超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

大晦日に

2009-12-31 08:24:11 | Weblog
みなさま、あけまして・・・もとい!写真は今日大晦日のもので、初日の出ならぬ「オオラス日の出」だ。
ズームインで「明日の初日の出は午前6時48分頃・・・」と言われ、画面を見たら朝の6時44分だったからあわてて上着を着込み、愛車ポインター号をとばしていつもの波偵察場所へ、今年を締めくくるに相応しい見事な日の出だった。

昨年しばらくお休みにしたブログを再開したのも確か、12月31日。。。
キリのいいところで、正月からにすればよいのに、ラス日の出と言い我ながらへそ曲がりなことだ。
ただ正月3が日は実家(と言ってもすぐそば)で過ごすので、この手のことはずっと後になってしまうから、大晦日の更新というのは結構合理的なんだ。

昨日は以前ここでも紹介した伊豆多賀の南熱海マリンホール裏へ正月用寒グレ釣りだ。
網代湾が一望できるのんびりしたテトラ群だが、この前きたときはかなりよい釣果を記録した隠れスポットだ。
ただ我が家から西湘バイパス~真鶴道路~熱海ビーチラインを経て1時間30分というのはちと遠いんだよな。。。

午前中だけ粘って今年最後の釣果はグレ(メジナ)3匹、ウミタナゴ1匹、ベラ多数(リリース)だった。
正月用には少し寂しいから、今朝リトライしようと思っていたが、海が大荒れのようなので止めた。。。
正月は晴れるには晴れるが、寒波がひどいようだ。

私は1年をあまり短く感じないほうのようだが、それでも「もう大晦日かぁ」と思う。
いい年になると皆、「1年が過ぎるのはあっと言う間・・・」と苦笑するが、私に言わせれば当然のことだ。
5歳の子供はそれまで過ごしてきた時間の累積に比べると1年が20%にもなる。そりゃ長く感じるわな。

たぶん時間の感覚はこれまで経験し得た長さしか持てないはずだ。息子甘辛でも1年はこれまでの人生の10%弱はある。。。
ところが40数年も生きてくると1年は2.5%、50歳になったらそれまでの人生の2%になってしまう。。。
早く感じるのは当たり前のことか・・・

終業式に貰って来た通信簿を息子はしばらく隠していたようだが、ちょびっと成績が下がってしまった。。。
全丸なのは算数と体育だけ、それこそ塾とサッカーに行ってる効果のみかな。
ちょっと前は国語の「話をよく聞き、筋道を立てて話す」というのが×だった。

「おまえさあ、サラリーマンだったらこれ×のヤツってダメダメよ。これだけで仕事してる人ばっかよ・・・」

「小説家を目指す」とか言って、しきりにインターネットに作品投稿していた。
別になんでもいいや、と思っていたが本人の都合通りにはいかないもので、今回は「話をよく聞き・・・」は丸になって、「考えや気持ちを文章に表す」というのが×になっちゃった。小説家としちゃあ致命的だな・・・
クリスマスのサンタプレゼントは「四字熟語かるた」。二字ずつの漢字をニ組合せ、熟語にする単純極まりないカルタで我ながら「つまんねえだろな」と思いながらやってみると結構面白い。

自分で勝手に面白そうなルールに捻じ曲げてしまうのは我が家の専売特許だ。
「カードをめくったら、その言葉を使って何か『一言』言わなければならない(笑点風)」
「首尾」・・・よりもオレはコウゲキしたいぜー
「三昧」・・・不埒な悪行?みっつみにくい浮き世の鬼を。。。
「八方」・・・菜より肉野菜炒めのほうが好き
「三位」・・・じゃあ納得できねえよ。優勝以外価値なし!
「一石」・・・ドイツ語でアインシュタイン
楽しみながら勉強に。。。ならないか。

最近「何でこんな勉強しなきゃいけないんだろう?」という顔をするようになったので、今年のテーマ「学ぶということ」を炸裂させよう。
この前、ひょんなきっかけから小川洋子の「博士の愛した数式」という本を読んだ。
やはり「数学」が最も「実生活には遠い」もののようだ。くだんの式はたぶんEXP(πi)-1=0だと思うのだが、この公式は大学の教養課程で習う。

今の教科書を見るのは結構楽しいことだが、小学校の勉強などは、大人になってから100%使うものばかりだ。
中学校もそうだろう。高校くらいになるとこの辺が怪しくなり、大学での教育など社会人になって実生活で役に立つものなどはっきり言って一つもない。。。
それでよいのだ。一生で最もパワー溢れる時期に「知性・感性・直感」を養うためだから。

「人間はより多くのモノを学んだ者のほうが、『イザ』というとき生き延びる可能性が高い」
たぶん人類も数百万年の歴史をもっているから、そういうものを本能的に積み重ねてきたのだろう。
そういう意味では私は全方位学習派だ。歳を経て趣味と化すとなおさら「手当たり次第」となる。

「富士山の噴火が始まったとする。距離があるからすぐに全滅することはない。しかし危機的状況はすぐそこまで迫っている。国語算数理科社会(ドリフか?!)のそれぞれ得意なヤツは生き延びるためにどんなことを活かせるか・・・」
来年は息子甘辛とはそんな会話をしていくだろう。

今年はいっぱい「本」を読んだ。来年はそれに加えて「音楽」をマイブームにしよかな。
「鳥」というテーマもありだな。写真家への道も捨てがたい。。。

みなさま1年間ありがとうございました。来年もエキサイティングな年でありますように。

働くということ

2009-12-30 19:13:08 | ヒーロー
今年一番のマイブームは、K女学館大学のU教授の著書から始まった「学び」節だ。
ひょんな社内機関紙の記事を紹介してくれた人がいて、その記事に思わず膝を打ったのがスタートだった。
このサイトでも色々な形でちょくちょく紹介してきたが、やはり最近「自分の言葉で書かないとダメだな」と思うようになった。

考えに考えて捻り出した彼が言いたい「学ぶということ」に関しての一貫した主張、それは・・・
「人間は多くを学んだ者ほど『イザ』というときに生き延びる可能性が高い」
その「イザ」というときはたまたま来ないかもしれない。どちらかと言うと人類学というか生物学に近いかもしれない。。。

U先生はブログで「来年はどういう年になりますか?」という質問に自分がそうなったらよいなと思う事柄を並べたという。
そのひとつが「贈与経済になる」というものだ。
さらに言うと「等価交換よりも贈与のほうが難しい」ということだ。。。
「贈ることは簡単だけど、同じ価値のものと交換するのは難しい」と誰でも思うと言われ、私もそう思っていた。

「全然逆である。」U先生はそのブログで言う。「4歳の子供でも千円札を持ってコンビニで買い物するのはわけないことだ。それは等価交換だからだ。しかし、千円相当のモノをもって、相手にそれを与え互恵的な関係を作り出すのはまずもって不可能だ」
今年最も私に響いた言葉だった。

経済が行き詰まり、人口が減少し、市場(π)が縮小していく中で、これから何が大切か、というと「贈与」だという。これが働くことの本質だと。。。
一つ逸話が紹介されていた。Uさんが経験したその師と仰ぐ人とご一緒したごく普通のものだ。
仕事で遅くなって深夜7人でレストランに行ったとき。。。

唐揚げを注文しようとしたが、1人前は3コだったので三人前頼もうとしたら、ウェイターが「大丈夫ですよ。二人前で7個にしてもらうようコックに頼みますから」
唐揚げを持って来られたときに、Uさんの師匠が「あなたは『うちで働きませんか?』と言われることない?」
驚くべきことに一月に一度は誘われると言う。。。

以上はU先生ご自身の話。これからは私が覚えている類似の話・・・

テレビの紳助がやっている「深い~話」にあったが・・・
何とかいうお笑いタレントが妻にお気に入りの帽子をプレゼントしようと日本橋高島屋を訪れたとき、たまたま売れてしまっていて本人ががっかりしていたら。。。

「店員が奥で何やら連絡を取った末に出てきて、ニッコリ「新宿伊勢丹さんにあるそうです。お取り置きをお願いしておきました」

心臓病で病室から出られない生活を続ける少年の夢、「大好きな江ノ電を運転したい」という投書を見て、社を上げてこれを検討しほんの数分でも実現した社員たち。当日、江ノ電では歴史上一度も無かった全駅に職員を配置し敬礼!

