超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

西の魔女が死んだ

2009-07-31 22:04:02 | 書籍
夏休みに息子甘辛が50冊の読書に挑戦することになったのは前回の話。
それぞれの本のタイトルと書店スタッフの感想を簡単にまとめて紹介しているうちに、なんだか自分もその気になってきて、それらの本全部自分でも読んでみることにした。
息子がどんな本を好むかも興味があったし、それに対しどんな感想を持つかも話し合ったら楽しいと考えたのだ。

まず一発目は「西の魔女が死んだ」(梨木香歩・新潮文庫)。
「ホーントに気にいって何度も読み返したいと思う本があったら買ってやる」と言ってあったが、早速「これすげえいい!買ってくれ」ときたもんだ。
あっと言う間に読み終えたようだが、ホントに読んだのか?あらすじと感想をテキストにしておく約束になっている。。。

何ともとらえにくいタイトルだが、「西の魔女」とは主人公である女子中学生「まい」の母方のおばあちゃんなのだ。

中学に進んでまもなく、友達グループにうまく入れず学校へ行けなくなった「まい」は春から初夏へかけて田舎生活丸出しのおばあちゃんの家で二人で過ごすことになる。
ママのママは英国人だが日本人のおじいちゃんと結婚し、連れあいを亡くした今、日本に一人で暮らしている。
「まい」は小さいときからそのおばあちゃんが大好きで、何かにつけて両親には照れくさくて言えないことも連発する。
「おばあちゃん大好き!」と。
そんなとき英国人のおばあちゃんはいつも微笑んで「アイ・ノウ」と応えるのだ。

日常どこにでもあるような話で、すぐに場景が浮かんでくるし読みやすい本だ。

おばあちゃんの昔の話を聞くうちに「まい」は英国にはこちらで想像するのとは少し違う「魔女」がホントにいることを知る。
黒いコートに帽子と箒というお約束スタイルではなく、普通の人間の姿でそこにはいない人に声が聞こえたり、そこにないものを見ることができたり、未来のことを少しだけ予見することができるという。
それは大昔の人間が生きていくためにすぐれた特殊能力を親から子へ伝承してきたようなものらしい。

おばあちゃんは、生まれつきそういう能力がある人とない人がいるが、修行によっては誰でもある程度は身に付けることができるという。
主人公「まい」はおばあちゃんの手ほどきで魔女の能力をつける修行を始めることにするのだ。
その肝心要のポイントは「何でも自分で決める」ということ。

おばあちゃんが自分の死を匂わすようなことを言い、「2年後にそれを知ることになる」という下りは切なかった。おばあちゃんは日本語ペラペラだが英国人なので、丁寧語でしゃべるところが新鮮。

「まい」は誰でも一度は考え恐れることをおばあちゃんに尋ねる。「人は死んだらどうなるの」
「わかりません。実を言うと死んだことがないので」おばあちゃんは笑いながら
「でも自分の死はまだですけれど、おじいちゃんの死は体験しましたし、魔女トレーニングは受けましたから、ある程度の知識はあります。それにこの歳になりますと、死後のことを射程に入れて生きるようになりますから」おばあちゃんは片目をつむる。。。。

おばあちゃんが考えている「死ぬ」とは、ずっと身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだ、という。
無力にも物体として転がっていた鶏を思い、「まい」は身体をもつことがあまりいいことがないように感じる。でもおばあちゃんは。。。。
「それに、身体があると楽しいこともいっぱいありますよ。まいはこのラベンダーと陽の光の匂いのするシーツにくるまったとき、幸せだとは思いませんか?寒い冬のさなかの日だまりでひなたぼっこをしたり、暑い夏に木陰で涼しい風を感じるときに幸せだと思いませんか?鉄棒で初めて逆上がりができたとき、自分の身体が思うように動かせた喜びを感じませんでしたか?」

私はこのやりとりがどうにも好きだ。

「まい」が「死んで魂が身体を離れるとき」のような気持ちがする夢をみたとき。。。

「おばあちゃんが死んだら、まいに知らせてあげますよ」とおばあちゃんは軽く請け負った。
「ええ?本当」と一瞬「まい」は喜ぶが、「あの、でも、急がなくても、わたしはただ・・・」おばあちゃんは大笑いして、
「分かっていますよ。それに、まいを怖がらせない方法を選んで、本当に魂が身体から離れましたよ、って証拠を見せるだけにしましょうね」
「まい」は深々と頭を下げてお願いするが
「でも、わたし、おばあちゃんだったら幽霊でもいいな。夜中にトイレに行くとき以外だったら」
「考えときましょう」おばあちゃんはにやりと魔女笑いをした。

お盆とかを前にして、あの世から化けてでてくるとか、寂しいから連れにくるとかそういうことではなく、こんな感じがいいんじゃないかと思う。

しばらくして「まい」は父親の仕事と合わせて転校することにし、あばあちゃんと別れることになる。ささいなことで人に憎悪を剥き出しにしてしまい、叩かれた後ずっと気まずい思いをしながら新しい家を向かう。
そして2年後そのおばあちゃんが死んだという連絡が入るのだ。「西の魔女が死んだ」のだ。

「まい」はヒメワスレナグサと呼んで密かに水やりを習慣にしていた場所で、なにげなく汚れたガラスに目をやって電流に打たれたように座り込んでしまう。
その汚れたガラスには、さっきはなかったはずなのだが、小さな子がよくやるように指か何かでなぞった跡があったのだ。

ニシノマジョ カラ ヒガシノマジョ ヘ
オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ

「まい」はおばあちゃんがあの約束を覚えてくれたことに気づく。そして堪えきれずに叫ぶのだ。

「おばあちゃん、大好き」

そして今こそ心の底から聞きたいと願うその声が初めて聞こえる。

「アイ・ノウ」

うーむ。やられた。。。
息子はどこで知ったのだろう。先頭打者ホームランという感じだ。この本は我が家の永久保存版になることは間違いない。
結構ドラマ化、映画化された作品が多いようだ。いずれにしてもこれから読む本が楽しみだな。

この前懐かしい仕事のパートナーと食事会してもらったときに、ご一緒した超優良IT会社の元社長秘書(初登場)のご推薦があったのは驚きの偶然だ


ナツドク(夏休みの読書)の楽しみ

2009-07-30 07:00:51 | 書籍
1学期、息子甘辛は通信簿の国語で「考えや気持ちを文章に表す」という欄に×がついてしまった。
その対策としてよく●●文庫が昔やったように、夏休みの読書100選みたいなものを考えた。
有隣堂藤沢店スタッフお薦め文庫という冊子を無料でもらい、「夏休みに50冊読破したらTVゲームソフトを買ってやるか検討してやる」(なんて勿体ぶった言い方だ!)という約束をした。

「よーし!ホントだな」

息子は私がもらってきたお薦め文庫で読みたいと思うタイトルに○をつけはじめた。
全部買ってると大出費になるので、まずは図書館に10冊ずつ予約してやることにした。
甘辛はやる気マンマンだが、哀れかな自分がこの夏休み親よりも忙しいことに気付いていない。この10冊読むだけでいっぱいいっぱいだろな。

どれどれ6年生にもなるとどんな本を読もうとするんだろ。○印を見てみた。各著にはスタッフの紹介コメントが載っている。

「西の魔女が死んだ」
(なんとなく「夏」を感じられる読後感さわやかな一冊です。)
― ふーん。おもしろいタイトルだな。魔女が死ぬとさわやかなのか?。。。

「チーム・バチスタの栄光」
(ぐいぐいと引き込まれるように読みました。手術の光景も目に浮かぶようなリアルさがあります)
― タイトルはなかなか引き込まれるな。ゴッドハンド輝の「ヴァルハラ」みたいなものか?

「日本語擬態語辞典」
(最近認知度が上がった?オノマトペ(擬態語)!!「ハラハラ、ドキドキ、ニヤニヤ・・・」辞典とはいえ、そこは文庫!お手軽です。半分は五味太郎さんのおもしろいイラスト、解説も和文・英文とあり、ちょっと得した気分になれます)
― ぎゃーはっは。アイツもともと話の半分近くが効果音なのに、擬態語ボキャ増やしてどうすんだ!?

