超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

母の日の体験セーリング

2017-05-21 06:06:19 | 出来事
毎年「母の日」は実家の母親と我が家3人でなるべく食事などに出かけるようにしている。多分に私の趣味も入っているが、毎週の早朝スーパー銭湯や神社仏閣・花巡りなど普段からお出かけに付き合うことも多く、改めて何かするとすれば忙しくて中々合えない孫の顔を見せることぐらいなのである。息子甘辛もその辺りは分かっているようで、試合などの後に友人宅に泊まって来る約束をしていても、家族の会合場所には必ず顔を出しに来る。妻もいつの間にかプレゼントのようなものを用意してくれるし、「できた」家族だと思う。今年も始めは夕刻から食事を共にすることにしていた。我々は昼間、先般申し込んでおいた「体験セーリング」があったので、寄港時刻からいつもの場所に集まる時間を決めていた。我々は自転車など、母はバス、甘辛は外出帰りの合流なので、集まる場所は最寄駅で周辺のレストランなどに入ることになる。甘辛は午前の試合でその後の予定が曖昧だから入った店に集合することにしていた。

体験セーリングは「大人ピクニック」編で書いた大型帆走クルーザー「やまゆり」への乗船である。帆走船に乗るのは私も妻も初めてで、1964年東京オリンピックで活躍した我々とはほぼ同じ年齢ということもあって楽しみにしていた。エンジンの進む船は幾度となく乗ってきたが、「風の力」で進むというのはどんな気分なのだろうか。ヨットを操縦する知識は全くなかったので、まさか帆を張ったりすることはないだろうが期待は膨らんでいった。そしてふと思いついたことがあって、主催する「やまゆり倶楽部」に電話を入れてみたのである。「あのーぅ、今度の体験セーリングに申し込んだ者なんですが、かなりの高齢者でも乗船は可能ですか?」間違いなく初めてであろう、母親も「母の日」記念に乗せてやろうかと思ったのである。ただまさかとは思うが、オリンピックで観たような「船の片側で一杯一杯に背を反らして体重をかける」なんてことはないだろうかと確認した。

「大型船ですので、乗客が何かすることはありませんよ。乗る時に2、3段急な段差があるのでそこだけ越してもらえれば大丈夫です」ということだったので、もう一人分追加してもらった。妻に話したら「それはいいね」ということだった。本人は最初、怖がっていたが、昨年南の島でサンセットクルーズに乗ったことを話し、「あれに比べりゃ1時間くらいだし」と説得した。ただ実は当日の天気予報からは「(結構揺れるだろな)」と思っていたが電話では黙っていた。帆船はもちろん、数十年住み暮らした湘南の地を外洋から眺めることもたぶん初めての母には、我ながら中々粋なプレゼントだと思ったのである。当日、我々だけならチャリで散歩がてら足を運べばいいのだが、高齢の母を伴うと若干の作戦がいる。自家用車で送迎してやるのだが、何しろ恐るべき「激混みスポット」なのは先日のGW期間中にまざまざと実感している。

体験セーリングは14時の予定だった。「朝早くから行って、島内観光してから体験に行く」というプランもあったが、本島内はアップダウンが多く、セーリング後に甘辛と合流して食事することを考えるとかなりハードそうだから止めた。ただ江ノ島到着時間をゆっくりめすると今度は駐車場が満車で置けなくなってしまう。そこで昼食時間前くらいに迎えに行き、駐車場に入れなそうだったらそこで車から降ろしてその辺で見物でもしてもらい、自分はその間に家に帰ってポインター号で追いかける、という作戦で行くことにした。実際少し早めに茅ヶ崎の実家に迎えに行き、普段は決して自家用車などは使わない江ノ島に向かったが、GW後ということもあって思いのほか道路は空いておりあっという間に一番奥の駐車場入り口まで辿りついた。数台の駐車場待ちの車がいたが、「このまま待ってればイケるんじゃない?」と妻が言うのでその辺で散歩でもしてもらいながら待ち、20分ほどで無事に駐車することができた。

母と妻は新しくできたヨットハウスの中を見物して回っていたらしい。一般のヨットレースがあったようで、ハウスの中は見物客の他に関係者などで結構混雑していた。併設された「とびっちょ」で昼食を摂り、我々は先日皆でピクニックしたセンタープロムナードを散歩し、海辺を行くたくさんのヨットを眺めていた。ハーバーにはたくさんの大型ヨットが係留されていたが乗る船がどこにあるのかよく分からなかった。「どれが『やまゆり』なんだろうねえ」乗船30分くらい前に指定された場所で受付を済ませた。ネット予約状況では定員の半分くらいだったのだが、いつの間にかほぼ満席になっていた。受付や案内してくれる係の人だけでなく、操船するスタッフもいわゆる現役を退いたOB又はボランティアのような人たちでとても親切だった。心配された乗船時の段差も何なくクリアしライフジャケットを身に着けていよいよ出港である。

            

よく見ると操船するスタッフは「やまゆり保存会」なるワッペンをつけており、中には色々教わりながら独特の器具を操作している人もいる。港湾内の出口までのルートは結構ジグザグに入り組んでいて、エンジンにより前進したり後進したり、自動車初心者の切り返しように結構苦戦していた。乗客は大人子供20名くらい、スタッフは案内役、船の中心に構えてあれやこれや指示する「船長役」、そのまん前でエンジンと舵を担当する「操舵士役」の他に、私達の前でメインマストを操作する人、船の先端で踏ん張る「見張り役」、前後の帆を張ったりロープを操作する人などが配置されていた。ヨットの扱い自体は初心者ではないが熟練者でもない「もしかして、こちらも体験?」という人も混じっていたが、皆手際よく自分の役割を果たしている。港湾出口から外に出ると、3本のマストから勢いよく帆が張られたのが壮観だった。風が結構あったので、いきなり張った帆が大きく羽ばたいたのである。

          

残念ながら航行ルートは我々の住む江ノ島を挟んで反対側の西浜方面ではなく、稲村ガ崎方面に向かって江ノ島の裏側を回るというものだった。「今、ちょうど前から強めの風が吹いていますが、ヨットは飛行機が飛ぶ「揚力」と同じ原理で向かい風でも前に進むことができるんです」原理だけは知っていたが、実際に体験するのは初めてだった。実際は向かい風に対して45度の角度でジグザグに前に進むのだが、洋上の風など同じ向きで吹き続けるとは限らないから、いかにも「風に向かって」進んでいるようにも見えた。この仕組みをおさらいする(もしかして間違っているかもしれない)。帆が少し膨らんだ状態で風に向かってほぼ平行に張ると、飛行機の翼のように膨らんだ側と内側の間で流れる空気の速度の違いが生じ、気圧差による揚力が発生する。この揚力は帆に対して直角に生じ、ヨットを前進させる方向と横に押す力にベクトル分解できる。横に押す力はヨットの中央下部にあるセンターボードで(完全ではないが)打ち消すことができ、結果推進力によって(大体向かい風45度くらいまでは)前進することができる。

