超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

伊東に行ったら

2011-01-30 14:59:15 | 旅行お出かけ
一夜明け陽が昇ると子供の頃からの「謎と憧れの的」だったハトヤの姿がまざまざと際立った。
甘辛と大浴場へ行って朝風呂を浴び、館内をくまなく偵察して朝食会場へ向かった。
朝から和洋フルパワー全開だ。やっぱり一通り口にするのは苦労した。なるほど、昨晩は暗くてよく見えなかったが、ディナー会場からの景色はものすごいんだな。

 

昨晩ディナー時に甘辛をピンで撮られた写真がなぜか爪切りになっていた。「おにいちゃん、ジャニーズ系だね。ワンショットいっとこうか」とうまいことカメラマンが言っていたが、こういうことか。
どこでもある写真までは購入する気にならなかったが、グッズに加工されたものを買わずに帰り、「処分」されてしまうのがどうも忍びなく、ふらふら購入してしまった。。。
ばあちゃんへの土産にでもするか・・・

      

姉妹ホテル?のサンハトヤの日帰り入浴券をもらい、名残ほしくハトヤを後にした。(もう少しゆっくりしたかったなー)明るいところでもう少し写真を撮っていこう。。。
さて、ホテルを出ると我々は海辺の公園目指して車を走らせた。今年で17回目を迎えるという「めちゃくちゃ市」というものを見物するためである。
伊豆の名産である干物やわさび他がふんだんに取り上げられ、おしるこや海鮮汁、干物の無料サービスもあってかなり盛況だった。
会場の端っこのほうに信じ難いほど巨大な干物が陳列されていた。なんと、「ブリの干物」。。。
しっぽの部分にあるおなじみ「アジの開き」が豆アジのように見える。
そして「イカの干物」、尋常な大きさではないぞ。ダイオウイカかな。

   

となりには即席プールの生簀があり、イシダイやブリ、伊勢海老がうようよ泳いでいる。釣りゲームでもあったら真っ先に手を上げるんだがなー。これらはやがてオークションにかけられるそうだ。
豪華絢爛な商品を「めちゃくちゃ」な値段で売り払ってしまうという「めちゃくちゃオークション」が始まった。
地元名産の詰め合わせ、みかん酒やワイン、みかん箱が1000円くらい、ハトヤの隣の「ホテル聚楽」が1泊1万円くらい、河津桜の木なんて10円で落札されていた。
   

そしてさっき見た巨大干物がオークションにかけられたのである。話のタネにはいいけど食えるんかな。寒ブリはそのまま刺身で食したほうが・・・
イカは「マルイカ」と言うんだそうだ。重さは7,8キロ、2枚あったがどちらも7000円で落札された。
寒ブリの干物は13キロあると言っていたが、8000円で落札。箱に入りきらないと言って事務方が困っていた。。。
最後は例の生簀にいたモノたちだ。。。なんとタモアミですくう権利がオークションで売り出されるらしい。
ステージ上に3種類の大きさのタモアミが用意されていた。
一番小さなヤツから順番に使う。一番小さい網の権利を手にすると1分間、さっきの生簀で使い放題使うことができる。GETした魚は全部持って帰れる。
中くらいの網はその次に使う権利が与えられ、許される時間は30秒。一番大きな網は最後に使うことになるが、使える時間は10秒。

      

なるほど、面白い企画を考えるものだなー。結局最後までは見ずに会場を後にしてしまったが、どの権利が一番得だろうか・・・小さい網にはブリは入らないからな。
昨日はイマイチお客さんが少なかったそうだが、日曜日の午後ということもあり、オークション会場はかなりの人で賑わっていた。
気が付くと妻もたまに手を上げて声を出していた・・・私はというと、全くもって役には立たない。
肉屋のショーウィンドーでも注文できないのである。「せり」などに入っていけるはずもない。。。甘辛も全く興味なく、さっさと足湯に行きPSPを始めてしまった。

「父ちゃん見ろよ。合宿のとき、あそこの砂浜でずーっとダッシュやってたんだぜ。死んだ・・・」

向こうの防波堤で釣りをする人を恨めしそうに見ている私に息子はつぶやいた。
甘辛が合宿のときに発見したという店は「オレンジボックス」という名前だった。
レアもののカードや中古ゲームソフト、フィギュアやプラモデルなどを扱う店だ。店内の撮影は控えたので写真はないが、2階のフィギュアコーナーに向かう階段の正面に巨大な「戦艦長門」の模型が・・・値段を見ると91万円だった。買えねえや。。。
むかーしのウルトラ戦士モノフィギュアがたくさん置いてあったが、どちらかというと私はレトロさよりも造形の正しさを追い求めるのでNG。
結局甘辛が買ってきたウルトラセブンのフィギュアが最もまともで、その場での購入には至らなかった。

約半分になってしまったが、伊東旅行最後に寄ったのがそのデビューふぁ衝撃的だった「サンハトヤ」だ。
チェックアウトのときにもらった日帰り入浴券を使うときがきた。その前にホテル内を偵察すると・・・冬季は営業していない海辺のプールが半分だけせき止められ、釣り堀になっていた。
これが噂の大漁苑である。アジが1匹200円、たくさん釣れば釣るほど1匹あたりの値段が安くなる。つまり三段逆スライド方式・・・寒風吹きすさぶ中、やっている客は誰もいなかった。

      

先に入ったのが水着で入る「古代風呂」。滝があったりジャグジーがあったり色々趣向をこらされており、海にせりだしているので景色もなかなかよい。
外へのプールへ繋がっているが、冬季は閉鎖され行けなくなっている。
最後に入ったのが「海底温泉」。なんと浴槽の向こう側が水族館になっているお魚風呂だ。
いたのは海ガメにネコザメ、真鯛にシマアジ、マハタである。(入るときに絵があった)
海ガメを除けば(スープになるらしいが)他は皆刺身で美味しく食べられる魚というのがミソだ。

「ハワイ島で母ちゃんが「ペシっ」とされたヤツ(海ガメ)はあれくらいだったよなー」

     

甘辛もぼーっと見入っていた。なかなか癒されるもので一見の価値がある。
海底1000メートルから汲み上げているといる温泉もさらっとした感じでぐいっと温まる。
ゆったりと時を過ごし、気が付いたら3時を回っていた。その日は第5回目の「湘南国際マラソン」が開催されるため、我が家の前の道路は8時から15時45分まで「通行止め」になってしまう。(あの混み合う海岸線を日中完全に止めてしまうんだから大胆なイベントだ。)
およそ2時間の行程だが西湘バイパスを東上しそれほど影響も受けずに帰宅できた。OISOがゴールだったのか係員がマラソン後の片づけをしていた。
こうしてほとんど衝動的に決まった我が家のプチ旅行は終わりを告げるのである。

伊東に行くなら

2011-01-29 09:10:55 | 旅行お出かけ
私が小さい頃、憧れの的であった。。。
ハトヤである。私は「電話は4・1・2・6」のCMとともに育ったといってよい。山の中腹にそびえ、建物間を連結するMAT海底基地を思わせるようなパイプ状の廊下をいつもTVで見ていた。
あのCMソングは今でもロングバージョンで歌えるし「いいとこ知っている?どこや?ハトヤ」「4126体操〜始め!」なぜか1台だけ消化車が配備されている「ハトヤ消防隊」というのもあったなー。
そして「サンハトヤ」の登場がまるでゴジラシリーズに現れたキングギドラように衝撃だった。
たしかそれから「伊東にハトヤとサンハトヤ〜」と歌詞が変わったのだ。

山沿いにハトヤに対し、サンハトヤはまさしく海岸線にそびえ立っている。ちいさな子供が歌う民謡
「まえは、うーぅみ、うしろーは ハぁトぉヤぁのぉ『たいりょうえん!』」
「三段逆スライド方式」に至っては一体何のことなのか、数十年たっても謎の世界であった。
女の子が大きなブリ?を抱えてビチビチさせ、最後は落っことしちゃうシーンは今でも妻がやってみせる。やはり同年代だから話は合うようだ。
学生の頃は「合宿」やグループ旅行などで伊豆半島によく訪れた。海岸線の恐るべき渋滞の中で「サンハトヤ」は何度もその真横を羨ましく通過したが、生まれて四十数年「ハトヤ」の姿は今だ拝んだことがなく、所在する場所すら謎のままだった。。。
それがやはり「ひょんなこと」から謎と憧れの的「ハトヤ」に宿泊することになったのである。

中学1年生も終盤にさしかかった息子甘辛は、成長の早い他の選手に「体格」でおいて行かれ、サッカーの試合で出番が少なくなって少しクサッており、そこへきて風邪をひいて主治医から少し運動を止められていた。
成長期が来るまで体格はどうにもならぬし、自分のことは自分で決めればよいのだが、「1週間休んでリフレッシュするべ」と俄かにどこかミニ旅行をする計画を立て始めたのだ。
いつもの熱海保養所はさすがに直前ともあって満室だ。久々のプチお出かけだがいったいどこに行くか・・・?!

