先月初旬に、クルーグマンが、NYT紙に、日本経済について、Japan’s Economy, Crippled by Caution を書いた。
世界中の先進国は、中銀が金融緩和に務めているにも拘らず、緊縮財政を推し進めて、経済を更に悪化させているとして、
アベノミクスは、かなり、それらよりは良好だとしても、消費財の増税は、その後退だと、ケインジアンとしての面目躍如たる論陣を張っているのである。
安倍総理は、デフレ克服に努力をしているが、はっきりとした成功を収め得ないのは、如何に強力な政策メーカーであっても、責任と言う伝統的な概念を打ち破れないからだ。
これは日本だけではなく、どこでも起こっていることだが、世間体に拘ると、経済を殺してしまうと言うのである。
このコラムで、クルーグマンは、conventionやconventional と言う単語を多用しているのだが、これは、普通の状態の場合であって、今現在は、非常事態である、すなわち、経済は異常な状態に陥っているので、これまでのような伝統的な概念なり経済手法では、デフレなり、経済不況からは、脱却できないと言う危機意識の反映である。
インフレを起こすためには、マネーを印刷すれば良くて簡単だと思うかも知れないが、そのマネーをどう使うかが問題である。
中銀がマネーを印刷すれば、一般的には、国債を買うであろう。平常な状態なら、この行為は、財政システムを起動させて、経済を動かして、賃金や価格の上昇を齎して、デフレを解消するであろう。
しかし、現状では、殆どの経済大国では、投資需要が低迷しており、金利が非常に低い。いくら、資金を退蔵しても、実質的なペナルティが発生しないので、2008年後の膨大な資金は、銀行に眠ったままである。
しからば、どうすれば良いのか。資産価格アップや投資家や消費者へのインフレ心理高揚などを意図して、量的緩和して、リスキーなアセットを購入するのだが、効果ははかばかしくない。
アメリカでは成功しても、これだけでは不十分で、ヨーロッパやアベノミクスでは、期待外れだとして、クルーグマンは、そのマネーで、資産を買うのではなく、モノstuffを買えと言うのである。
緊縮財政への要求は、公共投資の拡大等によって財政破綻しないための政治的アジェンダであるが、今や、経済は不況下にあってかつデフレ経済であり、常態ではないので、伝統的財政政策は、 むしろ、危険である。
モノを買うために、マネーを刷るなどと言うのは、無責任だと言われるだろうが、それは、平時のことであって、財政危機に陥って7年にもなるのに、いまだに、経済政策は、警告に縛られてしまって、日本経済は、身動きが取れない状態に陥っている。世間体が、世界経済を殺しているのである。
Japan’s Economy, Crippled by Caution. Respectability is killing the world economy
経済の低迷に悩む先進国の中銀が、金融緩和等によって経済浮揚を策しても、政府が、国家財政の再建を策して財政緊縮政策を実施して、その効果を減殺している。
今は、投資需要が減退して資金がダブついている不況下のデフレ経済であるから、伝統的な経済政策概念に捉われずに、積極的に、不足している需要を喚起すべく、支出拡大政策を取らなければならず、それも、実需要に結びつく需要拡大目的でなければならない。
アベノミクスも、常識的な経済政策に捉われて、間違った消費税増税政策を取っているので、Japan’s Economy, Crippled by Caution.だと言うのである。
Mr. Abe has been less conventional than most, but even he set his program back with an ill-advised tax increase.