深夜のレストランのウェイター、百貨店帽子売場の店員、鉄道会社のスタッフ。。。やりがいが少ない職場とはもちろん言わないが、野心丸だしのセクションでもない。。。
そういうところに「働くこと」の本質があるような気がする。

普通であれば「ズバリ美談!」「思いやり」「人の暖かさ」「ボランティア」などと言われるだろう。上記のどれも「それはそうなんだけどね」というものなんだが。。。
しかしうまく言えないが互恵的社会=市民的成熟というのはこう言うことなんだろな、と思う。これから(来年から)の経済はこれだ!と。

贈与のほうが等価交換よりも難しいという話は、サッカーに例えられていたのが実にうれしかった。
贈与するというのは「パスを贈る」ということだからだ。
パスを出す人間は常にどこに誰がいて、どのスペースに蹴れば誰が届きそうかを考えている。
パスをもらってから「さあ、次にどうしようか?」と考えているプレーヤーはいない。。。

前回の「ふぐちり」論でいけば、次世代へのパスはどの方向へどの強さで出せばよいか考えることになるかな。
今年は色々な方から「パス」をいただいた。
これに対し、すべて「次につなげる」プレーをできたかどうか・・・

次回へまたまた続く。。。

★小夏さま
ウルトラサイダー半分あきらめていたところにホントありがとうございます。
年忘れ、今年一番の「キラーパス」でした!






仕事も納まって

2009-12-28 22:56:15 | 職場
今日は仕事納めの日であった。例年、午後からは大掃除が始まって、夕方には買い出しが済み、終業時間の少し前には幹部が挨拶に回ってくる。
乾杯して、めいめいのグループで何やら宴会めいた催しが始まる。
1年で自席で酒を飲む、唯一の日である。どういうワケか私はどんな忘年会よりもこの仕事納め会のダメージが甚大だ。

今年はクリスマスからアルコールを飲む機会が続きに続き、かなりへばり気味だった。
午前中に最後の会議(こんな日でもあるのだ!)を終えると、息子甘辛のチームが県南カップで準決勝に進んでいるとメールが来る。(実は4位リーグなんだけど。。。)
今年最後の試合を応援に行くべし!と決めた私は、昼休み早々に今年の仕事納め欠席を宣言し、皆に挨拶して足早に横須賀に向かったのである。

既に職場には休みに入っている人も多く半分くらいしかいない。
今年は「ウルトラサイダーを探して」だとか「知り合いに歴史上の有名人がいないか」だとか色々意味不明な協力を強いてしまった。。。
このサイトでも第3●次南極越冬隊やJAICAマラウィ派遣団など香ばしい経歴をもつ人を紹介したが、先日の部門忘年会で聞いて回った中でグランプリファイナルは

「美智子皇后陛下とおしゃべりしたことがある」

上で出てきたアニキが海外協力隊の壮行会で経験したそうだ。恐れ多くも「ぜひテニスをやってこようと思います」とかなり外したセリフを言上したんだって。
事前に宮内庁係官から「皇太子の婚期だけは話題にするな」と釘を刺されていたそうだ。そういう時節だったらしい。

「宮沢りえと六本木でチューをしたことがある」

当人は二十歳前後のときだったというが、自分が酔っていたのか、相手が酔って店に入ってきたのか、追求を微妙にかわしていたが、出会い頭の事故と本人は主張する。
職場が六本木にあり、若さに任せて夜の街に繰り出すとすんごいことが起きるものだ。
ちなみに安西マリアとはもっとすごいことがあったらしいが、ついに口を割らなかった。。。

「ひいおばあさんに伊藤博文と御見合いをする話が持ちあがった」

色々聞いて回ったが、ホントに御見合いをしたかどうかはついに不明だそうだ。しかし見合い写真を撮って準備だけはしていたらしい。すごいことだ!当人の意見ではたぶん実現はしなかったということだが、志士として活躍していたであろう伊藤俊輔は長州藩が大変なことになっていたので、見合いどころではなかったのだろうか。。。
しかしひいおばあさんなる方が伊藤俊輔と成婚していたとすれば、そのひ孫であれば彼はしがないサラリーマンではなかったろうにね。

そのときの忘年会会場は新宿歌舞伎町の雑居ビルでいかにも幹事が「ネットで探しましたぁっ」と言うような7Fの食彩居酒屋。。。
やっとの思いで見つけたビルのエレベーターに並ぶと、6Fに「戦艦大和」という名の店名が見えた。

「ねえねえ、ちょっと6Fで降りていいかなー?」

私は香ばしさに我慢ができずに、店を覗いたのだが「ヤマト」の第一艦橋のような構造を期待していたら、何と言う事もなく入口に髪型が面白いお姉さんが二人。。。
「何だよ。名前だけ先行してねえか?!」幾分がっかりして階段を上り7F居酒屋会場へ行き幹事名を告げると、6Fに降りてくださいという。。。
「な、なんと!あの店かよ・・・」別に普通の店だったよ。「大和」を名乗るなら46センチ主砲くらいはないとねえ。。。

写真はその数日後、年寄りたちと連座した忘年会だ。
神楽坂の玄品ふぐ「関門海」という、上司の好みだったようだが、学生の街らしく結構値段はリーズナブルだった。何せ生まれて3回目くらいの「ふぐ尽くし」だぜー。
「ひれ酒」が一人一杯つくのだが、炎によって香りをつける演出が面白い。
年寄りばかりの忘年会だからお笑い話題性には乏しい。最も話術が面白いのは若手役員である上司くらいのものか・・・

一列テーブルの宴会席ではなく、今でも東海道線に3、4両くらいあるBOK席形式で、しかも一人ごとのふぐ尽くしコースだから席を移動しようがない。。。
私は飲み会のときに席を次々に移り渡ってお酒を注ぎに行く習慣がないのに加え、もの珍しい「ふぐ料理」だったので、最後まで同じ席で同じメンバーだけ爆笑ワールドに誘っていた。。。
忘年会なのに同じBOX席の3人としか会話しなかった・・・

「ふぐ」を食いながら、同じ世代だったら「絶対話題にしたよな」という「金八先生」のくだりを思い浮かべていた。
我々はほぼリアルタイムで「顔はやばいよ・・・」を見ていた世代だが、たしかあの話は生徒に受験に臨む心得を説いているときだった。
それは「文化とは『ふぐちり』である」というものである。「金八先生」の中で私が一番好きなくだりだ。

「昔、海辺に男が住んでいた。その男はとてもお腹が空いていたんだろう。拾ってきた奇妙な姿をした魚を頭からバリバリ食べる。そしてその男は魚の猛毒に当たって死んでいく。その魚は『フグ』という魚だった。まわりの人間は皆、笑った。『そんな、得体の知れない魚を食うからだ。あいつはバカだ』と。しかし彼は単なるバカではなかった。。。その証拠に彼は死ぬ前に一言だけ言い残すのだ。『どうもオレはあの魚の皮を食ったのが悪かったらしい』そして別のところに別の男が住んでいて同じことをして・・・・・『どうもオレはあの魚の骨を食ったのが悪かったらしい』・・・そしてまたまた別の男が同じことをして死んでいく。『皮も悪いかもしれない。骨もダメかもしれない。しかしあの魚は内臓がいけないんじゃないか?』・・・」

そして我々はこの「バカ」たちの営々たる努力によって、今「フグ」を安心して食うことができる、と言うのだ。
そして・・「我々は何か次の世代の人たちが幸せになるためのことを残さなければならない。そのためにキミ達は勉強しているのだ」
あの河川敷での「金八先生」の説教は今でも鮮やかに脳裏に甦るのだ。

年末スペシャルは今年マイブームとなった「学ぶこと」に続き「働くこと」(実際の私の労働状況とは直接関係ない「フィクション」です)で〆ることにするか。

つづく

クリスマスって

2009-12-25 22:08:35 | 出来事
「今日は気の滅入る日なんですよ・・・」

午前中の会議でプレゼンを行った20代の女性はいきなり苦笑いした。
こういうときに下手なことを言うと、「セクハラ」と言われかねないので黙ってニコニコしてるしかなかった。。。
しかし、パワーポイントの最後のページはサンタの絵があり、下には小さい字で「今日は早く帰りましょうね」・・・どっちやねん!

