熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十二月大歌舞伎・・・勘三郎の「筆屋幸兵衛」

2007年12月05日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   十二月の歌舞伎座は、勘三郎と玉三郎が大活躍で、二人が共演する有吉佐和子作の「ふるあめりかに袖はぬらさじ」は抜群に面白くて悲しい舞台だが、昼の部の「水天宮利生深川 筆屋幸兵衛」で、勘三郎演じるうらぶれた素浪人がこれまた実に素晴らしい。
   それもそのはず、先代勘三郎が一世を風靡した筆幸を、実の息子の当代勘三郎が満を持して演ずるのであるから面白くない筈がない。

   明治政府は、財政難を解消する為、旧武士や公卿達に、一時金と5年分の家禄を支払って家禄を廃止する秩禄処分を行った為に、職を絶たれた多くの旧士族たちが食い詰めて、生きる為に、「武士の商法」を始めた。
   そんな武士の商法で、細々と筆を商っていた元直参の筆屋幸兵衛も、その食い詰め浪人の一人で、どうにも生きて行けなくなって発狂してしまう話である。
   司馬遼太郎は、明治への移行は無血革命であったと高く評価しているが、確かに反旗を翻したのは西郷隆盛の西南の役だけで、これはお上の意向に逆らわずに運命に耐えて生きて行く日本人の特質故であって、これが今も延々と続いており、良いことかどうかは、又別の話である。

   産後の肥立ちが悪くて乳飲み子幸太郎を残したまま妻に先立たれて、それを苦にして泣き濡れて目が見えなくなった姉娘お雪(鶴松)と妹娘を抱えて、筆を商うが赤貧洗うが如きの生活で、乳飲み子を抱えて貰い乳に歩く。
   剣道道場主萩原正作の妻おむら(福助)から乳を貰い、更に1円と子供の産着を貰って喜んで帰ってくるが、金貸し金兵衛(猿弥)がやって来て、謝金を返さなければ布団から台所道具を持って行くと凄んで、お雪が恵んでもらった1円と貰ったばかりの産着を取り上げて帰って行く。
   どうしても生きて行けないので、お雪に、武士らしく潔く自分たちを殺して切腹してくれと諭されて死を覚悟する。
   大小を売り払ってしまって、子供に残そうと唯一残った小刀を構えて、乳飲み子を殺そうとするが、頑是無くにっこり笑われて切っ先が鈍って、小刀を振りながらあやす姿が哀れである。
   二人の娘をしっかり抱きしめて死を覚悟して泣き伏すうちに、急に切れてしまって発狂し、娘を左右に蹴散らし、立てかけてあった箒を持って平知盛の亡霊になったつもりで仁王立ち、商売道具の筆を撒き散らして暴れまわる。
   末娘の知らせで駆けつけた長屋の連中が宥めすかすがダメで、お祭りだと言って幸太郎を抱えて外にかけ出して大川に身投げする。
   長屋の住人車夫三五郎(橋之助)に助けられて正気に戻り、お雪の親孝行に感じた地主から衣類と目薬と5円を与えられ、金貸しが貴族からの系図買取で捕まったと言う報告が入るなどハッピーエンドで、これも、水天宮のご利益のお陰と言うことで幕となる。

   勘三郎の筆幸は、武士は食わねど高楊枝、落ちぶれていても実に実直で折り目正しく実に感動的に演じていて、それに、娘二人も涙がこぼれるほど素直で健気、そして優しくて、あの頃の武士が、如何に高潔であったか、武士道が一本筋が通っていたことを感じさせて感激する。
   守屋とか言う何処かの、公僕の公たる由縁を忘れたおかしな役人がいる同じ国とは思えない。

   ひどい筆幸のあばら家の下手に金持ちの邸宅があり、子供の誕生祝に呼ばれた清元の浄瑠璃が聞えてくる。このあまりにも大きな生活水準の落差。
   人の道を踏み外さず一所懸命に生きてきたのに、世の盛衰と時流に乗れない不器用な生き様故に零落し、健気な子供たちが必死になって生きているのにその気持ちにさえ何一つ報いてやれない自分の甲斐性ない姿に、正に断腸の悲痛。
   勘三郎は、丁寧な言葉遣いでとつとつとその悲哀を語り続ける。実に上手い。

   勘三郎の至芸は、狂乱の場で絶好調に達する。オペラでは、女性主人公の狂乱の場が普通だが、目をぎょろりとむき出して方向が定まらず、正気と狂気が錯綜する勘三郎の狂乱ぶりは格別である。
   幸太郎の前を開いて小便をふりかけ、脚を持って逆さに振り回す、それを大家が追いかけて制止する。
   萩原妻おむらが来ると、子取りに来たのだろうと毒づく始末、とにかく、計算づくのハチャメチャの演技が勘三郎の芸の素晴らしさであろう。

   この「水天宮利生深川」は、昨年3月に、松本幸四郎の筆幸の素晴らしい舞台を観ており、このブログでも書いたので水天宮の話は端折るが、興味深いのは明治初期の江戸の世相で、あこぎな金貸しは、現在でも全く同じで、この舞台では抵当に入っている布団や台所道具の賃貸料まで利息に参入するなど、庶民の常識を超えた悪辣さとヤクザまがいの脅しが興味深い。
   それに、次元が違うが、近所の長屋の住人達のもたれあいながら愛情豊かに生きている姿が清々しくて感動的である。
   身投げ後の調査に来て尋問する巡査の獅童の、何処となく舞台を超越したような、時代離れした演技が実に新鮮で面白い。
   脇役達総てが達者だが、福助と橋之助の成駒屋兄弟の素晴らしいサポートがあって、勘三郎が輝いている。
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