「あの人達ね、後ろのドア開けたまんま飛ぶんですよ。信じられねえ。あっちの小さいヤツなんかまるで『アブ』じゃないですか。絶対乗りたかないね」スティーブは高所作業などバリバリこなしてきたのに、ヘリは嫌いらしい。昨年のちょうど今頃行われた陸上自衛隊との共同訓練の日がやって来た。オフィスから約20kmくらいのところにある駐屯地が会場である。
そう、お馴染み(どこが?)ch-47輸送ヘリに特殊機材を搭載して離陸、市内をほぼ一周して現地での着陸を想定して再び着陸して駐屯地内施設に運搬し、そこで作業を行った。陸上自衛隊一旅団と隣接4県の組織による合同訓練である。以前も紹介したが、実は前回の訓練は我が方の精密機器の配線に問題があり一部はうまく行かなかったのだ。責任者のOK所長は恐縮しきって原因の究明に急いでいた。
そしてその1ヶ月半後、かの大地震の発生である。軽トラック1台で乗り切らない量の精密機材をエレベーターが停止してしまった拠点ビルの8階(あれに懲りて今は1回に設置している)から階段で下ろし、速やかに出動準備を整え同じ駐屯地から仙台へ飛び立ったのが3月12日。。。先遣チームは連絡も現地の受け入れも混乱している中、実に立派に任務を果たしてみせた。訓練の成果を発揮できたわけである。
集合はオフィスに朝の6時半、駐屯地集合が7時半である。その週は日本列島に強力な寒波がやってきて、恐ろしく寒い日が続いた。広大な飛行場の屋外で待機する時間が長いから、ヒートテックをはじめタイツ、ホカロン、耳あて、マスク、手袋・・・これ以上着込めないほどモコモコになって登場した。ちょっとした挨拶と予定の確認をすませ、ゲートで敬礼されて飛行場へ入って駐車場へ行くと、懐かしのch-47が「どーん」と構えていた。早速先遣隊のバイクを積み込み始めた。今回トミーやグッチーが初登場だったから、もの珍しそうに周囲を眺め写真を撮っていた。天気は比較的よいが、少したって風が吹きはじめ小雪が舞うほどで気温の上昇はどうも期待できないようだった。
彼らの軍用ヘリコプターは離陸予定時間の約1時間前に「飛行決心」という聞き慣れない儀式がある。その名も通り、天候や現地までのルート状況などを検討して「ホントに飛ぶかどうか」覚悟を決めるわけである。
今年は大震災の影響もあったのか、遠隔地どおしでホントに往復し現地での作業に徹する要素が多かったため時間も長く規模も大きくなった。こちらからバイク、特殊機器、人員などを搭載したch-47で隣接する「餃子の町」にある飛行場で荷物を下ろし、そこで実際に作業を行うのである。そしてその後偵察ヘリを飛ばし、現地の様子を上空から映像伝送する。
私が搭乗するのは「絶対乗らせてねー!」と騒いでいたoh-6D偵察・観測用ヘリ。。。スティーブが「アブ」と呼んだあれである。ニュージーランドに旅行した時にラフティングツアーでスタート地点まで乗せてもらったヘリに似ている。右に左にものすごい旋回能力を持った絶叫マシン真っ青の迫力だった。駐屯地を飛び立って、餃子の町までは約30分、上空を旋回し同じ飛行場に帰還するのに要するのは約1時間だ。ch-47は輸送されるモノとしてただ乗っておればよいが、oh-6Dは4人乗りで機能が全く違うので「教育」を受けておく必要があるという。同乗者と私は格納庫へと向かった。
近くで見るとおもちゃのように小さい。ラジコンの親分のようだ。だから機体への近づき方、乗り方、3点シートベルトの締め方、会話の仕方など様々な決まりがあった。何せローターがすぐ頭の真上で高速回転するので、耳栓すら役に立たない。戦闘機乗り用のごっついヘルメットを身に付け、マイクを通して会話することになる。
不可解なことに後部座席には今では電車にも無くなった灰皿が・・・もしかしてエライ人が視察するときに使うのかなー。
