超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

座右の銘酒

2010-04-29 22:40:01 | 食べ物
太ったおばさんが・・・「まあ、パリでドイツワインを頼むなんて、なんて命知らずなんでしょ!?ははは。冗談よ。シュタインベルガーも置いてありますよ。。。」
何のことか分かった人は確実に私と仲良しになれる。(もとい!分からない人もここを訪れてくれた人とは仲良くなれる)
男なら一度は読んで欲しい戦闘もの、新谷かおるのエリア88の1シーンである。

シュタインベルガーというドイツ白ワインをこよなく愛するのはエリア88に登場する通称「鋼鉄の撃墜王」フーバー・キッペンベルグ元西ドイツ空軍少佐である。
寡黙にして戦闘機隊を指揮させれば沈着冷静で腕は超一流。この男はどこへ行ってもシュタインベルガーを注文するのである。
哀しくもフーバーは戦死してしまうが、同期のカーライル・ベンディッツは幸運にも生きて除隊することができ、亡き占有を思って同じワインを同じ宿で注文するのだ。
ちなみにおかみは同じセリフを口にし「あれ?前にも同じことを言ったような・・・」ととぼける。



味のしきい値が低い私にマリアナ海溝のような奥深い「ワイン」の味など分かろうはずもない。
分かるのは「重い、軽い、フルーティ、安っぽい」くらいである。進化の度合いが低い脊椎動物並みである。
しかし、いい歳をして「お気に入りのワイン」の一つも「サッと」言えなければカッコ悪いではないか。何か物語性のあるワインを見つけて気にいれば「それ専門」に絞ろうと思っていた。

実は15年ほど前、ドイツに1ヶ月ほど交換研修で滞在したときに、ワイナリーでこのワインが実在することを知りいつか飲んでみたいと思っていた。
残念ながらそのワイナリーでは扱っていなかったし、移動に移動を重ねたので途中で買っていくということもできなかった。
ドイツではかなり有名なワインらしいのだが、「何でそんなに飲みたいの?」と聞かれたときは、説明にディナータイム一食分費やした。。。
かの「鉄血宰相ビスマルク」も愛飲したと言われているようだ。ストーリー性なら十分OK。

帰国後もその名前は覚えていたが茅ケ崎駅南口のリカーショップのワインクラーでこのシュタインベルガー、ホントに出会うとは思ってもみなかった。(数年前)
うーむ。ドイツ国会で見た鷲のマークがあってなかなかカッコいい。。。
さて、味はというと・・・まずグラスを持ち上げて色を見て、くるくる回して香りを試し、口にちょっとだけ含んで空気と混ぜるんだっけ?
うーむ。これは結構うまい。爽やかでスキっとした甘味とほんわかした酸味があって飲みやすい。

カビネットだったと思うが、どちらかというと女性が好む味のようだ。むろん私のストライクゾーンに十分入っている。
妻は甘いよりは辛い味を好むからこれはどうかなー。銘柄ではないが、「メルローが好きだ」とは言っていた。



そんなこんなもあって、何か記念の日にワインで乾杯とすることになると「シュタインベルガー」を買って帰ることが習慣になった。
やはりこの辺のリカーショップでは滅多に見ないが、甲州街道沿いの「やまや」という店で何種類か置いているのを見つけたのだ。
刑事コロンボの「別れのワイン」に登場したイタリアのデザートワイン「エスト!エスト!エスト!ディ・モンテフィアスコーネ」はどこでも買える。
好みのワインなど一つ二つあればよい。ロマネ・コンティは名前だけで一生縁はないだろうし。

さて、ワインは最初からあきらめムードなくらい深いが、日本酒も手に負えないくらい深い。。。
こちらのほうがわずかだが味がわかるような気がする。
20年以上前、新潟の長岡で学会発表をしたときに、前夜の懇親パーティで「米どころ酒どころの新潟」らしく、普段はなかなかありつけない有名な酒を浴びるほど飲めた。
越の寒梅をはじめ、八海山、雪中梅、〆張鶴などがところ狭しと樽のまま振舞われていた。
全般的に飲みやすく、すっきりした味でいくらでも飲める気がしたが、むろんそんなことをして無事でいられるはずもなく、ホテルの部屋に帰るまでに靴を片方無くしてしまい、翌日の発表はなぜか片方がスリッパだった。。。

日本酒はワインよりも銘柄をたくさん知っているし、味も少しはわかるから値段とのパフォーマンスが要素としては強く出る。
新潟で飲んだ酒はどれも旨かったが、普通に買おうとすると四合瓶でも何千円としてしまいあまり買う気になれぬ。
そんな中ですっきりしてかつコクがある高級っぽい味の割には値段も手頃な酒を仙台で飲ませてもらい、すぐにお気に入りに登録されたのが「浦霞」である。

浜松町に一時勤務していたときに、協力関係にある仕事先に私よりもひとまわり以上年配の人がいて仲良しだった。
もう孫がいてもおかしくないようなその人は「浦霞」が大好きで、浜松町の行き付けの酒屋で、その人のためにそこに常備されていた「浦霞」をいつも飲んでいたものだ。
ある時にその取引先のエライ人と席を同じくする機会があった。初めてだったがたぶんあれが「接待」というヤツなのだろう。

たまたま私が現場の指揮官であったので、上司に連れられて「殿様の肘掛」がある高級料亭に招待された形になった。
私はサラリーマンながら「上を見て仕事をする」習慣がないので、堅苦しい会席などはなるべく逃げ回っていたが、行ったら行ったで飲み方を変えることはない。
ただしその時は先方のエライ人はもちろん上司ともそんなに近くで食事をするのは初めてだったので大人しくしていた。

「磯辺さんはお酒はどういうのがお好きなんですか?」

「これといっては・・・よくわからないんです。家では大抵焼酎ですし。。。」私が大人しく答えたところに上司を挟んで反対側に座り仲居さんと何やら話していた例の仲良しおじさんが上司の背中ごしに

「おーい、磯ちゃん!浦霞あるってよー」

このじじい!と思ったが、にっこり笑ってとっくりを差し向けるエライ人に苦笑いするしかなかった。。。
その後、我が波動エンジンは出力120%のワープモードまで回転を上げたのは言うまでもない。
後日、上司は「いやあ、楽しかったけどよく飲んだなー。磯辺たち2人でほとんど2升半飲んでたぜ」
その後2回ほど、そのパートナー会社の人達と「料亭」なるところで懇親をはかったが、次からは何も言わなくても必ず「浦霞」が出てきた。
もはや私にとっては不動の「座右の酒」となったのである。

そしてこの辺ではほとんど幻化してしまったが、「お気に入り」と言える日本酒がもう一つある。「丹波杜氏」という銘柄である。
以前も照会したがその昔、毎年何回かは訪れていた車山高原スキー場のペンションがあった。先日訪れた網代のペンションもそうだが、ペンションというのはどこもオーナーが料理にこだわりを持っていて、出てくる品々も凝ったものが多い。
当時は圧倒的に(私も含めて)若者向けだったので、お洒落っぽい仏料理が多かった(和食を出したらペンションじゃない?!)

パエリアとか牛肉のパイ包み焼きやシャリアピンステーキなど結構見栄えばかり狙った料理が多かった中で、そのペンションではローストビーフなど素朴なメニューが多かったが実に旨かった。
そして食事後、ペンション名物「オーナーや他部屋客との語らい」の中で我々が酒好きと聞いて「これ、飲んでみて」とタンブラーグラスになみなみと注いで出してくれたのが「丹波杜氏」であった。
丹波というからには「灘の酒」のことなんだろか、びっくりするほど美味しかった。ボキャがプアーでうまく表現できぬが、一言で言うと「きりっと若々しい」。

川魚の燻製やフランクフルトのオリーブ油揚げなど、地味だが素晴らしくうまいつまみでその美酒を堪能した。
あればあるだけ飲んでしまう我々だったが、いつも置いてあるわけではなかった。やはり結構貴重なものだったらしい。
ナイターゲレンデから帰ってきたときなど、特製カレーを出してもくれたアットホームなペンションだった。

帰ってから色々なリカーショップ、デパ地下を探しまわったが、こちらの方面ではお目にかからなかった。誰でも知っているが中々手に入らない超有名酒を置いてある店にも無かった。
数年かかってやっと見つけたのが、東京駅の大丸デパート。さっすが東京だ。
書いているうちに何だか飲みたくなってきたぞ。20年も前にはあったのだが、もう無くなってるかな・・・

もちろん、いつもこだわりの酒を飲んでいるわけではない。
普段、家で飲むのは宝焼酎をグレープフルーツ100%ジュースで割った「ソルティ・マウス」である。最近はメトロンジョッキで飲むことが多い。
リカーをウォッカに変えて、グラスのふちに塩をまぶせば「ソルティ・ドッグ」だが、この名称は焼酎の「チュウ」から採ったという「クッキング・パパ」からパクった。

炭酸の場合は24時間営業の西友で売っている88円のレモンサワー&グレープフルーツサワー。アルコール8%というのが優秀だ。
他ではこの値段で買えないので、発見したときはよくある「在庫のみ売り切り」かと思って二箱48本まとめて購入した。
ただ家に買い置きしておくと、あっと言う間に無くなってしまい、いつでも売り場にあるようなので最近は飲むときだけ買ってくる。

その昔、週に1日の休肝日を設けていた。人間ドックに初めて行ったとき「2日にしなさい」と医師に言われ、数年前から「3日にしてください」とアップグレードされてしまった。
何とか忠実にその注文を順守し、昨年の問診票には晩酌は「週に3〜4日程度」と自信を持って書いたら、「1回に飲む量が多過ぎ!」と厳しく指導されてしまった。
まったく、色々と難癖つけやがって・・・でもこの歳で「セル完全体」を維持するためには仕方がないか。。。

