今月の歌舞伎は、先月の文楽に続いて「伊勢音頭恋寝刃」だが、53年ぶりの本格的な通し狂言であるので、ストーリーが分かって面白い。
ミドリ公演が大半の歌舞伎座にくらべて、国立劇場歌舞伎の良さは、通し狂言の上演で、私など、ストーリーを追いながらの観劇志向なので、この方が有難い。
阿波の国の家老の倅・今田万次郎(高麗蔵)が、君命を受けて名刀「青江下坂」を手に入れるのだが、謀反の企てに加担する徳島岩次(由次郎)一味に、刀の折紙(鑑定書)と共に盗み取られて、実家が今田家の家来筋である伊勢の御師・福岡孫太夫(友右衛門)の養子である福岡貢(梅玉)が、取り返す。と言う話である。
この芝居は、伊勢古市の遊女屋・油屋での殺傷事件に想を得ているので、貢と油屋遊女・お紺(壱太郎)との恋を絡ませて、貢が、岩次一味で嫌がらせをする仲居万野(魁春)を誤って切り殺し、名刀の妖気に導かれて錯乱状態になって、岩次など手当たり次第に殺戮すると言う油屋での凄惨なシーンが見せ場となって、取り入れられている。
冒頭は、伊勢内宮と外宮を結ぶ参道の相の山で、遊興費捻出のために名刀を質入れした万次郎が、更に、岩次一味から、折紙まで騙し取られると言うシーンからの波乱含みの展開で、
その後、折紙を騙し取られたと知った奴の林平(亀鶴)が、お家乗っ取りを企む藩主の弟蓮葉大学から岩次に宛てた密書を持つ杉山大蔵と桑原丈四郎を夜道を追い駆けて、密書の一部を奪い取り、更に、万次郎を連れて二見ケ浦に来た貢は、逃げてきた二人に闇の中で出会い、密書の残り半分を奪い取り、宛名と差出人、そして、密の悪事の全容がわかる。
この闇夜のだんまりの演技が延々と続くのだが、貢は、密書を奪ったものの闇夜で読めない。
二見ケ浦に朝日が昇って、貢の「うれしや日の出」のシーンで、一気に変わる舞台展開がワザとらしくて面白い。
もう一つ面白いのは、取って付けたような第二幕の「御師福岡孫太夫内太々講の場」で、御師の福岡孫太夫宅で、弟の彦太夫(錦吾)が太々神楽をあげていて、甥の正太夫(鴈治郎)に、太々講の積立金100両を盗ませて、その罪を貢に負わせようとするのだが、訪ねてきた叔母のおみね(東蔵)の機知で、悪事がバレルと言う舞台が挿入されていること。
この舞台で、冒頭、貢の許嫁榊に言い寄りながら登場するにやけた正太夫の鴈治郎のコミカルタッチ万点のズッコケた演技が秀逸である。
この鴈治郎は、大詰め古市油屋の場では、真面目で忠実な料理人喜助を演じていて、変わり身が早い。
さて、この歌舞伎で最もポピュラーな「古市油屋店先の場」は、
名刀青江下坂を叔母から受け取った貢は、これを一刻も早く、伊勢古市の遊廓「油屋」で万次郎に渡そうとやって来るのだが、あいにく留守で、待つことにして、馴染みにしている遊女お紺に会いたいと仲居の万野に言うのだが、意地の悪い万野は「お紺はいない」と嘘をついて会わせず、「代わり妓」を強要する。
仕方なく同意して出て来たのが貢に岡惚れのブスお鹿(松江)で、つれなくする貢に、鹿は「恋文をやり取りして金も用立てたのに」と泣きつくのだが、全く身に覚えがない貢は困惑。総て万野の仕業で、手紙は偽物で金は万野が着服したのだが、シラを切り通され反証も出来ずに、貢が地団太を踏む。
そこへ、お紺が北六たちと入ってきて、北六たち皆が貢をののしり、お紺までもが貢に愛想づかしをし、満座の前で恥をかかされた貢は、堪忍袋の緒が切れて、喜助から刀を受け取て出て行く。
