超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

お買いもの

2014-03-30 12:23:06 | 出来事
私達は来月、結婚●0周年を迎える。昨今は「スウィート・テン・ダイヤモンド」などという男子にははた迷惑なCMも流れなくなったが、その前のディケイド記念の際には彼女のお気に入りの赤箱ブランドでリングを購入した。私の私的な備蓄ではなく我が家の公的資金から支出されているから、別にプレゼントしたわけではない。ちなみに私向けには何を購入したわけでもない。あれからもう10年か・・・今年は年齢としても節目にあたるから、何か記念品を買おうということになったが、二人でペアになるような宝飾品類などには興味がないので、全額アクセサリーにつぎ込め!ということにした。私は(父がそうだったのか)身の回りの物について割と機能主義だ。時計は「時を刻むモノ」、バッグは「物を運ぶモノ」、「靴は外を歩く時履くモノ」、「車は移動するためのモノ」・・・そこそこ見栄えをさせる以上に金をかける必要を感じない。唯一、身に着けるアクセサリー類は「結婚指輪」だと思ったから、これだけは少し金をかけ赤箱ブランドとした。(波乗り最中に落とすと困るから普段も着けなくなってしまったが)

その点、「女性のアクセサリー」というのは「周囲に光をもたらす」「そう思うことで自分も磨く」という立派な機能があるため、その購入に関してはかなり肯定的だが、その価値について自分の判断基準に照らすとどう考えても値段が付かないものが多い。材料科学専攻の私はたぶん全然次元が違うのだが「自分で作れるかどうか」が価値基準となっているからである。貴金属はむろん合成できないから高価値、宝石類で言うとサファイアとルビーは同じ酸化アルミニウムの単結晶(コランダム)にそれぞれチタン、クロムあたりが不純物として混じったもの、エメラルドは知らないが色からしてベリリウムがドーパントにあると思う。ダイヤモンドが炭素の結晶なのは有名で、5万気圧1500度の超高温高圧下で合成できるが、不純物のない無色透明の大きな宝石を作ることは難しい。ってなぜこんなに詳しいかというと研究室でそういう研究を行っていたからである。私は直接携わっていたわけではないが、衝撃波で超高温高圧状態を瞬間的に作り出しダイヤモンドの粉末を合成するとか、化学気相蒸着(CVD)と言って気体からダイヤモンド結晶を作るとか1000トンプレス機を使用して静的に合成可能状態を作り出す研究が行なわれていた。もう時効だが実際に作ってみたこともあるのだ。(ちなみにむろん石としても何の価値もない)

  

今回のリクエストは「炭素」だった。そう言えば給料●ヶ月分という例のセレモニーは婚約当時の生活苦のため行っていなかった。誕生石や新婚旅行先で気に入った石などだったら、「アルミニウムやケイ素の酸化物なんか・・・」とついブツブツ言うところだが、先も述べたようにこちらは結晶構造に欠陥がなく不純物のない一粒モノはまずもって作れないという理由で納得していた。世の女性にはドン引きされそうだが何せ専攻なので。ちょっと身もふたもない話にそれてしまったが、ブランド品そうでないメーカー品なども含めて値段などというものはあってないようなものだと思っているから、本人が気に入ったもので価格の許容範囲ならよしとしていた。こうしてターゲットが決まり、安い買い物ではないので、消費税が上がる前に購入しようというまったくの小市民的発想でまずは下見に行くことになったのが今月になってからである。

私が接客付きの買い物が苦手なのは我ながら筋金入りだが、特にこの手の売り場は入った瞬間にカラ―タイマーが点滅し始める。百貨店を歩く時「カーペットのある売り場には気を付けろ」というのが、父が常々呟いていた教えのようなものである。自分で偵察して決めておいてくれれば、付いて行くだけで済むから楽なのだが、せっかくの記念品だからそういうわけにもいかぬ雰囲気だった。こう見えても私は妻の買い物には基本的に付き合う。一人で戦うのは無理だが、二人なら店員の注意が主役に注がれるので気楽なのだ。唯一の条件は「ちゃんと買うこと」である。だから「決まってから言え」といつも言う。いざとなったら一直線に目的物に向かい「これください」と言って事足りるならば、それまでの余計なやりとりはOKだが、「ただ見てるだけ」などというのは時間の無駄としか思えない。。。

しかしそう何回もあるわけではないし、安い買い物ではないから、今回は「2回だけ下見に付き合う」と宣言し、せっかくだから「銀座」というブランド街を物色しようということになった。ブラブラ見に行くだけなら決して近寄らない街だが、「響くところ」があったらその場で決定というのもありだ。まずは妻が前からお気に入りだった「赤い箱」ブランドの本店・・・うーむ、何と言う敷居の高さか!扉を開けてくれる黒服がにっこりしながらも「長居すんなや」と目が語っている。「どうやら買うつもりが少しはあるらしい」と分かるとさりげなく店員が「どんなモノをお探しでしょうか?」近づいてくる。これだけ接近されたのに、背後になんの気配も感じなかったのは、やはりこの女性店員タダモノではない・・・

何と銀座には赤い箱ブランドがもう1点あり、何となくそちらの方が庶民的な雰囲気だったので、妻は一粒ネックレスを着けてみると言い出した。真横から見ると「C」が象ってあるホルダーで私から見てもその輝きは素晴らしい。しかし値札の輝きの方がもっと素晴らしい。。。その後いくつか私も知っているブランド店を見て回り、宝飾店の扉も開けた。どの店もただ見てるだけの客と少しでも買う気があるらしい者を見わけ、忍者のように気配を絶って忍び寄ってくる。しかしそれは決して感じの悪いものではなく、むしろ私のようなビビり屋でも緊張感なしに何かを語らせる話術を持っている。「一定サイズを超える宝石を着けるとじん麻疹が出る薬ってないですかねえ」この私にこの場で信じ難いギャグを言わせ、大口開けて笑っている・・・銀座の接客恐るべし!その後、百貨店の宝飾サロンにも足を運び、選択方針といくつかの候補を挙げた。