座右・・・というにはちょっと違う気がしてきたが、ワインなら「シュタインベルガー」、日本酒なら「浦霞」、我が家にお越しの際、お土産をご持参いただくなら覚えといてね。(ウソ)



津久井湖にて

2010-04-28 06:00:01 | 出来事
先週土曜日の話。息子甘辛が新たに所属したクラブチームがU−15選手権を迎えた。甘辛も入ったばかりでベンチ入りはしたそうだが、もちろん応援する側なんだろう。
どんなスタイルのサッカーをするのか見てみたかったので、応援に行くことにしたが会場はなんと津久井湖のそば。。。
県立S山高校の向かいにある中学校のグランドだ。地図では小さいがうちの県も結構広いんだな。

高校のときに試合でS山高校には2度ほど訪れたことがあるが、何故か「あそこのグランドは破傷風菌がうようよしている」という謎の噂が立ち込めていた。
ディフェンスだった私はスライディングタックルだけはしないように、なるべくちょこちょこ足を出して監督に叱られたものだ。
試合が終了すると選手全員がダッシュで水道へ向かい、ぶつけたところやちょっとでも傷になっているところは丹念に洗いマネージャーのマキロンを空っぽにした。
「あいつらどうしたんだ?」顧問は不思議そうな顔をしていたのを記憶している。

むろん「学校」と名の付くところは、衛生管理など厳しく行っているから噂のようなことはないのだろう。
県内でも、すぐ近くにある相模湖はピクニックランドもあるし湖そのものでも遊べる上に中央道は相模湖インターから乗るのが普通なので何度となく訪れているが実は津久井湖というのは行ったことがない。
朝一で用事があるので、試合開始には間に合わないかもしれないが、こんなことでもないと行く機会がないからこの前の那珂湊と同様にムーブ君を走らせた。

途中までは相模湖までのルートと全く同じだ。412号をいつもの通りに進み三ヶ木というところで右折すると城山・津久井湖方面だ。
会場はすぐにわかった。妻が先行して見に行っていたが、私が到着した頃は後半に入っていた。
ジュニアユースの試合ってやはり小学生とは迫力が違うよな。残念ながら我がチームはあまりよいところがなく負けてしまった。

とりあえず昼飯でも食って、この近辺を偵察するか。近くにあったちょっと趣のあるラーメン屋に入り込んだ。
由美かおるの「アース渦巻き看板」があるようなところだ。おばさん一人で切り盛りしているらしく、昼を過ぎるとあっという間にライダーやらトラック野郎やらがぞろぞろやってきた。
ラーメン定食はごはんとギョーザがついて950円。普通の味だった。。。

店内にあった小さなテレビでポテコのことを取上げていた。
トウハトの人なのかタレントなのか定かじゃない人が「ポテコは指にはめて食べるとおいしいんですよ。信じるか信じないかはあなた次第です・・・」
まるで都市伝説だが、何を真顔で言ってるんだこいつ?
その後、「なげわ」なるお菓子についての説明を始めた。「なげわ」だと?そんなの聞いたことないが。。。どうも同じような味がするリング状のお菓子らしい。
「主に『ポテコ』は東日本で、『なげわ』は西日本でそれぞれヒットしているようなんです。信じるか信じないかはあなた次第・・・」
私は半分以上信じてしまった。。。

ポテコは確かに指にはめて食べた。指にはめて食べると言えば「とんがりコーン」のほうが基本だと妻と話し始めたのだった。「魔女」とか「パンサークロー」そして「南斗無音拳」(これ知ってたら私の仲間)
子供の頃は必ず変なお菓子の食い方をしたものだ。

剥がし版:バームクーヘンを薄く剥がして食う。コロンの外側を剥がす。オレオの片側を剥がしクリームで何枚も重ねて食う。

先舐め版:アポロチョコのイチゴ部。ポッキー、きのこの山

冷凍版:萩の月(これは妻からの情報)、カルピス、ヤクルト(学生時代に研究室で液体窒素に突っ込み瞬間冷凍して遊んだ)

CM版:アーモンドグリコの包装紙を半分だけ剥がし、かりっとかじる(ちょっと破片が飛ぶこと)。スピンを顔の上で縦に回転させて口に入れる。かっぱえびせんをビールジョッキに入れて食う(最後に空ジョッキの底を指でつつく)

大したことない普通のラーメンを妻と食いながら、そんな与太話をしていた。なげわは私は初めて聞いたが、妻は知っていたようだ。
せっかく来た(もう来ないような気もする)ので、その辺をぐるっと偵察しようと車を走らせた。
この地方の名産とかっってあまり聞かないし、お土産屋でも入ってみるか・・・来るときにちょっと気になった店に向かうことにした。

内閣総理大臣賞受賞の「ブランデーせんべい」である。
外し王の私でもさすがに「これは確実にやられる」と直感した。「アンタは入ると買わずにはいられないんだから」と妻は
店内に入ることにすらずーっと反対していた。



しかし他に見るところもないから、とりあえず入ってみたのだ。
中にはおばさんがいて、様々な種類のせんべい(どちらかというと奇をてらった)を試食させてくれる。
何はともあれ「内閣総理大臣賞」だよな。店名にもなっているブランデーせんべいを一切れ手のひらに乗せてもらった。

パクっと口に入れて、正直のけ反った・・・いくら何でも吐き出したら失礼だしな。(ホントごめんなさい。でも好き嫌いはあるので)
目まいをがまんしながら「こっ、これアルコール分はあるんですか?」涙目で聞いた。
「2%程度ですよ。一番よく出るんです。」
そっ、そうか・・・味見をした上でも多くの人が買って帰るのか。。。

その他にワインせんべい、しょうがせんべい、マヨネーズせんべい、ブルーベリーブランデー、マロンブランデーあたりでギブアップ・・・
妻が横目で「だから言っただろが」という顔をしてるので、勇気を振り絞り・・・

「ごめん、お酒のヤツはダメだ・・・」

誰にとは言わずつぶやいた。おばさんは「そうですかー」とノーマルなやつを薦める。
黒コショウせんべいが比較的まともな味だったので367円のヤツを一つ購入した。
まあ・・・普段できない味見の体験料だよな。。。
公園の向かいにある、小さな農作物売店でびっくりするほど立派なタケノコを買って家路についたのだった。



ところで今日は我々の結婚記念日だ。
世に仕事やら何やらで「旦那が結婚記念日を忘れている」と嘆く奥様方の話を聞くが記念日の一つや二つ、覚えてられないこと自体が信じがたいのである。
たぶん積極的に忘れようとしなければ忘れるものではない。今でも男女を問わず一度覚えた人の誕生日は20人くらいは覚えているものだ。

さすがに今日は会社を早く上がって、甲州街道沿いの「やまや」でシュタインベルガーを購入し、まだ閉まってなければ駅前で花でも買って帰るか。

サーフシーズン突入か?!

2010-04-25 22:34:21 | スポーツ・健康
このところ真冬のような寒さに冷たい雨がしとしと降り続いていた。
とにかく気温の差が砂漠のようにひどい。。。最高気温が10度下がるなんて日が結構あった。
今年初のサマービズ、半袖Yシャツを着て出社した翌日はグラコンを着込まないと凍える。

土曜日はイマイチだったが、日曜日は久々の快晴だった。絶好の行楽日和らしい。
まだ結構寒いがせっかくビーチクルーザーのボードキャリーもいい具合に接合できたことだし、例年より早いが海岸へ繰り出すとすっか。
いつも老人のように朝の早い私はこの日も朝5時には目を覚まし、明るくなるのを見計らってポインター号を出動し江ノ島まで波と天気、風を偵察に行った。

雲一つない気持ちのよい朝だ。弁天橋入口は夜10時から翌朝5時まで一般車両は進入できぬ。
暖かくなってきたのか富士山は少し霞んでしまったな。太陽はくっきり眩しい。
何とも穏やかな朝で、ジョギングしている人や犬の散歩をしてる人、写生している人などもいる。
しかーし、である。銀面のように波がないではないか。。。新江ノ島水族館前は初心者向けのポイントだそうだが、誰もいない・・・



沖の方にシーカヤックが見え、パドリングボートと水泳がポツンといるくらいだ。
片瀬港で釣りでもしながらこの前借りてきた本でも読むか。。。島内の釣具やでエサを買い込み一旦帰宅した。
朝飯をすませて息子甘辛を駅まで送った後、再びポインター号で江ノ島手前の新片瀬港に向かった。

陽気がよいのでもうかなりの数の釣り客で賑わっている。。
私は何事も「根っからの・・・」ということがない。釣りもそうなのだが、これまでの経験から何となくわかる。
「今日は魚はいない」

昼近くまで太公望よろしく糸を垂れていたが、こういうときの勘は実によくあたる。
小指ほどのハゼが1匹釣れただけだ。片瀬新港でやっている朝市で獲れたてのスルメイカを2ハイ120円で購入し、文庫本を半分読んで退散だ。
少し風と波が起きてきたみたいだ。昼飯に戻っていよいよ・・・

桜クルーザー号発進!
9フィート15kgのロングボードを搭載してもバッチリだ。苦労したぜ。
先日行ったときは、どちらかと言うと占いに近いから本格的には4ヶ月ぶりだ。
どうも乗り心地がだいぶ違うなー。かなり重量があるから安定はしているんだがな。

いつもの鵠沼海岸に行くと、かなり大きなグループがバーベキューを楽しんでいた。
普段はカラスも多いのだが、今日は食い物を狙ってさらにその上空からかなり大きなトンビの群れが虎視眈々と旋回している。
最高気温になる時間で太陽はさんさんと輝いているが、風が強まりさらにその風が冷たい。

