測定してください。以上です」さんざん待たせておいて、問診などたった2分?!「うがーっ」と暴れたくなるのを抑えて大人しく測定ゾーンに向かった。前回で体現したように腹囲など横隔膜の調整で前後15cmくらいはいかようにも調整できるのである。そして前回涙を飲んだ体脂肪率が何と18.6%!今まで何をやっても20%の壁を破れなかったのに、ズバリPDP作戦の効果が現れたのである。

逆にかなり気を使っていた血圧についてはそれほど数値に改善が現れなかった。(さっき、ちょっとムカっときちゃったからなー)視力はやはり低下中、聴力は高音域が聞こえないが勘でボタンを押して問題なし、頸部、腹部エコー、、眼底・眼圧測定、胸部CTを無事消化して1日目は予定よりも早く無事終了。ここまでまさしくパーフェクトなスケジュール進行だった。検査着から私服に着替えてシューズを履き替え、いそいそと赤いライオン号を駐車場から出像させた。むろん検査だけではなく、余暇プランもばっちり予定を立てていた。昨年同様トランクにはゴルフバッグが入っており、平日打ちっ放しサービスのゴルフセンターで2時間半、みっちり打ち続けるのである。スポーツクラブのゴルフ教室をやめてからすっかり練習などはサボっており、ちゃんとスイングするのはめったになくなってしまったから、それこそレジャーのようなものである。夕食時間少し前に帰還し着替えて温泉浴場へ。ここまで大体い
つも通りなのだが、今回はここからが大きく異なる。パーフェクトプラン3は「晩御飯を腹いっぱい食って、アルコール抜き」としたのである。

夕食時の酒は他に何もすることがない(実はたくさんあるけど)受検者にとって大きな楽しみなのだが、今回は容易さえれたおかずと新しく登場したセルフサービスのカレーによって、もうこれ以上は入らないところまで詰め込み、アルコールは封印だ。思えば1年前、家からクーラーBOXごと酒持参したり、これまでのように調子に乗って買い出しに行って部屋のみしていたら、翌朝こともあろうに「腸管洗浄剤が効かない」という世にも恐ろしい経験をした。胃内視鏡検査で横になりながら「今、衝撃波がやってきたらお終いだ・・・」と恐れ慄いた恐怖が忘れられず、いっそのこと今回はアルコールをパスすることにしたのである。10数年来受け続けた人間ドックで初めてのことである。気がかりなのは全く酒を飲まないとかえって朝方に血圧が高く出てしまい検査に支障をきたすことだったが、昨年の思いが神に届いたのか、翌朝の腸管洗浄、血圧測定、内視鏡検査、全てパーフェクトであった。医師による他の検査結果説明もほぼオールグリーン、今回はドック健診までの道のりの方が色々あり、本番はあまりに完璧で話題が乏しくてここで書くことがないようだった。
 
もう一度温泉浴場を利用し、お昼の弁当を食べて病院を後にすると、少しだけ「三島の街」を巡ってみることにした。まずは昨年も訪れたが伊豆国一宮である「三嶋大社」である。樹齢1200年の天然記念物、金木犀が有名だが、むろん最近集め始めた「御朱印」を頂いたのだった。三島周辺は富士山からの湧水が色々なところで見られるという。柿田川公園は国道1号線の真横にありながら、地下水の湧水が所々で見られ、天然記念物にも指定されている保護地区である。天気があまり良くなくても透き通るような美しいブルーを見ることができ、底の方にはコンコンと水が湧き出ている。柿田川は底に緑色の藻が敷き詰められているのか普段中々見られない秘境のような光景だった。市街地の国道沿いにあるとはとても思えない。展望台というから上の方から景色を眺めるのかと思ったら、川面の方に降りて行って、湧水を眺めるコースになっている。HPなどではブルーの湧水はせいぜい普通の井戸くらいの大きさしかないよう見えていたのだが、かなり巨大で直径5メートルくらいはある迫力ある湧水だ。来年があったらもう少し足を伸ばして豊富という史蹟を巡ってみたいと思う。

            

            




高濃度という名の魔力

2016-11-17 21:40:35 | スポーツ・健康
世の中には色々な「身体によい」とされるサプリメントが出回っており、ものすごい市場規模になっていると思う。少年期の甘辛も飲んだが筋繊維を太くしたければホエイプロテイン、頭の働きを良くしたければDHA(ドコサヘキサエン酸)、脂肪を燃焼させたければ一昔はl-カルニチン、αリポ酸、カプサイシン、疲労回復のためならオルニチン、コエンザイムQ10など、さらに何に良いのかイマイチだが良さそうな気のする「ポリフェノール」「ラクトフェリン」・・・数えきれないほどの「それらしい横文字」の成分が並び、どれを取っても何となく「効きそうな気」がする。私も同類で「プロボクサーが減量に使用」とか、有名人が「集中力を高めるために毎日摂取」などと見るとふらふらと近寄ってしまい、数えきれないほど「やられて」きた。古来から身体によいと言われる和名のもの「朝鮮人参」とか「薬用養命酒」などというお馴染みのものよりも耳慣れない横文字の方が効きそうな気がするものだ。むろん私もその一人だ。

面白いことにお気に入りの「脳科学」の著書にこの現象のことが載っていた。年バレしてしまうが、CMを覚えている人も多いだろう「ジンクピリチオン」である。シャンプーのベストセラー商品だが、CMの「ジンクピリチオン配合」という言葉に消費者が飛付いた現象だというのだ。「ジンク」というのはZnつまり亜鉛のことだと思うが、その先の物質は何のことなのかさっぱり知らない。恐らく一体何なのか知っている消費者はまずいないのではなかろうか?にもかかわらず「おぉ!これはよさそうだ!」と思い込ませてしまうのが「ジンクピリチオン効果」だそうなのである。某大学の教授が命名しちゃんと言うと「言葉は、その意味するところとは別に、その音感と新規性に由来する『衝撃力』を持つ場合があり、そのような「爆発性言語」の精神活動への影響力を「ジンクピリチオン効果」とされたのである。オリジナルの論文には他にセラチオペプチターゼ配合、デュラムセモリナ100%、あらびきネルドリップ方式などが挙げられているらしい。「三段逆スライド方式」などもこれに入るのではなかろうか?

