マイケルジャクソン氏が突然亡くなった。土日はどこもその特集だったが、今更のようにスーパースターだったと思う。
我々の世代はまさしく、スターの座を欲しいままにした絶頂期で彼とともに青春を駆け抜けたと言ってもよい。
どこかの番組では「日本とアメリカが最も輝いていた時代」とウル銀へ大口預金したいような気の利いたコメントもあった。
妻は20数年前来日したときは横浜スタジアムのコンサートに行ったし、翌日はチケットが無かったので球場外に待機して本人を間近で見たそうだ。
私はというと。。。残念ながらあまり興味がなく、「スリラー」と言っても故ウガンダさんしか浮かばないありさまだ。たしかTDLのキャプテンEOにも出てきてたよな。
しかし、学生当時にはやはり熱狂的な輩も多くいて、エントリー制学内ソフトボール大会の際にラジカセを持ちこみ、自分がバッターボックスに入るときにテーマソングとして「ビート・イット」をかけるよう彼女に頼んだヤツがいた。
今この時代で当たり前のように流行っているトリッキーな動きをするダンス、プロモーションビデオなどすべては彼が先駆けであるという。。。
色々と物議もかもしだしたが、やはり時代を代表する才能あふれるスターだったのだろう。
「紙一重」というフレーズがよく使われる正真正銘の天才だった。
少し前、世界のコンクールで優勝した盲目のピアニストがあちこちのテレビに現れていた。
優勝したというニュースで流れた「ラフマニノフ」はテレビ番組を通じてすらその「迫力」が伝わってきた。
うーむ。。。当たり前だがモーツアルトだけがピアノ協奏曲ではないんだな。そろそろこの方面にも触角を伸ばさねば。
誰かに話したかもしれないが、人間「オギャーッ」と生まれた瞬間には米大統領でも金メダリストでもノーベル賞作家でもどんなものにもなれる可能性があると思っている。
これを「ビッグ・バン」と言うなら残念ながら次の瞬間からその可能性は次々に狭くなっていくのが普通だ。
成長することが「なれる可能性の芽を摘むプロセス」と言ってしまうと希望が薄れるだけだが、「可能性を研ぎ澄ますプロセス」と考えると当たってる気がする。
以前、紹介した就活マンガ「銀のアンカー」の主人公にこんなセリフがある。これには心を打たれ息子にも語ったことがある。
「人間は本気になればどんな職業にも就ける。
ミュージシャンになりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間楽器を弾き続けろ。
文学家になりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間文章を書き続けろ。
弁護士になりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間法律を勉強しろ。
本気になるとはそういうことだ」
マイケルジャクソン氏も辻井氏もその可能性を極限まで研ぎ澄ました結果なのだろう。自分の唯一無二さをどこまで高めることができるか。
死ぬときに「通信簿」というものがあるなら、この「研ぎ澄まし度」はひとつの科目にあるような気がする。
40過ぎた普通の会社員でも全くあきらめる必要はない。自分の「これだけはイケるぜ」というものを尖らせていけばよい。
むろん、オギャーと生まれて40年以上たっているから、無限だった可能性はかなり減っている、というより大方無くなっている。。。
しかし宇宙飛行士になる可能性も、ノーベル物理学賞をとる可能性もゼロではない。プロサーファになってオーストラリアの世界大会で優勝する可能性はたぶんゼロだな。
それにしても辻井さんのピアノはすごいらしい。地方で開催したコンサートチケットは完売、出てきた人たちは感涙に震えていた。
ラフマニノフのCDもすごい売れているようだ。皆の熱が冷めた後でいいから、一度はNHKホールで生演奏を聞きたいものだ。
ずっと前だが新橋の職場の同僚UとK柳女史がNHKホールの場所がわからなくて渋谷駅からのルートとか色々と調べていた。
何やらオーケストラのコンサートチケットを組合関係でもらったらしい。
「君らはNHKホールにも行ったことねえのか?都会の文化人としてはちょっと恥ずかしいぜ」
ちょっとため息をつく私に
「磯辺さんは何のコンサート行ったんですか?」
「堺正章とコロッケショー。。。」