出港のときは「(敵襲があるわけじゃなし、やたら見張りがいるな)」と思っていたのだが、港を出ると小さなヨットやら漁船、そしてウィンドサーフィンなどそこら辺を行き交う船がやたらに多く、風力で進むようになってもかなり船長は周囲に気を配っていた。「10時に方向に赤いディンギー!(二人乗り小型ヨット)こちらを見えていますか?」「2時の方向から漁船、あれ平行して進んでますよね」「正面のウィンドサーフィン、どちらに避けてくれるかな」またクルーは「機雷」と呼んでいたが、あちこちに「蛸壺」や「ブイ」があり、中々操舵も複雑なようだった。やがて「じゃ、そろそろ進路を変えます。準備してください。ではタッキング(方向転換)!」船長の掛け声でメインマストの帆がグワーンと反対側に動いてあっという間に見事に船首がほぼ反対側に方向転換した。今度は江ノ島方面に向かって進み始めたのである。

            

帆を一杯に膨らませ風に乗ってやまゆりは快調に進み始めた。速度は7ノットくらい、この船体にしては速いそうだ。途中、少し舵を切ると船体が大きく傾き、母は緊張して手すりを掴む手に力が入り、我々も両側から支えてやったが「全然大丈夫、遠心力があるので、今まで落っこちた人はいませんよ」と笑うクルーに次第に安心し、エンジンを切って風の力だけでの航行と初めて見る裏江ノ島の景色を楽しんでいるようだった。風に乗って進んでいるのだから、船上にいる人は風を感じないのである。床からのエンジン音や振動もなく、静かに水面だけが流れていく様は「なるほどこれは優雅だな」と感じたものだ。初めて洋上から見る裏江ノ島は昨年の台風で崩落したという岩の部分が生々しくも新鮮に見えた。やがて「やまゆり」は再びタッキングし、たくさんの釣り人で賑わう灯台周辺を通過して元の湘南港に戻っていった。

途中、少し緊張して(怖がって)いたところもあったが、母にとっては初めての帆船航行と裏江ノ島の景色であり、下船するときもクルー全員から手厚く案内され、「まだ身体がふわふわするよ」と言いながらも満足そうには見えた。やはり少し疲れたようにも見えたのでその後は観光などすることはなく、そのまま一旦帰宅するともう試合を終えた甘辛がリビングで寝ていたのだった。私もやり方がよく分からなかったが妻や甘辛に聞いて母とLINEのやり取りをできるようにし、あろうことか私よりも早くアプリを使っていた母は早速妹さんにその日の写真を送ったりLINE電話をしていた。「最初は怖くて固くなったけど、中々面白かったよ」と少し興奮気味に話していたので、とりあえずは「母の日」の珍妙なプレゼントは成功したような気がしたのだった。

「怒ってばかりいる人に」(アンガーマネジメント)

2017-05-17 05:30:52 | 出来事
GW明け、職場ではいきなり「安全朝礼」なるものが開かれた。長い休み明けは身体が疲れているし、体内時計も狂っているので色んな事故が多いらしいのである。朝出社すると司会役から事前に「今日の講話、よろしくお願いします」と言われて、やっと出番だったことを思い出した。「ええっー、そうだっけ?」休み明けで頭もだいぶボケており、慌てて連休と安全にまつわるネタがないか「愚愚って」みたが、もう数十名のスタッフがフロアに集まってきてしまっている。「ええーい、ままよ・・・」朝のニュースで連休中にたくさんの人が集まった場所で起きたトラブルをやっていたのを思い出して、ほとんど思いつくままに話し始めた。アナウンサーがこぼしていた「人混みや行列待ちでは皆イライラしますからねえ」と言ったのが印象的だったので、「怒りとイライラについて」語ってみようと思ったのである。ただ私自身はこの連休中、ほぼスーパー銭湯とスポーツジム、海(江ノ島)の往復ばかりで人混みや渋滞などでイラつくことなど全くなかったから過去の経験を掘り起こすしかなかった。

まず自分は直接関わらぬが、人が怒る姿を見てイラついた経験談である。休日にスポーツジムに行く時(特別営業の時のみだが)、大抵私は開店と同時に施設を利用する。ジムの受付へは店舗専用エレベーターとビル内エレベーターで非常口からエントランスへ入るルートがある。私は駐輪場に近い方のビル内から入るのだが、防犯上の決まりからか開店時間の5分前まで非常口はロックがかかったままだ。ビル内のエレベーターホールは広くないので、いつも開店前には数人のジム会員が非常ドアを従業員の手で開錠されるのを待っている。よく見る顔もあり、比較的高齢者が多い。ドアを開けてエントランスに入ると受付開始の9時までチェックインに並ぶのである。

ある日、9時間近になってもその非常ドアが開錠されない時があった、受付係がうっかり忘れていたのか、何か不具合があったのか、ドアの向こう側のことは分からない。ただ館内にはBGMが流れ人の声もするから通常に営業開始したようにも思えた。9時ぴったりになったところで、ドア前の先頭にいた高齢の男性がドアを「ドン」と叩き、ノブを大げさにガチャガチャ言わせた。さらに1分過ぎると、ドアを乱暴に蹴飛ばしてドンドンガチャガチャ言わせた。ほんの数分だったが、遅れて鍵を開けた従業員に「時間を無駄にさせた」と文句を言っていた。「(ったく、たかだが風呂に入りに来ただけだろうが。ちょっとぐらい待てねえのか、あのじじい。。。あういうのにはなりたくねえな)」この時点で私も店舗に対してではない「怒りの世界」に入っていた。「金を払ってやってるのに」みたいな態度をとる客にはどうも知性を感じられず、よい印象をもてないのである。

ただ普段の私と違うのはこの時、腕時計の秒針を睨んでいたことだ。「かのじじいの怒りがどれくらい持続するか」計っていたのである。以前、人間の怒りの持続時間は90秒程度というのを何かの番組で見たのを思い出したのだ。クレーム処理やただの言い争い、不愉快な経験など怒りのシチュエーションは色々あろうが、計ってみると結構90秒というのは長いものだった。実際にその男性は係に一言二言文句を言うと、休憩スペースで新聞を読み始めた。「(風呂にすら入らんのか?!どこが時間の無駄やねん?)」と思ったが、かく言う私も「何を急ぐ用事もないのに、開店と同時にやってきている」ことを考えると苦笑せざるを得なかった。10分程度の安全講話では、この経験と以前から嗜んできた「数息観呼吸法」を組み合わせ、渋滞や行列待ちなどで「イライラモードに入った」と思ったら、自分の呼吸を20回分(約90秒)数えてみることをお薦めした。

