超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

辛苦多きマラソン大会

2017-01-29 17:23:21 | スポーツ・健康
前夜はアルコールを摂っていないこともあり、やたらに寝付きが悪かった。時間にすると長くてもたかが2時間弱走るだけなのだが、完全体でないために「何が起こるか分からない」という不安が付きまとっていたのである。「過ぎたるは」編で書いた通り、開脚ベターストレッチをやり過ぎて左足首を痛めたばかりであり、さらにこれを庇い上半身のバーベルエクササイズにばかり精を出した報いがまさかのテニス肘・・・試しに2,3kmに走ってみても平気だったが、2時間近くとなるとやはり心配である。正月明けに経験した階段を下りる時に走る痛みの類が再発したら、おそらく走り続けるのは無理だ。時間切れで回収バスで「ドナドナ」に子牛のように揺られて行くくらいなら、途中でコースアウトしてそのまま家に帰ったほうがマシだ。スタート時間は8時半、寝付きが悪かった割には5時には目覚めてしまい、家族がまだ熟睡している中、外は真っ暗な中をごそごそと起きだした。

いつものように血圧、体重を測定して異常ないのを確かめて記録する。起きたばかりなので、いきなりストレッチなどを行うと痛める恐れがあるから、ヨガの要領で呼吸を続け、クラスで行う「ほぐし」を思い出しながらゆったりと動いてみた。だんだん身体が温まってきたので、例のベター開脚ストレッチの基本メニューと3週目メニューだけを「軽く」こなしておいた。(我ながら全然懲りていない)「消化がいいし温まるからうどんでも作ろか?」前夜言ってくれた妻はぐうぐう寝ているので、いつもの通りの出撃メニューで行くことにした。炊きたてのご飯に納豆、卵、シラスに海苔そして野菜ジュースである。「粘り、スタミナ、ノリ、カルシウムにバランス」という意味である。前日は晴れていたがすごい強風で「この風の中を走るのは確実にめげるなー」と心配していたが、幸い穏やかな様子であり、天気予報では最高気温も結構高くなるようだった。

インナーの上に着るTシャツは昨年話題となった「ゴジラ」にちなみ、葛飾北斎の富嶽三十六景風浮世絵ゴジラである。実はいつか面白いコスプレで走ってみたいと思っているのだが、距離的には「走るだけで精一杯」という面もあり、中々実現できないでいる。我が家のすぐ近くの海岸道路がコースになっているのに息子も妻もめったなことでは見にすら来ない。毎回一緒に走る人がいるわけでもなく、沿道で力強く応援してくれるのはスポーツクラブでお知り合いになったMラさん一人である。今年はしんさんがエントリー漏れしたようで(もしかして確信犯かも)出場していないし、たまさんも腰痛が出て走れるかどうか微妙だと聞いた。「後で合流しようか」と言っているのは、もっぱら「走ること」を趣味の中心に置きはじめたらしい「マイク」のみである。自分のコンディションが万全でないこともあり、「なーんか今年は気分が盛り上がらんなー」と江ノ島に向けてチャリを漕ぎ出した。

        

宇宙戦艦ヤマトの発進シーンはどれも悲壮な決意を連想させる勇ましいものだが、結末によって二つに分かれることに気付いた。一番最初はご存知、大戦末期に沈没した現場から大地をかち割り土砂を振り払って浮上、次は海の中から空に向けてジャンプして発進、その次は小惑星の岩盤を砕いてアステロイドリングの中を出撃、そして「完結編」は海中ドックから長官に見送られて発進した。お分かりだろうか、「大地から発進すると帰ってくる」が「海の中から発進すると帰ってこないのである」海中から発進する際に向かう空は輝くような青空ではなく、何となく不吉な前途を暗示するような、どんよりした空である。私は何となく完結編の方の出撃シーンを思い浮かべながら自転車を走らせていた。それでも朝早くから準備に余念のないスタッフやボランティアの中高生などと挨拶を交わし「頑張ってくださーい」とか言われると段々と意識が高揚してアドレナリンが充填されてくるような気分になった。

今年で第7回を迎える湘南藤沢市民マラソン、数年前に公的資格試験と重なりやむなく息子甘辛に代理で走ってもらった時を除いてはすべて無事に完走している。ここ数年は「ただ走るだけではなく、何かテーマをもって」などという多少の余裕もできた。昨年の血圧レコーディング&減塩作戦の相乗効果、そしてオクトーバーランの経験により、「走ること」が楽々(楽に楽しく)になってきた私は当初、「いよいよタイムと意識してみるか」と数ヶ月前からトレーニングマシンで身体に走る速度を覚えこませていた。しかし前編で書いたとおり「やり過ぎ」の災厄のために「完走すら覚束ない」体たらくである。タイム改善は全く期待できないから、開き直って「ドナドナ回収バスのぎりぎり前をノロノロ走る」ことも考えたが、天気も良かったので前回の「沿道の応援を楽しむ」に対し、「とりあえず景色を楽しむ」というスタイルで行くことにした。

    

実は少し前に友人が某SNSサイトに海岸から撮った江ノ島や富士山、烏帽子岩や市のモニュメントなどの写真をどばーっと投稿した。コメントは「茅ヶ崎…いいよねえ」だったが、これがいい意味で「炎上」と言ってもよいくらいにすごい反響を呼んでいた。地元周辺に住む人ばかりだと思うが、あらためて故郷や今の土地への「思い入れ」が沸き立ったようなのである。(パシフィックホテルを語れる人とは仲良しになれると思う)私も小学校は忘れたが、中学校の教室から海や江ノ島は見えた記憶があり、それこそ何百何千回と見飽きた風景なのだが、あらためて皆が盛り上がると嬉しい気持ちにはなる。そこでこの機会以外には足を踏み込めない134号車道のマラソンコースからの風景を走りながら記録し記事に上げてみようかと考えた。コメントは「湘南…いいよねえ」。いつものようにスタート直前で「今年はゴジラで走ります」と投稿し、1万人以上いるランナーのほぼ最後方のゾーンで号砲を待った。

ストレッチし過ぎで故障・・・みたいなことも書いたから、「無理するな」というありがたいメッセージが多かったが、スタートしてからしばらくは快調そのもの、貝作(飲食店ね)の前にいつもいる「応援和太鼓」のおねえさんに手を振って弁天橋を軽快に走り渡った。江ノ島カメラのあるT字路の建物、境川を渡ってすぐの富士山、新江ノ島水族館、マイポイントである鵠沼スケートボードパーク(プールガーデン前)、そしていつもの波動偵察ポイント・・・日光が反射してどんな画像が撮れているか確認もできず、最後方のゾーンにいたからやたらに遅い人混みに埋もれ、かと言って撮影のために立ち止まると周囲に迷惑なので、とにかくシャッターを押して走るだけになってしまった。(後から見たら普段見る景色と比べ、何の変哲もないし、ぶっちゃけ出来栄えがダメダメだったので、「湘南…いいよね」作戦は中止にした。)

      

最初の折り返し地点を過ぎ、いつもスタッフでお手伝いしているKちゃんパパと笑顔でハイタッチしたまでは良かったが、その後何か身体が妙な具合に狂ってきたのを感じてきた。まず左足を着地するときに「ペッタン、ペッタン・・・」と変な音がするのである。靴の底だけ剥がれて地面とぶつかっているような異音である。俯いて様子を見ながら走っていると、スローで横から見ると着地時は踵、土踏まず、つま先の順番に設置していくのが普通だと思うのだが、足首が固いのかベターッと一気に着地してしまうためにペタペタ音がするようなのだ。いわゆる「ドタ足」というヤツか・・・?!足首に痛みがないのが幸いだが、柔軟性が落ちて左右着地時のバランスがおかしくなってきたらしい。さらにこれを直そうとしたのか、庇おうとしたのか、今度は右体側が凝ったとように痛くなってきた。よくある「片方のバランスが悪くなると庇おうとして他の部位に影響が出る」という現象のように思えた。そのうちに股関節にも違和感が入るようになり、身体を動かすために腕を大きく振っているうちに例のテニス肘まで出てきてしまった。

