超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

映画(館)観

2015-05-29 21:54:30 | ホビー
最近見た「映画」と言えば「・・・滅びの美学」編で書いた、北野監督最新映画である。二子玉川ライズという、GW中にオープンした巨大な街にあるシネマコンプレクス(たぶん同じ映画館で複数のシネマを見られるという意味だろう)で上映開始の舞台挨拶が行われる時に運よく妻がチケットをGETしてくれたのだ。シネコンというのは辻堂の巨大モールにもあるし、ちょっと古くは茅ヶ崎サティ、平塚オリンピックシティ、海老名ビナウォークなどにもあった。妻と訪れたのはかなり久しぶりだが、息子甘辛とはウルトラ映画や仮面ライダー、そしてゴジラ、はたまた一時アニメの実写版化が流行った時のヤマト、ハーロックに加え、彼独自のワールドとなった「とある魔術の禁書目録」など現代のアニメ主体となった作品を中心に年に何度か映画館に足を運んだ。そしてのその度に「映画館とは快適になったものだ」と感じるのだった。座席自体も大きくて柔らかいし、前席とのスペースもあるから足が窮屈なこともないし、音も綺麗で臨場感が素晴らしく、何よりも絵が飛び出てくる「3D仕様」というのも標準となりつつある。超話題作品ではないからか、さすがに立ち見の連続ということもなくゆったりと鑑賞できるが、レンタルDVDや大画面テレビの普及等で衰退の一途かと思われた映画館もしぶとく時代に適応していると感じる。

子供の頃、圧倒的に映像を占めていたのはテレビだったが、ごくたまーに街の映画館に足を運ぶことがあった。今のように郊外型ではなく駅前の小さなシアターである。チャリで行ける行動半径しか持たなかった私は茅ヶ崎駅北口にあった東宝と南口にあった東映しか知らなかった。東宝と言えば「チャンピオンまつり」、長嶋茂雄の「栄光の背番号3」と海底大戦争、モスラなどが同時上映されていた。一方、東映と言えば「まんがまつり」、こちらの方は仮面ライダーとか女の子アニメが混じっており、公開本数は多いがあまりパッとしないものが多かった。東宝は早々と潰れてしまい、このため当時の「ゴジラシリーズ」はほとんど見ることができなかった。中学生になってから「宇宙戦艦ヤマト」が社会現象になるほど人気爆発し、劇場版を見に行ったのが藤沢の映画館(たしか「みゆき座」?)、この時小さな映画館は通路まで人で溢れかえっていた。これ以降、「さらば・・・」から「完結編」まで劇場版を見に足を運ぶことになるのである。その後、話題となった作品は結構見に行っているが、約30年前に復活したゴジラから亜流モノも含めてこのシリーズと周辺ちょろちょろ、時代劇や洋画も何となく面白そうなものをチョイスして脈絡がなかったので、劇場で観た映画を語る題材としては著しく貧しいと言ってよい。

ちょうど私達の年代が「テレビ全盛」でとにかく番組をよく見ていた頃に「ロードショー」(たしか金曜とか土曜)や「洋画劇場」(こちらは土曜とか日曜)で過去の名画や上映後数年の話題作などを放映しており、過去の名作と言われる作品や数年前上映された話題作など幅広く放映されていた。ただ家族がテレビのロードショーなどあまり興味がなかったので、30分のアニメものならともかく、2時間もテレビを占有するのはよほど強く主張しないと認められなかったし、他によりどりみどりだったのでそこまでして見たいとは思わなかった。「いやー、映画ってホントにいいもんですね」という故・水野晴郎さんや「怖いですねえ。恐ろしいですねえ。それでは次週お会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら」の故・淀川長治さんのイメージばかりが強かった。彼らは時々「映画の世界」の魅力を滔々と語るときがあった。「○○という作品に主人公の父親役を演じていた▲▲、当時はまだ無名でしたが、父子の細やかな愛情を熱演してのが印象的でした・・・」などと。しかし映画人ではない我々子供は見たこともない映画のことを熱く語られてもよく分からず、何となくいわゆる「名画の世界」というのは「過去に映画が全盛だった」頃の別世界に思えた。

ビジュアル機器といえば「コンポ」が来てから1,2年後、オーディオ・ビジュアル家電装備の進む我が家にやってきたVTRの登場は「ゴジラシリーズにキングギドラが登場した時」のように衝撃的だった。何せ、それまではラジカセのマイクをテレビのスピーカーの前に置いて息を凝らし、雑音混じりの「音だけ」でも十分楽しんでいたのである。好きなテレビの好きな場面を後から自由に見られるなど「夢の世界」だった。アニメやバラエティ、ロードショーなど手当り次第に録画して貯めて行った。さらにレンタルビデオ屋というのが登場し、ほぼ「好きな時に」見たいものが見られるようになった。ただ残念ながら我が家のVTRは「ソニー信奉派」だった父親の主張により「ベータ方式」であり、VHS方式との数年間の戦争の後姿を消していくことになる。その後、ディジタルAVとして「レーザーディスク」というレコードとDVDのあいのこみたいな機器が登場したのだが、機器もディスクもやけに値段が高くまたコンポに組み合わせることができなかった。さらに自ら「森高千里教信者」を名乗り、LD音質と映像の素晴らしさにハマった悪友にスキー帰りに自室で「ライブ・アルバム」を繰り返し鑑賞させられ「洗脳」されそうになった経験からレーザーディスクには何となくいい印象をもっていなかった。今やテレビは大画面、ネットのVODも発達しさらにサウンド系も進化してホームシアター化し、「ソファに座ってグラス片手に」という憧れのスタイルも難しくはなくなったが、これら最新のシステムをもってしても、VTRが登場した時からある重大な欠陥が存在する。「見る時間がない、あっても使うのがもったいない、そもそも見る気にあまりならない」ということである。(全然、身もふたもないじゃん。。。?!)

考えてみればハードディスクレコーダーには「おーっ、これは!」という番組が片っ端から録画されているが、毎週(毎日)の繰り返し録画に視聴が追い付いているのは「みなしごハッチ」のみ。「赤毛のアン」も「怪奇大作戦」も借金まみれ(未視聴が雪だるま状態)で家族から立ち退き要求が出始めている。こんな簡単なこと気付きそうなものだが、晩飯晩酌時にテレビの前に座って放映されているのを見るなら、その時間は自動的に視聴に費やされるのだが、録画したものは「視聴用の専用時間」をあらためて作らなければならず、そんな時間が私にはないのである。いやいや、つくづく、暇な私なので時間が作れないということはありえない。ただ天気の良い昼間にゴロゴロ数時間も録画を見て気がつくと暗くなっているとものすごく時間を無駄に使ったような気がしてそれこそ気分も暗くなってしまうし、夜は夜で出掛けてしまったり、家族でお笑い(最近はクイズもの)を見ながらだらだら飲んでいる。結果録りダメした番組を見る主な時間帯は何と早朝サーフィンに行くさらに前、まだうす暗い頃になってしまっている。つまり「見る気になるチャンスが希少」なのである。借りてきたDVDも当日に見なければ結局見ずに返却する羽目になる。

映像として知覚されるコンテンツとしては同じかもしれないが、「やっぱ映画って別格というか、別世界だな」という感覚はずーっと子供の頃からあった。大きなスクリーンの迫力ある映像や段違いの音響、3Dの臨場感などももちろんそうだが、もっと高次元の「何となく」感じていたことだ。つい先日は「舞台挨拶」という初経験があったが、やはり「映画って違うよなあ」と感じた快いもやもや感を「ばばばーっ」と払拭し「なるほど、そうか!」と電光のように閃かせる本にひょんなことから出会った。友人が某SNSサイトで「カフェで読んでいたら涙ぽろぽろ・・・」と投稿していたのを「こそ読」したものだ。誰か(自分の興味ある人が多い)が執筆したコラムや「面白い」と評した著書、「あの人が感動したと聞いた」第三者コメントなどもとに、自分に直接薦められたわけでもないのに、「こっそり」読んで、「なるほど、こりゃー・・・」と何かと語るのが「こそ読」である。「劇場には『映画の神様』がいる」というもので、「映画が大好き」という人なら一瞬で引き込まれ、そうでもない私などでも「何か映画館で映画を見たくなる」ような話だった。

登場人物とごく一部の下りだけ書くと、シネコン企業のキャリアウーマンとして挫折した映画好きの40歳独身女性のあゆみ、それ以上に映画好きだが酒とバクチで家族にとってはいいとこなしの父親、昔の連れ添いという感じで父親を見捨てきれない母親、ひょんなことからあゆみの映画館評に目をつけた映画雑誌の編集長とその同僚たち、あゆみの元同僚で米国に旅立ったよき理解者である後輩の清音、あゆみの父親が入り浸った小さな古い映画館の主、持ち数は少しずつ違うが登場人物みんながまんべんなく「この人、こういうところ、いいよねえ」というほっこりシーンがあり、物語全体が「何か、いいよねえ」という感じでまとまる。電車の中で読んでいて「うーむ。やべえ・・・」とうるうるくるところも結構あった。途中から「一世を風靡したが時代の流れに乗りきれず潰れかけた映画館の物語」となり、そういうのは結構世にあるような気がするし、小説的にはちょっとベタな展開で途中から先が読めてしまうところもある。ただ単純に「人はなぜ家でDVDを見ずに映画館に足を運ぶのか?」というのがテーマだとすれば、思わず膝を打つようなくだりがある。

あゆみはキャリアウーマン時代にシネコン部門で「映画館の臨場感こそ『娯楽』を追求した人類が獲得した至宝・・映画館は一級の美術館であると同時に舞台、音楽堂、心躍る祭りの現場である」という感じの企画提案をする。父親はひょんなことから、昔の名画評についてブログ投稿を始めるが、そのきっかけとなった映画館評というのはさらに娘の上を行く。「劇場のどこかに一緒に映画を見つめる『神様』の存在を感じる」というのである。「映画館は『娯楽』の神殿のようなところであり、あの場所は一歩踏み込めば異次元になる結界だ。映画は結界に潜む神様への奉納物である」と。
私は映画や映画館について熱く語るほど思い入れはないから「神様がいる」とまでは正直思わないが、エントランスから先が「異世界」でスクリーンの前に座って映画が始まると「結界」が張られるという気分は何となく分かる。それは映画が終わった時に特によく分かる。物語が終了して流れるエンドロールを眺め続けても仕方がないのに、すぐに席を立たないのはヨガクラスの最後に行うシャバーサナみたいなものか?ぼわーんと照明が明るくなって、ようやく我に返るような感触である。DVDや撮りダメした録画を見る時間を費やす気になれないが、「神殿に詣でるため」なら出る時に外が真っ暗になっていても時間を無駄にした気にはならないのだろう。私は一人で映画を見に行くことがないから、次に足を運ぶ時は家族か友人だろうが、この「異世界感」を感じるかどうか、ぜひ話し合ってみたいと思う。

