超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ホスピタリティ

2012-09-29 10:09:57 | 職場
「ホスピタリティ」・・・・聞いたことがないわけではないが、耳慣れない言葉だった。ホスピタル?病院?語源から推測するに「病院の精神?」最近になってホスピタリティ産業というのもたまに聞いたりするが、どうも活字に書かれた説明などを読むよりは、実際の話から考えたほうが分かりやすいような気がする。何となく「心温まる深い〜話」にそのヒントが隠されているらしい。
ビジネス用語には時々降って沸いたような流行語のようなものがあるが、今回はたまたま機会があって普段中々接しない、専用の教育ビデオのようなものを見たことから、「ホスピタリティ」について書いたものだ。

すべての企業は「顧客」というものを持ち、提供する製品・サービスなどに顧客が満足しているかどうかをできるだけ詳細に把握しようと努めている。いわゆるCS(Customer Satisfuction)というヤツである。それは
顧客とコンタクトがある時に電話やはがき(今時スーパーなどどこにでもある)でアンケートなどを行ったり、逆にコールセンターやWebサイトなどを設け、顧客からの能動的な声を集めたり、と方法は様々である。我が社も普通の会社と同様で私は主に技術系のセクションだから、顧客とは製品やサービスについての問合せに答えたり、壊れたものを直しに行く時にコンタクトをとることが多い。それら「顧客」と接点を持つ第一線の担当者が今よりもっと「満足のいく接し方」ができるような取組みも行っている。

先日、その一環として「お客様応対力向上セミナー」というのが行われた。Webサイトなどでも企業相手にこんなタイトルのセミナーは山ほど見られるが、今回は自前で構成したものである。対象は平たく言えば「工事屋さん」だ。それもいろんな分野があるが、今回は個人顧客と接する機会の多い係が100人以上集まっていた。カリキュラムを見せてもらったが、新入社員の時に「ビジネス・マナー」として習った覚えのあるようなことが並んでいた。元々行儀作法など苦手の私は例によって「初めの挨拶」を終えるとただ聞いているばかりだったが、中々考えさせられるところもあった。こういうセミナー専門のDVDが世に出回っているのも興味深いところだ。

まずは「お辞儀の仕方」である。「悪い見本」として最初に出たのが「ヤンキーが先輩に会釈するような」ニワトリのように首だけ前に出すスタイルだが、DVDでサラリーマン風の若者がスーツ姿でこれをやった時、思わず噴出してしまった。今時こんな変なヤツいるか?とても就職氷河期は乗り切れないと思うのだが。
正しいお辞儀の仕方は身体をまっすぐ折って角度は会釈15度、普通礼30度、最敬礼45度だそうだ。んっ?我々の時は深く謝罪を表すときの最敬礼は90度と習ったような記憶があるが・・・(歳バレ?)「それではDVDをお手本にして皆さんもやってみましょう」

「ありがとうございました」普通礼として講師と一緒に立ち上がって一斉練習が始まった。むろん私も同様にお辞儀をしたが、何度も頭を下げながらボストンのビジネススクールを思い出していた。かのスクールのケーススタディに日本企業がいくつも登場したが、その中で「クリスマスだけ店頭の小太りおじさんがサンタになる」ファーストフード店の朝の様子が印象的だった。「ありがとうございましたぁ!」赤いちゃんちゃんこ制服を着た全店員が揃って大声で、某恐い国の軍隊パレードのように一糸乱れぬ直角最敬礼を繰り返すのである。米国生まれでそのような接客マニュアルなど無かった某フランチャイズ店が日本では独特の文化を発展させたという、半分「やらせ」のような、「嫌味でやってんのか?」と言いたくなるようなVTRだった。

さらに私ははるか数十年前、丸1日にわたり叩き込まれた「ビジネス・マナー」研修を思い出していた。お辞儀の仕方の他に歩き方、名刺の渡し方、通路の案内の仕方、笑い方・・・「相手の方にビールを注ぐ時はどのようにしますか?」講師は当時新入社員の私を指差して尋ねた。「ラベルを上にします」私は間髪入れずに答えた。「そうですね。銘柄を相手に見えるように両手で注ぐことが大事です。よくできました」
えっ?そういう意味なのか・・・薬品を別の器に注ぐ時は必ず「ラベルを上」にする。下にしてしまうと、瓶からこぼれた薬品のしずくがラベルに伝わり、名前が分からなくなってしまうからである。劇薬なども扱う化学実験にたずさわる者には基本中の基本で、私には完全に身に染み付いてしまっていたのだが、こんなマナーとして役立つとは思ってもみなかった。

DVDは身だしなみについて詳しい解説に入っていた。「服装は華美にならずに清潔感を出せるもの、爪を切ってきれいに磨き、髭は剃り残しのないように、Yシャツは第一ボタンまできちんと留める。(ネクタイ着用の場合)頭髪は短めにしてきちんと整え、パンツは少し長めにしてソックスが外から見えないように」まあまあ、そんなとこだろな。。。夏場のネクタイは確かに北関東では暑くて我慢ならんので、クールビジネスはウェルカムなんだが、あのスタイルは「それ用」と書いてあるものを買ってくるとそこそこに見えるのに、上下スーツネクタイ姿から上着とネクタイを外すとどうしてあんなにまで「冴えない」姿になってしまうのだろうか?先日とある機会でお見掛けしたのだが、とても会社のトップとは思えないみすぼらしさだった。DVDに登場する青年はいかにも清潔で好感が持てるようだ(当たり前か)。

(はははー。それでもねー・・・)と私は心の中でつぶやいていた。年に2度ほど顧客からの投書やアンケート調査などを元に顧客満足度の高い人に敬意を表して表彰差し上げることになっている。大抵、私がトップ代行としてお渡しに伺うのだが、毎回上位のポジションに名を連ねるのは同じような人たちだ。しかも身だしなみだけ言えばお世辞にも「素晴らしい」とは言えない。。。ぽんぽこ狸がカトちゃんのちょび髭をはやしているような人もいるし、「ちびまる子ちゃん」の藤木君のようにちょっと暗めの人もいる。共通して腕は素晴らしいのは確かだが、口下手でどちらかというと愛想がよくない。。。職人技が入ると必ずしも「見てくれ」だけではないのが、顧客心理の面白いところである。

そしてセミナーはいよいよ本編である「ホスピタリティ」に入る。この言葉は普通「思いやり」とか「心からのおもてなし」のような意味で使われる。サービス業などによくあるマニュアルには載っていないのに、ちょっとした心使いでお客様に絶大な感動を差し上げた時などに「ホスピタリティを発揮した」などと言われる。DVDではとある女優が顧客からの感謝の手紙を朗読する。
「病気で入院していた息子が久しぶりにモス・バーガーを食べたいというので近所の店に買いに行った。あいにくオフタイム時間で品数も少なかったが、レジの係りが厨房に入って一生懸命バーガーを作ってくれた。その姿を見てつい我が家の事情を話してしまった。病室で袋を開けると『早くよくなってください』という小さな手紙が・・・」

この手の話の王者は「東京ディズニーランド」だろう。「大地震の直後、恐怖で震えている小さな子に『防空頭きんに使ってね。ミッキーが守ってくれるよ』とお土産店員は大きなにぬいぐるみを差し出した」「大事な婚約指輪がどこかですっぽ抜けて落としてしまったらしく、青くなって落し物係に行くと『これでございますか?』と小さな宝石箱を渡された。不思議に思って箱を開くと間違いなく自分の指輪が入っていた!」
別に「大地震の直後は無料でぬいぐるみを配っても良い」とは決して店内マニュアルにはないし、「落し物の指輪は宝石箱に入れてお渡しするよう」遺失物マニュアルに書いてあるわけではもちろんない。でもホスピタリティという言葉が何となくよくわかる逸話だと思う。

一方、●ヨタの高級車○クサス販売店では店員がお茶を出す時、床にひざまずくと聞くし、某人間ドックで採血される時、ホントに丁寧な言葉遣いで検査中の水分補給まで心配してくれた保健師さんの採血針は「死ぬほど」痛かったりするし、秋葉原のメイド喫茶では入店するとにっこり笑って「お帰りなさいませー」と招かれ、テーブルでプリンを「アーン」と食べさせてくれるらしい。しかしこれらを「ホスピタリティ」という人はいないだろう。どの人も心からお客様を満足させたいと思っているであろうにもかかわらずである。DVDで不自然に微笑む解説者の話を上の空に聞きながら私はぼーっと考えていて、これまで人からはあまり聞いたことのないことを思いついた。

ホスピタリティというのは一種のコミュニケーションである。受け手に一定以上の知性や感性があって初めて発動するものと思われる。サービスの担い手がいかに素晴らしい心尽くしを発揮しても、受け手が「当たり前だ」という視点でいては「何も」起こらない。店員に対して丁寧語を使わない者や「代金を支払ってるんだから」という態度をとる者はたぶんホスピタリティというものを経験することはまずないだろう。ただ多分ディズニーの落し物係は箱に入れた自分の指輪を見て「おー、これだこれだ。サンキュー」と言ってさっさと客がもって帰ってしまったとしても「がっかり」はしない。受け手が心から喜んでも、知らん顔してもそれに少しも影響を受けず、「心使い」を発揮する人が「ホスピタリティ」を知っている人と思われるのである。

何章だか忘れたが、アン・シャーリーの言葉に「私が大人になったら、小さな女の子にも、一人前の大人のように話しかける。その子が大げさな言葉づかいをしても、決して笑わない。笑われて悲しい思いをしたから、どんなに傷つくか分かっているから。」というのがある。
もしこうしてアンに話しかけられる女の子が本当にいたなら、間違いなく彼女はアンの「ホスピタリティ」を感じることだろう。子供は大人から「子供だとバカにされている」かどうかは誰よりも敏感に感じ取るからである。私も子供の頃、お使いをする時には近くの八百屋よりも学校に近い少し遠くにある八百屋に行った。どちらもちゃんとしてくれたお店だったが「言葉使い」が違うのである。一軒は「やあ、お使いえらいね。はい、大根とキャベツで80円な」遠い方は「ありがとうございます。二つで80円です」私はアンくらいの年齢だったのに何と「近い方の八百屋の主人は生意気だ」と途方も無く生意気な意見を持っていたのである。子供とは結構そういうものだ。