準備運動とストレッチをして、いざ海中へ入り込むと「ぬうぅおーっ!」さすがにまだ海水温が低い。
背中のチャックから入り込んだ海水で全身に鳥肌が立つ。少しの辛抱だ。
体温でウエットスーツ内の海水が温まれば、外気には耐えられるのだが何せ風が強くこれが容赦なく体温を奪う。

強風によってそれなりの高さの波はやてくるが、かなり選ばないとガチャガチャだ。かなり厳しいコンディションだな。
波はもちろん日によって崩れるポイントなどが異なる。潮の流れなどで海底の様子が毎日変わるからである。
久し振りに入ったときは、最も上手そうな人の近くに擦り寄るに限る。しばらく岸で眺めていて毎回スッと波に乗れる人のそばにコバンザメのようにいるとよいブレイクに出会える。

しかしさみーなー。手がかじかんで動かなくなってきた。
ロングライド10本乗るのに1時間くらいかかったぞ。腕が悪いこともあるんだけど。。。
はっきり感じたが、必要な筋肉が落ちている・・・いわゆるパドリング筋だ。
ここ一番の瞬発力も落ちていて波に追い越されてしまうし、向かってくる波を越して沖に出る前に肩がつりそうになる。

ちょーっとトレーニングが必要かも・・・普段使わない筋肉だからかなー。
この歳になると筋肉痛は翌日よりも翌々日なんだよな。
まあ、今日は久々だ。感触だけ思い出して怪我しないうちに帰るとするか。。。



息子甘辛はトレーニングで10キロマラソンの後、そのまま電車で塾の実力テストだそうだ。忙しそうだな。
夕方は茅ケ崎の実家で食事をすることになっている。甘辛の卒業式のビデオを見せるためだ。
いつもの手巻き寿司だが、リクエストのタジン鍋再登場!



かの家では山のような野菜にベーコンが定番のようだ。ホント魔法の鍋なんだよなー。
ゴールデンウィークは全く何も予定がない・・・安上がりに近辺の海岸を往復し、バーベキューでもやるか!
ところで我が家はIH仕様なんだが、これに使えるタジン鍋はないだろうか?

ビーチクルーザー来たる

2010-04-23 06:05:00 | スポーツ・健康
年末頃から長らくオフにしていた波乗りもGWを間近にいよいよシーズンを迎えようとしている。
この時期、最高気温は20度くらいまで上がるが、海水温は12〜13度くらいで外気よりも冷たいから侮れぬ。しかもここ数日は冬かと思うほど寒い。。。
水温は季節よりも1、2ヶ月ほど遅れていると言われているので、外はポカポカでも海中に入ると凍えそうになることがある。
その逆(海水が外気よりも暖かい場合)は結構大丈夫なので、日中は大みそかあたりまで入れるのだ。

さて私がただ一枚だけ持っているロングボードは約9フィートあり、15kgの重量がある。
海岸まで直線距離なら300mくらいだから、手で抱えて歩いて行くこともできるが、やはりポイントまでは少し距離がある。
まずは10年くらい乗り慣れている、西友で7980円で買ったママチャリに無理や自転車用サーフボードキャリーをつけて、ポイントまで10分ほどチャリで運んでいた。

波乗りは雨でも構わずに出かけるし、そもそも海辺で塩っけが多いから、ステンレスフレームでもすごく痛みが激しくなる。
もう海を往復することにしか使わなくなった私のママチャリは後輪ブレーキも握り切れ、前輪の歪み方などほとんど「メビウスの輪」のようであった。
そしてこの前、家族で江の島トレジャーに行こうと久々に乗ったとき、とうとうプシューッとタイヤの空気が抜けてしまった。(パンクというよりもうタイヤもチューブも寿命なんだなー)

修理すると買ったときよりも高くつくぞ。とりあえずシーズンに入るまでに何とかしなければなー、と思っていた。
ママチャリにボードキャリーはさすがに無理があるので、これまでも妻が「いいヤツ買いなよ・・・」と近くのショップに偵察に行ってくれたりもした。
しかしビーチクルーザーと言われるタイヤの太いやつ(重いボードを載せるため)はだいたい3万円以上し、どうも踏み切ることができなかった。。。

まずはこれまたサビサビになってしまったキャリーを古い自転車より外す作業から。
これがちゃんと外せるかどうかで、ママチャリ第2弾かクルーザーで勝負をかけるかを決めていた。何せメーカーがほとんど1種類しかなく、8000円近くするのだ。
ゴムつきU字フレーム(ボードを載せるアーム)は何とか外れた。問題のアタッチメントはネジが完全に錆びていてちょっとやそっとじゃ回らない。。。

一時は70kgくらいまでは鍛えた渾身の握力をもって全部で8か所、汗びっしょりにして外すというより解体した。
ペンチを使ったから中にはネジごと切れてしまったものあるから、取り付け用金具はもう使えないな・・・
金具だけは1260円で売っていることは知っていた。肝心のアームはまだ使えそうだな。

よーし。ビーチクルーザー買うぜい!と近所にあるサーフショップを物色し始めたのだった。
ビーチクルーザーってのはどれも似たような形をしている。やたらタイヤが太いのと、ハンドルがチョッパーのように上向きになってるのが特徴だ。
ペダルの真横に装着するサーフボードが引っ掛からないように握るところが普通よりも上側にあるのだ。

やっぱり一番安いのでも25800円、つい先日超兵器203号を購入したばかりだから、へそくり的に苦しいなあ。。。
中古のヤツでもいいんだが、ほとんど市場にはないそうだ。ストライクゾーン狭いもんね。
ダメ元でインターネット通販を見ていたら、なんと売り出しになっていた!恐るべし○MAZON・・・

素晴らしいことに特価14800円!すごい。通常の半額に近い!
私は最近、通販が大好きになってきた。普通に買うよりも安いことが多いし、何よりも店員が寄ってこない。。。
ホントのことを言うと実物を触ったり乗ったりするほうがよいと思うのだが、自転車などにそう違いはあるまい。ここは「買い」だ!!

購入の手続きをしていて気がついたのだが、ショッピングカートに入っていたのはなんと色がどピンク!
やべえやべえ、あまりよく見なかった。ここが通販の怖いところだよな・・・っと見てみると商品はピンクのみ。。。
なるほどそうか・・・それで特価品なのか。いくらなんでも「真っピンク」てのはなあ。。。


仕事の合間にだったが、しばらく考えていた私は結論を出した。「サビ止め塗料で色を変えてしまえばよい」
海辺で使えば潮風で錆びも早まるであろう。サビ止めと色塗をダブルでやれば問題ないじゃんか。オレって頭いいなあ。
巨大な段ボールが我が家に届いたのは数日後、熱海に行った土曜日の午前中であった。。。


「何コレ?自分で組み立てるの?聞いてねーなー」ぶつぶつ言いながら私は工具を取り出した。
家の中には入らない。このまま出掛けて万が一雨でも降ったらやっかいだ。がんばって組み立てておくことにした。
しっかし、いざ組み立てて見ると、このピンクは想像以上にすんごいぞ。

ムラサキスポーツでボードキャリー取り付け金具を買ってきて、いよいよ日曜日に作業にかかった。ボードを載せてみて調整しなければならないから狭いところではできない。
庭に回って作業を始めたが、想像を絶する苦難が待ち受けていた。。。

      

アームを取り付ける金具を自転車のフレームにネジで挟み込んで取り付けるのだが、いくら強く締めても3メートル近くあるボードの重みで「回転」してしまうのだ。
それでも前部は金具が自転車の縦フレームに当たってしまってある程度以上は回らない。問題は後部のアタッチメントだ。
金具は特定のビーチクルーザー専用ではないが、当然ぴったり当てはまる場所がない場合もある。

一番、ぴったりくるところはサドルの真下だ。これだったら外すときもサドルごと外してから工具を使えるから楽でいいぞ。
力も入れやすいから、渾身の力を込めてネジを締めた。これでもう回転することはないだろう。
ボードを横に取り付けて、跨ってみると・・・なんと、サドルごと横を向いてしまうではないか!サドルの締まり方が十分でないのである。
まずいな。。。これ以上強くは締まらないぞ。これじゃあまるで「欽ちゃん乗り」だ・・・

ボードの重みで回転しようとする力は思った以上に強く、股の力で正面に向けたまま走ることはできない。
妻は不思議な顔をして眺めていたが、「まあ、がんばれ・・・」とロールスクリーンを下ろしてしまった。
とうとうあきらめた私は、最大パワーで締めたサドル真下の金具を、えらい苦労してから一旦外しサドルフレームの後ろの水平な部分に取り付けた。これなら傾いてもフレームにぶつかり一定以上は回転しない。

ボードを載せてみたが、前部の回転が大きすぎて当たって止まってもそのままこぐことができない。
何か別の金具を当てて調整する必要があるが、ここさえ何とかすれば何とかなりそうだ。

それにしても、「重さで滑って回転しようとする力」を「締め付ける力」で防ごうとするのはあまり効果的でないよなあ。
もしかして、いい具合にサビて引っ掛かることを狙ってんのか?!

