超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

秘密基地大作戦 in 二子玉川

2012-04-29 11:32:40 | ホビー
大型連休初日、珍しく息子甘辛はオフで行きたいところがあるという。場所は二子玉川・・・実に懐かしいところだ。東急線が乗り入れていて、大学生活後半に分家から本家の講義を受けにくるときに乗り換え駅となったのである。むろん途中下車したことも何度もあるし、河川敷にたくさんのグランドがあるから、サッカーの試合で来たこともある。大きな高島屋が目印で(と言うか他には何もなかった)、ずいぶん前から「お洒落な街」と取り上げられることもあった。ただ我が家からは路線の構成上、中々行きにくいロケーションだ。横浜経由か武蔵小杉経由か・・・我々は意外と早くつく私が後半通学したルート、中央林間から田園都市線で行くことにした。うまく急行に乗れると一番早く着くのだ。

学生当時は国道246号線と並行して走る田園都市線の駅周辺など何も無かった。東急線も「中央林間」などという急行の止まらない(今では停車する)中途半端な小田急連絡駅を作ってしまったから、通学には結構不便なものだった。飲んで帰ると数え切れないほど片瀬江ノ島の「竜宮城」まで寝過ごしたものだ。
そのマイナー路線が鷺沼、たまプラーザ、市ヶ尾、藤が丘あたりから栄え出し、「金妻の青葉台」にとどめを刺す絶大な人気を誇るようになった。同僚が自宅を建てようと色々物件探しをしていたときに、奥様が田園都市線沿いに憧れ246号を自家用車で下ってきたのだが、信じられない土地の高騰で行けども行けども手が出る価格にならず、「狸の出る」我がキャンパス付近まで来てしまって諦めたという。。。

「数十年ぶりだからだいぶ変わってるだろな」駅に降り立った私は周りを見回したが、路線を挟んで川下側だけが流行っている構図は変わっていなかった。立派な駅ビルと昔からあった高島屋の隣に大きなビルがそびえ立っていた。我々が目指したのは西館1Fアレーナホール、「ウルトラマン秘密基地大作戦 in 二子玉川」である。ウルトラ資料館、ウルトラショットガレージ、チームU格納庫そしてウルトラグッズショップ(うーむ。知らない人が見たら何のことかさっぱり?)が催されている結構大きなイベントだ。まずは入場券を買うと入り口にいきなり香ばしい姿をしたおにいさんが・・・むろん憧れの「ウルトラ警備隊」コスチュームである。「写真撮っていいすかぁ?」とIXY君を構えるとにっこり笑ってくれた。ちょっとぶかぶかのような気もするが、まあルックスも別として・・・(ありがとう)

       

ウルトラ資料館・・・これまで我々は多くのアイテムを見てきたからそれほど驚くことはないが、今回は実際に撮影に使われたというレア物も結構あり、中々充実していた。オレンジの上着は初代マンの科学特捜隊の制服、ウルトライベント系でよくおねえさんが着ているお馴染みコスチュームである。ショーケースには科学特捜隊の装備品の展示が・・・スパイダーショットは毒蝮三太夫の得意技だ。その右が標準装備のスーパーガン、5年前くらいのウルフェスで木製ケース付き35000円で売っていた。。。さっきのおにいさんが着ていたウルトラ警備隊の制服・・・これはおそらくレプリカである。何故か?本物だったら左胸の警備隊マークの中は真っ白で「地球」の模様はないはずなのである。モロボシ・ダンとちゃぶ台で向き合ってお話しした、おなじみ「狙われた街」のメトロン星人、先日見たウルトラ映画ではかなりハイパーな姿になっていたが、これは初代ゼットン、いずれも健在だ。

          

ショーケースには平成になって現れた(レオ除く)歴代ウルトラマンの変身アイテムが・・・よく見ると、食玩も含めれば息子甘辛はぜーんぶ持っていることがわかった。左側は竜巻怪獣シーゴラス(シーモンスの夫)の角を破壊したMATのレーザーガンSP、その隣はよく知らないがたぶんウルトラマン80のUGMだろう・・・ウルトラマンダイナの「スーパーGUTS」の全然秘密じゃない基地「グランドーム」、北斗と南のTAC制服は結構珍しい。篠田三郎のウルトラマン太郎ZAT隊員の制服も初めて見るなー。
「父ちゃん、ウルトラディフェンダーがあるぞ!」名前を知っている息子もかなりのものだと感心したがこのディフェンダー、ウルトラブレスレットが変形したジャックの特殊武器だ。この回に登場した怪獣スノーゴンになんとウルトラマンジャックはウルトラ史上最初で最後の「バラバラにされる」目に遭わされるのである。

            

少し狭いが展示物がかなり充実していたウルトラ資料館を後にするとウルトラショットガレージに出た。ここには平成のウルトラマンティガに登場したGUTSの専用車「シャーロック」の実物が展示されており、ティガと記念撮影を撮ることができる。ティガはモードチェンジして登場することになっていたが、我々が訪れたときは「パワータイプ」だった。私は個人的にはウルトラシリーズに登場した特殊戦闘車両の中ではこのシャーロックはウルトラ警備隊の「ポインター」に次ぐ名車だと思っている。むろん我々もティガと撮影したが、ホントは運転席に乗せてもらいたかった。。。その次に展示されていたのが、先日見に行った最新映画「ウルトラマンサーガ」に登場した戦闘機「Uローダー」である。そう、秋元才加演じるアンナ隊長はこれに乗ってあの決めゼリフを放つのである。「足元には気をつけな」

      

ウルトラグッズショップでは甘辛は結構高額なアイテムを買おうとしていた。どうも昔のゲームソフトやカードを売って軍資金が豊富にあるらしい。私は甘辛がネットで発見し狙いを定めていたる虎警備隊のレザーキーケースを購入、ついでにマウスパッドもかごに入れておいた。そしてケースの一番上にあつ小さな箱を見て考え込んでしまった。。。中身はウルトラマンエースの変身アイテム「エースリング」・・・だがおもちゃではない本物のコレクターアイテムなので、普段はショーケースの中に鎮座し、店員に言わないと見せてもらえない。一つだけだがかなりぞんざいに置いてあるぞ。エースリングは北斗星児と南夕子がタッチして変身するアイテム、つまりペアリングなのである。私は男性用リングを思わず装着してみた。うーむ・・・ずしりと思いぞ。偶然にもその日は我が家の記念日・・・買って帰ろうかな。。。甘辛が考え込む私を見つけて「おーっ、父ちゃん、エースリングじゃんか!買うのか?」甘辛は女性用のリングを指にはめて眺めていた。
値段はペアで25000円・・・妻はどんな顔をするだろうか?いかにウルトラに理解はあると言えども、先日のいちごカレーの例もあるし、衝動買いして失敗してよい値段ではないなー。私はぶるぶるっと頭を振って、リングを元の箱にきれいにしまった。。。
出口にはウルトラ兄弟の並ぶ大きな壁があったが、よく見ると小さなポストカードにめいめい大震災被災地へ向けてのメッセージが書いてある。「がんばろう日本」ウルトラ兄弟も応援しているぞ。
ウルフェスや「お正月だよ・・・」よりはこじんまりとしていたが、中々充実したイベントで我々は満足して会場を後にした。

          

餃子の街

2012-04-28 08:48:21 | 食べ物
本社に行く以外はあまり県外に出ることはないのだが、珍しく隣県の餃子の街に出張することになった。近接3県と本社メンバーの会議で、主に議題は震災後の災害対策のあり方とか具体的役割分担などである。技術サイドだけでなく、総務広報や営業など関係部門の責任者全員が出席対象とされた。
普段中々顔を合わせないメンバとも貴重な意見交換のできた会議だったが、懇親会の席上代表として挨拶したときには「自分ちの本陣空っぽにして他県で災害対策なんてのは、どんなもんなんでしょうかねえ。えへへへ」とかますのを忘れなかった。

私のオフィスからかの街までは新幹線乗り継ぎで1時間半くらいのV字のようなコースとなる。私は比較的遠くに出張する際に、昼休みが絡むスケジュールの場合(意外に多い)その時間をつぶして1時間早く現地に到着し周辺をあちこち偵察することにしている。さすがに「偵察」=散策だけのために勤務時間を割くわけにもいかぬが、13時出発なら12時出発にしてもまあよいだろう。今回実現が期待されたのは新幹線ルートではなく在来の直線ルートで乗り込むことだった。何せ尊敬するKICK師匠のご出身地を通るのである。むろん途中下車して有名なラーメン屋に飛び込みレポートできたら・・・しかし残念ながら在来線でも乗り換えが必要で2時間半以上かかってしまうのである。途中下車の旅はまたの機会に断念せざるを得なかった。

かの県は我が方と隣り合わせで面積も人口もほぼ同じ、従って事業規模も似たようなものであるが、県庁所在地は餃子の街の方がはるかに大きい。かなり前から「餃子の街」と言われていたと思うからB級グルメには入らないのだろう。十数年前に初めて訪れた時も「みんみん」という小さな店に並んで名物という餃子を食った。その店は焼き、水、揚げの3種類の餃子とライスしか無かった記憶がある。今ではかなり繁盛し駅前にファミレスのような大型店舗を展開していた。その昔はあまり賑やかでない東口に「餃子の像」という謎の石像があった。姿は餃子そのものでかの街のシンボルと言われていたそうだが、何と工事作業中移動?しようとした際にあやまって真っ二つに割れてしまったというニュースを何年か前に見た。ご当地グルメとして商魂の逞しさには苦笑していたが、「作ろうとしても何も無い」お隣よりはよいだろう。

