超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

スピリットベアにふれた島

2011-09-28 12:14:47 | 書籍
中学生の読書感想文課題図書を読んだ。課題図書は先般、少し記事にした「聖夜」、「夢をつなぐ 山崎直子の4088日」、そして「スピリットベアにふれた島」である。
息子甘辛とともに全部読んでみた。 彼が感想文にしたのは「聖夜」(たぶん最初に読んだ本だから?!)。私も最初に「聖夜」を読んで中々深いものを感じ、このサイトでも少し紹介した。
山崎直子さんの自伝?!からは正直言って「宇宙飛行士などなるものではないな」と感じてしまった。「自分の夢をつなぐ」ためには「他者に犠牲が必須」という印象を受けたのである。
学生時代に「毛利さん」「向井さん」「土井さん」らが研究室に遊びに来たこともあり、宇宙飛行士を結構身近に感じていたが、改めて本人だけにとどまらない過酷な試練を垣間見た。

最後に読んだのが「スピリットベアにふれた島」である。何となくとっつきにくい感じがして後回しにしてしまったが、私はこの本から最もたくさん色んなことを感じた。
まず、(本の紹介をしてもしょうがないから)さわりだけ書くと
「主人公のコール・マシューズ(15歳)は裕福な家庭だが両親とのぎくしゃくした関係からか、怒りをコントロールできなくなり、同級生に重傷を負わせる。本来なら裁判の後、刑に服するところだが、『サークル・ジャスティス』という独特の制度を使って一人無人島で「自分を見つめなおす」機会を与えられる。コールは厳しい自然の中で孤独と闘いながら『自分を変える』とはどういうことかを学んでいく」

という、ところか。。。
凶暴でクラスメイトにも手に負えない少年、資産家だが世間体だけを重んじ息子(コール)には暴力を振るってきた父親、その父親に何もできない母親・・・周囲の支えと大自然とのふれ合いから少年が変わっていく様は「はっきり言ってベタ」(中学生向けだからね)ではある。「積木くずし」を思い出した。
物語の内容そのものの感想には全然ならないが、人類学?的なカルチャーの違いと共通点のようなものを感じ、一番たくさん「語れる」本であった。

主人公コールが住んでいるのはアメリカミネソタ州ミネアポリス、1年間孤独な追放生活を送ることになるのがアラスカ州ケチカンから水上飛行機で行くドレイクという村からさらに船で向かう無人島である。ドレイクはトリンギット族というアラスカからカナダ北西部を居住区よしていたインディアンの村で、コールを支えるガーヴィという保護観察官と、無人島生活の手配を手伝ったエドウィンという古老の故郷である。

「文化」を感じたその1:サークルジャスティス制度
北アメリカ先住民のあいだで何世紀にもわたって行われてきた慣習だそうだ。傷害事件などの加害者、被害者、関係者が「環」(サークル)をつくり、どうやったらお互いに魂を救済し、和解しあえるかを話し合う集いである。どちらかというと加害者を立ち直らせるためのもので、参加者が創造力をもって解決案をひねり出すのが特徴だ。ここでコールは「無人島で一人生活し、自分を見つめ直す」という実に創造的な裁きを受ける。(正式な司法制度とは別)
この制度はいくつかの州や市で実際に採用され、その有効性を発揮しているらしい。日本には全くない制度だが、コールへの「裁き」は日本で昔あった「島流し」の発想に見えその共通性が面白い。

もともと「変わる」気などなかったコールは無人島生活用にエドウィンがせっかく用意してくれた小屋や物資を盛大に燃やし、島からの脱出を目論むが失敗する。
さらにコールは一頭のアメリカクロクマと遭遇するが、自分を怖がらずに見つめるクマに怒り心頭に達しこれを殺そうとして、逆にその後の生活にも不自由するほどの重症を追って生死をさまようことになる。そのクマはスピリットベアと言われる誇り高きクマだった。
ガーヴィとエドウィンに奇跡的に助けられたがその後数ヶ月は入院生活を余儀なくされたコールはその経験を通して少しだけ「生」というものを考えるようになった。自分の行為でせっかくのチャンスをふいにしてしまったコールだが、ガーヴィとエドウィンの計らいでサークル・ジャスティスを説得し、再び同じ島での追放生活を送ることになる。

「文化」を感じたその2:池での修行と石運び
古老エドウィンは無人島にしばしば訪れ、コールにインディアンに伝わる色々な修行を教える。氷のように冷たい池に全身浸かり座る行、「先祖」と称した石を小高い丘の上に持ち上げ、頂上からはこれを「自らの怒り」と見立てて転がり落とす行。。。いかにも奇行のように見えるが「禊」をするという意味では滝行に通じるものがある。何か「気」を落ち着かせるときに「水に触れる」というのが人類共通な習性のようで面白い。「石を運ぶ」という行為は意味は異なるがやはり「シシフォスの岩」に通じるものがある。

再び無人島で生活を始めたコールはエドウィンから教わった様々な「修行」により、「怒り」、「癒す」、「赦す」とは何かを少しずつ考え始める。「誰にも見られていない時に何をするか」と言われたら「自然を見る」というのが自然なのだろう。
「怒りは決して忘れることのできない記憶」としてこれと向き合い、自らの行動を振り返ったコールは、重症に悩み「うつ」になって自殺を繰り返す被害者ピーターを島に呼び寄せることにするのである。

「文化」を感じたその3:ダンス
「わしらのまわりにはいろいろな力がある。たとえばクジラ、クマ、オオカミ、ワシといった動物がいる。太陽や月や季節の力もある。幸せや怒りのように人の心の中にある力もある。わしらはそれをすべて感じとり、ダンスで表せる。こうした力にはみな、教わるところが多い・・・・」
このあたりはいかにもインディアン的だが、実に面白かったのは「動物を見て学んだことを踊る」のではなく、「動物を踊ったこと自体から学ぶ」ということだ。
ふてくされた態度をとってガーヴィとエドウィンから無人島生活の終焉を宣言され、一人残ったコールはたき火を見つめながら自然と自分一人だけが見たオオカミを踊りだす。
起きてきたガーヴィから「何を学んだ?」と聞かれ「オオカミの群れのように、まわりの助けが必要だとわかった」

「見えない存在になるには、心を無にしなければならない」どうもその時にスピリットベアは現れるらしい。。。洋の東西を問わず修行というのは「心を無にする」という要素が必ずあるようだ。禅にも通じるものがある。
やがて両親の苦渋の決断としていやいやながらも無人島にやってきた被害者ピーターに散々に仕返しされながらも、一緒にダンスを踊りトーテムポールを彫ることになるのである。
「踊りながら何かになりきり心を同化させることによって何かを学ぶ」というのは実に興味深い。ヨーガなどはそういう境地があるんじゃないだろか・・・

この本のテーマのひとつは「怒り」だと思う。10代の少年が誰でも持っている怒りとか不安が題材のようだ。私もこの本から「怒り」について一つ学んだ。
私は中年の域にどっぷり浸かった年齢でさすがに「怒りを露わ」にすることはほとんどないが、恥ずかしながら剥き出しにしてしまうときが度々ある。
「赤信号」が大嫌いなのである。走行中に正面の信号が黄色を経て「赤」になると必ずと言っていいほど「呪い」の言葉を出してしまう。。。元々「赤」ならかまわない。目の前で変わられるのが、「行く手を故意に遮られる」ようで堪らなくいやなのだ。

「信号が目の前で『赤』に変わったときに『怒り』を露わにするのはどうもよくないらしい、ということを学んだ」
妻に話したら、「そんなこと学ぶのに40年もかかってんのかよ・・・」

秋晴れウォーキングⅡ

2011-09-26 04:55:21 | 旅行お出かけ
散歩の続き・・・台風の影響が海の底にまで出てしまっているのを地引網で目の当たりにした私達は新江ノ島水族館の横を通り過ぎた。
「あのデカイ蟹はねえ、普段たぶん家で飼ってるんだよ。今日みたいに魚が少ないときに『やべえ、やべえ』って家から持って来るんだな」
漁師に聞かれたら殴られるかもしれないような勝手な会話をしながら歩き進んだ、
垣根の向こう側に見えるのは「亀の水槽」だ。よく見ると海ガメが海面上に顔を出しヒレを振っている。。。

ハワイ島で野生の海ガメに出会える有名な海岸で妻がシュノーケリングをしていたら、「そこをおどき!」とパシッとやられた亀と同じようだ。
外から見ているだけで入場料は払っていないから著作権を重んじて写真撮影は自粛した。
海岸線を建物に沿って歩いていくとエントランスのところで何かイベントをやっていた。
「生き物ふれあい体験」というイベントのようだ。いつもはフリーマーケットのようなイベントの多い駄々っ広いエントランスだが、今日は初めて見た。幼稚園児が喜ぶ「移動動物園」のようなものか・・・・?!

