超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

エクシードなニュース2016

2016-12-29 12:05:09 | 出来事
最新のウルトラマンXの進化形、「EXCEED(エクシード)=これまでを超える」と祈念して始まった2016年も終わりに近い。ウルトラヒーローEXPOから始まり、例年の爽やか湘南マラソンなど比較的スローペースで、あまり超えることもなく過ごしてきたのだが、ウルトラマンスタンプラリーでダブルコンプリートしてから少しずつペースが出てきたような気もする。ちなみに1月の時点でEXCEEDする候補として挙げたのが、1回に走り切るマラソンの距離、釣った魚の大きさ・数、乗れた波の大きさ、写した星の数、ゴルフの打数、読書数、にらの出荷量・リレー数など平和なものだったが・・・マラソンの距離を伸ばす(具体的にはハーフ以上)ことはついにできなかった。釣りにおいては機会そのものが前年よりも少なく、10月に「ウナ吉2世」が釣れたのがせめてもの慰み、ゴルフは休眠状態だし、読書数も例年並み、ニラの種収穫量もリレー先は増やせたが前年同様(当たり前か)だった。

しかし波乗りについては、甘辛用ソフトボードに加え、前職の同僚がカリフォルニアで誂えたというビンテージもののロングボードとそのご子息が若い頃ブイブイ言わせたという6フィートのショートボードが仲間入りし、「波の状態に合わせてボードの種類を使い分けて」シーズン中は毎週のように通い詰めた結果、自分で言うのもなんだが、ずいぶんと上達したと感じる。そして何度かこれまで乗ったどれよりも大きな波に長い時間ライドできた(自分はそのつもり?)ことがあり、「今のエクセレント!写真かビデオに撮ってほしかったなー」と悔しがった末、妻に撮影を頼み某SNSサイトのプロフィール写真を更新したのだった。色々多岐に渡って手を出している私だが、「自己ベストを更新する」というのは中々難しいものだ。クリスマスは「海賊とよばれた男」だったが、今年は話題となった作品も多く、一定年齢に達して鑑賞券が格安になったことから、妻と例年よりもはるかに多くの映画を見に行った。今年は「これまでを超える」というよりは「これまでになかった」ものが多かったように思う。そんなエクシードなニュースをいくつか書いておこう。

血圧レコーディング作戦
BMIと血圧の値が正常値をはみ出してしまったせいで、6ヶ月の特定保健指導対象となり、これをきっかけに徹底した血圧正常化に取り組んだ。その中核が本で読んだ「朝晩血圧を測定して記録する」という30日コミットメントである。欲張りな私はせっかく記録するなら体重、摂取塩分、運動量なども記録しようと専用ファイルを作成しこれが何と習慣化して今でも継続している。主な取組みは食物からの摂取量を減らすという消極的なものではなく、発汗によってナトリウムを排出し、水素水で置き換えるという攻撃的な減塩である。血圧については一旦落ち着いたものの、一進一退を繰り返しているような状況だが、ずばりダイエットの効果はすごかった。一旦沈静化したように見えたが、しばらくして再び効果が出始め、何と高校時代に部活に明け暮れている時の水準も射程圏に入ったのである。

   

ウルトラ兄弟撮影会
今年、最大のニュースだったし、これをエクシードする快挙はもうないだろう。「帰ってきたウルトラマンスタンプラリー」を息子甘辛とともにダブルコンプリートし、応募した制覇賞に当選したのである。ウルトラ戦士の故郷M78星雲にちなんで全部で78名に当たるダブルチャンス賞の応募総数23000名、そのうち「ウルトラ兄弟と撮影」できるのはわずか10名(C賞応募対象者は1300名)という倍率である。「撮影場所は当方指定」とされていたが、何とJR東京駅の駅長室!誰も入れないところにずらりとウルトラ戦士が揃った。思わず明かした息子の名の由来に室内は盛大に沸き上がり、個別ツーショッを何枚も写真に収めた興奮の時間だった。

   

ダークウルトラの会 
ウルトラ撮影会の興奮も冷めやらぬGW中、休日の隙間をついて、密かに結成していたディープな会に「見習いのホシノ隊員(初代マンに登場する少年科特隊員)」として名でカラオケデビューした。ひょんなきっかけで仕事上の付き合いのできた割とエグゼクティブなメンバーに拾われた形である。ウルトラだけでなくスターウォーズ、サンダーバード、マイティジャック、スタートレックなどCG・特撮モノをこよなく愛し、作者別のレアアニメなども語り、お互いを隊員名で呼び合う地下グループだ。NHKBSの怪獣50周年大感謝祭では歴代の怪獣・作品の何が名作に入るか、勤務時間も関係なくメールが飛び交い、永井豪オーケストラで一緒にマジンガーZを熱唱した。あまりに深みにはまるとちょっと危険な香りのする紳士淑女たちである。

        

惑星の拡大写真
今年は火星の大接近があった。最接近は5月末くらい、夜空でも赤く輝く火星が目立ち、木星、土星も連れ立って3惑星がそろい踏みだった。新装備の超兵器M20号で見る各惑星の姿は素晴らしく多くの人とこの感動を共有したかったが、ちょっと大型の装備なので気楽に出張サービスに出向くわけにも行かずあの雄姿を目にしたのは皮肉にもあまり興味のない妻と息子だったというのが少し残念だ。何度か試行錯誤を繰り返し、星空写真のように北極星(正しくは天の北極)に赤道議の軸を合わせて追尾しながら動画をPCに取り込んで画像を生成するという今主流の方法でお粗末ながらもここに掲載しても「何が写っているかくらいは分かる」像ができた。肉眼でレンズをのぞいて見える画像とは雲泥の違いだが、風やシーイングなど条件のよいチャンスを狙って繰り返しチャレンジしただけあって、これまで難しかった「惑星の拡大写真」としてはエクシードなものだったと思う。

          

母を伴ってのグアム島旅行
大台の年齢を向かえ、海外旅行など体力・体調に自信がなく尻ごみしていた母を妻が絶妙の誘い(何と言って説得したのかで)連れ出し、その年齢としてはかなりチャレンジャブルな南の島旅行が実現した。何せ旅行期間中、具合が悪くなっても途中で引き返せない場所なだけに、旅行1週間前くらいからヒヤヒヤものだった。年齢的にリゾート地でゆっくりさせるつもりだったのだが、「ぶっちゃけ次があるか分からない」だけに思い出つくりに色んなイベントを詰め込んでしまい結構ハードなものになった。大規模ウォーターランド、マジックディナーショー、サンセットクルーズ。。。どう見ても「母が息子に孝行させてやっている」状況のようだったが、動きの遅さに時にイラつく私に対して、妻の配慮は全くありがたく、何か形にしたいとは思った。1年に一度の親族の集いでは「楽しかったこと」をやたら話しまくったようで、母にとっては間違いなくエクシードな旅行だったと思う。

        

道庁所在都市以外の北の国
これまで仕事で何十回と訪れている北の国だが、出張では中心都市以外に足を運んだことがなかった。駅とオフィスを往復するだけで「マイルを稼ぎ、ラーメン店を巡る」ばかりだったが、初めて市外に遠出し「支笏湖」の雄大な自然に触れることができた。さらに年末寒さの厳しい時期だったが、道南の地を訪れることも実現し、世界的な夜景の見える山頂(昼だけど)、戊辰戦争最後の戦いのあった城郭も眺めることができた。ゴリさんによれば市内には「テレビ塔」「時計台」のように有名過ぎてちょっとがっかり、という名所以外にもお奨めスポットが結構あるそうだ。最近は有名な「雪祭り」で自分オリジナルの氷像作りに参加したり、氷像を製作している作業そのものを見学するツアーもあるようで、色々と進化しているらしい。

             

御朱印集め
札幌での意見交換会の趣味話題に出たのをきっかけに始めた久々の新しい「趣味」である。私自身も国内に出張等ついでに有名な神社仏閣を訪れるし、母とのちょっとした外出やプチ旅行など何かにつけて「お参り」に足を運ぶので、「何で今まで気がつかなかったのか?」と思えるほどドンピシャの趣味である。私は鎌倉の「杉本寺」を第1号とし、京都、三島、などで暇さえあれば御朱印集めに走っていた。母を誘ってからは相模國一之宮から二、三、四乃宮と進め鎮地大神の平塚八幡宮、総社の六所神社を加えて相模乃国六社を制覇した。また母の故郷越中國の一之宮も入手し、今後はどこかに出かける都度、親子御朱印帳持参で有名どころを集めるのが楽しみとなっている。

               

オクトーバーラン
人間、期間限定であればかなり無理して頑張れるということがよく分かったプログラムだった。マラソン(ジョギング)としては1回で走る距離を更新することはできなかったが、アプリを起動しながらのジョギングを毎日のように続け、最後は若干のズルをしつつも月間150km(つまり1日平均3km)を超すことができた。「時々思い出したように」又は「レースの直前のみ」ちゃっちゃっとしか走る練習をしてこなかった私にとって、ほとんど毎日一定距離を走り続けたというのはかなりエクシードな現象だった。また最後の数日はどうしてもキリのいいところまで頑張りたくて、10kmランを2回と走ったりもしていた。しかしこれには思わぬ反動が出る。元々ただ走ることが好きでない私は、習慣化することはなく、むしろ期間が終了すると気が抜けてピタリと走ることを止めてしまったのである。来月末に例年の湘南藤沢マラソンを控えているというのに、これはちょっとまずいと思っているのだが。。。