何かとりとめもないことを書いてしまったが、結局「ホスピタリティ」とは贈る側が「相手に心使いしている」という意識はなく、受け取る側は「心使いを要求すること」もなく、お互いの立場を容易に置換し合える状態になって発動する。今年のルーキーズがかなり辛いと聞く「飛び込み営業」含みの販売研修を終えてそのレポートを発表し終わった時に、「そんなホスピタリティを感じさせるいい場面に遭遇したらぜひともレポートしてねー」とコメントしたのである。

4X歳の本格フットサル

2012-09-25 04:21:28 | スポーツ・健康
「若手とフットサルやりませんか?」言ってきたのは八兵衛の後任、「ジローくん」である。我が社では「若手」というと二種類あり、人事制度上一定時期よりも前の年輩と区別するため(これによると私も入る)の若手と、ここ数年で配属されるようになったホントの若手である。そのホントの若手にはサッカー経験者が何人もおり、終業後皆で集まってフットサルを楽しんでいるらしいのである。ジローくんは立派な管理職の年齢だが、大学(何と同門!)のサッカー部出身で、今でも月1くらいはフットサルをやっているそうだ。その彼が大ベテランとは違う「中途半端な元若手」管理者群に声を掛けて回っていた。メンバは同期3人組(3Bトリオともいう?)のグッチー、キョウちゃん、イッケイに、その手下のようなジュンちゃん、予備自衛官のソルジャー、そして最年長が他ならぬ私である。

グッチーは元アメフト、キョウちゃんは現役ラガーマンだし、ソルジャーは年に数日の過酷な訓練を欠かさないから、体力短期勝負なら面白いゲームができるだろう。県民マラソンを見る限り最も運動神経には遠く見えたイッケイが実は大学までサッカーをやってきており、若い分ジローくんと並んで一番期待の星だったのだ。直接の上司部下関係はほとんどないが、普段から偉そうにしている管理者群に「ぎゃふん(これは死語だろ)」と言わせようと、若手軍が試合を申し込んできたらしい。こういうことの「嫌いでない」私は「やろー、やろー」と楽しみにしていた。しかし挑戦のあったのはどうやら夏休み前、8月になって私はマンションから引っ越してしまったから夜の21時までフットサルやって湘南まで帰宅するのはちとキツい。

中々都合がつかない私の不在時に第1回勝負があったらしい。若手はもう40前後のおじさん相手なんだから軽くひねってやろうと思っていたらしいのだが、ジローくん、いっけいを中心に個性溢れる元(現役)スポーツ選手が活躍し、返り打ちに近い状態だったそうなのだ。その後若手はさらに戦力を増強し、何度かよい試合をしてきたらしい。実は前回から出場するつもりでいたのだが、長期休暇後に色々あって土壇場でNGになってしまった。何せアイドルで言えば、「AKB48」vs「元モーニング娘。」の中に「おニャン子クラブ」が一人混じっているようなものである。御大将の登場?!を待ちわびていた(とはあまり思えないが)がダメになってがっかりしている「いっけい」を見て、「次は何があっても必ず出場する」と決めていた。

そして先週いよいよ齢(よわい)4X歳、ガチ勝負のフットサルデビューの日がやってきた。ダントツの最高齢である。県民マラソンもそうだったが、私の悪い癖で何か大きなスポーツイベントがあると直前まで身体を活性化しようとトレーニングに励んでしまい、本番は既に疲労が蓄積している状態だった。また前日3日間この日に備えて「アルコール絶ち」していたのはよいが、どうも寝付きが悪く、何となく頭が重い50%くらいだったが、2時間くらい掛け回るには十分なコンディションだった。フットサルそのものは初めての経験ではない。息子甘辛が小学生の頃、保護者との懇親フットサル会に2、3度ほど行ったことがあるのが3年前だ。
「オレがボール持ったら、前は開けてくれるんだろーなー」にこにこ笑いながら最初はジョギングレベルの動きで慣らして行ったら、いきなり若い力がケモノのように襲いかかってきた(アリスの「チャンピオン」)。危うくマットに(もとい、コートに)沈むところだった。

1ゲームは7分、3チーム交代で対戦するから2ゲーム出て1ゲーム休むようになる。むろんへばったら途中で交代できる。私はいつものへそ曲がり作戦を考えていた。「コートは狭いとはいえ本格的なサッカーの動作ついて以前のような華麗な?動きをアン・シャーリーのように空想してプレーしたら死ぬ。。。ここは『身体が動かない』ことを想像しながら走ることにしよう」結果は・・・「予想以上に動かない」。。。まるで自分の周りだけ重力が強まっているかのような重さだった。最初からトップギアには入れなかったが、「カロリー消費」という意味での運動は週4~5を誇る私も、使う筋力が全く異なるスポーツは3分で息が上がる。。。ピラティスやエアロビクスでも「反復横飛び」や「往復ダッシュ」のような動きはないのである。

しかし後半になってようやく少ーしずつ脳と筋肉を結ぶ神経回路が作動し始めた。若い連中、特に経験者はスピードど足技でぐいぐい押してくるが、見たところ後半同じチームになったジローくんが一番華麗で美味い。自身のドリブルも見事だが、実に「プレーヤーにいいプレーをさせる」活人パスを出す。まさか上役だからではないだろうが、「まるでレクサス販売員がおしぼりをトレイの乗せ、膝を折って捧げる」かのようなパスを私にくれるのである。その次のプレイがどうにもやりやすいし自分が急に目覚めたような気がする。おかげで3点もとることができた。(皆、気を使ってくれたのかな)
走りたいのは山々なのだが、あの狭いコートでも攻めに守りに行ったり来たり走る体力がない・・・必然的に前のほうにうろうろすることになる。(まー、高齢者の特権かなー)

しかしこうした入り混じった懇親運動会になると未経験者の中に、必ず「いつも相手のゴール前にいて得点だけ狙っている、やたら走り回るが技術は追いついていない、子供のような体力ボーイ」がいる。。。確かにすごい運動量だ。突進の時の加減をイマイチ知らないから激突した時に無事では済まないような気がする。同じチームでいれば頼もしく「よーし。オレとツートップコンビを組もうぜ」と張り切って走り出した。(私は味方がピンチになったら一応戻る)
ジローくんからの活人パスに華麗に舞う「オレのラストパスを受けよ!」と、いつの間にか姿が見えなくなっていた。。。
「あ、あれれ?どこ行ったんだろ?」途中交代したのかな。次のゲームに出てるわけでもないし・・・うろうろ探していたら、ベンチにいつの間にか来ていた女性見学隊の中に混じり込んでいた。「いやー、絶対何か言われる、と思って隠れてたんですけどねー」これ以上ない苦笑いしていた彼は右太ももを氷で冷やしていた。どうやら軽い肉離れを起こしてしまったらしい。。。

終わってみると2時間などあっという間だった。途中、少し強めの雨が降ってきたので、汗と共にかなりずぶ濡れになっている。着替えてシャワー浴びて一杯飲んで・・・なんて夢のコースを辿ると家へ帰れない。。。「でもデビュー戦くらいは」と一応、家には「泊まってくる」とメールしておいた。「さーて、どこで生ビール飲むかかねえ」なんて着替えていたら、どうも腕足が妙な感じがする。「んっ?」見ると二の腕と太ももあたりに赤いまだら模様がでているではないか!しかも何となく痛痒い。。。正体不明のじん麻疹のようだが、疲れが度を越したのだろうか。これはいかぬ。慌てていっけいにお願いして駅まで送ってもらい。そのまま帰宅したのである。(皆さん、さっさと帰っちゃってすみません)

実は帰りの新幹線の中で既に強い筋肉痛と腰痛に苛まれていた。翌日はそれこそ身体がバラバラになりそうな勢いで、スーパー銭湯の電気風呂の一番強い所にずーっと入っているような感じで、いつの間にか「志村けんのおばあさん」のような歩き方しかできなくなっていた。「齢をとった後の筋肉痛は何日かたってから出てくる。逆に2,3日してから筋肉痛が起こるようでは、歳をとった証拠」といのはたぶん正しい解釈ではない。(いつか新聞記事で読んだことあるし。)
筋肉には瞬発力に優れた速筋(白身)と持続力が主体の遅筋(赤身)がある。運動してその繊維が切れて起こる筋肉痛はそれぞれの性質上、速筋はすぐにく現れ、遅筋はしばらくたってから現れる。歳をとると速筋を主に使う瞬発力系の過激な運動はあまりしなくなり、ゆったりとスローな動きで心拍数を上げるような運動が多いので、必然的に遅筋を多く使う、つまりしばらくたってから筋肉痛が現れるようになるのである。

翌日、仕事で安全性が確保されているかどうか、何か所か作業現場を点検に巡回した。いつもとは違う狭い社用車の後ろで腰も膝もガタガタな私は唸りながら耐えていた。何せ腰が伸ばせないのが辛い・・・
「昼飯はどこにしまようか?何店か面白い店あるんですけどねー」両腕、両太ももに出た謎のまだら模様が消えていなかった私は(刺激ものは止めた方がいいかな)とも思いながらも「何でもいいよー。でもお寺の境内とか何百段階段上ったりするのはダメよ。あと、座敷もちょっと苦しいかなー」志村けんのおばあさん歩きでは杖でもない限り長い階段を上れないし(実はその日、通勤時の東海道はグリーン、エレベーターは使いまくりだった)、座敷で胡坐というのも腰痛にはキツ過ぎる。。。

