熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

スローライフの勧め・・・まず、スローフードから

2006年04月27日 | 生活随想・趣味
   岩波新書が1000点を突破したとかで、少し装丁や中身など取っ付き易くなった感じがする。
   その一冊、筑紫哲也が「スローライフ――緩急自在のすすめ」と言う本を出したので読んでみた。
   スローフードからスローな旅、子供の遊び空間、映画、自由の森大学、スローウエアと着物、森と木の生活等々広範囲の分野に亘ってスローライフに対する薀蓄を傾けて、現在の文明社会と人間の幸せとは何かに鋭いメスを入れていて面白い。
   日本橋のターリーズ・コーヒー店で、若者に混じって読んでいたが、ここはファストかスローかどちらであろうか。

   スローフード運動がイタリアで起こり、アメリカ発のマクドナルド等のファストフードに対抗した食文化運動が世界的な広がりを見せているが、この運動の文化文明生活全体を糾合したような運動がスローライフの趣旨である。

   マクドナルドだが、フランスでは農民達の焼き討ちにあい、イタリアでは抵抗があって一号店が中々開店できなかった等食文化の豊かな国では進出に中々苦戦した。
   しかし、一昨年イタリアに出かけた時に、あんなに抵抗があったにも拘らず、あっちこっちでマクドナルドの店が健在であるのを見て、イタリアでも食のアメリカナイゼーションが止められなかったのかと感慨深かった。

   あの有名なイタリアの古都で聖フランチェスコの聖地であるアッシジの駅前にもひっそりとしたマクドナルドの店があった。
   若いタクシーの運転手が、店の横を走った時に、「何故あんなものが良いのか分からない。私は嫌いなのだが甥がおまけが欲しくてマクドナルドに連れて行けと言うので困っている」と言っていた。
 
   一番ビックリしたのは、ミラノの最高の目抜き通りであるドォーモのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガレリアのまんまん中に大きなマクドナルドの店があったことである。
   ロメオとジュリエットで有名なヴェローナの私が宿泊していたホテルの横にもあったし、ボローニアの駅のプラットフォームにもあった。オペラを楽しみに観光客が沢山来る。

   もっとも他の国と比べて店の数は至って少ないし、あるのは観光客が多い所ばかり。あれだけ、アメリカ人の観光客が多ければ、そして、世界のイタリアである以上、マクドナルドがなければやって行けない事も事実であろう。
   良かれ悪しかれ、アメリカのファストフード文化、そして、そのソフトパワーは世界に伝播して地元の文化も生活も巻き込んでしまう。

   良く考えてみれば、江戸前の寿司は手の込んだ関西の寿司と違ってファストフードだし、蕎麦もそうかも知れない。新興の江戸文化が上方の伝統文化を駆逐して行ったとは言えないであろうか。
   世界に冠たるフランス料理も、言うならばイタリアからアルプスを越えて農産物の豊かなフランスで華が開いた。
   メディチ家のお姫様がフランス王にお輿入れした時にフォークを持って行かなかったら、ずっと後まで手掴みで食べていたかも知れないし、外交官がロシアで保温して提供される暖かい料理を経験しなければ冷えた料理を続けていたであろうし、日本料理に接しなければヌーベルクイジーンも生まれなかったかも知れない。
   そして、このフランス料理も歴史はほんの数百年、スープにパンくずを入れれ木の実を拾って食べていたのはそんなに古い話ではない。

   海外で仕事をしていた時には、円の威力にモノを言わせて世界の美味しいものを食べ歩き、ヨーロッパでは多くのミシュランの三ツ星を筆頭に歩き回った。
   食べるのは好きだが、特に食に執着する訳ではなく、何処で何を食べて何が美味しかったかさえ憶えていないほどだから、食については語る資格はないが、食は文化であり、素晴しい食事は、その背後にある限りなく貴重な人間の叡智と文化と歴史が昇華された形で体現されていることは分かる気がする。

   バブルの頃、赤坂の料亭へイギリス人の客を迎えて食事をした時、その夫妻がマツタケを半分に切った吸い物を幾らするのかと聞いたら1万円だと答えが帰って来た。
   当時の換算で50ポンドなので、彼らは、「ロンドンでは、最高のフランス料理を十分食べられる。」と言って複雑な顔をしていた。
   バブルが異常だったのか、或いは、丹波の特別なマツタケを厳選したこと、赤坂の超一流の料亭の暖簾代なのか。
   私の言いたい論点は、
世界の一流レストランの幾ら高い料理でも、日本の高級レストランや料亭ほど決して高くないと言うこともだが、
今糾弾されているファストフードの問題点は、安かろう悪かろうのコストを切り詰めた、そして、人間の身体には好ましくないケースがある場合が多いからであって、日本のスシが象徴するように、幾らでも豊かな食文化を体現して素晴しいファストフード文化を生み出せると言うことである。

   養老先生が言っていたが、今の人間よりは、縄文や弥生時代の人々の方が多くの種類の食べ物を食べていたらしい。
   レストランは料理だけではなく店のインテリアや雰囲気、そのサービス、色々なものが総合されて人々を持て成してくれる。
   ヨーロッパのミシュランの星レストランも田舎にあることが結構多いのだが、日本の高級料亭や旅館のようなセッティングはないが、その雰囲気が素晴しくて至福の時間を過ごすことが出来ることがある。
   日本の地方に行けば、同じ様な全国チエーンのファストフード店の店があって味気なく、中々、安くて地方料理を楽しめるころあいのレストランが見つからない。
   峠の茶屋のような雰囲気で良い、おばあちゃんやおふくろの味、地方の香りがする料理を頂けるスローフードの店があれば有難いと思うことがある。

   

   
   
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1 コメント

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ちょっと立ち寄らせていただきました (hanahhana1952)
2006-04-27 11:06:35
始めまして、スローライフって言葉が良く使われるようになりましたね。ロハスという言葉も最近良く使われますね。解釈も色々ですね。私は、スローは、「本質的な」と思っています。スローライフとスローワーク、ここ数年そのように思えています。本質をじっくり見て仕事も生活も送りたいですね
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