「震度0」
(大震災の朝、県警幹部が失踪!県警のとっては大激震のはずがなぜ「0ゼロ?」終盤の予想を超える展開にその意味が・・・。細かな心理描写は女性の方にも読み易いです!
― うーむ。こっちはやけに重そうだぞ。大震災と言えば神戸のやつかな。。。

「三国志‐天狼の星」
(「仁君劉備」や「悪役曹操」にはもう飽きたという方におすすめ!キレやすい劉備やコンプレックスの塊の曹操がいます。超人より凡人より、だけど生き抜こうとする姿が皆カッコイイ!)
― なーるほどね。三国志は読み尽くしてたからな。虚弱な関羽とかあわてんぼうの孔明とか?

「片倉小十郎景綱」
(独眼竜正宗の右眼として生涯支え続け、秀吉に城を与えようと請われようとも。政宗の下から動かなかった男)
― 普通それを言うなら右腕だが。。。右眼と掛けたとすればなかなか知的な人だ。ウル銀行きか?

「犯人に告ぐ」
(連続児童殺害事件の捜査は行き詰まり、現役捜査官はTVニュース番組に出演し犯人逮捕への突破口を見出そうとする。こうして犯人とメディアを通じての戦いが始まった!そして思いもよらぬところから犯人逮捕への糸口が!!息もつかせぬ。ラストは圧巻!!)
― 息子も児童だからあんまりこういうのは読ませたくないものだ。。。でもスリルはありそうだ。

「上杉三郎景虎」
(「義」を重んじてきたはずの直江兼続が生涯に一度だけ犯した裏切り行為ゆえに、若くして自刃に追い込まれた武将
― 天地人最近見てないけど、むかーしから直江兼続好きだったからなあ。

「手紙」
(唯一の家族である兄のことが大好きだった弟、その弟のために殺人という罪を犯してしまった兄。彼らを通して人と人とのつながりについてこんなにも深く考えさせられたのは、この小説が初めてでした。読んで思い切り泣いてください)
― これは書店の店頭に長いこと陳列されてたからタイトルを知ってるぞ。アンジェラ・サキとは関係ないらしい

「容疑者Xの献身」
(「極限の愛」とは何か?推理小説でありながら、これほどまでに「愛」を追及した傑作があっただろうか?東野圭吾のガリレオシリーズ懇親の代表作!!
― これもテレビで映画の宣伝をしていたぞ。「手紙」と同じ作者なんだな。東野・・・って今田とコンビだったお笑い芸人と勘違いしてた。。。

「告白」
(自分の思いを他者にうまく伝えられますか?現実と理想のギャップ、他者の中にいる自分と自分の中にいる自分のギャップに苦しむ人におススメです。決して主人公のようになってはダメです)
― なかなか重い感想だな。このタイトルって色々な人が書いてるから間違わないようにしなきゃな。

「夜のピクニック」
(「歩行祭」という、1日かけてひたすら歩く高校のイベント。ドキドキハラハラもしないけど、忘れかけていた純な気持ちを思い出させてくれる、どこか切ない青春小説です)
― タイトルからはヤバいことと勘違いしそうだが、知人に借りてこの中では唯一読んだことがある。まさしく上のコメントそのものだったな。

書いているうちに、私も同じものを読んでみようと考えた。夏休みの読書に息子と同じ本を読んで、その感想を話し合うなんて結構イカすじゃないか。
ブレイブストーリーから小学生でも高学年になると全く侮れない本を読むもんだと痛感した。
私の読書時間は通勤の時だから、別にジャンルは問わないのだ。同じ本を読んだ者どおし、その内容について盛り上がるほど楽しいことはない。
ナツドクは新たな楽しみになりそうだ。

あのピッチに立つ時Ⅱ

2009-07-27 22:10:43 | 少年サッカー
7月末の金土日は神奈川県選抜少年サッカー大会だった。
今年の4月ラッキーにも選ばれた息子甘辛含め県内の各市町代表22名はこの大会を目指して練習してきたという。
選抜チームだから普段プレーをともにするチームメイトとは違うが、「選抜」されるだけあって恐ろしくレベルが高く、いつもとは違った緊張感があるらしい。

会場は横浜みなとみらいのマリノスタウン。県の中央大会など重要なゲームが行われる憧れのピッチだ。(写真はいかにもイケてないが後ろがみなとみらい地区、ドコモメディアタワーの後ろがランドマークタワーなんだが写っていない。。。)
今のチームに移ってきたときに、「このユニフォームを着てマリノスタウンに来ようぜ」と言っていたのはつい2年前だ。
まさか現所属チームで来る前に藤沢選抜のユニフォームを着てこのピッチに立つことになろうとは我々どころか本人も予想しなかったろう。

この選抜チームが発足してすぐに、あの日産スタジアムで横浜選抜とJリーグの前座試合を行った。
日本代表も闘った夢のピッチでスクリーンに何度もそのプレーを映し出されたのもあの時だ。
今日はオーロラビジョンがない代わりに、県内の市町代表選抜がずらりと並んだ圧巻のグランドだ。となりの天然芝グラウンドではマリノストップチームが練習を行っていた。
日本代表の中澤選手もいたぞ。ここでFCバルセロナのカカ選手も練習してたんだよな。

大会は8ブロックで行われ、1ブロック3チームのリーグ戦で1位チームしか翌日の決勝トーナメントに進めない。
ベスト8になると翌日決勝トーナメントが行われ、勝てばさらに翌日に準決勝と決勝、負けると別ブロックの負けチームと親善試合を行う。
どのチームも市町を代表する選抜だ。特に我がブロックは粒揃いの小田原選抜と前回優勝して今回2チーム出場となった超強豪の川崎選抜だ。

1位にならないと翌日はないからな。珍しく悪天候となり苦しい戦いが予想された。
どの選抜も22人いるので、均等の戦力の2チームを作り前後半で交代するのが慣習らしい。
息子甘辛は先発組だ。正直このメンバーにいるのが不思議なくらいで、ポジションはキーパーのまん前、即ちフィールダーでは一番後ろだ。

注目の第1戦目、速いプレッシャーで運動量の多い小田原選抜相手に苦戦しながらも終了間際快速フォワードN也選手が左から抉ったセンタリングを相手ディフェンスがオウンゴールで辛勝。。。
やはり簡単には勝たせてくれない。問題は次の川崎北選抜だ。。。
ところが、甘辛が吹かせたのか暴風雨の中で前半組は意外にもというかちゃっかりというか、何と先取点をとって折り返した。

このあたりから、私達藤沢選抜の応援団が盛上ってきた。ちょうど後ろの天然芝で練習している中澤選手達も思わず振り返るほどの騒ぎ方だ。
普段は相手チーム側だから挨拶くらいしかしないのに、●●FCの何とかクンのママとか言って結局全部仲間になってしまう。
浦和レッズと名古屋グランパスのサポーターが日本代表の予選を応援するようなもんだ(そんなレベルじゃないが、私達はそう感じた)

いつもの自分のチームを応援するのと違い、不思議な気分と強い連帯感を感じた。
そして問題の川崎選抜戦、後半組は1点返されながらもさらに得点してなんと勝利!
1位抜けのベスト8しか進めない翌日に進撃を開始した。

翌日も同じくマリノスタウン、準々決勝は勝てばさらに日曜日にコカコーラグランド、負けたら隣りブロック負けチームと親善試合だ。
神奈川ベスト8にいるのは、横浜西、川崎南、伊勢原、相模原、大和、横須賀、足柄南そして我が藤沢各選抜だ。
我が選抜は足柄南が相手だ。これまであまり聞かなかったが予選リーグを大量点で楽々突破してきた強豪らしい。

我々の試合の前に横浜西とマリノス追浜の主力を擁する横須賀が壮絶な試合を行っていた。
よかったあ、こんなすげえチームと当たんなくて。。。みんなそう思っていたが、次の試合もし勝つと翌日の準決勝はどちらかの勝者だ。
試合は終了間際、J1マリノス予備軍団を擁する横須賀が一瞬のツキをついて得点、優勝候補の横浜勢は姿を消した。

