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超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

ゴリ橋先生を囲む作戦

2017-04-27 06:28:01 | 昭和
小学校卒業から○十年、記念作品の木彫りを担任の「ゴリ橋先生」から預かり、知る限りのクラスメイトに直接また知人の人脈を頼んでその旨メッセージを送ってもらってから約1ヶ月、大体想像していた通りだが数名の元クラスメイトは連絡用のアドレスにメールをよこしてくれた。ぼーっとしていても仕方がないから、「一月後に作戦会議をやらないか?」と第2弾をかました。この手のことには割とシビアに考えている私は「できることなら何でも協力するよ」というメッセージは「必要以上には踏み込まないよ」という意味にも解釈し、「一月先に来ない者は、いくら先に設定しても来ないだろう」と割り切ったのである。参加を表明してくれたのは今後、この話を進めるに最も頼りになりそうなクラス最強の女子エンちゃん(仮称)と私と幼馴染のカリコ、ゴリ橋先生から木彫り受け取りの時に付き合ってくれた(会えなかったが)テーラ、ここ数年顔を合わせている業界人?のパゲ、そして40年ぶりの再会となった初登場タランくん(仮称・デスラー総統の副官ではない)である。

当日、私は木彫りの拡大写真を撮ってプリントアウトし、卒業アルバムや遠足などの写真を持って行った。その直前になってテーラから「千葉に仕事に行くので参加はキャンセル」というメッセージがきた。サーフィン協会の仕事もしている彼は「ホントに仕事?千葉に波乗りしに行ったんじゃないの?」と冷やかしの陰口を叩かれていた。私はふと思いついて、別クラスの幹事を立派に努め奇跡的ともいえる人数を集めたプチエさんにダメ元で「オフィシャルアドバイザーとして来てくれないか」と声をかけた。他クラスとは言え、小中似たような顔ぶれだから知らないわけではないと思ったのだが、我ながらこの閃きは羽生選手の4回転ジャンプ並みのプレーだったのである。急なお誘いをしてメンバには言っていなかったから、「何で彼女がいるねん?」ということにならないように、事前に待ち合わせてお店に向かったのである。

約40年ぶりの再会となった「タランくん」以外は年に数回は集う面々だが、やはり小学校時代の話となると思い出話ばかりが先行して盛り上がってしまう。私は酒が進む前にとっとと事務的な話を始めた。まず卒業作品の木彫りを預かるようになった経緯、ゴリ橋先生とのコンタクトと再会及び先生の近況を手短に説明し、卒業アルバムと名簿、何枚か家で見つけてもらった写真を取り出した。まず名簿と集合写真などを見比べて「どの写真が誰?」から始まり「そもそも我がクラスにはどんなヤツがいたのか?」そして何となくクラスメイトのイメージが蘇ってくると、次は数々のエピソードである。修学旅行で泊まった宿の名前、買ったお土産、他校とのケンカに走ったヤツ、社会見学で東京を歩き回った話、その時の失敗談・・・タイミングを見て私は木彫りの拡大写真と持参した「たぶん持ち主が分かるサンプル」を取り出して見せた。昔話で盛り上がるだけではここに集まってもらった意味がないのである。



「ここにイニシャルがあるだろ。だからこれとこれは○川さんと●村さん、また今日来れなかったんだが、□山さん情報だとこのパンダが笹に登ってるヤツは△田さんの木彫りだそうだ。そして同じ□山さん談では『丸い大きな口だった』のがエンちゃんの木彫りということなんだ。持ってきたんだが見覚えねえか?手渡し第一号になるんだが」我がクラスで最も活発で勉強も運動も何でもクラス一できたエンちゃんは木彫りを手に取って眺めていたが「うーん、鼻がでかかったような気がするんだけど・・・思い出せないなー」重たい木彫りを6体も持ってきて一つでも配って帰りたい私は「これ、心なしかエンちゃんに似てねえか?結構上手にできてんじゃんか。持ってけよ」「うーん・・・」迷っている彼女の横からカリコが「ねー、これ△野くんに似てない?髪の毛斜めに流してるしさ」さらにプチエさんも「あー、たぶんそうだよ。」「(ったく、コイツら、余計なこと言いやがって・・・)」私はダメ元で写真を撮り返事もよこさない△野くんにメールで「これ違う?」と聞いたが、その場の手渡しは諦めた。



イニシヤル入りの持ち主が分かっているのは全部女子のモノだったが、残念ながら最近コンタクトがあるという人は誰もおらず、手を真っ黒にして段ボールから取り出して並ばせ、拡大写真を何枚もとって、現物も持ってきたのに1個も売れなかった。プチエさんは小学時代に△野くんのことがお気に入りだったと聞いたので「そんなに好きならお前が持って行け」と半ば自棄になったものである。(むろん却下された)それからしばらくゴリ橋先生の思い出話となった。昼休み時間など一緒にグランドでドッジボールもやってくれた先生である。そんな時も一番活躍していたのはエンちゃんで「オレ、エンちゃんの球、速くて見えなかった」「まともに取ろうとして怪我したヤツがいた」「地面スレスレのボールは、土煙が上がっていた・・・」無茶苦茶に言われていた。結構怪力自慢だった私もエンちゃんに腕相撲で勝てたことはただの一度もなかった。繰り返すがエンちゃんは「女性」である。

今会うと結構イケメンだったように思えるタランくんはかなり大人しい子供だった。「オレ、1学期の通信簿に『ちょっと暗い』と書かれちゃったんだけど、2学期には『少し明るくなりましたね』と書いてあった」体育館もプールもなかった我が校は青空卒業式のつもりでリハーサルしていたのに当日は何と土砂降りの雨で各組自分の教室で担任の先生から卒業証書を受け取った。最後にゴリ橋先生が「惜別の歌」を歌い、感極まって涙を流したのを女性軍はよーく覚えていて、懐かしそうに話していたが、当時の我々おバカな男子たちは、そもそも「セキベツ」の意味からして分からなかったのである。少し酒が進みいい気分になってきた私はスパークモードに入る前にもう一つ大事な用件を持ち出した。「この先、どうするか?」である。プチエさんらの活躍により、私が以前「木彫りを預かっている」と発したメッセージは10数名のクラスメイトに届いていると推定される。そのうち伝えたアドレスに連絡をくれたのは、このテーブルにいる人も含め6人だけだ。また彼女は他のクラスがどうしているかもその場で紹介してくれた。

この6人全てに木彫りの拡大写真を見てもらったが、誰も自分又は他人のものを判別できなかった。たぶん大半が持ち主不明となるのは間違いない。先生は奇遇にも我が家の近くの学校にいる時があるが、先生に会うのはともかく、自分のモノか分からない木彫りを受け取るためにわざわざ来るか?名簿はあると言っても数十年前だから実家があったとしても個人の連絡先を知り、案内をだすのは困難を極め中には嫌な思いをすることもあるという。私は木彫りについては任せてもらえば家で預かることに当分問題はない。頃合を見計らってウッドデッキのインテリアにしてしまう、海辺でバーベキューするときの木材に使用するなど案を出した。(キャンプファイヤーなどは禁止らしい)「先生に会いに学校まで行って、焼却炉で焼いてしまうというのはどう?」カリコが「皆で拝んで成仏させる」案を主張した。私はこれをヒントに「神社に人形を納めるように、御炊上げをしてもらう」ことを思いついたが黙っていた。

エンちゃんは私の持っていった住所録を眺めていたが、突然スマホを取り出して電話をかけ始めた。私が持ってきたパンダ彫りの持ち主、△田さんの番号にかけているらしいのである。(誰が使っているか分からないのに恐るべき行動力だ)「お父さんが出たよ。今、仕事でいないけど、帰ってきたら連絡くれるってさ」すごい!あっという間に一歩前進した「木彫りはともかく、いい先生だったから、集まって会いたいよねー」私は(その場のノリもあっただろうが)彼女の勇気に敬意を表し、その場でスマホを取り出してゴリ橋先生の番号にかけてみたのである。「あ、ゴリ橋先生ですか?●小6−Xの磯辺太郎です。今、クラスメイトが何人か集まってるんですけど、お話してもよろしいですか?」「うん、何か周りが賑やかだねえ。女傑の○×さん?もちろん、よく覚えてるよ」エンちゃんから始まって、皆少しの時間だったが先生とお話しできた。突然の思いつきだったが皆懐かしそうにしていた。そして最後にエンちゃんにもう一度代わり、約半年後にともかくも先生を囲んで集まろうということになったのである。



翌日、来れなかったメンバにはそのことを伝え、前夜の写真などを送った。また夜遅くエンちゃんにはパンダ彫り女子から連絡があったようだった。以前、プライベートで色々あって音信不通になっていたようだが、エンちゃんはまずはLINEつながりを持ち、本人の了解で私にも連絡先を教えてくれた。実は彼女は妻とともに私の母校キャンパスで何度かテニスをしたことがある間柄だったので、ちょっと遠慮がちに挨拶メールとゴリ橋先生との2ショット写真、パンダ彫り、前夜の様子などを送っておいた。ものすごく久しぶりであまり人と会いたくないならスルーされるかとも思ったが「写真ありがとう。ところで先生の左側の男性はどなたですか?」と返してくれたのは嬉しかった。ただ少し変だな。先生の左側?私は写真に向かって左側に写っているので、先生から見ると右側に立っているのである。「先生の隣?段ボール持ってる男?あんまり変わらんと言われるんだけどね。ボクですよ。

ガンさんらと一緒に結構仲良く遊んだのに顔を忘れちゃったのか?!ちょっとがっかりしたが、ホントに色々あったようだ。すると再び驚愕の返信がやってきて、「段ボールを持ってる男性がゴリ橋先生かと思ったの。失礼、左が太郎ね」アイツ・・・今年、72歳になる先生とオレを間違えてたのか?ボケるにもほどがあるぞ!約40年前の先生は背の小さな私たちから見たらスラッと背が高いイメージがあるのは分かるが。。。自他共に認める根に持つタイプの私は、いつか会う機会があったら絶対イジメてやることにしたのだった。その後エンちゃんは名簿で連絡先不明となっている全てのクラスメイトに電話をかけまくって10名以上の音信を獲得するという八面六臂の活躍、△野くんからは相変わらずそっけない内容で「いいえ、違います。私のは・・・です」彼は自分の木彫りを覚えていたのだ。そんなんこんなんでこの先、少しずつ進展していくような気がしているのである。

北の国でのクリスタル・K

2017-04-17 22:37:05 | 昭和
新年度明け初日、いきなりマッドサイエンティストを演じて、事業年度キックオフ懇親会を飾って1週間後、都内の別のオフィスビルで同様のプレゼンを行った。その日は我が社で定めた「安全の日」ということで、朝の朝礼では10分ほどの「安全講話」を依頼され、4月に新しく配属された20名近くの若手フレッシュ社員への講話、そして入社3年目くらいの若手核要員の発表会の終わりに総合講評と啓蒙のためのレクチャーを頼まれており(全く人使いの荒いスタッフだ!)、最後に例の数十ページの「重点取組説明」である。人前で喋ることをそれほど好きではないし本業でもないのに、さながらノーギャラ有名人の営業講演スケジュールのように数だけは重なり、全部内容の異なるプレゼンを終わってみると喉がからから、ヘトヘトになる。同じことを「北の国」と「杜の都」で繰り返すと思うと、少し気が重くなるが自分では4回分でも聞く人は初めてだから、中々手抜きはできないものである。