新幹線ルートで集合時刻よりもちょうど1時間早く目的地に到着した。駅周辺を記憶しているほどではないが、これまで何度も足を運んだことのある「餃子の街」である。ちなみに東日本17都道県庁所在地は先日の新潟を持って全制覇している。(意外に行ってないのね)
改札を出て基本の駅ナカを歩き回っていると、やはりいきなり「餃子小町」というのが出てきた。(やっぱりね)どこも1枚300円くらいだから軽く試食と行くか。。。餃子の種類はたくさんあるが、昔は無かった「ラーメン」とか「チャーハン」という餃子界では主役を隅に追いやる「邪道」メニューもあった。うぉーっ、佐野ラーメンもあるじゃないか!ぜひとも一度・・・いやいやこういうモノはまずは本場で経験しなければ、「仁和寺の法師」のように「わかったような気がするだけ」になって大失敗、となりかねないからなー。
  
  

私はノーマルな焼き餃子を一枚だけ注文し(さすがにビールは頼めず)店を出た。シソ、ニンニク、肉、野菜、エビ、チーズ・・・様々な種類がある中で味は至って普通だった。お土産を何にするか決めていなかったが懇親会の後、新幹線がすぐに来てしまって買う時間がないかもしれないから、今のうちに偵察しておこう。正直、「餃子詰め合わせ」ではあまり喜ばれないと思った。自家製餃子の方がはるかに美味いと思ったからだ。(家族の好みに合わせてあるから当たり前か)
予想通りだが、あらゆる食物に餃子が枕詞のようについていた。「餃子せんべい」「餃子ばかうけ」「餃子柿の種」「餃子ベビースター「餃子ポテト」「餃子ふりかけ」そして「餃子パイ」・・・何でも作れるんだな。「ガム」があったらすごいと思ったのだが、さすがに見当たらなかった・・・消費量日本一の座は先日浜松に明け渡してしまったようだがな。(別にどちらでもよいが)

  

土産屋をうろついていると、謎の「レモン牛乳」というものがあちこちにグッズ販売されていた。どうも「懐かし」の味で県外に土産として買って行くと喜ばれるらしい。紙パックの本体もそうだが、キャラメルやスナック菓子、キーホルダーにもなっている。その他に「御用邸チーズケーキ」というのがあちこちで目立った。我が家は皆チーズケーキ好きだから候補にはなるかなー。「那須の月」と言うのも人気ランキング上位らしいが、どう見ても仙台「●の月」の類似品だ。(どちらが本家は知らぬが)もしかして同じ工場で作ってるんじゃないか?!「いちご大福」というのも人気らしい。名前は珍しくもないが何と言っても「とちおとめ」の産地だ。これも候補になり得るだろう。
「やはりチーズケーキとワインかなー」なんて一品取りに向かったら、途中「U字工事絶賛!」というポスターが目に入り、ふらふら~っと悪魔に魅せられたかのようにある品に吸い寄せられて、レジに持ってきてしまった。まったく「魔がさした」としか言いようが無い・・・「いちごカレー」
我が県(勤務してるほうね)もゲテモノではかなりのモノだと思うが、こいつぁかなりのもんだと思うぞ。。。

  

土産屋を出た私は東口を出てぼちぼち会議場へ向かい始めた。まだ時間はたっぷりあるが、その辺を歩き回るのも面白いと思ったのである。もう少し下調べして行けばよかったのだが、そういう準備を全くする習慣のないのが困ったところ。何と駅前広場に「Uノ宮餃子館」なる屋外施設のようなものがあったのである。(後で聞くとイベントではなく正規のお店らしい)
何と大きな広場の中央にある公園には新しい「餃子の像?!」がいくつも並び、「餃子観音」なる珍名所?!も建造されていた。ここまで来ると苦笑せざるを得ないのだが、「お祭りモノ」に弱い私は、今だけやっている季節イベントだと思い込み、何か記念に食わずには言われなかった。

       

時間が2時を回っていたから昼食の時間は終わりどの店も閑散としていたが、その中でも一番客がたくさん入っていた店に一人入り込んだ。さっきの「餃子小町」ではホントにノーマルな品だった(が結構もたれた)ので、ここでは何と「スタミナ健太餃子」そして「ジューシー肉餃子」2枚も注文してしまった。値段はお手頃だったが、我ながらホントに「縁起物」に弱い。「注文を聞いてからじっくり焼き上げる」という売りで、そこそこ時間がかかるだけあって一つ口に入れた時、「おおっ、これはいいかもしんない!」と呟いたが、二つ食ったらやたら疲れてきて、平らげたときはぐったりしていた。。。そもそも一人で2枚というのが無謀だったのかも。会議中も一番前の席でぐーぐー寝ていたが、さっきの餃子が戻ってきて目が覚めた。意外と有意義な会議も終了し普段は中々合わないメンバと懇親会に臨んだ。最初緊張していた司会は「名物『みんみん餃子』さんに出張サービスをお願いしましたぁ。焼き立てを想う存分お楽しみくださぁい!」げっげぇー?!また餃子?もう胃がどんよりして勘弁してよ・・・昼間あんなに食べなければよかった。。。夢にまで「餃子の像」がでてきそうだ。しばらくお目にかかりたくないものだ・・・色々書いた割には写真が少なくて「ごめんね、ごめんねー」

おまけ編
翌日、お友達家族と遅めの花見に行った。近所の公園にたくさんの種類の桜があり、かなり長期間楽しめるのである。出張で疲れていたが久々のメンバーで楽しくて、「SPARX」で文字通りスパークしてしまった。せっかく買ってき「いちごカレー」・・・皆に楽しませて?あげようと、一口ずつ試食してもらった・・・
さて・・・どんな味だったかな。。。いちごまるごと入っていたわけではもちろんなかった。って言うか何の印象も残ってないぞ・・・ジャム風味があったような気がするんだがなぁ。
朝、妻に聞いても結構冷たい反応だ。やっぱりチーズケーキにしとけばよかった・・・久々に「外し王」の実力をいかんなく発揮してしまった。

  

野球型vsサッカー型

2012-04-25 15:35:17 | 職場
今頃は新社会人が集合研修を終えて最初に現場にやってくる季節だ。2012年も昨年と同じくらいのルーキーズがやってきた。いつも何かしゃべらされるので昨年みたいに思いつきではなく、世にある「新入社員向け講話」をパクってカッコよく決めようなどとずるがしこく考え色々見ていると、お隣の県にいる同輩の講話は締めが実にカッコ良かった。。。
“The best way to predict the future is to create it”
ただ精神に訴えるだけでなく、どこか合理的かつ知的な香りがするのが「理系」の私にはきりりと響いた・・・

ネット検索してみると(いやー我ながらあざとい)世に名のある人はすべからく「いいこと」をお話しされているが、正直どれもピンとくるものがなかったので、結局昨年と「似たような」話をした。「これまで身に付けた武器はたぶん役に立たないから勇気を持って一旦捨てろ」「消費者マインドを持ち込まず『雪かき仕事』を惜しまず行うこと」「『適性・適職』などとは都市伝説である。やっている仕事を天職にすること」
自分の華麗なる「たらい回し」&「結果オーライ」のインデックスと「地頭の体操」などを織り交ぜて結局のところ相変わらず思いつきでしゃべった。

詳しいところはここではしないが、ネット上の「社員研修」などで比較的多かったのが「野球型vsサッカー型論」である。私も直接講話されたことはないが、著書やブログなどで目にしたことはある。私は野球もサッカーも経験が多少なりともあるから、スポーツとして見るのもやるのも大好きだ。(自分でやる方はさすがに「ぎりぎり」ね)しかし、ことビジネス・組織論になると「野球型」が圧倒的に不利なことにどうにも違和感を感じる。一見もっともらしく聞こえるが「何を言ってやがる」と思うときも正直ある。ほぼ全てのサイトで言っていることは同じである。

「野球型」は・・・
上意下達型、絶えず監督の指示で動き自分で考えるより、上司に言われたことを忠実に処理するスタイル。役割分担が明確に決まっていて他のプレーヤーのテリトリーは侵さない。場面が固定化されていて断片的なシーンが多く戦略より戦術が重視される。プレーそのものは個人だが、個は完全に組織に従属している。
一方「サッカー型」は・・・
試合前に監督の指示を聞いたら後はすべて自分で考えてプレーする。自分のプレーにいちいち指示されることはなく、役割分担もシチュエーションによって異なっていく。場面は目まぐるしく変化して行き、常に流動的である。個人の戦術よりもチームとしての戦略が比較的重視されるが、プレーする個人の主体性が強く現れる。

いかがであろうか?およそ仕事をしている人なら上記から「何が言いたいのか」明らかだろう。ほぼ全てのコメントが「これからのビジネススタイルは野球型からサッカー型へ変わらなければならない。日本は野球型で躍進してきたが、今はもうダメだ。激しく時代が変化し創造力が求められる現代、そして指揮官が不在でも一人ひとりが主体的に責任を全うできる危機対応には『サッカー型』がビジネスには適している」
10年前はなるほどど一時的に納得したが、まるで野球型のおじさんは「時代遅れ」とでも言わんばかり・・・ずいぶん乱暴な差別だと思う。