後に残ったお紺は、北六を安心させて、青江下坂の折紙を手に入れる。
前回、文楽の項で書いたので、蛇足は避けるが、
威勢の良いお紺の啖呵は、惚れた貢のために折紙を奪うための愛想づかしだったのだが、この歌舞伎では、刀を間違えて持って出たと思って油屋に帰って来た貢に、お紺が、二階から折紙をほり投げて渡した瞬間に、「有難や」で終わってしまう。
籠釣瓶の八ッ橋とは、大違いで、満座の前で愛想づかしをされ徹底的に赤恥をかかされた貢の簡単に変わる気持ちが分からないのだが、いずれにしろ、この歌舞伎は、あっちこっちで、あまりにも出来過ぎたストーリー展開やシーンが多いので、屁理屈を言わずに、すんなりと納得すれば良いのであろう。
歌舞伎の舞台では、「代わり妓」として登場したお鹿の活躍が面白く、アクの強い立役が演じても様になる役柄でもあろうが、新境地の展開か、松江の熱演が見ものである。
梅玉は、颯爽として風格のある貢を演じていて秀逸で、特に、舞うように流れるように立ち回る最後の殺戮シーンが良かった。
魁春の万野は、徹頭徹尾、冷たくてユーモアも色気も何もない無色透明な冷徹一途に徹したような演技が流石で、前に観た玉三郎や福助の性の悪さや意地悪さなど娑婆っ気が前面に出た芝居とは違った味があって興味深かった。
壱太郎の、あの何とも言えない女らしさ、匂うような遊女の色気と粋、それに、あ長台詞のキレのある啖呵が素晴らしい。
高麗蔵の萬次郎、何時も、風格のある女形で楽しませて貰っているのだが、優男の遊び人も堂に入っていて良かった。
非常に意欲的で素晴らしい舞台であったが、残念ながら、かなりの空席があった。
ミドリ公演が大半の歌舞伎座にくらべて、国立劇場歌舞伎の良さは、通し狂言の上演で、私など、ストーリーを追いながらの観劇志向なので、この方が有難い。
阿波の国の家老の倅・今田万次郎(高麗蔵)が、君命を受けて名刀「青江下坂」を手に入れるのだが、謀反の企てに加担する徳島岩次(由次郎)一味に、刀の折紙(鑑定書)と共に盗み取られて、実家が今田家の家来筋である伊勢の御師・福岡孫太夫(友右衛門)の養子である福岡貢(梅玉)が、取り返す。と言う話である。
この芝居は、伊勢古市の遊女屋・油屋での殺傷事件に想を得ているので、貢と油屋遊女・お紺(壱太郎)との恋を絡ませて、貢が、岩次一味で嫌がらせをする仲居万野(魁春)を誤って切り殺し、名刀の妖気に導かれて錯乱状態になって、岩次など手当たり次第に殺戮すると言う油屋での凄惨なシーンが見せ場となって、取り入れられている。
冒頭は、伊勢内宮と外宮を結ぶ参道の相の山で、遊興費捻出のために名刀を質入れした万次郎が、更に、岩次一味から、折紙まで騙し取られると言うシーンからの波乱含みの展開で、
その後、折紙を騙し取られたと知った奴の林平(亀鶴)が、お家乗っ取りを企む藩主の弟蓮葉大学から岩次に宛てた密書を持つ杉山大蔵と桑原丈四郎を夜道を追い駆けて、密書の一部を奪い取り、更に、万次郎を連れて二見ケ浦に来た貢は、逃げてきた二人に闇の中で出会い、密書の残り半分を奪い取り、宛名と差出人、そして、密の悪事の全容がわかる。
この闇夜のだんまりの演技が延々と続くのだが、貢は、密書を奪ったものの闇夜で読めない。
