「ホスピタリティ」・・・・聞いたことがないわけではないが、耳慣れない言葉だった。ホスピタル?病院?語源から推測するに「病院の精神?」最近になってホスピタリティ産業というのもたまに聞いたりするが、どうも活字に書かれた説明などを読むよりは、実際の話から考えたほうが分かりやすいような気がする。何となく「心温まる深い〜話」にそのヒントが隠されているらしい。
ビジネス用語には時々降って沸いたような流行語のようなものがあるが、今回はたまたま機会があって普段中々接しない、専用の教育ビデオのようなものを見たことから、「ホスピタリティ」について書いたものだ。
すべての企業は「顧客」というものを持ち、提供する製品・サービスなどに顧客が満足しているかどうかをできるだけ詳細に把握しようと努めている。いわゆるCS(Customer Satisfuction)というヤツである。それは
顧客とコンタクトがある時に電話やはがき(今時スーパーなどどこにでもある)でアンケートなどを行ったり、逆にコールセンターやWebサイトなどを設け、顧客からの能動的な声を集めたり、と方法は様々である。我が社も普通の会社と同様で私は主に技術系のセクションだから、顧客とは製品やサービスについての問合せに答えたり、壊れたものを直しに行く時にコンタクトをとることが多い。それら「顧客」と接点を持つ第一線の担当者が今よりもっと「満足のいく接し方」ができるような取組みも行っている。
先日、その一環として「お客様応対力向上セミナー」というのが行われた。Webサイトなどでも企業相手にこんなタイトルのセミナーは山ほど見られるが、今回は自前で構成したものである。対象は平たく言えば「工事屋さん」だ。それもいろんな分野があるが、今回は個人顧客と接する機会の多い係が100人以上集まっていた。カリキュラムを見せてもらったが、新入社員の時に「ビジネス・マナー」として習った覚えのあるようなことが並んでいた。元々行儀作法など苦手の私は例によって「初めの挨拶」を終えるとただ聞いているばかりだったが、中々考えさせられるところもあった。こういうセミナー専門のDVDが世に出回っているのも興味深いところだ。
まずは「お辞儀の仕方」である。「悪い見本」として最初に出たのが「ヤンキーが先輩に会釈するような」ニワトリのように首だけ前に出すスタイルだが、DVDでサラリーマン風の若者がスーツ姿でこれをやった時、思わず噴出してしまった。今時こんな変なヤツいるか?とても就職氷河期は乗り切れないと思うのだが。
正しいお辞儀の仕方は身体をまっすぐ折って角度は会釈15度、普通礼30度、最敬礼45度だそうだ。んっ?我々の時は深く謝罪を表すときの最敬礼は90度と習ったような記憶があるが・・・(歳バレ?)「それではDVDをお手本にして皆さんもやってみましょう」
「ありがとうございました」普通礼として講師と一緒に立ち上がって一斉練習が始まった。むろん私も同様にお辞儀をしたが、何度も頭を下げながらボストンのビジネススクールを思い出していた。かのスクールのケーススタディに日本企業がいくつも登場したが、その中で「クリスマスだけ店頭の小太りおじさんがサンタになる」ファーストフード店の朝の様子が印象的だった。「ありがとうございましたぁ!」赤いちゃんちゃんこ制服を着た全店員が揃って大声で、某恐い国の軍隊パレードのように一糸乱れぬ直角最敬礼を繰り返すのである。米国生まれでそのような接客マニュアルなど無かった某フランチャイズ店が日本では独特の文化を発展させたという、半分「やらせ」のような、「嫌味でやってんのか?」と言いたくなるようなVTRだった。
さらに私ははるか数十年前、丸1日にわたり叩き込まれた「ビジネス・マナー」研修を思い出していた。お辞儀の仕方の他に歩き方、名刺の渡し方、通路の案内の仕方、笑い方・・・「相手の方にビールを注ぐ時はどのようにしますか?」講師は当時新入社員の私を指差して尋ねた。「ラベルを上にします」私は間髪入れずに答えた。「そうですね。銘柄を相手に見えるように両手で注ぐことが大事です。よくできました」
