熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

グーグルは当初広告に無関心だった

2022年08月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ショシャナ・ズボフの「監視資本主義: 人類の未来を賭けた闘い」を読み始めて、興味を持ったのは、グーグルは、初期の段階では、広告を見下していて興味がなかったという事実である。
   関係者には常識的な知識かも知れないが、GAFAに疎い私には信じられないような事実で、巨大なハイテク事業でも、企業目的や戦術などにおいて、セレンディピティが生じることに非常に興味を感じたのである。

   まず、創業者のブリンとペイジの論文「大規模なハイパーテキストウェブ検索エンジンの構造」から引用すると、「広告に頼る検索エンジンは本質的に偏っており、消費者のニーズから遠ざかるであろうとわたしたちは予測した。この種のバイアスは検出しにくいが、市場に強い影響を及ぼし得る。・・・広告には種々雑多な動機が絡んでくるため、透明性が高く学問的で競争力のある検索エンジンにすることが重要だとわたしたちは考えている。」
   そのため、広告を担当するアドワーズチームはたったの7人で、そのほとんどは、創業者が広告に抱く嫌悪感を共有していた。
   そういうわけで、グーグルの最初の収益は、ヤフーやビッグローブなどのポータルウェブ・サービスを提供する独占的なライセンス契約に依存していた。しかし、競合社のAOLやMicrosoftなどは、ブリンやペイジが軽蔑していた手法で利益を得ていた。

   アナリスト達は、その持てるテクノロジーに比肩したビジネスモデルを作り出せるのか、その将来性に疑念を抱いていた。
   丁度その時に、ITバブルが崩壊して、シリコンバレーのビジネス環境も崩壊するにつれ、グーグルも窮地に直面した。
   2000年後半にグーグルが発した「非常事態宣言」が、ユーザーとの互恵関係を無効にし、創業者が公言していた広告への嫌悪感を取り下げる理論的根拠になった。
   投資家の不安を解消する具体策として、アドワーズに、より多くを儲ける方法を見つけるよう命じた。
   グーグルは、増える一方の行動データと計算力と専門知識のすべてを、検索クエリと広告のマッチングという単一のタスクに投入した。

   広告の利用で乗り気でなかったペイジとブリンは、広告が同社を危機から救うという証拠が増えるにつれて、2人の態度は軟化した。
   しかし、面白いのは、現実的で競争の激しいシリコンバレーでは無意味な存在である「頭が良いだけでお金の稼ぎ方を知らない人間」という立場から、2人に抜け出すチャンスを与えたと言うことである。

   私が興味を持つのは、このペイジとブリンの姿勢で、ビッグデータという前に、検索エンジンで集積したユーザーの情報が、宝の山であることを見抜けなかったイノベーターとしての悲劇で、不況で窮地に立って救われたと言うところが面白い。
   
   イノベーターのジレンマの洗礼受けたインテルは、日本企業の挑戦を受けて全く競争力を消失して勝ち目のないメモリ市場を諦めきれずに逡巡し、清水の舞台を飛び降りる一大決心をしてマイクロプロセッサへと転進して今日があるのだが、メガハイテク企業と雖も、一瞬の選択が、運命を決する。
   ビジネススクールで学んだ経営戦略や戦術論など、セレンディピティを如何に摑むかなどには、殆ど役には立たないのが面白い。
   経営は、あくまで経験と勘、謂わば芸術の世界であるとは、良く言った言葉である。
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