        

悪戦苦闘の末、ようやくそれらしい形でボードを載せられるようになった。写真で実際に載せていないのは、もちろん無人にすると重さで倒れてしまうからだ。
夜になって家族でお気に入りのイタリア料理屋に行くことになり、できたばかりボードキャリー付きビーチクルーザーに跨り、ぐっとハンドルに力をかけたら、固定が浅かったのかぐあっと回って「チョッパー」が「セミドロ」になっちゃった。
あぶねえ、あぶねえ、もうちょっとで額をモロにハンドルに打ちつけるところだった。。。歯でも欠けようもんならいい笑いモノだ。

ライトはないし、鍵もなし。防犯登録もこれからだが、とにもかくにも我が家にビーチクルーザーがやってきた。
桜ポインター号につづき、その色相からして「桜クルーザー号」と名付けよう。(そのまんま・・・)
土日からようやく暖かくなるようだから、週末はいよいよ出動スタンバイだ!。

ドラえもん30周年

2010-04-20 06:31:26 | ヒーロー
ドラえもんが30周年を迎えたと特別番組が編成されていた。
ちょっと前にウルトラマンが40周年、仮面ライダーが35周年を迎え、私達が子供の頃のヒーローが色んな形で健在なのは喜ばしい。
息子に対してあまり大きな声で言えることではないのだが、私の知識(トリビア系)、スタイル、引用句などは多分に「アニメ・マンガ・特撮」に源泉とするものが多い。
こちらは先だっての「エースをねらえ!」とは異なりまさしく王道である。


大袈裟に言えば「生き方」そのものが何かしら、その昔のヒーローに影響されていると言ってもよい。
このサイトでも自分の考えなどを「例え」使って表すときに、色んなヒーローが持つ固有の逸話が出てくることが多いことが気付かれるだろう。
マンガのことをここであまり書いたことはないが、実家の私の部屋は何棟もの「少年ジャンプ」で埋め尽くされていたし、一人暮らししているときは、千冊以上のマンガを保有していた。

「何かに感動した」例として引用するのは、大半がマンガのワンシーンであるのはあまり感心できたことではないが、ストーリーといい、画そのものといい、日本のマンガのクオリティは間違いなく世界一だと思う。むろん最近のヒット作は「エースをねらえ!」
少女マンガシリーズで熱海保養所で読んだ「悪女(ワル)」も中々面白かった。(途中だけど)
日本マンガの優秀さは外国に旅行して(成田空港でもいいけど)マンガを見てみるとよくわかる。外国文学は名作が多数あるのに外国マンガが見られないのは一言「ヘボい」からだと思う。
15年ほど前、1週間ほどローマに滞在したときに、テレビで「ヤッターマン」をやっていたときは驚いた。

さてマンガ領域の話になるとそれだけで頁が無くなる(わけないけど)ので、まずはドラえもんだ。
のっけから周りの人間に言っても信じてもらえないのだが、このドラえもん、実は30周年ではなくもっと前からあったはずなのだ。
「大山のぶよ」のドラえもんの声を「久々に」聞き、多少の「違和感」を覚えた記憶。。。もっとのぼーっと太い声のドラえもんだった。
「ぼくのドラえもんが、まちをあるけば、みんなみんながふりかえるーよ。はぁドラドラ・・・」という歌だったはずなのだが、ご存じないだろうか・・・

まあいいや。子供の頃は自分の小遣いで好きなだけマンガを買えたわけではないので、もっぱら駅前の書店での「立ち読み」が情報源だった。
そのうち本屋はビニールカバーを付けるようになったが、私は世にも迷惑な「立ち読み王」で、書店でもかなりマークされていた。
ビッグコミックに出ていた「エリア88」という全23巻を1日かけて読破したこともある。。。

ドラえもんは低学年のときだったが、30数年たって今でも思い出せる(アニメではない)マンガ名場面はいくつかある。
テレビでもアニメ30周年の「心に残る名場面」をやっていたが、うっすらとした記憶ながら「まさしくこれ!」というのが多くあったのでうれしくなった。
驚くべきことに息子甘辛も「そうそう!」と同意したという名作選は・・・・もちろんストーリーはうろ覚え(タイトルも正確ではない)



1.おばあちゃんの思い出
小さい頃亡くなってしまった、大好きだったおばあちゃんにタイムマシンでのび太が会いにゆく。我ままでおばあちゃんを困らせるばかりの幼いのび太だったが、「のび太が小学校に行くまで生きていたい・・・」というおばあちゃんを見て、今ののび太は反対するドラえもんを振り切り、ランドセルを背負っておばあちゃんの前に現れる。
知るはずもない小学生ののび太の姿を見ておばあちゃんは「誰がのびちゃんの言うことを疑うものですか・・・」
たぶんドラえもんでは屈指の名作だと思う。。。

2.台風のふー子
結構マイナーだと思っていたが、個人的にはすごく好きだ。のび太は未来の卵を自分で温め、孵った台風(何故か疑問に思わない)に「ふー子」と名づけ育て始める。
のび太を親だと思ったのか仲良く暮らし成長していくが、「台風」だけに大きくなると皆に迷惑をかけることが多くなる。
ついにママから廃棄指令を受けてしまうが、どうしても別れられず、ある日やってきた大型台風と戦って消えていく。
「風が捲いていると、ふー子を思い出す・・・」とのび太がつぶやくエンディングが印象的だった。

3.ぞうとおじさん
空襲によって動物園から逃げ出すのを防ぐために毒殺?されそうになった象のはな子を助けるため、ドラえもんとのび太はタイムマシンで戦争中の日本に行く。のび太は「日本は負ける」と口を滑らせ、逮捕されそうになってしまう。
際どいところではな子は「スモールライ」トで小さくされて、「郵便ロケット」で生まれ故郷のインドに向けて飛び立つ。
探検家であるのび太のおじさん(というのはかなり設定に無理があるが)の話で、「インドのジャングルで遭難したところを象に助けられた」という話を聞き、無事にインドへ帰れたことを知って喜ぶドラえもんとのび太の姿が眼に焼き付いている。

「さようならドラえもん」は多くの人が知っていると思う。子供の頃読んだコミックがメジャーだと思うが、「未来に帰らなければならない」というドラえもんに最初は泣いて反対したのび太も両親の説得で納得。
一人のび太を置いて大丈夫かと心配するドラえもんを見て、のび太はジャイアンに喧嘩を挑む。
何度張り飛ばされても立ち上がり、「僕だけでキミに勝たないとドラえもんが安心して未来へ帰れないんだ」というセリフが泣かせた。迎えに来たドラえもんは二人で家に帰り、ふとんに入ったのび太を涙ながらに見守る。
翌日、朝日が入るとドラえもんが消えていて、机の引き出しもタイムマシンでなくなっている。

私はこのコミック6巻を持っていた。続く7巻の巻頭では、のび太が4月1日に「どうしても耐えられなかったら使え」と置いて行った「ウソエイトオーオー」を飲んで「ドラえもんは2度と帰って来ない」と言ったため、ドラえもんは再びやってくる。
私達の世代は色々な意味でドラえもんの影響を少なからず受けている。
30周年(ホントは絶対違う!)ということもあって、ドラえもんを取上げるところがすごく多くて面白い。

さすがに劇場版を見た記憶はほとんどないが、唯一「ピースケ」という首長竜が出てくる話を見た時は泣けた。
あまりストーリーは覚えていないが、息子甘辛に聞くとドラえもんシリーズでもあれは「反則」の域に入るという。。。
また彼の分析では劇場版になるに従って「ジャイアンがヒーローと言ってもいいほど妙にいいヤツになっている」ふーむ。なるほどな。

難問で有名な千葉大学の入試問題に「ドラえもんの タケコプターは実現可能か、その理由を道筋をたてて詳しく説明 しなさい」と言うのがあったらしい。
(もしかして都市伝説?!)こういう大学に行ってみたかったなー。。。
私が問題出すならもっと単純に「ドラえもんのタケコプター、またの名前を何と言うか?」


私の知識源「マンガ」からは一つのキャラクターだけでもこのサイトで二話連続くらい書けるのだ。。。
もうひとつ、マイナーでどのジャンルでも選ばれていないが、「よかん虫」というのがある。
何か予感をするとブルルンと震えて感応し、その人の頭の上に止まるとその予感通りのことがおきるシンプルなストーリーだ。

この虫、「悪い予感」がしてももちろん反応してしまう。
人間、気の持ちようによって同じ現象が良いことにも悪いことにもなる。。。
「Happy-Go-Lucky!」まさに深ーい話ではないか。

家電売場って

2010-04-18 22:05:02 | 出来事
真冬のような土曜日だった。何せ4月も中旬だというのに昨夜はちょびっと雪が降ったのだ。
朝から冷たく強い雨が降っていた。息子甘辛のサッカー午前練習も当然のように中止になった。
こんな日は普段やらない家のこととか、買い物とかをしようと家族で湘南モールFILLに行くことにした。

取寄せしていた携帯の充電器を取りにノジマへ、ビリビリになったポインター号のバイクカバーと、浴室の壁用ワックスを買いにホームセンターへ。
ついでにトイザラスとゲームセンターを偵察して昼飯でも食ってくか。。。

それにしても寒い日だったが、昼に近くなって雨は止み、お日様が見え隠れするようになった。
電化製品売場は入口にいる携帯や光回線の呼込みがどうも苦手で、あまり足を運ぶことがない。
どの売場に行ってもハッピを着た店員がそれこそ揉み手でやってくるので、逃げ回っているうちに自然に店を出てしまうのだ。

息子甘辛は真っしぐらにゲームコーナーに行って、「太鼓の達人」をやりだした。。。
順番なのだが誰もいないから遊び放題だ。放っておくと1日でも遊んでいる。
この前、見知らぬ小さい子と熱く勝負していた。。。ムキになんなよ・・・

妻が携帯の充電器を取りに行っている間、フィリップシェーバーの替え刃を探していた。
当然、型は控えてあるし、現物を持ってきたからわざわざ尋ねることもない。
「何か御探しですか?」と言いたげに接近しつつある店員を手で制した。
高えなあ。こんなちゃちな替え刃が3000円だと?しかし外刃が欠けて所々むき出しの刃で剃っているので最近顔まで削るようになっちゃったから交換やむなし。。。