キックオフ懇親会は前回、合成画像なども使って中々趣向を凝らした決意表明をした部門があったり、マッドサイエンティストによるアルカリイオン水素水の効果に関する実証実験があったことはすでに次の拠点には伝わっており、若手を中心にさらにパワーアップしたコスプレ決意表明が噂されていた。その拠点フロアにもアルカリイオン水素水を導入するつもりだったから、一応前回同様の実証実験の準備はしていったが、「やるかやらないか?」はその場のノリによって「浮かないように」判断するつもりだった。しかしやはり後半になって酒が進んでアトラクションが盛り上がると「その気になって」しまい、実験用白衣を取り出したのだった。発足以来もっとも出席率が高いと思われる大群衆は期待をこめて(半ば呆れて)いたようだったが、「同じことは繰り返さない」主義の私は、100円ショップで買ってきたもう一つのアイテムを引っさげて現れたのだった。「皆さん、こんばんは。マッドサイエンティストのロビン磯辺改め、『カンムリワシ』磯辺です」(知ってる者だけが腹を抱えた)

さて順番でいくと次の回は「北の国」だった。東京は20度にも届く勢いで暖かい陽気なのに、何と北の国は「雪が舞うかもしれない」予報だった。仕方がないので、もうそろそろ寿命となる初夏用の薄手ジャケットの上に真冬用ダウンを羽織って飛行機に乗り込んだのだた。私は久々にこれまただいぶくたびれてきた、鎌倉小町通りのおもちゃ屋で購入したウルトラマンネクタイをしていたのだが、飲み物をサーブしにきたCAが「素敵なネクタイですね」とにっこり笑ったのだった。これまでも何度かあったのだが「(へーえ、CAって時々そういうコメントもするんだな)」と不思議な気分になっていた。たぶんそういうことに慣れたベテランCAだったのだろう。「新千歳空港周辺の天気は曇り、気温は4℃でございます・・・」そして空港から駅に向かう列車の車窓から見ると横殴りの吹雪になっていた。(もう4月半ばだぜー)
「オレ、結構色々行ってるから昼食は決めていいよ」と言っておいたら、駅から少し距離のある札幌みそラーメン専門店に向かうことになった。確か前回も大雪の中、フードを被って雪中行軍したあげく席待ち行列に阻まれて断念したお店だったが、幸い若干時間がずれていたこともあり、スムーズに店に入ることができたのだった。

  

業務改善発表の対象となる若手核要員は1名しかしなかったが、上司や多くの管理者に囲まれて手厚くレクチャーし、その後はいつもの講話会である。前半は新年度重点的に行う取り組みの説明、後半はそれを行うための具体的プランが主になるが、大体後半に聴衆参加の閑話休題コーナーみたいなものを設ける。今年度は「職場の風土改革」というのが会社的なテーマにもなっているから、関連するエピソードをいくつか紹介して「こんなことが参考になるんじゃないか?」と考えてもらうわけである。
①一人の時は全力を尽くしても集団で何かやると「誰かがやるだろう」という心理が働いてしまい、個々人は手抜きするようになる。
②あるテーマに対してアイディア出しを行うと、その人の考えるスタイルによらず、「個人」の方が量も質もよいアイディアが出るようだ。(ただしグループ討議の後、個人で持ち帰ってアイディアを考えるのが最も効果的だ)
③グループでアイディア出しをする時には、とにかく発言に対し頷いてあげるとたくさん出る。
業務改善や職場の風土に関して、基本は職場メンバ数人で形成するグループで色々考え取組みや発表資料をまとめたりするが、会社から「やって」と義務付けられたようなものは得てして愚にもつかないようなアイディアばかりになる。上記3つの事項はちょっと皮肉っぽいが誰もが経験的に頷けるところも多いだろう。

        

次に私は3本の棒が描かれたスライドを出した。
「右側の棒と同じ長さだと思うのを左の3つから選んでください。まず①だと思う人・・・んっ?②だと思う人・・・・はて?③だと思う人・・・うっそー?!」
「ちょ、ちょっと待ってください。別に変な罠じゃないですよ。もう1回やるよ。①だと思う人・・・うーむ。。。」私は思わず説明者の位置から降りてスクリーンの後ろまで歩いて眺めてみた。①に手を挙げた人はちらほらしかおらず、②ばかりだったのだ!
「ちょっとさー、ここヒネるところじゃないんだよね。どう見たって①じゃんか。ここで間違うと次の話に繋がらないんだよなー」
思わぬところで場内が笑いで盛り上がったが、続けて演出したかったのはこういうことだったのだ。
「自分の判断では答えは明らかだと思える事項で、実際そうであっても、大勢の他人が違うことをすると自己の判断に自信がなくなって同調していまう。しかし集団に一人でも見方がいるとその同調率は急激に下がる。だから大勢の中で間違いやルール違反を指摘しようとした者に対しては誰か一人でもいいから味方になること。」

      

そして順序がよくなかったかもしれないが、次のスライドはたまにヒューマンエラー研修などで見かける絵で、こちらは私の思惑とおりだった。一般的には「錯視現象」と言われ周囲の模様や配列などに惑わされ大小や方向などを錯覚してしまうものだ。「右側の●が大きいと思う人・・・ふむ。左側の●が大きいと思う人・・・ゼロ。いや、両方同じ大きさだと思う人・・・多数。いやー、今度は期待通りですねー」実は私がこっそり仕掛けたいたずらで、左側の●がほんの少しだけ大きいのである。
「まず予備知識なく見た目だけで答える人は普通なら右側が大きく見えますね。そして『これが錯覚の話』だと過去の学習で知っている人は見た目ではなく、同じ大きさと答えるでしょう。しかし錯覚もあるけど、時として予備知識や先入観というのも間違った答えを導き出すということです。ちょっといじわるですが、「磯辺ほどのヒネクレ者がこんな多くの人が知っているような錯覚の絵を持ってくるはずがない。何か罠があるはずだ」と洞察する人はすごいと思いますが、残念ながら一人もいませんでしたね」
「やられた・・・」「なるほど・・・」「ええーっ?」苦笑、感心、呆れなどの入り混じった表情の観衆を前に「誰もが思い描く風土改革を見える形にしてほしい」として、約2時間にわたる講話を閉じた。

    

さて、夜の部キックオフ懇親会は下馬評ではかなり「やってくれそうな」感じだった。「磯辺さんにも参加してもらいますので・・・目隠しとかもあります。またお得意分野の解説もお願いしますよ」会場はいつも通り食堂かと思ったら、プレゼンを行った会議室をそのまま使用していた。正面の壁いっぱいが大きなスクリーンとなっていて、ミニIMAXシアターのようだった。まずいくつかのイントロダクションが映し出され、床には2者選択クイズ用の○と×のゾーンが設けられた。それぞれ仕事絡みの真面目なクイズがあったが、私好みの(て言うか、明らかに意図されていたが)ウルトラシリーズのレアクイズも織り込まれていた。
「写真のようにモロボシ・ダンと卓袱台を挟んで座っているのはゴドラ星人である」(○か×か?)・・・「それでは○×出揃いました。磯辺さん、正解と解説をお願いできますか?」
「このシーン知らない人はモグリだと思いますぜ。右側は有名なメトロン星人です。タイトルは『狙われた街』、この場所は北川町と言います。実はこのアパート全体がメトロンの円盤になっているんです。メトロン星人の狙いは・・・」

「写真にあるウルトラセブンの光線技はエメリウム光線である」((○か×か?)・・・「はい、○×出揃いました。磯辺さん、再び正解と解説をお願いできますか?」
「ま、これも基本ですが、この光線は『ワイドショット』です。初代マンのスペシウム光線よりも威力がありますが、エネルギーを消耗している時は使えません。写真は・・・うーむ、たぶんライトンR30爆弾で倒されたキングジョーの内部から逃亡しようとしたぺダン星人の円盤に向けて打ったものだと思います」
「おおーっ」「へーえ」「ふーむ」(この写真だけでそこまで分かるのか?!)場内はに驚愕とも感心とも呆れとも言えるどよめきが沸き上がった。以前にもこのシーンが何かの問題に出たことがあるのだが、「何に向けて放ったものか?」ずばり言い当てたのは息子甘辛であったのだ。真面目問題は出し尽くして、このコーナーは終わりのようだったが「楽しいなー面白いなー(たぶんオレだけだけど)。まだあるなら全部出してよ」とうとう司会は用意してくれたウルトラ関連クイズを全て披露することとなる。

いつの間にか初代マンとセブンが両サイドを飾っており、私はすっかり興奮モードになっていた。今回はマッドサイエンティストの用意はしていない。アルカリイオン水素水や試薬など液体群を機内に持ち込めないからである。しかしここまで用意してくれたアトラクションに何か応えなければならない。私は一つだけ閃いて、マンのネクタイとYシャツを脱ぎ捨て、再び麻ジャケットを羽織り、カンムリワシヘアーとサングラスを身に着けた。「皆さん、こんばんは。クリスタル・K・磯辺です。キックオフ会有志の皆さん、楽しいアトラクションをありがとう。ボクがこよなく愛するウルトラ戦士を呼んでくれたお礼に歌います。知っている人はご一緒に・・・」左側はパンチパーマにサングラス、右側の高い声の人は裸ジャケットというスタイルだったが、さすがに女性もいる中で上半身裸になるわけにもいかず、「加圧シャツウルトラシックス」で出ない声を張り上げたのだった。

  

変身願望、嵐 見参!

2017-03-12 23:15:05 | 昭和
(ちなみにタイトルは「変身忍者・嵐がオリジナルです)
小学校の卒業記念の木彫り引取りであたふたした日の夜は、悪友たちと怪獣酒場&アニソン特撮カラオケの会に行く約束だった。最初の来店から数えると二桁は超えている怪獣酒場だが、3月14日で3周年、今年は私のこよなく愛する「ウルトラしぇぶうぅーーん」怪獣シリーズ50周年にあたるそうで、お馴染みの星人が続々登場するようだ。今回登場するのは「暗殺宇宙人ガッツ星人」である。「カイコのイメージ〜」と可愛いコメントをした人もいたが、とんでもない!セブンの能力を分析して無駄にエネルギーを消耗させておいて、十字架に磔つけてしまった世にも恐ろしい宇宙人である。特に「後編」ではセブン救出のキーを握る女性をガッツ星人が追い回す、という子供が見たら泣き出すに違いないシーンも。。。しかし私もこれまで実物は何度かしか会ったことがない。そのうちの一つが幼い甘辛と行った荒尾のウルトラマンランドである。実はオウムを模していると言われているが、その声はいかにも極悪な宇宙人なのである。

  

「酒場」らしく平日は17時からの開店なのだが、土曜日の開店時間は15時半、日祝に至っては14時という居酒屋らしくもない大人気店である。座席を予約するといつもこのメンバで訪れるときは開店1時間半くらい前に並ぶ。その間は以前であれば昔話に花を咲かせたのだが、回数を重ねてくるとだんだんネタもなくなり、そのうちに手持ち無沙汰から近くのコンビニでちょっと飲み物を買い込み「立ち呑み」するようになった。結構長い行列の中で最初は少し憚っていたのだが、そのうちに慣れてしまい、前回はガンさんが家から山のようにツマミを持参してきたのだった。しかし今回はマニアでは人気絶大と思われるガッツ星人の登場なので、念のため予約を入れておいた。私は生ビールにテキーラのミニびんを落とし込む「ベロンベロンボンバー」、ガンさんは「THE・最強」、コウたんは「バルタンハイボール」で早速怪獣談義を始めた。

  