行ったのは国道沿いの名物地獄ラーメンの「大勝園」(大勝軒ではない)、「中華和洋飲食」という訳のわからない何でありのラーメン屋だ。TVにも出演したというスタミナ地獄ラーメンは辛さが一丁目から八丁目まであり、一丁目は「無問地獄=天にも昇る辛さ」、そして八丁目は「大叫喚地獄=地獄につかりきって2度死ぬ辛さ」である。私は(辛いのはやばいかもなー)と思いながらも「地獄の三丁目」にちなんで注文した。食べているうちに額から汗が滴落ちるからさだが、味は結構よく、スティーブと以前食べた別のゲテモノ「スタミナラーメン」に似た隠れ野菜炒めと千切り肉を満載したラーメンであった。オフィスに帰って作業着からスーツに着替える途中、全身にじん麻疹が広がっていることに気が着いた。。

    

代償はかなり大きかったが、私の趣味のページに「フットサル」という欄を追加することができた。もう2,3回も参加するうちに少しずつは動きを思い出していくだろう。ジムでは再び激しいエアロ系コンバットトレーニングでも始めてみようかな。しかし何かの懇親会で酒を飲む以外には若手と直接関わる機会のまず少ない私に、このような「同じスポーツで汗を流す」というコミュニケーションはいいものだ(もうちょっと手加減しろよ)。ゴルフでしかコミュニケーションがとれない典型的日本人サラリーマンに抵抗していた私には素晴らしい突破口である。その後、ひとっ風呂浴びてビールでも飲めたらどんなに至福であろう。こういう時だけは「やっぱ自宅通勤は時期が早過ぎた?!」と思ってしまうのだ。
(ちなみに今回は写真撮影する心の余裕が無かったので、私の華麗なプレーはアン・シャーリーのような想像の世界だけにとどめおく)

トロッコの列車

2012-09-22 06:15:24 | 職場
例年9月に行われる県の総合防災訓練、会場は市町村持ち回りだが今年は県東境部だったことは前回紹介した。実はあの日は「続き」があったのである。朝5時40分にオフィスを社用車で出発し、1時間半はかかる最果ての地に訓練だけ行いにいくわけがない。昼過ぎには終わってしまうから、着替えを持っていってその後観光しようぜ、といつものお出掛け大好き隊に声を掛けておいた。ただ何度か現場を訪れたことはあったが、あの辺りって滝があるわけでもなし、とりたてて観光するところが思いつかなかった。スティーブは「昼からビールが飲めればどこでもよい」みたいなことを言ってるし・・・そしてグッチーが家族で乗ったことがあるという「トロッコ列車」に乗ることになった。「わ鉄」と言われるW瀬渓谷鉄道には渓谷に沿って走るトロッコ列車があるというのである。

終点まで行くと片道2時間、帰りが夜になってしまう。。。我々は半分程度のコースで駅構内に温泉がある変わったところを発見し、そこでひとっ風呂浴びて往復することにした。訓練の終了予定時刻は13時、うまい具合に会場からすぐのところに始発駅があり、14時出発のトロッコがあった。訓練帰りに振舞われる鶏肉弁当を持ってビールを買い込み、涼しげな渓谷はトロッコの旅・・・・完璧なシナリオである。キョウちゃんも前日の深酒仲間で訓練中は虚ろな顔をしていたが、昼を過ぎるとシャキっと回復し、キオスクでビールを買い込んでいた。「一人ロング缶2本くらいですかねえ」5人分のビールとつまみを持ってホームに現れた。(「2本で足りるわけねえだろ」と思ったが黙っていた)
列車が入線するまで30分近くあったから、ホームのいすに座ってまずは乾杯だ。

  

しばらくすると少しアンティークな雰囲気のある機関車両とその後ろに窓の部分が手摺りでオープンになっている列車が現れた。「トロッコ列車」と言えばチキチキマシン猛レースの10番トロッコスペシャルを思い浮かべ、実物は立山黒部を走る小さな箱や「お猿の列車」などをイメージしていたのだが、中々立派な車両ではないか。。。窓がないだけで、一見お座敷列車のようにも見える。我々が乗るのは「わっしー5号」といういかにもなネーミングだ。始発駅は少し田舎だがJRの普通の駅そのもので、自然があるわけではない。発車まであと3分というところで、皆持ち込んだビールを飲み切ってしまった。景色を見ながら食べるために鶏肉弁当はとってあるが、飲み物がないというのはなんとも格好がつかぬ。今でも現役のラガーとして練習にも参加し、OAのパソコンの画面はボールを持って走るユニフォーム姿という「自分大好き」キョウちゃんは、持ち前のフットワークを活かしアメフトあがりのグッチーと共に突撃隊として風のように売店へ走っていった。後ろから機関車が列車を押す方式なので、スティーブは一番後ろの運転席まで歩いて「ちょっとだけ待ってやってよ」と運転手にお願いしに行ったらしい。

    

ホントにヘッドスライディングもので二人は駆け込んでくると、列車はゴトゴトと動き出した。降車するM沼温泉駅まではやく50分、前半は住宅地を走るただの田舎列車だった。単線なので大きな駅に停まるとすれ違い待ちとなるが、途中駅ですれ違ったのは何と先日乗車したR毛号ではないか?!ルート上に乗り換え接点があるらしい。
おばあちゃんが孫を抱きながら手を列車に手を振ってくれるようなのどかな田園風景だが、しばらく山の中をくねくね走るだけになった。窓がないから手を伸ばせば枝や葉っぱに触れられるようだ。「このまま駅に着いちゃったらイマイチだなー。民家に近いだけだったら江ノ電の方が断然すごいぜ。洗濯物触れるもん・・・」「この様子だと間違いなくいますよ。びーへーが。。。」乗車は初めてだというスティーブがつぶやく。運転席(は実は最後部にある)の横には子供が座って使う運転台があり、皆記念撮影していた。

  

しかし後半20分程度は山があり川あり渓谷ありの素晴らしい光景だった。トンネルも多かったが、道路が平行して走っていないので、乗用車では決して見られない渓谷の風景だ。気温は高かったが風が涼やかで景色を肴に冷たいビールを堪能した。降車駅が近づいてきて、一つ手前の駅は何とも風情のある建物と美しい花で飾られたものだった。駅舎は100年以上前にできた建物で有形文化財に登録されているそうだ。実は途中駅の名前や沿線の名所などは何一つ知らなかった。終点は隣県になるが「銅山鉱毒事件」で有名なところだ。1両しかないトロッコ列車は4人掛けの小さな木の椅子があって定員は30人くらいで、温泉センター駅で3分の1は降りたようだ。

      

この駅は構内のホーム真横に露天風呂と内風呂があり、さらにお土産屋と大宴会場がくっついている。列車を降りて乗り換えや移動しなくても流れる川の景色を見ながら温泉に浸かれるし、生ビールを飲むこともできる。ただし渓谷という深いものでもなく、真正面は川に面した芝生のグランドになっており、向こう側に人がいたら恐らく丸見えになるアングルである。しかし優雅でのんびりした時間で、いつまでも浸かっていられる温泉だ。隣りの女風呂からは子供と若そうな女性のキャーキャー言う声が聞こえてくる。仕切りはログハウスのような丸太になっていて、ところどころ歪んでおり、「向こう側が見えるんじゃねーか?」と覗き込む輩もいたが、そこはうまいこと作ってあるようだ。

    

昨年、「カリスマ添乗員」平田信也さんの講演を主催者側の顧問として拝聴した時、「県北部にあるT川は日本一の温泉だ」と仰ったが、タオル着用義務の完全な混浴で若い女性でも平気で浸かっているそうだ。何年か前の新入社員達男女も懇親バーベキューの帰りに「お近付きのしるしに」とクマが飼育されているというこの大露天風呂に共に入浴したという。今やおおらかになったものだ・・・
我々は少しぬるめの湯にゆっくり浸かっていたが、スティーブは「いやあ、ビール持ってくればよかったな・・・」「他の人、いないようだけど、そりゃまずいんじゃないの?」1年に1回、昔仕事を教わった先輩達と旅行するらしいのだが、徒弟制度丸出しの文化で先輩の命令は絶対だそうなのだ。「おい、ビール持って来いよ。」と風呂場から言われれば一緒に入っていても浴衣を引っ掛けて自販機まで買いに行くという。。。鬼のスティーブも変わらぬ上下関係には弱いようだ・・・

    

たっぷり1時間半くらい湯に入って、宴会場で生ビールを飲み、帰りの分を買い込んで折り返してきた列車に乗り込んだ。トロッコ列車の始発駅まで戻って乗り換え、新幹線駅まで着いた頃には日が暮れていた。私はそのまま東京に向かうから、解散の時には皆が余った酒を全部渡してくれたのだ。土曜日夕方の上り新幹線、下り東海道などガラガラの貸切状態だ。前半防災訓練、後半トロッコ列車の長ーい1日を終え、ふらふらになって帰宅したのである。


3度目の防災訓練

2012-09-19 20:54:33 | 職場
今年も(人間ドック同様)県の総合防災訓練の時期がやってきた。毎年会場を提供する市町村は持ち回りになっており、昨年はマンションのある市内だったが今年は県東部ほぼ最果てのK生市である。会場の集合は朝の7時、社用車での出発は午前5時40分・・・湘南の自宅から通勤を始めた私はとてもその時間にオフィスには行けないから、金曜日の夜、前泊することとなる。週末の一人寂しくビジネスホテルに泊まるのもつまらぬので、「誰か付き合って〜」と駅前の居酒屋の飲み放題コースを予約してもらっていた。週末で色々予定があるだろうに、「私」のために付き合ってくれたのだから、「期待に応えなければならん!」と最初からリミッターを外してアクセル踏みっ放し・・・3時間後にはすぐそばのホテルの場所が分からないほどになってしまった・・・