ちなみに今回出会った本は「原田マハ」という一風変わったネームをもつ作家の著書だが、先日会社の「同門の懇親会」で久々に会った「本の友」に「読んでみな」と貸してしまった。またその他の「友」にも「面白いよ」と紹介しておいた。ちょっと言いたいところもある物語なんだが、中心となる名画「ニューシネマパラダイス」と「フィールドオブドリームス」はDVDでよいから観てみたいと思う。(それによって少し感想が変わるかもしれないし)
この本を最初に面白いと言った知人とそれを紹介したら「これも面白いよ」と返してくれた知人が同じ本のことを薦めてくれたので、次はこれを読むことになろう。映画と本の世界が同時に広がれば喜ばしいことだ。

  



オーディオの歴史

2015-05-24 15:32:48 | 昭和
ひと昔だったら「趣味はAVです。」と堂々という男子がいたら、少なからず「ぎょっ」としたかもしれない。まさか「アダルトビデオ」ではなかろうと・・・いつの間にかAVという略称は「オーディオビジュアル」というのが主流らしい。自家用車の無かった我が実家は「カーオーディオ」という習慣がなく、木の箱のようなスピーカーの付いた小さなレコードプレーヤーだけが音楽を発する機器だった。まだ幼かった私は雑誌の付録にあった「ソノシート」でアニメの主題歌や特集などをもっぱら聞いていた。初めて買ってもらったLPレコードはアニメ、特撮などの主題歌を集めたアルバムで、記憶しているだけでも「オバQ音頭」「サスケ」「狼少年ケン」「巨人の星」「黄金バット」「妖怪人間ベム」「パーマン」「キャプテン・ウルトラ」「怪物くん」「マン」「セブン」「レインボー戦隊ロビン」が収録されている豪華版だった。なぜこんなに覚えているかというと今でもカラオケのアニメ編では歌えるから・・・我が家のプレーヤーは何かターンテーブルの大きさが中途半端で、シングルレコードよりは大きいが、LPレコードを乗せるとはみ出てしまうにも関わらず、「何とか大行進」というこの1枚のアルバムをそれこそ擦り切れて針が向こう側に突き抜けてしまうくらい繰り返し聴いていた。

小学校も高学年くらいになると「ハム」と呼ばれたアマチュア無線を行う者が登場し、さらに「エアチェック」といってFM放送を受信したり、外国の短波放送を受信できる軍隊の無線通信機みたいなラジオを持って自慢げに見せびらかすヤツがいた。ソニーの(やはり当時先進的なのはソニーだった)何とかいう機種(59何とかいうシリーズ)で、真っ黒なボディに周波数を合わせるダイヤルがいくつもついていてすごくカッコいいが、小学生が「北京放送」などを聞いて何が嬉しかったのかさっぱり分からなかった。そして我が家にも3バンドのラジカセが登場した。たしか「AIWA」というメーカーでラジオに興味の無かった私の「オーディア」は「カセットテープ」に移行していく。ミュージックとしてのアルバムは高価だったのでほとんど持っていなかったが、「大行進」同様テープが擦り切れて最後は切れてしまうほど聞いていたのが「Gメン75」のテーマ集である。今でも道路いっぱいに広がって並び歩く者たちを見ると「(Gメンか?お前らは)」とつぶやかずにはいられない。。。

ラジカセの登場で切り開かれたのが「世の番組を録音して繰り返し聴く」という分野である。
今のようにテレビに「オーディオ用外部出力端子」はないから、ラジカセの本体に付いているマイクをテレビのスピーカーの間近に置き、番組中はしーっと押し静まって雑音が入るのを防いでいた。(それでも台所の洗い物の音など、陶器の音は入ってしまった)ずばり、録音の対象は「宇宙戦艦ヤマト」と「8時だよ、全員集合」である。約40年前に初めて放映された時の「ヤマト」はそんなに人気があったわけではなかった。「戦艦」などが好きでプラモなども作っていた私は夢中になったが、クラスメイトの間では同じ時間に放映されていた「猿の軍団」の方が圧倒的に人気があり、教室で「話題を合わせる」にはビデオがない当時、そちらを見るしかなかった。必然、「ヤマト」はラジカセの録音のみを聞きながら、情景を想像することになるのである。野球中継などで「猿の軍団」がない時は「ヤマト」を見ていたので、登場人物の姿はインプットされていた。その後、「ヤマト」はなぜか再放送で爆発的な人気となり「社会現象」と言われるほどになる。

そして「宇宙戦艦ヤマト」が国民的な一大ブームとなり、テーマソング集やBGMが「交響組曲」としてレコード発売されたりする中、いよいよ我が家に「コンポ」なるセットがやってくる。正しくは「システムコンポーネント」という。専用のラックにピタリと収まるその姿は一種の家具でもあり、インテリアとしてもデザインされていた。ラジオチューナー、メインアンプ、カセットデッキを重ねたラックと、「ダイレクトドライブ=DD」が流行りだったレコードプレーヤー用のラック(下部がレコード格納用になっていた)が左右に並び、その両サイドにほぼ同じ高さの段ボール箱大のスピーカーを設置したコンポは経済成長のステータスを表すシンボルのようでもあり、一応我が家では客間におかれたが、4畳半部屋の3分の一のスペースは占有されてしまった。かつてここでも書いたかもしれないが、当時大型電化製品と言えばここしか売ってなかった茅ヶ崎ダイクマ店のオーディオコーナーで試し聴きとして店内中に大音声でかかった(当時はヘッドフォンなど使わない)のが「かもめはかもめ」、ドーナツ盤はあまり買わなかったが「アリス」のアルバムは買い続けていた。今、家に残っていたのは少し前の「ヤマト」や「ハーロック」などアニメのサウンドトラックものばかりだったが。。。

  

レコード針のカートリッジを手でつまみ上げ、既に回転しているレコードの一番端っこにそーっと置く昔のプレーヤーに比べ、コンポのプレーヤーはボタン一つでアームが勝手に指定したサイズ(LPかドーナツ)のところで停止し、すーっといかにも自動的に降りていく姿に感激したものだ。レコードは静電気のせいなのか放っておいても小さな埃がつきやすく、聴くたびごとにスプレーを吹き付け、15cm幅くらいのベルベット生地をスポンジに巻いたような専用のクリーナーでせっせと拭き取っていた。「音を楽しむ」と書いて音楽と読む。我が家にコンポが来て以来、音の響きというのを感じるようになったのだが、今から考えるとあの時代の「コンポ」はデカ過ぎた。。。左右のスピーカーからして学校の視聴覚室のよりも大きいのである。体育館で聴くならまだしも、4畳半の部屋で聴くとなるとボリュームは12まである目盛のせいぜい1.5くらい、全開にすると家が吹き飛ぶんじゃないかと思われた。そのうちに陸上自衛隊の大型ヘリch-47に搭乗した時に装着したような丸い形のヘッドフォンを使うようになったが、一体何のためにあんな巨大なセットが必要だったのか・・・これも昭和の謎のひとつである。

さて私が通勤で使う電車は都内に入って新宿の手前くらいになると「ナガオカ」という看板が見えてくる。ダイヤモンド製のレコード針と言えば何と言っても「ナガオカ」だった。今はCDプレーヤーからUSBメモリー、スマホで音楽を聴く時代でありいくらなんでも「レコード針」で事業は無理だろうと思うが、どうやら他のアクセサリーなども手掛け、脈々と販売し続けているらしい。以前ネットのニュースいで見たことがあるが、日本ではそうでもないものの欧米ではアナログレコードの販売量がまた増えてきているという。昔からのコアなアナログファンやディジタルアーカイブになっていない年代もののアルバム曲などは分かるが、普通に聴く音楽対象だとネット配信が主流の時代には考えにくいことだ。好みもあるだろうが、物理的な「音質」ならディジタルの方が勝ると思う。アナログの持つという独特な雑音や周波数域もその気になれば作ることができる。しかし音楽にはほとんど造詣のない私でも「アナログレコードへの回帰」は何となく「そうだなー」と思うのである。レコードの溝に直接的に刻まれた「音」の方が、ディジタル信号の羅列により再現された「よい音」よりも何やら刻まれた「歴史」を感じ取れるような気がするのである。今売っているレコードプレーヤーには何とUSBポートが付いているが、すごく気持ちが分かるのだ。単なる懐かしさだけかもしれないが、子どもの頃に飽かずに聴いた「オバQ音頭」を当時のレコードで聴いてみたいものだ。残念ながら実家の物置の隅々まで探したが、「●○大行進」はさすがに残っていなかった。ちなみに写真は大阪の「パナソニックミュージアム」で撮影させてもらった昔の電器製品である。

      

本編から当サイトに「昭和」というジャンルを追加しました。


昆虫のようなもの

2015-05-20 05:49:40 | ホビー

我が愛するウルトラセブンの記念すべき第一話「姿なき挑戦者」でクール星人は言った。「人類なんて我々から見れば昆虫のようなものだ」(ってお前の姿が昆虫そのものじゃん?!)
オオスズメバチの物語を読み、とある師匠の「頭乗りスズメバチ事件」を知り、グンマ在住のタッチさんの昆虫飼育談話を聞いてから俄然、身近にいる昆虫の生態について興味が湧いてきたのだった。子供の頃は他の少年同様、「虫」に興味を持ってはいたが、残念ながらあんまり「御縁」がなかった。学校と家の通学路周辺にはまだ「原っぱ」なるものはあったのだが、高度成長期のドブ川のように何となく「汚染」が進んでいて、多種多彩なムシが見られたわけではなかった。麦わら帽子に短パンにランニングシャツ、虫かごを斜め掛けした「正しい少年」の姿はしていたが、行動範囲が極めて限定的だったのでいつも行く野原には大体決まりきった昆虫しかおらず(当たり前か!)、そんなに虫捕りに凝った記憶も残っていない。クルマバッタや小さなチキチキバッタ(歌にもあったような気がする)、たまにツユムシやウマオイなどが混じる程度で、たまに大型のトノサマバッタや胴体のずんぐり短いキリギリスなどを捕まえるとヒーローになれた。自分で探そうとしてもまず見つからないが、庭の木などにはたまにオオカマキリがいたりした。バッタと違って彼らの出没はいつも唐突で、いきなりの登場にいつもちょっとした戦慄を覚えたものだが、動きが鈍いので長い首の後ろから難なく指で捕まえることができたのである。

