熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月文楽・・・「義経千本桜」勘十郎の源九郎狐宙を舞う

2008年02月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   義経から貰った初音の鼓をしっかりと抱えて、喜び勇んで帰って行く源九郎狐の人形を遣う桐竹勘十郎が、国立劇場の宙に舞う。
   義経達の立つ河連館が舞台に沈んで行き、春爛漫と咲き誇る吉野の桜の背景がどんどんせり上がって行くので天高く登って行くような錯覚を覚える感動的な幕切れが、国立劇場(小)で演じられている、文楽第三部「義経千本桜」の素晴らしい舞台である。
   ずっと以前に、歌舞伎で猿之助の忠信が鼓を玩びながら花道の上を宙乗りで3階の客席に消えて行くのを観たことがあるが、あの世界である。

   今回の文楽の舞台は、二段目冒頭の「伏見稲荷の段」、四段目の「道中初音旅」と「河連法眼館の段」で、佐藤忠信に化けた源九郎狐に焦点を当てた舞台で、子狐と義経・静御前との出合から、静を伴っての吉野への旅、初音の鼓の皮が子狐の両親である千年狐であり親を慕って付き従う子狐の素性が明かされるまでの感動的な舞台が展開されている。                                     義経千本桜と言うのであるから、この桜爛漫の吉野を舞台にした「道行」から「河連館」が、この歌舞伎の頂点かも知れない。

   この狐忠信のモデルとなった佐藤忠信は、言わずと知れた義経四天王の一人で、元々東北武士だが、藤原秀衛の命によって義経に随行した忠臣で、西国への都落ちの途中で、宇治で義経と別れ別れになり、都での潜伏中に討たれているが、吉野までは同行していたのであろうか。
   重臣であることを利用して狐に名を騙らせるなど面白い発想だが、逸見の遠太を蹴散らして静を助けた功によって源九郎義経の名を与えるなどは芝居の発想であろう。
   尤も、この義経千本桜は、義経の都落ちに付随して、亡くなった筈の平家の武将・知盛、維盛、教盛などの復讐劇を織り交ぜて、お里やいがみの権太などと言った庶民を表舞台に登場させるなど話自身が奇想天外なので、むしろ、演出としての舞台そのものを楽しむべきなのであろう。

   道行には色々な舞台があるが、この「道行初音旅」は、吉野へ向かう旅なので、静御前(和生)と狐忠信の二人だけの登場だが、小気味良く変化する舞台も人形の衣装も実に豪華で美しく、「恋と忠義はいづれが重い、かけて思ひははかりなや。」と大夫の浄瑠璃が始まるのだが、船が難破して義経達が吉野にいることを知って「恋の方が重い静御前」が都を離れて旅に発ち、鼓を打つと狐忠信が現われて、二人で舞を舞う。  
         
   「河連館」では、国に帰っていた本物の忠信が会いに来たので、義経は預けおいた静御前の様子を聞くが、何も知らない忠信とは一向に話が合わず、疑いを持つが、そこに静が登場して、静と旅を共にした忠信が怪しまれ詮議することになる。
   鼓を打つと狐忠信が出て来たので、静が切りつけ白状せよと迫ると、自分は、桓武天皇の御世に雨乞いの為に殺されて初音の鼓の皮にされた千年功経る牡狐牝狐の子で、付き添うて守護することが親孝行と思い、「切っても切れぬ輪廻の絆、愛着の鎖に繋ぎ止められて、肉も骨身も砕くる程、悲しい妻子を振り捨てて、去年の春から付き添うている」のだと、泣いて口説いて身悶えして、どうど伏して泣き叫ぶのである。 
   しかし、本物の忠信殿を暫くも苦しませるのは汝が科、早く帰れと父母が諭すので古巣に帰ると言いながら、初音の鼓を見つめたまま行きつ戻りつ離れられない。
   さすがの静御前も、子狐の誠に眼も潤み、別室の義経に声をかけると一部始終聞いていた義経が自分の運命と重ね合わせて業因を感じて、狐忠信に礼を言って鼓を与える。

   鶴澤燕三の三味線に乗って浄瑠璃を語る咲大夫の哀切極まりない源九郎狐の慟哭が激しく胸を打ち、浄瑠璃語りがこれ程までに激しく心に響くのか、感極まりながら聴いていたが、実に感動的な大詰であった。
   そして、とにかく、勘十郎の源九郎狐の素晴らしさは特筆モノで、時にはぬいぐるみの白狐になって舞台を走ったり飛んだり、侍の忠信になったり、赤い炎の刺繍の入った白装束の狐忠信になったりと人形を変えながら、本人も衣装を早変わりで変え、窓から軒下から塀から飛び出したり舞台狭しと走り回り、縁の下から伸び上がって静と鼓に訴えかけたり、地に伏して拝んだり、人間では演じ切れない人形ならではの舞台を魅せてくれて人形遣いの奥深さを実感させてくれて感激であった。
   人形が、あれほどの悲哀と悲しみのをあらわせる等想像を超えている。
   狐の姿を借りて、親子の情愛を語りかけた素晴らしい文楽だが、名調子の浄瑠璃と人形の名演技が呼応して爆発して火花を散らすと、増幅効果が極限に達する、そんな興奮を覚える舞台であった。

   道行から、優雅で美しく気品に満ちた静御前を遣った和生あっての勘十郎の源九郎狐であったことも事実で、特に、源九郎狐をおびき出す為に鼓を打ち、切りかかり、鼓を片手に打擲して詮議するあたりの人形の立ち居振る舞いなど実に優雅で素晴らしいと思った。
   義経を遣った文司は、堂々とした格調の高い義経像を作り出していて、好感が持てた。

   菊五郎や勘三郎の源九郎狐の舞台を歌舞伎で観ているが、又別な感動を文楽の舞台で観ることが出来て幸せであった。
   ところが、昼の第二部は「満員御礼」だったが、朝の第一部と比べても、何故か、この夜の第三部の方に空席が多かったように思えた。

(追記)写真は、文楽カレンダーから複写。大阪では、文吾が源九郎狐を、勘十郎が静御前を遣ったようである。
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