熊本応援の旅、最初に宿泊したのは阿蘇五山が正面に見えるホテルだった。会社の厚生制度をフルに活用しての利用だったが、やはり熊本地震の影響により、1階貸切風呂・7階嶽湯客賑の修繕工事を実施中で使用できない。さらに遡ること4年前の2012年7月12日、阿蘇市を襲った九州北部豪雨災害。内牧では黒川が氾濫し、ホテルのロビーや調理場など1階フロア全てのものが流されてしまったそうだ。阿蘇温泉観光旅館協同組合加盟22軒のうち15軒が被災する未曽有の被害だったという。従業員の毎日の努力と全国からの励まし、ボランティアの協力などによりその約4ヵ月後にリニューアルオープンできた。初日に訪れた高千穂からは阿蘇山を挟んで正反対側になってしまうのだが、そんな苦労話をHPで知り宿泊することにしたのである。部屋からは「涅槃像」と言われる仏様が仰向けになった姿の阿蘇五山が見え、朝、夕、晩とそれぞれの雰囲気をかもし出していた。屋上の展望風呂からもこの絶景を拝むことができ、朝早く一人で浸かった時はちょうど「おへそ」のあたりの中岳が噴煙を上げているのが見えた。
ホテルを出発し最初に向かったのが、阿蘇涅槃仏を拝む最も有名な展望場所「大観峰」である。写真で見る限り部屋からの眺望と似たような感じがしたが、結構遠かったのが阿蘇の雄大さをうかがえた。世界最大級と言われるカルデラの北側の外輪山にあたる広大な展望台である。鍋底の阿蘇市と向こう側の涅槃仏像が一望できるど迫力風景だ。何せ周辺の外輪山は緑の草原のようであり、阿蘇五岳までさえぎるものがない。こんな壮大な景色は国内では見たことがないような気がする。「ここにテントでも張って泊まってみたいねえ」アウトドア系にはあまり興味のなさそうな妻もつぶやくほどの絶景だ。たぶん夜空の美しさもすごいものがあるだろう。ただ吹きさらしで秋や冬の夜は相当な寒さになるだろうから、8月のペルセウス座流星群の時がいいんじゃないかと思った。
大観峰を後にし、一路阿蘇の中岳火口に向かう。残念ながら大地震の半年後くらいに噴火し、現在は噴火警戒レベルが1まで引き下げられているがまだ火口周辺の1km範囲内の立入は規制されてしまっている。4方向くらいから阿蘇山頂を目指せるコースがあるようだが、多くが地震や噴火の影響で道路が通行止めとなっており、最新のナビがなければ、どこをどう行ったらよいか分からない。ドライブコースとして定番の大観峰-米塚-中岳というルートを進んだ。自然の造詣とは思えない美しい緑のお椀を逆さにしたような米塚は、一見伊豆の大室山のような姿をしているが、何と大地震で山頂の火口跡付近に大きな亀裂ができてしまった。周囲とは異色な不思議な光景は途中道路から眺められたが、残念ながら麓までのルートは全面通行止めになってしまっている。途中の山肌もよく見ると無残に崩れて緑が削れており、さらに崩落してきそうな恐怖がある。
阿蘇山ロープウェイまでに通る草千里ヶ浜は烏帽子岳の北麓に広がる火口跡にある大草原と、雨水が溜まってできたといわれる池とが織りなす自然のコントラストが美しい場所だ。はるか向こうには少しだが白い煙を上げる中岳を背景に、乗馬体験などもできるようだ。その少し上がったところにある草千里ヶ浜展望所からはそれら一大パノラマが見られるが、施設は地震の影響で路肩や柵が大きく破損してしまっている。またロープウェイ駅には運休となっている代わりに「阿蘇スーパーリンク」という体験型の映像アトラクションがあり、阿蘇の全貌や迫力ある噴火の歴史などを最新の映像で楽しむことができる。山頂付近には火口からと思われる白い噴煙が少し見え、周辺箱根大涌谷のような硫黄の臭いがかなり漂っている。阿蘇山ロープウェイ限定という阿蘇山の灰でつくった「わが灰」というくまモンの人形を購入し、今だ半分倒壊したままになっている阿蘇山西巌殿寺(さいがんでんじ)にお参りした。
