少し前の週末、妻と久々に息子甘辛の練習試合を見に行くことにした。大学生になってプレイするのを見るのは初めてである。これまでも週末の対外試合を見る機会は結構あったが、高校時代サッカー部のグランドが人も羨む専用の人工芝だったのに比べ、今のキャンパスにあるグランドは、甘辛に言わせると「呪いたくなるような」凸凹地面だ。我が家からは割りとちょうどいい距離にあって妻は見に行きたがるのだが、思うようにプレイができないらしく「来なくていい」と言う。その他アウェイの試合は他県であったり早朝であったり中々タイミングが合わないでいた。体育会サッカー部の最下級生だから雑用や使いッパで終わる時もあったり、プレイスタイルが合わずに干されてCチーム落ちなんてことも度々あるようだ。試合の日程もこちらから聞かなければ言わないので、ネットでスケジュールを調べて暖かくなったら見に行こうと妻と話していた。長期オフが明けて、たまたま真冬のわりには暖かい日の夜に練習試合が組まれていた。
ここ数年チームメイトのDスケと乃木坂○6の「ななみん」や「なーちゃん」を追い掛け回していて、よくライブや握手会などに余念のない甘辛だが、「オレは絶対Aチームに残って合宿に行く!」と気合を入れていた。ようやく邪念が晴れてサッカーに身を入れる気になったのかと思ったら、やっとのことでチケットを入手した握手会の開催日がAチームなら最終日、B/Cチームなら出発日になっていて、開催当日に帰宅する方のAチームにいないと駆けつけられないようなのだ。「何か動機の根本が違うような気がするぞ・・・」ともあれ最近はまあまあ調子がいいのか、溶け込んできたのかAチームの試合にも出場するようになったらしい。練習試合はハイソで有名な○ジュクの専用グランドで、もちろん人工芝&ナイター完備、横浜にあり周辺にはラグビー、フットサルなどの専用ピッチもあった。「来るなら『差し入れ』持ってきてくれよ」甘辛は上機嫌で出掛けていった。
電車で行って帰りにデニーズ(恋妻家か?!)で反省会とも考えたが、昼間あちこちに出かけて用事を済ませているうちに面倒くさくなり、差し入れもいることから赤いライオン号でグランドに向かうことにした。私は大学生のサッカーというものにあまり馴染みがなかった。自分もやってはいたのだが、同好会というのはあくまで「趣味の世界」で経験者も初心者も草野球のようにとりあえず「サッカーを楽しもう」という雰囲気で、面白くもない集合練習などはほとんどなく、むろん自主的何かするわけでもなく、「ゴルフに誘われてラウンドする」スタイルだった。受験戦争を終え、勉強にも部活にも追われることのない「花の大学生活」を迎え、何が楽しくて自らしんどい思いをする必要があるか?コンパやパーティ、デート、アイドル他イベントを満喫し、不摂生によって幾分デブったカラダを引きずってピッチを走り回るようなものだ。
「部活のようなストイックなサッカーは高校で卒業」という時代だったと思う。いわゆる選手としては引退し、楽しむスポーツへ転向するのである。むろんサッカーもその一つではあるが、バブル期だからスキーやテニスが全盛であり他にも誘惑は巷に溢れ、たまにサッカーをする機会があっても「わーっ、さすがサッカーやってたんだね。すごーい」という女子の声があるときだけ張り切り、疲れたら代わってもらう。実際に体力や運動能力はどうだろうか?プロや本格選手を目指すならもう少し先の年齢まで伸びしろがあるだろうが、高校卒業時点で身体能力の最高ピーク付近に来ていてじかも受験のブランクがあるから、スタイルを変える潮時とするのも自然ではないかと思う。しかし息子甘辛はそういう時代の私とは全然違うスタイルを貫いている。今の時代、周囲にはそういう雰囲気もあるかもしれないが、「ずーっとひたむきに続けている」のである。