10km地点より先、2回目の折り返し点を越えてからはこれまで以上の試練に見舞われた。呼吸器系は全然平気なのに、身体のあちこちで警告アラームが上がってきたのである。宇宙戦艦ヤマトが敵の一斉攻撃を受けて次々に破損し、艦体至るところにレッドランプが点灯するようなものである。残り距離と疲労度合いから見れば、このままならほぼ完走はできる自信はあったが、何かの拍子に(ヤマトで言うところの)大破に当たる激痛が走るともうそれ以上走るのは無理だ。
「(何とかこのまま持ち堪えてくれ・・・May THE force be With ME!)」
普段なら残り3kmくらいでイケる限り速度アップするのだが、用心深くそーっと足を運びながらようやくゴールを通過した。身体の疲れよりも「何が起きるか分からない不安と焦燥」による疲れにぐったりだった。

  

はるか前に悠々とゴールしたマイクと合流しスーパー銭湯で汗を流して昼食会場に取ってもらったレッドロブスターに向かう。幸いたまさんも無事ゴールできたようで、ご夫婦とご一緒することができた。「とにかく今回のオレは最悪だったよ」
今回の苦戦の元凶となった(のは「やり過ぎ」だが)ストレッチと言えば、マイクのほぼ専門分野である。今回どんなことをやって、どうなってこの有様となったかをかいつまんで話すと皆は「あんたなら、いかにもありそうだ」みたいな顔をして笑っていたが、マイクは「イソちゃん、さすがにそりゃーまずいよ」次第に深刻な顔に変貌していった。まず、ストレッチというのは「痛い」ところまでやってはいけない、「歯を食いしばって」もいけない、続けて同じところばかりしてはいけない。私のやってきたことは「殺人で追われている者が『2人も3人も同じこと』と言っているようなもの」らしい。

骨と筋肉は一方向からだけ着いているわけではないから、ある部分を伸ばしたら同様に反対側も伸ばさなければならない。それだけでなく、稼動領域を全方位バランスよくほぐさないと変な風に固まってしまうことがある。「ベターッストレッチ」は基本開脚して正面に倒すスタイルで使うところのみを伸ばすものだから、バランスを保つには他の部位も同様に伸ばさなければ単に痛める原因となってしまいやすい。週替りメニューを重ねてしかも、暇さえあれば行っていた私は「罪の上塗り」を重ねてきたようなものだというのである。マイクは優しいから「磯ちゃんの性格から、気持ちは分かるんだけどさ」と苦笑いである。私はしょんぼりと「でもさ、1週間ですぐに肘までは床にベターっといったんだぜ。もう少しやればと思うだろ?」そこで横から妻が「あーっ、分かった!だからテニス肘に・・・」「なるわけねえだろ!!漫才やってんのか、オレたちはぁ・・・・!」

幸いなことに翌日以降、後遺症のようなものはなく、痛みもダメージもゴール直後に想定したよりも回復は早かった。しかし「ちょっとしたやり過ぎ」が油断すると身体中にレッドランプが点灯する事態に発展したのはよき経験だった。実はほぼ30日間続けてしまったので、ストレッチは何か「やらなければ気がすまない」症候群になり、毎日メニューだけは続けているが、妻に「あなた、やればやるほど痛がってたもん」と呆れられていた週替りメニューはとりあえず中断した。来月からは著書に忠実に、そしてマイクに教わった反対側ストレッチも入れて、「新30日コミットメント」としてリスタートするつもりである。この1週間、ひたすらヨガやピラティス、ペルビックストレッチなど調整系に徹している。不思議な話だがフルマラソン走り切ってもそうは驚かれないが、開脚してベターッとできると間違いなく「わーっ、すげえ!」という歓声が上がる。今年のテーマである「整」に通じるベターっ作戦は決して間違いではないから、マラソンで得た教訓を活かし方向習性しようと思う。(と言っているそばから、サウナで「しこ」を踏んでいる懲りない自分だった)

過ぎたるは及ばざるに劣れり

2017-01-25 23:30:52 | スポーツ・健康
「人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし・・・」で始まる日光の修学旅行で購入した「東照大権現御遺訓」の掛け軸には「及ばざるは、過たるよりまされり」という下りがある。「取り返しがつかないことの多い『やり過ぎ』よりは、今後補って全うさせることができる『やり足りぬ』方がよい」というところだろうか。まさしく己の性格に照らすと雷撃のように響く警鐘で、マリアナ海溝のように深みのあることばだった。「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道!『グリコがっちり買いまショウ』でも金額をオーバーすると即アウトである。(ちなみにオープニングは「男は度胸、女は勘定、お手手出しても足出すな・・・」だったと思う)私はまさしく自分のためのようなこの尊い神君の教えを忘れ、己の思うがままに「やり過ぎ」てしまったために、新年早々から「30日コミットメントを中断せざるを得ない」事態となってしまった。全くお恥ずかしい限りである。

「どんなに体がかたい人でもベターッと開脚できるようになるすごい方法」の車内広告を見て電撃的に閃き今年のテーマに弾みをつける「30日コミットメント」をスタッフ一同の前で宣言してしまったのが正月明け、私のストレッチトレーニングは日々、その積み重ねを増していった。そもそもこの目論見を思いついて、著書を購入したのがクリスマス直後、「新たな年を迎えるとともに」と言いながら、隠れて1週間助走していたのである。(ここでもう既に「過ぎて」いる)簡単に言うとこのプログラムは1回に数分で行うストレッチを4週間、毎週ごとに少しメニューを変えながら行うものだ。またどの週も通じて行う基本メニューが2つある。一つは寝転んだ状態でタオルを足首にかけ、足を真っ直ぐ伸ばしたまま揺する運動で太腿の裏側がよく伸びる。もう一つはいわゆる「しこ運動」で膝を曲げて両足を開き、両手で膝を後ろに押すように揺さぶるもので、さらに両肩を片方ずつ入れて股関節周りをほぐしていく。



週替りメニューの第1週目は「太腿ストレッチ」で片膝を立ててもう片方を真っ直ぐ伸ばし、尻をできるだけ落として揺するものだ。年末に「練習」として既に1週間、このストレッチを続けていた。実はこのスタイル、サッカー経験のせいで「尻の大きい」私にはいきなり、かなり過酷なストレッチだったのである。尻を落とさずに太腿を伸ばそうとすると、ものすごい負担が片膝を立てた側の足首に発生する。「キツければ踵を上げてもよい」ということになっているが、この私がそんなヌルいトレーニングを自分に許すはずがない。これまたボールを自在に蹴る習慣から足首は比較的柔らかいので、べったり地面につけ、相当な負荷を感じながらも歯を食いしばって本の通りのポーズで頑張っていた。後で判明するのだが実は「歯を食いしばる」というのはそもそも「やり過ぎ」だったのである。その副作用が正月あたりにちらちらと姿を現すことになる。



最初の1週間、このストレッチを朝晩きちんと続けると、あっという間に開脚して肘までは地面に着けるようになった。元々運動はするので「コの字」で止まってしまうほど絶望的に固くはないが、開脚すると手の平をついて少し傾斜するのがやっとだったのである。「なーんだ、この分なら楽勝だな。この分なら4週間のメニューを待たずにイケかもな」人に言わせると「その気になると徹底し過ぎる」私の最も悪い癖がむっくりと頭をもたげてきた。大晦日、紅白やダウンタウンの「絶対に・・・」を見ながら、また正月の爆笑ヒットパレードや箱根駅伝を見ながら、暇さえあればひたすらに1stWeekメニューである太腿ストレッチに精を出した。食っちゃ寝の繰り返しで飲みながらだが、「酒を飲んだ時は体が柔らかくなる」という実感もあるからである。しかし正月明け、出勤したときに気付いたのだが、どうも左足首に張り詰めたような違和感が生じていた。しかも階段を下りるときに体重をかけると強い痛みが走る。

