今日の日経夕刊に、「郵便料金、値上げの理由は?」と言う記事が出ていた。
私が興味を持ったのは、郵便料金値上げのことではなく、「もっと教えて」というコラムの藤本勝治先生の「多様な通信手段あってこそ」の中の「郵便的不安」という言葉である。自分のメッセージが本当に相手に届くのか、と言う感覚を、哲学的にそう呼ぶのだという。言い換えれば、自分の出した郵便物が相手に届くのかどうかと言うことであろうか。
強烈な記憶に残っているのは、着くか着かないかの不安ではなく、幸いにも着いたという思い出と、着かなかったという思い出である。
まず、幸いにも着いて助かったという思い出だが、
遺産相続についての委任状と戸籍謄本とを、多忙を極めていてヨーロッパへの赴任時に、成田空港でポストに入れるのを忘れてしまって、アムステルダム行きの飛行機に乗ってしまったのである。
当時は、中継地ソ連のモスクワに一時停止するので、空港の郵便局で投函することにした。
書留便で出したのか、どんな形態で出したかなど全く記憶はないのだが、ソ連の郵便事情など全く知らずに、日本の郵便と同じだと思って何の疑いもなく、投函した。
戸籍謄本は、祖母の戸籍謄本で、この謄本を取った直後に逝去したので、いわば事前に用意した書類に関しては、大切な必要書類だったのである。
私も、ヨーロッパ赴任なのですぐに帰れないし、日本で改めて処理できないので、無事にソ連から郵便が届いて非常に助かった。
帰任時には、ロシアを経由して帰ろうと思ったのだが、ソ連の崩壊とロシア経済の崩壊寸前の治安の悪化で危険極まりなくて断念したのだが、良く考えてみれば、昨今の事情を考えれば、ソ連の社会情勢や郵便事情を信用して良かったのかどうか、
とにかく、慌てていたのでモスクワで投函したが、アムステルダムに着いてから出せば良かったのである。
つぎに、郵便を出して届かなかった例だが、フランスとブラジルでの経験である。
いずれも、深刻な経験ではないが、宿泊ホテルのフロントの切手代着服の問題である。
フランスの香水の都グラースでのことである。
カンヌやニースに近い南仏のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールの美しい街、ラベンダーが一面に広がる畑が印象的で街を歩くと香しい香水の香りが漂う。
ところで、香水の都であるから絵はがきも凝っていて、ラベンダーをあしらったり香水を使ったりした魅力的なものがあったので、何通か知人友人に送ることにした。
普通は、切手収集も兼ねて、郵便局を見つけて投函するのだが、時間がなかったので、フロントに切手代プラスかなりのチップを渡して投函を依頼した。
日本に帰った時に尋ねたら、1通も届いていないことが分かった。
フランスでは他のところからも郵便を出して届いているので、このグラースの高級ホテルでは、フロントが私の絵はがきを出さずに廃却をしたとしか思えないのである。
もう一つ、同じことが、ブラジルのサンパウロで起こった。
ブラジル赴任時には、事務所や住宅の手配が整うまでは、ホテルを借り切って代用し、特に、宿舎を用意するのに時間がかかったので、ホテルでの滞在が長くなった。
社用の郵便物は郵便局で処理したが、個人的な手紙などは、気軽に、フロントに依頼して処理していた。
ところが、ある日に、日本とのコンタクトがあって聞いてみたら、郵便物が届いていないことが分かった。大切な手紙もあって随分礼を失して困ったことにもなった。
用心して、書留にした私のその手紙だけは届いていたが、同僚の郵便物も全然届いていなかったのである。
フロントやマネージャーに問いただしたが知らぬ存ぜずで埓が開かず、こんな国でこれから仕事をせねばならないかと、腹をくくった。
ラテン系には、仕事では、カルチュア・ショックの連続であった。
念のため、ブラジルについてお知りになりたければ、私のブログの左欄カテゴリーの「BRIC’sの大国:ブラジル」の23篇をお読み頂ければ良く分かります。
