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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

サボテン盆栽の趣味人たち

2015年10月09日 | ガーデニング
   先日、大船フラワーセンターに行った時に、展示場で、「サボテン・多肉植物展」を行っていたので、小一時間、時を過ごした。
   造形がユニークで面白かったので、接写していたら、サボテン栽培が長いと言う年配の展示者が近寄ってきて、サボテンについて薀蓄を傾けてくれた。
   普段なら、ほんの10分くらいいて、素通りするのだが、私自身も、多少ガーデニングにも趣味があるので、興味深く聞いていた。
   
   

   種を蒔いてから茶碗くらいの植木鉢の大きさに育てるのに、20年くらいかかるらしく、気の遠くなるような話である。
   枯らしさえしなければ、育つのだと言うのだけれど、盆栽もそうだが、私など、耐えられるはずがない。
   サボテンは、砂漠に育っているので、それほど水をやる必要がないのかと思ったら、育つためには適度な水が必要だと言う。
   
   
   

   花芽が出ていて、綺麗な株があったのだけれど、陽が当たらない室内なので、残念ながら、パッと開かない。
   私などは、花の方に興味が行くのだが、趣味人になると、花が咲けば咲いたであって、育って行くサボテンの姿かたちが問題なのだと言う。
   少数派の珍品が貴重なのは、当然であろうが、突然変異などで起こる奇形が、珍重されると言う。
   貨幣やコインでも、刷り間違いや打ち間違いの不出来なのが、人気を呼ぶ、あれと同じで、希少価値の重要さであろうか。
   貴重品種になると結構高いようで、争奪戦も激しいのだと言うのだが、どこの趣味の世界も同じようである。
   
   
   
   
   

   何事もそうであろうが、趣味などが高じて、入れ込み過ぎると、穏やかではいられなくなる。
   程ほどにしておくことだが、そこのところが難しい。
   私など、例えば、椿が好きで、随分、銘花を集めて、庭植えだけでも3~40種類ほど植えて育てていたのだが、鎌倉に転居した時には、そっくりとそのまま残して来たし、バラも、結構、集めて育てて来たが、かなり、枯らしてしまっている。
   サボテン愛好家の大変な奮闘と努力の話を聞きながら、私の場合には、その程度の入れ込み方であるから、平静を保ちながら、ガーデニングをやれているのだと、半ば、ホッとした気持ちになっている。
 
   このサボテンが、高いのだと言っていた「花籠」である。
   
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鎌倉便り・・・秋の大船フラワーセンター

2015年10月08日 | 鎌倉・湘南日記
   秋のバラの季節がやってきた。
   このフラワーセンターのバラは、まだ、咲き始めた感じで、これからが最盛期だと思うのだが、やはり、心なしか、専門の千葉の京成バラ園と比べると、見劣りがして、一寸寂しい感じがした。
   真っ先に訪れたのは、皇室関連の花のコーナーで、花弁が少なくて清楚なオレンジ色のプリンセス・ミチコは、咲き切った感じで、陽に輝いており、ピンク色のプリンセス・アイコは、咲き始めの蕾もあり、房咲きもあって美しい。
   マサコ Masako (Eglantyne)は、デイビッドオースチン作出のEnglish Roseであるから、秋咲きが難しいのか、蕾さえもついていなかった。
   京成バラ園でも、秋のイングリッシュ・ローズ・コーナーは比較的寂しいし、私も結構イングリッシュローズを栽培しているが、秋にはあまり期待せず、夏に向かっての返り咲きや繰り返し咲きを楽しんでいる。
   プリンセス・ミチコは、ディクソン社の作出で同じ英国だが、これは、イングリッシュローズではなく、私も植えていたので良く知っているが、良く咲いてくれる。
   プリンセス・アイコは、京成バラ園作出の四季咲き フロリバンダ系なので、普通に良く咲くのであろう。
   しかし、いずれにしろ、このガーデンのこのコーナーの株は、かなり生育が悪くて貧弱である。
   
   