         

人生初の眼鏡(近視矯正)
最後はあまりエクシードな出来事ではないが、私にとっては今年最大級の問題であった。周囲にはそれこそ「物心ついた時から」眼鏡を放せなかった人もあるが、サングラス以外のものが目の前にあり、「自然とは異なった像」が見えるなどと、煩わしいことこの上ない。度の強さは処方箋によって決まっているが、フレームやレンズの形、色、素材やレンズそのものの質など、選択肢が多すぎてどんなのを着ければよいのかさっぱり分からない。結局「自分への所縁」だけをきっかけにウルトラセブンモデルのグラスを購入、1日のうちに夕方モノが見えにくくなった時とスクリーンのプレゼン資料など見たいときのみ「顔の一部」になっている。知人はそこそこ褒めてくれるのだが、今まで想像したこともない本人は「カツラを被って女装」しているような違和感だ。

      

今年も色んなことがあった。甘辛は大学生となり、ちゃんと勉強はしているようだが、部活にアルバイトと毎日忙しくしている。N木坂46というアイドルグループのファンのようで、来年2月のバースディコンサートのチケットが当たったとかでもう有頂天である。年明け早々はウルトラヒーローEXPOだし、マラソンもエントリーしてある。これまでやらなかった30日コミットメントは既に用意してあり、これを達成することでかなりエクシードな結果を得られることを期待している。(乞うご期待)これに合わせて(ちょっとこじつけ感強いけど)、「一休-Cool Down」「EXCEED-これまでを超える」に続く来年のタイトル的なものも一応考えた。年末年始、よほど驚天動地のことが起こらない限りこのまま採用となるだろう。皆さん、1年間「超兵器」にお読み下さってありがとうございました。よいお年をお迎えられますように。

  

花暦 for 2017

2016-12-27 11:04:41 | 旅行お出かけ
今年もあとわずか、後半になって御朱印集めにも走ったが、運転免許も返納し、自転車も危険だから乗らなくなって、一人住まいでは退屈だろうと、様々な場所に老母を連れ回した。神社仏閣や花を観るくらいしかすることがないのだが、あまり興味の無かった私も気が付くと「季節の花」を結構リサーチするようになったのだ。しかし今年は残念ながら最盛期には「遅きに失する」ことが割と多かった。むろん天候によって例年の見頃時期は前後するものだが、来年は同じ轍を踏まないように、備忘録として「狙いどころ」を綴っておこうと思う。基本はいつでも行けるところだが、中にはすごく頑張らないと辿りつけないところもある。写真を探し出すのがものすごく面倒で途中で絶望しかけたが、結構色んなところに行っているものだ。ただ昨年に行ったところがあって比べると、写真の下手さに目をつむっても見劣りするモノが多い。ほぼ全てが「出遅れて」ばかりだから日付をチェックして少し早めのターゲットとしよう。

下田・爪木崎のスイセン(1月上旬から2月上旬)
野水仙の群落地があり、ピーク時には300万本もの水仙が甘い香りを漂わせるという。シーズンになると「スイセンまつり」というのをやっている。今年は1月末に訪れたが、既にピークは過ぎ去ってしまっていた。つまり来年行くなら1月上旬から中旬頃。返す刀で河津桜も眺めに行ったが、こちらはまだつぼみばかりで、2月以降ということだった。
小田原フラワーガーデンの梅(1月下旬から2月末くらい)
今年は2月下旬に訪れたが少し遅かったようだ。曽我梅林の雄大さが好きなのだが、だんだんと訪れる人が増えてきて、今はまつり期間中はすごいことになっている。フラワーガーデンは数は少ないものの、種類は多く手頃で中々の見応えがある。梅は熱海も湯河原も大体どこも同じような季節なので、あまり外すことはあるまい。駐車場も入場も無料なので、他の季節も色々な花が楽しめる。次回は2月上旬くらいを狙おうと思う。



二ノ宮我妻山公園の菜の花
菜の花は咲いている期間が結構長く今年は既に咲き始めているらしい。例年は1月から2月にかけて「菜の花ウォッチング」が開催されるが、来年は1月9日から。「満開で迎えられそうだ」とHPにあった。ただし二宮駅から展望台まで300段以上ある階段を登らなければならず、老齢の母には無理だろうとこれまで訪れたことがない。しかし先日三之宮詣でのついでに寄った大山阿夫利神社では「コマ街道」を含めて500段以上階段を上らせたことになり「結構平気じゃないか?」と本人も気をよくしていたから行ってみようと思う。
松田山ハーブガーデンの河津桜と菜の花(2月中旬から3月上旬くらい)
今年訪れたのは3月初頭だったが、桜は終わりかけてしまっていた。菜の花とのコントラストと富士山が素晴らしい。小田原フラワーガーデンの案内係のお姉さんが「『この時期は松田山にお客さんが流れてしまって。。。」と苦笑いしていたが、同系列の会社が運営管理しているらしい。来年は2月末くらいを狙えばよいと思われる。



相模原・城山かたくりの里のかたくり(3月上旬から4月中旬)
NHKの首都圏ニュースで紹介されたのを見て、そんな名所があるのを知った。個人所有の山林ですが、カタクリの咲く春のみ一般公開されているそうだ。珍しいキバナカタクリと白いカタクリの花も見ることができる。今年訪れたのは3月末で見頃だったはずなのだが、前日に降った雨が影響して花びらが下向きに垂れ下がってしまっていた。山の中腹のようなところに群生しており、満開となるとそれは見事な眺めのようだ。来年も同じ時期でよいようだが、直近の天候に注意が必要だ。
小田原・長興山紹太寺のしだれ桜(3月下旬から4月上旬)
今年訪れたのは4月の初頭。ちょっと遅めだったが、ギリギリ満開だったようだ。樹齢約340年、高さ約13m、株元周囲約4.7mの大木で満開時は花が滝のように垂れ下がり、見事な姿を見せてくれる。駐車場から15分くらい登坂を登らなければならず、母にはちょっとキツかったようだ。常連っぽい見物客の話では、残念ながら毎年樹勢が衰えていて、数十年前に比べると半分近くになってしまったという。桜は近所の川沿いにも公園にもたくさんあり、花見には困らないが一本の「名巨木」ということでは、これまたNHKのニュースで紹介していた千葉県の「黄門桜」というのを見に行ってみたい。



伊東・小室山公園のつつじ(ゴールデンウィーク期間)
今年訪れたのは連休中だが、完全に「遅きに失して」いた。35000平方メートルの広大な園内に、40種類約10万本のつつじが赤いじゅうたんを敷いたように咲き乱れるそうだ。敷地内に「つつじのトンネル」というのがあって、満開時は素晴らしいらしいが、残念ながらほとんど何もなかった。さらに連休明けに訪れた笠間の「つつじまつり」も最終日でやはりピークは過ぎてしまっていた。
ひたち海浜公園のネモフィラ(4月中旬からGW明けくらい)
「死ぬ前に一度は見ておきたい絶景」で世界的に有名なネモフィラ花畑である。写真で見ると「こんなすごいところがあるのか?!」と思えるくらい見渡す限りのブルーの絨毯だ。訪れた者は必ず某SNSサイトにアップするから状況がよく分かる。今年初めて「ひたちの国」を走り廻った時に訪れたのがGW明けだった。例年よりも2週間ほど早く見頃がやってきたらしく、4月下旬に知人が「お早目に!」とアップしていた。まだ迫力を味わえるくらいは残っていたが、やはりこれまた「遅きに失して」いた。来年は行けるかどうか分からぬが、4月の下旬くらいを狙ってみようかと思う。



小田原フラワーガーデンのネギ坊主、バラ(5月中旬から6月中旬)
世界最大級のネギ坊主がアーチ型の階段にずらりと並び、圧巻である。その後ろにはたくさんの種類の色や形をしたバラが「これでもか」と咲きまくり、ガーデンで一番華やかな季節である。実はこの時期の少し前にトロピカルガーデンの中にある珍しいヒスイカズラが甘い香りを漂わせる。そしてネギ坊主の少しあとは梅林の中にある池やその周辺に花菖蒲が咲き乱れる。フラワーガーデンというだけあって、季節ごとの花を色々と楽しむおとができ、母にはお気に入りのお出かけ先となった。
湯河原・さつきの郷のさつき(5月中旬から6月上旬)
昨年訪れた時は素晴らしい満開のさつきだったが、今年は6月初頭に行ったのに既に半分終わってしまっていた。梅雨入り前で、ちょっと強い雨が降り続いたりするとどんどん花が落ちてしまうそうだ。同じ時期を狙ったつもりなのだが、中々難しいものだ。この公園は元々「えっ?こんな熊が出るような道上ってホントにあるの?」みたいなところにあり、1年でさつきが咲くこの時期以外は何一つめぼしいモノがないが、実は夜中に行くと素晴らしい星の海が眺められるのである。1月3日未明の「しぶんぎ座流星群」極大期に行ってみようかと思う。ただホントに真っ暗なので「お化け」が出そうで怖い・・・