「ジンクピリチオン効果」に加え自身の経験からさらに私風に論理展開しようと思う。言葉の響きと共に私のように「その気になりやすい?」人間が魔法のように「やられてしまう」要素として、「高濃度」という頭言葉があると思うのだ。前述の「名前だけすごそうで、実際何なのか誰もしらない」成分を含む製品はほぼ全てが「高濃度」で配合されていることに気付いた。ホエイプロテインはズバリ100%配合、DHAなら1粒●●mg含有、カカオ含有72%、タウリン1000mg配合、「●ントリー史上最高濃度の魚油」などよく見ると実際どれくらい「濃い」のか全然分からぬものも多いが、いかにも「たくさん配合されている」ように聞こえるのである。そこで昔からある栄養素をたくさん含む実際の食品に換算して実感を沸かせる商品があった。典型例は●Cレモンにある「レモン50個分のビタミンC」、50億個のビフィズス菌、しじみ300個分のオルチニン、3粒で納豆2パック分のナットウキナーゼ・・・恥ずかしながらどれも漏らさず「やられて」きた。(ホントはちゃんと効果が出ているのかもしれないが)

そもそもよく考えるとビタミンCの塊ではないと思うが、レモン50個、しじみ300個も一辺に食べたらどう考えてもお腹を壊すに決まっている。50億というとすごい数に思えるが、悪玉菌に対して「焼石に水」なのか「夏の陣で大阪城を取り巻く」状態なのか、細菌の数などどのように効いてくるのか見当もつかない。逆に納豆2パック分というのが微妙で毎日は無理でも1日おきならばできないことはない、1ヶ月のサプリメントが約4000円だったから普通に食べるのとそれほど大きな差分がない。医療関係の知人によると、「身体に必要な栄養素は自然の食物から摂らなければならない。サプリメントなどで簡易に摂取すると身体が食物から『取り入れる』吸収力が減退してしまう」という。私は彼の主張に同意しなおかつこれを発展させ「たまには毒素を身体に取り入れることも必要だ。ヌルい安全な食物だけでは元々備わっている解毒・分解力が衰える」とも考えている。

さて「身体によい」という概念の解釈は年齢とともに変遷してくる。若い頃は(あんまり若くなくても完全体であれば)筋肉・持久力増進、ちょっとカロリーオーバーと不摂生が祟りメタボ気味になると決まってダイエット、そして中年に差し掛かり疲れが取れにくくなってくると滋養強壮・疲労回復、そして私の場合は高血圧対症である。ひと時流行った「●る●る大辞典」でも色々な食物(納豆が有名だが)が紹介されていたが、とどのつまりは「自然界の食物全てこれ何らかの効能あり」ということだったろう。そしてそれらの食物に多く含まれる「変な響きの横文字」成分を「高濃度」で含有するサプリに「やられ」続けているわけである。高濃度という言葉の罪悪が大きいのは何とそれが食物に限らないところである。母親を連れだってほぼ毎週末早朝に通っている日帰り天然温泉「竜泉寺の湯」の一番の目玉は「高濃度炭酸泉」、ちょっと温めの湯に浸かると身体の表面に「ショワショワ」と気泡が付着するのでいかにも「高濃度の炭酸」が効くような気がする。

そして我が職場の大番頭「ドグ」の一言が発端でついに私は禁断?の魔物に手を出してしまった。。。「高濃度水素水」である。「水素水って今流行ってて、結構いいんですよ。ウチではカミさんがハマってしまい、サーバー買っちゃいました」「へーえ、ただの水素が入ってる水?そんなの何に効くんですか?」「酒をしたり激しい運動したりすると活性酸素が身体を傷めるというでしょ?水素がその酸素と反応して無害な水にしてくれるようなんです」「ぎゃーっはっはは!ドクさん、そんなのホントに信じてんの?カラダの中で水素と酸素が反応して水が生成?そんなの絶対『やられ』てますって。爆発するようなもんでしょ?」「でもねえ、結構調子いいんですよ。。。疲れも取れやすいし」これまで数多くの高密度な栄養サプリに「やられて」きた私は当初からハナで笑っていた。しかしこれまでの「ジンクピリチオン効果」を狙った健康成分とは全く逆の発想だ。水素なんて誰でも知っている自然界最小の物質でどう考えても、それ自体は何の効能ももたらしそうもないが、ネットで色々調べるとどうやら「活性酸素と結合して無害化する」というのはホントの現象らしい。

成分名の奇抜さに惹かれるのとは反対に誰でも知っている単純な元素なだけに効能が謳われるとやけに説得力があり、私はいつもの通りみるみるその気になってしまった。タイミングがいいのか悪いのか、通っているスポーツクラブでは「期間限定!水素水オプション会員」キャンペーン中だった。「業界第一位の高濃度水素水!10月中に登録すれば2ヶ月間使用料は無料」というポスターにふらふらと受付に行き「あのーぅ、、水素水オプションを登録してもサーバー使えるのは施設利用時間だけですか?」私は平日の夜だけ利用できる「安い」会員種別だから水素水を取得できる回数が限られるとあまりお得な気がしない。しかしいつもの受付のお姉さんは「大丈夫ですよ磯辺さん、水素水だけならいつでもご利用できますよ。会社前に容器に入れていく会員様も結構いらっしゃるんですよ」私は即決、手続きに踏み切った。買うと1600円もする専用の特殊容器をもらって早速使い方を教わったのである。水素は一番軽い分子であるだけに水に溶け込んでも空気中にどんどん逃げて行ってしまうので、飲むたびに口を開けても真空に近い状態を維持できる特殊な容器が必要というのである。

    

ドグによると活性酸素を中和する効果の出るのは1.0ppm以上の濃度が必要だが、この最新のサーバで得られる水素水の濃度は何と2倍以上の2.5ppm!業界最高と言われる所以である。ちなみに彼の家庭用サーバーは1.5ppm以上、市販のボトルの濃度は0.6~0.8ppm程度であまり果は期待できないそうだ。その気になると山本リンダさん風に「どうにも止まらない」私は、早速早朝から出勤前にスポーツクラブに立ち寄り、専用容器と金属ボトル2杯分の水素水を毎日マメに汲み取っていた。金属ボトルは通勤列車内で飲み、専用容器はデスクに置いてちびちびとやるのである。今は会議においてもペットボトル持参の出席者が多いので私は堂々と「H2Bag」と書かれた容器をテーブル上に置いている。(時々怪訝な顔をされることもある)

