超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

脅威の男女脳論

2016-06-30 22:27:03 | 書籍
前回、○×サス会で本の交換会をするために元同僚、後輩の女性軍と集うたのだが肝心の話題には中々辿り着けず、時間切れとなったのは書いた。久しく近況を語り合うからということももちろんあるが、あういうメンバだと「どうして毎度毎度、どうでもよい話ばかりで本題に入れないんだろう?」と首を傾げているところに驚くべき知見を与える書物に出会った。かの交換会で私が以前に貸してあげた本以外に唯一M女史が持って来てくれたものである。かなりネタバレになってしまうので、興味のある方はいくつかヒントを混ぜておくので著書を探してほしい。まず著者は私よりも5年ほど先輩の女性、国立大学の理学部物理学科を卒業した今でいうバリバリの「リケジョ」である。大手IT企業の研究所でAIの研究開発に従事した後、AI開発の集大成により、感性の分析や脳の性質を研究対象として民間会社を設立している。

本書のカバーにある見出しは「・・・自然を司る神は、人類に必要な感性を真っ二つに分けて、男女それぞれの頭蓋骨に搭載したらしい。・・・」といかにも「理系」の使用しそうな言い回しで始まる。これらを「女性脳」「男性脳」と分類し、それぞれの特徴や性質の違いを科学的根拠を交えて紹介したうえ、両者の「取扱説明書=トリセツ」としてまとめている。ところどころに登場する「実例」は日常の家庭生活だけでなく、仕事や恋愛、旅行やショッピングなどいたるところに「あるある!」と膝を打ちたくなる挿話ばかりで、冒頭書いた「なぜ彼女達とご一緒すると本題に入れぬのか?」を始め、不思議に思っていたことが目の覚めるように鮮やかに解明される(ような気がした)のである。

イントロダクションにおいて、AIによる人とロボットの「対話」をミッションとしていた著者は「女性向けの対話エンジン」と「男性向けのエンジン」は別の設計をしなければならないことに気がつく。(これまた何と理系好みの表現であろうか?)そして男女の脳の違いは色の識別においても異なることがあるというのである。人の目は光の三原色に対応する三種類の色覚細胞を持っていて、RGB(赤、緑、青)の三色の組合せで、すべての色を識別するとされているが、遺伝学上は少なくとも数%、実際は半数くらいの女性が四種類の色覚細胞を持っていると言われているそうだ。三原色の赤の領域に当たる光を2種類に分別し、三原色色覚者には見えない紫色が見えているようなのだ。一言で言うと繊細だということなのだが、物言わぬ赤ん坊の顔色の変化や食べ物の腐り具合、古代から日常の目の前の出来事の仔細を見逃さない本質であるとされる。

実はこの話、私の好きな数少ないドラマ「科捜研の女」シリーズに実際に登場した(第2話「見えすぎた女」)からまったく理解できた。時計メーカーのデザイナーだった女性は男性に全く見えていないカバーガラスの反射防止塗料を見分け、透明にするよう提案したというし、マーケティングのついてはピンクや紫の色については、男性がピンとくる色彩は女性が心地よいと感じるピンク色よりもかなり青みがかかっているそうであり、著者は開発コンサルタントとして、女性市場向けのピンク色の最終ジャッジは女性が行い、男性はやり手の部長でも売れっ子デザイナーであっても女子の意見を傾聴することをアドバイスするそうである。小夏師匠の「西陣織見学記シリーズ」で「作業中の女性が作る色の指示によって同一デザインでもイメージが変わる」という下りがあったが、さすが日本の誇る伝統工芸、古来から色に関する女性の鋭敏さというものを尊重してきたのではないだろうか?

こんなイントロダクションを経て、男女の脳の違いという本題に入る。一言で定性的に言うと、「女性の脳は感度がよく男性の脳はブレない」先の色覚だけでなく、女性脳は音の周波数帯、嗅覚、味覚、皮膚の感触すべてにおいて感度がよい。生殖リスクの高い哺乳類のメスとして育児を抜かりなく行うためと聞けば自然に納得もできる。自ら生み出すものの行く末の「ありとあらゆるもの」に気が向き、「自分や自分の大切なひとの今の気分が何にも勝る」感性が標準装備という。一方で物事を標準化、高速化して無駄を省いて合理的にふるまうのが男性脳で感性にムラがない。というと今の企業社会は全般的には男性脳向け社会と言わざるを得ないんだろう。女性の社会活躍が叫ばれて久しいが、男女脳の差異をテーマとした場合、当面今の企業社会が持続するとすれば躍進する企業というのは男性脳に一定数以上の女性脳が要所に存在する形態だそうだ。私なりに解釈すると昔は男性脳だけで割と事足りたが、変化が激しい現在、感度の高い脳がポイントをおさえないと生き残れないということかもしれない。

次に男女の脳の構造的な違いを言及される。よく言われるが、言語や演算処理など論理的空間を司るのが左脳で直感や潜在意識を司るのが右脳である。女性脳の最大の特徴は左脳と右脳の連携がよいということだそうだ。具体的には左脳と右脳を連携させる神経線維(ニューロン)の束である脳梁という器官が男性脳よりもはるかに発達している。この脳は簡単に言うと鋭い観察力をもって「感じたことが即ことばになる」「とりとめもない情報をいつでも引き出せ」「察しがよい」という特徴をもつ。一方、左右の脳の連携の悪い男性脳はそれぞれの特徴を個別に飛躍させ、物事の全体的な把握能力が高く目の前の出来事には疎くてもマニアックな機能を発揮しやすい。読み進めて行くと女性脳対男性脳の差は臨機応変力と空間認識力というような感じである。動物的には「赤ちゃんの変化を見逃さず安全に育てる」能力と「獲物や敵の存在を広範囲で察知する」能力と言われて私には分かりやすかった。

似たような実例があげられていたが、かつての職場に置き換えると驚くほどジャストミートである。新入社員に色々なイベントを経験してもらおうとお手伝いに狩り出すと、経験的には圧倒的に女性の方が「使える」。。。「察しがよい」からである。むろん全部ではないが、飲み込みもつかみもいいように見える。何も言わなくても周囲の「空気を読み」あれこれお手伝いに立ち回る。男性社員はあれこれ指示しないと、どうしてよいか分からずうろうろしていて、「そこの大きいの!ちょっとこれあっちへ運んで」と言われて初めていそいそと動き出す。(あった、あった!)しかし時がたち、自身の役割やミッションがはっきりしてくると男性社員も負けずに立ち上がってくるのである。人のことばかりでは公平でないので、自分の経験(恥ずかしいが)を少し紹介する。妻に連れられて某ガス会社の「お料理教室」に参加した時である。煮物、蒸し物、揚げ物、サラダなど4品くらい、下ごしらえも含んで時間内に結構手の込んだメニューを一つのテーブルで6人くらい(むろん初対面)のグループで製作するのだが信じられない光景を見た。誰も仕切っているわけではないのに、瞬間的に役割分担が決定しほとんど言葉も交わさずに材料を加工しだしたのである。「あのーぅ、オレ何やったらいいんかな・・・・」面倒くさそうに指差した妻の指示は「カブを洗う」作業だった。(相手は言わばプロだが、何となさけないことだ)