これまでの我が家の比較的大きな買い物には不思議な特色がある。ひとことで言うと「急転直下」ということである。当初の方向とは全然違うモノと出会い、閃きと共に「やっぱこっち!」とその気になって向かってしまうのだ。そろそろ家を持とうと物件を探していた時も半ば決まりかけていた見事な庭付きブランド住宅をあっさり止め、実家と同じような形をした土地を妻がどこからか見つけてきた。その上に建てた家は最初に建築士に希望していた姿とは似ても似つかない意外なものだ。小さくても景色や草木を愛でる日本庭園のように改造しようとした庭は全面ウッドデッキの屋外リビングになってしまったし、リビングを荒らす私と甘辛のおもちゃ・趣味のモノを収納する大きな物置のはずだったのに、ガーデンシェッドになってしまった。最近自家用車を買い替えた時も、当初は広い軽(って変な言い方だな)かハイブリットカーだったのに、いつの間にか当初全く眼中にもなかった「赤いライオン号」になってしまった。何か「悪ノリ神の声」のようなものが聞こえると「じゃあ、いっそのこと」となってしまうのである。

今回はそこまで大きな買い物ではないが、この「いっそのこと」と「急転直下」の法則が現れるような予感はしていた。私が「付き合う」と約束した下見はあと1回分ある。次は横浜あたりで物色するつもりらしかったが、私も「日本の中心」と「我々の馴染みエリア」を見ておけばいいだろうと思っていた。そして妻は下見の下見をしているうちに「これ!」というものを見つけたらしく、私も会社帰りに待ち合わせてお店に寄って見た。何となく「ああ、これで決まるだろなー」と思ったものだ。手に取ってよーく眺め(これはオレには作れないな)と確認した。(当たり前か!)
銀座では決して言わないであろうがここは我々の庭とも言えるところだ。「あのーぅ、ショッピングカード持ってるんですけど、ポイントって付きますよね」小市民丸出しのセリフに店員は慌てて奥で確認し、「すみません!来週から今月末までポイントキャンペーンがあります。もしよろしければその時にご購入頂いた方がお得です。お取り置きしておきますから」

こうして記念品購入は決まったのだった。ちなみにせっかくだから(と言うか購入が決まっているので)もう一度同じ店に二人で足を運んだが、手続きや証明書の発行なので結構手間取っているようだった。サロン(もちろん絨毯エリア)のご相談デスクは先客がいたので、隣の宝飾時計サロンのお取引テーブルに案内されたが、ガラステーブルに下に展示されたクラシカルなネジ巻時計を見ると
1516万円
「やっぱさー、こういう所に来るヤツは『消費税』とか『ポイント』とか言わない人種なんだろなー」
手間取ったことで恐縮する店員に「着けて帰っていいですか?」と言って首に巻いてもらい、我々は絨毯エリアを後にして、最近お気に入りの「エクストラコールド」を飲める店に向かったのである。

おまけ
実は銀座を物色した日は「台場のグルメラン」というマラソンイベントに出場し、10km走った後だったのだ。その後お友達家族と合流して夕食を共にし、そのマンションおゲストルームにお泊りすることになっていたから、妻はがらがらとキャリーケースを頃がしていた。さすがに私もジョギングスタイルではなかったが、1時間近くジョギングして身体に負荷をかけていたから、「10キロ走った後なんだから、ちゃんとしてなくてもしょうがねえじゃん」と開き直れたので普段の緊張感はあまりなく銀座の街を闊歩できたのである。

          

ボードな世界

2014-03-23 20:00:20 | ホビー
サーフボードでもスケートボードでもない。。。「プラモな世界」編で最後に書いたが私にとってはプラモデルと同様、ゲームの世界も歴史が長い。それも大きく分けて「古来から専用の盤の上でコマを動かす「ボードゲーム」と電子デバイスを使った「テレビゲーム」の2系統がある。今でこそゲームと言えばバーチャルものが主流だが、その昔から我が家では何やら家族でのゲームが盛んでたくさんのボードゲームを楽しんできた。のんきな母は何をやっても弱かったが、父親は自らを「勝負師」(笑っちゃうけど)と名乗るくらいにゲームが好きだったからその影響を受けたのか私も幼い頃から色んなゲームで競うことが大好きだった。最初は古来からの路線でトランプ、花札、将棋、五目並べ、ダイスに至り、最後は麻雀に落ち着いた。大人になってからも麻雀を囲むことは多く、さすがにその腕は似たようなレベルとなったが、他のものは家族で同レベルでもあったが、将棋だけは滅茶苦茶に強く父親に本気を出されたら一度も勝った記憶がない。飛車角落としどころか、歩3つだけ持った裸の王様にも平気で負けた。段持ちのプロにも渡りあえる自信があったらしく、休みの日に昼間はいつもNHK教育テレビの将棋番組を見ていた。私は子供心に「勝てない」のは面白くないので、将棋に関しては「回り将棋」や「はさみ将棋」、「将棋崩し」ばかりやっていた。

小学生になって雨の日は家に友達読んで遊ぶこともあるようになった。この頃からエポック社などから専用のボードやアイテムを使ったゲームが次々に登場し、誕生日やクリスマスのたびに買ってもらっていた。プラモデルや望遠鏡などの類はこずかいをためて買ったが、ゲームは「家族で遊べるから」とプレゼントに買ってもらうことが多かったのだ。友達とは魚雷戦ゲームやニューレーダー作戦ゲーム(実はこの二つは紛らわしかった)を飽くことなく遊んでいた。また野球盤は一番小型のCM盤しかなかったのだが、小学校中学年で野球を始めた頃にやたらクラスで流行った。オリジナル技は直球、カーブ、シュートそして「消える魔球」で、ランナー人形を塁に刺し、野手人形のいる溝に入ったらアウト、フェンスにも溝があり塁打が決まっている。最近の野球盤もこの基本構造は変わっていないようだから懐かしく面白い。私達子供はこの基本機能を様々に改造して色んな技を出し合うのを常としていた。(今の子供はそういう遊び方するのかな)例えば投球について「巨人の星」の影響を受けて、超剛速球、チェンジアップ、スローボールにカーブを加えた「魔送球」、さらに私が編み出した「大リーグボール3号」(ヒント:消える魔球を応用する)などがあった。