アゲハチョウもノーマルな模様のものから、真っ黒なモノ、アオスジアゲハと呼ばれる種類など結構どこにでもいた。モンシロチョウやその黄色いヤツ(モンキチョウと呼ぶらしい)も雑草あるところには必ずヒラヒラ飛んでいた。たまに本格的に巨大シャボン玉のように膨らむ、真っ白な編み目の細かい正規な「昆虫網」を持って「コレクション」化している者もいたが、我々普通のガキの大半は「ザリガニ獲り用」の水網と兼用していたので、蝶を捕獲すると網の粗く太い繊維に羽が傷つけられて飛べなくなったりすることが多く、「男たる者、弱いチョウチョなど追うべからず」という不文律があった。ただ夏休み明けの自由課題展示会にはいつも立派な標本を作ってくるヤツがいて、「すげえなあ・・・」と羨望の眼差しを集めていた。大体お使い物のお菓子の箱にサランラップを張った構造の標本集が多いのだが、蝶よりもさらに人気を集めたのが「甲虫類」シリーズである。むろん、少年たちの大人気、カブトムシやクワガタムシのオンパレードだった。海の近くだったからか、我が家の周辺にはカブトムシなどが獲れるクヌギの森などはなかった。「アカバネヤマ」という隣の隣街の山に行くとカブトを捕まえられるという伝説があり「夜中にマムシに噛まれながらも勇敢に奥地まで入り込んで見事10匹GET」(絶対ウソだ・・・)という猛者も現れた。

元々お化け類がだ嫌いな私は「夜中に森の中を歩く」などと正気の沙汰とは思っていなかったが、毎年田舎の「トチギ」に行って山ほどカブトムシを捕まえてくる悪友を見て、羨ましくて仕方がなかった。高学年になって「今年こそ夏休みの自由研究で作りたいから」と買ってもらったのが「昆虫採集セット」だ。今から考えると世にもおぞましい「注射器とピン、青と赤のビニール容器」のセットである。どちらの容器かは忘れたが、ずばり殺虫剤と防腐剤が入っていたと思う。普段は持ったこともない「注射器」を使ってみたくて、身近にいるムシ類をそこらじゅうから捕まえてきた。赤茶色したコガネムシは小学校の頃通った市民プールの入口の白い壁にいくらでもいたし、赤トンボ、シオカラトンボは広場でGETできた。脇の排水口からはコオロギを、実家の近くにあった銭湯のすぐそばに「ゴマダラカミキリ」の獲れる木があり、カブトもクワガタもいない私はメイン展示にしようと思って探したがどうしても見つからなかった。狭い庭をくまなく探索したが、こういう時に限って何もおらず、見つけたのは黒い小さなハサミムシとダンゴムシである。保険に(いかにも邪道だが)トカゲと大きなマッカチン(アメリカザリガニ)も捕まえておいた。

まったく統一感のない虫カゴからまずはコガネムシをつまみ出し、マッドサイエンティストのような顔をして注射器を手にした私であったが、死んでしまったものならともかく生きて動いているムシに注射針を刺すのは何かいかにも可哀そうで結局殺虫剤を注入することはできなかった。赤とんぼは死んでしまったので、防腐剤を使ってみたが1匹だけあってもどうにもならぬので、他のムシは皆庭に逃がすことになったのである。最初で最後の昆虫標本作成計画はこうして頓挫したのだが、今から考えると例え完成したとしても「世にも奇妙な作品」になったと思う。その後注射器は「フルーツに醤油を注入して変な味にしたり」、「飼っていたセキセイインコに水をかけて驚かせたり」して遊んでいるうちに針先がひん曲がって使えなくなってしまい、いたずら用「隠し水鉄砲」に進化していったのである。確かその時だったか自由研究で「特選」に入ったのは確か「オニヤンマの一生」というものだった。小学校の鉄棒の近くに水草や小動物飼育用のコンクリ製水槽があったために、トンボが卵を産んだりそれが孵化したりしていた。その標本は卵(本物かどうかは不明)からヤゴ→脱皮(抜け殻)→成虫という物語形式になっていた。「なるほど、その手があったか!オニヤンマ獲るのは得意なのに・・・」

それから何十年も月日が経ち、一部を除くと「趣味や嗜み」かもら遠ざかっていた昆虫の世界だが、いつの間にかその一部(トノサマバッタやカブトムシ、クワガタなど人気ムシ)以外は「触れなく」なっていた。間近で見るとウルトラシリーズの怪獣顔負けのツラに加え、見れば見るほど奇妙な形、そしてなぜ足は4本でなく6本なのか・・・不思議なもので釣りエサである青イソメの方がよっぽど見た目気持ち悪そうでも抵抗なく、ザリガニもテナガエビも全然平気なのに先日は「コオロギ」が触れなかった。生態の観察として再び興味を持ち始めた私は今度は「野鳥」ではなく、「野虫」を撮影しようと超兵器203号に天体撮影用に購入したマクロ機能付きレンズを装着していつもの川沿いコースを歩いてみたのだった。いつもなら川岸や付近の草木、河川構造物などにいるハクセキレイ、ウミウ、白鳥などや飛翔するサギ、カワセミなどを求めて川の方を眺めて歩くのだが、今回はハイキングコースの脇に咲く花や木の周辺である。普段は気にもしていなかったが、その気になって探すとすぐに目に付くのはアゲハチョウだった。しかし飛んでいる蝶を撮影するのはカワセミなど野鳥などよりもはるかに難しかった。何せ彼らはあまりにもヒラヒラ気まま過ぎて動きが予測できないのである。クマンバチもおそる恐る恐る追いかけたがファインダーに入れるのがやっと・・・手強いことこの上ない。。。今まで知らなかったが、カメラの「マクロレンズ」というのは被写体を接写するためのレンズではなく、大きく写すことができるレンズなのだそうだ。203号に装着しているのは天体撮影用の望遠なので200mm〜300mmでマクロ撮影が可能なようだ。公園の花などで静止している昆虫なら面白い画像が撮れそうだ。

      

さて昆虫撮影の道にも入りかけたところだが、私は改めて「昆虫アニメ」にもハマってきたのだった。ちょうどオオスズメバチの物語を呼んだ直後、「みなしごハッチ」の最終回を「ようつべ」で見て以来、たまたま東京MXテレビで放映している「昆虫物語みなしごハッチ(1989版)」を撮りダメしておいたのである。スズメバチに襲われ、女王である母と別れ別れになってしまったミツバチのハッチが母を求めて旅をする物語である。メルヘン路線で子供向けであろうから「ずるく悪いヤツ」がいて、それらをやっつけたり、改心させたりというストーリーである。ハッチらミツバチは必ずしも「常に食われる」弱い種族ではないが、大体悪役は昆虫を捕食する様々な生物群である。その筆頭はスズメバチだが、姿形も人物像(じゃないけど)も、いかにもおぞましい悪役の典型は「昆虫の敵」、蜘蛛である。鳥類やネズミなどの哺乳類、カエルやトカゲなどにも常に襲われる立場にあるが、彼らはどちらかというと別格憎まれる対象にはなっていない。一方蜘蛛の立ち位置はドラゴンボールで言うところの「フリーザ」に近い憎むべき敵である。一貫しているのは昆虫親子(特に母)の絆と愛情、相手を思う犠牲心である。子を守るために天敵と戦って親が死んでしまうシーンが多く幼い子供には深刻過ぎるところも多い。

      

しかし大人になって改めて見ると、物語はどんな種族も「凄まじき昆虫の世界」で必死に生き延びようとしているのが何となく描かれている。ハッチの母である女王バチ(何となく由紀さおりさんに似ている)は途中で水グモに捕えられていたが、火山の噴火で脱出した際に不明となった親水クモの置いて行った卵を助けてやる。「憎い水グモですが、この子たちに罪はありません」
森中が死の世界になるほど葉っぱを食い荒らし巨大な繭を作った「怪物」は台風で飛ばされてきた世界最大の「蛾」ヨナクニサンだった。最初は敵視していた森の虫たちもヨナクニサンに天敵である野鳥から守られてから味方となり、寒さに弱い繭を保温して羽化に協力しようとする。やがて母虫は繭と森の虫たちを守って再び野鳥と戦い、力尽きて皆に羽化を託して死んでいく。この姿は「ゴジラから卵を守ろうとして寿命で死んだモスラ成虫」のようだ。みなしごハッチにはこういう話がたくさん出てくる。鳥も爬虫類も恐ろしい「天敵」ではあるが、自然の定めに従って必死に生きている彼らの姿に敬意を表しているようなところもあり、「撃退」はされても無残に死んでしまうことはない。私が撮りダメした録画を続けて見ていると、冷たくPC画面を眺めていた妻が「このアニメ、よく考えてあるね」とつぶやいた。最終回の感動シーンが楽しみだ・・・

昆虫の種類は地球上では断トツの種類を誇る生物であるという。個体数で言えば小さい方が多くなるだろうから、ウイルス(って生物かな)や細菌かもしれないが、先日書いた「適応したものが生存する」という自然界の原理に則れば最も繁栄している生物なんだろう。昔読んだ「ファーブル昆虫記」にはカブトムシやオニヤンマなどメジャーなムシはひとつも登場せずに、フンコロガシみたいな変わった生態のものばかりで「何でこんなつまらんムシばかり観察してるんだろうか?」と不思議でならなかった。しかしそういうマイナーなムシに面白い表情が見られそうだ。
今後は新しく知ったマクロレンズ機能を使って色々なところで「昆虫」を撮ってみようと思う。面白い変顔、不思議な姿など話題性に富んだものとなってほしいが、おぞましく苦手な人もいるだろうから、癒し用「花の写真」も合わせて掲載することにしよう。師匠の御頭に止まったという勇敢なスズメバチだが、図鑑で見るとそれはもう世にも恐ろしい精悍な顔をしている。ぜひ一度画面に収めてみたいものだが、こちらが刺されると洒落にならぬから、巣には近づかないようにしよう。

趣味と嗜みの境界線

2015-05-16 06:09:22 | ホビー
今年の3月に昨年まで私が勤務していた台場のオフィスの一部門が移転して新組織となり、連休の合間に見学がてら近況を伺いに赴くこととなった。私はわずか1年の在任だったが、経験的に「変わりバナ」というのは何か厄災を「持って来てしまう」もので、主に天候に起因するトラブル多発で、野球にしてみたら毎回フォアボールとエラーでランナーを2塁に背負うような苦しいピッチングが続いた。現組織はすっかり様変わりして当時のメンバと新メンバは半々くらいだが、皆どこかでご一緒しているもので、快く訪問に応じてくれた。運営状況を示す大型スクリーンも以前はほぼ常時真っ赤なランプが並んでいたが、今は季節的には落ち着いた期間とはいえ平和そのものだった。「オールグリーンかよ、羨ましいなあー・・・」思わずつぶやきが口に出て、当時を知る者は皆苦笑していたものだ。終業後は新たに責任者として赴任したタッチさん(仮称)を交え、私の好物のエキストラコールドを飲み放題にして席を設けてくれた。(ちなみにだいぶ編成が変わっているのでタッチさんは私の後任には当たらない)