さて、注目の南足柄戦だが正直ブロック内チームがそれほど強くなかったのか終始攻めっぱなしだった。
前半、怒涛の攻撃にも得点はできず後半に期待する。「一点取りゃイケるよね」という一点がどうしても取れない。。。応援団にもストレスが溜まり始める。
サッカーにはよくあるやばい流れだ。押しに押していながらちょっとしたミスで失点しそのまま負けとか・・・

結局後半も得点できず、なーんとPK合戦。。。負けると先ほど負けた横浜西選抜との親善試合が待っている。
緊張の中、PK戦が始まった。プロのジュニアユースからも声がかかる選手がいるのだ。メンバの5人目まで次々とみんな綺麗に決めていく。

「よーし」甘辛と同じ前半組で父母ともに仲良しになったS也選手のパパが両手を前に出してひらひらさせ始めた。
Jリーグのサポーターがやる「呪い」のポーズだ。
同じスポーツ選手だった私にはあまり感心できなかったが、この時ばかりは悪魔に魂を売り渡したつもりで、両手を伸ばして「外してくれ」と思念波を送った。

そしたら、な、なーんと6人目の相手選手はゴール枠上に大きく外してしまいうずくまってしまった。
他人の失敗を願ってはいけないが、チャンスがきたのも事実だ。神様女神さまごめんなさい!もうしません。。。
次の我が方を見事に決めて勝利。。。ベンチも応援席も歓喜の中、さらに昨日の準決勝に進んだ。

3日目まで残れるのは4チームしかない。優勝候補筆頭の川崎南、横須賀、大和、藤沢だ。
場所は変わって海老名のコカ・コーラ総合運動場だ。明らかにマリノスタウンのほうがピッチは素晴らしいのだが、スポンサーだから仕方がない。。。
「もしかしてコーラ飲み放題?!」なーんて期待もあったが甘かった。

我が藤沢選抜は準決勝第一試合だったが、とにかくめまいがするほど暑い日だった。日陰が全く無い。。。
建物のひさしのわずかな影から覗き込むように観戦してる人もいる。

「これじゃあ、『星明子』状態よねえ・・・目の幅涙が基本よね」S也ママが言うと

「そう・・・?私達は『家政婦は見た」なんだけど・・・」

ようは何かの影からこっそり覗き見るというポーズなのだ。微妙に年代が違う親もいる。。。
それでも試合が始まると完全なひなたで絶叫が始まった。相手は全国大会常連の横浜Fマリノス追浜プライマリーのメンバを多く擁する横須賀選抜だ。
先発組の甘辛のチームも後半組もびっくりするほど頑張った。終了間際もう少しで決勝点というところまで追い詰めたが、惜しくも0-0で終了。PK戦で負けちゃった。

でも3位決定戦では大和選抜相手に大量8点でなぎ倒し堂々の3位!みんなよくやったな。
とにかく熱い3日間だった。こちらもヘトヘトに疲れたが、2度は無い経験をさせてもらったぞ。
みなさんお疲れさまでした。来年は「栄光の足跡」に載るんだよね。

http://www.kanagawa-fa.gr.jp/

天文現象

2009-07-24 19:41:38 | 出来事
7月22日は日本中が空を見上げた。日本では46年ぶりの皆既日食があったからである。
すると私が生まれる少し前にこの現象があったことになる。
実はこのサイトをご覧になっている多くの人がそう思っていたらしく、当日の新宿のオフィスで顔を合わせると。。。

「あれれ?日食見に行ったんじゃないいんですかあ?」

と怪訝な顔をされた。
そう。「今年はこれまでやったことのないことにトライする」と言うマニュフェスト(別に約束してもしょうがないが。。。)を掲げ、1月にはこの日食があることをつきとめたのだ。
この一大イベントを発見したのは私だが、ツアーを調べてくれたのは全部妻だ。

トカラ列島という普段あまり聞かないところが本場だそうだが、観光地として開けていないので人数を制限する上に公民館やテントで無理やり過ごすそうだ。
料金は約40万円。。。息子甘辛も当然行きたがるから、二人で行ったら80万・・・
豪華客船で停泊し観測するツアーも20万円以上。。。
屋久島ツアーや上海ツアーもあったが、15、6万円する。

家族3人で行くと、通常の夏休み旅行の予算の3倍以上になってしまう。
そのうちに妻が小笠原丸という客船が小笠原諸島へ定期的に行く便を日食観測コースを通っていくツアーを見つけた。
値段は8万円。何とか3人でも行けそうだ。(来年の旅行はなしだな・・・)

でも抽選ということで、申し込み開始時間に早速電話をかけたが、そのとき250名中149番だったそうだ。3月まで受付けていたようだが、やはりはずれちゃった。
次々と満席になっていく高額のツアーを見ながら1ヶ月ほど悩み続けた。
息子甘辛は7月末に神奈川県選抜サッカー大会があるため行けないことが発覚。

単身で乗り込むこととなると、息子と違いここ一番で勝負弱い自分に自信がなくなる。
問題は天気だ。数十万も支払って悪天候のため何も見えないではシャレにならぬ。
私も相当な晴れ男なのだが、息子ほどミラクルでもない。それを心配して直前に思い悩むのも煩わしい。

部分日食なら中学のときちゃーんと見たからな。
ちょうどその時間だけ那覇に向かうフライトを利用し「雲の上から」という作戦も考えたし、妻は上海に一人で行ってきてもよいと言ってくれたがどうも気がすすまなくなってしまった。
結局長野五輪ジャンプ団体原田選手の一本目のように急速に失速し、休暇をとっての観察どころか日食サングラスさえ手に入れぬやる気のなさ。。。

天気が悪そうだと聞いて、残念なのとホッとしたのと正直半々だった。
22日は朝からすごい雨でとても無理だと思った。息子の選抜練習も早々に中止連絡がきたし。。。
客船で移動し列島で観測予定だったズームインの辛抱治郎さんは悪天候のため入港できず漂流中。。。

こりゃー無理だな。新宿のオフィスビルからどこに太陽があるかもわからないどんより天気を見上げて珍しく仕事に打ち込んだ。
ちょうと打ち合わせ中に携帯(ゼットンの声)がなり、息子からメールがきた。

「外にご注目!皆既日食だよ!今20%くらい」

あいつ、夢でも見てんのか?どう考えても何もみえんぞ。。。
しかし後からみたら、東京でもホーントに見えたらしい。何万人もの人が期待し望んだのだ。人間の思念パワーで一瞬晴らしたように思える。
NHKの硫黄島中継はきれいだったが、悪石島や辛抱治郎さんは残念ながらダメだったらしい。

しかし、レポートを見ていて驚いたのは皆既時間中はホントに真っ暗になったこと。
辛抱さんは「1%と0%の違い」と感動していたが、これだけでも十分な体験だと思う。
来年はイースター島だって?これまたハードル高そうだが、国内じゃないだけに割りきれるものがあるし・・・一応トライは考えておこう。

考えてみたら日本では46年ぶりというが、世界各地にしたら結構な回数起きてんじゃないか?
ハレー彗星は76年ごとでちょっとしか見られなかったが、天文ショーってそれだけ見たら●●年に1回という壮大なやつばかりな割りに、数にすると結構あるものだ。
意外と星空少年だった私は皆既月食は何度も観測したし、火星の大接近も観測したし、ヘールボップ彗星だって200mmレンズで撮影したぞ。
100年に1回のショーが年10回あれば、毎月何かしらに当たれるじゃん。。。

小学生時代にこずかいを貯めて買った10cm反射望遠鏡がまだ我が家にあるし、この辺って海辺では夜でも明るいから星空観測には向かないが、久し振りに出動してみるか。
ははは。実は望遠鏡で見て最も面白いのは文句なく月、次は土星のリングと木星の縞模様にガリレオ衛星、赤い火星に満ちかける金星くらいであまりパターンないのよね。
近いうちならお盆前の「ペルセウス座流星群」。