「狭い中で動きつらいですけど・・・触ってはいけないところが結構あるんでねー。」確かに練習で後部座席について3点シートベルトを締めると真横や前方に「押すな」「触るな」とか色々警告シールがたくさん貼ってある。パイロットの上官にあたると思う人が「航空機の機体ってね。フレームは強いけど外装は応力でもっているところが多くて・・・早い話が『チャチ』だってことですよ。ほらっ」ドアの横を親指で押すと何と一旦凹んでまた元に戻った。。。うーむ、ch-47の頑丈そうな機体に比べて・・・若干怖くなってきたぞ。「アブ」か。
戦闘機用ヘルメットの大きさを合わせて、頭に着けたまま私は「教官、質問!写真撮ってもいいですかー?」「軍事機密みたいなのは全然ないからOKですよー。ただ周波数だけね・・・分かるとまずいので入れないでね」なーるへそ。。。
飛行時間になって再び格納庫前に歩いていくと、離発着ポートには既にその黒い機体が鎮座していた。パイロットは敬礼し、ルートを説明してくれた。
「若干、雪の雲がありますので避けながら行きますが、桐生、佐野を通過して目的地上空までほぼ直線で30分くらいです。北飛行場へ着陸したと想定し、一旦高度を下げますが、そのままこの駐屯地に帰還します」
離陸用ポートには待機していた人員がまた珍しそうにoh-6Dを取り囲んでいたが、すぐに追い払われた。確かに上昇を始めたときに横殴りの強風があったら、軽く全員道連れだなー。
トップガンよろしくサムズアップで偵察ヘリに乗り込んだら、すぐにローターが回りだした。ヘルメットのマイクからは操縦士が色々と管制官と交信するありさまが聞こえてきた。
「ウォームアップスタート・・・圧正常、現在95・・・何とか、かんとか・・・・オールグリーン!」ホントにフワリと浮き上がった。。。いきなり地面が見えるほど機体を倒し急旋回急上昇・・・と思いきや意外にも機体は首都防衛戦闘機スーパーX(ゴジラ‘84)のように真横に滑り出し、低い高度でホバリングした。。。っとその時に上空から巨大なch-47が真横を通り過ぎて着陸した。実は北飛行場からクロスで出動したスティーブらが到着したのだ。
ch-47とすれ違うと我がoh-6D偵察ヘリは次第に高度を上げ、北東へ進路をとった。私の管轄するエリアだから上空から見るとメインどころの建物は何なのかよくわかる。しかし、県庁ビルと競輪場ドームを横切ってしばらくするとマイクで「ただ今桐生の上空です」「高度はどれくらいですか?」「1000フィート、約300メートルくらいですねー」私はFOMA携帯の電波状態とを知るためにアンテナを睨んでいた。同乗者が「携帯使っても大丈夫ですか?」そうだ、さすが!航空機では計器に影響があるので飛行中は一切携帯は使えないんだっけ・・・しかし意外な答えが。。。
「ははは。この機はそんな精密機器搭載してませんから、全然OKですよー」笑ってしまったが、それはそれで結構怖い・・・というか心細い。
「真下の川は『渡良瀬川』ですか?」「そうです。川の右側が大田、左側が足利市です。ここからだとボクどれか分からないんですけど、森高千里の『渡良瀬橋』ってありましたねー」
KICK師匠が懐かしんでくれるかと、懸命に探してみたが残念ながら上空から「渡良瀬橋」を確認することはできなかった。飛行ルートと地図を頭に入れておくか、「上を飛んで」と言っておけばよかった・・・
「今、佐野市の上空です。北飛行場まではもうすぐなので、あの小さな山を越えたら高度を落として行きます。ちょっと揺れるかもしれません」それまではそれこそch-47大型ヘリと同じくらい安定していたが、そう言えば右に左に少し揺れ出したようだ。
