
桂歌丸師匠の圓朝の芝居噺「双蝶々雪の子別れ」を聴いてから、是非、次の圓朝を聴きたくて、豊島公会堂で開催された「圓朝祭初日」を聴きに行った。
国立能楽堂の能が跳ねた後から、北参道から池袋経由で30分の移動など到底無理で、最初の春風亭一之輔の「粗忽の釘」には間に合わず、既に、主人公の亭主が、迷い迷って新居に辿り着いて、妻に言われて箒をかける釘を打つところまで進んでいた。
21人抜きの真打興行を終えた一之輔だが、益々、名調子で、畳み掛けるような威勢の良い話術の冴えは格別である。
意識してかどうかは分からないが、yuotubeで、小さんを聞くと随分テンポが遅くてしっとりと語っているのだが、一之輔の方は、メリハリの利いたリズミカルな話芸で、一気にさげまで突っ走るそのモダンなスピード感が爽やかである。
ところで、この会場の豊島公会堂だが、一昔前のオンボロ・ホールで、何となく、時代錯誤の話が多い落語には似つかわしいのかも知れないが、来月、国立能楽堂で落語をやると言うのを思い出して、面白くなってきた。
終演後、入口ロビーで、太鼓など鳴り物入りで雰囲気を盛り上げていたのが良い。
この日、いくら探してもチケットが見つからず、ぴあで予約してセブンイレブンで発券したのだが再発行は無理で、仕方なく、主催者のジュゲイムスマイルズに電話したら、ぴあのデータを持ってくれば良いと言う。
歳を取ると、かなりの数の観劇コンサートチケットなので、あっちこっちしてしまって、結構、なくして四苦八苦することが多い。
次は、桃月庵白酒の「転宅」で、二号の家に泥棒に入ったまねけな男が、逆に口説かれて夫婦約束までして、夫のものは妻のものと、折角の稼ぎを巻き上げられてしまい、翌日、訪ねてみたら転宅済みと言うどうも締まらない話で、おちが「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられた」。
妾お梅の語り口の上手さなどは抜群で、流石に噺家は上手いと思った。
柳亭市馬の「七段目」は、言わずと知れた『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力の場」を題材にした落語で、歌舞伎気違いの若旦那が平右衛門、丁稚定吉がお軽で稽古を始めるのだが、稽古に身が入って感極まった若旦那が真剣を抜刀してお軽に迫るので、慌てて逃げて階段から転げ落ち、下に居た旦那が、「てっぺんから落ちたか」と聞いたので、「いいえ、七段目。」
昔、クリスチャンになった息子と両親の時代離れしたチグハグの会話を題材にした落語を聴いたことがあるのだが、世界が違えば、話など通じない頓珍漢の世界。そのどうしても相容れない価値観の差を笑い飛ばす落語の世界だが、歌舞伎のように声音まで変えて茶化すと面白さが倍化する。
若旦那が、少しでも歌舞伎を見れば親仁も面白さが分かるのにと、言っていたが、やはり、歌舞伎でも文楽でも、能でも狂言でも、それなりの鑑賞経験と勉強、そして、理解しようと思う真摯な姿勢がなければ、おいそれと楽しめるものではなく、橋下市長が、補助金を切ったとして問題になっている世界文化遺産の文楽についても、たった一回だけ文楽を観て二度と見ないと言うような、リベラル・アーツ、コモンセンスを欠いた為政者を頂いていては、悲しいかな、文化不毛以外の何ものでもない。
もう一つ、圓朝に関係なかった落語は、林家木久扇の「昭和芸能史」で、二頭身の片岡千恵蔵や三頭身の大河内伝次郎など昔懐かしい映画俳優などの声音を真似て、当時の映画や芝居などの芸能史を縦横無尽に語って、実に面白かった。
後に登場した歌丸が、全然似ていないと語っていたが、私なども、少し年代は下がるにしても、映画などでかすかに覚えているので、木久扇の物まねは、実に上手いと思っており、潰れたサイレンなど色々なサウンドを実演していたが、歳とは思えない程の上手さと迫力であった。
圓朝を語ったのは、金原亭馬生の「業平文治」とトリの桂歌丸の真景累ヶ淵から「深見新五郎」で、この世界に入ると、おち云々の落語の世界とは違ってしまって、奥深い語り部の世界である。
業平文治の方は、馬生が言うのには、仁左衛門と海老蔵、それに、横顔は馬生を合わせたようなすっきりした良い男で、町娘をきゃあきゃあ言わせたと言う侠客の話だが、出だしは、何故か、銭湯(当時は混浴)で、商家の番頭が、強請騙りの女房のお尻を触ったと言った下世話な仲裁話から始まるのだが、まずまずの人情噺。
深見新五郎の方は、無役で貧乏旗本の父がカネを借りて返せなくて殺害した按摩宗悦の娘お園に恋焦がれるのだが、虫の知らせか女がなびかないので、物置の藁の上に押し倒して思いを遂げようとしたら、藁で隠れていた押切に切られてお園はこと切れる。もう、店には居られないと100両盗んで逐電してお尋ね者となり、追い詰められて飛び降りたところが、押切の上と言う悲惨な話。
歌舞伎には、文七元結や芝浜の革財布、それに、牡丹燈籠などほかにも、圓朝の噺が舞台で上演されるのだが、この10月には、国立劇場で、三津五郎主演で、歌舞伎「塩原太助一代記」が、舞台にかかる。
圓朝の噺には、江戸の芝居好きに相通じる貴重なものがあるのだろうと思う。