昨晩は日本中で色々なモノがライトアップした夜だった。
私達がちょうど学生から青年あたりだった頃から、クリスマス・イブは何故か「恋人たちの夜」と化し、俄かもんも含めて街じゅうにカップルが闊歩するようになった。
クリスマスを一人で過ごすというのはものすごく罪悪感があり、世間から取り残されていく気がしたらしい。

パーティなどで何とか男女で過ごすことはできても、12月24日だけは「二人のための」特別な日らしく、そのようなイベントも避けられたものだ。
バブル絶頂期のトレンディードラマ(死語?)「君が嘘をついた」を学生部屋で先輩と見ていた記憶がある。
最終回でクリスマス・イブに三上博と麻生祐未がすれ違いにすれ違って最後に出会うシーン。麻生祐未が自分の指にリボンを結んで差し出すと三上博が一言「これが手に入らなくてね・・・」
うーむ。。。恐ろしくベタなドラマを鍋をつつきながら見ていたこともあったな。

あの「緊張感」を忘れ去ってもう何年になるだろうか。。。

年々とグレードアップしてくるイルミネーションだが、ついに東京タワーまでハート型にライトアップされ、あらゆるところに光の渦が見られた。
必ずやると思っていたが、新江の島灯台も見事に光彩を放っていた。
妻子持ちになるとあういうのにはあまり縁がなくなり、ひたすら家路を目指すことにある。

我が家もスパークリングワインと妻の手料理で乾杯だ。
これまでと変わったのは、息子甘辛がサンタからのプレゼントはどのようにして贈られるか知ってしまったこと。だから今年は隠しておくべきサンタプレゼントがない。。。
一昨年あたりから、微妙に推理を働かせるようになった。学校で友達に吹き込まれることもあろう。

「父ちゃんがあらかじめ、サンタからプレゼントを預かっておいて、イブの夜まで隠してるんじゃないか?」

戸締まりを全部してあるのに、家に入って来れるのはおかしい、というものだった。その時は「防犯のため内緒にしているが、実は1か所だけ開けてある」とかわした。
昨年はもはや完全に知っているのだが、無くなることを懸念し「気がつかないフリをしている」フシがあった。
そして今年はとうとう「サンタのプレゼントは父ちゃんたちが用意していたんだな」と公式に表明した。

それでも、スッとぼけたもので、風呂で明日何をするのか聞くと「まず、サンタのプレゼントを開けて~・・・」

「んっ?そんなのねえぞ。今年はサンタからのコンタクトが無かった。」

「えーっ!小学生のあいだはもらえると思ってたんだけどなー」

少し寂しそうな顔をした甘辛に「しまったっ!」と思った。真相は知っていても「サプライズは欲しいものなのか・・・」
親からのクリスマスプレゼントは相談することにして、1日遅れることになるが、今晩東急ハンズで何かおもしろそうなヤツを買ってってやるか。。。
昨日は閉店間際の夜10時頃までプレゼントを買うためにレジに並ぶお父さんが多かったとニュースでやっていた。仕事帰りか・・・

数少ないクリスマスの濃い話(もとい!恋話)は別の機会として、どういうわけか必ず思い出すのが中学生のときに体育館で見た「クリスマス・ツリー」という映画だ。
確か父親と海で遊んでいたときに、子供が核爆弾が炸裂し放射線によって白血病になってしまう話だった。
余命が少ないと言われ、父親は子供のためにトラクターを買ってやったり、狼を盗んできたり。。。

普段の我々の生活とはすこしかけ離れた妙なアイテムが多かったが、クリスマス・イブの夜、最後のプレゼントを買ってきた父親はクリスマス・ツリーの下で息絶えている息子を見つける。
そしてクリスマス・ツリーには息子からの最後のメッセージがかかっている。。。何回か見た同じ映画でそのメッセージは訳する人によって微妙に違っていたが、今でも思いだすだけでぐーっと詰まるものがある。

話を戻すが昨日のgooホームには「クリスマスを何故恋人と過ごさなければいけないの?」という特集があった。
キリスト教国ではクリスマスは家族で過ごすのが普通らしい。家族のない人は敬虔にも教会に行ってミサに出席したり、家で大人しくしてるんだって。
恋人と過ごす人は多いものの、しゃかりきになってパートナーを探したり、一人でみじめな思いをする人はあまりおらず、淡々と過ごす人も多いようだ。

クリスマス商戦とイルミネーションにはもう「やられなく」なったのかな。
普段から神社仏閣など興味を示さないくせに、正月だけは初詣でに行くお国柄だ。外来の文化を自らの特性にアレンジして発展させることこそ辺境人である日本人の得意技じゃないか。。。
日本ではクリスマス・イブは恋人たちのモノ、ということで全然OKだと思う。半分やけっぱちだが・・・


90周年だって

2009-12-23 06:50:27 | スポーツ・健康
高校時代のサッカー部OB会報がきた。
年1回ペースで実家に届くが、いつも寄付金の募集ばかりなのでたまに訪れても目を通すことはあまりなかった。
今回は立派な冊子になっていて、何かと思ったらなんと我がサッカー部は創部90周年だという。。。

確かに入学したばかりのときに、創立60周年(歳ばれてまうやん!)をやっていたから当時から発足しておれば90年になって計算は合う。
何せOB会会員は900名以上おり、OB会長は昭和36年卒・・・私が生まれるはるか?!前でもう60歳を軽く越している。
別に「サッカーの名門」というわけではないが、長ーい歴史を持ち独特のポリシーとスタイルを貫いてきた我が部の理念は、サッカーそのものの質が大きく変わってきたとは言え、昔の人間にはまだ健在であるらしい。

現役を最も尊重するのは昔と変わらない。私が部員でいるときも「とにかく現役が・・・」とはっぱをかけられ、正直「ほっといてくれ」と言いたくなるような「うざったさ」は感じたものだ。
若者にありがちだと思うが、OBの叱咤激励により練習が厳しくなり、「なんだよ・・・やるのはオレらなのにさー」と過去の栄光にしがみ付く年寄りのおせっかいに見えてしょうがなかったのだ。
たしかに、「強かった代」の主力選手がコーチ顔で現れ、いつもは10本だった練習後の100mダッシュが20本になると正直呪った。。。

特集号には日本の中年でサッカーと言えば、セルジオ越後でも三浦カズでもなく、この人ダイヤモンドサッカーの岡野俊一郎さん(日本サッカー協会最高顧問)の特別寄稿もあったぞ。
我々が現役の頃にもう亡くなってしまっていたが、全国的に有名なサッカー部顧問がいたらしい。
体育館で「I渕先生を偲ぶ会」が催され、皆の目を盗んでビールをガブ飲みし、赤い顔で現役vsOBの試合に臨んだのがたしか2年生のときだ。

我々の顧問もやはり日本人のプロ選手1号を指導したり、全国的にも有名な人だったらしいが、こういう会報では必ずと言ってよいほどI渕先生との思いでを綴る。
とにかく名語録が多かったようだ。

「サッカーの勝負に番狂わせなどない。負けた方が弱いのだ」
「ファイン・プレー等というものはない。それはポジションが悪いか、スタートが遅れたかだけのことだ」
「ファイン・セーブが多いゴール・キーパーは下手だからだ。これも立ち位置が悪いか、前に出るのが遅いか、動きが遅いからそうなるだけだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「シュートをする時はキーパーを狙え。そうすればお前たちの技術では目標から外れて得点になる」

プロ野球の「名将」なんて言われる人の語録にも出てきそうなフレーズだ。結構専門的な話も多く「知将」と言う気もしたが。
そんなOB会報にグランドで走った数十年前によく使った死語ものがあった。私も憶えている当時流行った(単に使っていただけ)用語を紹介しよう。(引用あり)