スペシャルメニューにも「メガトン怪獣スカイドンのタンドリーライスカレーVer.2が登場し、いつものメニューに花を添えた。しばらくすると入り口の方が賑やかになり、大きな頭のガッツ星人登場だ。私は地球防衛軍のTシャツに、セブンのスカジャン&メガネスタイルからどう考えても宿敵である。近寄ってくれた時に「(いつかこの着ぐるみの中に入ってのし歩きたいなー。どこからどうやって着るんだろか?)」密かに周りのチャックや視界をどこから取っているか?重さはどのくらいで歩き回るのにどれくらい大変か、などをじろじろ見定めていた。実は我々の披露宴の2次会(別途日程)で、余興に初代ウルトラマンのスーツを借りたのだが、確か4万5千円だった。相棒となった名も無き緑の怪獣は9000円と大きな差別だったが。私が入ったわけではないが、初代マンに入ってくれた悪友は「世界が変わるよ」とビッショリの汗をかきながら、興奮気味に語ったのだった。

2時間制で入れ替えとなるので、ちょうどこれから「盛り上がり」という時に店を出なければならない。3周年記念で店内はリニューアルされる予定で、誕生月の人だけ(証明要)入れるという「秘密の部屋」も新しくなるということだ。最初は「メトロンとちゃぶ台を挟んで差し向かう」シーン、次は「防衛軍の自室で髪を梳かしていたら背後にペガッサ星人登場」のシーン、前回は「メフィラス星人が宇宙船の中でトオルくんに『地球をあげる』と言ってくれとせまる」シーン、次回のヒントはHPによれば「祝!開放3周年『周年祭』開催!3周年の隠し部屋は長い物には巻かれろ!?」このタイトルとウルトラセブン怪獣50周年という条件を合わせると、恐らく秘密の部屋は「宇宙竜ナース」(「魔の山へ飛べ」)と思われる。うーむ。。。セブンのスーツを着て、ナースに巻き着かれたいものだ。

さて怪獣酒場を後にすると最近はそのままのノリでカラオケに行くことが多い。ウルトラに因んだ特撮や同年代のアニソン、最近では80年代アイドルなどに縛られ暗黙のうちに現代の流行曲などは歌わないことになっている。今回は「あのカラオケ店は無料コスプレがあるから楽しみ〜」などと、やたらに気合の入ったメンバーもあった。まさかウルトラ戦士や怪獣はないだろうが、無料でコスプレとは嫌いじゃないので密かに楽しみにしていたのだ。始めはダーク・ウルトラ会カラオケの練習のつもりだったのだが、ここ数回はこちらがメインになってしまい、だんだんと目新しい曲が尽きてきたところにコスプレである。そろそろ宴も最高潮に向かっているところに、メンバーの一人が持参してきた大きな紙袋から何やら布切れを取り出し、マイクを持って踊る私の身体に装着し始めた。どうやら手作りの衣装らしいのである。「こんなもんまで用意してるのか?!」聞くと息子さんが学芸会で使用する際に作成した男性用らしい。

          

アルプスの少女ハイジの友達クララのような女装にも見えるが一応「雲」をイメージしたものだそうだ。調子に乗って色々とポーズを取ってはみたが、後から見ると「なんだかねえ・・・」のため息が自然に出る。ちらっとだけ見せてもらった息子さん本人が身に着けた写真と比べると、同じ男性なのに引き締まり方に絶望的な差がある。。。実は同様のことを木彫り受取の際に妻に言われた。場合によっては木彫りを出し入れしたり運搬する作業があるかと思って、息子甘辛のちょっと派手目の部活ジャージを着たのだが「甘辛が着るとサマになるけど、あなただとそうなっちゃうのようねえ・・・」何が「そうなっちゃう」のかよく分からぬが確かにどうも締まりが違うような気がした。さらにコウたんと共に本格的な着替えによってエスカレートして行ったが見苦し過ぎてとても他人には見せられない・・・

    

また先日、ベルサイユ宮殿「鏡の回廊での仮想パーティ」というニュース記事を見た。小夏師匠も取り上げられていたが、ドレスコードは正統派バロックスタイルだそうである。やはり人間には普段と違う衣に身を包み巷を練り歩く変身願望のようなものがあるようだ。衣装のお薦めはロシア皇帝の伝統衣装、皇帝・皇后が身に着けたもの、チケットは侯爵/夫人、公爵/夫人、王/王妃コースなどがあるようだ。(何の違いなのかさっぱり分からぬ)豪華絢爛なのは違いないが、あの時代の衣装など女性はそれこそ「着ぐるみ」ではないか。男性の髪型は音楽室のバッハのように「50本のちくわで作ったカール」みたいなのではなく、私がメジナ釣りに行くポイントで障害となる「藻」に近いものがある。どちらにしても下半分はバミューダ(って死語?)にストッキングみたいな姿だしどうもカッコよくは見えない。まだ日本の皇族・貴族の方が落ち着きと格調のようなものを感じるのだ。

私もコスプレ願望みたいなものがあり、何やら色んな衣装を身に着けるのは楽しい。古くは高校時代の仮装として、ピエロ、ばい菌、ギリシャ勇者、そして松本伊代さん、うんと時間を空けてグンマ時代にエジサン、そして最近はハロウィンのお化け・・・合間になぜか女装が多いのだがあまりここでは言わないことにしよう。どれも楽しかったが写真で後から見ると目を覆うような惨状で、サマになったのはウルトラ警備隊くらいのものだ。アニメもいいけど、オリジナルのイメージが強いからやはり「がっかり」することが多いだろう。(ハーロックなどはまさしくそうだった)どんな衣装が一番似合うか、今までは「沖田艦長」だと思っていたが、お金をかけずに確認する方法を思いついた。観光地によくある「顔出しパネル」である。幸い私はその手のイベントによく足を運ぶから、片っ端から「顔出し」することによってイメージをつかんで行こうと思う。

         

卒業記念木彫りの引取り完了

2017-03-08 22:25:42 | 昭和
社内に特定の業務をマネジメントする技術者を養成する目的で設けられた社内教育制度がある。社内的には研修生という続柄だが、実際の事業所で先輩などについて一連の業務能力を取得していくいわゆるOJTである。個人の持つスキル・経験値によって1年コースと2年コースがあり、毎年この時期に全カリキュラムが終わり、修了式が行われる。簡単なものだが、関連組織の長や幹部などがずらりと並び、修了生の成果報告が行われ、修了証書も授与される。私は主催者側の代表として最後に「激励の言葉」なるものをしゃべらされ、記念写真撮影後は懇親会へ流れ込む。ここでは先日妻と見に行った「恋妻家宮本」のワンシーンを真顔で引用した。「間違っていると思ったら躊躇せずに手を挙げること。しかし上司や先輩はそう間違っていることは言わないものだ(ホントかな)。それでも『間違ってないが、何か違和感』を感じたら優しいかどうかで判断すること。正しい者同士は衝突するし戦争まで起こすが、優しい者同士にそういうことはないからである」

懇親会も現場の長らの祝福などで和やかな雰囲気で終わり、いい気分で電車に揺られている時に携帯電話が鳴り出した。何と「卒業作品の行方」編で登場したゴリ橋先生だったのである。混んでいる電車内だったので一旦保留にし、最寄り駅で降りてから慌てて折り返し発信した。まだ夜の9時前だったから自宅にかけても大丈夫だろうと思ったのだ。雑踏の中、やけに聞こえにくい状況で再び40年ぶりのゴリ橋先生と通話したのだった。「もしもーし、あ、磯辺くん?この前話していた木彫りさ、持ってきたから、4日10時にTD小学校に持っていくよ。それでいいかなー。TD小の場所分かる?」(へっ?いきなり明後日?小学校?もう10年以上前にお辞めになってるはずなんだが。)「は、ははい、大丈夫です。4日10時にTD小学校ですね。ウチの近くなんです。子供も通ってたんでよく分かります」「荷物はダンボール2箱だから。じゃねー、どうもねー」「はははい、お手数かけますが、よろしくお願いします

雑音の中での携帯通話の苦手な私は、懇親会の後のこともあって瞬間的に頭が働かず、後々色々と「抜かり」があったことが気になった。「連絡用の携帯番号を聞かなかったこと」「小学校のどの門で待ち合わせるのか?」「ダンボールの大きさは?中身の状態は?」「そもそも何でこんなに急なのか?」元々木彫り作品集は私が一旦引き取るつもりだったのだが、いざ先生とコンタクトを取るときは40年ぶりということもあり、来れる人には声を掛けようと思っていたのだ。「(山男って気が早いんだな)」苦笑しながら、メールやメッセージなどを送れる数人にそのことを伝えたが、あいにく来れる人はこれまた40年ぶりに会うテーラ(仮称)ただ一人だった。(ま、それでもまだマシな方か・・・)学校敷地内は許可なく車で進入できないので、早めに行って門の前で待つべく妻にも付き合ってもらった。

正門は閉まっており、大きいのは西門、駐車場などがあるのは南門である。私達は10分くらい前に西門の前で車を停めていた。「取りあえず、周辺にいないか回ってくるよ」私は敷地内に入り、グランドや駐車場、南門などそれらしき人がいないか探して回った。すると10時ぴったりに妻から携帯が鳴り「何か門の前に車が1台停まったよ。ちょっと怪しげだけど・・・」慌てて走って戻ると、反対車線側に車がハザードランプを点けて停まっており、中からマスク姿の小柄な男が出てきた。その人こそがテーラだったのである。我々は昔を懐かしみ、しばらく近況を話しあっていた。「そろそろ先生も来る頃かな」心待ちにしていたが、待てども待てどもそれらしき車の姿も現れない・・・10分たってまた周囲を歩いて探し回った。そして15分くらいたって「変だなー。携帯の番号聞かなかったから向こうからの連絡待つしかないや」

念のため聞いていた先生の自宅に電話をかけてみたが不在。。。そのうちに妻がいぶかしんで「ちゃんと場所と時間確認したの?あなた、飲んでたけど・・・勘違いじゃないよね」そう言われると「激励の言葉」じゃないが、一抹の違和感を感じざるを得なかった。そもそも何でこんなに急に持ってきてくれるのか?しかもTD小という場所は一体何ゆえか?私は会社員と言ったから土日なのは確かだろう。4日と確かに聞いたつもりだったが、来月じゃないよな。8日は平日だもんな。しかし確かに騒音の中でやたらに聞き難かったのは確かだから、どこかで聞き違えているかもしれない。「先生の家、どこだっけ?」「WUだけど、どの辺かな。自宅電話はアルバムと同じなんだよ。」「だったらこちらから行ってもよかったな。」「なー、先生んちの近くにFG小学校ってのがあるぞ。何かTD小と響きが似てねえか?」テーラがスマホの地図アプリを駆使して色々と調べてくれた。

「すまん、オレちょっとこの後用事があるから・・・」「こちらこそごめん。こお結末はまた必ず連絡するから。」テーラは車を出して行った。近所のスーパーに買い物に行ってきた妻は「もしかして11時の聞き違いかもしれないから、それまで待ってみたら」うーむ。。。そんなはずはないんだが、完全に自信を無くして言われた通りに運転席に座っていた。「悪いな、時間無駄にさせちゃってさ・・・」がっかりして車のエンジンをかけたのが11時15分だった。さて、困ったぞ。この後、悪友たちと怪獣酒場&アニソン特撮縛りのカラオケでスパークする約束になっている。マメに自宅に電話をして、確認するしかないな。「(あー、もう、オレってこういうの向いてないのかもなー)」テーラには悪いことをしてしまったが、もし声掛けした人が皆来てしまってたらエラいことになってた。。。うー、気が重い。電話で謝っても「お前は相変わらず人の話をちゃんと聞いてないなー」と言われるだろな。昼を過ぎたくらいに突然、謎の発信番号からの着信音が鳴った。「んっ?もしかして・・・!」出てみたら、まさしくゴリ橋先生だった。「先生、すいませーん、ボク時間と場所間違えました?TD小の門でずーっと待ってたんですけど」「あー、そうか、ごめんごめーん。ちゃんと伝えなかったのがいけないな。いやー、ホント悪い」「10時にTD小で合ってます?」「いいんだよ、いいんだよ、それで。今どこ?」「諦めて一旦家に帰ってきたんですけど、先生は今どちらですか?」「TD小だよ。職員室で待ってたんだけどね」私は電撃に打たれた気分だった。まさかそんなことは想像もしなかった・・・と、同時になぜいくら待っても現れなかったのか?電話もくれなかったのか閃いた。たまたま待ち合わせに選んだのではなく、自分の仕事のついでだったのである。「い、今から10分くらいで着くので、行ってもいいですか?」「おー、南門のところね。開けて待ってるよ」ホッとしたと同時に背中にどっぷり汗をかいていた。