むろんそんな講話を新入社員にはしなかったが、私が敢えてこの手の話をするとしたら、たぶん正反対の「求める人材をどちらかと問われれば間違いなく『野球型』です」と申し上げる。別に「指揮官の指示に忠実な部下であって欲しいから」なんてことは全然ない。サッカーのスタイルだけ見て「これからの時代は・・・」なんて嬉しそうに講釈するのはいかにも安易に感じるからだ。(少しへそ曲がりも入っているが)
まずサッカーは常に「何となく」動いているように見えるが、人間45分間全速力で走るのは無理なので、大半の選手は歩いて(つまりサボって)いる。これは自分がサッカーをやっていたからよく分かる。
また状況によって臨機応変に役割分担が変わる、ということは言い換えれば「誰も責任を取らなくてよい」。そして世の中の流れは次の瞬間ホントに何が起こるか予測もつかないほどではなく、場面変化はむしろ野球のほうがマッチしているように思う。

ここからは野球賛美編だが、何よりも野球は「この一球は絶対無二の一球なり!」という緊張感と集中力を感じる。そしてあきらめない強靭なスタイルで可能性を見出せる。なぜならタイムアップ1分前に1:10で負けていたら、逆転するのは物理的に不可能だが、9回裏に10点差で負けていてもひっくり返すことは可能だからだ。またキーパーと投手を除けば、サッカーよりも野球のオールラウンドプレイヤーの方が貴重だ。それぞれ必要とされる能力の違いが大きく複数身につけるのは大変だからである。
そしてより「練習から実戦が遠い」のが野球だと思う。サッカーは蹴って走れば何をやっても実戦に通じる練習である。しかしファーストは試合では50m5.5秒で走る必要もないし、外野手は2000メートルを6分で走る必要もない。重戦車のように敵陣を突破するシーンなんて野球の試合ではないのに、選手はタイヤをつけて繰り返し走り続ける。直接役に立たなそうなことを地味に続けられる選手が社会では確実に強い。

責任感が強く集中力があって、すぐには現れない努力を惜しまずに、不利な状況でも諦めずに土壇場で逆転してみせる。定説とは真逆だが2アウトから頑張れるビジネス・組織が「野球型」だと思う。
ところがである。人生に野球用語を加えてたとえると、笑っちゃうほど圧倒的に不利なことが分かる。以下に思いついただけ挙げると・・・
●人生「中継ぎ」:主役でも締め役でもない中途半端なスターになれない役回りなんだよなー。
●人生「送りバント」:大事な役なんだけどイマイチ目立たないし印象も少ない。
●人生「犠牲フライ」:取り合えず打点がつくのは結構だが、自分が「犠牲」になってというのが・・・
●人生「デッドボール」:一度くらいはどこかで大きな怪我はあるかも知れないが、人生そのものというのはつらい
●人生「打撃投手」:これもイマイチ縁の下の力持ちで、結局のところ主戦力になれなかったということか・・・
●人生「万年ベンチ」:入れるだけでも大したもの、という考えもありだが、やはりフィールドに立てないのは・・・
●人生「凡フライ」:もちろん一塁まで全力で走らなければならないしわずかだが望みはあるものの「がっかりさ」は否めない。「インフィールドフライ」という救いのない制度もある。
●人生「ポテンヒット」:意図とは違う苦笑いの結果オーライだが、この中ではかなりいいほうだ。
●人生「ボーンヘッド」:明らかに取り返しがつかないエラーでこれまでの全てがパー。。。
●人生「かくし球」:悪い結果ではないけれど、フェアプレーではないし、相手から無用の恨みを買ってしまうなー。

ここまで10個思いついて、どれも相当厳しいぞ。少しは輝かしいのはないものか?!人生「完全試合」、「ノーヒットノーラン」・・・どちらも「やられた方」のイメージを持ってしまう。人生「フォースアウト」「サードゲッツー」「ホームスチール」・・・だめだこりゃ。。。ネガティブ路線まっしぐら?!
少しでも励みになる例えと言ったら・・・
●人生「ホームラン」:いくら何でもこれだけは「いける」と思うんだが、何となく「一発屋」という気がしたりして・・・
●人生「三冠王」:昔は「飲む」「打つ」「買う」の三冠でぶいぶい言わせた?!
●人生「エンタイトルツーベース」:うーむ、何と言ってよいか。。。結果はよしなんだが、そこはかとなく納得できない。

他にもたくさんあるがキリがないので、最後に極め付け・・・人生コールド負け・・・これだけは絶対いやだ!
日本人に一番親しみが深く、おじさん受けがよくて高度経済成長の立役者と言われてきた「野球型」がいかに冷たく扱われているかがわかる。
私は人も組織も「ゆるい野球型」がいいんじゃないかと思っている。我が組織を支えてきた双璧スティーブは野球部で速球派の投手、先日引退したもう一人の巨匠八兵衛はラグビーで鳴らしていた。この話をしたらスティーブは喜ぶかもしれないが、一般趨勢はかなり不利に向かっている。二人揃ったら「一体どっちがいいんですか?」と聞かれそうな気がする。そうなったら私は迷わず答えるのである。

「両方できるのがいいに決まってんじゃんか」 ・・・・おーっと、観客席からモノが飛んできそうだ。。。

滝につつじに神頼み

2012-04-23 04:15:48 | 職場
私は広い県内の屋内外に無数に散らばる施設を預かっているが、ホントに様々なことが発生する。新たに建設したばかりの最新鋭設備が突如故障したり、いたずらされたり車両にぶつけられたり、停電の餌食になったり・・・モモンガにかじられたりすることもある。点検などと言うものは異常箇所を発見できなければ褒められることもあまりない、「雪かき仕事」のようなものだが、誰かがやらないと取り返しのつかない事故が起きてしまう。私はこの手の用事には積極的に外出するようにしている。技術分野では空軍から陸軍に鞍替えしたようなものだから、足で稼ぐことが大事だ。外出先で色々なモノを見て食べ歩くのも楽しみの一つである。

今回は屋外施設の点検、地中埋設物が破損していたという現場の調査、そしてもう一つ重要な任務をもって保全の責任者スティーブたちと出掛けた。県東部を縦断する総行程200kmを超すルートで、「県内滝めぐり」の発案者であるスティーブは当然、ルート上近くにある見所の滝見学を組み込んでいた。。。
「ちょっと寄ってみましょうねー」なんて言いながらとんでもなく遠い場所だった。途中、乗用車がすれ違えない崖みたいな難所もあったし、どこにつながっているのかさっぱり分からない道をひた走りようやく新しく整備されたらしい駐車場に到着した。少し趣きのある小川の橋を渡って、目指す滝は少し上ったところから眺められるようだ。って石でできたアーチをくぐると恐ろしい光景が目に入って来た。。。

        

「オッ、オレ、これダメかも・・・」先に何があるのか分からぬがこの「地獄への吊り橋」を渡らないと見学できないのか。。。よく見ると20年ほど前に作られた新しいもののようだが、それにしても毒々しい赤だなー。。。ひたすら前方を睨みつけ、最大握力で手すりを握って汗びっしょりになりながら中ほどまで歩き降りると左側から何やら豪快な滝音が聞こえた。おーっ、あれがそうか・・・落差は100メートルというところか!かなりの迫力だ。こんなところもあったのか。袈裟がけ橋という赤い吊り橋を降りて展望台に上ると見事な全貌が現れた。
素晴らしいパワースポットだと思われた。何せ大きな岩から木が何本も生えているのである。まるでトリケラトプスだなー。
さっき渡った小さな川から流れてきてるのか・・・流れを追い掛けてみると確かに滝のてっぺんが何となく見える。大きな岩の陰になっていて、道路からは全く滝を眺めることはできないが、紅葉の時期は素晴らしいことだろう。。。

        

滝を後にした我々はかなり時間をかけて点検を済ませ、現場調査へ向かう途中にある「つつじが岡公園」に寄った。実は昨年は1週間ほど前に訪れた総数1万株のつつじが咲き誇る公園である。昨年は時期が早すぎて一本も咲いていなかった。今年は少し期待していたのだが、つつじ祭り期間には入っているものの、梅や桜と同じく今年は先出すのが遅れたそうで、一番早く咲く種類が何株か花を開いているだけだった。すぐ隣に湖沼がありまわり道だが最盛期に向こう岸からこの公園を眺めるとこの世とは思えないくらい素晴らしい光景だそうだ。実はつつじは私の故郷の「市の花」で、実家の庭にも何株かあったのだ。これだけのつつじが一斉に咲き誇ったら、それこそピンクの樹海だろう。樹齢800年という名木もちゃんと花をつけるそうだ。。。来年はGWを過ぎる頃に来ることにしようか・・・
おーっ、小夏師匠が夜間飛行を撮影された「アリコ」のスヌーピーJ号かな?!
 