この本によると我々男性軍は「家事を手伝う」にあたり「言ってくれればやる」というのは全然ダメだそうだ。「察し」を要求されるからである。また買い物に出張ってもメモ通りしか買ってこれないし、目当ての品が足りないだけで破綻するし、代替品に目が届かない。台所にたてば多くの主婦が「動線の邪魔」と感じているらしい。冷蔵庫を開けようとすると冷蔵庫の前にいるし、茹でたほうれんそうを水に浸けようとすると流しの前にいるとされる。我が家では以前からこの現象を妻が察知したのか(狭いこともあるが)私が台所で何かしようとすると同時に立つことはなく、リビングで知らん顔している。さらに本を読み進めると女性の買い物は感性を総動員して直感的に答えを引き出すので「これしかない一押しが降りてくる」らしい。私は妻がウィンドウショッピングばかりして「何も買わない」と時間を浪費したと怒っていたのだが、どうもその情報インプットが別の機会に「これしかない一押し」を降臨させるらしい。結論のよく分からない、とりとめのない話を延々と続けても整然とDBにインプットされ、いつか鮮明に蘇るそうだし、一直線にシャンプーを買いに行けばいいのに、どうでもよいようなスリッパとかを眺めているのも意味があるというのだ。

本の言葉を借りると片方は高い空間能力を有し、獲物までの距離を正確に測って狩りをし、複雑な図面を読むし、ビルも建てるし飛行機も飛ばす。目の前のことに気付かず、大切なひとの機微にとんと疎いが究極の事態に強く、死ぬまで頑張れる脳。もう片方は目の前をなめるように見て、他社の体調の変化や食べ物の腐り具合を見逃さず、おしゃべりによって潜在情報を収集し、それを何十年たってもとっさに使える臨機応変脳。つまり見出しにある「人類に必要な感性を真っ二つに分けて搭載・・・」に行きつくわけである。

ここまでだと単なる本書の紹介・感想に過ぎないがここからは本に書いていない私なりの考察である。自分の経験からすると「男性脳は一定の年齢を過ぎると女性脳に接近する」入社したて、結婚したて、子供生まれたての時を思い返すと間違いなくバリバリの男性脳だった。経験値を上げるということかもしれないが、少なくとも「察する能力」は確実に上昇する(挙動に反映するとは限らないのがミソ)。今更合コンというわけでもないが、何となく男女が一定数いなくては落ち着かなかったのが、例え私一人で女性に囲まれておしゃべりの洪水にいても別に苦ではなくなったのは前回の図書交換会が示している。ショッピングも今までは一直線だったが、最近はぐずぐずと思い留まることが増えてきた。しかも全然その気がなかったのに突然閃いて「服を買う」なんてことも発生する。

私は人間の挙動や性質などの本質を「生物である由縁」として説明することにすごく共感する。男女脳の差異の話も人類の生存上最も効率のよい多様化と言われると疑う余地を見出さない。種の保存という観点からは「真っ二つに割ってそれぞれ・・・・」というのは分かるが、この理路を進めて行くと「似たもの夫婦」というのはほぼ存在しないか、しても長く続かないという恐ろしい結論になってしまう。若い(つまり子育て期間くらい)は確かにそのようだが、実は多様性が生存上重要な期間を過ぎてからの時間の方が圧倒的に長い。「異性を意識して」なんてギラギラした感性もなくはないが、「まあまあ、それはそれとして趣味の話でもしますか」という「茶飲み友達化」も悪くはないような気がする。男女脳とも連想記憶力という知性にあたる力がピークに達するのが50代半ばだそうだ。入力よりも出力という意味で「人生で最も頭がいい」時期と著者はいう。普通に言えば仕事に活かせばいいのに、どうもそんな時に差し掛かった時に限って「とりとめもない茶飲み話」を延々としてしまうのが人生、「また楽しからずや」なのであろう。

読書の交換会

2016-06-24 22:00:33 | ホビー
久しぶりに人から直接貸してもらった本を読んだ。自ら読書家というほどのレベルでは到底ないが、通勤時にスマホをやったり音楽を聴く習慣のない私は比較的早いペースで本を読む。大抵は図書館で借りてくる本や息子甘辛と一緒に呼んでいる連載文庫本で、著者で言うと少し偏っており最近だと(ペンネームもあるので敬称略)重松清、森沢明夫、百田尚樹、東野圭吾の回し読みに原田マハ、有川浩、三浦しをんに歴史小説をつまみ食いしているような感じだが、そろそろ新分野を開拓しないと読み尽くして在庫が乏しい状態にある。これら「読み漁る」分野はいずれも自分で開拓したものではなく、以前何かのタイトルで紹介したように、小夏師匠やKICKPOP師匠のように近しい?年代に加えて10,20,30(借金問題の某事務所のようだ・・・)歳違いのコーディネーターとも言える「本の友」がおり、奇しくも全員女性である彼女らの薦める著書、作家に首まで浸かってしまっている。一度同年の人と「読書会をしないか?」と作戦を練ったことがあるのだが、本の好みには人それぞれかなり多様性があり、テーマ本を決めるのが難しい上にメンバを募って予定を合わせるのがもっと難しいために実現には至らずにいた。しかし一度、「イニシエーション・ラブ」が映画化されたのをきっかけに(私がハブなのだが)本友のあまちゃんが企画してくれ、奇跡ともいえるコラボレーションで映画鑑賞会が実現したのだから、何かそういう続きが欲しいとは思っていた。

そんな時タイミングよく、研究所勤務時代の同僚だった女史から以前から話題に上がっていた「○×サス会」やりませんか?とメールがやってきたのである。しかもお誘いしようというのは、他にもない私の本友である「あまちゃん」である。私が以前、同門の会の場ついでにお貸しした本をあまちゃんにリレーしてもらったり、別の機会にあまちゃんにお貸しした本を女史に回してもらったりしていたから、面識もあったはずだが、ゆっくり本の話をするのは初めてのようである。私はすかさず「じゃー、本の交換会やろうぜ」と伝えた。NHKニュースで取材していたのだが「会社員、学生、主婦などが気軽に集まってお気に入りの本を紹介し交換し合う」というもので、回を重ねれば感想を交換できたり共感を伝えられたりして楽しそうだった。読書感想文のように決まった本を読んで語り合うよりも自由で気軽に誰とでもできそうだ。

中々ない試みだったから、一応読む人のシチュエーションを考え、メッセージ性を持たせて本を厳選することにした。今やビジネス推進の一線でバリバリ引っ張るマネージャー女史にはバイタリティ200%の「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹著)と疲れた時の癒し用に「虹の岬の喫茶店」(森沢明夫著)、ちょっとお堅い男子系職場の中堅で活躍するあまちゃんには、軽く文化のお勉強に「驕れる白人と闘うための日本近代史」(松原ひさ子原著)、ちょっと切な悲し系の「きみの友だち」(重松清)、元々癒し系の好きな彼女に「癒し屋キリコの約束」(森沢明夫著)を持参した。どの本も元同級生やマネージャー女史本人に紹介された著書やその作者の派生である。中々複雑な貸借関係なのだが、ここにまずは3人での交換会が成立する。何よりも両名は私が小夏師匠から贈っていただいた「三河のにら」から収穫した種をリレーした貴重な伝道師でもあるのである。(そう言えばちゃんと育ってるか聞くのを忘れた・・・)