えっ?そういう意味なのか・・・薬品を別の器に注ぐ時は必ず「ラベルを上」にする。下にしてしまうと、瓶からこぼれた薬品のしずくがラベルに伝わり、名前が分からなくなってしまうからである。劇薬なども扱う化学実験にたずさわる者には基本中の基本で、私には完全に身に染み付いてしまっていたのだが、こんなマナーとして役立つとは思ってもみなかった。
DVDは身だしなみについて詳しい解説に入っていた。「服装は華美にならずに清潔感を出せるもの、爪を切ってきれいに磨き、髭は剃り残しのないように、Yシャツは第一ボタンまできちんと留める。(ネクタイ着用の場合)頭髪は短めにしてきちんと整え、パンツは少し長めにしてソックスが外から見えないように」まあまあ、そんなとこだろな。。。夏場のネクタイは確かに北関東では暑くて我慢ならんので、クールビジネスはウェルカムなんだが、あのスタイルは「それ用」と書いてあるものを買ってくるとそこそこに見えるのに、上下スーツネクタイ姿から上着とネクタイを外すとどうしてあんなにまで「冴えない」姿になってしまうのだろうか?先日とある機会でお見掛けしたのだが、とても会社のトップとは思えないみすぼらしさだった。DVDに登場する青年はいかにも清潔で好感が持てるようだ(当たり前か)。
(はははー。それでもねー・・・)と私は心の中でつぶやいていた。年に2度ほど顧客からの投書やアンケート調査などを元に顧客満足度の高い人に敬意を表して表彰差し上げることになっている。大抵、私がトップ代行としてお渡しに伺うのだが、毎回上位のポジションに名を連ねるのは同じような人たちだ。しかも身だしなみだけ言えばお世辞にも「素晴らしい」とは言えない。。。ぽんぽこ狸がカトちゃんのちょび髭をはやしているような人もいるし、「ちびまる子ちゃん」の藤木君のようにちょっと暗めの人もいる。共通して腕は素晴らしいのは確かだが、口下手でどちらかというと愛想がよくない。。。職人技が入ると必ずしも「見てくれ」だけではないのが、顧客心理の面白いところである。
そしてセミナーはいよいよ本編である「ホスピタリティ」に入る。この言葉は普通「思いやり」とか「心からのおもてなし」のような意味で使われる。サービス業などによくあるマニュアルには載っていないのに、ちょっとした心使いでお客様に絶大な感動を差し上げた時などに「ホスピタリティを発揮した」などと言われる。DVDではとある女優が顧客からの感謝の手紙を朗読する。
「病気で入院していた息子が久しぶりにモス・バーガーを食べたいというので近所の店に買いに行った。あいにくオフタイム時間で品数も少なかったが、レジの係りが厨房に入って一生懸命バーガーを作ってくれた。その姿を見てつい我が家の事情を話してしまった。病室で袋を開けると『早くよくなってください』という小さな手紙が・・・」
この手の話の王者は「東京ディズニーランド」だろう。「大地震の直後、恐怖で震えている小さな子に『防空頭きんに使ってね。ミッキーが守ってくれるよ』とお土産店員は大きなにぬいぐるみを差し出した」「大事な婚約指輪がどこかですっぽ抜けて落としてしまったらしく、青くなって落し物係に行くと『これでございますか?』と小さな宝石箱を渡された。不思議に思って箱を開くと間違いなく自分の指輪が入っていた!」
別に「大地震の直後は無料でぬいぐるみを配っても良い」とは決して店内マニュアルにはないし、「落し物の指輪は宝石箱に入れてお渡しするよう」遺失物マニュアルに書いてあるわけではもちろんない。でもホスピタリティという言葉が何となくよくわかる逸話だと思う。
一方、●ヨタの高級車○クサス販売店では店員がお茶を出す時、床にひざまずくと聞くし、某人間ドックで採血される時、ホントに丁寧な言葉遣いで検査中の水分補給まで心配してくれた保健師さんの採血針は「死ぬほど」痛かったりするし、秋葉原のメイド喫茶では入店するとにっこり笑って「お帰りなさいませー」と招かれ、テーブルでプリンを「アーン」と食べさせてくれるらしい。しかしこれらを「ホスピタリティ」という人はいないだろう。どの人も心からお客様を満足させたいと思っているであろうにもかかわらずである。DVDで不自然に微笑む解説者の話を上の空に聞きながら私はぼーっと考えていて、これまで人からはあまり聞いたことのないことを思いついた。