          

ちょっと場所を探すのに苦労したが、すぐそばに調査現場がありいくつかの用を済ませた我々が最終目的地へ。昨年もやって来た「雷電神社」である。我が県の夏は日本有数の雷多発地域だ。1年半前の7月、着任した日から3日間夕方になるとものすごい雷が響き渡った。「連れてきましたねー」と冷やかされたものだ。精密機器もコンピュータサーバ、通信機器などは雷の誘導電流に弱く、一鳴り何百件と故障が発生してしまう。夏場の雷が祟り、国内に数十あるグループ会社組織で故障発生率という面で見るとダントツトップの一人旅だった。
「何とか最下位からは脱出しようぜ!オレがいる間に雷の故障を半分にするからな!」雷の電流から機器を防護するアダプターを大量に配備することになった。最初は1万個程度の計画だったのだが、防護対象となる装置は数10万に上る。。。「やる気あんのかよ!半分までは絶対つけろ!」私は珍しく怒声を発し、スティーブたちは苦心の末半年足らずでほぼ半分近くまでアダプター装置を回路に組み込んで行った。

      

「今年は少しはマシになってほしいですねえ」「むろんだ。どーんと来てくれた方が効果がはっきり現れるってもんさ」「いやー、でも来ないに越したことは・・・」結局最後は神頼みなのである。我々はそれぞれ雷電神社で「雷除」の御札を求めた。同じ境内のはずなのだが、道路を挟んで反対側にはやはり昨年も詣でた「なまずくん」がある。専用のハンカチを購入して撫でるように拭き取ると地震除けになるという。「せっかくだから『食って』やりませんか?」スティーブは門前の小さな店を指差した。「なまずの天ぷら」一枚300円か・・・まあ縁起物だからなー。実は昨年来た時には近所の本格なまず料理店をわざわざ探して2000円も出して「なまず尽くし定食」を頼んだのだが、どうもあまりよい印象が残っていないのだった。4時近い中途半端な時間にも関わらず、人の良さそうなおばさんが4人分の天ぷらを持ってきてくれた。一口ずつ黙って口に運び、全部平らげてふーっと一息・・・
店を出て開口一番私は「昨年を鮮やかに思い出しましたよ」スティーブも「オレも思いだしました!」二人揃ってハモった言葉は「あんなもんだった・・・」

    

えのレポ

2012-04-20 09:51:57 | 旅行お出かけ
色々と自宅周りに雑用が重なり久々に休暇を取ったのに、その所用はあっという間に終わってしまい妻は学校の用事があると出掛けポツネンと家に居残ることになってしまった。夕食に出掛けるまでは約2時間・・・天気もよいしいつもはウォーキングだが、ここは久々にチャリで走り回ることにした。別にあてがあるわけではないが、江ノ島にでも行ってみることにした。年々スケールが大きくなっているようだが、今年は残念ながらスケジュールが合わず「江ノ島トレジャー」もできなかったし・・・いつものR134号を東に走り始めた。いつもは実家からもらってきた35年前のチャリなんだが(桜クルーザー号はサイクリングには向かない)、甘辛のロングライド用を使ったから快適だ。

弁天橋を渡らずにそのまま直進して久々に腰越港を偵察に行った。朝一で行くと大抵獲れたての生シラスが買えるのだが、午後は売り切れだ。おーっ、ここが小夏師匠(正しくはお友達サイト)に教えてもらった「しらすや」だな。いつか「しらすつくし定食」食べてみよう。あんまり店内をじろじろ見回す勇気がなかったのだが、さーっと見た限り新しくてかなりお洒落な感じのする雰囲気だ。メニューは我が家の近所にある「しらすやガーデン」に近いものがある。しらすつくし定食は実に多くの種類のしらす料理が少しずつ入っているので、妻と飲みに行ったときには「つまみ」に注文する。一品を何種類も頼むよりははるかにお得でボリュームも十分なのだ。

      

ここで180度方向転換し弁天橋を渡って湘南港方面へ。先日「湘南藤沢市民マラソン」のスタートがある方だが、テラスモール湘南のフードコートにも出店した有名な「とびっちょ」がある。大きな器に豪華絢爛の海鮮丼が売りだと思うのだが、いつ行っても店の外まで人がいっぱいで、今まで一度も入ったことがない。。。青銅の鳥居をくぐった先の参道にもたしか小さなお店を出していた。参道の終点から私は左側へ上り始めた。眼下に見えるのが「湘南港」である。灯台の周辺によく釣りにきたが私はあまり釣れた記憶がない。甘辛が小さいときに子供同士で行って「タコ」を釣ってきたところでもある。そのまま上って行くとサミュエル・コッキング苑入り口だ。向こう側に新江ノ島灯台が見える。昔の灯台はあまり高くなかったが、足元から真下が見えてしまって恐ろしかった・・・今の灯台も景色はすばらしくよいがエレベーターでなく階段で下りるとやはり中途半端に高いところが嫌いな私にはかなり厳しい。

          

いつも眺める角度から見るとよく分かるのだが、江ノ島は大きく割れていて大きな山が二つの構成になっている。「山二つ」という何も考えていないネームである。「関東大震災の揺れで真っ二つになってしまった」というのはただの都市伝説で、普通に断層が浸食で崩落したものらしい。この谷にそって階段を下りてまた上ると正面に「奥津宮」というのが現れる。色々な曰くのある「石」や様々なアイテムが雑然と祀られている。「龍がいた」という伝説はあるらしく色々なところに龍にまつわる逸話が書かれているが、観光地独特の「後付け」感が正直強く、昔のど田舎風景を知っている私にはどうも違和感が走ってしまう。。。

        

そしてその最たるものが「恋人の丘」である。間違いなく昔はこのような甘ったるい人工の名所は無かった。何せ「弁天橋」を恋人と渡ると弁天様がやきもちを焼いて別れが早くやってくると言われていたのである。当時その都市伝説を信じていた我々はガールフレンドと江ノ島だけは行かなかったものなのだ。しかし観光地化が進んで人気が出てきてから、「カップルが来ない」というのはいかにも商業的にはマイナスだったのだろう、いつの間にか「弁天様祟り説」を強引に消し去り、「神をも畏れぬ恋人伝説」を作り上げるのである。その名も「龍恋の鐘」!相模湾を一望できる素晴らしい名所だが、造成中だったころから知っている私にはどうしても「どうだかねえ・・・」と感じてしまう。前方の手すりにはぎっしりと鍵が並んでいる。小夏師匠の浜名湖レポートにもたしか「ハートロック」というのがあった。江ノ島のこれは明らかに「後付け」だが、古今東西「恋人」の考えることは似たようなものらしい。

      

直進して長―い階段を下りると「岩屋洞窟」なんだが、上ってくるのがすごく大変なので右へ回ってそのまま下山する。向こう側はいつも産直市に魚を買いに行く片瀬漁港、そのはるか向こうに私の波乗りポイントがあり我が家がある。手前の小さな堤防では舌平目が釣れ、GWにはよく周りで磯遊びをした。5月の連休は車も電車もどこへ行っても激混みなので大抵チャリにビールを積んでここに遊びにくるのである。ぐるーっと1周歩くと約45分で上って来た参道に戻ってきた。入り口に「貝作」という昔からのお店があって巨大なアサリを売っている。実はこの「大アサリ」違う種類の貝なのだそうだ。頼むとその場で醤油と酒で焼いて出してくれる。ここはビールが欲しいところだが、夕方運転するので我慢我慢・・・・
隣の店では大きな箱でシラス干しを作っていた。試食させてもらうと、一つ一つが大粒(とは言わないか)で甘くジューシーな感じがする懐かしい味がした。昔の食卓には「生シラス」というのは上った記憶がなく、シラス干しが常備だったのだ。

          

たまに来ると少しずつ様変わりしているのが分かる。頂上のフードコートも新しく綺麗になったし、新名所も次々にできているようだ。家族連れやカップル、グループなど観光客も実に多彩だ。次は「しんさん」の引っ越しに際しして頂けたゴージャス磯竿を使って岩場に釣りに来ようと思うんだが、あのスタイルで恋人達が集う中を突っ切って行くのって結構恥ずかしいんだよなー。

足元には気をつけな

2012-04-17 04:12:44 | 出来事
「足元には気をつけな!」・・・・・「春先ウォーキング」編の間隙にあったテラスモール湘南の用事とは息子甘辛と上映中の「ウルトラマン・サーガ」を見ることだった。半年以上前のウルフェスで親子前売り券を買うのが常だったが、意外と私と甘辛の予定と上映スケジュールが噛み合わず、このままだと終わってしまう危険があったので、たまたま甘辛の予定が午後のみであった時にすかさずゲリラ的に予定したのだ。「宇宙戦艦ヤマト(復活編)」も同様にまごまごしている間に上映館が「松戸」とか「秦野」などかなり無理のあるロケーションに写ってしまった。。。
上映時間は9時55分、テラスモールは10時開店だが、109シネマズのフロアへは9時30分から入れるという。駐車場から一番近い店内入り口は確かに入ることができた。しかしエスカレーターも止まっているしあちこちシャッターでその先へは行けなくなっている。。。あちこち歩いて係員をつかまえ「4階の109シネマズにはどうやって行けばいいんですか?」「そちらを右に行って左に真っすぐ進み・・・マックわかりますか?その横にエレベーターで4階に直接いらしてください。お手数をおかけします」丁寧な案内だったが「マックなど知らん」と首を傾げる前に「知ってるもの」として話を進められてしまった。。。

右に行って、左に行って・・・一旦店外に出てしまったが、どこにもマクドナルドなど見当たらないではないか・・・仕方がないから外の階段から行こうと、施設の外側にある階段を4階まで上りフロア内に入ろうとしたが、そのフロアはどの扉も解錠が10時からとなっている。「うぎゃー、どうしてここの案内はこうも使えねーんだろ?」そもそも館内案内板を見ずに適当に勘だけで進む「説明書を読まない性格」が裏目に出た典型的な実例だ。もう一度1回に戻って案内板でマックを探し、全く反対側に歩いて行ってようやくエレベーターに乗って109に辿りついた。持っているのは前売り券だから席の指定を受けなければならず、長蛇の列に並ぶ羽目となった。「うごー、オレ達のウルトラマン、あと5分で始まっちゃうじゃんか!ちっきしょう、強硬突破すっか?!」「大丈夫だよ父ちゃん、最初は予告編と映画泥棒の警告だろ?」こういう時の甘辛はやけに冷静なのだ。少し予告編が始まってしまっていたが、無事劇場の中央部のいい席を指定でとることができた。もう109シネマズでは1日にその時間しかウルトラマンは上映していない。危ないところだった・・・