  

会場は研究所勤務時代に女史を含めグループでよく立ち寄ったステーキ屋である。物価高なのか年々とメニューがショぼくなってきたような気がするが、それでもステーキ他5品と飲み放題がついてリーズナブルな値段だ。そう言えば、数か月前にあまちゃんとはグンマ時代のガノさんとはなちゃんと席を共にしていた。「あまちゃんとはこの前来たよね。Mさんとは久しぶりだよねえ」「あれれっ?Mさんもほとんど来たことないって言ってましたけど・・・」「何言ってんだ。研究所から散々来たじゃんか・・・」「そうか、○×の仕事してたから・・・たくさん来てました。はい」(何トボケてんだ?)関係図でいくと私がハブになるので、方やグンマ時代の話、もう片方は研究所時代の話にそれぞれ花開いた。グンマでは新人であったあまちゃんにはさすがに偉そうにしていたが、研究所の時は同僚だった女史は私がしでかした「おイタ」を山ほど知っているので、バラされるかとハラハラドキドキものだった。。。

近況を聞いていると、意外なところで意外な人とつながりが多くあり、「えーっ?あの人、今そこにいるの?以前○×で一緒だったんだよ」という驚きの連続だった。あまちゃんの上位にいる人は元グンマの同僚であるガノさんだし、M女史の部下にはグンマでルーキーズだったミクちゃんがいる。さらにビーチバレーのじろーくんはM女史と同門の知人だし、あまちゃんらと一緒に「イニラブ鑑賞会」に参加した、ア太郎さんは以前M女史と仕事でご一緒したことがあるという。特に元グンマーの若手が本社のそこここで活躍しているようだし、研究所の元同僚たちはもう各セクションの中核を担う管理者となっていて、おじさんとしては頼もしい限りである。M女史はだいぶ前に家族連れでバーベキュー会を行ったときの幼い息子甘辛を知っているが、「ウルトラ兄弟撮影会」の画像を見せると「えーっ、もう大学生なんですかぁ?!」他人にとって普段顔を合わさない子供の成長とは信じられないくらいに早く感じるらしい。

昔話に花が咲きすぎて(特に女子がそろうととりとめもない話ばかりになる)、肝心の本の内容に関する話題はほとんどできずに時間ばかりがあっという間に過ぎていった。「ここのメニューはさ、えらいボリュームがあるから、順番逆にしてもらうのがセオリーなんだよな。枝豆やサラダなんかでガバガバ飲んでお腹一杯のところにステーキやらハンバーグやら出てくるとキツイだろ?」「そうでした、そうでした。この前もそう言ってましたよね。ちょっとすみませーん」2人とも「(それはアンタだけの話でしょ?)」と口には出さずとも思ったことだろう。オーダストップの時間が近づき、それぞれ持参した本も取り出した。「これはキミ、こっちはキミね。」どんな内容でなぜそれを彼女ら向けに選んだか、かいつまんで話しておいた(ホントはこっちが本題だったのに)彼女らが差し出したのは「キネマの神様」(原田マハ著)、------------「(オレが貸した本ばっかじゃんか・・・!こいつら交換会の意味分かってんのか?!)」ま、実際のところ本の話はほとんどせずに与太話ばかりで時間を忘れたひとときで、後日読み終わった直後にあらすじや感想をメールで交換することになった。

以前から不思議に思っていたのだが、本を紹介したり内容について語ったり、感動を共感したりする知人としてピンとくるのは女性ばかりである。今更女性に囲まれたいと思う年でもない(わけではないが)し、逆に緊張するので適度に男子も混じってほしいのだが、どうも話題性がしっくりこないのだ。しかもさらに不思議なことにこれまで何度も経験しているのだが、一定数以上の女性が中心になる座に同席するとほぼ100%本題になる(結論らしきものに辿り着く)前に時間切れとなってしまう。ぶっちゃけ無駄話に時を忘れてしまい、後半は何が話題だったかも思い出せない体たらくなのである。飲み過ぎてスパークしてしまうのは誰と飲んでも同じなのだが「この話をしに行ったのに・・・」というのが女性軍相手だとやたらに多い。なぜこんな不可解なことになってしまうのか?実はマネージャー女史が持参したのが、これらの疑問を吹き飛ばす目の覚めるような名著だったのである。キーワードは「女性脳」。この先、続けようと思ったが思わぬ字数を費やしてしまったのでまた今度・・・

スマホによるミクロの世界

2016-06-20 07:47:38 | ホビー
実家の母親は取扱いが簡単な携帯を持ち歩いているが、もう何年も使っている古いガラケーで、お年寄りにありがちな「電話とメールしか使わない」パターンである。最近バッテリーも弱ってきて、電池切れに気付かず持ち歩いているのに全然つながらない、という間抜けなことも結構ある。「せっかくカメラ機能があるんだから、写真撮って友達に見せてあげたら?」ここ数年、プチ旅行に連れ出して地方の名所を歩き回る際に私は203号を首からぶら下げているが、母親は携帯でちょこちょこと撮影していた。ようやく最近「メールに添付する」という技術を覚えたようだが、ほとんど「撮りっ放し」になっていたようなのだ。友人に見せるには昔から見慣れたプリント写真の方がよいと言い出したので、コンビニや家電量販店などの端末でプリントしてやろうと連れていったら、何と機種やケーブルが古すぎてデータを転送する手段がない・・・

「いくら何でも買い替え時期なんじゃないか?」と母親を説得し、妻についてもらって最新の「らくらくスマホ」というものを手に入れたようだった。梅雨入りしながらも晴れ間のあった週末に、満開のさつきで有名な湯河原星が山公園「さつきの郷」とバラと花菖蒲が見どころの「小田原フラワーガーデン」を梯子したら、盛んにパシャパシャ撮影していた。ちょっと貸してもらったのだが、恐ろしく綺麗な画像が写り込んでおり、最新式のスマホのカメラ機能のすごさに舌を巻いた。こんなすごい画像が撮れるなら、もはやデジタルカメラなど必要ないかもしれないな。聞くところによると妻の手引きで「LINE」なる通信も行い始め、その後旅行先から盛んにメッセージや写真のやり取りをしていた。ついこの間までメールのタイトル欄に本文を書きこんでしまい、「使いづらい・・・」と嘆いていた母が私も使い方の知らなコミュニケーションを始めたとは驚きだった。

今のスマホの機能、性能向上は全く目覚ましいものだ。音楽、テレビ、ゲームはもちろん、万歩計やナビゲーター、電化製品その他のコントローラにも使え始めている。大学生の息子甘辛は4人でスマホを持ってテーブルを囲み麻雀もしているという。選択科目のスケジュールや急な休講などによってまとまった時間が空いてしまうと、足を運ぶのは雀荘と相場が決まっていたが、手段は変わってもやることはあまり変わっていないらしい。。。家にいても移動しながらも四六時中スマホを片手に何かしており、もはやそれなしでは一時も過ごせない中毒になっているようだ。かく言う私も家族揃って割引にするために同種のスマホ(取扱いを共通にするため)を持ち歩いているが、妻子の使用頻度があまりにも高く老朽化や故障によって何度か機種変更されてしまったので、私のだけ数年前のものに取り残されてしまった。私はどうもタッチパネルが苦手で、指先が変な風に帯電しているのか触りもしないのに画面が遷移してしまったり、逆に画面に亀裂が走るほど押しても何の反応もないこともあり、イラつくことこの上ない。。。最近駅のホームでは盛んに「歩きスマホは禁止」と呼びかけているが、私も「大勢の流れの中でタラタラとスマホをやって歩いているヤツの背中を蹴り倒したくなる病」に感染している。