茅ケ崎・小出川沿いのヒガンバナ(9月中旬から下旬)
地元なんだが、こんな名所あったかな。結構名物になっていて、小規模ながらお祭りもあるらしい9月下旬(お彼岸のころ)、茅ヶ崎市・藤沢市・寒川町の境を流れる小出川沿いに、約3キロメートルにわたって”赤い帯”のようになると聞く。知人がアップした時は確かホントに御彼岸前後で、鮮やかな赤い花が川の両岸に咲き乱れ、それは素晴らしかった。が、我々が訪れたのはその約2週間後の10月初頭になってしまい、8割がた見頃は終わってしまっていた。花の名からしてやはり狙いは「彼岸」なのだろう。来年は墓参りついでに外さずに訪れることにしよう。
久里浜・花の国のコスモス(9月中旬から10月下旬)
これもテレビでよく紹介されていた。100万本のコスモスが咲き誇るという。今年訪れたのは10月末・・・やはりピークは過ぎてしまっていた。広大な敷地の中に咲くコスモスなので、密度はそれほど高く感じないだろうが、やはり最盛期はすごい迫力なんだろうと思う。上の公園には巨大なゴジラ像があり(実は中は滑り台)、アスレチックなどもあって子供が1日遊べるところになっている。花の国というだけあって、むろんコスモスの季節以外にも菜の花にネモフィラやアジサイと色々とあるようだ。5月中旬から6月中旬には「ポピーまつり」というのがあるそうだから、そちらにも足を運んでみようと思う。その季節は房総フラワーラインもポピーの見頃だったはずだ。



さて全般的に「遅きに失した」今年の「花めぐり」だったが、やはり例年の見頃をチェックしつつも、近々になったらマメに開花情報を調べることが大事なのだろう。いつもいいタイミングで花の名所を訪れ、某SNSサイトにアップしている羨ましい知人に他の名所情報を聞いてみると、秦野・戸山公園のチューリップ(4月)、鎌倉・東慶寺の紫陽花(うーむ、紫陽花は明月院かな)、山梨・明野のひまわり(これはすごいらしい)、コスモスは昭和記念公園が有名だが、茅ケ崎の萩園ファームというところも密度があって素晴らしいそうだ。どれも訪れるのが楽しみなところだ。来年のカレンダーには抜かりなくメモを入れておいて、ネットで情報収集をしよう。

はるばる来たぜ道南の地へ

2016-12-24 10:45:25 | 旅行お出かけ
今回、降り立ったの北の国は幕末に下田と共に開港した地である。以前から憧れの地だったが、実際に訪れるのは初めてだった。しかし数日前から強い寒波で大吹雪となっており、航空便がストップしてしまって乗客1000人以上が空港で「夜を明かす」なんてニュースが流れていた。「やはりこの時期に北の国を訪れるのはリスク大きいよなー。」私は数年前にやはり吹雪の中、機長の神技的操縦により羽田空港に着陸したが、駐機場までに立ち往生となり結局空港で「野宿」となってしまった首都圏の大雪を思い出していた。幸い機内で聞いた天気予報によると到着地の天候は晴れ、気温は0℃ということだった。「アイツも大変な時に行ったもんだよな」別ロケにいる上司が心配してくれていたようだが、中々快適なフライトで、1年でこのシーズンしかしないネクタイをCAに「それ、可愛いですねー」と言われてホクホクしていた。予定では空港からバスで移動し、駅前集合だったのだが、前回支笏湖を回ってくれた「ゴリさん」「やっさん」がかなりごっついレンタカーで出迎えてくれたのである。初めての地だったが、それから向かう先は「熊も行かない」ような普段立ち入りの無いところだそうだ。

まず少し早めの昼食を兼ねて歩いたのが、有名な(昼なのに)朝市である。すごい人混みを予想していたのだが、雪が舞う平日だからか割りと閑散としていた。巨大なズワイガニや珍味加工品、干物店などがところ狭しと並んでいる。やたら呼込みの威勢のよい飲食屋で目立つのはやはり「海鮮丼」だが、札幌市内の某有名市場では観光地値段で「ヤラれた」経験があり、かなり警戒をしていたのだ。しかしゴリさんが抜かりなく地元の人にリサーチしてくれ、「ここが評判いいです」と指差したのは、小さな場末っぽい食堂だった。人気NO1という、うに・いくら・ほたてが「どどーん」と盛られた元祖巴丼を頬張った時は幸せ一杯の気分だった。味噌汁は岩海苔、お米は炭炊き蒸し釜戸を使用、この時期は生イクラをそのまま漬け込み、ウニは無添加塩水の蝦夷ムラサキウニ、ホタテは近海産のものを朝に殻から剥いて使用するこだわりがあるそうだ。(自分で決めてちゃ、こういう隠れ名店は分からんわな。)「すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。」仁和寺の法師のくだりを思い出したのだった。



昼休み時間に朝市を出て、ランクルは山に向かった。市街地から陸続きで上空から見ると江ノ島のように飛び出て見える。この山からの夜景が世界的に有名で、国内外からものすごい観光客がやってくる。ただしバスやタクシーの営業期間は11月までで冬季は道路そのものが閉鎖されてしまう。しかも唯一の足でロープウェイが人身事故発生のため営業を停止中で山歩きの準備をして「無理して登る」ことしかできない。「(一度は行ってみたいと思ってたが残念だなー)」と諦めていた。ランクルが向かっているのは展望台から少し道を外れて専用道路を行く施設である。ところどころで写真で宝石のような夜景を見たことがある「くびれた地形」が見え隠れする。「そんなわけ無いじゃん。でも東京の人には多いみたいよ」以前、妻には笑われたが、私もつい最近まではあのくびれた地形は全道地図の南部側にある形そのものだと思っていた。空気がきれいで航空機から地形が見えるときに写真撮影をしてから「んなわけないよな」と気づいたのである。この地は太陽が沈むのが早い。昼を過ぎて少しするともう太陽は西側に傾いてきた。たまたまか周辺の天候がやけに変わりやすく、さっきまでかなりヘビーに雪が降っていたかと思うと、雲の隙間から陽が指したりする。



現地の施設の内外点検や老朽度合い、新たな施設の設計状況、工法などを確認し終えた時は薄暗く雪がチラつくような雰囲気だった。「専用道路から裏ルートで入れるので行ってみましょうか」やっさんは車幅ギリギリの雪道に入った。うーむ。。。「ウルトラ警備隊西へ」のシークレットハイウェイ-ルート9みたいだな。よく見るとすぐ下は崖っぷちのようで、あちこちで木の枝が擦れる音がしている。「倒木に塞がれたりしたらアウトじゃん・・・」ハラハラしながらハンドルを左右するやっさんを見ていたが、15分ほど走り続けてなんと広々とした展望台駐車場に飛び出たのである。ロープウェイの営業停止に伴い営業施設も閉鎖されてしまっているので人っ子一人いない。。。ゴリさんによると事故は数日前の夕方、清掃の際に作業員が挟まれ不幸にも死亡してしまったという。その時は山頂には夜景見学の観光客が1000人もいたというから、「誰もいない」この光景はいかにも不思議だ。「こんなところで転んで怪我でもしたらやばいよな」足跡ひとつない地面をそろそろと歩いて進むと、ちょうど陽が指してきたので(昼間だけど)写真で見る夜景の地形がよく眺められた。車にあった温度計を見ると−2℃だった。。。



市街地に戻ってもう2箇所ほど関連施設を回って現場を確認し、簡単な打合せを済ませた頃には再び雪が降り始めていた。「鍵を返すところのすぐ近くなんで、とりあえず寄ってみましょうか」雪が道路を真っ白にするぐらい強くなってきたが、やっさんは車を走らせた。向かうのは幕末最後の戦争があった城郭である。この名を聞いてすぐに思い浮かぶのがもう30年くらい前になるだろうか、田原坂、白虎隊など「滅びの美学」みたいなシリーズとなった年末時代劇だった。どれも里見浩太朗さん主演(榎本武揚)で、この街ではヒーローと思われる新撰組副長土方歳三が渡哲也さん、私の尊敬する歴史上の人物、勝海舟は津川雅彦さんという豪華メンバーだった。夜になればライトアップし、桜の時期は城郭じゅうが一気に咲いてそれは美しい写真だった。雪が降り続き、周辺が真っ白くなってきた光景も中々のものだ。実際に城郭に入って歴史を噛みしめたかったが、残念ながら雪がさらにひどくなり、前も見えづらくなって暗くもなってきたので、タワーの上から見学するに留めた。