「プロモでやってた『足元には気をつけなー』ってどんなシーンなんだろなー。会社であのセリフ使ったんだろ?」(それはね甘辛よ。さっきのオレのことだよ・・・)私は心の中でつぶやいた。中々会えない市の鳥カワセミと遭遇し、超兵器203号片手に川向うばかり見て走り出したら、花壇の鉄柵に思い切り激突してしまった両脛がまだ疼く・・・ウルトラマンも何十年も歴史があり、何十人といるから最近の映画は時代考証がかなり凝っている。過去の流れと比べて明らかに「後付け」となるから適当にストーリーを作ってしまうと論理矛盾を起こし、コアなファンに指摘(する人はいないが)されてしまうからである。ここ数作はとうとう時空を隔てて「あちらの世界」(アナザーワールド)で話を進める事態にまで及んでいる。今回のウルトラ戦士はウルトラマンコスモス(杉浦太陽)、ウルトラマンダイナ(つるの剛士)、そして我が愛するウルトラセブンの息子、ニューヒーローのウルトラマンゼロである。時代はウルトラマンダイナ・・・彼が世界を救って異世界宇宙へ消えてから15年後ということになっている。
平成ウルトラマンと言えばティガ(長野博)、ダイナ(つるの剛士)、ガイア、ネクサス、マックスそしてメビウスなどたくさんいるが、ガイア以降の俳優はその後消息を良く知らないし、V6は忙しいので、何かにつけてテレビの出番の多い「つるの」が主役級になったと推察する。(なんと夢のない・・・)

お父さんたちのウルトラ兄弟である初代マン(ハヤタ)、セブン(モロボシ・ダン)、ジャック(郷秀樹)、エース(北斗星司)、レオ(おおとりげん)はもはやこのシリーズのレギュラーとして健在だ(タロウに変身した東光太郎=篠田三郎さんが最近見られないのは少し寂しい)が最新鋭ウルトラマンゼロのタイガが元総理の孫(ウィッシュ)、地球防衛隊がAKB48というのは正直「ちょっとねー」感はあった。
防衛隊の隊長は元レディースの頭「アンナ」、これを東京マラソンを完走したAKBの秋元才加が演じている。
物語の序盤、突如現れたアーストロンを攻撃するために戦闘機に乗った秋元が誘導し、周りに仕掛けた地雷を一斉爆破してアーストロンは陥没する地面に半分活き埋め・・・この時いきなりあのセリフが炸裂する。。。「足元には気をつけな!」なるほど、落とし穴ねー・・・正直、思った以上に軽いシーンの展開で少しがっかりモードに入ってしまった。。。(偉そうに正月早々説教かました割には大したシーンじゃないなー)
ウィッシュのゼロも最初はかなりお笑いモードが入っていたが、後半中々よい味を出してくれた。アンナ隊長もAKBにしておくのはもったいないほど迫力ある演技だったぞ。甘辛曰く「秋元ってAKBの中ではあんまりらしくねーからな。ほとんど可愛い子ぶらないしな」「そもそもあの隊列のどの辺で歌って踊っているのかすら全然わからん・・・」

物語のクライマックス、いつの世でも最強な怪獣ゼットン(ハイパー)と戦うため3人が合体したウルトラマン・サーガが出現!もはや人間の出る幕など全くない超時空の戦いのように見えたが、「何かきっとできることはあるはずだ。私達は地球防衛隊なんだから」なんとアンナ隊長は拡声器でウルトラマン・サーガに戦い中の移動方向を指示、ハイパーゼットンを誘導する。そして最後に仕掛けた地雷を一斉爆発させ怯んだゼットンが一瞬動きを止めたとき・・・・再びあのセリフが炸裂したのだ!「足元には気をつけな」
おーっ、思わず二人で声を上げてサムズアップした。このクライマックスシーンでこのセリフはバッチリじゃないか。我々は大いに満足してNO.4シアターを後にした。。。
散歩時の鉄柵激突はまさしく「足元に気をつけなかった」ベタな結果だった。しかし最近の事件、職場での出来事などを見ているとやはり意図的にも偶然にも「落とし穴」が多いとは感じる。CSRが叫ばれる中、勤務中でなくても「足元に気をつけな」いと意外な咎めを受ける時もあるようだ。

そして今回はまさしく「足元に気をつけた」話がもう一つ・・・昨日4月16日は週明けであったが、自治体の大事な年間打合せが昼に予定されており、年1回だから休暇を取っていたのである。午前中は母を連れて大山へ。。。今が満開という「大山桜」を見物しに行くためである。以前F横で聞いたのだが大山阿夫利神社の社務所裏側に樹齢400年のそれは見事な桜の木があり4月中旬が見頃だという。前日は「桜まつり」で大層混むと思ったから、平日の翌月曜にゲリラ的に行くことにしたのだ。初めて訪れる場所だがだいぶ想像を外れていてかなり焦った・・・
「4本の巨木が別々の場所にある」と案内されて普通に歩いて回ればよいと思っていたのだが、かなり険しい「山の中」だったのである。「大山桜」の→に従って進んで行くといつの間にか小学校の裏庭に出てしまい、「学校関係者以外駐車禁止」、ふもとの臨時駐車場まで戻る羽目になった。途中にあった「ハイキングコース」の案内を見ると、立派な木だがそれぞれ山の中に点在している。1周は約1800メートルだがそれなりに道は険しい。。。

    

私はともかく母は少し危ないので取りあえず途中まで上って見ることにした。先週土曜日に大雨が降ったから地面は結構滑るし手すりもない・・・上りは何とかなりそうなので、「どこまで行けば見えるのか」私は先行して斥候にあたった。ゆっくりゆっくり15分くらい上ったがようやく一番下の「中では一番小さい」という木がド満開で見えてきた。その時点で母はもういいから私だけ上れと言ったので、かなり険しい山道を上り間近まで近寄った。4本の中で一番小さい「下大山桜」と聞いたが、それは見事な大木であった。「これは結構すげえぞ」気が付くと母もゆっくりゆっくり上ってきた。しばらくその姿を眺め、上を見渡すとわずかに次の「上大山桜」が見えた。
さすがにそれ以上は行けず、我々は再び小学校の裏山に戻ることにしたのである。上りよりも下りの方がはるかに難しく危険である。私は初めて老母の手をとり、おそるおそる下に降りはじめたのだ。それこそこれ以上ないくらい「足元に気をつけ」ながら・・・

      

ささーっと見られるつもりだったのに最初の一本を眺めるだけで意外にも時間を費やしたので食事はカットして帰り際桜の花吹雪真っ最中の「平塚八幡宮」に立ち寄った。寒川に六所、そして平塚と相模の六社の半分を制覇したことになる。どうも母はお友達と禅問答までに制覇するつもりらしいが・・・
帰宅して揉めると思っていた打合せが意外にあっさり終わってしまいやることが無くなった私はチャリを走らせて江ノ島へ向かった。「江ノ島トレジャー」も今年はチャレンジ時期逃してしまったので、一通り一周歩く気になったのである。その中には先日小夏師匠がご紹介した「ハートロック」に相当する「恋人の丘」=「龍恋の鐘」を見るためでもある。一人でサクサク歩くと一周に要する時間はわずか40分程度だが何せアップダウンが多く「足元に気をつける」がある。そのレポートはまたの機会としよう。

      

春先ウォーキング

2012-04-16 15:55:18 | 旅行お出かけ
とにかくよく歩いた1日だった。前日は大荒れのお天気でイマイチの体調だったので予定していた自衛隊の記念行事をキャンセルしてしまった。。。日曜日は好天が予報されていたのだが、予約していたサンセット釣り船クルーズは何と応募数が達しなかったので中止・・・実に残念だったが、朝から雲が多くて富士山すら見えず、決行したとしても「ダイヤモンド富士」にはありつけなかったかもしれない。調べてみると横須賀の「武山」という公園と富士山頂が一直線になるらしい。我が家の付近ではほぼ洋上ポイントばかりだが、江ノ島灯台でも上ればかなり近くなるかもしれない。今まで気にも留めなかったが、季節と時間、場所によって「ダイヤモンド富士化」するシチュエーションは色々なサイトで案内されている。しかしどちらかと言うと空気の澄んだ秋から冬がよいらしく、暖かくなってしまうとコンディションのよい時があまりないらしい。まあ、来冬の楽しみにとっておくか。。。。

休みの日であっても朝6時前には起き出してしまう私は前日何もできなかったこともあり、天気や気温を確かめながら朝早くから川沿いをウォーキングすることにした。スケッチャーズシューズを履いているがただカメラを持って1時間くらい歩くだけ・・・文字通り「朝飯前」でさる。桜の花は既に半分くらい散ってしまい花弁が川の上を舞い、水面は散った花弁で真っ白になりかけている。そんな桜の木を背景に「飛翔体」の好きな私はカッコよく鳥が飛ぶところが写真に収めるため時々超兵器203号を構えていた。ただ朝の時間が早過ぎたのか、いつもはぎゃーぎゃーちーちー賑やかな川沿いもあまり鳥が見られず、つばめが数羽舞っているだけだった。まだ起き出していないようだ。川向うの松の木にあまり見たことの無いブルーっぽい羽をした小鳥が2、3羽枝から枝へ飛び移っている。光の加減で青く見えているだけのハクセキレイか?!30分ほど歩き進んで行くと川向うに来週お友達家族と花見を予定している緑化公園に差しかかった。ソメイヨシノは時期的には全然遅いんだが、色々な種類の桜が微妙に広がっているので1ヶ月くらい楽しめる重宝な場所なのだ。

    