セッシーやジュンちゃんをはじめ、その場に居合わせた者は奇しくも「カワハギ船」仲間だった。私はいつもジュンちゃんから竿や道具を借りるのだが、彼は釣り全般を趣味にしているようで、本業は「ヘラブナ」だそうである。聞いたことはあるが、それはそれはディープで高尚な世界で、専用の竿やウキだけでも何十万もする名作があるらしい。セッシーは「食える獲物」を船で狙う専門のようだが、ジュンちゃんは奥方のそれこそエクストラコールドな視線にもめげず、県内にはほとんど釣り場所がないというヘラブナを求めて遠出を繰り返すようだ。当日の気温、水温や釣り場周辺の環境により、エサの練り方やタナ(水面のウキからエサまでの深さ)の取り方を考え、「魚の身になって」ポイントを巡ったあげく、「こうすれば釣れるはず」と仕掛けた通りに食いついてきた時の快感は何事にも代えられないそうだ。

そういう話は何度か聞いたことがあって私はうんうん唸っていたが、突然ジュンちゃんは隣で話を聞くヌーさん(仮称)に話を振った。私とは1,2度くらいしか面識のないヌーさんを指差して「この人、バス釣りのチャンピオンなったことあるんですよ。すごいでしょ!」うーむ。。。専門誌が多数あって、プロと言われる人もおり、世界大会も開かれるという「バス釣り」の世界でチャンピオンとは?!どちらかというとスポーツ的要素の強いバスフィッシングだが、ヘラブナと同じように自然と対話し、何十種類ものルアーで水面近く、あるいは底の方、あらゆる技術で動きを操り、どこのポイントでどのように誘えば食いついてくるか、丹念に探り続けるそうである。ヌーさんとジュンちゃんは話題が一気にヒートアップしていき、途切れることがなかったが、二人が何年もかかって習得した共通の技は「どこに魚がいて、どうすれば釣れるか何となく分かる」というものだった。それこそ「空気を読む」ような感じだという。

私の周囲には何となく「置いてけぼり」の雰囲気があったが、ここにはっきり「ただ嗜む人」と「趣味として持つ人」の境界線を感じ取ったのである。私はヘラやバスをほとんど経験がないが、「釣り」に関しては数十年嗜んできた。土地の人からポイントの情報を仕入れたりするし、先般のGW行楽のように偵察に足を運ぶこともある。その場に適した釣り方や釣りモノ用の道具の準備するし、かなり広範囲でポイント経験があってそれなりの成果もあったが、「釣れるまであの手この手で1日中仕掛け続ける」ようなことはなく、何となくダメそうだとさっさと諦めて違うことに走る、どこか「片手間」感が拭えないのである。海で言えば潮の流れや満ち引き、魚の活性などを観察して「こうすれば?」という創意工夫をあまりしない。恐らく「空振り」も含めて何十何百という「足掻き」を経験し、初めて「何となく分かる」境地に立てるのであろう。3度の飯よりも釣りが好きという、腰越の●アジのマスターが「あの場所釣れてますよ」というところに行って釣れたことがない理由が分かったような気がする。執念が足りないのである。

こうした話の中にタッチさんが乗り込んできた。彼は今何とグンマに住まい、GW後半には彼に言わせれば「グンマの海」であるところの新潟、柏崎に釣りに出かけるというのである。私同様、防波堤など港湾施設からの海釣りだそうだが、我が家周辺のように魚がスレて(=人間に警戒心をもって)いないので、たいそうよく釣れるそうだ。つい先日は栃木の山奥にも足を運んだという。「山奥?タッチさんは渓流釣りの方なんですか?」私が軽く振ると「待ってました!」とばかりに「実はオレ、ホントの趣味は『ムシ』なんですよ」と目を輝かせた。これにはジュンちゃんもヌーさんも新鮮に感じたようだ。「今の季節は蝶が中心なんですけどね。夏になると甲虫類、水棲の虫なんかも飼育します。この前なんか、2ヶ月くらいかかってようやく『タガメ』をGETしたんですよ」「へっ?タガメ?あの黒いカマみたいな腕を持った怖いヤツ?」「今はねえ、水田とかから姿を消しちゃってるんですよ。外来種の影響もあってね」

グンマの彼に自宅には「虫の館」が設営してあり、大クワガタなど飼育している甲虫類やタガメなどの水槽、そしてコレクションとして夏休みの自由研究でお馴染み昆虫標本なども多数あるらしい。私も以前、甘辛が合宿で捕まえてきたカブトムシを水槽に入れ夏を越して卵を産ませ、何代(何年)か飼育していたことがある。ある夜、水槽の金網を持ち上げてメスのカブトムシが逃げてしまい、「ぶーん、ぶーん・・・」と響く不気味な羽音に妻が発狂し、家中で大捜索したことがあった。タッチさんに言わせると何世代も卵を孵化させて昆虫を飼育したければ、絶対的に大事なのは「タンパク質」であるという。「クワガタやカブトは木の蜜を吸っているイメージが強いから、スイカとかゼリーとかやってればいいと思うでしょ?でも糖分だけじゃ卵は育たないんです。昆虫ゼリーなんか、その辺で売ってるヤツは糖分だけなんですよ。食べると単にどろっと甘いだけでね。自分が生きるにはいいけどね」ジュンちゃんは驚いて「こっ、昆虫ゼリー食べたことあるんですか?」彼は甲虫専門店で「高タンパクゼリー」を購入し自分で食べて確かめるという。「(オレも昆虫ゼリーは食ったことはあるんだ。伊豆で・・・)」と心中つぶやいたが、黙っていた。

「じゃあ、オオクワガタなんか飼育する時はローヤルゼリーだな。人間様よりも贅沢じゃんか・・・」私は以前読んだオオスズメバチの「マリア」がハンターとして狩りを続け、ひたすらに新女王バチ幼虫たちに獲物の肉ダンゴ=タンパク質を与えていたことを思い出した。タガメやゲンゴロウは水棲生物として人気があるが、環境変化や薬品などに弱いため飼育には非常に気を使うそうだ。取り換える水は汲み置きし、生食なので小さい金魚やコオロギなどをエサにする。ちょっと抵抗あるんだなー。人間の勝手な見た目好みだが、「みなしごハッチ」で言えば、間違いなく仲間と悪役が逆になるはずなんだが、飼育する気の人にとっては、金魚が瞬殺されるのを見ても可哀そうとは思わないそうだ。私もかつてはカブトムシの他に息子甘辛の捕まえてきたカメやクチボソ、テナガエビ、ザリガニなど色んな生き物を飼育してきた。釣ってきたハゼやシタビラメ、極め付きはウナギのウナ吉など、キャリアだけ言えば中々のものだが、ここでも「嗜む者と趣味とする者」の大きな壁を感じるのである。

「趣味の域に達しているな」と感じる人はすべからく、たくさんの失敗を繰り返し長い暗黒のトンネルを経験している。タッチさんご自身も例えばメダカと一緒の水槽に肉食のタガメを入れて、わずか1日でメダカは絶滅、またそのタガメは水道水の塩素に弱く、取り換える水の汲み置きをサボったら全滅・・・手間暇費用を惜しまずに、失敗してもめげないのが続けるコツだという。「嗜み」と「趣味」の間には今まで自分では気が付かなかった大きな「壁」があるように感じられた。その場に居合わせた人たちが共通に持つ「リスペクトされる趣味人」の条件は・・・時間や費用を惜しまないという当たり前のこと以外に彼らの語り口をまとめてみると・・・

� 身近な家族、下手すりゃ自分にさえも何の「実利」をもたらさないこと。
ここで言う実利とは「食べて美味しい」とか「鑑賞して楽しむ」、「売ればお小遣いになる」といった類である。釣ったブラックバスはリリースせずに食べてしまえば、社会的には外来種減少に貢献する、というのは「邪道」とされた。無駄であればあるほど、「へーえ、面白いね」という他人の興味を引きやすい。
� 家族(特に奥方)のエクストラコールドな視線があること
結構自虐的だが、趣味人には意外と大事なファクターらしい。ジュンちゃんも「『カワハギならいつでも行って』と歓迎されるんですけどねえ」と苦笑していたが、タッチさんなどは奥さんの冷たい視線をむしろ「励み」にしているフシがある。「もう、あれらは諦めてますよ・・・」というのが、合言葉らしい。
� 長い暗黒トンネルを抜けてまとったオーラがあること
数えきれない失敗とそれに倍する試行錯誤、悪戦苦闘の末に「魚がいる」とか「虫が獲れる」などという常人では出たとこ勝負となってしまう現象が「何となく分かる」らしい。

そんなことを考えていくと、自分は色々な事に手を出してはいるが、「趣味の域」に達しているモノは何一つないことが思い知らされた。釣りの世界は一番壁を感じるところだし、カメラも好きだが単なる散歩のついでで対象物があるわけでもなし、綺麗に撮ろうともしない・・・天体観察が結構「趣味に近い」と思うのだが、天文イベントがあると時々思い出したように望遠鏡を引っ張り出すだけで、何にもまして優先するというほどでもない。ミニ菜園を作ってはみたが、「三河のにら繁殖」の成功に留まっている。ちなみにウルトラの世界はもはや「趣味」ではなく「反射」に近い。スポーツに視線を転じてみても、テニス、フットサル、野球、ビーチバレー、ゴルフなど「誘われると喜んでやる」レベルでしかないし、サーフィン、スケートボードは近所に行って帰ってくるだけ、最近妻がハマりだしたのはいいことだが「スカッシュ」は今だにレンタルラケット、マラソンも記念Tシャツと話題作りに年に数回出場するだけなので「ランナー」とは言えまい・・・

色々手広く「嗜む」割には何をやっても中途半端というのが、自分がここでも書いてきた特徴だが、世の中には裾野を広げる役回りもいるものだ。息子甘辛は私とは真逆で始めて10年余り(まだ10年か・・・)サッカー一直線だが、先日、高校の体育&球技祭で「ハンドボール競技」に登場し、周囲もびっくりするような華麗なプレーをして見せた。「本職よりこっち(ハンド)の方がいいプレーしてたんじゃねえか?」と冷やかすと、「去年決勝で負けたのが悔しくて、体育の時間にこの練習ばっかしてたんだよ」どうも自分で競技を選んで、練習のカリキュラムを作るスタイルらしいのである。彼らの年代は「趣味」というよりは身体能力と知性を開花させるのがまずは先決だから、色々なことに手を出してもらいたいと思う。趣味と嗜みの境界線を知るのはもう少し先になろうが、「中野」な世界はぜひ「嗜み」レベルに留めてほしいものである。ちなみに写真はグランドの向こう側に見えた「見ると幸せになれる」と聞くドクターイエローだと思うのだが、甘辛に言わせると「年中通過するのでもはやありがたくもない・・・

      


