私は幼い頃、そこそこ強かったが「風邪ひとつひかない」健康優良児(って死語かな?!)ではなかった。特に母に言わせれば「給料日直前になると必ずと言っていいほど熱を出した。(つまりピンチに陥った)扁桃腺を腫らすことが多かったようなのだ。わりと我が家はすぐに病院に行くのではなく、「どうしようもなくなるまで薬でがんばる」ポリシーであったらしく、まずは宇津救命丸(実はあまり効用がないようだ)を飲み、鼻が詰まれば「ベポラッブ」、喉を腫らせば「ルゴール」(これ大嫌いだった)をひたすら服用した。どうしようもなくなると今の実家に引っ越す前の家では、「サイトウ医院」という小児科に連れていかれた。ここの先生はやさしいのだが、ドアが木製の観音開きで、建物が古くて昼でも薄暗く、今で言う「心霊スポット」のような何とも言えない恐ろしい雰囲気で、「悪魔の館」に連れて行かれるような気がした。
(誕生月なので出血大サービス・・・)
幼稚園の年長くらいで引越したが、その頃から宇津救命丸ではなく「六神丸」というこれまた謎の小さな丸薬を飲まされた(これも風邪にはあまり効かないらしい)。幼稚園や小学校をあまり休ませたくなかったのか、ちょっと薬を飲んで治らないと今度は近所の「フジムラ医院」という内科に連れて行かれた。幼い私はこの待ち合わせ室で(あまりお品のよくない?!)「トイレット博士」を初めて目にし、少年ジャンプのデビューを飾ったのである。ここで覚えた「マタンキ」という言葉が後々、近所の小鳥屋にいつもいたオウムに覚えさせることになるのである。このフジムラ先生は「特捜最前線」の二谷英明さんのように知的で渋かったが、小児科ではなかったので出す薬が「死ぬほど」苦かった。そして母親はとにかく早く治したかったのかやたらに「注射」を志向し、泣き叫ぶ私を横目に容赦なく尻にでかい注射が2本づつ放たれたのだった。
小学高学年、中学生になって私が部活などで遅くなり、時間ができると母親は少し経験があったのか、何かの縁で駅前の小さな外科医院に勤めに出るようになった。以降高校を卒業するまで、怪我だろうが頭痛だろうがあらゆる疾病を診てもらうことになる。ご存知、「大和」竣工まで連合艦隊旗艦だった不死身の戦艦「長門」の軍医長大先生である。何せ軍医上がりの外科医なので荒っぽいことこの上ない。。。小学5年生の時に入っていた野球少年団のパレード(祭りの時に練り歩くヤツ)の帰り、駅前の大踏切りの螺旋階段を転げ落ち、眉間と頭のてっぺんを割ってしまったとき、恐るべきことに7針全部を「麻酔抜き」で縫い上げた。何故か私は平気だったようで、屋根から落ちた「アン・シャーリー」ばりに「首が折れないだけよかった」などと思っていた。。。
私は成長期になると膝の軟骨が変形したり、頭痛が続いたりジンマシンが出たり、正体不明の微熱が出たりと様々な疾患に見舞われた。そのすべての症状にいつも処方されたのが「メブロン」という不思議な青い錠剤である。衝突の多いサッカーをやっていた私にとって軟骨が出っ張って机にかするだけでもうずくまるほど激痛が走る成長期特有の膝痛というのはとても辛かった。これについては特に有効な治療法がなく、「超短波」という装置をあてて少し痛みを緩和する程度だった。またどうも皮膚が弱く、冬場に乾燥したグランドで練習しているとあちこちあかぎれしたり、皮がむけてボロボロになったりした。数学と体育だけは生涯成績(小学校→高校卒業まで)ジャスト5だった私に、軍医長先生だけは「お前は運動選手には向かんから学者になれ」といつも恐い顔をしておっしゃっていた。