宿泊はすぐ近くの湯の浜温泉という海沿いの地である。出張時の晩御飯は自己解決なのが普通なのだが、このホテルはよく母とのプチ旅行で利用する伊○園のようにブッフェ形式のディナー付きだった。「もしかして?!」と期待したが、ドリンクはフリーではなかった。外国人観光客の団体が3組、合計60人くらいやってくるというので、早めに食事時間をセットし、盛るだけもって後はゆっくり飲むことにした。東京から同行したのは今回現場検証した施設のプロ、グンマに赴任する前の職場でご一緒したマラウェイ(仮称)である。アフリカのとある国に青年海外協力隊として勤務した経験をもつ。このサイトでも紹介した脳科学的な考察で「スワヒリ語を40単語覚えるプログラム」をプレゼンに組み込み、「スワヒリ語の単語なんて誰もしらないでしょう?」と語りかけた時にこれまでいた通算300人以上の聴衆の中で唯一「(知っている)」と内心答えたというツワモノである。そのセクションにはなんと南極越冬隊上がりもおり、ゲテモノ(もとい!達人)揃いだった。。。朝ホテルの部屋から見える海面からは湯気が上がり、水温と気温の差の大きさを見せつけられた不思議な景色だった。



朝一にレンタカーを近代的な建築物に生まれ変わった駅で返し、札幌行の特急に乗り込む。結構観光客もいて指定席は割と混んでいた。新しく開業した新幹線の駅は駅にして二つ先にある。駅構内に「はやぶさ」が停車していたようにも見えたが写真には写っていなかった。実はよく知らなかったのだが、札幌までのルートは海沿いを走ることが多く、そしてとてつもなく遠い道のりだった。新幹線の建設予定もあるそうだが、特急でたっぷり4時間近くかかる。改めて地図で見るとなるほど、東京から名古屋くらいは軽くありそうだ。こんなに列車に揺られるのは「のぞみ号」で広島を訪れて以来である。昼過ぎに札幌に到着、私のリクエストで美唄地鶏の蕎麦屋で昼食を摂り、いつものオフィスへ向かったのだった。今回の行程で初めて訪れた地は小夏師匠もご旅行されて記事になっていた。いつもの通り仕事の隙間に走り回るだけだったが、今度はゆっくり新幹線で旅してみたいと思う。


男子の手抜き料理

2016-12-22 20:37:41 | 食べ物
世に「男の料理」というのは本やテレビ番組など色々なところで取り上げられている。街中でこれについて女性にイメージについてインタビューすると大抵似たような答えが帰ってくるだろう。「大雑把」「大振り」「素材のこだわり」「無駄」「ゴミ」「後片付けしない」・・・自分にも大抵はあてはまるが、私の場合強力な興味が湧いた時(特定のきっかけ)に限られるからカテゴリーとして当てはまるレベルではない。また私がキッチンで何やら始めた時に出来上がるものを家族は全く期待していない。私も本で読んだり、テレビで見て響いたものを「試し」に作っているだけで、食べる人が美味しく食べることをあまり想定していないから、何か理化学実験のように思っているのか、妻も甘辛も作品に手を出さない。

家事には色々な種類があるけれど、料理というのは掃除や洗濯などと異なり特別な意味があるように思う。家事を分担すると言っても、奥方がキッチンで「彼は料理を作ってくれる」などと他言する男性バディはたぶん、よっぽどすごい腕の持ち主である。大抵の奥方は時々思い出したようにキッチンに立つ男子を「家事を手伝う」というよりは、「余計な仕事増やしやがって」と思うことが多いようだ。(少なくとも我が家はそうだ)前回紹介した著書は「男の料理」なるものを通して夫婦や家族のあり方を考えさせる物語だった。私の知人にも自身で料理の腕を奮い「プロ顔負けの凝った」料理をマメに某SNSで披露労する多才な同僚やご主人が料理好きで何でもこなし、生地の段階からピザや肉まんを製作してしまうという人もいる。材料を加工して火を通したり、煮込んだり、途中で味見をしてみたり、物語風に言えば食べる人の顔を思い浮かべたり(私はそういうことはないが)料理というものは様々な模様があると思うし興味もある。

私もかつてはマイ中華なべとお玉を持っており、茅ヶ崎北京亭の中華丼その他懐かしのメニュー製作には鍋を振るったものだ。しかし残念ながら以前よりはキッチンに立つ機会はだいぶ減ってきたように思う。ここで思うのはよくある話だろうが自分の扱いたいのは「炎」が中心なのである。煮るとか蒸すなどよりも、強力な炎の中を具材が「踊る」のが快感なのだ。だからガスコンロからIHになってしまうと全く面白くない。底の平べったいフライパンで菜箸を使ってずいずいかき回すだけになると、よほどきっかけがないと「やってみよう」という気にならず、「世界の料理ショー」の特別メニューとか、母の日向けに好物の「金目鯛の煮付け」を作ったくらいである。材料を下ごしらえする場合や、ちょっとした細工が必要な時、また「手際の良さ」や「順番と時間の正確性」などが求められる時、(よい例が東京ガスの料理教室だが、料理のベテランたる主婦に囲まれて完全な異世界で浮き上がり、かなり懲りた。。。)やはり「また今度にしようかな」などと自分に言い聞かせてしまうのである。

さて「男の料理」を論じる際に、先に紹介した本の真ん中に登場するエリカ先生の存在はかなり象徴的である。いわゆる料理教室の先生なのだが、中年3人組の「男のこだわり料理」的な嗜みをまったく否定し、「買ったほうが安いときは迷わず買え」と説き、男の料理は「お金がかかりゴミを増やし、キッチンを汚すだけで、しかも大して美味くない」と一刀両断し、使える小手先ジャンクものを推奨する。あの物語はこのような男子のありがちな「料理に対する思い」の空回りが、そのまま夫婦間の空回りに通じていくような描き方をしているように思う。「男の料理」についてはエリカ先生に全く同感で、奥方に迷惑をかけないよう、一人になった暇つぶしに場を借りて行うものだと思う。しかし小手先シリーズは逆に手をかけないで割り切って「使える」というところが「男子向き」(と言うより自分向き)のような気がし、試しにこの本に載っている「手抜き」シリーズのうち典型的なメニューを実践してみることにした。多少拘りが見え隠れするところもあるのだが、まずはメニューの代表作かのような「卵かけご飯編」である。ご飯に卵をかけて醤油を垂らして混ぜるだけと言うのが基本なのだが、色々とバラエティが加わる。

めんつゆ版:揚げ玉入りにし、白身と黄身は混ぜず、味付けはめんつゆに食べるラー油をひと匙。
→単なるぬるい「たぬきうどん」のお米版という感じ。ラー油を大目にすると少しインパクトが出るかも。白身と黄身を混ぜないというのは、主人公のポリシーのようなもので、物語に登場する、母親が不倫中に事故にあって入院中の「ドン」が編み出した「ドンたま」は食べるラー油を適当に混ぜ込んだご飯に生卵を割って落とすだけ。ラー油とご飯、そして白身や黄身の混ざり具合により色んな個所で色んな味が楽しめるというもの。溶き卵を混ぜ込んだ均質な卵かけご飯に疑問をもった中学生らしい作品だが、実際は正直「だから何なの?」感が拭えず、ハマるまでには至らない。

  

ぷよとろ版:きっかり5分間ゆでた「白身ぷよぷよ、黄身とろとろ」の卵を熱々のご飯に載せて箸でざっくり割砕き、一滴の醤油に黒胡椒とマヨネーズ。
半熟卵を割って出てくる黄身に味付けするところが素晴らしい。マヨネーズの風味がアクセントとなっている。きっかり5分間茹でると卵ってこんなにぷよぷよになるのか?!割った時に湯気と一緒に流れ出すところが感動的だが、たかだか卵を茹でるのに、水を沸騰させる数分+5分間要するのでジャンクモノの割には手間と時間がかかってコスパがイマイチという感じ。このぷよとろ卵は別のちゃんとした料理に使用した方がいいんじゃないかと思う。

  

猫まんま版:醤油にひたしたオカカとご飯で「猫まんま」をつくる。その上にスライサーで薄切りにして水にさらした玉ねぎを敷き詰め、チューブの豆板醤かコチュジャン、もしくはラー油を足す。そこに生卵の黄身だけを落として箸の先で崩す。
一番手がかかっていて、お店のメニューにできそうなほど、個性的な味。ラー油ではちょっと弱いし、コチュジャンではそのまんまの味になってしまうから、バランスが結構難しい。原作では使うのは黄身だけで、白身は別途スープなどにするのだが、卵かけご飯の手抜きさを大きく超えていてちょっと邪道な感じ。ここまで手をかけるなら他のちゃんとした物を作れるんじゃないか?ちなみに面倒でもったいないので、生卵をそのまま割落としたが、ちょっと抜けたような味になってしまい、失敗感が漂ってしまった。
 
  