GW釣り事情

2015-05-13 19:53:31 | ホビー
GWはほぼ全て天候に恵まれ、お出かけ日和だったが、我が家の過ごし方は編成以来ほとんど変わっていない。大きなお出かけをするでもなく、散歩またはサイクリングで江ノ島辺りをうろつくくらいである。午後ともなると連日、海岸線は江ノ島入口から我が家の前をはるかに自動車の列が西につながってしまう。息子甘辛が小学生くらいの時はお友達家族と一緒に磯遊びなどを楽しんだものだが、もう子供がそういう年齢ではなくなってしまった。GW前半最初に甘辛は部活最後のインター杯予選があって、ゲームキャプテンに少し前に亡くなった元コーチへの喪章、背番号10をつけてクジ運が悪いとしか言えない強敵相手に、これまでにない見事なプレーをしたそうだが、残念ながらPK戦で負けてしまったようだ。(私は現住所で初の「町内会打合せ」で見に行けなかった)会場校の手伝いとちょっとしたトレーニングを終えると後半はオフになったようだが、我々と行動は共にせず今春晴れて大学生となった兄のようなSちゃんと「中野」に繰り出していった。。。

課題研究のパーツを買いに「秋葉原」なら何度か足を運んでいたが、「中野」とはまたコアなワールドに踏み込んだものだ。彼らが向かったのは恐らく「中野ブロードウェイ」、研究所勤務時代に通り道だったから、何度か訪れたことがあるが秋葉原をはるかに超える「ディープ」な回廊である。「しょこたん」の店をはじめ(これ聞いただけでもマニアックだろう)、ミニカー、トレカ、コスプレ、掘出し物、古コミックなど何でもありで、有名な「まんだらけ」と名の付く店舗が20もあるから驚きである。以前に窃盗犯に対し「盗んだ鉄人28号を返さなければ防犯カメラの顔写真を公開する」とネット上で宣告し世間を沸かせた店舗もこのうちの一つである。むろん違法といえる品や著しくいかがわしいものはないが、映画「輪廻」に出てきそうな人形や、いかにも胡散臭い縁起物、意味不明なアイテムなどがずらりと並び、秋葉原と「深さ」で例えると田沢湖とバイカル湖くらいの違いがある。「すげえところだったー!」と半ば呆れていたが、無事この世界に戻ってきたようだ。

さて例年のように特に遠出する予定もないので「江ノ島でも行くか」と話していたが、珍しく妻が「釣りでもしようか」と言い出した。島内を歩き回るだけで1日十分に遊べるのだが、あまりに人混みがすごそうで気が進まないらしい。弁当とビールを持って、湘南港の広い岸壁でのんびり釣り糸を垂らす風景を目に浮かべたらしい。普段あまり「釣り」に関して理解を示さない妻を引き込むいいチャンスである。私は前半の休日、波が無いのであまり混雑していないサーフビレッジを早目に引き上げ、チャリで江ノ島周辺の「偵察」に走った。陽気やシチュエーションもよいが、「釣り」に興味を持たせるためには後で語れる「成功体験」が必要だからである。海岸のサイクリングロードを走り新江ノ島水族館を越して片瀬新港へ。港湾入口の先端は「釣りゾーン」になっていて、ファミリーフィッシングで賑わっている。足元の底釣りでギンポやメバルも交じっていたが、投げ釣りが主流のこのエリアでは「ヒイラギ」しか釣れていない。「富士山に向かって投げる」絶好のポジションだが、釣果とはほど遠いのがこのエリアである。

弁天橋歩道は人で溢れているので、チャリを車道に持って行って東側奥の本命、湘南港灯台まで走らせた。思ったよりも人が少なく、午後だというのにこれから道具を持ってきても十分に釣り座を広げる余裕があるようだ。家族連れやカップル、常連などが入り混じっているが、どこも大して釣れていない。ちょっと目を引いたのがアオリイカ1杯、カワハギ1枚くらいで他は細いクチボソのような小さな魚が数匹バケツに入っているくらいだった。実はこの魚、「稚鮎」でこの時期に捕獲は禁じられているのである。南側の海面から高い方の釣りゾーンに行ってみると、海一面に薄く赤い広がりが・・・・なるほど赤潮で魚がイマイチいなくなってしまったのか?!磯場は数人の地元フィッシャーがいたようだが、足場が水を被っていて釣果は確認できず。戻って一応オリンピック公園側も偵察したが、ここは釣れているのを見たことがない。公園で芝生もベンチもあり、片瀬東浜海岸に浮かぶウインドサーフィンや小型ヨットなどを眺めて寛ぐには良い場所なのだが、やはり釣果には縁の薄い場所なのである。

残るは西側の岩場である。ここは仲良しのSちゃん一家とも何回かご一緒したことがあるところで、磯遊びもできるから釣果がいまいちでも楽しめる。手前の江のスパ階段から潮の関係で行けなかったから、弁財天仲見世通りを途中まで上ってから岩場に出るのだが、行く人帰る人で埋め尽くされており、「とびっちょ」前で一歩も進めなくなってしい、まさかの「引き返し」。。。自家用車が渋滞で進まないのなら分かるが、人の列が動かないとは・・・!?行楽日にあまり来たことがないから知らなかったが、なるほど妻が本島内にあまり行きたがらなかったのも理解できた。小一時間ほど偵察を行って再びサイクリングロードを走りながら、何やらふと思いついた。これって偵察そのものが立派な「行楽」なのではなかろうか?!ゆっくり景色を楽しんだり(いかにも見飽きているが)、飲んだり食べたり、買い物や名所巡りをしていないだけで、歩いているところはまさしく観光地である。「どこが具合がよいか?」混雑する他の本気観光の人たちに交じって「下見」をするというのもいかにも贅沢のようで、単なる地元のようでもあり、何だか妙な気分である。(そのまま遊んできた方がよかった気がする)

「江ノ島周辺は赤潮が出ていて、ダメらしいよ。どこもほとんど釣れてなかった」「そう言えば、そんな季節だものね」私は諦めずに茅ヶ崎港から出船するとある釣り船のサイトを眺めていた。昨年も今頃に妻とファミリーフィッシング船に乗ったことを思い出したのである。ゴールデンウィークはスポーツ紙の協賛もあり、「感謝デー」として女性や子供でも手軽に楽しめるイベントがある。私はいつか乗ったことがある「ハーフフキス船」に目を付け、後半のどれかコンディショニングのよい日に二人で乗り込むことにした。数はそこそこ釣れるだろうし、天ぷらにすればかなりの美味だから準備時間を考え、午前ハーフ船を申し込むことにしていた。そのことを一緒にスカッシュしたつぶやきさん一家にお話しし、試しに誘ってみたところ、何と家族お揃いで釣したいと言うのである。小学4年生のMお嬢ちゃんはむろん、釣りデビューである。
 
    

4人で30匹釣れたら、料理するだけでも結構大変だ。我が家の会場準備のために、妻は今回留守番ということになった。都内から電車で来られる一家のために、予約は午後ハーフ船に変更して辻堂駅まで赤いライオン号で迎えに行った。ただ残念なことに天気予報でよさそうな日を選んだつもりなのだが、あいにくその日は強風で時化ている時だったのだ。船長が「洋上はキツいかも・・・」と言われながらも、Mちゃんはパパにエサを付けてもらって果敢に仕掛けを放り込み、始めの30分・・・誰にもピクリとも当たりが来ない中、見事にトップバッターとして1匹目を釣り上げ船内を緊張させた。。。実は同じ船縁で釣れているのは見えたのだが、風と揺れに苦戦するあまり隣のパパが釣り上げたものだと思っていた。デビュー戦の彼女が記念すべき1匹目をゲットしたのなら、もっと拍手大喝采してあげればよかったと後悔し次に釣れたら大騒ぎしようと思っていた。

しかしその後、船は烏帽子岩周辺を何か所か周遊するも、ほとんど魚の姿は拝めなかった。私の隣のオヤジが良型のキスを1匹にイワシ1匹、反対側のつぶやきさんも良型1匹、しんさんはピンギスにイワシ1匹という惨状である。大体においてスタートは良くない私なのだが、後半に入って何とゼロ!3000円も払って「坊主」なんてありなのか?!「30匹釣れたら揚げるのは大変だぜ」と舐めたことを口にしたことを後悔した。風はますます強くなり、前方の父子連れはお子さんが早々とリタイア、お父さんは突然周辺全域の釣り船にも聞こえる大音量で胃腸内容物を大海に撒いていた。Mちゃんは途中少しお休みしたようだが、後半戦になっても絡まったり、引っ掛かったりして苦戦しながらも粘り強く仕掛けを投入し続けていた。このコンディションで子供なら嫌になってしまうのに、いい根性をしていて偉いと思った。反対の船縁の状況は分からなかったが、ほぼこちらと同様散々な釣果だろう。「(こりゃー、今日は潔くボウズだな。オレはそれでいいから、Mちゃんにもう1匹だけでも釣れてくれないかな。船中で大歓声上げてあげたいものだ)」

帰港時間も迫り、何となく天に祈っていたら自分の竿先に微妙なアタリがあった。「んっ?」揺れと風で分からないくらい小さな反応だったが、その日2回目の感触(1回目はバラしてしまった)に、「ついっ」とアワせるとぐわーっと竿先が重くなり、巻き上げるごとに竿がしなって重量が増してきた。うっかり掛かり具合を感じるために止めてすっぽ抜けるといけないので、ずーっとカワハギ釣りのようにずーっとそろそろ巻き上げ続けた。「(大きな藻でもひっかけたかな?今日はしょうがねえや・・・)」と苦笑していたら、水面に赤い大きな魚影が現れた。となりのオヤジが「おおーっ、すげえ!」と叫んだ赤い魚は大きな「ホウボウ」だったのである。確かに釣果情報では「メゴチ、ホウボウ混じる」と書いてあったが、本命ゼロで「混じり」1匹とは・・・天は我を見放さなかった。Mちゃんは「綺麗な魚だねえ」と興味深々のようだった。結局後にも先にもこの個性的な顔をした魚が1匹だけ!うねりが強くなってきたので少し早く帰港することとなった。釣果は散々だったが、諦めかけた最後に大物が1匹来たので記念写真を撮っておいたのだ。



「帰りに魚屋でも寄ってく?」「いや、今日はいっそのこと魚からは遠ざかって焼肉にしよう。そうだよ、元々焼肉パーティやる予定だったことにしようぜ」まったくお寒い会話だが、仲間がいると結果がよくなくとも色んな冗談を交わすことができ、楽しいものだ。Mちゃんだけでももう少し釣れてほしかったが、まあトップバッターの栄誉ということでまんざらではないようだし・・・しんさんは2匹釣ったので「オレが竿頭だ」と言い張っているし・・・焼肉をつつきながら、最悪コンディションでもあきらめずに粘り強く釣り続けたMちゃんを褒め称え妻が揚げたキスの天ぷらとイワシ刺身のおこぼれ、グロテスクな割にはねっとりした絶妙の甘い香りのホウボウを口にして次回リベンジを誓う我々だった。



