超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

のぞみ号で広島へ行く

2013-11-30 10:37:10 | 旅行お出かけ
先週は東北、仙台松島巡り、今週は広島・・・まるで売れないご当地アイドルの営業廻りだが、一週間のうちに東西旬の牡蠣を本場で味わえる者は少ないだろう。1年に一度、西日本の一大イベントを見学するために新横浜から久々「のぞみ号」に乗車した。仕事柄東北新幹線は頻繁に使用するし、上越新幹線など通勤に何百回と乗車した。どちらも慣れているからというわけでもないが、車窓から見える風景にはそれほど特徴的なものがあるわけでもなくそれほど興味は湧かない。「新幹線の車窓から」編でも紹介したが、その点東海道新幹線はカメラさえ持って窓際におれば退屈嫌いの私でも飽きることがない。年に数回しか機会がないのだが、「あの山」を間近で見ることができるし、湖あり海ありさすが大動脈、新幹線に乗るだけでワクワクするものである。

最近、お出かけに際しては「最強」とも言えるほど天気に恵まれている私はこの日も雲一つない空だった。「時間は問わぬのでとにかくE席!」を指定しEXYを首から下げてN700系「のぞみ号」に乗り込んだ。朝はビジネスマンで満ち溢れ、全席Wifi機能と電源を装備した列車で私の隣席も「いかにも」という感じの会社員は早速ノートパソコンを取り出して何やらカタカタ打ち始めた。最初のうちは何か気遅れというか恥ずかしさをもって遠慮がちに窓の外にカメラを向けていた私だが、最近は「このセキュリティ重視の時代に外でPC打つなんてセキュリティ上ありえないのさ」と割り切った私は堂々と世界遺産にレンズを向けた。

          
 

新横浜を出てしばらくすると早くも頭に雪を抱えた富士山が小さいながらその雄姿を見せた。大体近所の海岸から見えるのと同じくらいの大きさだ。鴨宮あたりになると少し大きく見えてくるが、その分前の山が邪魔をしてだんだん見える姿は小さくなっていく。小田原、熱海あたりはトンネルばかりで全くその姿を拝むことはできない。三島あたりになると俄然近くて大きくなった山肌が見えてくる。雪の模様もくっきり見えてくるが一旦前の山に左側から隠されてしまう。そして新富士駅の手前くらいで待ちに待った雄大な姿を現すのである。うぎゃーっ、ちょっと雲が邪魔してるなー。。。横浜出た時はすごくいい天気だったのにここにくると下の方は雲で隠されてしまった。富士川鉄橋手前あたりが正面で素晴らしいが、何ともあの煙突が邪魔なのである。その後線路のルートがカーブしてあっという間にかの世界遺産は見えなくなってしまう。

          
  
この後しばらくすると浜名湖である。新幹線のルートは湖の真上を通り過ぎてしまう。数々の名所にご当地名物、そして航空自衛隊基地・・・ぜひともに一度きちんと訪れてみたい地である。ところがいつも新幹線で通過するからあっと言う間なのだが東名高速などで我が家から向かおうとすると実に遠い。。。北関東に単身赴任していた地の5割増しくらいに距離はあるのである。そしてしばらく進むと・・・・小夏師匠~。。。すみません。いくつか興味ある風景の記憶があったのですが、あろうことか眠くなって寝てしまいましたぁ。。。列車は名古屋駅に接近した。朝早いことと、大阪まではそれほど見所を感じなかったこともあってこの後爆睡・・・

          

しかし新大阪から先を訪れるのはもう15年ぶりくらいである。山陽新幹線ルートになるとN700系のぞみ号はやたら飛ばすような気がする。これが時速300キロ区間か?!姫路とか岡山・・・播磨灘物語とか戦国時代の小説に登場する人物、地名が頭をよぎるが、地理などを把握しているわけではないのが残念だ。JALやJR東日本だと備え付けに地図入りの冊子があるんだがなー。新横浜を出てから約3時間45分後、これまで数回しか行ったことのないカープの街に到着した。時刻は昼過ぎ、まずは先週に引き続き、東西牡蠣の食べ比べを実現しなければ。。。さすが広島、宇都宮の餃子と同様、エキナカに「広島風お好み焼横町」みたいなのがある。いかにも外モノ向けメニュー、「お好み焼と焼き牡蠣セット」を皆で食べた。牡蠣は専用タレとレモン汁で食べる2種類あったが、ジューシーでただし素晴らしく美味い。ただしボリューミィなお好み焼との相性はイマイチか?!メニューにはなんと、お好み焼に牡蠣を載せてある「ありあり」のベタなモノもあった。

      

会場は平和記念公園の横にあり、我々は市電に乗り込んで「原爆ドーム前」まで行った。負の世界遺産だがやはり間近で見ると言葉を失う。アウシュビッツもそうだが「残そう」と言いだした人間に希望と叡智を感じるものだ。記念公園には多くの慰霊碑や鎮魂塔があるが、ここを訪れると多くは語らずただ祈るのみになってしまう。中央にある慰霊碑の献花の前で手を合わせるとトンネルの向こうに消えない灯と原爆ドームが一直線に重なる。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」結構議論があったようだが、日本人が過ちを犯したのではなく「戦争」という道に進んでしまった人類全ての過ちだと思いたいものだ。この日は私にとってはちょっとした記念日だったが、ここに立ったのも何かの「声」かもしれない。世に「平和」あれ。

        

会議場でワークショップなどを見学すること丸半日、我々は広島の繁華街に繰り出した。街中の店は今回のイベント関係者で結構埋め尽くされると思われるから、2,3人斥候を放ち手頃な「飲み放題可」の店に飛び込んだ。いつも幹事役を買って出るゴルフ名人級の「オッキー」が自身に用事があったこともあり、あらかじめ予約していなかったのである。私が仕切ってもよいのだが、以前から書いてきたように「花火の場所」とりや「とっさの店決め」「メニュー選び」などが誰よりも苦手で下手に任せると居合わせた全員に悲惨な末路を味わわせてしまうのである。そこでは牡蠣と初めて食す「アナゴの刺身」を堪能した。ウナギの血液には毒素があり素人が捌いたりするは危険とか、刺身では食べられないとテレビ番組の取材で見たがアナゴの刺身とは珍しい。白身で弾力性があり中々の美味だった。