「ちょっとこの問題解いてみろ」と出されたのは、やたら入り組んだ図形の問題だった。πを代数として使わずに3.14としてわざわざややこしい計算したからたぶん小学6年だったと思う。後から知ったのだが東大医学部出の大先生の息子さんはこれまた秀才で、とあるブログで高橋●一郎氏が唱えた「人の下に人を作る?!」羨ましき名門ギジュクの学生だったらしいのである。その図形は彼が中学受験の時に取り掛かった問題らしい。奇しくも数年後、門を叩くことにもなるのだが(閉ざされたわけじゃないけど)、残念ながらご縁は無かった。通院するたびに「お前は学者・・・」と繰り返す大先生の訓示に実は半分洗脳されていて、高校生あたりでは「理論物理学者になりたい」とも語ったことがある。
その大先生も引退され、私も社会人になると風邪を引いたり具合が悪くなって会社を休むことなどは滅多になくなった。仮にそうなっても布団にもぐりこみ、獣のようにじっとしてひたすら自らの治癒能力による回復を待っていた。30代も後半になり「健康診断で悪い数値が出ると自慢していた」年代から「問題がない数値に安心する」年代に移ると、何やら正体不明の偏頭痛に悩まされるようになった。
息子甘辛が幼い時に自転車で転んで骨折し初めて入院を経験したのだが、どうやら下半身麻酔が切れてから一定期間「安静にしていなかった」ことによる後遺症ではないかと思われた。退院して数日後ひどい頭痛に襲われて外来したら恐らくそうだと言われ、場合によっては何年も症状が出るかも、と脅されたがその通りになってしまった。。。
それまで薬など飲む習慣は無かったのだが、転んで骨折して以来何年かぶりに外来した脳神経クリニックでは「頭痛は8割くらい原因が分からぬ。(むしろ分かるヤツは危ない)痛い時に我慢すると身体の他の部分によくないので、遠慮なく痛み止めを飲むべし」と2週間分ごっそり渡されたのが、「ロキソニン」である。後に手術後の麻酔切れにのた打ち回っている時にも処方され、強力な「痛み止め」と知った。(今は市販されている)
謎の偏頭痛は1年あまり続いたが、新兵器「高電位治療器」の登場でほぼ撲滅に近いところに至った。しかし「痛みや苦痛に我慢すると他の場所にもよくない」という、これまたギジュク出の脳神経外科先生の言葉が頭にこびりつき、何か調子が悪いとすぐにひょいひょい薬を飲むようになってしまった。
飲み過ぎその他で頭痛がした時は「バファリンプラス」、二日酔で気持ち悪い時は「サクロン」、スポーツジムに行き過ぎて肉体疲労のときは「QPゴールド」(これは違うだろ)、その他風邪用の「パブロンEX」、じんましん用レスタミンなど、リュックサックの中に常備している。
その他に薬剤ではないが、ダイエットサプリメントとして「ファットメタボライザー」、「シェイプボクシング(青)」、「L-カルニチン」、「ラクトフェリン」に今飲んでいる極めつけは「冬虫花草」・・・どれも持ち歩いていたがたぶん効果よりも「これを飲むことによって相殺されるだろう」と思い込んだ不摂生がたたり効き目なし・・・別に宣伝でやっているような劇的な効果を期待していないが、何か自分の身体に変化があるのを見てみたいだけなのだ。
リュックに常備している薬類で大抵の苦痛はあっという間になくなるようになった。最後の課題が冬場の皮膚だった。爪の生え際にいつも数ミリのひびが入ってしまい、海に入ったり釣りに行った時にとても痛い・・・ひび・アカギレ用の軟膏を塗ってバンドエイドでひび割れたところに貼るのだが、やっている間は問題ないがはがして2,3日するとまたピシっとひびが入ってしまう。冬場はその繰り返しなのだった。息子甘辛は新陳代謝がよいのか、手の平全体がぼろぼろである。乳液などを塗るように言われているようだが、ヌルヌルが嫌いなのか中々やりたがらない。
そこへKICKPOP師匠のサイトで発見した「エミューオイル」である。調べてみると「オーストラリアの国鳥からとれる自然のオイル」ということだ。乾燥やひび割れ他皮膚の疾患全般にすごく効くという。「国鳥エミュー」と聞いただけで縁起物の好きな私は虜になってしまい、通販で探して購入することとなったのだ。バンドエイドは使わずにただ塗っていただけだったが、数日で跡形もなく傷は消え去ってしまった。これはすごい!