って人だかりに近づいていくと、いきなりでかいヘビを抱えた係の人に遭遇した。
おーっ、これはすげえ!と思ったがさすがに怖くて近寄れない。係の人も実はあまり好きではなかったのか、カメラのレンズを向ける前にそそくさと水槽に還してしまった。。。
その隣に白い生き物を手に載せて子供たちに触らせている人がいたが、何とイグアナ!
うーむ。大人しそうだが触るにはかなり勇気がいるぞ・・・もしかして「ゲテモノに触れ合う動物園」?!・・・

         

次におねえさんが触らせてくれたのは「ハリねずみ」である。背中の方からそーっと触れば大丈夫のようだ。しかし明らかに硬いハリで覆われている。
「『ハリセンボン』みたいにどわーっとハリが刺さることはないんでしょうかー?」
「ホントに危険を感じたときは総毛(ハリ)を立てて身を守ります。この中にも気の弱い子はいるんですよ。彼らが本気になったら指なんて穴だらけです」

       

にっこり笑って手に乗せるよう勧めるが、もしこいつの気が変わったらオレの手穴だらけじゃんかよ・・・限りなくそーっと背中を撫でてやったのに、「ビクッ」と動いた瞬間2mは後ろにジャンプした。怖いよー。。。
その隣は誰も見ていなかったが、ミズクラゲの水槽が・・・夏場、お盆がすぎるとこのモノ達が発生して、海に入っているとひどい目に遭う。私はまだ幸い遭ったことがないが、最近は「くらげ除け」の薬も出ているらしい・・・

   

昔、我が家にいた「パックン」のような亀がいた。係員が気楽に子供に触らせていたが、「このカメ何か珍しいモノなんですか?」と聞くと、
「いやあ、台風の後、海岸を清掃しているときにいたんですよ。普通の石亀だとおもいますがねえ。どこからか流れてきたんでしょうが、生き物は大切にしないとねえ」
おーっ、このカメもパックン同様放浪の旅を続けたあげく無事に救助されたんだな・・・
おーっ、いつか湘南モールFILLで見た何とか(ガラパゴスではない)陸ガメだ。あの時の値段は29万円、庭から絶対に逃げ出さないから飼おうと言った意見は妻に0.02秒で却下された。。。

     

いつも水族館とはあんまり関係ないイベントに遭遇してきたが実に面白かった。私達は134号に出て観光案内所方面に歩きだした。
正面に「カプリチョーザ」が見える。実はその隣の「湘南ゴルフリゾート」というのがどうにも謎の施設で、なんでもかなり精密なシミュレーターでゴルフトレーニングができる、というものらしい。
ここからは見えないがその裏にたしか、地元の子しかいかない隠れマイナー施設「江ノ島ボウル」があるのだ。

   

正面にウルトラマンの映画で「ダン、ハヤタ、ゴウ秀樹、北斗星司」の行きつけの店だった「サン・アロハ」が見える。夜になるとTDLにもいるゴスロリみたいな衣装のアロハ姿の店員が店の前にいるのだが、まだ開店前のようだ。。。また、「KAZOK」というブッフェで有名と聞いたレストランがあり、水族館の訪問客でいつも賑わっていたのだが、いつの間にか潰れてしまっていた。
片瀬漁港の手前はこれまたいつも賑わっている「イル・キャンティ・ビーチ」だ。今日は時間も少し早いせいか結構空席が目立つ。

     

弁天橋の手前、橋を渡らずに右に折れると片瀬漁港に着いたが残念ながら土曜日だけ直売日はお休みなんだって。毎月第一日曜日は朝一で賑わうというから、これからは我が家の「地魚の日」にするとしよう。朝9時から開催されるらしいが、私は6時から後ろの片瀬新港釣りゾーンでたたずみ。現地で妻と待ち合わせることにする。(坊主のときの帳尻合わせか?!)
弁天橋沿いの境川河口ではめいめい釣り客が楽しんでいる。私は彼らがどんな魚を釣っているのか気になって仕方がない。。。。それにしてものどかな風景だ。

   

あまり釣果ははかばしくなかったようだが、河口で釣り糸を垂れていた親子が奇声を上げた。子供が何か大きな魚を釣り上げたらしい。
目のいい私は遠目でも一発でそれが「メジナ」だと分かったが、「おおっ、すげえぞー!」とカメラ片手に近寄った。「ホラホラ、慌てないで暴れるから、糸がからまないようにしなきゃ」お父さんのほうが慌てているようだが・・・
私は(結構余裕を持って)「すごいねー、メジナかな、こりゃー・・・いるんだなーここにも」手のひらサイズだが、子供はホントに目をキラキラさせていた。おじいちゃんが駆け寄ってきて、親子で記念撮影・・・これ以上微笑ましいことはないような光景だった。。。

さて私達は片瀬漁港を後に西に向かい始めた。コンビニをスルーして元町ユニオンで少しリッチな弁当を購入し、海岸で昼食にすることにしたのだ。海マックも結構好きなんだけどねー。。。
私は「カレモコ」というずっしり重たい洋風パック、妻はなんだかんだ迷いながら「のり弁」にした。
ポイントによっては少し波が立っているところがあり、体が微妙に疼いたがまずは広大なウッドデッキに座って海に向かって弁当を食べ始めた。ここでその日最大の危難が訪れるのである。

     

「おどわーっ?!?」何が起きたのがさっぱり分からなかった。。。隣の妻に「アチョーキック」をされたのかとも思った。
背後から低空滑走でトンビが襲ってきたのである。最初の一撃でナポリタン(冷凍の)のおかずがすべてやられた・・・
驚いた私は立ち上がったまま右に左に反転し弁当を食べていたが、第2次攻撃、第3次攻撃が・・・カレモコのほぼ半分がやられたときにとうとう諦めた「ダメだこりゃ・・・」いかりや長介風)
以前、稲村ケ崎で妻がやられた牛丼と同じ手口だった。背後から音もなく忍び寄る・・・

慌てて荷物を片づけてさっきのカフェテラスなぎさへ向かう。途中で何組も背後からやられているグループを見た。そうだよなー、ここで弁当広げるの最高だよなー・
結構年輩の夫婦が奥さんのお弁当を広げようとしていた。後ろから滑空してきたのを見て思わず「来ますよー!」二人は慌てて風呂敷で覆っていた。。。
一人でコンビニ弁当を広げていたおじさんにも背後からの脅威が・・・ちょっと悪いと思ったけど瞬間写真を撮っちゃった・・・(ごめんなさい!)

       

私だけ災難にあったが結構面白いウォーキングだった。「あのさ、トンビが食いにきたら捕まえられねえかな。飼ったらカッコよくねえか?」
「やめときなって。あの手の鳥は絶対人になつかないんだって。鷹匠なんて腕に止まらせるだけで、何年もかかるって聞いた」
真面目に応える妻もさすがだが、キャプテンハ―ロックの「トリさん」のように肩にいるとかなりカッコイイと思うんだがなー。


   

秋晴れウォーキングⅠ

2011-09-25 10:34:17 | 旅行お出かけ
早朝、竜泉寺の帰り、素晴らしい秋晴れの朝だった。海岸線を西に向かって走るとラチエン通りとのT字路で烏帽子岩が見事に輝いて見えたので、車を止めて海岸へ走って行きパチリと撮ったがイマイチ・・・
この道路は都市伝説かも知れぬが、数百メートル山側に向かって降り返ると烏帽子岩がドンズバ正面に見られる設計となっている。もはや日課(週課)となってしまったが、竜泉寺の高濃度炭酸泉で昨晩の疲れを癒した。

   

息子甘辛をいつもの練習場所に送って帰って来たのが午前10時。風が心地よく絶好の海日和だが残念ながら波はない。お散歩には最適なようだ。
何があるわけでもないのだが、妻と私は海岸線を江ノ島に向かうボードウォークを歩くのが好きだ。さすがに灼熱の夏は歩くなど無謀の極致で海中専門だが、今日あたり久々にウォーキングしてみようと二人で外に出た。江ノ島付近まで行って弁当買って海岸で食おうということになったのだ。