私も一緒にやりたかったから、甘辛がごく自然にサッカーをやり始めたのが幼稚園のとき、その延長で小学サッカーを続けていた。高学年になるとスポーツの宿命で「できるできない」の差が現れ、それが目に見える結果となる。たまたま息子甘辛はそこそこ「できる」方だったから、親も夢中で盛り上がった。JリーグやWカップの影響もあって地元でもサッカー熱が上がり続け、試合は県内の隅から隅まで必ず妻と見に行ったし、早朝暗いうちから親子練習をしたり、サッカーを通じて最も家族が同じ時間を過ごした時だった。最高学年は県のトレセンまで選ばれた甘辛だが、どの世界でも同じように「できる」ものが集まるとその中で「できない」ものとの差が現れる。向上心もあった息子は中学生になる際にJリーグ下部チームのセレクションなどを受けてみたが、もはや通じるレベルではなくなっていた。ただ単なる「放課後の部活動」ではなく、専門の活動をしたかったらしく、県内のクラブチームでプレーすることを選んだ。
小学サッカーでは親子のつながりも含めて充実していた甘辛だが、ジュニアチームでのサッカーは一つの精神的試練があった。高度成長期が遅かったために身体の差が大きく現れ先輩のプレーには通じず、同輩には抜き去られたのである。足技などがいかに上手くてもスピードと重量ばかりはどうしようもない。2年生後半で最上級生としてチームの中心になるまではほとんど出番らしいものはなく、試合に出ているのを見ることは無かった。小学時代強豪だったチームメイトが次々にサッカーを辞めていく中で「(身体の成長だけはどうにもならんからな。そろそろ辞めて勉強に専念するのもありかな)」たまに一緒にボールを蹴ったりして、口にはしないがそんな観想をもっていた。校庭の部活と異なり、夜間に市外のグランドに30分以上かけて自転車で練習に行くのである。サッカーそのものよりも「試合に出てナンボ」と考えれば、クサッって辞めたくなっても不思議ではない。
しかしどういうわけか愚痴一つ言わず、甘辛は練習に通い続け、まだ不完全燃焼だったのか、いわゆる受験生となって最後の大会が終わっても、「引退せずに卒業まで続ける!」と言って我々を焦らせた。あまりそういう話をしてこなかったが、この時だけは「進学について何も考えずに『やりたいから続ける』というのはダメだ」と釘を刺した。夏休みが終わって小部屋で一緒に受験勉強するようになり、年末いよいよ追い込み期になると、父子面接演習もやった。入学試験の面接官はやったことがないが、会社では採用、昇進他あらゆる面接を行ってきたベテランではある。そこで「中学時代に一番辛かったことは何か?それをどうやって克服したか?」という事項についてマニュアルをアレンジして質問してみたら「成長期が遅かったので、身体能力の差で試合に出られないのが辛かった。その分チームメイトをできる限りサポートしようと思った」と意外な場面で普段は聞かなかった本心を聞いたとき、「コイツは面接だったら通るな・・・」と何となく直感し、3年後もそれ有を形化することとなる。
高校進学先が決まり、晴れて受験生から開放されると早速進学先のサッカー部に連絡を取って、中学生の身分で練習に参加し始めた。高校サッカー部は別に強くもないが、グランド設備や環境は整っていた。後半になってようやく身長が急激に伸び始め、大人の骨格となっていき、新チームになって中心選手として走り回るようになった。正直、自分の息子がベンチを暖めている試合など興味は無かったので、中学時代はほとんど最後の方しか観戦には行かなかったのだが、高校になりグンとレベルアップしたサッカーについて行けるようになり、しかも主力でいるから再び私たちはホームのグランドに通い詰めることになる。ただ一応進学校ということもあり、新チームへの代替わりを契機に早々と部活を辞め受験勉強に専念するというチームメイトが次々に現れ、甘辛も懸命に引き留めたらしいが主力メンバーはわずか6人となってしまった。元々それほど強豪というわけでもない、インターハイ予選を勝ち進み、最後の試合はものすごくいいプレーをしたそうだが、私が見に行った夏の大会最後はあっさりと負けて高校サッカーのピリオドを打ってしまった。