暗いところでシャッターを「バルブ」(今のデジイチにあるかは知らない)にして開けっぱなしにしておくときれいなカラー写真が撮れるはず。
55mmレンズくらいのカメラを天体望遠鏡の赤道儀にセットして、星を追尾すると20分程度で暗いところなら見事な天の川も写せる。
山の上とか空気のきれいな暗いところがよい。流星群も何個か入るから皆様お試しあれ。

水の神の霊力

2009-07-21 22:41:29 | スポーツ・健康
昨日、早朝から茅ヶ崎の浜降祭を見に行ったことはご紹介した。これはその後帰宅してから目いっぱい「海の日」しようとした話。
毎朝チェックする1173.com(湘南の今日の波)でも紹介したが、普段めったにないくらいのすごい波だった。
一般的に波のサイズは、人体の部位で言いあらわす。例えば、「今日は腰から胸くらいでいい波だったよ!」といった感じだ。もしくは、波の一番下(ボトム)から波が崩れる前の一番上の部分(トップ)でサイズを言いあらわすんだって。波のサイズを小さい順に並べると、

スネ:ほとんど波のない状態)
膝:ちょっと波がある。初心者はこのくらいからがオススメ
モモ:スクールなんかにも適していて、初心者向け
腰:一般の方もこのくらいあれば練習できる。初心者向け
腹:快調に練習できる。初心者も出来るが、気をつけて
胸:中・上級者ともに練習できる。初心者は沖に出ることができなくなる人が
肩:中・上級者の練習にいいサイズ。初心者はつらいかも
頭:文句なくサーフできる。初心者は厳しい
オーバーヘッド:台風などで、とてもうねりの強い状態。初心者は危険

――とあるサーフサイトより――

帰り際にいつもの歩道橋から鳥瞰したが、ほとんど「頭」サイズの波が次々にセットでやってくる。。。
写真の江ノ島は気温が上昇してガスってるのもあるが、波のしぶきが多くて薄ボケているようにも見える。
チャレンジ年数から言えば「初心者」ではないと思うが、私にとっては「腹」あたりがいいとこかなあ。ちょっと厳しいかも。。。
「人間の頭の高さ」なんて2m弱だからたいしたことないような気がするが、まるで2階から飲み込まれる高波のようだ。

頭の中で三原じゅん子が「サーフはやばいよ。ボディにしな!」と忠告する。。。
こういう使い方は変だと思うが、昔から私は「縁起物」にこだわる癖があり、節分の豆まき、子供の日の菖蒲湯、土用の丑のウナギのように、決まったことをやらないと気が済まない。
「海の日」は波乗りはもちろん、海の遊びをあらん限りやり尽くすことにしている。

息子甘辛をサッカーに送ると果敢にサーフボードを取り出した。ホームショアまでチャリを走らせて担いで行ってはみたが。。。
うーむ。近くで見るとすごい迫力だ。てっぺんから横に滑るだけで精一杯だろな。
沖のほうではさらにデカい波がドドドーっ崩れる。台風ではないから面は割りと安定しているが。一気に崩れるダンパー波にまともに巻き込まれたら無事では済まんぞ。。。

しばらく呆然と沖を見ていたが、年1回の「海の日」にこのまま引き返すにはどうにもプライドが許さない。
三原じゅん子は出てきたが、いつもの「老師」は今日は出てこないようだ。。。休みの日はほとんどぶつかるくらい波待ちで充満する海面がポツポツしか人が浮かんでいない。。。
さすがにビビッて皆入らないようだが、よーし。沖は無理だがあの真ん中まで行ってみよう。

上にある「波のサイズ」で言うと、胸~肩サイズが次々にやってくる。なるほど初心者は沖に出ることができなくなる、とは本当だ。
ダッパーンと大きなヤツが来ると転覆しないようにボードにしがみつくのが精一杯、せっかく苦労して漕いできたのにずずーっと戻されてしまう。
悪戦苦闘の末、ようやく少しだけ沖に出ることができた。上腕三頭筋がパンパンだ。

さらに沖から崩れた巨大なスープ(崩れた白波)がやってきて、仕方なく(これもビビりもんだったが)テイクオフし、波打ち際まで滑ってきた。
これはこれですんごい快感なんだけどな。一本くらいはかっこよく乗りたいもんだ。
東に向かってかなり強い海流があり、どんどん流されるので一本乗るごとに岸を西へ歩いてもとの場所へ戻る。

周りにほとんど人はないない。。。岸から見ている人が圧倒的に多い。そのうちに「これだ!」と思うキレイな波がやってきた。
いいタイミングで立ち上がれたが、そのまま正面を向いてしまったので、一気に崩れたときの真上にいてしまい、立っているのがやっとだった。
しばらくして、かなりデカい波がやってきた。やり過ごすにはタイミングが悪いので果敢にパドリングを始めると、立ちあがると同時にものすごい勢いで崩れた。。。「やっべえ!」

ボードは一旦海面に飛び上がり、もみくちゃになっている私のすぐ横にまっすぐ降ってきた。白い泡にまみれて上下もわからなくなっていたが、ズボっとボードが波面に刺さったのはよくわかった。
「あぶねえ、あぶねえ。。。」直撃したら今度はアザでは済まないかもしれんかった。。。よーく怪我しなかったな。水の神の霊力か・・・

もうちょっとだけ波のゆるいところに移動した。さっきはありがたくも水の神が守ってくださったようだが、そう何度もご加護があるとは限らない。
そこはさっきのとこよりも横の流れが強く、どんどん江の島方面に流されて行く。
何度も小さい波で岸まで滑り、岸辺を歩いて元の場所に戻った。

そして何度か繰り返しているうちに、「こっこれか!」といううねりが接近してきた。よく見るとは波面に「磯辺太郎専用」と書いてある。。。
よーし。波動エンジン始動!出力パワーアップ!ボードが前に滑り出した一瞬のチャンスに。。。「離陸!」
立ち上がった瞬間、左横のトップ(波の最高点)がブレイクし始めた。

ぬうぉぉぉーこりゃーすげえっ!チューブとはいかないが、滑る直後から波が崩れていくのが音も含めて全身で感じられた。キャッふぉー
生涯初のビッグサーフだよ。スプライト500のコマーシャルに使えるんじゃないか?誰かビデオ撮ってねえかなあ。。。
この瞬間だけ(たぶん誰もみてないけど)、このまわりの海はオレのもんだぜ!

その後、ずーっと同じところに浮かんでいたが、二度とそんな快挙は起こらなかった。。。

昼に息子甘辛を迎えに行って、家族で昼飯食ってひと休みし、今度は三原じゅん子のアドバイス通り海水浴場までボディボードを担いでいった。
甘辛はサッカーでヘトヘトのようで借りてきた本を読みたい(別途投稿予定)というので置いてきた。

ボディボード片手にフィンをつけて、家族ずれやカップル、グループで賑わうビーチから沖に向かう。
ここは先ほどのポイントよりははるかに江の島よりだが、サーフィン禁止でボディボーダーのみが漂っている。
こちらもすごい波で、遊泳禁止にはなっていないが、波打ち際以外にはほとんどの海水浴客は海に入っていない。

「海の日」にちなんで目の保養も兼ねて単身訪れたビーチだが、ボディボードはサーフィンよりも悪戦苦闘することとなった。
ボディボードはサーフボードよりもブレイクした波の影響をもろに受けてしまうの、「沖に行けない」のだ。
上腕を使うパドルばかりに慣れてしまったのだろうか、フィンによる推進がイマイチで前に進めない。なるほど海に人がいないのがよくわかった。

今度は足がパンパンになるまで進んで、何度かものすごい波に乗ってこれまた快感だったが、乗れる位置まで繰り返し進むのにエネルギーを使い果たし、ものの一時間で脱落。。。
「今日はこれくらいにしといてやろう。。。」と上がりかけたところに、「磯辺!磯辺だろ?」と声をかけてきたガラの悪いヤツがいた。

サングラスをしていたので誰だか分からず、怪訝な顔をしていたら「オレだよ。●川だよ!久しぶりだなあ」とグラスを外してニッコリ笑った。
高校の同級生で野球部にいた●川だった。この前の大同窓会に来てたかな。かなり顔が太ってきたように見受けられたが。