  

業界一番の「高濃度」と言えども所詮は分子量最小の水素である。珍しく納得して気長に効果を待つことにしていた。ネット上でも実は賛否所説あったが、あまり気にはならなかった。ジンクピリチオンとは逆に馴染みの深い元素だからだろう。ある日の昼休み、水素水についての効能についてサイトを眺めていると「活性酸素の中和効果」について記述があった。これによると「人間が1日に取り入れる酸素はおよそ500リットル以上、その2%が活性酸素として体内に生成される・・・」すなわち10リットルである。これを見た私は電撃的に机から紙と鉛筆と電卓を出して、「ガリレオ」の○山雅治のように数式を書きだし始めた。単なる掛け算割り算だけど・・・

物理化学を選択した者なら習ったが標準気体(25℃1気圧)1モルの体積はどれも24.8.L、つまり10リットルの活性酸素が気体と仮定すると10/24.8×6.02E-23(アボガドロ数)個の分子が細胞内にあるはずである。一方、水素水サーバのパンフレットには200mlの水素水には1.9兆の1000万倍の水素分子が含まれるとされている。平均濃度1.9ppmという数値から検算すると概ね正しいと思われる(当たり前か!)。酸素分子1個中和(水を生成する)のに水素分子2個必要だから、1リットルの水素水を飲んで中和できる活性酸素分子は概ね0.2%ということになる。活性酸素は過剰になるとよくないが、殺菌など身体に必要なものでもあるから、この数値というのはまあまあ「やられてはいない」と思われる。(どこかに落とし穴があるかもしれないけど)実は私がこの水素サプリに期待するのは活性酸素の中和そのものではなく、不足しがちになる水の補給を大事に考えるようになることである。

  

ついでに言うなら汗に含まれる塩分は汗のでる要因にもよるようだが、概ね0.7%程度、つまり1リットルの汗を流すと7gの塩分が排出されるので、これを水素水で補給すれば活性酸素中和に加え塩分排出といういかにも私好みの「一石二鳥」作戦が成立するわけだ。思い起せば活性酸素は激しい運動、痛飲、紫外線、食品添加物など毒素により多く発生すると言われており、こう聞くとまさしく私の体内は活性酸素生成工場のようなものである。ジムで運動中に水素水、波乗りの休憩で水素水、おやつや飲み会でもマメに水素水を補給・・・待てよ、飲む時にそもそも水素水で割ればいいじゃんか。。。とすると焼酎や日本酒では味気ないし炭酸は無理だから、やっぱりウィスキーがバーボンか。明らかに「違うだろ!」と裏拳で突っ込まれそうだが、一応念のために実証実験のみやってみるとするか。

鎌倉で新たな趣味を

2016-11-13 19:00:17 | ホビー
久里浜を訪れた時に書いたように我が家から「鎌倉」という土地は近いようで遠い。確かに距離はわずかなのだが、自家用車で行くと初めから終わりまでほぼ渋滞でしかも駐車場がすぐに見つからない。かと言って最寄り駅から電車で行こうとするとかなりな「大回り」になり面倒くさい。天気が良ければサイクリングがてらチャリで海岸を疾走というのもありなんだが、歩道が狭く渋滞の横をすり抜けるのが意外に煩わしい。特に海岸は風が強いことがしばしばあるので、往復のどちらかがえらく往生することもあるし、そもそも鎌倉の街中はいつ行っても人が多すぎて自転車など邪魔でしょうがない。よってよほど陽気がよく、目的がはっきりしていないと足が向かず、いいとこ年に数度というところである。涼しい季節が一気に去り、晴れているがもひはや海上は北風に耐え難くなってきた週末、以前から予定はいていたのだが、久々に妻と鎌倉を訪れることとなった。

天気が良かったから江ノ島までチャリで行って洲鼻通り経由で江ノ電江ノ島駅から鎌倉に向かうことにしたのだ。海岸サイクリングと江ノ電途中下車の旅、鎌倉街歩きができる。今回の彼女の目当ては「何とか言う有名な薬膳?カレー店でランチ」「パワースポット杉本寺詣り」「鳩サブレ(豊島屋)本店でしか買えないお友達用の土産」というところのようだ。そして私のほうはというとズバリ「御朱印帳」である。「北の国」訪問の際、意見交換会で趣味の話題になった時、「御朱印集めが趣味」という苫小牧の揚げ物屋を推してくれた女史がいたことは既に書いた。実はその時からずーっと気になっていたのである。私はそれほど神社仏閣を回って歩くほど好きではないし造詣もないが、仕事や旅行であちこち出かけると近くにあるパワースポットなどには大抵足を運ぶ。これまでは何かと妻や息子甘辛向けに御守りなどを買って帰ってきたのだが、やたらに増えてしまい家の中に溢れかえっている。

また運転を止めて行動範囲がめっきり小さくなった老母を連れだってのお出掛けはあまりアクティブなことができない(その割にはよく歩かせるが)だけに花や神社仏閣、景色を見て回ることが多い。振り返ると伊豆や房総、相模の国の宮などかなりな神社仏閣を巡ってきた。御朱印帳にすれば記念にもなるし集めて回るというのは中々よい趣味と思う。「なぜ今まで気が付かなかったのか?」とも思えるくらいである。苫小牧のK女史は「鎌倉は2度訪れたが2度とも御朱印帳を忘れてしまった」と残念そうに言っていたから、次に「北の国」を訪れる時までに自分が始めるきっかけとして、試しに何かお土産にしてやろうかとも考えた。しかしそもそも御朱印は寺では写経を納めた証に頂くものだったそうだが、参拝の証には違いないので、スタンプラリーのように代わりに行ってもらってきたあげるというのはNGのようだった。