家族盤としては「億万長者ゲーム」が主体だった。我が家では「山あり谷あり」の人生ゲームよりも健全で経済好きの父親好みだったらしい。ボロボロになるまで使い込み、いよいよ卒業して次に登場したのが誰も知らないかもしれない超マイナーボードゲーム「ペトロポリス」である。今から言うと「モノポリー」の油田版で億万長者ゲームよりははるかに大人向けで高度なものだった。コマは全て金属性(さすがに銀ではないと思う)だでズシリと重く、何せ「世界銀行」が登場するのである。(ホントにあるものだと中学の公民で知った)テレックスカードに書いてあった文字も子供では意味不明の言葉が多かった。「カイウンスト ソンキンP$50000シハラワレタシ」ペトロダラーというありそうでない通貨(ビットコインの走りではないよな)が使用される。箱もアラビアめいた大人っぽいものだったが、今考えると怪しげだった。石油採掘権などをテーマにしたハイレベルのビジネスゲームのようだったが、私の記憶では実はこのゲーム、「サウジアラビアとイランを制したものが必ず勝つ」という実に奥の浅いものだった。

さて麻雀を除いてはトラディショナルなゲームから一旦離れて(つまり家族であまりやらなくなった)から、登場したテレビゲーム機はゴジラシリーズにキングギドラが出現したくらいに衝撃的だった。以前から駄菓子屋やデパートの屋上などに「ブロック崩し」や「テニスゲーム」などのようなテレビ画面でプレイするゲームはあったが、家庭で好きなだけそれができるなど思ってもみなかった。ベータマックスに「読み違え」たが比較的新しいものを揃えるのが早かった我が家には任天堂の「テレビゲーム6」という白黒のマシンがあった。確かテニス(シングル&ダブルス)、バレーボール、卓球、スカッシュ、一人練習などができたと思う。今のようにコントローラーを持ってプレイするのではなく、本体についているダイヤルを回して画面のレバーを操作した。当時はかなり画期的なゲーム機で夢中になって遊んだが、意外にも飽きるのが早かった。

そのうちシューティングゲーム系の画面のきれいなテレビゲームが現れ、「スペースインベーダー」の登場となった。喫茶店や当時はほとんど無かったゲームセンターに置かれ、社会現象にもなったが中学生だった我々は一部を除いて遊ぶことは無かった。これにハマると当時「不良の溜り場」とされた喫茶店やゲーセンに入り浸ることになる「悪魔のゲーム」とされてしまったのである。グループで部活引退後グループで鎌倉かどこかに遊びに行った帰りに隠れて遊んだ以外にインベーダーの記憶がない。。。その後「ギャラクシアン」というゲームになりさらに進化して行ったが、そもそ中高は部活で忙しくゲーセンなるものにあまり興味が無かった私はほとんど上達することがなかった。当時はものすごい猛者がいて、何十万点とかたたき出し、テレビに出演した者もいたようだったが・・・私は「サーフィン」「バンド」「ゲーセン」を好む者は「不良」という当時のPTA神話を忠実に信じる、実に健全な青少年だったのである。

しかし大学生となって時間が有り余ると一時的に体育会系スポーツからは遠ざかりバブル全盛の文化に染まってゆくが、夜な夜な遊びまわるほど財力があるわけでもなし、不健康に家で深夜まで座り込む回数が増えていった。「テレビゲーム6」同様任天堂のファミリーコンピューターの登場である。シューティング系の積み重ねがほとんどなく、マリオやドラクエなどRPGにも興味を覚えなかった私が唯一ハマったのが「シミュレーションゲーム」の類である。当時、読書としては歴史物しか読まなかった私が選んだのはむろん「信長の野望」だ。何種類かあったうちの結構簡単な方で大将の資質や両国の経営、軍隊の調練などあまり細々とコマンドしなくてもどんどん進めることができた。登場人物もそのパワーレベル(ゲーム用語?)もほぼ頭に入っていたが、だから戦国武将の気分になったかと言うとそんな単純なものではなく、「全国版」というのが大人気となったが手を出すには至らなかった。続いて始めたのがお馴染み「三国志」だが、こちらのほうは登場人物が格段に多くしかも似たような漢字の地名や氏名(当たり前か?!)ばかりで紛らわしく、スケールが広大過ぎていつどこで何をしているか分からなくなってしまい挫折の憂き目をおった。

私が次に始めたファミコンソフトのゲームが人生で最もハマったもので、「ファミコンウォーズ」という。きっかけは何のことは無い、CMがすごく印象的だったことなのだが、たまたま中古ショップで説明書なしですごく安く買えたのだ。覚えてるだろうか?米国海兵隊が隊列を組んで走っている・・・
「ファミコンウォーズが出るぞー(ファミコンウォーズが出るぞー)」
「こいつはドえらいシミュレーション(こいつはドエラいシミュレーション)」
「のめり込める!(のめり込める)のめり込める!(のめり込める)」
「母ちゃんたちには内緒だぞー」

暇な大学生だった私は「母ちゃん公認」で、今から考えるとずいぶん単純なこのウォーシミュレーションゲームに夢中になり、最長35時間連続無休憩で即身仏のようにコントローラを操作し続け、母親を気味悪がらせた。何せ朝から翌日の晩まで猫背のあぐら姿でテレビの前に食いついているのである。
幼い頃から色んなスタイルのゲームに親しんだが、数々のスポーツや模型作り他ホビーの世界に比べ、今の私に何かの糧となっているものはほとんどない。唯一ファミコンウォーズを通じて自分の性格や傾向に少しだけ目を向けることはできた。周囲の細かい情勢に目を配り、個々に必要な事象に的確に対応するのが苦手なこと(大雑把で人任せが多い)、敵と戦う時は圧倒的な戦力で洪水のように押し流す(知恵と工夫よりも力技を重んじる)、辛抱強く情勢の変化を待つことができない(物事のタイミングをあまり考えずに一気呵成に行ってしまう)

時々思い出したように「ゲーム」というと何か教育的な問題を指摘する声をPTAや学校側などの人から聞いたものだ。軍人将棋や魚雷戦ゲームなどは戦争を肯定するようでよくない、人生ゲームで最後に子供を売るのは人身売買、億万長者ゲームは守銭奴の養成、シューティングゲームは好戦的な人間性を作るとか・・・いい若い者が働きもせずに不健康だとか、一人遊びだからコミュニケーション力を阻害するとかえらくひどい言われ様である。まあ、それほど邪険にしたものでもないと思う。
かくいう我が家も不思議なもので、甘辛の幼い時から家3人ボードゲームでよく遊んでいた。とっとこハム太郎ゲーム、ゲーム7(オセロなどメジャーなボードゲームが7種類)、サッカーチェス、そしてモノポリーである。幼稚園くらいから「サンタのプレゼント」がボードゲームなことが続いたのである。例の「父ちゃんが事前にサンタから受け取ってクリスマスまで隠してるんだろ」という迷推理を生んだのもゲームである。かなりやり込んでボロボロになってしまい、今では二つくらしか残っていない。

    

ちなみに我が家が大きな期待とともに購入したwiiとwiiフィットだが、意外にも全くと言っていいほど流行らず、田舎の家のルームランナーやぶら下がり健康器と同じ運命を辿っている。。。テニス、ボーリング、ダンス、ヨガ、スキー・・・幅広く何でも家庭で楽しめるが、どう考えても「部屋でやるくらいなら、本物を外でやるさ」となってしまうのである。TDLでゴーカートには決して乗らないのと同じ心境か。(本物を何時間も運転してきたのに、何が悲しくて園内でまで運転?!)