「こりゃ、太腿ストレッチの災厄か?!」何となく無理をして片足首で支えていたのは分かっていたのですぐに思い当たった。「まずい!あと3週間ほどで今年の初レースがやってくるというのに故障で欠場じゃ洒落にならぬ」しかしこのトレーニングはまさに30日コミットメントそのもので、「毎日欠かさず」行うことが大事であるという。私は本に載っている解説通り2週目のメニューに移行した。基本のタオルストレッチ、しこストレッチに加え今度は寝転がって尻をピタリつけた壁に向かって両足をVの字に広げ揺する、というメニューである。我が家にはまるで「犬神家の一族」の1シーンのように足を開いて逆さになれる広い壁がなく、寝室のドアをまたがって行う羽目になった。そして1日も早く「ベターッ」を実現したい私はあろうことか、週替りメニューなのに1週目のメニューも続けて重ねてしまったのだった。後で判明するがこれも明らかに「やり過ぎ」で、故障に向けて一直線コースだったのである。



10マイル湘南藤沢市民マラソン1ヶ月前だったが、左足首に違和感と痛みを感じてからジョギング練習は控えていた。捻挫や炎症に悪化してしまうのを恐れたためである。その代わり、しばらくご無沙汰していたバーベルエクササイズに精を出していた。激しい動きやジャンプなどはなく、音楽に合わせてバーベルを上げ下げし、全身をくまなく筋力アップしていく1時間ほどのトレーニングである。スピリチュアルヒーリングの先生に「あなたはもはや筋力アップは不要」と言われたので久方ぶりのバーベルであった。スクワットや背筋など大きな筋肉は良かったが、腕周りなどの小筋群は久しく行わないとやはり細くなるのかキツく感じるものだ。しかしこれまた「以前できたことがサボっていたためにできなくなるのは許さない」という私の習性でこれまでと同じ荷重のバーベルで頑張っていた。(これが更なる災厄をもたらす)

成人式も終わり、正月気分もそろそろ一段落という頃、左肘の外側に原因不明の激痛が発するときがあった。曲げ伸ばししたり、何か持ち上げたりして力を入れると特定の箇所に強い痛みを感じるのである。最初は筋肉痛にも似ていたが、そのうちに故障による痛み感覚に進展してしまった。走るときは腕を曲げたまま振るのでそれほど気にならなかったが、何かの拍子に伸び切ったり特定の角度になると激痛が走ったりする。「うーむ。これはかなりやばいぞ・・・」原因は恐らくバーベルエクササイズのトライセプス(上腕三頭筋)エクステンションというメニューである。ステップ台に寝転がってバーベルを垂直に持ち上げ、肘から先だけを折り曲げておでこに近づける運動である。不思議なことにこの運動をしている最中には痛みはそれほど走らないが、筋肉痛はまさしくこれが原因のモノとは感覚的に分かった。それがいよいよ時間がたつにつれて疼痛のような痛みに化けてきたのである。マラソン前日になって念のため整形外科の門を叩くことにした。

「湘南○○病院?父ちゃんが骨折って入院してたとこか?」息子甘辛は15年以上前のどうでもよいことばかり覚えている・・・確かに近くにもっと大きい総合病院があるのだが、はるか以前に手術して頂いた御縁を感じ、今は病棟そのものが移転した病院に向かった。執刀した外科部長やその後主治医となった医師はもちろんもういない。ネットで調べるとちょうどよいことに今の整形外科担当が「手外科・肘関節外科、抹消神経」が専門分野だったのでやはり因縁を感じたものだ。診察室でいつからどこがどう痛いか、思い当たることも含めて説明し、少し触診いた後にレントゲン、再び診察室に入ると「磯辺さん、これはテニス肘です」とずばり診断された。「へ?テニスなんか昨年夏にビーチテニスしたくらいでしかもボク右利きなんですけど・・・」原因はよく分かっていないが、テニスをしなくても「テニス肘」にはなるらしいのである。症状はまさしく図解の通りだった。全くこの年になって、利き腕でもない方がテニス肘だと?!



しかし原因が分かればひとまず安心だ。医師に頼んで注射を打ってもらい、痛み止めの湿布を貼ってほぼ痛みは治まった。練習していないので焦りはあったが、心配された左足首の違和感もほぼ無くなってきた。ストレッチメニューは3週目が終了するところだったが、今更後にはひけず「背もたれに向かって椅子に座り卑猥に腰を前後する」という週間メニューをさらに1,2週メニューに加えて行っていた。こちらの方は年明けからほとんど改善が見られないが、とにかくコミットメントしたので休むこともない。やり過ぎてマラソン前にどこかを痛めないように「ま、走り終えたらガリガリやればいいよな」と軽めにコントロールしていた。しかし今省みるに、私が警鐘ととらえねばならない徳川家康公の教訓を軽んじた報いは10マイルのマラソンの中で厳しく現れてしまい、30日コミットメントは一時中断に追い込まれるのである。40年近く前の修学旅行でも、息子甘辛の時もお土産に購入してきた遺訓には浅からぬ奇縁があることに気付くべきだった。



東照大権現遺訓
人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
(やたらに負荷を大きくして、早道をしてはいけない。急ぐとろくなことにならない)

不自由を常と思へば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思ひ出すべし。
(今、すぐに開脚ができないのは当たり前である。これまで困ったこともない)

堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。
(結果がでるまでは、イライラせずに、地道に積み重ねるべし)

勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身に到る。
(ちょっと成功したからと言って調子にのると、ひどい目に合う)

おのれを責めて、人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり
(やり過ぎて怪我をするのは自分のせいである。何事もほどほどに・・・)


早咲く菜の花の楽園

2017-01-20 06:00:31 | 出来事
昨年は花の身頃について、遅きに失することが多かったので花暦的な備忘録を残しておいた。しかし当然だが年毎に気候が異なるので、例年の見頃から少し早めにチェックしておく必要がある。今は大寒波が襲ってきて冷蔵庫の中にいるような陽気だが、年末年始が「海に入れる」ほど暖かかったからか、何となく今年は冬の花について見頃が早まっているらしい。2月に訪れるつもりだった二宮吾妻山公園だが、昨年末から自慢の菜の花が咲き始め、「菜の花ウォッチング」というイベントが始まる1月上旬は既に見事に咲きまくっているようだ。私は訪れたことがないのだが、地元周辺の友人には人気が高く「子供の小さい頃よく遊びに行った」とか「毎年ウォッチングには必ず行く」という人が多い。年明け早々、早速見事に咲いた菜の花をアップしている友人もいて、「こりゃ、急がなきゃいかんわな」と作戦を練っていた。満開の時期になると駅前の小さな駐車場はすぐに満車となってしまい、ちょっと距離のある臨時駐車場を利用しなければならないようだ。

  

目の前に鮮やかな菜の花畑、その向こうに相模湾一望、正面に富士山という、葛飾北斎も涎をたらすような風景をぜひ母に見せてやりたいと思ったが、「花暦編」にも書いたように、ちょっとこの名所はハードルがあったのだ。案内図面を見ると展望台まで駅前の「役場口」からは距離コースで近いが階段にして300段以上上らなければならないし、反対側の「中里口」からだとゆるい登り坂だが20分以上歩き続けなければならないようだ。どちらも臨時駐車場から歩いて20分くらいあり、年寄りにはちょっと優しくない行程だ。念のため役場に「高齢者向けの往復シャトルサービスのようなものは無いのか?」聞いたところ、残念ながらそういうものはないという。とりあえず母はおいといて、私は偵察も兼ねて妻を誘って出かけることにした。我が家からは134号から西湘バイパス二宮IC経由で40分くらいだ。「臨時駐車場」というところは「ラディアン花の丘公園」隣の町営駐車場で「なーんだ、ここ普段なら無料駐車場じゃん・・・」という広場だった。