  

翌日は雨降りで会場が異なる。先に仙台で行われた電話応対コンクールのテクニカルな分野やその他技能コンテストのようなものが行われる。一通り見学し終わると結果にはあまり関係ないので早めに切り上げることにした。新幹線のぞみ号は今度は「A席」である。福山駅では前日取れなかった見事な城を写真に収め、紅葉に色づく京都の五重塔、そしてこれまで知らなかったが東海道新幹線のルートでは浜名湖以西の三河湾で一瞬だけ海沿いを通るところがあるのだな。海に浮かぶ小さな島を初めてみた。その後安部川や清水港付近でも一瞬海が見えたのだが、時間的に真っ暗になってしまい画像には収められなかった。今度西上する時には事前に新幹線ルートを調べてその車窓からの風景を超兵器連続写真で確実に収めることにしよう。

      

松島の架空ツアーを辿る

2013-11-24 21:19:52 | 旅行お出かけ
11月22日、「言葉の力で」編で紹介した「電話応対コンクール全国大会」が仙台で開催された。我が方からは見事「とある拠点」から代表として1名出場することになっていたから、各地の拠点フロントからこれまでの予選出場者やその指導者、関係者を集結して大応援団を形成した。せっかくだから出場に当たっての選手募集、作戦経過、練習状況その他コンクールに関する情報を持ち寄って(次に向けての)戦略会議を行うことになった。さらに悪乗りして「どうせ行くなら、今回のシナリオ通り模擬応対の顧客にお勧めするバスツアー通り体験してみて、自分だったらどんな説明にしたか考えろ」と会議開始時間を午後の遅めの時刻に設定したのだ。

この架空バスツアーのスケジュールは「仙台駅集合→観瀾亭(伊達家のお仮屋御殿)見学→松島島めぐり観光船乗船→仙松亭にて『牡蠣のコース料理』を堪能→フリータイム→さかな市場で買い物→仙台駅で解散」
となっており、フリータイムにはオプショナルツアーとして
・伊達政宗の嫡孫「光宗公」の菩提寺、円通院での数珠作り体験
・国宝瑞巌寺見学(ただし本堂は平成の大修理中のため「国宝庫裡」と「陽徳院(愛姫)御霊屋」を拝観
がある。食事だけ架空だがその他はすべて実在し、かつ値段その他詳細も現状そのものだから、辿って行って実体験することができる。

センターをあげてのイベントだから作戦を練る上でなら重要なことなのだが、出場者以外の皆は予選会が終わってしまった後ということもあり「半分観光じゃん」と言われてしまうので「時間があれば自費で」ということだった。私は午前に東京で別の会議が予定されていたが、たまたま代理出席してもらえたので、朝から仙台に向かった。今回集合する人達は「電話応対が主たる業務」だから内容は類似でも他の職場と交流することはほとんどない。新幹線でどんな作戦会議とするかコンクール資料を改めて眺めながら考えていたら、「やっぱりオレも行かなきゃ語れねえわな」と言いだした立場上、この架空ツアーを部分的にでも実践することにした。私は出張の際、「せっかくだから」と時間が空いた時にプチ電撃観光したりするが、今回は「次回に向けて作戦を練る」という大義名分がある。福島を過ぎたあたりで一旦雨が降ってきたが、その後見事な虹が見えた。

  

さて仙台駅で仙石線に乗り換え、松島海岸という駅に向かうが、仙台-石巻を結ぶこの路線も大震災で津波の被害を受け、列車は次の高城町まで進むがそこから先陸前小野までは松島海岸から代行バスとなっている。2015年に全線復旧予定らしいが、こういうところは意外と行ってみなければわからないものだ。駅を降りると一旦まっすぐ海岸に歩いて最初の見学コース「観瀾亭」へ向かう。松島湾に面した茶室という感じだが藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていた。奥に伊達家の大名道具を揃えた「松島博物館」がある。見学は一瞬で終わってしまうが、松島湾を一望しかつての殿様が腰を下ろして風景を楽しんだ、という場所だから入門としてはありなんだと思う。

            

次に向かったのは伊達家3代当主光宗公の菩提寺である「円通院」である。正門の手前も見事に紅葉しており、毎年この時期はライトアップされるのだという。庭園内は青い空と真緑の苔と対照的な素晴らしい紅葉だった。「これほど素晴らしい紅葉とはシナリオには書いてなかった。やはり百聞は一見に如かず!来てみないとわからねえもんだな」後で聞いたがこれは間違いだった。何しろ、設定上のバスツアー日は12月21日なのである。
境内には設定どおりちゃんと「数珠作り体験」もあった。部屋で教えてもらいながら20分くらいでオリジナルの数珠を作り上げるらしい。こういうのを嫌いでない(むしろ大好きな)私は畳に上がって作ってみたくてうずうずしたが、平日で周囲にほとんど人影もない中に係の人をわざわざ呼んで「体験」させてもらう勇気がなかった。中年男が一人(たぶん正座して)一粒一粒穴の空いた玉を紐に通し数珠を作り上げるのは何とも合わないことなので思いとどまった。

          

門を出て少し歩くと国宝瑞巌寺の正門である。ここも設定通り改修中で本殿の中に入ることはできない。その代わり隣接する普段は公開しない「庫裡」に伊達家の位牌や本尊が移設、公開されていた。伊達政宗の位牌や臥竜梅も見事な姿を間近で見ることができた。さらに庫裡を出て奥の庭を過ぎ、80段ほど階段を上って行くと。愛姫の御霊屋である。これは何と言うか・・・ちょっとなー。何か新し過ぎて風情に乏しい。私が応対者だったら、あんまり薦めないなー。毎年色々な地方で全国大会が開催されるこの電話応対コンクールは、開催地にまつわるシナリオで行うのが慣例で、出場者はその地で働く人々になり切るのが必要とされる。特に今回は顧客が当選したツアーの問い合わせ対応であり、色々なものをオプションでお勧めするから、間違いなく現地で現物を見た方がよいと思ったのだが、「見なきゃよかったかも・・・」というのも確かにあるような気がする。

          

    