甘辛もやがて世代的にはポータブルゲーム(機)全盛期に入り、高校生にもなって飽くことなく向かっているのを見て妻は心配している。天気のよい日でもオフになるとずーっとリビングで寝っ転がってPSPを睨みつけている。私には決してできないころだが、考えてみれば彼らは休みを待たずとも毎日お日様の下ではしり回っているのである。我々とは逆にたまにはまったりゲームで癒されたい・・・とのたまっている。まあ何かを養うことはそもそもあまりないのがゲームだから、いずれ「大して役にも立たぬ」ことに気付いて自分から離れてしまうような気がするのだ。

松田山の早咲き桜

2014-03-18 23:19:50 | 旅行お出かけ
先週に引き続き、朝から母を連れて「花を愛で」に出掛けることにした。小田原梅まつり会場でガイドに「この時期は河津桜にお客さんが流れてしまう」とされた「松田山ハーブガーデン」とはいかなるところか?!こちらも約1ヶ月「松田桜まつり」が行われていたが、どうやら3月16日をもって終了のようだ。地図で調べると、なるほど毎年訪れる「曽我梅林」の通りをそのままずーっと北上したような位置にある。東名「大井松田インター」の近くと聞くとえらい遠くに感じていたが、西湘バイパス国府津インターからのルートでは我が家から1時間かからない手頃さだ。先週と同様、開園時間と同時にぱーっと見学し、竜泉寺に寄ってどこかで昼食をとって帰るつもりだった。妻は休日仕事が入ることが多くなり、甘辛は部活に余念がないから、こういう時は母と一緒に行くと出不精解消にもなってお互いの利害が一致するのだ。

国府津インターを降りると5分くらいで、広大な曽我梅林が現れる。梅まつりは10日以上前に終わってしまったから、私有地である梅林の中に入れないが、広めの農道にちょっと止めることはできるので寄って見た。先週の小田原はまさしく見頃だったのだが、こちらは種類が少ないのか大半が散ってしまっていた。3万5千本の梅の木が所狭しと花を咲かせ向こうに見える富士山と相まって素晴らしい景色な曽我梅林だが、元々観賞用ではなく梅の実を収穫するために植えられた農地なので、1年に1ヶ月「祭り」で観光客が押し寄せるとそれは大変らしい。ちなみに小田原に梅が多いのは、伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)が梅干しの栄養価と保存性に目をつけ兵士に持たせるために領地内の至るところに植えさせたのが発端だそうだ。しだれ梅系が多かったが、わずかに残った梅の花が健気にも咲いていた。

    

くだんの桜まつり会場までは曽我梅林から10キロちょっとだったが、そちらの方面には今まで一度も足を運んだことがない。途中から山々の向こう側に富士山が見え隠れするようになり、松田の町に入ると山の中腹に鮮やかなピンクに染まった部分が遠くから見えた。「どうも、あれがそうみたいだよ」初めてのところだったので、要領は分からなかったが、前週の小田原フラワーガーデンの閑散とした様子から考えて、開園と同時に行けばそれほど混んではいないだろうと考えていた。しかし驚いたことにし山の上にある会場の登り口は既に「満車」の看板がおかれ、係員が臨時駐車場に誘導していた。。。最終日ということもあったのか、さすがに「客がほとんど流れる」と言われた河津桜の名所だけある。臨時駐車場は会場入り口からかなり離れた河川敷の広場で歩くと登り道25分もかかると言われたので、大人しく往復のシャトルバスに乗り込んだ。

「こんなところ普段は絶対走ってないよね」とい言うような急ヘアピンカーブの登り坂を大型バスは器用に切替しを繰り返して会場入り口に向かう。それほど大きくない駐車場で降りた私達は思わず歓声を上げた。気温が上がったのか少し霞がかかっているが、箱根連山とその後ろの富士山、相模湾や酒匂川周辺の町並みが一望できる。「こりゃー、すげえ!さすが言うだけのことはあるねえ」
最初はこどもの館で「飾り雛」を見学したが、前職の土地に「地球屋」という変わった顔をした雛人形や世界最大のつるし飾りなどもあったのを思い出した。ふだんは昔のおもちゃ体験や小さな子向けの遊具で遊んだりできるらしい。満開と言われた河津桜だが、前週の雨風で3割くらい散ってしまい、ホントに「これで見納め」という時だったようだ。

        

園内にところどころ満開の桜が見られるが、メインは山の中腹に固まっているから、ジグザグに設けられた小路を歩いて観桜することになる。まるで桜のトンネルにいるようで、ところどころ隙間から見える富士山や相模湾、箱根連山などが見事な景観だった。そして途中からだが桜の木の足元には満開の菜の花が群生しているのである。菜の花の鮮やかな黄色と桜のピンク、空の青色のコントラストが素晴らしい。私は超兵器を携えていたが、露出やこういう時に美しく撮影する術を知らず、残念ながらただオートマチックモードでシャッターを押すだけだった。ただ写真が趣味に見える、ものすごい高そうなプロ仕様みたいなカメラを構えた人の背後で待機し、いなくなった後に同じようなアングルで撮るように(これは盗撮とは言わないよな)心がけた。

        

「あの辺まで下りて、引き返そうか」あまり下まで降りると老母は登ってくるのが大変なので、下から3分の1くらいのところまで行ってみた。昔、相模湖ピクニックランドにあったようなローラー滑り台の小さいヤツがあった。実は中腹の斜面は遊具がところどころにあって、普段は子供がアスレチックできるようになっているようだ。今は満開の桜の中を滑り下りることになり、お年寄りが孫を抱えながら幸福そうな顔をして降りていた。私も母もさすがに乗ろうとはしなかったが、二人とも「甘辛なら立ったまま滑り降りようとするだろな・・・」と眺めていた。中腹にも見事に咲き誇った菜の花群があり、結構急な傾斜面に足場が組んであり、柵の中に大型の脚立が立てられ、人が並んでいる。近づいてみると「撮影ポイント」と書いてあり、観光客でも登って撮影してもいいそうだ。ただし安全確保は自己責任らしい。