展望台までの二つのルートはどちらも徒歩45分くらいというところだったので、まずは散歩がてら「中里口」という駅とは反対側の入り口からゆるい坂を上ることにした。このあたりは落花生の製造が盛んらしくあちこちに老舗らしき販売店が見られる。入り口までの道のりは時々分かりにくい曲がり角があり、「菜の花ウォッチング」期間中は矢印看板があるが、何もイベントがないときは結構難しいかもしれない。上り坂に差し掛かっても普通の民家が道路沿いにはあり、自家用車で公園入り口手前まで上ることはできるが、むろん駐車できるスペースはなくUターンも結構キツそうだ。正月が暖かかったからか、もう既に梅の花が咲き始めている。裏山からのルートということもあり、途中にめぼしい景色もなく単なる山道を淡々と登るだけで、しかも時々結構キツい傾斜もある。「緩やかな登り坂と言っても、長興山のしだれ桜にあった坂の倍以上あるな。公園入り口まで車で来たとしても、これを上らすのは無理かもな」

  

我々はさっさと歩き上ってしまうので15分くらいで展望台に着いた。6万株と聞く菜の花は南側と西側の斜面に咲き誇っていた。なるほどこれは素晴らしい景色だ。あいにく低い雲が空を覆い始めて、なおかつ富士山も下の方に広がる雪しか見えない状態だったが「展望台まで上る疲れが吹っとぶ」というのが実によく分かる。風景のカメラマンらしき人は「雲がとれる」のを待ち望んでいるのか富士山にレンズを向けたまま談笑している。相模湾西部は真鶴半島や伊豆半島までも眺められ、一面の菜の花と西湘の街並み、その向こうの山々も一辺に被写体に入れることができる。薄黒く覆い始めてしまった雲の下に大地との間にわずかに青い空が広がりそれが太陽光に反射して光って見える不思議な光景だった。菜の花斜面の真下には腰掛けられる石段が伸びていてレジャーシートを敷いて弁当を出している家族もあった。「ビールとつまみがあったら良かったな」「でも海と富士山だけなら歩いて数分のところにあるからねえ・・・」

      

広々とした広場は若干うねうねと傾斜があり、ボール遊びなどは禁止だそうだ。菜の花とは反対側の広がった斜面には芝の刈り込みがあり、よく見るとネコの絵とあまり似ていない「ドラえもん」だった。そしてスロープを降りていくとかなり大きな長いローラー滑り台が見えてきた。かなり下の方までうねり曲がっていて、スピードも出そうだったので滑ってみることにした。さすがに菜の花に埋もれてピースサインするには抵抗があったから私は後ろから続く妻にし「これで後ろから撮って」と超兵器203号を渡したのだった。気の毒に先に「滑りたい」と言い出したのは妻なのに、「滑りながら撮影」をリクエストしたために、やけに苦戦させてしまった。最初こそローラーの様子見でそろそろ滑り降りていたが、そのうちにノロさにまだるっこしくなり、背中のリュックを抱え直して、ウォータースライダーでスピードアップする要領で身体を一直線に反り伸ばし、かかとと背中だけを接点に一気に加速した。ちょっと加速し過ぎて途中の急カーブで何度かコースアウト(つまり転落)しそうになりながら。。。

          

        

帰りのルートは駅前の役場口に向かって階段を下りることになるが、石段になるまでに結構険しい山道のような不規則な段差の坂が続く。相模湾を見ながらのウォークは中々気持ちよいものだった。駐車場からはさくさく歩いて30分、展望台で30分、降りるのはあっという間で20分もかからない。それほど運動にはならず、あの素晴らしい景色を楽しめて我々には満足だったが、残念ながら二つのルートどちらとも高齢の母にはちょっと無理なような気がした。後にそのことを母に話すと、実はそんなに昔ではない以前、一度グループで訪れたことがあるという。満開の菜の花、霊峰富士、輝く相模湾の三冠を達成する素晴らしき日だったようだが、弁当を食べている時にしきりにとんびに襲われて難儀した印象が強いらしく、最初の私がこの話をしだした時に「あー、あのとんびの公園ね」と、気の抜けたような返事に何やら拍子抜けしてしまった。。。

      

母をこの公園に連れ出すことはないかもしれないが、菜の花シーズンだけでなくソメイヨシノや芝桜、ツツジ、アジサイなど多くの季節を楽しめそうな、今年の花見初めとしてはかなりの高ランキングの花の名所だった。ここしばらく大寒波による影響で我が街周辺もかなり冷え込んでおり、山間部では雪も積もりつつあるという。タイミングの悪いことに例の「○木坂」の握手会にいそいそと京都に追いかけて行った息子甘辛は思わぬ大雪に遭遇し、屋外で順番待ちに何時間も並ぶ羽目になったらしい。何やら松○修三さんが国外に出て行く(今はメルボルンらしい)と日本には大寒波がやってくるという記事を見た。いかにも都市伝説だが、昨年も聞いたことがあるし何となく納得できる。こんなピンポイント異常気象を除けば今年はどうやら暖冬で、花が咲く時期が例年よりも早いらしい。次は恐らく小田原や別所の梅林、そして松田山ハーブガーデンの早咲き桜と続く。今年は抜かりなく「ここのこれが今、見頃」というアンテナを張って早めに仕掛けていこうと思う。


戦争を生きた少女の物語

2017-01-15 14:45:24 | 職場
この記事はいくつかの映画のネタバレになる可能性がありますのでご注意ください。

新年早々、今年のランキングではかなりの上位に入るであろう上映作品を見た。クラウドファンディングという資金調達で上映館を増やしたという、「太平洋戦争時、呉に嫁に行った一人の少女」を描く映画である。他の人気映画のように始めから多数のシアターで上映されたものではなく、「もっと多くの人に見てほしい」という声がプロジェクトとなって日本中に広まった結果らしいのである。さらに今、この作品を世界各国で上映すべく、さらにプロジェクトが進行しているようである。最寄駅の最新シネコン施設で「夫婦で行くと格安になる」という条件をクリアしたので、ここのところ妻とよく映画を観に出かける。共通の著書をあまり持たない妻とは映画を見てその後色々と語り、数少ない趣味化していくのもありだと思う。最近では私のリクエストで(原作を読んであらすじは知っていたが)「海賊とよばれた男」だが、この映画は妻の要望によるものだ。

昨年は年末の「海賊・・・」も含めいくつかの映画を観た。火星に置き去りにされる話、戦国時代へのタイムスリップもの、20年前に妻と見たSFの続きもの、ゴジラ、そして空前のヒットとなったアニメである。息子甘辛とも、本郷猛登場の仮面ライダー、昨年のテーマともなったウルトラマン、そして平成ライダーそろい踏みの話だ。どれも中々味わい深く、仮面ライダー1号のようにこのサイトで語るくらいはできるのだが、今回観た2017年初アニメ映画はある意味、ものすごく思うところを語るのが難しいものだ。戦争末期の一市民の生活や想いを描くものだが、素直においおい泣けるものでもないが、クスクス笑うところもあるし、不思議な深みがある。主人公が「あまちゃん」演じた女優だが、物語中終始ぽーっとしていて、激動の悲しく重い時節と対照的だった。ただ「声」としての主演ではすごい存在感があり、映画の内容そのものの前に「すず」に引き込まれるようなところがあった。

国が戦争をしていようが、それに負けて終わろうが、人間が「息づいている」ことを感じさせられる、というような感想を既にこの映画を観たという友人には送ったが、「取りあえず揚げてはみたが、ソースが見当たらないトンカツ」又は「初めてにしてはうまく打てた蕎麦だが、つゆの作り方が分からない」みたいな、何とも言えない「やり残し感」が漂っていた。この映画の感想をつらつら観ていると圧倒的に絶賛する声が多かった。私が何となく感じたように、主人公「すず」の雰囲気が絶大な存在感に、切ない好感を持てたという感想もかなり見られた。戦争があって「普通でない」世界の片隅で「日本人はこうして生きていた」というほっこりした描写に共感した観客が多いようだ。(「日本人」というか「人」というかが微妙だが)。むろん美しい話のみのわけがなく、泣き笑いする普通の生活も大事なものも忍び寄る戦争の影が容赦なく奪っていく。