しかしそんなスマホ嫌いの私にも驚愕と垂涎モノのスーパーアイテムが現れた。「スマホ望遠鏡」と「スマホ顕微鏡」である。特に先般の火星大接近のニュースとタイミングが合ったのか、スマホ望遠鏡の人気はものすごいらしく、通販でも本屋でもハンズでも品切れという看板が目立った。「三惑星の宴」編で書いた通り、天体望遠鏡で惑星を拡大観察しこれを静止画像として保存するのは結構難しいことだから、あんな厚紙のおもちゃでは中々難しいだろうとは思うが、月面くらいであれば驚くほど迫力の画像が得られるだろう。実は我が家のM20号もスマホやコンデジを装着するアダプターを持っているが、土星の輪が辛うじて見えるくらいでかなり辛いものがあった。しかし「自動でピントを合わせられる。拡大が自在にできる」というのは天体撮影には強力な機能であり侮れないと思われた。

そしてハンズで思わず手にしたのが「スマホ顕微鏡」だ。スマホそのものを専用の台にセットするいわゆる顕微鏡型と宝石鑑定士がよく片目に貼りつける(あれ、どうやって付けてるんだろう)ルーペ型がある。どれもスマホの機能を使用すると100倍くらいまで拡大できるようだ。私の好みでは「理化学ゾーン」という売り場にあったこのアイテムを手についレジに並ぶところだったが、「やられた時のショックが大きい」ので、取りあえずはスマホアクセサリーコーナーにあったクリップレンズを買ってみた。いかにもおもちゃなんだが、何と魚眼、接写、ワイド撮影を組み合わせて行える優れものだ。私はこのプチ兵器を携えて「さつきの郷」と「小田原フラワーガーデン」に乗り込んだ。

例年だと「さつきの郷」は6月の最初の土日くらいが満開なのだが、今年は前々日にかなり強い雨が降ったので半分以上が散ってしまったようだ。あばさんによると「花が上を向いて咲くから雨が降ると落ちちゃうんだよねえ」。天気が良かったので真鶴半島から初島、大島なども見渡せる気持ちのよい朝だった。203号とクリップレンズ魚眼で撮ってみたが、どんなものだろうか?どちらも大したことない?!

              

小田原フラワーガーデンはバラが後半となり、花菖蒲とスイレンがちょうど盛りだった。鮮やかに咲き誇る花々に母親は喜んでスマホカメラを構えていたが、私はクリップレンズを接写用に交換して超兵器203号と撮り比べてみることにした。203号はクローズアップモードにしてもせいぜい30cmくらい、しかしこのおもちゃレンズは1cmくらいに近づけないとピントが合わない・・・ほとんどミニ顕微鏡のようで、花の中にある花弁や小さな虫までもが写りこんでしまい、しかも立体的なのでピンとが合わない。バラ、花菖蒲、ヒスイカズラを203号画像と隣り合わせにしたが、何やらよく分からないものになってしまった。花びら一枚とってもみても風で動いてしまうし、奥行きがあると先端したピントが合わないからあまり花の撮影には向かないようだ。コガネムシの顔がやたらに迫力があってちょっと引いてしまう。(もうちょっと可愛らしいかと思った・・・)

              

                

以前、ハガキを送って無料券が送られていたので翌日は妻と江の島のレッドロブスターに足を運んだ。今回持ち込んだのはスマホクリップレンズだけだ。まず黒い不気味な丸い物体は「ロブスターの眼」である。見た目つるんとしているが、接写拡大すると不思議な幾何学模様のようなものが見える。その次が顔の真ん中にある角の先端部分である。これも拡大すると凸凹しており、両サイドに黒い目が薄く見える。最後が触覚の先端分である。これもニラのようにしなやかに見えるが、表面は規則正しく節が並んでいてパッと見触覚とは思えない。その後、ロブスターを色々弄りまわし、色んな角度から接写拡大撮影したが、はっきり言って「おぞましい」画像ばかりなので止めておく。妻が一言「あなたにとっては、いいおもちゃだね」。

           

学生時代に光学、電子顕微鏡など共にうんざりするほど使用したから、「拡大すると見えないものが見える」楽しさは思い出してきた。景色や動物、天体なども面白いが、ミクロの世界にも面白いことはたくさんあるだろうが、どんなものを被写体にするとよいだろうか?植物?微生物?細胞組織?宝石の細部構造?うーむ。。。理化学の血がうずく。想像力の出番だろうが、まずはレンズ片手に手当たり次第に撮って、面白いものを探してみよう。ぶっちゃけ今回は「外れ」に近かったが、にわか(しかもすぐに飽きるかもしれない)探求者の「ミクロの決死圏」レポートに期待あれ。

贔屓のチームとスタジアム

2016-06-15 21:24:58 | ホビー
昨年まさかの予選敗退から1年、我が社と所縁の深いとあるチームが社会人の都市対抗野球に出場できるようになった。昨年の悔しみをバネにしたのか予選からして試合の応援は凄まじく、代表が決定した試合終了時の様子を多数の同僚が某SNSにアップしていたが、紙吹雪が舞いまくり、まるで優勝したかのようなお祭りムードだった。昨年は予選敗退に泣いて普段は連日応援で不在となってしまう幹部が本業に勤しんだのでスタッフは「やけに仕事が捗った」と苦笑していたようだが、今年は2年分だからそれこそ「職務が停止してしまうのではないか?」と言われるほど皆こぞって出かけるのだろう。誰も今時、会社に対しての忠誠などそうは持たないものだが、こういう時、日本の会社はやはり「家族」で、お揃いのビブスやカードでスタンドを埋め尽くし、大声援を送るのは日本代表チームを応援するような一体感・高揚感満載でめったにできない興奮である。

平日は同僚と応援に駆け付けることが多いが、試合が休みの日になると妻や息子甘辛を伴ってドームを訪れたこともある。「今年はめでたく出場できるようだよ」と妻に言うと「ふーん」とあまり興味がなさそうだ。確かに「夫が勤める企業グループのシンボルチーム」というだけで、贔屓というわけでもなく、周囲は誰も知らないのであまりその気にもならないのだろう。元社宅のお友達家族は仲良しなのだが、所属する会社のシンボルチームという意味では微妙な温度差があり、休みの日に唯一Sちゃん家族と一緒に応援に行ったことがあるものの、パパが会社の重鎮であるため関係者の相手に余念を取れず小さな応援団となってしまった。そのうち妻が「久々にプロ野球を見に行きたいよ」と言い出した。