小学校時の県選抜などという輝かしい足跡とは一転した、あまりパッとしない中高の成長期サッカーで、これを機軸に将来の進路や進学など考えるレベルではなくなっていることは本人も十分承知していたはずだが、私と異なり大学進学を早々と決めた後も、娯楽・快楽の道にはあまり逸れずにごくごく自然にサッカーを続けた。自分でとっとと体育会サッカー部に連絡をとり、入学前から練習に参加し始めてしまった。どうしてそんなにひたむきになれるのか、引っ込み思案の私には考えられない、恐るべき行動力である。体育会系ならではの使いッパシリや理不尽とも思える運営にぶーぶー言いながらも今まで当たり前のように大学サッカーを続けてきた。
これまでサッカーで有名な学校でもなく、強い部にいたわけでもない。「続けること」について気負っているところは全くなく、予定がなければ昼までも寝ているのに、当たり前のように5時の始発電車で雨が降っていても朝練に出かけていく。練習終了後試合に備えて山のように道具を持ち帰らせれても、そのままバイト先の塾に引きずって行く。その姿はどこか泰然としていて、いかにも自然体で完全に生活の一部になってしまっている。周囲の(特に女子の)目や先々の見返り、夢と言えるようなカッコいい目標もなく、あれだけひたむきに「続ける」というのはすごいことだと改めて思う。妻が「大学生にもなって試合を見られるなんてありがたいよね」と言うのを聞いてなるほどと膝を打った。
これまで我々は甘辛を応援し、そのチームを応援し、「勝った、負けた」に一喜一憂し、そのプレーについても「ああ、もうちょっと速くボールを出さなきゃ」「そこは左サイドに振るところだろ」「あー、もう不用意なバックパスやめろって」とある意味一体となっていた。ところが今回観た初めて「大学生となった甘辛」のサッカーは何をしていても楽しめるのである。中年の草野球で、親しい友達がプレーするのに声援を送るような気分だ。ヒットを打てば大騒ぎ、トンネルしても大笑い・・・)当人は不満がるだろうが、我々はその当たりを卒業したのだろう。あまり感心しないが、甘辛は「サッカーを自然にできる」職業を志向しているらしいから、社会人になっても「自然に」続けていくことだろう。、そして我々はそんな「気負わず自然でひたむきな」彼のサッカーを見て楽しむだろう。「恋妻家」を観た後、デニーズでの反省会でワインが進んで話題となったのはこんな話である。「部活を卒業す」編でも似たようなことを書いたかもしれない・・・
ここ数年チームメイトのDスケと乃木坂○6の「ななみん」や「なーちゃん」を追い掛け回していて、よくライブや握手会などに余念のない甘辛だが、「オレは絶対Aチームに残って合宿に行く!」と気合を入れていた。ようやく邪念が晴れてサッカーに身を入れる気になったのかと思ったら、やっとのことでチケットを入手した握手会の開催日がAチームなら最終日、B/Cチームなら出発日になっていて、開催当日に帰宅する方のAチームにいないと駆けつけられないようなのだ。「何か動機の根本が違うような気がするぞ・・・」ともあれ最近はまあまあ調子がいいのか、溶け込んできたのかAチームの試合にも出場するようになったらしい。練習試合はハイソで有名な○ジュクの専用グランドで、もちろん人工芝&ナイター完備、横浜にあり周辺にはラグビー、フットサルなどの専用ピッチもあった。「来るなら『差し入れ』持ってきてくれよ」甘辛は上機嫌で出掛けていった。
電車で行って帰りにデニーズ(恋妻家か?!)で反省会とも考えたが、昼間あちこちに出かけて用事を済ませているうちに面倒くさくなり、差し入れもいることから赤いライオン号でグランドに向かうことにした。私は大学生のサッカーというものにあまり馴染みがなかった。自分もやってはいたのだが、同好会というのはあくまで「趣味の世界」で経験者も初心者も草野球のようにとりあえず「サッカーを楽しもう」という雰囲気で、面白くもない集合練習などはほとんどなく、むろん自主的何かするわけでもなく、「ゴルフに誘われてラウンドする」スタイルだった。受験戦争を終え、勉強にも部活にも追われることのない「花の大学生活」を迎え、何が楽しくて自らしんどい思いをする必要があるか?コンパやパーティ、デート、アイドル他イベントを満喫し、不摂生によって幾分デブったカラダを引きずってピッチを走り回るようなものだ。