「2時間前くらいに来て子供を遊ばせてんだよ。お前何してんの?」

「このとおりよ。ボディボードやりに来たんだけど、波がすごくて沖になかなか出られないんだよ。午前中ずーっとサーフィンやってたんで疲れて帰るところだ」

「ふーん。お前んち、この近くなんだっけ?一人で来てんの?」

「すーぐそこだから、いちいち家族は付いてこないよ。一緒に来るときもあるけど」

「おーい、ノリコーッ!ほら磯辺太郎だよ。高校んときのさ。サーファだって!」

向こうで折りたたみチェアに座り本を読んでいた女性はサングラスをとってニッコリ笑い、手を振った。
こいつら、同級生結婚したんだっけ?そもそもあの女性は誰だか全然わからんが。。。

「サーファか。。。」そうだ思い出したよ。そいつは野球部でオレはサッカー部、高校のときはサーフィンなんかやってるヤツとバンドやってるヤツは「不良」と思われてたんだよな。

実は今でも「サーファ」と言われると実はすごい抵抗があるのだ。自分ではそうは思っていないのだ。でも彼は別に変な顔はしておらず、感心していたようなので、まあいいや。
午前中のスプライト500にも出せた華麗なライディングはぜひ見せてやりたかった。。。そんなことを思い浮かべながらサビサビのチャリでビーチを後にした。

水の神様(今回は老師ではない)素敵な「海の日」をありがとう。

浜降祭

2009-07-20 14:38:16 | 出来事
     祝!海の日!波ありますよー!

     広い範囲でムネ~カタ、場所によっては頭!

     クリーンなコンディションではないけど、

     ぜいたくは言っちゃいけません。

     波のあるうちにやっちゃいましょう。

     風はほぼ無風。

         本日浜降祭のた西浜は更新してません。

私が毎朝チェックする「湘南の今日の波」というサイトの今日のトップページだ。http://www.1173.co.jp/
今日は7月20日、「海の日」だ。できたのは最近のような気がするが、浜降祭は毎年この日だったと思う。

故郷、茅ケ崎にはTV局も来るような大きな祭りが二つある。一つは大岡祭で文字通り大岡越前守を祭るものだ。連休の5月3日に行われ駅周辺で色々な催しやパレードなどが開かれる。
私は小学生のころ野球の少年団員でパレードには参加していたから、よく知っている。
茅ケ崎市長が大岡越前に扮して馬上で市内を練り歩くのだ。
パレード終了後、グループで帰宅途中、鉄道の歩道橋の螺旋階段でふざけていたら転げ落ち、眉間に「天下御免の向う傷」をこしらえたのは5年生のときだ。

一方、浜降祭は早朝の海岸がメインだからイマいちマイナーな雰囲気があり、40年以上この地方に住んでいてズバリ見たことは一度もない。。。
子供の頃、夏休みに入る直前(たぶん祭の前日)、「子供神輿」というのが町内で行われる。
なんと終点まで担ぐかまたはついて行くと、ご褒美のお菓子取り放題
これだけは必ず行った。欲張って別地区の神輿にもついて行ってしまい、どこにいるのかわからなくなっちゃったことがあって、普通免許を持っていない父親がチャリで迎えにきてくれるまで広場で爆泣きしていたことがある。。。

その程度の記憶しかない浜降祭だが、実は壮大な祭りであることを最近知った。
浜降祭は、茅ヶ崎市・寒川町の各神社から、大小あわせて40基近くの神輿が茅ヶ崎海岸に集まり執り行われる、複数の神社の連合神事だそうだ。
夜も明けやらぬ頃からそれぞれの神社から神輿が発興し、勇ましい掛け声と共に街を練り歩き茅ヶ崎港西浜を目指す。
最も有名なのは集結した神輿が砂浜を乱舞し、”禊ぎ(みそぎ)”と呼ばれる神事を行うため海に入るその迫力なんだって。

早朝にも関わらず毎年数万人の見物客でにぎわい、茅ヶ崎に夏の到来を告げる一大イベントだ。
そんなすげえ祭りだったのか。。。昨日、実家の母親に美生柑と韮崎の桃を持って食事に行った時、父親は何度か見に行ってきたと言っていた。
よーし。4時半に起きて薄暗いうちから、134号海岸通りをポインター号で西に向かった。

海岸の一角とその周辺の道路だけなのだが、すごい人だ!まだ電車は動いてないぞ。
一番神輿はもう到着してしまっていた。あわてて会場へ走ると数十本ののぼりがたち、数基の神輿が次々と浜辺へ向かう。
それぞれののぼりの元に神輿を安置するようだ。

冒頭「湘南の今日の波」にあったように今朝は珍しくすごい波だった。
波の状況によっては、入水しないときもあるとHPに書いてあったが、やはり今日は波打ち際まででカーブしているようだ。
すごいダンパー(横にブレイクしていかず、ザブーン!と一気に崩れる波)だったからな。

こういう祭のときだけどこからともなく涌いて来る真田十勇士の三好清海入道みたいなハゲおやじや、「いつもはどんな仕事してんの?」と聞きたくなるような飛んじゃってるパッキンのアニいや彼とお似合のおネエが山ほどいる。
そのうちの一人のおネエに

「ねえねえ、今日は海に入んないの?入場のときに入るって聞いたんだけど。。。」

「いつもは腰くらいまでは入るんだけどね。今日は波が荒れてるし、ここの海岸急に深くなってるから入らないンだってさ」

白装束で粋な祭のスタイルをしているが「そのまま入ったら透けちゃうんじゃないの?」と余計なことを考えながら次々に通り過ぎる神輿を眺めていた。
そのうちの一基がまっすぐ海岸に向かっていく。「八王寺神社」というのぼりが見えた。
懐かしいなあ。父親は実家から自転車で通勤していたのだが、その途上に八王子神社はあり、毎日何やら御参りしていたらしい。

朝陽が昇ってきて、神輿のキラキラ光る。向こう側(西側)には少し霞んでいるが、頭に一すじだけ白髪のような雪を残す富士山が。。。
絶好の光景だ。角度的にはこちらが結構海に浸からなければならないな。
神輿の後を追いかけて膝まで水に浸かりシャッターチャンスを狙っていたらお決まりように巨大なダンパー波がダッパーン

やられた。。。短パンまでびしょびしょの被害にあった。
これを見た神輿は波打ち際ですこーしだけ水につかって安置場所に向かっていった。
まだ朝の5時半前なのに、すごい人だ。浜辺にあるそれぞれののぼりの下に何十基もの神輿がずらりと並んでいるのは壮観な眺めだった。

そして中央はご存知我が家のメインテンプル、相模国一ノ宮の寒川神社だ。
今年は水の力、水の霊力でよろしくお願いしますよ。
浜降祭特製の扇子(これは外していない)を購入して会場をあとにした。

少し先の路上に停めてあったバイクを動かし、車線規制がされている海岸道路に侵入しようとしたとき。
「うわっやべえ!朝寝ぼけててヘルメット忘れてきちゃった。。。」
どうしよう。沿道には見物客に警察官が大勢いるぞ。

「水の神よ。どうか我を守り給へ」両足をピンと伸ばして時々地面を蹴り、トロトロといかにも「ちょっと移動するだけっすから」という顔をして走り抜けた。
県警の交通機動隊分署を横切ったときはさすがに肝を冷した。こんな大胆なことするにはもちろん、捕まったときのいい訳は考えてあったのさ。

「いやあ、神様の前でヘルメットは不遜と考えまして。。。」


昨晩、息子甘辛に「朝早ーく茅ヶ崎の浜降祭見に行かねえか?」と聞いたら、「オレはいいや。眠いからパス!」
そうなんだよな。私もまさしくそうだった。しかし、実は自分はかなり誇れるところに住んでるっていうのが、大人になって一旦この地を離れるとわかるのだよ。
キミもいずれ間違いなく自分から浜降祭を見に行くことだろう。