どれも悪くはないが、エリカ先生の「買ったほうが安い時は・・・」という主張を忠実に実行すると近所の「すき家」にある「たまご朝食セット」200円にはとてもかなわない。。。さらに牛小皿におかか、オクラ、温泉卵などをぶわわーっとかけて食べる「混ぜのっけご飯朝食」という最強級メニューがあり、出かけるついでに「途中で食っていく」手軽さが加わるともはや卵かけご飯はかなり苦戦しそうである。これ以外のジャンク料理として豆腐グラタン(豆腐にピザ用とろけるチーズを乗せ、レンジで1分半、仕上げにオリーブ油と黒コショウ、さらに小魚ピーナッツをパラパラと振りかける。)タケが唯一編み出したジャンクフードに「サンラータン」ならぬ「2.5ラータン」というのがある。「粉末の中華スープの素をお湯に溶き、そこに中華ドレッシングを大さじで3杯足して、胡椒で味を調えてから片栗粉でとろみをつける。」

晩酌タイムに豆腐グラタンをこしらえて妻に食べてもらうと「はぁ?」という顔をされた。また不思議に中々手に入らなかったキューピー中華ドレッシングを買ってきて製作した2.5ラータンも「???」という感じ。やはり悪くはないのだが、「あー、なるほど、豆腐にチーズがのっかって、オリーブ、黒コショウ・・・」「ふんふん、中華スープにドレッシングね」つまりはどれも味がそれぞれ分離して透けて見えてしまい、料理らしい「味の融合」や「新しい味覚」を感じなかったのである。ホントの調理をするためにキッチンに立つことが少なくなってきたので、「男子のジャンク料理」路線で少しレパートリーを増やそうと試行してみたのだが、どうも「ダメ出し」ばかりになってしまったようだ。どうも今後、生活の中に取り入れて定着していくようなものではないな。考えてみると「時間がない」時は家にいつもあるモノを使用して誰しもが自分の「手抜き料理」を持っていることに気が付いた。

  

ちなみに私が朝の時間の無い時にほとんどキッチンで立ち食い風に作るメニューは納豆+卵+シラスを混ぜて海苔でくるんで食べるモノだ。作るのに30秒、食べるのに1分・・・しかしこれに野菜ジュースを加えると最強メニューだと思っている。私は食べないが妻(世の人にも多い)は白米と漬物をさらさらーとかっ込んで朝昼食にしていることも多い。さらに「手抜き」という意味で最も徹底的なのは息子甘辛である。遅かったとは言え高度成長期は一段落しても、運動量が多いのか魔神のように食う割には「全くと言ってよい」ほど何も手をかけない。妻が出してやらないと食べるのは白飯だけある。キッチンの残りものにも手を出さないし、冷蔵庫からおかずになりそうなものを出したりしないし、振りかけも使わず卵一つ落とさない。我が家の米は富山の農家から直接取り寄せているので確かに美味しいのだが、ここまで何もしないとはよほど興味がないだろうか?(でもおかずが出てくると残らず食べ尽くす)炊いてある米が見当たらないときは食パンだけをひたすらかじっている。(しかも一斤全部である)カップラーメンを作ることすらしない。ただし「引きこもラー」のようにお菓子だけで済ますこともしない。

いずれ家を出て一人暮らしなど始めたときにあっという間に病気になりそうで心配だ。妻のように何かにつけて品数をかせいでくれる伴侶でも早く見つければ別だが。「ウチのダンナは何かにつけて色々作ってくれるので・・・」なんていう奥方を見ると「その気になりゃ、できるよな」と思いつつも、我が家は「男子厨房に立つべからず」的雰囲気もあるので、この方面にはあまり手を出さないことにした。まずは息子を少し洗脳し、「これだけ食ってりゃ、とりあえず死ぬことはない」的な「手抜き料理」を覚えさせなければ。電子レンジも使わないヤツに「盛っただけで栄養を摂らせる」には、全てを放り込んで「炊き込む」しかない。(そう言えば妻もそれに気がついたのか、最近炊込み御飯が増えたような気がする)皆さんそれぞれ自分仕様の「手抜き料理」は何でしょうか?また白米しか食わぬ息子に「もう一手間」かけさせるにはどうしたらよいでしょうか?

ファミリーレスな中年男

2016-12-15 07:00:41 | 書籍
先日、久しぶりに知人たちとお薦め本を交換し合った。考えてみると人に本を薦めるというのは、相手の読書スタイルや好みの分野、さらには人となりや物事の考え方など色々慮るべき事柄が多く簡単ではないが、古くからの知人であれば何となく最近の会話と話題からだけで「この辺りはどうかな?」というところが思い当たる。私が貸してもらったのは、正月明けに映画化も予定されている重松清作品である。私はテレビドラマにもなった「流星ワゴン」から始まり、かなりの著書を読み込んできたお気に入り作者だ。家族、親子、夫婦は友達など、基本単位ともいえるつながりを独特な人間観で綴っている。安易なハッピーエンドには決して向かわず、時にはやり切れなくなるほどシビアに展開していくが、必ず「うるうる」「ほろっと」するところがあり、最後はペナントレースで言えば最下位からAクラス入りくらいには「救われる」物語が多い。本作品は日常どこにでもありそうなあまり重くない主題のようだが、かなり複雑な人間模様が描かれてあり、私達の置かれる年齢や家族構成的なシチュエーションとして「ものすごく身につまされる」物語だった。

ざっと登場人物とそれらの人間関係、ストーリー展開だけ紹介しておくと、主人公から
・宮本 陽平:ちょっとした男の料理を嗜みとする50歳間近のベテラン中学校教師。
  妻 美代子:陽平とは「できちゃった婚」の専業主婦。子供らの自立を契機に「おひとり様化」を志向?!
 長女  葵:数年前に大学を卒業後、一人暮らしで出版会社にアルバイトしながら正社員化を目指す。
 長男 光太:仙台の大学へ入学し一人暮らしを始める。サークルで被災地ボランティアで自立化を志向。
・竹内 一博:通称タケ。葵の勤める出版会社の編集長。妻は5年前に実家の母の介護に戻ったきり別居状態。雑誌「男の深呼吸」の編集長で敏腕とされ、手料理その他こだわりが強い。
  妻 桜子:母の介護で実家に戻り、そのまま自身の本業である和菓子ジャーナリストに従事しておりテレビ出演するほど著名。
・小川 康文:通称オガ。実家の惣菜屋「ニコニコ亭」を半分継ぎ、マリちゃん号で移動販売。子供は離婚時に前妻が引き取る。17歳年下のマリと再婚。編集長のタケとは小学生以来の幼馴染で陽平の料理の師匠的存在。
・北白川エリカ:タケの通う料理教室の新任講師。離婚歴2回でジャンク料理が得意。  長女 ひなた:エリカの一人娘。「突走っちゃた婚」で妊娠中だが、ミュージシャン志望の夫に愛想を尽かし離婚。
・ドン :陽平の担任クラスの教え子。父親は海外赴任中に母親が不倫して交通事項入院。祖母に面倒を見てもらうがその厳格さにキレる。

  

主人公の陽平は長女葵の勤務先の編集長として竹内(タケ)と知り合い、「男の料理」のような腕を上げていく。タケは陽平にとって男のダンディズムの師匠のようなものだが、同い年の妻の桜子は京都の実家に母の介護に帰ったきり別居状態である。夫婦それぞれに仕事を持ち、それを尊重して子供を持たずに互いの距離を楽しむように過ごしてきた。小川(オガ)は前妻と惣菜屋を営む母の嫁姑関係が悪く離婚するに至り子供は手放した。17歳下のマリとは3年前に再婚し、離婚歴のある彼女の連れ子と母と住んでいる。中心にいる男子3人はどれも私達とほぼ同年代で、多少ワケありではあるが、ものすごい過去を持っているわけでもなく、どこにでもいる中年のおっさんである。このおっさんたちが粋な酒の肴などを作りながら、それぞれの悩みや思いを語り合うスタイルで物語が進んでいく。そしてエリカ先生とその娘の騒動に巻き込まれていくのである。

陽平の長女葵は1年前にタケが編集長を務める出版社に就職(と言ってもアルバイトだが)し、一人暮らしを始めた。息子の光太は将来やりたいことも決まっていない受験生で何となく頼りなかったが、「震災復興の当事者になりたい」と東北の大学に進学し仙台で一人暮らしを始めた。子供が大きくなって家を巣立って行った陽平夫婦は50歳前後で二人きりの生活に戻るわけである。これに対し、それぞれの経験から幼馴染のタケとオガはお洒落な肴をつまみながら、ダンディに真逆なことを言うのだ。「夫婦で大事なのは言葉だぞ。以心伝心とか、阿吽の呼吸とか、そんなものを信じてたら、俺の二の舞だ」妻が京都へ行ったきり帰って来なくなったタケは夫婦円満の秘訣を「言葉」に置く。一方、バツイチで若い奥さんを持つオガの理想形は「車の運転席と助手席に座ったところ」と主張する。正面切って向き合って話さずとも、同じモノを見ていればそれだけでよい、とするオガの言葉は経験の分だけ説得力がある。