まずは御朱印を書いてもらう御朱印帳を手に入れなければならない。これは神社仏閣にもあるし、街中のお店でも販売している。鎌倉と言えば最も有名なのは鶴岡八幡宮だが、全国的にはもっと有名で格式高そうなところもあるし、何かありきたりな気がしていた。今は「御朱印ガール」という言葉があるほど御朱印集めは流行っているようで、頂ける社務所窓口には結構長い行列ができていた。私は色々考えて、御朱印は妻と合わせて一冊とし、それぞれが出先でもらえる機会がある時に持って行くことにした。そしてそれから訪れる鎌倉最古の「杉本寺」で御朱印帳を求めることにしたのである。しばしば我が家に救いと発見をもたらしてくれたヒーリングの先生のお薦めで「新しいことを始める時に詣でるとよい」と言われた御縁があり、妻にとってはそれ以来訪れると御加護を感じているようで記念すべき我が家の台帳とし御朱印第一号として相応しいような気がしたのだ。

午前中出発して江ノ島まではチャリで20分程度、片瀬江ノ島駅の駐輪場に置いて洲鼻通りを歩き江ノ電江ノ島駅まではぶらぶら歩くと15分くらいである。時間的には江ノ島駅で降りて弁天橋方面に向かう観光客が圧倒的に多いので、少し苦笑しながら流れに逆行して歩くようだった。江ノ電はTUBEに「夏だけやけに混む」と歌われたのは昔の話で、今はいつ乗っても混んでいる。。。鎌倉までは約20分余り、路面電車になったり海辺を134号と並走したり、窓から手を伸ばすと民家の洗濯物に手が届きそうな住宅地すれすれだったり、中々面白いコースである。鎌倉駅の車止めにあった「かえる」は結構有名で、季節によって模様替えしているそうだ。ちょうど昼御飯の時間だったのでお目当ての「オクシモロン」というカレー店に向かった。「珊瑚礁」や「キャラウェイ」とは違う雰囲気で独特なパクチーやオオバなどをふんだんに使用する薬膳風のカレーで、雑貨や焼き菓子も販売しているようだった。

  

小町通りを過ぎるとまずは鶴岡八幡宮参拝である。ちょうど神前結婚式を執り行うところで、本宮下の「舞殿」で多くの参拝客に取り巻かれていた。外国人観光客には絶好の記念シーンだったようで周囲の人たちからも祝福の掛け声が飛び中々よいものである。台風で折れてしまったという「大銀杏」はちょろちょろだったヒコバエが何と2メートル近くにも成長し、親の大木が見守っているような姿だった。我々はお参りを済ませ、「流鏑馬」の時に馬が駆け抜けるコースを歩いて杉本寺に向かった。正面の苔むした味わいのある石段は以前上れたのだが今は(安全上の問題からか)閉鎖されてしまっている。茅葺屋根の本堂には左回りに多くの十一面観音があり、奥の秘仏本尊は国宝級(重要文化財)で同様の像がある国宝殿では普段拝観できないレベルのものだという。3体ならんだ一番奥で手を合わせると妻は不思議と身体が楽になり霊験あらたかだという。ここで御朱印帳を購入し記念すべき第一号御朱印を書いてもらった。

        

            

鎌倉はいわば御朱印の宝庫だから、ロッテ時代の落合選手のようにシーズン終わり頃に固め打ちして三冠王というわけではないが、一つだけだはさすがに寂しいのでせっかくだから帰り路にいくつか寄っていくことにした。最初に立ち寄ったのは荏柄神社である。あまり聞いたことがなかったのだが、福岡市の太宰府天満宮、京都市の北野天満宮とともに日本三天神に数えられる神社だそうだ。2回の受験を経験した息子甘辛だったが、「私利のために祈念しない」主義の私は合格祈願といったことをしたことがなく、湯島や北野天満宮では「勉強せいよ」という意味を込めて鉛筆を購入して帰った。神頼みはしてないが、結果は出してくれたので少し遅れて「お礼詣り」をするつもりだった。妻はお友達家族で来年受験を迎える甘辛の幼馴染でもあるお子さんのために絵馬を書いていた。「(ま、「私利ではないからな・・・)」見るとたくさんの絵馬が掛けられており、社務所ではたくさんの種類の合格守や鉢巻があった。受験当日早朝祈祷というのがあるのには驚いた。

  

荏柄神社を後にして足を向けたのがちょっとマイナーだが「鎌倉宮」である。以前徳光さんらがバスで鎌倉湘南を旅していた番組で紹介され、行ってみたいと思っていた。建武中興の功のあった護良親王(大塔宮)を祀ったもので、宮の御意思に熱い思慕のあった明治天皇が建立したものだそうだ。鎌倉幕府を倒したまでは良かったが、足利幕府勃興にまつわる暗い事件の中で確か護良親王はかなり悲惨な最期を遂げる。そのせいかどうか分からぬが鎌倉宮には「身を守る」とか「身代わり」「厄払い」のような事柄が多い。自分や他人の悪いところを治すための撫で身代わり様、厄払いを念じて息を吹きかけ杯を投げつけて割る「厄割り石」。ここでは顎鬚のサーファっぽい係の男性に御朱印を書いてもらった。

        

陽は落ちかけ、少し急いで鶴岡八幡宮に戻ったが、御朱印所には前よりも多くの人たちが列を作っていたので今回は諦めた。若宮大路で何軒か面白そうな店を物色し鳩サブレの豊島屋でお土産を探す頃にはかなり薄暗くなっていた。乗り降り自由の切符を買っていたのだが残念ながら今回はそのまま江ノ島に戻ることにしたのである。風が強まっていたが「夕焼け見ながらビールでも飲むか」とコンビニで飲み物とつまみを買い込みいよいよ沈もうとしている相模湾を眺めた。江ノ島の上には三日月と宵の明星があり西には富士山が聳えている。我が家に七里ガ浜や鎌高あたりから江ノ島と江ノ電を書いた絵があり、今回チャンスがあれば途中下車してその場所から写真を撮ってみたかったのだが、こういう夕方もかなり絵になると思ったのだった。

      

今回の鎌倉歩きで私の趣味に新たに「御朱印」という新たなジャンルが登場した。母にこの話をすると想定通りすぐに「なるほどねえ」とノッてきた。「我が家の御縁は寒川だからまずは相模一宮から順番に集めよう」翌週、早速寒川神社に行って母が購入した御朱印帳はかなり格調高く内心「こっちの方が良かったかな」と思ったものだ。私のサーフィンシーズンもそろそろ店じまいを迎える時期となり、これからはしばらく相模の宮を巡ることになろう。仕事の合間に近い予定では駿河国もそして王城鎮護の地もゲリラで走りたいと思う。このサイトでの「お出掛けジャンル」には頻繁に登場することになるだろう。結構いいものだから興味のある人にはお薦めしたい。