すぐそばの売場を見て驚いた!なんと、バイクを売ってるぞ。
家電量販店なのに、ついにヤマハ、ホンダと契約するようになったのか?!桜ポインター号の次はノジマで購入するか・・・
っと、よく見たら電動バイクだった。。。あまり聞いたことのないメーカーだな。
もしかして、アシスト自転車の進化版で酒飲んでも乗れるのか?と思ったらしっかり要原付免許だった。

   

しかし家庭用コンセントで充電して動くなんて、やっぱりエコの時代なんだなー。
電動自動車と違ってスタンドの充電設備がなくても最悪、トイレを借りる要領でコンセントを借りればよいか・・・
1回の充電で55km走るそうだ。値段は15~20万円くらいだ。ウルトラ警備隊仕様が出たらマジで購入を検討しようかな。

その辺をうろうろしていると、自動掃除機「ルンバ」の前に出た。
この前ジャパネットたかたでやっていたが、これが噂のロボットの掃除機か・・・実物見るのは初めてだ。
パンフレットを取って眺めてみると、なになに・・・
「アイロボット社は、マサチューセッツ工科大学で最先端の人工知能研究を進めていた科学者3人によって1990年に創立されました・・・・科学者や技術者、エンジニアなど、ロボット工学におけるスペシャリストたちが、所属し、世界規模の企業として認められています。・・・・」

   

人工知能搭載というだけでも私好みなのに、パンフレットを読んで完全に虜になってしまった。うーむ。。。掃除はどうでもいいけど、生い立ちが素晴らしい・・・
MITはこれまで2度ほど訪れたが、一種独特な雰囲気を持つ「マニア」の往来するところだった。
「メディアラボ」という研究棟では、タタミ一畳くらいのセットに道路地図のようなものがあり、点滅する多数の光が移動しているのを見た。

トラフィックシミュレーションと言って、どこかで事故があったときに、交通の流れがどのように変化し、どこが混雑するのかを視覚的に把握できるものという。
他にも白い砂場に凸凹をつけて色々な角度から光をあて、影のできかたをシミュレーションするセットもあった。
一体何の役に立つのかさっぱり分からぬが、思いきり真顔で取り組んでるぞ。

レゴブロックやら分子模型みたいな球とスティックのセットやら、一見子供の遊び部屋みたいなものもある。
発明や発見は遊びココロが大事なんだろな。しっかし学生はちょっと深刻な顔をしていた。。。
皆、一所懸命自分の研究の価値をアピールしていた。どうやらスポンサーを探しているらしい。
オレんちの会社結構固いから、お砂場遊びに予算はとれないと思うぜ。。。

しかし、MIT出身の研究者が生み出した「ルンバ」は素晴らしい。
我が家は部屋が極端に少ない(というより全部つながっている)上に段差がなく、障害物やカーペットもない。
なんと言ってもこれから私はシーズンに入るんだから、甘辛に輪をかけて家中を砂だらけにしてしまうのだ。
「ルンバ」とはまるで我が家のために開発されたようなもんだ。海に行き出すと掃除機片手に追いかけ回す彼女に薦めてみよう。

この3月で一旦自分の仕事に一段落つけた妻で、貯金も少しあるから何か買おうとしていた。
南の島記念にDFSで色々物色していたが、値段が高すぎたのか気に入ったのが無かったのか手ぶらで帰ってきた。
家電ではパン焼器に興味があるようだ。形は全自動餅つき器に似ているな。
私はウインナ-とかベーコン、チーズなどが入った惣菜パンが好きだ。焼きたてはうまいんだよなー。1万円そこそこで買えるのか・・・子供も喜ぶかもな。

   


次に見たのがPanasonicの「マッサージソファ」だ。
これまでのマッサージチェアと言えば江戸川乱歩の「人間椅子」のようにゴツい、いかにも「マッサージ」というものだったが、一見ソファのようなデザインで我が家のリビングにもしっくりきそうだ。
カバーも着せ替えになっていて、今キャンペーンをやっているんだって。

私は肩凝りなどないので、マッサージなどあまり興味がないが、足のふくらはぎもできるところが非常によい。
フットマッサージ部が普段は格納されていて、ちょっと見はホントに普通のソファにしか見えない。
交代で体験してみたが、どうも妻はだいぶ気に入ったらしい。。。甘辛もこういうのは大好きだなので、連れてきたらずーっと離れずに座っていた・・・

   

それにしても、「マイナスイオン発生器」「半永久的に使えるLED」「ジョーバ」など、面白いものが一杯あるなー。
千葉にいる「家電アドバイザー」の女史が「家電量販店なら1日いても飽きない」というのがよく分かった。
何かひとつ買いに走りたいが、何がいいかなあー。


仙台出張

2010-04-16 23:40:24 | 旅行お出かけ
仙台に出張した。
私が入社したときから数年は、新幹線があるとは言え、仙台へは東京から2時間半とかかかり、大阪へ行くのとあまり変わらぬ遠方への出張であった。
ここ10年になって、優雅に泊付き出張というのもげっそり減り(やろうと思えばできるんだけど周りに遠慮して)、たいていのところは日帰り出張だ。

かつての営業経験もあり、私の持論では航空機と電車及び行き先での送迎を緻密に駆使すれば「日本全国日帰りできないところはない」。
仙台なんて東京から100分で着くのだから、東京西部にあった研究所勤務時代の通勤とたいして変わらぬ。恐るべき新幹線。。。
東北新幹線系列は昔スキーで山形へ、最近では盛岡方面へ出張した以外は圧倒的に仙台行きが多い。

各駅停車の「やまびこ」は色んなところに停まるが、大抵のる「はやて」は仙台までは上野と大宮しか停まらない。
東海道のように途中駅の思い出はあまりない。。。

大宮。。。なんてのは湘南新宿ラインができてからは通勤圏内だ。その昔、北浦和駅近くのビルに通勤していたことがあった。
結婚して数年、海辺の社宅に住んでいた私は当然、「異動に伴う最寄りの社宅入居」を申請した。
当時は景気もそこそこで社員のリストラもなく数が多かったので、入居する社宅などは選べなかった。

ただ当時の社宅が2DKだったのに比べ3DKでなおかつ居住面積が倍近くなると聞いて、喜び勇んで下見に行ったのである。
大宮から東武野田線という聞いたこともない鉄道に乗って某という駅から歩いて10分程度だ。
決して悪い所ではなかったが、最寄駅に一歩降り立った瞬間、「ごめん、ここダメ・・・」と直感的に感じてしまったのだ。

駅を降りたとたん、別に不快とかそういうものではないが何とも違和感のある匂いを感じたのである。
その晩は飲んで帰ったので、小田急線で最寄駅まできて家まで歩いたのだが、違和感を感じた元が「潮の香り」だと気付いた。
海辺にある漁師の使う網など「悪臭」に近いものだが、川を渡るあたりで何となく漂うその香りが何とも懐かしく感じた。これは初めての経験だったが、そんなこともあり、海辺から北浦和まで片道2時間かけて通勤することにしたのだ。

そんな大宮を越え、「はやて号」は抑えていた速度制限をなくし、トップスピードへ。
しばらくして一度は行ってみたかった「おやーまゆうえんちー」の歌でお馴染みの小山を通過。小山遊園地は潰れてしまった。。。
私は仕事柄、全国にある仕事関係の事務所、オフィスビルの人たちとのコミュニケーションが大事だ。
「課長 島耕作」の初芝本社と全国の販売代理店との関係に少し似ている。だから定期的に意見交換等を行いに行く。

10分ほどで宇都宮を通過。ここの事務所にはかなり前は何度となく訪れたことがある。
酢とラー油で食す、みんみん餃子で有名な宇都宮だが、東口に餃子像という意味不明なオブジェがある。
たしか、ビーナスを餃子の皮で包んだというコンセプトだそうだ。何年前かに修復か何かの作業で移動する際にしくじり、まっぷたつになってしまった。。。ニュースでやってるのを見て笑って(は失礼なのだが)しまったが、今どうなのかさだかでない。

しばらく「はやて号」はマックスの時速275kmで駆け抜ける。数十分後に福島を通過。ここのオフィスには一度お邪魔したことがあるだけだ。
何故かというと駅から遠く、美味しいものが見当たらないのであまり行く気にならないからだ。(すみません。。。)
駅から遠いと大抵わざわざ迎えに車を出してくれるのが心苦しいし、帰りたいときに帰れないのも煩わしい。
新入社員の頃、仙台で比較的長く研修していた頃、仲間うちで土日にレンタカーを借りて、福島競馬にやってきたことがある。
もともと競馬などに興味はないのだが、たまたま好きなヤツがいて何年振りかで掛けたが、むろんボーナスの数分の一を失うことになり二度と赴くことは無かった。

次に通貨するのが白石蔵王。学生時代の友人(大金持ち)が建築科の友人に新たな別荘の設計を頼んだ。
完成したお披露目に皆で遊びに行ったのだが、建築家気取りで何やら奇抜な内装の建物とされていた。
あまり覚えていないが、たしか玄関がない。。。窓からの出入りとなっており、今で言うロットというよりは家の横半分が1階、残り半分が階段で登る2階で、ドリフのセットに近い。
オープニングコントが終わると回転したら最高だったのだが。
白石蔵王の名物は「うーめん」とか言う麺だった。冷や麦を温めて麺つゆで食うような感じだ。油を使っていないからヘルシーさが売りとおばさんは言っていた。

「はやて号」はあっと言う間に仙台駅へ到着だ。 今回の事業所訪問はいつもの本業とは少し毛色の異なるオフィスだ。
いつもお馴染みの飲み仲間ともいえるおじさん連中ではない。駅からビルまで歩いて向かう途中に同行した若いスタッフから今日の予定表を渡された。
なになに?11時半頃事業所長へ挨拶して社用車で移動。。。ん?