「部活のようなストイックなサッカーは高校で卒業」という時代だったと思う。いわゆる選手としては引退し、楽しむスポーツへ転向するのである。むろんサッカーもその一つではあるが、バブル期だからスキーやテニスが全盛であり他にも誘惑は巷に溢れ、たまにサッカーをする機会があっても「わーっ、さすがサッカーやってたんだね。すごーい」という女子の声があるときだけ張り切り、疲れたら代わってもらう。実際に体力や運動能力はどうだろうか?プロや本格選手を目指すならもう少し先の年齢まで伸びしろがあるだろうが、高校卒業時点で身体能力の最高ピーク付近に来ていてじかも受験のブランクがあるから、スタイルを変える潮時とするのも自然ではないかと思う。しかし息子甘辛はそういう時代の私とは全然違うスタイルを貫いている。今の時代、周囲にはそういう雰囲気もあるかもしれないが、「ずーっとひたむきに続けている」のである。
私も一緒にやりたかったから、甘辛がごく自然にサッカーをやり始めたのが幼稚園のとき、その延長で小学サッカーを続けていた。高学年になるとスポーツの宿命で「できるできない」の差が現れ、それが目に見える結果となる。たまたま息子甘辛はそこそこ「できる」方だったから、親も夢中で盛り上がった。JリーグやWカップの影響もあって地元でもサッカー熱が上がり続け、試合は県内の隅から隅まで必ず妻と見に行ったし、早朝暗いうちから親子練習をしたり、サッカーを通じて最も家族が同じ時間を過ごした時だった。最高学年は県のトレセンまで選ばれた甘辛だが、どの世界でも同じように「できる」ものが集まるとその中で「できない」ものとの差が現れる。向上心もあった息子は中学生になる際にJリーグ下部チームのセレクションなどを受けてみたが、もはや通じるレベルではなくなっていた。ただ単なる「放課後の部活動」ではなく、専門の活動をしたかったらしく、県内のクラブチームでプレーすることを選んだ。
小学サッカーでは親子のつながりも含めて充実していた甘辛だが、ジュニアチームでのサッカーは一つの精神的試練があった。高度成長期が遅かったために身体の差が大きく現れ先輩のプレーには通じず、同輩には抜き去られたのである。足技などがいかに上手くてもスピードと重量ばかりはどうしようもない。2年生後半で最上級生としてチームの中心になるまではほとんど出番らしいものはなく、試合に出ているのを見ることは無かった。小学時代強豪だったチームメイトが次々にサッカーを辞めていく中で「(身体の成長だけはどうにもならんからな。そろそろ辞めて勉強に専念するのもありかな)」たまに一緒にボールを蹴ったりして、口にはしないがそんな観想をもっていた。校庭の部活と異なり、夜間に市外のグランドに30分以上かけて自転車で練習に行くのである。サッカーそのものよりも「試合に出てナンボ」と考えれば、クサッって辞めたくなっても不思議ではない。
しかしどういうわけか愚痴一つ言わず、甘辛は練習に通い続け、まだ不完全燃焼だったのか、いわゆる受験生となって最後の大会が終わっても、「引退せずに卒業まで続ける!」と言って我々を焦らせた。あまりそういう話をしてこなかったが、この時だけは「進学について何も考えずに『やりたいから続ける』というのはダメだ」と釘を刺した。夏休みが終わって小部屋で一緒に受験勉強するようになり、年末いよいよ追い込み期になると、父子面接演習もやった。入学試験の面接官はやったことがないが、会社では採用、昇進他あらゆる面接を行ってきたベテランではある。そこで「中学時代に一番辛かったことは何か?それをどうやって克服したか?」という事項についてマニュアルをアレンジして質問してみたら「成長期が遅かったので、身体能力の差で試合に出られないのが辛かった。その分チームメイトをできる限りサポートしようと思った」と意外な場面で普段は聞かなかった本心を聞いたとき、「コイツは面接だったら通るな・・・」と何となく直感し、3年後もそれ有を形化することとなる。