息子甘辛にも勧めたが「クリームみたいなのもヌルヌルがとれなくていやだ」と中々使いたがらない。先日に女子に告白されたと自慢げに言っていたので「そんな手でつないだら女の子は逃げ出すぞ」と脅しつけ、朝と風呂の後に必ず塗らせていたら、やはり素晴らしく効果がでてきたようだ。「こりゃー、いいかも・・・」何も言わずに息子も使用するようになった。今は米国財団法人の「野口医学研究所」というあまり聞かないメーカの製品で、エミューオイル100%ではなく、グルコサミンなどが配合されているようだ。師匠のように純度100%オイルを使ってみたいが、まずは試しに購入したクリームでこの効果!
おかげでこの冬はバンドエイドを常備しなくて済むかもしれない。よいものを教えてくれた師匠にホント、感謝します。
(誕生月なので出血大サービス・・・)
幼稚園の年長くらいで引越したが、その頃から宇津救命丸ではなく「六神丸」というこれまた謎の小さな丸薬を飲まされた(これも風邪にはあまり効かないらしい)。幼稚園や小学校をあまり休ませたくなかったのか、ちょっと薬を飲んで治らないと今度は近所の「フジムラ医院」という内科に連れて行かれた。幼い私はこの待ち合わせ室で(あまりお品のよくない?!)「トイレット博士」を初めて目にし、少年ジャンプのデビューを飾ったのである。ここで覚えた「マタンキ」という言葉が後々、近所の小鳥屋にいつもいたオウムに覚えさせることになるのである。このフジムラ先生は「特捜最前線」の二谷英明さんのように知的で渋かったが、小児科ではなかったので出す薬が「死ぬほど」苦かった。そして母親はとにかく早く治したかったのかやたらに「注射」を志向し、泣き叫ぶ私を横目に容赦なく尻にでかい注射が2本づつ放たれたのだった。
小学高学年、中学生になって私が部活などで遅くなり、時間ができると母親は少し経験があったのか、何かの縁で駅前の小さな外科医院に勤めに出るようになった。以降高校を卒業するまで、怪我だろうが頭痛だろうがあらゆる疾病を診てもらうことになる。ご存知、「大和」竣工まで連合艦隊旗艦だった不死身の戦艦「長門」の軍医長大先生である。何せ軍医上がりの外科医なので荒っぽいことこの上ない。。。小学5年生の時に入っていた野球少年団のパレード(祭りの時に練り歩くヤツ)の帰り、駅前の大踏切りの螺旋階段を転げ落ち、眉間と頭のてっぺんを割ってしまったとき、恐るべきことに7針全部を「麻酔抜き」で縫い上げた。何故か私は平気だったようで、屋根から落ちた「アン・シャーリー」ばりに「首が折れないだけよかった」などと思っていた。。。
私は成長期になると膝の軟骨が変形したり、頭痛が続いたりジンマシンが出たり、正体不明の微熱が出たりと様々な疾患に見舞われた。そのすべての症状にいつも処方されたのが「メブロン」という不思議な青い錠剤である。衝突の多いサッカーをやっていた私にとって軟骨が出っ張って机にかするだけでもうずくまるほど激痛が走る成長期特有の膝痛というのはとても辛かった。これについては特に有効な治療法がなく、「超短波」という装置をあてて少し痛みを緩和する程度だった。またどうも皮膚が弱く、冬場に乾燥したグランドで練習しているとあちこちあかぎれしたり、皮がむけてボロボロになったりした。数学と体育だけは生涯成績(小学校→高校卒業まで)ジャスト5だった私に、軍医長先生だけは「お前は運動選手には向かんから学者になれ」といつも恐い顔をしておっしゃっていた。
「ちょっとこの問題解いてみろ」と出されたのは、やたら入り組んだ図形の問題だった。πを代数として使わずに3.14としてわざわざややこしい計算したからたぶん小学6年だったと思う。後から知ったのだが東大医学部出の大先生の息子さんはこれまた秀才で、とあるブログで高橋●一郎氏が唱えた「人の下に人を作る?!」羨ましき名門ギジュクの学生だったらしいのである。その図形は彼が中学受験の時に取り掛かった問題らしい。奇しくも数年後、門を叩くことにもなるのだが(閉ざされたわけじゃないけど)、残念ながらご縁は無かった。通院するたびに「お前は学者・・・」と繰り返す大先生の訓示に実は半分洗脳されていて、高校生あたりでは「理論物理学者になりたい」とも語ったことがある。