パイロットは地上と盛んに交信を始めた。どうもこの機体は「オスカー」という愛称かコードネームがあるようだ。新幹線沿線で餃子の市街より少し手前に北飛行場が見えてきた。かなり高度は下ろしたが、「タッチアンドゴー」まではせずにそのまま上昇し、上空で旋回した。私は何度か地上の連中にテレビ電話を発信した。電波は不安定だが、何とか地上のリアルタイムな様子を送信できそうである。ただ戦闘用ヘルメットを着けているので、携帯電話でしゃべることができないのである。カメラを切り替えひたすら地上の様子を送り続けた。何回か足を運んだ本当の被災地を思い出してしまい、その上空の様子を思い浮かべると正直、心が傷んだ。こういうことをしなくてすむように祈るしかない。旋回して元のコースを戻り始めるとはるか下方をすごい勢いで同型?のヘリがすれ違っていった。時速180キロくらいと言うから、かなりな相対速度なんだな。
帰りは反対側の景色になるが、見事なA城山の光景が・・・気流が安定しなくなったのか若干速度を上げて揺れながら駐屯地へ向かう。往復約1時間のフライトで予定通り着陸した。
離陸時にすれ違ったch-47に乗っていたスティーブに、「すぐそばをすれ違ったのわかりましたか?」聞くと彼らは軽トラックそのものを搭載した影響で機内で座ることができず、「立ち乗り」でやってきたと言う。
「ボクらが北飛行場を離陸する前にね、磯辺さんのアブと同型のヤツがものすごい勢いで上昇、下降を繰り返す訓練やってたんですよ。あんなのやられたら磯辺さん大変だねーって話してたんです」
随分安全運転で飛行してくれたんだなー。多少やって欲しかった気もするけど・・・こうして私にとって2度目の飛行を無事に終了するのである。
大震災の後でもあり、始終本番を想定して色々試してきた私だが、少しだけ「遊んで」しまった。上空からテレビ電話で遠く数百キロ離れた妻にもコールしてみたのである。会話はできなかったが、最初に自分の顔が映ったから何をしたかったか理解できたらしい。後から気付いたのだが、写真メールをもっと効果的に使えばよかった。。。
そう、お馴染み(どこが?)ch-47輸送ヘリに特殊機材を搭載して離陸、市内をほぼ一周して現地での着陸を想定して再び着陸して駐屯地内施設に運搬し、そこで作業を行った。陸上自衛隊一旅団と隣接4県の組織による合同訓練である。以前も紹介したが、実は前回の訓練は我が方の精密機器の配線に問題があり一部はうまく行かなかったのだ。責任者のOK所長は恐縮しきって原因の究明に急いでいた。
そしてその1ヶ月半後、かの大地震の発生である。軽トラック1台で乗り切らない量の精密機材をエレベーターが停止してしまった拠点ビルの8階(あれに懲りて今は1回に設置している)から階段で下ろし、速やかに出動準備を整え同じ駐屯地から仙台へ飛び立ったのが3月12日。。。先遣チームは連絡も現地の受け入れも混乱している中、実に立派に任務を果たしてみせた。訓練の成果を発揮できたわけである。
集合はオフィスに朝の6時半、駐屯地集合が7時半である。その週は日本列島に強力な寒波がやってきて、恐ろしく寒い日が続いた。広大な飛行場の屋外で待機する時間が長いから、ヒートテックをはじめタイツ、ホカロン、耳あて、マスク、手袋・・・これ以上着込めないほどモコモコになって登場した。ちょっとした挨拶と予定の確認をすませ、ゲートで敬礼されて飛行場へ入って駐車場へ行くと、懐かしのch-47が「どーん」と構えていた。早速先遣隊のバイクを積み込み始めた。今回トミーやグッチーが初登場だったから、もの珍しそうに周囲を眺め写真を撮っていた。天気は比較的よいが、少したって風が吹きはじめ小雪が舞うほどで気温の上昇はどうも期待できないようだった。