本編はあまりにとりとめもなかったのだが、朝礼終了後その話を延長してネット検索していたら興味深い話があったので、ここに記述しておく。「アンガーマネジメント」という方法である。アメリカでは、大企業がこのアンガーマネジメントを社員研修として取り入れていて、スポーツ選手や政治家、子供たちまで幅広い人々が学んでるそうだ。アンガーマネジメントへの注目は日本でも高まっていて、企業が社員のストレスマネジメントとして取り入れたり、小・中学校で教育プログラムに組み込まれたりしているらしい。色んなサイトがあったが、一つのノウハウとして「怒りの6秒ルール」というのが紹介されていた。その名の通り「怒りのピークは6秒しか続かないので、この6秒をやりすごすと怒りをやわらげることができる」というものだ。私が話したのは90秒だがこの場合思わずカッとなる「ピーク」という意味で6秒のようだ。実は会社の幹部にも「怒り出すと止まらない」人がいて、その部下にあまりに彼がヒートアップすると数秒間「気絶(ホントかどうか不明だが)」する者がいる。(もしかして6秒ルールに熟知している?!)

まず「アンガー」の構造である。人はそれぞれ、「コアビリーフ(Core belief)」という「こうあるべきだ」という信念をもっている。それらが否定されたと感じると、不安や悲しさ、不満、悔しさなどの一次感情がうまれる。信念は誰もがもっていて、とくに自分の信念が強い人ほど否定されたときのショックが大きく、強い感情をもちやすい。つまり、イライラしやすい人は、自分の信念に対する想いが強いといえるようだ。そして一次感情が解消されないと、その気持ちは二次感情である怒りへと発展していくそうだ。怒りをうまく処理することは、当然本人のためにも重要なことだが、怒りの原因を冷静に相手に伝えることができれば、人間関係を発展させることもできるという。そして怒りの原因となっている「信念(コアビリーフ)」には6つのスタイルがあるという。「日本アンガーマネジメント協会」(そんなのあるのか?!)のHPにこの診断サイトがある。質問は12あって、回答は6種類(強くそう思う、そう思う、どちらかといえばそう思う、どちらかといえば思わない、思わない、全く)でそれぞれの点は順番に6から1点である。これらの結果から特定のパターン点数を計算すると6種類のアンガータイプが分かるという。(興味があったら実際にやってみるとよい)

1.公明正大タイプ 
自分が正しいと思うことや正義を重んじるタイプ。
使命感に燃え、信じることにまっすぐ突き進むことができます。その一方で他の人が間違ったことをしていると、気になってしかたがなく、必要以上に関わってことを荒げてしまうことがあります。
2.博学多才タイプ 
向上心があり学ぶことに前向きで、厳しい状況でもベストを尽くし、物事をやり遂げるタイプ。その一方で物事に白黒つけたがるところがあります。また、完璧主義な面もあり、自分にも他人にも厳しくなることがあります。
3.威風堂々タイプ
 自分に自信があり、前向きに進むタイプ。リーダーとして慕われます。その一方で人から邪険に扱われたり、軽んじられたりすると傷つきます。他人の評価を必要以上に気にするところがあり、それによってストレスをよく感じます。
4.天真爛漫タイプ 
自分の思いや考えを素直に表現できるタイプ。フットワークが軽く、好奇心のままに行動することができます。その一方で、後先考えずに行動することがあるので、時に大きな失敗をすることがあります。
5.外柔内剛タイプ 
温厚そうに見られることが多いですが、その実はとても頑固なタイプ。一度決めたことは頑として譲りません。自分で決めたルールを大事にし、人の話に耳を貸すのが苦手なため、融通が効かないところがあります。
6.用心堅固タイプ 
人や物事に慎重なところがあり、物事を鵜呑みにしないタイプ。
自分の頭で冷静に客観的に理解する力があります。その一方で、人に心を開くのが苦手で、人間関係でストレスを感じやすい面を持っています。

ちなみに私は?(ご想像にお任せします)大事なのは自分のタイプを確認し、アンガーが生じるボーダーラインを知っておくことだ。自分の信念に照らし、「守られ居心地がよい」「否定されるが許容範囲」「否定され許せない」状態と分けたときに「許せない」のがボーダーラインである。公明正大タイプの人に対する「待合せ時間の遅刻」などが例として挙げられている。このサイトが優れていると思ったのは、この許せない状態は「予め周囲の人の伝えておけ」というところである。なるほどね・・・
最後にアンガーマネジメントテクニックが3つ。
・怒りを6秒だけこらえる(数えてもよいし、深呼吸しても、その場から脱出してもよい)
・I(アイ)メッセージ(「あなたは」ではなく「わたしは」という主語で伝える)
・アンガー記録をつける(その日にあったアンガー状態を書き留めておく)

最後のアンガー記録、実際つけたことはないが、よく私は仕事で気に入らないことがあると「今の話『思い出ノート』に書いといてもいい?」と聞くことがあった。この記録は別名「仕返しメモ」とも言うのだが、今の職責で公的に発言するかなり洒落にならぬことが多いから、最近は口にすることはなくなった。私のアンガータイプからしてボーダーラインとなるシチュエーションは何か?アンガーマネジメントは中々奥の深い話だったが、妻に言わせると私がやたらに怒りっぽいのは「腹が減っている時」だそうである。2X年間バディとして傍らにいても、分かるのはこの程度のものであるというのが一番の発見だった。
ちょっと尖った話ばかり書いたから和みの写真を載せておこう。イライラした時はやはり「花」である。県内の花の名所をよく知っている「師匠」とも言える知人に教えてもらった秦野市の県立戸川公園の「チューリップ」である。県内にはまだまだすごいところがたくさんあるものだ。

        

        