学ぶということⅡ

2009-07-18 15:22:37 | 出来事
さあ、今日から夏休みだ!っとその前にたまには真面目な話を少し。。。
1学期が終わり、子供達はめいめい通信簿を渡されて帰ってきた。
今日は早速市内選抜の練習試合があったのだが、親達が子供の通信簿について盛上っている。

このあたりじゃNO.1キーパーのT河クンは先生にもらった通信簿を開けたとたん
「えええっ!?」とオーバーアクション。
「お前。。。ええって言うほどのもんじゃないだろ」と先生にたしなめられたらしい。
同じくこの辺じゃNO.1ディフェンスのS也クンちは8/31まで通信簿は開けないらしい。
「だって、夏休みが楽しくなくなっちゃうじゃーん」このママも「太か人」だ。。。

私は子供の通信簿の結果には意外と興味がわかないが、息子のヤツで一つ面白いのがあった。
「生活時間の有効な使い方を工夫する」が×になっている。。。
どぎゃーっはっはっは。そうなんだよ!キミは何をやっても遅いんだよ。もっとキリキリ動かなきゃ。。。

しかし待てよ。。。「有効な使い方を工夫する」って、何すりゃいいんだ?iPodを聞きながら漢字の書き取り?
「家庭」という教科だからストップウォッチでも持って、家事みたいなことを短時間にいっぱい消化するってことか?これじゃまるで「人生皿回し」に過ぎぬ。。。
朝ごはんをものの5分で平らげる私は30分もかかる息子にいつも文句を言っているが、朝ご飯食う時間って無駄じゃないよな。

有効かどうかは結構人それぞれだからな。風呂入りながらマンガ読んでたって貴重な知識は得られるぞ。
よくよく考えると結構いい加減なことを子供に言ってるような気がしてきた。

さて、先日の授業参観は「算数」で、「もし万が一自分が先生に指されたら、どんな『気の利いたこと』を答えようか」そればかり考えていた私だが、一つだけ真面目に見ようと思っていたことがあった。
新しいことを学ぶにあたって「楽しそうにしているか」どうかである。
ここに最近の私のモノの考え方に大きく影響を与えた神戸女学院大学教授の内田樹という人が登場する。

それは知人が紹介してくれた会社の機関誌の巻末の記事だった。実はその機関誌「トップ登場」というダサい特集に私の上司が出ていたのだが、私はそんな記事には目もくれず内田樹さんの記事で目の覚める思いがした。
およそ我が社の事業とは縁の遠い「教育」に関する記事だ。

今、日本の子供の学力が下がっているのは『教育の現場』が市場原理に侵食されているからだという。。。
つまり「こんな勉強して一体何の役に立つの?」という子供が増えているってことだ。
それに対し「一生懸命勉強すれば、より高い水準の学歴が得られ、その結果社会で収入他高い水準の利益を手にすることができるという「にんじん」を目の前にぶら下げられ、本来は黙っていても喜んで学ぶはずなのに「耐えている」と彼は言う。

面白くもない授業をいやいや受ける「苦痛」の報酬として「将来」を買い取る。まさしくこれが市場原理だが、そこにこれまで想像もしなかった現象が起こるそうだ。
「良い物を少しでも安く」というのが発想の原点だから、役に立つかどうかわからないものには手を出さない、少しでも少ない苦痛で効率的に最大の結果を得るためには、全体のレベルが下がったほうがよい、という結論に子供達が達してしまったというのだ。

なーるほどね。私は思わず膝を打った。
そしてこの人は「『こんな勉強をやることに何の意味があるのか』という問いそのものが市場原理に侵された思考なのである。いいから黙って勉強しなさい」と言いだす。
これだけではただのゴリ押しのようだが、「人間は『理解しがたいこと』を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になる」と言われると教育者って子供の知的パフォーマンスを最大化するのが仕事よね、と確かに思う。

早速読んだ内田樹著の「下流思考」にはこのような「学ぶこと」の意義と、類似した「働くこと」の意義が怪傑ズバット揚げられている。
私もボストンのビジネスサマースクールに行ったことがあるから、ビジネスライクな発想にとり憑かれていた。
「金持ち父さん貧乏父さん」シリーズを読み漁り、「いかにビジネスで成功して金持ちになるか」は学校では教えてくれない、学校の勉強の大半は社会では一部を除いてあまり意味をなさないと思い込んでいた。
「キャッシュフロー101」という専門のゲームを買い込み、ひたすら新しいビジネスアイディア出しに明け暮れていたのもHBSに行ってきた直後だ。

しかし、正直どこかに違和感があった。。。うまく言えないがどうも違うんじゃないかという気がしてきた。
もし世の中がホントにそういう構造なのだったら、大学など行かずに全員ビジネススクールに行けばよい。MBAなんか通信教育でも取れる時代だ。
できるできない、役に立つ立たないは別としても、子供(いや人間?)って本能的に学ぶことが好きなんじゃないかと思う。

私はこの前の参観のように「何かしながら」学ぶ学校の勉強は好きだった。
確かに中高と進むにつれ、目的が生々しくなって面白くなくなってはきたが。。。
社会人になってからは勉強を懐かしみ、「金を出しても何か学びたい」と思うようになる。
目的が生々しくないとなおさら「学ぶこと」は楽しい。
内田樹著「下流思考」はここ数年、何かもやもやしていた霞みをパーッと晴らしてくれた私にとっての名著だ。

さて、話をうーんと元に戻す。参観で見た息子ら子供達は少なくとも楽しそうではあった。
濃度の算出に使った砂糖水を隣りのグループのまで飲んじゃうくらいだから無邪気に勉強しているようだ。
甘辛の通信簿で「考えや気持ちを文章に表す」というのが×になっていて妻が気にしていたが。。。

まーったく心配なし!達人は考えや気持ちは「顔」で表すものだが。。。
深すぎて何を言ってるかわからなくなっちゃった。今日のレクチャーはここまで。

富士急大好き

2009-07-15 21:37:20 | 旅行お出かけ
山梨からの帰り、中央高速は相模湖まで25kmの渋滞だった。昔はこんなに混んでなかったのだが、高速1000円の影響なのだろうか?
ナビもETCもない我が家のMOVEは先導車からの連絡通りついていくだけだ。
途中、大月JCTで河口湖方面に進み富士五湖有料道路経由で東名に向かうようだ。

途中、右側には雪が少しだけ残る見事な富士山と、かなり遠くからだが富士急ハイランドの巨大コースターがシルエットで見えてきた。
助手席にいる妻に遥か遠くを指さして

「あの、『ええかげんにせい』ってヤツだけは乗れねえよなあ」以前、行ったときのことを思い出してつぶやくと、

「ええじゃないか」じゃないの?妻はくっくっと堪え笑いしだした。そうか。別に女房笑わす気はなかったんだけど。。。
帰宅するとチームメイトとOコーチ号に乗っていて別行動だった息子甘辛が、

「途中、富士急ハイランドの横、通ったんだぜ。やっぱあそこのコースター半端じゃなかったよ。もう一度行きてえなあ」

オレ達も同じコースを帰ってきたんだよ。この前行ったのはいつだっけ?
豊島園にはよく訪れ、季節外れのコスプレ大会によくぶつかったものだが、富士急ハイランドはこれまで2,3回しか行ったことがなく、その超兵器めいた絶叫モノには憧れていた。
確か数年前の少し寒い季節だったと思う。一応、息子はどの乗り物にも乗れる身長になっていた。

富士急ハイランドって乗り物もすごいが、何が好きかってありえないような面白い看板が満載なのだ。
到着するまでにすでに公道では思わずニッコリするような標識が。。。

UFOで行くと2秒        ヘリで5分       
犬が行くと10時間       カタツムリは200日
車だと約30分(東富士五湖道路経由)

しょっぱなのエントランスにたしかあった看板が。。。
★「CAUTION」  FUJI-Qはクマの生息地です。クマはどこにでもいます。

見つけても絶対に
プロレスをしない。
タックルをしない。

クマと人間が素手で戦うシルエットに×が。

園内で燦然と輝いていて、半ば信じた看板が。。。
★「GEISHA」 史上初じんりきコースター(エッホ エッホ) 時速12kmの恐怖
2051年いよいよ登場!