・全国制覇も夢ではない
新1年生メンバーへの監督の言葉。後に恒例だったことが分かるが、15歳の私達にはそれなりにトキめいた。

・サッカー最中
静岡遠征時に和菓子屋店頭にあった張り紙。「さすがは静岡、試合日は開店休業か?」と感心したが、やはりモナカと読むことが判明。

・体教
うーむ。これはやばいかも。パソコンでは体協、胎教などと出るが、当時体育館隅にあった体育教官室。なぜか職員室とは異なる聖域で、ここに呼ばれるとろくなことがない。私もバイク通学で遅刻したのがバレ、グランドを横切ったときに拡声器で呼ばれたことが一度だけある。

・槍が降ったら止めてやる
学校敷地で行った地獄の夏合宿で「サッカーは雨が降っても槍が降ってもやる」と言うのが口癖だった我が顧問が、夕食時に珍しく冗談で言った言葉。何年も前に同様のことがあり、翌朝、陸上部の槍がグランドの方隅に密かに刺さっていたことがあるそうだ。豪快な先輩がいたものだ。。。

・ビフテキ
土と砂又は小石が混ざるグランドでスライディングタックルやダイビングヘッドを行うと、ザザーっと同じ方向に何本か線が走り、茶色く焼けた肌(主にふくらはぎや太もも)に赤い肉汁がしたたる。昔はトカゲの尻尾と一緒であっという間に渇き、再生を始めたがこの歳でこんなことになると、いつまでたっても直らないんだよなあ。

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さらに今では考えられないシリーズ3連発!

その1:水分補給禁止
スポーツ選手だった40代より上の人は皆そうであろう。。。むろん休憩時間に顔を洗うふりをして浴びるほど飲んだことは言うまでもない。確か「バテるから」という理由だったが、今だったらダチョウの上島風に「殺す気か!」

その2:空飛ぶ硬球に向かってダッシュ
サッカーの練習を行っているハーフコートの反対側は野球部のホームベースがあった。角度的にはライト方向になるが、フリーバッティングのときはものすごいライナーがグランドに飛び込んで来たものだ。逃げるならまだしも、1か所だけではないバッティングコースに全速力で走らされるとは恐るべき鍛練だった。だが軌道が見えるだけ避けることもできた。

その3:オール16mm
今はたぶんないと思うが、サッカーのスパイクでポイント(凸凹してるところ)が1個1個着脱式になっている種類があった。交換式と呼ばれたそのスパイクは専用のボルト回しで足裏にねじ込んでいく構造で、固定式(今のやつ)に比べてポイントの数は少ない。踵側用が16mm、つま先側用が13mmというのが標準だったが、迫力をつけるため全部の箇所を16mmでガッチャンガッチャン言わせながら走ってるヤツがいた。つま先が上がってしまってとてもサッカーにならなかったと思うが。。。
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長ーい歴史の中では、全国大会優勝、関東大会準優勝、他数々の輝かしい戦歴があるが、残念ながら我々の代はえらく弱かった。
以前あった同期会のようなものがあればチームメイトと顔を合わせることもあるが、OB会のようなものは何となく居心地が悪くてほとんど出たことが無い。。。
都知事も実はサッカー部で補欠だったというが、あのくらい有名になって「招待」されたら行くことにするか。。。

今は息子甘辛達のサッカーは人口が増え、人気が高まったこともあり恵まれたものだ。ちょっと有名な招待杯だと会場が人工芝だもんな。
土日は横浜市主催の選抜選手招待大会でわが市選抜としてみなとみらいのマリノスタウン(むろん人工芝)に参加した。
光栄にもいつものチームとは違う市選抜チームで、ものすごく強く並みいる他選抜(小田原、町田、、伊勢原に横浜)をなぎ倒して、決勝へ進出、見事優勝を果たしたが、さすがにこのレベルになると息子の出番は半分くらいしかなく、決勝はベンチとなった。

彼ももうじきに大人のピッチで5号ボールを使い始めることになる。(続ければの話だが)
サッカーでなくてもよいが、スポーツだけは必ず課すことにしている。私はたしかに母校の校風が「スポーツをしない者は青年に非ず」みたいなところがあり、大いに影響は受けた。
年齢を経てスタイルは変わっても、スポーツは人間最高能力の競争だ。筋力、持久力など総合的な体力に頭脳、時の運など持てるモノを総動員して臨むからだ。
今年のマイ流行語「学ぶこと」が最も多いアイテムであることは間違いあるまい。


何をやってもよいが、まあ強いて言えば「モテること」「他に応用が効くこと」「金がかからないこと」の3本は望むかな。

跡地

2009-12-20 20:22:20 | 出来事
十数年前、私は結婚して勤め先の社宅に入居した。
少子高齢化、従業員削減で住居そのものを減らしている昨今だが、当時はまだ入居希望者が多く夫婦共働きは社員でなければ入れない状況だった。
独身寮で一人住まいならともかく、パートナーと長年に渡って住むにはやはり住み慣れた地元がよく、厳しい条件の中多少の幸運もあって何とか故郷近くに入居できた。

結婚したての若夫婦(今は死語か?)は特に奥さんが「社宅」などには入りたがらない傾向もあったようだが、我々は迷わず希望した。
確かにトレンディードラマ(これまた死語?)に出てくる夜景のきれいなマンションとはほど遠い、築15年以上の2DKだったが別に不自由には感じなかった。
まさしく団地というスタイルで結構広大な土地に建物が11棟ほどあり、我々は9号棟に住んでいた。

むろん世帯主は同じ(と言ってもグループにいくつか別会社があった)会社の社員ばかりだが、警察小説にあるような「夫の階級が奥さんどおしの付き合いに色濃く出る」なんて陰湿なものはなく、皆仲良しだった。
新婚で入居したばかりの我々にも寮長をはじめ周囲の人が実によく面倒を見てくれたものだ。
中には一風変わった人や、親子3代で住み着いているなんてヌシもいたが。。。

集合住宅でなおかつ「同じ棟に割り当てられた住人」ということで、協力し合うイベントは結構あった。
住人が減ってきてからは、少しずつ無くなっていったが我々が入居した当初は、年2回の周辺草むしり、年末の餅つき大会、棟対抗ソフトボール大会、芋煮会その他中庭でのバーベキューなどもあった。
何かイベントがあると、寮長が無人の部屋を開放して裸電球をつけ、夜中まで宴会を催したものだ。

小さい子供(幾分幅はあったが)がいる家族が多かった我が棟は特に住居人どおしは仲がよく、家族どおしで花見をしたり子供を泊らせたりもしていた。
息子甘辛が生まれてからも、歳の近い幼児が集まってよく中庭で遊んでいた。昔のような地域共同体がちゃんとあったのだ。
甘辛は最初小さいほうだったので(あたりまえか!)洋服や靴はもちろん、スキー板やローラーブレードなどもいただいていた。

トータルで7年ほど住んだと思うが、それだけいると出て行く家族と入ってくる家族の入れ替わりも結構見ることになり、中には「香ばしい」家族が現れる。
甘辛が幼児社交界では中堅の域に入ったとき(どういう域じゃ?)、3つくらい下にいかにも天然の可愛らしい男の子がいた。
K●家というその家族はやさしいパパと元祖天然のママとボクと3人の香ばしい人たちで、ママが群を抜いていた。
Uキクンはよちよち歩きで「遊ぼーよ」とママにまとわりつき、「今忙しいっ!」とママに一喝されると「また来まーす。。。」と、とことこ去っていくラブリーさだ。(でもママは超優しいのだ)

住居の間取りは向きを除けばどこも同じで階段がある道路側にお風呂場が面しており、ある休みの日自転車置き場に向かう私の頭の上からインフルなりかけのレベッカみたいな声が聞こえてきた。
空からゾグ第2形態降臨か?とも思うような奇妙な歌だと思ったら、昼間から中庭じゅうに響く奇声で風呂場でUキクンと歌うK●ママだった。。。
アンパンマンの替え唄のような感じだったが、その妙なメロディがその後1日中頭ん中を駆け巡り、私を悩ませた。
またある日の夜、妻に電話がかかってきたという。「玄関にゴキがいたので恐くて入れない。。。とってくれ」というものだったらしい。