私は松島海岸を後にし拠点オフィスに向かい会議の1時間ほど前について、ざーっと仕事をやっつけた。意見交換会ではどのオフィスもコンクールに対して、強い思い入れをもって臨んでいることがわかり、ずいぶん活発な意見も登場した。専門家を部外講師として招聘し細かい講義を受けたり、自分の作成した応対スクリプトを添削してもらったり・・・個人個人の声の質やしゃべりのトーンなどによって、どのように長所を生かし欠点を補うか個別指導までされたそうだ。何が正解というわけではないが、「会話を相手の発言で終わらせないように注意した」「東北が元気になりつつあることを伝えようと努めた」など、それぞれ出場者なりに真剣に作戦を考えている。

懇親会は大盛況(というより、大暴走に近い?)だった。松島海岸でツアーを辿ってきた者はそれなりに感じいることがあったようだ。電話応対を主たる業務にする人達だから仕事で自センターを出ることはほとんどなく、他のセンターの人と仲良しになれたことを何よりも喜んでいた。私は言い出しただけで、細かい企画・調整は事務方が行ったのだが、皆私のところに来て口々に「このような機会を作って感謝する」と言ってくれた。観光船にがっつり乗り込み、牡蠣の食べ放題コースや数珠まで作ったグループは皆お揃いで手首に数珠を巻き、いかに素晴らしかったか熱く語っていた(だからご褒美旅行じゃないんだってば・・・)。「シナリオ設定上の現地を事前に訪れておく」という当たり前のような発想をなぜ誰もしなかったのかがどうも不思議だ。来年は数か月前に作戦会議、シナリオ設定によっては作戦部隊が現地に飛び、応対スクリプトを練り、予選の結果県代表として出場できる選手が現れたら、事前にシナリオ通りロールプレイしてトレーニングすることにして会議は終了した。

翌日の全国大会本番、応援の弾幕や前夜皆で入念に練習した応援コールがホールをこだまし、選手達が一人一人大スクリーンに映し出されながら登場した時はすごく感動した。演技の順番は当日の朝、くじ引きで決めるそうだ。私はどうしても18時には東京にいなければならない所用がありオフィスで仕事していた。40番目くらいまでなら直接本人を見ることができると思っていたが、なんと彼女の順番は最後の方だった。私はどうしてもその時間までは残れなかったので、近くの花屋で花束を用意し、「終わったら渡してあげてください」と言い残して会場を去ったのだった。ちなみに夕方、所用を済ませた後少し遅れてしまったが、横浜ランドマーク70Fのラウンジに向かった。時に11月22日(いいふうふの日)だから妻と昨年同様待ち合わせたのである。昔のバンケットルームで挙式したゆかりからよくこのラウンジは訪れるが、今後はこのスタイルが定番となりそうだ。ちなみに見事なローストビーフの隣は普段めったに飲まない「シリウス277」(277mの空から)というカクテルだ。
仙台-東京-横浜と土曜サスペンスのタイトルみたいな2日間だった。

      

母とのプチ旅行記Ⅱ

2013-11-14 19:40:39 | 旅行お出かけ
プチ旅行2日目・・・前日は早朝から新幹線に揺られ、観光地でたぶん1万5千歩以上歩いた私と母だったが、強力な硫黄泉で疲れもとれた様子だった。年寄りは(むろん私も)朝は早い。日が昇るともう起き出し、朝食の前に朝風呂に向かう。前日は真っ暗で周囲は何も見えなかったが、少し赤みや黄色がかった山々のど真ん中だったのだ。幸い天気はよいようだった。岩風呂と外側に面した風呂があるが、温泉にありがちな熱い湯ではなくちょうどよい湯加減なので長くはいっていられるし、ものすごい硫黄臭だから疲れた身体に効くような気がするのだ。これほど沁みつくような香りは万座温泉以来である。誰も入っていないと思い超兵器を持参で行ったのだがすごい湯けむりで中はちゃんと写らなかった。  

      

少しゆっくり目に朝食を摂り、とどめの入浴納めをしてホテルを出たのが10時、田沢湖駅まで小さな車で送ってくれたのだった。駅でレンタカーを借りる手配になっていたが、前日ガイドさんと別れる時に半日くらいでお勧めの場所があるか尋ねたら「そうねえ・・・角館方面もう行きたくないよね。玉川温泉の方はどうかなあ・・・」駅まで送ってもらう時に運転するお姉さんにも訪ねたが、「この先(玉川温泉方面)に行ってもダムしかないし・・・田沢湖周辺が無難かなーと。。。」「あの山、昨日見えなかったけど頂上付近には雪が積もってるみたいよ」母が後部座席から指差すと「あー、あれが秋田駒ケ岳です。今日は天気がいいから、てっぺんまで綺麗に見えますねえ」前々日、秋田は竜巻も含む暴風雨だったらしいが、この辺りも結構強い雨が降ったらしい。真っ赤な紅葉の葉っぱは結構落ちてしまったらしい。しかしこの辺の人でもあまり観光にここぞと進める場所はないのだな。

  

前日、田沢湖を半周したが陽も落ちかけており、十分に紅葉や山々の景色を楽しめなかったから、「車で走る回るだけでも楽しい」という母の言葉を元に、半日タクシーのモデルコースを参考にいくつかポイントを決め、湖畔をぐるぐるドライブすることにした。KICKPOP師匠のサイトに時々登場する「輝く青空」には及ばないが日本にもイケる青空はあるものだ。「県民の森」には見事なまでに燃えるような紅葉があった。最初に向かったのは「思い出の潟分校」と呼ばれる文化資料施設である。明治時代から設置されていたが、40年前くらいに一度廃校となり、解体も検討されたが「地域の歴史や文化を見続けた木造校舎、そして美しい日本の風景美を残したい」という地元の有志により2年がかりで修復。私はこの手のモノがどうにも好きで、いかにもマイナーな閑散とした施設だったがパンフレットに小さく載っていたこの分校を見て必ず訪れるつもりだった。

      

