今年も残すところあと1週間となった。
毎年、年齢を重ねるごとに生きてきた時間に対する1年間の比率は相対的に小さくなるから、その時間を「早く」感じるのは自然なことである。(いかにもリケイドの理屈だね)
今年を漢字で表わすと「暑」だそうだ。確かに真夏の暑さは半端ではなく、また期間的にも「秋」を飲み込んでしまうほどの猛威だった。
暑さ寒さがそのまま1年を表す「字」となってしまうというのは、それだけ平和だということだろな。
さて、思いだすと自ら心がけてきただけに今年も「ひょんなこと」には事欠かなかった。
「人にきっかけを作れる人になる」と自画像を描いて小学校を卒業した息子甘辛も未だ成長期の兆しが見られず、合唱祭では女子列に交じって「ボーイ・ソプラノ」というパートだったらしい。
「ボーイズ・ソプラノじゃねえんだぜ。つまりオレ、一人・・・」別に気にしてはいないようだ。人類学上、成長期を迎えなかった例はないはずだよ。(これもリケイド系理屈)
私にとっての1年はありきたりだが、「驚」だろう。。。
この歳になって新天地へ転勤、一人暮らしというのはインパクトが大きい。波もなければ海釣りもできないゴルフ場ばかりの街、電車のあまり走っていない「温泉の国」。
正直、あまり最初はこの異動を歓迎していなかった。しかし月日を重ねて行くにしたがって、これまで同様だったら「出会わないであろうひょんなこと」の宝庫であり、周りの個性溢れる人々といい、県内いたる所にある名所といい、またとない「経験」であると思った。
今更ではあるが「そういう機会」でもないと見ることすらない、というものはたくさんあるものだ。
日本全国そんな形で渡り歩けたら、知らないよりは豊かな人生がおくれるんだろな。犯罪又は背徳でない限り、世の中の物事はすべからく「経験しないよりも経験するほうが優れている」と常に思っている。。。
「観光」とは異なる「住み働く」ことによる経験の積み重ねというのを感じ、今いる地方にだんだん惹かれつつある自分を発見するのが「驚」でもあった。。。
来年もまた、この新天地でどんな「ひょんなこと」に出会うのか、それが楽しみだ。
今現在ではないのだが、お気に入りのサイトでは主役の先生がいくつかの著書が挙げられ、「これらの本のどれかを呼んで、『日本人が失ったもの』というタイトルで思うところを書きなさい」という宿題をゼミ生に課したと、いうのを見て奮い立った。。。
ちなみにその著書は次のとおりだ。
森鴎外『渋江抽斎』
森銑三『明治人物閑話』(中公文庫)
谷崎潤一郎『陰影礼賛』
中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫)
吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社学術文庫)
夏目漱石『虞美人草』
樋口一葉『たけくらべ』
太宰治『お伽草紙』
なかなかピンと来るところがなく、「戦艦大和の最期」という著書だけ何となく響くところがあったが明確に何か書けるかというとそこまでは至らなかった・・・
そして「実写版ヤマト編」でそのことをこのサイトで記述した際に、「長嶋さんの天覧試合サヨナラ」に匹敵する尊敬すべきヒット(ホームラン)に出会ったのだ。
「日本人が失ったもの」は「はしたないと思う心」だというのである。
これこそ本年最大最高の「ひょんな」「驚」であった。
何となく薄々と感じながら言葉にドンズバ言い表せない、「ものごと」とはたくさんあるものだ。だからこそ思わず膝を打つようなヒット名言に興奮するのである。
雷鳴のように「轟いた」その言葉をキーワードで改めて考えると、私はかなり辛辣に「はしたない」と感じることがわかった。もしかしてかなり「EかっこC(死語)」かもしれぬ。
最近使った記憶があるのは2回ほどだ。。。
進捗がイマイチ芳しくない工事についてマネージャーから年末年始も継続作業を要請しようか、と提案されたとき・・・
「自分が休みに入ってるのに、他人に正月も働かせて成績上げようってのは『はしたない』からやめたら?」
とあまり考えずに言ったら、同業者思いのスティーブはなぜか感激したらしく「御意!」と大きくうなずいた。
その後あちこちで言いふらしてるらしい。。。
新入社員との意見交換&勉強会で、以前聞いたレポート発表に対し・・・
「レポートは学術論文のようにちょっとでもいいから他人の参考になるものであってほしい。そのためにまずは事実と考察だけを簡潔にまとめること。自分が「どれだけ苦労したか」を殊更に書く必要はない。それは恋人へのクリスマスプレゼントにレシートを付けて渡すようなもので『はしたない』行為だと思ってね」
最近こういう偉そうに説教たれるシーンが多くなってきた。そういう年齢なのかもしれないが、ごくたまにメールをくれる友人が「昔、よく酔っ払って説教された」と繰り返すのにドキリとする。
それこそ最悪の「はしたない」ことなので気をつけねばなー。。。
さて今年も「ひょんな機会を大切に」色々なことを起こし、話題に取り上げてきたが、最後になって我ながら「そこまで意表を衝くことないんじゃない?」と思える「とほほな」事態が発生した。
入院して手術を受けるハメになってしまったのである。(大して心配はいらないと思うんだがねー)
お陰さまで、恒例の正月用メジナ釣りも波乗り納め&乗り初め、家族麻雀大会も蹴り初め&箱根駅伝もパーだよ。。。誰か慰めて・・・
と、言うわけで「超兵器」の年内投稿はこれで終了です。新年の再開は早くしたいがちょっと未定・・・
皆さんに素敵なクリスマスとエキサイティングな新年が訪れますように。
