歌舞伎座が、定評のある演目をみどり形式のアラカルトプログラムで上演するのに対して、国立劇場は、歌舞伎を通し狂言で上演したり、上演が途切れていた演目を舞台に掛けるなど、非常に意欲的なプログラムを提供するので、いつも楽しみにしている。
歌舞伎でも文楽でも同じだが、やはり、芝居は、一巻完結の通しで見るのが、一番楽しめる筈だと思っている。
今回は、鶴屋南北の「霊験亀山鉾」、仁左衛門が、悪役二役を務める惡の華満開の歌舞伎で、久しぶりの上演だと言う。
先月、あぜくら会予約解禁の9月4日朝10時には、歌舞伎としては珍しく、国立劇場のチケットセンターのインターネットが、長い間輻輳して繋がらなかったのだが、その割には、結構空席があった。
この歌舞伎は、小諸の石井源蔵・半蔵兄弟が、父と長兄の仇・赤堀源五右衛門を、親族が何度も仇討を試みるが返り討ちに合い、28年後に、伊勢国亀山で討ち取ったと言う話が元になっており、曽我兄弟の仇討に似ていることもあって、元禄曽我とも呼ばれていると言う。
鶴屋南北と提携して悪役で名演を残した五代目松本幸四郎が、赤堀源五右衛門をモデルにした主人公藤田水右衛門ほか二役を初演したと言うのだが、今回、どちらかと言えば、二枚目役者として華麗な舞台を魅せる仁左衛門が、演じる。
これまでにも名演を演じて定評のある舞台なので、観客の期待も大きかったようで、本来なら、極悪人の憎々しい舞台を観ると、観客は、腹を立てる筈なのだが、仁左衛門の場合には、むしろ、惡の華と言う表現があるように、錦絵から抜け出たような美しい見得の数々を見たくて来ており、拍手喝さいであったのが面白い。
水右衛門の最初の返り討ちは、立ち合いに負けた腹いせで兄を闇討ちにされた石井兵介を、立ち合いの審判・掛塚官兵衛(彌十郎)と図って杯に毒薬を仕込んで殺害し、
続いて、養子の源之丞(錦之助)を、偽手紙で誘き出して、安部川堤で、仲間に落とし穴を掘らせて陥ったところを返り討ちにし、
駿州中島村の焼き場で、源之丞の愛人芸者おつま(雀右衛門)と腹の子諸共に殺害する。
しかし、最後は、重臣の大岸頼母(歌六)・主税(橋之助)の援助で、源之丞の女房お松(孝太郎)と長男源次郎たちによって、水右衛門は、無念の形相で殺害され、石井家苦節の本懐が遂げられる。
勿論、歌舞伎は、このような単純な筋書きではなく、どこかで見たようなシーンが展開されるなど、綯い交ぜ歌舞伎を得意とする南北の面目躍如で、とにかく、魅せて見せてくれる。
と言っても、水右衛門の悪辣ぶりも、極めて姑息で、悪人面が出来るような代物ではないが、そこが歌舞伎で、千両役者の仁左衛門が、その度毎に、格好よく大見得を切って、目の覚めるようなシーンを展開して、観客を釘付けにする。
ただ、気になるのは、あのシェイクスピアのオセロー(Othello)を見れば、イアーゴーに対してムカつくほど悪辣ぶりに腹が立つのだが、仁左衛門の水右衛門やチンピラやくざ風の八郎兵衛を見ていても、表情は、阿修羅や閻魔以上に地獄顔なのだが、絵になっていて、少しも憎さ悪辣さを感じないのである。
これを、團蔵や市蔵が演じていれば、石を投げたくなるほど、そのエゲツナサや姑息なやり方に腹が立つのだろうと思うと、逆に、魅力的な舞台を見せる仁左衛門の芸の奥行の凄さに感嘆せざるを得ないと思うのである。
仁左衛門は、インタビューで、
この作品は、“色気”と“冷酷さ”、“華やかさ”と“暗さ”、“陽”と“陰”がうまく入り混じって構成されています。悪人が活躍する残酷なお話ではありますが、お客様には残酷と感じさせずに「ああ、綺麗だな、楽しいな」と思っていただけるような雰囲気を出したいです。そして、“退廃的な美”と言うか、昔の“錦絵”を見ているような色彩感覚や芝居の色を楽しんでいただければ、何よりです。と言っているので、正に、意図通りに成功した舞台であろう。
見せ場は、「駿州中島村焼場の場」で、燃え盛る火に煽られた樽型の棺桶が四方八方に吹き飛んで水右衛門が格好良く飛び出したり、舞台前面に幕状に本物の雨が降りだして、水右衛門とおつまとのくんずほぐれつの凄惨なシーンが繰り広げられるところ。
仁左衛門の舞台なので、近松門左衛門が草葉の陰で喜んだと思うほど凄かった、大分前に観た「女殺油地獄」のお吉の孝太郎との舞台を思い出した。
先に役どころのところで紹介した名優たちのほかに、何を演じても威厳と風格のある秀太郎、石井兵介と袖介を演じた又五郎、丹波屋おりきの吉弥、縮商人ほかの松之助などのベテランの活躍など、脇役に人を得て素晴らしい舞台を見せてくれた。
こう言うめったに見られない舞台を、新しく練り直して、通しの形で芝居として見せてくれる国立劇場の歌舞伎公演は、非常に有難いと思っている。
