熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・「鵜羽」「実盛」

2013年10月13日 | 能・狂言
   今月の最初の能は、世阿弥作の可能性の高いと言われている「白楽天」で、先月の「楊貴妃」との関連が興味深く、漢詩の世界では、評価の高い杜甫や李白とは違って、平易暢達を重んじる詩風が、旧来の士大夫階層のみならず、妓女や牧童といった人々にまで好まれて愛唱されたと言うから、能などの世界では、やはり、重宝されるのも当然かも知れない。

   今月は、世阿弥生誕650年と言うことで、その次の能も、世阿弥作の「鵜羽」で、古事記や日本書紀の神話の世界の話。
   海彦、山彦の話では知っているのだが、その山幸彦が、釣針を魚に取られて、竜宮までさがしに行き、そこで、豊玉姫と契りを交わして懐妊したので、宇土の仮小屋で、御子を出産すると言う話になっている。
   ところが、仮殿を鵜の羽で葺いている途中、総てを葺き終わらないうちに、御子が生まれたので、名を、鵜羽葺不合尊と名づけたと言うのである。
   後シテで豊玉姫が登場して、山幸彦が、竜宮で、豊玉姫の父龍王から貰った満珠干珠の玉を、海に置くと、一瞬にして潮の満ち干が現出する奇瑞を現す。
   恵心僧都に、宝珠を捧げて仏法の真理を求めて、豊玉姫は海に消えて行く。

   興味深いのは、この能「鵜羽」を音阿弥が舞っている最中、甲冑を着た武者たちが宴の座敷に乱入して、赤松氏の武士安積行秀が、将軍義教を暗殺したと言う話が残っているので、これを気にした将軍徳川綱吉以降、上演されなくなり、やっと、平成3年に、「復曲能」として上演されたと言うことである。
   世阿弥を疎んじて徹底的に干して、遂に、佐渡へ島流しにし、その後継者であった息子の元雅を暗殺させたとされる義教が、世阿弥の能「鵜羽」鑑賞中に殺されたと言う史実の皮肉と言うかアイロニーが面白い。

   
   シテ(主役)を演じるのは、人間国宝の片山幽雪の長男観世流の十世片山九郎右衛門で、見どころはと聞かれて、
   豊玉姫となる後場。「干珠満珠によって海の景色が劇的に変わるという場面は、興奮してもらえるように思う。神話の世界を現出させるのが狙い」。速いテンポの舞で、「良い意味で軽く、すらりと見られる曲に」と構想を練っている。と応えている。
   かっては、終幕に天女の舞があったようだが、今回は、龍女の舞として「黄鐘早舞」、宝珠の奇瑞を召せる場で「イロエ掛リ急ノ舞」による演出で、早いテンポのリズム感豊かな囃子に乗った舞が心地よかった。
   九郎右衛門は、スーパー能「世阿弥」では、元雅を舞い、颯爽とした舞台を務めていて清々しかった。

   さて、先日の能は、「実盛」で、世阿弥の平家物語を題材にした世阿弥の6作の内の一つで、修羅能。
   義経を扱った「八島」は別として、「敦盛」「忠度」「清経」は、平家の公達だが、この「実盛」と「頼政」は、必ずしも平家オンリーの人でなかったのだが、勇猛果敢な武人であったとともに、風雅を愛する文化人でもあり、70歳以上の年老いてからの死を、世阿弥が描いており、非常に興味深い。

   実盛、すなわち、斉藤別当実盛は、元々、源義朝の家来であり、今回、篠原の戦いで、仇となる義仲を、幼い頃に助けると言う言う過去を持った平家の武将である。
   この実盛は、富士川の合戦で、維盛から坂東武者について聞かれて、勇猛果敢で気質の恐ろしさを吹聴し過ぎて、平家軍が水鳥の羽音を聞いて敗走した元凶などと濡れ衣を着せられているのだが、二子斉藤五斉藤六を残して維盛に仕えさせ、六代を守ったと言われている忠義者である。
   平家物語に忠実であれと説いていた世阿弥であるから、この「実盛」は、殆ど、そっくり、平家物語を踏襲しており、死後200年後に、篠原で、実盛の幽霊が出ると言う事件があって、その逸話をテーマにして、成仏を願う実盛が、戦いの経緯と、義仲と対峙できずに、手塚太郎に討たれた無念を吐露しながら、遊行上人に、更なる弔いを願って消えて行くと言う話で終わる能の曲に仕立てている。
   この物語は、平家がまだ勢力を誇っていた頃の話であり、世阿弥の能としては、平家物語でも、まだ大分前の部分の挿話で、源平の戦いではないのが面白い。

   興味深いのは、平家物語の実盛の最期をそっくりそのまま、能に取り込んだ描写である。
   討たれた首を見て、義仲は、実盛だと判断するのだが、老人の筈ながら鬢が黒々しているので不思議に思って、樋口次郎を呼んで尋ねると、はらはらと涙を流して、生前、実盛が、60を越えた身で先陣を争うのも大人げないし、老武者だと侮られるにも悔しいから鬢髭を墨で染めて出陣すると言っていたと言う話を披露する。
   樋口たちが、首を池で洗うと、鬢髭の墨が落ちて白髪が現れて、見ていた皆は感涙する。
   もう一つは、家来を一人も持たずに錦の直垂を身に着けた大将風の井出達が、手塚などには不思議だったのだが、実盛が、自分の故郷である越前での死を覚悟した戦いで、故郷に錦を飾ると言う故事に習って、直々に平宗盛に頼んで、赤地の錦の直垂を所望して貰ったのを身に着けていたのである。
   若い時には、勇者として名を馳せた実盛の、老武者ながらも名を惜しむ猛きもののふの心意気を、存分に示したこの能「実盛」の最期を、シテ塩津哲生が、実に感動的に舞い続ける。

   ワキ/遊行上人は工藤和哉、冒頭から登場するアイ/里人は石田幸雄、後見に中村邦生、地謡に人間国宝友枝昭世。 素晴らしい舞台であった。
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