熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・厳寒に咲き続ける椿

2023年01月25日 | わが庭の歳時記
   今、わが庭に咲く椿花は、まだ、少ない。
   つぼみが膨らんで色づき始めた椿も増えてきてはいるが、寒さの所為もあってか、開花に時間が掛かっている。
   真冬の椿の蕾は、葉っぱに覆われていて、開花してもよく見えないことがある。自然の摂理であろうか、花を寒害から少しでも守ろうとして葉が花を覆っているのである。
   花を撮そうとして、葉を避けるのだが、可哀想に寒さに耐えられなくて、大概、花に傷がついていて変色したりしている。
   
   椿は、花が咲くとすぐに首からポトリと落ちるので武士が嫌ったとか、薩長が椿を愛でていたので嫌ったとか、色々言われているのだが、各地の城郭や神社仏閣などでは、結構、椿の古木が植わっているし、肥後のお殿様を筆頭に椿を愛した君主もいたなどを考えれば、椿が愛さていない筈などないと思う。
   それに、桜やサザンカのように花弁がバラバラになって散って地面を絨毯のように敷き詰めるのではなくて、落ち椿でさえも、その醸し出す風情は中々のもので、詩情豊かで絵になるのである。

   ところで、椿花にも色々バリエーションがあって、咲き出すとすぐに散る椿もあれば、何日も咲き続ける椿や、咲いたままで黄変して枯れて行く椿まで、花の命はまちまちである。
   しかし、いずれにしても、椿の花の命は短いので、花屋さんでも扱っていないし、室内で生けて、瑞々しい椿の凜とした美しさを愛で得るのは、自分の庭で育ててこそ可能な贅沢なのである。
   色付いた蕾の茶花も良いが、中天に煌々と輝く月と同じで、開花寸前の椿や咲ききった満開の椿花の華麗さ豪華さ、その美しさは格別であって、捨てがたいと思っている。

   今咲いている椿で、すぐに散ってしまうのは紅茜である。
   明日、咲き切るであろうから、朝、写真を撮ろうと思っても、早朝にメジロが訪れて花をつつくと、もう落ちてしまっている。
   尤も、何年か前に、偶然にも、咲いた紅茜にメジロが止って蜜を吸っていたときに写真を撮っているので、一概には、言えないかも知れないのだが。
   抱え咲きで深紅の花弁が気にいっており、この椿は私には貴重なコレクションなのである。
   
   
   
   
   逆に、今咲いている椿で、花持ちが良いのは、この写真の実生椿である。千葉の庭に咲いていた椿の種から発芽した実生苗で、雑種の名もなき椿なので、親のDNAを引き継いだのであろうが、何も分からない。
   典型的なヤブツバキとは、蘂の形が違うし一部花弁化しているので、追跡出来たとしても、親木そのものが殆ど何代も雑種の重なった椿なので、先祖の詮索など無意味なのであろう。
   特別に変った椿が生まれれば、新種として命名されるのであろうが、育種家でもないし、良い椿だと思っているので、自分で名前を付けて楽しめば良いのである。
   昨夜は、今冬一番の厳寒、氷点下にも拘わらず、凜と咲いていて神々しい。
   
   
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