彼らの軍用ヘリコプターは離陸予定時間の約1時間前に「飛行決心」という聞き慣れない儀式がある。その名も通り、天候や現地までのルート状況などを検討して「ホントに飛ぶかどうか」覚悟を決めるわけである。
今年は大震災の影響もあったのか、遠隔地どおしでホントに往復し現地での作業に徹する要素が多かったため時間も長く規模も大きくなった。こちらからバイク、特殊機器、人員などを搭載したch-47で隣接する「餃子の町」にある飛行場で荷物を下ろし、そこで実際に作業を行うのである。そしてその後偵察ヘリを飛ばし、現地の様子を上空から映像伝送する。
私が搭乗するのは「絶対乗らせてねー!」と騒いでいたoh-6D偵察・観測用ヘリ。。。スティーブが「アブ」と呼んだあれである。ニュージーランドに旅行した時にラフティングツアーでスタート地点まで乗せてもらったヘリに似ている。右に左にものすごい旋回能力を持った絶叫マシン真っ青の迫力だった。駐屯地を飛び立って、餃子の町までは約30分、上空を旋回し同じ飛行場に帰還するのに要するのは約1時間だ。ch-47は輸送されるモノとしてただ乗っておればよいが、oh-6Dは4人乗りで機能が全く違うので「教育」を受けておく必要があるという。同乗者と私は格納庫へと向かった。
近くで見るとおもちゃのように小さい。ラジコンの親分のようだ。だから機体への近づき方、乗り方、3点シートベルトの締め方、会話の仕方など様々な決まりがあった。何せローターがすぐ頭の真上で高速回転するので、耳栓すら役に立たない。戦闘機乗り用のごっついヘルメットを身に付け、マイクを通して会話することになる。
不可解なことに後部座席には今では電車にも無くなった灰皿が・・・もしかしてエライ人が視察するときに使うのかなー。
「狭い中で動きつらいですけど・・・触ってはいけないところが結構あるんでねー。」確かに練習で後部座席について3点シートベルトを締めると真横や前方に「押すな」「触るな」とか色々警告シールがたくさん貼ってある。パイロットの上官にあたると思う人が「航空機の機体ってね。フレームは強いけど外装は応力でもっているところが多くて・・・早い話が『チャチ』だってことですよ。ほらっ」ドアの横を親指で押すと何と一旦凹んでまた元に戻った。。。うーむ、ch-47の頑丈そうな機体に比べて・・・若干怖くなってきたぞ。「アブ」か。
戦闘機用ヘルメットの大きさを合わせて、頭に着けたまま私は「教官、質問!写真撮ってもいいですかー?」「軍事機密みたいなのは全然ないからOKですよー。ただ周波数だけね・・・分かるとまずいので入れないでね」なーるへそ。。。
飛行時間になって再び格納庫前に歩いていくと、離発着ポートには既にその黒い機体が鎮座していた。パイロットは敬礼し、ルートを説明してくれた。
「若干、雪の雲がありますので避けながら行きますが、桐生、佐野を通過して目的地上空までほぼ直線で30分くらいです。北飛行場へ着陸したと想定し、一旦高度を下げますが、そのままこの駐屯地に帰還します」
離陸用ポートには待機していた人員がまた珍しそうにoh-6Dを取り囲んでいたが、すぐに追い払われた。確かに上昇を始めたときに横殴りの強風があったら、軽く全員道連れだなー。
トップガンよろしくサムズアップで偵察ヘリに乗り込んだら、すぐにローターが回りだした。ヘルメットのマイクからは操縦士が色々と管制官と交信するありさまが聞こえてきた。
「ウォームアップスタート・・・圧正常、現在95・・・何とか、かんとか・・・・オールグリーン!」ホントにフワリと浮き上がった。。。いきなり地面が見えるほど機体を倒し急旋回急上昇・・・と思いきや意外にも機体は首都防衛戦闘機スーパーX(ゴジラ‘84)のように真横に滑り出し、低い高度でホバリングした。。。っとその時に上空から巨大なch-47が真横を通り過ぎて着陸した。実は北飛行場からクロスで出動したスティーブらが到着したのだ。