最近触っていなかった超兵器203号をもってまだ台風15号の傷跡が残る川沿いの道を海岸へ向かった。
ほとんど雲ひとつなく素晴らしく輝く海原だが、今日はあえて江ノ島には背を向けて反対側を多く撮ることにした。ここいら辺が昨年夏「うな吉」が釣れた場所だ。今年は何度もトライしてみたのだが、ハゼしか釣れない・・・仕方がないので手長エビと一緒に水槽で飼っているが。。。

   

河口付近までくると、驚くことに砂で半分くらい川が埋め立てられている。。。台風が通過するといつも岸辺に大量の木くずが積もるのだが今回は砂をも運んで来たらしい。画面にはないが左側でバーベキューを楽しんでいるグループがあった。「そこ満潮時は水没しちゃうよー」我々は江ノ島に向かって歩き出した。しばらく歩くとサーフビレッジとビーチバレーコートだ。我々は途中で着替えたり、砂を落としたりしないからあまり使わないが、小さなカフェがある。
「湘南からエールを」の復興支援ライブはこのカフェのまん前がステージだった。なるほどここから歌うと江ノ島が真正面だ。。。

     

海は写さないつもりだったが、ビーチバレーコートの端でサーフスクールをやっていた。そうそう、初めてのときは準備運動をしてサーフボードの部位名とか波の部位、高さ、風の方向など独特なサーフィン用語を習っ後、陸地でパドルやテイクオフの練習をみっちりやるのだが、これが結構恥ずかしい。。。何事も基本が大事なんだがな。
少し歩いていくと134号沿いにドッグデポが見えてきた。まだ午前中だからかお客さんはいないようだ。ここからは見えないが緑の芝生で犬を走らせながら御茶飲み話をしている人がたくさんいる。

     

もう少し歩いていくと元町ユニオンが見える。散歩の帰りに寄ることはあるが、普通のスーパーでは中々見ない珍しい?食材が見られる分、値段もお高くセレブ向きなところだ。芸能人がちょこちょこ出没するらしい。。。震災直後全ての売り場から忽然と消えた「納豆」がここだけは限定ながら発売されていた。(さすが)
手前の「GODDES」というサーフショップはライブにも出てきた「つるの剛士」が会員で出入りしているらしい。こういう小さいサーフショップがたくさんあり、ボードや小道具の販売、ボードの預かりサービス、サーフスクールなどを営んでいる。
常連が我がもの顔で屯っており、歩道を占領してボードのリペアなどをやる「いかにも」というあごひげ、TATOOの店員などが多く、正直足を運ぶ気になれない。。。(むろんここがそうではないけれど)

     

新江ノ島水族館まで行くと、海岸では地引網を引き揚げたところだった。すごい人だかりだったが上空にはいつも旋回しているとんびが少ない。
春先はゴンズイとカマスばかりだったようだが、今はどんな魚が獲れるんだろか・・・人混みをかきわけて網まで辿りついて驚愕した・・・魚がほとんど見えない!どうも台風の影響で海の底までひっくり返され、ヘドロのように沈殿してしまったらしい。
うーむ。。。陸地だけの被害ではなかったのか・・・

      

しかし中には色んな魚がいることはいた。30cmを超すイシモチやキス、背中のブルーが鮮やかなのはイワシ?舌平目なども見られた。そして1匹だけ大き目のエビが・・・(このエビはなんだろな?)
さらにカマスかキスみたいな細い魚が混じっていたが、これが先日塩焼きで食べた「沖ギス(ニギス?)」ではないだろか?さらに別のバケツには巨大なカニが・・・これはたぶんワタリガニでは?漁師さんは「絶対触らないで!」と叫んでいた。こぶし大くらいのハサミを持っており、指くらいはちょん切られてしまうだろう。

       

新江ノ島水族館から片瀬漁港釣りゾーンまで来るとウォーキング行程は終わりなのだが、ちょっと海に行ってくるので今日はここまで・・・(つづく)



月名の由来

2011-09-21 08:44:48 | ホビー
この3連休(向こうは連休じゃないが)から、世界最大のビール祭り「オクトーバーフェスト」が開催されるというニュースを見た。うーむ。懐かしい・・・15年ほど前、交換研修でドイツをほぼ1週した時に、「ウルム」という街の次に長く滞在したのがミュンヘンだった。ミュンヘンはオリンピックのバレーボールチームがアニメになるほどだから、私達にも馴染みの深い街だったが、そのような大きな祭典があるとは不覚にも知らずにいた。
わずか2週間余りの開催期間でズバリ予定を組んでくれたドイツの主催者には感謝だ。「ビール大好きのわたしは1リットル巨大ジョッキを6杯飲み、仲間内から「ビヤマスター」の称号を得たのもそのときだ。
彼らと同様「プレッツェル」というちょっと塩味の効いたパンをむしりながら、テーブルに立ち上がって大合唱しながら延々と飲み続けるのだが、他にボリュームのある料理を食すわけではないから、トイレさえ確保できればいくらでも飲めるのだ。
日本でも最近は行われるらしいので、行く機会があったらレポートしよう。

さて、「10月:オクトーバー」の「オクト」はギリシア語の接頭語?で「8」を意味する。(オクトパスのようにね)
「9月:セプテンバー」の「セプト」は同様に「7」を意味する。11月も12月も変形しているようだが、基本は同じである。(nonaが9を表し、decaが10を表す。)
モノ、ジ(ダイ)、トリ、テトラ、ペンタ、ヘキサ、ヘプタ、オクタ、ノナ、デカ=1~10は日本語でも結構取り入れられている。「モノ」レール、「ジ」レンマ、「トリ」プルファイター、「テトラ」ポット、「ペンタ」ゴン、「ヘキサ」ゴンなどである。
「化学」を専攻した人は大抵これを覚えている。学術名で分子又は原子が何個付いているかを表すのにこのギリシア読みを使うことが多いのである。
ジ(ダイ)オキシン、トリハロメタン、テトラクロロエチレン、ペンタノール、ドコサヘキサ塩酸・・・

こんなことを覚えていてもただのトリビアでしかないのでが、9月、10月の読み方が「数の数え方」から何故ずれてしまっているのか、学生のときに先輩から聞いて知っていた。JULYからずれたのである。JULYは「Julius Caesar」つまりジュリアス・シーザーに由来している。7月は彼が生まれた年で、自分の影響力を行使して時代の勝者として月の名前に我が名を入れてしまうのである。
翌8月も同様シーザーの養子「アウグストゥス」に由来している。(父がそうならオレも入れろ!と言ったのか?)元々の名は「オクタヴィアヌス」と言ったが、元老院で「尊厳者」という意味の「Augustus」という称号を受けるほど強い勢力を持っていた。(ここは世界史で習った)
ここまでは知っている人が結構いると思うが、6月より前は「数の数え方法則」が適用されていないし、名前の由来なんて全然知らない。
世の中には面白いことを載せる人があるもので、ネットで調べると真偽はともかくちゃんとそれらしい由来があった。
http://eitango.eigotonihongo.net/word/month.shtml
●January=Janus(ヤーヌス:古代ローマの神)前後に顔があり門を守護する神だった。「ヤヌスの鏡」というドラマが確か昔あったが、それが名前の由来らしい。
●February=Fburuari(ラテン語で罪滅ぼしの月という意味)。古代ローマ歴では1年は3月から始まり、最後の月は2月だから身を清めようとした。ちなみにローマの贖罪の神はFebruusという。
●March=Mars(マーズ:古代ローマの軍神)。新年最初の年が軍事行動始まりの月であり、軍神を称えたという。MarsにちなんでMarch・・・軍隊、軍事と「行進」は関係が深い。
●April=諸説あるらしいが・・・Aprilis(ラテン語で「開く」という意味)、Aphrodite(アフロディーテ:ローマの女神)いずれも春はとても美しい季節だからか・・・?!
●May=Maia(マイア:ギリシャ神話で豊かなるものや成長を司る春の女神)
●June=Juno(ユノ:古代ローマの女神)、当時最高の女神とされ、結婚生活や出産を司る神として女性に崇められてきた。June brideの由来でもあるようだ。