待ち合わせに間に合わなくなるから、そのまま駅まで送ってもらえるようにして、再び妻に付き合ってもらった。およそ2時間遅れだったが、無事に息子の通った小学校の門で40年ぶりの再会を果たし、がっちり握手したのだった。「突然だったので、誰も都合つかなくて・・・テーラが来てくれたんですけど。」「そりゃー、ホントに悪いことしたな」妻はダンボールを運ぶのを手伝いながら「この人、昔から人の言うことあまり聞かなかったんですよね」「ちゃんと合ってたじゃんかよ」「そうそう、ボクがちゃんと言わなかったのがいけないんだよ。『先生も年だからボケちゃって』って言っといてよ」ダンボールを開けて中身の様子を見た。「ちょっと誰のかは分からないだろ?でも皆の記念だから持ち主に配ってあげたいよねえ。」「40年もたつと連絡取るのすら大変ですけどね。何とか気長に探しますよ」「おー、これでオレも肩の荷が下りたかな」私は先生のこの一言でそれまでの全ての憔悴が吹っ飛んだのだった。

家へ帰って、とりあえず中身を取り出して並べてみた。日当たりの状態にもよるのか、中には劣化の激しいものがあるが、それぞれの特徴くらいは分かる。ただ残念ながら名前やイニシアルなど持ち主が特定できるような印はどこにも見当たらなかった。さてこれからどうしたものか・・・?取りあえず高齢となった先生の気掛かりは解消できたので、一段落なのだが持ち主が分からんのに、わざわざ集まる人がいるだろうか?このまま放っておくのはちょっと不人情だ。色々考えたあげく、連絡の取れる人、連絡先を知っている人に中継してもらうためのメッセージを作ることにした。幸いゴリ橋先生は我が家の近くにいらっしゃるときが定期的にあるので、いつでも集合できるし木彫りも持って行ける。メッセージリレーが拡大して反響が大きければ何かイベントを考えても良いし、そうでなければ放っておいてもよい。先生に会いたい人には連絡がつけるようにすればよい。
ま、私の役目はひととおりこんなところでよいだろうかな。

    

「皆さん こんにちは。19xx年○ス●小学校6年X組卒業の磯辺太郎です。
今年で卒業X0年、もうお忘れの方も多いかと思いますが、卒業に際し記念に一人一つ木彫りを作成して塔を作りましたね。○小の校庭に記念としてありましたが、老朽化したため数年前に有志や当時の担任の先生により解体され、我々の作品はゴリ橋先生が保管して下さっていました。この度、今年7X歳になる先生と連絡をとり、6年X組の木彫りを引き取りました。せっかくなので皆さんにお配りしたいのですが、残念ながら一部を除いては持ち主が分からないものばかりです。ゴリ橋先生は今、第△、第▽土曜日にTD小学校で施設管理の仕事をなさっており、我が家からすぐの距離なので、了解いただけたならTD小に集合し、久闊を叙す提案もしてみようかと思います。ちなみに先生のご連絡先は卒業アルバム記載のままです。
賛同いただける方、もっとよいアイディアのある方、何でもよいのでこのメッセージを受け取った方は下記に連絡をいただけると嬉しいです。
「連絡用メールアドレス」
先生はさすがにお年を召しましたがとても元気そうでした。卒業作品と今の先生(と私)の写真をお送りします。ご自分の木彫りがどれか分かりますか?
なお、このメッセージは直接お送りするか、信頼できる○小OBに中継して頂いております。別ルートから複数メールが届いてしまうかもしれませんが、悪しからずご了承ねがいますね。また6年X組で連絡の取れる人にリレーしてもらえるとありがたいです。
では、ご縁があったら再会できる日を楽しみにしています。」

卒業作品の行方

2017-02-09 21:12:33 | 昭和
2月5日はニコニコということで「笑顔の日」ということだ。奇しくも私は年に数回設ける「母とのプチ旅行」の日だった。距離や所要時間、移動方法、費用などから伊豆方面が多いが、ポイントは「自分が訪れたことがない地」ということである。この辺りに多分に私の都合が入りこんでいる。今回は西伊豆の「金山」で有名な温泉地が目的地だった。スーパー銭湯に行く時間くらいに迎えに実家に迎えに行く際、私は一つのことを忘れないように気を付けていた。小学校の卒業アルバムを回収してくることである。今まで気にも留めていなかったのだが、ひょんなことから卒業して○十年、キリのいい年に、とあることに動きだそうかなと考えていたからだ。きっかけは友人がはるか昔の担任の先生宅にお邪魔したという記事を見たことだった。小学校時代だから数十年前、しかもクラスが違うからむろん、かの先生は私のことなど記憶しているわけもない。怖いおばさん先生だったが、通学路にお宅があって今もそこで健全ということもあり何か親近感を持っていた。

     

もう完全に忘れていたのだが、6年生の時に卒業記念製作品ということで、一人ずつ木片に顔の彫刻を彫って低いトーテムのような塔を形作った。校庭の一角にクラス毎にあったのだが、数十年の歳月に劣化も進み、子供がいるところで倒壊する危険があるということで解体が決まったのが数年前、当時の担任の先生と卒業生有志が集まって解体作業を手伝ったらしいのである。ただ残念ながら昨今個人情報のセキュリティポリシーも厳しい中、もう数十年も経つ卒業生の連絡を取るだけでも困難を極め、平日ということもあって参加できたのはわずか数人だったということだった。かくいう私も久闊を叙するのが楽しみな人がいたのだが、珍しく仕事の都合がつかず参加できなかった。卒業生よりも当時の担任の先生の方が気を使って集まってくれ、しかも解体した児童の作品は丁寧に担任ごとに保管いてくれていると聞いて密かに心を痛めていた。

        

ぶっちゃけ忘れていたことに興味は無かったのだが、「処分するのは簡単なのに、それを いつか卒業生に渡したいと思って 大切に保管して下さっている先生の気持ちを考えると、行動に移すのが遅いくらい・・・」という知人の言葉に雷撃を食らったように心を打たれ、「柄でもないが、何かやらなきゃいかんわな」とずーっと気になっていた。「我が組も何かしたいんだけど、どーしたもんじゃろねえ」みたいに便りしたら、間髪なく「協力するから、がんばって!」みたいな励ましとともに我らが担任のゴリ橋先生(仮称)の連絡先を伝えてきてくれた。「(だからさー、オレはキミみたいな行動力ないんだよ・・・・)」と苦笑しながら「義を見てせざるは勇なきなり」とぐずぐず迷っていた。そしてふと思いつき、箱根峠に向かう赤いライオン号で母親にそんな話をしてみたのである。小学生くらいなら意外と親つながりもあると思ったのだが、老人特有の「最近のことは忘れてばかりだが、昔のことは鮮明に覚えている」現象が現れ、名前しか覚えていない当時のクラスの女子のお母さんと連絡がとれるという。

ホテルに入ってひとっ風呂浴び、夕食時間までゆっくりビールを飲みながら小学校の卒業アルバムを見ていた。母の記憶も驚くべきもので、「あの黒い顔した先生、いい先生だったよねえ」などと言いつつも、他のクラスの(主に女子が多かったが)人も色々と「親つながり」があることを吐露した。部屋から眼下に広がる駿河湾を眺めながら、「今日はニコニコの日だったよな。これも何かの御縁か・・・」40年ぶりに担任の先生に電話など、気弱な私には考えられないような所業だが、何かが私を後押ししてくれ、母の目の前で教えてもらった電話番号をダイヤルしたのである。呼び出し音が長く続く間、好きな女子の家に電話をかけるようなドキドキ恐怖感みたいなものが走ったが、やがて開き直り、「出なきゃ、それまでの縁ということだよな」と待っていたら、やがて女性が応答してくれた。「な、な、なんと、つながっちゃったた・・・!

「ゴリ橋さんのお宅でいらっしゃいますか?あ、あのーぅ、私怪しいものじゃないんですけど(っていきなり怪しさMAXか?!)、○十年前に●スカ小学校6年□組でゴリ橋先生にお世話になった磯辺太郎という・・・」「あー、今本人と代わりますね」「もしもーし、おーっ、磯辺クンか、久しぶりだねえ」「先生、お声は変わりないですねー。お元気ですか。もう○十年になるんですよ」卒業制作品が数年前取り壊されたこと、それを先生に預かってもらっていると聞いたこと、これを引き取るとともによろしければ何人かでご挨拶とお礼に伺いたいことなど、不思議に淀みなく口にできた。「あー、あれは今、信州の実家にあってね。もう無人だからどうなってるか見に行ってくるよ。それまで待ってくれないかな。もうクラスメイトには声をかけたのかい?」「今、卒業アルバム持って電話してるんですけど、これから心当たりに連絡するつもりです」「オレももう年だからさー。雪道の運転はキツいんで暖かくなってからにしてくれると助かるよ」「ちなみに先生、失礼ですけどおいくつになられたんですか?」「いくつだと思う?」私は真っ黒な顔した山男だった先生を思い出して瞬間的に「●0歳くらい?」と聞くと「●2だよ。」自分の電話番号を伝えて、モノの状態が分かったら連絡する約束をしてくれた。

小学生の時は無邪気に「女子はオレ達よりも勉強ができる」と信じていた。ノートの字もきれいだし、宿題も忘れずにちゃんとやってくる。高学年になると塾に行ったり家庭教師がいる子や「私立中学」(なんて当時は別宇宙のようなもの)を受験する女子もいた。5年生とときの担任はやたらに勉学のことばかり厳しく煽って閉口したが、山男のゴリ橋先生はあまり勉強勉強とうるさく言わないので好きだった。逆に体育でやる運動系は何でもできた私は特に得意の球技などで、はしゃいでいると「ひとりで何でもやろうとするな!」とよく窘められた。○十年ぶりに電話でお話ししながら、断片的だが鮮明に思い出したこともあった。体育館がまだ無かった我々の小学校では青空卒業式の予定だったのだが、雨が降ってしまい、各々の教室で校長先生のお話を放送で聞き、スピーカーから流れる伴奏で「蛍の光」を歌ったのだった。卒業証書は担任の先生から受け取ったのだが、ゴリ橋先生は▽里クンのところで感極まって涙を流したのだった。

アルバムを見ながらそんなことを思い出していたら、不思議な達成感が沸いてきて、この話を連絡の取れる元クラスメイトなど(と言っても数少ないが)にメッセージやメールで送ってみたのである。他の組のように行動力溢れるしっかりした幹事役がクラス会まで企画しているのには遠く及ばないが、とりあえず気にしてくれているのに「いつまでも放置」状態は脱せそうだ。木彫り製作品は全部で40個あまり、保管状態もよくなく、持ち主も分からぬただのガラクタかもしれないから、誰も興味を示さなければ「まずは自分ひとりで引き取ってくるかな」と考えていたが、何人かは少なくとも「先生に会いたい」とは返してくれた。写真ではよく分からないが、遺跡のようにも見えるから、我が家のウッドデッキ部にでも貼り付け、観賞用に作り変えてしまってもよいかな。また今は違法かもしれないが、浜辺で盛大にキャンプファイヤーという手もある。