温泉であることは満場一致、私(甘辛も)はむろん釣りがしたい。ETCなど付けていないから高速を使う遠距離はなし・・・甘辛はプールやゲームなど遊ぶ施設が充実しているところを好む。
確か甘辛がこの前の合宿で見つけたレアものおもちゃを扱う店は伊東だった。いつもの海釣りポイントは網代だし、距離・方角的にはあのあたりがよいかなー。(あまり意表を衝いてはいないが)
インターネットで調べていた妻が「訳ありでハトヤというのがあるけど・・・」と見つけ出した。

私は電撃に打たれたのである。何、「ハトヤだと?」子供の頃から憧れの的だったあそこに泊まれるのか?
今年「無邪気」を信条とする私はそれ以外のプランはもはや何ひとつ耳に入らなかった。。。
思えば長い道のりであった。小学生の時、夏のお盆休みに普段出掛けたがらない父親が珍しく「どこか旅行するか」と言いだしたときに候補に挙がった「サンハトヤ」が唯一のチャンスであった。
ただ当時、すごい人気のあったあそこは通常の部屋に空きがなく、またお盆価格なので子供の私が見ても「目玉が飛び出るほどの値段」。。。簡保の旅館になってしまったのである。

他など目もくれずに予約を取ってもらい。短い一泊二日の計画を立て始めた。「無邪気」過ぎるかもしれないが、その日はマジ楽しみで寝られなかった。。。
HISが企画する全然休日でない「ローマの休日」というタイトルのヨーロッパ旅行のような分刻みの過密スケジュールを立てたのだった。
しかし、なかなかうまく行かないもので仕事上これまで無かったような最大規模のトラブルに遭遇し金曜夜は帰宅できず、翌日夕方新幹線を乗り継いで現地で家族と合流するはめになっちゃった。。。
さらに加えてこんなときに限ってIXY君と超兵器203号を忘れてきてしまったのが実に残念だなー。(携帯ショボ写真に逆戻り)

前半の予定がパーになってしまったが、仲間の助けもあり何とか夕飯前に伊東駅にたどり着くと妻と甘辛が迎えに来てくれていた。
曲がりくねった山道を登って行くと、大きな「ハトヤ」の文字が・・・・うぉーっ!これが昔からテレビで見てきた実物か!!
今でも「ハトヤ消防隊」が健在であるのに感動したぞ。これがMAT海底基地のようなパイプ路か。。。宿泊棟とロビー、宴会場、浴場を連結しているのだな。
      

見たこともない巨大なシアター会場がディナーブッフェの会場になっている。夜なのであまり外が見えないが海側は全面ガラス張り・・・
さすがに海の幸には凝っていて、つまらないバイキング料理とは違う。刺身や寿司などは単品で頼むようなレベルの新鮮さだ。
屋台コーナーにはふぐ雑炊あり、その場で揚げる天婦羅あり、おでん、カニ汁、たこ焼きのオンパレードだ。
洋モノもローストビーフ、カレー&ナン、チーズフォンデュ、チキントマト煮込みなど数えきれない。
ブッフェではすべてのメニューを一通りは口にしないと気が済まない私達であるが、さすがにこれだけの種類となるとおおいに苦戦した。
(最後のふぐ雑炊は無念にもおちょこ一杯分くらしか腹に入らなかった)
妻と息子は更にその他にデザートのアイスと自作綿菓子をお替りしていたから驚きだ。

    

大浴場はさすが本場、広々とした芯から温まる天然温泉だ。
館内を無邪気に歩きまわっていると、広大な宴会場、カラオケルーム、スナック、麻雀室など、どこへ行くにもレッドカーペットだ。
ゲームコーナー、卓球場、リフレッシュルームなどもなーんとなく古びている。
一言で表わすと「80年代の一流ホテル」。
甘辛に言わせると「看板のフォントが『昭和』」。なるほど今時「殿方大浴場」とか珍しいよなー。
ホテル宿泊はあまりないが、最新設備を結構見慣れている私たちにはレトロな感じがしたかも。
しかし少し古めかしくても「憧れのハトヤ」であることは違いない。無邪気に感慨に耽る一夜であった。
(写真がしょぼくてごめんなさい。皆様想像力を働かせてください・・・)



安全衛生大会

2011-01-27 22:30:27 | 職場
少し前の話だが・・・一体何の大会かと思った。ノロウィルスでも発生したのか?

普通どこの会社にも営業があり、製造、開発他色々な部門があるが、公共交通機関があまり発達していない地方圏では車で移動する機会も多い。
そこでどの企業にも共通の課題となるのが交通安全と健康管理である。特にCSRと言って会社の社会的責任を強く問われるようになった昨今、事故を起こしたりそれを隠匿したりすればそれだけで「記者会見」ものだし、過労死みたいなものがあれば裁判になることも少なくない。

この大会はそんな中で「職務の安全と精神の衛生」を基本に社員を啓蒙するために年1回開かれる。
交通安全については県警の交通安全対策室長がわざわざ来て1時間講話をして言った。ホントはピーポくんやAKB48の1日署長みたいなのを期待していたんだが、硬ーい話だった。
ひとつ気になったのは、「一定以上アルコールを摂取すると血中から消えるのに7~8時間かかるため、帰宅後普通に就寝し翌日マイカー通勤したときに検出されるときがある」という言うものだ。

最大酒量のスティーブは30分かけて徒歩通勤(さすが!)だから問題なし。エイトマンはマイカー通勤でノリ出すとホームで寝込むほどだから、翌日は問題だな。
私は自転車だから交通違反などには問題ないが、転んで自損事故というリスクはついて回る。この前はチェーン番号が合わせられなくなり、やむなく店に置きっぱなしで歩いて帰ったが。。。
交通安全分野で40年近く勤務してきたという県警室長は実に色々な角度から県内の発生状況を分析していた。

しかし今まで受けた講話で最も印象的だったのは免許更新時にセンターで見た「映画」である。
高速道路での事故現場の写真や運転席から見た子供の飛び出し、夜間の視野のようなプレゼンライクなものではなく、ものすごい「ドラマ」である。何せ講堂ですすり泣く人が出たんだから。。。
主演は「永島敏行」、挿入歌の作曲は確か「さだまさし」で「防人の詩」みたいな感じだった。
とある開発プロジェクトのチーフだった永島のスタッフが肝となるモジュールの開発に成功しささやかにに祝杯を上げることになった。もともと酒をそれ程嗜まない永島は仲間の盛り上がりをニコニコ見つめ、会はお開きになる。
駅前の駐車場にマイカーが停めてあるのだが、当然飲んでいるのでタクシーを待つ。時間はそれほど遅くないのにタクシー待ちの列は長くなかなか順番が来ない。そうだ!今日は家族の●(誰か忘れた)のお祝い会だった。今ならまだ間に合う。永島はマイカー駐車場に向かってしまうのである。