どの月にも他に諸説あるようで、この引用サイトがすべてとは思わないほうがよい。日本ではもう「なんとか月」という古来の呼び方は流行らなくて単に数字だけで表しているが、中々面白いものだ。
曜日とかも日本語や英語読みに色々な意味がありそうだ。たぶん日本語は太陽系の惑星に因んでいると思われる。英語はSUN(太陽)とMOON(月)以外は全然知らない・・・
普段何気なく使っているものの名称でも実は名前の由来って全然知らずにおり、改めて調べると結構面白いものが多い。
ちなみに息子甘辛の命名の由来は・・・
・父親の名前と合わせるとPacfic Oceanになるようにする
・その大洋を自由に飛び回り、飛行可能距離が長く、狙った獲物を逃さない猛禽類をイメージ
・地球を愛した無敵のヒーロー
などがキーワードになっている。

台風接近に伴い大きな会議が中止になってしまい暇だったので思いつくまま書いてみたが、なんか空疎な話になってしまったな。
最後になぞなぞを一つ・・・・(ヒントはこの話の中にあります。またもちろんこのなぞなぞはフィクションです)
「197X年のペナントレース真っ只中の7月、巨人軍はかろうじて首位を守っていた。2位の中日とのゲーム差はわずか1。ところが8月になって756号をかっ飛ばした世界のホームラン王が全く打てず、ついに首位を明け渡してしまった。どうも打つ気が無くなってしまったらしい・・・何故か?」

渡良瀬橋

2011-09-19 10:55:42 | 旅行お出かけ
3連休シリーズ最終話はズバリ渡良瀬橋である。何となく名前を覚えていたから、いつだったかこのサイトに載せたらかの地周辺にゆかりがある、というKICKPOP師匠が喜んで下さった。
たまたま県東部の大河沿いにいわゆる飛び地「間に管轄外のエリアが入っている」があり、その施設に新方式のシステムを導入することにしたのだが、二つある方式のどちらを採用するかで最後まで議論となった。そこで先週、実際にどのような環境にあるところなのか確かめるとともに、それから東部を県境にそってぐるりとルートパトロールし、施設を点検していくことになったのだ。
「ねえねえ、ルートの途中に『渡良瀬橋』って通らないかな」私が聞くと八兵衛の目がキラリと光った。

彼は随分昔、県東部方面の施設の設計を任されており、先日訪れた時は幅10cm以上ある「ひもかわうどん」を紹介してくれたのだった。「寄って行きましょう。森高千里の歌碑ができたそうですよ」
色々調べてくれたが、プリントアウトされた資料を見ると夜はライトアップされムード満点の中々の名所だそうだ。(寄るのは夜じゃないんだけどねー)
これによると渡良瀬橋は下路並行弦6連ワーレントラス橋という構造で、できたのは何と昭和9年。。。!約80年も前だ。
くだんの施設の調査と途中で行われていた工事の安全性チェックをしながら、先日「難所」調査に同行してくれたモッチのいささか荒い運転でご当地へ向かった。

   

「これがそうか・・・」一旦車で橋を通過し反対側のスペースで駐停車し歩いてみた。
初めての土地で全然方角が分からなくなっていたのだが、あの歌に出てきた「夕陽」とはどっちの方になるんだろか・・・?
実はこの橋の本線は自動車専用のようで歩けるのは隣接する歩行者用の小さい橋だ。ここから夕陽を望むとすれば川の上流に向かって眺めることになるなー。
太陽が顔を出して少し日差しが眩しいが、それにしてものどかな田園風景だ。。。

      
 
せっかくだから私たちは歩行者用橋を渡り始めた。全長は約250m、自動車用と歩道橋の間に我々の設備が見える。結構新しく作ったものだな。橋の上外側にライトアップ用と思われる設備がある。なるほど遠くから見たら綺麗だろなー。
「~渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ。きれいなとこで育ったね ここに住みたいと言った・・・」と歌われたのはこの辺かな。。。下流側の緑色をした橋も結構趣があるぞ。橋を渡り切ると、小さな神社があった。小高い丘を上った上に祠があるようだ。

      

      

 
歩道橋を往復して戻ってくるとモッチが車を回してきてくれた。
「100メートルくらいのところに『歌碑』ができたらしいんですけどねえ」
八兵衛は会社丸わかりのユニフォーム姿で近くを歩いていたお年寄りに尋ねていたが、その方はにっこり笑って下流の方角を指差した。おーっ、これがそうか!
ネットでみた写真はここから撮ったものなんだな。ここから橋のバックに見える夕陽、ライトアップされた橋は綺麗だろうなあ。

      

森高千里はあの橋で何を思いあの名曲を作ったのだろか?もしかして自分の経験談?
歌詞にはホントに地元じゃないと中々しらないモノが出てくる。
「八雲神社」にはさすがに行けなかったが、床屋の角にポツンとある、という公衆電話は「たぶんこれ?」というのがあった。
初めて見るが「渡良瀬橋」って切ない、いい歌だねー。街灯に設置されているボタンを押すと何と本人の歌がフルコーラスで流れてきた。モッチを待たせているのは悪いことたが、私たち3人はしばし若い森高千里の歌に聞き入っていた。。。。

そう言えばどういうわけか彼女には「信者」が多かった。自称「非実力派」(うむ。正直者)で恐ろしく足の綺麗な人、という印象しかなかったが、最近CMで見かけても全然変わっていないのはすごいと思う。
80年代後半、シーズンには月2ペースくらいでスキーに行っていた当時、仲間内に「熱狂的」な信者がいた。大手電機メーカーに勤め独身寮に住んでいた彼は、帰りに「ちょっと寄って行かない?」と我々を誘い込んだ。
小奇麗な部屋だったが、ひっぱり出したのは森高千里ライブの「レーザーディスク」(うーん、このアイテム懐かしい~)だった。
それから2時間半、退屈そうにしているとジロリと睨まれほとんど正座させられる感じで画像を見せられた。(あれが信者を増やす「洗脳活動」か?!)

フルコーラスを聴き終えると時間は1時を過ぎており、ちょっと長居し過ぎたので急いで車に乗り、ルートパトロールに向かうため我々は渡良瀬橋を後にした。
そこから約45分、再び県内に戻った我々は「ひもかわうどん」の街で「2番目に美味しい」とされるソースカツ丼の店に向かった。(昼飯食うのも忘れていた)
食べログで一番だった店はたまたま定休日だったのである。着いたのは2時近く、昼休みはとっくに終わっていたが、結構お客さんは入っていた。
店の前には「梅宮辰雄の漬物」みたいな主人の等身大看板が掲げてあり、レジの前には各界の有名人がやってきた写真やサインが飾ってあった。

4人ともノーマルな「ソースカツ丼」を注文した。他には「ソーストンカツ丼」やびっくりトンカツなどがあった。どうやら「カツ」と言うとヒレかつを示すらしい・・・
やがてそのカツ丼が運ばれてきた。八兵衛はソースカツ丼店を二つとも行ったことがあったようだが、遥か昔で味は半分忘れていたらしい。。。
一口食ってほぼ4人とも「ん?」という顔をした。ソースカツ丼のベタベタなおたふくソースみたいなヤツが苦手の私には、特製のソースはあっさり上品で歓迎だったが・・・
何せカツが薄くて硬いのである。いつもは何かにつけて色々じゃべりまくる八兵衛も黙々と口に運んでいた。
会計を済まし乗車したとたん、「あれで2番かよ・・・皆やられてねえか?」誰からともなくつぶやきが走ったのである。。。。

あちこちの施設を点検し、「渡良瀬鉄道」沿いの草木湖というところで一休み。。。
色んな風景の見られるところだなー。(その日の総行程は約180km。それだけ移動すればどこでも行けるわな・・・)
八兵衛はしきりにソースカツ丼について後悔していたようだが。。。まあまあ、次来る時は食べログトップの店を目指そうぜ。(でも正直あんまり期待してないよ)

    

難所Ⅱ

2011-09-18 16:34:49 | 職場
3連休3話連続シリーズ・・・・難所の次の出番はスティーブである。先日、台風12号が接近してきたとき、1年に数度くらいしかないがこの県にもやってきそうな雰囲気だった。念のために警戒態勢を敷いて私も指令室に詰めなければならないところだったが、自宅で外せない用事があり、番頭のグッチーに残ってもらったのだ。
台風はどうやら西日本から北へ逸れたようだが、ものすごい豪雨であちこちで倒木、施設の損傷などが報告されてきた。そして石畳階段で有名な温泉の向こう側の山でがけ崩れが発生!現地調査隊が派遣された。当日は大雨が降り続いていたため場所を確認するだけで復旧作業は中止。種々のケーブル施設、支柱等が流あれたらしいが、人や車の通る場所ではないらしい。