5時40分出発なのに、目が覚めたのは5時20分・・・これすら普段の早起きの賜物で、奇跡ともいえることだった。今年で県防災訓練は3回目、グループ参加メンバの集合ミーティングで何か挨拶する以外にはテントでぼけーっと模様を見ているか、展示コーナーを歩き回るかしかやることがない。初めての時は見るものすべてが興味深かった、次は展示や体験コーナーで色々と面白い経験をした。しかしさすがに3回目ともなると、どうにも手持ち無沙汰でやることがない。。。おまけに前夜、スパークし過ぎて目の前に何か飛んでいるような気がする。最初の1時間くらいは何があっても席にいなければならないから厳しい。お馴染み自衛隊を先頭に参加・協力機関は100以上、およそ1000人の関係者が会場に集う。

軍隊様式のような開会式を終えると早速警戒広報が鳴り響く。この設定はほぼ毎年同じもので、「県南東部を震源とするマグニチュード7.1の直下型地震が発生し、本市でも最大震度6強の強い揺れを観測した。この地震により市内各地で建物倒壊、土砂崩落、火災等が発生し多数の市民が負傷した他、ライフラインも寸断され大きな被害が発生した。さらに折からの前線通過と低気圧の北上によって県東部を中心に豪雨となり市内の大型河川の水位が上昇し、避難判断水位を超過して氾濫の危険が高まった。」毎度、ぞっとするような地震&豪雨ダブルパンチだが、大地震後に実際大雨の被害もあったことから、「ホントに発生しうる大災害」として皆臨んでいるようだ。

警戒広報が響くと早速登場するのは自衛隊普通科連隊である。バイク隊の続き悪路でも進める装甲車両がうなりを上げて会場にと進入してくる。あの装甲車両も以前、乗ったことがあるし、正直退屈でしょうがなかったから、「アン・シャーリー」のように「想像の世界」に浸ることにした。大震災の時に停電でバッテリーが枯渇し始めた施設に「瓦礫がじゃまで車両が近づけなかった」苦い話を聞いた私は、「我が方もいざと言う時のためにバイク隊がいるのではないか?」と保全隊長のスティーブに持ちかけたことがあった。「カブ隊ならいけると思いますが、高齢化が進んであんなバイク乗れる者がいません・・・・」笑えない回答だった。「それならオレが・・・」と密かに考えていたところだ。仮面ライダー世代の私は(変身はしないが)何かあったときには平成のクウガのようにトライチェイサー2000にひらりと飛び乗って誰よりも先に現場に駆けつける。。。

     

「会場右手上空をご覧下さい。自衛隊ヘリ中隊のoh-6Dヘリが進入してまいりました。偵察ヘリはいち早く現場に飛び、上空からの被害状況を迅速に災害対策本部に報告する役目を持ちます。」歯切れのよう場内アナウンスが響き渡った。おーっ、今年の冬、合同訓練でKICK師匠の故郷上空を飛んだ「あのヘリ」だなー。ヘリの嫌いなスティーブは「あんなのアブだ」と言うが、軽快な動きで上空を旋回していた。うーむ、かっこいい。。。何とかヘリの免許ってとれないものか・・・
山火事発生の通報を受けて(仕事と関係ないけど)、早速屋上にある偵察ヘリに飛び乗り、現場へ急行、「うーむ。こりゃー、中々手強そうだぞ。よし、着陸して地上からの攻撃だ!」(なぜ攻撃?)なーんてシーンを思い浮かべていた。。。

        


初期の情報収集訓練が終わると住民の避難訓練などが始まった。これではさすがに空想しようがないから、スティーブと展示物コーナーをうろうろと歩き回っていた。お馴染み、自衛隊の炊き出し用車両でごっつい鉄製ヘルメットをかぶって準備している女性隊員にどんぶりくらいあるお化け「おたま」を指差して「豚汁、味見していいですかー」と聞いたら、「今日は豚汁じゃないですよー。あれはご飯炊いてるところ」「へーえ、1回でどれくらい炊けるんですか?」「100キロぐらいいけます。運ぶの大変なのよ」「非常用の備蓄米とか使うんですか?」「ううん、たぶんその辺のスーパーで買ったヤツ・・・」なるほど「あきたこまち」と書かれた空袋が山ほど積んであった。。。そうこうしている間にスティーブたちは4人で「地震体験車」に乗っていた。これまで幾度となく「体験」しているから、あまり興味も沸かない。椅子抜き(通称「空気いす」)で震度7に耐えられたら、拍手喝采かなー、などとぼんやり見ていた。

  

その横にテントがあり、カンカン照りなのになぜか雨ガッパを着込んでいる人がたくさん並んでいる。初めて見る「降雨体験車」だった。会場はジリジリと暑かったから「大雨と暴風にあたれば涼めるんじゃないか?」と列に並んだ。ところが「ものすごい雨に当たるんで、カッパの紐はぴっちり締めてください」と係りの人に言われ、靴下も脱いで上下身体中を包み込んだものだから、まるでサウナスーツ、汗が噴出してきた。順番が来て体験車の中に入ると簡単な説明があった。「この車は底にたまった水を回収しポンプで循環することによって、200ミリまでの大雨を何回でも体験することができます。」中は蒸し暑くてしょうがない。そんな説明はいいから、早いとこキツいヤツを頼むよ・・・
前方スクリーンにアニメが放映されて、「ボクは台風の『ふうた』だ。赤道上空で生まれ、風に乗ってみんなのいる日本列島に近づくんだよー。そーら、暴れちゃうぞー」計測器では160ミリくらいまでだったが、確かにものすごい雨だった。しかし子供もいたからか、強風を出すことはせず、ひたすら生ぬるい雨に打たれるだけで、顔以外は全部カッパに覆われているので、少しも涼しくない。。。スティーブと出てきて汗で濡れた作業着を見ながら「こりゃー、やめときゃよかったねー」と苦笑いしたものだ。

      

会場では中層ビルからヘリによる救出や山火事を想定したヘリからの放水などが行われていた。「上空でヘリを静止した状態に保持するのはとても難しい技術です」そう言えば、ラジコンヘリを買ったというスティーブも「ホバリング」はかなり練習が必要と言ってたなー。ローターの形状を見れば分かるが、ヘリコプターが浮くのは飛行機の羽と同じ原理である。セスナ機のようにプロペラが回転して起きる風を推進力にしているわけではない。(それをやっているのはオ●プレイなどである)航空機が前進して翼に生じさせている揚力を、自身のローターを回転させて発生させているのである。だから姿勢を制御するのがすごく難しいと思うが、日夜訓練を続けている賜物ともいえる見事な技である。

      

取り残された負傷者の救出を終えた後は大型はしご車による放水である。あっと言う間にアウトリガーをせり出し、10メートル上まではしごを伸ばして放水を始めた。そう言えば以前新宿のオフィスで避難訓練があった時に、はしご車がやってきていて、乗せてもらったことがあるなー。思えば色んなモノに乗っているものだ・・・)

  

次はいよいよ我が方の出番である。今年は巨大な移動電源車に加え、離島訓練に出動した新鋭車両もデビュー戦だ。名前はスーパーX、装甲は超耐熱チタン合金、集積回路にはプラチナをふんだんに使用し、ゴジラの熱線にも耐えられる(というのは全部うそで)、災害対策用移動要塞のようなものだ。今回は内緒で黄色い作業つなぎを着込んで私も乗車するつもりだったが、人数オーバーのため実現しなかった。
それにしても水防訓練の時の消防車の数と言ったら・・・県内中の車を持ってきちゃったんじゃないか?!
さすがに来年はもう話題がないなー(今年もかなり苦しい)。もし4度目の機会があったら、コスプレででも登場するか・・・

Anne of Green Gables

2012-09-17 05:49:56 | 書籍
すごい本だなー、と思った。私のバイブルにもなれるんじゃないか?正直な感想だ。なるほど、世界中のたくさんの人に愛されているのがよくわかった。。。「赤毛のアン」である。タイトルをそのまま書くとたくさんの「変なもの」に引っ掛かってしまうから、あえて原版名にした。世の女子は大抵読んだことがあるんじゃないか?!恥ずかしながら「世界名作劇場」(カルピスこども劇場だっけ?)でアニメになっていたのは知っていたが、小夏師匠にリコメンドされるまで、実際どんな話なのかこの年齢になるまで読んだことがなかった。(師匠、感謝です!)
「フランダースの犬」「あらいぐまラスカル」「母をたずねて三千里」など「最終回ぐらいは知ってるけどねー」ゾーン、「小公女」「家なき子」「あしながおじさん」など、「子供の時に名著として薦められたけど読んだことがない」ゾーン、「キャンディ・キャンディ」「花の子ルンルン」など「時々見たけど、とどのつまりは知らない『堀江美都子』ゾーン」(でも主題歌は歌える)・・・「赤毛のアン」はそもそもあまり触れることがなかった少女向け物語に位置づけられていて、たまたま一度も見る(読む)機会がなかったのである。

   

図書館で検索すると「赤毛のアン」シリーズというのは山ほど出てきた。どうやら続きモノになっているらしい・・・通常のコーナーにもYA(ヤングアダルト)コーナーにも、児童向け図書にも幅広く登場していた。また「赤毛のアン」そのものを色々と評論する「とりまき図書」も結構たくさんあることがわかった。いくつかあった本の中で最も格調高そうなハードカバー本を選んで読み出した。
たぶん、今人生初めて読んだからだとも思うが、「アン・シャーリー」が登場して30秒後、私は彼女が大好きになってしまった。理系的に言うと彼女の「第17族ハロゲン元素」のような「どんなものにも反応する」活性に魅せられてしまったのである。特にアンの「逆ギレする誇り高さ」が素晴らしいと感じた。

あんまり一緒くたにしては失礼だが、私の分類では名作劇場に登場する「少女」は大抵、「あまり幸福でない生い立ち」だが「明るく活発」で「思いやり」があり、たまに「お転婆」もするが基本的に「けな気ないい子」である。引き取られ先でいじめられれば「しくしく」泣き、それをうまい具合に支える「友」がいる。人間味には溢れ「笑ったり」「怒ったり」感情豊かだが、人を「憎悪」したり「怨んだり」ましてや暴力を振るったりは決してしない。お転婆の代表「キャンディス・ホワイト」だって「あんな人とは一生口をきかない」なんてことは言わない。ところが「アン・シャーリー」は将来結婚する相手(だとは夢にも思わなかった)との初対面で「にんじん」と言われただけで激怒し、石盤を頭に打ち付けて叩き割るのである。ホントに何年も口をきかないという徹底ぶりだ。初めて会った街の識者(とはあんまり思えぬが)レイチェル夫人に切って見せた「あんたは無礼だ!」という啖呵も実に素晴らしい。とにかくキレぶりがあまりにも見事なのである。