記念日の過ごし方

2015-05-09 06:36:56 | 出来事
毎年GWのド初っ端にこの記念日はやってくる。約20年前はバブル期も終わりスモークの中ゴンドラで登場するような豪華絢爛、元禄時代のような「派手婚」はなく、少し質素化している最中だったと思う。その後デフレが極まり、身内だけとかちょっとしたレストランでパーティなどというあまり費用をかけない「地味婚」が流行りだし、リーマンショック以降は式そのものを行わないカップルも増えたそうだ。ニュースの記事にあったが、最近の傾向は式の主役が招待客で新郎新婦が世話になった人に感謝を表すような「おもてなし婚」だという。それぞれ時代を表す現象で「どれがよい」ということはないだろうが、我々は(意外にも?)「この先、毎年やってくる記念日にこの日をどう回顧するか」ということを考えた。式場選びの最重要ポイントは「毎年記念日を祝えるランドマークたること」(名前もそのまんまだけど)だったのである。

当然のことだが友人知人には色んなスタイルの挙式があった。横浜周辺だけとってみても、中華街の有名店を貸切り何百人も招待して開催されたのもあったし、駅前のホテルで披露宴を行った後、氷川丸で大パーティというパターンもあった。グアム島で挙式した後に友人の務める挙式専用ホールで披露宴を行った知人もいる。レストランもあったし我々のお隣のホテルもあった。ただ年代的には長引く不況の前後ということもあり、挙式したホテルや店がすでに無くなってしまっているケースも少なくない。(それ以前に婚姻そのものが無くなってしまったカップルもあるが)気にしない人々は全然関係ないと思うが、我々からしてみると、はるか昔「誓いをたてた場」が現存しないというのは寂しかろう、と思われるのである。

さて招待客の都合を考えれば、日取りは土日中心にするのが一般的だ。終わってしまえば、翌年からは「記念日」となるが、他人にとっては何の関係もないから平日になってもいっこうに問題はない。ただ当人らにとっては毎年の記念日が平日になってしまうと、ついつい気分も「平日」化してしまい、アニバーサリーからは遠のいてしまうこともあるようだ。何よりも「つい忘れてしまう」可能性が高いそうなのだ。だからか友人の言う「今日は結婚記念日なんです」という日は何年たっても「休日」である日が多い。全体的には秋が一番多いようだが、GWという人も結構いるようだ。何よりも「忘れる」ことがない。とある師匠は「潮干狩り」にお出かけになり(海岸ホテルとの組み合わせが絶妙です)、爆笑つぶやき一家はサイクリング(これまたB級グルメ巡りが楽しそう)だという。それぞれのスタイルで行楽と合わせてワクワク気分で記念日を祝えるところが素晴らしい。

我が家の場合はGWと言えなくもないが、少しだけずれているのでいつの間にか過ごし方が定番化してしまった。11月22日(いい夫婦の日)も含めるとかなりの回数足を運んでいるが、会場だったバンケットルームの隣にあるラウンジで普段は飲みもしない「カクテル」を飲んで過ごすのである。地上277mにあるこのラウンジは普通に訪れると席のチャージだけでも2000円!素晴らしい景色に行き届いたサービス、生演奏も登場するのだがお値段も海抜と同じだ。だが平日のアフター5に限って用意されたコースがあり、小洒落たオードブルにローストビーフ、ハーフパスタがついて、一杯平均1500円くらいのカクテルドリンクが何とフリーオーダー!「飲み放題」などという居酒屋ネームは似合わないスペースだが、妻はお気に入りのカクテルをひたすらお替り、私はメニューの上から順番に注文するという(「ハイボール!」と言わないだけまだましだが)全くラグジュアリーじゃないスタイルだ。

さて今年は少し時間が取れたので「ただ飲みに行く」だけでなく「みなとみらいを歩く」ことにした。桜木町駅で待ち合わせ、いつもはタワーに直行するところを、日本丸を横目にいつの間にか出来上がっていた散歩道を通って、未だ足を運んだことのない「赤レンガ倉庫」に向かったのである。日本丸メモリアルパークの横から赤レンガ倉庫に向かう遊歩道ができている。明治時代に新港埠頭の物資輸送に使われてた臨港鉄道の遺構を保守・利用したもので、「汽車道」という。日本丸やランドマークタワーはじめとする建築群、コスモワールドなどを眺めながらのんびり歩け、途中に芝生広場の公園や大昔の遺構とも思えるごっつい橋梁があったりと散歩には絶好のルートのようだ。陽気もよし、GW中はすごく混雑しそうだが、その少し前ということもあって、いかにもゆったりしたこれまであまり見なかった風景を楽しんだ。

      

「あのローマ遺跡みたいなでっかい建物はなんだろか?」「結婚式場みたいよ」
またものすごい施設ができたものだ。隣にあるワールドポーターズよりも巨大な「城」がコスモクロックの足元にできている。みなとみらい地区のほぼど真ん中に位置し、昼も夜も絶景であることだろう。表参道や豊洲、東京ベイにも式場を構える一大企業のようだ。タイトルは「祝福の街」、タワーの最上階とは異なりオープンスペースに登場したら、みなと中からそれこそ「祝福」の声をもらえそうな新しいランドマークとなるだろう。我々はぶらぶらと遊歩道を歩き、赤レンガ倉庫が見えてきた。ここではドイツ生まれのフリューリングス(=春)フェスト(=祭り)というビールの祭典がGW期間中開催されている。ドイツのビール祭りと言えば「オクトーバーフェスト(秋)」だが春にもあったのか?!かの国では1年中、何かのビール祭りがあるんじゃないだろうか。。。

    

GW少し前の平日でまだ混雑とまではいかないが、何種類もの本場ビールや料理の店がところ狭しと並んでいた。数々のソーセージとジャガイモが中心だが、私達はお馴染みのプレッツェルに シュニッツェルサンド、そして好物のアイスバインを購入して巨大なテントの中に席を確保した。
うーむ。。。懐かしい〜。私は結婚した翌年に海外研修で1ヶ月ほどドイツを周遊した。事務局が気を利かせてくれたのか、たまたまかミュンヘン滞在期間が重なってくれたので、かの世界最大のビール祭りを経験することとなったのである。しばらくするとテント中央の高台ステージにドイツ人4人組がやってきて演奏を始めた。手拍子をしたり、立ち上がって見よう見まねで振付をしたり、だんだんと会場に一体感が出てきた。

    

そして何よりも盛り上がるのがドイツ名物「乾杯の歌」である。別に決まりがあるわけではないが、ところどころでバンドが「アイン プロージット、アイン プロージット・・・」と始めると皆立ち上がってジョッキを片手に振り、隣人向かい裏。所構わず歌って乾杯する。「アインス(ワン)、ツヴァイ(ツー)、ドライ(スリー) ズッファ(飲み干せ)!プロースト(乾杯)!!」とかますのである。我々はスカイラウンジよりも一足早く、昼間からドイツビールで記念日を祝うこととなった。ズッファとは日本語で「ガブガブ飲む」という意味のドイツ語のバイエルン方言だそうだ。ただ事故や怪我を恐れたのか、本場とは異なりガラス大ジョッキではなく回収用プラスチックコップだし、場内には「椅子やテーブルの上に立ち上がらないでください」というアナウンスが・・・(中々日本らしい?!)

私が本場ミュンヘンの「ビール祭り」を経験したのはむろん約20年前の1回こっきりだが、いつの間にか「オクトーバーフェスト」と称するイベントが日本各地で催されるようになり、ここ赤レンガ倉庫も会場になっている。
ちなみに記憶を辿る限りでは、向こうのベール祭りでは日本のようにテーブルを本場料理で豪華に埋め尽くす、ということはあまりない。大きなジョッキ(たぶん1リットルもの)を持って「ズッファ!」と掛け声をかける割にはちびりちびりとやるのである。つまみはほとんどプレッツェルのみ、それも大きくて柔らかい方をむしりながら延々とおしゃべりし、皆で歌声を上げ1杯のジョッキを時間をかけて飲むのだ。ミュンヘン初めての我々研修生のために現地事務所は一番大きな「ホフブロイハウス」テントに席をとってくださり、また現地の料理を用意してくれたが、よく見ると我々のテーブルだけのようだった。むろん例の歌がかかるとテーブルや椅子に立ち上がり、巨大なジョッキ片手に時には周囲の見知らぬ人と肩を組み、所構わず乾杯してまわったものだ。。。

  

あまり過ごすとアルコール度の強いカクテルを飲む前に出来上がってしまうから、ほろ酔い程度にテントを後にし、ベイブリッジ側の広々とした公園を散歩した。向こう側はもう大桟橋の「くじらのせなか」である。そして赤レンガパークの隣には横浜海上防災基地があり、海上保安資料館がある。一見地味な施設だが、驚いたことにこの資料館では平成14年9月に発生した不審船追跡事件で沈没した北朝鮮工作船が展示されているのである。ニュース映像も生生しく記憶しているが、九州沖で海上保安庁の巡視船が高速航行する不審船を追跡し、あろうことか砲撃戦まで発展した事件である。引き上げられた後のことはよく知らなかったが、船体や展示物を見ると戦慄すべき事件だったことがよくわかる。まず漁船を装っているが、エンジンは4基もあって通常船の約10倍の出力を誇り、後部の観音扉内には小型船を搭載し、水中スクーター、各種アンテナ、レーダードームに加え、機銃台座までもつハイテク戦闘艇だったのである。残念ながら撮影は禁止だが、回収品には自動小銃や手りゅう弾、無反動砲にロケットランチャーなど目を疑うものばかりだった。

        

意外な緊張感漂う資料館だったが、外は平和な赤レンガパークで、木陰のベンチで買ってきたドイツビールを片手にくつろぐカップルなども見られた。赤レンガ倉庫の建物内も雑貨屋やレストランが並び、イベントがない時でも十分遊べるところとなっている。我々はゆるゆると遊歩道を戻っていつものショッピングプラザでいくつか買い物し、高速エレベーターに乗り込んだのだった。「記念日に何をして過ごしたか?」とあるSNSサイトで知るようになったのだが、各家庭で色々なスタイルがあるものだ。どういう機能なのか1年前の同日、何をやっていたのか自分だけのページビューがあったが、まったく同じ姿でカクテルを片手にしていた。私達には定番化していくのだろう。毎年このパターンというのは芸がないと言ったらないが、実はあれこれメニューを考えなくて済むのも「継続する」ポイントなんだろう。「シリウス277」というカクテルを片手に「今年もここに来たな」とひとまずは思ったものである。

      

新作は「滅びの美学」?!