二人ずつくっついた長い机・・・よく隣が女子だと「境界線」を引いたりした。また彫刻刀をぐりぐり回して小さな丸い穴を空け、消しゴムのかすで作ったボールでゴルフゲームもした。教室には「学級文庫」があり、「算数係」だったこともある私は授業前に職員室に巨大な三角定規や分度器を取りに行って先生に言われた図面を黒板に書いておくのが得意だった。この教室のように「薪」ではないが、後ろ側に灯油のストーブがあり、給食のパンや牛乳をよく温めていた。修復したものだから立派なのかもしれないが、我々の教室にあった木製の椅子はもう少しボロかった。縦横の足の継ぎ目は古くなるとギシギシ言って中途半端に揺れるし、座るところは細い板と板の間には隙間があって、女子はよく座布団をくくりつけていた。尻に引く細い板は釘で並べ打ってあったが、これまた古くなるとその頭が浮き上がって半ズボンに引っ掛かって穴が開いてしまうのである。あまりにイライラしら私は釘の浮き上がった細板ごとばきーっと外したのだが、その板っ切れをどうしてよいか分らずに証拠隠滅のため石油ストーブにくべてしまい、えらい怒られたことがある。

      

教室からはこの季節になると見事な紅葉が見られたのだな。冬になると校庭は雪化粧になるらしい。「先生、おはようございます」という生徒たちの声が聞こえてくるようだ。20数年の学校生活を通産するとその後半からは考えられぬことだが、こう見えても私は学校へ行くのが大好きだった。内申点や定期試験成績、受験などという「邪念」が入らなければ「勉強する」というのはホントに楽しかったのだ。私の教室は何故か3階が多く、席替え時はいつも裏工作によって窓側を占有していたから、窓の外ばかり見ていたが。。。ちなみに山々の紅葉も雪景色もなく、松林に烏帽子岩くらいしか見えなかった。入館料は大人200円、用務員室のようなところに係員がいて、後は自由見学でき、展示物も自由にいじることができる。(たぶん持って行っちゃってもわからない)誰もいないのに教室は薪のストーブがガンガン焚かれ、お茶と甘い菓子が用意されていた。一体どうやって運営しているのか不思議だったが、帰り際に大型バスがぎりぎりの道路を入り込んできて理解できた。結構観光コースになっているのだな。

1時間近く中で色々懐かしく見て周り分校を後にした。湖畔に出ると天気がよいから湖のブルーと秋田駒ケ岳が見事にマッチしているようだ。たつこ像も陽の光を受けて金色に輝いている。その先に「御座石神社」というのがある。佐竹の殿様が田沢湖を遊覧した際に腰かけたのが由来だそうだ。田沢湖に面した朱色の鳥居がシンボルで雨乞い岩やそれを取り囲む七種木などが見られる。陽の光に反射すると湖全体も不思議な色に感じるが、巨岩の縁あたりを見るとさらに不思議な瑠璃色をしていて吸い込まれてしまいそうな感じがする。手を叩くと魚が寄ってくるがこれは「ウグイ」だという。酸性の水が流入して固有種だったクニマスなどが死滅してしまい、生存して天敵のいなくなったウグイが巨大化していったそうだ。田沢湖は日本最深の湖だが、観光地で人間からの餌に集まるウグイなどを除いては魚も住まず、この標高ながら冬も凍結しないのでスケートなどウィンタースポーツもできず、伝説と色を楽しむ湖のようなのだ。

            

しかし光の加減によって微妙に色を変え、赤から黄色の見事な紅葉の連続、遠くの山々など景色は素晴らしく「車で走りまわるだけでも」という母の感想はずいぶん的を得たものだった。前日のガイドさんによれば、田沢湖周辺は紅葉した落ち葉はあるが、湖面に残って埋め尽くすようなことはない。大きな対流があって沈んだものは一旦水深432m湖底の中心に集まってしまうという。水死体も中々上がらないところが「伝説の多い」理由だと言うがどうも少し怪しいような気がする。
ところどころで停車し、風景を楽しんで湖畔を一周したら、そろそろ昼食の時間となってきた。この旅行最後の昼食だが前日の角館で有名な稲庭うどんのちょっと観光値段っぽいところに「やられた感」のあった私達は「比内地鶏」の親子丼を探していた。角館観光を終えてバスに戻ったグループが「比内地鶏の親子丼を注文したらすごい時間がかかった」というのを耳にしていて気になっていたのである。(今となってはこれも怪しいが)ところが「たつこ像」周辺の飲食店や「春山」周辺のパン工房レストラン、遊覧船乗り場のレストハウスのどこに言っても「親子丼」メニューすら見当たらないのである。

  

妙に高い「稲庭うどん」はどこにもあったが、考えてみればこの地は比内でも稲庭でもないのである。秋田というだけで知っている有名食品を求めるのはちと短絡的で、厚木で「大山豆腐」を求めるようなものか?!「この辺はあんまり『これが名物』というのはないようだねえ」私と母は唯一大きな「比内地鶏の焼鳥串」を一本500円で売るレストハウスの露店を見つけ、「味噌たんぽ」と合わせて頬張った。親子丼はとうとう見つからなかったが、お土産屋の反対側の出口を出たところに「焼鳥」の元となる、「比内地鳥」の見学コーナーがあった。色良鳥、金八鳥・・・何種類かいたが比内鳥は何と国の天然記念物!ホントか?!さっき我々は国の天然記念物を大型の焼鳥で食ってしまったのか。店で内緒で出しているわけではないから、違法ではないと思うのだが何となく罪悪感に苛まれたものだ。後で「比内地鶏入り炊込み御飯の素」をお土産に買った時に聞いたのだが、天然記念物でも別に食用に出してはいけないことはないそうだ。日本中の「比内地鶏」表示が実は昨今出回っている「偽装」かも、と一瞬考えてしまったが、何となく不思議な気分である。

      

さて親子丼捜索で結構時間を使ってしまい、帰りの新幹線の時間までまだ余裕があったがレンタカーなので念のため早めに田沢湖駅に戻ることにした。私が一息ついてこの旅行中列車内で初めて飲むビールとつまみを買っている間に母はモダンな新しい駅舎の中を歩き回ったらしく「抱返り渓谷と角館は今、紅葉見頃らしいよ。いい時だったんだねえ」満足そうだった。(事実、帰宅した翌々日には雪が降るのである)
田沢湖駅に滑るように入ってきた初めて乗る最新鋭のE6系「スーパーこまち号」の出す、以前乗ったTGVと同じ時速300kmに揺られいい気分に浸って一路東京へ。初の母との二人旅はあっという間に終わるのである。
人は「親孝行」と言ってくれ、そう思わないでもないが単に「親と旅行しても抵抗がない」くらい「いい歳」をしてきたのだ。家族全員揃わなくなただけで、妻とも旅行するし息子とも二人ででかける。要は私が常に登場すればよい。ただ初めて一緒に連れ立った母は思ったより元気だったし喜んでもいた。何かひょんなきっかけを見つけてはまた旅しようと思う。