さらに別の日、私達は今でも楽しく遊ばせてもらっている家族ぐるみで海浜公園にピクニックに行く予定だった。
アルコールを買い出しに行くため、自転車置き場に向かう私の頭の真上から例によって声が聞こえた。今回は歌じゃないぞ。。。

「●□▼×だー?、○◆△×やろがー!キーッ」

おいおい何かケンカしてるぞ・・・これまた中庭に丸聞こえ。。。だいじょぶかな。かすかにモノが飛ぶ音も聞こえるようだが。
海浜公園にめいめい集まってレジャーシートを広げ、子供たちを遊ばせて我々は他のメンバと青空宴会を始めた。
「Uキんちさ。さっきえれえケンカしてたぞ。聞こえなかった?来ねえような気もする・・・」

「えー、Uキこないのー?・・・」幼い甘辛はがっかりした様子だった。
「大丈夫!ちゃんと来る方に1000円!」私が言い出すと「じゃあ、アタシは来ない方に1000円」誰かが応える。
結局ママとUキクンは二人で来て、後からパパがにっこり現れてどちらとも言えない結果となった。今ではこれを我々は「K●家の乱」と呼んでいる。

その後その家族は転勤で引っ越してしまい、子供が大きくなってきて家を買ったり建てたりする人が増えてきて、一家族、二家族と減っていった。
住人は退去するばかりで新たに入居させないから、どんどん人が減ってくる。ひとまわり小さい隣の棟なんて、とうとう一家族になっちゃった。。。
子供の騒音などによる住人の迷惑など全く気にしなくてよい独占状態だが、夜は怖いぜえー。私には絶対無理!

そして数年前、とうとう全員を退去させ取り壊されることに決まった。その頃には主だったお友達家族が皆近所に家を買ったり建てたりして社宅にはいなくなっていた。
「寂しいなー。連合赤軍あさま山荘のときみたいにハンマーでやりだしたら教えてね。見に行くから」
近所に住むお友達には頼んでおいた。結構長い間、無人のまま建物が放置されていたような気がする。。。

周りを工事用の壁で覆われていたのでわからなかったが、この前みたら10数棟あった建物は跡かたも無くなり、分譲用地のような姿になっていた。
今流行りのマンションが建つわけではなく、戸建住宅を分譲する計画のようだ。端っこに小ぎれいな公園ができていた。
ちょっと寂しい感じだがこれも時代の流れなんだろな。新しくなったところに住んでくる人は社宅仲間のように隣人どおし仲良く助け合う長屋のような地域共同体であってほしいものだ。

間違いさがし

2009-12-15 22:42:23 | 食べ物
我が家は息子甘辛が幼いときから、ファミリーレストラン、回転寿司はもちろん、居酒屋の個室やカラオケなどに構わず足を運んでいた。
煙草の害が無いように気にしながらも、居酒屋へ行く回数も多かったので、幼稚園に行く年齢になって好きな「食べ物」が居酒屋メニューと化し慌てさせられたのも数年前だ。
これも以前に記事にしたが、子供の舌というのは実は繊細で味に厳しい。グルメとか舌が肥えているというではなく、大人のように酒や刺激物で味覚がつぶれていないから、うまいものが敏感にわかるのだ。

もちろん「比べさせなければ」なかなかわからないものもある。例えば自称「プラチナ会員」のサイゼリヤのハンバーグステーキに関して甘辛は2枚でも食うのにガ●トのヤツは半分残した。。。
もっとも本人曰く、今では結構改善されているらしい。えらそーに・・・
我が街にも和洋中、色々なファミレスがあるが、どこのメニューも工夫されており、私は素直においしいと思う。

その中で圧倒的回数を誇るのはその経営手法を「ワールドビジネスサテライト」でも取材されていたサイゼリヤだ。
昔、甘辛の通う幼稚園のすぐそばにあった。我が家からは自転車で15分ほどの距離だ。

車のほうが楽だし、何かの帰りはそのまま寄ることもままあったが、なんと言っても運転手は飲めないので幼い甘辛を自転車の前に乗せ、チャリで行くことが多かった。
もっともつかまり立ちして歩きだした頃は、とにかくあちらこちらに動き回り、テーブルの下から出窓の上から次にどこにいるのかは確率論でしかわからない量子のように私達を困らせ、自分の誕生祝いにそれをやられて懲りた私はしばらくサイゼ断ちをしたこともあったが。。。

甘辛はお子様メニューには見向きもせず、喚いたり泣いたりすることはなかったが一旦食べ終わってしまうとどうにも動きが止められない。
やっと幼児用いすに座って食事をできるようになっても、周りに迷惑がかからないように店内の隅のテーブルをいつも希望した。
店長はそのうち我が家の顔を覚えてくれ(つまり顔パス)、来店すると空いていれば必ず隅の指定席を用意してくれた。(空いていないときでも、一旦別の席に案内し、空いたらそこに移動させてくれた。。。)

そのうち甘辛がポケモンゲームボーイなどをやり出す年齢になると、食べ終わって少し話をして我々が飲み出しても退屈して騒がなくなった。(これ自体はあまりいいことではないんだけど)
サイゼリヤの好きなところは何と言っても「安くてうまい」こと。
定番のペペロンチーノ、ミラノ風ドリアは299円、ハンバーグステーキ、マルゲリータやムール貝のガーリック焼、そして甘辛が最近覚えて「マイ5点セット」にしてしまったエスカルゴのオーブン焼がなんと399円!

食べた人はたぶん合意してくれると思うが、あの味で驚くべき安さだと思う。
そして酒飲み家族にはさらにありがたいアルコールメニュー。。。ビールのジョッキが390円、デカンタワイン(500ml)が370円!
飲み出すと延々と追加注文して、レシートが10枚くらいたまったことがある。。。

店長は毎回隅の指定席に案内してくれたが、どんな家族に見えたんだろうか。。。二月に一度くらいに休みの夕方やってきて、浴びるほど飲んで帰る家族か・・・
あまりにいい気分で、自転車で帰る際によろけて近所の家の垣根に突っ込んでしまったことがある。
それ以来、「やっぱりチャリは危ないよ」ということで、タクシーをチャーターするようになった。(往復しても十分に安い)

一応家族団らんの時間だから、今でも食事しているときはもちろん子供にゲームはさせない。
だいたいサッカーの帰りが多いから関連する話が多いが、まずもってやりだすのはKIZメニューの表紙にある「間違いさがし」だ。
初期の頃はおもてとうらで間違いが10コあり、結構手強かった。家族3人で真面目に見ても、すぐには発見できなかったものだ。

そのうちに手抜き路線になってしまったのか、間違いは4コとか6コ、それもほぼ一瞬でわかるような簡単なものになっちゃった。。。こりゃーやりがいないよなあ。(もともと子供向けのような気がするが)
それが、先日久しぶりに足を運んだときに見たら、もとの「間違いさがし(10コ編)」に戻っていたのだ。
ずーっと前に同じようなのをやったような気もしたが・・・早速次々に間違い発見を始めた。たぶん伊藤四朗のIQサプリならIQ100級の間違い=「サイゼリヤの看板の大きさが違う」で9コまで見つけたが最後のひとつがどうしても見つからない。

うーむ。これは今までで一番手ごわいぞ。。。いくつかあるイラストをホントに隅々まで見比べるのだがどうしてもわからない。
「光に透かすといいんじゃねえか?あと斜めに見るとか・・・」甘辛も色々なアイディアを出すが発見できない。
近くで見るからダメとか?遠くにして見ると模様が浮かぶとか、マジックアイのように寄り目で眺めていると突如隠れた絵が浮かぶとか・・・
匂いが違うとか、間違いが10コはないことが「間違い」なんていう多胡輝の「頭の体操」のような許せないオチだったり?