その大先生も引退され、私も社会人になると風邪を引いたり具合が悪くなって会社を休むことなどは滅多になくなった。仮にそうなっても布団にもぐりこみ、獣のようにじっとしてひたすら自らの治癒能力による回復を待っていた。30代も後半になり「健康診断で悪い数値が出ると自慢していた」年代から「問題がない数値に安心する」年代に移ると、何やら正体不明の偏頭痛に悩まされるようになった。
息子甘辛が幼い時に自転車で転んで骨折し初めて入院を経験したのだが、どうやら下半身麻酔が切れてから一定期間「安静にしていなかった」ことによる後遺症ではないかと思われた。退院して数日後ひどい頭痛に襲われて外来したら恐らくそうだと言われ、場合によっては何年も症状が出るかも、と脅されたがその通りになってしまった。。。
それまで薬など飲む習慣は無かったのだが、転んで骨折して以来何年かぶりに外来した脳神経クリニックでは「頭痛は8割くらい原因が分からぬ。(むしろ分かるヤツは危ない)痛い時に我慢すると身体の他の部分によくないので、遠慮なく痛み止めを飲むべし」と2週間分ごっそり渡されたのが、「ロキソニン」である。後に手術後の麻酔切れにのた打ち回っている時にも処方され、強力な「痛み止め」と知った。(今は市販されている)
謎の偏頭痛は1年あまり続いたが、新兵器「高電位治療器」の登場でほぼ撲滅に近いところに至った。しかし「痛みや苦痛に我慢すると他の場所にもよくない」という、これまたギジュク出の脳神経外科先生の言葉が頭にこびりつき、何か調子が悪いとすぐにひょいひょい薬を飲むようになってしまった。
飲み過ぎその他で頭痛がした時は「バファリンプラス」、二日酔で気持ち悪い時は「サクロン」、スポーツジムに行き過ぎて肉体疲労のときは「QPゴールド」(これは違うだろ)、その他風邪用の「パブロンEX」、じんましん用レスタミンなど、リュックサックの中に常備している。
その他に薬剤ではないが、ダイエットサプリメントとして「ファットメタボライザー」、「シェイプボクシング(青)」、「L-カルニチン」、「ラクトフェリン」に今飲んでいる極めつけは「冬虫花草」・・・どれも持ち歩いていたがたぶん効果よりも「これを飲むことによって相殺されるだろう」と思い込んだ不摂生がたたり効き目なし・・・別に宣伝でやっているような劇的な効果を期待していないが、何か自分の身体に変化があるのを見てみたいだけなのだ。
リュックに常備している薬類で大抵の苦痛はあっという間になくなるようになった。最後の課題が冬場の皮膚だった。爪の生え際にいつも数ミリのひびが入ってしまい、海に入ったり釣りに行った時にとても痛い・・・ひび・アカギレ用の軟膏を塗ってバンドエイドでひび割れたところに貼るのだが、やっている間は問題ないがはがして2,3日するとまたピシっとひびが入ってしまう。冬場はその繰り返しなのだった。息子甘辛は新陳代謝がよいのか、手の平全体がぼろぼろである。乳液などを塗るように言われているようだが、ヌルヌルが嫌いなのか中々やりたがらない。
そこへKICKPOP師匠のサイトで発見した「エミューオイル」である。調べてみると「オーストラリアの国鳥からとれる自然のオイル」ということだ。乾燥やひび割れ他皮膚の疾患全般にすごく効くという。「国鳥エミュー」と聞いただけで縁起物の好きな私は虜になってしまい、通販で探して購入することとなったのだ。バンドエイドは使わずにただ塗っていただけだったが、数日で跡形もなく傷は消え去ってしまった。これはすごい!
息子甘辛にも勧めたが「クリームみたいなのもヌルヌルがとれなくていやだ」と中々使いたがらない。先日に女子に告白されたと自慢げに言っていたので「そんな手でつないだら女の子は逃げ出すぞ」と脅しつけ、朝と風呂の後に必ず塗らせていたら、やはり素晴らしく効果がでてきたようだ。「こりゃー、いいかも・・・」何も言わずに息子も使用するようになった。今は米国財団法人の「野口医学研究所」というあまり聞かないメーカの製品で、エミューオイル100%ではなく、グルコサミンなどが配合されているようだ。師匠のように純度100%オイルを使ってみたいが、まずは試しに購入したクリームでこの効果!
おかげでこの冬はバンドエイドを常備しなくて済むかもしれない。よいものを教えてくれた師匠にホント、感謝します。