熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・「翁」「楊貴妃」

2013年09月15日 | 能・狂言
   国立能楽堂三十周年記念公演の第一日目が、観世清和宗家の「翁」で開幕した。
   即刻ソールドアウトの人気公演であるから、会場は大変な熱気である。

   今回の演目で、初めて観るのは、「楊貴妃」だけで、「翁」は、式能で2回観ているし、土蜘蛛は、以前にも、そして、歌舞伎の「土蜘」でも観ているので、ストーリー展開は分かっており、多少、余裕を感じながら鑑賞させて貰った。

   最初の「翁」は、金剛流で翁は金剛永謹宗家、二回目は、宝生流の宝生和英宗家、今回は、観世流の観世清和宗家の翁であるから、期せずして、能楽初歩の私としては、最高峰の「翁」を鑑賞させて貰っていると言うことであろう。
   この「翁」は、直面で、橋掛かりを静かに登場して、舞台で面をかけて神になると言う特別な能であり、私には、このセレモニー形式の変身が非常に魅力的である。
   端正な顔立ちの清和宗家が、白色尉の面を掛けて立ち上がると、何とも言えない程優美で微笑ましい、微かに微笑んだ好々爺の表情になって、厳かに、天下泰平・国家安穏を祈る祝言の舞を舞い始めると、実に、有難く神々しく見えるのである。

   三番三を舞うのが、人間国宝の山本東次郎師で、75歳とは思えないほど躍動感横溢したエネルギッシュな舞で、二回も大きく跳躍して舞台を踏む烏跳びのシーンを含めて「揉のノ段」のリズミカルかつ激しい流れるような三番三踏みは驚異的で、延々と続くかと思われる黒色尉を付けた「鈴ノ舞」の凄さなど、この三番三は、正に、一期一会の会心の芸であろうと思う。
   実際には、「翁」のパロディだと言うこの狂言方の舞う三番三の方が長くて、見せて魅せる舞台なのだが、狂言が長い間低く見られていたと言うのを、アイロニーと言うべきであろうか。

   もう一つ興味深いのは、最近出た「能を読む」でも、この部分は翻訳されていないのだが、シテ/翁の謡う古代歌謡の催馬楽の「総角やとんどや・・・」だが、林望先生の「これならわかる、能の面白さ」によると、もとは隅に置けない歌で、濃厚に男女の性行為を暗示したものだったと言う。
   能が生まれる以前から猿楽で演じられていたと言うから、このような挿話が入るのも当然で、日本古来の豊作の呪術で、昔から日本人は、男女の和合すなわち陰陽の合一こそが生命を生み出す基で豊作をもたらすと考えていたのであり、今でも、明日香の飛鳥坐神社では、日本古来の土俗信仰と言うべきか、面白い派手な神事が演じられていると言う。
   非常にアウフヘーベンした高度で神がかり的な古典芸能として、能「翁」は、昇華されたのであり、これこそ、日本芸術の芸術たる所以であり誇りであろうが、原点に立ち返ってみるのも、芸術鑑賞としては面白い。

   さて、白楽天の「長恨歌」を題材にした玄宗皇帝と楊貴妃の話は、中国の歴史でも一番面白いテーマの一つだが、シテ/楊貴妃を梅若玄祥、ワキ/方士を宝生閑で、演じられると言うのであるから、始めて観ると言うこともあって非常に楽しみであった。
   楊貴妃は、元々、玄宗の息子(寿王李瑁)の妃であったのを、玄宗が取り上げて寵愛し、名君であったにも拘わらず、女色に溺れて政務を蔑にして国を傾けて、楊貴妃が養子にした安禄山に長安を攻められて、蜀に落ち延びる途中、兵士たちの不満が爆発して玄宗は泣く泣く楊貴妃を諦めて、楊貴妃は、馬嵬で、高力士に絹の布で首を絞められ38才で亡くなり、遺体は、近くの道端に穴を掘って埋められたと言う。
   能「楊貴妃」は、この楊貴妃を忘れられない玄宗が、方士に命じて楊貴妃の魂魄の在処を尋ねさせ、常世の国の蓬莱宮で会うと言う話になっている。

   方士が、楊貴妃に会ったと言う記念の品を求めると、簪を差し出すのだが、それではどこにでもある簪なので意味がない、二人が秘めやかに交わした二人しか知る由のない睦言を聞かせて欲しいと言うあたりの発想が面白いのだが、ここで楊貴妃が語るのが、長恨歌の最終部分の「在天願作比翼鳥、在地願爲連理枝――天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう。」
   この言葉は、白楽天の創作だと思うのだが、比翼の鳥などは、ピグマリオン伝説やプラトンのベター・ハーフ探しの話を連想させて面白い。
   ニャンスは、全く違うのだが、
   プラトンが「饗宴」の中で、ギリシャ神話を引用して、お互いにベター・ハーフを求めて恋焦がれる男女の愛の摂理について語っていて、
   太古の人間は力が強く傲慢で、神々に叛乱を企てるので、ある時、ゼウスは、人間を真っ二つに両断しようと決断し、一人残らず真っ二つに切断した。しかし、いずれの半身も、もう一方の半身に憧れ、これを追い求め、一緒になろうとしており、それ以来、人間は己の失われた半身を焦がれ求め続けることとなり、これが、男女の恋心を燃え立たせ続けているのだと言う。ことであり、玄宗と楊貴妃は、正に、この一組であったと言うことであろうか。

   さて、能であるから、この曲も、当然、楊貴妃は、別れを告げる方士に、名残に、昔を忍んで、宮中の夜遊びの舞を舞う。
   玄祥の羽衣の曲 序ノ舞の優雅さ素晴らしさは、言うまでもなく感動的であった。
   観世銕之丞が、「能のちから」の中で、
   「比翼鳥、連理枝」と言う愛が成就した艶やかな言の葉に、楊貴妃の魂魄は封じ込められている。死の世界に住むシテの愛が蘇り、その愛の世界は、いつまでも漂い続け、簪を手に、魂が呼び覚まされ、血肉が通い、愛によって蘇生する「楊貴妃」は、格調高く、」時にはメランクリックに舞いたいと思う。と言っているのだが、玄祥「楊貴妃」の思いはどうであったのであろうか。

   ところが、興味深いのは、国立能楽堂のパンフレットの金子直樹氏の解説では、
   不老不死の世界で、過ぎ去った玄宗との愛をただひとり忍び泣き、すすり泣きしつづけなければならないのだから、ある意味ではとても残酷で、主題は、生死による別離を越えた恋慕の情と、絶ちがたい愛情ゆえの哀傷だと言っている。比翼連理の名文句は、楊貴妃の美しさ愛の深さと同時に、それを裏切る別離の無情な哲理が冷徹に存在し、こうした愛の運命の無残さ痛ましさは誰にもあるのだと言っているのである。
   ワキを送るシテの後姿に、喜びの心を感じるのか、残酷な運命の哀調を感じるのか、人夫々だと思うのだが、
   私には、美しくて優雅な玄祥「楊貴妃」の若女の面は、哀調を帯びながらも、玄宗との懐かしくて幸せだった思い出をしっかりと反芻しながら噛みしめていたような気がしている。

   同時に演じられた「萩大名」と「土蜘蛛」は、稿を改めたい。
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