私が興味を持ったのは、郵便料金値上げのことではなく、「もっと教えて」というコラムの藤本勝治先生の「多様な通信手段あってこそ」の中の「郵便的不安」という言葉である。自分のメッセージが本当に相手に届くのか、と言う感覚を、哲学的にそう呼ぶのだという。言い換えれば、自分の出した郵便物が相手に届くのかどうかと言うことであろうか。
強烈な記憶に残っているのは、着くか着かないかの不安ではなく、幸いにも着いたという思い出と、着かなかったという思い出である。
まず、幸いにも着いて助かったという思い出だが、
遺産相続についての委任状と戸籍謄本とを、多忙を極めていてヨーロッパへの赴任時に、成田空港でポストに入れるのを忘れてしまって、アムステルダム行きの飛行機に乗ってしまったのである。
当時は、中継地ソ連のモスクワに一時停止するので、空港の郵便局で投函することにした。
書留便で出したのか、どんな形態で出したかなど全く記憶はないのだが、ソ連の郵便事情など全く知らずに、日本の郵便と同じだと思って何の疑いもなく、投函した。
戸籍謄本は、祖母の戸籍謄本で、この謄本を取った直後に逝去したので、いわば事前に用意した書類に関しては、大切な必要書類だったのである。
私も、ヨーロッパ赴任なのですぐに帰れないし、日本で改めて処理できないので、無事にソ連から郵便が届いて非常に助かった。
帰任時には、ロシアを経由して帰ろうと思ったのだが、ソ連の崩壊とロシア経済の崩壊寸前の治安の悪化で危険極まりなくて断念したのだが、良く考えてみれば、昨今の事情を考えれば、ソ連の社会情勢や郵便事情を信用して良かったのかどうか、
とにかく、慌てていたのでモスクワで投函したが、アムステルダムに着いてから出せば良かったのである。
つぎに、郵便を出して届かなかった例だが、フランスとブラジルでの経験である。
いずれも、深刻な経験ではないが、宿泊ホテルのフロントの切手代着服の問題である。
フランスの香水の都グラースでのことである。
カンヌやニースに近い南仏のプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュールの美しい街、ラベンダーが一面に広がる畑が印象的で街を歩くと香しい香水の香りが漂う。
ところで、香水の都であるから絵はがきも凝っていて、ラベンダーをあしらったり香水を使ったりした魅力的なものがあったので、何通か知人友人に送ることにした。
普通は、切手収集も兼ねて、郵便局を見つけて投函するのだが、時間がなかったので、フロントに切手代プラスかなりのチップを渡して投函を依頼した。
日本に帰った時に尋ねたら、1通も届いていないことが分かった。
フランスでは他のところからも郵便を出して届いているので、このグラースの高級ホテルでは、フロントが私の絵はがきを出さずに廃却をしたとしか思えないのである。
もう一つ、同じことが、ブラジルのサンパウロで起こった。
ブラジル赴任時には、事務所や住宅の手配が整うまでは、ホテルを借り切って代用し、特に、宿舎を用意するのに時間がかかったので、ホテルでの滞在が長くなった。
社用の郵便物は郵便局で処理したが、個人的な手紙などは、気軽に、フロントに依頼して処理していた。
ところが、ある日に、日本とのコンタクトがあって聞いてみたら、郵便物が届いていないことが分かった。大切な手紙もあって随分礼を失して困ったことにもなった。
用心して、書留にした私のその手紙だけは届いていたが、同僚の郵便物も全然届いていなかったのである。
フロントやマネージャーに問いただしたが知らぬ存ぜずで埓が開かず、こんな国でこれから仕事をせねばならないかと、腹をくくった。
ラテン系には、仕事では、カルチュア・ショックの連続であった。
念のため、ブラジルについてお知りになりたければ、私のブログの左欄カテゴリーの「BRIC’sの大国:ブラジル」の23篇をお読み頂ければ良く分かります。