  

母とのプチ旅行記Ⅰ

2013-11-11 22:32:34 | 旅行お出かけ
「プチ旅行先を探す」編で空中写真まで使用し色々と検討したプチ旅行だったが、母と初の二人旅の行き先は「田沢湖・角館」だったのである。元々この方面も乳頭温泉、蟹場温泉、玉川温泉など秘湯系のツアーがあったが、決めてとなったのは田沢湖・角館を周遊する「びゅうばす」が付加されていたことだ。ただし田沢湖出発は朝の10時40分、ホテル到着が17:40頃を予定している丸1日盛り沢山の観光で、東京駅7時過ぎの新幹線に乗車しなければならない。私も母も朝早い移動など全然平気なのだが、勤勉な日本サラリーマンのおかげで6時台の東海道線も座席に座れないのが年寄り向けには気になるところだ。結局グリーン車に乗車、東京まえ快適に座って行くことができ、グリーンの「はやぶさ号」と赤の「こまち号」が連結されている車両に初めて乗った。「こまち号」は4列シートで新しく綺麗な車両だ。盛岡を過ぎると「はやぶさ号」と分れ、在来線レールを走るが何とこれが単線!田舎鉄道を走る最新式のE6系は外から見たらさぞ違和感があるあだろう。新幹線同士が駅ですれ違い待ち合わせをするのを初めて経験した。

      

東京から田沢湖までは約3時間、快適な列車旅だったが途中から空が薄暗くなり雨粒が窓から斜めに流れるようになった。紅葉が見所だったのに悪天候では困ったものだが「雨が降ってきちゃったねえ」と言う母は別に気にも留めていない様子だった。別に根拠があるわけでも息子甘辛のように晴れパワーに自信があるわけでもないが、私も何となく「今日1日は天気はもつだろう」と感じるところがあり、実際にそうなったのだ。田沢湖の前まで進むと雨は上がり、はるか向こうにうっすらと虹が見えてきた。田沢湖駅はつい最近建て替えたようなモダンな形状で真新しいロータリーに「びゅうばす田沢湖・角館周遊号」が待っていた。季節柄ほぼ大体を含んでほぼ満席で我々が最後の乗客だった。つまり新幹線で来たのは私達だけだ。

最初の周遊どころは「抱返り渓谷」、東北の耶馬渓と称され澄みきったコバルトブルーの水と色づいた木々のコントラストが素晴らしい。昔、川に沿った道は断崖絶壁の上に人一人歩けるくらいの幅しかなく、対向者とは互いに相手を抱きかかえてくるっと体勢を変えてすれ違ったというところから「抱返り」という名前がついたらしい。遊歩道を歩くことができ、奥に「回顧(かえりみ)の滝」という見事な滝があるが、往復は1時間、約5kmのコースだという。母は最初渓谷の入り口で待っている、と言ってガイドさんと一緒に残ろうとしたが、「まあ、せっかくだから行けるとこまで歩いてみたら。渓谷みも綺麗らしいよ」と急き立てて歩き始めさせた。アップダウンがないから普段スポーツクラブでそこそこ運動している母ならイケると踏んだのである。途中恐ろしい吊り橋が2か所あり、真っ暗なトンネルではやむなく手を引いてやったが、30分ほどで無事に絶景とも言える滝に到着、「これは来てよかった」と感嘆していた。

          

次なる目的地は小京都と言われた角館の武家屋敷である。まずは甘味屋に案内され「生もろこし」という菓子を試食した。小豆から作られる落雁のような少し甘い菓子は江戸時代に藩主に献上した時に「もろもろの菓子を超して味よし」と評されたのが由来とか。妻がこの手のお菓子を好んだような気がしたのでお土産に一つ買っておいた。ちなみに小京都と言われるのはこお地方を支配した佐竹(北)家が代々公家の嫁をもらい、その生活風土が京風になって行ったからと聞いた。びゅうばすに同乗した小太りのおばちゃんは(たぶん親しみをこめて)秋田弁丸出しでガイドしてくれたが、鳥海山の標高を3226m(そんな山あるわけねえだろ!)とか結構適当なことが多く、どこまで本当か定かではない。昼食は周囲にある少し観光めいた飲食店でめいめい摂ることになっており、ガイドに「稲庭うどん」の店を聞いたら「美味しいのは○○さん」と教えてくれた。日本3大うどんをぜひ食しようと勇んで店に足を運び、定番メニューを注文した。私が今年の前半まで勤務していた北関東にも有名なうどんがあったが、それに比べ歯ごたえや風味などでどうも物足りなく感じた。まるで太めの「冷や麦」のようだ。母に至っては寒いから温かいうどんを注文したら、ブッフェで食べる温麵のようにのびてしまい「こんなもんかねえ」とこぼしていた。(見た目はお洒落にひねってあるが、値段はびっくりするほど高い)

    

武家屋敷は見事に紅葉したシケイン状の通りで無料で見学できる屋敷と有料でガイドや歴史記念館のある館などがあった。どの家も十何代目になるが、ちゃんと今でも生活しているというからすごい。我々は「石黒家」という由緒ある屋敷と「佐竹歴史文化博物館」に足を運んだ。今でも住んでいるらしいが武家の屋敷というのはとにかく作法が厳しい。入口だけとってみても主人しか入れない玄関がり、門から正面は主人より身分の上の人をお招きするためだけの「開かずの玄関」、家人は裏口から出入りする。主人を上座に座らせ、向かい合って座る人の身分の違いを表せるように畳が並行に敷かれており、庭には先祖代々からの巨木が植えられていた。歴史文化博物館ではちょうど最近「佐竹義宣」を読んだばかりだったので、本人の実物の甲冑や刀剣が展示されていて驚いた。ガイドのお姉さんが丁寧に一つ一つの展示物について解説してくれたが私は「佐竹」について以前から思っていたことを思い切って聞いてみた。「昔、初代「義宣公」が家康によってこの地に転封された時、腹いせに元いた水戸の美人をぜーんぶ連れて来ちゃったというのは本当ですか?」おねえさんは「ははは。茨城からいらした方は皆お聞きになりますねえ。茨城だって綺麗な人たくさんいるの・・・」是とも非とも言わなかったが、結局のところどうなんだろうか?
武家屋敷を後にして、同じ角館の「安藤醸造」という醤油の蔵へ。ハタハタという魚を使った「しょっつる」という調味料や色んな種類の醤油が豆腐を使って試食できる。びゅうばす乗客には「しょうゆアイスクリーム」という久々のゲテモノ系お土産が配られるが、これはちょっと・・・

