芸術祭寄席で、桂文枝がトリを取り、素晴らしい噺家たちが登場するプログラムなので、期待して出かけた。
流石に名調子の噺家ばかりで、前座から盛り上がっての盛況で、勿論、早くからチケット完売で、満員御礼であった。
文枝は、ニコニコしならら、白髪交じりの七分刈り頭で登場して、来年の大河ドラマ「真田丸」に、千利休で出演するので、その準備だと言う。
脚本は、三谷幸喜で、まだ、自分には届いていないし、撮影も始まっておらず何時登場するかも分からないのだが、準備だけしてスタンドバイするようにと言われていると言う。
朝4時から撮影が始まるので、体力が一番大事なので、体を鍛えておけと言うことで、病院で、心臓のエコーと頭のMRI検査をして、心臓は、不整脈、頭は問題なかったが、看護士に呼び止められて、「帽子とマスク」を忘れていると言われたと言って笑わせていた。
一万歩歩いているようだが、途中に、何時も立ち寄る喫茶店があって、相客と話をするのが楽しみだと言って、
毎日3時間歩いている84歳の老人の話をして、2時間くらい歩くとどこにいるのか分からなくなり、3時間歩いた後は、タクシーに乗って帰るので、「アルクハイマー」と呼ばれていると語っていた。
さて、文枝は、勿論、新作落語で、「別れ話は突然に」。
熟年離婚をテーマにした噺で、大阪に住む76歳の父親が、ソールに赴任中の息子に電話をかけて離婚を伝える話から始まって、64歳の母と北海道の娘、息子と娘との電話での長話が続くので、最初から最後まで、文枝は、受話器代わりに持った扇子を耳から離さずに語り続ける。
離婚理由は、俗に言うリタイア―した夫と妻の日常生活でのトラブルすれ違いを、コミカルタッチで語り続けるのだが、寅さんの落語バージョンと言った感じで、笑い続けてほろりとさせる。
リア王よろしく、離婚後は、父と母が、替りばんこに、息子と娘宅に、半月ごとに訪れると言うので、戦々恐々となった二人が、都合を遣り繰りして説得に大阪に行くことになって電話すると、
電話を受け取った父親が、母に、そっと、「家族全員が集まるぜ」。
喜んだ二人が、離婚ストレスで死んだ筈の愛犬の喉を撫ぜながら、
「この手は、次には使えませんなァ」。
何のことはない、親元を見限って殆ど寄り付かない子供たちに会いたくて仕組んだ親たちの狂言だった、と言うことであるが、今の人生模様・世相を映していて、とにかく、老夫婦の自分勝手な言い分が面白い。
前に、文枝の創作落語だと言うことで、柳家はん治の「妻の旅行」を聞いたことがあるが、これも、夫婦のすれ違いの頓珍漢をテーマにした噺で、夫婦の言いたい放題勝手放題のギャグ交じりの会話は、古典落語でも結構多い恰好のテーマである。
しかし、人生色々。
別れがあれば、出会いもあろう。
ほのぼのとした幸せな出会いをテーマにした噺にすれば、どうなるのか。
落語よりは、物語かも知れない。
古今亭菊之丞は、片棒。
林家染二は、茶屋迎い。
小遊三は、代り目。
鯉昇は、ちりとてちん。
とにかく、語り口の上手さは勿論、芸の匠さ細やかさは名人肌で、抱腹絶倒。非常に質の高い噺家たちの至芸を楽しむことが出来た、素晴らしい寄席の一夜であった。
流石に名調子の噺家ばかりで、前座から盛り上がっての盛況で、勿論、早くからチケット完売で、満員御礼であった。
文枝は、ニコニコしならら、白髪交じりの七分刈り頭で登場して、来年の大河ドラマ「真田丸」に、千利休で出演するので、その準備だと言う。
脚本は、三谷幸喜で、まだ、自分には届いていないし、撮影も始まっておらず何時登場するかも分からないのだが、準備だけしてスタンドバイするようにと言われていると言う。
朝4時から撮影が始まるので、体力が一番大事なので、体を鍛えておけと言うことで、病院で、心臓のエコーと頭のMRI検査をして、心臓は、不整脈、頭は問題なかったが、看護士に呼び止められて、「帽子とマスク」を忘れていると言われたと言って笑わせていた。
一万歩歩いているようだが、途中に、何時も立ち寄る喫茶店があって、相客と話をするのが楽しみだと言って、
毎日3時間歩いている84歳の老人の話をして、2時間くらい歩くとどこにいるのか分からなくなり、3時間歩いた後は、タクシーに乗って帰るので、「アルクハイマー」と呼ばれていると語っていた。
さて、文枝は、勿論、新作落語で、「別れ話は突然に」。
熟年離婚をテーマにした噺で、大阪に住む76歳の父親が、ソールに赴任中の息子に電話をかけて離婚を伝える話から始まって、64歳の母と北海道の娘、息子と娘との電話での長話が続くので、最初から最後まで、文枝は、受話器代わりに持った扇子を耳から離さずに語り続ける。
離婚理由は、俗に言うリタイア―した夫と妻の日常生活でのトラブルすれ違いを、コミカルタッチで語り続けるのだが、寅さんの落語バージョンと言った感じで、笑い続けてほろりとさせる。
リア王よろしく、離婚後は、父と母が、替りばんこに、息子と娘宅に、半月ごとに訪れると言うので、戦々恐々となった二人が、都合を遣り繰りして説得に大阪に行くことになって電話すると、
電話を受け取った父親が、母に、そっと、「家族全員が集まるぜ」。
喜んだ二人が、離婚ストレスで死んだ筈の愛犬の喉を撫ぜながら、
「この手は、次には使えませんなァ」。
何のことはない、親元を見限って殆ど寄り付かない子供たちに会いたくて仕組んだ親たちの狂言だった、と言うことであるが、今の人生模様・世相を映していて、とにかく、老夫婦の自分勝手な言い分が面白い。
前に、文枝の創作落語だと言うことで、柳家はん治の「妻の旅行」を聞いたことがあるが、これも、夫婦のすれ違いの頓珍漢をテーマにした噺で、夫婦の言いたい放題勝手放題のギャグ交じりの会話は、古典落語でも結構多い恰好のテーマである。
しかし、人生色々。
別れがあれば、出会いもあろう。
ほのぼのとした幸せな出会いをテーマにした噺にすれば、どうなるのか。
落語よりは、物語かも知れない。
古今亭菊之丞は、片棒。
林家染二は、茶屋迎い。
小遊三は、代り目。
鯉昇は、ちりとてちん。
とにかく、語り口の上手さは勿論、芸の匠さ細やかさは名人肌で、抱腹絶倒。非常に質の高い噺家たちの至芸を楽しむことが出来た、素晴らしい寄席の一夜であった。