  

ファイナルな出来事

2016-11-09 22:30:26 | 出来事
前回のタイトルは「オクト・オーバー150」にすべきだった。最後の追い込みには翌日とともに多少の話題があったのだが、字数が多すぎたので2分割したのだ。このため時間軸には多少の重なりがあるがスルーしてほしい。話は妻が代理RUNしてくれるというので、骨休めに近所の川に釣りに出かけるところに戻る。天気は良かったので上州屋に行って、アオイソメ「オレンジゴールド」といういかにも釣れそうな気のするゴージャスなエサと「ボウズ逃れ」という「(このネーミングやめてほしい)」という仕掛けを買い込んだ。だいぶ陽が傾きかけていたが、夕間詰め時はよく魚が釣れるという。3本針のボウズ逃れにゴールドイソメを付けてちょいと投げるといきなり15cmくらいのハゼが食ってきた。暇つぶしのつもりだったが、中々幸先のよいことだった。

その後10分ごとにポツポツ釣れていたが、30分ほどたって「ガツンっ」というアタリと共にすごい引きで竿が大きくしなりこんだのである。「ちょっ、ちょっ・・・こりゃー、もしかして。。。」エサを川底に完全に沈めない仕掛けだったからちょっと嫌な予感がしたのだが、この重さはどう考えても・・・25cmくらいのセイゴ(小さいスズキ)は何度も釣れたことがあるから、「スズキ」であることを期待したのだが、残念ながら最初の予感通り大きな「ボラ」だった。。。食えないわけではないが、この辺のボラは泥臭く釣り人には嫌われ者である。周辺の見物客に見られると「あーあ」と驚嘆と憐みの混じった溜息をつかれるてしまう。片手で持てないほど丸々太っている60cmくらいあるボラでナマズのような大きな口がかなりグロテスクだった。ハリを外すのに暴れて一苦労したが、仕掛けごと巻きついていたのをようやく外したらドボンと川に落ちてしまった。2,3回水面から飛び跳ねたと思ったら,、すぐそこに白い腹を見せてひっくり返り漂流状態になってしまった。「まずいな。陸上で長く暴れたから力尽きちゃったのかな」心配してのぞいているとしばらくして、復活して川底の方に泳いで姿を消して行った。

5匹ほどハゼが釣れたところで、だいぶ薄暗くなってきたがそろそろ走っているはずの妻の姿はまだ見えない。「もう1匹釣れれば一人2匹ずつおかずになるな」だんだん糸とハリが見えにくくなってきたのを堪えて竿を出していたら、びびっとあまり大きくないアタリがきた。「よしっ」すばやく合わせてリールで道糸を巻きあげると黒い姿をした魚が水面から上がってきた。「これで6匹目と・・・って、うわぁっ」魚を掴んでハリを外そうとした私は慌てて手を引っ込めた。黒っぽい魚はハゼに見えたのだが「ゴンズイ」だったのである。この魚は背中に毒のあるトゲがあり、刺されると猛烈に痛む海辺ではかなり危険な魚である。仕方なく魚に触らないように口のすぐそばでハリスを切って逃がしてやった。(ハリがついたままで可哀そうだったが)「晩御飯のおかずにもう1匹釣れねえかな」もうかなり暗くなっても粘っていると、たて続けに2、3回アタリがきたのだが、今度はどれもフグだった。

上の方から自転車のおじさんが声をかけてきた。「ハゼですか?釣れてますか?」「うーん、5匹ばかりですねえ」「そりゃ、すごい!ボクさっきまで向こうの河口近くで釣ってたんですが、フグばっかだったんですよ」「その群れ、こっちに来てるかもしれませんよ。急にフグのオンパレードになっちゃいまして、帰ろうかと思ってたところなんです」もう手元でエサを付けられなくなるくらい暗くなってからようやく妻がやってきた。走り切ってから交代に来るように言ったのに、これから海辺を江ノ島まで走ると言う。確かに行って帰ってくれば距離にして約5km、私は「やれやれ、あと30分ほど続けるか・・・」と竿と道具を3メートルほどの高さのある護岸壁から引き揚げ、街頭の灯りのある道路側から仕掛けを投げ入れた。何度かエサを新しく付け替えて投げ入れたが、しばらくはピクリとも反応がしなくなってしまった。「この川はホント、色んな魚が釣れるなあ」完全に日が落ちた後、この川沿いのコースは予想外にジョギングランナーが多いことに気が付いた。皆、走りながらハゼの泳いでいる私のバケツをのぞいていく。

そろそろ妻が走り出して30分過ぎるので、ストレッチを始めていると久々に竿先が「びびびーっ」としなっている。慌ててアワせてリールを巻き始めると結構重いしさっきのボラとも違う引きである。「(夜だから今度こそセイゴかな)」と思って慎重に巻き上げると、一度は見たことのある「長—い生き物」だった。「うっそぉ、マジか?!」大きさも太さも前とほぼ同じ、まさしく「ウナ吉2世」である。置き竿にしていたからハリを飲み込んでしまい、引き上げるときに護岸のコンクリの角にぶつけたのかヌルヌルの身体が血にまみれてしまっていた。それでもすごい勢いで暴れ、手からもスルスルと滑り抜け、「わわわーっ」と悪戦苦闘しているところに妻が帰ってきた。「それ、もしかしてウナギ?」「うん、ハリ飲み込んじゃったんだけど、飼えるかな」「ダメだよ、また出てきちゃったら大変でしょ?」初代ウナ吉が水槽の網をすり抜けて外で干乾びた世にも哀れな姿を見た妻は即座に却下した。「ハリ飲んじゃったから長く生きられないかなー。持って帰って食べるか」そのままバトンタッチして走り始めるつもりだったのだが、バケツに魚を入れたまま家まで歩いて一旦帰ることにした。

      