K柳女史は突然うずくまった。どこに椅子から転げ落ちるほど笑う所があったのか・・・いまだに謎だ。
我々の世代はまさしく、スターの座を欲しいままにした絶頂期で彼とともに青春を駆け抜けたと言ってもよい。
どこかの番組では「日本とアメリカが最も輝いていた時代」とウル銀へ大口預金したいような気の利いたコメントもあった。
妻は20数年前来日したときは横浜スタジアムのコンサートに行ったし、翌日はチケットが無かったので球場外に待機して本人を間近で見たそうだ。
私はというと。。。残念ながらあまり興味がなく、「スリラー」と言っても故ウガンダさんしか浮かばないありさまだ。たしかTDLのキャプテンEOにも出てきてたよな。
しかし、学生当時にはやはり熱狂的な輩も多くいて、エントリー制学内ソフトボール大会の際にラジカセを持ちこみ、自分がバッターボックスに入るときにテーマソングとして「ビート・イット」をかけるよう彼女に頼んだヤツがいた。
今この時代で当たり前のように流行っているトリッキーな動きをするダンス、プロモーションビデオなどすべては彼が先駆けであるという。。。
色々と物議もかもしだしたが、やはり時代を代表する才能あふれるスターだったのだろう。
「紙一重」というフレーズがよく使われる正真正銘の天才だった。
少し前、世界のコンクールで優勝した盲目のピアニストがあちこちのテレビに現れていた。
優勝したというニュースで流れた「ラフマニノフ」はテレビ番組を通じてすらその「迫力」が伝わってきた。
うーむ。。。当たり前だがモーツアルトだけがピアノ協奏曲ではないんだな。そろそろこの方面にも触角を伸ばさねば。
誰かに話したかもしれないが、人間「オギャーッ」と生まれた瞬間には米大統領でも金メダリストでもノーベル賞作家でもどんなものにもなれる可能性があると思っている。
これを「ビッグ・バン」と言うなら残念ながら次の瞬間からその可能性は次々に狭くなっていくのが普通だ。
成長することが「なれる可能性の芽を摘むプロセス」と言ってしまうと希望が薄れるだけだが、「可能性を研ぎ澄ますプロセス」と考えると当たってる気がする。
以前、紹介した就活マンガ「銀のアンカー」の主人公にこんなセリフがある。これには心を打たれ息子にも語ったことがある。
「人間は本気になればどんな職業にも就ける。
ミュージシャンになりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間楽器を弾き続けろ。
文学家になりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間文章を書き続けろ。
弁護士になりたかったら365日一日も欠かさず1日20時間法律を勉強しろ。
本気になるとはそういうことだ」
マイケルジャクソン氏も辻井氏もその可能性を極限まで研ぎ澄ました結果なのだろう。自分の唯一無二さをどこまで高めることができるか。
死ぬときに「通信簿」というものがあるなら、この「研ぎ澄まし度」はひとつの科目にあるような気がする。
40過ぎた普通の会社員でも全くあきらめる必要はない。自分の「これだけはイケるぜ」というものを尖らせていけばよい。
むろん、オギャーと生まれて40年以上たっているから、無限だった可能性はかなり減っている、というより大方無くなっている。。。
しかし宇宙飛行士になる可能性も、ノーベル物理学賞をとる可能性もゼロではない。プロサーファになってオーストラリアの世界大会で優勝する可能性はたぶんゼロだな。
それにしても辻井さんのピアノはすごいらしい。地方で開催したコンサートチケットは完売、出てきた人たちは感涙に震えていた。
ラフマニノフのCDもすごい売れているようだ。皆の熱が冷めた後でいいから、一度はNHKホールで生演奏を聞きたいものだ。
ずっと前だが新橋の職場の同僚UとK柳女史がNHKホールの場所がわからなくて渋谷駅からのルートとか色々と調べていた。
何やらオーケストラのコンサートチケットを組合関係でもらったらしい。
「君らはNHKホールにも行ったことねえのか?都会の文化人としてはちょっと恥ずかしいぜ」
ちょっとため息をつく私に
「磯辺さんは何のコンサート行ったんですか?」
「堺正章とコロッケショー。。。」
K柳女史は突然うずくまった。どこに椅子から転げ落ちるほど笑う所があったのか・・・いまだに謎だ。