白酒が、大半の落語は、時間のロスだと思うような話ばかりで程度が低いと言って笑わせていたが、どうしてどうして、今回の圓朝祭は、素晴らしい噺家登場の質の高い落語の公演だったので、非常に楽しませて貰った。
国立能楽堂の能が跳ねた後から、北参道から池袋経由で30分の移動など到底無理で、最初の春風亭一之輔の「粗忽の釘」には間に合わず、既に、主人公の亭主が、迷い迷って新居に辿り着いて、妻に言われて箒をかける釘を打つところまで進んでいた。
21人抜きの真打興行を終えた一之輔だが、益々、名調子で、畳み掛けるような威勢の良い話術の冴えは格別である。
意識してかどうかは分からないが、yuotubeで、小さんを聞くと随分テンポが遅くてしっとりと語っているのだが、一之輔の方は、メリハリの利いたリズミカルな話芸で、一気にさげまで突っ走るそのモダンなスピード感が爽やかである。
ところで、この会場の豊島公会堂だが、一昔前のオンボロ・ホールで、何となく、時代錯誤の話が多い落語には似つかわしいのかも知れないが、来月、国立能楽堂で落語をやると言うのを思い出して、面白くなってきた。
終演後、入口ロビーで、太鼓など鳴り物入りで雰囲気を盛り上げていたのが良い。
この日、いくら探してもチケットが見つからず、ぴあで予約してセブンイレブンで発券したのだが再発行は無理で、仕方なく、主催者のジュゲイムスマイルズに電話したら、ぴあのデータを持ってくれば良いと言う。
歳を取ると、かなりの数の観劇コンサートチケットなので、あっちこっちしてしまって、結構、なくして四苦八苦することが多い。
次は、桃月庵白酒の「転宅」で、二号の家に泥棒に入ったまねけな男が、逆に口説かれて夫婦約束までして、夫のものは妻のものと、折角の稼ぎを巻き上げられてしまい、翌日、訪ねてみたら転宅済みと言うどうも締まらない話で、おちが「えっ、引っ越した。義太夫がたりだけに、うまくかたられた」。
妾お梅の語り口の上手さなどは抜群で、流石に噺家は上手いと思った。
柳亭市馬の「七段目」は、言わずと知れた『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力の場」を題材にした落語で、歌舞伎気違いの若旦那が平右衛門、丁稚定吉がお軽で稽古を始めるのだが、稽古に身が入って感極まった若旦那が真剣を抜刀してお軽に迫るので、慌てて逃げて階段から転げ落ち、下に居た旦那が、「てっぺんから落ちたか」と聞いたので、「いいえ、七段目。」
昔、クリスチャンになった息子と両親の時代離れしたチグハグの会話を題材にした落語を聴いたことがあるのだが、世界が違えば、話など通じない頓珍漢の世界。そのどうしても相容れない価値観の差を笑い飛ばす落語の世界だが、歌舞伎のように声音まで変えて茶化すと面白さが倍化する。
若旦那が、少しでも歌舞伎を見れば親仁も面白さが分かるのにと、言っていたが、やはり、歌舞伎でも文楽でも、能でも狂言でも、それなりの鑑賞経験と勉強、そして、理解しようと思う真摯な姿勢がなければ、おいそれと楽しめるものではなく、橋下市長が、補助金を切ったとして問題になっている世界文化遺産の文楽についても、たった一回だけ文楽を観て二度と見ないと言うような、リベラル・アーツ、コモンセンスを欠いた為政者を頂いていては、悲しいかな、文化不毛以外の何ものでもない。
もう一つ、圓朝に関係なかった落語は、林家木久扇の「昭和芸能史」で、二頭身の片岡千恵蔵や三頭身の大河内伝次郎など昔懐かしい映画俳優などの声音を真似て、当時の映画や芝居などの芸能史を縦横無尽に語って、実に面白かった。
後に登場した歌丸が、全然似ていないと語っていたが、私なども、少し年代は下がるにしても、映画などでかすかに覚えているので、木久扇の物まねは、実に上手いと思っており、潰れたサイレンなど色々なサウンドを実演していたが、歳とは思えない程の上手さと迫力であった。
圓朝を語ったのは、金原亭馬生の「業平文治」とトリの桂歌丸の真景累ヶ淵から「深見新五郎」で、この世界に入ると、おち云々の落語の世界とは違ってしまって、奥深い語り部の世界である。
業平文治の方は、馬生が言うのには、仁左衛門と海老蔵、それに、横顔は馬生を合わせたようなすっきりした良い男で、町娘をきゃあきゃあ言わせたと言う侠客の話だが、出だしは、何故か、銭湯(当時は混浴)で、商家の番頭が、強請騙りの女房のお尻を触ったと言った下世話な仲裁話から始まるのだが、まずまずの人情噺。
深見新五郎の方は、無役で貧乏旗本の父がカネを借りて返せなくて殺害した按摩宗悦の娘お園に恋焦がれるのだが、虫の知らせか女がなびかないので、物置の藁の上に押し倒して思いを遂げようとしたら、藁で隠れていた押切に切られてお園はこと切れる。もう、店には居られないと100両盗んで逐電してお尋ね者となり、追い詰められて飛び降りたところが、押切の上と言う悲惨な話。
歌舞伎には、文七元結や芝浜の革財布、それに、牡丹燈籠などほかにも、圓朝の噺が舞台で上演されるのだが、この10月には、国立劇場で、三津五郎主演で、歌舞伎「塩原太助一代記」が、舞台にかかる。
圓朝の噺には、江戸の芝居好きに相通じる貴重なものがあるのだろうと思う。
白酒が、大半の落語は、時間のロスだと思うような話ばかりで程度が低いと言って笑わせていたが、どうしてどうして、今回の圓朝祭は、素晴らしい噺家登場の質の高い落語の公演だったので、非常に楽しませて貰った。