翌日、雨はまだ降ったり止んだりだったが、スティーブが直接現場を調査してきた。
復旧隊を連れて行ったがさらに広範囲にがけ崩れが発生する心配もあり、作業を実施させるか散々迷ったらしい。「無理しないで」と言ってはおいたが、「とにかく雨が降ったら作業を中止すること。時間は17時まで」という約束で応急復旧を開始したそうだ。
恐ろしく台風で日本海上に抜けてもまだ風雨の影響をもたらしていた。週明け
出社した私は「ぜひ見に行って下さい」というスティーブと崖崩れ現場に向かった。
空は曇っていたが雨が降る気配は無かった。しかし彼らはカッパと長靴を用意していた。「山の上ではたぶんまだ断続的に強い雨が降る」と言うのである。

現場までは車で45分くらい、ニュースで見るようにがけ崩れで道路が寸断されているのかと思ったら、鍵を開けて専用道路のような未舗装路を登って行った。
普段は水など流れていないというところが小さな滝のように流れ落ちていた。しかし水はそれほど濁っていない。
現場は昔廃線になったケーブルカー跡の溝の上から土砂が崩れたようだった。初めて見たが、すごいところだ。まさに地面がそのまま滑って崩れ落ちたようなのだ。巨大な岩が荒々しく軋んでいる。何か所かからまだ水が流れ落ちている。上を見ると大きな岩がいくつも剥きだしになっており、いつ落ちてきてもおかしくないような感じだ。
雨はひどく足場も悪い。通信ケーブルなどは溝崩れ落ちた崖からケーブルカー溝を挟んだ反対側にほとんど「木に結んだだけ」状態で応急措置され復旧していた。
「こんなとこよく復旧できたねえ。あんまり無理しないでよ・・・」

       

「確かにあんまり長居するとこじゃないですねー。。。。」幹部が視察したいとか言っていたそうだが、とても連れてこれるところじゃないなー。
「視察」が実現すると自分が案内役をやらされるスティーブは「とてもお連れできるところじゃない超危険は場所、と言っといてくださいよ~」と苦笑いしていた。
あのエリアは普段関係者しか入れない場所でなおかつ現場は人など通らないところである。あういう所に施設やケーブルなどが通過していると、「壊れた」ときに直すのが半端でなく大変だ。そしてよくある話、そういうところに災害は発生する。

     

「ここで崩れられたら終わりよね」というところは逃げるように走り去り、車に戻った。途中2回ほど足を滑らし、木の幹につかまったり、蔓につかまったりと冒険シーンもあった。今回の崖崩れ以外に過去にも岩が崩れることはあったらしく、苔むした大岩がケーブルカー溝にゴロゴロ落ちていた。うーむ。今回はさすがに冷や冷やモノだった。。。雨の中では決して作業をしない約束になっていたから、あの土砂降りの中で現場に立ったのは無謀だったかもしれない。。。

     

その日、会議で全くスティーブの言う通りのことをさらに大げさに言ったら、「でもいつまでも応急のままってわけにはいかないよねえ。いつ頃本復旧できそうかな」と問われたからすかさず答えた。「無理っぽいっす!」
あんまりムリムリ言いたくないけど、安全第一だからねえ。。。

昨日あれから2週間たったが、現場がどうなっているかはわからない。結局、別のルートで新たに設計する方向になったらしく、昨日八兵衛が再調査に行ったようだが、出掛けた私とはすれ違いになっており、結果は聞いていない。
ボリュームがあることで有名なY庵で天丼を注文した。一緒にいた同僚から、「この前行った崖崩れってどんな感じでしたか?」と聞かれて指差した。
「こんな感じ」・・・・・おあとがよろしいようで。てけてんてけてん・・・・

   

難所Ⅰ

2011-09-17 14:38:26 | 職場
私の管轄は「施設」や「システム」に関する分野が多くを占める。関係者はごく簡単に言うと、建物内に施設を建設するのが「泣き顔のアッキー」、直すのがこれまら「泣き顔のヨッシー」、屋外施設やケーブルなどを建設するのが「お出掛け大好き八兵衛」、壊れたり切れたりしたときに直すのが「泣く子も黙るスティーブ」である。
屋内施設にも電力設備やサーバー、通信施設など様々な分野があるが、基本的に建設工事やシステム設計などは「物資、機器」が予定通りに納入されれば大きな悩みはなく進む。
それでも震災の影響で必要な物品を優先的に被災地に送り込んだり、今夏は節電対象ビルで工事を行うときに電気を一定量以上使えず結構苦しんだ。

屋外施設は自然との闘いが多い。特にケーブル敷設などは頭を抱えるような「難所」が少なくない。昨年末、豪雪に阻まれた「谷超えケーブル」などもその一つである。
最近、「一体どうしたものか?!」と思われる事案が2件発生した。
一つは八兵衛の案件でリフトとロープウェイを乗り継いで登って行く山頂の施設に通信システムを構築したい、というものだ。
「なんでー、んなところに作るんだよ・・・」と言っても始まらない。。。図面や調査結果など事前に山ほど説明されたが、最後にモノを言うのは自分の目で見た一次情報である。
ニカウさんの後任「イッケイ」、デカさんの後任「カズさん」と「新お出掛け探査隊」を結成し、現場調査に向かうことになった。隊長の八兵衛は検査とか言って今回は欠場だ。。。

場所は先般天皇皇后両陛下が行幸啓された日本有数の温泉からさらに火山ルートをひたすら登った地点、国際スキー場があるところだ。山頂から15分ほど登山道を歩いたところから蔵王の御釜のような有名な火山湖が見える。
オフィスからはたっぷり2時間はかかる。早朝から出社してその日に必要な仕事をぜーんぶ済ませ、出動の準備に入った。
「あの辺、おいしい麺とかはないんですよ。たまには洋食レストランなんかどうかなーって、探しておきました。なんかね、皇室の方もお忍びで来るらしいんですよ。どんぐりハンバーグが有名なんですって。けっへっへへ」
八兵衛はわざわざお勧めのお店の食べログ情報をプリントアウトしてくれた。自分が行くわけじゃないのにこのあたり実に面倒見がよい。どうせどこかで食事しなければならないから、今回はお勧め通りにしようかなー。

なんだかんだ言って出発したのは10時を回っていた。。。独特のメロディラインを抜けて現場に向かっていたが、カズさんが「あの店、人気あって昼過ぎるとエライ混むんですよ。先に行っちゃいましょうか?」
何もしないうちに昼飯にするのは気が引けたが、カズさんの道案内で温泉街中心から少し離れたところにある小さなレストランに入った。
テーブルから厨房内がすべて見えるこざっぱりした店内だ。12時前だというのに結構お客さんがいる。一番奥の6人テーブルなんて年輩の方が男女、ずらりと料理を並べてワインを嗜んでいた。
優雅なものだが、正直な感想としてこの地域の年寄りはホントによく食う。(元気な証拠?)一人二品ずつ頼んでるんじゃないか?
私が注文したのは八兵衛お勧めの「どんぐりハンバーグ」だ。皇太子様もご賞味なさったらしい。野菜の煮物?とデミグラスがマッチした美味だった。

      

調査する現場は三か所、その一番下に到着した。リフトの発着駅でスキーシーズンでない今は閉鎖されている。
「こんなとこからどうやって通信ケーブルとか引くんだよ・・・」半分呆れ顔の私に
「あそこです!」カズさんが指をさしたのはリフトの支柱のど真ん中だった。なるほど、電話線?電力線?らしきケーブルが走っている。
「あんなところにどうやって付けたんだろ?」「点検用の梯子で登ったらしいです」
うーむ。スティーブの若い頃は怖いモノなしで何でもやったようだが、今は安全施策をちゃんととってもあんなところ登らせたくないなー。。。。

   

「ここはまだ楽なほうですよ」カズさんは車を進め、次の調査場所に向かった。途中剥きだしの岩肌とすごい匂いの黄色いガスが立ち込めているのが見えた。珍しい光景dから撮影しておこうと携帯を取り出して
「ねえねえ、ちょっと車停めてくれない?・・・・・って、やっぱいいや。。。」
【高濃度硫化水素ガス噴出のため駐停車禁止。車窓を閉めて下さい】という看板が見えたのである。なんちゅう、ところだ!歩いては通れないということか・・・
リフトの終点から少し登ったところにゴンドラの発着駅があった。今度は支柱(これがとんでもなく高い)ではなく、その隣にあるH型の電柱に電力線などが通っている。
よく見ると崖の中壁に立っていたり、さっきの黄色いガスが見える岩肌に立っていたりする。こっ、こりゃー難所だなー。。。先人達はどうやってあんなすごいところに柱を建てたんだろか・・・?