ミヤマキリシマという花が咲いている道路を我々は街中の阿蘇神社に向かった。肥後の国一之宮で楼門や拝殿が有名な神社だが、熊本地震で楼門や拝殿は倒壊してしまい今は特設の社殿になっている。楼門のあった場所は修復のために足場が組まれ中が見えなくなっているが、人の立ち入り口からは崩れ落ちた屋根の残骸のようなものも見え、倒壊直後の写真を見るといかにすごい被害だったかが分かり、臨時復興支援金を申し出ずにはいられなかった。10年がかりで修復する予定だそうだ。横産道を歩いたところに仲良しのお友達夫婦の幼馴染がお洒落なカフェを出していると聞いて足を運んでみた。和菓子系の老舗で付近にふんだんに湧き出る水で作る特製アイスコーヒーが自慢らしい。我々が店内を眺めていると、「○●さんのお友達ですか?」と声をかけてきた女性がその幼馴染だったのだ。午前中にそうかと思って声をかけたら人違いだったのでもう黙っていようと思ったらしいのだが、妻が見せの前で写真を撮りLINEをお友達に送ったら、彼女がそのままお店の人に転送したらしいのだ。
色々なお話を聞くことができたが、やはり大地震の記憶は1年たった今でも生生しかかった。阿蘇山へのルートはものすごい被害だったところを観光優先で、皆が気の遠くなるような苦労して道路(のひび割れ)を修復した後が見てとれたのだが、あの揺れを経験した地元の人にはしばらくあの山に近づく気にはならないということだ。楼門は一度目の震度7には耐えたが、2度目の本震で崩れてしまい、ものすごい音響と周辺に湧いた砂埃がひどかったそうだ。横参道は「水基めぐり」というのができるほどその界隈のいたるところで豊かな湧き水が見られるのだが、幸いこの水があったので水道が止まってしまっても水には困らなかったようだ。旅先でお友達つながりというのは嬉しいものだが、火の国にある女性の強さ、気丈さ、朗らかさを感じさせるような出会いだった。
実家や友達向けにたくさんの和菓子土産を買って記念写真を撮ってその店を後にし、門前町商店街を駐車場に向かって戻るとオリジナルの小物を扱う店があり、その中の「伝説の宝刀蛍丸」という幟が目に着いて入ってみた。いかにも話好きの店主がいそいそと現れ「ちょっと話すと長くなりますけどいいですか~」と言いながら延々と蛍丸にまつわる伝説を語り始めた。かいつまんで言うと「蛍が戦いの刃こぼれを直した」という伝説をもち、阿蘇氏の家宝として伝えられ阿蘇神社に宝刀として奉納されていたが、太平洋戦争後のGHQの刀狩り後行方不明となっている。処分されたかどこかに隠されているか諸説あるが、今でも所在不明だそうだ。岐阜県関市の刀剣職人が復元して阿蘇神社に奉納するためにクラウドファンディングによる復元計画をたてたら人気のゲーム「刀剣乱舞」によって蛍丸がレアな存在らしく出資者が多く現れたらしい。蛍丸の復活を、大きな被害を受けた阿蘇神社復興のシンボルにしようという動きのようだ。「世界一速く終わるスタンプラリーでしょ」と店主が笑う、「陣羽織を着て写真を撮ろう」を見て我慢できなくなり、パンフを持って残り2軒の店を走り回ったのだった。
阿蘇神社で結構時間を費やしたが、その日の目的地は熊本市内だった。「帰りにちょっと寄り道になるけど、ここだけは寄って行って」と底なしの気さくさで薦める店主にしたがい、「白川水郷」という湧水の名所を訪ねた。静岡の柿田川公園の湧水のようないかにも「清流」という感じでまだまだ時間をかけてゆっくり回りたいところも多かった。しかし熊本に通じる道路が阿蘇大橋が落ちてしまったことで大きな迂回ルートになってしまい、道路があまり大きくないので、週末などで観光客が集中するとかなりの渋滞になってしまうという。確かに観光バスやら我々と同じ「わ」ナンバーの車が多く行列をなしており、予定よりも1時間近くも市街に入るのに時間を要してしまい、1年たってこんなところにも地震の傷跡が残っているのかと感じた。阿蘇の雄大なカルデラに残った「傷跡」は言わば自然同士の戦いとも言える。山の形が変わってしまうほどの壮烈な戦いに人間はなすすべがあろうはずもなく、1日も早い阿蘇神社の修復を祈るばかりだが、あの地にいる人々の何とない「明るさ」を見て少し希望が湧くのを感じた。
ホテルを出発し最初に向かったのが、阿蘇涅槃仏を拝む最も有名な展望場所「大観峰」である。写真で見る限り部屋からの眺望と似たような感じがしたが、結構遠かったのが阿蘇の雄大さをうかがえた。世界最大級と言われるカルデラの北側の外輪山にあたる広大な展望台である。鍋底の阿蘇市と向こう側の涅槃仏像が一望できるど迫力風景だ。何せ周辺の外輪山は緑の草原のようであり、阿蘇五岳までさえぎるものがない。こんな壮大な景色は国内では見たことがないような気がする。「ここにテントでも張って泊まってみたいねえ」アウトドア系にはあまり興味のなさそうな妻もつぶやくほどの絶景だ。たぶん夜空の美しさもすごいものがあるだろう。ただ吹きさらしで秋や冬の夜は相当な寒さになるだろうから、8月のペルセウス座流星群の時がいいんじゃないかと思った。