名前のとおり芸者姿の女がコースターにのってるぞ。。。

これもホントに作られるんだと思った。。。

★新コースター 「TONOSAMA」 史上初 跳ねるコースター

先頭車両がオンブバッタだ!よーく見るとロゴが「富士Qローランド」になってるし。。。


★世界初 透明コースター (パッ) ドロンパ(えっ?何処に。)

これも「富士Qローランド」だぞ。「ぎゃーはっはっは!これ、おもしれえ!」言うまでもなく我が父子はこんな粋なセンスがだーい好きだ。
帰り道につこうとすると止めの一撃、電光掲示板が。。。

★高速渋滞229km? ふじやま温泉まで・・・徒歩5分 お帰りはお近くのふじやま温泉へ

ここまでくると感動だ!229kmも進むと宇都宮で餃子が食えるぜ。
その他にもちょっと捻った楽しい看板がたくさんある。豪快な絶叫コースターだけでなく、こんな人を楽しませるものがあふれる街って楽しいだろな。

さて、我々が数年前に訪れたときは、「ええじゃないか」が落成したばかりだったか、どの乗り物も恐ろしく長い行列ばかりだった。
何せ開園時間より少し後に着いたら「ええじゃないか」は2時間半待ち。。。「フジヤマ」も2時間待ち。。。
これまた新しくできたらしい「トンデミーナ」とかいうPIZZALA提供らしい円盤型座席に座って長いアームが振り子のように揺れるやつに並んだ。

こっこれは完全に選択ミス。。。スピードはOKでも高いところがダメな私は絶叫どころか、失神しかけその後2,3日は悪夢にうなされるようになる。
息子は興味ありそうだが、さすがに「ええじゃないか」や「フジヤマ」はそのド迫力にちょっと敬遠気味。。。
ドドンパに並んだ。

時速172kmまで2秒かからん。。。スタートというより「発射」だ。2,3秒で目の前が白ーくなり顔の肉が後ろに引っ張られて引き攣った。
こちらのほうは妻がダメだったらしく、「発射の後、魂だけ置いてかれちゃった。。。」しばらく白い顔をしていた。
大物を二つのって、家族は早ダウン気味。。。ツイてることに小雨で「トンデミーナ」は運転中止となった。

しばらく大人しくいくつかの乗りものに乗った後、観覧車に乗ることになった。私は観覧車はあまり好きでないのだ。
中には「スケルちゃん」と「スクムちゃん」なんていう気の利いた(私にとっては歓迎しない)透明ゴンドラもあった。
みなとみらいに比べればあまり大きくない観覧車だが、園内の荘大な絶叫マシンが一望できるぞ。それにしても風が強くなったな!昔、横浜ドリームランドにあった「史上唯一のゆれるゴンドラ」にも似てきたぞ。

うーむ。なんて恐ろしいのだ。ドドンパみたいに怖いけど一瞬で終わるわけではない。。。地獄への階段を一歩一歩登って行くようだ。
私は掴んだ手すりを最後まで放すことはできなかった。普段この手のものには強い息子もさすがに青い顔をしている。
最高地点近くに達したとき、左下から「ドドンパ」がうなりを上げて飛び出してきた。が、カーブを過ぎて垂直タワーにさしかかった瞬間

な、なーんと、最高地点少し前で車両が止まり、タワーを逆走して停止してしまった。観覧車から見てあわや事故か?!と思ったが

「お客様に申し上げます。当アトラクションは強風のため一時運転を見合せます。お乗り合わせのお客様は発信位置に戻りますので、そのままお待ちください」

ドドンパはそのままバック走行を始めた。。。もちろん、時速172kmではない徐行運転だ。

「あんなことされたらビビるぜ。壊れちゃったと思うだろ普通。。。」

息子は驚いていた。事故かと思って滝汗だったが、無事でよかった。考えてみれば、滅多に見られないシーンに遭遇したようだ。
何せ上昇・落下とも傾斜角度90度だし。。。
私は絶叫ものにそれほど強くはないが、歩きまわるだけでも楽しい富士急ハイランドは、もっとコンディションのよいときにやってきたいものだ。

最後に、帰り道にあるふじやま温泉の看板に書いてある効能は。。。

・・・浮気症・・・・・・・・・・・・並び疲れ・・・遅刻症 恋愛の悩み・・・・・・・・・寝ぐせ・・・・・・渋滞疲労・・・・・・絶叫疲れ
恋人の我が儘 ギャンブル癖 運動麻痺

フジQで流した汗は、ふじやま温泉で流そう!
写真が一枚しか載せられないので実に残念だ。気になる人はネット検索を・・・
温泉ではなく家の風呂で甘辛に聞いてみた。
 
「甘辛よ。やっぱ富士急はすげーな。何が一番怖かった?オレはトンデミーナ」

「オレは断トツで観覧車」

うーむ。あの風で揺れが半端じゃなかったからな。。。面白看板に加えられるぜ。

「強風の恐怖」

そして山梨へ

2009-07-13 12:26:45 | 旅行お出かけ
ヤンマがいるのに山梨県。。。(これはかなーりキツい)

3月末に山梨からやってきた強敵のところへ乗り込む日がやってきた。
ここでも以前紹介したが、息子甘辛の所属するサッカー少年団がずいぶん昔から交流のあるチームで、向こうが先にお出でになり、この時期はこちらからおじゃまする。
前回まではそれぞれ訪れた先の選手の家にホームステイしていたのだが、先方のチームが他の2チームと合併し、それぞれ交流戦を持っていて今回は一気に全部集まることになったため宿泊施設に泊まることになった。

3月に藤沢にやってきたときは経験のある父母から

「とにかく韮崎ではものすごい歓迎をしてくれるんだよ。今、ちゃんとやっとかないと後で取り返せないからね」

こちらも全力で歓待したつもりではあったが、やはり至れり尽くせりで恐縮しまくりだった。
初日、息子甘辛は県選抜の練習会とかち合っていたのだが、うちはベンチメンバーも少ないし、一度きりしかないから皆とともに4時起きで出発した。
韮崎はサッカーの盛んな街だ。まず会場に着いて度肝を抜かれたのは、スタンド付き全面天然芝のピッチが二面ある。。。
人口だけは何倍もいるのに、こんなすごいグランドうちの街にはひとつもない。

16チーム集まるサッカーフェスティバルだが、うちと韮崎と町田のチームがその中でも交流戦と位置付けている。
我が家に「風の10番」が泊まっていった韮崎のチームは、すばらしいことに県で準優勝し、関東大会出場を決めたそうだ。
選手達はメールや手紙のやりとりをしてきたが、やはり再会にはおおはしゃぎしていた。
お互いのチームの試合は必ず応援に花を咲かせていた。いい光景だ。。。

ただ若干辛かったのは、試合の合間にやることがないこと。
うちの少年団長は70歳を越える方で、今年で29回目になるこの交流戦に25回は来ているって話だ。

「Mちゃん、悪いねえ」

その団長は朝5時に出発したコーチの車の中で日の出からビールを飲んでいた。
談合坂SAで朝食休憩で集まった時は、赤い顔をしており、もう一人飲んでいた副団長は酔いつぶれて車内で寝ていたんだって。
子供達の試合はしっかり観戦していたが、終わるとビールを飲んじゃ昼寝していた。恐るべし

私はさすがにビールは飲まなかったが、朝早かったしときどきうつらうつらしていた。
ふと顔をあげると見事な鬼ヤンマがテントの周りを飛んでいる。

「あれ、鬼ヤンマ?銀ヤンマ?すごいよね。さっきからこの辺飛んでるのよ」

赤ちゃんを連れ、妻ともう一人とおしゃべりをしていた監督の奥さんは驚いていた。
私の目がきらーんと光ったのは言うまでもない。ヤンマの飛行軌道を目で追いながら、パターンに照準をセットした。
ときどき木の枝とかに止まったときに背後から忍び寄るが、手で捕まえるのはさすがに無理だ。

虫取り網でも難しい鬼ヤンマの飛行スピードだ。ただ低空を飛んでるから何とかなりそうだ。
そばにあった、選手の帽子を片手に神経を集中する。「神経を研ぎ澄まし、心の目で見るのじゃ。」老師の声が聞こえてきそうだ。
目にもとまらぬ速さでテントに侵入してきたところを、シュートボールを投げる軌道で

ひゅん!