最後は心眼で見るしかないのか?!メニューをガラスに透かしたり、折り曲げたり遠くから眺めたり・・・傍から見ていると「一体あの家族は何をやってんだ?」と思われるようなシーンだったろう。
我が家にはよくある光景だ。「絶対みつけてやろうぜ!」ひと通り運ばれた品を食べ終わった後でも調査は続いていたが・・・「さすがにもうだめだ。。。わからん」
最後の手段!「ボタンを押して店員に聞く」を選択した我々だった。

夕方で晩御飯には少し早いからそんなに混雑はしていなかったが、彼らは仕事中だからな。邪魔にならないようにしないと。。。
我々の繰返し注文を取りにきてくれたお姉さんはすごく感じのよい人で「あの人なら教えてくれるだろう」というのが一致した意見だった。
でもさすがにボタンを押して呼び寄せるのは悪いよな。近くを通りかかったときにちょっと声をかけようとチャンスを伺っていた。

しかし、そういう時に限って忙しそうに他の客の注文をとり、後片付けをしてレジにたったり・・・
「やっぱ悪いよな。帰ってインターネットで調べてみっか。。。」デザートを食べ終わってからタイミングばかり狙っていた我々はとうとう諦めて帰り仕度を始めた。
時間的には食事時で家族連れが増えてきて、忙しさがどんどん増しそうな雰囲気だったのだ。

レジでも先に支払いしているグループが二組あり、結構込み合ってきた。
すると突如後ろから「父ちゃん!これっ」
「ん?」我々の後に支払い待ちをしているグループがいないことを確かめた甘辛は、そばのテーブルから例のKIZメニューを持って走り寄ってきたのだ。

「すっ、すみません。どぉーーっしてもあと1コがわからないんですけど。。。」
感じのよいお姉さんに怪訝な顔をされるか断られるのを覚悟して、弱々しいが早口で訪ねたら・・・
にっこり笑ってお姉さんはレジの向こう側から一緒にKIZメニューを見てくれた。

「ああ、これですね。えーと・・・○でしょ。▽でしょ。□はすぐわかりますよね。あと、●と▼と・・・★はわかりました?」

我々はレジカウンターに乗り出すようにしてお姉さんと9コまで間違いを確認した。やはりサイゼリヤの看板の大きさはかなり高ポイントらしい。。。

「あっ、あれ?もう一つなんだっけ?えっ?あらっ?思い出せない・・・どうしよう」

「あっそうだ!☆なんだった!」お姉さんは一瞬パニックになりかけたが、すぐにまたにっこりして、最後のひとつを指差した。
「うぉーっ!こりゃーわからねえや!」今年のマイ流行語「ヘウレーカ!」
ミラノに行っても「ミラノ風ドリア」はなかった。今では甘辛のマイセットは2点増えて、「シーフードチャウダー、プロシュート、エスカルゴのガーリック焼、ハンバーグステーキ、フォッカチョ」の5点盛り。

まだまだお世話になるだろう。。。

ずばりサイゼリヤとかけて、「飛び出せ青春」ととく。そのココロは・・・「ペペがいい味を出しています」。。。

2009-12-11 06:11:24 | 出来事
最近、「鳥」というものに少しだけ興味を持つようになった。
東海道線最寄駅の南口にたまたま日曜日の夕方降り立ったときに、ぎゃーぎゃーぎゅるぎゅるものすごい鳴き声が聞こえ、空が黒くなるほどの鳥の群れが飛んでいる光景に遭遇した。
普段は見たこともない異様なシーンだったので、すわ!大地震の到来か?!などとビビったものだ。

ネットで調べると、南口のケヤキや街路樹をねぐらにする何万羽ものムクドリだそうだ。
ロート製薬のビル前を飛ぶ白い鳩の群れみたいな優雅なものではなく、それこそヒッチコックの「鳥」の恐怖を思わせる。
あれだけの鳥がロータリーに一本ある巨大な木にとまったとすると、下を歩いたら大変なことになるだろな(それこそフンガイものだ)

しかしコンクリしかない都会(というほどでもないが)であれだけの野鳥が平気で共生しているというのも頼もしい。
ムクドリというのはどちらかというと一匹一匹は可愛らしい鳥のようなのだ。
市役所の電子掲示板などを見てみると、我が街には結構色々な鳥がいるらしい。

私が育った街はすぐそばだが、海の近くだからというわけではないだろうがあまり野鳥というものとは縁がなかった。
その辺で見かける鳥と言えば、スズメ、公園のハトくらいで海に行くとカモメ、トンビ、そして旧茅ヶ崎駅改札に巣があったツバメくらいだ。
最近はそれに平塚七夕祭で買った「カラーひよこ」が育って捨てられてしまった「飛ぶにわとり」や私のリュックのチャックを嘴で開けて財布の入ったクリアケースを取り出したカラスなどが加わった。

野鳥に関してはほとんど興味を持っていなかった私だが、小学生のときは「セキセイインコ」を飼っていた。ごくひな鳥の頃から連れてきたのだが、最初の2匹は可哀そうに3日くらいですぐに死んでしまった。。。
3匹目のメスは元気いっぱいに生き延び、「クック」と名付けられた。まだ産毛も残るほとんどひな鳥なので、エサ用の粟をお湯でふやかし、スポイトみないなやつで食べさせてやる。
少し遅れてヒナ鳥よりは少し大きい少年鳥を連れてきて政略結婚させ番いにする。オスは「ターちゃん(仮称)」と名付けられた。

ターちゃんはイマイチだったが、クックはホントにヒナ鳥の頃からいたのでよく慣れており、カゴからだして肩に乗せ遊んだ。
緑色のどちらかというとずんぐりむっくりのインコだった。
カゴの扉が少し歪んでいたのを利用し、驚くべきことにくちばしで扉を持ち上げ、落ちないようにして中から出てきたものだ。
東京駅で昔売っていた顔よりも一回りくらい大きい「大丸せんべい」の端にかじりつき、反対側の端にクックを乗せて、ボリボリと食い進め「ほーら、ほーら、だんだん足場が無くなるぞ。。。口が迫ってくるぞー」なんて遊んでいると、巨大な糞をかましたことを覚えている。。。

時節がくると卵を産むのだが、どういうわけかうまく孵らない。「ペットの飼い方(鳥編)」を買ってきて鳥かごを温めたり、布で覆って暗くしたり色々やっていた。
そしてとうとう待望のヒナが孵った。第一号ヒナトリは「チコ」と名付けられた。緑のクックと青のたーちゃんとの間の見事な中間色であった。
その名は当時、天文少年で「星と星座の話」のような本が大好きだった私の尊敬する天文学者「ティコ・ブラーエ」からとったものだった気がするが、あまり覚えていない。。。

その後、孵化のコツを会得?したクックは次々とヒナ鳥を産み出し、あっと言う間に鳥かごを埋め尽くした。
全部大事に育てはしたが、3つ目の鳥カゴを用意しても手狭で、餌やりやカゴの掃除でだんだん回らなくなってきたので、お友達で欲しい人にあげたり、小鳥屋に引き取ってもらったりして少しずつ数は減っていった。
逃げてしまったり、死んでしまった鳥も重なり、結局最初に生まれたチコだけになってしまった。

たーちゃんはどちらかというと気位が高く、あまりなつかなかった。まるで「明治」の人のようだった。
しばらく親子3匹で住み、3代目を産むためにオスと分かったチコに嫁さんを連れてきて別居させたら、しばらくしてたーちゃんは死んでしまった。。。
動物にとっては「最初のヒナを孵す」のがすごく大きなハードルなのか、結構長くいたとは思うのだが2代目夫妻には雛が孵ることなくチコは死んでしまい、嫁さんもその後を追うように死んでしまった。。。

最後まで生き続けたのはなんと初代のクックだった。あまり記憶が定かではないのだが、1匹になっても数年は元気にしていたと思う。
小学校に入る前に我が家にやってきて、10年以上生きていたような気がする。
10数匹の子孫を残し、おばあちゃん鳥一羽となっても矍鑠と生き続け、大学生になったときあたりで大往生を遂げた。

さて、我が家の「鳥物語」はこれくらいにして最近の話題に戻ろう。
すぐそばを川が流れていて、白い水鳥がいるのを見たり、子供と公園で遊ぶことが多くなってから、我が家の周りにはスズメ以外の鳥が結構いることに気付いた。
庭に梅の花と桜の花が同時にあったとき、やってきたのはメジロで珍しく思い写真まで撮ったものだ。(ウグイスと間違えたほど知識が無かったが)