自宅近くでふらふら自転車で横断しようとした酔っ払いをはねてしまう。。。目撃者は永島が「酒くさい」のを指摘、救急車とともに警察へ通報する。
警察に連行され、取り調べを受けている間に被害者が死亡、永島はそのまま身柄拘束となる。
妻は被害者宅に涙ながらお詫びに赴くが門前払い、息子は学校でいじめにあって転校、引っ越しを余儀なくされる。
その後永島は交通刑務所から毎月お詫びの手紙を書き、妻は補償金の不足分を届けに被害者宅へ。最後に遺族から「もういいですよ」と言われて涙し崩れ落ちる。ここで「さだまさし」が・・・
この大会でこの映像を流したらどんな講話よりも威力があったと思うなー。

その後保険サービスや事業所の安全対策事例など退屈な講和が続き休憩時間。。。
「健康運動指導士」(なかなか魅力的な資格だなー)という何とかスポーツクラブのインストラクターが出てきて、リフレッシュ体操を行った。
この女性インストラクター、一言で表わすと「パツンパツン!」(笑)、大ホールのステージ上で身体を動かすのでなおさら妙なショーを見ているようで眼のやり場に困った。。。
NHKの「みんなの体操」とか言うものを一部やったのだが、初めて聞いた。ラジオ体操以外にそんなのあったのか・・・・?!

最後に健康管理センターの医師から健康講話というのがあった。タイトルは「正しく知って上手につきあおう アルコール」。
それまでの講話では大半寝ていた場内の聴衆のほとんどが熱心に聞き入っていた。。。

アルコールを摂取すると酢酸へと分解され、最終的には水と二酸化炭素になって対外へ出る。途中段階でアセトアルデヒドという毒素が発生しこれが二日酔いなどを引き起こす。
「お酒に強いか」というのは、この物質を分解する酵素の量で決まるのは知っていた。

先生の話では日本人は欧米人同様に飲める人は6割、酵素の少ない人が4割近く、残りは全く飲めない人だそうだ。
4割近くの「弱い」人は欧米人の1/16しか分解できないんだって。「鍛えて」強くなることはないそうだが、エイトマン新人時の昔話では明らかに「無茶苦茶飲まされて」強くなっている。

次に「アルコール摂取量」と脳機能の関係。。。皆、食い入るように聞いているぞ。
ビール一本でほろ酔い加減、二本でいい気分で口数が多くなる、三本で千鳥足の酔っ払い、四本飲むと自分で歩けなくなって、五本以上飲むと命の危険あり・・・まあ、ざっとこんなところだ。
脳の機能で言うとやはり「外側から」つまり「考える機能」から、次第に見たり聞いたり、運動したりする「内側へ」麻痺が進み、最後は生きるための中枢に行きつくという。
講話での目安は標準的なところなんだろうが、飲み会などで皆の飲み方を見ていると、結構猛者が多く標準の五割増しくらいかな。

最後に話されたのが「アルコールの依存度」。一回のアルコール摂取量と週何回飲むか、そしてその継続年数。。。1回の深酒で脳細胞がどれくらい死滅してしまうか。
スティーブと赤ベエは二人でつつき合っていた。。。
「お前、完全に依存してんじゃんか」「お前に言われたかねえよ」
二人とも普段の職務で影響が出ることなど全くないが、どうも毎日のように飲んでいるらしい。。。
私も一緒に行く機会が結構あるが、老練な飲み方をしていてゆったりと長ーい時間飲んでいる。
自分の方と言うと「酒と付き合う」のではなく、「酒と戦う」ような過ごし方と言われたことがある。
確かにバルカン砲のように休みなく飲みまくり、2時間もあれば撃沈してしまうから、彼らの2次会、3次会というものを知らない・・・

よく言われておりやはり紹介されたのが1回の適量だ。一般的にはビール1(多くて2)本、日本酒1(多くて2)合ということだ。また週に2~3回は休肝日を設けなさいという。
スティーブたちは「休肝日」なる発想すら持たないだろう。。。ただ量のコントロールはちゃんとできるようだから偉い。
私は、と言うとエクササイズ&スパに行く週2日程度は全くアルコールを摂取しない。(意外と思った?)
数百キロカロリ―の運動と長時間入浴によりボクサーの減量のように体重を落としてしまうので、「活性酸素にやられるから運動したら飲むな!」と人間ドックで言われたのである。
あの沁みわたるようなビールを我慢するのは苦労したが、ようやく習慣化できた。

「ビール一本で止めるくらいなら最初から飲まないよねえ。。。」スティーブは

「磯辺さん、お替りが来る間さえ待ってませんからねえ・・・」

もしかして暴走すると言ってる?講師の先生は女性だったが、よく知っていたので講話の後、追いかけて聞いてみた。
「『固め飲み』ってありですか?日本酒4合週2回とか・・・」
あはははと笑いながら(目は笑っていなかった・・・)、爽やかに「全然ダメ!」
そんな話をしていたら、やたらに飲みに行きたくなった。スティーブらが「プチ新年会」をやると言うので(もしかして彼らも刺激された?)ついて行くことにしたのであった。

平和

2011-01-23 20:09:22 | 出来事
息子甘辛の学校プログラムに「平和学習」というのがある。授業の一環として計4回ほど実施され、ビデオを見たり経験談を聴講したりしたそうだ。
一通り終わると原稿3枚程度の「意見文」を書き、クラス全員が発表した。
クラスで2名だったそうだが、珍しく(と言うか、そんな話は初めて!)甘辛は代表として「発表会」で披露することになったのだ。
昔で言う「青年の主張」みたいなものか・・・?!サッカーしかやってないかと思ってたら、結構本を読み、インターネットに連載小説を投稿したりしているようだが、意外と文才あったのかな。

何にしろ何百人も前にして、檀上で発表するなど最初で最後かもしれず、学校から保護者へ案内もあったのでスケジュール調整して妻と見に行った。
家族の見学も可ということだったが、さすがに発表者以外の父母はおらず、体育館には一列しか保護者用の席は用意されていなかった。
トップバッターの女子から発表が始まった。原稿を読みながらの発表だが、立派なことを言っているなあ。

同一年代で同様の教材(インプット)があるから、皆似たような意見・表現になりがちだが、少しずつ違う視点があって頼もしかった。
・原爆投下が手段はともかく戦争終結の決め手になったと思っていたが考えが変わった。
・スポーツで一番になると褒められるし、皆応援するのに、戦争はそうではない。
・日本は今、「平和」だが「小さな戦争」がたくさんあると思う。
・戦争を始める人は弱い人、立ち直れる人は強いひと
甘辛は最後から3番目だ。(ジャンプ競技の2本目だったら後ろの方が真打なんだけどちゃんとしたこと話せるのか?)
一人の発表が終わると1分間ほど「感想」を書く時間がある。発表者は全員300名弱?の感想を集約してもらえるそうだ。

途中、正直言って退屈してきたので私は色々と思いを巡らしていた。こんな機会でもないとなかなか「平和」「戦争」「核兵器」についてなんて考えないものなー。
しかし実に情けないことに、会場の体育館がいかに想像以上に寒かったとはいえ、自分の思考能力の貧弱さを思い知ることになった。
「戦争」についてあったとされる「事実」はたぶん人より詳しく知っている。「核兵器」なんぞ原理も知っている。
しかし、何かを「語る」ことが不思議とできないのである。
戦争って「当事者」以外が何か語れるものなのか?深まれば深まるほど意味不明のワールドに入って行く。。。

「どちらが正しくてどちらが誤っている?」「正義はどちらにある?」「起きてしまった背景は?」「人種、歴史、宗教、その他・・・?!
どう考えても「戦争するヤツなんてあまり程度高くないよね・・・」くらいしか言えないのである。
核兵器?・・・・「沖縄基地にはあると思うよ。だから米軍は移設について。。。」(やばい発言かなー)