ホスピタリティというのは一種のコミュニケーションである。受け手に一定以上の知性や感性があって初めて発動するものと思われる。サービスの担い手がいかに素晴らしい心尽くしを発揮しても、受け手が「当たり前だ」という視点でいては「何も」起こらない。店員に対して丁寧語を使わない者や「代金を支払ってるんだから」という態度をとる者はたぶんホスピタリティというものを経験することはまずないだろう。ただ多分ディズニーの落し物係は箱に入れた自分の指輪を見て「おー、これだこれだ。サンキュー」と言ってさっさと客がもって帰ってしまったとしても「がっかり」はしない。受け手が心から喜んでも、知らん顔してもそれに少しも影響を受けず、「心使い」を発揮する人が「ホスピタリティ」を知っている人と思われるのである。
何章だか忘れたが、アン・シャーリーの言葉に「私が大人になったら、小さな女の子にも、一人前の大人のように話しかける。その子が大げさな言葉づかいをしても、決して笑わない。笑われて悲しい思いをしたから、どんなに傷つくか分かっているから。」というのがある。
もしこうしてアンに話しかけられる女の子が本当にいたなら、間違いなく彼女はアンの「ホスピタリティ」を感じることだろう。子供は大人から「子供だとバカにされている」かどうかは誰よりも敏感に感じ取るからである。私も子供の頃、お使いをする時には近くの八百屋よりも学校に近い少し遠くにある八百屋に行った。どちらもちゃんとしてくれたお店だったが「言葉使い」が違うのである。一軒は「やあ、お使いえらいね。はい、大根とキャベツで80円な」遠い方は「ありがとうございます。二つで80円です」私はアンくらいの年齢だったのに何と「近い方の八百屋の主人は生意気だ」と途方も無く生意気な意見を持っていたのである。子供とは結構そういうものだ。
何かとりとめもないことを書いてしまったが、結局「ホスピタリティ」とは贈る側が「相手に心使いしている」という意識はなく、受け取る側は「心使いを要求すること」もなく、お互いの立場を容易に置換し合える状態になって発動する。今年のルーキーズがかなり辛いと聞く「飛び込み営業」含みの販売研修を終えてそのレポートを発表し終わった時に、「そんなホスピタリティを感じさせるいい場面に遭遇したらぜひともレポートしてねー」とコメントしたのである。
ビジネス用語には時々降って沸いたような流行語のようなものがあるが、今回はたまたま機会があって普段中々接しない、専用の教育ビデオのようなものを見たことから、「ホスピタリティ」について書いたものだ。
すべての企業は「顧客」というものを持ち、提供する製品・サービスなどに顧客が満足しているかどうかをできるだけ詳細に把握しようと努めている。いわゆるCS(Customer Satisfuction)というヤツである。それは
顧客とコンタクトがある時に電話やはがき(今時スーパーなどどこにでもある)でアンケートなどを行ったり、逆にコールセンターやWebサイトなどを設け、顧客からの能動的な声を集めたり、と方法は様々である。我が社も普通の会社と同様で私は主に技術系のセクションだから、顧客とは製品やサービスについての問合せに答えたり、壊れたものを直しに行く時にコンタクトをとることが多い。それら「顧客」と接点を持つ第一線の担当者が今よりもっと「満足のいく接し方」ができるような取組みも行っている。
先日、その一環として「お客様応対力向上セミナー」というのが行われた。Webサイトなどでも企業相手にこんなタイトルのセミナーは山ほど見られるが、今回は自前で構成したものである。対象は平たく言えば「工事屋さん」だ。それもいろんな分野があるが、今回は個人顧客と接する機会の多い係が100人以上集まっていた。カリキュラムを見せてもらったが、新入社員の時に「ビジネス・マナー」として習った覚えのあるようなことが並んでいた。元々行儀作法など苦手の私は例によって「初めの挨拶」を終えるとただ聞いているばかりだったが、中々考えさせられるところもあった。こういうセミナー専門のDVDが世に出回っているのも興味深いところだ。