周囲にあった目隠し用?の背の高い樹木が強風で倒れたり傾いたりして、全部きれいに切られてしまったので公園内は明るくよく見え、この方が開放的でよい。って横目で川向うを見ながら歩いていると、青く動く線が左下の視野ぎりぎりのところに一本走った。いつも動体&色識別視力ぎりぎりの現れ方をするのでだいぶ慣れてきて今では「動きさえすれば」発見できるようになったブルーのわが市の鳥である。先日、川沿いを二人で歩いていたときも発見し、初めて見たという妻はその美しさに結構感動していた。しかしかの小型の鳥、水面に急降下したり、すれすれを滑空してみたり、かなり落ち着きがない。どこかに止まっているとまず気が付かないから大抵発見するのは対岸で飛び立ったときだから超兵器250mmを向けても中々クローズアップはできない。。。あちこちちらちら飛んでいるがどうも移動方向が一定なようだった。もう少しで対岸に渡れる橋だ。。。私は次に彼が飛び立った時、注意深く飛翔コースと着陸場所を確かめて、そこから目を離さないように前進を早めたところ、両足の脛に経験したこともない激痛が・・・!川向うばかりに気を取られ過ぎて、走り出した瞬間に花壇のような低い鉄製の柵に激突してしまったのである。しばらくは目の前が真っ暗になり、何が起きたのか分からなかった。「足元に気をつけない」とこういうことになるのか・・・痛さでうずくまっているうちに青い鳥もどこかに飛んで行ってしまったらしく(涙)、もう一つ先の橋を渡って誰にともなく「馬鹿野郎」とつぶやきながら家に向かった。家の近くの松の木にあまり見たことの無い柄の鳥が・・・

        

午前中の用を済ませ、テラスモール湘南で昼飯を食って一旦帰宅した我々は、一休みして今度は夕方に向けて海岸線をウォーキングすることにした。時間は14時過ぎくらいか・・・サンセット釣り船クルーズは中止になってしまったが、江ノ島あたりまで行けば結構いい線いけるかもと考えたのである。さっきの川沿いを反対側へ海岸へ向けて歩き出す。思ったよりも気温は上がっておらず、少し風があって肌寒く西の方は厚い雲に覆われて近くの山くらいしか見えない。これは「ダイヤモンド富士」は無理だろなー。。。
冬場は姿を消していたのだが、暖かかくなってきてあの「背後野郎とんび」の襲撃が活発化してきた。あまりよく知らずにカップルでマックを頬張ったりしていると、上空を旋回してサーチされ、間違いなく襲われる。取りあえず遠くから彼らの急降下可能角度、旋回能力、障害物回避力を今度細かく分析してレポートすることにしよう。

  

息子甘辛はJ2リーグの試合を見に行って帰りはチャリだし、散歩のついでにどこかでビールでも飲むかという話になったら片瀬の「イル・キャンティ」といういつも混んでいるイタリアンの店をリクエストされた。小田急片瀬江ノ島駅からR134号を渡って正面にあるから目立つ店なんだが、いつも店外にまで列ができていて、客も店員もいかにも「観光客向け」みたいな雰囲気がしていつも前を通るだけで入ることはなかった。まあその時みたいによっぽど暇な時くらいでもなければ行くこともないと思われたので我々は一路そのレストランを目指して海岸を歩いていた。「ウルトラ柄に続きペンギン柄のネクタイがあったら買いたいんだけど・・・」水族館で久々に群れを見てペンギン好きが再発した私は新江ノ島水族館のお土産店に入った。「アパレル系なんてあるかねー?」半信半疑だったが、あるにはあったのだ。残念ながらイルカにカニ、そしてクラゲ柄。。。惜しいっ!

エントランスではフリーマーケットが開催されていた。ぶらぶらと見て歩くうちに、「パスポート持ってるよな。さーっと見て回ろうぜ」我々は営業残り2時間の水族館に入って行った。
もちろん先日訪れた時と中身は変わっていないが、巨大水槽で優雅に泳ぐ様々な相模湾の魚群はいつ見ても飽きない壮大な風景だ。「ビール持ってたら、眺めながらずーっと飲めるよねえ」
妻の意見に全く同感である。私に言わせると2フロアぶち抜きの大水槽前広場は丸テーブルを配置してジョッキで飲むビアガーデン。その隣の幻想的なクラゲコーナーはカウンターテーブルを用意して渋くカクテルやハイボールを嗜むバーエリア・・・ペンギンとアザラシコーナーは家族で食事ができる居酒屋ってのはどうだろう?・・・絶対儲かると思うんだがなー。水槽の魚というのは思いのほか撮影しにくくストロボ発光して反射してしまったり、動きが早いのでボケてしまったり・・・前回と違い、今回はペンギン君たちはサービス精神旺盛でさかんにこちらを向き愛嬌を振りまいていた。妻によると世界で飼育されている全ペンギンの4分の一が我が国にいるという。というほど日本人はペンギン好きということか・・・?

    

日曜日だしそれなりに込んでいたから、人だかりでゆっくり見られないところはスルーして、一通り見て回った私たちはせっかくだからその日最後のイルカショーを見物することにした。
16時からのショーだったが、場内はほの満員だった。「なあ、さすがにビールタンク背負ったお姉さんはいねえよな」「でも右はじのトレパンのおじさん、カップでビール飲んでるよ」

ショーが始まりまずアシカが入ってきて・・・迫力あるイルカショーの始まりだ。大昔、幼稚園の頃みた記憶よりはずいぶん水槽が小さくなった感じがするなあ。確かに鴨川シーワールドのシャチショーの水槽は巨大だった。。。それでもイルカがジャンプしたり手を振ったり・・・何かするたびに会場は大喜びだ。江ノ島水族館には世界に1頭しかいないという4世イルカ(代々水族館生まれ)がいるそうだ。最も芸が達者だったバンドウイルカの「ルイ」が妊娠して出産休暇中、父親はその4世イルカの「アテネ」だそうで、出産が成功すれば世界初、待望の飼育五世となるそうだ。無事に元気な赤ちゃんイルカを生んでほしいものだ。我々はショーが終わった後も水槽を泳ぎ回るイルカをしばらく見続け、出口に向かったのだった。

          

すぐ横が「イル・キャンティ」だ。5時前で比較的中途半端な時刻だったので、それほど混んでいることはなく、少し待ってすぐにカウンターの席に案内された。正面が江ノ島、右を向くと遠くに烏帽子岩、さらに左に(見えなかったが)富士山という観光向けのロケーションである。注文したのは生ビールに赤ワインのボトル、マルゲリータにイイダコの辛子オリーブオイル揚げ、そして特製ドレッシングを使用するというイタリアンドレッシングである。観光価格っぽかったが、中々店員のサービスもよく味もまずまずであった。ドレッシングはタマネギをすり下ろしたと思われるペーストにビネガーや色々な成分が入っているドロドロした液体だった。(まあ、一度くれば満足かなー・・・)
やはり曇天でサンセットは無理なのが分かったので、、ぼちぼち店を出て元町ユニオンで買い物をし先に帰った甘辛の待つ家に向かったのだった。5月1日から職場で始まる「チャレンジ100日ウォーキング」というのに参加登録した。今日だけで10km以上は歩いたろうなー。それもスケッチャーズで・・・もう内モモがパンパンになったぜ。

      

小町通りと八幡宮

2012-04-11 04:19:03 | 旅行お出かけ
鎌倉ウォーキング編である。江ノ電鎌倉駅を降り立った我々は横須賀線ガードをくぐってJR駅前へ。左端の赤い鳥居からが先日「アド街」で取り上げていた小町通りである。入り口からすぐにむかーしからある珈琲店(大体字体が古めかしい)にいきなり長蛇の列が・・・「ここの珈琲ってそんなに有名だっけ?」「ホットケーキ見てご覧よ」妻に言われてケースを見ると驚いた。何の変哲もないただの喫茶店のようなメニューだが、ホットケーキが茅ヶ崎ジャルダンで食ったシャトーブリアン300グラムのように通常の倍くらい分厚いぞ。みんなこれ目当てなのか?!そしてちょっと進むと小さなラーメン屋に長蛇の列・・・中を覗き込んでみても人が多くてよくわからない。醤油ラーメンが600円と書いてあったから、まあゲテモノではないのだろう。すぐそばに最新のウルトラネクタイを2本も購入した前述のおもちゃ屋「ちょっぺー」
少し歩くと俵のような「いなり寿司」を売っている「はんなりいなり」という店が出ていてここも賑わっていた。自家製鎌倉野菜をふんだんに使った「海の幸パエリア」、44年前のホテルオークラのレシピを忠実に守り続けた「デミグラスソース」・・・これだけ飲食店がひしめいていると、個性をアピールするのも大変な努力だなー。

              

おーっ!「必ずある」と確信していた「ガレット」発見。やはり国産そば粉100%使用なんだな。北関東の地で出会わなければ間違いなくスルーしていた。。。ちょっとした路地に入った出窓のような店がさらに長蛇の列・・・「ぴろしきの店って通り沿いにあった小さいで窓で売ってたよな。儲かったんで綺麗にしたのかな」「レストラン辞めちゃったんだねー」たしか小町通り沿いにあった店ではロシアンティーやボルシチとかも食べられたはずだ。いつもスルーしていたので1回も食べたことがないのだが。どういう風情なのか「ぴろしき」「醤油せんべい」「いなり寿司」・・・ソフトクリームは何となくわかるが、「どうでもよい」ようなものに人が群がっているのが不思議だ。(歩きながら食べるのは楽しい)

      