2015-05-05 06:00:04 | ホビー
ちょうど今の息子甘辛くらいの頃、遊んで夜更かし(勉強もだけど)することもなく、深夜ラジオにも縁の無かった私がほぼ欠かさず聞いていたのが、日曜日の松田聖子「夢で逢えたら」とビートたけし「オールナイトニッポン」である。当時絶大な人気を誇ったアイドル聖子ちゃんの「ザ・ベストテン」などとは違った素顔っぽい本音が聞けるのが新鮮で、男子は誰も彼もが熱心に聴いていた。オールナイトニッポンは月曜日の中島みゆきもたまに聴くことがあったが、たけしの番組が一番好きだった。ただ深夜一時というのは、そういう習慣のない私にはかなり厳しいものがあり、前半の高田文夫とのトークが終わって愚にもつかないはがきコーナーになると寝入ってしまうことが多かった。しかし面白い話を聞き逃すのが嫌でラジカセで録音し、翌日その内容を飛ばし飛ばし確認していたものだ。トークの内容は自身の暴露話とか芸能界、スポーツ界、お笑い仲間の武勇伝など面白おかしいものが多かったが、時々政治や時事に関し、ドキっとするほど鋭いコメントをすることがあり、「ビートたけしというのは頭のいい人なんだろな」とお気に入りタレントだった。大学後半のキャンパスの近くにスタジオがあることもあって研究室仲間で「風雲たけし城」に応募したが落選してしまった。。。

「フライデー襲撃」や映画監督になってアカデミー賞にノミネートされた時のいきさつとか色々とやってくれたが、番組終了後はいつの間にか「北野映画」と言われるジャンルまでできたようだ。何本か借りてきて見たことがあるが、カファの強い私には暴力シーンが過激であまり好きになれずそれきりになっていた。映画のことはよく分からないがその後、カンヌとかヴェネチアとかの映画祭で賞をとるなど日本国内より海外で評価されているようだった。今回の最新作品はこれまでとは異なるコメディータッチのものだが、主演級の俳優に錚々たるベテランを勢揃いさせテレビでも結構話題になっていた。妻は別にたけし監督のファンというわけではなかったが、何かの拍子で「初日の舞台挨拶つき映画チケット」というのをGETし、その類は初めての経験となる私と二人で見に行くこととなった。場所はGW前に巨大なショッピングセンターが開業した二子玉川駅前である。(うーん、懐かしい〜)

「金無し、先無し、怖いモノ無し!」という平均年齢72歳の元ヤクザが昔の仲間を集めてひと暴れする話である。ネタバレにつながる話はできないが、「昔バリバリのヤクザが今は大人しく哀愁漂うお年寄り、しかし一たび決意すれば目を見張る大活躍、お年寄りが元気になるような『まだまだ若いモノには・・・』という痛快なジジイ讃歌」では決してない。随所で観客の半分くらいが「ケラケラ笑う」シーンがあり、わざわざ「あり得ない」ベタなストーリーを繋げているようにも感じる。昔は大暴れしたものだが、今は家族とともに暖かく・・・なんてジジイは一人もいない。ずーっと、やりたい放題しっ放しである。むしろジジイの嫌なところ、カッコ悪いところ、醜いところ、汚いところを敢えてたくさん描き、ギャップとしてカッコ良さをだしているようなところが北野監督の捻りにも思えた。観客は我々の同年代よりもはるかに上の層が主だったが、若年層まで幅広くシアターを埋め尽くしていた。私のとなりの老夫婦はご主人が途中から大鼾でスクリーンの「ジジイ」顔負けののん気さだった・・・

本編の終了後、初めて見る役者と監督の舞台挨拶で、司会の案内で次々と登場する人たちはそれはすごいメンバーだった。龍三親分の藤竜也さん、若頭マサの近藤正臣さん(思わず劇場内でかなりの人々が鶴太郎さんの「コンドォーです!」を期待していたと思う)、中尾彬さんに唯一若い安田顕さん、最後に北野武監督である。舞台に上がる時、期待していたのだが、たけしさんはいつものズッコケはやってくれなかった(やっぱ監督だからか・・・)。一人ひとりが本映画の撮影についてコメントしていく。「映画の上映日を迎えるまでは生きている」というのが合言葉だったそうだ。たけし談では補聴器を着けてる俳優さんもおり「ヨーイ、スタート!」が聞こえなくて「うんっ?」と言って近寄ってしまう人もいたとか・・・カンペも目がよく見えないから、巨大な文字で書かれるために字を目で追う役者さんの頭が上下してしまったり・・・極め付けで龍三親分がキャバクラのママ(萬田久子さん)のマンションに行って、裸像全の状態で京浜連合の西が乗り込んできた時に、彼女のネグリジェをまとってハイヒールを履き逃げていくシーンがあるが、生真面目な藤竜也さんは台本を見て「たけしさんオレ、このカッコするんですか・・・?」尋ねたそうだ。これらエピソードは「しゃべくり007」という番組のゲストにたけしさんが登場した時にも暴露していたので、構わないだろうが、何とこの話たけしさんの実際の体験談だったそうなのだ。

舞台挨拶というのは初めての経験で、映画そのものも実に面白くあっと言う間の2時間あまりだった。妻はある特定の俳優目当てでお友達と舞台挨拶など見に行くことも結構あるそうだが、作品自体は映画館に足を運んでまで見に行く気にはならないものでも、こうして「生の姿や声」を間近で感じられるのは中々得難い機会だ。一ファンであるたけしさんだが、生で見ることはもうないかもなー。。。私は「映画はなんでもいいから、舞台挨拶で『女優オーラ』というものを見てみたい」と言うと、妻は映画「清州会議」の初日で登場した鈴木京香さんはものすごかったという。肌の綺麗さ、スタイル、姿勢の良さなどがほとんど神領域だったそうだ。近所の24時間営業の「●友」で何度か妻がお見かけしたことがあるという、高岡早紀さんも私生活では色々言われているようだが、間近で見るとものすごいオーラらしい。(まったく一般人丸出しだが・・・)

さて映画の感想、評論などあまりしたことがないが、せっかくだから北野最新作を見て思いついたことを書き留めておこう。ちょうどちょっと前に読んだオオスズメバチの一生を描いた物語と妙にリンクしたのである。一言で書くと「適応しない者が潔く滅ぶ」
以前、とある質問サイトに(不謹慎ですがとしながらも)、「動物や自然界は『弱肉強食』で弱者は滅ぼされてしまうのに、人間社会だけそれを行われないのは何故か?」という投稿があるのを見た。優れた遺伝子を残すのが自然の摂理で、人間社会は理に適っていないのでは?」という疑問である。最も素晴らしいとされた答えは人種とか人間性、感情とかいう言葉を持ち出さず、純粋に「種の生存戦略」という観点から語っていた。「自然界は弱肉強食ではない。その掟は個体レベルでは『全肉全食』、種レベルでは『適者生存』である」と。

個体レベルでは全て最終的に死ぬから、何者かに全部「喰われ」る。寿命の長さは関係ない。種レベルでは「個体が生き延びる」のではなく、「遺伝子が次世代に受け継がれる」という意味で、「強い者が残る」のではなく、「適した者が残る」自然界にはその「適し方」が無限と言ってよいほど存在するから、あらゆる形態の生物が存在する。どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第。オオスズメバチの物語を読んで、まさしくその通りだと膝を打った。昆虫界では強きオオスズメバチも少しでも多く遺伝子を受け継ぐために凄まじく厳しい戦略を選んだ。「個体同士の生殖ではなく、同じゲノムを持つ「妹」達を多数育てる、という方法である。そして人間の生存戦略を「社会性」と呼ぶ。高度に機能的な社会を作り、その互助作用をもって個体を保護する。個別には長期の生存が不可能な個体(弱者)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する。可能な限り多くのパターンの形質的イレギュラーも抱えておく方が生存戦略上の保険となる・・・

「弱者」たちが集まって、できるだけ多くの「弱者」を生かそうとするのが人間の生存戦略であり、社会科学では「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かと言えば「協働」とする。「闘争」がどれだけ活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられない・・・
どうか?映画に登場する「じじい」たちはものの見事に自然界に適応できない(あるいは適応を拒否した)存在だ。「老人」がそうなのではなく、「やくざ」というのがそういうものだというシーンが多数現れる。人間の選んだ生存戦略に適さない種族だから、昔のように存在することはできない。だから「潔く」(というのは人間だけに適用できるが)滅んでいく、ということだ。ここしばらくで不思議につながる物語に触れることとなった。

凄まじき虫の世界

2015-05-02 08:04:24 | 書籍
昆虫界最強最悪、かの「みなしごハッチ」のお母さん女王バチを監禁し、「カマ吉おじさん」を死に至らしめた残忍で冷酷な軍団、スズメバチの物語である。(ちなみに最終回はお母さんに再会するシーンよりも、カマ吉おじさんが死んでしまうシーンの方に涙が止まらなかった・・・)正しくは「オオスズメバチ」学名は「ヴェスパ・マンダリニア」という。満州人の国である中国清朝の官僚の制服が黄色っぽいオレンジ色だったことから名付けられたそうだ。八ヶ岳にある市の体験施設の見学ルームには巨大な巣が展示されていたし、息子が幼い時に実際に周辺で遊んでいて、何度かその恐い顔と不気味に光る尻を見て恐怖を感じたものだ。子供の頃、ハチに刺されて赤くなった(「○●」をかけろとよく言われたが)のは大抵ミツバチでスズメバチに本気で刺されると無事では済まない。多くはないが、死亡に至ることもあるという。ちなみに偶然にもかの小夏師匠はなんとこのハチ(と思われる)に頭に止まられるという、恐るべき経験をなさっている。平然と去るのを待ったという師匠の大物ぶりが伺えるエピソードである。
さてこの物語は期間にしてわずか30日の命しかない、オオスズメバチの帝国に生きる「ワーカー」と呼ばれるメスバチの一生を描いたものだ。著者は「永遠のゼロ」を書いた作家である。

主人公は「マリア」という帝国でも優秀なハンターだ。巣の中央には「偉大なる母」と呼ばれその名は「アストリッド」という。巣の中の育房室にひたすら卵を産み続け、生まれ出る幼虫はすべてメスである。マリアと同じワーカーは自身は幼虫の唾液や樹液をエネルギー源として幼虫が羽化する「ためだけのために」交尾も産卵もすることなく、献身的に世話をする。新しい育房室を建設するもの、巣の掃除や補修をするもの、マリアのように獲物を狩って巣に幼虫にもたらすもの、にきちんと役割分担されている。ハンターは他の昆虫やクモなどを噛殺し、丸めて肉団子にして巣まで運搬する。肉食なのは幼虫だけでハンター自身は獲物を捕食できないから、完全な戦闘マシーンである。「見逃してくれないだろうか」と嘆願するアオドウガネの背中に容赦なく牙を立て、大量殺戮したミツバチの巣では女王バチに「この悪辣な略奪者たち!」と叫ばれ、オンブバッタには「この残酷な虐殺者!」と罵られ・・・いやー、えらい言われようだ。。。彼女たちは感情に流されることなく、無表情に(当たり前か!)肉団子を作り続ける。