ある日、陽平は偶然に妻の所蔵する本に署名捺印された離婚届が挟まれていることを見つけてしまう。一体何が原因なのか?全然思い当たるふしがない・・・自分に黙って息子のいる仙台に一人旅しようとしたり、一緒にボランティアに参加したりしようとする。露骨ではないが、何かにつけて別行動しようとし、態度もイマイチそっけない。「ホントにそういう気なのか?!」子供二人にさりげなく聞いても「喧嘩してるの?」と返されるだけで理由は分からない。むろん他の二人に相談することもできず、一人で思い悩むこととなる。この流れまでだと、まさしく我々の境遇と重なるものが大いにあることに気付く。息子甘辛は春から大学生となり自宅から通っているので普段からいるにはいるが、終電までうろうろ遊びまわったり、友達の家に泊まって帰って来なかったりするし、アルバイトも忙しいので家族で食事することもめっきり減ってきた。むろんウルフェス他恒例行事以外は一緒に出掛けることもない。

そう遠くないうちに物語の陽平・美代子夫婦のように銀婚式を迎える我々だが、いつかこのサイトでも書いたように、共通の趣味らしきものはあまりない。休日に家でゴロゴロすることが決してできない私は多方面に触手を伸ばし、1日のスケジュールをアイドルなみに詰め込み、お茶を飲みながらのとりとめのない世間話などただの時間の無駄としか思っていない。妻も私ほど多くはないが、それなりにハマっているものがあり、好き勝手に出かけている。何よりも彼女は共通の趣味で知り合った「友達」が多い。私はそういう人がほとんどいないのだが、この年齢になって仕事や子供を媒介としない「純粋な趣味友達」というのは貴重なものだと羨ましく思う。オガの主張するように「運転席、助手席に座って同じ風景を見る」ことはあまりなく、てんでバラバラの方向を眺めている。本を読み進めてきて「こりゃーやばいかも。アイツも離婚届どこかに忍ばせてるかもしれないぞ」と思ったものだ。何せ「原因にさっぱり思い当たる節がない」というのが主テーマだからである。

主人公の陽平・美代子夫婦は「できちゃった婚」であり、結婚前後のいわゆる恋人期間がほとんど無かった。大きな問題もない普通の家庭だったが他と同様に一所懸命子育てし、いざ一段落して子供が家にいなくなるといきなり「ファミリーレス」(つまりファミレス)となるスタイルは少し前の「団塊」世代ではまず無かった新しい現象だろう。その昔、団塊と言われる世代の「お父さん」は家族のために「モーレツ社員となり」、子供の成長も間近で見ることもせず、妻を顧みることもあまりせずに何十年も勤め上げたあげくに、定年退職と同時に妻や子供に見捨てられ途方に暮れる、こちらは「ファミリーロス」が定番の悲哀のストーリーだった。いずれにしても同じようなシチュエーションにいる私には笑えない脅威ではあるが、さらに読み進めながら「オレはこうは、ならんだろな・・・」と楽観していたのである。と、いうよりも「仮にそうなってもそれほど驚かない」という境地に近いところか。

以前、私のお気に入りのブログサイトに我々とほぼ同世代の男性のための「結婚論」が載っていた。一言でいうと「結婚」というのは「夫婦という最小の社会組織を通じた『リスクヘッジ』だというのである。病気になったり失業したり、思いがけない事態になったときに、1人では一気に生活の危機に追い詰めらるが、2人なら何とかお互いをサポートして生き延びられるから。晴れの結婚式では「その健やかなる時も病める時も・・・」と宣誓するものだが、年齢を重ねると「病める時」の方が割合を増やしていくのが侘しいことだが自然の摂理だ。そのブロガーは経済学者らしく、今後の日本経済の方向、年金問題、少子高齢化などを挙げて最も恐るべきは「老後の貧困」と結論づけている。「老後の安全保障のために二人でいる」というのは、あまりにも殺伐としていて素直に頷けないが、結婚相手をパートナーとせずに「バディ」と呼ぶ彼の感性には何となく共鳴する。スキューバダイビングではバディにそれこそ「命を預ける」のである。

この物語では(ネタバレしてはいけないが)、「奥方が決定的な収入源(仕事と言ってもよい)を持っていない陽平夫婦は『元のさや』、妻がちゃんと仕事を持っているタケ夫婦は『離婚』という結末となる。色んな事件があって紆余曲折もあるが、やはり結果的にモノをいうのは「先立つモノ」である。経済的事情が「子供のような拠り所がなくなった」夫婦にとって「鎹」であるのは否めないだろう。「甘辛が巣立っていなくなったら犬かふくろうでも飼うか」と妻と話したことがある。一人っ子だから二人ともそれなりに力は入ったと思うが、だからと言って「それがすべて」ではなかった。また私は「これ以上は無理」というくらいに一緒の時間を過ごしたから、「もっとこうすればよかった」などという後悔もない。甘辛が我が家から出て行って年末ジャンボ宝くじ10億円が当たったら、ぶっちゃけ「離婚届」を突きつけられても「あり」だと思うのである。しかしそんなことは万に一つもないだろうから、我がバディとはなるべく「機嫌よく過ごす」ようにしている。唯一「同じ景色を見る」のは散歩するときくらいだが、最近は大山ハイキングを機会に入手した簡易ガスコンロを持参して海辺で肉や野菜を焼いて食べることも増えてきた。(寒くてさすがに海へ入れぬから)

  

物語自体のメッセージは登場する小手先、思い出、ダンディズムを表すたくさんの料理群を通して「あまり思い詰めずに機嫌よく暮らせ」みたいなところだろうか?タケがいよいよと桜子と離婚するにあたり彼女のために考えうる限りのこだわりの材料を用意し、これまでの思いを込めて渾身の力で米と味噌汁を作り上げる。これに対して彼女が最後に言った言葉が「さようなら」でも「ありがとう」でもない一言だったのが良かった。正月には本とは異なったタイトルで映画として上映されるそうだ。何となく原作のままの方がよほどいいような気もするのだが。先日営業100周年を迎えた辻堂駅前の商業モールにある映画館は二人で行くとやたらに割安になるから、とりあえず妻と行ってみようかと思っているところだ。(寝た子を起こすような間抜けなことになるのが心配だが、先日越中一ノ宮(雄山神社)で裏側から「手を繋いでくぐると仲良しでいられる」という「夫婦杉」(根元から二つに分かれ力強くつながっている)をく二人でくぐって円満を祈願したから当分はご加護があると期待している。

  


眼鏡は顔の?!

2016-12-10 05:33:41 | 出来事
この年齢になるまで裸眼で何の不自由もない、という話はかなり珍しい(むしろ奇跡的?)とは思われるが、恥ずかしながらオールグリーンであったはずの人間ドックでほぼ唯一「措置が必要」とされてしまった。一度(このサイトでも紹介したようには)「視力回復作戦」を立案したものの、「やっぱ様子見でいいや」と先送りしたところがここ数年視力が落ち続け、ついに「運転に支障あり」と診断されてしまったのである。ガラの悪いサングラス以外、眼鏡なるものをしたことがない私にとってはかなり大きな厄介事である。「目の前に物事が歪んで見えるレンズがある違和感」にとても耐えられないだろうと、「心眼」で視力検査をクリアしてきたが、確かに朝通勤電車待ちをしていて向こう側のホームの行先がボケて見えなくなってきたり、京都のような不案内の土地で間近までいかないと「行先案内」が見えないとは悲しくなるほど不便、そして何よりも夕暮れ時の運転などホントに危ない時もあり、ここに至っていよいよ眼科の扉を叩くことにしたのである。



シニアグラス(の世話にはなっていないが)などはその辺に売っているものですぐに事足りるようだが、近視矯正眼鏡というのは基本、眼科で処方箋を書いてもらい眼鏡屋で作ってもらうモノであるそうだ。眼鏡生活が長いベテランは眼鏡屋で受ける簡単な検査だけでよいそうだが、初めての場合は視力以外にも問題がないかも含めて眼科で診察を受ける方が無難だと言われた。以前レーシック手術やオルソケラトロジーなど近視矯正術ばかり渡り歩いて、「行き付け」の眼科などないのだが、大昔に一度だけ「緑内障」を疑われて「視野検査」をしてもらった土日でもやっている商業モールの中の眼科へ電話してみた。店員恐怖症の私はそれだけでもかなり躊躇したものだ。「あのーぅ、視力が低下してきたので眼鏡を作ろうと思うんですが、処方箋を頂くための検査とかは時間のかかるものですか?また予約とか必要でしょうか?」予約はいらないが、処方箋ができるまではそれなりに時間がかかるという。まず細かい視力検査を行って眼鏡に入れるレンズの仕様を決め、15分ほどそれを付けてみて「頭痛がする」「モノが歪んで見える」などの副作用がないか確認する。最後に医師の診察を受け他に異常がないか調べたり、問診によって日常生活でのアドバイスなどをもらい処方箋を書いてもらうという段取りのようである。