妻は野球の試合そのものやドームの雰囲気が好きなようで都市対抗にはよく来たが、ここ10年くらい(いやもっとかな)プロ野球のゲームからは遠ざかっていた。テレビ中継を見たり、実際に球場で試合を見に行ったりしたのは巨人に松井選手がいたころまでで、それ以降は「プロ野球人気」が急落してきたのか、昔は必ずあって一時は試合終了まで放送延長していた「巨人戦」もナイター中継から姿を消してしまい、朝のニュースで結果を知るだけでだんだんと興味は薄れていった。息子甘辛がサッカー漬けになった影響もあろうが、試合を見たり個人の打撃成績を気にすることも少なくなり気が付いたら都市対抗以外に球場に足を運ぶことはなくなっていた。昨年のGWに横浜に遊びに行った時、妻が同じように「プロ野球を見たい」と言い出し、チケットを買いに行ったのだが、時期が時期だけにさすがに巨人戦でなくても席を取ることができなかった。

子供の頃、プロ野球観戦のデビューはむろん「後楽園球場」である。バックスクリーン電光掲示板両サイドにはデカデカとした「パイオニア」の看板が聳え、子供の目には「霞ヶ関ビルの屋上から地面を見下ろす」ようなジャンボスタンドは「巨人の星」や「侍ジャイアンツ」でしか見たことのない憧れの地だった。もう一つ、マイナーだったが父親の勤め先がシート契約していたのでよく連れて行かれたのが川崎球場である。川崎大洋ホエールズの本拠地だったので「野球は巨人」だった当時は巨人戦以外はドマイナーでスタンドも2軍戦のようにまばらだった。狭い球場で私もナイター前に練習を終えた選手が石段に座ってうどんを食っているのを見たことがある。後楽園のように選手達と観客が隔離されていないのでやたらにアットホームでファンなら垂涎もののサービスもあった。その後、一時期ロッテが本拠地としていた時はとにかく「閑古鳥が鳴く」球場として「珍プレー好プレー」ではスタンドで鍋をしたり、カップルでイチャイチャ○×するシーンが流れた。(悪学生の私らも簡易「流しそうめん」をやった)

後楽園の他にヤクルトの本拠地である神宮球場があったが、私は湘南、妻は横浜育ちだから何と言っても我々が昔から親しみを感じる球場と言えば「横浜スタジアム」である。海や港の近くで中華街の横にあり、独特のすり鉢状の形状で鮮やかなオレンジ色のスタンド、ヨコハマの「Y」を象った照明塔などが斬新で、距離が近いのもあったが都心の球場よりは我々のお気に入りの球場だ。天候に左右されないドームやもよいがやはり屋根らしい施設の全くない空の開けたスタジアムが解放感があってよい。もうずーっと長いこと来ていないが、昔1塁側の内野席で試合前練習を見ていてフリーバッティングしていた打者のものすごいライナーのファールがすぐ前のシートの背もたれに突進してきたことがある。野球少年だった私は普通に素手でキャッチしようと打球をを追っていたが、着地寸前に硬球であることに気が付いて思わず「ワッ」と手を広げた。(そのまま捕球に行ってたら無事ではすまなかったろう・・・)

さて地元の親しみを感じる「贔屓のスタジアム」はあっても、我々はいつからか贔屓のチームがなくなってしまった。繰り返すが我々が子供の頃は何と言っても「野球は巨人」であり、(晩年ではあったが)王選手や長嶋選手(その後張本選手が登場)どういうホームランを打ってライバルを打ち砕くかだけが興味の的だった。私はスポーツ少年団の野球帽を被っていたが、当時野球少年というものは100%近く黒地にオレンジマークの「巨人」の帽子を被っており、よほどの変わり者か転校生でもなければ「赤いカープ」や「青いドラゴンズ」などは見たこともなかった。巨人ファンというよりもプロ野球そのものが「巨人とその他愉快な仲間たち」だったのである。当時からホエールズ命だったという元同僚「ガノさん」は「まるで隠れキリシタンだったよ」と言ったが、内心「(そもそも弾圧すらされてないさ・・・・)」とベロを出していた。王選手が引退し、高校のサッカー部の顧問だったチュウさんがドラフト会議の日、部活の後ミーティングで開口一番「原は巨人!」と言ったのを鮮明に覚えている。大きな世代交代のあったその辺りから、記憶は「がんばれ!!タブチくん!!」に移り変わって行く。

我々のご贔屓スタジアムが横浜だから本拠チームは「ガノさん」がこよなく愛する「ホエールズ」「ベイスターズ」なのだが、「大魔神」で一旦記憶が途絶えてしまい、中畑清さん監督就任で一時的に応援モードに入ったが、最下位ばっかでやがて興味も薄れてしまった。我々がプロ野球観戦に訪れるのは贔屓のチームを応援するためではなく、青空のもとプロのプレーを楽しみ大歓声と共ににビールを飲むためである。ただ対戦するチームはどこでもよいが(片方はベイスターズだが)、選手名をほとんど知らないのが困ったことだ。「ガノさん」だけではなく以前から特定チームに一途のファンである人は結構周囲にいる。Kちゃんパパのオトウさんは根っからのカープファンだし、台場でご一緒したヤッさんはソフトボール大会で背番号9「カメイ」のユニフォームを身に着けてきた。知人の研究所のプロジェクトマネージャは「タイガースに非ずば人に非ず」と平家みたいなことを言っているし、親愛なる小夏師匠もドラ耳をお持ちのようである。

東京ドームにも横浜スタジアムにも本拠チームのオフィシャルショップがあり、応援アイテムからアパレル、お土産品、フィギュアなど多彩な商品がある。私にとってはウルトラマンワールドM78みたいなもので、ファンにとってはいるだけでワクワクするゾーンなのだろう。先日、IT関連の大きなイベントが幕張メッセで開催されて見学に行った時、帰りに駅までのルートに千葉ロッテマリーンズのショップのウィンドーのポスターを何気なく見て驚いた。(と言うより笑ってしまった・・・)ちょうどセパ両リーグの交流戦が行われ、普段は対戦しないセ・リーグのチームを招いているようで・・・
「虎ブル発生!本当に強いの?ハンシン半疑」「クロウいらず!?100倍パワーで白星がいとも簡単に!」「勝利との破局!鯉人たちの悲劇始まる!」「負のループにハマれ!さらば宇宙の星屑へ!」「宿命の再会!勝ち星だけはロッテにクルーズ!」「谷底に下り竜!なごやかにドラマチックにさようなら!」

      

ぎゃーっはっはっは!!セ・リーグのチーム事情に疎い私にはイマイチ分かりにくいものもあるが、なかなか挑戦的ではないか。相手チームを直接こき下ろすような野次はあまり気持ちのよいものではないが、まあまあこれくらいなら可愛いものか?他のチームでもこういったポスターの「エール交換」を行っているのだろうか?(小夏師匠が見たらお怒りだろうなー)私は個人的に偉大な記録を達成する時や「さすがプロ」という素晴らしいプレーに両軍ファンが惜しみなく拍手を送るシーンが好きだ。その昔、連続試合出場記録更新中の広島の衣笠選手にある投手がデッドボールをぶつけてしまった。むろん故意ではないが、自分の不注意で偉大な記録が途絶えてしまったら大変と思ったのだろう、投手は(たぶん真っ青な顔をして)帽子をとって深々と頭を下げたが、衣笠選手は「いいよ、いいよ」と言うように笑って手を振り1塁に走って行った。これを見た両スタンドのファンが拍手を贈ったのを見た時にすごく感動した。そんな美しいシーンを求めて今シーズン、久々にスタジアムに足を運びたいと思う。