まずは「お辞儀の仕方」である。「悪い見本」として最初に出たのが「ヤンキーが先輩に会釈するような」ニワトリのように首だけ前に出すスタイルだが、DVDでサラリーマン風の若者がスーツ姿でこれをやった時、思わず噴出してしまった。今時こんな変なヤツいるか?とても就職氷河期は乗り切れないと思うのだが。
正しいお辞儀の仕方は身体をまっすぐ折って角度は会釈15度、普通礼30度、最敬礼45度だそうだ。んっ?我々の時は深く謝罪を表すときの最敬礼は90度と習ったような記憶があるが・・・(歳バレ?)「それではDVDをお手本にして皆さんもやってみましょう」
「ありがとうございました」普通礼として講師と一緒に立ち上がって一斉練習が始まった。むろん私も同様にお辞儀をしたが、何度も頭を下げながらボストンのビジネススクールを思い出していた。かのスクールのケーススタディに日本企業がいくつも登場したが、その中で「クリスマスだけ店頭の小太りおじさんがサンタになる」ファーストフード店の朝の様子が印象的だった。「ありがとうございましたぁ!」赤いちゃんちゃんこ制服を着た全店員が揃って大声で、某恐い国の軍隊パレードのように一糸乱れぬ直角最敬礼を繰り返すのである。米国生まれでそのような接客マニュアルなど無かった某フランチャイズ店が日本では独特の文化を発展させたという、半分「やらせ」のような、「嫌味でやってんのか?」と言いたくなるようなVTRだった。
さらに私ははるか数十年前、丸1日にわたり叩き込まれた「ビジネス・マナー」研修を思い出していた。お辞儀の仕方の他に歩き方、名刺の渡し方、通路の案内の仕方、笑い方・・・「相手の方にビールを注ぐ時はどのようにしますか?」講師は当時新入社員の私を指差して尋ねた。「ラベルを上にします」私は間髪入れずに答えた。「そうですね。銘柄を相手に見えるように両手で注ぐことが大事です。よくできました」
えっ?そういう意味なのか・・・薬品を別の器に注ぐ時は必ず「ラベルを上」にする。下にしてしまうと、瓶からこぼれた薬品のしずくがラベルに伝わり、名前が分からなくなってしまうからである。劇薬なども扱う化学実験にたずさわる者には基本中の基本で、私には完全に身に染み付いてしまっていたのだが、こんなマナーとして役立つとは思ってもみなかった。
DVDは身だしなみについて詳しい解説に入っていた。「服装は華美にならずに清潔感を出せるもの、爪を切ってきれいに磨き、髭は剃り残しのないように、Yシャツは第一ボタンまできちんと留める。(ネクタイ着用の場合)頭髪は短めにしてきちんと整え、パンツは少し長めにしてソックスが外から見えないように」まあまあ、そんなとこだろな。。。夏場のネクタイは確かに北関東では暑くて我慢ならんので、クールビジネスはウェルカムなんだが、あのスタイルは「それ用」と書いてあるものを買ってくるとそこそこに見えるのに、上下スーツネクタイ姿から上着とネクタイを外すとどうしてあんなにまで「冴えない」姿になってしまうのだろうか?先日とある機会でお見掛けしたのだが、とても会社のトップとは思えないみすぼらしさだった。DVDに登場する青年はいかにも清潔で好感が持てるようだ(当たり前か)。
(はははー。それでもねー・・・)と私は心の中でつぶやいていた。年に2度ほど顧客からの投書やアンケート調査などを元に顧客満足度の高い人に敬意を表して表彰差し上げることになっている。大抵、私がトップ代行としてお渡しに伺うのだが、毎回上位のポジションに名を連ねるのは同じような人たちだ。しかも身だしなみだけ言えばお世辞にも「素晴らしい」とは言えない。。。ぽんぽこ狸がカトちゃんのちょび髭をはやしているような人もいるし、「ちびまる子ちゃん」の藤木君のようにちょっと暗めの人もいる。共通して腕は素晴らしいのは確かだが、口下手でどちらかというと愛想がよくない。。。職人技が入ると必ずしも「見てくれ」だけではないのが、顧客心理の面白いところである。
そしてセミナーはいよいよ本編である「ホスピタリティ」に入る。この言葉は普通「思いやり」とか「心からのおもてなし」のような意味で使われる。サービス業などによくあるマニュアルには載っていないのに、ちょっとした心使いでお客様に絶大な感動を差し上げた時などに「ホスピタリティを発揮した」などと言われる。DVDではとある女優が顧客からの感謝の手紙を朗読する。