「平和」について考えてみた。
真っ先に思いついたのは「『平和(へいわ)』とは『平和(ピンフ)』のようなものだ。」ということだ。
麻雀でいう平和(ピンフ)という手はその中に野心や刺(とげ)がない。。。とんがった部分を「符」と言い、正しくは「符のないあがり」ということができる。
麻雀のすべての役の基本である。しかし4人で卓を囲み、常に4人とも「平和(ピンフ)」で上がろうと思考することはまずない。
面子の中のどこかに「野望」「刺」があるのが普通なのである。
「誰もが『基本』と知っていながら、全員が(気が付かないところで)志向することはあまりない。。。」まさしく平和(へいわ)ってそういうものなのかもしれないな・・・(自分の思考能力の少なさに少し悲しくなったが)

前半が終わり休憩時間となって、その辺でフラフラしていた(全然緊張感なし)甘辛に、「マイクの正面で話さないとここまで聞こえねえぞ。あと余裕があったら何かやらかしてくれ・・・」
いよいよ甘辛の番がやってきた。(さすがに少し緊張してるようだなー)
タイトルは「僕達の使命」・・・

なかなか「よいこと」を語っていたぞ。私に似たとは思えぬが、どうも「理系調」なところがあったがな。
タイトルからして何となく「彼ら」の香りがしたのはオレだけか・・・?!
何せウォークマンに「家へ帰ったらテレビをつけるんだ。そこにはきっとウルトラマンが映っている」という「ウルトラの奇跡」という不滅の動画がいきなり入ってるのだ。
隣で妻はVTRを抱え、私は超兵器203号を構えていた。
正直言ってそれほど印象的なものはなかったのだが(似たようなものなんだよ)、ひとつだけ誰も言わなかった一節があった!

「この星に生まれ、この時代に生き・・・」

うーむ。。。私は思わず膝を打った。そうだ!でかした!「せいじん魂」だ!
人間を宇宙人(地球星人)と捉えるのって大事だと思うんだよなー。
後から甘辛に聞いたらしっかり「意識」していたらしい。市内にそれを「想う者」が親である私以外に誰が気付くか・・・少ないかもしれんがな。

彼の愛用する妻が仕事でGETしたウォークマンには「ウルトラの歴史」をあらわす動画も入っている。その昔、宇宙警備隊長ゾフィーが侵略に晒される太陽系の冥王星付近まで地球人が到達したのを見たときに、言った言葉・・・
「人間よ、遂に自力で此処まで来たな。やがて君たちも、我々と肩をならべ星々の間を駆け抜ける時が来るだろう。それまでは我々が君たちの世界の盾になろう。つぎに会うときが楽しみだ」

息子甘辛たちが目にした戦争のドキュメント、逸話は私でも心を抉られるほど強烈なものだ。それらはずーっと語り(論じ)継がれていくべきものだろう。
しかし事実としてホントに戦争を体験した方はいずれ・・・
同じことを繰り返さぬために、「せいじん」志向は大事だと思うぞ。

センター試験

2011-01-18 21:42:15 | 出来事
先週の土日で「センター試験」というのが行われた。
毎年似たような時期に行われるので、決まって「大雪のため交通機関に支障」とか「●●で時間を変更」なーんてニュースが流れる。
受験戦争では我が国以上の韓国では受験生のためにパトカーも使うことがOKでどんな用事よりも優先されると聞く。受験地獄か天国か・・・?!
今やだいぶ姿を変えたらしいが、私も約30年前(そこまで経っていない。ここ大事よ)に「共通一次試験」というのは受けたのである。(断っとくが結果は別よ)

受けた人しかわからない独特な空気があるから数十年たっても結構おぼえているものだ。
出身地が神奈川県だから当時は「横浜国立大学」が会場だった。むろん高校生だった私は会場など行ったこともなく、実家から1時間足らずの行程だったのに2時間以上余裕を見て向かったものだ。
交通機関がどうこう言う気候ではなかったが、ちらほら雪が舞う土日であった。生まれて初めての大学受験ということもあり?「斎藤祐樹」投手のように学ランを着て赴いた。

会場の教室に入り、時間になると試験管(大学職員?)が要綱を読み出し始めた。「繰り返します」と言って同じことを2度読み上げた後、しばらくしてさらに全く同じことを繰り返した。そして私の席の真横に来て・・・もう一度一語一句違えずに同じセリフを言った。
そしてちぃーさな声で、「筆箱もダメなんですよ。。。」と私の耳元で囁いた。
私のドピンク色のペンギン柄(松田聖子のサントリーコマーシャル柄のカン)を指差したのである。

何という要領の悪さか。受験当人であった私も「コイツは出世しねえだろな」と思ったものだった。
後から「試験管」そのものをやったK大(人の下に人を作るセレブなギジュク)の先輩が言うには、公平とするため「決してナレーション原稿以外のことをしゃべってはいけない」そうである。
なるへそ。。。「問題についての質問は受け付けない」どころか、そこまで徹底するのか・・・
私は18歳ながら思った。。。「公平はわかるけど、何となく何か違くね?」
今ならいくらでも疑問をぶつけられる。例えば頭を剃り上げて「悪」とか残しているヤツはカンニング?スーパー強烈な香水を付けた荒木師匠みたいなド派手ギャルがいたら妨害にならないの?前に座っていたヤツが緊張のあまりゲロを吐いたらやりなおしてくれんの?」

当時はそんな余裕はもちろん無かった。負け惜しみするわけではないが、私たちの時代は受験生にとって史上最悪の条件だったと思う。。。
理系の私でも「共通一次」には国語も社会もある。国語には「古文」もあれば「漢文」も
ある。(国破れて山河あり・・・byトホ)
社会なんて覚えるだけでもオーバーフロ―なのに2教科もあった。(私は担任のせいで世界史、政治経済)
やたらめったら試験範囲が広いだけでなく、国公立大学の受験関門としてはこの試験一発勝負で次のチャンスはない。国立一期校とか二期校とかいう二度チャンスがあった時代と今と丁度狭間であったのだ。(別に国公立に縁がなければ関係ないが・・・)

先般「限界値を高める」編で「知力の限界はない」と言い切ったのだが、明らかに口から出まかせである。
「経験」に制限はないと思う。。。しかし「知力」は伸ばす「旬な時期」はあるし、その時期に「詰め込める容量」には限界がある。
サッカーをやりながら「体力」について「限界値」を伸ばすことができなかった私だが「これ以上は無理」というほど頭が破裂するほど勉強はした。(効率はたぶん悪い)
あの時期から約30年。。。仮にあれ30年続けてきたところでそれほど高得点が採れるわけではないことが経験的にわかるのである。

しかし中学に入学した息子甘辛の中間・期末試験の問題を見ながらワクワクしながら解いた経験から、センター試験についてもやってみた。
今は便利になったもので、インターネットで問題も答えも速報で掲載される。
問題を見ながら答えを投入し、「自己採点」を自動で行うこともできる。実際に試してみたが、「高校入試」くらいならまだしも「大学」ってえのは甘くないんだな。
(よくこんなこと覚えたものだ。しかもその後の社会人生活に一度たりとも役にたったことがない・・・)

初日は国語、英語、社会。。。
国語に年代差はねえだろ・・・漢字OK、現代国語OK、古文NG、漢文OK(たまたま知っていた)115点。。。
社会は記憶ものだからつらいだろな・・・世界史28点。。。
英語・・・まあ、今でもお決まりの自己研鑽はあるので、145点。。。
二日目は理科、数学。。。
化学Ⅰは計算問題はやらなかったが、その他の問題から推定65点。。。
物理は半分数学見たいなもので、全然ダメ!40点に満たず・・・とほほ。。。
数学も忘れてるなー。でも基本問題が多かったようなので120点は採れた。