   

さらに車を進め施設設置予定のレストハウスに着いた。平日だというのに駐車場には結構な数の乗用車があり、観光バスも行き来していた。
15分ほど山道を登って行くと、蔵王の御釜のような有名な火山湖が見られるらしい。
さっきのゴンドラの山頂駅からレストハウスまでは一本の電柱もない。特別景観地域なので、電気、電話その他すべて地下化されているそうだ。しかしだいぶ前に建設されたもので、どのルートなのか何となくしかわからず、使えるかどうかも定かでないらしい。もう一度ほっくり返したら天文学的な費用がかかるんじゃないか?!

      

とりあえず「この辺らしい」というところを見つけて池を横目に山頂駅まで辿りついた。
ゴンドラで下りながらケーブルのルートがいかに難関か記録にとっておくことにした。
往復1500円、片道900円か・・・結構するんだな。財布を出して片道券を買おうとすると「工事の方ですか?どうぞー」とにっこり乗せてくれた。。。
改めて下ってくると想像を絶する難所だ。帰って幹部に報告するときに「無理っぽいっす」と言っておこう。。。

       

スタジオプログラム

2011-09-13 15:34:08 | スポーツ・健康
「あなたは瞬発力や『太い筋肉』はもう鍛えなくでいいから、『細い筋肉』を鍛え、しなやかになりなさい。」
スピリチュアルヒーリングの先生の言葉を聞いて、約10年間変えなかったトレーニングのスタイル(別にと言うほどのものがあるわけでもないが)をガラリと変えた。このあたり我ながら無邪気である。
重い負荷を掛け、パンパンになるようなマシンの繰り返しやこれまた重めのバーベルを用いたエクササイズは止め、入念なストレッチやブルブル君(仮称)、ジョーバなどどちらかと言うと退屈でこれまであまり手を出さなかった分野に加え、今までは「おまけ」だったスタジオプログラムで埋め尽くした。(スローヨーガはあるが、「太極拳」がないのが残念だ)

「すーぐにその気になる」というのは性格的なものだと思うが、実は身体も「すぎにその気になる」性質だったらしく、サッカー選手だった頃も準備運動やウォームアップなどあまり真面目にやったことがない。
いきなり始めて怪我をしたこともないし、息苦しくなったこともない(ポジションも関係あるか?!)。
整理運動(ストレッチ)など何故やるのか理由すら知らなかった。さすがに「重度の筋肉痛」というのを感じる年齢になると、運動前後のストレッチが大事というのは身を持って体験した(とほほ。。。)

以前から平日は会社帰りに不規則だが週2,3回、寄っていた。週末、海に入っても一応運動だろうしマラソン大会が近いと海辺を走ったりするから、人間ドックの問診表で「運動は週に何回?」という問いには「4~5」と書く・・・・
実は私の周囲の会社員にこんな「ヒマ」そうな人は誰もいないのだ。。。普通は「通勤時にウォーキングを取り入れろ」とか「勤務中にできる全身運動」などという講習がやたら多いのである。悪いけどそんなのちゃんちゃらおかしい運動量を誇りながら、その割に毎回メタボリックぎりぎりだから、よっぽど食生活が悪いのかなー。

さて、今会員となっているスポーツクラブは「かなり割安でいかにも私向け」というコースに「無理やり」入れてもらったものである。金曜日が定休日だから、私が利用できるのは祝日を除く月曜から木曜の4日間、それも午後5時から8時半までの「アフター5」である。
終業時間は5時だが、普通は中々仕事が切り離せず堪能するには難しい時間帯なのだが、ここで「仕事をキリの悪いところで止めてしまっても全然気にならない」私の特技が活きる。
そもそも窓際族(死語?!)で自分の裁量でほぼ全部の仕事ができる、という環境も追い風になっている。つまらにない「付き合い」の飲み会(これがちょっと閉口)が無ければ毎日通いたいところだ。

月曜日は早朝、自宅を出て新幹線で職場へ向かう。土日疲れと早朝の睡眠不足でさすがに月曜日がしんどいのだが、スタジオプログラムは最もハードな曜日で、ダンベル&チューブとシェイプボクシングだ。クラブ自体が全体的にわりと年寄向けなので「回し蹴り100回」とかいうのはないが、45分ほとんど休みなく、帰宅するとビールを飲む気にもならないくらいヘバッている。。。
火曜日はステップ30分とスローヨーガ50分である。ステップはガチハードではなくちょうど良い運動量に見える。このヨーガは名前通りスローだし、簡易な動きなので、退屈に感じていたが、ヒーリングの先生の言葉を思い出し、伸ばしたり呼吸したり、柔軟性向上を強く意識して行うと中々の運動量になり、また終わった後の気分が実によい。

今、最も楽しいのが水曜日の「J・POPダンス」である。昔の曲と今の曲を組み合わせ、ウォームアップ、練習曲を4つほどこなして「今月のダンス」という完成曲をみんなで踊る。エアロビクスとは少し違う「ダンス風」のモーションを全身鏡で見ていると、自分の動きがいかに「硬い」かわかる。。。
これまた年寄でもできる簡単な動きなんだけどなー。(結構アップテンポではある)
メイン曲は6月はKARAの「ジェットコースターラブ」、7月はAKB48の「エブリディカチューシャ」、8月はKARAの「GOGOサマー」、そして9月は遊助の「雄叫び」である。先週9月に入って初めてのクラスで「マルマルモリモリ」が掛かったときはさすがに目に斜線が入ったが、ストレッチ用だった。。。
エアロビクスの今日はほとんど知らないが、JPOPは逆に全部わかるから実に面白い。楽しみにしてるんだから水曜日にはつまらん飲み会を入れんなよ・・・

木曜日は「ランランエアロ」という割と本格的なエアロビクスだ。最初のうちはついて行けず「休みがち」だったが、最近はようやく抵抗なくできるようになった。しかし木曜日というのはウィークデーの疲れが少しずつ出てくる頃でやはり身体が動かなくなってくる。
先週、初めて4日続けて全部のプログラムを制覇した。むろん時間以外は他のマシンやストレッチを行っている。金曜日になってどういうわけか原因不明の頭痛が私を襲った。
人間ドックの診察で「晩酌は週5」「運動も週5」と書いた表を見て、医師はすかさず「運動した日は酒を飲むな」と言った。運動で発生する活性酸素が身体を痛めつけているに加え酒を飲むのはダメージが大きすぎるというのである。やっぱり人間、休息は必要なんだなー。。。
このままでは「健康のためなら死んでもいい」状態になってしまう。

別に「健康作り」のために通っているわけではないが、これだけ動いても体脂肪率(20%)、胴回り(85cm)のメタボ基準ギリギリ、BMIは完全にオーバーだ。幸いに内臓や血液で悪いところは見当たらないようだが。
妻に言わせると、「帰ってから21時以降に食べるからよくない」そうだ。脂肪を貯めこむたんぱく質が20倍も増えるらしい。。。食わなくて済ませるのは難しいから早めに夕食をとるか、遅い夕食の後は1時間ほど軽い運動するとこのたんぱく質は増えないそうだ。
私は会員として使用できる20時半まで風呂などでゆっくりし、ドンズバ21時頃に帰宅し、それから夕食を作って食べていた。凝ったものは作らないが刺身はともかく炒め物などがさすがに多い。
こうして終業してからスタジオまでにゆっくり夕食を取るには時間的にキツイので、コンビニのおにぎりで済ますことが増えてきたのだ。

半年前の震災後、災害対策室に詰めていた時はそれこそ「おにぎり地獄」でしばらく遠ざかっていたが、一つ二つ腹に詰め込んでバッチリ運動に行く、という生活が多くなってきた。息子甘辛も練習の前に「炭水化物としておにぎりを食ってくるように」言われていたのである。
中身の種類は日々変えていくが、あの「おにぎり」のフィルムほど忌々しいものはない。まともに美しく外れたことはほとんどない。昔は中身の薄いフィルムだけ三角の頭からスポッと外すモノもあったし、一旦ビニールごと開いてビニールの合わせ目を剥がし握りを転がしながら海苔をつけるスタイルもあった。