ch-47とすれ違うと我がoh-6D偵察ヘリは次第に高度を上げ、北東へ進路をとった。私の管轄するエリアだから上空から見るとメインどころの建物は何なのかよくわかる。しかし、県庁ビルと競輪場ドームを横切ってしばらくするとマイクで「ただ今桐生の上空です」「高度はどれくらいですか?」「1000フィート、約300メートルくらいですねー」私はFOMA携帯の電波状態とを知るためにアンテナを睨んでいた。同乗者が「携帯使っても大丈夫ですか?」そうだ、さすが!航空機では計器に影響があるので飛行中は一切携帯は使えないんだっけ・・・しかし意外な答えが。。。
「ははは。この機はそんな精密機器搭載してませんから、全然OKですよー」笑ってしまったが、それはそれで結構怖い・・・というか心細い。
「真下の川は『渡良瀬川』ですか?」「そうです。川の右側が大田、左側が足利市です。ここからだとボクどれか分からないんですけど、森高千里の『渡良瀬橋』ってありましたねー」
KICK師匠が懐かしんでくれるかと、懸命に探してみたが残念ながら上空から「渡良瀬橋」を確認することはできなかった。飛行ルートと地図を頭に入れておくか、「上を飛んで」と言っておけばよかった・・・
「今、佐野市の上空です。北飛行場まではもうすぐなので、あの小さな山を越えたら高度を落として行きます。ちょっと揺れるかもしれません」それまではそれこそch-47大型ヘリと同じくらい安定していたが、そう言えば右に左に少し揺れ出したようだ。
パイロットは地上と盛んに交信を始めた。どうもこの機体は「オスカー」という愛称かコードネームがあるようだ。新幹線沿線で餃子の市街より少し手前に北飛行場が見えてきた。かなり高度は下ろしたが、「タッチアンドゴー」まではせずにそのまま上昇し、上空で旋回した。私は何度か地上の連中にテレビ電話を発信した。電波は不安定だが、何とか地上のリアルタイムな様子を送信できそうである。ただ戦闘用ヘルメットを着けているので、携帯電話でしゃべることができないのである。カメラを切り替えひたすら地上の様子を送り続けた。何回か足を運んだ本当の被災地を思い出してしまい、その上空の様子を思い浮かべると正直、心が傷んだ。こういうことをしなくてすむように祈るしかない。旋回して元のコースを戻り始めるとはるか下方をすごい勢いで同型?のヘリがすれ違っていった。時速180キロくらいと言うから、かなりな相対速度なんだな。
帰りは反対側の景色になるが、見事なA城山の光景が・・・気流が安定しなくなったのか若干速度を上げて揺れながら駐屯地へ向かう。往復約1時間のフライトで予定通り着陸した。
離陸時にすれ違ったch-47に乗っていたスティーブに、「すぐそばをすれ違ったのわかりましたか?」聞くと彼らは軽トラックそのものを搭載した影響で機内で座ることができず、「立ち乗り」でやってきたと言う。
「ボクらが北飛行場を離陸する前にね、磯辺さんのアブと同型のヤツがものすごい勢いで上昇、下降を繰り返す訓練やってたんですよ。あんなのやられたら磯辺さん大変だねーって話してたんです」
随分安全運転で飛行してくれたんだなー。多少やって欲しかった気もするけど・・・こうして私にとって2度目の飛行を無事に終了するのである。
大震災の後でもあり、始終本番を想定して色々試してきた私だが、少しだけ「遊んで」しまった。上空からテレビ電話で遠く数百キロ離れた妻にもコールしてみたのである。会話はできなかったが、最初に自分の顔が映ったから何をしたかったか理解できたらしい。後から気付いたのだが、写真メールをもっと効果的に使えばよかった。。。