
ギリシャ時代に燦然と輝いた科学だが、ローマ時代に一気に沈滞し、中世を迎えたヨーロッパで、やっと、中世後期に動き始めた。
しかし、この本の、「第十章 暗黒の西洋に差し込み始めた光」には、冒頭に次の叙述、
ローマ帝国が崩壊するにつれて、ビザンチン帝国以外のヨーロッパは貧しい漁村と化した。その住人は大半が読み書きができなかった。いくらか識字能力が残っている場所は教会だけになり、そこで使われるのはラテン語だけで、中世初期のヨーロッパには、ギリシャ語を読める人間は事実上いなかった。
復興し始めた西洋。アラビアから翻訳でアリストテレスの知識がよみがえる。だがそれらの命題が教会の怒りに触れ、異端宣告される事件が起きた。のちに宣告は撤回されたが、この軋轢は、科学史上重要な意味を持った。
この異端宣告と撤回という13世紀の出来事ごとは、異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い、その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったと言うことができると結論付けている。
ところで、前書きとは違って、著者は、中世期のヨーロッパの科学の遅れを記述しているのではなく、静止している地球を中心として天球が回転しているとする天動説のプトレマイオス派とアリストテレス派との論争や、異端宣告に伴う宗教界との軋轢、大学や学者たちの学説等々胎動する科学史を展開している。
しかし、ローマ帝国滅亡から科学革命までの千年間は知性の暗黒時代であったわけではなく、古代ギリシャの科学の業績は、イスラム圏の学術機関やヨーロッパの大学で維持され、時には改良されることがあった。として中世を近世への橋渡しととらえている。
文化不毛の時代だったら、ダンテの「神曲」など生まれないし、
いわば、ルネサンスや大航海時代の幕開けへの胎動であろう。
注目すべきは、同時代に、隆盛を極めてユーラシアに君臨していた文化文明の中心は、ギリシャの科学や学問芸術を継承したアラブのイスラム世界であって、台頭し始めたヨーロッパの大聖堂付属学校や新興大学は、古代科学者や学者の著作の原典をアラビア語の翻訳から、知識情報を得ていたのである。
翻訳で、最も直接的影響を与えたのはアリストテレスの著作だが、当時イスラム領であったスペインのトレドでアラビア語から翻訳された。
スペインは、グラナダが陥落するまでイスラム世界の西欧に食い込んだ最高峰の文化的拠点であり、トレドやコルドバやグラナダなどが、ギリシャ科学や芸術文化の伝播最前線であったのである。
これらの古都を訪れるとイスラム文化と西洋文化の融合が良く分かり、格調高いエキゾチックな風物が楽しませてくれる。
私はヨーロッパ最古の大学の一つサラマンカ大学を訪れて、コロンブスが居た部屋に入って感激したことがあるのだが、丁度、暗黒の中世(?)からテイクオフし始めて、科学芸術など学問が脚光を浴び始めた時期だったのであろうか。
この本を読んでいて、気付いたのは、科学史においては、16世紀から17世紀にかけて訪れた科学革命に至るまでは、ギリシャ、ギリシャであって、科学の世界では、ローマ時代など殆ど何も生んでいないし、イスラム世界や中世ヨーロッパでも、ギリシャに匹敵する科学の勃興はなかったといったことで、
一般的な世界史の常識と、非常に違うことであった。
政治経済や文化史など文系の世界史に馴染んでいる私には、アリストテレスの天文学や生物学の変遷などといった話題は新鮮だが、プトレマイオスとどう違うのか、とにかく、戸惑いながら読んだ。
しかし、この本の、「第十章 暗黒の西洋に差し込み始めた光」には、冒頭に次の叙述、
ローマ帝国が崩壊するにつれて、ビザンチン帝国以外のヨーロッパは貧しい漁村と化した。その住人は大半が読み書きができなかった。いくらか識字能力が残っている場所は教会だけになり、そこで使われるのはラテン語だけで、中世初期のヨーロッパには、ギリシャ語を読める人間は事実上いなかった。
復興し始めた西洋。アラビアから翻訳でアリストテレスの知識がよみがえる。だがそれらの命題が教会の怒りに触れ、異端宣告される事件が起きた。のちに宣告は撤回されたが、この軋轢は、科学史上重要な意味を持った。
この異端宣告と撤回という13世紀の出来事ごとは、異端宣告はアリストテレス絶対主義から科学を救い、その撤回はキリスト教絶対主義から科学を救ったと言うことができると結論付けている。
ところで、前書きとは違って、著者は、中世期のヨーロッパの科学の遅れを記述しているのではなく、静止している地球を中心として天球が回転しているとする天動説のプトレマイオス派とアリストテレス派との論争や、異端宣告に伴う宗教界との軋轢、大学や学者たちの学説等々胎動する科学史を展開している。
しかし、ローマ帝国滅亡から科学革命までの千年間は知性の暗黒時代であったわけではなく、古代ギリシャの科学の業績は、イスラム圏の学術機関やヨーロッパの大学で維持され、時には改良されることがあった。として中世を近世への橋渡しととらえている。
文化不毛の時代だったら、ダンテの「神曲」など生まれないし、
いわば、ルネサンスや大航海時代の幕開けへの胎動であろう。
注目すべきは、同時代に、隆盛を極めてユーラシアに君臨していた文化文明の中心は、ギリシャの科学や学問芸術を継承したアラブのイスラム世界であって、台頭し始めたヨーロッパの大聖堂付属学校や新興大学は、古代科学者や学者の著作の原典をアラビア語の翻訳から、知識情報を得ていたのである。
翻訳で、最も直接的影響を与えたのはアリストテレスの著作だが、当時イスラム領であったスペインのトレドでアラビア語から翻訳された。
スペインは、グラナダが陥落するまでイスラム世界の西欧に食い込んだ最高峰の文化的拠点であり、トレドやコルドバやグラナダなどが、ギリシャ科学や芸術文化の伝播最前線であったのである。
これらの古都を訪れるとイスラム文化と西洋文化の融合が良く分かり、格調高いエキゾチックな風物が楽しませてくれる。
私はヨーロッパ最古の大学の一つサラマンカ大学を訪れて、コロンブスが居た部屋に入って感激したことがあるのだが、丁度、暗黒の中世(?)からテイクオフし始めて、科学芸術など学問が脚光を浴び始めた時期だったのであろうか。
この本を読んでいて、気付いたのは、科学史においては、16世紀から17世紀にかけて訪れた科学革命に至るまでは、ギリシャ、ギリシャであって、科学の世界では、ローマ時代など殆ど何も生んでいないし、イスラム世界や中世ヨーロッパでも、ギリシャに匹敵する科学の勃興はなかったといったことで、
一般的な世界史の常識と、非常に違うことであった。
政治経済や文化史など文系の世界史に馴染んでいる私には、アリストテレスの天文学や生物学の変遷などといった話題は新鮮だが、プトレマイオスとどう違うのか、とにかく、戸惑いながら読んだ。