   バラ園の他のコーナーは、かなり、咲いていて色付いてはいるのだが、トップシーズンにはまだ早いのか、殆ど見物客はいない。
   一番美しく咲き乱れていたのは、ピンクのうららで、京成バラ園作出のバラとしては、突出した名花なのであろうと思う。
   私は、ヘタなので何度も枯らしているのだが、咲くと実に美しい。
   黄色い鎌倉が咲いていて、初めて見たので興味深かった。
   
   
   
   
   
   

   興味深かったのは、何時もなら花で飾られている花のトンネルが、今は、カボチャや瓢箪やヘチマと言ったウリ科の実がぶら下がっている。
   佐倉城址公園のくらしの植物苑では、今頃、色々なカボチャや瓢箪などが展示されていて面白いと思うのだが、随分バリエーションがあって興味深い。
   
   

   カボチャと言えば、ハローウィンの黄色い大きなカボチャ。
   アメリカに居た時には、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作っていたので、日本に帰ってからも、一度だけ作ったのだが、最近では、中々、あのカボチャを手に入れ難いので諦めている。
   長女が幼かった頃、アメリカ人の子供たちと一緒になって、「トリック・オア・トリート(Trick or treat. 「騙されたくなかったらお菓子をおくれ」と言って近所の家を回って、沢山のお菓子を貰って帰って来ていたのを思い出した。
   この植物園にも、ハローウィン飾りがしてあって、面白かった。
   
   
   

   コスモスも咲き出して、風に揺れている。
   何となく、華奢で儚い感じがするのだが、その清楚さが良い。
   池の睡蓮もムードたっぷりで、感興をそそる。
   珍しく、池畔の木陰から、カワセミが飛び立った。
   まだ、真赤ではないのだが、赤とんぼが、枯れ枝に止まった。
   蝶も、美しい花壇の上を飛び交っている。
   秋たけなわである。
   
   
   
   
   
   
   

   もう一つ、秋を感じさせるのは、薄であろうか。
   先月の中秋の名月は、冴えて美しかったが、鎌倉のススキは、遅れて穂が開く。
   面白いのは、まだ、西洋アサガオが、美しく咲いていて、屋根を這い上っている。
   酔芙蓉も、まだ、健在であり、晩秋の紅葉には、間がある。
   
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・荏柄天神社から杉本寺

2015年10月07日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉宮前から、杉本寺に向かって歩き始めたら、分岐点で、荏柄天神社の方が近いことが分かって、右折れして西に歩くと、すぐ赤い鳥居が見えて、そのずっと奥に急な石段があり、門が見える。
   石段を上り詰めると、鮮やかな朱塗りの建物本殿が現れ、天満宮の扁額の掲げられた門をくぐると、明るくてオープンな境内が広がる。
   この荏柄神社は、天満宮であるから、当然、祭神は、菅原道真であり、福岡の大宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に、三天神社と称される古来の名社なのである。
   学問の神様であるから、本殿の両サイドの壁面には、びっしりと絵馬が架けられており、壮観である。
   門も本殿も、扉は5弁の梅の丸い切抜き。境内には、梅の木が植えられていて、流石に、道真の飛び梅の世界である。
   ところで、境内に、樹齢何百年の大銀杏があったようだが、迂闊にも気付かなかった。
   
   
   

   さて、この神社で、面白いのは、カッパの漫画家である清水崑の絵筆を供養したかっぱ筆塚が立っていて、その背後の高台に、その意思を継いだ横山隆一を中心とした漫画家たちがカッパをモチーフにして描いたたレリーフを貼り付けた絵筆塚が威容を誇っていて、場違いながら面白い。
   ドラえもんも居れば、小島功のセクシーおねえさんも居る。
   菅原道真も、喜んでいるかも知れない。
   この神社でも、シュウメイギクが咲き乱れている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   東に歩いて、金沢街道に出て、杉本寺に向かった。
   小学校があるので、下校途中の小学生に出合うのだが、この鎌倉では、治安が良いのか、子供たちの集団登下校風景は見たことがない。
   かなり人気の少ない鎌倉山近辺でも、小学生が一人でバス登校している。