通勤途上に少しずつ読み始めたのだが、2回目からはポストイットカードを持ち、あっと言う間に読み終えた時、ハードカバー本は付箋紙で埋まり尽くしていた。何と名言の多いことか!
感想文などと言うよりも、それら「ちょっと書き留めておこう」と思ったフレーズをあげるだけで、原稿用紙何枚分にもなってしまうだろう。アン自身も言っているが、言動にオーバーな表現が多い。「英語」で書かれたモノを「翻訳」された著書は大抵「あー、これ原版は英語だな」と一発で分かってしまうちょっとした「不自然感」を持ってしまうのだが、元々どんな表現をしてるんだろか?と興味が沸いてきた。小夏師匠が「原版で読んでは?」とおっしゃった理由がすごくよくわかった。

「お目にかかれて本当にうれしいです」マシュー・カスバートと出会った直後、その後何篇も続くことになるシリーズの主人公「アン・シャーリー」についていきなりネタバレさせてしまうところがすごい。「見る目のある人が見たら、優れた魂の持ち主だ」
アンとマリラの他には正直、大した人物の登場しないこの物語で、私は見た目もハンサムでなく、内気で口下手、そして女性が大の苦手であるマシューが最も親しみを感じる。あんまり登場シーンがないし、セリフも少ないが、要所要所の肝心なところには必ず現れ、最初と終わりにこの物語をずーっと貫く忘れられないことを口にするのである。(あんまり明言集みたいなのには載ってないようだが)

11歳くらいの男の子を兄マシューの手伝いに引き取ろうとしていたマリラのところに、迎えに行ったマシューが連れてきたのは赤毛の女の子だった。「女の子など畑仕事に何の役に立つのか?」と孤児院に返そうとするマリラに普段物事をあまり主張しないマシューは「自分たちがあの子の役に立つかもしれない」と切りかえすのだ。学校を優秀な成績で卒業し奨学金も受けとることになったアンが帰宅し具合が悪くて疲れた様子のマシューに「自分が男の子だったらもっと役にたって楽をさせてあげられたのに」と悲しむと、彼女の手をぽんぽんとたたいて「自分は1ダースの男の子よりもアンがいい」と語った翌日この世を去る。名言の宝庫であるアンの物語で何故か私はこの冴えない男マシューの言葉を忘れられない。。。

この物語に何度か登場する素晴らしく好きなシーンが3つある。その一つが「朝を迎えた時のアン」である。極め付けシーンがいきなりあるが、せっかく来たのに女の子だから引き取ってもらえない悲しみに泣き明かした夜が明けた翌朝「今朝の私は絶望のどん底ではない。朝はそんな気分にならない。・・・」(この言葉の使い方はすごい)「世界中を愛している気分になる」というから見事なものだ。ここまでキレのよいスイッチを持っている人を見たことがない。朝から溌剌としているアンとは似ても似つかないが私も朝起きるのが早いからか、冬の晴れた朝が大好きだ。たぶん「アン・シャーリー」なら「朝もいいけど、夜も好き」といいそうな気がするが。。。

次にお気に入りのシーンは「立ち直る時のアン」である。友達を酔っぱらわせたり、ケーキの味付けに痛み止薬を入れてしまったり、彼女は様々なことをやらかす。その時の立ち直りの見事さは「前向き」などというのは生ぬるいとも思える「ウルトラマンがライブステージで会場の子供達から『がんばれー』の声援を受けてエネルギー満タンになる」みたいな恐るべき復活劇である。何がすごいと言って、「自分にもいいところが一つあって、二度と同じ過ちはしない」という恐るべき自信を宣言するのである。そして「一人の人間がする過ちには限りがあるはず。最後までやってしまえば、それで自分の失敗も終わりである。そう思うと、気が楽になる」これほどの合理的かつ楽天的な「自分への励まし」を聞いたことがない。最初に紹介されたようにどう考えてもただ者ではない。 何か大きな失敗をしてしまった時にこう考えればあっという間に立ち直れる気がする。

そして一番好きなのが、「家へ帰る時のアン」である。お友達とピクニックに行ったり、音楽会に行ったり、街にいるお友達の親戚にお泊りに行ったり・・・その都度いつもの大げさな表現で「人生最良の日」みたいなことを言うのだが、最後に必ず決めるのが「一番よかったことは家へ帰ってくること」、彼女が孤児院育ちだから帰る家があるのはうれしい、と言えばそれまでだが、普通に帰る家のある私にとってすら「ほっこり暖まる」シーンである。この物語には結構「家に帰る」シーンがあり、スペシャルな付箋紙が貼ってあるのである。
今、「赤毛のアン」の原版を読んでいる。モンゴメリの原版は「Anne of Green Gables」となっている。どうして邦題が「赤毛のアン」となったのかしらないが、悪いけど「そのままのタイトル」の方がよかったのに、と思う。なぜならこの物語の中にアン自身が「私はグリーン・ゲーブルスのアンであって空想の中の素敵な自分よりもずっと好きだ」という素晴らしいシーンがあるのである。奨学金を断って目の悪くなった一人ぼっちのマリラと一緒に住む決断をする時も「グリーン・ゲーブルス」というキーワードが登場する。そして一度シリーズ第2作目「アンの青春」を読みだしたのだが、どうにも違和感がぬぐえずにちょっとストップしてしまった。その前にアニメやドラマを見て4方向から立体化して、この面白さを堪能しようと思う。何か読書感想文になってなくて、小夏師匠ごめんなさい。

    

夏休みの三大ワークス

2012-09-14 21:00:35 | ホビー
夏休みも終わって半月近くたってしまったが・・・まだまだ北関東は灼熱の日が続く。「何か課されたものを残したまま遊ぶのが嫌い」で夏休みの宿題など入って1週間(一部は終業前)に終わらせてしまった私と異なり、息子甘辛は休み明け前日(9/2)まであたふたと走り回っていた。夜更けの2時くらいまで何かやっていたから、典型的な「宿題残して大慌て」タイプである。夏休みの終わりまで残っていたのは大物ワーク3個「自由研究(理科)」「自由工作(技術家庭)」「読書感想文」である。(私もこれらには苦戦した)
昨年は息子の自由研究は実に「ズル」をしていて、私が春先に好奇心から取り寄せた「納豆キット」の残りを使い「いかにも」もっともらしく研究成果のように仕上げていた。

今年はどんな「ズル」をするのか注意深く見ていたら、意外に感心にも「柱状節理」、つまり韓国済州島の海岸で目にした、「自然の奇跡」とも思える6角形の不思議な柱群の生成プロセスや実際にそれを模擬的に作ってみる、というものだった。「中々よいところに目をつけるじゃないか」手を貸すことはできなかったが、私は横目で見ながらあの不可思議な造形の謎を自分でも調べたくてうずうずしていた。火山活動によって流出したマグマが冷却されて均質に固化した結果出来上がるとガイドブックには書かれていたが、それだけで「職人が測って作ったような」模様になるものかどうか?!

        

甘辛の実験を見ていて感じたのは、恐らく田んぼが干からびた時に見える割れのようなもので、極めえ高温のマグマがはるかに温度の低い空気や海水に触れて急速に冷却されたときには、ランダムな模様になる暇がなく、一定の割合で割れが進み、応力集中であのような綺麗な6角形になったのではないか?インターネットで調べると大体そのような想像通りのことが書いてあったが、詳しいことはまだよく分かっていないようだ。どんな実験をやったのか甘辛に詳しく聞かない(できたてのほやほやの)うちに休み明け学校に持って行って提出してしまったので今となっては何をどうやったのかわからないが、大体こんな作業を行っていた。

              

片栗粉に一定量の水とアルコールを加えてプラスチック容器で混合して、その後自然に水を蒸発させたり、強制的に加熱して水分を飛ばしてみたり・・・水溶き片栗粉は加熱すると中華丼のようにとろみができるものだが、なるほど乾燥させると干上がった水田のようにひび割れができてくるのがわかる。今やインターネットで、その実験方法まで調べられるので便利になったものだ。ネットでは強制乾燥させるにはドライヤーで加熱するようだったが、甘辛は「電子レンジで加熱する」などという暴挙に走り「ぎょえーっ!すげえ変なもんができちゃった・・・?!」何に反応してしまったのか、世にもおぞましい「エイリアンの糞」みたいな物体が出来上がってしまった。(それはそれで研究材料になるか?!)提出の前夜、未明になってトイレに起きると甘辛はまだパソコンと奮闘していた。「デジカメ画像ファイルの落とし方がわからねえ」ぶつぶつ言いながら動かしてやった。。。。
内容は結構感心していたからPCで綺麗に編集してさぞやよい出来栄えかと思ったら、何やら模造紙に貼り付けて小学生みたいな下手な字で説明を書いていた。(何のためのパソコンかわからん?!)