      

コンデジを持つ人、携帯カメラをかざす人、プロ仕様のカメラを向ける人、一様に同じような方角を向いていたが、どんな景色なんだろか?「てっぺんまで行かずに3,4段登ったところがいいよ」下にいた係のおじさんに言われ、恐る恐る登ってみると、どぶゎーっと咲いた満開の桜の谷合に世界遺産がどーんと見えるではないか。こりゃーすげえ!カレンダーにもできそうな風景だ。私は母から預かった携帯も取り出して見事な風景を写真に撮ってやった。「今日は少しだけ霞んじゃってるけど、天気の悪い週末ばかりだったから、最後としては最高の景色だよ。先週の雨風で3割くらい散っちゃったんだけど、ここはまだ全部残ってるからねー」真っ黒に日焼けしたおじさんはにこにこと話しかけてきた。

    

「菜の花が満開なのも素晴らしいですよねえ」母親がおじさんに話すと「こっちはね。先週、大雨が降って急に丈が伸びてわーっと咲いたんですよ。桜にとっちゃ足元の栄養分取られていい迷惑なんだけどね。人間様は喜ぶよねえ。自然館の方にも桜が40本くらいあって、あっちの方はホントに満開だからぜひ見に行ってください。」傾斜面を登りまつり本部まで戻って上へ行く道を歩くと、何やら長い行列ができている。近づいていくと「ふるさと鉄道」というミニチュアの列車のようだ。ロマンスカー型の列車が今まさに発車するところだったが、小さな子供も混じっているものの乗客は大人、それもお年寄りばかり・・・つまり花見列車ということらしいのだ。まあ、この桜で一杯の山を一周できるなら、ビール片手にゴトゴト走るのも楽しいだろう。改めてポスターを細かく見ると、この場所は「西平畑公園」といい、松田山ハーブガーデンというのはその中の一施設らしい。富士と箱根連山、相模湾の大パノラマに加え、一番よい時は早咲きの桜に加えて菜の花と梅の花まで見られるという、バース、掛布、岡田のいたタイガースのようなところだった。

      

2週に渡り「スライディングセーフ」だったが、来年はぜひ最盛期にやって来ようと期待できる名所を見つけた。半世紀近く住んでいるこの県にもまだまだ足を運んでいないスポットがたくさんある。世界遺産や国宝めぐりなどもやっつけていきたいが、まずは足元にも宝の山は転がっているようだ。3月半ばを過ぎてようやく暖かくなってお出かけ日和も増えてきた。近場の隠れ名所を探してまた歩き回ることにしよう。

花を愛でる

2014-03-13 21:16:02 | 旅行お出かけ
私は年に何度か思い出したように「花や草木を愛でる」時がある。昨年前半まで勤務していた土地では見事なつつじの公園やバラの咲き誇る広大なガーデンもあった。また紅葉の季節になるとそれなりには見に行くことにしている。皇居の紅葉も鎌倉の紅葉、そして大雄山最乗寺の紅葉も素晴らしい。昨年などは母親とわざわざ角館まで二人旅で武家屋敷に燃えるような紅葉を楽しんだ。また梅雨時になると明月院の鮮やかなアジサイや菖蒲も素晴らしい。江ノ島のサミュエルコッキング苑も多少「ケバい」がどの季節でもたくさんの花が咲き乱れている。「花心編」でも紹介したが、もう「天命を知る」年齢にも近くなり、ここ数年でちょこちょこと花を見に出かけるようになった。

桜の花見以外にはあまり興味を持たなかった私もずいぶん昔から毎年のように訪れた唯一の場所が「曽我梅林」である。父も母も何故か桜よりも梅の花の方が好きだった。春の訪れと同時に一斉にばーっと咲き乱れ、あっと言う間に散るソメイヨシノよりも寒い季節から渋く咲き初め長い期間咲き続ける上に色んな種類のある梅の方を私も好んだ。この辺りだと梅園で有名なのは熱海や湯河原なのだが、「寒いから」というそれだけの理由で常に訪れるのは別所・曽我梅林だった。確かに3万本という関東屈指の広大な梅林で、日当たりのよい平地だから何となく暖かく、しかも昔はマイナーだったのであまり訪れる人も少なかった。最近は「小田原梅まつり」としてかなりメジャーとなり、もともと観光用に周辺を整備されていないから、この季節は大混雑となってしまう。ここ数年は「梅まつり期間」をわざと外し、終了した直後に行くことにしていた。昨今は梅の咲く時期が遅れがちでお祭り会場を片付けられた後でも十分堪能できるのである。

今年もこの季節、同じ場所に行こうと「小田原梅まつり」HPを調べていたら、どうやら別所をメイン会場として他に2か所あるようだ。もう一つの場所は「小田原城址公園」で、こちらは今までに何度か訪れている。梅の季節でなくても割と混雑しているところだ。息子甘辛にとっては(来ないけど)あまり相性のよくないところで、幼い時に天守閣を見学しようと入り口を通ろうとしたら立っていた鎧姿の門番があまりに恐ろしい顔をしていたので、周囲数十メートルにわたる大音響で大泣きし、結局入れずじまいだったこと苦い思い出があるのだ。3つめの「梅まつり」会場は「小田原フラワーガーデン」なるところだ。この地に半世紀近く住んでいるが、あんまり聞いたことないな。最寄りの駅は・・・大雄山線「飯田岡」だと?道了尊の手前だと思うが、全く聞いたことがないいかにもマイナーな駅だ。名前からすると「花の公園」なんだが、「渓流の梅林」というゾーンに480本ほどある梅の花が今、最盛期だという。