   大通りから杉本寺へは、沢山の派手な十一面杉本観音の幟旗の行列で、すぐに分かる。
   急な石段が伸びていて仁王門が見えるのだが、鄙びた古社寺の風格など全く感じさせない。
   仁王門には、二体の仁王が左右から迎えてくれる。
   この仁王門も本堂も、茅葺屋根であるのが、中々、風情があって良い。
   仁王門の茅葺き屋根をバックに芙蓉が美しい。
   
   
   
   

   仁王門をくぐると、本堂に向かって、一直線に石段が伸びているのだが、苔むした階段の石段は、砂岩であろうか、擦り切れて歴史を感じさせて中々面白い。
   アップとダウンの石段の風景は、下記の通りである。
   安西篤子さんのエッセイでは、子供の頃は、この石段は現役であったようだが、今は、左側に新しい迂回路が出来て、本堂に向かっている。
   途中に、萩が一叢咲いていた。
   
   
   

   さて、本堂には、この寺の本尊である3体の木造十一面観音立像(2体は重文)が、一番奥の須弥壇に安置されている。
   内陣にも、他に、運慶・快慶作の仏像など安置されているのだが、近づいても堂内が暗くて、定かには見えない。
   外に出て、鐘楼堂脇から、本堂を見上げたが、苔むして、中々雰囲気のある古寺ながら、あっちこっちの幟旗が、何となく、不具合で、私には興ざめであった。
   
   
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鎌倉便り・・・鎌倉宮から瑞泉寺へ

2015年10月06日 | 鎌倉・湘南日記
   塩の道であった金沢街道沿いの古社寺を散策しようと思って、鎌倉駅前のバス停で飛び乗ったのが、大塔宮行。
   同じ大学前経由だからと、いつもの調子で、即断したのが間違いで、岐れ道交差点で北上してしまって、鎌倉宮終点で止まった。
   正面は、鎌倉宮。予定を変更して、近くのお寺散策に切り替えることにした。

   さて、鎌倉宮だが、境内の特設舞台で、薪能が催されると言うことで興味を持ったことがあるのだが、初めての訪問である。
   後醍醐天皇の子である大塔宮護良親王が、幽閉されていたと言うところに建てた神社とかで、背後に、その土牢がある。
   境内を一回りして、東に道を取って、瑞泉寺に向かった。
   
   
   

   鎌倉宮から瑞泉寺へは、閑静な住宅街の細道を1キロ弱歩けば、すぐに着くのだが、このあたりになると、八幡宮や小町通りの喧騒と比べれば、別世界であり、旗を立てた団体客一組に出合ったくらいで、殆ど行き会う人もない。


   山門までには、細い遊歩道と鬱蒼とした石段を上って行くのだが、結構距離があり深山の雰囲気が良い。
   遊歩沿いの林から、歩道に萩が咲き乱れている。
   
   
   
   

   なだらかな石段を登って行く気分は、何となく、京都や奈良の山寺である。
   一叢の竹林が美しい。
   途中で、道が二股に別れたので、当然、くたびれている古道の方を上って行ったのだが、その突き当りに、「松陰吉田留跡碑」が立っていて、松陰が、この寺を訪れたと言うことを知った。アメリカ密航を試みた時の仮住まいである。
   山門は、シンプルだが、扉の間から、明るい庭園が見える。
   
   
     
   

   山門を抜けると、正面に本堂が現れ、その前の庭には、白い芙蓉が咲き乱れており、足元には、ピンクと白のシュウメイギクが、ひっそりと咲いていて美しい。
   ツワブキも咲き始めている。
   とにかく、この寺が花の寺であることが良く分かる。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   本堂の裏に、夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園がある。書院庭園の起源となったと言うことだが、荒廃していたのを、現状のように、発掘復元した。
   正面に、天女窟がって、岩を彫って作ったと言う池にシュウメイギクが映えて、中々の雰囲気である。
   京都には名園が沢山あるが、鎌倉では珍しい。
   