           

      

次は技術家庭の自由工作である。テーマは「赤ちゃんが喜んで遊ぶ玩具」だそうだ。中々粋なテーマを与えるものだが、当の本人は一番困り果てていた。甘辛に言うとインチキしたことになってしまうから、妻だけに話した私の考案は「扇風機を使ったおもちゃ」である。指を入れてしまわないように保護網をかぶせ、正面に色々なアクセサリーを着けられるようにする。あるものは音や音楽を鳴らし、あるものは風で踊る。強弱や取り付ける場所によって音や動きが変わるのだ。名付けて「ファニマルくん」
(扇風機のファンとアニマルを合成)である。ファニマルくんの音に合わせてファンの前で歌うと何と「声が変わっている」残念ながら(言ってないので)採用には至らなかった。

甘辛は「アン・シャーリー」のように想像力はないようで、見事なまでに粗末なモノを作製しつつあった。ペットボトルにビー玉を入れただけの「ガラガラ」を意識したものらしい。思わず「もうちょっと何かヒネリがいるんじゃねえか?『暗い所では中のビー玉が光る』とかさー」「おーっ、それいいな。どこにあるんだろ?」東急ハンズあたりに行くつもりだったらしいのだが、結局どうしても行く時間を作れずに私がホームセンターまで蛍光塗料を買いに行く羽目になった。やはり前日の昼間、シェッドで何やらごそごそ作っていた。一つだけグレードアップしていて大きいペットボトルと小さいのを組合せ「マトリョーシカ」のようにしたらしい。完成品かどうか知らないが、ふと見て気になったのは私の買ってきた蛍光塗料をボトルの外側にも塗ってカラフルにしていたことだ。「甘辛よ。おもちゃの外側に塗料を塗るのはNGよ。あれ、水性だから舐めたら毒じゃねえかな」(家庭科の先生が気付かないことを祈ろう)

最後は「読書感想文」である。こちらのほうは8月中に終わらせたらしい。課題図書は昨年は「聖夜」、今年は「怪物はささやく」という著書だ。甘辛の後に読もうと思って「どうだった?」と彼に聞くと最初の一言は「何だかなあ・・・・」
私は読んでみて、彼の感想の意味が分かった。私も同様な感覚を持ったのである。同時に「難しい本」を読ませるものだ、とも思った。いわゆる思春期にいる若者に読ませるものではなく、私達の年代が思春期を思い出して読むべきもののように思えたのだ。本のタイトルから「怪物」というのは恐らく主人公などの心の中に潜む「黒い物」だろうと予測がつく。そして実際大体その通りだった。

主人公は13歳、両親は離婚して父親は米国に別の女性と住んでいる。母親はどうやら末期のがんか白血病、薄々もう助からないと気付いているが、それを無理に押し殺して「治療が効く」と思い込もうとしている。そんな彼を学校の誰もが「気を遣い」腫れ物を触るか、見ないように扱う。手伝いに来る母方の祖母は独特な個性を持って主人公とはソリが合わない。。。。
そんなところに現れるのが「怪物」である。怪物は主人公に3つの物語を聞かせる。それぞれのキーワードはたぶん「理不尽」「信念」「心の底」あたり、そして最後に主人公自らに4つめの物語を作らせる。そのキーワードがたぶん「受容」。。。重々しい、やり切れないが、深い意味がたくさんあって、「救われる若者」も結構いそうな物語だった。(やっぱり読書感想文は「赤毛のアン」だなー)

さてこの物語には割と都合のいい役回りとして主人公の幼馴染の女の子が登場する。自分を「見えないもの」として扱う周囲のその存在を知らしめようとして、派手な校内暴力を演じた主人公に「私は見ている」という内容の折りたたんだ紙切れの手紙を手渡す。
主人公の表現を借りるとその手紙は「百回くらい折り込まれていて」「『私は』というところに百本くらいアンダーラインが引いてある」のである。どちらも「はなはだしい」ことを表現したいのだろうが、アンダーライン百本は許せても「折り込み」は元理系の私にとってはどうしても許されない「ありえない」表現なのである。何故か?計算してみれば分かる。厚さ0.05mmの十分に大きな紙を50回折りたたむと●●まで1往復半以上できる長さになるのである。(さて●●とは何でしょう?)

息子甘辛が宿題であたふたしだすと「夏の終わり」を感じる。毎年似たようなことばかりしながら、今年も何かと収穫の多い夏休みだった。私はなぜか9月1日が大好きだった。8月が終わって久々に学校に行き、クラスメイトに会うのにものすごくワクワクしたのである。ちなみに職場ではそういうことはない。夏期休暇があけて重たい「みかんマッコリ」を手土産に出社した際、誰も私には言わなかったが「ありゃー、焼けてるなんてもんじゃないぜ。焦げてるんだよ」と噂された。夏休みの宿題とは正反対で「キリのいいところまで仕事を仕上げて休暇に入る」習慣の全くない私の机には「ここまで気を使ってくれなくても・・・」と思えるほど丁寧に仕事が残されていた。休み前「今、やっといた方がいいんじゃないか?」とささやいてくれる「怪物」がいなかったからである。

  

成田までの直線コース

2012-09-12 04:59:56 | 旅行お出かけ
我が家から海外を旅行する際は、自家用車で成田(最近は羽田もあり)まで行くことが多い。フライトの時間によるが、朝早い場合は付近のホテルに前泊、日中帯で無理がなければパーキングを利用する。大きな荷物を持ち運ぶのが大変だし、息子も中学生になって列車料金も大人3人分でNEXなど使うと結構費用が嵩んでしまう。我が家の前の川沿いの道路を北上し、右折して箱根駅伝コースに入ると、なんと一直線に成田(羽田)空港まで行けてしまうのである!今回のチェジュ島プチ旅行は一旦西湘小田原方面の試合会場で甘辛を拾ってから成田に向かった。助手席カメラに味をしめた私は妻に運転を頼んで、車窓から超兵器203号を外に向けることにしてもらった。何故かと言うと・・・3県にまたがり、結構な観光名所を横目に通り過ぎるのである。時間のない外国人相手なら、これだけでも喜ばれそうな夢のコースなのである。

  

今回は大井松田から東名経由だったが普段ならまずは国道1号横浜新道から高速湾岸線へ。ここまでは「夢の島」のような巨大ゴミ溜め場以外には特に見るべきところはないが、中華街の横を通り過ぎたあたりから、横浜マリンタワー、氷川丸、そして見事な横浜ベイブリッジを眺め、実際にその橋を通過することになる。完成直後は停車して横浜港を一望(今は禁止)できたから、夕方毎時のライトアップも見物に「入り口が閉鎖される」ほどの大渋滞だったものだ。確かにここからマリンタワーや「みなとみらい地区」のランドマークタワー、コスモクロック、帆掛け舟のようなGインターコンチネンタルホテルなど見事な風景である。ちなみに以前「スカイウォーク」というのがあって、自動車専用道路の下の通路を歩くことができたのだが今は残念ながら閉鎖されてしまっている。
       
 

ベイブリッジを過ぎると工業地帯の中を突っ切って次に現れるのが「鶴見つばさ橋」である。そして直進すると羽田空港のど真ん中を突っ切る。コース的に無理があったのか新しい旅客ターミナルや空港全貌は残念ながら見えない。基本的に空港内の道路はトンネルでくぐるようになっているが、旅客機が滑走路まで移動するコースになっている道路が一箇所あって、巨大な飛行機が頭の上を通り過ぎることが何度かあった。羽田空港に再度国際便が飛び交うようになって久しいが、当初の短距離便からだんだん米国西海岸や欧州便なども出始めてきているようだ。当初、多少の物議はかもしだしたが、短距離便だと我が家からはフライト時間よりも成田までの時間の方がかかってしまうから、羽田からの国際便というのは実にありがたい。(皆、そう思うので高いけど)

        

さらに直進し「お台場」周辺へ接近すると、フジテレビを初めレインボーブリッジ、東京タワー、ウォーターフロントなどが目に入ってくる。別に慣れているわけではないが、日頃あまりこの辺りに来ない人は中々興味深いドライブコースだと思う。実は道路の海抜が意外に低いのと防音壁が邪魔であんまり助手席からのアングルではちゃんとした光景が撮れないのだが。。。
有明を過ぎるあたりから左手に東京スカイツリーが見えてくる。さすが634m、都内の大概のところからその姿を拝むことができる。ウルトラマンショップもできたというし、一度訪れてみたいがまだまだものすごく混んでいるそうだ。右手に新しくできた巨大なゲートブリッジが見え隠れしていた。ここも新名所として賑わっているようだが、道路からは遮蔽物が多くてまともな姿は捉えることができなかった。

      

葛西を過ぎて東京ディズニーリゾートである。学生時代のグループやら子供が小さい時家族で行ったりしたが、最近はめっきり足を運ばなくなった。ディズニー・シーなど息子甘辛がお友達同士で遊びに行ってファストパスの指定時間が遅くなりすぎたために慌てて迎えに行っただけである。TDLを過ぎてしばらく進むと「船橋ヘルスセンター」改め「ららぽーと船橋?」(何か感じが変わった気がする)が左に見える。その昔、高速を挟んで反対側に宇宙船発射台のようなスキードーム「ZZAWS」という巨大な屋内スキー施設があった。津田沼駅前にあったおもちゃのゲレンデと違い、本格的な斜度があり、コブまでできていた。スキーレジャー真っ盛りの学生時代、「夏でも本格スキーができる」という夢のような施設に若者が殺到し、何度か行ったことがあるが、入場制限のため5時間待ちなどという悲惨な時もあった。

      

幕張地区を過ぎると周囲には何一つ(と言っては言いすぎだが)大きなランドマークはなくなってしまう。実は距離だけで言うとここからがすごく長い。そして成田山新勝寺が見えて来て初めて「ようやく着いたか〜」という感じになる。空には離着陸する航空機がひっきりなしに見え、否応なく「これから旅行よね」という気分が高まる。前泊はターミナルからかなり近いほうのホテルをとり、荷物を下ろして私は途中いかにも「出そうな」田舎道を通って指定された駐車場まで車を運んだが、歩いてロビーまで行く途中に狭い道路に細い紐のようなものが丸まっていて凍りついた。やはりいたのである。(どうも少し前に踏まれて死んでしまっているらしい)こういう超田舎が首都圏の空の玄関口というのも心細いものだ・・・

    

帰りの成田到着は夜だった。翌日から人間ドックだった私は機内でのアルコール飲食を妻達に譲り、一路我が家を目指したから、夜景撮影というわけにはいかなかった・・・行きの際にもレインボーブリッジ、お台場周辺、葛西臨海公園、幕張メッセなどは高速移動中には撮影できなかったのだが、夜景としても魅力的なスポットだと思う。特に新しい東京ゲートブリッジは素晴らしく輝いたライトアップだった。次の機会があったら、ぜひ「夜景撮影ドライブ」を決行したいと思う。

