熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

私のアメリカ

2007年03月26日 | 政治・経済・社会
   アメリカ史の権威猿谷要先生の岩波新書「アメリカよ、美しく年をとれ」を読んで、久しぶりにアメリカ生活が懐かしくなった。
   私が、アメリカで生活したのは、1972年から1974年の2年間ウォートン・スクールで学んでいた時だが、丁度ニクソン大統領がキシンジャーを派遣して中国に渡りをつけ毛沢東と会い、ヴェトナムからの撤退するなど極めて重要な歴史的エポックメイキングな時期だったが、ウォーターゲート事件で墓穴を掘って退陣を余儀なくせざるを得なかった時期でもあった。

   それに、丁度第一次石油危機の時代でもあり、あの強大な経済大国が、石油不足で翻弄されていた頃でもあったが、フィラデルフィアからニューヨークまで車で行くのに1ドルずつしかガソリンをスタンドでは買えなかったので、長い列のガソリンスタンドを梯子しなければならなかった。
   仕方がないので、列車アムトラックで移動したのだが、経営危機に陥っていた鉄道会社の業績が一挙に回復した。
   丁度この頃、日本ではトイレットペーパーが市場からなくなったと聞いていたが、そんな経験はアメリカではなかった。

   後に、ヨーロッパ生活をした頃には、ロンドンがビックバンに沸き、ベルリンの壁が崩れてソ連が崩壊し冷戦が終結した時期でもあったのと同様に、私にとっては、世界歴史の貴重な節目の経験を外国でしたために、国際情勢についての歴史的な激動と変化を身近に強烈に感じることが出来て幸せであった。

   あの頃、ニューヨークを筆頭に治安が悪かった。
   アメリカの大企業が本社をニューヨークから地方に移していて空洞化していたし、夜に繁華街を自由に歩けなかった。
   私が住んでいたペンシルバニア大学のキャンパスは、少し繁華街から離れていたが、構内の地下鉄駅で女学生が被害にあったり、数ブロック先の銀行にピストル強盗が入って、日中、TVで実況放送をしていることもあった。

   私は、時々ニューヨークやボストンやワシントンには出かけたが、まだ、田舎は平穏で、プリンストン大学など治安が良かったし、それに、郊外に住んでいた友人などの自宅は施錠しなくても大丈夫で、治安については地方差が大きかった。
   余裕はなかったが、休暇を利用して、アメリカの中を移動した。
   友人と、セントルイスまで飛行機で飛んで、そこから車で、メサベルデ国立公園やロッキー山脈を越えて、西部劇で良く出てくるモニュメントバレーや三州合流点を経てグランドキャニオンとラスヴェガスに出た。
   ニューヨークや東部の大都市と違った全く異質な別のアメリカを経験した旅であったが、アメリカの巨大さと底知れぬ実力を垣間見た思いがした。
   友と別れて、私は一人、イエローストーン国立公園に出かけたが、一切の人工的な開発や手をつけることを排除して徹底的に自然を守っていたのにはビックリしてしまった。自然の風景は感動的な美しさであった。

   もう一度アメリカの巨大さを経験したのは、クリスマス休暇に学生達が企画したフロリダ・バス旅行に参加した時であった。
   雪が舞う厳寒のフィラデルフィアを出て数日間旅を続けながらあっちこっちを観光し、フロリダに入ってディズニー・ワールドやフロリダ国立公園を経て最後にマイアミに着くと、人々が浜辺では海水浴をして楽しんでいる。
   一つの国で、南北で冬と夏が同居しているのである。
   フロリダの内海の海岸には、ハリウッド映画で登場するような豪華ヨットが係留された豪邸が延々と続いていた。
   私は、戦前の日本人が、この風景の片鱗でも見て知っておれば、鬼畜英米と言ってバカな戦争などしなかったのにとこの時思った。
   私は、このアメリカの生活を経験してから出来るだけ世界を歩こうと思って随分旅をして来たが、やはり、アメリカでの学生生活の貴重な経験が今でも大きな心の支えになっているような気がしている。


   

   
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