ある日マリアは初めて「オス」のスズメバチと出会う。幼い妹達と「偉大なる母」のために帝国の戦士として狩りを続ける彼女がふと、種に定められた宿命というものを考え始める。先に書いた通り彼女たちの寿命はわずか30日、そして数日早く羽化した「姉」がなぜかその宿命を承知していてマリアに告げる。ちょっと無理がある展開に上塗りするようだが、それは「ゲノム」の意思というものの興味ある説明だった。スズメバチには性染色体がなく、ゲノム(遺伝子)の数で雌雄が決まる。一般的な受精で生まれる個体はむろんゲノムがオスの分とメスの分で2種類あり、これは全てメスになる。ここ女王バチも同様でゲノムを二つ持ち、これをAとBとする。オスはゲノムを一つしか持っておらず、これをCとする。この2匹が交配すると生まれてくるのはAとC又はBとCを持つメスとなる。これがマリアを含め帝国にいる全てのワーカーである。帝国内にオスは一匹もおらず、自分も含め「偉大なる母」から生まれるのは全てメスである。では一体父親はどうなってしまったのか?マリアの一抹の疑問はそこから自身の宿命へと発展する。

ここで「ゲノムは子孫がより多く共有することを望む」という不思議な法則に則り、驚くべきスズメバチの生存戦略が明らかになる。先に出てきたAとCのゲノムを持つワーカー�は仮にDというゲノムを持つオスと交配して「娘」を生むとすれば彼女らはAとD又はCとDということになり母である�から見ると父親分が半分入るからゲノムを50%共有していることになる。しかし女王バチがCと交配した結果の受精卵を延々と生み続ければ、つまり「妹」を生み続ければ、彼女らは常にAとB又はAとCのゲノムを保有することになり、ワーカー�から見るとAとB保有なら100%、AとCでも50%、平均すると75%のゲノムを共有することになる。つまり雄雌交配で世代交代せずにメスが妹を生み続け、それを成長させた方が、ゲノムの共有率を高くすることができるというわけだ。マリアはメスであり交配も産卵もできる器官があるが、女王フェロモンによりこれが発動するのを抑制されていると聞いた。

しかしマリアがたまたま出会ったオスのスズメバチは名前をヴェーヴァルトといい、彼の帝国は女王バチが病気で死んでしまい、女王フェロモンの抑制がなくなったためにあるワーカーが擬女王バチとして産卵したのである。その名をルーネという。しかし交尾していなかったから、生まれたのはオスだったのだ。
「ぼくたちオスバチはワーカーではないから、巣作りもできないし、狩りをする本能もない。だから何頭生まれても帝国を維持することはできない。今、生きているぼくの姉たち・・・ワーカーが全員死ねば帝国は滅びる」
「あなたは・・・オスバチは何のために生まれてきたの?」
「新しい女王バチと交尾するためだよ。ぼくたちの務めはそれだけなんだ。」
「それであなたは新しい女王バチが誕生するのを待ってるのね」
「ぼくはその時まで生きていない・・・ぼくは早くに生まれすぎたんだ」ヴェーヴァルトは寂しそうに笑う。悲しい物語である。
「ぼくは羽化してもう2週間になる。こうして雑木林から雑木林を旅して樹液を飲んで生きている。でももうあとわずかしか生きられない。新しい女王バチが誕生する前に死ぬ」
「君が女王バチならよかった」ヴェーヴァルトはそう言うと、マリアに近づいて二本の触角をマリアの顔に触れさせた。「あなたの触角はすごく長いわ」マリアがいう。
「オスバチの触角は女王バチの匂いを探し求めるために長くなっているんだ。ぼくには役に立たないものだと思っていたけど・・・マリア、君に触れることができてよかった」
マリアはゲノムの仕組みとヴェーヴァルトの悲しい将来を思う。自分は立派なメスで卵管や卵巣があって、交尾も産卵もできるが、おそらく本能がそう命じない。しかし彼女は誇り高き戦士であり、姉たちはそんな自分をゲノムの命令で機械的に育ててくれたのではなく、そこには深い愛情と優しさがあった。マリアとヴェーヴァルトの出会いはものすごく切ないが、「ゲノムの共有」というところは自然界に人間の知恵を超えた崇高さがあるようにも感じた。

次に女王アストリッド(何か登場する人物は独特なネーミングだ)が自身の歴史をマリアに語って聞かせる。女王バチ(候補)はある一定の時期になるとワーカーと同じように生まれるが、特別な部屋でワーカー達の特別な待遇によって女王バチ候補たる体格をなす。ある日羽化して巣を飛び立つとフェロモンに引き寄せられた他の帝国からのオスバチが待ち構えていて、交尾のために襲い掛かってくる。しかし帝国のすぐ近くなので巣を守るワーカーたちはオスたちに本能的に襲い掛かるのである。オスには最大の武器である針(本来は産卵管だそうだ)がないので、圧倒的に不利で次々と撃退され、自然に弱いものは淘汰されていく。

この淘汰は凄まじく、ついに若きアストリッドに辿り着いたオスバチは瀕死の重傷だ。二本の触角はが切断され、腹には針を受けた傷が3か所、胸にも牙でつけられた傷があった。フリートムントと名乗ったオスバチは最後の力で交尾した後、生き延びてたくさんの娘を生むよう頼んで息絶える。これがマリアの父親である。そして一冬を眠って過ごし、自らで小さな巣を作り、フリートムントから受け取った精子を受精嚢で卵子と結合させ、娘を生み始める。こうして少しずつ拡大していったのが今の帝国である。ある一定時期になると、新女王バチ用の大型育房室が作られ、女王バチ用に高タンパクのエサがふんだんに与えられる。そして次にアストリッドはオスのハチを生み始める。ヴェーヴァルトはこうして生まれてくるはずだったのだが、母となるはずの女王バチが死んでしまい早過ぎる生を受けてしまったのである。このオスバチはむろん、他の帝国に飛んで交尾するためにいるのだが、ここでも凄まじき「ゲノムの意思」が現れる。

分かりにくい話だが、元々A、Bというゲノムを持つ女王バチがオスを生み始めると当然弟たちのゲノムはAかBしか引き継がない。つまりA、Cというゲノムを持つワーカー�から見ればAなら半分、Bなら共有なしということになり平均共有率は25%になってしまう。しかしA、Cのゲノムをもつワーカー�ともう一方いるはずのB、Cのゲノムを持つワーカー�がそれぞれオスを生めば、ワーカー�から見ればA、Cを持つオスは50%ずつ、B、Cをもつワーカー�から生まれたオスは0%、50%のゲノムを共有し、平均共有率は37.5%となる。つまり女王バチがオスバチを生み始めたら、ワーカーがそれぞれオスを生んだ方が、トータルのゲノム共有率を高められることになる。ワーカー達が産卵するにはその機能を抑制している女王フェロモンの元を断ち切らなければならない。そして彼女らは迷うことなく、それを実行するのである。女王アストリッドは最後に語る。
「あなたたちは私と、そして勇敢だったフリートムントの娘です。私はあなたたちを生み、育てました。そして未来のために帝国を築きました。フリートムントとの約束を果たしたのです」
「私は宿命に従って自分の務めを果たしました。まもなく私はフリートムントに会うことになるでしょう。」「さあ、あなたたちの務めを果たしなさい!」ワーカーたちは躊躇なく「偉大なる母」に襲い掛かる!
虫の世界とは何と凄まじいものかと思う。

やがて若い妹たちのう何頭かが女王フェロモンを出し始め、擬女王となっていく。彼女らはオスしか生まないが、その半分は勇敢なフリートムントのゲノムを引き継いでいることになる。女王フェロモンは他のメスバチの産卵機能を抑制してしまうから、マリアたちは息子を生むことはなくなる。しかしオスバチたちは妹達同じワーカーの息子たちだ。半分は自分と同じ勇敢なフリートムントのゲノムを持つことになるのだ。マリアは自分が産まなくても彼女たちが産む子は自分の子と思う。これ生涯の最後に与えられた贈り物だと思うところが切なく悲しい。
マリアは帝国を代表する戦士となり、新女王バチのために軍団を率いて死闘を繰り広げる。新女王を育てるための高タンパクなエサを求めて、キイロスズメバチの巣を丸ごと遅い、多くの戦力を失った。歴戦の勇士や姉たちは全て死に絶え、マリア自体の命も長くないことを悟る。

新しいワーカーたる妹が生まれてこないので、帝国は衰退していくが、一方まずオスバチだちが「姉さんたち、それでは行ってきます」と巣立っていく。別の帝国で新女王バチと交尾するためである。彼らを守るものはなく、厳しい前途が待っているが、その運命と戦う機会すら与えられなかったヴェーヴァルトの悲しさを見れば希望があったろう。そしていよいよ新女王バチが巣立つ時がきた。マリアは自分よりもはるかに威風堂々とした妹たちに「あなたたちには偉大なる母アストリッドと偉大なる父フリートムントの血が流れている。」と巣立ちを促す。一番最後に巣を飛び立った新女王バチは翅が歪んでいた。マリアは巣に向かってくる他の帝国からのオスバチを片っ端から撃退していく。彼女のなすべきことは妹達と強いオスバチを結ばせることである。これがアストリッドの戦士としての最後の仕事であり、生涯最後の戦いとなる。

マリアは多くのオスバチを撃退した後に、先の翅のねじれた新女王バチに向かう一頭のオスバチと戦う。オスバチはマリアの針で何度も胸と腹を貫かれても怯まない。その勇敢なオスバチは「フローヴァルト」と名乗り、母の名を問うと何と「ルーネ」!
瀕死のフローヴァルトはその傷からして間もなく死ぬことは分かったが、最後の力でマリアを退け、彼女はついに生まれて初めて戦いに負けたことを悟る。彼は翅の歪んだクリームヒルトと激しく交尾し死んでいく。。。
「さよならマリア姉さん」「妹よ!戦って生き抜くのよ!」
エピローグでは立派な女王バチとなったクリームヒルトが自身が巣を旅立つ時に「戦って生き抜け!」と叫んだ姉のことを帝国の戦士に語って聞かせる。

アニメ界のストーリーで言えば、主人公が手も足も出ないほど圧倒的な力を誇るボスキャラ最終兵器のようなオオスズメバチである。「みなしごハッチ」の最終回ではこれまで物語に登場した全てのキャラが勢揃いして皆で力を合わせ、多くの犠牲を払いながら極悪非道なスズメバチ帝国を滅ぼしてしまうが、現実には小型昆虫など何千匹集まっても彼らにとっては敵ではないほどの戦闘能力を持った集団だ。小さき者が知恵と工夫と努力で強き者を倒すような「勧善懲悪」ではなく、元々「右に出る者がいない」連中、一般的にはあまり愛されない連中の凄まじくも美しいこの物語を私はすごく気に入ったのである。ちなみに彼らをこの上なく獰猛だが、意味もなく人や動物を襲うことはなく、「巣を守る」ために攻撃するそうである。「巣」には近づかないこと(特に新女王候補の産卵期)、万が一頭に乗っかられてしまったら、払ったり潰そうとせずに念仏でも唱えながら「じっと去るのを待つ」のが正しい対処のようだが、私に小夏師匠のような度胸があるようにはとても思えない。。。