これらの学科で勉強した事柄が社会に入ってから直接役に立つことは95%以上・・・ない。
最近思うのだが、勉強したことが実生活で役に立つなんて「そんな必要はない」のである。
すべては「知性を高める」ためである。18歳頃が最もその効率がよいのだと思う。しかし体力とは異なり、歳を経てもまだまだ高められるし「限界値」はないのだと思う。
環境が変わったり、普段と違う経験(例えば入院)したり、何か「ひょんなこと」があったチャンスに無邪気に「気付き」さえすればそれこそ上限はないんだろな。



動く被写体

2011-01-16 16:41:02 | 旅行お出かけ
今回は写真(どれもイマイチ、修行が足りぬ)だらけだ。
3連休が終わって次の日曜日、天気はよいが怖ろしく寒い。。。もはや日課(正しくは週課)となった早朝竜泉寺に母親を連れて行き、サザンビーチのデニーズで朝食をとって帰宅したのが10時。
昨日は労使の新春パーティで深夜の帰宅となったからイマイチ調子が悪い・・・
さすがに海でデトックスというわけにもいかぬし、いつものトレーニングジムで無料プログラム(初級ステップ)の時間だが、そこまで回復していない。

久々に散歩でもしようと、超兵器203号を片手に川沿いのハイキングロードを山に向かって歩き出した。
多少風があるが、天気がよいから気持よい。こういうお出かけは午前中に限る。
来週日曜日は湘南国際マラソンだからか、ジョギングしてる人がいつもよりたくさんいるような気がする。
二宮あたりを出発し、海岸道路を江の島に向かって走る湘南マラソンは今年5回目で、ぜひ出場したかったが、年末の退院直後なのでさすがに控えた。
(その代わり来月の市民マラソンには出る。)

散歩コースとしては川沿いのコースと海へ行くくらいしかないのだが、何となく感じるものがあって今回はこのコースにした。
川の両側に歩道があって、樹木が豊富にあるから野鳥がよく横断している。
今回のテーマは「動く物を撮る」だ。絵心の無い私は静止画像をとっても我ながら冴えないのである。
病室で毎日行った「眼力トレーニング(DS)」の成果を見せるときがきた。



こういうときこそ、余計な野望を持たずに「無邪気」にその辺のものを写す。。。
川の真ん中で何か動いているからレンズを向けると、カワウ君がしきりに潜水を繰り返している。
一旦もぐるとしばらく出てこないな。しかもすごいところから浮上する。この時間であの距離まで進むとはまるで魚雷だ。。。
そのカワウが一旦浮上して今度は水面を走り今度は離陸した。。。うーむ。陸海空万能のすごいヤツだ。ムクドリも何羽か向こう岸から飛来してきて慌ててレンズを向けたが、うまいことピントが合わないなー。



鍛え抜いた動体視力をもってしても、飛んでる鳥を探知してからカメラを向けてもさすがに遅いらしい。
緑っぽい小さなモノが目前の木に止まったので何かと思ったらメジロだった。
我が家の梅の木にもよく飛来するから珍しくもないが、飛ぶところを撮ってみたかった。
203号を構えロックオンして待つこと2,3分、枝から枝へちょんちょん飛び移るがさーっと飛び立つことをしなかった。。。
思わず「飛べよ!お前」と呟いたら、隣のベビーカー親子が不思議な顔をしていたので、慌てて退散・・・



たとえアイスクリームでも食べ物を持っていると後ろから滑空して襲い来るトンビが悠々と上空を舞っていた。
近くで見ると精悍な顔をしているなー。動きが緩やかだから比較的ちゃんと撮れたぞ。
ハクセキレイやヒヨドリもよく川を横切って行くのだが、なかなかうまく捉えられない。
駅伝コースを渡って、線路に向かってさらに歩いていくと。。。青い稲妻が視界の端を走った。

やはり何となく今日、いそうな気がしたんだよなあ。「市の鳥」である。
この前見たのは橋の反対側だ。スーパーマダム小夏さんが言うように、この近くに巣があるのかな。
そーっと接近して連続シャッターを押した。一旦反対岸に飛んで行ってしまったが、その姿は収められなかった。
セットで売っていた普通の望遠レンズだから像は小さいが、辛抱強く飛び立つのを待っていた。
小さな子を連れたお母さんが「何を撮ってらっしゃるんですか?」
「あの斜めになってる枝に留まっているカワセミなんですが」・・・ってちょっと目を離したスキに飛び立ってしまった。。。わーん。しかし天使は近くでほほ笑んだのである。



「ねえママ、ブルーのきれいな鳥がいるよ」
おーっ、素晴らしいよお譲ちゃん!さっきのヤツかな。しばらくすると例のV字攻撃を見せた。「わーっ、すごい。お魚咥えてる!」
しばらくしてまた飛び立ってしまったが、超スピードのためやはりまともには撮れなかった。まだその辺にいるが、きりが無いからまた今度な。。。



反対側に渡って家へ向かって帰路を歩き出すと、なんかでかい鳥が飛んできた。
ありゃー川にかかる水道管に「置き物」のように立っていたアオサギじゃないか。
さっきはレンズを向けて回りに誰もいないのを確かめ、大きな声で「バン!」と言っても身動き一つしなかったのに。。。
しばらくして川下へ飛び立っていったが、やはりカワセミと違って動きが鈍いから、そこそこ撮れるものだな。



家の近くまで歩いて来ると、さっき潜水を繰り返した(同じヤツかどうかわからぬが)カワウが浮上して何か口に咥えている。何かもがいてるようにもみえるぞ。
反対側からこちら側に近寄ってくるのでレンズを向けると、何と20cmくらいの魚を咥えている。
魚は動いているから口を放したら最後、逃げてしまうのだろう。どてっ腹を咥えていたのだが、体をくねらせしばらく格闘した末に頭から真っすぐに呑み込んだ。見事な技だ。



飛翔する鳥を写真に収めるのはまるで「クレー射撃」のように難しいものだが、なかなか面白かった。
1時間くらいのコースで150枚くらい写真をとったがあんまりまともに撮れてるのがなかったな。本でも借りてきてもう少し修行しよう。
カワセミの巣があると思われるのは王手家電メーカーが撤退した工場のすぐ近くの橋だ。
「コストコがくる」という話はあったのだが流れたそうだ。彼(彼女?)らのためには実に結果オーライだったな。

限界値を高める

2011-01-14 13:20:01 | スポーツ・健康
私が退院した1月4日、息子甘辛は入れ替わりにチームの合宿に出掛けて行った。伊豆半島の伊東で(温泉合宿か?!)、現地集合のため電車を乗り継いでいったようだ。
今時の子供は小学生のときから「合宿」なるものがある。サッカーフェスティバルのようなどちらかと言うとイベントのようなものだ。
春夏冬と高学年になってから贅沢なことに年に3~4回合宿に出掛けていた。サッカーの試合ばかりだから、応援と観光がてら車を走らせて普段あまり行かない千葉、茨城方面に繰り出したものだ。これはこれで面白かった。

Jリーグの下部チームともなると海外遠征などもあり、入団とともに「春の遠征合宿のため30万円用意してください」と涼しい顔で言われてひっくり返ったという話も聞いた。
息子甘辛もサッカー少年団を卒団し、クラブチームに入ったが春夏と遠征合宿を経験し今回3回目となる。
今回の伊東合宿はプロ野球で言う「地獄のキャンプ」に相当するキツイものらしく、甘辛は最初からビビっていた。。。「オレ、生きて帰れないかも・・・」
朝から晩までずーっと浜辺でダッシュやインターバル、筋力トレーニングばかり続けるそうだ。昼食を取りに宿へ戻るだけでも1キロ以上の昇り坂だという。。。

私は入れ違いに出かけてしまう息子に病室からメールを打った。
「メニューをこなすための体力を温存するな。最初のダッシュから全力で行けるところまでいくつもりでやらないと限界値は高まらない。倒れたら自動的に休めるから」
実は私がその逆だったので、「限界値」を高められなかったのである。
我々の頃は中学生まで「合宿」のようなものは全くなかった。また大学生になっての「合宿」はサッカー、スキー、テニス、ゴルフと多彩に顔を出したが、どれも半分女子とのお遊びモードであり「地獄」とは程遠いものだった。