数年前、家族で駅前の牛丼を買い込み、江ノ電の乗り放題「のりおりくん」で「途中下車の旅」をしたとき、稲村ケ崎で食べていた妻の牛丼を背後から羽音もせずに低空格好してきたトンビが見事両足で肉だけさらって行った。
「うわーっ、母ちゃんの牛丼が汁丼になっちゃったー」
幼い息子甘辛は喜んで騒いでいたが、手首に少し傷を負わすほど強烈で、子供に怪我させないように防衛線を張ったものだ。
また、空中に向かって「薄焼せんべい」を投げつけるとこれまた見事に滑空キャッチを見せた。
風の強いときだったので、稲村の頂きあたりから眺めるとトンビが間近で静止しているように見え、かなり迫力があったものだ。

そのうち冒頭に出した「ムクドリ」の大軍団に出会い、そしてひょんなことから我が市の鳥が「カワセミ」というのを知った。
色々な掲示板などでその姿が掲載されているが、「宝石」とも言われているらしくさすがにどこでも見られるものではないらしい。
通勤中に読む本を借りるため、ほぼ毎週のように足を運ぶ大庭図書館の駐車場裏手には「裏門公園」というのがある。
公園といっても、そこは立ち入り禁止でいわば「野鳥の楽園」として外周に要塞から戦場を眺める細いのぞき穴の観察場所があり、無料双眼鏡も設置されている。

最近はマイ双眼鏡を片手に図書館の帰り、のぞき穴からしばらく様子を見たりしているが、バードウォッチング超初心者の私は何やら普通の鳥より少し大きめの白っぽいやつ以外は全然見えない。
山梨県オニヤンマ協会から「警戒人物」として指名されるほど虫捕りは得意な私でも、飛んでる鳥を獲るのはまずもって無理だし撮影すら難しい。
それでもこの前はとうとう早朝から大庭城址公園に野鳥の観察のみのためにポインター号を走らせてしまった。。。

結構歩きまわって、鳥の鳴き声はよく聞こえるのだが、ときどきささーっと飛ぶ姿を見つける以外は双眼鏡ですら捕まえられない。
なかなか難しいものだな。今度詳しく本で調べてみよう。海岸沿いにもあらためて目を向けてみよう。
まず空中で静止するトンビのド迫力写真をとって、次に市の鳥カワセミの雄姿を必ずGETしてやるぞ。


流行語大賞

2009-12-09 06:49:07 | 出来事
今年の流行語大賞がニュースで流れていた。
たしか大賞は「政権交代」、他に「歴女」、「こども店長」、「草食男子」、などがトップテン入りとなっていたが、中には私が世情に疎いのかあまりピンと来ないのもあった。
歴女はこのサイトでも取り上げたことがるから、今年の流行語について少し語ろう。
※新型インフルエンザなんて病気が流行っただけで流行語というのはセンスいまいちじゃないか?まだパンデミックのほうが新鮮かも。

「政権交代」
「事業仕分け」も流行語のトップテンに入っていたが最初は実に痛快だった。少なくとも今まで明らかにされていなかった大事な税金の使い道について、皆の前にさらけ出し無駄を排除しようとしたことは全員が評価するだろう。
しかし、ニュースでは象徴的なシーンばかり煽って流していたのかもしれないが、終わってみると「痛快さ7割」「ちょっとねえ3割」ぐらいかなあ。
やり取りは対話ではなくほとんど「尋問・いじめ」でレンホウさんはいかにも相手の話を聞いておらず、回答を言い終わらないうちに次の質問に入っている。
「質問は受付けません!」と言い放った仕分け人もいた。
まるで戦勝国の民主党が敗戦者の自民党ならず癒着していた官僚を「軍事裁判」にかけているようだった。
ちょーっと知性が疑われるかなあー。レンホウさんはあの仕分けショーで一旦株は上がったかもしれないが、長く冷静に見るとプラスにはならなかったような気がする。
そもそも経済的に理に適うかどうかだけを追求すると、スポーツや直接利益を産むとは思えない学術研究は「いらん」と言う話になってしまうことぐらい少しは予見すべきだったか。
新しい取組みだから初めは色々あろうが、個人的には大賛成なのでぜひこれからも「御互いに」がんばってほしいものだ。

「こども店長」
個人的には「母上」のファンだからということもあったが、どう見たって「与六効果」じゃないのか?正月明けに大河ドラマが始まったとき、幼い頃の与六のいつも怒ってるような泣いてるような表情を見て、「なんと存在感のある役者なんだろう!」と驚いたものだ。うれしいことに世間も同様、あの子役のすごさを存分に評価したようで、あれから色々な場面で登場するようになった。
普通の記者会見シーンとかでも、実にしっかりしたところを見せていたが、不思議な雰囲気を持つ大人顔負けの役者だな。しかし正直言ってあの「怒ったような泣いたような」表情が印象的であったので、赤いジャケットでにっこり笑ってエコカーを宣伝してもあんまりピンと来なかった。

「草食男子」
最初は一体何のことかさっぱり分からなかった。結局大人しいというか優しいということなのか?昔詳しかった恐竜界ではブロントサウルスという図体だけではでかいが、草食性で大人しく肉食恐竜のエサの代表みたいのはいたのだが、最近の研究では必ずしもいつもやられていたワケではないらしい。。。
草食・・・と聞いて最初に思い浮かんだのは、必殺仕業人のオープニングナレーション(たしか宇崎竜童)にあった
「・・・あ~菜っ葉ばかり食ってやがったからなあ・・・」
タイトルがみんな「あんたこの●●をどう思う」という感じだった。。。

さて、流行語にも流行そのものにも段々遠ざかったのを思い知り、寂しい思いをする年末だが、世間には全く流行らなかった私だけの流行語はある。
私はかなり口にしたはずなのだが、家族も親しい友人も職場の同僚も「私以外」は一切使わなかったという、「クイズ100人に聞いたら一人しか答えませんでした」みたいなものだ。
むろん流行らそうとしていたわけではないのだが。。。

マイ流行語大賞 「ドッキリ・・・」
職場を中心に外部で使っていたが、いつの間にか「私も使っていた」という人は誰もいなかった。。。
上司に一瞬止まるほど無理な命令をうけたとき・・・
「んっ?何ですかそれは・・・?ドッキリかと思いましたよ?」
会議で当部門に法外な要請がされたとき・・・
「ははは。全くみんな真顔して・・・これドッキリだよね?」
スタッフがかなりやばいトラブルを抱えて抜き差しならぬ一歩前で持ってきたとき・・・
「ねえねえ。そこに野呂圭介隠れてるんだよね。赤いヘルメットだよね?」

流行語トップテン 「早朝・・・」
早朝サーフィンを筆頭に今年はとにかく朝早くにやることがマイブームだった。
夏場の早朝サーフィンや磯釣りなど「深夜」に近く、オリオン座が出ているときもあった。早朝砂トレ(砂浜トレーニング)、早朝海浜(サッカー朝連)、早朝ブログ&書き込み、仕事のワンペーパ作成から作戦立案など、朝の5時前後にババーッとやることが多くなった。
(単に歳をとって朝が早くなっただけか・・・?)
しかし早起きは三文の得。。。どころではない!ほぼすべての活動が朝に集中し、残りの1日は惰性で動いているようなもんだ。
風景写真みたいなヤツも朝撮るのが一番。

流行語トップテン 「学びの発動」
「日本辺境論」や「学ぶということ」編でも述べた。この歳になって「入学」や「入社」、はたまた「昇進」などという、目に見える「にんじん」を見ながら何かを学ぶことが激減すると、物ごとを学ぶということがひどく新鮮に見えてくる。
「五十の手習い」多いに結構、ありとあらゆるモノから何かを学び取ることの素晴らしさを最近すごく痛感している。受験勉強などもう1回同じことをやったら、たぶんすごくワクワクすると思う。プレッシャーないし。。。
有余る時間のある学生時代にもっと勉強しておけばよかったとつくづく思う。だからと言って遅すぎることは決してないが、経験から言うと大事なのは「思ったときにやること」。
今忙しいから「この仕事が終わったら」とか「このプロジェクトが一段落したら」とか、果ては「今の会社に勤めているうちは難しいので退職してから」なーんて言ってると一生成就しない。
やりたいことを思い立ったら「目の回るくらい忙しい今、あえて・・・」やるべし!