「ねえねえ、この『利久』って何?」不思議な顔をして尋ねると

「仙台で1,2位に入る有名な牛タン屋ですよ。いつも並んで入るんです

ふーむ。距離が距離だから午前中からばっちり仕事というわけにはいかぬが、到着してちょいと挨拶するだけでいきなり車で昼食とは、ちと気が引けるな。。。
オフィスのあるビルへ行って先方の責任者のところへ案内された。
「どーも、お忙しいところ・・・」とへこへこして部屋へ入ると、いきなり部屋中の人が立ちあがった!
違うフロアの馴染みの●木さんが一人だけ出迎えてくれたので走り寄って「なっ、何これ?」
皆の前で「新入社員」のような挨拶をする羽目になった。(拍手が無かったのがせめてもの救い・・・)

事業所長は気さくな方で、我々は別室ですぐに談話を始めた。たまたまその日見学する予定の新システムにすごく思い入れがあるようで、話は尽きなかった。。。
案内役の人と新宿から同行した若いスタッフは時計を見てそわそわしている。
「どうせ牛タン屋行くだけだろ?そんなアイドルみたいに分刻みのスケジュールじゃねえじゃんか」



実は、その利久という店は、いつも混んでいるので予約を入れてくれたらしいのだ。
牛タンカレーに興味を引かれたが、まずは基本おの牛タン定食を頼んだ。麦ごはんにとろろ、テールスープに自慢の牛タンがついて1300円。
一見するめの一夜干を焼いたのに見えたが、びっくりするほどジューシーで美味かった。
この厚みはどうだい!近所の焼肉やの薄っぺらなやつとはわけが違うぜ。
しかし、東北らしくつけ合せのおかずがすべて「漬け物」だったのには参った。。。私は漬け物がダメなのだ。



漬け物を除いてもかなりのボリュームの定食を平らげて満足だ。店の外には結構な数のグループが待っている。
そこから10分ほどで目指すビルへ到着した。その日見学させてもらうのは、新開発のサーバ群などを置かせてもらう、いわゆる「データセンター」というヤツだ。
アメリカのペンタゴンのようにセキュリティは万全だ。

指紋を超える最新鋭の生体認証システムを導入している。機密により言えないけど。。。
あちらこちらに監視カメラがあり、認証システムが作動しており少しでもおかしな挙動を見とめるとドアロックがかかる。
ダイハードやミッションインポッシブルの世界だが、この業界では普通だそうだ。
店を後にして移動中に楽天まーくんのクリネックススタジアムが見えたぞ。



次に向かったオフィスでは、新しく入れたシステムのサーバールーム見学とデモンストレーションだ。
一通りの説明が終わって、夕方になり駅まで車で送ってくれた。
その日案内や説明してくれた人は皆、東北の人だったがホントに親切でまろやかな人々だった。

「今度は夜、泊まりで来てくださいよ。おいしいもんいっぱいあるよ。磯辺さん、お酒はやるんでしょ?」

「まあ、嗜む程度に浴びるほど・・・●木さんに聞けばわかりますよ。。。」隠してもしょうがないもんな。変な伝説になっていなければよいが。

仙台駅に着くと、同行の若いスタッフは切符を買いに消えて、ゆーっくりお土産を選んでいた。
駅構内に牛タンを食べさせる店が並んでいる。ここでなら食べたことがある。



私はというと自他共に認める外し王なので、自ら選ぶのは避けた。長野善光寺に行ったときは、七味唐辛子味のキットカットを買っていって見向きもされず、一人で全部食う羽目になったし。
銘菓「萩の月」のチョコレート版「萩の調(しらべ)」で無難にまとめた。

少し残ってきてもよかったのだが、最近年のせいか、数百キロ離れて飲んで帰るとダメージがものすごい。
今度は泊まりで行きますからね。「浦霞」の純米吟醸よろしくねー。


熱海へ行く

2010-04-12 06:27:08 | 旅行お出かけ
ここ数年、家族旅行と言えるものはほとんど無かったのに、たまたま機会があるとそれは実に重なるものだ。
息子甘辛がサッカー少年団を卒団し、新クラブでプレーをするようになるまで、春休みや新学期の狭間を狙って網代のペンションに旅行したのだが、ひょんなことから以前からの顔馴染みの健保組合保養所へ行くことになった。
この土日で桜の見頃も最後かなと思っていたが、残念ながらいつもご一緒するお友達家族と予定が合わず、「別の機会にBBQでもね」ということになってしまった。。。

天気もよさそうなので、近くの緑化公園で散歩も兼ね新兵器203号の風景デビューでもしようかと考えていた。
息子とちょっとしたサッカーの練習もできるし、弁当with酒でプチ花見もできる。ザリガニ捕りもできる上に、なんと言っても中にある池ではしばしば市の鳥が訪れるという人気スポットだ。
「桜」というのは、いつ見ても華やかでお暗示ように美しい写真になりそうだが、人に聞くと「はい!ここよ!」という必殺ショットタイムというのがあり、なかなか難しいらしい。。。

甘辛のクラブも全くのオフではないから、天気予報とスケジュールをにらめっこしていたら、少し昔、よく家族小旅行に訪れていた熱海の施設から「キャンセルが出たのでどうか・・・?」と電話をいただいたらしい。
「おーっ、●●荘か!久しぶりに行こうじゃないか」ということで、先々週の網代に続きまたしても伊豆方面に1泊旅行を決行することになった。
ここのところ出掛けてばかりだが、逃すとまたしばらくどこへも行けなそうだから・・・多少の無理はやむを得ぬ。

息子甘辛はサッカー漬けの毎日に加え、新しいクラスで中学の勉強が始まったり、塾帰りも遅くなり「遊びが仕事」の小学生ではなくなったから、ヘバっているようだ。
温泉に行くにも、「いい旅夢気分」のようにあれこれ寄り道するのではなく、ホントにゆっくりしたいらしい。。。
午前中、妻が通販で頼んで届くという「どら焼き」を待たねばならず、出発は午後になったため付近の神社だけお参りに行くことにした。

来宮神社はJR伊東線で熱海駅の隣にあり、「巨木巡礼」では有名だという大楠がある。樹齢2000年、幹周り、高さともに20m以上の「御神木」である。
もともと我が国には太古から自然な創造物に神が宿ると崇める歴史があると思う。
名前からして伊豆地方に『キノミヤ神社』という社は十数カ所あり、各社とも必ず千年以上の御神木があるそうだ。『木』に宿る神々をお祀りする神社として崇敬を集め、古来生活文化に欠くことのできない木に感謝する信仰をもっているのだろう。

二千年の樹齢にあやかり、古くからこの大楠を一廻りすると一年寿命が延びると伝えられており、また、願い事のある人は思うことを誰にも云わず一廻りすると願い事がまとまるとも伝えられている。
特に願いことは言わなかったが。とりあえず、一周はしたので寿命は延びただろう。

「オレ、トレーニングも兼ねて500周くらいしようかな。。。」

午前中の練習でイマイチ不完全燃焼だったのか、甘辛は意味のわからないことを言う。。。


500年も長生きするつもりか?!そもそも寿命が延びる前に、披露し過ぎて死んじゃうんじゃないか?
しかし、どこから聞きつけてきたのか彼曰く「人間はもともと140歳までは生きられるようになっている」そうだ。
それが病原菌の感染や悪い食べ物、水、空気、それにストレスなどの要因で少しずつ本来の寿命を削っていかれ、だいたい今くらいの寿命になってしまうんだって。なんか説得力あるな。。。

「2000年の間・・・」まさしくそうありたいものだ。
夕方であったが、祈祷を行っていた。この神社の祈祷は何か神懸かりのところがあり、位の高い巫女のような女性が祈祷者の前で舞いのようなものを舞う。
御神木のご加護もあって、かなり霊験あらたかなお祓いになりそうだ。祈祷の種類に「酒難除け」「邪虫除け」というのがあった。うーむ。。。
「酒難除け」の小さなお守りは思わず買ってしまった。。。

   


宿に着く前に一旦熱海港を一望できる135号線に戻るのだが、ちょっとゾッとするほど海が赤かった・・・
この時期は赤潮の季節なのかな。港の内側などほとんど一面レンガ色だぞ。
横須賀以外では初めて見たが、自衛隊の護衛艦が2隻停泊しているようだ。乗組員が小さなボートで接近し乗り降りしているようだ。
初島が後ろに見えるが、どうもこの風景と「軍艦」では違和感があるなあ。何しにきたんだろ?