高校進学先が決まり、晴れて受験生から開放されると早速進学先のサッカー部に連絡を取って、中学生の身分で練習に参加し始めた。高校サッカー部は別に強くもないが、グランド設備や環境は整っていた。後半になってようやく身長が急激に伸び始め、大人の骨格となっていき、新チームになって中心選手として走り回るようになった。正直、自分の息子がベンチを暖めている試合など興味は無かったので、中学時代はほとんど最後の方しか観戦には行かなかったのだが、高校になりグンとレベルアップしたサッカーについて行けるようになり、しかも主力でいるから再び私たちはホームのグランドに通い詰めることになる。ただ一応進学校ということもあり、新チームへの代替わりを契機に早々と部活を辞め受験勉強に専念するというチームメイトが次々に現れ、甘辛も懸命に引き留めたらしいが主力メンバーはわずか6人となってしまった。元々それほど強豪というわけでもない、インターハイ予選を勝ち進み、最後の試合はものすごくいいプレーをしたそうだが、私が見に行った夏の大会最後はあっさりと負けて高校サッカーのピリオドを打ってしまった。
小学校時の県選抜などという輝かしい足跡とは一転した、あまりパッとしない中高の成長期サッカーで、これを機軸に将来の進路や進学など考えるレベルではなくなっていることは本人も十分承知していたはずだが、私と異なり大学進学を早々と決めた後も、娯楽・快楽の道にはあまり逸れずにごくごく自然にサッカーを続けた。自分でとっとと体育会サッカー部に連絡をとり、入学前から練習に参加し始めてしまった。どうしてそんなにひたむきになれるのか、引っ込み思案の私には考えられない、恐るべき行動力である。体育会系ならではの使いッパシリや理不尽とも思える運営にぶーぶー言いながらも今まで当たり前のように大学サッカーを続けてきた。
これまでサッカーで有名な学校でもなく、強い部にいたわけでもない。「続けること」について気負っているところは全くなく、予定がなければ昼までも寝ているのに、当たり前のように5時の始発電車で雨が降っていても朝練に出かけていく。練習終了後試合に備えて山のように道具を持ち帰らせれても、そのままバイト先の塾に引きずって行く。その姿はどこか泰然としていて、いかにも自然体で完全に生活の一部になってしまっている。周囲の(特に女子の)目や先々の見返り、夢と言えるようなカッコいい目標もなく、あれだけひたむきに「続ける」というのはすごいことだと改めて思う。妻が「大学生にもなって試合を見られるなんてありがたいよね」と言うのを聞いてなるほどと膝を打った。
これまで我々は甘辛を応援し、そのチームを応援し、「勝った、負けた」に一喜一憂し、そのプレーについても「ああ、もうちょっと速くボールを出さなきゃ」「そこは左サイドに振るところだろ」「あー、もう不用意なバックパスやめろって」とある意味一体となっていた。ところが今回観た初めて「大学生となった甘辛」のサッカーは何をしていても楽しめるのである。中年の草野球で、親しい友達がプレーするのに声援を送るような気分だ。ヒットを打てば大騒ぎ、トンネルしても大笑い・・・)当人は不満がるだろうが、我々はその当たりを卒業したのだろう。あまり感心しないが、甘辛は「サッカーを自然にできる」職業を志向しているらしいから、社会人になっても「自然に」続けていくことだろう。、そして我々はそんな「気負わず自然でひたむきな」彼のサッカーを見て楽しむだろう。「恋妻家」を観た後、デニーズでの反省会でワインが進んで話題となったのはこんな話である。「部活を卒業す」編でも似たようなことを書いたかもしれない・・・