熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場11月歌舞伎公演 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”

2022年11月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の11月歌舞伎公演は、 “歌舞伎&落語 コラボ忠臣蔵”
   次のような演目で、面白いと思って久しぶりに国立劇場に出かけた。
   歌舞伎座で、團十郎の襲名披露公演が掛かっている所為もあってか、劇場はガラガラ。

   落語 春風亭小朝の、一、殿中でござる と  二、中村仲蔵
   歌舞伎  仮名手本忠臣蔵
      五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
         同   二つ玉の場
     六段目 与市兵衛内勘平腹切の場

   さて、「コラボ忠臣蔵」と言うことだが、この落語と歌舞伎で共通項のあるのは、中村仲蔵だけであるが、これが興味深い。
   私は、歌舞伎では何回も中村仲蔵案出の斧定九郞を観ており、文楽でも聴いて観て、そして、中村仲蔵は、落語でも聴いており、講談だけは縁がないが、神田伯山のビデオを観てこのブログで感想を書いている。
   それに、先日、NHK BS4Kで、中村勘九郎の「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」を観ており、それぞれに、バリエーションはあるが、話の筋は良く分かっている。
   歌舞伎の名門の血筋ではない役者が、己の才覚のみで出世していく下克上の物語である。
   中村仲蔵は、團十郎の贔屓で名題にまで出世するが、これが面白くなかった座付き作者の金井三笑が、嫌がらせに、仲蔵に、五段目・山崎街道の斧定九郞、ただ一役を振り当てて、台詞もただの一言「五十両」だけ。五段目は「弁当幕」と言って、客は芝居を観ていないし、汚らしい斧定九郞など眼中にはない。
   腐った仲蔵に、女房のお岸が、「客をあっといわせるような、これまでになかった定九郎を演じては」と発破を掛ける。
   着付けが悪いのは分かっても名案が浮かばない。
   柳島の妙見様に日参した帰り道、急に大粒の雨が降り出し、近くの蕎麦屋に駆け込む。そこへ歳の頃なら32、3歳の浪人風の粋な格好の武士が飛び込んできた。色は白い痩せ型の男で、着物は黒羽二重で尻をはしょっていて、朱鞘の大小落とし差しに茶博多の帯で、その帯には福草履を挟んでいる。破れた蛇の目傘を半開きにして入って来て、傘をすぼませてさっと水を切ってポーンと放りだし、伸びた月代を抑えて垂れた滴を拭うと、濡れた着物の袖を絞って、蕎麦を注文。
   この光景を見て感激した仲蔵が、趣向を考えて新しい斧定九郞像を作り上げて、大成功を収めて座頭にまで出世する。

   この中村仲蔵が考案した小野定九郞像が、歌舞伎の定番となって、今日の舞台に踏襲されていて、名優が演じる。
   今回の歌舞伎では、この斧定九郞を、重鎮中村歌六が演じていたが、実に絵になる素晴らしい舞台であった。

   蛇足ながら、歌舞伎の舞台では、
   中村仲蔵の脚色で、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えの定九郎が、与市兵衛が、稲掛けの前にしゃがみこんだところを、突如二本の手を伸ばして、与市兵衛を引き込んで、与市兵衛を刺し殺して財布を奪う。財布の中身を探って、「50両!」。
   イノシシに向かって勘平が撃った二つ玉に当たって、死んでしまい、勘平に財布を持ち去られる。
   ところが、文楽では、オリジナルの浄瑠璃を踏襲していて、
   老人が夜道を急ぐ後を定九郎が追いかけて来て呼び止めて、「こなたの懐に金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。貸してくだされ」と老人に迫って、懐から無理やり財布を引き出す。
   老人は、抵抗して抗いながら、これは、自分の娘の婿のために要る大切な金であるから許してくれと、必死になって哀願するが、親の悪家老九太夫でさえ勘当したと言う札付きの悪人定九郎であるから、理屈の通らない御託を並べて、問答無用と、無残にも切り殺す。
   NHKのビデオでは、三笑がこの舞台をバッサリと切ってしまって、勘九郎の仲蔵の出番を、二本の手を伸ばして財布に手を掛けるところからにしてしまう。

   春風亭小朝の落語は、やはり、こじんまりした寄席で聴いてこそで、大きな大劇場では、全く無理。
   「殿中でござる」は、忠臣蔵総論だが、浅野内匠頭を思慮を欠いた殿にして吉良上野介のどこが悪い!と言った雰囲気の話をしていた感じであった。
   別に赤穗贔屓というわけではないが、元兵庫県人としては、あまり面白くない。
   しかし、小朝の話では、最近では、「忠臣蔵」を読めない若者が多くいて、人気がなくなっていると言う。客入りが悪ければ、オペラなら「カルメン」、芝居なら「忠臣蔵」を上演すれば大入り満員と言われていた時代は、遙か昔。
   落語の「中村仲蔵」は、講談の話と筋は殆ど同じなので、メリハリの効いた小朝の名調子が心地よい。
   後で国立演芸場の上方落語で、ナラティブ崩れの新作落語を聴いたが、やはり、このようなストーリーがしっかりとした落語の方が、はるかに好ましいと思っている。

   さて、歌舞伎の方だが、大仰なオーバーアクションの芝翫の勘平には一寸違和感を感じたが、これまで観た勘平像とは違った意欲的な舞台が新鮮であった。
   久しぶりに観た市川笑也の女房おかる、猿之助一座の花形女形の面目躍如で、瑞々しくて色香を感じさせるしっとりとした舞台に脱帽、
   母おかやの中村梅花はじめ、歌六、萬次郎、歌昇、松江など脇を固めた名優達が舞台を盛り上げていて楽しませてくれた。
   翁家社中の太神楽が、一服の清涼剤。
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