大人ピクニック

2017-05-11 05:59:16 | 旅行お出かけ
前回記事で書いたようにGW後半、いつものお友達家族と出かけることになった。子供は小学6年のMホちゃん一人というほぼ「大人ピクニック」である。集合は江ノ島観光案内所、どこへ行くかは観光マップを見て一応メンバーの意見を聞いてからということにした。大型連休のど真ん中、海岸道路は午前中から駐車場待ちの車が長い行列を作り、家族連れやカップルなどがお出掛けの服装で歩き回っている。そんな中で私は敢えて飛びぬけて「浮き上がる」スタイルにしていた。息子甘辛が高校時代の部活ジャージでド派手なブルーの上下である。足の長さが合わぬので、昔の女子高生のように密かに腰のところで折り曲げている。人混みの中で人目で見分けられるためでもあるが、「キミらとは行き先が違うのよ。観光じゃないの。地元の余裕ね」というヌルい演出をしたかったこともある。よく見ると私があまり仲良しになれない「休日のオヤジ」となっていた。さすがに一人二人でこのスタイルは恥ずかしくて抵抗がある。

今回はSYUちゃんパパが珍しく用事があるようで欠席、湘南藤沢市民マラソンも毎年「走る代わりに大会運営スタッフに徹する」ほど地域貢献を尊ぶKナちゃんパパは近所の総合運動施設で子供の日イベントのお手伝いだそうだ。男性軍は私と「しんさん」しかいないのだが、やけに遅れて集合場所に現れたメンバーにその姿が見当たらない。「電車を降りるところまでは一緒だったんだけど・・・」どうやらはぐれたらしいのである。連れがいることを見ないで、さっさと歩き出すのでこういうことは珍しくないらしい。「前しか見ねえから、そういうことになるんだよ。○田釣具店でエサ買って釣りでもしてろと言っときな」妻は念のため場所取りに先に弁天橋を渡って行った。「えっ?今どこ?観光案内所?戻っちゃったの。こっちは橋渡ってるよ。ってどう行けばいいんですか?」ハニーさんが通話しながら聞いてきた。「もう、帰りの時間と場所だけ教えればいいかな」彼女も結構冷たいものだ。

橋を渡りきり、ロータリーの飲食店群から奥の駐車場に向けて歩くとすごい人で進みにくいから裏道を教えてやったのだが「鳥居の直前で左に曲がり、細い通りを真っ直ぐ・・・○田釣具店と●上釣具店というのがあって・・・えっ、何?どこの鳥居かって?」ダメだこりゃ・・・「マラソンスタートしたところにある新しいハウス内を突っ切ってくること」と一言で片付けた。向かう先は妻との偵察で発見した「景色よく、人おらず、トンビなし」の神ポイントの一つである。後から調べたのだが、江ノ島ヨットハーバー内の「セントラルプロムナード」という。その昔、ヨットというのは何となく敷居が高くて御縁も薄く、ハーバーも閉鎖的なイメージが強かったのだが、HPのうたい文句を借りれば「その景観を共有し、市民の誰にも楽しめる開放的な憩いの場としての『新しい役割を担う』ために整備されたそうだ。先端のモニュメントのあるところはさざえ島と呼ばれ、磯の生き物を観察できる海と繋がったタイドプールが周囲にある。

        

新しく整備されたばかりで知っている人が少ないのか、その日も数えるほどしか人は見当たらなかったが、ピクニック会場にしようと思っていたさざえ島の下にあるスペースには先客がいて、妻はプロムナードの中にある屋根付きのベンチ小屋にいた。ちょうどその時に後から追いかけてきた「しんさん」と合流しメンバは全員集まった。中にレジャーシートを敷くとちょうど車座になって入れる人数は8名くらい、しかも日除けがあり、トンビも絶対にこない。ベンチを背にしているから風除けにもなって素晴らしく具合がよい。さっそくめいめい持参した弁当やおかず、酒を取り出して乾杯した。寿司やピザ、唐揚げ、サラダなどが所狭しと並び、私が朝市でGETしてきた生シラスパックは寿司ネタの代わりにシャリに乗せて食うと素晴らしく美味だった。残念ながら港湾施設内なので、釣りや火気の使用は禁止されているが、「大人のピクニック」としては申し分ないロケーションである。

      

後になってこの「奇跡の神ポイント」の話をすると、昔の江ノ島ヨットハーバーを知るほぼ全ての人が「入れるとは知らなかった」という。新しいヨットハウスは昨年の6月にオープンしたそうだ。ヨットハーバーとしてのオペレーションルームや会議室の他にヨット専門のショップ、通路に1964年東京オリンピックのメモリアル展示などがある。オープンテラスになっているレストランはシラス丼で有名な「とびっちょ」のカフェスタイル版だった。前回東京オリンピックのヨット競技会場となったのは知っていたが、あまり市民に馴染みはなかった。施設全般をリニューアルオープンするにあたり、より開放感を醸し出したようだ。ちなみに前日、私と妻が最初に見つけた岸壁釣り場裏の公園は「南緑地」と呼ばれる憩いの場だそうだ。ヨットハウスの中を歩き回っていた私と妻は一つの宣伝張り紙を見つけた。どうやらヨットハーバーフェスティバルのイベントらしい。「何、海上保安庁巡視艇に乗船してのパトロール体験?こりゃすげえ。」

        

さらに受付のところに「やまゆり倶楽部」なる機関のパンフレットがあった。「体験クルーズ?オレ、ヨットって乗ったことないけど、これも面白そうだぜ」実は前日偵察にやってきた時もこの体験イベントがあったらしいのである。小型(二人乗り)ヨットに指導員と二人で乗船する体験コースと、「やまゆり」という大型帆船に乗船しての周辺クルーズがある。「今まで何か敷居が高かったけど、海辺に住んでいてヨットに乗るというのも上品な趣味だよね」我々は次回の体験クルーズに試しに申し込んでみることにした。パンフによると江の島ヨットハーバーに浮ぶ木造の大型帆走クルーザー「やまゆり」は1964年10月東京オリンピックにおいて、神奈川県が海外・国内の来賓用クルーザーとして建造され警備艇としても大活躍をしたそうだ。財政難などで維持・継続が難しくなったが、国内にこれほど大きい木造帆船はなく、単なる記念物とせずに何とか現役で動態保存しようと「やまゆり保存会」が苦労して運用しているらしい。そう聞くと何やら高貴なものに見えてきた。

    

敷地内にはオリンピックの記念シンボルもまだ現存している。ヨットショップの名前もズバリ「1964」だったが、この年は我々にとっても縁浅からぬ年だから、これまであまり知られていなかったこぼれ話をサーチしてみようと思う。オリンピック開催時はもちろん、これほど立地条件の素晴らしいこの神スポットも遠からず衆目を集め、巷に人が溢れかえることになってしまうだろう。穴場として「そーっとしておきたい」ところだが、地元が栄えるという意味では人が集まったほうがよい。食べ物と談笑も一段落し、そろそろ店仕舞いしようかという時間になったが、誰からともなく「やしの木で2次会やろう」ということになり、橋を渡って我々のお気に入りスポットに場所を移した。第2次買出し部隊がコンビニに向かい、一人しかいない(つまらなかったろうな)子供のMホ嬢はシロツメクサを摘んで花冠を作成していた。