            

角館を後にバスは田沢湖畔に向かう。田沢湖で唯一とも言える観光名所?「たつこ像」である。写真で見ると湖面に浮かびあがるような神秘的な像なんだが、今は水量が減っていて台座も全て露出している。その昔、その地でまれに見る美しさを持っていた「辰子」という女性がその美貌と若さを永久に保つために願掛けによって得たお告げ通り湖の水を飲み竜になってしまったという伝説だ。マーライオン、人魚姫、小便小僧に類似するものがある?!が、金色の像は日の光によって輝き、後ろに虹が出ていた。田沢湖は432mという日本最深の湖だが、発電所の建設と農業のため玉川温泉からの強酸性の水を流入した結果、固有種のクニマスなどは生息しなくなってしまった。つい最近山梨の西湖でクニマスが発見されたと報告され大きな騒ぎになったという。時刻は16時近くて少し陽が傾き始めており、湖の透明度や不思議な色もわかりにくかったが、天気がよかったらさぞかし美しい湖面だろうと思われた。

      

びゅうばすは田沢湖を約半周し、我々は「山のはちみつ屋」で珍しいハチミツを試食、湖畔の杜レストランで行者にんにくソーセージとポトフを試食する。中々見事なフランクフルトで味もジューシーだったので甘辛の土産用に買っておいた。その後バスは田沢湖駅で新幹線での帰宅組を下ろした後に宿泊先まで直接我々を送ってくれた。ホテルは湖よりはかなり標高が高いところで田沢湖高原温泉というエリアになる。完全な山の中で街灯一つなく、付近にいくつかある建物以外はホントに何もない。1階のロビーから大浴場前を通り6階の部屋に行く間中、硫黄の強い匂いが漂っており、いかにも田舎の温泉という感じの施設だった。朝は5時に起床、列車の揺られること4時間、抱返り渓谷で1時間、角館でも約1時間歩き、それ以外は見学1日中バスを乗り降り・・・私の都合で振り回し、母も結構へばっていたはずだが、強力な硫黄泉の刺激で何となく甦り夕食会場に向かうのであった。

          

名物きりたんぽ鍋と、地鶏のピリ辛炒めのダブル鍋つつきながら、を地酒を飲みながらその日の感想を聞くと紅葉も見事だったし武家屋敷も楽しかったらしいが一言「吊り橋が恐ろしかった・・・」(実は私も半分ちびりそうだったのだ)周囲にはコンビニも何もないから部屋に戻ってもつまみもない。もうひとっ風呂浴びて自販機でビールを買い込み、母が持参してきたお煎餅をつまみにがっくり寝てしまったのが初の二人旅1日目だった。(つづく)

10マイルレースにエントリーす

2013-11-04 09:47:12 | スポーツ・健康
昨日は今年で第8回を迎える「湘南国際マラソン」の日だった。「いつも走り慣れた海岸の一本路」を2万5千人もの人が走る。最初のうちは春先だったような気がするが、最近は文化の日に落ち着いたようだ。フルマラソン、ハーフ、10kmなどの公認コースがあり、「Qちゃん」や間寛平さんがゲストで走っていた。正月の箱根駅伝コースと重なっているが、海沿いで景色もよいし、ほぼまっ平らだから年々人気が高まってきたようだ。ただ(最初は江ノ島だったようだが)スタートとゴールが大磯だから、我が家からは中途半端に遠い。車だと海岸線ですぐなのだが、その路がコースになっているのでむろん通行止めになっている。並行する国道は迂回路だが行楽地に向かう車も合わさって恐ろしく混むはずだ。電車でも行けるが駅から海岸までの距離が結構煩わしい。我が家の目の前から勝手に「途中参加あり」だったら出場するのだが、これまで正規に参加したことは一度もない。折り返し点が「江ノ島入り口」だから、スタートと折り返し点が逆だったらよいのにと思う。先頭の大群が134号を通過中でボードを抱えたままいつもの信号をいつまでも渡れずに困ったことがあった。

私はサイクリングもドライブもそうだが目的(地)もなく「ただ走る」のが苦手で、マラソンの類は興味が無かったのだが、毎年同じ日に開催される北関東の「県民マラソン」に職場のイベントとして参加して以来、年に数回は「マラソン」に出場するようになった。たまにジョギングなどしても退屈でしかたないのだが、多くの人と一緒に走る一体感、普段車でしか走らない車道を占領する新鮮さ、沿道の声援からくる高揚感など普段は味わえない刺激があり、自分が「まだやれる」と確認するためにも「よいものだ」と思っている。これまで出場してきた県民マラソンは10キロのコースだが、普段「ただ走る」習慣がないから少しは「自分と戦う練習」をしないとかなりしんどい。1ヶ月前くらいからその気になってジョギングを初め、何事もそうなのだが「直前に集中し過ぎ」て腰を痛め出場すら危ぶまれたのは前述の通りである。「走ることの楽しさを覚えてから他のことはやらなくなった」という友人もいるが、なかなかそこまでの境地には達しないものだ。