「捕ったよ、この人。。。」

妻は思わずつぶやいた。「老師、ボクはやりました!」私も心の中でつぶやいた。
まあ、なんだな。オレはトンボ捕らせたら県選抜くらいは軽いからな(なんの選抜や!)
子供達に見せるためコンビニの袋に入れておいたら、可哀想に弱ってしまった。だから手に止まらせても逃げないのだ。(写真)
しばらくして元気が出てくると鬼ヤンマは、また猛スピードで飛び立っていった。

1日目は終わると、夜はバーベキューにすいか割り、花火大会だ。子供達は朝早かったことも忘れて大喜びだ。
大人はもちろん大宴会だ。3次会で撃沈するまで私は様々なことをやらかしたらしい。。。
聞いて回るのもカッコ悪いから、色々状況証拠を集めていったが、皆怒ってはいないらしいので安心した。

朝、昨日と同じテントで監督がニッコリ笑って「お酒は抜けましたか?」
監督の奥さんは「すごーい、爆弾発言あったもんね」
エースのパパ(父母会長)は「普段あまり騒がないOコーチが喜んで、しきりに甘辛パパの真似してノッてましたよ」

まあ、何でもいいや。

選手達は2日で6試合、最後にファイナルマッチを行ったときは両チームも応援団も笑いが絶えなかった。
お別れ会のときはやはりグッときた。。。
抱えきれないほどの桃と一生の思い出を持って、富士山を横目に家路に向かったのであった。

みなさん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。

塾というところ

2009-07-08 23:39:26 | 出来事
息子甘辛は6年生になってから「塾」に通うようになった。土日も含めてサッカーばかり、家ではゲームばかりで全く勉強しない(なんと勉強部屋もないが)ので、まずは勉強する習慣を作るため週イチで始めたんだって。
どこがよいのか全くわからなかったが、たまたま小さい頃から通っている駅の近くの英会話教室と同じフロアに聞いたことのある塾があったのでそこにしたようだ。

1学期も終わりに近づき、夏休みの学習計画も含めて面談を行うという。妻は何故かあまり気が進まないようだし、逆に私は学習塾というものにやけに惹かれたので会社帰りに寄ってみることにした。
私は「塾」というところに通ったことがない。「そんなの行かなくてもデキたからさ」と言いたいところだが、そうでもない。。。

小学5,6年という甘辛と同じくらいのときに、私のクラスは男女が仲がよく、しばしば放課後、公園に集まって遊んでいた。
私は隣の席に座ってた女子とも仲がよかったが、その子はある日の集合に「用事があって来れない」という。

「何だよ。これねえのかよ。。。」

と残念がる少年、太郎のノートの隅に彼女は小さい字で「塾」と書いた。。。
ふーん。当時でも高学年ともなれば半数くらいは塾通いがいたように思う。ただ、何となく「ガリ勉」のイメージがあって後ろめたいらしく、あまり大っぴらに言うヤツはいなかった。
「女子はみーんな勉強ができるものだ」と疑わずに思い込んでいた太郎は「そんなものか。大変だな」と全くの他人事だった。

その頃から小中学校の教育では昔のように試験の成績順位を校内に張り出すようなことは無くなっていた。
それが、とある日に算数のテストを先生がひとりひとりに返し、

「今回のテストは難しかったはずなんだ。でも珍しく、磯辺太郎が一人だけ100点。。。」

むろん、インチキはしていない。限りなくマグレなのは確かだが。隣の女子はニッコリ笑い、クラスの大半は驚き、後ろに座っていた背の大きな女子が・・・

「すっごーい!塾にも行かないでできるなんて。。。」

「そっ、そっか?」

その言葉が後の数年間、とりあえず実家から通える大学に入学するまで、私にとっての「呪縛」となる。。。
中学、高校と部活が忙しくて、帰りに勉強しにどこかへ行くなんて体力的にも無理があったのは確かだが、「やっぱ塾とか行かなきゃ駄目かなあ」なんて思うときにあの「呪縛」が邪魔をする。
あのときの女子の羨望の眼差しとスターになった気分がよみがえり、「塾」へ行ったら自分に負けるような気がしたのだ。プライドみたいなものか。。。

中学になると「家庭教師」なるものがつく生徒もおり、もはや大半が塾通いとなっていた。
部活の帰りに悪友が、通っている塾の話をしだすと、そこに気になっていた女子の名が出てきた。
「そうか!クラスが違っても塾なら同じ教室になれるじゃんか。。。」いかにも思春期らしい邪な動機で「塾行きてえなあ」と思ったものだが、やはり呪縛を解くことはできなかった。

話を戻すが、そんな憧れもあった「学習塾」だから息子の話よりも一般的な話に興味があったのだ。
生まれつきの商人じゃないの?と思われる室長に手を取らんばかりに案内され、副室長と名乗るこれまた関西弁なまりの丁寧な人が出てきた。
以前、母子で話を聞きにきたときに、この地方出身の私の話題になったようで・・・

「塾にも行かず、勉強もせずにあの高校行ったんならお父さんは天才だよ!」

と「酒飲んで怪我ばかりしている」と私を評した息子をたしなめたらしい。。。
むふふ。。。そんなわけねえだろ!最後の夏休みに骨折しちゃってやること無かったから、頭ぁ破裂するほど勉強してジャンプ一番救命梯子に飛び付いたのさ!これぞ入ったもん勝ち。
副室長は県内の高校が内申点でマッピングされた表を取り出し、現在の進学システムを細々と説明し始めた。

そんな話は右から左で(ごめんなさい!)、どれどれ我が母校は。。。。うむ、結構健闘してんじゃんか。今年は名物の体育祭でも行ってみっか。
ただの県立校だし、海が近いと遊んじゃうしね。まあこんなもんだろ。ん?何の話されてんだっけ。。。
とりあえず、漢検、英検(あともう一つは忘れた)を持ってると内申ポイントというのをもらえるんだな。生徒会長とか部活で優勝したりしてもポイントだという。Jリーグのジュニアユースじゃダメかな。(そもそも無理か)

「このあたり(ランク)の高校の生徒だと、3年の夏休み前に間違いなく『MARCH』に行きたいって言うんですよ。この仕事結構やってんですが、100%というのが面白いですね」

何のことかさっぱりわからん。。。聞くとM(明治)、A(青山)、R(立教)、C(中央)、H(法政)なんだって。そんな受験用語を素人に言われたって・・・この人苦手かも。。。

一応息子の勉強態度はちゃんと聞いておいた。そこそこ真面目にやってるようだ。
「遅刻が多い」、(間違ったと納得するまで)「自説を曲げない」、「暗算を適当にやっている」・・・
ぎゃーはっはっは!間違いなくオレだよ!大事なのはツキと集中だぜ。人生結果オーライ!

最後に夏休みの予定表みたいなものを出して何やら提案された。

「『チュージュ』お考えじゃなかったんですよね。週2回くらいで復習を中心にすれば算数は全然問題ないと思います」

チュージュ?何のことだ?そうか中学受験か。。。しかしそんな業界用語みたいなヤツ使う意味あんのか?妻が面談に気が進まなそうだったのがわかるような気がする。
A3判の予定表を見ながら、たしか「こことここは合宿」、ここは「選抜の練習」、「県内選抜大会」。。。アイツも結構忙しいんだな。
ん?8月4日の夕方は休みになってるぞ。。。

「あっはっは。江の島花火大会の日は先生が見物に行っちゃっていないからお休みですかあ?」と聞くと、副室長は怖い顔して

「そんなことでは休めません!藤沢駅が人であふれて危険なんですよ。講師も生徒も来れないときがあるんです」

どうも、失礼しました。。。
うーむ。花火大会自体は大したことないんだがな。ロケーション効果恐るべし。。。