   
   
   

   さて、この寺であるが、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の筆頭格だとかで、尊氏も水戸光圀も訪れたと言う。
   境内の墓地には、高浜虚子など文人たちの墓が多いと言うのだが、何々家の墓と言う墓石ばかりなので、気付いたのは、志村喬と道場六三郎だけ、
   山門横の鐘楼を見て、寺を後にした。
   
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クルーグマン:Japan’s Economy, Crippled by Caution

2015年10月04日 | 政治・経済・社会
   先月初旬に、クルーグマンが、NYT紙に、日本経済について、Japan’s Economy, Crippled by Caution を書いた。

   世界中の先進国は、中銀が金融緩和に務めているにも拘らず、緊縮財政を推し進めて、経済を更に悪化させているとして、
   アベノミクスは、かなり、それらよりは良好だとしても、消費財の増税は、その後退だと、ケインジアンとしての面目躍如たる論陣を張っているのである。
   
   安倍総理は、デフレ克服に努力をしているが、はっきりとした成功を収め得ないのは、如何に強力な政策メーカーであっても、責任と言う伝統的な概念を打ち破れないからだ。
   これは日本だけではなく、どこでも起こっていることだが、世間体に拘ると、経済を殺してしまうと言うのである。
   
   このコラムで、クルーグマンは、conventionやconventional と言う単語を多用しているのだが、これは、普通の状態の場合であって、今現在は、非常事態である、すなわち、経済は異常な状態に陥っているので、これまでのような伝統的な概念なり経済手法では、デフレなり、経済不況からは、脱却できないと言う危機意識の反映である。

   インフレを起こすためには、マネーを印刷すれば良くて簡単だと思うかも知れないが、そのマネーをどう使うかが問題である。
   中銀がマネーを印刷すれば、一般的には、国債を買うであろう。平常な状態なら、この行為は、財政システムを起動させて、経済を動かして、賃金や価格の上昇を齎して、デフレを解消するであろう。
   しかし、現状では、殆どの経済大国では、投資需要が低迷しており、金利が非常に低い。いくら、資金を退蔵しても、実質的なペナルティが発生しないので、2008年後の膨大な資金は、銀行に眠ったままである。
   しからば、どうすれば良いのか。資産価格アップや投資家や消費者へのインフレ心理高揚などを意図して、量的緩和して、リスキーなアセットを購入するのだが、効果ははかばかしくない。

   アメリカでは成功しても、これだけでは不十分で、ヨーロッパやアベノミクスでは、期待外れだとして、クルーグマンは、そのマネーで、資産を買うのではなく、モノstuffを買えと言うのである。
   
   緊縮財政への要求は、公共投資の拡大等によって財政破綻しないための政治的アジェンダであるが、今や、経済は不況下にあってかつデフレ経済であり、常態ではないので、伝統的財政政策は、 むしろ、危険である。
   モノを買うために、マネーを刷るなどと言うのは、無責任だと言われるだろうが、それは、平時のことであって、財政危機に陥って7年にもなるのに、いまだに、経済政策は、警告に縛られてしまって、日本経済は、身動きが取れない状態に陥っている。世間体が、世界経済を殺しているのである。
 Japan’s Economy, Crippled by Caution. Respectability is killing the world economy

   経済の低迷に悩む先進国の中銀が、金融緩和等によって経済浮揚を策しても、政府が、国家財政の再建を策して財政緊縮政策を実施して、その効果を減殺している。
   今は、投資需要が減退して資金がダブついている不況下のデフレ経済であるから、伝統的な経済政策概念に捉われずに、積極的に、不足している需要を喚起すべく、支出拡大政策を取らなければならず、それも、実需要に結びつく需要拡大目的でなければならない。
   アベノミクスも、常識的な経済政策に捉われて、間違った消費税増税政策を取っているので、Japan’s Economy, Crippled by Caution.だと言うのである。
   Mr. Abe has been less conventional than most, but even he set his program back with an ill-advised tax increase.