伊豆のドック復活

2012-09-09 20:59:25 | スポーツ・健康
今年も人間ドックの時期がやってきた。2日間丸々休んで大して仕事に影響のない時、ということで(意外に気を使っている)8月を希望時期にすることが多い。今年も昨年に続き、「進んで長期休暇を奨励する」意味を込めてお盆を含めて2週間ぶち抜きで休暇を取った。(「我に続け!」という姿勢をとって見せたが、誰もついてこなかった・・・)最後の2日間が人間ドックである。今年は何とあの強行プチ旅行、韓国済州島から帰った翌日だった。人間ドック前夜の21時以降は水やお茶以外を摂ってはいけないことになっており、成田着が20時前後だったから、機内アルコール飲食は妻たちに譲り、運転することにしたのだ。(それにしても疲れで眠かった~)

さすがに帰宅したら死んだように眠りこけ、間に合うように起床するのが精いっぱいだった。昨年は管轄が違うとかで北関東のゴージャス病院でお大尽ドックだったのだが、今年からエリアの区切りがなくなり、全国どこでも受診できるようになった。むろん選んだのは行き慣れた伊豆の総合病院、2年ぶりの復活だ。ゴージャスドックは実は丁寧なのは受検者の扱いだけで(たぶんかなり費用が嵩む)検査項目としてはメインイベントとも言える大腸内視鏡検査や歯科検診などが端折られてしまっている。伊豆病院は施設こそ最新式ではないが、そのメニューの豊富さは他に聞く病院では群を抜いており人気も高い。

私は一定の年齢に達してからほぼ毎年人間ドックにかかるようにしている。作家の山田風太郎は、日露戦争で活躍した陸軍の大山巌元帥が「人間も船と同じで時々ドックに入って検査しないといかん」と言っていたことを「人間臨終図巻」の中で紹介して「人間ドックという言葉の由来は大山かもしれない」と書いているそうだが、真実かどうか定かではない。しかし体の隅々まで点検する、と言う意味で「ドック」というのは真に言い得て妙だと思う。片手を越える回数を数えるこれまでのドックで色々なことが起こったが、今回は(結果はともかく)その内容について紹介しよう。

まず受付を済ませるといきなり「糖代謝の測定」のため採血される。何十人もいるから、それぞれ看護師が手際よく血を抜いて行く。「朝一番からすみませんねえ。すぐ、済ませますから・・・」「いやあ、出はいいはずですよ。でも注射はきらい。。。」と目を背けた。「うわーっ、ホントだ!よく出ますねえ」実はびっくりするほど痛かったのである。あまりの痛さに思わず拳を握りしめたから一気に血流が上がったのかもしれない。その後ドックのオリエンテーションが行われ、オプション検査などの受付が行われる。一通りの説明を終えるとテーブルにオロナミンC大のジュースの瓶が配られ、一気に飲まされる。内容はいつか紹介したが何と角砂糖30個分!いくら糖代謝の検査とは言え、これを飲むことによって糖尿病になることはないのかホントに心配になる。この検査の困ったところは1時間、2時間おきにまた針を刺して採血しなければならないところだ。

次の採血が行われるまで「身体測定」である。私の身長は日本人の平均身長そのもので、何十年も変わらないが(当たり前か!)体重ははるかにオーバーし、BMIなどいつも(H)マーク(高過ぎる)がついてしまう。腹囲が基準を1cm超えてしまったために「特定保健指導」という屈辱的なプログラムに呼ばれてしまったのだが、40歳を超えて久しい人間にあの腹囲を下回る者など希有の存在だろう。(厳し過ぎるよー)
身体測定値、血圧、体脂肪率など健診以外でも比較的測定する機会のある分野に共通して言える私の特徴は「どれも全てちょっとだけオーバーしてしまっている」もう少し気をつけて努力すればオールグリーンなんだが・・・・骨格、筋肉量からして「標準体重になることは決してない。もしそうなったらかなりやばい病気である。」と医師に言われたことはある。

今回、ちょっと気になったのは片方の視力がかなり低下してきたこと。今の職場どころか、これまで職場全部思い浮かべても「裸眼で平気で仕事をしている人」は自分以外に数人しか見たことがない。視力云々よりも「画像情報を形作る脳の力」を養う「マジックアイ」という本でトレーニングし、その小細工の効果によりいつも問題ないのだが、今回は旅行帰りで疲れてトレーニングをおろそかにし、しかも油断して測定直前まで文庫本を読んでいたからどういう訳かピントが合わず、ついにメガネゾーンまで突入してしまった。。。(今回は「心眼」が効かなかった)聴力は血統的にどうも弱く、特に高音域が聞こえにくいがこれこそ「心の耳」で(つまり勘)常にクリアしてきた。

身体測定が終わって糖代謝の採血が終わると昼食の弁当である。前夜から固形物は何も腹に入れていないから、この弁当が実に美味い。足りない分は昼休みに売店でおにぎりなどを補充してしのぐことになる。心電図をとって異常が無ければ体力測定に進む。腕に電極を巻いて血圧と心拍数を測定しながら負荷を高めて行くペダル漕ぎ運動だが、さすがにこの測定だけはグラフの一番端、つまり最高位を誇り「どんなスポーツにも挑戦できる体力があります」という結果を叩きだす。頸部のエコーと胸部CT検査を終えると1日目は終了である。

実は知らないうちに近所に天然温泉を掘ったスーパー銭湯ができたようで、ビラを配っていた。ドックカードを出すとドック受検者向けに割引サービスを受けられ、何と1日目の健診が終わる頃の時間を見計らって無料送迎バスが出るという。歩くと15分くらいかかると聞いたが、散歩がてら周辺を歩き回ってみることにした。以前8月の同じ頃、間違えてツマミに買ってきてしまった昆虫ゼリーを敷地内の色々な樹木に仕掛けて回ったことはあるが、病院の外を散策したことはこれまで一度もなかったのである。実は全くもって何もない恐ろしい田舎なのだが。珍しい虫でもいないか、道端を注意深く偵察していたのだが、スネークセンターに行ってから「虫よりも蛇を探し当てて」しまうような気がして、あまり深入りしないようにした。

      

温泉施設は新しくて中々素晴らしかった。さすがに伊豆、露天風呂真正面の富士山は我が家周辺よりもはるかに大きく迫力がある。周りは完全な田園風景、すぐそばに住宅地もあるのだが、日本じゅうから1回に何十人もやってくる人間ドック受検者がかなり重要なお得意様なのであろう。今は夏真っ盛りだが、このスーパー銭湯は冬に訪れると素晴らしい景色を堪能できると感じた。部屋に帰るともう夕食の時間だ。前の職場の同僚とたまたま合流したので、一緒に飲みながら昔話に花を咲かせた。(あれほど「消化が悪いからピーナツなどは食べないように」くどくど言っていたのに、柿の種が50円で売っていた・・・)

      

翌日はメインイベント、胃と大腸の内視鏡検査である。何せ朝の6時くらいから腸管洗浄剤(うーむ。久し振り)で腸の中をくまなく空っぽにして上から下からぐりぐり眺めるのである。自分の体の中を覗く中々ないチャンスである。私は嘔吐反射が強く、胃内視鏡だけは恐ろしく苦痛で大嫌いだった。しかし最近は「鼻から細いチューブを入れる」手法が開発され、痛いには痛いが随分と楽になった。今回は全ての検査がとんとん拍子に調子よく進み、全部終わったのが昼前、昼食を摂ってから、医師の説明や保健師の生活指導などがあるが、ここで健診を受けるようになってからほぼ同じことしか言われたことがないので、見事な快晴の低気圧接近でサーフィンに行きたくなった私は婦長にちょいとごまかしを行って、午後のプログラムは全てパスして帰路についてしまった。

しばらくして血液も含めた検査結果が郵送されてきたが、こういうサボった時に限って色々あるもので、結構な数の項目についてイエローサインが点いてしまった・・・「多すぎます」といつも赤字で書かれてしまうアルコール摂取量だが、γGTP(正常16~73)の「27」というのはいつもながら不思議がられる。今回の特徴は身体測定値の傾向と同様、「多くの分野でちょっとだけオーバー。もうちょっと気をつければOKなのにねー」というのばっかりだ。善玉コレステロールも多いが悪玉コレステロールも負けずに多い。
今回の結果が自分に対する何かの警鐘なのか?!(ま、今回は済州島暴飲暴食強行軍の直後だからよしとするか・・・)冬蟲夏草の効力に期待するとしよう。

済州島の最終日

2012-09-01 10:15:34 | 旅行お出かけ
(ちょっと間があいてしまったが)チェジュ島最後の日、フライトは午後5時50分だったが、空港が近いため4時くらいまでフリーな時間があった。今回のツアー、わずか3日間で済州島のかなりの要所を回ってくれる「お得だねメニュー」だがそれなりに慌ただしく、やたらめったら歩き続けるものだった。自然遺産や名所など「見学」するものばかりだったから、息子甘辛は「何かアクティビティがやりてえなー」と言いだした。SOUさんは多少へばり気味の我々大人を横目に時間内に空港に辿りつけるコースを早速考えてくれた。ハイヤーをチャーターし、済州市から1時間ほどのお勧めビーチで遊び、島の中心近くにある牧場で四輪バギーで体験レース・・・息子も最初は目を光らせたが、試合会場から直接成田に向かった彼も疲れていたらしく、「バギーやりてえけど、今回はいいかな・・・」夕食をとりながら作戦を練ることにした。