その奥にあるのが手打釜揚うどん「みよし」である。うどんそのものよりも「流行らなかった店舗をいかに人気店として花開かせるか?」というドキュメンタリーが日テレ放映され、客が集まったらしい。テレビの威力をまざまざと見せつけられて入ってみたかったが、味そのものがあてにならぬので、妻はあまり興味がないようだった。しらすたこ焼きにきのこ揚げ・・・ゲテモノというにはもう少し可愛らしく(あまり食する気にはならんが)見ているだけでも十分面白い。おーっ、桜にはメジロが・・・(超兵器だったらもう少しちゃんと撮れたのに)我が家に来るヤツに比べると小さいなー。

          


小町通りを過ぎて八幡様の前の通りにぶつかると左側に現れたのが・・・これがまるち師匠の仰っていた「山安」か!以前はなかったと思うのだがここもすごい賑わいだった。店頭で干物の詰め合わせセットを1000円で販売していた。大きくないが金目鯛やアジ、イカ、カマスなどかなりゴージャスな中身になっていてまるで福袋のようだ。店頭の端っこでは屋台にそれぞれ試食用の一口干物が用意されていて、自分で七輪で焼いて食べることができる。試しにイカゲソを焼いてみたが、実に美味しかった。どこかに冷酒(浦霞)ないかなー。。。
暖かくなって「干物作り」にも精を出そうと思っているが、漁港の産直は日曜日、つまり夕方まで半日くらいしかないので、条件が揃わなければ中々実行できない。金曜日に魚だけ買っておいてもらい、一晩漬け汁に浸しておく、という手もあるがやはり「魚から自分で選ぶ」とうカタチが大事である。次回は実際の海水もニガリとして使用する計画である。

      

「この人達は明日まで待っても駐車できないんじゃないか?!」と思えるくらい絶望的な渋滞を横目に歩き、何十年ぶりだろうか、鶴岡八幡宮の大鳥居の前に立った。「鎌倉祭り」の真っ最中であり、駅前からパレードがずーっと続いている。境内に入って石畳を直進し、「流鏑馬」のコースを右に折れて終わるらしい。パレードそのものを見に来たわけではないから、我々は人混みをかき分けつつ本殿へ向かった。2年前の今頃、強風によって名物の大銀杏は根こそぎ折れてしまった。
誠に残念ながら本体はほとんど「遺跡」と化してしまい、ほとんど記憶にないのだがものすごい巨木であったことは伺える。再生・再起を願い本体はすぐ西隣りに移し、元の場所からは小さいが若い木が生えたようである。再び巨木になるまでに何年かかるかわからないが、「祈り」が「頑張る大銀杏」のエネルギーになるというから祈っておいた。。。

            

お参りを済ませ、池の方へ歩いて行くと、小さなリスがいて子供達は大喜びだ。源氏山公園にも結構野生のがいるし、実は山を車を走っていると電線を伝って歩くのを見かけたりするタイワンリスである。HBSのキャンパスにも似たようなリスを見かけた。江ノ島で飼っていたリスの飼育小屋が台風で壊れ逃げ出して弁天橋を渡り鎌倉で繁殖したとも言われているらしい。甘辛が見たらたぶん飼いたがるだろう・・・外来種としてはあまり歓迎されない種らしくニホンリスの絶滅要因になりえたり、小鳥の巣をかじって生育を妨害したりするらしい。(実は餌付け禁止だって)

    

池に出ると見事、桜が満開になっていた。先日ラジオでは「鶴岡は一分咲き」なんて言っていたのに、ホントに一気に咲くものだ。池にかかる桜の花はまた格別な味がある。池の周囲ではパレードを終えた子供達や老人が弁当を食べたり花見をしている。境内の中でどんちゃん騒ぎをする輩もおらず、静かでいい雰囲気だった。しばらくぼーっとその辺を歩いて、鶴岡八幡宮を後にし、段かずらを通って再び鎌倉駅へ向かう。素晴らしく見事な満開花道だったがパレードを見物する客でごった返していた。関東では先の土日で一気に桜が満開になって各地で見事な姿を披露していた。我が家の近くの川沿いにも緑化公園でもたくさんの桜が見られる。桜の季節しか意識しないが、我が国には至るところに桜が植えられている。(下で花見をするには1本あれば十分なんだが)
今年は1本の巨木でいいから「毎年会いに行く」「今年もまた会えた」と感じられる木を見つけたいものだ。

          

江ノ電で鎌倉へ2012

2012-04-08 17:51:08 | 旅行お出かけ
この週末、ようやく春らしく陽気な天候になったが意外に気温は低い。雲ひとつなくお出掛け日和だ。前夜、テレ東の「出没!アド街ック天国」で鎌倉の小町通りが紹介されていたのもあり、我々は久々に鎌倉を歩くことにした。さてどうやって行くか?チャリか?江ノ電か?
陽気がいいから運動がてら現地までチャリというのも「あり」なんだが、祭りでものすごい人が集まってしまい先に進めない危険がある。また午後から風が出てくるとさすがに我が家まで向かい風というのはつらい。。。我々は片瀬江の島駅までチャリで行き、すばな通りをまっすぐ「江ノ島駅」まで行って鎌倉まで江ノ電でゴトゴト揺られて行くことにした。(たぶんものすごい混んでいるが)

    

先日、北関東で毎週会社帰りに2,3回は訪れるスポーツクラブで初めて声をかけてくれたお友達に「鎌倉・江ノ島に行くのだが、『生しらす』の美味しい店はどこですかね」と聞かれ「とびっちょ」としか答えていないのだが、すばな通りにはいくつも「生シラス丼」を出す店があるので色々偵察が必要だ。しかし正直地元だと「買ってきて食うことはあるが店で食うことはあまりない」のである。誰かあの周辺(江ノ島~腰越)でお薦めのお店があったら教えてくださーい。。。
江ノ電には「のりおりくん」という580円のフリー切符がある。江ノ島から鎌倉は250円(意外と高いのよね)、往復だけでは損してしまうからどこかで途中下車するプランが必要だ。

江ノ島駅を出た江ノ電は龍口寺前の交差点からいきなり「路面電車」になってしまう。我が家お気に入りのイタリアン「ロアジ」の目の前を走る。私は中々席を予約できないあの店を車内からスクープしようとIXYを構えていたが、ペリカン便の大きな宅配車が止まっていてダメだった。腰越を過ぎると列車はR134号と並行して海岸線に出る。次が県下でも有名な進学校、鎌倉高校前である。「目の前が海」というイメージが強く、大震災後津波の被害を懸念して真面目に志望受験生が減ったとも噂を聞いたが、鎌倉市のハザードマップではなんと海抜32メートル・・・まず安全地帯だろう。。。

    

がたがたとえらい揺れ方で電車は進む。「bills」のある七里ガ浜を過ぎると海岸線を離れ陸地を進むが線路を挟む民家との距離が信じ難いくらいに近い。窓を開けて手を伸ばすと洗濯モノを総ナメすることができる。。。駅も街中の道路に突如現れるし、民家には怪しげな看板が・・・「誰がどうやって使ってるんだろう?!」という獣道のような路地がいくつもあるぞ。
「もうすぐ見える甘味屋はね、入り口と店の間に線路があって踏切を渡らないと店内に入れないんだよ」妻の情報に「そんな面白れーとこがあんのか?!」私はカメラを構えたが、窓ガラスにあった「非常通報」という張り紙に邪魔されて撮れなかった・・・

    
 
鎌倉駅に着くと反対側ホームはすごい人で列を作っている。やはり「祭り」ということもあり、相当人が集まっているようだ。祭り自体が目的ではないから(適当に歩くだけ)、混み具合をみてまばらな所を探して歩く。「小さなタイヤキ」を出すという店に若い女性が「かわいー!」と群がっていた。妻は一瞬立ち止まったが私はどちらかというと「タイノシオヤキ」派なのでスルー・・・桜もあっと言う間に満開になったんだな。私は「古都」という所は例外なく「風水都市」として計画されていると理解しており、そういう事を勉強するのが大好きだ。鎌倉も間違いなく念入りに設計されたスーパーシティ(トキオか?)に違いない。パワーストーンの店の隣に「腸詰屋」というフランクフルトの店がある。商品をそのまま焼いてくれるので歩きながら食べられるのが人気だ。店内の冷蔵庫には地元ビールが並んでいるがラベルに「1192」・・・何のことだ?!と首を傾げていたら電撃のように閃いた・・・(最近は1185というのが有力らしいぞ)

    

我々は大きな鳥居をくぐって小町通りへ。まずは目指すところはただ一つ。前夜の「出没!アド街ック天国」では7位だったという老舗のおもちゃ屋「ちょっぺー」である。そして目指す商品は唯一つ、前回訪れたときに「他のにくらべてやけに高額なのでやめた『ウルトラネクタイ』である。実は私は「勝負ネクタイ」として色違いのモノを着用しているが、20年以上の年月には勝てず、最近色落ち、生地の痛みが激しくそろそろ「殿堂入り」になりそうなネクタイの後継アイテムを購入するのだ。(柄は知る人ぞ知る・・・)
「小町通り~鶴岡八幡宮取材編」は別の機会にしよう。。。2時間ほど人ででいっぱいの鎌倉を歩き回った我々はお互いに数十年ぶりになる八幡宮の参拝を終えて、鎌倉祭りのパレードを桜満開の段かずらから見物し鎌倉駅に戻った。どこかで山ほどある「鎌倉名物」の食事をしようか、と言っていたがどこに行っても長蛇の列なので・・・我々は10数年昔好んで行った洋食屋(まだやってるかなー)に向かうことにした。