「病気で入院していた息子が久しぶりにモス・バーガーを食べたいというので近所の店に買いに行った。あいにくオフタイム時間で品数も少なかったが、レジの係りが厨房に入って一生懸命バーガーを作ってくれた。その姿を見てつい我が家の事情を話してしまった。病室で袋を開けると『早くよくなってください』という小さな手紙が・・・」
この手の話の王者は「東京ディズニーランド」だろう。「大地震の直後、恐怖で震えている小さな子に『防空頭きんに使ってね。ミッキーが守ってくれるよ』とお土産店員は大きなにぬいぐるみを差し出した」「大事な婚約指輪がどこかですっぽ抜けて落としてしまったらしく、青くなって落し物係に行くと『これでございますか?』と小さな宝石箱を渡された。不思議に思って箱を開くと間違いなく自分の指輪が入っていた!」
別に「大地震の直後は無料でぬいぐるみを配っても良い」とは決して店内マニュアルにはないし、「落し物の指輪は宝石箱に入れてお渡しするよう」遺失物マニュアルに書いてあるわけではもちろんない。でもホスピタリティという言葉が何となくよくわかる逸話だと思う。
一方、●ヨタの高級車○クサス販売店では店員がお茶を出す時、床にひざまずくと聞くし、某人間ドックで採血される時、ホントに丁寧な言葉遣いで検査中の水分補給まで心配してくれた保健師さんの採血針は「死ぬほど」痛かったりするし、秋葉原のメイド喫茶では入店するとにっこり笑って「お帰りなさいませー」と招かれ、テーブルでプリンを「アーン」と食べさせてくれるらしい。しかしこれらを「ホスピタリティ」という人はいないだろう。どの人も心からお客様を満足させたいと思っているであろうにもかかわらずである。DVDで不自然に微笑む解説者の話を上の空に聞きながら私はぼーっと考えていて、これまで人からはあまり聞いたことのないことを思いついた。
ホスピタリティというのは一種のコミュニケーションである。受け手に一定以上の知性や感性があって初めて発動するものと思われる。サービスの担い手がいかに素晴らしい心尽くしを発揮しても、受け手が「当たり前だ」という視点でいては「何も」起こらない。店員に対して丁寧語を使わない者や「代金を支払ってるんだから」という態度をとる者はたぶんホスピタリティというものを経験することはまずないだろう。ただ多分ディズニーの落し物係は箱に入れた自分の指輪を見て「おー、これだこれだ。サンキュー」と言ってさっさと客がもって帰ってしまったとしても「がっかり」はしない。受け手が心から喜んでも、知らん顔してもそれに少しも影響を受けず、「心使い」を発揮する人が「ホスピタリティ」を知っている人と思われるのである。
何章だか忘れたが、アン・シャーリーの言葉に「私が大人になったら、小さな女の子にも、一人前の大人のように話しかける。その子が大げさな言葉づかいをしても、決して笑わない。笑われて悲しい思いをしたから、どんなに傷つくか分かっているから。」というのがある。
もしこうしてアンに話しかけられる女の子が本当にいたなら、間違いなく彼女はアンの「ホスピタリティ」を感じることだろう。子供は大人から「子供だとバカにされている」かどうかは誰よりも敏感に感じ取るからである。私も子供の頃、お使いをする時には近くの八百屋よりも学校に近い少し遠くにある八百屋に行った。どちらもちゃんとしてくれたお店だったが「言葉使い」が違うのである。一軒は「やあ、お使いえらいね。はい、大根とキャベツで80円な」遠い方は「ありがとうございます。二つで80円です」私はアンくらいの年齢だったのに何と「近い方の八百屋の主人は生意気だ」と途方も無く生意気な意見を持っていたのである。子供とは結構そういうものだ。
何かとりとめもないことを書いてしまったが、結局「ホスピタリティ」とは贈る側が「相手に心使いしている」という意識はなく、受け取る側は「心使いを要求すること」もなく、お互いの立場を容易に置換し合える状態になって発動する。今年のルーキーズがかなり辛いと聞く「飛び込み営業」含みの販売研修を終えてそのレポートを発表し終わった時に、「そんなホスピタリティを感じさせるいい場面に遭遇したらぜひともレポートしてねー」とコメントしたのである。