今年もご愛顧ありがとうございました。
毎年、年齢を重ねるごとに生きてきた時間に対する1年間の比率は相対的に小さくなるから、その時間を「早く」感じるのは自然なことである。(いかにもリケイドの理屈だね)
今年を漢字で表わすと「暑」だそうだ。確かに真夏の暑さは半端ではなく、また期間的にも「秋」を飲み込んでしまうほどの猛威だった。
暑さ寒さがそのまま1年を表す「字」となってしまうというのは、それだけ平和だということだろな。
さて、思いだすと自ら心がけてきただけに今年も「ひょんなこと」には事欠かなかった。
「人にきっかけを作れる人になる」と自画像を描いて小学校を卒業した息子甘辛も未だ成長期の兆しが見られず、合唱祭では女子列に交じって「ボーイ・ソプラノ」というパートだったらしい。
「ボーイズ・ソプラノじゃねえんだぜ。つまりオレ、一人・・・」別に気にしてはいないようだ。人類学上、成長期を迎えなかった例はないはずだよ。(これもリケイド系理屈)
私にとっての1年はありきたりだが、「驚」だろう。。。
この歳になって新天地へ転勤、一人暮らしというのはインパクトが大きい。波もなければ海釣りもできないゴルフ場ばかりの街、電車のあまり走っていない「温泉の国」。
正直、あまり最初はこの異動を歓迎していなかった。しかし月日を重ねて行くにしたがって、これまで同様だったら「出会わないであろうひょんなこと」の宝庫であり、周りの個性溢れる人々といい、県内いたる所にある名所といい、またとない「経験」であると思った。
今更ではあるが「そういう機会」でもないと見ることすらない、というものはたくさんあるものだ。
日本全国そんな形で渡り歩けたら、知らないよりは豊かな人生がおくれるんだろな。犯罪又は背徳でない限り、世の中の物事はすべからく「経験しないよりも経験するほうが優れている」と常に思っている。。。
「観光」とは異なる「住み働く」ことによる経験の積み重ねというのを感じ、今いる地方にだんだん惹かれつつある自分を発見するのが「驚」でもあった。。。
来年もまた、この新天地でどんな「ひょんなこと」に出会うのか、それが楽しみだ。
今現在ではないのだが、お気に入りのサイトでは主役の先生がいくつかの著書が挙げられ、「これらの本のどれかを呼んで、『日本人が失ったもの』というタイトルで思うところを書きなさい」という宿題をゼミ生に課したと、いうのを見て奮い立った。。。
ちなみにその著書は次のとおりだ。
森鴎外『渋江抽斎』
森銑三『明治人物閑話』(中公文庫)
谷崎潤一郎『陰影礼賛』
中島敦『山月記・李陵』(岩波文庫)
吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社学術文庫)
夏目漱石『虞美人草』
樋口一葉『たけくらべ』
太宰治『お伽草紙』
なかなかピンと来るところがなく、「戦艦大和の最期」という著書だけ何となく響くところがあったが明確に何か書けるかというとそこまでは至らなかった・・・
そして「実写版ヤマト編」でそのことをこのサイトで記述した際に、「長嶋さんの天覧試合サヨナラ」に匹敵する尊敬すべきヒット(ホームラン)に出会ったのだ。
「日本人が失ったもの」は「はしたないと思う心」だというのである。
これこそ本年最大最高の「ひょんな」「驚」であった。
何となく薄々と感じながら言葉にドンズバ言い表せない、「ものごと」とはたくさんあるものだ。だからこそ思わず膝を打つようなヒット名言に興奮するのである。
雷鳴のように「轟いた」その言葉をキーワードで改めて考えると、私はかなり辛辣に「はしたない」と感じることがわかった。もしかしてかなり「EかっこC(死語)」かもしれぬ。
最近使った記憶があるのは2回ほどだ。。。
進捗がイマイチ芳しくない工事についてマネージャーから年末年始も継続作業を要請しようか、と提案されたとき・・・
「自分が休みに入ってるのに、他人に正月も働かせて成績上げようってのは『はしたない』からやめたら?」
とあまり考えずに言ったら、同業者思いのスティーブはなぜか感激したらしく「御意!」と大きくうなずいた。
その後あちこちで言いふらしてるらしい。。。
新入社員との意見交換&勉強会で、以前聞いたレポート発表に対し・・・
「レポートは学術論文のようにちょっとでもいいから他人の参考になるものであってほしい。そのためにまずは事実と考察だけを簡潔にまとめること。自分が「どれだけ苦労したか」を殊更に書く必要はない。それは恋人へのクリスマスプレゼントにレシートを付けて渡すようなもので『はしたない』行為だと思ってね」
最近こういう偉そうに説教たれるシーンが多くなってきた。そういう年齢なのかもしれないが、ごくたまにメールをくれる友人が「昔、よく酔っ払って説教された」と繰り返すのにドキリとする。
それこそ最悪の「はしたない」ことなので気をつけねばなー。。。
さて今年も「ひょんな機会を大切に」色々なことを起こし、話題に取り上げてきたが、最後になって我ながら「そこまで意表を衝くことないんじゃない?」と思える「とほほな」事態が発生した。
入院して手術を受けるハメになってしまったのである。(大して心配はいらないと思うんだがねー)
お陰さまで、恒例の正月用メジナ釣りも波乗り納め&乗り初め、家族麻雀大会も蹴り初め&箱根駅伝もパーだよ。。。誰か慰めて・・・
と、言うわけで「超兵器」の年内投稿はこれで終了です。新年の再開は早くしたいがちょっと未定・・・
皆さんに素敵なクリスマスとエキサイティングな新年が訪れますように。
今年もご愛顧ありがとうございました。