やはり悪夢のようなイベントだったのは「高校サッカーの合宿」である。
今でこそ1年おきに「スペイン遠征」などもあるようだが、当時は国内にすらどこへも行かず、なんと校内に合宿所があったのだ。
食堂の2階にあったその施設はまさしく「収容所」と言うに相応しい環境であった。
熱帯夜に扇風機もなく網戸にしても風は入らず、蚊取り線香の煙がやたらにキツイ。。。木製の2段ベッドに「大かまきり」が付いていても、気にならないほど疲弊しきっていたので汗びっしょりになっても眠っていた。

朝連、午前連、午後連、夜練(体育館)と「この1週間はサッカー以外のことは考えるな!」と言われてひたすら練習が終わるのを待つ・・・
夜練後の銭湯帰りにセブンイレブンで買い食いする「スラーピー」と我が校ではアイドル精鋭とも言えた女子マネージャーの差し入れる「はちみつ輪切りレモン」だけが楽しみだった。
各練習の最後には必ず100メートルダッシュ20本がある。当時は「バテるから水を飲むな」という信じられない指導が立派に生きていた頃だったから、途中で倒れこむ者も結構出た。

私はそう言う先輩や同級生の姿を「はしたない」と考えていたので、練習の要所要所で見えないように「手を抜き」体力を温存していたのである。苦しそうに喘ぐ顔を「かっこ悪い」と思ってしまう幼稚な年頃だった。
しかし地獄とも思える合宿を終了して大躍進したのは「バテて倒れこんでも全力で走っていた」人たちだったのである。
合宿に限らず通常練習でも「全力を出し切る」ことをあまりせずに「温存」するスタイルだった私は、幸いにも引退するまでレギュラーには残れたが、最後の大会数か月前を迎えて「どうもこのままではいかん」と気が付き、必死になってトレーニングしたものだ。もちろん時すでに遅し・・・
大学生になってからの運動は何事も全力投球で一生懸命やったつもりなのだが、残念ながら「そういうことを要求される」シーンが少なかった。

社会人になってからなど、自分の限界値に挑戦したことなどたぶん数えるくらいしかない。レッドゾーンまで平気で踏み込むものは酒を飲むことくらいで、お仕事は何事も最大80%、キツイと感じる前にリミッターを効かせてしまう。(バレたら怒られるけど・・・)
顔だけは全力投球しているように見える(昔からこれだけは上手かった)。おかげでメンタルな健全度は常に高得点だ。

甘辛はどこまで理解したか分らぬが、結構頑張ったようだ。一緒に走ったグループが「倒れるまで真面目にやる」先輩ばかりだったらしいのである。
ハードではあったが、最終日の夜は「ものマネ大会」などもあって夜通し寝ずの騒ぎだったらしいし、近隣に「昔のおもちゃ」を扱う店を発見したらしく電話をしてきた。

「レアなセブンのフィギュアはGETしたよ。さらに激レアの『セブン上司』があったけどどうする?」

こんな時でもウルトラ物に目を光らせる彼もさすがだと思うが、たぶんそれなりに値段がするはずなので、サッカーに専念するよう叱咤しておいた。
「せいじんの日」に一旦いつもの南熱海の釣りポイントに向かったのは実はその先の伊東にあるというその店を密かに偵察し幻の「セブン上司」をGETする作戦だったのである。
ちなみに前日息子甘辛と海老名に見に行った「ウルトラマン映画」は私の愛してやまない「ウルトラセブン」の息子「ゼロ」が主役である。
ウルトラ戦士と比べるべくもないが、甘辛は自分とダブらせて大層気に入ったらしく、隣のゲームセンターのクレーンゲームで特大フィギュアを何なくGETして見せた。。。

「ウルトラ物を嗅ぎ分ける」能力も含めて「知力」にはたぶん限界値がないがやはり若い時に「死ぬほど」鍛えて高めたほうがよい。(記憶は明らかに衰えるから)
私の遺伝を強く受けていたら、たぶん息子甘辛は「精神力」はあまり強くない。
「霊力」はほぼゼロなはずだ。これだけは高めてほしくない。「変なもの」が見えると言われたら、眠れなくなるからな。

三崎港へ

2011-01-11 04:40:50 | 旅行お出かけ
正月三が日は病室で過ごし、図ったように正月明け四日に退院してきた。
息子甘辛はその日から伊豆へ合宿に出掛けてしまい、家族で新年を祝うこともままならぬ。
退院日は竜泉寺でゆっくりと闘病疲れ?を癒し二人でレッドロブスターで乾杯だ。「次回の外来受診までは控えて・・・」と言われていたのだが、どうしてもシーフードとワインが飲みたくて、夕方チャリを走らせて江の島店へ。。。(早速飲み過ぎた・・・)

翌日は最近、茅ヶ崎の母との習慣となっている早朝竜泉寺と海辺の朝食だ。
母も一人住まいだから外食することも少なく、週一のこのお出掛けが楽しみらしい。それなりに年寄りと「にわとりより早く起きる」私のコンビなので、まだ暗いうちから天然温泉へ。朝、早起きして露天風呂から見る富士山は最高だぜ。
天気は素晴らしくよい。一日しかない私の自由休みなので、妻とドライブに三崎港に行くことになった。
病院ではさすがに刺身のような「生モノ」が出ないからどうも身体が魚介を欲しているのだ。

仕事始め二日目だからか、休日は絶望的に混んでいる海岸線もスムーズに流れている。
江の島を過ぎて、長いこと工事中だった腰越港を横切る。よく釣りに来たところだが、新堤防が完成したのに未だ立ち入り禁止。。。土休日の朝、販売していた(今は禁漁期間)生しらすは大きくてすごい量だ。
江ノ電鎌高前を過ぎて、昔持ち込んだ妻の牛丼が背後から「とんび」の滑空攻撃にあって「汁丼」にされてしまったい稲村ケ崎、そして水中花火大会で有名な由比ヶ浜海岸である。

その日はいい「うねり」が入っており、サーフィンにはお勧めの波加減だったが、さすがにこの季節になると浮かんでいる者も少ない。。。
逗子の手前に絶好の風景を楽しめる「デニーズ」があったのだが、つぶれてコメダのような大きなコーヒー屋になってしまった。
さらに134号を一旦離れて海岸沿いを進むと葉山御用邸だ。天皇家の御用邸がある場所はその昔から強力な「パワースポット」なのだと記事で読んだことがある。さすが皇室、うまくしたものだ・・・

ラ・マレード茶屋、音羽の森などデートスポットとしてその昔何度か足を運んだが、結構有名だったレストランも今はつぶれてしまって廃墟になっているところもあるぞ。
佐島、秋谷のマリーナを過ぎて横須賀へ。海岸線は見事な風景だ。いつもとは反対側から見る江の島の姿とその後ろの富士山が。。。
(運転していたので、画像がなくてすいません。ご想像ください)

自衛隊駐屯地を過ぎて一旦、内陸コースをしばらく走ると三浦市に入り、その先端が三崎港だ。
「うらり産直センター」へ。観光バスも結構訪れる三崎港の魚センターである。
昨年12月、スティーブの束ねる部門のOB会でここを日帰りバス旅行で訪れたそうだ。
どちらかというと、行き帰りのバスで「たらふく飲む」のが目当てで、目的地はどうでもよいらしいがな。。。何時間もかけて到着したのに、何人かはバスから降りずに飲み続けていたらしいぞ。

   