とにかく、経済が常態に戻るまでは、絶対に需要を減殺したり縮小するような政策は取るべきではなく、積極的に需要拡大政策を推進せよと言うのが、クルーグマンの一貫した提言であり、デフレに20年間も苦しみ続けてきた日本が、ここに至って増税するなどは愚の骨頂だと言うことであろう。
ところで、先に、このブログで紹介したが、クルーグマンは、「国家は破綻する」のラインハートとロゴフの論拠を全面的に否定しているのだが、彼らの主張である国家債務がGDPの160%を越えた国は破綻していると言う見解からすれば、日本は、既に、破綻街道まっしぐらである。
戦争や大恐慌など、不可抗力が起こらなければ、徳政令に似た国家政策を発動しない限り、日本の財政赤字の解消など、私は無理だと思っているので、クルーグマンの大らかなケインジアン政策には、簡単に頷くわけには行かない。
世界中の先進国は、中銀が金融緩和に務めているにも拘らず、緊縮財政を推し進めて、経済を更に悪化させているとして、
アベノミクスは、かなり、それらよりは良好だとしても、消費財の増税は、その後退だと、ケインジアンとしての面目躍如たる論陣を張っているのである。
安倍総理は、デフレ克服に努力をしているが、はっきりとした成功を収め得ないのは、如何に強力な政策メーカーであっても、責任と言う伝統的な概念を打ち破れないからだ。
これは日本だけではなく、どこでも起こっていることだが、世間体に拘ると、経済を殺してしまうと言うのである。
このコラムで、クルーグマンは、conventionやconventional と言う単語を多用しているのだが、これは、普通の状態の場合であって、今現在は、非常事態である、すなわち、経済は異常な状態に陥っているので、これまでのような伝統的な概念なり経済手法では、デフレなり、経済不況からは、脱却できないと言う危機意識の反映である。
インフレを起こすためには、マネーを印刷すれば良くて簡単だと思うかも知れないが、そのマネーをどう使うかが問題である。
中銀がマネーを印刷すれば、一般的には、国債を買うであろう。平常な状態なら、この行為は、財政システムを起動させて、経済を動かして、賃金や価格の上昇を齎して、デフレを解消するであろう。
しかし、現状では、殆どの経済大国では、投資需要が低迷しており、金利が非常に低い。いくら、資金を退蔵しても、実質的なペナルティが発生しないので、2008年後の膨大な資金は、銀行に眠ったままである。
しからば、どうすれば良いのか。資産価格アップや投資家や消費者へのインフレ心理高揚などを意図して、量的緩和して、リスキーなアセットを購入するのだが、効果ははかばかしくない。
アメリカでは成功しても、これだけでは不十分で、ヨーロッパやアベノミクスでは、期待外れだとして、クルーグマンは、そのマネーで、資産を買うのではなく、モノstuffを買えと言うのである。
緊縮財政への要求は、公共投資の拡大等によって財政破綻しないための政治的アジェンダであるが、今や、経済は不況下にあってかつデフレ経済であり、常態ではないので、伝統的財政政策は、 むしろ、危険である。
モノを買うために、マネーを刷るなどと言うのは、無責任だと言われるだろうが、それは、平時のことであって、財政危機に陥って7年にもなるのに、いまだに、経済政策は、警告に縛られてしまって、日本経済は、身動きが取れない状態に陥っている。世間体が、世界経済を殺しているのである。
Japan’s Economy, Crippled by Caution. Respectability is killing the world economy
経済の低迷に悩む先進国の中銀が、金融緩和等によって経済浮揚を策しても、政府が、国家財政の再建を策して財政緊縮政策を実施して、その効果を減殺している。
今は、投資需要が減退して資金がダブついている不況下のデフレ経済であるから、伝統的な経済政策概念に捉われずに、積極的に、不足している需要を喚起すべく、支出拡大政策を取らなければならず、それも、実需要に結びつく需要拡大目的でなければならない。
アベノミクスも、常識的な経済政策に捉われて、間違った消費税増税政策を取っているので、Japan’s Economy, Crippled by Caution.だと言うのである。
Mr. Abe has been less conventional than most, but even he set his program back with an ill-advised tax increase.
とにかく、経済が常態に戻るまでは、絶対に需要を減殺したり縮小するような政策は取るべきではなく、積極的に需要拡大政策を推進せよと言うのが、クルーグマンの一貫した提言であり、デフレに20年間も苦しみ続けてきた日本が、ここに至って増税するなどは愚の骨頂だと言うことであろう。
ところで、先に、このブログで紹介したが、クルーグマンは、「国家は破綻する」のラインハートとロゴフの論拠を全面的に否定しているのだが、彼らの主張である国家債務がGDPの160%を越えた国は破綻していると言う見解からすれば、日本は、既に、破綻街道まっしぐらである。
戦争や大恐慌など、不可抗力が起こらなければ、徳政令に似た国家政策を発動しない限り、日本の財政赤字の解消など、私は無理だと思っているので、クルーグマンの大らかなケインジアン政策には、簡単に頷くわけには行かない。