二見ケ浦に朝日が昇って、貢の「うれしや日の出」のシーンで、一気に変わる舞台展開がワザとらしくて面白い。
もう一つ面白いのは、取って付けたような第二幕の「御師福岡孫太夫内太々講の場」で、御師の福岡孫太夫宅で、弟の彦太夫(錦吾)が太々神楽をあげていて、甥の正太夫(鴈治郎)に、太々講の積立金100両を盗ませて、その罪を貢に負わせようとするのだが、訪ねてきた叔母のおみね(東蔵)の機知で、悪事がバレルと言う舞台が挿入されていること。
この舞台で、冒頭、貢の許嫁榊に言い寄りながら登場するにやけた正太夫の鴈治郎のコミカルタッチ万点のズッコケた演技が秀逸である。
この鴈治郎は、大詰め古市油屋の場では、真面目で忠実な料理人喜助を演じていて、変わり身が早い。
さて、この歌舞伎で最もポピュラーな「古市油屋店先の場」は、
名刀青江下坂を叔母から受け取った貢は、これを一刻も早く、伊勢古市の遊廓「油屋」で万次郎に渡そうとやって来るのだが、あいにく留守で、待つことにして、馴染みにしている遊女お紺に会いたいと仲居の万野に言うのだが、意地の悪い万野は「お紺はいない」と嘘をついて会わせず、「代わり妓」を強要する。
仕方なく同意して出て来たのが貢に岡惚れのブスお鹿(松江)で、つれなくする貢に、鹿は「恋文をやり取りして金も用立てたのに」と泣きつくのだが、全く身に覚えがない貢は困惑。総て万野の仕業で、手紙は偽物で金は万野が着服したのだが、シラを切り通され反証も出来ずに、貢が地団太を踏む。
そこへ、お紺が北六たちと入ってきて、北六たち皆が貢をののしり、お紺までもが貢に愛想づかしをし、満座の前で恥をかかされた貢は、堪忍袋の緒が切れて、喜助から刀を受け取て出て行く。
後に残ったお紺は、北六を安心させて、青江下坂の折紙を手に入れる。
前回、文楽の項で書いたので、蛇足は避けるが、
威勢の良いお紺の啖呵は、惚れた貢のために折紙を奪うための愛想づかしだったのだが、この歌舞伎では、刀を間違えて持って出たと思って油屋に帰って来た貢に、お紺が、二階から折紙をほり投げて渡した瞬間に、「有難や」で終わってしまう。
籠釣瓶の八ッ橋とは、大違いで、満座の前で愛想づかしをされ徹底的に赤恥をかかされた貢の簡単に変わる気持ちが分からないのだが、いずれにしろ、この歌舞伎は、あっちこっちで、あまりにも出来過ぎたストーリー展開やシーンが多いので、屁理屈を言わずに、すんなりと納得すれば良いのであろう。
歌舞伎の舞台では、「代わり妓」として登場したお鹿の活躍が面白く、アクの強い立役が演じても様になる役柄でもあろうが、新境地の展開か、松江の熱演が見ものである。
梅玉は、颯爽として風格のある貢を演じていて秀逸で、特に、舞うように流れるように立ち回る最後の殺戮シーンが良かった。
魁春の万野は、徹頭徹尾、冷たくてユーモアも色気も何もない無色透明な冷徹一途に徹したような演技が流石で、前に観た玉三郎や福助の性の悪さや意地悪さなど娑婆っ気が前面に出た芝居とは違った味があって興味深かった。
壱太郎の、あの何とも言えない女らしさ、匂うような遊女の色気と粋、それに、あ長台詞のキレのある啖呵が素晴らしい。
高麗蔵の萬次郎、何時も、風格のある女形で楽しませて貰っているのだが、優男の遊び人も堂に入っていて良かった。
非常に意欲的で素晴らしい舞台であったが、残念ながら、かなりの空席があった。