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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

三月大歌舞伎・・・「夜の部 滝の白糸ほか」

2018年03月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回、私が観たのは、夜の部。
   プログラムは、次の通り。
   雀右衛門の追悼公演でもあったので、昼の部を見るべきだったのかも知れないが、何度も観ている定番の古典歌舞伎ばかりであったので止めた。
   於染久松色読販と滝の白糸は、初めて観るので、この方が興味があったのである。

一、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)
小梅莨屋の場
瓦町油屋の場

土手のお六 玉三郎
山家屋清兵衛 錦之助
髪結亀吉 坂東亀蔵
庵崎久作 橘三郎
油屋太郎七 彦三郎
鬼門の喜兵衛 仁左衛門

二、神田祭(かんだまつり)

鳶頭 仁左衛門
芸者 玉三郎


泉 鏡花 作
坂東玉三郎 演出
三、滝の白糸(たきのしらいと)

滝の白糸 壱太郎
村越欣弥 松也
南京寅吉 彦三郎
松三郎 坂東亀蔵
桔梗 米吉
裁判長 吉之丞
郵便配達夫 寿治郎
お辰 歌女之丞
おえつ 吉弥
青柳太吉 秀調
春平 歌六


   「於染久松色読販」は、強請って金を巻き上げようと、悪人の土手のお六と鬼門の喜兵衛夫婦が、油屋へ、乗り込むのだが、山家屋清兵衛に遣り込められて、すごすごと引き返すと言う冴えない物語で、男女の理想像を演じさせれば天下一品の旧玉孝コンビ、人間国宝の玉三郎と仁左衛門が、この悪人夫妻を演じると言うのであるから、正に、期待の舞台である。
  「於染久松色読販」の一場面「小梅莨屋の場と瓦町油屋の場」を切り取っただけなので、同じ強請でも、「弁天娘女男白浪」のような見せ場と迫力に欠けるので、ただ、チンピラが強請に登場したと言った感じで、天下の名優の悪の芸を楽しむと言うことに尽きた感じで、惜しいと思って観ていた。

   清元の舞踊「神田祭」も、鳶頭と仁左衛門と芸者の玉三郎の見せて魅せる華やかで美しい江戸の粋を鑑賞する舞台。
   

   「滝の白糸」は、泉鏡花の「義血侠血」を舞台にしたもので、映画でも何度か上映されていて、多少時代がかった感じだが、人気の高い芝居のようである。
   
   女水芸人「瀧の白糸(水島友)」は、ひょんなことで、乗合馬車の御者の村越欣弥に恋をして、ある夜、金沢の浅野川に架かる卯辰橋で欣弥と再会。欣弥が金のために法律の勉強を諦めていることを知った白糸は、欣弥を説得して、自分が仕送りをすることを約束して東京へ送り出す。欣弥への仕送りを続けるが、人気の低迷が続いて苦しくなり、白糸は、高利貸しの岩淵から、100円を借りて持って帰る途中に、商売敵の南京に強奪される。岩淵のところへ引き返し、南京出刃打の寅吉の落とした出刃で誤って岩淵を刺し殺してしまう。殺害を出刃打の南京にに擦り付けた白糸は、金沢の法廷へ出頭して証言台に立つのだが、その検事補が、学業を終えて初めて検事席に立つ欣弥であった。欣弥は、証言台を離れようとする、放免間際の白糸を呼び止めて、真実の大切さを説くと、堪らずに、欣弥の言葉に白糸は凶行を自白し、舌を噛んで自殺する。裁判員席を離れた欣弥は、ピストルで命を絶つ。

   ほぼ、歌舞伎の筋は以上のような感じであったが、原作の「義血侠血」からも勿論、芝居や映画バージョンからも、少しずつストーリーは違っていて興味深い。
   例えば、ラストは、「義血侠血」では、白糸は、死刑を宣告され、
   「一生他人たるまじと契りたる村越欣弥は、ついに幽明を隔てて、永ながく恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕べ寓居の二階に自殺してけり。」と結ばれている。

   何故、どのようにして、白糸が欣弥に恋に落ちたのか、
   歌舞伎では、
   越中高岡から石動に向かう馬車に乗った水芸一座の太夫滝の白糸は、文明開化の誉れ高い馬車が人力車に追い抜かれたので馬丁に文句を言います。すると、馬丁の村越欣弥という青年は白糸を抱いて馬に跨り、人力車を颯爽と追い抜いてみせるのでした。欣弥のことが忘れられない白糸は、・・・となっていて、このシーンはなく、登場人物が語るかたちで、表現されている。
   いわゆる、一目惚れ、直覚の愛であって、白糸の片思いから始まった恋で、説得力に欠けるが、この激しい恋が、この歌舞伎の太い導線で、しがない芸人と言う悲しさ、妻にしてくれと言えない白糸の苦衷を、歌六演じる春平が、切々と語って泣かせる。

   この歌舞伎の舞台は、歌六を筆頭にして、裁判長の吉之亟など、年季の入ったベテランが脇役陣を固めていて捨てがたいが、白糸の壱太郎や欣弥の松也、南京寅吉の彦三郎などの主役級の役者は、皆、若手中堅で、よくやっているとは思うし楽しませて貰ったが、いかんせん、芸の未熟さは、隠しきれないし、もう一つ、説得力と感動に欠けて、芝居に位負けしている感じであった。
   尤も、ずっと前に、團十郎の金色夜叉を見て、何となく違和感を感じたので、必ずしも、ベテランの大役者が演ずべきだとは思わないが、この泉鏡花の「義血侠血」を読めばわかるが、このような綺麗ごとの舞台ではなく、もっと庶民的でドロドロした泥臭い芝居であったはずで、その意味では、壱太郎も松也も、優等生過ぎると言う感じがしたのである。
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