   とにかく、経済が常態に戻るまでは、絶対に需要を減殺したり縮小するような政策は取るべきではなく、積極的に需要拡大政策を推進せよと言うのが、クルーグマンの一貫した提言であり、デフレに20年間も苦しみ続けてきた日本が、ここに至って増税するなどは愚の骨頂だと言うことであろう。

   ところで、先に、このブログで紹介したが、クルーグマンは、「国家は破綻する」のラインハートとロゴフの論拠を全面的に否定しているのだが、彼らの主張である国家債務がGDPの160%を越えた国は破綻していると言う見解からすれば、日本は、既に、破綻街道まっしぐらである。
   戦争や大恐慌など、不可抗力が起こらなければ、徳政令に似た国家政策を発動しない限り、日本の財政赤字の解消など、私は無理だと思っているので、クルーグマンの大らかなケインジアン政策には、簡単に頷くわけには行かない。
   
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芸術祭十月大歌舞伎・・・「阿古屋」

2015年10月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座の夜の部は、壇浦兜軍記の「阿古屋」と、梅雨小袖昔八丈の「髪結新三」である。
   阿古屋は、『壇浦兜軍記』の「阿古屋琴責」とよばれる場面に登場する傾城で、あの「籠釣瓶」で登場する八ッ橋などと同様、典型的な傾城の扮装である豪華な打掛や俎板帯という姿で登場し、その華麗さ美しさに感動する。
   その上に、阿古屋を演じる女方は、舞台上で実際に琴・三味線・胡弓を演奏し、殆どその演奏スタイルで正座したままで、阿古屋の複雑に揺れ動く心情も表現しなくてはならないのであるから、大変な難役なのである。
   玉三郎が演じるまでは、歌右衛門の独壇場だったと言われており、演者が限られている所為か、殆ど鑑賞する機会が少ない。

   豪華な刺繍で装飾された打掛と華麗な孔雀が浮き立った素晴らしい俎板帯を纏った玉三郎は、正に、篠山紀信の撮った絵姿が、そのまま舞台に躍り出て舞っている、いや、それよりもはるかに、素晴らしく光り輝いている。
   いつも観ながら感心しているのだが、日本の着物、それに体現されているもの、その素晴らしい華麗さ美しさは、正に、世界屈指の芸術であり、人類の文化遺産の最たるものだと思っている。
   その極致が歌舞伎や能などで体現される舞台衣装で、それが、謡や舞、音曲、演劇と相まって総合化されたのが、日本の伝統芸能であるから、日本の宝として大切に守り通さなければならないと思っている。

   さて、この演目は、元は浄瑠璃として作曲されて、文楽で演じられていたので、阿古屋を詮議する悪役の岩永左衛門(亀三郎)は、衣を二人従えた人形振りで登場して、最初から最後まで、人形として舞台をつとめる。
   それに、詮議の途中に、竹田奴と言われる、落書き模様の奇妙な面を付けた一人遣いの人形みたいな人物が沢山登場して「ウキャキャキャ」と奇声を発しながら、美しい阿古屋を取り囲んでツイストを踊るなど、場違いながら、歌舞伎の奥深さ(?)を垣間見せる。
   おかしなもので、浄瑠璃からの転作が多い歌舞伎では、このような人形振りのシーンが多いのだが、文楽の人形の方の動作は極めてリアルなのに、歌舞伎になると、むしろギコチナク演じて人形だと見せなければならないのが面白い。
   これは、洋の東西を問わずで、「天国と地獄」の音楽で有名なジャック・オッフェンバックのオペラ「オフマン物語」での人形のオランピアなどは、もっとぎこちない人形振りを披露する。