私も妻も「市場」を歩き回るのが大好きだ。似たような店で品揃いも同様だから実際に買うとなるとかなり目移りして困ることもある。
また、あの魚屋特有の威勢のよい呼び込みが私は少し苦手なところだ。つられてつい買わされてしまうし、「ネギる」ことがなかなかできないのである。
昼少し過ぎて到着したので少しお腹がすいている。ふと目に着いたマグロコロッケをほおばると実にジューシーで旨かった。

      

とれたて朝採りの様々な魚が並んでいる。アジやサバなんか300円とか・・・あまりに安過ぎて釣り上げるのにいかに苦労するか考えると多少虚しくなるほどだ。

   

年末は正月の準備で、年が明けると年賀もので、たくさんの人で賑わうはずだが、5日にもなると人はいるもののまばらになる。
そして正月用の売れ残り?が、俄然安くなるようだ。
金目鯛の干物なんて、いつも行く熱海の干物屋で一枚2000円とかするのに、何と3枚で1000円!干物好きの我が家は迷わず「買い」だな。

   

その他、「ずわいがに」の足の束が半額になっていた。このボリュームで3000円というのも安い気がするが、さらに半額というのはすごい。
我が家の人間はあれほど魚介好きなのに、どういう訳か「かに」にはあまり興味を示さない。
簡単にいうと「剥くのが面倒くさい」のである。「かに」が料理に出ると、よく皆が黙りこくってしまう、と言われるがそもそも私も息子も手を出さないのである。
太い蟹の足をパキっと割って中のジューシーな身を頬張る、ということができない。
私も息子も「剥いてあれば食う」し、妻は性格的なものなのか全部剥いてから食う。
以前、職場の忘年会が「蟹尽くし」であったときに、私の目の前だけまったく手付かずの蟹の山が放置されていたので、黙って女性社員が親切にも剥いてくれたことがある。

  

せっかく1日しかない正月休みだし、ここは珍しく蟹でも食ってみようと半額に釣られて購入。。。
その他、大粒のハマグリ(焼蛤用)と冷凍のマグロブツ(お徳用)を購入して一通りの買いものは完了だ。晩御飯は魚介尽くしだなー。浦霞も忘れずに買っていかねば。
昼飯は色々並んでいる店で、「とん汁サービス」のあるところを選び、私名物鉄火丼、妻は名物ネギとろ丼にし(何でも「名物」が付いてるだけ?!)、半分ずつにして味わった。
203号を片手にしていたが、店内で料理を撮影する気にどうしてもなれなかったのでこれまたご想像してください。
どちらも1000円そこそこだったが、さすがに美味しかったぞ。

もう一度「うらりセンター」を一回りする。テレビでも紹介されたらしいが、「あほうどり」という民宿では地元で採れた野菜をプリンにして打っている。屋台に小さな試食品が並んでいたから片っ端から口に放り込んだ。
昔朝ご飯のときジューサーミキサーで死ぬほど不味い野菜ジュースを流し込んだトラウマもあり、名前からするといちご以外はすべて抵抗があるのだが、どれも「プリン」っぽくてそこそこたべられた。
「にんじん」は予想通り甘かったし、心配であった「こまつな」もいけた。。。意外に一番美味しかったのは「大根」、あっさりとした風味がよかった。逆に一番不味かったのはキャベツ・・・昔の野菜ジュースを思い出してしまったぞ。。。

   

出口におみやげ屋はまさしく「まぐろのキワ物尽くし」だ。カレーにラーメン(まぐろラーメンはB級グルメ大会で5位になったらしい)、卵にチャーシューにかぶと煮。。。
面白そうなんだけどなー。外し王の私はついつい手を出したくなるのをぐっと堪えた。
今回は正攻法で三崎の魚をちゃんと買ったから、キワ物はまた今度だな。

   

私は今でこそ魚フリークだが、子供のときは刺身と言ったら「まぐろの赤身」しか食べなかった。
富山出身の両親はさすが、刺身の味にはうるさく、いつも結構いい物を口にしていたのだ。
寿司ではなく、刺身でご飯を食べるのが好きだった。(いい赤身だとご飯がほんのり「甘く」感じるのである)
普段はあまりうるさく言わないが、最近スーパーで買ってくるマグロにはあまり美味しいのがない。。。
久々の三崎港で買った「まぐろ」は美味しかった。退院後のささやかな贅沢だよ・・・

せいじんの日

2011-01-10 19:42:05 | 出来事
ニュースでも色々なところの催しが報じられていたが、女性の振袖スタイルは昔と変わっておらず、艶やかなものだ。そう何度も着られる機会はないと聞くが、娘や親類に少し姿を変えて着せられるというのも、着物ならではの素晴らしい文化だ。
今回は年末に入院劇があったものの、幸いこの日は家で迎えることができた。(と言っても我が家は当分関係ないがだが、・・・)
しかし毎年不思議に思うのが、「マスメディアの報道対象とする新成人」である。

女性のメイクはほとんど「妖●人間ベラ」だし、男子の紋に付袴姿にいたっては、正月の爆笑ヒットパレードの芸人よりも低レベルだ・・・
街中であんなバカっぽい新成人はまず見られない。なぜ「あんなはしたないヤツ」ばかり放映するのだろうか?
外国人に見られたら恥ずかしいとは思わぬのか・・・?!

約四半世紀前に私も茅ヶ崎市役所で成人の式典に出席した。大学生だったからあまりジャケット姿も板に付かず、振袖姿の同級生女子を見ても何となく気恥かしいだけで、その後何をするわけでもなかった。
当時から「お酒は二十歳から」何て言う若者がいるわけもなかったが、同級生で合コンというほどフランクでもなく、夕方の飲み会はむさい野郎ばかりだった。
ただ駅前大踏切の近くの「つぼ八」だったが、悪友が「本日、成人の仲間入りをいたしましたあ!」と杯を上げて叫ぶと店中のお客さんが一斉に立ち上がって「おめでとう!」と乾杯でいてくれたのを覚えている。

実は今日は朝6時に練習試合の甘辛を駅まで送った後そのまま南熱海へ「初釣り」へ向かったのである。(今年一番の冷え込みというのにちょっと無謀だった・・・)
極寒用の装備をして寒グレ釣りに挑もうとしたのだが、途中聞いていたFM横浜で「湯河原は一面の雪・・・」というメールが取り上げられ、雪用の装備を持っていなかった私は「行けねえじゃんか。。。」と西湘バイパスを引き返してきたのである。
ラジオで県内の成人式の予定を色々取り上げていたぞ。。。
 
我が街の成人式は何と、「水族館」で行われたという。特別イルカショーというのがあったそうだ。
風が強くて身を切るように寒かったが、平塚市は「ギネスに挑戦」というイベントがあったらしいし、新横浜プリンスでは大きなイベントがあったらしい。
また面白いのは海老名市で昨年好評で続けたという、「還暦式」との並行開催。。。。
新成人は「初めての還暦」を迎えた人に手作りの赤いチャンチャンコをプレゼントし、還暦を迎えた人は新成人に秘密のプレゼントをあげるんだって。
粋なことをするものだ。人生の大先輩を前にしてアホなことはしないだろうからな・・・

成人の日を迎えて数年経ち、社会人となって10年くらいのときか・・・「何をもって成人とするか?」について議論に盛り上がった記憶絵がある。
色々意見が出たのが大学入学が普通は18歳、「18禁」とか風俗上はあるのに、選挙権、アルコール摂取などが20歳から、という妙なズレである。
世界的には18歳をもって成人=選挙権という国も多かったはずだ。
その昔、封建時代(侍の時代?)は元服と言えば大人の仲間入りで15歳くらい・・・
生物学的に見ると「生殖能力」もそんなあたりだろう。(たしか女性は16歳から結婚できたはずだし・・・)

「生計をたてられる」というのも成人の条件として根強い主張があった。
「自分の力で食べていける」というのが成人と言うのは古来から「ある」と思う。さらに「家族を養っていける」というのも男性的には応用編としてあったようだ。
ビジネススクールで俄か企業家という気分になった経験も影響しているが、「日本の会社」というのは大小関わらず「同じの軒先」という家族意識が強く、学生という身分と会社員という身分はあまり変わらないように思える。
「自分で起業して『看板』の恩恵を受けられなくなって、「初めて一人前の社会人」みたいば厳しい見方もできるのだ。