部屋に到着し、一休みしてビールを飲んだ後、まずは風呂へ行く。ここだけで50回近く訪れているかもしれない。
息子甘辛とともに1時間近くゆっくり浸かり、上がった後に風呂上がりのビールで至福のときを過ごす。
昔、彼が幼いことは「カラオケに行く」だの「麻雀やる」だのうるさかったのだが、今回は新しく導入?されたらしい「卓球台」にも目もくれず、各階据え付けの豪華マッサージ椅子に寝そべってウォークマンを聞きながらマンガを読んでいる。
少年のくせに年寄りみたいな優雅な時の過ごし方をするものだ。。。私は明朝の釣りの準備に忙しい・・・

お得な「大漁プラン」のため、豪華舟盛りにアワビのステーキが付いてきた。刺身はともかく「アワビ」を焼いて食うのは初めてだ。昨日、西友で見た「浦霞」買っとけばよかった・・・
他、赤魚(って名前なのか?)の白醤油焼きが上品な味で、桜饅頭はホントに桜の花びらが入っていた。
真鯛は伊豆近海で獲れた天然ものらしく身は弾力そのものだったが、尻尾からつまみ上げると全長は25cm程度。
よーし!これなら翌朝同サイズくらいのメジナは期待できるぞ。今度姿造りにする方法を覚えようかな。。。

  

翌日は4時半に起きて満を持しての釣行だ。私はここの朝ごはんが大好きなので、8時までに宿に帰らねばならぬ。2時間勝負だ。
とっ、ところが・・・これまでいい実績をもつ南熱海マリンホール裏なのだが、いっっっっぴきも釣れんぞ。。。
もしかして昨日見た赤潮の影響か?!つけエサが無くなることもない。つまり魚自体がその場にいない?!
何かの拍子で15cmくらいのカサゴが上がってきた。メジナ狙いなので逃がしてやったが、後にも先にも釣れたのはコレだけ。。。後からから揚げにできると聞いたのだが、1匹だけでも持ち帰ればよかった・・・

そうそうに切り上げて(エサが無くなって)宿に戻り、朝食の前に朝風呂へ。身体中の配合餌の匂いを取り去る。
ゆっくり浸かって部屋へ戻ると、起き出していた甘辛はまたしてもマッサージ椅子でマンガを読んでいた。こいつ・・・このために来たのか?!
朝食には熱海らしく「アジの干物」が出る。ここのこだわりらしく、専用のプレートと固形燃料で自分で焼いてくうのがよい。
また新しく半ビュッフェ方式になったようだが、とろろ汁食べ放題なのが実によい。うーん。早起きの疲れが取れる・・・



チェックアウトして近所で日曜日開催されている「朝市」を覗いて行く。そんなに大きな催しではなく、めいめい地元の店が露店を出している程度だ。
先々週、網代へ行った帰りもここに寄った。できたばかりの手作り干物を見て、私の一番の好物「サバの塩干し」を買った。これが一枚150円。
小型ではあったが、金目鯛の干物が一枚250円。これとスルメイカの一夜干しを買っていったが、どちらも家では甘辛に食われてしまった。。。
熱海名物?「温泉納豆」は売り切れだった。

今回は時間も少し早めだったので色んな干物があった。アジはもちろん、カマス、エボダイ、金目鯛にサバもある。
「これ、めずらしいよぉ!めったに出ないんだけどねー」
最初「方々」と書いてあって何のことか(討ち入りか?)わからなかったが、「ホウボウ」だった。干物なんて初めてみたー。残り2枚だったので300円で購入。いつものサバはもちろん、金目鯛は必ず食いたいので2枚購入。スルメも入れて全部で950円。つくづく我が家は干物家族だ。

  

温泉納豆も今回はちゃんとGET!
夕方からチーム練習のある甘辛を乗せて、先々週の網代帰りに丁度開通の祭りをやっていた馬入川河口にかかる真新しい湘南大橋をわたって一路横浜へ。
風が強く、波も高くなってきたぞ。茅ケ崎サザンビーチあたりでも結構なサイズの波が寄せている、そろそろ季節かなあ。
日中は夏日にもなろうかと思う、陽気だったが夕方に向かってどんどん風は強くなり、周辺の桜満開の緑園都市グランドもまさしく桜吹雪だった。(紅白、北島三郎の「風雪流れ旅」の紙吹雪に匹敵していた)
今年も桜の季節は終わってしまったな。。。











    
  

エースをねらえ!

2010-04-09 03:03:04 | 書籍
ひょんなことから、我が社の社内紙に載せられた記事を読み、思わず膝を打ってその著書を読み漁った先生がいる。
私よりも15歳くらい年上で一世代上の方で関西の女子大の教授をされているが思想家兼武道家として結構有名な人のようである。
当人はご自身のホームページで好き勝手なことを書いて、敵も多いようだが論理展開が痛快でうなずける。「おおっ、これこそオレが言いたかったことなんだよ!」と思いこめるようなところがかなりある。

最も気に入っているのは、その人が自分にとっての知識・教養その他の指南書は「マンガ」であると言って憚らないこと。
子供の頃、我が家は「マンガフリー」であった。両親は昔の田舎の人だったので、全くマンガなぞに興味を示さなかったが、勉学や運動など「やることをやっておれば」むやみに禁じないスタイルだった。
厳格な両親に「マンガ」を禁止されていた、同じ県内に住む従兄弟は我が家のスタイルをとても羨ましがり、遊びに来ては延々と私の貯蔵するマンガを読み尽くしていた。

一人暮らしのときは1000冊を超すマンガを貯蔵していたが、残念ながら結婚したときにすべて売り払ってしまった。
「こちら葛飾公園前派出所」と「ゴルゴ13」を全巻持っていたのが自慢だったのに。。。


教養とまではいかないが、私の引用する文言や知識はかなりマンガを起源とするものが多い。雑学系もマンガが主な情報源で、そのことについては少し劣等感があり、あまり公にはしてこなかった。
だからその先生のように「自己の教養はマンガが起源」と公然と言われるとすごく勇気がわくのだ。

そして彼のこれまでのホームページで頻繁に引用される少女マンガがある。
特に「学ぶこと」に関する基本姿勢、師弟関係、生き方そのものもそのマンガがかなりロールモデルになっているいう。。。
「エースをねらえ!」である。

   


さっすがにあの「目がキラキラ大きいお嬢様」と「髪の毛ウェーブのイケメン男性」シリーズは守備範囲にはなく、アニメソングは知っていたが、宗方コーチ、岡ひろみ(なんと美術の教科書に名前だけは出ていた)、お蝶夫人というキーワードしか知らなかった。
情熱だけはあるがテニスそのものはヘタな少女がコーチにその可能性を見出され、それこそ命をかけたコーチングに全身で応えた結果、誰にもできない道を切り拓く、ってな感じで理解していた。
しかし、その先生によると、ところどころのセリフとかにビチアス海淵のように深ーい含蓄があったようなのだ。

ヒロインのひろみが恋する相手、一つ上の籐堂という男子のエース格選手には宗方コーチが「女を成長させない愛し方をするな」と意味深なことをのたまうそうだ。
なんだかピンと来なかったのだが、あの舌鋒をもつ人が崇拝する「マンガ」なら読んでみようかと、私は自ら禁断としていた少女マンガに手を出したのである。
私が今通勤途上で読んでいるのは宮城谷昌光の「太公望」だ。「エースをねらえ」は全18巻だから2冊ずつくらい持って、この合間に読む ことにした。

私は我ながら感心にもこれから仕事に行く出社時のホームライナーでは「マンガ」は読まないことにしている。
従って仕事から解放された家路に向かうために乗った湘南新宿ラインで「立ち読み」をすることになる。
ブックカバーなんてないから、剥き出しで読むのだがこれが結構恥ずかしい。皆、顔には出さぬが「いったいこの男はなんでこんなマンガ読んでるのよ」と思われてるだろな。

最初の3巻くらいは正直退屈だった。宗方コーチの岡ひろみへの入れ込み方が突拍子もなさすぎて無理があるように見えるのである。
しかし真ん中あたりであろうか。「もしかしてここか?!」という自分的には驚くべき名場面に出会った。
それは「この一球は絶対無二の一球なり」というくだりである。

宗方コーチはその昔、テニスの名選手であった。名実ともに絶頂にあったとき、突然の病気で再びテニスができない身体になってしまった。
自身の不幸を嘆くのはもちろんだが、「自分にいつかプレイヤーとして終わるときがくる。」ことを想像すらしたことがなかったのを深く悔いるのだ。
そして愛弟子の岡ひろみを導くのだ。「お前はオレの落ちた落とし穴に落ちるな」と。

「この世のすべてにおわりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、いつとは知ることができなくても、1日1日、1球1球かならず確実にそのおわりに近づいているのだ。
だからきらめくような生命をこめて、ほんとうに二度とないこの1球をせいいっぱい打たねばならないのだ。」

やがて宗方コートは死んでしまうが、このタイトルの重要な一面がここにあるような気がする。

息子甘辛の卒業を「カウントダウン」した気分にも通じるものがあるな。「もう終わり」と思うからかけがえのないものが見えることが多い。
そして驚くべきことに作者・ジャンルなどに全く関係することのない中国歴史叙事詩である「太公望」にも類似したくだりがあったのだ!