「大丈夫かい?ウナギなんか捌けるのか?」妻はアナゴを下したことがあるので大丈夫だそうで、キッチンの片づけ準備があるから、取りあえず走ってこいと言う。「玄関の洗面器にいるからな」私は取り敢えず腰に巻いたスマホのアプリを起動して走り始めたのだった。「それにしてもオレンジゴールド(アオイソメの一種)恐るべし!こんなに多彩に釣れるとは!?」トドメがウナ吉2世だったが、一方で何やら気がかりでしょうがなかった。確かウナギを捌く時は千枚通しのようなモノで「ドンっ」と頭をまな板に刺し貫いて固定し、真横に「ばばばーっ」と開くのをテレビ番組で見たことがある。我が家にそんなものは無いし、暴れて怪我でもされたら大変だ。午前中10km走っているので身体はかなりガタガタだったのだが、走っているうちにだんだん心配になってきてスピードが上がり、ゴールした時はこれまでの最速記録となっていた。玄関を開けてキッチンに行くと、今まさに魚を下そうとしている時だった。どの魚もまだ元気に泳いでおり「動き回って魚の頭、落としにくいのよね」と言うからまずハゼの頭を全部落としてやった。ウナギは手で持てないので、キッチンはさみでそーっと頭に近づき、「バチンっ」と刃を入れたら頭が半分落ちて動かなくなった。安心してゆっくり風呂に入って、酎ハイ缶を片手にリビングに座ると、ちょうどハゼの天ぷらとウナギのシロ焼が出てくるところだった。だいぶ小さくなってしまっているが、見事にウナギのシロ焼に見える。ウナギの生命力というのは大したもので、頭を落とした後も身体はずーっとグネグネと巻きついて暴れ回り、背開きにして骨を取ってしまってもまだ動いていたという。しかしウナギを捌いて焼くとは妻の腕も大したものだと思う。

      

「おーっ、こりゃまさしくウナギじゃねえか」未明まで遊んでおり、半日近く昼寝していた甘辛も感心していた。無事オクトーバーランは目標を大きく上回る150kmをクリア、クーポンを3枚GETした。「走り過ぎて疲れたが、これで精をつけろというオチか・・・」翌日のオクトーバーファイナルデーは言わずと知れた「ハロウィーン」、土日からして街中はおどろおどろしいメークをした若者が巷に溢れかえっている。私は杜の都で若手の発表会を聴く予定だったが、前述のように懇親会では「何か用意せよ」と言っておいた。乾杯してしばらく歓談するといそいそと若手がハロウィンコスを取り出し、歌や踊りでおおいに場を盛り上げてくれた。おっさんばかりで「どうしたもんじゃろ?」と思っていたが、誰にでも変身願望というのはあるのだろうか、コスプレというのは心躍るものだ。気が付いたら一番大がかりなコスをむしり取って大騒ぎしている自分がいた。オクトーバーのファイナルを飾るお化け(真ん中は何のコスだったけかな)3人衆となったのである。

    

オクトーバー150

2016-11-06 07:06:41 | スポーツ・健康
2回ほどこのサイトでも紹介したが、先月は「オクトーバーラン」というプログラムで暇さえあれば走り続けたひと月だった。「期間限定ならば人間かなり頑張れる」という持論のもとに、土休日や平日帰宅後なども近所をひたすら走り回り、通勤・外出時もマメにアプリを起動して走行(歩きもあり)距離を稼いだものだ。先般書いたよに前半で70kmを通過し目標である100kmはほぼ確実と思われた。しかし月の後半に至って支笏湖やら杜の都やらに宿泊で出張することが重なり、少し失速気味になってしまい、4週目の週末、この期間唯一の公式マラソン大会である「茅ヶ崎サザンビーチマラソン」でようやく通算100kmを走破したのだった。小さな大会だったが、「アースランクラブ」という「身近な自然環境を走ることでスポーツと地域活動、そして走ることが社会貢献につながる草の根イベント」を開催する団体の開催するもので、小学生から参加できる「浜で小運動会」やビーチラン、ドリブルラン、ドッグランなど家族でも楽しめるイベントだった。

登録料の割にはそこそこ景品がよく、しかもペアRUNで申し込めば割安にもなるようだったので、妻と二人でエントリーしておいたのだが、2週間前くらいから妻が「腰が痛い」と言い出して出場が危ぶまれてしまった。ペアエントリーだから距離は5kmにしておいたが、全く走る練習をしていない様子で、「こりゃ、オレ一人で走るようかな・・・」と内心諦めかけていた。(実は後から知ったのだが、ペアRUNは二人で走らないと成立しないルールだったのである)前日まで「どうしようかな」と言っていたが、当日は天気もよく、走る気にはなってくれたようだった。サザンビーチまではチャリで25分くらい、受付時間の混雑を見越して早く着き過ぎてしまい、浜辺で記念写真を撮ったり、ハーフキス釣り船やウィリー五目船などで烏帽子岩周辺に向かった漁港で釣り人の釣果を偵察したりして時間をつぶした。「一緒に走れないから先に行って」という妻をスタート2分で置き去りにし、コースとなっているサイクングロードを江ノ島方面に向かったのだった。(実は二人揃ってゴールしなければならず、後で叱られる羽目となる)

      

サザンビーチから江ノ島やその反対方面というのは私が子供の頃からサイクリングロードというのができており、最近練習に海辺を走ったりすると色んな「通行人」が多いことに気付く。「湘南マラソン」のように車道を規制して大会専用にしたりしていないから(そういうレースも多数ある)出場者以外にたくさんの人がいる。個人で走っているランナーもいれば、自転車の横にサーフボードを付けてポイントを探すサーファーもいる。今や超危険生物と化した「トイプー」の散歩をしている人もいれば、夫婦仲良く散歩している老夫婦(いずれはかくありたいものだ)もいる。レース中で言うとこの人たちの邪魔にならないように避けて走らなければならないのがちょっと辛いが、江ノ島と烏帽子岩を視野に収めて走るなんてコースは中々ないと思うのでマイナーな割にはお薦め大会だと思った。ただいつも出ている大きな大会のイメージは粉砕され、「地元のビーチクリーン」集会がそのままマラソンした、なんていう感じを受けた。「C」のモニュメントはいつの間にかできていたが茅ケ崎を表すシンボルなんだそうだ。

      