大観峰を後にし、一路阿蘇の中岳火口に向かう。残念ながら大地震の半年後くらいに噴火し、現在は噴火警戒レベルが1まで引き下げられているがまだ火口周辺の1km範囲内の立入は規制されてしまっている。4方向くらいから阿蘇山頂を目指せるコースがあるようだが、多くが地震や噴火の影響で道路が通行止めとなっており、最新のナビがなければ、どこをどう行ったらよいか分からない。ドライブコースとして定番の大観峰-米塚-中岳というルートを進んだ。自然の造詣とは思えない美しい緑のお椀を逆さにしたような米塚は、一見伊豆の大室山のような姿をしているが、何と大地震で山頂の火口跡付近に大きな亀裂ができてしまった。周囲とは異色な不思議な光景は途中道路から眺められたが、残念ながら麓までのルートは全面通行止めになってしまっている。途中の山肌もよく見ると無残に崩れて緑が削れており、さらに崩落してきそうな恐怖がある。
阿蘇山ロープウェイまでに通る草千里ヶ浜は烏帽子岳の北麓に広がる火口跡にある大草原と、雨水が溜まってできたといわれる池とが織りなす自然のコントラストが美しい場所だ。はるか向こうには少しだが白い煙を上げる中岳を背景に、乗馬体験などもできるようだ。その少し上がったところにある草千里ヶ浜展望所からはそれら一大パノラマが見られるが、施設は地震の影響で路肩や柵が大きく破損してしまっている。またロープウェイ駅には運休となっている代わりに「阿蘇スーパーリンク」という体験型の映像アトラクションがあり、阿蘇の全貌や迫力ある噴火の歴史などを最新の映像で楽しむことができる。山頂付近には火口からと思われる白い噴煙が少し見え、周辺箱根大涌谷のような硫黄の臭いがかなり漂っている。阿蘇山ロープウェイ限定という阿蘇山の灰でつくった「わが灰」というくまモンの人形を購入し、今だ半分倒壊したままになっている阿蘇山西巌殿寺(さいがんでんじ)にお参りした。
ミヤマキリシマという花が咲いている道路を我々は街中の阿蘇神社に向かった。肥後の国一之宮で楼門や拝殿が有名な神社だが、熊本地震で楼門や拝殿は倒壊してしまい今は特設の社殿になっている。楼門のあった場所は修復のために足場が組まれ中が見えなくなっているが、人の立ち入り口からは崩れ落ちた屋根の残骸のようなものも見え、倒壊直後の写真を見るといかにすごい被害だったかが分かり、臨時復興支援金を申し出ずにはいられなかった。10年がかりで修復する予定だそうだ。横産道を歩いたところに仲良しのお友達夫婦の幼馴染がお洒落なカフェを出していると聞いて足を運んでみた。和菓子系の老舗で付近にふんだんに湧き出る水で作る特製アイスコーヒーが自慢らしい。我々が店内を眺めていると、「○●さんのお友達ですか?」と声をかけてきた女性がその幼馴染だったのだ。午前中にそうかと思って声をかけたら人違いだったのでもう黙っていようと思ったらしいのだが、妻が見せの前で写真を撮りLINEをお友達に送ったら、彼女がそのままお店の人に転送したらしいのだ。
色々なお話を聞くことができたが、やはり大地震の記憶は1年たった今でも生生しかかった。阿蘇山へのルートはものすごい被害だったところを観光優先で、皆が気の遠くなるような苦労して道路(のひび割れ)を修復した後が見てとれたのだが、あの揺れを経験した地元の人にはしばらくあの山に近づく気にはならないということだ。楼門は一度目の震度7には耐えたが、2度目の本震で崩れてしまい、ものすごい音響と周辺に湧いた砂埃がひどかったそうだ。横参道は「水基めぐり」というのができるほどその界隈のいたるところで豊かな湧き水が見られるのだが、幸いこの水があったので水道が止まってしまっても水には困らなかったようだ。旅先でお友達つながりというのは嬉しいものだが、火の国にある女性の強さ、気丈さ、朗らかさを感じさせるような出会いだった。