    

Mホ嬢のマンションにいるトイプーは年に何度かある特別な時期で大人しく留守番をしているそうだ。「子供が家を巣立っていったら犬でも飼うか」と以前から妻と話していたが、最近は「犬は嫌だが、小さなふくろうならよい」と言い出した。「とんびならカッコいいんだが、無理だろな」可能性的に我が家が「ふくろうを飼う」ほどレアな道に走ったら、何故か「レース用カーの購入を考えてもよい」と家庭内の話になっていたらしいしんさんは目を輝かせた。しかし移り気の多い性格なのか最近は「レースカー」ではなく「バイクに乗りませんか?」と予想外の誘いを仕掛けてきたのである。しかし私は「以前なら乗馬したいと思ったことはあるけど、今やるならヨットだな・・・」迷わず返したのだった。「大人のピクニック」は季節ごとにこれから流行りそうな気配である。

激混みアイランドの神スポット

2017-05-08 06:08:10 | 出来事
5月の大型連休、子供が大きくなって一緒にやって来なくなっても、何か慣例的に訪れるのが江ノ島である。ここ最近で我々のブームになっているのが、境川河口を挟んで江ノ島と弁天橋を臨む漁港にあるちょっとした芝生広場での「プチ焼肉」である。別に気合を入れて準備をするわけでもない。家にある残り物をクーラーに詰め込んで、途中のスーパーで足らない肉と酒類を買い込み、チャリでひとっ走りである。渋滞もなければ駐車場待ちもない。公園には大きなヤシの木があって、その根っこにシートを広げるのは、こうすると上の葉っぱと幹が邪魔になってトンビが襲って来ないからである。後はおもちゃのガスコンロにフライパンを置いて焼くだけだ。減塩作戦中の我々は、調味料は少量の塩と胡椒、レモン汁のみ。トイレも近くにあるし、酒が足りなくなれば駅前にコンビニもある。今まで、先客があったことは一度もないし、素晴らしいのは目の前で釣りができることである。今年もGW前半、天気のよい日(全部良かったが)を見計らって早速くりだした。弁天橋を渡る長蛇の列を眺めながら焼肉を頬張るのもオツなものである。

    

さてこれも毎年のことだが、連休の後半に先日我が家に「進学お祝い会」を行ったお友達家族とも遊びに行くことになった。先日は「発表する子供たち」がいたが、GWはむろんめいめいの予定をもっており、今回は大人だけの集まりとなった。天気も良さそうだから、皆の予定の合う日を選んで、海辺に行こうというのである。ただこの連休中、共通して言えたことだが、午後になると海からの南風がかなり強く砂浜はあまりコンディションがよくないかもしれない。「どこに行くかねえ。いつものヤシの木のところにすっか?」「でも焼肉はフライパンが小さすぎて大人数には向かないよね」「昔、甘辛とよく行った磯はどうだろう?あそこなら釣りもできるし・・・」(私の趣味が多分に入っている)「あの磯場、新港ができてから潮の流れが変わっちゃって、手前から行けないんだよね」反対側の平らな岩畳は?」妻は(あなた、釣りから離れなさいよ)という顔をして「風が強いとキツイよね。あと、トンビの攻撃防げないじゃん」「そんじゃ、ちょっくら偵察に行きますか」行って見てきた方が早いというわけである。

約束の前日、再び我々はチャリをくりだした。今回はあちこち歩き回るから、荷物は小ぶりにして飲食物は全て現地調達としたが、どこに行っても竿を出せるように自ら考案した「携帯フィッシングセット」をリュックに忍ばせておいた。まずは川沿いに134号へ出る途中のハイキングコースにちょっとした藤棚の広場とベンチがあって、地元のオヤジたちがよく屯していたのだが、いつの間にか撤去されてしまっていた。134号を渡って河口付近までの護岸はいつ来てもBBQで賑わっているが、必ずしもイケてる若者ばかりではないし、点とでも張らなければトンビの来襲をかわせない。サーフビレッジを過ぎてサイクリングロード柵の向こう側は広々とした砂浜でハマヒルガオがたくさん咲いている。柵を背負えば辛うじてトンビの攻撃を避けられるが、南風が強まると砂が飛んできてちょっとキツイかもしれない。ここでやるとしたら、私はウエットスーツを着こんでサーフボードを持って来るだろな。また海側には10畳くらいの柵で囲まれた見晴らしスペースがあるが、ここではトンビの攻撃に耐えられないのが実証済だ。

        

イル・キャンティビーチの前の芝生広場も中々よいところだ。ちょうど7、8人が輪になれるような四角いベンチがいくつかあって景色も素晴らしい。ただここは訪れる人がかなり多く場所取りに苦労しそうなのと、トンビを防ぐ手立てがない。また江ノ島側の釣りゾーンに続くステージはたぶんトンビは襲って来ないが、たくさんの人が場所をキープしていて、花見のように騒がしいのがちょっとネックである。歩いてすぐの堤防先端で釣りができるのが大きな魅力だが。。。ここまで来て我々は新江ノ島水族館の脇にチャリを停めて歩いて本島に渡ることにした。弁天橋は観光客でごった返しており、自転車に乗って渡ることはできないからである。以前、よく磯遊びした岩場も確かに手前の階段からは行けないようだ。人の波の動きにまかせて弁天橋を渡り、とりあえず本島を探索してみようとしたら、何と赤い鳥居の向こう側、弁財天仲見世通りはものすごい行列で人がひしめき合っていて進める状態ではなかったのである。警備の人が「2列又は3列に並んで、押し合わずにゆっくりお進みくださぁい」恐るべしGW・・・

          

我々は鳥居の手前を左に曲がり、ヨットハーバー方面に歩きだした。この道はいわゆる裏道で知っている人は少ない。真っすぐ歩くと2つの釣具店の前を通り過ぎ、そのまま奥の平らな岩場に出ることができる。天気はよいから暖かいが、やはり島の南側だから強い風が吹いており、波もかなり荒れ模様のようだ。釣りをしている人は多いが、ピクニックのようにお弁当を食べているグループなどは見られない。この岩場から灯台に向かって歩く道にもベンチがいくつかあり、気持ちのよいところだがやはり高台だと風が強くて車座には向かない。先端の灯台付近まで行くと、ウッドデッキが広がるが、やはり状況はあまり変わらず、かえってますます強くなる風のせいかほとんど人がいない。ただ途中に「あそこの公園ならよくないか?」「そうそう、いつも人がいないし、トイレも目の前にあるしね。あとはトンビ対策かな」駐車場の裏のちょっとしたスペースで以前はヨットハーバー区域で確か立ち入り禁止だったのだが、新しい施設になったようである。