湘南国際マラソンから数年遅れて、江ノ島をスタート&ゴールとするマラソン大会が開催されるようになった。名前は紛らわしいが「湘南藤沢市民マラソン」である。これこそ「近所のマラソン大会」で毎年エントリーしている。昨年は受験勉強でがんばっているはずの息子甘辛への「応援マラソン」とするために気合を入れてエントリーした。こういう時に限って公的資格試験日と重なってしまったが、何故か結果オーライ的に進学が決まってしまって暇を持て余している甘辛が急遽「なりすまし」出場することとなった。受験生だったのに毎週欠かさずサッカー練習に精を出していた彼は猛スピードで我が家のそばを駆け抜け、「一般男子(市民)の部」23位という恐るべき記録で後日の新聞紙に私の名前を載せてしまった。ゴール後、そのまま小田急線に乗って引退したはずのクラブチームの10キロマラソン練習に参加し、さらに相鉄、東海道を乗り継いで進学の決まった高校のチーム練習に飛び入り参加していたから、かの少年の体力は計り知れない。(本人は「あん時はさすがにヤバかった」と言っているが)

スタート地点は江ノ島ヨットハーバーの前だ。集合時間の前になると小田急片瀬江ノ島駅や江ノ電江ノ島駅からめいめいのスタイルをしたランナーが大挙して弁天橋を渡る。我が家はお友達と一緒だったり妻と走ったこともあるが、チャリで近くの海岸まで行ってスタート会場まで歩く。暖かければマラソンのスタイルで行って、走って、そのまま帰宅できるのだが、真冬の開催なので行き帰りにも上着がいるのが若干面倒なところだ。公認コースではないらしく、折り返し地点をきりのいい交差点にするため、初めのうちは距離が8.96キロとか中途半端なものだったが、その後5キロや2キロの親子コースなどが設けられたようだ。「毎年必ず出る」と勢い込んだものでもなく、市民優先のエントリー時期になると「ああ、そんな時期なんだな」と思うものの何か「きっかけ」がないとずるずる申し込まずにいた。

  

「今年は10マイルしかないようだけどどうする?」先月になってお友達が連絡をくれ、「ああ、出るんならエントリーしないと間に合わないな」とホームページを眺めた。ホントだー、今年は10マイルと2キロの親子マラソンしかない。連絡をくれたのは以前5キロを一緒に走った「しん」さんだが、「ちょっと無理かも・・・」と自信が無さげだった。私よりも6つも7つも年下なのにだらしのない・・・ついノリだけで自身を省みず「ボクはエントリーしたけどねー」と挑発気味にかましてしまった。一緒に走ってもらいたかったことも少しある。彼も「じゃー、ゴール後うまいビールでも飲みますか」とノッてきてくれた。無事そうなればいいんだが、今回は勝手が違うかも。。。

10マイル=16kmか・・・10キロは約1時間弱、これは身体が覚えているので走り切る自信はある。初めはウォーミングアップでたらたら歩くから等速で走る45分間くらいはもう少し速いと思うが、平均時速10キロというのは意外に速い。後半身体がノッてきてゴール寸前はスパートしてしまうほどハイになるが、どうやら体力的にはギリギリのようで、終わった後は相当なダメージを受けるのは分かっている。あの速度でさらに40分も余分に走ったら何が起きてしまうか予想もつかない。サッカーでもそうだったように身体が続けて走り続けるのを覚えているのは1時間までなのだ。少しずつ慣らしていくしかないな。ランナーの経験豊かな医師である知人に「10kmしか走ったことないオレが16km走り切るための練習方法を教えてくれ」と聞いたら「太郎は運動習慣がちゃんとあるから、コンスタントに10キロ走れればいけるよ」と答えてきた。

近所のスポーツジムにテスト前休みだった甘辛と行き、ジョギングマシンで試しに40分ほど走ってみた。やはり肩、膝、太ももの裏、腰などあちこちが痛くなったが思ったほどでもない。先日、ソフトボール大会で大活躍(自分で言うか?!)した後もあちこち痛くなった。どんな運動量を誇っても普段使わない部位を急に使えば筋肉痛になるものだ。甘辛のように毎日、まんべんなく激しく使っている「昇る朝日」世代なら別だがこちとら完全な「斜陽」族である。彼がコーチに教えられたらしいのだが、長時間走るに疲労を抑えるキーワードは「ハム」(ハムストリングス)だそうだ。大腿の後ろ側(ハム)はアクセル、前側はブレーキ、つまり大腿前部の筋肉を使って走るのは「ブレーキをかけながら走る」ようなものらしい。ちなみに「ハムで走る」練習はこんな感じである。(何をどうしているのかよくわからない)

  

「ハムを効かせて上下動を抑えて走る」要領は中々会得できていないが、気を付けていると何となく疲れにくいような気がする。ジムで「ハツカネズミマシン」でただ走るだけなど、退屈でしかたがないのだが、今では70分、11kmくらい走っても平気になってきた。一緒に走るお友達はまずは16kmという距離を身体で感じるため午後半日かけて「歩いてみた」そうだ。私も大磯まで乗り過ごして家まで歩いたことがあるが、ちょうどその距離が約16キロ・・・帰宅するころは夜空も白み初め、想像を絶する距離だった。しかも歩くと走るでは使うところが全然違う。ただハムを使って走るというのは「歩くように走る」ことのような気がする。鏡で見ると「ぬらりくらり」という走りで「たったったっ」という軽快なリズムとは程遠いイマイチかっこのよくないスタイルである。ともかくレースまで3ヶ月弱。。。それまでに一度は16キロ走り切るように調整しよう。来年はメジャーな方の「湘南国際マラソン」もエントリーしようと思う。沿道でぬらりくらり走っている私を見掛けたら声援よろしく。

湘南、秋の花火

2013-11-01 05:38:52 | 出来事
風情や季節を感じなかった子供の頃のイメージでは「江の島花火大会」と「平塚七夕まつり」と言えば「つまらぬ割りには人ばかり多い」(子供心にね)イベントの代表格だった。中高は部活や受験で忙しくあまり興味も湧かなかったし、学生時代やフレッシュ社会人は東京エリアが中心で、地元などただの田舎だったので、もっと大きな規模で派手なイベントに繰り出したものだ。唯一機会があったのは「内容などどうでもよく、行くことが大事だった」女子との同行だったが、あったかどうかも定かではない。結婚して故郷近くに住むようになり、何となく郷里のイベントが懐かしくてお友達家族と足を運ぶようになったのがここ10数年だ。夏場の海水浴で混雑するところで何故か人気も出ていたから、ものすごい人混みだった。東海道線や小田急線も最寄駅近くなると浴衣姿の観客であふれ、開催有無の情報や帰りの切符購入など車内でアナウンスされた。