実家や友達向けにたくさんの和菓子土産を買って記念写真を撮ってその店を後にし、門前町商店街を駐車場に向かって戻るとオリジナルの小物を扱う店があり、その中の「伝説の宝刀蛍丸」という幟が目に着いて入ってみた。いかにも話好きの店主がいそいそと現れ「ちょっと話すと長くなりますけどいいですか~」と言いながら延々と蛍丸にまつわる伝説を語り始めた。かいつまんで言うと「蛍が戦いの刃こぼれを直した」という伝説をもち、阿蘇氏の家宝として伝えられ阿蘇神社に宝刀として奉納されていたが、太平洋戦争後のGHQの刀狩り後行方不明となっている。処分されたかどこかに隠されているか諸説あるが、今でも所在不明だそうだ。岐阜県関市の刀剣職人が復元して阿蘇神社に奉納するためにクラウドファンディングによる復元計画をたてたら人気のゲーム「刀剣乱舞」によって蛍丸がレアな存在らしく出資者が多く現れたらしい。蛍丸の復活を、大きな被害を受けた阿蘇神社復興のシンボルにしようという動きのようだ。「世界一速く終わるスタンプラリーでしょ」と店主が笑う、「陣羽織を着て写真を撮ろう」を見て我慢できなくなり、パンフを持って残り2軒の店を走り回ったのだった。
阿蘇神社で結構時間を費やしたが、その日の目的地は熊本市内だった。「帰りにちょっと寄り道になるけど、ここだけは寄って行って」と底なしの気さくさで薦める店主にしたがい、「白川水郷」という湧水の名所を訪ねた。静岡の柿田川公園の湧水のようないかにも「清流」という感じでまだまだ時間をかけてゆっくり回りたいところも多かった。しかし熊本に通じる道路が阿蘇大橋が落ちてしまったことで大きな迂回ルートになってしまい、道路があまり大きくないので、週末などで観光客が集中するとかなりの渋滞になってしまうという。確かに観光バスやら我々と同じ「わ」ナンバーの車が多く行列をなしており、予定よりも1時間近くも市街に入るのに時間を要してしまい、1年たってこんなところにも地震の傷跡が残っているのかと感じた。阿蘇の雄大なカルデラに残った「傷跡」は言わば自然同士の戦いとも言える。山の形が変わってしまうほどの壮烈な戦いに人間はなすすべがあろうはずもなく、1日も早い阿蘇神社の修復を祈るばかりだが、あの地にいる人々の何とない「明るさ」を見て少し希望が湧くのを感じた。
こちらへはプチお久しぶりになってしまいましたm(__)m
(半分読んでいたのですが、もちゃもちゃしてましたぁ)
わぁ~ほんとだ、仏様が仰向けになっていますねーww
(と、ここからは地図も並べて拝読)
なんと雄大で美しい景色なんでしょう、、と思ったのに、すぐ足元の酷さに言葉を失いました。
立派な阿蘇神社もものすごい被害だったのですね。想像できないほどの恐ろしいエネルギーです。おっしゃるように人間など太刀打ちできない自然同士の闘いなのでしょうね。
そのようなショックを覚えるところでお友達のお友達に会えるとは!
水の話も重要なことですね。ふむふむ、蛍にも湧水にも繋がるのですね。
陣羽織に刀、きまっていますねーww
岐阜県関市と聞いたら黙ってはいられませんよ、
いま関の包丁が欲しいんですもの(話それました^^)
先のお返事コメ、全身でショックを受けております。
けども、お立場、ライフスタイルの変化などなど、師匠のような方ほどお考えは進化していって当然かとも思います。
たまに何か書き残したいと思われたら是非とも一筆お願いしたく思います!!が、わたくしも10日ほど筆をおいたら写真の置き場さえ忘れてしまう始末・・。
そんなこんなで、どのように師匠が選ばれましても心の友(アンとダイアナ?)と勝手に思わせていただきますね~。
今朝、一人でご飯食べていたらものすごい水音!
2階につないでいたホース自体がなんとはでました(方言?)
何かの暗示でしょうか、、以前師匠がお休みになられた時「海坊主になって出る」って言ったワタシだから。。
何か色々あって間が伸びてしまいました。。。
仏さまの仰向けの姿・・・先の地震でホントに姿が変わってしまったそうなんです。雄大ですけど、自然対自然となるともう、人間のスケールをはるかに超えてますね。
阿蘇神社、すごい被害でした・・・そんな中でお友達の知人と仲良しになれるとは僥倖です。今回の旅行は振り返ると、そういう出会いが多かったような気がします。明るくて暖かい国なんだと思いました。
岐阜県関市と言えば、師匠ゆかりの地なんでしょうか。刃物の聖地と言えるところだそうですね。職人の気質に触れられたようで嬉しかったです。
あと数話で一区切りつけるつもりですが、いずれまた何か書きたくなって再開することも「あり」ですので・・・