今は真ん中の一本線の赤い線をピーッと切り離し、両サイドを順番に開いて海苔と握りを装着するのだが、私に言わせると「最も出来が悪い」。サイドのフィルムを取り去るときに「握り側」を固定する手の力加減が恐ろしく微妙なのである。
また1個や2個でレジ袋を使うのはエコじゃないから、そういうとテープを真ん中に張られてしまい、赤い線を切り離せなくなるのである。無理やり切り取ろうとして下側がぐっしゃり落っこちてしまったり、海苔と握りを一旦「完全分離する」などという屈辱的な作業になってしまったり、実は握りの中央部分になく、真ん中で露出してしまっている「具」がポロっと落っこちてしまったり・・・・悪戦苦闘の末、最近よく買うのは「赤飯」か「鳥五目」か「塩むすび」である。どれも海苔がないヤツだな。

実は私は食べる直前に海苔を張り付けて、パリパリ状態で食べるオニギリよりも、運動会のように作った時点でオニギリに海苔が張り付き、ねっとりしているほうが好きだ。
先日、とうとう「自分で作って」みた。一人暮らしで(味覚の閾値が低いから)結構色々なものを作ってきたが、「おにぎり」という基本技は初めてだ。何とこれが意外と難しい。
炊飯器から出してそのまま塩をまぶし(そのくらいは知っている)、そのまま握ろうとしたら、あまりの熱さに手の皮が剥けるところだったし、水をつけてもご飯粒があちこちについて「握り」にならない。

サランラップで包んで渾身の力で握っても、具(今回はごま塩昆布)を突っ込もうとラップを解くとなぜかボロボロと分解してしまう。。。
仕方がないので、分解し尽くす前に大きな焼き海苔で覆い、無理やり囲って爆弾のようなオニギリを作り出した。冷えれば固まるんじゃないか?と思った。いつも持ち歩くリュックは「運動会の弁当」の香りが充満していた。
私は「握りが甘くボロボロ落ちる」といつも妻のおにぎりに文句を言っていた。あれは改めよう。。。
今まで食った具の中で最も美味しかったのは「鳥の空揚げを甘辛い醤油たれで煮込んだヤツ」だった。あれれっ?いつの間にか「おにぎり」の話になっちゃった・・・

県防災訓練

2011-09-12 04:42:07 | 職場
今年も県が主催する防災訓練の日がやってきた。昨年は遠かったが今年は同じ市内だから比較的楽だった。JRの操車場だったそうだが、街中から10分ほど車で走ったところにこんなに広大な土地があるというのはやはり北関東というのは少し田舎なんだな。
大震災が発生して半年、今年はどんなに気合を入れたメニューなのかと思っていたら、意外にも「変わり映えしない」プログラムだった。
確かにこのエリアは地盤が安定していて直下型の地震はまず来ないし、海がないから津波もない。内陸だから台風もほとんど来ない。気をつけるのは火山の噴火と河川の氾濫くらいだが、それほどハザードが多いわけでもない。あんまりピンと来ていないのかもしれないなー。

防災ヘリにドクターヘリ、警察ヘリに自衛隊の偵察ヘリ、はしご車にバイク隊、高機動車など昨年は何を見るのも初めてだったから会場の座席に釘付けだった。しかしほぼ同じメニューで2回目なのに加え、自衛隊の総合火力演習を先日目の当たりにした私は開会式を終えた時点でもう退屈で死にそうだった。
「新入社員もお手伝いに来てるようなので、我がコーナーの様子見てきます」
会場では次々と訓練が消化されつつあったが早々に抜け出した。

   

ちょうどテントの近くに国土交通省の「自然災害体験車」というのがあった。この防災訓練、もう二桁回数は来ているというスティーブに聞くと、「何か土石流かなんかの3D映像でしたよ。結構迫力あったなー」映像は約13分くらいらしい。
スティーブ、八兵衛と3人で次の回の列に並んでいると、前の回入場者がぞろぞろ出てきた。その中には黄色いユニフォームを着た我が方の訓練部隊が混ざってるじゃないか・・・?!
俺んところ失敗するとエライ目立つからせめて出番が終わってからにしてよ・・・と思ったが、自分も抜け出してきているので笑って手を降っておいた。

      

入り口で3Dメガネを渡され、中に入ると正面にOHPで使うようなスクリーンがあって、小さな映画館のようなシートがあった。係員が入って来て「お荷物は手で抱えて、上映中は立ち上がらないでください」
怪訝な顔をする私にスティーブは「今にわかりますよ」今年のはバージョンアップしたらしいです。
映像が始まった。ものすごい大雨が降り続く中、家族4人が食事をしている。
テレビの天気予報では大雨により数百ミリの降水量が予想され、ときどき停電になったりし始める。

ははーん。そのうち土石流がどばーっとこちらに向かって流れてくるんだな?3D映像はよくできているが、この前仮面ライダーの3D映画を見たばかりだし、まあそれほど驚くことでもないかなー。
やがて雨は家の中で会話しにくいくらいひどくなり、遠くで「ゴトゴトッ」という不気味な音が聞こえ、家の前の小川の水がほとんど無くなっているのを見た父は、家族を非難させることにした。避難所に着いた瞬間、上流から「ゴォーっ」というすごい音とともに巨大な石と大量の土砂、濁った水が上流から襲いかかってきた。
おーっ、中々の迫力だ、と思って見ていたら、「うわーっ」突然椅子が「ガクンガクン!」と揺れ出したのである。振動効果付きの車両なのか!
こっ、これがあるから荷物は抱えてろってか・・・やるな、国土交通省。。。

車を出てくると、隣にあったのはお馴染み地震体験車「なまず号」である。かなり前に一度体験したことがあるのだが、大地震もあったことだしもう一度「震度7」の感覚を刻みつけておこうと列に並んだ。
「震度7レベルになると自分の意志で立ち上がったり、移動したりすることができません」
八兵衛は初めてだったらしく、「こりゃー、すげえ!机の下になんか潜れませんねえ」
しかし私は正直「気抜け」していた。んっ?こんなもんだっけ・・・?!
確かにすごい揺れだが、神輿の上で片足立ちするのに比べれば、立ち上がって歩くくらいはできる。まあ、慌てて外へ飛び出さないことだな。。。

   

その隣は消火器の使用体験コーナーだ。目標の手前からジグザグに消火液を噴射し、火の根元を狙うべし。今回は何度も使えるように消火液の代わりに水が入っていた。ガス圧で噴射するようだ。
その日は久々のカンカン照りで、テントで配っていた団扇が早々に売り切れてしまうほど暑かったので、消火器に残っていた最後の水は自分に向けて発射した。。。
その隣は自衛隊の「炊き出し用車両」である。今年は被災地で大活躍したんだろな。

   

「こんなの珍しいですかあ?」と聞いてきた女性隊員に少し話を聞けた。別に女性だからって炊き出し任務ってわけではなさそうだが・・・作っていたのは「トン汁」である。
「毎回トン汁なんですか?自衛隊の定番?」おしるこの時もあるそうだ。彼女は苦笑いしていた。タンクの蓋を開けて中を見せてもらうと小さいタンクが入っていて具だくさんの汁が良い匂いをさせていた。
「ちょっと味見していいですか?」と聞いたときにはもう備え付けの「お玉」で汁をすすっていた。「ははは。行儀わるいですねー」娘くらいの年齢の隊員にたしなめられた。。。

     

テントに戻ると新入社員が色々と見物に来た人に説明していた。ハナちゃんもモモちゃんも、立派に「お客様応対」していた。作業着が初々しいが中々頼もしい。やはり子供の相手などをするのは女性のほうが感じがよいものだ。。。
テントには配ってはいなかったが、展示用の非常食糧がいくつか置いてあった。コアラのマーチと黒飴に今年は新しく「缶入りソフトパン」というのがあった。
コアラのマーチを開けて食ってみたが、チョコレートが入っていない・・・(備蓄食だからねー)
缶入りソフトパンは「スペースシャトルに積載」と書いてあったので、一つもらってきた。
中身は普通のブドウパンだ。まあ、そこそこの味かなー。。。

     