江の島花火大会は以前は確か夏休み入ってすぐ、7月25日(24かも)と決まっていて平日であっても頑なにこの日に開催されていたから、例の通り遠距離通勤の多かった私は土休日にあたらなければ中々見る機会がなかった。それがいつの間にか、8月の最初の週くらいになっていた。聞くとどうもここ10年くらい、季節の変動が大きく7月25日あたりだと梅雨が明けきらずに雨天順延なんてこともあったようで、間違いなく梅雨明けしている時期にずらしたらしい。そして2010年夏は当時から夏のトップシーズンに花火大会を行うことによる青少年関連の事件・事故が懸念されていたことに加え、ちょうどAPECが横浜で開催される関係で警備上の必要性から終了後の11月27日初めて「秋の開催」となった。地元民としては夏場は関東じゅうから人が集まり、中にはハタ迷惑な者もあったし、空気の澄んできた秋の花火はまた趣きがあって私は歓迎だった。

その翌年は東日本大震災の影響で中止。これは止むをえまい。当時、祭りや花火大会、マラソンなどイベントが次々に中止となった。「被災地で苦労する方々への配慮」というのが趨勢だったが、「こういう時こそ意気消沈しないで元気を出そう」と開催を主張する声もあったそうだ。毎年GW明けに開催される北関東でついには一度も出場する機会のなかった「コスプレマラソン」だがいち早く一方的に「中止」を通達してきた。それも「事情をご理解ください」という葉書だけで会費も返さないし、参加景品のTシャツも来ない。。。「復旧支援のために会費は寄付して」と言われれば喜んで差し出すし、追加で送ることも考えたのに「なーんかちょっと違うよなー」と感じがしたものだ。翌2012年は関係者間でかなり火花が散らされたらしい。「海水浴客に加え花火観覧客が殺到して危険」という意見と「何十年も夏に開催してきてなぜ秋にやるのか」という「海の家の団体」が結局競技では結論が出ず、投票になったらしい。確かにAPECで警備要員が手薄という個別理由が無ければ「夏が稼ぎ時」の人たちは「人が殺到して危険というが、どこも同じ。きちんと警備すれば問題ないはず。」と言いたくなるだろう。

実は大震災の直前には「花火大会のあり方検討委員会」というのが設置され、観光協会や商工会議所、鉄道事業者、警察・消防などの関係団体が参加したそうだ。記事で見たのだが、観光協会の会長は最初から秋開催に積極姿勢だった。どうも過去10年間花火大会の運営に携わってきて「人が殺到し本当にやばい時があった」かららしい。秋は日が短く、早く打ち上げられるメリットも主張された。早く終われば街に流れる観光客で飲食店なども賑わうし、年間を通じて市全体が賑わうように秋に集客イベントがあるのは重要だそうだ。先にも書いた通り私も秋(というよりは夏以外)の開催には大賛成だ。夏本番には全国各地で似たような花火大会がたくさん開催されるが、よほど好きでなければいくつも見物に行くことはない。この辺だと名物の「鎌倉」とい保険に茅ケ崎があれば十分である。夏以外の花火は東京ディズニーランドと車山スキー場、そして熱海海上花火大会しか見たことがない。熱海海上花火大会を初めて見た時、私は「冬の花火」の大ファンになった。

濃いスープのような蒸し暑い夜、気分的にもムンムンと上ずった気分で眺める真夏の花火に比べて、身も心もきりーっと引き締まる寒空で、暗くても透明感が伝わるような冴えわたった空に輝く冬の花火は実に新鮮で素晴らしく見えたのである。特に熱海海岸とその後ろの山々が真っ白になるほどのフィナーレは怒涛の響きとともに忘れられない輝きだった。
昨年、江の島花火大会は10月13日に開催された。「秋開催派」が「これまで通り派」を押さえたらしい。私は当日まで知らずに、波乗りから夕方帰宅する時に初めて聞いて、慌てて家で着替えサーフビレッジから見物した。この辺りがちょうど見やすい場所だろうか、弁天橋のあたりだろうか、仕掛け花火が光輝き短い時間だったが素晴らしく綺麗だった。 やはりここの花火は秋がいいと思った。

        

今年の開催は10月19日(土)、どうやら秋の開催は定着してきたようだ。開始時間は少し早く6時ちょうど、開催時間はわずか45分の小さな大会だが、3000発と湘南では唯一の特大2尺玉が盛り込まれている。いつもの花火大会なら食べ物や酒、レジャーシートなど万全の準備で臨むのだが、今回は下手するとあっという間に終わってしまう。我が家は手ぶらで海岸まで歩いた。結構人が集まっていたが、腰を下ろしたのはいつも私がサーフボードを運搬し桃色クルーザーを置いておく丘だった。
打ち上げ場所は沖合の台船と片瀬漁港らしい。2か所から江の島に向けて斜めに打ち上げる尺玉、弁天橋にあると思われる仕掛け花火(もしかして大型LED?)のセット、江の島全体を覆い尽くすほどの巨大・ド迫力の特大2尺玉、どれをとっても素晴らしかった。フィナーレでは弁天橋から江の島を全て真っ白に輝かせるほどのスターマインと直径480メートルという大輪花火はもう鳥肌ものだった。

     

海上近くでは打ち上げと音楽とのコラボレーションや、メッセージ花火、ドラえもんやキティなどのキャラクターものも楽しめたろう。今年は昨年よりも遠く近所からの見物だったので少し小さく見えたが、内容はさらに充実しているのがよくわかった。来年は有料観覧席でも取れないかな。たぶんすごい迫力で忘れられないものになるだろう。
夏は鎌倉、秋は江の島、そして冬は熱海を定着させ四季折々に楽しみたいものだ。ちなみにこの辺で春先(早春がよい)に行われる花火大会はないものだろうか?「日本の花火大会一覧」というサイトを見ると、なんと3月と4月に開催されるのは熱海海上花火大会のみ!(これってすごいことだなー)春開催に見当たるのは栃木県の鹿沼(5月)である。全国各地で見事なくらいに7月8月開催が圧倒的に多い。どうしてこんなに夏場ばかり行われるのだろうか?集客したいなら「どこもやっていない時期」を狙うという作戦もあると思うのだがなー。