「たかだか30分でしょ?」折り返し点からしばらくして後から来た妻とすれ違いざまにハイタッチし、その後も幸いに大きな故障もなく妻もゴールすることができた。ちょうどこのレースで目標である100kmをクリアすると、最終週は俄然気分的に盛り上がり、早朝ランなど入れたりスポーツクラブに行っても着替えて外周を走り回ったり(GPSを使うのでランニングマシンでは測定できない)して距離を稼ぎ、最後の週末時点で118.7kmまで辿り着いた。しかしオクトーバーは残り3日、ずいぶん中途半端なラストスパートとなってしまった。。。クーポン券は50km走るごとに発行される。つまりもう1枚GETするには残り3日間で30km以上走らなければならぬ。しかも月末は平日で杜の都へ日帰り出張、「懇親会でハロウィンやろうぜ」と息巻いていた手前、さっさと帰るわけにもいかない。土曜日は先般紹介した「くりはま花の国」に訪れたのだが、午前中で帰宅したのでその後着替え、海辺と我が家の周辺を果敢に走り、お友達との立話中に私を見つけた妻たちに脇目も振らず12km余りを稼いだ。「あんたのご主人、相変わらずアグレッシブね。奥さんに手を振るだけで立ち止まりもしないなんて・・・」実は二人に声を掛けられたのは10km余り走ってきた後で、あの地点で立ち話などしたら二度と走りだせない状態だったのである。

そして翌日午前中早いうちにもう10km走って貯金したところで遂に足が動かなくなってしまった。「くそぅっ、あと10kmで150kmになるのに・・・」昼飯をとって夕方くらいに歩くスピードでもいいから何とかもう10kmくらい走れないかとストレッチを始めた私を見て天の声のようなものを聞いた。「アタシがそれ持って夕方5キロ走ったげよっか?」ズルはズルなのでちょっと気が引けたが、腰が痛いはずなのにそう言ってくれる妻がありがたかったし、走ってることに変わりはないから、この提案に甘えることにした。昼間やることが色々あり、夕方になってしまうそうだから、先に彼女が走り私とバトンタッチし私は最後のエネルギーでもう5km走ることにしたのである。ただ同じ日に二度も(私にとっては長距離を)走ったことがないので、何もせずにひたすら走るのはたぶん耐えられないだろうと思い、近くの川に竿を出しながら周辺を走り回ることを思いつき、妻に自分の分を走り切ったら川沿いまで来てもらうように頼んだ。釣り場を中心にから上流下流の橋を回って一周走ると推定500メートル、アタリを待つ間を走り回ればよいと考えたわけである。

渡しておいた私のスマホを腰に巻き、妻が釣り場にやってきた時は陽が落ちて辺りが真っ暗になりかけていた。しかもこれから江ノ島方面に走りに行くという。。。「(ちょっと想定より遅えよな・・・)」と思いつつもせっかく協力を申し出てくれた彼女の好意を無碍にできず見送るしかなかった。でも江ノ島まで往復すれば推定5km以上、通算走行距離は145kmとなり、いよいよ最後の5kmを何とかすればよいことになる。約30分ほどして約束通り妻は江ノ島往復ランしてきたようで(これにはかなり感謝!)、その後(ちょっと色々あったが)私はヘロヘロになりながらも予定距離を走り切り、ついに走行距離150kmに到達したのである。30日コミットメントに換算すると1日平均5kmのジョギング・・・目的(と言うよりは走った先で何をするか)のない走りを最も苦手とする私にとって我ながら快挙である。「人間、期間限定が分かっておればかなり頑張れる」とうのを身をもって体験した。(私の場合ラストスパートは「雪崩をうつ」という言葉が相応しかった)
実はオクトーバーのファイナルを迎えるにあたってまだちょっと話題があるのだが、またまた字数が嵩んでしまったのでいずれ書くことにしよう。

    

秋桜とペリーの公園

2016-11-03 08:36:47 | 旅行お出かけ
知人に季節の花の先頃を見事につかまえてタイムリーにレポートする人がおり、某SNSサイトを見て「なるほど今はこの花が見頃のシーズンなのか?!」花の種類や開花時期に疎い私はこの記事で情報を仕入れ、母を連れ回すことも多くなった。地元周辺の情報なので、休みの日に半日ほど費やして、さーっと行ってみることができて随分名所を覚えることができた。数週間前、その知人が巨大なゴジラと共に写っていた。100万本と言われるコスモスが咲き乱れる壮大な公園で「くりはま花の国」の中にある公園だそうだ。以前テレビニュースで取り上げられたのを見たことがあり、シーズンになったら一度訪れてみたいと思っていたところだが、まさかゴジラがあるとは知らなかった。これはちょうどその時製作中だった対ゴジラ攻撃用兵器「スーパーXⅡ」(ゴジラ対ビオランテ)を持って特撮ロケに行かねばなるまい。9月に入ってから「コスモスまつり」が10月末まで開催され、最終日には無料花摘み大会になるという。10月後半に向けて咲き乱れるようだったので、まつりの終わる少し前に訪れることにした。

我が家から「くりはま花の国」は一番近道で40km弱、自家用車で1時間余りのルートなんだが、三浦半島方面は普段あまり足を運ぶことが少ない。海岸線から横横道路経由でほぼ直線コースなのだが、腰越から材木座海岸くらいまでは万年渋滞ルートで、日中帯はいつ走ってもほぼ上下線でノロノロ運転である。鎌倉くらいだったら江ノ電もあるし、陽気が良ければチャリでそのまま走って行ってもよい。しかしそれより遠くなると格段に足が遠のき、昨年1年間を見ても自家用車で横須賀・久里浜方面に行った記憶がない。列車での移動を入れても、前職の拠点を訪問した時と海上自衛隊横須賀基地から出航した観艦式の時くらいのものだ。「多くの人が訪れる時間の前に行って、皆が来るころには帰ろう」こういう時、年老いた母親とはいつもほぼ「開場と同時に入る」ようにしている。駐車場待ちや路駐難民になりたくないし、歩く足の遅い年寄には混雑時に歩き回るのは大変だからである。朝はそこそこ早く出発し、ギリギリに時間で134号線の渋滞に巻き込まれずに済んだ。公園は24時間無料で入場可能だが、駐車場の営業は8時から、少し過ぎに到着した時はさすがにほとんど園内を歩く人はいなかった。