        

        

灯台の堤防が風を遮ってくれるのか、湘南港は釣り客でいっぱいだった。むろん私は釣果もチェックして回ったが、どうも指先くらいの鰯か鯖しか釣れていないようだ。私の携帯セットではあまり釣りにならんだろう。我々は公園の柵の外側に陣取って、買ってきた弁当を開けビールで乾杯した。小物釣りを眺めながら一杯というのも中々オツなものだ。のどかな雰囲気で「ま、この辺がいいかな。釣りもできるし」とかなり有力な候補となった。港湾側は釣り客でびっしりなのに、柵一つ隔てた公園にはほとんど人がいない。仲見世通りの超喧噪からは考えられない穴場発見だった。ただここも一応港湾施設の一部らしく、火器の使用は禁じられているので「焼肉」はできない。我々は「やるとしたらこの辺かな」とトンビを防げる場所を探してチェックしておいた。そして最後に訪れた場所こそ、「大人ピクニック」向けに偵察した成果だったのだ。東京2020向けに新しく生まれ変わった湘南港江ノ島ヨットハーバーである。

元は関係者以外立ち入り禁止だったハーバー施設(元々解放されていたのを知らなかっただけかもしれない)だが、事務棟を新しくしオープンテラスのレストランも開店した。オリンピック競技向けに作られているような施設で、屋上からは港に出入りするヨットが眺められる。先端のモニュメントは円形の石段の上に立っており、そこまでは一段高い緑の通りでところどころに石のベンチがあり、円形の屋根のある小屋のようなスペースもある。こちらも人っ子ひとりいない、本島内からは想像もできないのどかさである。恐らく新しくできたばかりで知っている人が少ないからだろうが、妻は一発でここが気に入ったようだった。もう何百回と訪れたお馴染みの島だが「景色がよく、人がおらず、とんびに襲われない」奇跡のようなスポットはまだあるものだと思った。

         

2X回目の記念日は割烹で

2017-05-04 05:21:16 | 出来事
「あんたたちはホワイトデーという概念がないの?!」父子二人に妻の雷鳴が轟いた。4月に入ったとある休日だった。確かに毎年2月14日、妻は私と息子甘辛に何かしらプレゼントをくれる。息子はさすがに最近色々と服には気をつけ始めているようだが二人ともファッション性希薄男子なので、お洒落着のようなものが多い。今年は私重ねて着るデザインシャツだったし、息子にはジャケットだった。「(別に頼んでねえんだけどな)」「(バカ、そんなこと言ったら大魔神になるぞ)」私と息子はアイコンタクトで語り合った。しばらくしてから「なあ、甘辛よ、母ちゃんにバレンタインのお返し何かしねえと・・・」「えーっ、もう忘れてんじゃね?」4月は新歓イベントやらお気に入りの○木坂ライブやらでいくらこずかいがあっても足りないらしく、ひたすらアルバイトに精を出している。部活の練習が忙しく、普通の大学生のように1週間の半分はアルバイトなどというわけにはいかないようだ。

イベントの警備員や事務所の引越し作業など単発のバイトから、定収入のあるアルバイトを最初に始めたのが塾講師だった。大学に入学した直後から、どこから情報を仕入れたのか通っていた塾以外からも募集案内がやってきた。(結構恐ろしいことだな)学校の授業や部活のスケジュールなどもあったらしいが、彼が働きだしたのは「自分をクビにした」予備校だった。。。高校3年の夏、部活が忙しくてついつい授業に遅刻しがちだった「入試対策クラス」で「受験生という自覚がないのは、他の生徒に影響が悪いからもう来ないでくれ」と言われたらしいのである。元々多少無理があっても集合クラスでというのが塾側からの提案だったそうなので、妻はかなり抗議したらしいが、終わってみれば本人はどこ吹く風で「ふふーんだ。あの予備校もオレをクビにしなければ合格実績できたのにな」コース主任や学科講師など、かなり気まずそうにしていたらしいが、私と違ってこういうことが大らかにも全然気にならない彼は元気に通っていた。

そしてその次に何故か官庁街の小料理屋でアルバイトを始めた。部活というかクラスメイトというか、先輩と言うか・・・代々息子の学校の学生がアルバイトさせてもらっているらしいのである。「別に、頭脳労働の方が効率いいんじゃないか?」とも思ったが、塾講師は時間の制限が多いらしく、中々思うように授業を入れられないので、まとまった時間仕事をするには飲食店などのほうがいいそうである。ファーストフードやファミレス、居酒屋というものではなく、結構高級な料理屋らしい。店主夫婦が学生に理解がある人たちで、賄い飯も色々と出してくれるそうなのである。一度店でもらってきた「唐揚げ」や「りんご」を食べたことがあるが、びっくりするほど美味しかった。素材や調理が素晴らしくよいことがよく分かる。お任せコース料理が基本で、予算を伝えておくと、その日仕入れた食材をうまく組み合わせて出すらしい。

「一度、食事に行ってみようか?」と話していた。主に厨房の裏方で色々な雑用をこなしているようだが、たまに生ビールを運んでくることもあるという。そしていつの間にか「今年の記念日は甘辛の店で食事でもするか」という話が固まりつつあった。ここ数年は式を挙げたみなとみらいのタワー最上階ラウンジに行くのだが、「息子の働く姿を見ながら結婚記念日を祝うのも面白い」ということになったのである。今年の当日は奇しくも「早く帰ろう運動の日」だったので早めに仕事を切り上げて待ち合わせることができそうだった。何だかんだ言っても、ホワイトデーのことが気になっていて、何か買っておこうと思っていたのだが、実際のところこれと言ったものが思いつかず、ぐずぐずと日にちだけがたっていった。そうしてあと2週間くらいになって、「結局、店はどうしようかね。」と尋ねてみると妻が苦笑しながら答えたのだった。

「うん、甘辛がお店の予約を取ってくれたんだけどね。カウンター席3名なんだよ・・・
「なに3名・・・はぁ?何とアイツも食おうってのか?!」普通、自分のアルバイト先に親が食事に来るなんて絶対嫌がるものだとか、もしかしたら自分のアルバイト料で御馳走してくれるサプライズとか色んなことを想像していたのだが、それら妄想を一気に吹き飛ばす、この私ですら想定もしなかった展開だった。全く予想外の路線を歩くヤツだ。本人に聞いてみると「だっていつも厨房で作ってばかりだから、オレだってたまには食いてえもん」うーむ。。。様子を聞いている限りだと結構高級な部類のお店だから、こういう機会でもないと貧乏学生が食事をすることはないのは分からなくもないが、なんかやられた感満載だな。「オレが大将に記念日だと言っとけば、色々サービスしてくれると思うぜ」「(だーかーらー、そういうのを息子って嫌がったりしないのかい?相変わらずお気楽モードのヤツだな・・・)