圧巻の地下神殿

2016-06-08 22:03:22 | 旅行お出かけ
数ヶ月に一度くらいのペースで首都圏各都市のオフィスを訪れ、仕事上の問題点や改善事項、他セクションの情報などを持ち寄って意見交換するのだが、とある北関東エリアを訪問する時は大抵打合せだけではなく、「お出掛け」がセットになってくる。このサイトでも何度か紹介したが、私と共に「ネオお出掛けトリオ」となったフクさん、マッさんコンビである。グンマの手前、首都圏衛星エリアの様々な名所、施設に連れて行ってもらったのだが、彼らの嘆くのは「大都市圏である割に超有名どころは少ない」というところである。グンマのようにそこら中に温泉があるわけでもない、山歩きで有名な自然の宝庫でもないし、歴史的な建造物もあまり聞かない。小夏師匠の国周辺のように「時代の分岐点になった戦場跡」などひとつもない(我が家周辺エリアにも全くない)。。。ただ知名度が低いだけで、(人によるけど)垂涎もののスポットは山ほどあるのだ。前回訪れた利根川の水資源施設なども「鮭が遡上できるように魚道が設けられ」シーズンになると目の前で産卵に向かう鮭を眺められるというすごい水門だった。(残念ながら、鮭の姿は拝めなかったが・・・)

帰路につき、最寄の駅へ向かう途中、私はふと思いついたことがあって聞いてみた。「ねえマッさん、前テレビで見たことあるんだけど、江戸川沿いに巨大な柱が何十本もある貯水施設みたいなところありましたよね。ウルトラQでもロケに使ってた、地下神殿みたいな・・・」マッさんはポンと膝を打って「あります!あります!もうちょっと川を下ったところにある放水路ですよね。あそこねえ、すごい人気で中々見学の予約取れないんですよ。前に電話してみたら平日でも1ヶ月先まで一杯で・・・」悔しそうに思い出していた。テレビの取材では「大雨が降った時に大きな河川が氾濫して水害をもたらさないように、一時的に溢れた水を貯めておく施設」というものだったが、地下にあるとは思えない巨大スケールの空間だけに私が知っているだけでも「ウルトラQ、仮面ライダー、戦隊シリーズ・・・」様々なロケが行われていた。私の印象が強かったのはウルトラQ(ダークファンタジー)の「楽園行き」という話である。実物は郊外にあるのだが、物語では東京の地下にある巨大空間となっていて、社会に絶望しドロップアウトした人たちが謎の「配達人」に案内されて集まり、浮浪者のように住まう異様な「楽園」だった。

そんな「お出掛け」から数ヶ月、巨大地下施設のことなど忘れてしまった頃、フクさんからメールがやってきた。「首都圏外郭放水路の見学について、下記の日時で予約がとれましたので、・・・・・・」私は大喜びでスケジュール表を見ると既に首尾よく丸1日確保されていた。「万難を排して伺います!」私はリーマンショックや大地震がやってこない限りは集合場所である「東武動物公園」に一直線に駆け付けるつもりだった。「常陸の国」同様、これまであまり御縁もなく、名前だけは知っていたがどこにあってどうやって行けばよいのか、全然分からなかったが、最近のJR線の乗り入れは目覚ましいものがあって、東海道線経由でそのまま久喜まで行って乗り換えればよいのである。ただ乗ってしまえば楽チンだが、大宮の二つ先ということはたっぷり1時間半以上かかり、昨今の東海道線経由路線は年中どこかで支障があって、時刻表通りにはなかなか運行しないから注意が必要だった。1本早めの列車に乗り込み、降りたこともないJRの駅で東武伊勢崎線(って確か浅草からR毛号でグンマの祭りに向かったが)に乗り換えるのだが、行き先がどおで方向変更するのか「中央林間」!。。。何かの間違えかと思った。我が家から見ると大宮からさらに先の駅で乗り換える私鉄が中央林間まで伸びているだと?アナウンスを聞くと気の遠くなるような駅数だが、押上で東急半蔵門線、さらに渋谷で東急田園都市線に連絡して一気に懐かしの中央林間までつなげてしまうのだ。最近の地下鉄、私鉄の相互乗り入れは想像を超えるすごさだ・・・

  

東武動物公園でフクさん、マッさんと合流した私は簡単に打ち合わせを済ませ車で移動を始めた。テレビCMでも見たことがある上野動物園と並ぶ老舗のイメージがあり、訪れたことはなかったが巨大な観覧車や木製に見えるジェットコースターが敷地内に見え、総合的なレジャーランドのようだったが、広大な敷地の周囲には「何もなく」田んぼと森の豊かな田園だった。「道の駅」のような施設に寄ると個性的な名前の「作物の種」や物産品などが並んでいた。さらに少し移動したところでマッさんお勧めの「田舎そば」の店に入った。普通のそばの2倍くらいの太さと噛み応えのある、コシと香りあふれる麺で、地元では有名なのか正午にならないうちに店内は満席に近くなった。グンマ同様、このお出掛け衆と昼飯をご一緒するとかなり気合の入ったボリュームメニューに見舞われてきたので、ここは学習して朝飯は抜いてきたのが正解だった。見学の予約時間は13時、早めの昼食をとって爽やかで最高の天気の下、いよいよ施設に向かう。

        

建物の名称は「庄和排水機場」、施設全体の名前は「首都圏外郭放水路」というものである。かの土地は以前「庄和」という地名で日本一の大凧あげで有名だったそうなのだが、今は合併し春日部市になっている。施設全体を紹介、展示する地底探検ミュージアム「龍Q館」という建物に入り、受付のある2階に上っていくと様々な取材の記録や有名人のサイン、ロケ模様の写真などが展示されていた。例の地下神殿では仮面ライダー、戦隊シリーズなどの「戦いの場」として撮影され、コントロールルームはウルトラマン他の総合指令室、作戦室などに使用されたようだ。やがて時間となって受付を済ませると係の女性が展示室内の模型などを使ってこの壮大な施設の生い立ち、役割などを分かりやすく説明してくれた。特撮に利用される巨大地下都市のようなイメージしか持っていなかったのだが、説明を聞くと「人間の英知」に感動することとなった。

           