土曜日の診療開始時間に合わせて尋ねるとすでに10人以上先約がいて驚いたが、診察だけでなく私のように新たな眼鏡やコンタクトレンズを作りに来ている人も結構あり、流れ作業的に思ったよりも早く順番が回ってきたようだ。今、視力測定などは全部接眼部を覗いて自分でレバーを動かして行うセルフスタイルだが、眼科のそれは昔ながら5m先の「C」マークを見るものだ。ただし黒いスプーンではなく、東条英機のような眼鏡をかけさせられた。上の方のマークから順番に明かるく点り出すと早いうちからボケて見えなくなってしまった・・・「(やっぱ、心眼と記憶にも限度があるなー)」ここで視力を稼いでも何の意味もないのだが、いつもの癖が出てしまった。「右目0.●弱、左目は0.○ですね。明るさによっては運転に困るでしょう」検査師はそういいながら東条メガネに「かちゃん」とレンズを入れた。「うぉーっ、こんなによく見えるのか?!世の中が変わったみたいだ」これまで人の眼鏡を借りて遊びで着けてみるとあまりの変化に「(コイツ、こんな歪んだ世界を眺めてたのか。。。」とぞっとしたものだが、今は一番下の方の「C」マークまでくっきり見えるぞ。

その後レンズを何種類か変えたり、赤や緑に黒い斑点の模様の見え方など色々測定され、「近くの見えづらさはどうですか?」「(老眼ということね。)んー、まー、普通に電車で文庫本は読めますけど」「じゃ、遠くを見やすくするということで、矯正後1.0くらいでいいですかね。着けた状態で異常が無いか確認のため、これつけたまま、15分くらいにして遠くや近く、周りを見渡していてくださいね」測定室から人でごった返す待合室に戻された。鏡に映った東条メガネの顔はかなり異様で「(こんな姿できょろきょろ見回してたら変態に思われないか?)」という印象だったが、考えてみればそこにいる時とはほぼ皆同様の経験をしており、気にも留めていないようだった。うーむ、確かに部屋にある張り紙やポスターなど細かいところまでよく見えるが、こんな世界でおかしくならないだろうかな。。。結局別に異常もなく、最後の医師の診察でも「ま、別に異常はないので弱いヤツで慣らして見てください」有効期限1ヶ月という処方箋を受け取った。

こうしてまず第一ステップは通過したが、いよいよ眼鏡を作る段階でほとほと参ってしまった。何よりもデザイン、質、価格どれをとっても種類が多過ぎてどう選んでよいか分からないのである。レンズもセットで数千円の100均のような店もあるし、10万円以上する別当薫さんCMの「HOYAバリラックス�」ような高級品もある。学生時代から30年以上愛用してきたサングラス「レイバン」もあるし、昔無くしてしまったアルマーニなど私でも聞いたことのあるブランドがあるが、やはりフレームだけで数万円以上する。妻に付き合ってもらい有名眼鏡店でいくつかかけてみたが、さっぱりピンとこない。サングラス以外の眼鏡など何を付けても違和感満載なのである。一応、他人の見え方として妻の見立てが頼りだったが「これ、いいんじゃない?」と指さすフレームはことごとく「(コイツ、オレのこと宮川大輔にしたいのか?!)」という、「顔の一部」どころか、顔を破壊されそうなデザインばかりだった・・・

医師からは「かけ慣れると裸眼視力はどうしても弱るので、普段不便を感じないならそのままにして耐え、運転時や午後とか夕方になって見えにくくなったらかけるスタイルですかね」と言われていたし、始終着けてあるくこともないので「●INSあたりの安いのでいいかな」とも思っていた。ぶっちゃけどんな形のフレームであろうが、違和感が拭えず自分の眼鏡顔が気に入ることが無かったのである。しかし妻は「いくつも作るわけじゃなし、誕生日プレゼントにしてあげるから、いいヤツにしたら?」とプレッシャーをかけてきた。ここで私は今夏にあった同窓会でたまたま隣にいた男子のメガネに「それ、ウルトラセブンじゃね?」とを指差したことを思い出したのである。どうやらどこぞのブランドとのコラボモノと聞いた。ネットで調べてみると、確かにそれらしい製品があって、色は赤黒グレー、そしてフレームのデザインから10種類くらい販売されていた。眼鏡のフレーム製造に関しては福井県の鯖江というところが圧倒的なシェアをもつ職人の「聖地」であるらしい。セブンモデルも鯖江製でかなり高品質らしいが、版権があるからか値段もかなり高額だった。

同級男子は名前を知っているだけで運動部か文化部かも分からないくらい、私にはほとんど印象が薄く、悪友に言わせると「冴えないヤツ」だったそうなのだが、某SNSで友達になっていた。今は有名企業で海外ビジネスにも活躍しているようなのだが、出張のたびにさりげなく「これから行ってきます」といかにも航空会社のプラチナカードでしか入れないようなラウンジの食事などを載せる人で、それほど仲良しというわけでもなかった。その彼に「恥ずかしながらこの年で眼鏡をつけなくてはならなくなった。確か夏の同窓会でセブンの眼鏡をしていたと思うが、それは●○の製品か?重なっては悪いのでどんなモノか教えてくれないか」と聞いてみた。するとやはり同じブランドの一番流行っているモデルのようで、仕様や品質、値段などを丁寧に教えてくれた。これには感謝したが「別にキミが気に入ったのならメーカーが重なってもいいんじゃないの?」みたいなことを言ってきたので「(だからお前と重なるのがイヤなんだよ!)」と思いつつ、丁寧に御礼をしたためておいた。「たかだか眼鏡フレームに○万円だと・・・?冬用ウェットスーツ買ってもらった方がましだな」「とりあえず色々着けて、見てみりゃいいじゃん」なんてやりとりをしながら、ぐずぐずと時間ばかりが過ぎて言った。

販売店を調べ最寄にある会社帰りにビックカメラの店舗によると、「今、在庫がこれしかないいんですが・・・」レンズ代込なので、1万円くらいは割引になる勘定だが、どうも少量生産品であまり品数は多くないようだ。「そもそもモノが無いんならしょうがないよな」と放ったらかしにしておいたが、ある日ちょっと思いついて市内に唯一ある「ただの個人眼鏡店」のホームページを見たら「ただ今、在庫一掃のため半額キャンペーン中」と出ていたので、「まさかねー」と思いつつ電話してみると驚いたことに「もちろん全品です。在庫はまだ結構ありますよ。お待ちしてます」ということだった。私は電撃的に「この出会いは掴むしかない!」と閃き、妻に付き合ってもらい店のドアを開けたのである。店内にはいかにも「眼鏡屋のおやじ」風の店長が一人いるだけの小さなスペースだったが、「あのーぅ、セブンの眼鏡を・・・」と言うとにこやかに中央の棚を指差し「自由につけてみてください。全品半額で他じゃ買えないと思いますよ」余所のブランド店のように店員がつきっきりで愛想よくあれこれ出して説明するわけもなく、私はとりあえず全部つけてみた。「これはアイツが持ってるヤツだからなしね」色々と見ていると珍しく「これとこれのどっちかがいいんじゃないかな」というフレームが珍しく一致した。ここに至り、人生初の眼鏡なるものを身に着けることとなったのである。



実際「強いご縁を感じて」手に入れたものだが、正直「目の前にモノを歪ませるレンズがある」という違和感はいかんともし難く、眼鏡顔もそれほど気に入っているわけでもない。しかし一目で私のこよなく愛す「ウルトラセブン」のモデルであることは分かるし、処方箋に従っているだけあって(当たり前か!)やたらにモノがよく見える。実は普段の仕事ではプレゼンなどで遠くのスクリーンを見るようなこともほとんどなく、運転や展示会見学など限られたシーンでしか威力を発揮しないのが現状である。またしばらく着けた後に外すと、絶望的に世の中がボヤけて見えてしまう。セブン眼鏡の同志は7歳からメガネを使用しており、「この年で」という私を羨ましがってはいた。勉強やゲームばかりしてきたわけでもなく、長時間PCに向かう仕事をしてきたわけでもない、しかし眩しい時以外に「目を保護」したことがないから、毎日風を切って乗るバイクや、ほぼ毎週浸かる海水・・・今まで半世紀、自分の目はずいぶん酷使してきたと思う。「ウルトラアイ」を装着しても変身するわけではないが、これを機会にこれまで世話になった目をケアしていこうと感じた眼鏡デビューだった。


越中国に集う

2016-12-04 07:21:52 | 旅行お出かけ
母の○寿祝いから始まったようなものだが、年に一度従兄弟姉妹や叔父叔母らが集う会を設けるようになった。初回は横浜、次が信州、3回目にしてこの親族のルーツにある越中の国開催となった。母方の兄弟姉妹らは各地に在住しているが、祖母も亡くなり故郷に集まる機会もほとんど無くなってきたので、4回目の今回も同じ地で開催し以降は恒例化するとも思われた。昨年は北陸新幹線開通記念もあり、甘辛が受験生だったから母との二人旅となったのはこのサイトでも書いた。今年は大学生となった甘辛もデビュー予定だったが、残念ながら公式試合が入ってしまい、母と妻と3人の夏休み南の島旅行と同じスタイルになった。前回は私の旅行クーポンと「ふるさと割引」という制度で新幹線往復とホテル前泊分でウソみたいな費用だったのだが、今年は妻が絶妙のタイミングでお手頃のツアーを探し出し、往復航空機とレンタカー借りっぱなしのお得プランで越中国入りすることになった。妻にとっては4年ぶりくらいとなる。