当日は2時間ほど退社時間を早めて、みなとみらいへ向かった。記念日にボーナスでもらえ当日をもって期限が切れてしまうというポイントがあるというので、赤白ワインを買い込み、やたら重たくなったバックを背負いながら、「何か買いたいものがあったら見たら」と聞くと「小型の財布が欲しい」という。彼女の買い物を20年以上見てきて、「閃くものがなければ、どう勧めても買わない」手堅さがあったのだが、結構前から必要があったらしく、いくつか店を物色して気に入った品があったようだった。とりあえず満足したようだったので、駅前のアイリッシュパブでビールを飲んで時間をつぶし授業を終えてきた甘辛と待ち合わせてお店に向かったのだった。駅からはものの10分ほどだが、賑やかな繁華街というわけでもなく、硬いオフィス街というわけでもない比較的地味なロケーションのようだ。甘辛はここからオフィスビルからキャバクラまで色んな客に出前に出かけるらしい。

        

店に入ると割りとこじんまりした作りで、L字型のカウンター席に奥は小上がり席になっているようだ。大将も女将さんも気さくで「いつも息子がお世話になっています」と湘南の菓子折りを渡すとやたらに恐縮していた。結構社用で使われそうな雰囲気もあるが、大将は一人でてきぱきと多様なメニューをこしらえていく。今年は中々いいのが出ないという鰹はたまたま茅ヶ崎で上がったのを寝かしたヅケ、そしてがっつりボリュームの握りだった。辛めの日本酒を頼むと「黄水仙」という新潟の荷札酒を出してきてくれた。椀物の次に「ちょっとまだ脂の足りない身が多いから焼き物に」と出てきたのが、小田原で上がった鰤である。付け合せの焼き筍も素朴で香ばしい。3人とも「初めて食べた」という握りは磯の幻魚「イシガキダイ」だそうで、プリプリ感と甘みに驚いた。刺身は天然真鯛に本まぐろ、鰆などを薄い刺身醤油で頬張るが、何とも日本酒に合うメニューである。

            

甘辛は腹が減っていたのか、むろん酒などは飲まずに水だけで、出てくる品々を「うめえ、うめえ」とあっという間に平らげていた。「ちょっとずつやるからもう少し味わって食え」とまるで小学生を諭すような有様だ。しかし「これはさすがに学生は口にしねええわな」と自らの席を予約に入れたのも頷ける。肉料理が出てきたときに女将さんがそーっと甘辛に「ご飯食べたいんじゃない?」と囁き、大ぶりの椀に大盛りにしてくれた。ご飯の進む味だった牛肉は「どんぶりに乗っけて食うんじゃねえぞ」と言いながら妻と半分ずつ分け与えた。次に登場したのは磯わかめの香りと濃厚な甘さがハーモニーとなった、「ばふんうに」はちょっと合わせてあった貝柱が霞んでしまうほど素晴らしい。少しフルーティさを増した日本酒との相性がバッチリだった。厨房の奥には若いアルバイトが忙しそうに働いていたが、甘辛のクラスメイトだという。

    

割烹着に頭巾というまさしく「料理屋の丁稚」のようなスタイルで、「へーえ、甘辛もあういう格好するんだな」「オレ、生ビール注ぐの上手いんだぜ」カウンター越しに真面目そうな大将が頷いた。最後にちょっと長さの不揃いの蕎麦が登場した。「そば粉も中々いいのが見つからなくて自分で選んで打ってるんだけど」何事にも素材に拘る職人気質の人のようだった。「海浜公園の通りに新しくお蕎麦屋できましたよね。入ったことあります?」実はよく行くラーメン屋のはす向かいにできたお店で妻が「気になる」と言っていた蕎麦屋だったのだ。「へえ、お詳しいんですね。あの辺りにいらっしゃることあるんですか?」「実は私サーフィンやるんですよ。いや、やっていたというのが正しいかな」な、なんと!料理一筋○十年に見えた大将が、結構ぶいぶい言わせていたらしいのである。棚の奥から「台東って結構いい波があるんで、マニアには有名なんですよ」上野の方にそんなポイントあるのか?きれいな面で頭ほどある波にカッコよく乗っている彼の写真を見せてもらったが、なんと台湾の東部ということだった。

実は翌日が結婚記念日という店主夫婦だった。「天皇誕生日」のはずが「みどりの日」になっちゃって、今は「昭和の日」ととうことだったので、もうじき30周年というところだろう。後半、話が弾んでしまって肝心の記念写真を撮ってもらうのを忘れてしまった。3名で席の予約を取ったという甘辛に、妻は茅ヶ崎の祖母の分も入れたらと聞いたそうだが、「結婚記念日なので『ばあば』は別」だそうだ。「(だから、キミは別じゃないないのかい?)」とツッコミたくなる。そこで妻とは次こそは茅ヶ崎の老母と3人で甘辛の働きぶりを肴に食事をしようということにしたのである。実は途中でこの記念日に相応しいか微妙な、甘辛が結構重要な相談を持ちかけてきた(婚姻ではない)のだが、それはいずれ改めて書くことにしよう。

  

「どこかに」旅行計画

2017-05-01 07:02:37 | 旅行お出かけ
今年は2017年、平成29年と何となくキリのよくない数目だが、色々と節目となることがありそうだ。生まれて死ぬまでを100年(長過ぎか?!)を起承転結で4等分すれば「起」の期間は我ながら何も考えずに駆け抜けた。そして「承」の時期をそろそろ終えようとしているが、社会人第一期として様々なことをやってきた。皆、退職などする時は「あっという間」だった言うが、会社員になってからはそれなりに長い期間であり、幅広い職種職責を渡り歩き、大抵のことはさせてもらった。そして私の好きな「国盗物語」では主人公・道三が最も大事とする「転」の時期がやってくる。これまでの制度や諸般の事情があって自由にその進路を選ぶわけではないところもあるが、これまでまるで転職のような職務の変更があっても、しばらくするとお気楽にまるで「天職」のように楽しんでしまってきた私にとっては、ある意味あれこれ迷わなくてすみ、かえって楽しみなところでもある。