先生は何と我が家と同じ市内に在住だという。もし木彫りに持ち主が誰か分かる印があるとすれば、記念のモノだからやはりできるだけ持ち主に返ることを望むだろう。我が家に飾っておいて、気長に持ち主と連絡を試み続けるというのも構わないが、昨今はお互いに知人であって共通の知人に対してさえ本人の同意なしで連絡先など個人情報を押せるのはNGだから、こちらの意図を伝えるだけでも難航を極めそうだ。先生の連絡先はよく見ると卒業アルバムに載っている住所録と同じだったから、持ち主に対して教えるのはセーフ。私は連絡した数人には「連絡してあげると喜ぶよ」とこれを伝えておいた。色々な方面でこの話題が飛び交い、網が広がっていくことを期待したのである。クラスメイトに当時一番の人気者で、某結婚式場に勤務するヤツがいて、メールを送ったら「ぜひ協力したい」と返してくれた。私達の披露宴にも悪友に混ぜて出席していたが、寄せ書きのメッセージには「この裏切者!」と書いてあった。可能性は限りなく低いが、結構大きな規模で人数を集めて先生を囲めるならば、ここを会場にし木彫り配付ができたらいいなと思った。

我らが世代の怪獣感謝祭

2016-07-14 06:02:57 | 昭和
ここ数週間、以前紹介した「ディープでダークな」ウルトラの会メンバが盛んにメールが飛び交っている。ウルトラマン50周年記念「怪獣大感謝祭」が迫ってきたためである。放映されるのはなんとNHKBSプレミアム・・・お堅いイメージのNHKは普通だったら「特撮と時代の変遷」みたいな社会現象のような扱い方をしそうなものなのに、50年にわたる(正しくは最初の6兄弟までだけど)ウルトラヒーローの歴史のみを番組で綴るというのは驚きである。しかも今回は視聴者に好きなウルトラ怪獣と名作と思う作品を事前投票させてランキングの結果発表するという、AKB48の総選挙ばりのニクい演出がついている。6月中旬に中間発表の番組があって上位20位までを固定し、最終投票させその結果は本番の「怪獣大感謝祭」で発表するという念の入れ方だ。ダークウルトラの隊員達からは「ちなみに、私は1回目同様に怪獣は「カネゴン」、名作はウルトラマンの「故郷は地球(ジャミラの回)」に投票しました。Byハヤタ」「普段、仕事をしているふりをして「怪獣大感謝祭」の投票ページなどを開き、D・ウルトラチームメンバーには誰もゼットン推しがいないのか〜等を考えながら可能な限り真面目な顔を作り眺めております。by幽霊隊員」

中間発表番組が放映されると・・・「隊員皆様 昨日のNHK「怪獣大感謝祭」の中間発表はご覧になりましたでしょうか?なるほどといった内容が選択されていましたね。(一部、タロウやレオでは未見のものも多かったです)byハヤタ」かく言う私は新人見習い隊員らしく「中間発表の情報ありがとうございました。私もギリギリでしたが、『キングジョー』『V3から来た男』に投票しました。(たぶん「市場最大・・・」「超兵器・・・」はそのまま入るとおもったので)大人の苦さを持つ作品が多かったんですね。帰マンの「怪獣使いと少年」はメビウスの代になっての続編の方が味わい深いかもしれません。」怪獣投票の中間発表ではウルトラQがカネゴンとケムール人、ウルトラマンはさすが怪獣シリーズの元祖でバルタン、ピグモンをはじめ9人(体?)、私が愛してやまないセブンは3人、帰マンが2人、エースも2人、タロウはタイラント1ひとり、レオに至ってはかなりマイナーなノーバで終わった・・・

本番、怪獣大感謝祭のウルトラ怪獣投票は以上20人のノミネートされた(レコ大か?!)怪獣から8人を絞り出し、トーナメント形式で視聴者からの投票を紙相撲対決スタイルで進められていく。バルタン対メトロンは有名星人対決だったし、我らが宇宙ロボットは決勝まで勝ち進んだゴモラに残念ながら敗退・・・宇宙恐竜と友好珍獣の紙相撲対決はいくらなんでもハンデあり過ぎじゃないの?!さて古代怪獣ゴモラが栄えある第一位に輝いた要因は恐らくその幅広い年代に渡る登場回数であろう。恐らくウルトラシリーズで一番多いのではないか?(もしかしてバルタンかな)ウルトラ兄弟シリーズでは確か初代マンでの登場のみだったが、その後のパワードにもマックス、メビウスにも登場した。カードゲームになった大怪獣バトルではメインキャラとなり、最近のウルトラマンXではサイバースタイルと、元々の元祖典型的な怪獣から人間の味方、サイバーモンスター、そしてウルトラマンのアーマーと様々な姿で幅広い視聴者の支持層を得たのだろう。(まるで参議院選挙のようだ・・・)

怪獣は少しでもウルトラに触れた者ならば女性でも知っている有名どころばかりだったが、注目は「名作回」の投票だ。ウルトラシリーズへの思いと記憶が鮮やかに蘇る部門だ。Qはやはりカネゴン、初代マンもまたバルタン、ピグモンをはじめ6作品、セブンはさすが名作品が並び5作品、帰マンは4作品、エースは最終回のみ、タロウも最終回とウルトラ6兄弟そろい踏みの回のみ、レオへの投票は凄まじく「防衛チームが全滅してしまう」回だった。嬉しいことに(当然とも言いたいが)このサイトのモデルにもなっているセブンの「超兵器R1号」もノミネートされていた。それぞれの作品の紹介は世に山ほどある「ウルトラを語るサイト」にお任せすることとして、私なりに今回の名作品に選ばれた20タイトルを分類、考察すると・・・

「最終回」・・・ウルトラ戦士が戦いクライマックスを終え故郷に帰っていく回は誰もが強い印象と感動をもって見ていたはずである。帰マンは再びゼットンが登場したが、ちょっと話が唐突で二番煎じ感が拭えなかったのが落選の要因だろう。
「ウルトラ兄弟登場」・・・シリーズ後半は少し安っぽく登場してしまうが、当代のヒーローがピンチの際に以前のウルトラ戦士が現れるのはものすごく新鮮に感じたものだ。
「怪獣の世界」・・・愛嬌のある怪獣カネゴン、ピグモン、哀愁漂うシーボーズ、これぞ怪獣!というレッドキングやらチャンドラーらのそろい踏みなど、登場する怪獣のインパクトや豪華メンバーの回に票が集まったようだ。恐らここまではく一般的な「ウルトラシリーズを知る」女性から大人、最新シリーズを見る子供達の票が多数あったのだろう。

       

しかし投票者の中に、家族でテレビを見ながら妻をして「こんな会話ができる父子って町内に何人いるかしら?」とつぶやかせるような一定レベルのウルトラファンがかなりの割合で混ざっていて、語りだしたら一晩でも話せるような、それでも結構有名な作品が残る。
「ディープな世界」・・・当時の社会の風刺、未来の予見、人間の業など、とにかく考えさせられる作品で、文句なくセブンに多い。しかし息子甘辛に言わせると帰マンには「11月の傑作群」というのがあり、やたらディープな作品が続くというのだ。帰マンのエントリー2作品がまさしくそれだった。(ちょっとやり切れない話もある)「シュールな世界」・・・特定シーンのインパクトと言ってもよい。我が父子をもってしてもこのタイトルが「名作20」に入るとは予想できなかった。円盤生物によってMAC(地球防衛チーム)が全滅、隊長のモロボシ・ダンが行方不明になるのは衝撃的だったが、セブンの「第4惑星の悪夢」にはなんと、怪獣が出てこない・・・
そして本番における名作回投票第一位は我が父子の予想と期待通りウルトラセブンの最終回「史上最大の侵略(後編)」である。マンの最終回は番組中に放映されたが、その他選ばれた名作集は今後毎週1作ずつBSプレミアムで放映されるというからNHK様は素晴らしい。

             

名作ベスト10にはむろんこのブログのタイトルにもある「超兵器R1号」も選ばれていた。少し意外なものもあったが、概ね想定内の結果だ。そして息子とわいわい語り合いながらテレビにくぎ付けとなった3時間だったが、心地よ酔いが回ってくるにつれ、不思議な考えが浮かんだ。今回取り上げたウルトラシリーズは50年前からの約10年間、我々の世代は幼年/少年期くらいで再放送も含めると「どこまで湘南?」論議における茅ヶ崎のように「どんずば」ハマっている。名作として投票した「今」は誰もが分別良識ある大人になっており、作品ベスト10は当時の作品に込められた「幼児・小学生に分かるとは思えない」高尚なメッセージを「大人になって」察知した結果が現れているように思う。息子甘辛のように幼い時から父にこのメッセージ性を叩き込まれた者もいるが、当時制作者の「大人」が子供であった私達に何かを伝える(理解される)ために作ったとは思えないのに、あれらの名作は基本「我々の世代だけのためのものである」という感じがするのである。幼い年齢では物語の深さを全部理解できるわけもないが、「R1号の恐ろしさ」「真市少年の叫び(ノンマルトの使者)」「ジャミラの悲しみ」・・・は間違いなく何かを感じていて、それが数十年の時を経てメッセージとして昇華した(これは若い人に反論があろうが)のだと思う。小さい頃から息子を洗脳したおかげで、青年になった今、「あの素晴らしさ」を語り合えるのは嬉しいことだが、彼には彼の世代だけのためのヒーローたるものがあるんだと思う。ウルトラマン50周年を迎え、この手の興奮が(ただ一人このサイトで?)しばらく続くのが楽しみだ。

ディープでダークなウルトラの会

2016-05-21 18:01:40 | 昭和
今の職場ではとあるメンバーの情報交換会とされる催しがある。言ってみれば同業者「寄合」みたいなもので、四半期に1回くらいのペースで定例会が開催される。コンサルティング会社が幹事となり、各社の代表が「寄り合って」自社の事業状況やトピックス、その場で議論したいテーマなどを発表する。メンバーはその事業の責任者や以前から携わっていた重鎮、社長自らが出席することもある。私も役柄からそのような場所にも足を運ぶが、年代が上の方々ばかりなので前任と交代してデビューしてから多少なりとも窮屈さは感じていた。ただ2年近くメンバとして出席していると、それぞれ顔馴染みにもなり、懇親会などで気楽に話をして少しずつ仲良くなり、ようやく最近はそこそこちゃんとした意見も言えるようになり(まるで小学生みたいだ)、堅苦しくしていた外見も多少「遊び」」を持ち込むようになってきた。クリスマス前にはド派手サンタのネクタイをして行ったり、ウルトラマンスタンを集めて購入したピンバッチをコートに刺して行ったり・・・



4月になって新年度の定例会が東京で開催されたが、時節柄何社かはメンバーが異動などで変わっており、会議前の名刺交換を終えて、冒頭新メンバーは簡単な自己紹介をしていた。社ごとにほぼ毎回席次は決まっており、私の隣は某航空会社系列の会社の物静かで紳士的な社長が座って、色々と親切に教えてくださったのだが、一転してバリバリのキャリアウーマン風の女性エグゼクティブ・・・自己紹介では以前は「客室乗務員の指導責任者」をしていたと言うから私はガチガチに凝り固まってしまった。各社の近況発表で自分の順番になり「○●の磯辺でございます。お隣が『CAの教官』と聞いて『態度が悪い』とか『言葉使いがなってない』とか指摘されたらどうしようかと、怖くて全然打ち合わせに集中できませんで・・・」場内の重鎮方はゲラゲラ笑っていたが、別に場を和まそうとしたのではなく、自分自身をリラックスさせるために口にしたのである。確かにそれまではクラスの卒業写真の最前列のように「こぶしを膝に置いた」状態が続いてヘトヘトになっていた。。。