歌舞伎でも文楽でも同じだが、やはり、芝居は、一巻完結の通しで見るのが、一番楽しめる筈だと思っている。
今回は、鶴屋南北の「霊験亀山鉾」、仁左衛門が、悪役二役を務める惡の華満開の歌舞伎で、久しぶりの上演だと言う。
先月、あぜくら会予約解禁の9月4日朝10時には、歌舞伎としては珍しく、国立劇場のチケットセンターのインターネットが、長い間輻輳して繋がらなかったのだが、その割には、結構空席があった。
この歌舞伎は、小諸の石井源蔵・半蔵兄弟が、父と長兄の仇・赤堀源五右衛門を、親族が何度も仇討を試みるが返り討ちに合い、28年後に、伊勢国亀山で討ち取ったと言う話が元になっており、曽我兄弟の仇討に似ていることもあって、元禄曽我とも呼ばれていると言う。
鶴屋南北と提携して悪役で名演を残した五代目松本幸四郎が、赤堀源五右衛門をモデルにした主人公藤田水右衛門ほか二役を初演したと言うのだが、今回、どちらかと言えば、二枚目役者として華麗な舞台を魅せる仁左衛門が、演じる。
これまでにも名演を演じて定評のある舞台なので、観客の期待も大きかったようで、本来なら、極悪人の憎々しい舞台を観ると、観客は、腹を立てる筈なのだが、仁左衛門の場合には、むしろ、惡の華と言う表現があるように、錦絵から抜け出たような美しい見得の数々を見たくて来ており、拍手喝さいであったのが面白い。
水右衛門の最初の返り討ちは、立ち合いに負けた腹いせで兄を闇討ちにされた石井兵介を、立ち合いの審判・掛塚官兵衛(彌十郎)と図って杯に毒薬を仕込んで殺害し、
続いて、養子の源之丞(錦之助)を、偽手紙で誘き出して、安部川堤で、仲間に落とし穴を掘らせて陥ったところを返り討ちにし、
駿州中島村の焼き場で、源之丞の愛人芸者おつま(雀右衛門)と腹の子諸共に殺害する。
しかし、最後は、重臣の大岸頼母(歌六)・主税(橋之助)の援助で、源之丞の女房お松(孝太郎)と長男源次郎たちによって、水右衛門は、無念の形相で殺害され、石井家苦節の本懐が遂げられる。
勿論、歌舞伎は、このような単純な筋書きではなく、どこかで見たようなシーンが展開されるなど、綯い交ぜ歌舞伎を得意とする南北の面目躍如で、とにかく、魅せて見せてくれる。
と言っても、水右衛門の悪辣ぶりも、極めて姑息で、悪人面が出来るような代物ではないが、そこが歌舞伎で、千両役者の仁左衛門が、その度毎に、格好よく大見得を切って、目の覚めるようなシーンを展開して、観客を釘付けにする。
ただ、気になるのは、あのシェイクスピアのオセロー(Othello)を見れば、イアーゴーに対してムカつくほど悪辣ぶりに腹が立つのだが、仁左衛門の水右衛門やチンピラやくざ風の八郎兵衛を見ていても、表情は、阿修羅や閻魔以上に地獄顔なのだが、絵になっていて、少しも憎さ悪辣さを感じないのである。
これを、團蔵や市蔵が演じていれば、石を投げたくなるほど、そのエゲツナサや姑息なやり方に腹が立つのだろうと思うと、逆に、魅力的な舞台を見せる仁左衛門の芸の奥行の凄さに感嘆せざるを得ないと思うのである。
仁左衛門は、インタビューで、
この作品は、“色気”と“冷酷さ”、“華やかさ”と“暗さ”、“陽”と“陰”がうまく入り混じって構成されています。悪人が活躍する残酷なお話ではありますが、お客様には残酷と感じさせずに「ああ、綺麗だな、楽しいな」と思っていただけるような雰囲気を出したいです。そして、“退廃的な美”と言うか、昔の“錦絵”を見ているような色彩感覚や芝居の色を楽しんでいただければ、何よりです。と言っているので、正に、意図通りに成功した舞台であろう。
見せ場は、「駿州中島村焼場の場」で、燃え盛る火に煽られた樽型の棺桶が四方八方に吹き飛んで水右衛門が格好良く飛び出したり、舞台前面に幕状に本物の雨が降りだして、水右衛門とおつまとのくんずほぐれつの凄惨なシーンが繰り広げられるところ。
仁左衛門の舞台なので、近松門左衛門が草葉の陰で喜んだと思うほど凄かった、大分前に観た「女殺油地獄」のお吉の孝太郎との舞台を思い出した。
先に役どころのところで紹介した名優たちのほかに、何を演じても威厳と風格のある秀太郎、石井兵介と袖介を演じた又五郎、丹波屋おりきの吉弥、縮商人ほかの松之助などのベテランの活躍など、脇役に人を得て素晴らしい舞台を見せてくれた。
こう言うめったに見られない舞台を、新しく練り直して、通しの形で芝居として見せてくれる国立劇場の歌舞伎公演は、非常に有難いと思っている。
『感動手習帳』
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これからも、拝見させていただきます。