そもそもこのエリアは外側に利根川、江戸川、荒川という大河に囲まれ、水の溜まりやすい「皿」のような地形になっているうえに、中川・綾瀬川流域は勾配がゆるやかで水が流れにくいために大雨に見舞われれると、幾度となく洪水被害を受けてきたそうだ。3人で床に広がった衛星写真を眺めながら、「この辺がマッさんちだよねえ」などとはしゃぎながらも、流域の地形と川の流れを見る限り「これじゃあ、水害多いよねえ」と話していた。この施設は中川、倉松川、大落古利根川など中小河川の洪水を地下に取り込み、地下50mを貫くトンネルを通して江戸川に流すものだ。第1〜第5まで5つある立坑は地下トンネルでつながっており、洪水の取り込みや流入調整なども行っており、深さ70メートル、内径30mもあり、スペースシャトルや自由の女神がすっぽり入る巨大な円筒だ。これらの立坑で取り入れた洪水は一定の量以上になると地下トンネルを通じて例の「地下神殿」に流れ込む。この神殿は地下トンネルから流れてきた水お勢いを弱め、江戸川へスムーズに水を流すために作られた「調圧水槽」だったのである。長さ177m、幅78m、高さ18mの巨大地下空間で、長さ7m、幅2m、重さ500tの柱が59本あって、水槽の天井を支え、地下水からの浮力も押さえつけている。この水槽に貯められた水量が一定以上になると排水機場にある航空機エンジンを改良した4基のポンプが稼働し巨大排水管を経て江戸川へ排水する仕組みである。最大排水量は1秒間に25mプール一杯分というから想像を絶する威力だ。

                  

模型を使った係員の説明はそれまでの苦労と国、県、市町村が一体となって協力しあい自然の猛威に対抗したものだというのがよく分かった。一連の説明が終わるといよいよ「地下神殿」の見学である。見学用に作られた施設ではないため、一般の人から見ると様々な制約や注意事項があり、見学に先だって「誓約書」のようなものにサインをする必要がある。「途中で休まずに100段以上の階段を上り下りできます」「大きな荷物を持ち込みません」「撮影は許可された区域でしか行いません」「画像内の人物は個人情報として適切に扱います」などなど・・・(芸能人がいる時もあるからのようだ)。サッカー場を含む多目的広場の横を通り過ぎて秘密の入口まで歩いて行くが、実はこの広場の真下がまるまる地下神殿だという。女性スタッフは先頭と最後尾について一人ひとり見学者の数をカウントしながら先導していく。JALの工場見学も同様の厳格な管理だった。(取り残されたりすると大変なことになるからな)100段くらいの階段などわけはないが、実際降り立ってみると想像を絶する圧巻の地下神殿だった。(これなら特撮のロケで使いたくなるわけだ)

          

「1日にこの階段4往復もすりゃ、いいダイエットになるでしょうねえ」フクさんは気軽にスタッフに声をかけていた。「この水位を超すとポンプが稼働して江戸川への放水が始まります。水位レベル以下の残った水は第5立坑にあるポンプで逆に中川や倉松川に戻すんです。日をおいてしまうと、水が悪くなって飲み水や生態系に影響してしまうので、洪水が収まったらすぐに排水します」「水に魚が入ってたりしないんですか?」「約3cmの金属ネットとゴミ除却装置がありますが、抜けてくる小魚とかオタマジャクシはいますよ。」「泥みたいのは入っちゃいますよね」「そうそう、皆さんの見学いただけるエリアだけは人力で掃除してるんです。」「(そりゃー、ありがたいことだ)」
総工費2300億円というこの巨大施設の治水効果は素晴らしく、平成12年に比べて平成18年の浸水戸数は3分の一近くになっている。昨年9月茨城を襲った大洪水を起こした集中豪雨の時もフル稼働し、周辺流域を水害から救ったそうだ。そんな話を聞くにつれ、ウルトラQではちょっとおぞましい「魔宮」のように見えたこの神殿も神々しく見えてきたものだ。我々はスタッフに丁重にお礼を言って大満足で放水路を後にしたのだった。

三惑星の宴

2016-06-04 07:04:25 | ホビー
「ヤマトが月から火星へワープしただと?何かの間違いだろう」イスカンダルに向けて地球を出発した宇宙戦艦ヤマトに関する報告を受けてガミラスのデスラー総統が示した反応である。ここ数回の記事で書いているが、5/31(火)は2年2ヶ月ぶりにお隣の惑星火星が最接近する日だ。太陽系で地球のすぐ外側を回る火星は軌道が楕円なために地球との接近のしかたにも変化がある。今回の接近はいわば中接近で15年に1回の割合でやってくる大接近は前回が2003年、次は2018年だそうだ。今年の最接近時の距離は約7500万km、月までの距離(38万km)の約200倍、光の速度でも約25秒かかる。一瞬にしてワープしたと聞いてデスラー総統が驚くのも無理はない距離である。最近、火星までの有人探査がニュースとなり、数か月前妻と「火星に置き去りにされた宇宙飛行士が生き延びる」近未来の映画を見た。波動エンジンとはいかなくても、現在のロケットが出せる最高速度をもってしても感覚的には最短で到着までに数百日規模がかかる旅程となる。

映画のネタバレはできないが、地球から火星への旅行を考えると、軌道上の相対距離や燃料効率の関係で約2年2か月ごとに打上げチャンスがやってくる。そこから数百日かけて火星に到達するのだが、帰還のための打ち上げチャンスもやはり2年2か月ごとにやってくるので結局火星にも数百日単位で滞在しなければならず、総工程は数年レベルになる。物語中は置き去りにされた飛行士は自力で地球に帰還する術を持たないので、地球からの救助をひたすら待ち続けることになった。大気も地殻変動もない「無」の世界である月と異なり、火星の地表には大砂嵐や雷などもあるようなので、何年も前に火星を探索した「マーズパスファインダー」を掘り返して再稼働させたり、砂嵐の中に長い間置きっぱなしになっていた火星上昇機を再利用したり、そもそも地球の100分の1しか大気がないのにあんなすごい砂嵐があるのか?!など多少ストーリーに無理も見られるが、最先端の科学的根拠もふんだんに盛り込まれ、単なるSFではない現実感溢れる映画だった。「火星に生物は存在したか?」という論議も盛んだが、数億年という単位で見れば火星に地球と似たような環境もあったはずだと思うしその時は有名な「タコの八ちゃん」みたいな火星人もいたと信じているとともに、いつの日か人類が火星に居住を始める時がくるだろうと思っている。

さて、そんなロマンあふれる話とはあまり縁のない私はさしあたって前回惑星観察会をポシャってしまってから、虎視眈々と超兵器M20号を空に向けるチャンスを狙っていたが、早々にその夜はやってきた。残念ながら北側の空は雲に覆われ、北極星が見えないので、厳密に合わせることはできなかったが、三脚を置くマークにより大よそ赤道儀の極軸を合わせた。この極軸を中心に地球の自転に合わせて鏡筒と平行な支柱を回転させれば視野に入れた天体を自動追尾することができる。また本体コントローラには星空の位置を表す地図が内蔵されており、アラインメントと言って実際に望遠鏡の視野に天体を導入し内蔵地図とマッピングして合わせることにより、数万種類の天体を自動的に視野に導入することができるのである。我が家周辺のように夜空の明るい場所では星雲、彗星のように淡い天体は導入しても視野内でほとんど見ることができないが、惑星は明るいので月明かりがあってもすぐにその美しい姿を目にすることができる。まずは最も明るい木星を自動導入していきなり最高倍率にしてみたら、いつもの迫力ある太陽系最大の惑星とそれが従えるガリレオ衛星が眺められた。