広大なコスモス畑でさすが100万本とは迫力がある。赤白ピンクの花が見事に咲き乱れているが、全体的に密度が高くなく、若干枯れてしまっているものもあり、少しだけ遅かったのか全体的にぽやーっとした雰囲気だ。しかし園内の案内は「見頃」となっており、撮影ポイントからファインダー越しに見るとやはりいい時期なのだろうと思う。時間が早いので太陽がそれほど高くなかったが、コスモスは太陽に向かって咲くのか、花びらがちょうど太陽が昇ってきた方向を向いているようだ。コスモス畑は上から見下ろすと、扇形をしておりところどころ畑の中を歩き回る路ができている。ちょっと海岸方面から強い風が吹き上げているようだったが、見渡す限りのコスモスを楽しむことができた。駐車場からエントランスを経てコスモス畑は全体的になだらかな登り坂になっており一周するだけでも結構な距離を歩き回ることになるが、高齢の割に「スポーツクラブ」まで歩いて往復する母は平気らしい。「この上にちょっと行きたいところがあるうんだけど階段登れる?」私は手すりは付いているがちょっと急な階段を指さして聞いた。

          

ゆっくり階段を上り切り園内の案内を見ると冒険ランドまでは70m、私はホッとして歩き続けた。しばらくすると特撮で使用するにも巨大すぎるゴジラが現れた。これはすごい!大きさ数メートルくらいはある。母親も珍しがって周囲をぐるぐる回って写真を撮り始めた。一応、子供の遊び場となっており、後部の尻尾の部分は滑り台になっているが、いい年をしたおっさんと老人がぐるぐる回ってカメラをパチパチやっているのはちょっと異様な光景だったかもしれない。私は持参したプラモをそーっとバッグから取り出した。先日完成した「スーパーXⅡ」をカバー袋から取り出した。ゴジラの熱線に初めて耐えた陸上自衛隊の「首都防衛戦闘機」と言われた先代のスーパーXから進化した兵器で、ボディには先代の2倍の耐熱性を持つTA32という超耐熱合金が使用され、遠隔操作で飛行し潜航することもできる。攻撃兵器としての目玉はゴジラの熱線を正面で受け止め反射させて打ち返す「ファイヤーミラー」である。今のプラモは実に精巧にできており、設計図通りに基盤から外し丁寧にバリをとって向きを間違わなければ寸分の隙間もなく出来上がるもので、ファイヤーミラーも見事に展開できる構造になっていたが、あろうことかど真ん中の肝心な接合部を接着剤で固定してしまい痛恨にも開かなくなってしまっている。

      

「この角度で持っているから、手が入らないように、でもゴジラの頭が入るように撮って」スーパーXⅡはもちろん、超兵器203号のシャッターボタンも分からず困っている母親に容赦なく注文をつけ、腕がツリそうになっても何回も取り直させてようやく特撮っぽい画像にすることができた。距離が全然違うので片方が自動焦点に合わすともう片方がピンボケしてします。こういう時はマニュアルにして絞りをうんと絞れば焦点深度が深くなると読んだ記憶があったが、曖昧だったため構わずに試行錯誤を繰り返した。知人が投稿したのは自分がゴジラに襲われているようなシーンだったが、両方にピントがあっており、ずいぶん上手に撮ったものだ。「遊びに来た子供の邪魔にならないように早い時間に」などと言われていたが、子供など一人もやってこない・・・後ろ側が滑り台になっているが、頭のてっぺんから滑れるのならともかく、足の付け根からのショボイものだから滑り降りてもあまり楽しくなさそうだ。ゴジラがあまりにリアル過ぎて小さな子供だったら怖がって近寄らないかもしれない。中途半端な遊具にするくらいなら、もっと完璧なゴジラ像にすれば良かったのにと若干悔やまれるものだった。

            

ゴジラまでは階段含みひたすら上りルートだったのだが、帰りは緩やかな小道を目の前一杯に広がるコスモス畑を楽しみながら歩き降りることができた。園内の施設や店も開店準備が始まり、畑内にも写真を撮る人たちがちらほら現れた。そんなに激混みするとは思えなかったのだが駐車場は半分以上埋まっていた。お土産店が開く前にこの調子だと昼間になったらかなり賑わうのかもしれない。「人が来る前に歩き回り、人が来る頃には帰る」スタイルが当たったようだった。「もう一つ、たぶんマイナーな所だけどすぐだから行ってみよう」私は赤いライオン号のカーナビを新しい場所にセットした。「くりはま花の国」のHPを開けると必ずセットでついてくる「ペリー公園」である。位置はかなり海辺の方になるが、距離にして1.5km、数分で到着してしまった。中心部のペリー提督の上陸記念碑がシンボルになっている。碑文の「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」は伊藤博文の筆によるものだそうだ。隅っこの方にペリー記念館という小さな洋館があり、中に入ってみた。「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」歴史の教科書にあった通りだが、小夏師匠が長崎でその詳細模型の姿を写真に収めた帰還「サスケハナ号」をはじめ4隻の軍艦のジオラマがあった。

              

2階は資料展示室となっており、ユニークな瓦版風の新聞記事や巨大なペリー提督の胸像が目を引いた。江戸時代末期の1853年7月、ペリー提督率いる東インド艦隊の4隻が、東京湾の入り口にあたる浦賀水道に現れる。いわゆる「黒船の来航」であり、その後の開国、明治維新に至る歴史の大きな転換点になった出来事とされている。その当時は吉田松陰や佐久間象山をはじめとした知識人、その他多数の武士、庶民が見物に訪れたという浦賀周辺だが、最初に上陸したのは久里浜だったのである。のどかな砂浜が広がる海岸だが、黒鋼の蒸気船を見て狼狽え騒ぐかと思いきや、意外にも結構楽しんでいたようで、小船で船に近づき物々交換でタバコなどをゲットした庶民もいたというから面白い。中学で歴史の教師が「ペリーの日記には『日本人は頭にピストルを乗せている』とある」といい、ネタだと思って誰も信じていなかったが、どうやらホントの話らしい。。。三浦半島にはカワハギ釣りくらいでこれまであまり足を運ばなかったが、面白いところがたくさんあるようだ。今回は久里浜を訪れたが、次回(いつになるか分からぬが)は海軍の街、横須賀あたりもレポートしようと思う。