ただあののんびり感が「世界がどうなっているかを知らずに戦争に翻弄されて必死に生き抜いていた人たちへの敬意を感じられない」とする感想もあった。また一市民の無力さをことさらに強調し過ぎ、とか日本国民をどうしようもない被害者として描写していることへの違和感なども少数ながら見られた。戦争にとられた彼らの「大切な人」も国外でひどいことをしているかもしれないし、戦時中に旧日本軍も原子爆弾開発を行っていたと聞いている。もし米国よりも先に完成し伊号400潜水艦で西海岸まで運べたら、LAに迷わず落としたかもしれない。かの戦争を一方向からだけとらえて「分かったような気分」になるのはどうかと思う。しかし一方で戦場の兵士でない、一市民から見たらあんな風にも見えたのかな、とも思う。一応この映画は戦争を描きつつも登場人物はフィクションだそうだが、昨年見たいくつかの映画と比較すると何か通じるものもあるし、決定的に異なるところもある。

戦時中、食べ物や衣服などあらゆるモノが不足しても、あらん限りの工夫をして生き長らえようとするたくましさは火星に取り残されたマーク・ワトニーに通じるが、彼のように「いつまで」という期限もないし、待ちわびる救出もない。タイムスリップした主人公が本能寺に向かう信長を制止しようとするが、歴史が変わることはないのは、本作の「8月6日に向かうようなカウントダウン」で心抉られるように知らされる。一方で地球侵略を目的に20年ぶりに再来した宇宙人やゴジラは市民にとっては明確な「悪」であるが、この映画では空襲にやってくる戦争相手そのものは「悪」とは描いていないように見える。また、かの戦争の引き金は「石油」だったと本で読んだこともあり、この「日本にないモノ」を巡って戦後どのように戦ってきたかを痛快に描いた映画を年末に見たが、本作品は敗戦後しばらくで、その後の未来は話に出てこない。最後に彗星落下から村人を救われたように、歴史が変わってほしかった・・・

ところでこの映画の中心地は呉である。呉と言えば戦艦大和建造の地であり、以前広島出張の際にちょっと足を運んで大和ミュージアムなども訪れたのを思い出す。私はこれまでに戦艦大和についての本を結構読んだし映画も見た。世界一の巨艦でありながら、時代が退艦巨砲から航空戦力に移り、その時代遅れあまりにさしたる戦果も挙げられずに海の藻屑となった。しかしこの艦を作り上げた技術がこの国にはあり、これが基礎となって再び海運王国として復興していく・・・大体そんなストーリーで大和の物語は結ばれる。子供の頃読んだ「戦艦大和のすべて」などという本でも、艦そのものや主砲の大きさだけでなく、設計思想や造形フォルム他多くの点で世界最高水準の技術であたことは間違いない。技術そのものに善悪はないだろうから、この技術をもって再び立国したというのは大きな理があるだろう。しかし一方でこうして「本当にここで帰結してよいのかな」とも思うのである。

        

「男たちの大和」で目の当たりにするが、大和はご存知の通り戦争末期に沖縄に向けて出撃し何百何千の米軍機の爆撃、雷撃を受けて沈没する。護衛の戦闘機もがただの1機もいない、そうなることが誰が見ても明らかな「水上特攻」だった。「一億玉砕の先駆け」などという言葉で無謀な作戦に駆り出され3千名もの兵士もろとも犠牲になった。なまじ技術があったから巨艦を建造でき、愚かな人間の所業により鉄の棺桶となってしまった。「技術は生き続ける」などといって完結してよい話ではないような気がする。いかに優れた技術であっても、これを使用する者が愚かであったら、優れている分だけダメージも深刻だ。原爆の製造にいち早く成功していたらどうなったか、という話はたらればに過ぎないが、唯一の被爆国である我が国が人災とも言われる原発事故を発生させたのは技術を持てる者の「学習能力」の欠如を反省しなければならないだろう。

     

つくづく戦争を取り上げた物語というのはその所感を語るのは難しいと思う。久々に色々感ずる映画を観て、このサイトでも紹介し、粋な感想文でもまとめようと思ったが、見事なほどに何も書けなかった。そして仕方がないから、世の人達はどんな感想を持ったかをネットで見ているうちに、この映画の真髄は「多くの人が語り合う」のが大事なのだと思うようになった。学校で習い、色んな方角から本も読み、知識としてある程度形づくることはできても、すべてを理解して語り尽くすなんてことは誰にもできないことだ。私は終戦時中学生だった父にわずかだが話を聞いたことがある。母は疎開したそうだが、父は何度か空襲を経験した。焼野原となった地には亡くなった人の骸が無残に放置されており、街の誰もが「この戦争はいずれ敗ける」と思っていたそうだ。それこそ色んな戦争体験があるだろうが、それを語ることのできる人も年々少なくなってきている。

しかし「語り尽くす」ことはできなくても「語り合い」「語り継ぐ」ことはできる。(逆にたぶんそれしかできない)このため(宣伝するわけではないが)この映画は国内外、老若男女一人でも多くの人に観てもらいたいと思う。小学生は素直に「つまらなかった」と思ってもよいし、お気楽ギャルは「すずちゃん、可愛いー」と笑ってもよい。実際に戦争を体験した人はあれを見てなんとおっしゃるか。それこそ多種多様のコメントが出るだろうが、それを皆で共有すること自体が大事なのではないかと思えるアニメだった。

成人になった姿

2017-01-11 08:37:03 | 出来事
月曜日は「成人の日」だった。以前は1月15日だったのに、20年くらい前かハッピーマンデー制度になってからちょろちょろ日にちが前後するようになった。成人式は故郷で迎えようとする人が多いようなので、3連休になるのは合理的なことだと思われる。一方、会社の施策として積極的に休暇を取得させようとして久しいが、飛び石などになれば「間に休暇を取ったら」などと薦められたのに、公的に休日になってしまうとそれができない。会社員の性分として「3連休にさらに1日足して4日間休む」というのは、不思議に罪悪感が伴うもののようなのだ。さらに遠方の人は年末年始に帰省していたら、中途半端に日にちを置いてまた帰省しなければならぬから中々大変だろう。なぜこの日(以前は15日)だったのかというと、その日が昔は小正月、元服の儀を執り行う習慣からきたらしい。大正月、小正月というのがあった時代というのもゆとりがあってとても面白いように思う。(今はその分祝日が多いのだろうが)

自分にとっては1回しかないし、子供を入れても2,3回が普通だろうから、一般の人は「成人の日」といってもあまり馴染みはない。その昔、私の最初の印象に残っているのは「共通一次試験」である。確かちょうど「成人の日」が試験日となっており、雪の降る日に奇しくも、今甘辛の通う学校のキャンパスで受験した。朝から街には振袖姿の新成人が歩き回り、「雪の中での移動は大変だろう」とニュースが放映していたが、さすがに翌日も2日目の科目があり、2年後の自分の姿など想像できる余裕は無かった。自分の成人式の時は普通のジャケットとパンツに身を包み、市民会館でアルバムか何かをもらってきた。今のようにスマホやSNSで自由に連絡を取り合えるわけではなく、中高卒業して数年たってしまえば、普段中々会う機会のない同郷の友人とたまたま式典会場で会い久闊を叙するくらいのものである。

    

今の青年たちはネットによる絆が強いのか、当日の準備など抜かりないことは感心なもので、近所にある私の母校などは卒業生である新成人が式典の後に横浜で大同窓会を催すという。我々の世代は大学の門が今よりも狭く(というより子供の数が多く?)、地方に進学したりする者も多かったので、あまり成人式の機会に集まるということがなかったように思う。近所にまだいる悪友たちだけ連絡を取り合い、茅ヶ崎駅前大踏切の「つぼ八」に飲みに行った。リーダ格である「ガンさん(仮称)」は宴が盛り上がってくると、やおら椅子の上に立ち上がり「我々●●中学校卒業生一同、本日めでたく成人と相成りましたぁ。よかったら一緒に乾杯してください!」とビールジョッキを掲げて、店中の大喝采と祝福を受けたものである。大きなテーブルを囲むのはスーツ姿の野郎ばかりであり、晴着の女子などただの一人もいなかった。(そもそも、晴れ着姿そのものもほとんど見かけなかった)ちなみに当時着用したスラックスは台風流血事件でダメになってしまったが、ジャケットは驚くことに昨年までは普通に見につけていたのである。(体型の変化に多少、無理はしていた)