「たまには普段行かない時期に休みをとってプチ旅行でもしてみるか」梅雨に入る前の初夏に国内でどこか観光したいところはないか、妻と物色を始めて1ヶ月ほどたっていた。GW以外に土日に続けるか挟むかして2日くらい休みをとる前提で旅行先を考えていたのだが、いざどこかに旅行しようと言っても具体的に「どこで何をしたいのか?」がはっきりしないから、いつまでたっても決まらない。行き先方面やスタイル、予算、時期などブレ幅が大きすぎるのである。その時にふと見つけたのが、北の国を訪れた時に某航空会社の機内誌にあった「どこかにマイル」というキャンペーンである。通常必要なマイルの半分程度で特典航空券が入手できる。私の残マイルをみるとちょうど妻と二人分あることが分かった。ただこのキャンペーンのタイトル通り、「どこかに」であり、行きたいところに行けるわけではないというオチがある。

「迷ったときは人に委ねる」習慣のある私は「これこそ面白い!」と思い、機内誌を持ち帰って妻に相談してみた。彼女も似たもので、「航空会社が決めた行き先で『どう観光するか考えればよい』というのは面白いじゃん」と二つ返事でこの企画に乗ることになった。詳細はこんな風になっている。まず会員番号でログインし往復の日程と人数を入力すると行先(空港)候補が4つ現れる。この4つの候補でよければそのまま申込み手続きするが、その場で行き先が決まるわけではなく、後日通知されるもので、意図しない場所であっても変更することはできない。4つの候補が気に入らなければ検索し直すことはできるが、1回でやり直す回数には制限がある。申込みができるのは出発日の1ヶ月前の0時から、一番早く予定を考えた申込み日は、制限があることを知らなかった妻があまりに多く検索し過ぎて回数オーバーでパーになってしまった。

すごく人気があるキャンペーンであるらしく翌日になると、前日行き先検索した候補はほとんど出なくなってしまった。出発日をずらして再び回数に注意しながら候補地を見ていくと「秋田・松山・熊本・沖縄」という候補が現れた。「これだったら、どこでもよくない?」出張も入れると私はどれも訪れたことがあるが、妻にとっては秋田・松山は未知の遠方地だ。沖縄は何度もあるが、当たればそれはそれでかなり嬉しい話である。「よーし、これで申し込んでみようぜ」私はマイレージ引き落とし手続きに踏み切った。(さあ、どこが当たるか?)3,4日で行き先が通知されるとあったが、何と翌日に早々とメールが届いていた。「なあ、行き先がもう決まったってよ。熊本だ・・・」うーむ。。。最初は私も妻も、何とも複雑な気分だった。九州というのは一つの大きな条件を満たしているが、知人のイケちゃんや、ハニーさん、しんさんの故郷で、デタラメ4人組で天草や家族でウルトラマンランドなど、何度も旅した地である。しかし我々はすぐに思い直した。逆に考えれば甘辛が幼い時から世話になった地であり、1年前に大地震で大変な被害に合っている。今こそ、恩返しで復興支援に観光するときであろうと。



さて熊本県といっても(その周辺県も入れて)たいそう広い。以前デタラメ4人組で訪れた際、知人のご家族に自家用車で空港から阿蘇山、菊池渓谷、やまなみハイウェイなど案内いただき、雄大な自然を満喫させてもらった。市内観光も熊本城はもちろん、水前寺公園など要所を歩きまわり、さらに天草諸島を最先端の牛深までドライブした。一度は行ったことはあるが妻にとっては初めてなので見せてやりたいところではある。しかし残念ながらシンボルの熊本城は大地震の被災により見学できないし、阿蘇山も噴火と施設の被災にあり、菊池渓谷にも入れない。1月の「星人の日」には何年も続けて訪れた荒尾市のウルトラマンランドはもうないが、以前敷地内に等身大初代ウルトラマン(身長40m)がいた隣接する広大な遊園地グリーンランドはまだ健在である。さてどこに足を運ぼうか?!妻と「るるぶ」を見ながら作戦を練ることになった。彼女は甘辛が生まれて以来、熊本市街地と荒尾のウルトラマンランドしか訪れたことがないから、「熊本の基本」は一緒に行きたいとは思う。

「これ、ちょっと行ってもいいかな」と地図を指さしたのが「高千穂エリア」であるy。そもそも勉強不足で九州のどこにあるかもよく知らずにイメージだけ強かった地である。「天照大神の孫が展開から天下ったという『天孫降臨』の地とされる神々の生まれし里だ。私と息子甘辛が大好きな「花の慶次」の逸話として登場する。天照大神が「天の岩戸」に身を隠した時、自ら扉を開けて出てきたのは「聞こえてくる祭りでうたう庶民の楽しそうな笑い声だった。いつの世でも人の心を溶かすのは笑いなのである」天の岩戸は聖域を感じさせる凛とした雰囲気があるという。とりあえず妻もその気になったらしいので、まずは訪問地1号の決定である。



今年の正月に妻と「沈黙」という映画を見た。「禁断の宗教論議」編で紹介したものである。熊本県には「天草四郎」で有名な天草諸島がある。デタラメ人組の旅にても訪れて、海の景色の豊かな我々にとって馴染みやすいエリアである。デタラメ旅は真っすぐ先端まで行って、美しい海に浸かり美味しい海の幸を堪能しただけだったが、天草諸島には美しい島の他にキリシタンにマツわる史跡が結構あるようだった。ただ妻はいわゆる「霊感」が弱くないようで、先日テレビで放映していた中川翔子さんが「島原の乱」の旧蹟を訪れた番組を思い出して「私はあういう所に行くとやばい」とうので要注意だった。(どうもあの場所は長崎県の原城というところらしいから大丈夫そう)美しい天草列島のドライブと海の幸が魅力だったらしく、ここの方面も一応滞在候補となったのであった。



行ってもいないうちから記事を書いても全然興味が湧かないだろうから申し訳ない。妻は「馬刺しと太平燕(たいぴーえん)、熊本ラーメンを食ってくまモンに会い、温泉に入れればよい」らしい。最終日は熊本市内で先の大地震でどのような被害にあったのか、熊本城他の様子も含めて目に焼き付けておくことにしている。「どこかにマイル」でこの地を指定されたのも、これまでの縁浅からぬところなのだろう。とりあえず阿蘇についても「行けるところを詳しく調べて、ぎりぎりまで行ってみよう」ということにした。こういう機会は中々ないし、これも何かの御縁なので妻には見せてやりたいと思ったのである。高千穂と天草、そして阿蘇、どういうコースになるかは今後だが、いずれまたこのメモリアル旅行の記録を綴ろうと思う。