   この歌舞伎は、阿古屋のほかは、裁きの秩父庄司重忠の菊之助と岩永左衛門の亀三郎、それに、家来の榛沢六郎の功一の3人だけで、極めてシンプルだが、阿古屋の琴攻めの審議シーンが大半を占める。
   阿古屋は、愛人の「悪七兵衛景清」すなわち、勇猛果敢で有名な平家の武将・藤原景清の行方を詮議するために、問注所に引き出され、景清の所在など知らないという阿古屋に、代官の岩永左衛門は拷問にかけようとするのだが、詮議の指揮を執る秩父庄司重忠は、阿古屋に琴、三味線、胡弓を弾かせて心のうちを推量しようと試みる。言葉に嘘があるならば、わずかな調べの乱れでもそれとわかるという重忠は、阿古屋の見事な三曲演奏に感服して釈放する。

   この景清だが、能は勿論、他の歌舞伎など古典芸能の数々、それに、落語にさえも登場すると言う歴史上でも傑出した人物で、そんな男の愛人であるから、才色兼備であって、このように3曲を素晴らしく弾き遂せるというのは当然なのであろう。
   この鎌倉の鎌倉山から急峻な化粧坂を下る途中に、景清が果てたと伝わる洞窟・景清土牢、景清窟があるのだが、余りにも貧弱なのが寂しい。
   「平家物語」の「弓流」において、那須与一の的のシーンの後に、景清が、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという豪快な「錣引き」の記述があり、その「悪七兵衛景清」をバックシーンに描きながら、この「阿古屋」を見ないと、その良さが理解できない。

   問注所に引き出されて、知らぬ存ぜぬと答えても応じない裁きに応えて、階の真ん中にどっかと座って、大きく後ろに仰け反って「殺せ」と迫る玉三郎の阿古屋の貫録と艶姿。
   絶えず、口元を緩めて目を半開きにして微笑み続ける菊之助の重忠の風格。
   とにかく、緊迫感の充実した見せて魅せるシーンの連続である。
   それに、亀三郎の人形振りの悪役が、堂に行って上手い。
   宏一の颯爽とした凛々しさも申し分なく絵になっている。

   久しぶりに、素晴らしい歌舞伎を観たと言う充実感を味わわせて貰った。
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今日一日歌舞伎座で過ごす

2015年10月02日 | 今日の日記
   観劇のはしごは結構するのだが、同じ劇場では、文楽以外は殆どなかった。
   しかし、今日は、珍しく、朝11時から夜の9時前まで、ずっと、歌舞伎座で過ごした。
   本来なら、顔見世公演の11月の方が、良いのであろうが、今月の歌舞伎座の公演は、非常に充実していて、楽しめるのである。
   2日目なので分からないが、何故か、かなりの空席がある。

   私の一番観たかったのは、「阿古屋」で、豪華な衣装に身を固めた玉三郎が、琴,三味線,胡弓を、優雅に演奏して魅了する素晴らしい舞台なのである。
   何年か前に玉三郎の舞台を観て、感激して、今回期待して鑑賞させて貰ったのだが、素晴らしかった。
   また、秩父庄司重忠を演じた菊之助が、凛々しくて良い。

   「人情噺文七元結」は、菊五郎の独壇場の芝居。
    時蔵の女房お兼が、江戸下町の長屋のおかみを好演していて、実に良い。
    玉三郎が、角海老女将お駒を演じているが、淡々と情感豊かに語り部風に、そして、抑揚を付けずに穏やかに語っている語り口が、雰囲気にしっくりと合っていて、上手いと思った。
   この舞台では、涙を誘い聞かせるのは、娘お久だが、尾上右近は、恐らく、決定版と言っても良い程の出来であろう。
   それに、実に美しい知的な乙女姿である。

   「一條大蔵譚」は、仁左衛門の芝居を観に行くようなもの。
   吉右衛門や勘三郎の素晴らしい大蔵卿を観ているが、仁左衛門の大蔵卿は、また、それらとは違った風格と味があって、もう少し、上方風と言うか、京都のお公家さんに近いような雰囲気があって、面白い。