冬のようにスカッと晴れてはいないから、淡い天体の観測には向いていないが、気流が比較的安定しているので視野に結ばれた像は綺麗だ。北極星に正しく軸合わせできなかったのと、装置の精度がイマイチなこともあり多少画像が流れるのが気になる。「まあ、これくらいなら撮影できるかな」私は超兵器整備計画で入手したCMOSイメージャーを装着しPC上で画面調整を始めた。風もなく画像も安定しているが、高倍率なので少し流れてしまうのと、台となっているウッドデッキが老朽化のため少し動いただけで画像がゆらゆらブレてしまいかなりの苦戦を強いられた。マウスを動かすだけで大袈裟にすると画像がブレてしまうので、キャプチャー時間中じーっとしていなければならず、かなり肩が凝った。いつもながら後から思うのだが、ソフトウェアの説明書を読まずにフィーリングのみで操作しているので、他にもっと効果的なやり方があるのかもしれない。

次に主砲塔を向けたのが接近中の火星だ。ネットで色々調べたがお隣さんということもあるのか、距離の違いが視直径の違いに大きく現れているのが分かった。また現時点では木星よりも明るく見えるかもしれない。最初に天体の撮影をした数十年前から「惑星の撮影」というのはかなり高難度な部類に入るものだった。我が家にある新しい(初中級程度の)天体望遠鏡で星を見ると言ってもちゃんと「面積を持って」見えるのは金星の満ち欠けと火星、木星、土星くらいしかない。3惑星揃い踏みというのはかなり観察の好機ということである。実際には星の弱い光を集める能力はレンズや鏡の口径にほぼ依存し倍率を高くすればよいというわけでもないから、書物やネットに投稿されている美しい画像に比べると「小さくショボイ」のだが、太陽系の惑星の生の姿を肉眼で見るいうのはそれなりに素晴らしいものだ。火星はいつも小さく赤黒あまり景気のよくない像に見えるのだが、さすがに接近中ということもあり明るく大きく見えた。

最後に観察しようとした土星の導入は意外にも困難を極めた。自動導入装置ではCMOSイメージャーの狭い視野の中までは入れてくれないので、鏡筒コントローラで手探りで微調整するしかないのである。時々さーっと像が横切るのだが、すぐに見失ってしまう。ようやく捉まえてもちょっと足を置く位置を変えただけでぐらぐらーっと動き視界から消えてしまう。散々動かした末にようやく視野の真ん中に導入し、ほとんど息もしない状態でキャプチャーボタンを押し続けた。観察開始してから約1時間、西の空の木星は雲に覆われ、それが広がって赤く明るい火星や土星までも飲み込んで行った。昼間は真夏のように気温が上がり紫外線も強く降り注ぐのだが、どうも夜になると雲が広がる天気模様のようだ。老朽化したウッドデッキを踏み抜かないように注意しながらM20号を撤収した。

さて星野や星雲などの写真は撮ってしまったらそれで終わりにする(本格的には色々と処理があるようなのだが)のだが、画像は動画キャプチャーされているから、専用のソフトウェアを使って、何百枚の画像の「いいところ」だけを取って「薄く重ね合せる」ことができる。コンポジット法と言って昔は露出時間の短い淡い像を何枚かとって、ホントにネガを重ね合せた。今は「どういう位置をポイントに重ね合せるか」「どんな画像を採用しどんな画像はボツにするのか」「それぞれの画像をどのような透明度で重ね合せるか」パラメータを決めると自動計算して静止画像を生成してくれる。学生時代に「X線回折による分析」で行ったのだが、たくさんの画像を重ね合せると、一枚一枚にある「ノイズ」という余計なトゲトゲ信号がなだらかにされ、代わりに共通する特徴が浮かび上がってくるのだ。



大元の仕入れ画像がショボイのか、パラメータが複雑で最適にしにくいのか、そもそも無料ソフトウェアのバグなのか作業はこれまた困難なものとなった。動画ファイルはあるので何回でも施行錯誤できるのだが、中々うまい具合にはいかないものだ。ネット上にある「パラメータ設定例」などをいくつか試したが、一番ましに撮れていると思っていた木星像ですら「子供の落書き」のような画像にしかならず、何度もPCがフリーズしてしまった。やっとの思いで一つそれらしいのが生成できると形に特徴がある土星にチャレンジしてみた。こちらの方が暗く難しいかと思ったが、リングがある分だけ位置合わせがしやすかったようで、そこそこの映像は半分くらいの時間で生成できたのだ。ちょうど1年くらい前「超兵器整備計画」編で掲載した二つの惑星に比べてあまり進歩していないようだなー。当時に比べて土星のリングは開き方が大きく見えておりこちらについても観測の好機ということだった。



最後は最接近した火星である。火星は距離が近いとは言え直径は半分くらいしかないので、普段は望遠鏡で見ても小さく赤くしか見えず、表面の模様も中々画像でとらえるのは難しく、「観察者泣かせ」の天体だったが、さすがに接近中で明るく大きく見える。しかしたまたま撮影した時の条件が良かったのか、そう苦戦せずにそこそこ模様の見られる画像を生成することができた。拡大倍率が同じだから夜空に並ぶ3つの惑星を並べてみたのと同じ具合の視直径になる。これらの画像は何となくそれらしくは見えるが、言わばたくさんの画像を合成したCGであり生写真ではない。画像処理技術のない私が行うと特に色合いについてショボイ姿になってしまうが、やはり生で見ると全然美しさが違う。我が家のおもちゃのような望遠鏡でもそこそこ素晴らしく見えるから、機会があったら天体観測所などの公開観察教室などで見ることをお勧めする。



自分が生きている間には惑星へ旅行することはおろか、宇宙に行くこともないだろう。しかしそれこそ波動エンジンでも手にいれない限りはすぐお隣の恒星に行くことはさらに絶望的である。一番近い恒星は有名なケンタウルス座α星、約4.3光年(1光年は9兆5000億km)だから、接近中の火星まで200日で到達する速度では約30万年くらいかかってしまうからである。どんなに大きくな望遠鏡を使っても恒星って点にしか見えないわけだ。それに比べておもちゃ望遠鏡で見ても美しい表面が眺められる太陽系の惑星とは実に親近感がある。火星接近を機会にもう少し工夫を重ね、すごい画像が得られるように努めてみようと思う。

ちなみにこの記事を書き終えた後、最接近の5月31日がやってきた。木星並みに明るくなった赤き火星は見えてはいたが、薄曇りで雲が多く、観測にはあまりよいコンディションではなかった。この記事に登場する画像は約1週間前に撮影したものだが、並べてみても大きさの違いはわからない。(むしろコンディションの違いが強く現れてしまっているな)

    

さらに昨晩、風が強いのが難点だったが、最近ではまれなくらい空が綺麗だったので再び超兵器M20号を稼働させた。風以外のコンディションがよかったから、これまでよりもシャープに撮れているような気がする。右上の赤く明るいのが火星、その左下の明るめの白い星が土星である。繰り返すが写真はショボいが実物を見るとホントに素晴らしく見えるものだ。最近すごいのは厚紙で簡易な望遠鏡を作成しカメラをセットするという「スマホ望遠鏡」が登場したことだ。今のスマホの機能は目覚ましく、ピント調整やズームもできるので苦労しなくても星の観察や撮影が楽しめるらしい。ここ1ヶ月くらいが三惑星を観察する好機である。天気の良い日が少ないのでチャンスを逃さずお楽しみあれ。