毎週母と早朝行っている竜泉寺の前に足を伸ばして開園と同時に行ってみることにした。久々、赤いライオン号での西湘バイパス疾走である。小田原は「一夜城ヨロイヅカファーム」のように海岸線から比較的近くにも公園があるからインターからすぐだと思っていたら、意外に内陸の方だった。カーナビには登録があったが、道路に看板が出ているわけでもなく、いかにも知名度に低いところのようだ。開園と同時には到着しなかったが、園内はあまり人はいなかった。駐車場も入園も無料、天気もよいし中々の隠れ名所のようだ。お年寄りグループが会場の案内係と一緒にガイドツアーに出るようだったので、何となくついて行った。曽我梅林のように3万本の梅が圧倒的なボリュームで咲き誇っているわけではないが、広々とした庭園に観賞用に整備されていて、何よりも200種類という関東屈指のバリエーションがすごい。ホントに一本一本種類が違うようにも見えた。これはこれで素晴らしい。

    

「ねえねえ、この木、紅梅と白梅が同じ枝に咲いてるぞ。そんなの初めて見た。」我が家の梅の木は白い花しか咲かない。幹ごとに異なるのはよく見るが、一本の木のそれも同じ枝から色の違う花が咲くというのは不思議な感じがした。池の周囲には見事に満開となった豪華な梅の木が並んでいた。文字通りあまりの豪華さに「見て驚く」から「見驚」という種類だそうだ。花も大きく派手で満開となるとそれはすごいボリュームだ。しかしガイド曰く「この時期はですね。『松田山ハーブガーデン』の河津桜にお客様がみんな流れてしまって・・・この花は寂しい思いをしてるんです。皆さん今日は予定にありませんか?今週来週くらいが最高ですよ。」(よーし、来週はそちらへ行ってみよう。また楽しみが増えたな)

           

紅梅、白梅に枝の形も枝垂れていたり、横に広がっていたり、また花の形も様々で30分で1周する間に実に楽しめた。渓流の梅林エリアを1周し、中央にあるトロピカルドームで「ヒスイカズラ」という珍しい花が開花しているという。ガーデンのメインフラワーだそうで、関東屈指の美しさを誇る「神秘の花」だそうだ。不思議な色をしているが、変わった形をしている花だ。咲いている期間はわずか数日、花びらの奥で甘い蜜を分泌しているので、落ちた花には蟻がたかっている。一つ拾い上げて中を広げ舐めてみると微かに甘い味がする。。。巨大な花弁が下を向いたのは「チョウセンアサガオ」という花、複雑でよく見るとグロテスクな花弁がランの種類だそうだ。正直綺麗な花だけではあまりピンとこない。。。

            

          
 

端っこの方に「ウツボカズラ」の一種があった。食虫植物であり、どちらかという「こっち系」の方が興味は湧いてくるのだ。虫取り器は葉っぱの先端がツルのように伸びて形成するというのが実に面白い。東南アジアに生育する世界最大のウツボカズラはネズミですら消化できるという。(ぞぞぞーっ)
圧倒的な梅の花もよいが、きちんと整備されている庭園に200種類が咲き誇るのも素晴らしい。季節ごとの花も楽しめるみたいだし、5月には「世界最大級のネギ坊主」というのが開花するらしい。ここは開業してから18年の新しいガーデンだそうだ。場所もイマイチマイナーなので、知っている人もあまりいないようだが、一部観光バスのコースにはなっているらしい。ここお勧めです!
大震災から3年。。。先日、とある被害甚大の港を訪れたら、ビルは真横に倒れたままになっていて、「まだまだ・・・」と感じるところも多かった。東北にも「花を愛でる」名所がこの近辺以上にあるはずである。1日も早く、人々がのんびり梅を楽しむ時が来てほしいものだ。

          

イメトレと反射

2014-03-08 21:13:28 | スポーツ・健康
職場の課題は何でもよいが、自分の課題はまるでダメ・・・そもそも回遊魚系は止まって自分を見たりしないので、課題などないと思っていることが多いが、20年ぶりに再開した、こと「ゴルフ」に関しては「からっきし」という言葉が当てはまる。会社帰りに寄るスポーツクラブにおまけのようについている「ゴルフ教室」があり、月数回くらいのペースでレッスンがある。ゴルフ練習場で受けるレッスンよりは初心者向けで、インドアネットを使い半分くらいは遊び要素も入っているが、コーチはれっきとしたプロらしい。初めての「人に教わる」経験だが、中々引き出しが多く、色んなカリキュラムを示してみせる。レッスンを受け出した当初から彼が指摘する私の課題は二つ、「上半身から力んで打ちに行っている」「野球のスイングのように棒打ちになっていてしなりがない」どちらも連動しているようだが、彼に言わせると半年たっても「あまり改善していない」。

先日彼がこぼした言葉がこれだ。「今まで色々とドリルをやってもらったが、どれもすぐにできるようになるのに肝心なところが改善されていない。つまり、誤魔化して処理するのが天才的に上手い。相当、運動神経はいいと思うんだけどね・・・」全くもって嬉しくもない評価である。さすがプロである彼は色々ダメなフォームを矯正する反復練習の引き出しをもっている。これらの多くは「悪い癖」が表面化するとたちまちにエラーが増幅するような仕組みになっている。例えばボールを3つ右上から左手前まで斜めに並べて真ん中のボールを打つドリルがそうだ。正しい軌道でスイングしないと3つともぶっ叩いてビーンボールのようになってしまう。ボールの右横に小さなコインのような目印を置いて触らないように打つ練習もその一つ。力いっぱい叩くとボールと一緒にコインも吹っ飛んだり、真っ二つになったりする。これら目も当てられないざまにならない様に反復しているうちに自然とフォームが矯正されて行くという仕組みである。

テイクバックの時に一瞬クラブをフワっと浮かすフォームも胸の前ににゅっと伸ばされたドライバーを触らずに前のボールを打つのも初めての練習法なので最初は上手くできなかった(当たり前か!)。ところがしばらく反復しているうちに「こういう打ち方すればできるんじゃないか?」というイメージが浮かび、繰り返しているうちにその日のうち、または数日のうちに見事にボールは前に飛ぶようになる。ここまでなら実に優秀な生徒である。
最近のドリルは組み合わせで斜めにボールを置き、さらに真ん中のボールの15センチ横にコインを置いて触らない様に打つ、というほとんどイジメのような練習法だが、しばらく繰り返しているうちに「これはイケると思いますよ」何人か並んでいる生徒を回ってきたコーチの前で打ってみせる。「ばしゅっ!」ボールは見事に真っすぐ飛んでネットに当たる。コーチは酢を飲んだような顔でしばらく見ていたが、後ろでビデオを構えて見ながら妙な角度に首を傾げて顔をしかめた。「ホントに磯辺さんは『やりこなす』のだけは上手いねえ」