「長谷駅」は観音や大仏があり、満員の列車も沢山の乗客が降りる。我々はそこで降りて大仏とは逆の方角、海岸方面に歩きだした。たしか店の名前は「CARO」・・・小さな店だ。下町のレストラン&洋食屋というところだが以前訪れたときにものすごく美味かった記憶があり、妻と歩いて店を探し歩いた。元々がビーフシチューの店でグルメ雑誌に載っていた店だ。結婚直後、何度か訪れた記憶から私達は「ハンバーグステーキ」「ポークカツレツ」を頼んだが、味は絶品としかいいようがない・・・(ソースがかなりくどいが)。シェフ一人とおかみさん?一人、店員一人の店だが私が思うに「消化能力よりも需要が大きすぎて休めない」・・・もう少しテーブルを減らさないと身が持たんだろ?(ホントに次々にお客さんが入ってきたねー)

        

長谷から江ノ電に乗り、江ノ島へ・・・(何せプチお出掛けばっかりなので)。今まで気が付かなかったが私の人生史上最も感動した「江ノ電の物語」があった・・・皆さんはご存知であろうか?原版はたけしの「アンビリーバボー」で放映されたらしい・・・
生まれつき心臓に疾患を持ち不自由な生活を送っていた少年が「江ノ電の運転手になりたい」という夢を持っていた。かの電鉄はその投書を受け取って何とか彼の夢をかなえられないか会社を挙げて検討した。私はその一連のシーンを今でも忘れられない・・・普段は無人でいる江ノ電の駅プラットフォームに全社員が配備され、小さな運転手に向かって敬礼!・・・
あらゆる検討を経て、少年は運転席で運転手のスタイルで乗車、万が一を想定して列車運行に並行して救急車並行運転・・・そして極楽寺にある電車庫から一部は本当に電車を運転・・・その3日後少年は天国に召されたと聞いて私は涙が止まらなかった。その写真は江ノ電本社にあったと聞いていたが、江ノ島駅にあったのである。

    

「ん?来週は流鏑馬?また行くべーか?」「でも今度こそすげー混んでんじゃない?」今回は桜満開だったからすごかったねー。
鎌倉取材日記は、また今度と言うことで・・・

プチ同窓の友

2012-04-04 12:44:15 | 出来事
中学3年生の時のプチ同窓会が行われた。会場は生まれ育った街の駅前だ。今でも隣り街だから通り過ぎるくらいのことはあるから南北口ともそれほど様変わりに驚くこともない。マイナーな南口でも子供の頃、ドラえもん全巻立ち読みして呆れられた本屋はまだあるし、その隣りの仕出し弁当屋も健在だ。残念ながら数十年親しんだ「北京亭」も「都亭」もなくなってしまったが、大龍はまだ残っている。駅から西へ向かって歩くと超マイナーな集合商店「南マート」がまだあるのには驚いた。さすがに「街歩き」はしていないから、聞いたことのない店には中々辿り着けない・・・

時間ぴったりに会場に着いたのだがもう既にメンバはほぼ全員が集まっていた。1年半前、担任の先生が引退された時の慰労会として約30年ぶりに集まった時は誰かが現れるたびに大きなどよめきがあったのだが、その後何度もプチ飲み会などを行っているうちにすっかり馴染みのメンバーになっているようだ。大同窓会の時は幹事がすごく張り切ってしまい、他のクラスのメンバにも声を掛けて40人もの旧友が集ったが、半分くらい誰が誰だか分からなかった。こういう時にいつも幹事役を買ってくれるありがたい友が男女とも一人ずついて、それぞれ声をかけてくれるのである。どちらも昔は実家から歩いてすぐのところに住んでいた。

私は3度目くらいになるが、どうも子供同士のつながりがあって、大体同じようなメンバとなってきているようだ。集まったメンバ11人のうち7人が女子、娘さん同士が同じクラスになり再会したという二人もいた。ここ数年、大学とか高校とかもう数十年も離れていた母校の行事とか旧友の集まりが復活してきたような気がする。こういう機会が増えたりすると「人間とは回帰するものだ」というのを感じるのだ。
子供が成長するに従って親子は一旦離れるものだと思う。しかし数十年たってその子供に親の気持ちが分かるようになってくるとまた親との接点が生じる。夫婦ですらも(別居とか具体的措置ではないにしろ)何となく、一旦気持ちが離れる時はあろう。しかしいずれまた何となく元に戻ってくるものだ。会社の同僚などは「最初からシナリオがあったんじゃないか?」と思えるほど見事なくらいに巡り巡って再会する。

「住むところ」についてもそれが言える。聞くとほぼ全ての人は一旦故郷を離れている。学校や就職、結婚。。。皆、驚くほど全国通津浦裏まで身を置いてきたそうだ。しかし11人のうち10人は隣接市内に住んでいる。誰も「湘南に住みたい」からいる訳ではないという。。。ただ何となく(親がいるのも理由だが)回帰してきたようなことを言うのだ。今でこそ少しは人気のあるエリアかもしれないが、我々が育ったときはかの地はただの田舎だった。テレビで地名が出るだけでもう舞い上がったものだ。仮面ライダーX(エックス)で深海カイゾーグの基地が烏帽子岩の地下にあったのと、ザ・ベストテンでサザンが「勝手にシンドバッド」を歌ったとき、テレビに自分の住む地名が出たのが初めてだったと思う。

友人についても「回帰」はある。「竹馬の友」とも言える、今でもずーっとコンタクトの健在な友人は中々いないものだ。「君子の交わりは淡きこと水のごとし」あまりベタベタとはしないものだがなー。学校を卒業して違う進路を進み、それぞれ社会人となって結婚でもすれば、年賀状のみのつながりになってしまい、私のようにサボっているとそのうちに音信不通になってしまう・・・
長い間、音信が途絶えてしまうと何かあった時に連絡を取る幹事たちはものすごく大変だ。前々回の大同窓会も大昔の名簿や連絡網を引っ張り出して実家経由で連絡を取るなりえらい苦労をしたという。

今はそう言った「遠くなってしまった友」に回帰する時期なのかもしれない。年齢的には子供もそろそろ手を離れ、社会人としても中間的な位置づけ、そして何となく故郷の近辺に住み戻っているなら集まりやすくもなるというものだ。
「●エちゃんの息子さんね、今年高校合格して『たろー』の後輩になるんだよ。」「●ヒサの娘さんなんか早稲田だってさ。すごいねー」「塾とかどこに行かしてんの?●●?じゃー私立狙いか・・・」
大体こんな会話が飛んでいる。「独自入試今年で無くなっちゃうじゃない?うちの子●●●でギリギリだったんだよ。『たろー』のときなんて何点くらい取れたの?・・・」「へ?そんな30年以上前のこと聞かれたって・・・」「お子さんは何年生?」「今年中3」「じゃー、あんたと同じ高校行くんでしょ?」「いやぁ、二代は続かないと思うよ。。。」
(甘辛はサッカーしか考えてないようだが、どうすんだろなー)ぼやーんと考えていた私はママ達の迫力にタジタジだった。。。

「あー、去年の春飲んだ時、最後の方にお嬢さんきてたよな」「そうだよ、あんたの会社に入れてくれってあれほど頼んだのに!地元に就職よ」「そんなこと言ったってオレが決めるわけじゃねえもん」「ところであの時、次に会うとき『ガトー』のお土産買ってくると言ってたのにどうしたのよ」(そんなことまで覚えてるのか・・・)「いや、すまん。。。次必ずねー」
「級長だった●リ君覚えてるでしょ?」「おー、あの細いヤツだろ」「この前、ライフタウンのクリニック行ったら、そこで院長なんかやってんのよ。ユニクロのヒートテックタイツ履いてるのバレバレで腹まくって見られたのね。それで今日、プチ同窓会やるからどうか一応聞いたらやんわり断られた・・・」その後も「誰が何になった?」という話題が続き。。。医者、弁護士、警察官。。。仲良くしておくと将来のためになりそうな人は皆覚えているんだな。

大送別会で超久しぶりに会った色々なヤツの話になって、「アイツすっかり禿げてて」「アイツなんかほとんどツルッパゲ!」「●ヤンもだいぶ後ろにキテたよなー」何かにつけてやたらめったら髪の毛のことを言及した私に対し、「何、気にしてんの?『たろー』は全然薄くないじゃん。染めてもいないんでしょ?」「へーえ、まだ大台にもなってないのに禿げてるのとかって気にならんのか?」「ぜーんぜん。。。ナイスミドルでいいんじゃない?デブで不潔なセクハラオヤジっぽいほうがよっぽどやだ」どうも話を聞くと、大同窓会でずいぶんひどかったヤツがいたらしく女子から「2度とアイツを呼ぶな」ということになったそうだ。「メタボ」は意志の力さえあれば。元に戻ることができるが「禿げ」はいくら努力したところで元に戻ることできないという、その不可逆性が私にはどうも恐怖で何かにつけて気になるところなんだが、女性軍はあまりそうは感じないらしい。。。

そしてお決まりの「恋愛論」になる。同級生時代の噂話(既知の話)などは概ね出尽くしていて、今更盛り上がるほどのこともなかった。が「●●さんにも告白されたでしょう?」と問われるままに答える私に「すごい記憶力!よくそんな詳しく覚えていられるねー」と驚く女性軍に(そもそもそんな数がないんだってば)「こういう話は女子は上書型だから次の機会があれば消え去ってしまうが、男子は保存型だから何となくよく覚えているのだ」という自説を展開する。
これから昔の仲間が年に1回くらいは回帰する機会は多くなろう。担任教師の引退あたりがよいきっかけになるようだ。またFBなども「遠きにある友を近寄せる」強力なアイテムになっていると思われる。必然と言うほどではないだろうし、せっかく巡り巡ったのだから、この縁今度は大事にしたいものだ。。。