美しいビーチにぜひ行ってみたいものだが、海パンを持ってきてないし、帰りのことを考えると近所の海の家のようにはいかぬから中々悩ましい。ガイドブックを見ながら私が一つ思い付いた。「この龍頭岩海水ランドってどうだ?チムジルバンもある海水のスーパー銭湯だぜ。女性軍はエステとかもできそうだし、オレ達も汗蒸幕できるし。。。」値段もとても安い。皆、歩き疲れを癒したかったのか、その気になっていた。翌日の予定を確認しにきたSOUさんに早速どんなものか尋ねるとちょっと苦しそうな顔をして・・・「いいところなんですけどねえ。中国人のお客さんが多いんですよ。大声だ騒いだり、シャワー浴びないで風呂に使ったり・・・ちょっと文化が違うでしょ?静かにゆっくりリラックスするのは難しいかも。あういうところ他にはないんですけど」そうか・・・風呂場やサウナでわーわー喧しいのはちょっとなー。「NANTA」のために迎えに来てくれたSOUさんが「海水ランドよりちょっと値が張るんですが・・・チムジルバンにサウナ風呂、垢すりに全身オイルマッサージをセットにしてくれる場所を探したら空港の近くにありました。ご検討されては?」わざわざ調べてきてくれた。

「何、全身マッサージですと?」息子甘辛の目が輝いた。。。少年の癖にやたらとマッサージの好きな甘辛は家電量販店に行くと必ずと言っていいほど高級マッサージチェアに座っている。私は垢すりも全身マッサージも経験がないから、女性軍とは別行動かな、とも考えていた。足指指圧マッサージは香港でしてもらったことがあるが、あまりの痛さに土壁に穴を開けてしまったのは前述の通り・・・
しかしこんな機会でもなければこの先に体験することもないだろうと敢えて挑戦(ていうほどでもないが)する気になった。他人の手で全身くまあく触りまくられると思うだけでもくすぐったくてしょうがないのだが・・・かくして済州島最終日(駄洒落じゃないよ)は4人とも初のエステ体験に行くことになったのである。

翌日の朝、海外に行ってもやはり早起きになってしまう私はその辺を散歩しようと部屋を出たらちょうど母親がうろうろ歩いているところだったので、一緒にホテル向いの済州牧官衛という復元された遺跡の回りを歩いてみた。島で最古の建築物だという。中は9時にならないと開かないが、敷地の外れにある観徳亭は自由に見学することができた。ここはその昔、兵士たちの訓練に使用していたという・・・「観徳」という名前は「一生懸命弓を習えば、徳を磨くことができる」という故事にならってつけられたらしい。

          

さてチェックアウトを済ませ、ロビーで待っているとSOUさんが手配してくれた送迎の車がやってきた。10分ほど街中を走ると大きな建物が見えてきた。ブリムスパランドという名の施設だそうだ。
受付を済ませるとまずは男女別に入浴、垢すり、そして全身オイルマッサージという。その後合流しチムジルバン(低温サウナ、岩盤浴)である。
最初に案内されたのが温泉大浴場、これは普通のスーパー銭湯のようなものだ。温度の微妙に異なる大きな浴槽が3つ(それぞれ40℃、42℃、44℃)、ジェットバス、打たせ湯があり、さすが高温サウナに中温サウナがあった。日本の温泉と基本は同じだがすこし薄暗く、お湯がちゃんと循環しているかがちょっと不安だった。

20分ほどすると短パン一丁の明るいおやじがフロアの隅に二人やってきて、笑いながら手招きしている。コーナーに二つベッドがあって、バケツやシャンプー、ホースなどが準備されており、どうやらそこで垢すりをしてもらうらしい。日本だと小さな別室に案内されているようだが、ここはただの隅である。しかも真っ裸のまま・・・(私、されたことないんだけど日本でもそうなのか?!)鼻唄交じりで20分程度、前も後ろもおかまいなく全身くまなくゴシゴシと垢すり用タオルでひたすら擦り上げる。。。
うつ伏せになった状態で前を見ると甘辛も同様にゴシゴシされている。背中にものすごい量の黒い垢が見えた。(ちゃんと洗ってないとしか思えない)

すすぎ用の妙に生ぬるい水を何回かバケツでかけられ、最後は全身同じ石鹸で泡だらけ・・・しかも何故か二人とも一角獣のように髪の毛をピンと立てられて、「ハイっシャワー」と指差されておしまい。。。この姿で二人並んでシャワーコーナーまで歩くのはものすごく間抜けだった。(録画されてyou tubeにアップされたら再生回数1万回は硬い)
再びしばらく風呂に使ったりサウナに入ったりして、約束の時間になってフロントまで行くとマッサージ用浴衣を渡された。別室のドアを開けると涼やかな音楽のかかったルームからおばさんがにこやかに出てきた。ここでもマッサージを受けるのは我々だけらしい。顔の部分だけ穴の開いたベッドにうつ伏せになり・・・背中をゴリゴリされるところから始まった。

くすぐったくて拷問のような時間かと思っていたが、何とも気持ちのいいものだった。なるほど、こういうのなら人気が高いのもよくわかる。足指のように激痛の繰り返しでもなく、手足の指先から五体くまなく膝や肘、色々な部位を駆使してのマッサージはまさしく極楽の時間だった。仰向けに体勢を変えるとき甘辛の方も見たが、やはり一人悦に浸っているようだった。そしてビューティエステのCMでよく見るフェイスマッサージをされた。顔が見えないのでよくわからないが、人生初の「顔パック」をされたらしい。。。その後熱めのタオルをかけたり、何かジェルのようなものを塗られたり、再び冷たいタオルをかけられたり・・・セレブの象徴のように思っていた顔エステだが、こうしてみると中々によいものだ。

約1時間の全身マッサージは息子甘辛とほぼ同時に終了した。部屋を出るときに「これはかなりポイント高えなー」「父ちゃん寝てたじゃんかよ。鼾、聞こえたぜ」確かにあまりの快楽に夢心地になって、「自分の鼾で我にかえる」というのが何回かあった。母は高齢だからかなりソフトな施術だったらしいが、スピリチュアルヒーリング以外は人生初の全身オイルマッサージにかなり感激したようだ。終わったときにマッサージ師の手を握って「アンニョンハセヨ」を連発したそうだ。(ホントは「カムサハムニダ」だと思うんだが)その後女性軍と合流して黄土他何種類かの岩盤浴のチムジルバンに入り、遅めの食事をして空港までのお迎えを待った。済州島の最終を飾るに相応しい初体験だった。。。

別に取り立てて旅慣れているわけではないが、海外旅行はほぼすべて個人手配の自由旅行としてきた私達にとって、今回のプチ訪韓は「仁和寺の法師」にあるようにガイドたらん人の役割が威力を発揮した旅行だった。限られた時間で有名どころをピンポイントでずばり全部案内してくれるのもそうだが、移動中に実に様々な「文化」を聞くことができ、ホントにこの国に興味をもった。チェジュ島生まれチェジュ島育ちのSOUさんはおしゃべり好きなのか「寝てさえいなければ」ずーっと色んな話を聞かせてくれた。お隣の国なのに「中国」の歴史はそこそこ知っていても、朝鮮半島の歴史はわずかにしか知らないものだ。何せ高句麗、百済、新羅の3国が争い、日本は百済を支援しようとして戦って敗れた戦い「白村江の戦い」あたりが精一杯だから・・・
当然だが、SOUさんは日本の歴史教科書に載っているわずかな事件の周辺事情も詳しく教えてくれた。「日本は百済との友好関係によって仏教を含め実に様々な文化を取り入れた。百済から渡ってくるものがほとんど文化の「全て」であった。だから百済からのモノでないブツは「くだらない」と言う」(4人揃って「へーっ」と感心した話だが、ホント?もしかして都市伝説?)

その他にも・・・・・
「日本ではあまり受け入れられないが、韓国は整形の大国である。就職のお祝いに親が「整形手術」をプレゼントすることもざらだ。結婚して子供が生まれてから、全然違う顔をした赤ちゃんを目の当たりにして始めて夫に『実は・・・』とカミングアウトするケースも多い。なので韓国の身分証明書の顔はあてにならない。耳はあまり整形する習慣がないから、韓国ではパスポート写真には必ず耳を出さなければならない。」(確かにソウルの街中に「整形前」「整形後」などというでかい看板があったなー)
「韓国では親類などを招いたときの料理のもてなしは『有り余る』くらいに膨大な量を用意しなければならない。宴が終わった時にお皿の上がきれいになくなっているようでは『不足=ケチ」と見なされる。また招かれる方もそれを意識しなければならない。あまり全部平らげると『卑しい』とされる。正月、大家族を招く時にこの準備をするのが長男の嫁の役目でものすごく大変だ。だから韓国の女性は「長男の嫁」には成りたがろうとしない。正月の大宴会後に大量に残った食べ物をごちゃ混ぜにして食べた料理がビビンバの始まり。」

「済州島には日本政府から防風用に植林された大量の杉林があるのに、『花粉症』の人を聞いたことが無い。色々なものへの効能が言われているが、やはり常にキムチを食べているからだと思っている。その他にも冬蟲夏草や五味草など昔からの健康食品が豊富で、平均年齢も韓国一番だ。昨年、妻とプチソウル旅行した時に韓国という国に興味を持ち、「やさしいハングル」という通信教育をやって見た。あらためて文化や歴史、自然に触れ、「チェジュ」という文字を読めたこともあって、かの国への好奇心が倍増し、もう一度韓国語を勉強してみようと引っ越しの際に段ボールに詰め込んだテキストを引っ張り出してきた。SOUさんは済州島を案内する仕事につきたくて済州大学で日本語を学んだと言う。実に立派なものだ。実はソウルにいる友人が「Jump」という韓国パフォーマンス(NANTAのような?)のチケット売り場で見たという「携帯電話田園OFF」「4歳以上イプサングが」といった奇妙極まる各国語看板が済州島にもないか探していたのだが、とうとう見つけられなかった。かの国の言葉は順番が日本語そっくりのようだから、初心者には「単語」が全てのような気がする。「次の機会」は必ずあると思うから、それまでには少しは使えるようにしたいものだ。(最近、自分の語学分野への能力はかなり低いことを思い知っているが)