それから(当たり前だが)成人の日などには全く縁がなく、甘辛が幼いとき我が家のこの日は「星人の日」だった。何年か続けて訪れた荒尾の「ウルトラマンランド」にはウルトラ戦士の他にこの日だけは普段はほとんど見られない星人がごっそり登場したのだ。幼い甘辛が「しぇぶぅぅーーーん」と大泣きしてセブンを困らせたのもこの頃だったし、翌年は不覚にも自転車で転倒骨折し、準看たちの晴着で賑わう病室で一人寂しく「八甲田山」を見たのもこの頃だ。ここ数年であれば我が家のお気に入り「怪獣酒場」にも「星人の日」があり、大体マグマ星人とババルウ星人がセットで登場する。この日は新成人が店内にいるとお酒を振舞ってもらえるし、新成人でなくても「今年、私は○○星人になります!」と宣言すると記念品がもらえる。お友達のプチエさん(仮称)が「わ、私、おっ●い星人になります!」とぶちかましてしまってから、早1年になる・・・

      

息子甘辛にはもう少しだけ猶予があるが今年は、社宅時代のお友達家族で一番上のお兄さんだったSちゃんがついに成人式を迎えた。確か頭髪は天然パーマだったと思うが、送ってくれた写真を見たら七三分けみたいになって、きりっとスーツを身に着けた姿は年々ママに似てきたと言われている。360度どこから見ても好青年で、そのまま企業の面接に行けば一発合格間違いなしという感じだ。(少なくとも10数年前面接官だった私であれば)。毎年というわけではないが、この後息子甘辛が続き、Kちゃん、りょんりょん、Myちゃんと順番に成人を迎える。学年的にはその前に皆、受験生となるから各家庭は大変である。年齢的なものなのか、今年は某SNSサイトに「娘が無事成人式を迎えました」という投稿がやたらに多かった。男子諸君には気の毒だが、やはり女子の晴着姿ほど艶やかなものはなく、羨ましい想いである。甘辛の通った高校は学ランのような制服が無かったので卒業式はスーツを新調した。塾や飲食店のアルバイトに行く時も「ネクタイにスーツ」スタイルが原則なので、結構見慣れてしまっていて成人式の時もそれほど新鮮ではないだろう。

今まで遠い将来のように思えた息子の成人がもはや射程圏内と思うと、街中を歩く新成人にいやでも目が行ってしまう。我が街はニュースで見るような「ピカ太郎」ばりの紋付を着た茶髪君はほとんど見かけない(テレビであういうのばかり映している?!)が、「アイツ、もうちょっと何とかならんのか・・・」「わー、あの髪型面白えー、酉年にちなんだか?」「うーむ、見た目はイケメンなのに彼女の方が上背があるとは気の毒・・・」一方妻も「うーん、あの娘の着物上品なのに着付けがイマイチ・・・」「地は良さそうなのになんであんなゾンビみたいなメークなんだろ」「なるほど、飲みに行くから晴着だけ脱いできたね。頭から上だけ何か違和感あるね」人様のご子息、ご息女のケチばかりつけている有様である。「甘辛の成人の時、何かイベントがあるのかな」今の調子だと自分の成人式をほっぽり出しても●木坂のライブに行きそうに思えて心配になってきた。

妻によると、何でも小学校の卒業式の謝恩会で「成人式の日は担任の先生を呼んで皆でパーティする」という話になっており、甘辛と超イケメンパーフェクトヒューマンのカイノくん(仮称)が幹事をするはずらしいのだが、本人はすっかり忘れているようだ。いずれにしても小中は完全な地元民で友達も多いから何かあるに違いない。2次会に我が家を提供して「祝い酒」という手もあるが、何と甘辛はほとんど酒を飲まない。今年の当日午前中は残念ながら雨が降っていたので、晴着姿の女性は母親らしき人が傘をもって並び歩いていたが、雨に苦い顔をしつつも「母親は嬉しいだろな」と想像できる何とも微笑ましい光景だった。男子の成人式に親などお呼びではない。我々は甘辛を送り出したら家で何かすることもないので、それこそ怪獣酒場で「星人の祝い」をしようかと思っている。

      

某SNSで晴着姿を披露した知人たちには皆、祝福のメッセージが集まったが、中に「親の務めを果たし終えた気分」という返信があったのには多少の違和感を感じた。務めを果たしかどうかの基準は?生計という意味なら学業を一通り修めて社会人になる?法的な意味なら成人?家という意味なら結婚?生物的な意味なら子孫?私はお気に入りの思想家がお母上の亡くなった時に投じたコメントを思い出す。いよいよ亡くなる直前の母上にお会いした時、もう意識が無かったが、「またくるね」と言って手を握って帰宅した半日後に訃報が届いた。「もう一度会っておけばよかった」という子供を苛む「悔い」を母上は残させなかった。「孝行というものは子が『するもの』ではなく、親が『させてくれる』ものだ」ということを死に際に教えてくれた、と言うのである。私にはこの下りが大きな共感とともに響き渡り、今だに文面だけだが脳裏に焼きついている。

実家に一人住む母を毎週銭湯に連れて行ったり、プチ旅行に誘ったりするのは、たまに「孝行」と言われることがあるけれど、自分の趣味と都合が多分に入っているので、照れ笑えない所業だったが、「もっとよくしてやれば良かった」と私が後悔しないよう「親にさせてもらっている」と思えば随分と気が楽である。そう思うと、親というのは「子に孝行させる務めをずーっと持っている」という考えに行き着くのである。子が「孝行しなかったことの」後悔に苛まれないように「孝行させてやる」務めは終わらない。大学の名誉教授にまでなった思想家が母上の死にあたってようやく考え付いたことだから、いつもぼーっとしている甘辛などが自身で気付くわけもないが、今のうちから彼が後悔しないように、そして自分がいい思いをするように仕込んでおこうとは思う。ご子息ご息女が成人された同世代の皆様、心からおめでとうございます。

年末同窓会を梯子する

2017-01-08 12:40:02 | 出来事
ちょっと話は2016年末までにさかのぼる。仕事納めを済ませて後、毎年同じ日に高校の同級生とそれぞれのご家族で集まるようになって何年にもなる。いつからか、とある豪奢なマンションに住むお宅にお邪魔するようになって久しい。確かお嬢さんの年末スキーの予定に合わせていたような気がする。子供が小さいうちは、わいわいがやがや一緒に遊んで過ごしていたが、ここ数年は子供の誰かが受験生となる期間となり、それぞれ大変な時期で彼らもお互いに顔を会わすことも少なくなってきた。そして子供たちは高校、大学と進んでくると親同士の付き合いなど興味を示さなくなり、少しずつめいめいの予定を入れて、この会からは離れて行った。また妻も年末ぎりぎりのこの日は翌日から茅ヶ崎の実家で過ごすための準備とあまり力は入れないが家の整理に忙しくここ数年はご無沙汰している。

「同年代の男友達が欠席で、お邪魔先のお嬢さん(花の女子大生)だけでは話が合わんわな」と息子甘辛も来ないだろうと思っていたら、彼はそういうのは時に気にならないらしく、昨年も進学先の忘年会帰りに一人顔を出したし、今年は最初からついてきた。豪奢なマンションに住まうのは私のクラスメイト、そのパートナーは知る人ぞ知る超有名人、さらに東京から某SNSでのプロフィール写真がやたらカッコよく「修正疑惑」まで噂された独身貴族のクラスメイト、さらに海外赴任が終えたと思ったら尾張の国にカーブして単身帰国赴任してしまい、昨年ようやく自宅に戻れたクラスメイトと同級生結婚のパートナー、唯一仲良しだった男友達二人のいる家族はご主人が海外赴任中で今年はそちらで過ごすとかで不在・・・下のご子息がまさしく受験生で塾から帰るなり自室に篭ってしまったので、大声で騒ぐのも憚られる。そんなメンバーのテーブルのど真ん中に座らされてよく甘辛は平気なものだと思う。