どうもゴルフというのは今まで行ってきたどのスポーツとも「練習で上達するプロセス」においてどうも勝手が違う。野球にサッカー、バレー、卓球、テニス、スキー、サーフィン・・・どれもそこそこ「やりながら上達」してきた。恐らくこれらを支える基礎能力は「反射」である。ホントに基礎的な動きだけ教わって繰り返していると身体が勝手に動く。ホントは地道な反復練習が支えなのは分かっているが、野球は来た球を打つもしくは取って投げる、サッカーはまあ本職、バレー、卓球、テニスは来た球を受けるか打ち返す、スキーは少し時間がかかったが斜面に沿って滑り降りる、サーフィンは来た波に乗るだけ、で全てを司っているのはたぶん身に付いた「反射」である。最近「走る」ことが面白くなってきた。年を経て「反射」が効かなくなった分「対話」で補うからである。

ところがゴルフというものは川上哲治さんの言葉のように「止まったボールを打つ」からあまり「反射」は使わない。身体の動きもわずか2秒くらいだから「対話」もない。レッスンプロの彼に言わせると、ゴルフというのはかなりの部分を「イメージ」が占めるという。何イメージ?イメトレ?もしかして「成功したスイングをイメージ」したトレーニングをすればよい?まさしく「課題解決」編につながるテーマじゃないか。。。。ところがそんなに簡単に話はつながらない。頭のイメージと身体の動きが大きくかけ離れてしまうのがゴルフの一番難しいところとおっしゃるのだ。確かにコーチに言われた通りの形でスイングするとどう考えても「薪割り」としか思えないフォームだったり、背面打ちや居合抜きなど、とても美しいフォームとはほど遠いイメージだ。しかし今は、ビデオという武器があり、改めてちゃんと「打てた」と思った画像を見ると、そっぽ向いて打っていたり、まるで大根切りのようになっていたり・・・イメージと身体の動きが連動していない「よくこんな打ち方で前に飛ぶ」というくらいダメダメフォームなのにそこかしこで微妙に優れた「反射」が発動し結果だけみると「できてしまう」というのがコーチの分析である。

  

「いいじゃんか。。。言われたドリルをすぐできるってすごくね?」と開き直ってみてもやはり上達はしたいものだ。「これOK!」と言われたフォームをビデオで見て確認し、繰り返して少しずつ身体に覚え込ませていく。「おおっ、今のいいじゃないですか!」と言われた時は嬉しいものだ。そんなやりとりを数ヶ月続けてきて何と自分でも「課題は改善していないが、ドリルはできている」状態が分かるようになってきた。先週の新しい練習法では「スイングとしてはダメでしょうけど、このドリルはこうやってできます」と自白するようにまでなった。コーチは様々な経験とプライドを駆使して自分の編み出した練習法(段々と複雑怪奇になってきたが)で私に自身の理想と思うスイングをさせようとするし、私もそういう練習の繰り返しで自らの課題を克服したい。

  

私は私で我流の成功イメージをいくつも重ねた。例えばグリップから一直線にレーザーが発光されているつもりで、ずーっとボールに照準を合わせたまま振り抜く、途中まで脱力しボールに近づくほどヘッドスピードを上げ、最後はエッジでボールを真二つにするつもりで・・・とか。
何かコーチと二人で自分にとり憑いた反射の「邪神」と戦っているようで最近の掛け合いが何だか面白い。練習するのはむろんコースでよいスコアを出すためなんだろうが、朝早く起きて何時間も運転し高価なプレー費を支払って森林破壊で作ったコースを回ることを考えると同じ対価を払うなら1日船釣りの方が家族も喜ぶし生産的だ。イメトレと身体の実際の動きのずれを少しずつ埋めていくのが楽しみという、「ゴルフを教わること自体が趣味です」とでも言うか。。。

堅い解決発表会

2014-03-02 06:41:50 | 職場
どこの職場でも似たような取り組みは行っているようだ。前の職場でもルーキーズ相手に行われていた業務カイゼンのようなもので今回は「課題解決発表会」といういかにもお堅いタイトルだった。発表者は入社3~5年目くらいの半ルーキーズのようなものだが、 元々他社から派遣されていたのが晴れて正社員となった人ばかりで、それなりに仕事を経験しているから目のつけどころも鋭い。発表は10分、質疑応答12分、上司のコメントが3分、全部で25名いるから3回に分けたようだ。発表者だけ各ロケから台場に集まり、テレビ会議で中継して各拠点を結ぶ。1回の発表会で半日を丸々費やし、懇親会付きだから全部に顔を出す私もキツいものがある。私の役目は(むろん各発表で質問、コメントするのもありだが)、その回の全ての発表が終わった後に「総評」することにある。

これまでの職場でも類似したイベントは何回もあったが、私はこういう時「総評」と言いながらも一人一人の発表についてずばり一言二言「こう思った」とコメントする。長い発表会の後で皆、疲れており仮に気の利いたことを話しても、ほとんどは覚えていないものだ。(本人自体があまり覚えていないし)しかし一見面倒そうに見えても、一人ずつに何か言えば、当時者だけは自分向けのコメントぐらいは覚えているだろう。大体この手の催しやパネルディスカッションなどを見ていると、日本の文化として会場から活発な質問や意見などは出てこない。「どなたか質問、コメントはありますか?」と司会が聞いても、ばばばーっと挙手があって誰を指名するか迷うようなことは滅多にない。マイケル・サンデル教授のハーバード熱血教室とはずいぶん雰囲気が違うものだ。

さて第1回目は発表者9名、司会者からして何か堅い雰囲気があったが、最近の若者はこの手のプレゼンテーションは結構場数を踏んでいるようで、皆堂々たる見事な発表だった。2回ほど休憩をはさんで全員の発表が終わり、総評の時間となった。総評者は3名おり、予定表では私が最初に書いてあったから、とっとと終わらそうとしたら司会から「それでは総評を頂きたいと思います。まず磯辺さん・・・は最後にお願いするとして○川さんからお願いします」またコイツ変な捻りを入れやがって。。。話をかぶらないようにするのが面倒くさいじゃないか。幸い、前の二人は当たり障りのない(たぶん誰も覚えていない)内容の話で締めくくり私の出番となった。

「皆さん、長時間にわたりお疲れ様でした。若手と言っても私よりもはるかに経験もある方々ばかりで、ずいぶん色々気付かせて頂きました。この手の取り組みはあらゆる職場で行われていると思いますが、『課題解決』というタイトルそのものに忠実に言えば、その知的労働のほとんど全ては『課題を見出す』ことにあると思っています。見いだせさえすれば、はっきり言えばどんな課題でも解決はできると思うんですよ。ある課題に取り組んでいると次の課題に巡り合う。そしてその課題からまたいくつもの他の課題が・・・こういう連鎖反応を起こして課題の引き出しをたくさん作っておいて下さい。オフィスですれ違った時「最近の課題は何?」と聞かれて10個くらいすぐに出てこない人は明らかにサボってると見なします。」(我ながらキツい?!)