休憩時間になり、トイレに行って電話を一本入れて会議室に帰ってきたら、昔クラスにいたいじめっこ女子みたいな2人に「ちょっとこっち来なさいよ」的調子(むろん言ってません)で呼び止められた。「磯辺さん、それMATですよね。前から知ってたんですよ、この前は科特隊のバッチ着けてましたよね」いかにも(もう逃げられないわよ)的ににやーっと笑いかけたのはリーダ格の人だった。私は開き直って不敵に笑い・・・「ふ、ふ、ふふふ。実はネクタイもバルタンだったりして・・・」「あーっ、ホントだー!こんな渋いヤツ、どこに売ってるんですか?」「洋服の青山がコラボしたんです。ピンに至っては自作です」「へーえ、前から気になってたのよねー。実は●○社長のお声がけで『ダークなウルトラの会』ってのをやってるんですよ。私はアンヌ、彼女は『フジ隊員』を名乗ってます。じゃまた、懇親会で誘いますからねー」サザエさんで言ったら間違いなく「花沢さん」格だろうな思うアンヌ隊員を名乗る某社事業部長はからから笑って席に戻っていった。ちなみにフジ隊員は前回からの参加で「怪獣酒場」デビューしたという、その会合のアシスタント幹事である。



懇親会では早速ダークウルトラの会の主催者?某社の●○社長が隣にやってきた。「ボクは『ダン』を名乗ってます。まずは5月○日に女子隊員2名も加えて皆でカラオケに行くんで来てくださいよ。ウルトラセブンがお好きとか?何ならダン隊員の名前はお譲りしてもいいですよ。ボクたちはマイティジャック、サンダーバード、スターウォーズ方面も大好きで、特撮、アニメ何でも歓迎です」「ははあ。参加させてもらうとすれば、見習いのホシノ隊員で行きましょうかね。。。」私よりも年長者が多そうなのでその時は遠慮気味に笑ってごまかしたのだが、数日たってそれらしき案内のメールがやってきた。寄合で私の知るの人はダン社長とアンヌ、フジ両隊員だが、他のメンバーはそれぞれ一斉メールで「ハヤタ○△です」「ブレインズ◆◇です」「エキゾスカウト■□」とニックネームを前につけて名乗っていた。ダン社長は「隊長」と呼ばれ、連絡や店の手配など幹事役を引き受けているらしい。シグニチャーを見ていると何かいかにも「エグゼクティブ」たちのダークなディープな会に見えてきた。「(まさか仮面を着けて来いとは言わぬだろうが・・・どうしたもんじゃろのぉ)」と思案していたが、次に具体的な場所と時間を案内されてきた時、メールタイトルがいつの間にか「ホシノ磯辺隊員歓迎会」と変わってしまっていた。(じぇじぇじぇ、びっくりぽんや)

会場は食事○品飲み放題付、持ち込みのレーザーディスクも使用できるという、新橋のとある豪華カラオケ室だった。新人の見習い隊員が遅刻するわけにはいかぬので、集合時間の15分くらい前に店に行ったら既にアンヌとブレインズ以外はロビーに集まっていた。ちょっと挨拶を交わしているとフジ隊員が「あれれー、今日はMATじゃないんですか?!」(彼女は実はあまり詳しくない様子だ)「今日はネクタイがメインですから・・・」すかさず初対面のハヤタ隊員が「さすが!それダダですね。人間標本・・・・」「5・6」私は扉を開く合言葉のように続けた。ちょっと狭苦しい部屋に案内され、めいめい席に着くと早速初対面の人たちが「こんな場所で何なんですけど」と苦笑いしながら名刺を差し出してきた。やはりこのあたりは「(昭和なんだなー)」と感じたが、ハヤタ隊員などは某名門デパートの重役のようだった。その後乾杯して簡単な自己紹介となったが、先陣を切ったダン隊長は私に「ダン」の称号を譲り改めて「キリヤマ」を名乗ると宣言した。(別に頂くとは言ってないのだが・・・)

私が次に自己紹介するとその後のメンバーは年齢差分と自分の好む分野を披露した(ニックネームを見れば分かるよ・・・)。皆、昭和のジェントルマンで女性隊員2名はカラオケ初参加だったのでさすがに最初は大人しくしていたが、ハヤタ隊員がお土産にウルトラマンスタンプラリーの景品ステッカーをフジ、アンヌ両隊員にプレゼントしたら、「ねえねえ磯辺さん、兄弟と撮った写真見せてよ。」と言い出した。私はスマホに入っている例の「掲載不可」写真を取り出すと場内は一気に湧き上がったのだ。「じゃー、そろそろカラオケいきますか!」残念ながら体調を悪くしているフジ隊員が退場しダン隊長は迷わず「マジンガーZ」を歌いだした。実は彼に「特撮・アニメで好きな歌、2,3チョイスしておいて」と事前に言われて私はあれこれ考えていた。年代がほぼ似ているから大抵のものは知っているだろうが、ウルトラシリーズをとってみても「初代マンのような誰でも知っている平凡なモノではなく、かといってディープ過ぎて誰も知らないレア物でもなく・・・」デビュー戦でメンバの水準もしらないし、いきなりぶっ飛ばしてドン引きされないような絶妙な選曲、私は前夜妻と一緒に昔のヒーロー特撮のビデオを色々おさらいしてとりあえず3曲頭に入れておいた。



ところが(マイティジャックの)エキゾスカウト隊員が入れて画面に現れたカラオケ大会第1号のタイトルを見てぶったまげてしまった。「ウルトラ六兄弟」、まさに私が2番目に歌おうと考えていたモノだったのである。うーむ、このメンバは侮れない。。。というか、いきなり全力モードでも全然問題ないかもしれないぞ。次のハヤタ隊員が入れた「アイアンキング」で私の憶測は確信的なものとなった。さらに年齢が少しだけ下のアンヌ隊員がマイクをつかんだ時に流れた曲は「魔女っ子メグちゃん」、私は挨拶代わりに「キャプテン・ハーロック」、その後「チキチキマシン猛レース」、「マッハGOGOGO」と続いた。「マッハバロン」「仮面の忍者赤影」「バビル2世」「海のトリトン」誰が入れていたか分からなくなるくらいの勢いだったが序盤は比較的メジャーなタイトルが次々に現れ、ちょっとした「ジャブの応酬」という感じで皆で合唱し懇親を深めていった。昨年、水木一郎&堀江美都子+串田アキラさんのアニソンに浸った経験からこのあたりは画面を見なくても1番くらいは造作なかった。

中盤に差し掛かり、自分では中々思いつかないレアもので「うわーっ、こんなのあったよねえ!」と場内を沸かせる「ちょっとマイナー系」に走るきっかけを作ったのはアンヌ隊員の「スーパースリー」だった。ハヤタ隊員は「スーパージェッター」、ブレインズは(実は当初こちらがオープニングだった)科学忍者隊の「倒せ!ギャラクター」、エキゾスカウト隊員は「新造人間キャシャーン」を入れてきた。「太陽戦隊サンバルカン」「大戦隊ゴーグルファイブ」ときたので私は「仮面ライダーX」と続けた。(ちょっとメジャー過ぎるけど)このあたりで気付いたのだが、皆がすごいところは選曲用タブレット端末にタイトルを直接打ち込んでエントリーしているのである。私(もしかして皆もそう?)は普段カラオケなど行かないので使い方が分からなかっただけだが、ジャンル別の一覧となっている昔のカタログ方式だったらいくらでも選曲できたのに、自身の頭にタイトルを思い浮かべるのは想像以上に困難だった。酒が十分に入っていつもの切れがない頭に浮かんだ「ちょっとレア」なタイトルは「ミクロイドS」「ゼロテスター」「海底少年マリン」くらいだった。(まだまだ浅いね)

延長を重ねた終盤はそれぞれ自身のお気に入りを皆で歌う合唱の場となっていた。マイティジャック、帰ってきたウルトラマン、サンダーバード、キャプテンウルトラ・・・子供の頃夢中となったヒーローがディープでダークな夜を締めくくったのだった。休日を挟んだ数日後、たくさんの「お疲れメール」が飛び交った。「あんな、盛り上がったカラオケは初めてでした・・・」「冨田さんの訃報に愕然、追悼にたくさん歌いましたね」「次回は『ダークウルトラの会西へ』ということで・・・」「元祖怪獣酒場(大阪)、5月に閉店!この機会に特撮・アニソン夏の陣というのは?」「シン・ゴジラの会は7/29でしたっけ?」どうやら次回もやる気満々の様子である。今回は普段なじみのないカラオケの様子が全然分からずにぶっつけ本番だったが、次はもう少しダークな路線でポイントを稼ごうと思う。悪友にこの手のシリーズが得意な者がいるので、事前に「特撮・アニソン縛り」のカラオケ練習会を催して、万全を期そうと狙っているところだ。


目指せ、本郷猛!

2016-04-01 23:13:02 | 昭和
血圧レコーディング作戦を開始してから早10日。。。実はかの記事をアップした前日から測定そのものは始めていた。夜就寝直前と朝起床直後なのだが、やはり天気予報でいうと注意報と警報の間くらいの「警戒領域」にどっぷり入ってしまっていた。高血圧症になるいくつかの要因のうち、仕事上や家庭生活上のストレス、運動不足、また別の疾患などの心配はないと思われるので、ターゲットはずばり「塩分」となる。これに関してはどちらかというと、「以前よりも悪化してるよなー」と感じ、家での料理でも塩分を少なくしてくれるように妻に相談もした。実は自分のことを気にしだして気付いたのだが、息子甘辛は若いからかすこぶる「塩辛いモノ・濃い味」好きだったのである。妻はタイミングよく「サタプラ」なるテレビ番組で「血圧降下の効果のあった食品」を見たらしく、(当人がこの食品構成に気に入ったようなのだが)毎日摂ろうと言い出した。。「酢しょうが」なる食品でタレントの小堺一機さんがその効能を絶賛し、毎日口にしているそうだ。

「ダイエットにも減塩にも血管老化防止にも絶大な効果らしいよ」しょうがをみじん切りにして、黒酢とはちみつに漬け込むそうで「漬ける」と聞いて私は拒否反応を示したが妻が歓迎反応を示した。まあ私が食べられない本来の発酵漬物ではないからと半信半疑でスーパーに材料を買いに行ったら何と、しょうが、黒酢、はちみつの棚だけ見事に一つも売り切れてなくなっている・・・!テレビの威力とはすごいもので、あっという間に紹介されたモノがスーパーの商品棚から姿を消すという、やらせで問題となった「あるある大事典」でも発生した現象のようだ。「こりゃー、しばらく揃わねえかもな・・・」妙なものを食わされないように内心ホッとしていたのだが、妻は粘り強くどこかで入手してきたらしく翌々日には冷蔵庫にそれらしき「粒入りのタレ」のようなものがタッパーに出来上がっていた。元々しょうが好きの妻の好む味だったらしく、「サラダ、とうふ、ワカメにかけると美味しいよ。パスタやご飯でもイケると思う」ということだった。こちらは酢の物をあまり好まない私だが、とりあえず恐る恐るスプーンでじかに口に入れると・・・みじん切りのしょうがはモロにそのものの味だったが、はちみつが酢のきつい風味(元々黒酢だから優しい?)を抑えてくれるのか、美味くはないものの「ぐっ・・・うぇ」といわけでもない。この味だと、とうふ、オニオンスライス、ワカメなどにかけて食べればイケそうな気がした。

    