   「髪結新三」は、二世尾上松緑の追善狂言であるから、正に、松緑のために演じられている芝居である。
   これまでの勘三郎などの新三とは、ニュアンスが全く違うが、恐らく、威勢が良くてパンチが利いた憎めないチンピラヤクザ然とした新三のイメージは、松緑のような人物ではなかったかと思わせる上出来の舞台であった。
   亡くなった三津五郎も素晴らしかったが、左團次の家主長兵衛が、抜群に良い。

   とにかく、今月の歌舞伎座は面白い。
   この日、何時もバッグに入っているソニーRX100が電池切れで、歌舞伎座の写真が撮れなかった。

   歌舞伎座の前の交差点を挟んで、群馬県のサテライトショップと言うか、総合情報センター「ぐんまちゃん家」と称する店があって、群馬県産の商品を売っている。
   丁度、「県産品30%OFF実施中」と言うポスターが貼ってあり、利き酒コーナーもあったので、覗いてみた。
   衝動買いで、日本酒とチーズなどの酒の肴を少し買った。
   群馬県に上等なものがないとは思えないが、数軒隣の岩手県のパノラマショップと比べて、例えば、民芸工芸品だと南部鉄瓶だとか岩手には良いのがあるのだが、ぐんまちゃん家の方には、食指を動かすようなものがなく、もう一寸趣味の良い質の高い高級品を置いても良いのではないかと思う。
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野中郁次郎先生と寺島実郎氏の講演を聴いて

2015年10月01日 | 政治・経済・社会
   さいたま新都心のラフレ埼玉で開かれた「日刊工業新聞創刊100周年 感謝の集い」に参加した。
   講演会の基調講演で、野中郁次郎先生が、「今、求められるリーダーとは」
   寺島実郎氏が、「20世紀と格闘した先人たち」と言う魅力的な講演を行うので、一寸遠かったが、出かけたのである。
   日刊工業が、100年企業の仲間入りしたと言うことで、工業立国日本のいわば羅針盤的な役割を果たしてきたのであるから、貢献は偉大であろう。

   野中先生の講演は、実践知のリーダーとして、動きながら考え抜く、共通善に向けて「よりよい」を無限追求して行く知的体育会系リーダーについて、熱っぽく語った。
   暗黙知と形式知から説き始めて、本田宗一郎やビル・ゲイツを例にとり、アーツとサイエンスの綜合としての経営学、そして、ハーバード・ビジネス・レビューに掲載された「The Wise Leader 賢愚のリーダー」像を、浮き彫りにして明快である。
   良く似たリーダー論を、ミンツバーグなども語っていて興味深いのだが、感銘を受けるのは、暗黙知と形式知を総合しアウフヘーベンした実践知を実行に移す体育会系のDoerの重要性を強調して、高邁な共通善を追求する思索家 Deep Thinkerの融合体としてのリーダー像を描き出していることである。

   経営者としては、イノベーションの追求が重要であろうが、野中先生が、実践知の起源としたのは、アリストテレスの「フロネシス 賢慮・・・人間にとって善または悪である物事に関する行動能力の、真の理性的な状況」であった。
   実践知は、倫理的に健全な判断を可能にする経験的知識であり、経営者にフレネシスがあれば、特定の時間や状況下で何が善かを判断し、最善の行動をとって共通善に資することが出来ると、説き続けて来たのである。
   「賢愚のリーダー」でさえあれば、東芝やフォルクスワーゲンのような悲しい事態は、起こり得なかったと言うことであろう。

   寺島氏は、最近出版した新書だとして、本を紹介していたが、20世紀と格闘した先人の一人として、三井物産の水上達三社長について語り、その偉大さは、情報収集インテリジェンスにあったと語っていて、興味深かった。

   私が興味を感じたのは、アメリカの経済分析であった。
   何時ものように、立派な資料集を配布して、その一部を引用しながら語るのだが、
   アメリカの実体経済は、基本的に回復基調にあるとして、
   ①化石燃料におけるシェールガス・シェールオイル革命として、2014年に、米国が世界一の原油・LNG生産国に
   ②次世代ICT革命として、クラウド、ビッグデータの時代における主導性
   について、語ったことである。