太公望は名前くらいは有名だが、中国古代の英雄である。
ときの中国中原を支配していた商という王朝に一族を殺されてしまう。望は「孤竹へ行け」という父の最後の叫びに従って生き残った幼い仲間とともに、その地へ向かって悪戦苦闘の旅をする。
その途中で少年の(太公)望は・・・

「---孤竹へゆくことのたいせつさは、到着することではなく、途中にあるのではないか。と気付いた。ほかの願望や目的も同じであろう。この世に生まれた者は、かならず死ぬ。だが、死は人生の到着点でありながら、それは願望でも目的でもない。生きるということは、すべて途中である。その途中こそがたいせつではないのか。孤竹へゆきたいと願い、孤竹は目的地にはちがいないが、そこにはおそらく何もない。あらたな途中があるといったほうがよいであろう。---」

「終わりがあるから途中を大切にする」という点で両者は同じようなことを教えているように思えるのだ。
私も「おじさん」の領域に入ってしまったから、この教えはよーくわかるつもりだ。
しかし、いつもいつも「終り」があることを意識してしまうと、何か物哀しい気分にもなってイマイチだ。「しばしば」考えることにしようかな。

っと、ここまで書いていて我ながら「まあ・・・なるほどね」で済むのだがところがである。。。
実は「エースをねらえ!」の真髄は宗方コーチが死んでしまった後にあるような気がするのである。
お蝶夫人に憧れ手引きされて、宗方コーチに見出され、導かれて「世界を意識できる」実力を蓄えた岡ひろみだが、突然やってきたコーチの死に当然「茫然自失」する。

この岡ひろみを立ち直らせ、「慟哭の中にこそ真理があり真髄が見える」と世界へ飛び立たせるため、桂コーチやお蝶夫人はもちろん、家族、恋人の籐堂、チームメイトそして「ライバル」までもがそれこそ「壮絶に」ひろみを「支える」のである。
桂コーチは宗方コーチの親友でありライバルであったが、自分が発掘した選手は自分が生きている間には完成させることができないと悟った宗方コーチに後を託され、そのとおり岡ひろみを立ち直らせる。

第一人者となってしまうと、相手にくまなく研究され尽くされる現実を示すためあえてスパイになる外国人選手。
自身も国内有数の実績・実力を持ちながら、岡ひろみを筆頭に世界プレーヤーを作るための捨石になることを決意する籐堂。
「日本庭球界の夜明け前はいつまで続くのか」という父、竜崎理事の言葉に「わたくしがやる」と言ったこと自体がそもそも間違いだったと気付き「そもそも天才とは無心なのだ」と、あえて自らは退き岡ひろみの心のパートナーとなったお蝶夫人。

すべて「人が人を支えるとはどういうことか」というのがこの物語のメインテーマのように思えてくるのである。
私は兄妹がおらず、甘辛も一人息子、岡ひろみも一人っ子だ。私は迷わずに息子にこのマンガを読ませた。
「誰が好きか?」と単純に尋ねたら、「桂コーチ」と即座に答えた。この答は彼が成長するに従って変わってゆくかもしれない。。。

さすが、私の敬愛する先生が「人生読本」というだけのことはある。
今まで主題歌しか歌えなかった「エースをねらえ!」だが、こうして私の「座右の銘」入りを果たした。。。
これから色々な場所で引用されることになろう。知らない人は全く意味不明であろうが。

  

那珂湊へ行く

2010-04-05 20:50:59 | 旅行お出かけ
息子甘辛は今年3月に小学校を卒業し、同時にサッカー少年団も卒団した。
中学からは横浜市内のクラブサッカーチームでプレイすることになっている。練習にはバスと電車を乗り継いで行く。
「別に部活でいいのにね・・・」とも思ったが、当人の選択に任せている。塾とかも何か入塾テストみたいなのも受けていて結構忙しそうだ。(私、行ったことないけどかわいそー)

ガラっと生活が変わるから最初は疲れるだろな。
中学時代は最も身体が成長する時期だから、上級生と比べると「大人と子供」なのがよくわかる。
今度のサッカーチームは昨年度色々あって、新入生で入部が決まっているのは甘辛ともう一人だけ・・・かなり心細いぞ。

普通、中学の部活は入学前後に「説明会」や「見学会」のようなものがあり、入学後「仮入部」期間数か月を経て正規の部員となる。(これは私達の頃とあまり変わらない)
しかし、甘辛は4/1から練習に参加し、なんと翌日から2泊3日の遠征合宿にも参加するという。
「上級生と早く試合がやりてえ」という。二人しかいないのにずいぶん果敢なヤツだな。心細くないのかな。。。

私と同じ一人っ子だが、彼にはこういう「物怖じを全然しない」ところがある。私は心細くてすぐには入っていけないよ・・・
全く知らないチームで、しかも「大人に見える上級生」の中で「仲間もほとんどいない」のに平気で試合に出るつもりでいる。
場所は茨城県ひたちなか市というところだ。地図で見ると「地の果て」に見えるが、高速乗りっぱなしのようだから家から3時間くらいで行けそうだ。

先週は年度末/当初であり、前半続いた送別会が後半は「キックオフ会」に変わるだけで、さすがに内臓は悲鳴を上げている。
今ハマっている「エースをねらえ!」も読みたいし、少し休みたいところであったが、そんな機会もなければ、かの地など行くことがないと思い、妻と土曜日の午前中予定されている5試合の3試合目から見られるように出発した。
横浜新道から高速に乗ってしまえば、確かに順調なドライブだ。我が家からTDLコースを葛西ジャンクションで常盤道を向かうのだ。

荒川沿いに走ると、結構桜が咲いているが、ここ1,2週間「冬に戻ったか?」と思うほど寒いので、花見客もちらほらだ。
助手席の妻が建設中の東京スカイツリーを発見。たしかこの前東京タワーよりも高くなったはずだ。
600メートルを超すすごい高さになるそうだが、周りは下町で高層建物があまりない。一種異様な雰囲気だぞ。新名所になるのかなー。



小菅ジャンクションから6号線に乗って三郷へ向い、常盤自動車道へ。久しぶりの常盤道だ。水戸までは100km近くあるぞ。
途中で桜土浦を通過。10月の第一土曜日に開催される「土浦全国花火競技大会」はあまり有名ではないが、圧巻に尽きる。
何せ「競技大会」だから全国の花火師がその技を競いあい、翌年の各地花火大会の目玉とする花火を惜しげもなく披露するからだ。
初めて訪れたとき、つくば学園都市にいた先輩は「大きな花火大会のフィナーレが最初から最後まで続くようなもの」と明言をのたまった。
何せ寒いので「トン汁」を作りながら見物するような雰囲気だ。

水戸の手前から東水戸道路へ進路変更し、ひたちなかICまでは25kmくらいだ。会場はインターからすぐのところにある。
あのあたりは地元活性化のため各地からチームを招いて「サッカーフェスティバル」のようなイベントがよく開かれるらしい。
驚くべく広さを誇るグランドだった。大人用ピッチがなんと10面もある!(1ピッチは100m×70mくらい)

しかし、とにかく寒い!茨城ってこんなに寒かったっけ?それとも季節が冬に逆戻り?!
外国では年齢に応じてピッチの大きさに段階を設けているようだが、我が国では中学生になるといきなり「少年」から「大人」と同じピッチになることが少なくない。
いきなりボールが大きく重くなり、ピッチは倍近くの広さになり、試合時間は5割増し(20分→30分)。。。

上級生はこの前まで小学生だった甘辛たちよりは、二周りくらい大きい。こんな中でいきなりサッカーできんのか?
まあ、いきなりの遠征合宿だし、メンバーに顔を覚えてもらって、少しだけ経験程度にピッチに立つくらいだろな。
サッカーライフの中では一番大きな壁だと思われる。正直最初はサッカーにならんだろう。
「どうやって探そうか?ユニフォームはたしか赤なんだけど・・・」と妻と話し合っていたら、なんと真正面のピッチを走りまわる甘辛の姿を見つけた。

身体は小さく、スピードやパワーでは歯が立たないが、果敢にボールを追いかけているし、いいプレーもしているぞ!
運動量は負けておらず、とにかく走り回っている感じだ。さすがに後半バテてきたようだが 。。。
アイツ・・・こうなる自信あったのかな。まあ、いきなり最初からこれだけ頑張れればなんとかなるだろ。

私達はその試合が終わると付近の観光に出かけた。やはり海辺がどうなっているか見てみたい。
まずは漁港へ行って小さな直売コーナー(ホント小さい!テント1コ)で那珂湊で朝獲れたヤリイカ、イイダコを購入した。
イイダコは今が旬で卵を持っているから実に美味しいんだって。

釣りに来ている家族にどんな魚が釣れているか偵察して、有名な那珂湊市場へ。さっきまでの閑散とした雰囲気から一転、すごい人だ。
露店みたいなものもでているぞ。かなり観光地化しているようだなー。
でも私は「市場」というのが大好きだ。普段スーパーでは見られないものも間近で見られるからだ。食材云々というのはよく分からぬが。。。

 

豪快な殻付き牡蠣、ものすごい大きさで一つ食えばお腹一杯になりそうで手が出せなかった。
「惨憺たるあんこう」by村野四郎だったっけ?でイメージしている吊るし切りだけでなく、小さいヤツは干物になったりするんだな。実に面白い。
そしてたまたまだが、ホントに「惨憺たるあんこう」を実演していた。中に水を入れるんだよね。巨大なアンキモを取り出していたぞ。始めて見たが、食う気になるかなあ・・・

 

その後、阿字ヶ浦方面へ。平磯から磯崎海岸へかけては中生代白亜紀の地層がある岩礁群地帯だという。
オレ、こういうの大好きなんだよね。アンモナイトとか化石があったら1日中発掘してるんだが・・・
近くを走っていて出てきたホテルの看板が「ホテル・ニュー白亜紀」。。。ぎゃーはっは。ここ泊まってみたいなあ。。。



時間になったので会場に戻ってみたら、最終試合はAチーム(U-15)の試合みたいだった。
もはや極寒とも言える寒さの中、さすがに今日は息子甘辛の出番はないかな、とタイムアップ後帰ろうとしたら、「おい!こら!待て」と言う声が聞こえ、振り返ると甘辛が走り寄ってきた。

「この後練習試合やるんだよ。オレ、出るからね」

うーむ。。。正直この寒さで早くアガりたかったんだけど・・・出てる間だけは見ていくか。。。
横殴りの強風でマジで凍えそうだ。。。木の影に隠れて風を防ぎ、持って行った毛布を頭から被って・・・「夜鷹になった星明子状態だ」
でも息子甘辛は60分フル出場でがんばった!(オレ達も!)何かひとまわり逞しくなったような気がしたぞ。

その夜は甘辛の昔のビデオを見ながらヤリイカとイイダコで一杯やったぜ。