あんまり遊んでいるとまずいので一旦会場の席に戻った。防災ヘリの空中消火、警察のヘリからレンジャー部隊が中層ビルに降下して残された人を救助している。
素晴らしい技量だが、やはり少し退屈だなー。お馴染みCh-47は飛来しなかった。。。
あちこちで本当の災害で苦しんでいる人がいるから、訓練している場合じゃないのかもなー。そしてトドメのアナウンス・・・
「会場の皆様にお知らせします。プログラムではここでドクターヘリによる重症者の緊急搬送訓練ですが、被災地に救援に向かっているため本日は中止になりました」
そりゃーそうだ!本番じゃ、しょうがないよなー。活躍を期待しよう。

    

その後、新型はしご車による消火訓練だ。よく見ると何かスマートな形をしているな、数年前新宿本社屋で乗せてもらったはしご車よりも大きく新しいようだな。はしごの先端が折れ曲がっている。
「あーっ、あっちのヤツ、アウトリガー出してねえ!安全措置ちゃんととらなきゃだめでしょ」
高所作業車と同じ構造なので、安全にうるさいスティーブは口うるさく文句言っていた。
まあまあ、非常事態なんだから・・・地面が柔らかいからめり込んじゃうのかな。

   

やがて我々の仲間の出番がやってきてそれぞれ会場で作業が始まった。。。移動系会社の支店長がすぐそばにいて心配そうに見守っていた。昨年、衛星通信装置のアンテナを垂直に伸ばしていったところ、最高点でアンテナの首が「ポロっ」と落っこちてしまったのだ。
今年は皆、見事な手際ですべて訓練はうまく行ったようだ。
後ろにいたスティーブに「車が通れないときのために、バイク隊いるかもしれないねー」
郵政会社の職員がいざとなった時に赤いバイクで色々と情報収集する、という訓練を見て思い付いたのだ。「乗れる人がいませんよ・・・」
「オレが乗ってもいいんだ」オフロードバイクにまたがって、いち早く現場へ急行する自分の姿を思い浮かべたりしたのである。

祝と呪

2011-09-09 17:52:14 | 書籍
先日、息子が録画しておいてくれた「やりすぎ都市伝説」(8/31)2時間スペシャルを見て凍りついた。。。
関暁夫の「フリーメーソン都市伝説」以外は愚にもつかないモノ(ごめんなさい!)ばかりだったが、「猛暑に捧げる恐怖」というコーナーで心霊ビデオが放映されたのである。お化けの大嫌いな単身生活者が絶対に見てはいけない映像だった。
最近は、ともすると「修正」も窺える写真ではなく、VTRに直接映りこんでいるから、恐怖が倍増するんだよなー。

とあるカップルが神社でお参りしている映像、お参りしているのは彼氏、撮っているのが彼女だった。そのうち映像はたくさん並んでいる「絵馬」の列を映し始めた。願いが書かれた絵馬がぎっしりと並んでいたが、向こう側は見えていて、確かに誰もいなかった・・・・
しばらくして彼氏の「何だこれ?」という声に画面が絵馬に近寄っていくと「●●●死ね」という文字が。。。
その瞬間に絵馬の向こう側に灰色の顔が「ぞわーっ」と映りこむのである。私はうちわの柄の部分の骨で半分覆って見ていたが、世にも恐ろしい映像だった。

絵馬はいわゆる「願掛け」だから、こういう呪いの言葉もあるんだなー。。。見たことはないが。
先週読んだ有川浩さん(この人の本は面白い)の「阪急電車」という物語に「婚約者を色仕掛けでまんまと寝取った同僚の結婚式に『白いドレス』で最高級に着飾って登場する」女性が登場する。この女性は明らかにその同僚よりも「綺麗」だった。訴えずに別れる条件として招待させたものだが、明らかに「呪い」をかけている。。。

以前ものの本で祝と呪について書かれていたのを読んだことがある。著者の独特な解釈とも受け取れるが「祝」と「呪」は元は同じ「神事」ということだった。「しめす偏」は確かに神や祭りに関わる字のようだ。
呪:人や対象物に災禍などが起こることを祈念する。(丑の刻参りのような・・・)
祝:人や対象物に災禍などが起きないことを祈念する(無病息災のような・・・)
確かに字の構成は似ている。なぜ「兄」なのかはわからないが、そのような解釈も結構「あり」だと思う。これが正しいとすると絵馬に「あのようなこと」を書くのも適用としては合っていることになる。

日本人だけではないと思うが、人智を超える力を持っている恐ろしいモノ(自然、霊、そして神など)に対してはこれを崇め・祀り・祈ることが多い。大魔神然り(例えが変か?)、歴史上の「祟られるとやばい人」(平将門、菅原道真、崇徳天皇など・・・)、そして暴れられると手に負えない厄災をもたらすモノ(山神、水神、天など)は必ず祀られている。
「神様に自分の『ご利益』を願うものではない・・・」以前からそんな気分をぼんやり持ってはいたが、最近になって特にそう考えるようになってきた。自分のために神頼みした記憶はあまりないが、したとしても「叶えられた」記憶もない。
恐らく「何事もなく過ごすことを願う」のが正しい祈り方なのかもしれない。(初詣ではつまらないかもしれないが)

息子甘辛が小学4年のとき、移った先の強豪サッカーチームでレギュラーとなり、初めて迎える県選手権に際して、勝利を祈願して私は珍しく「神頼み」しまくった。駅までの通勤コースを変え、わざわざ近所の鵠沼神社までお参りしていたし、通り掛かりに鳥居があると必ず寄った。
正月明けだったので初詣の際には勝守りも買ってきた。
当日は朝早く起きて(元々朝は早いほうだが)いつもの波偵察ポイントである歩道橋に上り、東に向かってご来光にお参り、南に向かって海に祈り、西を向いて富士山に願掛けした。
結果は「0-3」の惨敗。。。このあたりから「望みを叶える願いはダメなのでは?!」という疑心がわき始めた。

小学生最後の選手権、初戦は隣接市の2位という強豪で相当厳しかったが、勝利は決して祈念せず、「結果が彼らに『何か』をもたらしますように」とだけ初詣で祈った。
結果、満身創痍となりながらも見事にブロック優勝を果たし、中央大会で優勝する横浜Fマリノスジュニアと対戦するに至るのである。
そういうことがあってから、江原啓之さんの著書の影響もあり(あちらはどちらかと言うと霊だけど)自らの利益を願うことは完全にやめた。
私は結構「神頼み」するほうだが、常に「無病息災」か「結果が成長をもたらすように」ばかりである。

ある記事で東日本大震災の原発事故にあたり、福島に向かって鎮魂の祈りを捧げているというのを見た。評論家や専門家が山ほどコメントしているが、「祈る」というのを初めてみた。原子炉は完全に人間の作りだしたモノではあるが、「暴れだすとコントロールすることができない」という意味では「人智を超えたモノ」とも言える。
原発を推進する、反対するという議論は今までたくさんあったが、「祀るべきだった」「今は供養すべきだ」という意見はものすごく私には共感できる。
別に「神頼み」で対処するということではない。「無病息災」を祈り、祝い、祀る真摯な態度を忘れていたときに諺通り天災がやってきてしまったのではないか?!

日本国の存亡のため、どうしても東京湾晴海に原発を建設しなければならないとする。専門家でないから技術的な可否は分からぬが、まず間違いなく「地下」に建設すると思う。もちろん科学の粋を極め、考えられる限りの災害に対処し万全を尽くそうとするだろう。地震、津波、台風、雷にテロ、戦争はもちろん、隕石落下、太陽ニュートリノ、数光年先の超新星爆発なども想定するかもしれない。ヘタすりゃ「ゴジラ」にも備えるかもしれない。
しかしあらん限りの物理的対処をした後は、これまた間違いなく「風水」を考えるだろう。首都の「気」の流れ、龍脈、霊的ポテンシャルなど超自然的なものまで必ず考慮するはずだ。

そしてどうだろう。地上は小高い丘にして、大きな鳥居と神社を築くような気がするのは私だけだろうか?祀り崇めることによって「正常に運用しよう」というのは非科学的でナンセンスだと笑われそうだが、そういう神聖な気持ちで緊張感をもって「事にあたる」のは結構重要だと思う。
もちろん私は「多少不便でも、電気代が高くなっても『無い方』がいいよねえ」派である。
あんまりポリティカルなことを書くつもりはないし、その能力もないのだが、福島原発は残念ながら何らかの「呪い」の結果になってしまったようだ。他のヤツはできれば無くなって欲しいが、その日がくるまではせめて「祝」=「何事も起きないことを祈る」行いがあってもいいように感じた。