   石油・ガスで、世界一に躍り出たと言うことは、石油がぶ飲みのアメリカ経済のアキレス腱が、大量の石油輸入の必要性で、そのために、中東の安定と利権確保維持が、最重要課題であった筈だったが、この心配が薄らいできたと言うことではなかろうか、と言うことである。
   そうなれば、アメリカの軍事外交上での中東への入れ込み方なり、比重が下がって来てもおかしくはない。
   寺島氏は、サウジアラビアなどの産油国はともかく、石油とは縁のないエジプトなどへの関与の重要性が低下してきていると言うような表現をしていたが、そう考えれば、オバマ大統領のシリアやイスラム国に対して、かなり、消極的な姿勢が解って来る。(注)

   第一次世界大戦が、サラエボのオーストリア皇太子の暗殺で始まったように、シリアはヨーロッパの問題であって、今や、アメリカが世界の警察の役割を捨てた以上、地政学的グラビティが、再び始動しはじめたと言うことであろうか。

   もう一つ、石油・ガスが大量に産出され安くなってくると、アメリカの石油化学産業など関連産業が動き出して、製造業に追い風になりそうだと言うことで、その意味でも、このオイル革命の影響は大きい。

   ICT革命については、20世紀末から、アメリカが、経済の再生を果たして、再び、世界経済のリーダーに躍り出たのは、正に、このためで、ムーアの法則が、総てのデジタルICT革命の軌道に展開されているようで、まだまだ、アメリカ主導で発展し続けている。 
   正に、起業家精神の権化とも言うべきイノベーション・オリエンテッドなアメリカの底力、そのものの発露なのであろうが、このクラウドもビッグデータも、やっと、緒に着いたところだと言うから、どれだけ、アメリカ経済をドライブするか、このまま、順調に推移して欲しいと思っている。

   株高にやや批判的で、あまり、アベノミクスは、上手く行っていないような話をしていたが、S&Pが、日本国債の格付けを、「経済好転の可能性低い」と、1段階格下げたのであるから、そうであろう。
   
   さて、さいたま新都心へは、初めてであったので、素晴らしい近代的な都市開発に、びっくりした。
   私も、随分前に、上尾に住んでいて埼玉県民であった時期があったので、埼玉県の発展には無関心ではない。
   ところで、この日、東京上野ラインの古賀行で、大船からさいたま新都心に乗ったのだが、横浜までは混雑、東京まではかなりの混み様であったが、東京からは、社内はガラガラで、一挙に客が減ったのには、びっくりした。
   東海道沿線と、上野大宮沿線との経済格差・都市化の差なのであろうか。

   もう一つ驚いたのは、この高崎線と言うか常磐線と言うか北行きの沿線の発展ぶりである。
   私が、上尾から上野で乗り換えて神田まで通っていた頃には、考えられないような進歩である。
   尤も、随分昔のことで、出入り口が前と後ろにしかない列車にギュウギュウ詰めに客を押し込んで運行しながら、絶えずストを繰り返して、客に生き地獄を味わわせて平然としていた国鉄時代のことではある。
   とうとう、頭に来た通勤客たちが、上尾駅を焼き討ちにしたと言う記事を、ニューヨークで、TIME誌で見て、さもありなんと溜飲を下げたのを覚えている。
   余談ながら、あの3.11で日本には略奪も暴動もなかったと世界から称賛されたと言われているが、日本人は、随分過酷な運命にジッとよく耐える国民だと、つくづく思う。

(追記)この中東危機に対する米国の消極的態度については、ブレッド・スティーブンズが、「撤退するアメリカと「無秩序」の世紀」で、「よその国のことには口を出すべきではない」と言う最早中東には興味がなくなったアメリカ人の厭戦気分の台頭とこれに呼応したオバマの徹底的に消極的な外交方針への変更など、アメリカの孤立主義について論じていて、時代の潮流が大きく変わったことを説いている。
   この線上で、安倍政権の安保法制への取り組み・姿勢を考えると、何かが浮かび上がってくる。(2015.10.14)
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