年に1回になってしまったが、「同じ日に集まれる同級生とその家族って貴重だよな」と思いながら、実は私も何となくあの高学歴・ハイソ感が苦手でこれまで話よりも酒だけが進んでいく年末だったのだ。そこで私は訪問前に息子甘辛と共に彼がしきりにのめり込んでいる、とあるアイドルグループのMV集を求め、強引に鑑賞会に持って行こうと考えてあちこち探し回っていた。家にいるときに暇さえあればそのグループが登場する録画した番組を見ているので、自然と覚えてしまったのだがAK●みたいなグループやモー●ング娘。とも異なるちょっと大人しめのアイドルグループである。さすがに歌って踊ってなどという映像には興味がないが、MV(ミュージックビデオ)にひとつの物語仕様になっているのがいくつか会って、これが実に「うるうる」くる、中高年でも「やられて」しまう出来栄えなのである。少し最近この手のモノに弱くなってきた気もするが・・・

  

息子甘辛は私が家にいる時にやたらこの映像を流して「洗脳」を謀ったらしいが、まんまとその手に掛かってしまった。「耳の聞こえない、いつも一人でいる少女にダンスグループが声を掛け、お友達になって一緒にコンテストを目指すが、直前になってその少女の引越しが決まってしまい、お別れとなる」という、活字にするとベタなストーリーなのだが、何度見ても「うぅー、こりゃ、やばい」と思えるほど、うるうるきてしまうのである。昨年ヒットした曲で紅白歌合戦に出場することになったそうだが、「紅白でNHKの演出みたら泣くかもしれねえ」と息子が喚いていたMVも物語仕様になっている。こちらの方は若干ストーリー展開に意味不明なところもあるが、詩が素晴らしい。私がグンマを去るときにそれまでの写真を編集して映像の載せた時に使用したのはAK●48の「卒業をテーマにした」曲だったが、同じ作者はたまに私の琴線に触れることがある。女子大生を除いてむろんこの手の話題など興味のあるはずもないテーブルで、このグループの話になった時に気がついたら自分が熱く語っていた。

      

「へーえ、太郎(仮称)と甘辛クンのお好みってどんな映像なの?」と夫人がタブレットをパタパタ叩くとなんとリビングの大画面テレビに出てきたのである。すごく綺麗な画像だが「ようつべ」とは違うのか?いちいちDVDを探して回らなくてもよいとは世の中便利になったものだ。「まさか、あのメンバーではなー・・・」と思ってはいたものの、意外にもしばらく甘辛が薦めるMVの鑑賞会になってしまったのである。それから昔のアイドルやらグループやらの映像を懐かしく楽しみ盛り上がっていたが、そろそろ失礼しなければならない時間がやってきた。今まで無かったのだが、中学時代の悪友が年末年始に帰郷しており何人かで集まることになっており、声を掛けてもらっていたのである。元々この日は「毎年お呼ばれでいない」と伝えてあったが、先の訪問先に受験生がいるのでいつものように長々とお邪魔できないに加え、割と故郷周辺に回帰している悪友の中で帰郷時しか会えぬヤツだったから、初めから顔だけは出すつもりでいた。

  

同じ夜に高校、中学の同級生と席を共にするなどこれまで無かったことだが、さすがに甘辛は子供の頃から集まっていた方はよく知っているが、後の方は誰一人として顔見知りがいない。帰りにタクシー代を渡して帰そうかと思ったが、なんと「ついでだから寄って行く」と言う。後から聞いたら、人の家ではさすがにテーブル上のモノを食べ尽くすのは少し憚っていた結果、やたらに腹が減っていたらしい。背丈だけはひょろひょろ高いがそんなにイケメンとは見えない甘辛は女性群の好奇の的になっていた。同級生だから同じ年代の子を持つのは自然だが、女親というのは結構息子に思い入れが強いものなのかもしれない。「(キミらには誰も彼もがイケメンに見えるんじゃないか?!)」一方で悪友どもは「息子の前でこんな話してもいいのかなー」などとニヤニヤしながら、金八先生時代のしょうもない話を繰り出してはガハガハ笑っていた。実は悪友と言いながらも、3年間で目立った活躍なんて何一つ無かった私に比べ、一人は甲子園球児、さらに別の一人はハイジャンプ全国入賞の記録を持ち、中学時代からその片鱗を見せていた(当時の)アスリートなのである。

最初は甘辛に興味深々のようだった女性軍も後から加わり、当時お似合いだった彼女彼氏、交換日記の先駆けとなった男子、四天王と言われた可愛い系女子、卒業式に学ランのボタンが全部無くなったイケメン男子、当時女子の間で大人気だったモテ男などありとあらゆる与太話が飛び交った。二次会ということもあってか右に左にやたらに盛り上がっていった。少年時代からの当時のメジャー2代スポーツだった野球部とサッカー部には何故かモテ男がほとんどおらず、バスケ部と陸上部あたりに人気者が集中していた。前者の不人気部活所属の私とガンさんはいつもの調子だとこのあたりから、女子の間の大人気男の「ずっこけ話」「冴えない話」「二股話」など悪口大会とするのだが、さすがに息子を前にしてハシタナイ真似は控えていた。小声で甘辛に「なーんか、さっきと雰囲気違うだろ?」と苦笑いしてみせのだが、父が「女子の間ですごく人気があった」という話題にはなりえない場において、何か溜飲を下げることは言っておかなければならない。

実はその場で明かす父の堂々たるモテ&恋話は無かったのだが、経験的に私はなぜか「段ずれ」することが多かったとだけ披露しておいた。中学時代の同級生とは高校に進学してから仲良くなり、高校時代のクラスメイトは大学に行ってから接近し、大学時代のサークルメンバとは社会人になってからデートする。リアルタイムでモノになったことは全然ない「何であの時に言わねえんだよ?」ということばかりだった甘辛くらいの年代だった。だから同年代の間では「胸躍るような」話題がほとんど無いのである。実際の話だが我ながらその場のシチュエーションによくつながっていると思えた。一人の女子がしきりに甘辛に「彼女いる?」とカマをかけていた。私はすかさず「いやー、この人は『●木坂』しか興味ないみたいでさ・・・」「いや、絶対いるよ。親に隠してるだけだって」それはそれでアイドルの追っかけよりは歓迎すべき話だが、戸惑う風でもなくニタニタ聞いている甘辛を見て「(コイツをこういう場に連れてくるのはやめておこう)」と密かに思ったのだった。

「整」-ファーストコミットメント2017-

2017-01-04 23:28:53 | スポーツ・健康
新年明けましておめでとうございます。年が明けても「超兵器」を訪れていただいてありがとうございます。年々ペースダウンしているような気もしますが、大過ない限り細々と続けますので、今年もよろしくお付き合い願います。

「恒例」という言葉には2面の意味を感じる。「長期間大過なく、いつもと同じようにこの時を迎えられる」という「無事に対する感謝」のような意味と、「いつもいつも変わり映えがなく、退屈で進歩がない」という、「停滞に対する倦怠」のような意味である。どちらの意味も一定量入っているが、実家で過ごした年末年始はまさしく「恒例」と言える期間だった。「いつもと変わったことは何ですか?」と尋ねられたら「紅白にゴジラが出たことです」くらいしか思いつかない。30日に大人4人分が朝昼晩飲み食いする正月用の魚と酒を買い込み、妻は我が家お気に入りのローストビーフと茹で豚を製作する。新しい年を過ごさない自宅は大掃除というものはせず、普段あまり気にしないが「目に余る」箇所だけさーっと綺麗にする。(特に甘辛が衣服を脱ぎ散らすコーナーが酷い)大晦日の午後、準備が整うと赤いライオン号に荷物を詰め込み帰省路にたつがその時間わずか15分。正月は魚料理が主体で今年の目玉はFM横浜のラジオショッピングで宣伝していた「フグ鍋」、大晦日は大抵肉が多く、今回はすき焼きだった。

