熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秀山祭九月大歌舞伎・・・夜の部・又五郎・歌昇襲名披露公演

2011年09月04日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人間国宝になった吉右衛門一座の秀山祭に加えて、今回は、歌昇が又五郎を、種太郎が歌昇を、夫々が襲名する披露公演であり、何となく、会場も華やかな雰囲気であった。
   歌舞伎美人には、初日の披露公演口上の模様が掲載されているのだが、2日目では、芝翫が病気休演で、代りに座頭として吉右衛門が、皮きりの挨拶を行い、慣れていないものでと微苦笑を浮かべながら、とちりとちり、3代目を4代目に間違ったり愛嬌のあるところを見せて会場を喜ばせていた。
   披露口上に登場する役者たちが、重鎮の藤十郎など老練なベテランが少なくなって、若返って来た所為か、差して興味深い逸話を紹介するでもなく、通り一辺倒の面白くもおかしくもない口上ばかりで、華やかさにも欠いていたのが残念であった。
   この点では、サービス精神旺盛と言うか、幾分文楽の方が、話題豊かで、面白かったような気がする。

   私が最初に見た冒頭の「沓手鳥孤城落月」は、晩年の歌右衛門が、淀君を演じていた。
   荒々しい木組みの露出した大坂城の天守一角に、侍女たちに囲まれて蹲る高貴な貴人が淀君の歌右衛門で、長い間劇中に登場しないのだが、ピーンと張りつめた緊張した雰囲気は流石であり、この場面だけで芝居の雰囲気が一気に露呈するほどの迫力。
   しかし、やはり、芸の衰えは隠し難く、抑えに抑えた演技で、それでも、家来の氏家内膳にしなだれかかる不気味な鬼気迫るような色香は流石であり、何故か、強烈に印象に残っている。
   「沓手鳥孤城落月」の休演した芝翫の淀君は、当然、代役は、子息の福助で、中々、パンチの利いた意欲的な舞台で、顔かたち芝居の運び方も、日頃の福助ではなくて、芝翫ばりの、立女形の風格を備えた素晴らしい演技であった。
   しかし、動きや表現がセーブされていた歌右衛門と違って、その意味では、脂の乗り切った絶頂期にある福助の淀君の方が、精神性は兎も角、一挙手一投足の動きから、正気と錯乱状態が錯綜する心の動きをビビッドに表現していて、分かり易いところが、現代的かも知れない。

   この歌舞伎は、1615年の大坂の役で徳川勢に完敗し、大坂城落城で秀頼と共に自害する直前の舞台で、内通者を使った家康の計らいで、千姫(芝雀)が城を脱出したことで錯乱状態に陥った淀君や秀頼が、豊臣の為と降伏を進める大野修理之亮(梅玉)の言に呻吟しながらも、家来氏家内膳(吉右衛門)に色目を使うなど正気を失ってしまった淀君に耐え切れず、秀頼(又五郎)が淀に刃を向けると言った修羅場を頂点に、豊臣の最後の足掻きを描いている舞台で、特に、狂気の淀君の錯乱がいやがうえにも豊臣の悲劇を増幅している。
   この時、淀君は45歳であるから、当時としては、最高権力に上り詰めた押しも押されもしない最高の女性であり、信長の血を引き、天下人として栄誉栄華を極めた秀吉の側室であるから、淀君役者は、同じ錯乱振りでも、威厳と風格、それに、優雅の極みを演じ切らなければサマにならないので非常に難しい。

   福助には、威厳と激しさ力強さはあったが、優雅などこか浮世離れした雅心が欠けていたような気がしたが、あの場合に、これを期待するのは無理であろうか。
   しかし、安土桃山文化の爛熟した美しさと雅の文化は、あの大坂城天守閣の落城と共に消えてしまったのであり、正に、秀頼淀の自害は、白鳥の歌であった筈なのである。
   秀頼を演じた又五郎だが、このように真に迫った心理劇の表現は実に上手く、それに、凛々しさが実に清々しいが、若干22歳の秀頼を演じるには、やはり、無理があった。
   
   口上の後の「車引」は、華やかな芝居で、この夜の部では、襲名披露の又五郎と歌昇が揃い踏みで登場する舞台であった。
   梅王丸に又五郎、松王丸に吉右衛門、桜丸に藤十郎、杉王丸に歌昇、それに、藤原時平に歌六と言う錚々たる面々の舞台で、衣装の華やかさや見得の連続等祝祭気分満喫の雰囲気で面白かった。
   朗々とした又五郎の大音声など非常に印象的な舞台であったが、腰か足を痛めたのであろうか、花道へのダッシュから本舞台での演技など黒衣のサポートを受けながらの熱演が一寸気になったのだが、一世一代の襲名披露の大舞台であるから、どうか大事に至らないように、成功を心から祈りたいと思っている。
   歌昇の杉王丸だが、若さ溌剌を地で行ったようなパンチの利いた素晴らしい舞台で、今後が楽しみである。
   菅原伝授手習鑑の中では、殆ど筋の面白さのない単純な舞台の筈だが、三人兄弟の特徴が良く出た芝居で、夫々、名のある名優が演じる舞台が魅せてくれる。

   最後の「石川五右衛門」は、前には、吉右衛門が五右衛門、染五郎が久吉だったが、今回は、染五郎が五右衛門で、松緑が久吉を演じていて、やはり、若い二人の共演になって、雰囲気が一気に変わった感じである。
   公家の呉羽中納言(桂三)に化けて勅使として足利義輝の別荘に乗り込んだ五右衛門が、供応役の小田春永の名代として現れた此下久吉に迎えられるのだが、二人は、元々、三河の犀ヶ嶽で奉公した時の朋輩と言う設定が面白い。
   一説には、五右衛門一族が秀吉の家来に攻められて没落したので秀吉を恨んでいたと言う話が残っているが、二人に接点はない。
   片や大大名、片や天下を騒がす大泥棒と言う素性を、大広間で頬杖を突きながら打ち解けて話し合うところなどはご愛嬌だが、育ての親を葛籠に入れて五右衛門に売りつける久吉、葛籠を背負って立った五右衛門が、花道すっぽんから宙乗りでつづら抜けして花道上空を上下して消えて行く。
   よく考えれば、いや、考えなくても、辻褄の合わない話をでっち上げた五右衛門と秀吉の話だが、最後は、あの南禅寺の山門のど真ん中にどっかと座った五右衛門が、せりあがった山門下に立つ久吉と対面して「天地の見得」を切って終わるのだが、とにかく、大泥棒を庶民の英雄(?)に仕立てた金爛褞袍に大百日鬘という異様な姿が五右衛門のトレードマークとか。
   「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」辞世の句が、朱塗りの柱に大書されているのだが、実際に釜茹でされたのはずっと後、とにかく、見せる舞台のためには、奇想天外な発想が次々と生まれるのが歌舞伎の面白さであろう
   実際には、この山門は、五右衛門が死んでから出来たようだし、山門に立っても、絶景かな絶景かなの京都の街は見えない。

   蛇足だが、元々、精神性も何もない芝居で、芸が魅せてくれるのであるから、丁度、若手花形役者の染五郎と松緑の相性とバランスが良く、バイタリティとスピード感とメリハリの利いたテンポの心地よい舞台が良かった。
   それに、前回もそうだったが、桂三の呉羽大納言の何とも言えない程雰囲気の良く出た演技は秀逸であった。
   
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