週末に部活がなくなって暇そうにしている息子甘辛と映画を見に行った。少し前の「ウルトラマンX(エックス)」に続き、「仮面ライダー1号」である。ウルトラマンも仮面ライダーも40〜50周年、我々の世代とど真ん中ストライクで息子達(下手すりゃ孫?)と2世代で盛り上がれるようになっている。ウルトラマンの映画にも初代マンや私の愛してやまないセブンをはじめ昭和のウルトラ兄弟は準レギュラー的に登場し、当時ウルトラ戦士に変身していた「隊員」たちも老師的存在でスクリーンに現れた。しかし映画、「仮面ライダー1号」では等身大ヒーローとして藤岡弘さんご本人が「この世に初めて現れた『仮面ライダー』本郷猛」として戦うのである。ウルトラ戦士に「変身」するだけではない。実物の本郷猛として45年前と同様、ショッカー戦闘員を次々になぎ倒し、我々の世代ならば誰もができる変身ポーズで少し太めの「今の」1号ライダーに変身、ネオサイクロン号で颯爽と登場するのである。御年70歳!!当然、今の仮面ライダー(ゴースト)も登場するが存在の重みがアルミとオスミウムほども違う、「許さんぞ、ショッカー!」の一言に圧倒され、その雄姿に痺れた・・・

本郷猛(藤岡弘さん)の年齢まであと約20年、ショッカー戦闘員と戦うことはないし、怪人にライダーキックすることもないが、私は「これからの努力でなれるものなら、ああなりたいものだ」とその姿を目に焼き付けた。ここに「食事療法や奇妙な食品で改善されるんかいな・・・?」と何となく、ぐずぐず具体的な行動には至らなかった「高血圧改善計画」が、「徹底的な作戦」として瞬間的に実像を帯びたのである。まだ借り出し中だった「血圧本」をもう一度くまなく読み直し、ネットを利用して食品、料理に含まれる食塩含有量をひと通り調べた。その本には「日本人の味覚はかなり塩辛い方に偏っており、食品にも多量の食塩が含有されている。通常摂取しているのは1日10〜11g、高血圧治療中の者はこれを半分にしたいところだが、美味しく食べたい皆さんにこの減塩はちとキツい。そこで提案するのが・・・・」
要するに減塩生活と今の「塩分過多」生活を繰り返し、過多分を少しずつ改善していくというものだ。例えば最初の1週間はがんばって1日平均6グラムに抑える、次の週は元の11グラム、その次の週もがんばって6グラム以内にし、翌週は普段よりもちょっと減らして10グラムとする。これを繰り返して少しずつ薄味に慣れていき、数ヶ月で目標の塩分値に持っていくというものだ。

20年たっても本郷猛でいるライダー1号の姿を焼き付け、今や徹底改造に覚醒した私は鼻で笑ってしまった・・・「何をまだるっこしいことをやってるんだ?」正常値でさらにお釣りがくるゾーンに突入するまで一直線に減塩する「一気呵成」作戦である。ある一定期間に達成する目標をたてて取り組む時に、性格的なものなのか、「多少無理しても一気に目標値まで持って行った後、悪化しないように維持する」スタイルをとる。だいぶ前に「ダイエット作戦」を決行した時も、年前にグンマで「ナエさん」に特定保健指導を受けた時も6か月の改善計画だったのに一時は「眼がかすむ」ほどに減量し1か月で目標に達成し、後は注意深く維持していった。私は特定保健指導を実施してくれる機関を探して電話予約した。前回「ナエさん」に呼ばれて保健センタに行くと、身長、体重、血圧を測定した後、いきなりベルトを緩めて作業用パンツをずるーっと下されて正面から腰回りにがばーっと腕を回された。「な、な、なえさん!」某米国大統領のようにまことに不適切な危ないスタイルに血圧が一気に200mmHgくらいまで上がったような気がした。保健指導支援レベルの条件である内臓脂肪型肥満(腹囲85cm以上)が指摘されていたので、実測したのである。本人が測ると過小申告しがちだからだそうだが、「(これで卒中起こしたらコイツのせいだよな)」と頭の上から睨み付けたものだ。今回も女性の保健師でかなり警戒しつつ部屋に入ったのだが、血圧の話のみを詳しく指導されて何も起こらなかった。今回はもう一つの条件BMI25以上、すなわち体重だけが対象だったそうなのだ。

ひと通り普段の生活スタイルや病歴、仕事の内容などをヒヤリングされ、やはり「塩分過多」を矯正しようということになった。「血圧そのものの測定値を目標にするよりは、塩分摂取量のコントロールを具体的なものにすべし。毎日測るべし。いきなり無理しても続かないから、少しずつ時間をかけて改善すべし。塩分量は1週間単位でも管理すべし・・・」大体同じことを考えていたのだが、運動や減量と異なりいきなり無理してもそう悪くないことを確かめられたので、鉄の意志をもってこれから「30日間」欠かさずに続けるコミットメントメニューを考えていた。名付けて「ウルトラ5つの誓い」・・・「作戦コード1・2・3」である。
一、朝昼晩に摂取する塩分量を把握し、朝晩体重、血圧を測定すること。塩分摂取の目安は朝1グラム、昼2グラム、夜3グラム(つまり123)
一、食事の際に味噌汁、スープ、汁ものは原則飲まず、コーヒー、お茶、水で代替すること。インスタント食品は禁止。
一、1日に1本いつもの野菜ジュースを飲み、例の「酢しょうが」を大さじ1杯口に入れること。
一、1日に2回以上外食しないこと。やむを得ない場合は3日以内に平均回数を回復すること。
一、塩分コントロール下の食事以外で酒を飲む時は、つまみは決めたもの以外摂らないこと。

  

かなり高いハードルのようにも思えるが、70歳の本郷猛を見た後で、20年後の自分の姿をだぶらせて燃え上がった炎はそうそう消えるものでもあるまい。きりのよいところで、新年度となる4月1日から、などと勿体つけると経験的にずっこけることが多いので、わざと中途半端な日付からこの作戦を開始した。何となく期待できそうな気がするから途中経過をレポートしよう。


昭和の家カレー

2016-03-28 21:53:50 | 昭和
血圧やカロリーコントロールを行う者にとって、極悪な食べ物とされてしまうカレーライスだが、ふっくら炊き上がったご飯にアツアツのカレーをかけてハフハフ食べる幸福感は何モノにも代えられない、心ときめくものだ。カレー用スパイスのみを使用した本格インド料理風のカレーもあるが、味噌汁のような家庭の味(母の味)のようなものがあり、それが一番美味いと言う人も多いことだろう。私もそうだったが、母や妻の作成したカレーライスには遠慮なく好みの注文をつける。長年にわたりこの注文に従って改良されてきたのだから、本人にとっては最も美味しいと感じるのは当然である。そして一般的な家庭でこの味を大きく左右するのはやはり「ルウ」だと思う。特別な処方をしない限り、箱に書いてあるカレーの作り方など似たようなものだから、「ルウ」の味が家庭の味の源泉となると思われる。前回の「周辺の生き物とペット談義」編で多少話題となった「昭和のカレー」(なんでこんな話題になったんだろう?だが、忘れないうちに書き留めておこうと思う。

そうだ、ことの始まりは「10万円7万円5万円 運命の分かれ道!」で知られるいとしこいしさんの「グリコがっちり買いまショウ」からだった。スタジオにお置かれた数々の商品の値段を自分で想定し、合計金額がオーバーせずに一定範囲に入っているように「買い物」をするのだが、スポンサーのグリコのサービスなのか、何となく(というかドンズバ)価格の分かっている「グリコワンタッチカレー」を価格調整用に使用することができた。私は仕事の上で明らかに「帳尻合わせ」と見られるモノの購入を「ワンタッチカレー」と呼んで冷かしているが、説明を省くので昭和の人でも気が付く人はまずもっていない。。。子供の頃は誰でもそうだと思うが、私もカレーライスは大好物で、しかも色んな種類の「ルウ」を買ってきては晩御飯に作ってもらっていた。母親はピーマンやコーンなど時々妙なモノを入れるのには閉口したが、特別な味付けなどしない人だったから、「気に入ったルウ」を見つけ出すまでは試行錯誤(というのかなの連続だった。また子供だったから、コマーシャルでカレーを食べる映像には多分に影響を受けていた。

くだんのワンタッチカレーは「がっちり買いまショウ」の微調整役以外に我が家にも登場したはずなのだが、どうもあまり印象が残っていない。「子供会」のキャンプなどで大鍋で大量に作られる時に使われるイメージがあった。一方、西城秀樹さんの「ハウスバーモントカレーだよ〜」はコマーシャルにおいて印象が強くCM効果は高かったが、「辛くなければカレーでない」と信じていた私にはあの「8つくらいに割れたリンゴに上からハチミツがとろーりとかけられる」シーンをみて「あんな甘ったるいカレーなんか食べられるかい!」と退けていた。辛口で作ってもらってもかなり甘目に感じた記憶がある。この二つのルウはS&Bゴールデンカレーを加えて、どうにも私には存在が薄い「マイナートリオ」だった。CMやパッケージに印刷されたカレーライスの色がちょっと黄色く安っぽいイメージがあったのも影響している。S&Bゴールデンカレーはルウそのものは悪くなかったと思うのだが、母が栄養のためか刻んだピーマンをぶち込んでしまい、世にも奇妙な味で再び「買ってくれ」とは言わなかった。

こうして幼い頃から色々なルウを食べ重ねて行き着いたのは「ハウスジャワカレー」である。当時のCMはどれもジャガイモやニンジンの角切り、四角い肉の入った「ごろごろカレー」だったが、ちょっとマイナートリオに比べて色が黒っぽく濃いめ味もかなり辛く「大人のカレー」という感じがした。千葉真一さんのCMが美味しそうで印象が深く、私の好んだこのカレーライスのルウのCMは皆夫婦だったように思う。その後、ザ・カリーとかディナーカレー(メーカーはどこか忘れた)などがあったと思うがどれもそれほど特徴のあるものではなかった。どの「家カレー」もそうだと思うが、作った日よりも翌日の方がなぜか味が沁み込んでいて美味しい。我が家の習わしでは初日はカレーとサイドディッシュが何かついて、翌日は純粋にカレーライスのみ、そしてさらに次の日はさすがに硬めになってしまうので少しだけ水で薄めて、トンカツをのせてカツカレーにして締めるのである。ちなみに週末に実家に行って戸棚を見たらあったのは何と「ゴールデンカレー」と「ディナーカレー」だった・・・(オレの好み、全然覚えてないのね)

    

そして昭和の時代、子供の頃に母が作る「家カレー」に平行して画期的な食品が登場する。「ボンカレー」である。そして確かしばらくしてもう一つの巨頭として現れたのが「ククレカレー」だったと思う。味覚の適当だった私はどちらも似たような味だと感じたが、圧倒的に「ククレカレー」を好んだ。もちろん見た目とCMからである。ボンカレーは何か「前掛けのおばさん」の田舎臭いパッケージであり「3分間待つのだぞ」という子連れ狼のようなCMであり、ククレカレーはなんたって「おせちもいいけど・・・カレーもね♪」のキャンディーズだからである。子供を対象にしたハウスの宣伝勝ちだったように思う。レトルトカレーと言われたこの食品はカレーとは言っても私に言わせるとどれも同じ味にしか思えなかった。その後バブルを迎える時代となって、色んなレトルトものが登場した。何十倍などと辛さばかり追いかける品もあったし、高級料亭の味を思考した種類もあったが、所詮はレトルト・・・あの独特な共通風味が本物の家カレーとはそもそも比較の対象にもならなかった。「中華三昧」がお店のラーメンとは比較にならないのと同じである。我が家を物色したら、以前買ってきた佐渡島の「ぶりカレー」や観艦式の「護衛艦カレー」などもあったが、所詮は邪道、そして味はやはりレトルトである。

    