「成人自己申告制度」を提唱する先輩もいた。「結婚する」「社会人になる」「子供を持つ」「資格を得る」人それぞれ「これを持って私は『成人』という区切りを自己申告させろ、と言うのである」
なかなか面白い発想だと思うが社会制度としては運用できないだろなー。成人、非成人の区別に公平感を持たせるのが絶望的に難しい・・・?
私は成人式を迎えても数年間、生計をたてない「学生」の身分にいたから何とも難しい。

息子甘辛が生まれてから数年間、「成人の日」は九州荒尾市の「ウルトラマン・ランド」に足を運ぶことがあった。
当時「成人の日」は1月15日であり、その日だけ「星人の日」として特別イベントがあり、普段は決してショーなどには出てこない、マニア好みの「星人」が登場するのである。
「ガッツ星人」「ヒッポリト星人」「ナックル星人」・・・他、知らない人には何のことかさっぱり分からぬであろう。
いやあ、九州旅行は楽しかった。(熊本大好き)
何をもって「成人」とするか・・・私のアイディアは「星人の日」としてしまうことである。
我々はこの星に住む「地球星人」である。メン・イン・ブラックの俳優が出るCM「この星の住人は・・・」ではないが、「地球に住む一人の星人として、そんなスケールで物事を考えられる者を『成人』という。。。
エンリコ・フェルミという物理学者の推定では宇宙の構造、地球の年齢、知的生物の条件、
それが光速を超えて移動できる手段、他考えうる可能性を確率的に評価すると、地球に地球外生命体がいるのは「当たり前」に普通らしい。
「みんな、どこにいるんだろうね」というフレーズが「フェルミ推定」の象徴である。
「星人の日」も結構「あり」だと思うんだがなー。。。

同門意識

2011-01-08 18:09:59 | 出来事
同門意識、母校への愛着などというのは我が国独特の文化なんであろうか?
入院して過ごした年末年始、一時外出でガラガラになってしまった病室で「爆笑ヒットパレード」を初め「お笑い」にも少し飽きてきた頃である。
何せやることがない。テレ東の新春大型時代劇「二人の軍師」なんてのも好みだし、時間つぶしにはいいのだが5インチの極小画面テレビで7時間というのもつらい。。。

正月、2日、3日。。。こういうときは「箱根駅伝」である。(まさしく病室向け)
ずーっと見てる必要もないし、要所で盛り上がりがあるので退屈もしない。
ここ数年このサイトでも「箱根駅伝」を取り上げるようになったのだが、それまでは「ただ走って襷をつなぐだけ」のレースを正月早々見に行くことが理解できなかった。
正月は「お出かけして」、「昼から酒を飲む」ものであり、郷里を縦断する名物レースとは言え、テレビに釘付けとかましてや近所だが「応援に行く」などというのは想像もしなかった。

成人してから(ちょっと嘘・・)元旦は毎年近所の悪友とともに夜中に集合してチャリで寒川神社に初詣、その後茅ヶ崎海岸へ直行し火を炊いて鍋の準備をし、酒で温まって初日の出を待つのである。
日の出が見られようが見られまいが、構わず海岸宴会は行われた。地元なので気が付くと明るくなって周りには結構知り合いが多く、周辺が一大同窓会のようになったものである。
小学校、中学校あたりの同級生は「同門」「母校」という意識はあまりなく、単なる「クラスメイト」である。

ふとテレビを見ると箱根駅伝は茅ヶ崎花火大会を見に行った見慣れた浜須賀の高架橋から海岸線を離れ、我が家のすぐそばを通るコースに差しかかっている。
その先、東海道線を渡ってまっすぐ進むと昨年まで息子甘辛が少年サッカーのホームとしていたグラウンドを横切る。
3日は彼らの「初蹴り」の日だ。駅伝選手通過の時間帯は皆ユニフォーム姿で沿道で応援するのだ。
甘辛は昨年卒団したが、今年はOBとして参加すると言っていた。

沿道には色とりどりの幟が立ち並んでいる。箱根駅伝は毎年似たような大学チームが出場し、残念ながら私の母校は全く縁がないが、それでも結構熱くなるのだ。
「同門」という縁があったらそれは盛り上がるんだろな。。。
昔から思うのだが「早稲田大学」と言うのは実にうらやましいものだ。
箱根駅伝(優勝おめでとう)もそうだが、斎藤投手の野球、ラグビーなど大学の花形スポーツのすべてにおいて中心的存在で、卒業生は何かにつけて「盛り上がる」ネタを欠かすことがない。校歌(なのかなー?)だって日本中の人が知ってるし。。。
スポーツだけでなく、政治、経済、文化あらゆるところに著名人を輩出し、とにかく「同門」の豊富さは日本有数だろう。
まあ、当人に聞くとあまりにも人数が多く、メジャー過ぎて感動は薄いモノだというが・・・それになかなかに「行きたくて行ける」ところでもないしな。。。

息子甘辛はさすがにやってるだけあって、少し将来の高校サッカー選手権を熱心に見ている。やはり高校スポーツの華は野球とサッカーであろう。
私の正月宴会仲間に一人だけ、春の選抜甲子園に出場した者がいる。むろんちょびっとだが、「甲子園の土」も分けてもらった。
高校スポーツの応援はアマチュアでは一番盛り上がるんじゃないだろか。。。
選手は青春ど真ん中(って死語?)で現役、OBはもちろん、選手の家族そして地元後援会などありとあらゆる「縁者」が総ぞろいだからである。

私のいたサッカー部は何と、卒業後数年で冬の選手権に出場することができた。確か横浜の三ツ沢競技場で、試合には負けてしまったが我々が身に付けていたユニフォームが「全国大会」で走りまわっているなど夢のようで、校歌がかかったときは感動のあまり涙したものだ。
卒業後、「校歌」というものに打ち震えたのはその後20年以上無かっただが、何とこの正月「ひょんなこと」から地方のローカルテレビで紹介されるのを目にするのである。
そう、ノーベル化学賞の「デジカメ先生」が母校で講演した際のVTRが編集され放映されていたのだ。
北原白秋(作詞)、山田耕作(作曲)のゴールデンコンビがなす「校歌」を久々に聞いた(病室で)。

今年、我が校は創立90周年を迎えるという。(私が在校の頃、創立60周年・・・記念講演は『柳家こさん』師匠であった)
教授の講演、それほどぶっ飛んだものではなかったが、一つだけ「リケイド」の私に響くものがあった。
「ノーベル賞は1000万人に一人、1000万は10の7乗である。つまり自分がひと桁上るステップを7回続ければ辿り着ける。私は本校最初だが、最後ではないはずだ。」
「皆さんはもう最初のステップは上ってしまってるかもしれない。『才能』とは努力することを続けられる能力を言うのだと思う」

うーむ。。。正月早々、響く話を聞くことができた。入院でもしていなければこんなローカル番組、決して気が付かなかったろな。結構ツイてるぜ。
見舞い(遊び)に来ていた息子甘辛には「茅ヶ崎で必ず見ろ!」と時間を合わせて早めに帰したが、どうも「さんまのまんま」を見てるような気がしたなー。



息子甘辛の練習試合が昔、通学していたキャンパスのすぐ近くだったからどうなってるか行ってみた。
学生の後半3年間を過ごした学びやであるが、高度経済成長期に建った「手抜き構造物」はほぼ建て替えられ、私のいたR3館は見当たらなかった。。。
随分様変わりしているなあ・・・夜になると狸が出るのだ。(2回ほどホントに見て驚いた)
国道246号の向こうには頭だけ富士山が。。。この下が最寄りの駅でロータリーにあったベーカリーに幻の「おっぱいパン」があったのである。