「さて、せっかくの機会ですから発表頂いた内容をおさらいしながら軽く流してコメントします。まずトップバッターの▼さん、グループのリーダのつぶやきを拾って、色んな役目の人に意見を聞きながら解決しようとしているのがいいですね。ただせっかくのアドバイスを取り入れるんならもっとはっきり『ここに活かしてます!』とわかるようにしたほうが伝わると思います。・・・・・・・・皆さんの発表を聞いていてオリンピックのラージヒル2本目を見るような感じがしました。順番が後ろに行くほど1本目で距離飛んでるんですよね。だから最初の方はダメというわけではありませんが・・・7人目辺りからK点超えてきたと思いました。8人目が137mくらい、金メダルかなーと思ってましたが、最後の人が140mで見事ファイナルって感じでした・・・」

第2回目は数日後、1回目と全く同じ要領で発表が進行していった。「外野の意見が少な過ぎるんじゃないの?日本人ってこういう時手を挙げないよねえ」などと苦笑いした1回目を忘れていなかったのか、PTA陣は結構活発に質問、コメントを発した。前回のようにしーんと静まっていたら、ずーっと一人でしゃべってやろうかと思っていたのだが・・・全ての発表が終わりやはり最後に総評を申し上げる番がきた。むろん「同じ人に同じ話を聞かせない」というのが私のポリシーだから、1回目の続きの話をした。(外野を除いては1回目は聞いてない人ばかりだけど)

「お疲れ様でした。さすが皆さん、今回も実際に応用して使える武器をたくさん発見できました。第1回目の発表会で『課題をたくさん見出してくれ』と申し上げました。皆さんにもそれはお願いしたいんですが、これにはちょっとしたツボがあります。「疑ってかかる」ということです。我々の職場にはこれまでやってきた仕事のスタイル、やり方の最適性を「信じて疑わない人」が実に多いです。厳しいことを言いますが、特にマネージャーに多い。何か新しいことを始める、やり方を変えようという時にまず「できない合理的理由」を探しますね。何かを始める時に不都合とか失敗リスクとか、代償としての負担増とか・・・マイナスイメージを持つのは悪いことではないと思っています。人間が狩りをして生きている時からの生存本能です。未知の獲物にむやみに近づいたら食い殺されるかもしれないですよね。でも今はよほどのことがなければ「命はもちろん職を失うこと」すらないんですから、もう少し成功をイメージしてもいいと思います。素晴らしい課題ほど解決には間違いなく今までと違うことを行いますから抵抗も大きいです。ぜひ勇気を持って疑ってかかることと、成功のイメトレを心掛けてください」

発表毎のコメントは前回と同じような話になってしまったから省略。週半ばにようやく第3回目を終え、25名全てが発表を終了した。途中でもわーわー、色々と騒いだが、総評としては発表内容もプレゼンテーションも十分に高い品質で準備に余念のなかったことを想像できるものだった。1回目の話は何となく思い付きで話し、2回目はそれに何となく続けただけだったが、3回目になって「実は周到に用意された続きモノの訓話だったことにしよう」と悪魔のように思い付いた。

「今回で最終回になりますか。これまで発表されてきた皆さん、アドバイス、指導された先輩方、PTAの方々お疲れ様でした。25個もよい課題があったということは皆で考えればもっともっとよい知恵が出せるということですね。私はいずれ私達社員の仕事というのはそのほとんどが「課題を見出して解決する」ことのみになると思っています。その辺の話をまとめようと思います。私がこういう時に同じ話をしないのはご存知だと思いますが、実は総評で申し上げてきた話はこれで完結する3部作だったのです。(悪魔笑)最初、『課題を見出してたくさんの引き出しを持って』と言いました。2回目は『そのために疑ってかかり、成功のイメトレせよ』と言いました。最終段階は『それでも一見大きな課題がない=うまくいっているようだったら課題を創り出せ』ということです。捏造しろと言うことじゃありませんよ。ちょっとスコープをずらすだけで結構課題になることも多いんです。ではなんでここまでして課題を探し出さなければならないか?年頭に申し上げた今年のテーマ「少しだけ変える」ことが必要だからです。揺すって揺らぎを与えるんです。我々のような職場は退屈が大きな敵です(これは個人の好みかなー)。実は今日の午前中、私の上司と来年度何するかについてディスカッションしました。皆さんも協力してくれてスタッフが色々と用意してくれた資料も使い1時間ほどお話しさせてもらいましたが、言いたかったことは「マンパワーで成立している事業なんだから、人が最大限パフォーマンスを発揮できるようにあの手この手を使って改善サイクルを確立しよう」という唯一つです。課題解決というのは堅い表現ですが、こういうイベントでなくてもぜひ色んな形で仕事を揺さぶり、変化に富んだ職場としましょうねー」

うーむ。。。決まったような肩透かされたような・・・話自体はつながってるんだよな。でも最初思い付くままに言ったことに、たまたまKICK師匠の「イメトレ」という言葉がばっちり重なり、実は最初から用意されていた3部作だったということにして、最後は年頭のテーマに帰着させるという、ボロい作戦であることはお見通されたかもしれない。しかし何かこういう機会があると必ずと言っていいほどKICK師匠のサイトには有用な言葉を拝見できる。まるで私のためにご用意頂いたような海を越えた以心伝心も感じるのである。(いつもありがとうございます)
まあ、締めのセリフも「堅い解決発表会」だった。さて仕事の上での課題など「どうとでもなる」と偉そうに言い切ってはいるが、「自分のこと」となるとこれがさっぱりなのが面白い。その話はまた今度にしよう。

おまけ。湘南地方の記録的豪雪に「人型を作らずにはいられない」息子甘辛の図。奥に埋もれて見えるのが「赤いライオン号」。我が家の全ての兵器は出撃不能となった・・・