熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・柏崎の「綾子舞」

2018年07月29日 | 能・狂言
   今日の国立能楽堂の企画公演は、興味深かった。
   《月間特集・能のふるさと・越路》
    ◎中世のおもかげ―「柏崎」
       綾子舞(あやこまい)
         小原木踊(下野) 
         海老すくい(下野) 
         猩々舞(高原田) 
         小切子踊(高原田)   
           柏崎市綾子舞保存振興会
       能 柏崎(かしわざき)  佐野 由於(宝生流)


   能「柏崎」に先駆けて上演された新潟県柏崎市女谷に受け継がれる伝統芸能”重要無形民俗文化財:綾子舞”が、非常に素晴らしい舞台であった。
   この綾子舞は、女谷にある黒姫社(黒姫神社)の市の天然記念物「黒姫神社大杉」の下が舞台で、500年の伝統芸能の雰囲気をより一層醸し出していたというから、本来は、黒姫神社の典礼芸術であった。
   綾子舞の由来については、2つの説が有力で、
一つは、今から約500年前に、越後の守護職・上杉房能(ふさよし)が、臣下の長尾為景に討たれた際、房能の奥方「綾子」が女谷に落ちのびて伝えたという説。もう一つは「北国武太夫(ほっこくぶだゆう)」という武士が、京都北野神社の巫女「文子(あやこ)」の舞を伝えたという説で、出雲のお国一座などが始めた女歌舞伎の踊りの面影を色濃く残していて、重要な資料として注目され、研究されてきていると言う。
   女性が踊る小歌踊と、男性による囃子舞、狂言の三つを総称して「綾子舞」と呼ぶとのことで、現在、高原田と下野の二つの座元が伝承しており、今回、小歌踊の「小原木踊」と「小切子踊」、囃子舞の「猩々舞」、狂言の「海老すくい」が上演された。
   綾子舞の写真を、インターネットから借用すると順番につぎのとおり。
   
   
   
      

   まず、「小原木」だが、しずしずと、橋掛かりから舞台に登場した3人の乙女が、大原女と言う姿で、都にいる恋人に会うために、薪を売って歩く様子と恋心を表しており、19種類の扇の手ぶりが実に美しい優雅な踊り。
   「小切子」は、菅原道真公が九州に流されることになり、都を去る時に、都七条坊門の娘、文が夢のお告げにより、三条大橋のたもとで菅原道真公を見送って舞った踊りで、都の風景と女心を歌う。扇の代わりに小切子と言う綾竹(あやだけ)と呼ばれる装飾された細い竹の棒を持って、回したり、軽快に打ち鳴らしたりしながら踊る。
   頭に「ユライ」と呼ばれる赤い被り物をつけ、扇や綾竹の美しい手ぶりや足を交差させる足さばきで優雅に踊り、実に優しくて初々しい姿が感動的である。
   囃子舞は、猿若芸の系統をくんでいて、ユーモラスな歌と囃子に合わせて男性が1人で舞うのだが、「猩々舞」は、酒飲みの猩々を、酒好き、笑い上戸、酔うほどに態度が大きくなる、気弱で酒に飲まれる、舞い好きで悪魔祓いすると言った5体の猩々を演じる。歌舞伎のコミカルタッチの踊りである。
   狂言「海老すくい」は、殿様が冠者に、明日の来客のご馳走に海老を買ってくるよう命じ、冠者が代物(お金)を請求すると、殿様は「ない。自分で用意しろ」と言う。腹を立てた冠者は、殿様をだましてやろうと考えて、海老すくいの狂言小謡・小舞を教えて、ほのぼのとした味わいの良さを添えた能狂言風の舞台が展開される。
   他の演目を観ないと何とも言えないが、題材に京都や鎌倉を匂わせるものがあるのは、やはり、地方文化が都を向いていたことを示していて面白い。

   囃子方は、演目によっては移動があるようだが、左から、銅拍子、鉦、笛3人、地頭・小鼓、締太鼓・太鼓と7人くらい並ぶようで、謡は、太鼓の隣が地頭のようで、笛をはじめ他の奏者も地謡に加わる。「猩々舞」の時には、小鼓方が、謡い続けていた。
   
   さて、先日、今道友信先生の「わが哲学を語る」で、典礼芸術について、次のように紹介した。
   超越者から教わった宗教を、人間の儀式として盛り立てるために、人類は何か役立つものとして芸術品を作った、人間が救いを感じることが出来ると考えると、芸術は、人類の至宝ではないか。
   典礼芸術のない宗教は、非文化的なもので、芸術は宗教を内面的に支えるものの一つで、宗教は基本的な要素として典礼芸術を持っている。
   天岩屋戸を開くと、天照大神は再び外界へ出て、絶望的な暗さの中で悪がはびこっている時、歌舞音曲、芸術によって光を呼び戻して国の運命を変えた。

   日本には、「古事記」に表現されている「八百万の神」と言う日本独特の、森羅万象に神が宿るという考え方が存在する。あらゆる物事は神によって生み出され、それら全てにはそれぞれの精霊が存在するというもので、日本のように四季の変化やそれに伴う豊かな自然を感じる国民性が自然そのものを神のように崇拝するといった考え方を生んだとされている。と言うのである。
   また、「涅槃経」にも、「草木国土悉皆成仏」と言う言葉があって、草木や国土のように心を有しないもの(非情・無情)でも、みな仏になれるという、草木成仏・非情成仏と言う思想が仏教にもある。
   我々を取り巻く自然環境そのものが宗教的な雰囲気を醸し出していて、その舞台設定そのものが最も恵まれている鬱蒼と茂った厳粛で深遠な大自然に包まれた神社仏閣で、典礼芸術が生まれれ奏されると言うのは、日本人には、非常に馴染みやすい環境であり、素晴らしい芸術世界が現出するのは、当然なのかもしれないと思える。

   先に、九州の山奥に息づいている素晴らしいお神楽について書いたが、日本各地に残る芸術性の高い民族芸術の存在は、日本の民度、文化文明度の高さを示しており、今回の綾子舞を観てもそう思った。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七月大歌舞伎・・・海老蔵の... | トップ | ハワード・ジン著「学校では... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

能・狂言」カテゴリの最新記事