クリスマスが近づき、「今年の・・・」なんて言うのが巷にあふれてくるこの二月くらいが一番好きだ。
このワクワクする時期を「家の中で問題集を開く」なんて暗い経験を二度とはしないように、受験シーズンはしゃかりきに勉強したものだ。
いずれ今年のマイブームについて色々な分野で語ることになろう。

専用車

2009-12-07 06:39:30 | 出来事
学生のとき、一度だけすぐ近くで「痴漢です!」と腕を掴まれた人がいた。それは東急東横線だった。
ちなみに私の学生時代は前後半で二つのキャンパスをまたがっており。。。
前半は「東急蒲田線」沿線(昔は東急めかま線という緑のラブリーな車両だった)で、先日紹介した青春の雀荘「順風」は本家キャンパスの近くにあった。
後半は「東急おっぱいパン売ってた線」沿線で分家となり、それこそ超ド級のマイナー駅で雀荘などはなかった。。。

現在、私は通勤時(行きだけだが)に座席定員制の「ホームライナー」を使用する。列車はなんと「スーパービュー踊り子」の車両で快適な50分だ。
座席定員制だから立っている乗客はおらず、朝の通勤時は眠っている人が多いから不気味なくらいの静けさだ。。。
1日の仕事の始まりに通勤ごときでエネルギーを浪費したくないのと、東海道線などでは見たことがないが「痴漢騒ぎ」みたいなのに巻き込まれないように数年前から少しお金をかけることにした。

調子がイマイチで通勤が面倒になり「休んじゃおうか?」と思うときでも、あの快適さを思い出し、前日の帰宅時にライナー券を買ってあるのを考えると、とりあえずは出勤に踏み切れる。
ただ、悪天候やトラブルなどでダイヤが乱れると「いの一番」に運休になってしまうのには閉口する。
つい先日も東海道線は朝の7時頃起きた人身事故で1時間ほど止まってしまった。

かなり以前になるが、同様のトラブルで私鉄振替輸送を利用したときの話。
最近は駅構内にも入れないのでとっとと帰宅して運転再開をニュースされるまではコーヒーでも飲んでいるが、そのときは珍しく、はずしにくい会議があり、手段を選ばず出社しようとしていた。
事故の発生した場所とか時間、運転再開見込みとか現在の駅構内の入場規制状況など事細かくアナウンスしているが、まずもってJRさんに言いたいのは

「振替乗車券をどこで配っているかをまず言え!」(人生幸朗風に)

そのときは事件直後だったらしく、そんなにすごくない人の波をかき分け進み、かわら版屋に群がる人々のような渦を見つけてすばやく券をGetして、私鉄改札口へ走った。
プルプルプルーという発車ベルが鳴っている最中で・・・

「やべえ!あれは快速急行だ!乗らないとかなりのタイムロスだ」

階段を5段飛ばしくらいで走り降り、「あぶない刑事」の舘ひろしのように、ほとんど改札を飛び越えて、松尾雄治のステップで歩く人をかわし、最後尾車両に走り向かった。

「あっ、ちょっ、ちょっとお客さん!」

最後尾にいる車掌が私に声をかけてきたのが分かったが、(・・・駆け込み乗車が危険なのはわかっている。ここは許せ!・・・)と今、まさに閉まろうとしているドア口にタッチダウン!!
ふぅーっ、間に合ったぜー。
息が切れてるのを無理やり押し留め、いつも呼んでる文庫本を取り出しリュックサックを網棚に乗っけたところ・・・

あっ、あれ?なんかおかしいぞ。成田のDFSみたいな香りの強い車両だな。。。
立ってる人とは肩がギリギリ触れない程度、それほど混んだところではなかったが、なんと周りが女性しかいない女性専用車両!
そうか!(ヘウレーカ!)それで車掌が慌てて声をかけたのか・・・発車してしばらくしたら「最後尾車両は女性専用ですのでご注意ください」ってわざとらしくアナウンスしやがって。。。

うーむ。やばいぞ。。。ただでさえ、痴漢騒ぎだ社内トラブルだと世間がうるさい昨今だ。事情を話せば論破する自信はあるが、「志村けんのだっふんだぁ」の石野陽子のように「このおじさん変なんです!」と言われて腕を掴まれたら面倒なことになるぞ。
文庫本から目を離し、密かに周囲を偵察すると、確かに女性しかいない。そろそろ背筋が冷たくなってきた。。。

快速急行だからあと4駅分くらいは停まらない。どうすればよいか・・・ノーヘルで乗ったバイクで正面にパトカーを見つけたときのように私の頭脳はめまぐるしく回転し始めた。
前に座っている女性に「間違えて乗った」ことだけ詫びておくか、でも聞かれてもいないのに声をかける勇気もない。
独り言で言うのも「変なおじさん」の類に入ってしまうだろな。今日のオレの服装は・・・?どんな阿呆が見ても女性には見えない。
詰問されたらオカマの振りをするというのはどうだ・・・?「アタシって気持ちもオンナだから・・・」ってアホかオレ!これじゃあ「磯辺氏の屈辱パートⅡ」だぞ。

むろん時間にしてみればわずか数10秒であったが、やはり次の駅で乗り換えるまでこの空気に耐える、と結論付けた後は少し落ち着いて周りを見られるようになった。
一時はかなり心拍数も血圧も上昇したところだが、間違っちゃったものは仕方がない。滅多にできない(というか、ありえない)機会だから、通常車両との違いを記憶しておくか。。。
片手は吊り革に、片手は文庫本を持って、気が付かれないように目玉だけでウォッチングを始めた。

最初は頭が真白になるほどの驚愕であったが、女性しかいなくても実は普段の光景とあまり変わらないのだ。
いつもとそんなに違和感があるわけでもなし、DFSの香りを除くとたぶんよくよく見てみないと「男がいない」ことには気が付かないかもしれないくらいだ。
少なくとも「女の園」という雰囲気はないし、そこにさ迷った哀れな私に容赦なく刺すような目線を浴びせるわけでもない。
くすくす笑うわけでもなければ、こっちを見て噂をすることもないし、むろん抗議される気配など全くと言ってよいほどない。

女子校の修学旅行列車なら別だが、普通の通勤車両では乗車してる他人になんか全く興味ないんだろな。
女性しかいない(そのときは私がいたので正しくないが)からと言って、そこらじゅうでお化粧を始めることもないし、朝食のクロワッサン(自分のイメージのみ)を食べ始めることもない。
このまま乗ってってもいいんじゃないか?もしかしてオレにも気付いてない・・・?

そういうわけにもいかぬので、最初の停車駅でそそくさと車両を降り、かなり前のほうに乗り換えた。
発車してしばらくして、また車掌が「最後尾車両は・・・」と始めた。。。だーかーらー、乗ってる人に行ったって意味ねえだろ!っと思った瞬間に・・・
そうだ!(ヘウレーカ!)列車の中でも隣の車両に移れんじゃん!オレの頭、逆回転・・・あの妄想はなんだったのか。

下北沢の手前あたりで急に失速した快速急行で私は結局、終点まで1時間以上座ることができず、前で寝ているおじさんを蹴り飛ばしてやりたくなる衝動を抑えて・・・
到着が遅くなってやっぱり遅刻しちゃいそうだったのに加え、自分の間抜けさにかなりイライラしていた私は、改札で振替乗車券を出したときに「定期券も見せてください」と言われ、

「見せ方わかんねー!」

と携帯電話を差し出したのだった。係員さん、あんなにぶっきらぼうに言うことなかったね。ごめんなさい。。。
因みについ先日、東海道線が人身事故でやはりストップしてしまった際、振替の私鉄線では「本日に限り、女性専用車両の扱いはございません」。。。
なかなかナイスなプレーだよな。