我が家のカレーは私と息子甘辛の味の好みに加えて妻自身の好みも多分に入っている。と、いうより甘辛はお子様味覚で辛いヤツは食べられないし、私の注文はあまり採用されない。昔の「ごろごろカレー」というよりは、レストランのようなカレーライスを作る。と、言うこと自体が昭和の世界で、最近は「レストランでカレー」などファミレスくらいしか思いつかないかもしれないが、そんな名残りはゴルフ場のクラブハウスで出すカレーライスである。むろんアラジンの魔法のランプみたいな器(あれ、何という名前なんだろ)に入って、一つも食べられない、紅ショウガ、福伸漬、ラッキョウが3つ並ぶガラスの四角い小物入れと共に登場する。我が「家カレー」はファミレスや某ファーストっぽいカレーハウスのように申し訳程度の具材ではなく、マッシュルームや牛バラ肉のようなちょっと上品系なものがたくさん入っている。時々焼き野菜や目玉焼きのような若干亜流アイテムも乗っかっていたりするが、中々味の深い手の込んだ一品だと思う。あまり製作に関する情報は教えてくれないが、複数種類のルウを使用し、いくつかの香辛料と隠し調味料を入れているらしい。ちなみに市販のルウは「とけ込む」があったが、あまり製品自体に拘りはないらしい。実家のようにカツカレー化はせずに、終わりまで平らげた後に「カレーうどん」にするのが特徴だ。たぶん牛乳を使っているのだが、かなりまろやかでコクがあり、甘辛の好物でもある。

  

私は時々野菜と肉の「ごろごろカレー」が恋しくなると、パッケージに書いてある「作り方」に忠実に自分でカレーを作ったりもする。我が家のカレーとは異なるし、母親の「家カレー」」とも違う何か深みのないものとなってしまう。実家では何か特別なことをしているようには見えなかったが、やはり何かが違う。ずーっと前に書いたが、グンマ単身赴任時にこれをやって散々な目にあった。一人で鍋一杯に作成するといつまでたっても無くならないのである。さすがに3日目ともなると同じ味には飽きてきて、パンや餅に乗せたり、ラーメンやうどんにかけたりしていたが、約1週間ちょっとたってようやく底をついたときは身体中がカレー臭くなったような気がした。またそういう時に限って週末に自宅に帰ると「カレーライス」だったりするものである。あれ以来、単身マンションで再びカレーを製作することはなかった。

昭和期の食卓や食堂にカレーライスとともにあったのが「ハヤシライス」だった。この手のものは「辛くあるべし」と思い込んでいた私はハヤシイスなど「お子様」の食べ物だとし、あまり見向きもしなかったが、さらに後期になってハッシュドビーフやビーフストロガノフなる謎の一品料理が登場した。アラジンのランプで別々に出されることはあっても、カレーやハヤシは白米にかけて食べるものだが、これらのニューフェイスはおかずとしてご飯とは別々に口に入れることもあるし、かけて食べることもあるハイブリッドメニューである。しかも不思議なもので同じものでも別々に食べるのとかけて食べるのとでは、どうも味が違うような気がするのは私だけだろうか?「家カレー」というのは多くの人が語れる昭和(今でもあるけど)を代表する晩御飯だろう。学校から帰宅して玄関を開けた時にプワーンと漂っているカレーの香りで、アドレナリンが全開となったものだ。反対にカレーハウスなどの前を通り過ぎると「たまらない香り」にふらふら立寄りたくなるのだが、実際に席に座って注文すして出てきたものは「大したことがない」という思いが結構ある。血圧レコーディング作戦で減塩中の身だが、試しにグリコワンタッチカレーを購入し今度、普通に作成してその味がどんなものだったが検証したいと思う。(ちなみに話のタネに、帰りがてらクイーンズ伊勢丹に寄ってみたけど「ワンタッチ」は見当たらなかった・・・

  

卒業ソングとは

2016-02-27 10:57:27 | 昭和
民放でこれといったお気に入り番組はないが、ちょうど曜日による帰宅時間と合うのか「マツコの知らない世界」という番組はよくテレビに映っている。(ということは家族が見てるんだろう)かき氷、リカちゃん人形、チャーハン、エレキギター、イヤホンなど知らないわけではないが、それほど興味を持つこともないモノにとことんこだわる、又は深みにハマっている「●●の世界」という話である。かき氷は全国の有名な店の品が紹介されていたし、ヨっちゃんの何百万円もするエレキギターのコレクションもあった。初登場から代々のリカちゃんを細かく語る男性はかなりシュールに見えた。その番組で確か先週だったが「卒業ソングの世界」というお題があった。卒業ソングマニアという人が登場し、古今の卒業式で歌われた曲を実際の中高生の合唱も織り交ぜて紹介していて、思わず懐かしく見入ってしまった。その人によれば卒業ソングとは「カタルシス」(気持ちの浄化)だそうである。

我々に当たる30〜50代が実際に卒業式で歌った曲は「仰げば尊し」「蛍の光」のワンツーフィニッシュを除くと「贈る言葉」「大地讃頌」「巣立ちの歌」となっていた。我々はリアル金八世代だからむろん「贈る言葉」は知っているが、実際には歌わなかった。マツコさんは「大地讃頌!懐かしい〜」と感嘆していたが、どちらかというと私にとっては「合唱祭」の歌である。確か高校1年の時の課題曲だった。実は甘辛も中学時代に合唱祭で歌ったという。親子して「ははなぁ〜るぅ、だいちぃの・・・・」と始まってしまい、耳について離れなくなってしまった。。。5位の「巣立ちの歌」というのは80〜90年代に多く歌われたそうだが、妻も甘辛も全然知らなかった。甘辛の入る10〜20代が実際に卒業式で歌った曲は「旅立ちの日に」が1位だった。これは実際の中学校の教員によって作られた曲だそうで、甘辛も中学の卒業式で歌っていた。近年では卒業ソングとして定番のようだ。「あの歌、みんなで大合唱されると聴いてる方はうるうるくるんだよな」「でも、オレは本番よりもリハーサルの時のほうが、じーんときたぜ」と甘辛はいう。分かる分かる。私もそうだったが当人にとって本番はいつもと全然違う雰囲気なのであまりピンとこないが、普段着スタイルで練習などをすると「卒業式間近」を感じてしまい、何か「じわーん」と寂しさを感じてしまうのだ。

    

全く同じタイトルで「川嶋あい」という人の曲が2位になっていた。3位の森山直太朗さん「さくら(独唱)」は分かるが、EXILEや嵐なども定番だというから時代の移り変わりを感じる。「アンジェラアキの『手紙』とか入ってねえかな。あの曲は合唱するにゃ辛いかな」「5位に入ってんじゃんか。父ちゃん、目ぇ悪くなったなー」私はテレビの真ん前にがっつり陣取った。卒業式に歌った曲というのは年代別もそうだが、小中高のどれで歌ったかにもよると思われる。私は小学校卒業の時に「たぁのぉーしく、すぅぎーた、ろくーねーんのぉー、まぁなーびの、にぃわーよ、さよーぉなぁらー・・・」という曲を歌ったのだが、題名は思い出せない。貧乏校なのか信じられないことに当時は体育館がなく、グランドで卒業式の予行演習を行っていた。ところがかなりのレベルにある私の晴れパワーを覆す者がいて、当日は土砂降りの雨・・・!何とそれぞれの教室で担任から卒業証書をもらい、スピーカーから流れる伴奏に合わせて歌ったからよく覚えているのだ。甘辛の時は卒業生退場しにGReeeeNの「遥か」が流れ、かなりうるうるきたものだ。「でもなんたって反則技は『さよならぼくたちの幼稚園』だよな」妻は大きく頷いた。そのまんま捻りがないがTUBEの「湘南My Love」は母校の卒業式でぜひ歌ってほしいと思う。

番組では「卒業式に歌った曲」から「卒業を歌った曲」に話題が移っていた。さすがに舟木一夫さんの「高校3年生」は馴染みがなかったが、昭和の卒業ソングとして少年少女合唱隊が実際に「卒業写真」「なごり雪」などを歌い始めた。斉藤由貴さんの「卒業」が紹介された時、マツコさんは興奮して「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう、でももっと悲しい瞬間に涙はとっておきたいってのよ!あの子たちに意味分かるのかしら・・・」一番有名なのは故・尾崎豊さんの「卒業」のような気がするが、私にとっては同じ時期では菊池桃子さんの「卒業」の印象の方がはるかに強い。「絶対『制服』は入るはずだよ。ほら、あっただろ!あとナカジの『じゃあね』もねえかな。」この頃になると、いつの間にかテレビに向かって話し始めていた。。。アイドル全盛期の松田聖子さんは新曲を出すたびにベストテンで連続1位記録を塗り替えていったが、高校生の時、クラスの男子になぜか絶大な人気を誇ったの「制服」だった。「赤いスイートピー」のB面である。我が校だけの流行りかと思っていたら、ホントに名曲として扱われていて不思議な感じがした。

              


「この曲もあの子たちに歌えるのかしら・・・」マツコさんが首を傾げていると、幕の向こうには柏原芳恵さんその人がいて、「春なのに」を熱唱していた。ザ・ベストテンで見た「ハローグッバイ」しか知らないし、アイドルとして松田聖子さんには及ばなかった気がするが、中島みゆきさんに救われた感じがする。年代を超えて歌い継がれているというのは中々できないものだ。マツコさんは「あー、いい匂い」とうっとりしていたが、帰り際に妖精のようなドレスをひらひらする彼女を見て「50を前にして、あの衣装はちょっと痛いかな・・・」同性の見る目は厳しいものだが、私も同感だった。妻によると海援隊の「贈る言葉」は元々は失恋を題材にした歌であったという。確かに歌詞だけ見ると、フラれたか別れたかで女性が去っていくようなイメージがある。ただリアル金八先生ではエンディングにこの曲がかかり「3年B組」の名簿がテロップで流れ出すと「愛するあなたへー」というのは金八先生が初めて受け持った受験生徒たちに向けての贈る言葉だと信じて疑わなかった。

昭和の卒業ソングとして他に「なごり雪」「いちご白書をもう一度」「思い出がいっぱい」などが挙がっていたが、どんずば「卒業」を語るものではなく、男女の別れを綴った「名曲」が多いことが分かる。H2Oの曲は私がファンだったおニャン子12番が演じた「みゆき」の主題歌だったと思う。ナカジの「じゃあね」が入ったのは嬉しかったが、さらにマイナーな「グラジュエイション」という倉田まり子さんの曲があったらこの番組はホントにすごいと思った。確かNHKのレッツゴーヤングで松田聖子さんも属していたアイドルの「サンデーズ」を卒業するときに歌っていたと思う。(全然確認してないのでいい加減だが)
私は中高を卒業するときに何を歌ったかを思い出すことができないので、今度クラスメイトと会う機会があったら聞いてみたいと思う。リアル金八世代の我々は確か「贈る言葉」は歌わなかった。高校卒業の時、まだTUBEはデビューしていなかった。
もうすぐ息子甘辛は高校の卒業式を迎える。私は仕事の都合でどうしても参列できそうもないので妻と実家の母親が行くことになろう。どうも式典は甘辛の通った学校の敷地ではなく私が幾度となく足を運んだ某キャンパスで行われるらしく、母親にとっては6回目の登場となる。(これだけ行けば満足だろう・・・)どんな曲を歌うのだろうか?高校ってあまり卒業に際して皆で合唱するイメージがないのだが。。。
最後にスポーツクラブでバイク漕ぎをしているときに見ていたニュースで出たクイズから・・・
「すぐに諦めて負けを認めてしまうのは何年生?」
答えは高校3年生(高3つまり降参・・・)。さてひねくれ者の私はある閃きがあったのだが、自信をもって何と答えたか?