「アレがなかったら相当貯まってるはずなんだけどなー」といいながら全く反省の気配がない甘辛は紅白歌合戦に大のお気に入りアイドルグループが登場するらしく、スマホ映像での予習に余念がない。何せ正月明け、王城鎮護の地で「握手会付コンサート」に友達と繰り出し、2月当初には「バースディライブ」なる数時間ぶっつけのイベントに「当たった」そうで、とにかくハイテンションである。逆に贔屓のグループが出場しない妻は「なんかさ、ぐだぐだだよねー」と冷ややかだ。確かに司会はフレッシュになったようで、かぐや姫は可愛かったが「綾瀬はる●」さんのように天然ではないようなので、ずっこけるともろに振動が伝わってしまう。バックで見事なダンスがあるのはいいけどイマイチ歌と合ってない。ぱるる卒業は聞いたが、あの場で総選挙結果を発表する必要がどこにあるのか?審査員席に最後まで来なかったタモリとマツコの映像に何の意味があるのか?「何かNHKの歌謡ショーって感じだよな」(ま、ある意味そうなんだけど)

とどめは「ゴジラ」の登場である。「この映像撮るためにわざわざ出演者呼んだのかな」さすがNHK紅白、不可能を可能にする演出だと感心した。スマホで何やらサイトをながめていた妻が「ぎゃーっはっは、ゴジラが接近してもNHKホールには『吉田沙保里』がいるから大丈夫だってさ」なるほど吉田さんは審査員席にいなかったし、霊長類最強の人が現れれば・・・って、半分彼女の登場を信じてしまったが、特定の企業の宣伝はまずいだろうし。「恋ダンス」当然、新垣結衣さんもステージに出てきてやってくれると思ったら、ちょろっと手を動かしただけだし。赤組応援で旗を振り回す勢いの甘辛に「いかに●木坂がよかったとは言え、『君の名は』に『逃げ恥』にXJのゴジラ退治だろ、とどめが『嵐』じゃ、どう考えても赤組に勝利の可能性なくね?大体初っ端にPUFFYなんて行き詰ってるような気ぃするぞ」かぐや姫に勝たせてあげたかった私はテンションだだ下がりでビールを口にした。

新年早々(というか年末だが)、しょうもない与太話で始まってしまったが、いつも年明けしばらくして「思いつく」今年のテーマは珍しくだいぶ前から決まっていたのである。「な、なんだぁ?この本、新品なのに乱丁か?!」何気なく取り上げた本のページがパカーっと180度開いてしまって紙面が剥がれ落ちてしまうかと思ったのである。しかし恐る恐る読み進めて行くうちに来年はこれしかない!」と電撃的に閃いた。正月からいきなり新年コミットメントでロケットスタートだ。(実はズルしてクリスマス後くらいから始めてしまっているが)昨年のテーマは「EXCEED(これまでを超える)」その前年は「一休(Slow Down)」だった。今年はずばり「整(Organize)」にしようと考えついており、年明けにしろと言われている年頭挨拶も何となくこれを入れようと文案を練っていた。言いたいことはOrganizeよりもPrepareに近いのだが、職場が新体制として既に発足しているのでPrepareではちょっとまずいのである。



昨年末に自分史上初の矯正眼鏡の世界に踏み込み、今のところ内外に大きな問題はないとは言え、同年代の多くは「薬」の世話になり始めている。水素水は私の計算上では活性酸素の中和効果はあまり期待できないが、強い意識で水を補給することに大きな改善が期待される。気が付けば四半世紀以上勤めている現会社だが、早ければ今年卒業する可能性も低くない。ま、これまで十数回、異動した経験ではほとんどが前職とはあまり脈絡のない「転職」みたいな転勤だったから、会社が変わることにそれほど違和感は感じないが、世に言う「背負う看板」が変わることには、一定の気勢を整えておく必要がある。ってそんな私事を年頭挨拶でするわけにもいかないが、我がセクションはいかにも「整」が必要であり、これらを全てあわせると、「ベターっと開脚」という言わば整体は電撃のように響いたのである。ということで、こんな話をして社内HPにアップしてもらった。



皆さん、明けましておめでとうございます。昨年の●月、新体制に移行して以来、皆さんの日頃の注意・配慮のおかげで「事故ゼロ」を継続しています。また年末年始の休暇期間も無事に過ごされ、こうして新年のご挨拶ができることを感謝いたします。新年を迎えるにあたり、事業を取り巻く環境、我々に課せられた責務、取るべき方向性など社長等から十分訓示頂けることでしょう。グループの一員として心して臨みたいと思います。

せっかくご挨拶の機会を頂いたので私からは、あまり人の言わないことを申し上げようと思います。それは1年を表す「漢字」です。昨年の漢字は「金」でした。オリンピックでの金メダルラッシュ、元東京都知事の政治資金、東京2020の予算など社会に「金」にまつわる話題が多かったからでしょう。まだ始まったばかりの2017年、漢字で表すのは「鬼が笑う」ことのようですが、あえて言うなら私たちにとって「整」と表せる1年にしたいと思っています。昨年●月に発足以来、我々の業務には様々なインタフェースが生じました。仕事のプロセスも作法、顔つき、そして内容や量などもだいぶ様変わりしました。これら仕事をする上で大事な要素はまだまだ最適とはなっておらず「整えなければならない」ことが山ほどあります。例を挙げれば・・・・・ちょっと頭が痛くなってきましたが、ひとつひとつ丁寧に「整え」我々の両輪である品質と生産性を効果的に回していきたいと思います。
さて、年末に安全への取組み強化や新年からの新たなチャレンジという意味で「30日コミットメント」をお奨めしてきましたが、皆さんどのような「決め事」を考え出しましたか?30日間欠かさずに継続して身に着けるには「簡単なことがいい」とヒントを申し上げましたが、私の場合は「ベターッと開脚できるようになるプログラム」です。昨年のベストセラー本でテレビ番組でも紹介されていましたが、「どんなに体がかたい人でも」というタイトルに惹かれました。「仕事のやり方を整えたい」と思う者にとって、「整体」というのは何かつながりがあると感じたのです。実際は簡単なストレッチの組み合わせですが1ヵ月後の朝礼ででも披露できれば、と元旦から続けています。身体も会社組織も知らず知らずに「かたく」なっていきますね。比較的スポーツをやる方の私でも開脚しての前屈はほとんどできませんが、やり方次第で「驚くほど柔らかくなれるんだ」というシンボリックなチャレンジにしたいと思っています。
これまでもそうだったと思いますが、必要とされる仕事は「放っておけば」どんどん厳しくなる生ものです。人間も組織も「放っておけば」どんどん硬くなります。頭が硬いとミスが多い、体が硬いと怪我が多い、組織が硬いと事故が多い。必要なストレッチは皆さんの知恵と工夫の積み重ねです。シンプルで効率のよい運営という発足時のコンセプトに加え今年は「柔らかい体質」を目指して「怪我なく事故なく病気なく」元気に頑張っていきましょう。

実は30日コミットメントということで、元旦から始めるのが筋なのだが、先も書いたようにちょっとズルしてもう始めて1週間になるが、実は何の効果も現れていない。本の通りにやれば1日に1回、ストレッチの組み合わせを数分行い続けるだけなのだが、じっくり根気強く行うのが苦手な私はいつものように「集中トレーニング」化してしまい、正月休みは暇さえあればストレッチしていたのだが、1cmも改善していない。。。もうカミングアウトしてしまったから、これはこれで地味に続けていくしかないし、効果があまりなくても習慣にしようと思っている。そして今年は何とこのコミットメントに続き二の矢、三の矢が用意されているのである。それはいずれまた披露していくことになるだろう。