甘辛ほどではないが、私も母も中々の晴れパワーを持っていて、これまでのプチ旅行や南の島旅行などで悪天になったことはないのだが、何故かかの地を訪れる時だけは巡り合わせが悪いのかよく雨が降る。今回も予報ではあまり天気は芳しくなく1日は雨を覚悟しなければならないようだった。1日目に空港に到着するのは昼頃だから、どこか適当なところで飯を食って祖父母の眠る墓へ参り、かの国の一ノ宮で母と集めている御朱印をもらいに行くことにした。まず空港を出ると数分のロケに「ますの寿司ミュージアム」というのがある。子供の頃から「富山」と言えば食い物は「ますの寿司」だったが、その歴史や製造シーンを見るのは初めてだったので寄って、ついでに昼食をそこでとることにした。元々「神様にお供えする食物」としてあったというこの寿司は「サクラマス」という大きなヤマメの一種だそうだ。慣れ親しんだ味だが、工場作りたては脂が乗っていてほんのり甘く美味だった。



越中国には一ノ宮とされる神社が3つもある。南砺市にある高瀬神社、高岡市にある気多(けた)神社、そして立山町にある雄山神社である。そのうち雄山神社は「前立社壇」「中宮祈願殿」そして「峰本社」はなんと立山山頂(3003m)にある。母は若い頃に大晦日から元旦にかけて前立社壇に続けて参拝したというし、私は中学生の時に叔父と共に立山山頂の峰本社でお参りしたことがある、御縁のある社なのでまずはこの2社を訪れた。最初に訪れた前立社壇ではタイミングがよいのか悪いのか豊穣を感謝する「新嘗祭」が行われて宮司さんたちは全て本殿に集まってしあっており、肝心の御朱印は「1時間くらいしたらまた寄って行かれ」と富山弁で言われてしまった。仕方なくそこから15分くらいのところにある中宮祈願殿に向かった。すぐ横には「立山博物館」があり、この国は霊峰立山を神の山として奉斎する歴史が色濃く出ており、また自然の恵みへの感謝と脅威に対する畏敬があって、街中の神社などよりも空気が厳粛な感じがする。



翌日母は●十年来の友達と会う約束したそうなので、チェックアウトをして集合場所で下したら後は別行動だ。昼過ぎから天気が下り坂という予報だったが、朝はすっきりと晴れ渡っていた。妻は昨年北陸に新しくできたアウトレットパークに行きたがっていたので、高速で向かう予定にしていたが、せっかく晴れていたので途中寄り道をしてこれまで一度も見られたことの無かった風景にチャレンジすることにした。最初に向かったのは新湊の「海王丸パーク」である。「海の貴婦人」と言われ、横浜港の「日本丸」と共に海に浮いている帆船として有名だ。空港などの観光客歓迎ポスターで海王丸と新湊大橋の向こうに立山連峰が聳えるシーンを見かける。午前中で太陽の光の角度からまだ万年雪が映えるところまではいかなかったが、昨年は見られなかった見事な山々を見ることができた。



ここで気をよくして、さらに向かったのがこの地では超定番となっている「雨晴海岸から富山湾越しに見る立山連峰」である。パノラマ写真などで見ると「これってCGじゃないの?!」というくらい鮮やかで幻想的な風景だ。昼に近くなって太陽高度が高くなってきたからさっきよりも山々はくっきり見えている。車を走らせること約30分、海外沿いに進んでいくと白波と大きな特徴的な岩の向こうに雄大な立山連峰が姿を現した。これが雨晴らし海岸から見える山か。この地に70年近く住んでいるN子叔母も(写真にある)あんなすごいのは見たことが無いという。さすがにそこまで鮮やかではないが、母がしきりに勧めていたように、山頂から半ばまで雪を抱え見事な連峰の姿だった。ぐっぐぅー、超兵器203号を持って来ればよかった・・・腕はからっきしだが、コンデジよりはマシな画像で残せたかもしれないのに。。。



十分に景色を堪能していたおかげで少し時間が足りなくなってしまい、アウトレットではあまりゆっくり物色することはできなかったが、抜け目なく妻はお目当ての品をロックオンし、「ちょっとこれすごくない?」というくらいの値引きで購入していた。タイミングよく在庫一掃のウィンターセール最終の週末だったらしく既に破格値になっている「表示価格よりも50%レジで値引きします」などとかましているのである。普段は衣類などに興味を持たない私もチャックが壊れて着られなくなった厳冬期雨用のダウンコートを購入した。妻はまだまだ見足りないようだったので「こりゃぁ、明日も母を連れてココに来るようだな・・・」と密かに覚悟していた。アウトレットから親族が集まる宿泊施設までは50kmくらいある。余裕を見て少し早めに北陸自動車道を呉羽方面に向かったのだった。

1年ぶりに従兄弟姉妹や叔父叔母ら親族と集まり、各家族が近況を少し紹介するときがやってきた。前日もホテルで安ワインをしこたま飲んでいた私はその頃にはかなり出来上がっていて、ステージに出ても何度もセリフを忘れてしまい、その度に妻が走り出てきてどやしつけることを繰り返し「あの二人漫才やってんじゃないの?」と笑われる羽目になった。我が家のニュースは「息子が大学生になったこと、80を超した母と3人で海外の島へ旅行したこと、そして何よりも(誰もピンときていなかったが)ウルトラマンスタンプラリーで100倍以上の競争率をしりぞけ『ウルトラ兄弟との独占撮影会に臨んだ』こと」である。記念写真を撮って解散する前に次回のことが話し合われた。我が親族のルーツである越中国で固定するのかとも思われたが、東京組の大家族が結構旅費がバカにならないらしく2回連続で同じ場所で開催したので1回休みも口にし出した。私も母もどちらでもよいのだが、「来年は○寿を迎える人が二人もいるので、開催し再来年を休会にしようか。場所は中間地点の名古屋あたりでいいんじゃないか?」と言っておいた。決まったら名古屋にいるメンバが幹事を買って出てくれるようだ。

翌日、皆と再会を約束して一番先にチェックアウトした。フライト時間は夜だから時間はたっぷりあるが、あいにく母と3人になってやっぱり雨が降ってしあった。女性軍は案の定「アウトレットパークで買い物」と主張したので、もう一つの一ノ宮「気多神社」とその近くの重要文化財「勝興寺」に参ることにした。気多神社本殿正面の「一宮」という書は弘法大師の新筆と言われているそうで、また勝興寺には7つの不思議があり、一番探しにくいのが「屋根を支える猿」ということだ。(写真にぎりぎり写っている。)母は前夜の宴会後姉妹に私と集め始めた御朱印帳を見せたらたいそう羨ましがられ随分気をよくしていた。ただ気多神社も勝興寺も不思議な雰囲気のパワーを感じたが、肝心の御朱印は「貼るタイプ」のもので、正直あまり有難さは感じなかった。
その点雄山神社の直筆は雄渾そのものだった。そこからN子叔母同様富山に70年住み続ける(何と私の大学の先輩にあたる)M叔父が強く勧めた「氷見のブリを食わせる市場の店」を目指して車を走らせた。予約できるかと思って車内から電話をしてみたら何と定休日!慌てて近くにあった類似そうな店の扉を開けたら、家族連れのお祝いなどで予約が満杯だという・・・(ちょっと甘かった。)我々はそのままアウトレットパークへ向かった。



私は正直ショッピングパーク的な施設を歩くのは苦手である。目当てのモノと店を決めて一直線スタイルで、あれこれ歩き回るのは時間の無駄と思ってしまうのである。ちなみに前日の購入した冬用ダウンコートは「それらしいモノを売っている店に入ると一直線に対象商品を評価しその時点の候補NO.1を決めて他店へ移るを電撃的に繰り返し最後まで残ったモノを買うという「M1グランプリ方式」である。どうやら母もその傾向にあるらしい。(当たり前か!)コンパクトで使いやすい財布が欲しいという母は高齢であまり長いこと歩き回れないから、いくつか候補店を物色していたが、運よくお気に入りのブランド店で「この人もしかして『持ってる』?!」と思うほどのバッチリお得品に出会っていた。結局それに加え数点買い物し、普段見向きもしない私も「このセーター、この値段から半額だったら『買い』だよな」とついつい買い物袋を膨らましていた。

私的にはもう少し現地で寺社巡りしたかったのだが女性軍が大満足なのが何よりだ。余裕を見て空港に向けてレンタカーを走らせた。「氷見ブリは残念だったよねえ」と話あっていたが、叔父から「時間があったら入れ。この店は美味しい」という店が空港にあったのである。実は富山に来てますの寿司以外、「これは外せんがー」という白エビ、氷見ブリ、越前カニ、バイ貝、どれも巡りあっておらず(宴会料理は良かったが)、ズバリろくなものを食べていない。ここぞと思い我々は日本酒と合わせて海の幸を堪能した。ちょっとイビツだったような気もするが、今回はそのまま旅行の顛末を綴った。観光てんこ盛りのいつものパターンではなかったが、もしかして「またとない?」という景色に出会えることもでき、今年の十大ニュースに入れてもよいほどの濃い越中国行脚であった。